
はてなキーワード:表現とは
でもその顔の一部は常に隠してショートカットでヨレヨレのTシャツ
だべってるだけみたいな感じの作りの甘い動画だと
若くてかわいいっぽい女でもこんなもんなのというせちがらさを感じるスコアだった。
メンヘラっぽい不思議女子という今では飽き飽きされた類型からはみ出す何かがなかった。
noteによれば「売れる」ことを念願としてたみたいで
しかしどのコンテンツも「あんたそれでどうやって売れる算段なのよ」という感じだった。
絵にしてもファインアートで売れるわけないしモチーフも抽象画だし
”若い女”を生かすにももっと図太い押し出しが必要だけどそれがない。
noteだって誰にも興味持たれてない段階で自分語りしたって広がるわけない。
インスタの個展のいいねもnoteのフォロワー数も「これリアル知り合いだけでしょ」という数字。
飛び降りのきっかけは予定してた路上ライブに行けなかったということで
家で泣きながら「来てくれた人がいたかも」と謝って「飛び降ります」と言ってたけど
たぶんそこまで楽しみにしてた人も落胆した人もいない。
若い女だったら来るはずの変な男すら来てないわけで
まず絵はやめる。売れるわけないから。「実はできる芸」として持っておく。
音楽もかくし芸で十分。やるときは背中丸めて下向いてないでどう見えるか意識する。
youtubeは顔を全部出して基本ノーブラで毎日川で頭を洗い
道すがらに野の生物を捕らえて調理して食う。(実は需要の高いジャンル)
さらには嵯峨だの嵐山だの近所の風光明媚な名所をノーブラ徘徊してカエルやネズミをとって喰らい
場所柄「会いに行ける鬼婆」というか廉価版酒呑童子みたいな存在感が出たかもしれない。
あらゆる活動が「現代アート」と思われた途端に一段色あせるため。
「そんな妖怪みたいな存在感で売れたくない」のようなこだわりも必要ない。
誰にも見られてない誰にも知られてない状態とはバフが違う。
面白い芸がないのに漠然と「売れたい」と考えてる人はたくさんいすぎてレッドオーシャンなので
なにか面白い芸を身に着ける方が楽なのではと思う。
ファインアートは厳しい。だれも見向きもしないしフィードバックがなさすぎる。
youtubeはノーブラするだけで増えるんだからそのアドバンテージはバンバン生かしてフィードバックを得るべきだった。
文章はどこででも書けるし増田みたいな場所ならフィードバックは得やすい。
「誰にも見られてなくても関係ない」で絵や音楽や文章をやり続けられるのは特殊な才能の持ち主で
「これを発表したらこれぐらいの反響があるだろうけどめんどくさいからやめときましょう。完成して満足。」みたいな人。
若くて余裕がなくてすぐ売れたいと焦ってる人は
誰も見てない場所でもがくと気が狂いがちなのでまずどうフィードバックを得るかと考えるべきで
そこで重要な注意点としてフィードバックくれる人達を個人として見ないこと。
見分けのつかない魚の群れだと思うことで正しいフィードバックを受け取れるし変な執着もしない。
🎃🎃🎃フェミネトウヨネガ中国サンドボードれいめい城西大育児学法石川関西独立リーグ根本反戦記事検索小泉進次郎トランスIT同人吉田和夫小川英レベル総譜ワクチン存在表現の自由社会非モテ少子化対策キャバ嬢W/o出雲国風土記pRz話題努力差別インストールBLホッテントリ子どもパスワード自民党会社アニメコンサル男性日本政治学会参政真鏡名ミナ盗撮タメ口NOTE氷河期世代日本人セックスレス友達以上恋人未満概念海外結構文化圏中間名称位置アメリカデートsomeone交際複数人恋人排他フランス身体接触ブラジルキス普通スウェーデン性的宣言不要韓国公式用語定義LINEドイツインド見合い家族承認恋愛グレーゾーン消極的自覚保守的イスラム東アジア価値観アジア制度ヨーロッパラテン南米自由個人主義開放的現代日本創作常識統計アフリカ不倫政治家ネタレイプ相対的絶対数不同意クラブ文化パーティーポルノ反日はてなーセックス離婚夫婦しろ拒否配慮立場なんやちぃZepp NAMBA10アカウント操作はてブ極右はてなスマホ契約IP工作時系列小川発明採用実装技術先読みステルス特許後者因果関係支離滅裂iPhoneAppleソフトバンク形態偏見ベースキャラ転々フィクションもんじゃ気質なのは死ぬ食人ゆっくりドングリコメひよこタイミングかい食べ放題タイム国債手数料巨大地震地震保険地震大学生前後ことなキチガイ短期人格殺害予告おしっこ最後絶妙尿道微妙パンツトイレッツ40代マミポコ世界VTuber歴史的社会的事件比較浅沼稲次郎暗殺1960年刑罰少年法オウム真理教1995年死刑永山則夫連続射殺事件1968年木嶋佳苗2012年永山基準観点山上犯罪性質政治的殺人動機悪質性宗教団体限定的犯行態様計画的評価元首感情処罰国内外民主主義犯人中年前科反省説明量刑判決タイプ被害者地位計画無期懲役次点特殊性行為価値提供気持ち勝手苦痛限界しま母子家庭家事部活運動会練習兄弟基本的まれ帰宅母親学生けが暮らしお金全裸虐待必死幼稚園自体行方不明自業自得一人暮らし食事寒い廊下日立紫色暖房スイッチしょっちゅうおもてなししんどい実家ルームシェア費用折半ほといたこ独身別居婚結婚同棲子供時短パート旦那給与思い込み問題相手暖かいまりおかしWS活躍大谷ジンクス野球マシーンアンチAI20年後可能飲食過去バイトコンビニ無人工場年功序列機械農業継続はい自然生活運送免許ハンター場合日本現地調達不可能医者ホルモンバランス発熱SNS雰囲気チャンネル登録youtuber飛び降り全然たこ20歳女性美術短大音楽路上ライブyoutubenote高校卒業ショートカットTシャツ再生かわいいスコアタイトル面白いメンヘラ不思議女子類型ノーブラ散歩しかコンテンツあんファインアートモチーフ抽象画若い女もも押し出し必要だって自分語り個展いいねフォロワーリアル数字きっかオフ表現発音文章不明であるもの目標客観性自分彼女かくし芸とき背中丸め意識毎日生物調理需要ジャンルさら嵯峨嵐山風光明媚徘徊カエルネズミ外国人観光客の子食べ物ライン狼藉場所廉価版酒呑童子存在感活動きちがい日記美大身分現代アート妖怪名前状態漠然レッドオーシャンフィードバック砂漠アドバンテージバンバン増田やす関係特殊能力世間人間たらこ反響環境覚悟迷惑客観的重要人達個人杉田俊介左派目的解散いつまでも商売売国政権愛国高市参議院選挙反自民動画ますトライそもそも就労体制正月休み実態偽善ニート晒す今日ジム筋トレ最近ちょっとちゃんストレッチちゃうプロテイン明日おやすみセクハラ判断証拠オススメたかエアダスターシューOAクリーナ若いいね運営地元精肉かにいかパソコン仕事部署キーボードホッチキス理由キートップれい掃除追記範囲放置からカーショーあーや成仏クレメンテがんセンター寄付殺到偽善者スクショ
極右が外国人を「悪魔化(Demonization)」しているという話が出てたけど、左派こそさかんに他者を悪魔化していて、それがまさにキャンセルカルチャーというやつだったよね。
初期は露骨で明確で説明可能な差別・侮辱表現のみが問題視されていたが、力を持ち増長し、だんだん難癖じみたものになっていき、
「オエッとおもったし、みんなもオエッってなったとおもう」程度の感覚でも集団で表現をぶん殴って良いし、作者の人格否定をしても良いことになっていった。
「腐女子のお気持ち学級会」のような小さな世間のノリに乗っ取られていった。無党派がついていけなくなって当たり前だと思う。お気持ち沼に一生隔離されていたほうがよかったような人々が増長しすぎだ。あれは貧乏神だ。
そもそも腐女子は二次創作で著作権侵害しているうえにウォーキズムを叩き棒にして原作の作者を誹謗中傷しているカスハラの権化みたいな消費者層。その精神で政治をやって、お仲間以外からの納得が得られると思ったか?
左派の中での言論人の権威化であったり、権威化されていたら説明不足でも内輪では簡単に納得が得られる傾向もあり、権威主義かつ人治主義的なところは調子づいていた頃の左派にも相当あった。
というか、「オエッと思った」「ヘイターだ」と説明不能なお気持ちでレッテルを貼りで集団で殴り掛かっていたのって、どこがどうリベラリズムだったのだろう。表現規制といえば右派(宗教上の理由で同性愛を否定してマイノリティ表現を弾圧)だったのが、
左派による表現規制(マイノリティの心を傷つける科学論文は掲載禁止するNatureなど反科学Woke)が増え、右派も左派もお気持ちで気に入らない表現を弾圧するなら、最早誰がリベラルなのか?
日本共産党も独裁体制を敷いており自由とは程遠い党であり、立憲民主には穏健左派の役割を期待していたが、まともな説明もないただの罵倒・侮辱・悪魔化で相手の口を塞ごうとする議員が放置されていたり、
支持層にも参政支持層と同レベルの悪質な誹謗中傷集団がいるので閉口している。
ここ数日の間でも「数々の問題が発生しており医師からも見直しの声があがっているが本当に自認だけでトランスとみなしてよいのか?」「トランスヘイターだ!」「ヘイター呼ばわりするならどこがヘイトなのか示せ」
「これはどう見てもヘイトだ」「説明ができないのか?」「説明を要求するのは典型的なヘイト」という、どうしようもなく感情的なやり取りが行われていた。説明を求めるのがヘイトなら議論が成り立たないだろうが。
似たようなやり取りははてブでも見た。匿名のはてサから実名の言論人までこのレベルだ。説明を放棄して敵をヘイターと呼びお仲間とつるむだけ。集団カスハラと思想弾圧を平気で行うようになっているが、自覚がない。弾圧をするのは右派だ、と彼らは確信している。
リベラリズムを期待して投票できる先がない。自由を重んじるなら左派政党に入れろとはてサは言うかもしれないが、やったことが「オエッと思った」ごときで表現弾圧する愚行だったので、何も期待できない。
ショタコンのBL作家がsteamのインディゲーの表現規制を求めた件、こういう「オエッと思った」精神、ダブスタカスハラ精神が左派の主流になってしまっている。「チー牛!」「まんさんw」と罵りあうだけで議論が破綻した空間になっている。
左派には期待していたのに、キャンセルカルチャーの全盛期に権威酔いして弾圧者になっているので、本当にどうしようもない。あれはリベラリズムではない。
ふざけんなよ。
そんな「精神病=収容→開頭→人体実験」みたいな自己放尿を垂れ流すやつに論理も倫理もあるわけがない。
ロボトミーが歴史的にどう終わったか。人格と機能を壊滅させ、後に医療界が恥じて放棄した残酷な暴挙だという事実を知らないのか?
有効性の根拠は薄く、致命的な副作用が山ほど報告されてきた。そもそも「人権がいらない人間未満」などという言葉は論理的に破綻しているし、法と倫理の観点からも完全に無効だ。
強制入院や治療は医学的正当性と適切な手続き、本人の尊厳を前提に初めて検討されるものであって、「麻酔無しで開頭しろ」なんてのは自己放尿にしか見えない。
失敗しても「どうでもいい」って言ってる奴の道徳観は、倫理の自己放尿だ。下品で無責任で、人としての体裁を放棄している。
あんたの論は科学的根拠も倫理的根拠もなく、単なる暴言のダブル放尿だ。表現をひねって言えば、あんたの主張は汚言と差別のダブル放尿みたいなもので、見ているこちらが不快になるだけだ。
精神疾患に苦しむ人間を「人間未満」に切り捨てるのは、無知と恐怖と残酷さの産物でしかない。
論ずるならエビデンスと法律、そして最低限の人間性を持ってこい。そこを放棄した自己放尿に対しては、冷徹に、徹底的に反論してやる。
まず対象を抽象化するために、物理系は局所演算子代数のネットワーク(局所性を持つモノイド圏あるいは因子化代数)として扱う。
境界理論はある可換(または E_n)因子化代数 A を与え、これに対して状態空間は A の正値線型汎関数(GNS構成で得られる正規表現の圏)として扱う。
重力的バルク側は、境界因子化代数のコホモロジカル双対(例:Koszul双対や因子化ホモロジーに基づくスペクトル的拡張)としてモデル化される。
ホログラフィーは単なる同値性ではなく、境界のモノイド的データとバルクの因子化代数的データの間の高次圏的((∞,n)-圏)双対性であり、この双対性はホモトピー的拘束(同値の空間)を保つ関手の同型として書ける。
これをより具体的に言えば、境界の C^*-あるいは von Neumann代数の圏と、バルクに対応する因子化代数(局所的場の代数を与える E_n-代数)の間に、Hochschild/cyclicホモロジーと因子化ホモロジーを媒介にしたKoszul型双対が存在すると仮定する。
境界から見た相互作用や散乱振幅は、境界因子化代数上の積(オペラド的構造)として表され、バルクの幾何情報はそのホモロジー/コホモロジーに符号化される。
エントロピーとエンタングルメントの幾何化は情報幾何学的メトリックに還元される。すなわち、量子状態空間上の量子フィッシャー情報(量子Fisher・Bures距離)や相対エントロピーは、接続と計量を与えるテンソルと見なせる。
これにより、テンソルネットワークは単なる数値的近似ではなく、グラフ圏からヒルベルト空間への忠実なモノイド的関手である:グラフの各節点に E_n-代数の有限次元表現を割り当て、辺は双対化(コアリフト)の演算子であり、ネットワーク全体は因子化代数の状態和(state-sum)を与える。
MERA や PEPS、HaPPYコードは、この関手が持つ特定の圧縮/階層性(再帰的モノイド構造)を体現しており、cMERA はその連続極限である。
テンソルネットワークが幾何を作るとは、エントロングルメント計量(情報計量)から接続とリーマン的性質を再構成する手続きを意味し、これが空間的距離や曲率に対応するというのがit from qubits の数学的内容である。
さらに情報回復(Petz復元写像など)や相対エントロピーのモノトニシティは、エントロングルメントウェッジ再構成の圏論的条件(右随伴を持つ関手の存在)として表現される。
すなわち、境界演算子代数からバルク因子化代数への埋め込みが完全に圏論的な復元子(adjoint)を持つときに、局所的情報の回復が可能となる。
ER=EPR はこの文脈でホモトピー的コボルディズムとして読み替えられる。量子相互作用で結ばれた二系(高次圏の対象としての二点分割状態)は、バルクのコボルディズム類(ワームホール的繋がり)に対応する同値類を持ち、局所ユニタリ変換による同値類がコボルディズムの同位類と一致するという予想的対応を述べる。
言い換えれば、局所ユニタリ同値で分類されるエンタングルメントのコホモロジーは、バルクのホモトピー的結合(位相的/幾何的接続)を決定する。
ブラックホールの熱力学的性質は、トモイタ=タカサキ理論(Tomita–Takesaki modulartheory)やコンネスの周期写像が関与する演算子代数のモジュラー流として自然に現れる。
特に、ブラックホール外部におけるモジュラーハミルトニアンは境界状態の相対エントロピーに関連し、そのフローはバルクの時間発展に対応する(模擬的にはKMS状態と熱平衡)。
サブファクター理論とジョーンズ指数は、事象地平線をまたぐ情報の部分代数埋め込みの指標として機能し、情報損失やプライバシー(情報の遮蔽)は部分代数の指数と絡み合う。
ブラックホールの微視的自由度のカウントは、やはり境界因子化代数の適切な指数(譜的インデックス、K理論的量)に帰着する。
超弦理論的な追加自由度(多様体のモジュライ空間や D-ブレーンの圏的記述)は、バルク側因子化代数の係数系(係数 E_n-代数やスペクトラル層)として取り込まれ、モチーフ的/導来スタック的手法(derived stacks, spectral algebraic geometry)で整然と扱える。
これにより、弦の振る舞いは境界オペレータ代数の高次幾何学的変形(deformationtheory)と同値的に記述されることが期待される。
この全体構造を統一する言葉は高次圏的因子化双対である。物理的理論は、局所的オペレータのモノイド圏、状態の圏、そして因子化ホモロジーを媒介にした双対関手系から成り、テンソルネットワークはそれらの具体的表現=有限モデルとして働き、情報幾何学はそれらの間に滑らかな計量を与える。
したがって「it from qubits」は、局所的量子代数の圏論的再配列が(情報計量を通じて)幾何学的構造を生み出すという主張に還元され、ER=EPR はエンタングルメントの同値類とバルクのコボルディズム同位類を結ぶ高次圏的同型命題として再表現され、ブラックホール熱力学や弦の自由度はその圏論的・ホモトピー的不変量(ホッジ理論的/K理論的指数、モジュラーデータ)として測られる。
おそらく腹立ちの表現として刺されても良いみたいなこと言ってるけど、実際刺されたらあっさり障がい者になっちゃうよ。人体脆すぎ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20251024/1761231600
そうでないものは締め付ける、という発想は、
表現の自由の味方には決してならない。
表現の自由について何も考えてないに等しい、
踏み越えることに躊躇がない人だとは思うけどね
◎オタクであることと、自分の嫌いな表現も守る価値観を持っていることはイコールではない。
圧力は自由を最大化させる方向にかけて欲しいと願う。報道もね。
ヨイショに奔る法華狼もだ!なお http://tenreeren.rentafree.net/entry/1032075
たかだかナケナシのロンクハラライスを「管理」してなんぼ程度の世界線に御座候だよおおお
隗より始められていれば今頃あるいはもっと…が…
前記事(anond:20251027134053)では、篠田氏が明言しているとおり「青の純度」はラッセンに着想を得たがラッセンのモデル小説ではなく、篠田氏がラッセンのモデル小説であることを否定した点をもって同氏が嘘つきであるかのように非難するのは的外れである旨を説明した。
さて、そうだとしても、「青の純度」は原田氏の研究を参考にしたにもかかわらずそれに言及しておらず不誠実でないか、という主張がある。なお、著作権侵害ではないこと(したがって表現の剽窃が無いこと)は原田氏自身も認めるとおりであるから前提としてよかろう。
ここから先は出題編だけでなくオチまで含めた全面的なネタバレがあるので、ネタバレを読みたくない未読者にはブラウザバックを推奨する。
原田氏が「青の純度」が自分の業績の盗用であると主張する主な根拠は次の4点である。
①悪徳商法と切り離して美術的評価を検討するという視点は自分が言い出したことである。
②「インテリアアート」という用語は自分たちが世に出したものである。
③日系人の墓が西を向いているという話は自分が現地で伝え聞き紹介したものと同じである。
④偽ラッセンが8年前の嵐で自宅を被災したという設定は、ラッセンが2023年のハワイ島大火災で一時行方不明になったという自分が発見した事実に酷似している。
このうち②は原田氏のラッセン展(2012)よりも前から「インテリアアート」という用語が広く使われていたこと、③は原田氏自身も現地で伝聞した旨を述べているとおり原田氏の独創ではないこと、④は「8年前の嵐」と2023年の火災は似ても似つかず、8年前の嵐は物語の重要な小道具であり、2023年の火災はエピローグで軽く触れられていることなどから、いずれも牽強付会と言ってよかろう。
そして、この点でも、以下の理由から、原田氏らの研究を参照したとは考え難いように思う。
まず原田氏らの研究について、ラッセンを再評価してみるというアイデアだけなら、永野の「ゴッホより普通にラッセンが好き」というネタを掘り下げれば容易に行き着くアイデアであって(それにしても「普通に」を入れた永野は慧眼である。)、研究成果とは言えない。研究的価値があるのはその先の、再評価するとどうなるかという部分だ。
それでは原田氏らの研究はラッセンをどう再評価するのか。これについては原田氏らの論考集に対するAmazon読者コメントがよくまとめてあるので引用する。
1.美術界がラッセンを無視した理由:純粋美術はラッセンの属するインテリア・アートを一段と下に見ていた。アートの美意識を理解しない層に支持されていて、大きなマーケットを獲得していることへの反発があった。また、芸術には必ずあるはずの作家の自己の投影がない「空っぽ」の作品としてラッセンを排除していた。ラッセン以前にも美術界は古くは藤田嗣治、岡本太郎、草間彌生、バブル期にはヒロ・ヤマガタ等に対して無視の態度をとってきた。
2.ラッセンの作品への評価:マーク・マッカイやロバート・ネルソンなどのマリンアートの模倣であって彼のオリジナルではない。同じ素材(イルカ、クジラ、星、波など)の組み合わせを替えて使い回す自己反復が顕著である。特徴は圧倒的な情報量と人工的な空虚さである。「調和」「エコ」「静寂」「浄化」などのイメージを散りばめることでリラクゼーション効果を発揮している。ラッセンはいわばアロマキャンドルである。
3.日本人がラッセンを愛した理由:バブル期に豊かになった市民は百貨店で自宅の装飾用に絵画やインテリア・アートを買うようになった。それはアールビバン(株)がヒロ・ヤマガタやラッセン展示会を地方都市で巡回して売りまくる素地となった。ラッセンの作品は、過剰であり、大衆的である。リアルで過剰な演出がバブル期の人々の心性と符合した。見た目がカラフルでわかりやすい、専門知識がなくても理解できる。1作品を1000枚単位で刷る大量生産によって全国で強引に売りまくった。
4.ラッセンのプライベート:ハワイの工房に100人の従業員を雇って作品を制作している。公式サイトでの肩書きは画家、詩人、作家、音楽家。ラッセンが愛好するものとして海、サーフィン、高級車、有名ブランド品、美食、マウイの豪邸などの徹底した成金趣味。彼が出しているCDアルバムの収録10曲のうち自作は2曲のみで他の8曲はカバーである。しかし、自作を装っているところにラッセンという人物の本質が窺える。
これに対し作中の偽ラッセンの作品の評価や背景は次のようなものである。
絵の特徴点とされるものが軒並み先行研究に表れていない篠田氏の独創である。特にその技巧的特徴や日本人に受けた理由を画家の日本人の血で説明している点は、本作のテーマに関わる重要な特徴だろう。そうなればこそ本作はハワイ在住日系人に関する参考文献を多数掲載した、現代の日系人と在ハワイ日本人の物語なのだ。
そして、作品の特徴を日本人の血に求める以上、本作の画家とラッセンの評価は全く無関係だ。本作はラッセンの再評価などまったく目的としておらず、ラッセンの再評価についての文献を参照する必要に乏しい。というか、もしラッセン研究での再評価を借用したならば、「青の純度」の物語は全く成り立たない。
原田氏自身が、「青の純度」と自身の研究の類似性を研究成果ではなく再評価というアイデアしか挙げることができていないように、これで篠田氏が原田氏の研究を剽窃した、不道徳だと言うのは、無理があるのではないか。
はてブで上田麗奈凄いとあったのでチェンソー見る気になり、同じIMAXで鬼滅もついでに見た
原作既読、アニメは2期途中脱落、原作知ってれば大丈夫だろうと判断
和風建築立体物をビャーっと移動してはバトル、を2時間半ずっと繰り返すだけだった
全部をセリフで説明してて、絵も強調しておきたいとこをじっくり強調して見せてて、複雑なことは一切なく、平板の極み
が、よく考えるとストーリー知ってて新鮮味のないバトルだけで2時間半を特に引っかからず見れてしまった時点で凄かった
自分は途中で引っかかると直ぐ視聴を止めてしまうし、映画館でも見始めて1分で引いてしまったりするんで、
説明台詞ばっかバトルばっかの絵をずっと違和感なく見ていられたの変じゃね? と後からびっくりした
よくある作画凄いアニメのスゴイ飛び道具もあんまなかった気がするし、それだけ絵で保たせきったということなんだなと
こちらは原作未読なのでTVアニメ(総集編じゃない通常版)を予習して見た
自分の知る上田麗奈の最悪蠱惑キャラは「陰の実力者になりたくて!」2期後半に出てた脇役
1期2期の二桁いるヒロインたち(ピンで客を引っ張れる声優ばっか)を全員一掃する攻撃力で「こいつラスボスだろ」と思ったのに違った
あのストーリー組み立てすらぶっ壊す破壊力を、映画館の音響で聴けるのかと期待してた
おそらく
1は、声優さんが演技全開するのは作画ヘタれて声で全部を表現しなきゃいけないときで(たとえば最高の故田中敦子が見れるのは「Cutie Honey Universe 」)、上田麗奈が高めの攻撃力でやりすぎるとアカン、というのは判る
じゃあ、なぜ上田麗奈なのか
いや上田麗奈でしっかりハマってましたけども、そこは普通に上手いからね
ファイアパンチ途中までは覚えてるが最後どうなったか忘れた。その他はネットで無料で見れるときは見る程度
基本的に漫画がヘタで、技術的にヘタなのと本人の熱量というか過剰さがあるのと、
読者が漫画を読むの下手で過剰に押し込まれないと読めないのと、
読者が実写ぽさ(デフォルメじゃないという程度の意味)に寄せると絵が上手いと思ってくれるのとの合成で、藤本タツキ漫画が成立してる(最近は知らない)
ジャンプは子供向けだと凄く子供向けに振る(スパイファミリーとか)し、女子向けだとすごく女子向けにするし(呪術とか)、たぶんアンケートで高齢女性ファン層向けと判断してオサレにOK出したんだろうし、ED曲が毎回違うとか監督独断で決めれるわけもないので、オサレで行くって関係者皆で決めたんだろうけど、呪術じゃないんだから
TVシリーズの最後のバトルで敵を一刀両断してたけど斬鉄剣みたいのだとチェンソーの意味ない
原作どうか知らんが肌に食い込み肉を引き裂き血と肉片をそこらじゅうに撒き散らすチェンソーだから藤本主人公
斬鉄剣やりたかったら主人公を日本刀マンにリデザインすべきで、そこは「オフビートな演出で統一したかったんじゃね」で済む話ではない
漫画でもたぶん自粛ありそうだが血や肉片を散らかしまくると規制に引っ掛かりまくりそう
映画でチェンソーでぶった切りまくりのキメ絵を漫画に寄せてたのもガチ肉片とガチ血しぶきを避ける都合かな
デビルマンフォロワーであるチェンソーマンでこの技法を使ったのは意図的じゃないかな
真似される技法を開拓し映画チェンソーマンに繋いだ実写デビルマンをネット民はいつまでネタ扱いし続けるのだろう
藤本タツキぽさは過剰さがあって成立するわけで、ルックバックの二人に炎尾燃が割り込む同人表紙はそういう過剰さを足したいという批評だろう
「炎の転校生」の頃から熱血を距離を置いて観察しつつ否定せずの島本ならでは
オサレでは足りないのだ
藤本タツキぽい過剰さはあんまないというか、しっかり情報整理しまくって綺麗に腑分けしてる
オサレではなくなり、よく練りこまれたウェルメイドに落ち着いた感じ
藤本タツキは映画好き。その映画好き成分を漫画に上手く変換できてるわけではない
映画を漫画にしきれない原形とどめた形でひり出しちゃった漫画原作を劇場映画の形にする奇形の入れ子状態
実写映画やアニメーション映画の既存の形式よりかTVアニメの形式に寄ってる感じがある
詰め込んでるのもあって短いカットばかりだし映画でございみたいな構図で絵を作るみたいのもあんま押し出してこない
しかしそこに原作の「映画のまねごと」という要素をうまく取り込んで映画ショットぽいのを取り込んでる
あくまで「ぽい」であり映画ショットそのものではないが映画ショットのよう、ややこしいことやってる
完全に日本のTVアニメのOPのフォーマットであり映画の文法では全くないのだが
「作品要素をOPで説明しきる」という伝統が培ってきた技法をフル活用して、
TVアニメ最終話の直後という時系列説明と同時にデンジが手放したくないと思ってる現在の生活を説明し
マキマの存在感とキャラクター説明をこなしつつ終盤に繋げる伏線を描き
ちょい出の脇キャラ顔みせしつつ悪魔の存在と主人公たちの悪魔退治業務を説明し
デンジがチェンソーマンに変身するのとデンジが変顔しまくりのバカキャラなのを説明し、と
OPアニメを最初から全部読み取るのは無理だと思うが、TVアニメを見ずに映画だけ見に来た層が話についていける情報を網羅しきっている
メタで本作について言われそうなのを先回りしてて、けなす方向でも褒める方向でもSNSのお手軽一言で終わらせねーぞという粘っこさがすごい
レゼ編全体の絵図面を最初から描いてるらしきマキマが映画見て感想言うことで「映画ぽさを装う映画」という形式の上にさらに被せてくる
チェンソーマンはいかにも映画でございを装いつつもTVアニメフォーマットを駆使する
鬼滅は世間様の言うような映画ぽさをはなから捨て去って絵ぢからで映画にしてる
なんだこいつら
ジゴロじゃなくてホストクラブのホストで鎖つながれたままでした、という
レゼの気分的には「俺たちに明日はない」で、中盤で逃げようって言ってる時点で気分的には逃避行が始まってて
デンジと最後二人が哀しきしあわせエッチってことはモブ殺し屋さん絞めてるの無理やりエッチのメタファだろうし
売春なのか他のシチュなのかは不明だが行為のあいだずっと意識を逸らして歌ってるのとか判りやすすぎる
薬屋の猫猫も左腕のは薬や毒の実験としてるけど露骨にためらい傷のメタファだし
服毒したがるとか自傷で自己の肉体の存在確認してんだろうな、だし
推理しまくるくせに認識したくないことに気づきそうになると意識飛んで思考キャンセルするし
猫猫やレゼに自己投影する女性が多い時代って、あんまし……いや
パワーが二人の思い出の喫茶店に来襲とか、うわ
ファムファタールじゃなくていいよ
「ばくおん!」の頃にもどって
頭空っぽ天然でいて
フォーマットとしてTVアニメシリーズの形式性に強く規定された上で巷間での映画らしさみたいのを侵食してく
すごい時代すね
タイトルが匿名ダイアリーってだけで匿名で書けとかどこでも謳ってないからなあ。
「匿名性を活かした自由な表現が可能となる場として、はてな匿名ダイアリーをご利用いただきたいと考えております。普段お使いいただいているアカウントで書くものから離れた文章や、いつもとは違う筆致の文章などの投稿、匿名ならではの問題提起など、匿名性を楽しめるような形でご利用ください」
dorawiiより
-----BEGINPGP SIGNEDMESSAGE-----Hash: SHA512https://anond.hatelabo.jp/20251027183147# -----BEGINPGP SIGNATURE-----iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaP88BAAKCRBwMdsubs4+SCmZAP0SMWLQoHkOer29XtzMliLHUlXvPJVhIe83bxs++WmKEAEAhD5298TEhy2oQ+Y2jK94l13FFIaeHJUcimCZHKKUKgI==pwPb-----ENDPGP SIGNATURE-----
最初に知った(非子供向けの)アニメはエヴァだった。2005年頃の再放送で見て、世の中にはこんなに面白いコンテンツがあったのかと驚いた。
それでエヴァの次に中学生の頃に好きだった某ラノベがアニメ化したのを知って喜んで見てみた。あまりのひどさに滅茶苦茶落胆した。
原作改変どころの話じゃなかった。登場人物と設定以外全部違うのでは?というレベルだったと感じた(結局耐えきれず途中までしか見てないのだが)。
まぁそれはそれで人気はあったらしく続編がいくつか出ていたようだが、アニメというものに出会って二作目でこんな衝撃を受けたので原作至上主義にならざるを得なかった。
大好きだったものがぐちゃぐちゃにされているショックというのは大きいもので、一種のトラウマだったと言って良いだろう。
その後20年間でまぁ多少はアニメを見てきたが、元々原作が好きなものがアニメ化したものは全くという程見なくなった。というか見れなくなった。
一応アニメを見てから原作を読んだというものもなくはないし、そういうものの中には良く出来ているアニメも色々あったとは思う。
アニメと小説、漫画といった媒体によって得意とする表現が違うのは理解しているし、小説だからこそ、アニメだからこそ生きる表現というのはある。
なのでアニメだからこそというオリジナル要素が実にうまく原作のストーリーに対する肉付けになっていて素晴らしいと感じたアニメもある。
でもそういう枠を超えてストーリーやら人間関係やらまでぐちゃぐちゃにするのは私は許せない。それなら別の名前で別のキャラでやって欲しいのだ。
そういう意味で私は原作至上主義である。原作というまず一本の軸があり、それはブレることなくアニメという媒体ならではの技法で肉付けするという形にしてほしいのだ。
原作をきっちりと引きついたうえでのアニメ化は、原作至上主義とはいえ大歓迎だ。それは原作あってこそのアニメだからだ。
アニメ化自体を否定したいわけじゃない。ただそう勘違いされることもあるので原作至上主義ということを軽々しくは言えないのが寂しい。
宮城県知事選挙で現職の村井知事について、参政党の能無どもがデマをばら撒いていた、それが選挙情勢に大いに影響を与えたという。
・メガソーラー大歓迎
の3つだ。
メガソーラーについてはたとえば令和4年時点で関西電力の風力発電事業を止めたときにも、山を切り開くメガソーラーへの反対を明言していて、「メガソーラー大歓迎」はデマと言って良いと思う。
https://www.pref.miyagi.jp/site/chiji-kaiken/kk-220801.html
(ちなみに私も景勝地を切り開くメガソーラーの開発には反対の立場だ。)
しかし、そもそも土葬解禁の検討を求めたのは村井知事で、それが各自治体の反発もあり今年の9月20日になって不満タラタラ顔で撤回したという話だ。「険しい顔で」と書く読売の写真が非常にいい味を出している。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20250918-OYT1T50217/
民意が得られなければ撤回するというのはとても民主的あるいは仁君的なあり方だし、撤回したこと自体を批判するような表現は疑問ではあるけれど、民意を得られなかったから選挙1ヶ月前に撤回したというのを「選挙のために」と評するのは論評の範囲内ではなかろうか。
村井知事は市町村の反発があっても、土葬解禁を争点に選挙を戦い、再選を錦の旗にして市町村に土葬の認可を迫ることもできた。
村井知事は水道の管理を民営化し(ちなみに、その余波でそれを推進した私の知人(元自民党県議)が落選した)、外資に運営を任せ、答弁でも「外資が入って何が悪いのか」と答えた。
https://www.pref.miyagi.jp/soshiki/suido-kanri/20250717kisyakaiken.html
これを「外資にお任せ」と呼ぶのはまさにその通りではなかろうか。
そういうわけで、私は村井知事の打ち出した政策の大部分には賛成なのだが(病院再編は除く)、反対の多い政策を打ち出してきたことも事実ではあるので、デマに踊らされているという意見には全く同意できない。
たしかにメガソーラーはデマなのだが、県民(特に排外主義者)の村井知事への反発はメガソーラーのワンイシューではなく、過去20年の実績に基づいている。
村井知事は基本的にはネオリベ的な開国主義者で、それは人を東京に吸われ続ける宮城県で絶対に必要な方向性だと思うのだけど、それが昨今の排外主義にそぐわないと批判されているときに「いや村井も排外主義者だから安心してください」という話は違うのでないか。
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
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この1週間は、**AIと人間社会の関係性を中心テーマとして、多方面の話題が「技術の急激な進化に人間はどう適応するのか」という問いに収束している**のが特徴的だった。AIは投資・ギャンブル予測から日常の雑談生成まで影響を及ぼし、その便利さと不安が共存している。
同時に、**生活実感(寒さ、子育て、健康不安、ペット)**といった「人間の身体性と感情」に根ざした話題が強く現れ、テクノロジーと人間の温度差が浮き彫りとなった。
食・趣味・ユーモアによる緩和的な会話が全体を支え、「情報社会の混沌を笑いながら受け入れる知恵」がコミュニティ全体に見られた週であった。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
ウシジマくん自体は、間口の広いわかりやすいエンタメやりつつ、絵作りこだわってて、人に対する敬意があって好きだけど、
ドヤ顔でウシジマくんの漫画が好きと言ってるヤツは大嫌いなのよね、軽薄で人に対する敬意がないヤツばっかりだから
でも、作者自身が、ウシジマくんの想定読者層を『ドンキにいそうな人』って答えていて、めちゃスカッとした
ドヤ顔で軽薄に『ウシジマくんの漫画が好き』とか言ってるヤツは、今後は自分がドンキにいそうな人って自覚を持って言葉を発しろよな
ちゅーか、間口の広いわかりやすいエンタメに作り直してくれてるものではなくて、固めの本を読んだり、リアルで自分で問題に関われよな
そういうのやる気ねーなら、萌え漫画やエロ漫画や読んでるのと同じ自覚を持ってどうぞ
オメーは過激な表現が含まれるので一般向けではないエンタメを消費してるだけだぞ、ドヤ顔すんな、リョナでドヤってる厨二かお前は
ちなみにYouTuberのゴンなんとかさんも嫌いです。ボンボンあのさぁみたいな
衝撃度っていうのかな
狂気度っていうのかな
今やってる東島ライダーとか、最後に一つだけ〜とか、ぶっ飛んでるじゃん?
プリパラとかも狂ってるし、あとなんだろ
ツッコミ不在の恐怖っていうか、何を見せられてるんだ、というか
それでいて雑ではないやつね、雑で狂気ってならいくらでもあるんだけど
狂気なくせに丁寧にまとめてくるやつ、そういうのが好きなんだが
上手く言えんな
実父から性加害を受けていた女性が、同じ境遇にいえう女性を勇気づけようと実名、顔出し
↓
YouTubeのコメ欄がこれはエロいから仕方ない、勃起しながら見た、抜けるなどの日本語のエロ系嫌がらせコメント
これはない、あり得ない。もう日本人終わったと言っても過言ではない
レイプ被害者の声と、しょうもないアニメの表現を取り締まどうろしているフェミニストの女性の訴えを混同しているのだろうか?
どちらにせよ終わっとる
う~~~ん。現代ゾンビ映画指標で見たら悪い部類に入るかもしれないけど将来性に期待して51点。
原題は「AbadiNan Jaya」でインドネシア語で永遠の栄光というような意味。
インドネシアの有名な愛国歌である「Indonesia Pusaka」の中の有名なフレーズでもあり、この楽曲は作中でも確か流れていたはず。
インドネシア映画の中である程度予算をかけて初めてつくられたゾンビ映画とのことで、過去のジャンル作品へのリスペクトが感じられきっちりゾンビ映画のツボは抑えながらも地域性が見られる点はなかなか興味深かった。
けっこう銃を撃つシーンがあるんだけど毎回ちゃんと当たると部位欠損していてGood。ここを手を抜く作品は信用できない。車で轢かれたゾンビの腸飛び出しもよき。ある程度リアリティのあるゴア表現が続き、"ちゃんと"ゾンビ映画しようという気概が感じられた。
今回のゾンビは目が完全に濁っていておそらく視力がない。なので音に反応する形になっている。
そんな中で警察署に立てこもった主人公たちが行き詰っているときに遠くから礼拝の声が聞こえ(インドネシアはイスラム教圏)ゾンビがそちらに向かって走り出し、これが神の救いか!と思ったら礼拝の声が消え悲鳴が聞こえるという皮肉な展開もよい。
また、急に大雨が降りだし聴覚を奪われたゾンビたちが立ちすくむ中脱出するシークエンス中に急に雨が止み再び追いかけられるという展開になるのだが、俺たちからすれば都合のいい雨やなと思うんだろうけど、現地の人からすれば「スコールあるある」みたいな緊張感がおそらくあるんだろうと思う。
こういう地域性を活かした展開はよかった。
ほかは、まぁ悪かったかな。
ホラー映画あるあるのバカで考え無しな登場人物たちが大集合してわっちゃわっちゃする。こいつらどうせ耳しか聞こえてないんだからずっと静か~~~に立てこもってればそのうちどっか行ったんちゃうんか?という疑念が絶えない。知り合いがゾンビになるんだけどいろいろあって殺さずにおいておいた結果、大ピンチになる。
わかったわかった、もうそれとっくに見たよ。という展開がほぼほぼを占めているので、それこそがゾンビ映画というのもわかるのだがどうしても得点は上がらないという形になってしまった。
今回の作品は田舎の漢方薬企業が作った新作漢方試作品が原因でゾンビ化するというジェネリックバイオハザードみたいな感じだったんだけど、これも漢方ビジネスが一般化していて民間療法が日本の1000倍は信じられていて一種の社会問題にもなっているインドネシアならではの切り口だなと。
最後の最後でその試作品が実は大都会にも送られていて……という続編を期待させるオチで終わるのもテンプレでよい。
今作の経験を活かして大都会ならではの規模感で続編を取るならそれはそれで期待したい。
一時期さ、「オタクは他人の趣味に寛容」って言葉が流行ってた時期あったよな。
でも正直どこが?って思った。
まず女オタク界隈。
最近だとコスプレイヤーの「鹿乃つの」の騒動とか、あれ見れば分かりやすい。
地獄みたいなバトルが繰り広げられてた。
腐女子なんかもそうね。
「BL無罪」なんて揶揄されてるけど男オタクへは性的表現の自粛を求めるくせに自分たちは野放しを求めたりな。
あとパルワールドが出た時期。
あの頃SNSでパルワールドの話をしたら、おすすめ欄に「PSユーザーに攻撃的なXBOXユーザー」と「XBOXユーザーに攻撃的なPSユーザー」が交互に出てきて、マジでドン引きした。
未だにゲハ戦争とかやってんの?って感じ。
「絵畜生」とか言って楽しんでる人を異常者扱いする連中もいて、正直「そこまで言う?」って思う。
確かに「自分の好きな作品にVが出てくると世界観が壊れる」って意見は分かる。俺もそう感じることあるし。
でもだからってVtuber自体を親の仇みたいに罵るのは、もうドン引きだろ。
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まずドス黒い感情を「持ってはいけないもの」だと思うと苦しいので、湧いて当然の怒りだと受け入れてみてはどうだろう。どうだろうって言っても簡単にできることじゃないけれど。
持っていていいよ。ただ直接そうなるように仕向けると、望みが叶っても苦しいので、ドス黒さを受け止める別の手段があるといい。すごく性格の悪い、普段は見ることのない種類の映画を見るとか。絵画や詩なんかに自分の気持ちの反映のような表現を見つけると救われたような気持ちになることもあるが、その辺は趣味に合わせて。でも趣味が持てる時間が無いだろうから、作れた時間の中で整えられたものを受け取るのが楽だと思う。なので映画とか美術館の特別展にふらっと行くのをおすすめしたいが、何が合うかは分からない。昔は何が好きだった? あるいは何が嫌いだった?
気持ちで折り合いをつけにくかったら、フィジカルに発散するのもいい。ジムで憎い人を思い浮かべてサンドバッグに八つ当たりする。ジムの中ではその気持ちをどれだけ湧き上がらせてもいいことにする。外に出たらおしまい。「気が済んだ」と口に出してみるのもいい。
思い出してしまって当時の気持ちがその温度で湧き上がってしまうのは、止めるのは難しい。でも一瞬思い出して「しまう」のは止められなくても、「思い出し続ける」ことは止められる。「もう関係ない」と別のことをする。この手の切り替えで自分が一番効いたのは、「そんなこともあったなあ」だった。過去のことにする。過去のこととして語ることでそうする。みたいな感じ。
がんばっているのに、がんばっている内容じゃないところで苦しいのはつらいだろうな。人に話すと割と「そんなことは思わない方がいいよ」みたいなことを言われがちな内容な気がするので、AI にぶちまけてみるのもいいかもしれない(ちなみに ChatGPT ならGPT-5 ではなく 4o の方が文意の解釈が得意)。
白:荒田圭輔@大阪
BSジャパネクストがリニューアルBS10の無料放送側で日曜昼などに放送中
見られなかったケーブルテレビ局でも見られるようになったので要確認
つながるジャパネットアプリで放送同期・スマートテレビや4月からtverを含め見逃し配信あり
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・02たまごっち
・04どぶろく(の日
・05 [3択](3) 番
・06ズブロッカ
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・27岩井
・29柿本人麻呂 かきのもとのひとまろ
・32e 総務 省
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14:30からは「蛍原徹の真剣ゴルフ部! ホトオープン #176」
(26日日曜日)
最近、IT系とか趣味のアニメやミリタリー分野で中国のフォーラムや報道社の記事やコラムが面白いので読んでる。
IT系の技術、特にAI系統に関して面白い話があって、アメリカとは違ったIT技術が発展してて興味深かったりする。
んで、今よく使ってるのは「知乎专栏」って中国の大手サイトなんだが、これはてなとニュースサイト合わせた感じなんだが
その中で「IT信仰やMAGAというかオルトライトやポリコレだとかのネットで喚いてる人たちの思想の根っこは、日本の昔のセカイ系がベース」みたいなニュース記事があった
吹いてしまったのは、真面目に中国の外交筋のニュース乗っけてるようなところで専門家が書いてる記事だったところ。
・物凄い狭い世界観や認知の中の人間関係(ネット、SNS、身近なスーパーの品物の値段等)で完結して勝手に世界を憎んだり呪ったり怒り狂ったりする閉鎖的な精神構造
・「ありもしない美しい景色や過去の(主に学生時代の)脳内で作り上げた綺麗な青春時代や恋愛の思い出」への病的な郷愁と執着
・男女ともに恋愛や結婚には固執するが、本質的には男性なら激烈なミソジニー、女性なら激烈なミサンドリー、まとめるのであれば「世界や人間がそもそも嫌い」。しかし、同時に現実に存在するはずがない様な、自分のすべてを受け入れてくれる理想の異性との運命の出会いやシンデレラ願望を強烈に持っている。
・本質的に自分たちが理解できない高度技術への信仰(IT、ハイテク軍事等)、「自分たちの惨めな人生を、100日糞詰まりを起こしていても飲めば溜まった糞をすべて排便できる毒掃丸の様な短絡的な特効薬、解決方法があるとカルトの様な信仰心をもっている」と形容されていた
・自分は選ばれた存在であり、自分の人生が惨めなのは世界を牛耳る悪意ある存在や巨大な秘密組織による陰謀だとうっすら考えているところ。また、高度技術を手に入れればそれらに対抗出来て、気軽に人生を逆転できると考えている。
そのうえで、「2000年代に日本のオタク産業で流行った物語構造のセカイ系的世界観で、この近未来の時代を生きてる憐れな人たち」とか括られてて、妙な納得感を覚えてしまった。
「シリコンバレーを俯瞰してみれば、かつては金融工学(フィンテック)を、15年前はドローンや組み込み技術を、そして今はAIを自分の惨めな人生全てを逆転して、昔の日本のセカイ系ゲームの様な美しく蒼い(※)世界と、そこで待つ美しい異性たちとの運命の出会いまで引き上げてくれていると、旧西側のIT技術者たちはうっすら考えている節がある」とも
(※)中国では桃源郷は蒼い世界と表現する古語表現があるらしい
こんな記事が出るくらいなのだから、あの国ホントよくいろんな国のこと観察してんだなって思う