
はてなキーワード:表彰とは
中小JTCなサラリーマンで特にプロフェッショナルなスキルもないまま働き、会社での身分は係長止まり。とはいえ年下の上司や仲間と仲良く働いて、嫁さんも子供もいる就職氷河期おじさん。様々なラッキーが重なり、少なくない資産を持ち、人畜無害な顔をしながら今日も朝から満員電車に乗っています。
誰にも言えないわいのリアルを増田で吐き出すんだ。氷河期だから全員が不幸なわけじゃない。氷河期は無条件にかわいそうなのではない。こんなラッキーな氷河期おじさんがいることも知ってほしい。
2000年頃、リクルート主催でお台場で合同就職説明会があり、適当に参加してあれこれ見て、適当に選んだ会社にエントリー。そのまま友人と近くのトヨタメガウェブで車乗って遊んで帰った。エントリーした会社の面接を受けたらトントン拍子で決まり、なんか雰囲気も悪くなかったからそのまま営業として就職。
もくもくと働いていたら、たまたま大きく売れて表彰され、賞金もくれたりして、いい会社だなーと思って働いてた(今振り返れば相当なブラック労働&上司だったが。)その後リーマンショックで全然モノが売れなくなり、暇だったから仲良いお客さんのとこに入り浸ってサボり、昼からお客さんと酒飲んでカラオケ行ったりして遊んでたら色んな会社や人紹介してくれてなんやかんや売れて、不況とかあんま関係なく賞金も貰えて、意図せず全社トップセールスになって表彰されたりもした。
結果、結構お金を貰えて貯まったから仲の良い同期に酒奢って飲んでたら「これからの時代は投資だ」と教わり、その時はじめて投資信託やらFX(外国為替証拠金取引)なるものがあることを知った。仕組みを調べたら、FXはヤバイだの、投信はインデックス系が良さそうだの、アクティブファンドはあかんだの、詳細はよく分からないが典型的な悪手があるっぽいことはわかり、それらは踏まないように気をつけ、当時出始めていたネット証券で口座開設のうえ手数料の安いファンドを積立てはじめたのが2010年。翌年、東日本大震災の発災で、FXでドルを買っていたものが日本が危機なのになぜか円高に触れまくり、1ドル76円とか狂った価格に。軒並みドルロングポジションを狩られ無事損失100万越えの強制退場。激痛を経験し証拠金取引は一切やらないことを決意(その数年後、200万円を失う大事故をおかわり。)加えて円高によるドル建てのS&P投信とか凹み放題だったが現物はロスカットなどもなくこれは強いと再認識。マイナスやけどいつか復活するやろの精神で高級な焼肉を食べて金が蒸発したと思いこんで寝かしておいた。
そこから、謎の胆力で貯金のつもり積立で日経平均やらS&Pをつみたてたりして、年を追うごと少しずつ資産が増えたり、ときに減ったりしながらも、ゆるゆると資産の下限が切り上がっていく様を見て確信。「ん?もしかして、これずっとやってたらお金増えるやん?」。単純である。
途中結婚したり、式の前に子供が先に生まれる漏洩事故を起こしたり、金が入り用で投信売ったり、積立やめたりするときもあったけど、なんやかんや「金増えるやん!」だけで、積立し続けてた。加えて2015年頃、暗号通貨なるものを知って、これはナウいから買ったほうがいい、とか、わけわからん動機でビットコインとリップルをCoincheck経由で30万円分ほど買っていたのも後から資産形成に大きく寄与した。
2020年頃、世界がコロナでぶっ壊れる中、株も債権も為替も先物も全部ぶっ壊れてた(なんか原油とか価格マイナスになってて意味不明だったし)。しかしわいの資産は世界経済も日本経済もクソオブクソな時から積んでいたから、びくともしなかった。わいは手持ちの金で価格がぶっ壊れた投信たちをしこたま積み増しした。
それから5年たった今、たまたま出にした成果で手元には3億円を超える資産ができた。投信は上がり、暗号通貨は上がり、証拠金取引で事故って手を引き、現物積み上げで地道にコツコツやってきた。
何も資産のない農家の生まれで一家初のサラリーマン。平均給与以下の氷河期世代が、10数年にわたる投資で資産3億達成は、静かなるホームランだろうと思う。そんな氷河期世代だが地味に打席に立ち続けて打ててるサラリーマンもいることを知ってほしい。氷河期世代は無条件にかわいそうなのではなく、ラッキーが重なったわいみたいな奴も存在する。さえない顔して満員電車乗ってるくたびれた氷河期世代のおっさんの財布に3億入ってる可能性も微レ存なんよ。
Permalink |記事への反応(12) | 23:53
外国国章損壊罪の通説では「国家の権威と尊厳それ自体を顕現し表彰するものであることが必要と解されることから、私的に使用されたものは含まないと解する。それゆえに、在外公館等外国の公的機関が公的に掲揚し、あるいは設置・使用してきるものに限られる」(条解刑法(第5版)299ページ)。
これに揃えるならば、要するに「…国または地方公共団体が公的に掲揚し、あるいは設置・使用する国旗を損壊し…」となるだろう。
苺ましまろ広告は国または地方公共団体が公的に掲揚しているものではないからセーフ。
表現の自由に対する制約になるという反対論も、自分の持つ国旗風の布はなんぼ損壊しても良いということなら反対する理由にならない。
ただ、増田みたいに私人所有の国旗を損壊した場合も対象になるという誤解がかなり広まってるので、国旗の定義を条文中で明確に記しておくべき。
毎年クリスマスや正月のような宗教色の強い時期になると思い出すので備忘録として書いておこうと思う。
とても長くなるので読んでも読まなくても構わない。
粗はいくらでもあるが、当時小学生のお子ちゃまが頭を振り絞って考えたことだったので生暖かく見ていただければ幸いだ。
当時通っていた小学校はお受験が盛んで、クラスの半分以上が中学受験するような学校だった。中には体育や道徳など勉強に関係ない授業が多い日は学校を休み塾へ通うように親に指導される子供がいるような学校である。
そんな雰囲気の学校だったため増田も塾に通わされていたが、増田の親は仕事が忙しく放任主義だったため、どちらかというと自由に延長できる学童のような使い方をしていた。親が帰るまで子供1人は心配だから大人がいる塾で勉強して暇を潰しなさい、という発想かと思う。
朝から晩まで勉強で楽しくないし、学校の教師は子供達に学校で勉強させようと胡麻擂りに必死だし、塾ではライバルたちと比較される。お子様なりにフラストレーションが溜まっていた。
小賢しく、自尊心が高く、承認欲求が強く、何よりも勉強以外で暇を潰したかった増田はそこで考えた。
当時の増田の立ち位置は「1軍グループにいるけどちょっと浮いてる変なやつ」だった。友人Aと友人Bの親友というだけで残酷な子供達のカーストの中で辛うじてバラモンの仲間に入れてもらっていた。友人Aと友人Bの存在がなければきっとダリットだったと思う。
とにかく、増田には2人の親友がいた。勉強もスポーツもできて誰からも一目置かれる友人A、とにかく話がうまく誰とでも仲良くなれる才能がある友人B。
入学した時にたまたま席が横並びになったというだけの出会いだったが、それからこの2人はこちらが申し訳なるくらい良くしてくれ、そのおかげで陰キャで性格がドブカスだった増田も「みんな仲良し♪」の仲間に入れてもらうことができたのである。
表向き友人Aも友人Bもみんなの前では「気のいいやつ」だったが、実は2人とも性格にはかなり難があった。いや、だからこそ増田と仲良くなれたのかもしれないが。
友人Aはなんでもできるからこそ傲慢で、支配欲がある。少し早い厨二病であり、大きな声では言えないがナチに憧れていた。大きな声で言わないところが実に打算的であり、増田はそこが気に入っていた。
友人Bはとにかく人からの評判を気にしていて、いつも自分の悪口を言われていないか怯えていた。それと同時に人の内緒にしておきたい部分を暴くのが大好きで、いつか何かあった時に脅せるように、仲良くなって秘密を握ることで快感を感じる癖があった。
増田はといえば親友2人を自慢に思うとともに、増田の言うことを疑いもしない人気者2人を操る優越感に浸るクズだった。
そんな悪友2人に、こんな面白いことを共有しないわけにはいかないと増田は思った。
「いいね、やろう」と友人Aは言った。
増田は「こいつら話が早すぎるな」と思った。
そうして、宗教を作ることになった。
増田はキリスト教圏で育ったので神の存在に関しては割と思うところがあった。
思想と宗教の違いは難しいが、神の存在を論じられるほど増田の信仰は深くなかった。ただ、人間の熱狂は宗教になりうる、と子供心に感じていた。
小学生だった増田の狭い狭い世界の中で、唐突に宗教を作ろうと思ったわけではない。「これはいける」と思った出来事があった。
どの小学校でも道徳の授業があったと思う。お受験組の気を引こうと躍起になっていた当時の担任は、その道徳の授業で「いいこと投票」というものをしていた。
その名の通り単純で、「いいことをした人を匿名で投票して、得票数が高かった人を表彰する」という仕組みである。
これは単純だが、小学生の承認欲求をかなりくすぐった。なにしろ、いいことをするだけで教壇の上で褒められ、その上シール(子供にとってのシール!史上の喜び)を授与されるのである。名札の裏にいいこと投票のシールを貼るのがステータスになるのにそう時間はかからなかった。
増田はヒネた子供ではあったが、それでも投票されたら悪い気はしないし、いいこと投票が頭をよぎって人助けをすることもあった。
それと同時に、「これは使えるな」と思った。
増田が育ったキリスト教の教えでは、善行は死後の世界のために積むものとされていた(諸説ある)。だが、小学生にとって死後の世界など遠い存在である。「善行を積めば人々から尊敬されるという承認欲求」の方が何より魅力的なのではと思った。
3人の意見はまとまった。
その週末、3人で図書館に行った。親は大喜びでお駄賃までくれたが、目的は宗教について調べることであった。当時インターネットはかなり普及してきていたが、学校のコンピューター室で宗教のことを検索するのはかなり気が引けた。そこで図書館へ行くことにした。
一日中調べて回って、以下のことを決めた。
小学生なりに考え、実行に移せる最大限を考えた。
結成時に十数人を集めて行った友人Aの演説は素晴らしいものだった。増田が授業中書いた原稿と同じ文言とは思えないほど力に満ち溢れ、説得力があり、心に訴えかけるものがあった。その場にいた全員が信者になると誓い、お札を下駄箱に貼り付けた。
友人Bの勧誘も実に巧みだった。誰に話せば一番噂が広まりやすいかを友人Bは知り尽くしていた。すぐに手元にあったお札はなくなり、増刷をすることになった。学年のほとんどが入信し、シールは飛ぶようになくなった。匿名投票のための空き下駄箱は常に紙が入っている状態で、ランドセルの蓋にシールを貼るのが大流行した。
3人はそれで満足し、たかを括っていた。小学生の拡散力を舐めていたのである。
夏が来て塾の夏期講習が始まってから、他校の生徒に声をかけられることが多くなった。もちろん入信の申し出で、最初は喜んで案内をしていた。
だが、20人を超えたところで不安になり始めた。なにしろ、塾でしか会わない人間である。匿名投票の匿名性は失われ、よく知らない人間の善悪を判断しなければならない。
3人は作戦会議をし、組織化をしなければならない、と結論を出した。信者たちを支部に分け、各支部ごとに信者たちをよく知る支部長を置くことにしたのである。
それと同時に、今まで全て3人で行っていた運営にテコ入れをすることにした。
まず、専門のデザイナーを雇った。非受験組の絵が得意な信者にシールとお札のデザインを一新させた。毎月シールの図柄を変え、飽きの防止とインフレの防止を図った。
また、情報屋も雇った。告解で得た情報でさらに価値のある情報を交換するためである。これは画期的で、「この秘密を話すので誰々の好きな人を教えてください」とかが大変多くなった。
支部長の下に秘密で内部監査官も置いた。これは支部長の不正や信者との癒着を告発させるためである。
組織化したことにより、3人の地位は確固たるものになった。カリスマ的教祖の友人A、人に響く教えを説く友人B、善悪を裁き組織をまとめる増田。
夏休み中もムーブメントは衰えを知らず、信者は増え続けた。3人は有頂天になっていた。
そして学校が始まり、始業式の後、3人は応接室に呼び出されたのである。
〇〇〇〇教は教師陣の間にも知れ渡っていた。
一つの学校ではなく塾や習い事によりその地区の他校にも伝播した〇〇〇〇教の信者は把握できるだけで数百人を超えていた。
夏休み中、先生方は連携をとり、学校再開とともに終わらせようと話し合いがされていたらしい。
説教は3時間に及んだ。これは、先生方の話が長かったこともあるが、こまっしゃくれたクソガキだった我ら3人がいちいち反論を仕掛けたからである。
そもそも、我々は何も悪いことをしていなかった。ただ「いい人になろう」「いい行いをしよう」「いい人たちを尊敬しよう」と言って回っただけである。「ご利益がある」とお札を売りつけたり、告解で得た弱みを握って脅したりもしていない。ただ、善行を行わせて噂を流通させただけなのだ。
教師陣もそれがわかっていたのであまり強くは追及してこなかったのだが、我々があまりに舐め腐った態度をしていたのでだんだんヒートアップし、複数の教師が入れ替わり立ち替わり講釈を垂れ、最終的に「解散宣言をしなさい」と一方的に要求を押し付けてお開きになった。
応接室を出て、下駄箱に向かい、校門をくぐった瞬間、3人は爆笑しながらハイタッチをした。
「馬鹿め、もうそんな段階にないのだ!」と知っていたからだった。
子供と接しているのに大人である先生の皆皆様方は全くわかっていらっしゃらない。子供は禁止されたらもっともっとやりたくなるんだよ!
受験用に詰め込まれた知識であるキリシタンの気持ちがその時はよくわかった。抑圧された宗教は熱を増すのである。
隠語で呼ばれ、ミサと称した会合が秘密裏に行われ、塾に通うために学校を休んでいた層もせっせと体育館裏に足を運び秘密を囁くようになった。
教師陣は躍起になっていたが当時流行り始めた学校裏掲示板やmixiの日記などで〇〇〇〇教は着実に広まり、信者は増え、もはや我々3人の手に及ばないものになっていた。
知らないデザインのシールが増え、知らない告解が増え、知らない宗派ができていた。
秋が来て、塾で勉強している間に冬になった。
冬季講習の最終日、いつもの公園のジャングルジムの上に集まり、80円の缶ジュースで乾杯をした。
「そろそろやめよっか」と増田は言った。
「卒業、さみしいなぁ」と友人Bは言った。
正直、もうその段階ではないことはわかっていた。これはただの勝手な「一抜〜けた!」である。
教祖も司祭も裁判官も全てを誰かに押し付けて、こそこそと逃走するのだ。信者からすれば大きな裏切りであり、大罪だろう。
でもぶっちゃけ、飽きちゃったのだ。自分たちを置いて勝手に物事は進んでいくし、勝手に教祖を名乗るものも出てくるし、勝手に布教されているし、勝手に人が人を裁き始めるし。
だって子供だし、受験もあるし、そもそも進学したら続けられないし。
色んな言い訳をして、色んな人と話して、時にやり合って、押し付け合って、そうしている間に受験で学校に行かなくなって、ようやく卒業のために帰ってきたらどうやら全てが終わっていた。
あれだけ熱狂的だった信者たちは激減しており、卒業とともに誰かに譲られるためランドセルの蓋はシールなんてなかったように綺麗になり、空き下駄箱は使用禁止になっていた。
教室の後ろの「いいこと投票」の模造紙は取り払われ、「卒業おめでとう!」の垂れ幕に変わっていた。
友人Aは卒業と共に他県へ引っ越した。6年生になった時から決まっていて、増田たちと最後に何かしたい、と言っていたので「何か」は間違いなくできたと思う。
友人Bは志望校に落ちたので増田とは違う中学に進学した。あれだけ熱心に活動に勤しんでいたというのに引っかかったのは幸運だと自ら笑っていた。
増田は中学で若干いじめられそうになっていたが、入学した時に席が前後になった友人に助けられなんとかグループの輪に入れてもらい事なきを得た。教訓としては、コミュニティに入って一番初めにできた友人はなんとしてでも大事にした方がいいということだ。
それぞれ無事進学して、就職して、結婚して、最近はオンライン飲み会なるものを開催している。
この間、家族で親元へとUターン引っ越しをした友人Bが酔っ払いながら教えてくれた。
「最近、子供がランドセルの裏に変なシールをくっつけて帰ってきてさぁ」
友人Aはしばらく黙った後爆笑したが、増田は少し泣きそうになった。
この歳になると涙腺が緩くなって困る。
キリシタン、まだいるのかぁ。
高市総理「働いて×5」流行語大賞受賞が左派界隈で大きく炎上する傍ら、もう1つの炎上が起きていた。エッホエッホ構文でパクツイ犯が勝手に表彰されたというものだ。
どう炎上していたかは後で解説するとして、初めに結論を書くと授賞式で表彰された「うお座」氏は紛れもなくエッホエッホ構文の創始者である。炎上は完全な冤罪だ。
事実として、エッホエッホ構文は彼の3つのネタツイから始まった。
エッホエッホ
エッホエッホ
エッホエッホ
エッホエッホ
【なぜ?】
エッホエッホ
あの子に嫌いって伝えなきゃ
エッホエッホ
1つ目と3つ目はうお座氏のサブ垢@selfsatisfac、2つ目の投稿は本垢の@zlatanera17から投稿されている。どうも、クセのあるネタはサブ垢から、万人受けする本命のネタは本垢から投稿するという運用のようだ。
ネットミームには、人々の中で伝播する中で徐々に形を変えていったものと、原型がほぼそのまま流通するものと2種類ある。エッホエッホ構文は後者だ。エッホエッホ構文のほぼ全ての要素がうお座氏のツイートに詰められている。
まず、最初の「たかみなの具合が悪いから〜」の段階で、「エッホエッホ (任意の内容伝える) エッホエッホ」という構造となっている。
流行語大賞の選評でも、
と述べられているように、これこそがエッホエッホ構文のコアの独創性である。
次に、本垢から投稿されたうお座氏の最も拡散されたエッホエッホ投稿では、「可愛らしい子供がお母さんに頑張って何かを伝えようとしている」というエッホエッホ構文のイメージが確立している。
エッホエッホ構文に詳しくない人向けに例をあげると、うお座氏の後にエッホエッホ構文で最もバズったツイートの1つである霜田氏のツイートも、このイメージを継承するものだ。
エッホエッホ
エッホエッホ
最後に3つ目の「あの子に嫌いって伝えなきゃ」で「伝えなきゃ」というフレーズを使用している。エッホエッホ構文は現在では、「伝えないと」ではなく「伝えなきゃ」という形を取るものが主流だと思われるが、これもうお座氏が初である。
エッホエッホ構文を使用したネット大喜利は、うお座氏のこの3つのツイートがバズったことで始まった。
日本時間2025年2月24日21時までの「エッホエッホ」検索結果
うお座の最初のツイートは2月24日4時7分、3つ目のツイートは15時42分投稿のものだが、
うお座氏以外でエッホエッホ構文を使い始めたのは、24日16時58分のツイートが初で、それまではうお座氏以外にエッホエッホ構文使いは存在しない。
誰もが参加できるエッホエッホ構文ネット大喜利が自然発生したのは、うお座氏が3つの巧みなネタツイをそれぞれバズらせることで構文としての汎用性を立証したからこそなのだ。
エッホエッホ構文の生みの親がうお座氏であるという明白な事実があるにもかかわらず、ネット民は別のツイッタラー「はじめ」氏をエッホエッホの「始祖」と崇め、うお座氏らを「パクツイで受賞」「ミームの横取り」「お前らが受け取るべきじゃないって伝えなきゃ」などと中傷している。
しかし「はじめ」氏がエッホエッホの「始祖」だというのは、デマである。
端的に、初出でもなければ拡散もされていないからである。彼はエッホエッホのブームが一通り落ち着いた2025年6月に「てかエッホエッホってほぼおれ発祥やったよな」とツイートしたことで、この構文の起源だという認識を獲得した。しかし丁寧に検証すれば、これは不当な「あれ俺」主張であるとみなさざるを得ない。
運動するか
えっほっえっほっ
このツイートが真の起源であると誤って信じられた理由について、1つ1つ解体していこう。
これは誤った推論である。なぜならばこのツイートは2025年6月に投稿者が「あれ俺」主張するまではほぼ知られていなかったからだ。
現に、うお座氏のオリジナルのエッホエッホ構文ツイートが投稿された2月24日までの、はじめ氏のツイートの公開リツイート数を取得するとわずか1件しかリツイートされていない。
念の為、はじめ氏が2022年に投稿した類似内容のツイートについてもリツイート数を取得すると、9件である。身内にはウケたのかなという程度の数字だ。
検索する限り、うお座氏とはじめ氏の間にリプライ/RTなどの交流は確認できないので、合計10RTしかないツイートに依拠したと考えるべき理由は何も存在しない。
2021年10月に画像を日本で画像を話題にしたのははじめ氏ではなく、およそ4万RTを記録した最多情報局(@tyomateee)の投稿である。アカウント名でわかる通り、これは転載系のアフィアカウントであり、この元ネタは英語圏で同じく4万RTを記録したRosi@rosiyesrosiの投稿だろう。
なんにしろ、はじめ氏は、海外でバズった投稿の画像を転載して日本でバズった投稿をさらに転載して投稿しただけであり、発掘の功はまったく存在しない。
あの写真を見て「えっほえっほ」と形容したくなるのは日本人にはある程度普遍的な感覚らしく、2021年10月だけで少なくとも4人が同じ投稿をしている。はじめ氏は3番目だ。
仮に、「えっほえっほ」という文字列に何らかの尊重されるべき新規性を見出すのであれば、中でも最古と考えられるジロ助🐶🐾氏の投稿を称えるべきであろう。
とはいえ、こういうある程度誰でも思いつく発想を個人に紐づけてしまうのは望ましくない。新規性はないと考えるのが常識的な結論だろう。ちなみに、2025年2月でも写真に対する「えっほえっほ」という反応はうお座氏の前に2件発見できる。
流行語大賞表彰者に対する異議の声は、パクツイデマが発生する前から大きかった。理由はおそらくTikTok文化への反感である。
表彰写真には「うじたまい」と「うお座」の2人が並んでいた。両方白系の服で陽の雰囲気を漂わせており、ぺことりゅうちぇるのようなコンビを思わせるところである。
そして「エッホエッホの歌」の作者うじたまい氏は、TikTok/YouTube文化の人間である。ゆえに、X民側のはずのうお座氏もまとめてTikTok民の仲間か何かだと思われてしまったのだ。
「Xで生まれたミームなのにTikTok勢が表彰されやがって」これが、初期の異議の背景にあった感情である。
また、うじたまい氏が一部Twitter民から「ミームを終わらせた人」と敵視されていたことも、反感感情を燃え上がらせた。
しかし、うじたまい氏が「ミームを終わらせた人」だという評価は妥当なのだろうか。動画文化圏には土地勘がないので、本稿ではうじたまい氏の表彰が適切だったか本格的に検証するのは範囲外とするが、明らかな事実として「エッホエッホの歌」でミームは終わっていない。むしろ、ミームとしてのピークは「エッホエッホの歌」の後に来ている。
Googleトレンドを確認しよう。人気度の動向では2つの山がある。まずひとつ目の山はエッホエッホ構文が生まれた2月末、人気度47である。ここから徐々に人気度は下がるが3月第3週に反転、4月初旬の人気度は100、エッホエッホミームの人気度のピークである。
うじたまい氏の「エッホエッホの歌」は3月1日TikTokとYouTubeに投稿され、YouTubeでは1,459万回再生されている。私としてもなにがおもしろいのか全くわからないネタでありTwitter民が冷めたと感じるのは理解できるのだが、再生数は正義だ。
ミームのピークがこの後4月に来ることを考えると、Twitterよりさらに活力のあるTikTok/YouTubeにミームを移植したという功績は大きい可能性が高いのではと思う(なお動画化の初出については調査していないので、より適切な人選がある可能性については留保する)。
そんなこんなで表彰の人選に対して疑問の声が集まる中、「エッホエッホは火付け役はうお座でミーム終わらせたのがうじたまいで始祖この人だよね 」と、はじめ氏のツイートが紹介されたのである。これがパクツイデマの発端であるが、ここまでは火付け役としてうお座氏の功を認めており、パクツイまでは認定していない。
本格的にうお座氏にパクツイの冤罪が着せられるようになったのは、有力ネタツイッタラー「理解のある蟹くん」氏の投稿がきっかけである。
理解のある蟹くん氏は、はじめ氏に対し「流行語大賞おめでとうございます 」と皮肉げに祝福し、続けて、証拠としてあるスクショを掲げて、うお座氏を「親父気をつけろ 奴は他人のツイートを盗む」と誹謗した。
つまり、ネタツイッタラーのうお座はパクツイ常習犯であり、エッホエッホもその一部だと言わんとしたのである。
しかし、理解のある蟹くん氏のスクショを見てみると、これはうお座氏の素行の悪さの立証には到底なっていないと思われる。スクショの内容を文字化すると以下のとおりである。
1.5月26日、理解のある蟹くん氏が、「ANA機内騒動、ドア開けようとする御奈新日ヶ万出」というGrok自動生成ニュースのスクショをコメントなしでUPする。66リツイートされる。
2.6月9日、うお座氏が「これ何だったんだ」というコメント付きで同じスクショをあげる。コラでなく実際に見たとも主張する。1,271リツイートされる。
検討しよう。まず、そもそもコラでなければうお座氏のツイートになにも問題はないので、これは理解のある蟹くんの作成したコラであったのだろう。が、コラであるという注記はどこにもない。Grok自動生成見出しに誤りが多いことはよく知られた事実であるので、これを見た人は本物のスクショであると誤認したとしてもある程度やむを得ない。
そして、うお座氏/理解のある蟹くん氏ともにネタツイッタラーであり、他人がUPした画像を転載しておもしろいコメントをつける芸で人気を集めている。当然、日々ネタツイ芸に使える画像を大量に集めていることだろう。おそらく、うお座氏の画像ストックの中に理解のある蟹くん氏のコラが混ざっていて、後日ネタツイを考えているときに記憶違いでコラを実際に見たものと誤解してしまったのではないか。ネタツイッタラーにありがちなミスだろう。
なんにせよ、理解のある蟹くん氏がこれをパクツイだと感じたならば、この件に限ってクレームをつければいいのであり、デマに乗っかってこれ幸いと競合ネタツイッタラーを貶めようとする行為に正当性はない。ネタツイッタラーの倫理として、ライバルにはデマではなくネタを以って勝利すべきだ。
一度、パクツイと思い込んでしまえば、中傷は止まらない。中傷ツイートのなかには数万規模でいいねを集めたものも複数存在した。
例えば、“空也上人像”コスプレで有名なクリエイター、中埜氏は2人の写真を晒し上げ、以下のようにツイートした。
パクツイ犯として、一生風当たり強く生きてほしいですね。
願うことなら、「デマに真に受け、人の顔をデジタルタトゥーにしようとした人」として、一生風当たり強く生きてほしいものである。
またライブドアニュースの投稿には一時「初出は『うお座』氏ではありません」というコミュニティノートが付いた。少数の人間の地道なデマ訂正の努力もあり、このコミュニティノートは現在消えているが、「集合知」に依存するコミュニティノートの脆弱性が露わになったと言えるだろう。
このような記事を作るとおそらく、「ネットミームの初出がなにかなんてどうだっていい」「初出なんて明らかにするなみんなのものだ」のような反応があるだろう。それはそれでいいと思う。一貫性をもたせることができるならの話だが。
実際は、言葉に反して多くの人は初出をそれなりに尊重している。尊重しているからこそパクツイなる言葉で人を責めようとするのだ。すべてが匿名であった2ちゃんねるの時代と違い、ツイッター時代のネットミームはそこそこ高い精度で初出を辿ることができる。ネットミームに対する倫理は当然に変化している。自分に都合よく、あるときはパクツイあるときはみんなのものと、倫理のつまみ食いをするのはいけない。
多くの人がデマに騙された理由としては、ネットは自分の庭であり流行語大賞なんかにはわかるはずがないという驕りもあるだろう。思い出すのはだいしゅきホールド三国陣事件の顛末である。医学博士号を持つ科学者で、ネットでは科学啓蒙者としても活動していた高山理図先生は、だいしゅきホールドの起源を僭称した友人である三国陣氏を信じ庇ってしまったことで、今もなおネット空間で中傷を受けている。しかし今回の事件で起源僭称者を祭り上げ庇ったのは誰だったのか、ネット民多数派ではないのか。三国陣事件を風化させないという題目掲げながら、起源僭称者を称える倒錯に至る宿痾を一度考え直すべきではないだろうか。
はてな匿名ダイアリーには、記載できるURL数に制限があるのでいくつかのURLを省略した。大方は以下から確認できるはずである。
エッホエッホとは (エッホエッホとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
【デマ】新語・流行語大賞はパクツイ犯を表彰した?【エッホエッホ】 - posfie
Permalink |記事への反応(15) | 23:04
言うほど流行ってたかという旨もあるだろうが、増田でも騒がれてたし
で、赤沢は何をニコニコ賞を受け取りに行っとるんや
「全部で10回米国に行きましたが、7回目終わった時点で何ら成果が皆様にお話しできない段階で、SNS等では『税金の無駄遣いだ』『お前はホワイトハウスの芝生の上にテントを張って寝泊まりしろ』だとか、大変あたたかい応援をいただき、また合意ができたあとも最近は『80兆円を自腹で払え』とかいろいろ言われておりますので、大変あたたかい応援をいただいている。」
基本的に好き放題振り回されただけなんやから登壇なんか拒否しとけよ
第56回インド国際映画祭は、長い期間にわたる多彩なプログラムを経て、いよいよ今夜閉幕式を迎えます。映画祭は華やかなグランドオープニングパレードから始まり、国内外から集まった映画関係者、俳優、監督、そして映画ファンたちが一堂に会しました。各作品はジャンルやテーマが多岐にわたり、観客に笑いと涙、感動と考察をもたらしました。
期間中、映画祭では数々の特別上映やパネルディスカッションも開催され、映画制作の裏側や文化的背景を学ぶ貴重な機会となりました。新人監督の斬新な作品から、名匠たちの最新作まで、幅広い映画が紹介され、参加者の間で熱い議論と称賛が交わされました。
閉幕式では、優れた作品や才能あるクリエイターたちへの表彰が行われ、映画祭の成功を祝います。この祭典は、インド映画の多様性と創造性を世界に発信する場として、参加者と観客に忘れられない体験を提供しました。映画祭の感動の余韻は、これからも長く語り継がれることでしょう。
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第56回インド国際映画祭は、長い期間にわたる多彩なプログラムを経て、いよいよ今夜閉幕式を迎えます。映画祭は華やかなグランドオープニングパレードから始まり、国内外から集まった映画関係者、俳優、監督、そして映画ファンたちが一堂に会しました。各作品はジャンルやテーマが多岐にわたり、観客に笑いと涙、感動と考察をもたらしました。
期間中、映画祭では数々の特別上映やパネルディスカッションも開催され、映画制作の裏側や文化的背景を学ぶ貴重な機会となりました。新人監督の斬新な作品から、名匠たちの最新作まで、幅広い映画が紹介され、参加者の間で熱い議論と称賛が交わされました。
閉幕式では、優れた作品や才能あるクリエイターたちへの表彰が行われ、映画祭の成功を祝います。この祭典は、インド映画の多様性と創造性を世界に発信する場として、参加者と観客に忘れられない体験を提供しました。映画祭の感動の余韻は、これからも長く語り継がれることでしょう。
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