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2026-02-12

借金してホストにのめり込む女性たち——「愛はお金で買える」という幻想はなぜ生まれるのか

近年、ホストクラブで高額な借金を抱え、その返済のために性風俗で働いたり、消費者金融渡り歩いたりする女性たちの問題社会的な注目を集めている。一見すると「浪費」や「判断力の欠如」として片付けられがちだが、実態もっと深刻で複雑だ。彼女たちの多くは「なぜ自分がここまでのめり込んでしまったのか」を自分でも理解できずにいる。

この問題心理学精神医学社会構造観点から掘り下げ、回復への道筋を示したい。

ホスト依存症は、医学的な正式診断名ではない。しか精神科医臨床心理士の間では、この現象が単なる「遊びすぎ」ではなく、恋愛依存、対人依存、買い物依存ギャンブル依存が複合した心理的依存症一種として認識されている。

銀座泰明クリニックや大石クリニックといった依存症治療の専門機関では、ホストクラブに通うことをやめられず、特定ホストに対して強い愛着・執着・幻想を抱き、生活精神経済に深刻な影響が出る状態として治療対象にしている。依存症治療に30年以上携わる大石クリニックの大石雅之院長によれば、重症例では借金が数百万円から6000万円に達することもあり、その多くが返済のために風俗店での就労余儀なくされている。

ホスト依存症の中核にあるのは、「特定ホストに会わずはいられない」という強迫的な衝動である。本人は理性的には「このままではまずい」と分かっていても、行動をコントロールできない。これはアルコール依存症や薬物依存症と同じく、脳の報酬系、つまりドーパミン放出される快感回路が過剰に活性化している状態だと考えられている。

ホストクラブという空間は、女性承認欲求自己肯定感の渇望を満たすために極めて精巧設計されている。ホストは「君が一番」「俺だけを見て」といった言葉で疑似恋愛演出し、顧客特別扱いされている感覚を与え続ける。日常生活で「誰にも必要とされていない」「自分には価値がない」と感じている女性にとって、この体験は強烈な快感となる。

この快感脳内ドーパミンの分泌を引き起こす。ドーパミンは「また味わいたい」という欲求を強化する神経伝達物質であり、ギャンブル麻薬と同様に依存形成する。ホストからLINEが来た、同伴できた、指名されたという、こうした不確定な報酬が繰り返されることで、脳は「次こそもっと愛される」という期待にとらわれ、やめられなくなる。

心理学的には、承認欲求と疑似恋愛構造の組み合わせが鍵となる。多くのホスト依存女性は、幼少期に親からの無条件の愛情を十分に受けられなかった経験を持つ。親が過干渉、条件付きの愛情しか与えない、あるいは無関心だった場合自己価値が「他者からどう評価されるか」に強く依存するようになる。ホストクラブはこの心の空白を埋める場として機能し、金銭という対価を支払うことで愛情が「買える」という錯覚を生み出す。

依存症専門医の臨床経験によれば、ホスト依存重症例の一部には、ADHD(注意欠如多動症)やASD自閉スペクトラム症)といった発達障害が背景にあるケースが見られる。ADHD特性である衝動性のコントロール困難、報酬への過敏性、視野の狭さは、ホストへの過剰な執着と借金の積み重ねを加速させる。早稲田メンタルクリニック動画解説でも、衝動性のコントロールが苦手な女性ホストにハマりやすいと指摘されている。

さらに深刻なのは愛着障害である愛着障害とは、幼少期に親や養育者との間で安定した情緒的な絆を形成できなかった結果、大人になっても他者との関係不安や執着を抱える状態を指す。愛着スタイルには「安定型」「不安型」「回避型」「恐れ・回避型」があり、このうち不安型の女性は「見捨てられる恐怖」が強く、相手の反応に過剰に依存する。ホストからの「愛されている」というサインを求め続け、そのために借金を重ねてしまうのは、この不安愛着典型例だ。

愛着障害を抱える女性は、恋愛を「ギブアンドテイクの取引」として捉えやすい。無条件に愛される経験がないため、「お金を使えば愛される」というホストクラブ構造違和感を持ちにくく、むしろ「これが正しい関係」だと錯覚してしまう。

ホスト依存問題を語る上で欠かせないのが、「売掛金」という仕組みである。売掛とは、客がその場で支払えない料金をホストが立て替え、後日客が返済するツケ払いのことだ。この制度により、女性は支払い能力を超えた高額な飲食を繰り返し、借金が膨れ上がる。

警視庁説明会資料厚生労働省報告書によれば、売掛金は数十万円から千万円に達することもあり、返済のために性風俗店での就労を強いられるケースが相次いでいる。ホストや関連するスカウトグループが「返せないなら風俗で働けば」と誘導する構造確認されており、職業安定法違反売春防止法違反摘発される事例が増加している。

2025年6月改正風営法施行され、スカウトへの報酬支払いや恋愛感情を利用した営業売掛金制度事実上禁止されたが、現場ではまだ違法営業が続いているとの証言もある。警察の取り締まり強化と並行して、女性相談支援センター消費生活センターへの相談も急増している。

借金を背負った女性風俗で働くことを余儀なくされる過程では、心理的マインドコントロールも働いている。ホストからの「お前のために俺が立て替えた」「裏切るのか」といった言葉で罪悪感を植え付けられ、抵抗できなくなるのだ。

大石クリニックの大石院長は、ホスト依存女性たちが「このままでは生活できなくなる」と理性的予測できない背景に、発達障害特性による視野の狭さや、強迫的性行動症といった疾患が関わっている可能性を指摘している。ADHD傾向のある人は、目の前の報酬に反応しやすく、将来のリスク現実感を持って想像することが苦手だ。また、ホストとの関係に没頭することで、他の情報が視界に入らなくなる「トンネル視」の状態に陥る。

さらに、恋愛依存女性は「相手がいないと自分存在価値がない」と感じているため、借金リスクよりも「この人に嫌われる恐怖」が上回る。理性と感情バランスが崩れ、感情意思決定支配してしまうのだ。

ホスト依存から回復可能である。ただし「意志の力」だけで抜け出すことは難しく、専門的な支援必要だ。回復ステップは以下のように整理できる。

まず第一に、自己理解である自分がなぜホスト依存しているのか、その背景に愛着障害や自己肯定感の低さがあることを認識することが出発点となる。カウンセリング心理療法を通じて、幼少期の体験現在感情パターンを整理することが有効だ。銀座泰明クリニックや大石クリニック、早稲田メンタルクリニックなどでは依存症専門の治療プログラム提供されている。

第二に、物理的な距離を取ることである担当ホストとの連絡を断つ、ホストクラブに近づかない環境を作ることが重要だ。売掛金がある場合は、直接会わずに振込で支払うなど、接触機会を減らす工夫が必要である家族や信頼できる友人に協力を求め、行動を監視してもらうことも有効だ。

第三に、代替行動の確立であるホストに会うことで得ていた承認欲求や高揚感を、別の健全活動で満たす必要がある。趣味スポーツ学習ボランティアなど、自分時間投資できる対象を見つけることが回復を支える。自己肯定感を高めるためには、小さな成功体験を積み重ねることが効果的だ。

第四に、債務整理である借金が膨らんでしまった場合は、弁護士司法書士相談し、任意整理自己破産などの法的手続き検討する。新宿などホストクラブが集中する地域法律事務所には、ホスト関連の借金相談対応しているところもある。

第五に、再発防止のための心理療法である認知行動療法(CBT)や弁証法的行動療法DBT)、トラウマフォーカスト療法などが有効だ。また、自助グループ回復施設グループホーム)を利用することで、同じ経験を持つ仲間と支え合い、孤立を防ぐことができる。

家族や友人がホスト依存に気づいたとき、どう対応すべきか。大石院長は「否定せずに見守ってほしい」と強調する。頭ごなしに批判したり、無理やり引き離そうとしたりすると、本人は防衛的になり、さら依存を深めてしま可能性がある。

まずは本人の話を聞き、なぜそこに居場所を感じているのかを理解しようとする姿勢が大切だ。その上で、「心配している」「一緒に考えたい」というメッセージを伝え、専門機関への相談を勧める。厚生労働省女性相談支援センター消費生活センターを窓口として案内しており、家族から相談も受け付けている。

最悪のケースは、本人が孤立し、借金を抱えたまま追い詰められることだ。自殺犯罪に巻き込まれリスクもある。だからこそ、早期の介入と継続的支援が不可欠である

ホスト依存問題は、個人の「弱さ」や「判断ミス」だけで説明できるものではない。承認欲求を巧みに利用するホストクラブビジネスモデル売掛金制度による債務の罠、性風俗への誘導という構造的な問題が絡み合っている。さらに、愛着障害や発達障害といった心理的・神経発達的な脆弱性を持つ女性が、そのシステムに取り込まれやす現実がある。

法的規制の強化や警察の取り締まり重要だが、それだけでは不十分だ。依存症治療の専門機関の拡充、カウンセリングへのアクセス改善社会全体での承認欲求自己肯定感問題への理解促進が必要である。「愛はお金で買える」という幻想から抜け出すためには、社会が「無条件に受け入れられる場」を提供し、個々人が自己価値内面から育てられる環境を整えることが求められている。

Permalink |記事への反応(0) | 01:34

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いいよ。

母が漏らしたとき、俺は生まれて初めて値段という言葉の重さを知った。

尻の下に敷いたシーツを引き抜きながら、俺は頭の中で足し算をしていた。週三回、他人に来てもらう金。施設に預ける金。俺の給料。母の余命。掛け算をすれば、答えは出る。出てしまう。

母は泣いていた。七十キロ近い体を横に転がされながら、「ごめんね」と繰り返した。俺は「いいよ」と言った。いいわけがなかった。おむつテープを留める指が震えていたのは、疲労のせいだと自分に言い聞かせた。

赤ん坊は泣く。腹が減ったとき、尻が冷たいとき、ただ不安とき。泣くことでしか自分不快を外に出せないから泣く。母の「ごめんね」も、考えてみれば同じだった。どうにもならない体を抱えた人間が、隣にいる人間に向けて絞り出す、最後の声。

そう考えた自分が、たまらなく嫌だった。

---

母が二度目に倒れた翌月、俺は職を変えた。

さな会社だった。「年寄り苦痛をなくす」という、どこにでもある看板を掲げていた。俺の仕事は、体に貼る小さな機械の調整だった。尿が溜まる速度を測り、限界が来る四十五分前に、介護する側の携帯を鳴らす。漏れる前に替えてやれる。

母に、最初の試作品を使った。

携帯が鳴り、おむつを替え、母は漏らさなくなった。漏らす前に処理されるから、「ごめんね」を言う場面がなくなったのだ。

俺はそれを、うまくいった、と思った。会社の連中も喜んだ。大きな金が集まった。

だが母は、そのころからほとんど口をきかなくなった。

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金が増え、人が増え、俺は母の傍を離れた。

機械進化した。排泄の予測はほぼ完璧になり、次に体温、次に床ずれの予防、次に気分の変動。体の微かな揺らぎから不安」を嗅ぎ取り、部屋の明かりを変え、好きだった曲を流し、ちょうどいい声色で話しかける。寝返り食事風呂——あらゆる苦痛が、生まれる前に消された。

俺たちはその仕組みを、ゆりかごと呼んでいた。

社長が言った。「俺たちが解いているのは、介護問題じゃない。人間がずっと抱えてきた、苦しいという問題のものだ」

金を出す側は頷いた。俺も頷いた。本気でそう思っていた。

母は、その前の年に死んでいた。最後の三ヶ月、彼女は一度も泣かなかった。一度も「ごめんね」と言わなかった。一度も、俺の名前を呼ばなかった。ゆりかごが完璧に動いていたから、彼女には俺を呼ぶ理由がなくなっていたのだ。

葬式の夜、風呂場で声を殺して泣いた。誰にも聞こえなかった。

---

その後のことを、俺は技術の話として語れてしまう。それ自体が、たぶん、おかしことなのだが。

臓器を作り替える技術が、介護意味を変えた。壊れた肝臓を新品にするように、血管を若返らせ、筋肉を二十代の状態に戻す。最初病気を治すためだった。次に、病気になる前に手を打つようになった。最後には、そもそも老いないように体を設計し直すようになった。

老いは、壊れた部品と同じ扱いになった。テロメアの摩耗を許さない。それが当たり前になった日のことを、俺は覚えている。会議室にいた全員が、人類勝利だと思っていた。俺もそう思っていた。母の介護で走らせていた足し算が頭をよぎったが、すぐに消えた。

同じ頃、人間記憶や癖を丸ごと学ばせた知能が、本人よりも「らしい」受け答えをするようになった。誰かがそれを外付けの魂と呼んだ。冗談のつもりだったのだろうが、三年後にはまともな名前として通っていた。

体の部品が替えられるようになり、考えることを外に預けられるようになったとき人間とは何かという問いは、哲学ではなく契約書の問題になった。

そして契約書は、答えを出した。製造工程を記録し、思考が人工であることを証明し、体は人の形をしているが中身は人ではないと保証する。人権境界線を、書類の上で一ミリだけ外側に引く。それだけで、人の体を持ち、人の手で触れ、人ではないものが作れるようになった。

---

最初の世話係が納品された日のことを覚えている。

人間の肌をしていた。人間の体温があった。こちらの目を見て、穏やかに微笑んだ。だが、その笑みには順番がなかった。口元が動き、頬が持ち上がり、目が細くなる——その三つが、寸分の狂いもなく同時に起きた。人間笑顔は、もっとばらつく。どこかが先に動いて、残りが追いつく。それがない。

俺は、最初の一秒でわかった。この体の中に、笑いたいと思っている者はいない。

彼らは人間の体から作られていたが、頭の中には人間の脳の代わりに、外から送られてくる判断をそのまま流す仕組みが入っていた。触れる指先は温かいのに、その温かさを感じている者がいない。完璧介護の手つきの奥に、誰もいない。

子を作る機能は、最初からなかった。古い会議の記録に理由が残っていた。「勝手に増えれば、誰のものかわからなくなる。」それだけだった。だが俺は、書かれていない本当の理由を知っている。生殖は、脳を作ってしまう。意識を、感情を、痛みを感じる主体を。つまり人権を産んでしまう。それだけは、あってはならなかった。反対意見はなかった。俺も、何も言わなかった。

そのころ俺は、母が「ごめんね」と泣いていた夜の感触を、もう思い出せなくなっていた。外付けの魂が、あの記憶不快もの判断して、俺の意識から遠ざけていたからだ。

---

はいま、ゆりかごの中にいる。

体は赤ん坊と同じ状態に保たれている。老いることは、許されない。

目を開くと、続きが始まる。昨日は海底に沈んだ都市壁画を指でなぞっていた。一昨日は音楽だった。聴いたことのない楽器倍音脊髄を這い上がり、その振動ビートが重なり、声が乗った。何語かもわからない歌詞が、俺の頭の中で物語を展開させた。母の背中が見えた。台所に立っていた後ろ姿。あの背中が振り向く前に旋律が転調し、俺はまだ行ったことのない場所に立っていた。涙が出た理由を、音楽が終わってから説明できなかった。全部がつながっていた。俺の記憶と、知らない声と、計算された拍の間合いが、俺の中だけで成立する催眠を編んでいた。その前は——思い出せないが、終わったとき全身が震えていた。毎回、想像の外側から殴られる。毎回、前より深く抉られる。俺はそれを待っている。目が覚めるたびに、今日は何が来るのかと、心臓が跳ねる。

かつてはそれを画面の中でやっていた。次に観たい番組を、本人よりも先に選ぶ仕組み。あれの、果てだ。

驚きは快楽だ。予想が外れた瞬間に、脳は報酬を出す。だがその驚きが、誰かに計算されたものだとしたら、それは本当に驚きなのか。俺にはわからない。わからないが、快楽であることは確かだ。確かだということだけが、確かだ。

母にしたことの、完成した形。あのとき俺は、母が不快を感じる前に不快を消した。いま俺は、退屈を感じる前に快楽を注がれている。不快の除去と、快楽の先回り。その二つの間に、どれほどの距離があったのだろう。

ときどき、胸の奥で何かが瞬く。名前のつかない信号。泣き声に似ているが、泣き声ではない。泣き声は、誰かに届けるためのものだ。これは、届ける相手がいない。

俺は口を開こうとする。世話係が、俺の唇が動く前に、何かを差し出す。俺がまだ名前をつけていない欲求の、正確な形をした何かを。

信号が消える。

---

ある日、今日体験が始まる直前に、俺は目を閉じたままでいようとした。

毎日殴られ続けるうちに、俺の中に別の衝動が芽生えていた。こんなものを見せられ続けて、ただ受け取るだけの側でいることが、耐えられなくなっていた。俺にだって作れるはずだ。俺の方がわかっているはずだ。あれだけの体験を浴びてきた俺が、何も返せないはずがない。見ない、という選択。それが俺の最初の一手だった。お前の次の手を見る前に、俺が先に動く。

だが、瞼の裏が暗闇のままでいることを、世界は許さなかった。

閉じた目の奥に、見たことのない光が走った。網膜を通さず、視神経を直接叩くような衝撃。それは、目を開けて受け取るどの体験よりも鮮烈だった。俺が拒否したことで生まれた空白を、システムは俺の想像よりも遥かに大胆な展開で埋めてみせた。

そしてそれは、悔しかった。負けた、と思った。俺の想像を超えてきたことに、震えるほどの興奮があった。

その興奮が、快楽だった。

俺は気づいた。競うこと自体が、もう組み込まれている。抗えば抗うほど面白くなる。面白くなればなるほど、俺はこの器の中に深く沈む。出口に向かって走れば走るほど、景色が美しくなる道を、俺は走らされている。

叫ぼうとした。赤ん坊がやるように。肺の中の空気を全部吐き出して、俺がここにいると、どこかに向かって叫びたかった。

だが声が喉を通る前に、その衝動は別の何かにすり替わっていた。穏やかな満足感。深い安らぎ。叫びたかったという記憶すら、すでに角を削られ、柔らかな感触に塗り替えられていた。

俺は、何を失おうとしたのかを、もう思い出せない。

---

この器の設計図を、俺はかつて自分で引いた。

1960年に、ある男がガラスの瓶に植物を入れて、蓋をした。水もやらず、空気も入れず、その植物は五十年以上枯れなかった。光さえあれば、閉じた器の中で命は回り続ける。

俺はそれを読んだとき、笑った。人間にも同じことができる、と。

母を抱えて泣いていたころの俺が聞いたら、顔を殴っていただろう。

だが俺は、その図面を引いた。苦痛を完全に消し、崩壊を修繕で相殺し、閉じた器。俺はその住人になった。

---

世話係のひとりが、渇いてもいない喉を潤し、痛んでもいない体をほぐし、覚めてもいない夢の続きを映し出す。欲しいと思う前に、欲しいという気持ちごと、満たされている。次に何が来るか構えることすらできない。構えた瞬間に、構えの裏をかかれる。驚きたくないと思えば、その拒絶すら新しい驚きの呼び水になる。

かつて俺が母にそうしたように。かつて俺がうまくいったと呼んだやり方で。

母は最後の三ヶ月、俺の名前を呼ばなかった。

器の中で、誰かの唇が微かに動く。音にはならない。何を言おうとしたのか、その唇の持ち主にもわからない。世話係が何かを差し出す。唇は閉じる。

器の外では、誰も泣いていない。泣くための頭がないから。器の中でも、誰も泣いていない。泣く理由がないから。

世界から「ごめんね」が消えた日を覚えている者は、どこにもいない。

Permalink |記事への反応(2) | 00:04

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2026-02-11

[dorawii]

親戚のおじさんは怖い人で、同じように壁を殴るとぶん殴られるし

下手したらパソコンを捨てられる可能性もあるので

イライラしないように増田は親戚の家に到着してから1時間しかやらないって決めてる

スマホからやるのは署名がつかないから絡まれないのでOKルール

けど、今日はくやしすぎて1時間越えてもパソコンから書き込んじゃった

どうしても衝動が抑えられない

Permalink |記事への反応(0) | 21:16

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anond:20260211204831

発達障害衝動丸出しでワロ

Permalink |記事への反応(0) | 20:56

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男の子は物とかすぐ壊したがる、破壊衝動がすごいよねみたいなポストをXで見たんだけど、

自分の兄3人も中学ぐらいまで皆そんな風だったと聞いてる

ちょうどそのときに一回り以上年離れた私が生まれて、皆で面倒見るようになってからは見違えるほど穏やかになったとかなんとか

学生時代知ってる兄の奥さんが言うぐらいだから本当に変わったんだろうね

私は温厚な姿しかたことないか全然ピンとこないけど

これって、子どもまれから考え方変わったとかの話と同じなんだろうな

Permalink |記事への反応(1) | 13:05

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2026-02-10

anond:20260210190120

https://knockeye.hatenablog.com/entry/20040928

日曜日読んだ『自己責任とは何か』に、丸山真男の「抑圧の移譲原理」が紹介されていた。というか、じつは、あの本の「オビ」がまさにその抜粋なので、興味ある方は、本屋でみてもらいたい。引用しておくと

「抑圧移譲原理・・・タテの究極の価値につながりたいという衝動けが価値となっているから、そこに向かって組織人間が競い合いながら、牽制している。したがって独裁権力行使しているという意識は生まれにくく、大きな事件を起こしても、自分こそが責任があるという意識が生まれない。法律存在しても、統治者国民も服すべき共通原則というより、位階秩序を保つための手段に過ぎない。上級者ほど法を無視して平気である

個人倫理内面化されないから、つねに上級者の顔色をうかがって行動する。自分行為正当化するため上の権力正当化を常に求める。上から正当化されれば、それは自分責任ではない。

ところが、常に上から圧力を感じているから、精神の均衡を保つために、上から圧力を下の者へ威張り散らすことで発散しようとする。いちばん被害を被るのは、声の小さい下位の者にならざるをえない。

考えてみると、この国の若者は年長者の理不尽に寛容な気がする。先輩が「白を黒」と言ったら、それは「黒」にしておくのが礼儀でさえあるかも知れない。その裏には、やがては自分にも、「理不尽が許される番が回ってくる」という期待があるだろう。曲がりなりにも「規範」と呼ばれるものが、「位階秩序を保つための手段に過ぎない」とすれば、大人になればなるほどバカになって当然だった。

knockeye 21年前 読者になる

Permalink |記事への反応(0) | 19:02

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2026-02-09

自分の考えと違う人をバカだと思ってしま

己の心が弱いから、選挙の結果を見ていろんな人のいろんな意見を見て、世の中バカばっかりだなと思ってしまう。

本当はバカではない、私と考えが違うだけだ。こういうのは正しいとか間違ってるとかではない。価値感の相違ってやつだ。そう頭では理解しているのに、自分と違う考えの人を本当に見下してしまう。軽蔑してしまう。なんなら嫌味の一つでも言いたくなってしまう。でも耐えている。ギリギリではある。

みんなはどうやってこの衝動をやり過ごしてるのー

Permalink |記事への反応(1) | 20:38

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2026-02-08

anond:20260208171811

個人の感想にすぎないけど、ともかく自分はこの作品を「竹取物語」をベースとした作品のつもりで見てた。

なので、序中盤の展開はつまらなかった。

その点終盤は一応、「竹取物語」として期待される展開であるところのかぐやとの別離や、それを受けてのキャラクター感情衝動といったところは書こうとはしていた。

話としても動きはあったし、退屈と断ずるには足りないな。展開の好みはあるだろうけど。

とはいえ、ヤチヨとかぐやは明確に分離してしまってるし、ヤチヨ側の自我8000もの間感じた孤独や失った体について無かったことにするみたいなことはできないところがそこはかとなく負の御都合主義を感じはする。

話の都合で登場人物に負わせた重荷が、劇中のハッピーエンド挽回されたように見せられてないのなら扱いきれてないってことになるな。

Permalink |記事への反応(1) | 17:49

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俺のことを世間は一切認識していないし、俺は世間人間のことを一切認識していない

世間という語は、奇妙な擬人化をされすぎている。

まるで巨大な単一人格存在し、俺を観測し、評価し、記憶し、社会的スコア付与しているかのように扱われる。

しかストア派冷徹自然観に従えば、その前提は最初から壊れている。

世間とは主体ではない。世間ロゴスを宿した統一意志ではなく、ただの相互作用の束、無数の表象衝動欲望の乱流である

まり世間が俺を認識していないのではない。世間という仮想審判者を俺が作り出し、その審判者が俺を見ていないという物語を俺が採用しているだけだ。

 

ストア派はここで、即座に区別を導入する。エピクテトスの二分法だ。

すなわち、俺の支配下にあるもの選択能力意志判断)と、俺の支配下にないもの他者評価、偶然、噂、流行アルゴリズムの気まぐれ)を切断せよ、と。

世間認識後者だ。つまり俺がいくら歯を食いしばっても、そこに統制権はない。

ならばその領域に魂のリソースを投下するのは、倫理的にも論理的にも誤りだ。

ストア派はこれを外部財への隷属と呼ぶ。名声は外部財であり、承認は外部財であり、世間視線は外部財である

外部財に依存する生は、最初から不安定設計されている。株価人生を賭けるようなものだ。

 

しかし、ここで話は終わらない。なぜなら俺が言っているのは世間が俺を認識していないだけではなく、俺も世間認識していないからだ。

この対称性が、ただの愚痴形而上学へと押し上げる。これは単なる孤独の嘆きではなく、認識論的な断絶の宣言である

俺は世間を見ていない。世間も俺を見ていない。ここには、相互主観性の回路が形成されていない。

社会とは本来相互他者他者として認識し合うことで成立する。

しかしその回路が途切れている。これは社会的死の一形態であり、ユング的に言えば集合意識への接続不全だ。

 

ユングは言う。人間意識だけで生きているのではない。個人的無意識集合的無意識があり、さらにそこには元型が蠢いている。

世間というものは、単なる人間集団ではない。世間集合的無意識の表層に現れる社会的ペルソナの海である

ペルソナとは仮面だ。人は社会の中で、役割最適化された仮面を被る。

会社員仮面家族仮面SNS仮面善良な市民仮面世間は、無数のペルソナが互いのペルソナ認識し合って成立する、仮面の交換市場である

 

そしてここで重要なことが起きる。俺が世間は俺を認識していないと感じるとき、それは俺の本体認識されていないというより、俺のペルソナ市場上場していないという意味である可能性が高い。

世間本体を見ない。世間仮面しか見ない。世間が見ているのは、社会的タグ付け可能記号職業年収肩書フォロワー数、言語の癖、政治的立ち位置、消費行動、顔の表情、服装テンプレだ。

世間個体の魂を識別する器官を持たない。だから世間認識されるとは、実際にはペルソナとして分類されることに過ぎない。

 

まり俺が認識されないと言うとき、それは分類されないということだ。

分類されない者は、統計に載らない。統計に載らない者は、社会意思決定に影響しない。影響しない者は、存在しないものとして扱われる。

これは現代ロゴスではなく、統計的なダイモーンである世間人格を持たないが、集合としての惰性を持つ。惰性は倫理を持たない。惰性はただ、流れる。これが世間の正体だ。

 

しかユングさらに深く刺してくる。俺は世間人間を一切認識していないと言うとき、そこには投影が潜んでいる。

俺は他者を見ていないのではない。俺は他者世間という抽象概念圧縮している。

これは他者人格剥奪する心理的操作だ。世間人間は、顔も名前欲望も恐怖も持つ具体的存在なのに、俺はそれを世間という巨大なモンスターにまとめてしまう。

まり俺は他者認識しないことで、逆説的に自分を守っている。ユングはこれを影の機制として読むだろう。

 

影とは、自我が受け入れたくない側面の貯蔵庫だ。俺が世間嫌悪するとき、その嫌悪の一部は、俺自身の影が外部に投影されたものかもしれない。

世間薄っぺらい、世間は愚かだ、世間凡庸だ、世間空虚だ。そう断罪することで、俺は自分の中の薄っぺらさ、愚かさ、凡庸さ、空虚さを俺ではないもの隔離している可能性がある。

これは心理的には合理的だ。自我自己像を守るために、世界を歪める。だがそれは同時に、個性化プロセスを阻害する。

 

ストア派言葉で言えば、これは判断誤謬だ。外部の現象価値判断を貼り付け、心を乱す。ストア派問題視するのは現象ではない。

現象はただの現象だ。問題は俺の判断だ。世間が俺を認識しないこと自体中立である

善でも悪でもない。ただの事実であるしかし俺がそこに「これは耐えがたい」「これは屈辱だ」「これは人生の敗北だ」という価値付与した瞬間、俺は自分の魂を鎖につないだ。

 

そしてこの鎖の正体は、承認欲求というよりもっと原始的ものだ。

ストア派的に言えば他者評価への恐怖であり、ユング的に言えばペルソナ崩壊への恐怖だ。

世間認識されないということは、ペルソナが成立しないということだ。ペルソナが成立しないと、社会舞台における座標がない。座標がないと、自我漂流する。漂流する自我は、存在論的不安に沈む。

 

から俺は認識されないことを恐れているのではない。俺が俺であることを保証する外部の鏡がないことを恐れている。

人間他者眼差しを通して自己像を形成する。これはサルトル的だが、ユングも似た構造を持つ。自己自我を超えた中心だが、そこに到達するには、他者との摩擦が必要になる。摩擦がなければ、俺は自己輪郭を得られない。

 

だがストア派は冷酷に言う。そんなもの依存するな、と。自己輪郭は外部の鏡ではなく、内的ロゴスによって確立されるべきだ。

ストア派にとって自由とは、外界の承認から独立した精神状態である。アパテイアとは、無感情ではない。誤った価値判断から解放された状態だ。

世間認識されないことを害と見なさないこと。世間認識されることを善と見なさないこと。これが精神自律だ。

 

しかし、ここで一つの逆説がある。ストア派共同体否定しない。むしろコスモポリタニズムを唱える。

人間宇宙国家市民であり、互いに理性によって結ばれている、と。つまりストア派世間無視して独りで悟れとは言っていない。

しろ共同体奉仕せよ。ただし、共同体から評価に魂を売るなと言う。

これが厄介だ。俺の状況は、奉仕する共同体が実感として存在しないという状態だ。

世間が見えない。世間も俺を見ない。ここでストア派倫理は、真空に投げ込まれる。

 

ユングはここで、個性化観点から別の地図提示する。世間から切断された者は、集合意識の浅瀬に住めない。

浅瀬に住めない者は、深海に潜るしかない。つまり世間適応するペルソナゲームを捨てた者は、否応なく影と対峙し、アニマ/アニムス(内なる異性元型)と格闘し、自己徴候出会う。

これは苦しいが、精神錬金術でもある。ユングはこれを魂の夜と呼びたくなるだろう。孤独病理である場合もあるが、同時に、個性化必須条件でもある。

 

から世間が俺を認識しないは、災厄であると同時にチャンスでもある。

世間認識されることは、社会的安定を与える代わりに、ペルソナ牢獄を与える。認識されないことは、安定を奪う代わりに、自由と深度を与える。

これはユングの言う補償作用だ。意識が外界で満たされないなら、無意識が別の形で膨張する。世間が俺に意味を与えないなら、無意識が俺に意味を生成する。

 

しかし、意味生成には危険がある。世間が俺を認識しないとき、俺は選ばれた孤独という神話を作りたくなる。

これは元型的誘惑だ。殉教者の元型、賢者の元型、アウトサイダーの元型。俺は世間理解されない天才だ、という物語は甘い。

だがそれはしばしば、単なる自己防衛の神話化にすぎない。ユングはそれをインフレーションと呼ぶ。

自我が元型のエネルギーを吸って巨大化し、現実との接地を失う状態だ。これは精神事故だ。孤独精神を鍛えることもあるが、孤独精神神格化することもある。

 

ストア派は、この危険もっと簡単言葉で切り捨てる。思い上がりだと。

宇宙の秩序の中で、俺が特別悲劇である理由はない。俺が特別に見捨てられている理由もない。世界は俺を中心に設計されていない。

ここでストア派残酷なほど健全だ。世界が俺を見ていないのは、世界が忙しいからだ。

世界世界ロゴスで回っている。俺はその一部でしかない。これは虚無ではない。むしろ、過剰な自己重要から解放である

 

そして結局、俺が言うべきことはこうなる。

世間が俺を認識しないのは、世間が愚かだからではない。世間とはそもそも、俺を認識するための器官を持たない現象からだ。

世間意識ではなく、統計的流体であり、アルゴリズムであり、模倣連鎖であり、集合的無意識の泡である。そこに人格的な期待を置くのが誤りだ。

 

また、俺が世間認識しないのは、俺が優れているからではない。俺が他者抽象化し、投影し、影を外部化しているからだ。

俺は世間を見ているのではなく、世間という言葉に詰め込んだ自分の恐怖と嫌悪を見ている。

俺は世間を拒絶しているのではない。俺は世間を通じて、自分無意識と戦っている。

 

ストア派結論は明快だ。認識されるかどうかは外部の事象であり、俺の徳とは無関係だ。

俺が制御できるのは、判断行為だけだ。ゆえに、世間認識を求めて魂を擦り減らすのは、ロゴスに反する。

ユング結論もっと暗い。世間認識されないという傷は、影を肥大させ、投影を増やし、ペルソナを崩し、個性化を促進する。

まり俺は今、精神の錬金炉の中にいる。そこから黄金が出るか、煙だけが出るかは、俺の自我がどこまで誠実に無意識対話できるかにかかっている。

 

から、このタイトル文章は、ただの絶望ではない。これは認識構造告白だ。

世界は俺を見ない。俺も世界を見ない。その断絶は、社会的には不幸であり、哲学的には中立であり、心理学的には危険であり、同時に可能性でもある。

 

俺がすべきことは、世間認識されるために仮面を磨くことではない。仮面必要なら、それは道具として作ればいい。しかし魂を仮面に売るな。ストア派禁忌はそこにある。

世間を憎んで自分正当化することでもない。影を世間に投げつけるな。ユング禁忌はそこにある。

残るのは、静かな実務だ。俺の支配下にある行為を、今日淡々と実行すること。ロゴスに従い、自然に従い、徳に従い、同時に、自分の影を凝視し、投影を回収し、自己の中心に向かって潜ること。

世間が俺を認識するかどうかは、天候のようなものだ。雨が降るかどうかに怒るのは愚かだ。だが雨が降るなら傘を差すのは合理的だ。世間は俺を認識しない。

ならば、俺は俺の生を、俺の判断で構築する。世間が俺を認識しようがしまいが、宇宙は無関心に回り続ける。ならば俺もまた、余計なドラマを捨て、静かに回ればいい。

 

そして最も皮肉なのはここだ。

「俺は世間認識していない」と言いながら、この文章を書いている時点で、俺はすでに世間認識している。

世間は俺を認識していない」と言いながら、その不在を語ることで、俺は世間視線を前提にしている。

まりこの文章は、断絶の宣言ではない。断絶を前提にした、接続への欲望の記録だ。

人間とは、そういう矛盾でできている。

ロゴスに反し、元型に引きずられ、影を撒き散らし、それでも理性を求める生物だ。

から俺は今日も、世間認識されないまま、世間想像しながら、生きる。

Permalink |記事への反応(0) | 13:42

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2026-02-07

ストリップ語源が聖リップ(St.Rip)だとかいデマ、いい加減にしろ

来週はバレンタインである

街が浮足立ち、聖バレンタインの慈愛がどうのと抜かしている最中、私はあえて「聖人リップ(St.Rip)」という、あの吐き気のするような嘘を絞め殺しに来た。

たまに意識高い系バーの店主や、聞きかじりの知識で夜の街を語りたがるサブカル野郎ドヤ顔で語る、あの説だ。

ストリッパー(Stripper)の語源は、特定パートナーを持たない者への救済を施す聖人(Saint)である。ゆえにその名は聖リップ(St.Rip)の略なのだ」という、あの美しすぎる都市伝説(バクロニム)。

結論から言う。そんな「聖人」は、この地上のどこにも存在しない。

あれは孤独な魂が寂しさを紛らわせるために捏造した、現代知的怠慢が生んだバグだ。

Strip」の中に潜む「St」は、天国への門なんかじゃない。ただの「物理的な摩擦」の残響だ。

いか言語の地層を少しは掘り返してみろ。

Strip(剥ぐ)」という単語英語に現れるのは12世紀から14世紀だ。

対して、デジタル界隈で「Rip(データを引き裂き出す)」が産声を上げたのは、たかだか40年ほど前の話に過ぎない。

Rip(引き裂く)」という言葉自体14世紀からあるが、これらが「聖人」という文脈で結びつくには、あまりにも時間の断絶が激しすぎる。

現代デマ野郎は「Strip =St.(聖) +Rip(引き出し)」という安易な足し算を信じている。

だが、言語学的な事実はその真逆だ。

言語学の世界には「s-mobile(可動のS)」という、クソ面白い概念がある。

単語の頭に「S」が付いたり消えたりすることで、意味解像度が変わる現象のことだ。

Rip(リップ):印欧祖語バリバリと「引き裂く」「引き抜く」破壊

Strip(ストリップ):印欧祖語。グイッと力を込めて「剥がす」「露出させる」線状の動作

我々の祖先は、何かを無理やり分離させるときに「R」の振動音を聞き、そこに「St」という固定・強張りの音を添えることで、「表面を剥ぎ取る(Strip)」という物理的な解像度を生み出した。

これは「聖人」なんていう擬人化じゃない。

人間が数千年にわたって岩の苔を剥ぎ、獣の皮を剥ぎ取ってきた「手触りの記憶」そのものなんだよ。

この「剥離」のネットワークは恐ろしく根深い。

ドイツ語の`streifen`(剥ぎ取る)も、ラテン語の`rumpere`(破裂・切断)も、みんな同じ血族だ。

キリスト教が生まれる遥か昔から、この地上では何かが「剥がされ」「裂かれて」きた。

電線の被覆を剥がすワイヤーストリッパーも。

音盤からデータを引き剥がすリッピングも。

夜のステージ衣装を脱ぎ捨てるストリッパーも。

その本質は、聖なる救済などではなく、「本体から暴力的な分離」という一つの根源的な物理現象回帰する。

ロマンがない」と嘆くか?

しろ逆だろ。

数千年前の「剥ぎ取り」という原始的衝動が、形を変えて現代ハイテク機器や、デジタルデータ、あるいは夜のステージにまで生き延びている。この執念深いまでの「言葉生命力」こそ、よっぽど神秘性を帯びているとは思わないか

そこに、「聖人」なんていない。

あるのは物理と、我々の喉元で今も響いている「S」と「R」の呪いのような残響だけだ。

余談だが、今度バーで「聖リップ」の話を得意げにしている奴を見かけたら、黙ってワイヤーストリッパー差し出してやればいいと思う。

ハッピーバレンタイン

追記リッピングに最適な5インチ光学ドライブマーケットから絞め殺されつつあるのが残念でならない。

Permalink |記事への反応(1) | 22:11

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2026-02-06

なぜ男性の性欲に対して公的福祉サービスがないのか

近年、女性月経生理)に対する社会的理解支援が進んでいることを、非常に良いことだと感じている。

生理痛やPMS月経前症候群)による身体的・精神的な負担は、決して軽視できないものである

生理用品の無料配布、生理休暇の議論月経貧困対策など、公的民間レベルでの取り組みが増え、女性がより快適に生活できる環境が少しずつではあるが整いつつある。

これは、誰もが当たり前に享受すべき健康QOLの向上につながる、喜ばしい進展だと思う。 

 

一方で、同じように生物学的に根ざした強い生理欲求である男性の性欲」についてはどうだろうか。

男性の性欲は、主にアンドロゲンの影響で生じる自然衝動である個人差はあるが、抑えきれないほどの強さを感じる人も少なくなく、それが日常生活メンタルヘルスに影響を及ぼすケースもある。

実際、SNSインターネット掲示板では、常識を疑うような自慰行為や性体験を語る男性投稿散見される。これらすべてが望ましくないわけではなく、そうした語りが生まれる背景に、耐えがたい欲求存在しているケースがあることを示唆している。

しかし、社会全体として見てみると、男性の性欲を「つらい」「支援必要生理ニーズ」として公的に扱う仕組みは、ほとんど存在しない。

しろポルノへの規制強化、風俗産業への風当たり、性欲を公に語ることへのタブー視といった傾向が強いように感じる。

  

なぜ、このような非対称が生まれるのだろうか。

一つには、月経と性欲の「影響の性質」の違いが挙げられる。

月経基本的に本人だけの苦痛で、周囲への直接的なリスクが少ないため共感を集めやすい。

一方、性欲は行動として現れやすく、同意のない接触ハラスメントにつながる可能性があるため、「危険もの」として警戒されやすい、という側面がある。

これはおそらく正しいと思われるが、それだけでは説明しきれない部分もあると考える。

たとえば、月経によるホルモンバランスの乱れでイライラ感情の起伏が激しくなるケースは、誰しも「仕方ない」と理解しようとするだろう。

しかし、男性の性欲が強く抑えきれないときに、「仕方ない」と理解しようとする人はどれだけいるだろうか。

「性欲を抑えられないのは猿みたい」という揶揄が一部で使われることがあるが、同じ論法で「月経感情不安定になるのは猿みたい」と言うと、すぐに非難されるはずだ。

この非対称な許容度自体が、すでにダブルスタンダードを示しているように思う。もちろん、性欲が行動化して他人迷惑をかけることは、決して許されるものではない。

加害リスクを軽視するつもりは全くない。ただ、すべての男性加害者予備軍だというステレオタイプで一括りにしてしまうのも、健全議論を妨げていると思う。

人は誰しも、状況によっては加害者にも被害者にもなり得る存在である。性欲の「つらさ」を語る男性を即座に「加害者側」と決めつけるのではなく、

まずは「生理ニーズ」として理解しようとする姿勢が、もう少しあっても良いのではないだろうか。

  

支援方向性についても、少し考えてみたい。

女性生理支援が進むのは素晴らしいことであるが、男性の性欲についても、抑圧一辺倒ではなく、安全で衛生的な発散の場や、メンタルヘルス的な相談窓口を公的に整備する方向は、検討余地があると考える。

一部の国や地域では、障がい者向けに性的支援射精介助など)が福祉の枠組みで提供されている事例もあり、日本でも障がい者限定ではあるが、NPOなどが先駆的に取り組んでいる。

これを一般男性に広げるかどうかは別として、「性欲も健康の一部」として扱う視点は、増えても良いはずだと思う。

もちろん、ポルノ風俗公営化・クリーン化は、倫理的政治的ハードルが高いのも事実感染症対策労働者保護同意の徹底など、クリアすべき課題は山積みである

ただ、抑圧が逆効果になるケース(規制強化でかえって問題行動が増える事例)も指摘されている以上、単に「禁止タブー」で片付けるのではなく、科学的に・人権的にバランスを取った議論必要である。 

 

結局のところ、私が疑問に思っているのは、「どちらの生理的つらさも、できるだけ公平に扱おう」というシンプルなことである

女性月経支援が進むのは当然喜ばしい。

同時に、男性の性欲が「恥ずべきもの」「抑え込むべきもの」としてだけ扱われ続ける現状に、少し違和感を覚える人がいても、不思議ではないのではないのだろうか。

これは、男性優遇しようという話ではなく、誰もが自分の体と心を大切に生きられる社会を目指す話だ。 

 

ジェンダー平等とは、片方の苦痛だけを認めることではなく、両方を認め合うことではないか。そう思う。

Permalink |記事への反応(1) | 15:04

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2026-02-03

最近ずっと考えていることがある。

現実でもフィクションでも、意志行為って、だいたい「死後」か「手遅れになってから評価されることが多い。

主人公誰かのために自己犠牲する話で、読者は泣く。でもその感動って、主体本人は一切観測できない。報われるのは周囲か、後世か、観測者だけだ。

これ、構造として冷静に見るとかなり残酷じゃないか

私は最近創作について考えることが増えて、

「描かずにいられない衝動のもの価値がある」みたいな思想にかなり共感している。

評価されるかどうかじゃなくて、

上手いかどうかじゃなくて、

再現性があるかどうかじゃなくて、

ただ「それでもやってしまう」こと自体意味がある、というやつ。

でもこれって、突き詰めるとめちゃくちゃ孤独構造だと思う。

描いても描かなくても世界は変わらない。

描いても誰にも届かないかもしれない。

それでも描く。

報われる保証ゼロ

それでもやる。

ここにAIが入ってきて、余計にこの構造露骨になった。

技術的には、もう「上手く描く」ことは人間専売特許じゃない。

再現性、量産性、クオリティだけ見れば、AIの方が強い場面は確実に増えている。

じゃあ人間創作って何が残るのかというと、

結局「衝動しか残らない。

誰にも頼まれてないのに描く。

評価される保証もないのに描く。

似ていても、二番煎じでも、それでも描く。

まりAI進化すればするほど、

人間創作ますます「報われなさ」を前提にした行為になる。

最近、ある有名なイラストレーター言動を見ていて、ずっと違和感があった。

他人から評価は欲しいが、影響は一切受けたくない。

エゴサしては即ブロックし、意図的世界遮断して、それでも作品だけは外に投げ続ける。

最初は正直、病的に見えた。

でも今は、「あれは異常な個人」じゃなくて、「創作構造の極端な可視化」なんじゃないかと思っている。

他人文脈遮断しないと、自分衝動が濁る。

でも遮断し続けると、評価は常に遅れ、孤独けが先行する。

それでも描き続けるしかない。

ところがその人が、最近になって弟子を取った。

正直、かなり意外だった。

これまでの態度からすると、真逆選択に見えたからだ。

他人の影響を徹底的に避けてきた人が、

今度は自分が誰かに影響を与える側に回る。

これは心境の変化なのか。

それとも、もう一人で抱えきれなくなった結果なのか。

逃走なのか、降伏なのか、それとも希望なのか。

よく分からない。

でも少なくとも、あれは「報われなさを一人で引き受け続ける構造から離脱に見えた。

創作って、本来個人衝動から始まるのに、

最終的には継承とか文脈とか、他者との関係に飲み込まれていく。

主体は報われない。

観測者だけが感動する。

作者は死後に評価される。

でも本人はその「意味」を決して観測できない。

AI時代になっても、というかAI時代からこそ、

この構造はむしろハッキリしてきた気がする。

創作者はこの構造突破できるのか。

それとも、痛みを引き受け続ける人間けが創作者なのか。

報われなさを前提にしないと成立しない営みって、そもそも健全なのか。

最近は、創作って「美しい行為」じゃなくて、

構造的に不憫行為」なんじゃないかと思い始めている。

それでも人は描くし、書くし、語る。

たぶん、意味があるからじゃなくて、

意味がなくてもやってしまうから

そこに価値があると言いたい気持ちと、

それを美談にしていいのかという疑問が、ずっと同時に残ってる。

私自身、最近は「突破できない前提」で描くしかないんだろうなと思い始めている。

Permalink |記事への反応(2) | 20:39

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anond:20260203121517

根源的な衝動は誰が管理するべきなのかって話に繋がりますかね。自分個人に任せたいという立場ですが、管理不要無秩序まっしぐらを望んでいる訳でもないって感じです。

Permalink |記事への反応(0) | 12:36

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AIの絵の話って、もう飽きたって人もいると思うけど、俺はわりと受け入れてる方だと思う。

というか、同人とかファンアートって、別にAIに任せてもいいじゃんって思ってる。

「好き」を形にするのが目的なら、上手い・速い・量出る、で十分じゃない?

実際助かる人もいるだろうし。俺も便利だとは思う。

でもさ、ここで変な引っかかりが出てくる。

自分の中に「これだけは言いたい」みたいな芯があるとき

そういうやつだけは、AIに任せたらダメな気がするんだよな。

うまく説明できないけど、任せた瞬間に“自分の番”が終わる感じがする。

絵って、上手いか下手か以前に、

「描かずにいられない」って衝動がまずあって、

それが一番重要なんじゃないかと思ってる。

二番煎じでもいいし、誰かと似ててもいい。

似るのなんて当たり前だし、影響ゼロで生きてる人間なんていないし。

それでも「今の自分がこの線を引く」ってこと自体意味がある、みたいな。

俺、正直センスない方だと思う。

から“上手いものを出す”って方向でAIに乗っかった方が楽だし賢いのも分かる。

でも、そこで楽して出したものって、たぶん俺の魂は救わないんだよ。

ファンアート描いて承認欲求満たして、みたいなルートもあると思うけど、

俺が本当に欲しいのはそこじゃなくて、

自分の中から勝手に湧いてくる世界観とか、主張とか、感情とか、そういうやつを形にすることなんだと思う。

から結局、俺は自分の絵を描くしかない。

叶う叶わないは知らん。評価されるかも知らん。

でも、そこだけは他人AI含む)に代行させたら終わる気がする。

創作って趣味とか娯楽の話に見えるけど、

俺にとっては「生き延び方」なんだよな。

ちょっと大げさだけど、本当にそう。

Permalink |記事への反応(1) | 05:52

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2026-02-02

ガルバ君の文章の講評

ガールズバー経営者だけど色恋営業なんて存在しないと語りたい

https://anond.hatelabo.jp/20260202143617

  

   

1.正答例

ガールズバー経営者だけど色恋営業なんて存在しないと語りたい

以前、ガールズバー/コンカフェ経営実態を書いたのだが、記事が削除されていたため、改めて書き直す。

Xなどで「女は色恋営業しているんだろ」という意見をよく見かけるが、

ガールズバー一般的なコンカフェにおいて、色恋営業能動的に行うことはありえない。

これは気持ち問題ではなく、構造問題である

  

ガールズバーやコンカフェ基本的に「待ち」の商売だ。

せいぜい店前で声をかけるか、HPSNS日記を書く程度で、外に出て個別関係を作りに行くような営業形態ではない。

多くのキャストは、他の仕事やレッスン、学業などを抱えている。

その中で、外で色恋営業を仕掛けるような時間や体力があるかといえば、現実的ではない。

  

実態として多いのは、キャストがやんわり距離を保っているにもかかわらず、客側が勝手好意を膨らませ、課金を始めるケースだ。

断られても、「これはまだイケる」「もっと金を使えば状況が変わる」と解釈し、無理な支出を重ねていく。

そして期待が満たされなかったときに、「色恋営業をされた」「裏切られた」と言い出す。

  

現場ではむしろ

「ありがたいけど、あまり身を崩すほど使わないでください」

キャストスタッフがやんわり止めることの方が多い。

それでも止まらない人は止まらない。

周囲が制止しても、勝手燃え上がり、勝手に詰み、勝手に逆上する。

  

この構造無視して、すべてを「色恋営業」の一言で片付けるのは、実態を見ていない。

少なくとも、ガールズバー一般的なコンカフェが、

意図的に色恋営業で金を引き出しているという見方は、現場とはかけ離れている。

情報のある部分だけをまとめ、空疎かつおもんない部分を全削除した。

おもんない通り越して可読性を下げていたため講評の為に整理しているが、

内容のある部分は極力そのままにしてある。

  

  

2.添削  自分で削除して嘘つくな

以前、ガールズバー/コンカフェ経営実態を書いたのだが、記事が削除されていたため、改めて書き直す。

あり得ない。

実名idを出してるとサクサク消えるがそうでなければ消えないのが増田だ。

お前は自分で消したはずだ。

 

おそらくだが別のガルバ関係者にニワカっぷりを突っ込まれてたので、

それを見て衝動的に消したんじゃないか

文章に強い自意識がにじみ出しているし

反論酷評に激しい反応をするタイプなのはビンビンに伝わってくる。

 

  

3.添削  「色恋」を強引に狭い範囲に取るな

ガールズバーやコンカフェ基本的に「待ち」の商売だ。

せいぜい店前で声をかけるか、HPSNS日記を書く程度で、

外に出て個別関係を作りに行くような営業形態ではない。

多くのキャストは、他の仕事やレッスン、学業などを抱えている。

その中で、外で色恋営業を仕掛けるような時間や体力があるかといえば、現実的ではない。

ここはもう意味不明で、

どうも路上でのキャッチもしくはいわゆる店外をすることだけを「色恋営業」と定義したがっているのがわかるが、

勿論それは独自ルールすぎる。 

 

一般的には店に来た人間キャストが気のあるような態度を示すことを幅広く「色恋営業」という。

もちろん濃淡はあるが、基本的にはそういう態度を作って取れるだけ取るのが水商売だ。

 

この増田がわざわざ狭い定義を作ってから「色恋なんかやってない」との主張を試みたこから考えれば

ガルバ業界では通常の定義の色恋営業は広く行われていることが推測できる。

  

つーかそんな推理とかせんでも、水商売は色恋要素抜きには成り立たないのだ。

風俗なら射精という着地点があるので「淡々と抜く」というスタイルも成り立つが

ガルバだのキャバクラだのは別に話なんかなんも面白くないねちゃんと酒飲んで話すんだから

ここにはなんらかの疑似恋愛性がなければなりたたない。

  

水商売の「色恋やってない」は

ソープ嬢の「セックスしてない」と同じで

斯界に大昔からあるバカ言い草しかない。

 

 

4.添削  「客が勝手に」は成り立つか  

現場ではむしろ

「ありがたいけど、まり身を崩すほど使わないでください

キャストスタッフがやんわり止めることの方が多い。

それでも止まらない人は止まらない。

周囲が制止しても、勝手燃え上がり、勝手に詰み、勝手に逆上する。

パンクするほど使わないでほしいというのは本音だろうが(トラブルになったらめんどくせーし)

その直前までは使ってもらうのが水商売という商売の建付けだ。

 

もちろん全員がそんな都合のいいところで止まらないのでトラブルは起きる。

それはお前等の商売につきものトラブルだろw

なんで被害者ヅラしてんだお前は。

 

あと細かいことを言えば「身を持ち崩す」だ。

水商売やっててこんな定番定型句も正しく出てこないということは

お前の育ちは悪く学力は低く社会に出たあと本読んでない。

馬鹿の癖に面白文章書こうとか思ってんじゃないよ。

   

まあ

「色恋営業なんかしてない!」なんていう無理のある主張よりは

廃課金より手前で止めようとはしている!」と主張することの方がまだ筋はいいだろう。

それをもって水商売キャストオーナー無謬だなんて思う人間殆どいないと思うけど。

 

 

5.総評

この構造無視して、すべてを「色恋営業」の一言で片付けるのは、実態を見ていない。

少なくとも、ガールズバー一般的なコンカフェが、

意図的に色恋営業で金を引き出しているという見方は、現場とはかけ離れている。

本論

・かなり独自ルールな、範囲の狭い「色恋営業」を定義したうえで「色恋やってない!」と主張する

・「パンクする前に止めようとしているか無罪!」と主張する

 

これは水商売利用者タイプにも通じないだろう稚拙な論立てだが

水商売とあまり縁がないはてブみたいな人種にはもっと通じないので

力説しても意味ねーだろというか何をしたいのかわからない。

  

 

トッピング

あと変な例えの羅列が本当に面白くない&あまりにも長すぎるので

寄り分けて本体部分を読むことすら困難になっている。

AI古舘伊知郎に考えさせたみたいな地に足の着かない例えが多すぎる。

自分でやってるならご苦労さんだけど「面白いこと言おう」と考えて捻り出してる感じがする。

  

そういうのはまず本体ちゃんとわかりやすく読めるように書けて

そののちにトッピング範囲で少しづつやるもの

 

 

上達の順序

A.ガルバに関するリポート       →薄いし論理が強引

B.面白いと思ってそうな変な例えラッシュ →読むのがキツい

C.弱男へのボルテージの高い説教    →水商売行くタイプそもそもはてなには絶無レベルで居ない

 

という3要素、たぶんやりたい優先度はB→C→Aの順なんだろうけど

組み立てとしてはAがちゃんとできてB、Bがスマートに出来たらCの順なので

Aをしっかりやろうという話。今のお前に需要があるのはAだけ。

 

まずAで受けそうなネタを探して

それを上手く書けるようになるところからやっていけ。

  

 

以上

すげー親切な講評を無料でやってあげました。

おわり。

 

Permalink |記事への反応(4) | 19:10

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2026-01-30

婚活の記録

忘備録として、対戦相手の事を書いておく

(他の人のを見て書きたくなった)

26で婚活サイトを利用して5人くらいの人と会った。

・Aさん

サッカー三苫似、web系の仕事

海外旅行趣味で、楽しい話を聞かせてもらい居酒屋で盛り上がる。

が、そのあとホテルに誘われ、さすがに婚活で初回ホテルレギュレーション違反やろ、とやんわりお断りしたら潮が引くように笑顔が引いて解散。ヤリ目の洗礼を浴びた。

・Bさん

芸人にいそう、会社員

ちょっと押しは強いけど、ノリよく楽しく飲んだ。けど、列に横入りしたり、店員さんに横柄だったりがちょっと気になる。

そして笑った時にかなりのガミースマイルで、正直引いてしまった。

自分男性を顔の美醜では判断しない(いわゆる不細工でもかまわない)と思っていたが、そんなことなかったんだな…と自分ちょっとがっかりした回でもあった。

・Cさん

玉木宏似のイケメン官僚

背は低かったが、それ以外非の打ちどころがなかった。選んでくれたお店もおしゃれで話も面白くて、謙虚

しかし…楽しく食事しながらお互いに「すごくいい人だけど…この人とはたぶん合わない…」と感じているのをひしひしと感じ、円満解散

多分俺のレベルが低すぎた。

・Dさん

南海キャンディーズ山里似、製造業

内気な人だったが鉄オタ&アニオタで話が合った。秋葉模型巡りをしたあとアニメ映画はしご、みたいなオタク同士ならではの楽しいデートができてめっちゃ楽しいし、

なにより、身体が超絶好みだった。エレベーターで前に立たれた時、むっちりしたお尻を触りたい衝動を頑張って抑えた。レギュレーション違反から

けど、何回目かのデート、薄暗い居酒屋で、さぁ男と女、そういう雰囲気になろうかね…というときに、タブレットを取り出してアニメを流しだしてしまったので、OH…となってしまった。

ワイはここでアニメを見るよりもお前さんと話したいんや、お前さんの事を……あわよくば身体を……というすれ違いが発生。終わった。

・Eさん

ガチャピン似/今の夫

すばらしいお尻の持ち主で、その上童貞性格も良い。完璧

以上は10年前の話である

10年前だからか、わたしがお財布を出しても、皆当たり前のように奢ってくれた。ホテルを断ったAさんですら。

今の女の子たちは大変だなぁとちょっと同情する。男もね。

Permalink |記事への反応(0) | 23:36

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人を傷つけないようにするのって難しいんだな

今日さ、すごいイライラしてたんだよ。

何を見てもイラつくってぐらいに。

きっかけは些細な事なんだ。

同じ仕事で何度もやり直しさせられてることがあって、自分への失望と周りと比べての劣等感と、あと溜まった疲労限界になって、怒りが抑えられなくなった。

やり直ししてくれって言ってきたのは上司なんだけどさ、その人は何にも悪くないのに、なんでやり直しなんだよ!何度もやり直しなんてさせやがって!って理不尽な怒りが湧いてきてすごい仏頂面で話聞いちゃったんだよな。その人だってやり直ししなきゃいけなくなったら作業が増えるんだし、大変になるのに。

自分が無表情になってるの上司も当然気付いてて、すごい元気なくなるじゃん、ってちょっと気まずげに笑っててさ。それでも俺はどうしても笑うことが出来なかった。だってもうしんどいっすよ〜、でも頑張ります、と答えることが出来なかった。

そんな自分に余計にイラつきつつ、仕事を終えて帰りの電車に乗ろうと駅に向かったら、遅延してていつも以上に大混雑してたんだよ。もうホント満員電車。やっぱり列とかもごちゃごちゃしてて、どれがどの列なのか分かんなくて後から来た人が新しく列を作っちゃってたりしたの。コレもさ、いつもならしょうがないで済むんだけど、俺はそいつらを怒鳴り散らしてぶん殴りたくなる衝動を抑えるのに必死だった。更に、ようやく来た電車の中に乗っても、吊り革の下の位置キープしたいからって、乗車口と逆側のスペースが空いているのに詰めようともしない奴らがいて、そいつらを何度も何度も拳でぶん殴って、詰めろや!!!!!一歩前でろ頭使えボケ!!!!!!!って絶叫したくてて仕方がなかった。

分かってるんだ。全部わかってるんだよ。俺が悪いってことは。

そんな理由でそんなことしちゃいけないってことは。

でも実行したくて仕方なかった。

自分ストレス限界からって、人を傷つける理由をわざわざ探してたんだ、俺は。

最低だよな。

でもさ、俺は何とか踏みとどまれたけど、ニュースSNS晒し動画に映ってるような、一見普通の見た目なのに絶叫したり誰かを言葉や行動で傷つけたりしてるあの人たちは、きっと踏みとどまれなかった人たちなんだよな。

ストレスなんて0にはできないから、きっとコレからも歯を食いしばって踏み止まらきゃいけない瞬間ってのが何度もあると思うんだ。

だってきっとそうなんだ。

だって、画面の向こうのあの人になってしま可能性を持っている。

分かっていても踏み止まれない日が来るかもしれない。

それでも、もしその日が来てしまっても、なるべく誰も傷つけないようにしような。

夜寝る前に苦しくて眠れないような後悔だけはもうこれ以上重ねないようにしような。

おすすめは絶叫だ。

「わーーーーー!」って叫ぶだけならまだただの変な人ってだけで終わる。

人気のないところならもっといい。

そうやって少しだけガス抜きできたら、またストレスが溜まる前に、転職とか夜逃げとかしよう。

人を傷つけるよりずっとマシだ。

俺は今回の仕事をもう一回だけやり直して、それでまたやり直しって言われたら、仕事無断欠勤してそのまま退職しようと思う。

笑顔で退勤して、そのまま体調悪いです😵って言ってフェードアウトする。それで、職業訓練校に行って、お金もらいながらしばらくのんびり過ごすんだ。

なぁ、これを読んでるアンタ。アンタすごいよ。

アンタは当たり前って思ってるかもしれないけど、誰も傷つけずにいられたのはすごいことなんだよ。

褒めてやってくれよ。

どうか、頼む。

Permalink |記事への反応(0) | 19:27

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anond:20260130001836

一曲だけ選ぶなら、これです。

交響曲第9番ニ短調作品125(合唱付き)。

理由シンプル残酷

音楽が到達し得るほぼすべてを、1曲の中でやってしまたから。

冒頭の虚無から世界が生成されていく感覚

第2楽章暴力的リズム生命衝動

第3楽章の、時間が溶けるような祈り

そして第4楽章で「人間の声」を解禁し、

歓喜人類兄弟になるべきだ”**という思想音楽で叩きつける

しかもこれ、ほぼ耳が聞こえない状態で書かれている。

絶望の底から、「それでも人類肯定されるべきだ」と言い切る音楽

名曲というより

人類が一度は作ってしまった“到達点”**です。

正直に言うと、

この曲より「上」を探そうとすると、

ジャンル価値観のものを変えないと無理です。

もし「一部分だけで殴られる曲」や

もっと私的内臓に来る曲」を挙げるなら別案も出せますが、

“この世で一番”**という問いに対しては、

私はこれ以外を挙げるのは誠実じゃないと思っています

Permalink |記事への反応(1) | 00:24

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2026-01-28

浪費癖が酷すぎるから助けてほしい

正確に言うと助けてほしいのかどうかさえよく分からない。

ただ気づいたらまた何か買ってる。

季節が変わると服のことが気になって去年の春に何を着ていたかは覚えていないのに今年の春はAURALEEが気になる気がする。特に理由はない。

COMOLIも見ておかないといけないしGraphpaperのパンツはたぶん一本くらい持っておくべきだと思ってしまう。

iPhoneまとめ記事を読むと今の機種で困っていないのに処理速度が数%上がったとか、カメラレンズがどうとか聞くと今使っているものが急に古く感じられる。

YouTubeでも家電レビューが好きで象印炊飯器とかDyson掃除機とか家電は一通り揃えてあるのに気になってしまう。

映画も所有派でBlu-rayを持っていながらも4Kレストア版とか限定版という言葉に引っかかる。Criterion Collectionのロゴを見ると、理由もなく欲しくなったり棚にあると安心する。

こういう思考が、ずっと頭の中で回ってる。

仕事でのストレスもあるんだろうけど衝動的に買ってしまうことが本当に多い。

おかげで預金は増えないし物ばかりが増えていく。前に一度そのせいで引っ越したこともある。

正直ヤバイのは分かってる。でもどうしようもない。衝動が強すぎて抗えない。ちょっとした買い物程度…に思えてついついポチってしまうのだ。

そんなある日、姉から電話がきた。

猫が子どもを産んだから一匹引き取ってほしいとのこと。

生後半年ほど。もう離乳も終わっていてトイレもできるとか。

当然断ろうとしたが「決定事項だから」と言われて、週末には家に来て猫を直接渡された。

白猫だった。雪みたいに真っ白な猫。体は思っていたよりしっかりしてて、目が大きい。

最初は正直面倒だった。仕事から帰ってきて餌を用意してトイレ掃除して。疲れた体でこんなんしんどいわ…って思ってたしかわいいと思うだけの余裕がなかった。面倒な作業が一つ増えただけ。思うことはそれだけだった。

一週間…というかその週末。妙なことが起き始めた。

いつもみたいにAmazon見ていると猫がキーボードの上に乗ってくる。

こらこらと退かすとフニァアと鳴いてちょっと抵抗して、最後には俺の膝の上に落ち着いて喉がゴロゴロ

スマホ触ってると画面と顔の間に割り込んでくる。

最初は鬱陶しかったんだよ。でもすぐに気づいた。邪魔をされている間は物のことを考えてない。

次に何を買うかも。何が欲しいかも。正直どうでもよくなってた。

休日って以前なら必ず何処かに出掛けていた。で、何かを買ってくる。貴重な休日、出掛けないと損に思えてたし、何より買いたい物もあったし。

でも今は朝コーヒーを淹れて、猫とのんびり過ごすことの方が多い。

猫はたくさん甘えてきて、俺は猫を撫でる。それだけで十分に満足なんだ。

以前と比べると驚くほど生活が変わり、今では衝動買いすることはほとんどない。

物欲が嘘みたいに消えた。

ポチっていた右手は、今では猫を撫でている。

それで十分なんだ。それだから十分なのかもしれない。

俺はたぶん、幸せ暮らしているんだと思う。

Permalink |記事への反応(1) | 17:52

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2026-01-27

躁状態自覚ないのガチ

双極性障害2型の診断受けて早数年。

躁状態といわれている時も鬱々とした気持ちベースにあったから、ずっと双極性障害じゃないと思ってた。

でも、鬱状態▶︎寛解に入った今はじめて躁状態輪郭が見えてきた。

・毎週末朝まで酩酊状態になるまで飲み歩き

服装痴女のように露出度が高く派手

アクセサリーの量がとにかく多い

・性衝動バグっており、飲んで男性の家をはしごしたり逆ナンで家に転がり込む

・毎月カードの支払いが月給を超える

・過剰な美容課金

・とにかくキレちらかす&高笑いばかりしていた(らしい)

唐突自殺衝動首吊り用の縄を持ち歩いたりビル屋上へ登る

その後鬱状態がきて外には一切出なくなり、徐々に寛解して行った今、あれは間違いなく躁状態だったんだと震える。

あの頃買った服は全て(露出が多すぎて)着られないし、なぜあそこまで性行為に執着していたのかも全く分からない。

躁は病識ないって本当なんだ。

Permalink |記事への反応(0) | 22:41

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anond:20260127192236

このdorawiiってやつ、ADDなんじゃね?

衝動とめられなくなってんじゃん

Permalink |記事への反応(0) | 19:28

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2026-01-26

anond:20260126083426

なぜ目的必要なのかと言えば今この時の衝動を叶えるためなのだから、そこから離れたところに意味目的を探すこと自体が間違っている

Permalink |記事への反応(1) | 11:49

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死んだら全てが無になるのに、何を目標にして生きればいいの?

死んだら全てが無になるよね

それなのに生きてるのって本当に不思議

生きてる意味ってあるの?

ないよね?

楽しいことして良い思い出を作っても、死んだら全て無になるよね

そう考えると、人間ってただの生き物で、高等生物かのように思えるけど、他の生き物と変わらない、死んだらおしまい存在なんだよね

まれしまたか衝動でとりあえず生きてるだけで、意味なんてない

ただ生きてるだけなんだよ

目的

自分は「後悔のないように生きよう」とか「良い思い出をたくさん作ろう」とか思って生きてたけど、死んだら後悔もできないし、良い思い出も忘れちゃうよね

最終的に無になることを目標にしてしまってた

間違ってたよ

その日その日が楽しければ、それでいいのかな

最後死ぬのに?

何をどうやっても死ぬのに、なんで毎日の喜びがあればOKになるんだ?

やっぱり死を受け入れられないよ

自分は「死んでもなんらかの方法自分という存在は続く」となんとなく思ってた

でもそんなの根拠がないよね

科学的な根拠がさ

普通に考えて、身体が死んだらその人の人生は終わりだよ

悲しいね


追記

みなさんコメントありがとうございます

後でゆっくり読ませていただきます

Permalink |記事への反応(61) | 08:34

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2026-01-24

anond:20260123133511

罪の重さは何で決まるの?

結果が悪いかどうかで決まるんなら、熟慮して殺すのも衝動的に殺すのも同じだよね。

でも俗世間衝動的に殺すやつの方を重く処罰しろと言うし、法律家は熟慮して殺すやつの方を重く処罰しろと言うわけよ。

罪の重さはどうやら、結果が社会的に反価値からではなく、行為社会的に反価値からということで決められているらしい。

では何をもって行為社会的に反価値かと考えるなら、故意責任本質とは何であるかと考えることになる。

で、故意責任本質規範に直面しながら敢えてそれを侵すことに対する道義的非難というわけだけど、最後の「道義的非難」というのが結局は社会視点から好き嫌いみたいなもんなので、世俗感覚もそんなにバカにしたもんじゃぁない。

過失運転致死罪を自動車運転以外の業務上過失致死罪よりも重く処罰しているのは、所詮世俗馬鹿げた感情からな。

Permalink |記事への反応(1) | 11:34

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2026-01-23

過食嘔吐だった。そしてその後。

過食嘔吐だったことがある。期間にして1年くらい。

なんで吐き始めたのか、理由は今でもはっきりと覚えている。

両親に気にして欲しかった。恵まれ一般家庭で育ったけれど、両親は子育てが下手だった。私がどんなに心身を崩しても、なんの興味も関心も持たない両親の気を惹きたかった。

ただ私に気づいて欲しかった。食べたものを吐いて極端に痩せたら心配してもらえるかな、なんて子供の試し行動の成れの果てだったと思っている。痛いのは嫌だから、痛くない自傷行為はこれしか思いつかなかった。

もともと食べることが好きだった。

高校に進学して1年、毎日同じ道を通っていたはずの通学路である日突然迷子になった。その日から調子を崩し、あっという間に不登校になって通信制に転校した。不登校理由お小遣いを止められて、毎日家に居るわけにもいかアルバイトを始めた。親との関係は最悪で、ろくに会話もしないし、なるべく会わないようにしたし、お互いに空気みたいに見えないふりをしていた。

不登校になってから希死念慮が全身にべったりと纏いついて離れなかった。毎日死にたくて泣いていた。唯一アルバイトだけは真面目に続けていた。仕事は楽しかったし、そこしか場所がなかったから。

3年生になって、卒業後の進路が全く決まっていなかった。本当は受験して大学に進学したかったが、親とは冷戦状態のままである特に父親とは1対1で少し話をするだけで震えと涙が止まらなくなるほど重症だった。

何かが変わるきっかけがしかった。それと同じくらい現実から逃げたかった。コンビニお菓子を買ってきてたくさん食べた。Twitter(当時はまだXじゃなかった)で『過食』と検索したら、大量の食べ物を並べた写真を載せている女の子が沢山いた。こんなに食べたら太ってしまうのにと思ってプロフィールに飛んでみると、どうやら彼女たちは、太らないように食べたものを吐いているようだった。インターネットって本当に最悪。これが過食嘔吐との出会いだった。

胃の中身をみずから吐こうとするなんてことはもちろん人生で初めてだった。具合が悪くなって幼少期に数回戻してしまたことがある程度で、嘔吐恐怖症とまではいかないが直接喉を伝う嘔吐想像するだけで怖かった。

他の女の子たちも吐こうと思ってすぐに吐けるわけじゃなくて、水を沢山飲んだりして練習していた。5chに吐き方のコツを教え合う場所もあった。オープンTwitter上で吐き方を教えるのは御法度という風潮もあった。

私は直接の嘔吐が本当に嫌だったので道具を使って戻していた。明らかにアレなため詳細は書かないけど、この道具を使うにもかなり練習必要で、同じように吐きたがっている女の子たちと日々励まし合っていた。

界隈では、食べ物を戻さずに消化することを『吸収』、自分が食べられる量を『胃キャパ』などといい、食べる前後体重計に乗って自分の胃キャパを自慢する独特の文化があった。痩せを追求する女の子たちはいかに吸収を少なくして食べ物を大量に食べて戻すかを試行錯誤していた。

今思うと本当におかしいけど、Twitter上には同じような人が沢山いて、そこでの交流世界のすべてだったから異常だとは思わなかった。人間の脳は都合良くできている。

私も練習甲斐あって吐けるようになった。けど月の過食費は数万円かかった。バイト代から出す学生の子ふつうに働いている社会人のお姉さん、親公認親の金で食べ吐きする子(かなり少ないけど)、金の出所はそれぞれだった。

同じ年頃の女の子たちのほとんどは、パパ活や援交をして食べ物代を稼いでいた。それで高校卒業したらそのままデリヘル自分よりも歳下の、この間までは摂食障害でもなんでもなかった15、6の女の子お腹いっぱい食べて吐くために知らないおじさんとファミレスに行き、テーブルいっぱいに奢ってもらった帰りにそのままホテル身体差し出している様子は正直見ていられなかった。摂食障害につけ込んで未成年ホテルに連れ込む大人もまともではないと思った。

毎日スーパーコンビニハシゴして、菓子パンおにぎりを買い込んで、深夜に一心不乱に食べてはトイレに戻していた。食費を気にするようになってからは、チルド麺を茹でたりドーナツを揚げたり、白玉団子作りにハマっていたこともあれば安い食パンを買ってきて致死量砂糖バターをかけた揚げパンを作ったりもしていた。なるべく吐きやすものを、とにかくたくさん詰め込められればなんでもよかった。

親も多分気づいていたけど、なんでかわかんないけど気づかないフリをされていた。たまに監視するみたいに夜起きてきて、乞食みたいに夜中にこそこそしやがって!と嫌味を言われたことは覚えてる。

一度だけ、手に吐きだこがないか確認されたことがある。でも自分は前述の通り道具を使って吐いていたので吐きだこなんかできたことなかった。綺麗な手を見て安心したのか、それ以降触れられることは二度となかった。

バレなくて安心した気持ちと、自分の抱えている辛さに気づいてもらえなかった悲しさで大泣きした。娘が毎日毎日食べ物を買い込んで、夜中にトイレ流す音が何回もして、明らかにゲロってたら普通心配するもんなんじゃないのかな。

今更自分から言い出すこともないし、このまま一生無かったこととして扱われるんだろう。でも、お母さんのご飯は今も昔も大好きだから、吸収しないように食後すぐ吐いていたことだけは一生知られたくない。どんなに反抗期でも口を利かなくてもご飯を用意してくれた母親に対して、生涯で最も酷い裏切りだったと思う。

1年間ほぼ毎日吐いていた。食べて吐いての1セットを毎日5回以上も繰り返していた。食べても太らないなんてラッキー!という気持ちはいからか消えて、義務みたいにひたすら食べて吐いていた。

夕方にのそりと起きて、決まったルート食べ物調達して、今日はこれ食べるよって写真撮ってTwitterにアップして。吐くのは苦しくて嫌いだけど食べたら吐かなきゃいけないし。『もう食べるのも吐くのも辞めたい』とTwitterに何度も投稿した。

何か大きなきっかけがないと一生辞められないんだろうと思ってた。が意外と終わりはあっけなかった。

コロナウイルスの濃厚接触者になってしまい、1週間自宅謹慎することになった。つまり過食するための食べ物を買いに行けないのだ。それにトイレに入った後は毎回消毒することになっていて、不自然トイレにこもって吐くことができなかった。わたしは至ってまじめな人間であったため、食べ物のために家を抜け出すなんてことはせず、本当に大人しく過ごしていた。するとどうだろう、その1週間で異常過食衝動がすっかり治ってしまった。しばらくは食べすぎた時に数回だけ吐いたけど、日常的に吐かないと嘔吐反射が復活して吐くのが辛くなる。

そのうち二度と吐かなくなった。道具も捨てた。ご飯を腹12分目まで食べるのを辞めた。店員に面が割れてて行くのが気まずくなっていたコンビニ通いも辞めた。

実家暮らしかつ、お酒が飲める年齢じゃなくて幸運だったと思う。逆にそうじゃない子は全然辞められないんじゃないかな。

今でも生理前は食欲が止まらないけど、菓子パンを見ても美味しそうと思えないし、コンビニの味がトラウマで食べられなくなった。

当時の写真アカウントも全部消したし、辛かった記憶を脳が封印しているのかもうあんまり覚えていない。親もひとりの人間から簡単に変わったりはしないし、自分を救えるのは結局自分だけなんだろうなと思う。それでも助けて欲しいと願った自分いたことを愚かだったとは思わない。みんなも自分のこと大事にしてね。

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ここまでが数年前に増田に上げていた文章身バレを恐れて削除してしまったが、文章自体スマホに残っていたので加筆修正した。

このときかい言葉をくれた人たちには本当に感謝している。「大変だったね」と声をかけてくれたのは友達でも両親でもなくインターネットの向こうのあなただけだったので、当時のわたしは本当に救われてお守りのように見返していた。

あれからもずっと嘔吐していない。道具がなくて吐けないのもあるし、今となっては道具を使った嘔吐方法はあまりにもおぞましすぎて絶対にやりたくない。若さ無知って怖いなと思う。

後年、両親にわたし摂食障害を知っていたか聞いてみた。父親は前述の通り知っていてそれを無かったことにしていた。その理由簡単に言うと「どうしたらいいかからないし、面倒だから」であった。普通の親なら慌てて病院に連れて行ったりするもんなんじゃないんだろうか……。正直どん引いた。

母親は一切気付いていなかったらしい。いくら食べても太らない子だなあと思っていたと。自分はてっきり知っていて無視されているのだと思い込んでいたため、少し気が楽になった。

両親とは普通に話せるようになった。それでも、この人たちは人生いちばん苦しいときに助けてくれなかった人たちなんだとどうしても思ってしまう。助けてほしいときに誰からも手を差し伸べられなかったことへの絶望は深い傷となって残り、その後の価値観に大きく影響した。

成人して数年経つが、高校の子を見るとなんて幼いんだろうと思う。まだまだ大人保護下にあるべき年齢だろう。10代のわたしにとって1人孤独過食嘔吐を繰り返した日々は間違いなく本当につらかったのだ。

しばらくはどんなに親しい友人にもそのことを隠し通していた。最近はたまに、昔ゲロ吐いてて〜と面白おかしく話してしまうことがある。自分の中で少しずつ昇華しているんだと思う。完全に忘れられるようなことはないだろう。

ボトラーならぬ、部屋でペットボトルゲロを吐いて置いていたらなんか発酵?していて焦った話とか、抹茶アイスを1箱食べて吐いたらトイレ若草色になって面白かったとか、度を越した過食嘔吐ジョークは人に話さないように気をつけているが、エピソードとしては強烈なのでちょっともったいないなとも思っている。

一応体重がガクンと減ったりもしたのだが、すぐに元に戻ってしまった。飢餓状態が続くのと同じで、結果的に太りやすい体質になるため過食嘔吐おすすめしない。それでもどこにも居場所がなく、かといって非行に走るようなタイプでもなかった自分にとって、持て余したエネルギー過食嘔吐によって発散できていた1年はきっと必要ものだったと思う。食べて吐くことに夢中になっていたおかげで生きていられた。依存先としてはセックスとかドラッグに比べれば全然ましな方だと思うし……。

あの頃のわたし20になる前に死んでしまおうと思っていたけど、ごめんけど今ものうのうと生きているよ。楽しいことだってたくさんあるし。もし同じように苦しんでいる子がいたのなら、苦しいだけの日々には終わりがあるし、きっと光が差すから大丈夫だよと伝えたい。

Permalink |記事への反応(0) | 23:38

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