
はてなキーワード:蛇足とは
■初めに
私が投資を6年間続けてきてたどり着いた投資の結論を記載しています。
この日記は投資を進めるものではありません。1ミリも責任を持ちません。
■スペック
28歳
弱小JTC勤務
年収600万弱
■結論
自分の許容できる範囲内でS&P500に投資してほっておく
■蛇足(多くの人向け)
自分の許容については人それぞれだが、基本的には3か月間無休になってもギリギリ耐えられる金額をのこして一括投資したうえで、
一括投資ではなくタイミングみたり分散したほうがいいという意見もあるが、それがいつなのかは普通の人にはわからない。
暴落したときが一括投資時だとは思うが、普通の人は暴落したときに適切に投資できないよね。いつ暴落するかもわからないし、
基本的には右肩上がりなので、早く投資したほうが期待値が高い。
その後は、毎月の余剰資金(使用用途の決まっていないお金)はS&P500毎月投資する。
過去のどのタイミングで投資していても、20年以上保有していれば投資金額を下回ることがない。オルカンでも問題なし。
間違いではないが、現金(日本円)を保有していることにもリスクをあることを忘れている。
100万円投資している場合、それが0円になる可能性もあるが、現金で保有していても価値が0円になる可能性はある。
NISAは全員使おう。
レバレッジをかけるのは多くの人にとっては向いていない。
■自分向け
S&P500に投資していればいいが、正直何も面白くない。
資産の5%くらいは投機(ギャンブル)をすると楽しいし、跳ねる可能性もある。
現状している投資
・個別株(日本の好きな企業と、中国の面白いことやっている企業委に投資している)
・仮想通貨
・金・プラチナ
打ち切りがどうとか編集?に言われてるけど、少なくとも多作の才能はあるわけで、
多作は自分のようなバカにも思い付く、ヒットする条件のひとつです、うらやましい!😟
富野とか、ファーストガンダムとか、削ぎ落し工程あったんだろうか…😟
ないにしても、思わせぶりな演出をするのが上手かったし、
ファーストは特に、打ち切りとか上からの都合が功を奏してしまって、
没になった、アムロが死んで、そのあとクルーが頑張る、みたいなのとかも、没で良かったわけで、
運とか偶然もあって、ラストシューティングだの、僕には帰るところが、だのになったわけで、
余計なことを多いページ数で書いちゃったのは、御大に失礼だけど、安彦先生ですよ、
ORIGIN、特にアニメになってしまったキャスバルとアルテイシアの幼少期みたいなのは、
本当に富野のファーストがあるから、我慢して観てる、感じになってしまって、
あー、こういう同人誌もありだよね、みたいな微笑ましさで観るから耐えられる、
失礼ながら、ジークアクスも同じだった、
こういう同人誌もありだと思うけど、敢えて空白にしたところを埋めるなよ、
この描かれてない空白の間、キャラの~は何をやってたか、みたいなの描くと面白いじゃないですか…😟
でも、そこは敢えて空白にしたのであって、埋めたら蛇足なんですよ
ブコメにある、打ち切りにならないと判断した途端に、長い回想が、みたいなもんですよ、
お祭りの一形態であるネット炎上で暖をとろうとしていたら、迅速な消火活動でボヤに終わってしまい残念です。
消化不良なのでソフトウェア開発の文脈で本件を整理しておきたいと思います。
なぜ「チンパンジーを従業員」とする例え話は炎上し、何がダメだったのでしょうか。
それは、何故マンホールが部署に配属されなかったか、という問題に帰結します。
労務管理ソフトを手がけるIT企業「SmartHR」(東京都港区)が、「チンパンジーが配属されてきたら、あなたはどうマネジメントする?」という記事をQiitaのアドベントカレンダーに投稿した。
記事の内容は、"マネジメント職の職責は、事前に与えられ決められた作業を行うことではなく、臨機応変にチームを守ることだ"という趣旨のものだった。
従業員をチンパンジーに例えるように読めてしまう為、不適切では?という文脈で軽く炎上、記事は削除され現在は謝罪文が掲載されている。
理不尽なマネジメントを強いられるマネージャーという文脈において、最も想定しやすいのが新しい社員の配属だから、「XXXが配属されてきたら、あなたはどうマネジメントする?」という記事になったと想定できます。
さて、この一文だけでほぼ説明は終わってしまうのですが、この例え話はXXXを何に置き換えても、結局のところ新しく配属された社員を理不尽に感じる、としか読み取ることが出来ません。
これは、どのように予防線を張ろうとも、どのような説明をしようとも、「社員に問題があったときに、あなたはどうするのか?」という問いとして読むしかありません。
そこで、問題の社員を表現するXXXに、チンパンジーを置けば、炎上するに決まっています。
なぜか。非常に品の無い界隈の話で恐縮ですが、人間をチンパンジーに例える文化圏が日本にはまだ残っています。
もしかすると非常に上品な方たちのみで形成されている共同体では非常識なのかもしれませんが、残念ながら人を罵倒するときにチンパンと呼んだり豚とあてこする文化圏は間違いなく存在するのです。
百歩譲って、問題の社員を無機物で表現するのであれば、まだ許されていた可能性が高いでしょう。
この場合、まったく意味が分からない行為を上司に押し付けられた、としか解することができないからです。
マンホールを転がして席に立てかけたところ机ごとMacbook Proをぺしゃんこにした。同僚が躓いて怪我をした。意味が分からな過ぎて怯えて社員が辞めた。
これすら、本来は社名の入った記事として出すにはリスクが高いはずです。なぜならば「社員に問題があったときに、あなたはどうするのか?」という問いの本質は変わらないからです。
問題のある社員を表現するときには、非常に気を使って書く必要があります。
ソフトウェア開発の話題で非常に有名な表現にブリリアントジャーク(Brilliant Jerk)があります。
HighAttitude, High Performance — TheRockStar
HigherAttitude,Low Performance -The Team Player
ココで着目して欲しいのは、能力のある嫌な奴(The Brilliant Jerk)ではありません。
非常に協調性が高く、低い生産性の人物をThe Team Playerと表現していることです。
成果主義であれば、Low Performanceであればいずれ職場からいなくなるのが自然です。
しかし、高い協調性(非常に良い態度)があるなら、それはチームプレイヤーとして欠かせないのかもしれないよ?という予防線の張り方をしているわけです。
その上で、真っ向から、態度が悪い嫌な奴はチームに入れると全体の生産性が落ちる、という筋の話をしているわけです。
そして、職場からThe Brilliant Jerkを排除せよという書き方にもなっていません。
もうそういうヤツに居場所はない、リーダーなら協調性がありコミュニケーションがとれるべきであるという、「リーダーかくあるべし」論に着地している所が優れているのです。
つまり、「XXXが配属されてきたら、あなたはどうマネジメントする?」というタイトルの記事を書くべきではありませんでした。
「XXXな状況になったときに、マネージャーはどうあるべきか?」というタイトルの記事を書くべきでした。
微に入り細を穿つ描写で、チンパンジーが職場で暴れてチームを壊す筆致を見せる必要は全くありませんでした。
どう贔屓目に見ても、それはチームを壊す厄介者が配属された時に、如何にして(合法的に)チームを守るのか、という寓話としてしか読み取れません。
「あーあ、あんな奴がいるから、会議室を潰して追い出し部屋を作らなきゃならない俺は大変だなあ」みたいなことを令和に書いて許容されると思う方がどうかしています。
人物ではなく現象ですと注記して許されると思うのは、どう見ても未成年を描いておきながら登場人物は全員成人ですというのと同じです。
私個人としては、表現の自由の最前線で戦う方達を畏敬の念でもって(経済的に)支えることしかできないわけですが、労務管理ソフトを手がけるIT企業がそんな気概を持つ必要性は全くないと思慮する次第です。
(たぶんだけど、ボリュームが多いので全部読まずに雰囲気で説明されてそのまんま出したんじゃないかなーと言う気はします。法務とか広報は通ってないんじゃないかな)
社長から急に巨大なクリスマスツリーを飾れと言われて困る、くらいの現象にして「令和にもなってクリスマスのような宗教的な話題を載せるのは大丈夫なの?」とか言われるくらいが良かったんじゃないのかな、と言う気がします。
ソフトウェア開発に携わる人たちには、驚き最小の原則(Rule of least surprise)を忘れて欲しくないと常々思っています。
私は趣味の悪い野次馬根性のネットウォッチャーです、これから炎上させにくい記事の話をしますと冒頭に書いてあるのはそのためです。
直観的に、ああこれはチンパン従業員をマネジメントする話をこれからするんだろうな、と思われた時点で負けなわけです。
そして、労務管理を行う会社が、問題のある社員をマネジメントするのは大変だよねと読みとれるような寓話を書いてはならないわけです。
何をどう誤読しようとも、社長に無茶振りされて中庭に巨大なクリスマスツリーを電飾するか消すかで翻弄される中間管理職を書くべきだったわけです。
良く読めばわかるように書いてあるというのは、誤読して欲しい時にだけ使うのです。
それにしても、割と今回は穏当な指摘が多かったと思います。
これ、外資の日本支社だったら、同僚から速攻で訴えられて普通に負けると思います(偏見)。
しかし、縁故採用に見える話を社名載せて出して大丈夫なの?とか、不透明な資金調達してますが凄腕の社長ですみたいな表現どうなの?とか、もっとこう火種があったと思うんだよなあ。
もっと面白い炎上をたくさん見たいので、こういう直球のノープラン炎上で企業名のある記事が減ってしまいかねないのは避けていただきたく。
もっとさあ、ローパフォーマーを特定して左遷してチームの生産性を改善した話とか書いて大炎上してくださいよ。
いちおう、本番環境でやらかしちゃった人アドベントカレンダーにしれっと書いて大炎上ルートは残されているので、そっちでなんとかならんか?
増田です
「人当たりが良い」の裏返しで、ありがた迷惑・しつこいまでの善意が本当にきつくなってきた
その蛇足の間にでる呼気で、こっちは死にそうになってる
無碍にしないほうが良いのはわかってるけど、どうしてもこのおっさんへの当たりがきつくなってしまう
こんなに臭くて、こんなに仕事できない、人に迷惑をかけている自覚が無いことは罪
仕事面においては、早急に解決できるように調整中。おっさん抜きにして、各方面に謝罪行脚してる。
おっさんは、自分がやってしまったことの大きさに気づいてない。ずっとへらへらしてる。関係ない雑談してる。
こんなやつに対してイライラはしないけど、こうして信用を落とす社員との接し方に困る。
「風邪じゃないなら、仕事する上で表情見えたほうがいいから、話すときだけでもマスク外せる?(意訳)」って言われた
きもすぎる
https://note.com/iyaiyaiiya/n/n7440ea79e0fb
自分も、ADHDかつ軽度のASDの子供がいて、ADHDの当人で、配偶者がASDだか、少しだけ気持ちが分かるような、いろいろと辛いような、どちらの感情もあったので走り書き。
つい数年前までは、平凡で普通な平均の人間で、面白みのないありふれた当たり前の生き方の人生だと思ってた。
奥さんの弟は少し破天荒なタイプで、いつも義理の母が苦労していた。ちょっとしたマイルドヤンキーくらいに捉えていたけど、すったもんだであるとき検査をうけてASDと診断された。知的障害はないが、自閉症としては重度だった。
それでも近いようで対岸の火事な気持ちだったから、義母も大変だから何かとサポートしようくらいの気持ちだった。
10年くらい前に鬱で休職して以来、ずっと普通に働いて生活してたつもりだけど、少しだけ精神は不安定だった。それが数年前に仕事のドタバタで鬱ぽい状態から悪化して、会社をしばらく休職することに。
休んでる間はほぼ夏休み気分で溜まってた有給を消費しながらのんびりと過ごしてた。奥さんの全面的なサポートがあったからすごく助かった。
そんな時に、奥さんから精神科で軽度のASDとADHDの診断を受けたと報告された。どうも僕のことを相談しにいって、問題は自分の自認や特性に原因があるぽいよ、という医師の診断と検査結果だったみたい。
そ」から色々と話し合ったりして、もともとADHDの特性に当てはまる自認があったから、鬱の通院のついでに相談して自分も検査してもらった。潜在的な自認はあむたけど、冗談半分の気持ちだったから、たぶん精神科に通院している状態でなければ、検査する気や発想にはならなかったかも。
診断結果は生まれもっての注意欠陥と多動の発達障害でしょう、とのこと。
いまなら自覚もあるけど、自分の性格や普段の行動からも、多動症の典型という感じはする。
蛇足だけど、老後生活をゆっくり過ごしている両親には伝えてない。でも自分以上に父親はもっと多動だと思う。
それとほぼ並行して、息子が大学に通えずに精神科に通院し始めた。カウンセラーにもアドバイスをもらいながら検査もして、ASDのADHDの診断だった。
不登校気味で友達関係や人付き合いに悩んではいたけど、自分よりもしっかりもので、事件やトラブルもあったけど、真っ当に成長していると感じていたから、自分のことよりもびっくりした。けれど、まあ、両親の遺伝を考えれば当然なのかなという納得感もある。
あと精神科に通ったり発達障害について多少の知見があったのは、少しだけ子供のサポートに役立ったような気がする。
自分自身が発達障害で何か困難があるかと問われてもあまり思いつかない。締切の直前まで先延ばしにする悪癖は間違いなくある。締切の直前とトラブル時にだけアドレナリンが出て能力1.5倍で働ける。世間では無能な類だと思うが、プログラマとして興味のある分野を勉強、研究して、気に入ったOSSには足を突っ込んだり、担当外のプロジェクトのトラブルや問題に茶々を入れたり、意外とそれなりにやれてきたような。
家を出る時は家族の誰かの忘れ物で何度も行ったり来たり、それでいて肝心の物は結局忘れたり。封筒でもらった現金をお土産と一緒にしてたら空だと勘違いして捨てたり。漫画や小説は昔から同じ巻が何冊か被ってたり。
言い間違いや勘違いや物忘れが多すぎて、友達にまとめられる程度にはトンチンカンだし。
いまだに自分や家族の病名が覚えられなくて、いつもADSLだし。
書き出してみると、確かに優秀な人からすれば我慢が出来ないほどの可哀想な特性なのかもしれんけど。自分たちは動物園も水族館も映画も大好きだから、障害者割引を呑気に喜んだり平和にやっている。
何が言いたいのかもう全然分かんないけど、自分の人生が幸せだと自信をもって言えるのは奥さんと結婚して楽しく心地の良い生活ができているから。少し気難しい奥さんと仲良く楽しくやれるのは自分の特性が少しは役立っているのかも、とか。人名も店名も曲名も歌詞もいっつもうろ覚えで支離滅裂な会話でものんびりぼんやり付き合ってくれる奥さんのパーソナルはとても相性がいい、とか。
息子の将来は心配なとこあるけど、いまだに一緒に野遊びに付き合ってくれる心優しくも楽しい良いやつだから、何とかなるのかなと楽観視はしてる。
しっちゃかめっちゃかだけど、現代社会を生きるのには不便な特性かもしれんけど、悲観するよりは楽観したほうが楽しいんじゃないのかな、という余計なお世話が思い浮かんだ。
冷や飯をバター、塩、コショウで炒めただけでうまいじゃん、勝利確定じゃん…😟
そもそも、例えば俺の場合、白菜を牛乳で煮るだけでも、多分それなりに美味しいと思うよ、やってみないと分からんけど…
とりあえず、白菜を牛乳で煮て、白菜の甘さだけでどうなるか味見して、
足りないなあ、と思ったら、塩コショウも使うし、コンソメも使うし、そうやって味の方向を調整していけばいいわけで…
料理も、音楽理論じゃないけど、最低限の基本原理さえ抑えたら、適当に作っていいと思うんだよね
最低限のルールさえ抑えてれば、メシマズになる、大失敗する確率は低いわけで…
あと、なんか味薄いかなあ、強烈さが足りないなあ、みたいなところで一旦は止めておくのも大事かもしれない
ドーンと味を確定させるようなことをすると、そこから軌道修正が難しくなる
分かりやすく例えるなら、大量の塩を投下するとか…😟
味が薄いのを濃くするのは問題ないけど、味をめっちゃ濃すぎるように作っちゃったら、今度は薄めなきゃならない
鍋半分で作ってたはずなのに、薄めてたら鍋いっぱいになってた、とか、昔はよくあった気がする
まあ、バターは強いですわ、コンソメ必要なくなるぐらいキャラが濃い
小林銅蟲さんも、漫画でバター直接かじったり、バター丸ごと投下したり、やってるじゃないですか…😟
大阪と家賃を比較するが、その前にアメリカと日本では高層住宅の価格構造が根本的に異なることも先に書いておく。
日本では高層階ほど高い。
この日本の常識はアメリカでは通用しない、展望は価格の重要な要素だが、
同じ物件内で高層階よりも低層階の方が人気で高いケースは往々にしてある。窓の向きもほぼ価格に反映されない。
ブルックリンには低層アパートメントが多く残っているが、多くは上階より1階の方が人気であることも蛇足ながら書いておきたい。
ブルックリンと同じ条件、City Hallから橋を渡った伝統的な住宅エリア、で見れば新大阪駅周辺が妥当であろう。
3LDK65平米でざっくりと14万円程度が相場
額面ざっと6倍であっている
これも併せて書いておく。
言いたいことはわかる、内容は同意なんだけど
キミは「ヨッピーは大嫌いだけどこいつの叩き方はアンフェアすぎ」とやらのタイトルではてな匿名ダイアリーに作文を掲載して
どんな「理」を求めているのだ?
キミは論理的批判的思考をせよと言うが、キミ自身が社会を俯瞰し、様々な社会問題や世相を思考した結果
バカは少数派だと思う?せめてそこに1ミリでも刺されば御の字とか思ってる?
残念ながら日本人の圧倒的大多数は「バカ」だ。諦めろ、もうどうにもならん、海に砂糖を撒いても甘くはならない、徒労にしかならん。
キミの作文を読んで理解できる人間は1%もいない、さらにそこから気づきを得られる人間は0.0001%もいないだろう。
バカの集合体で民主主義やって、社会はどんどんバカに寄せられる、不可避だ。諦めろ
キミの言う通り笛吹が儲かる、んだよ
治療は諦めろ
どれほどの説得をしたところはバカはバカだから絶対に変わらない、諦めろ
つまりキミが真に論理的に思考したならば、「諦め」以外の結論は無い。無理だ。
いやいやいや、こんな言い訳が聞こえてきそうだ、
自分の思考を言語化したかっただけ、レビューを得たかったからパブリックに晒した
とでも言うのだろうか、まぁわかる
*「ダウンタウンが昔から苦手だった」論についての続きです
︙
これは彼らの責にはよらないところ、そして増田の嗜好による部分も大きかろうとは思うが、『ダウンタウンDX』などは端的につまらないとしか思えなかった。
薄い記憶頼りの記述になってしまうが、例示した番組はいくつかのミニコーナーによって構成されていたはずである。そのコーナーのどれをとっても昼間のワイドショー的なノリに過ぎないように思えてしまっていた。
もちろん、そうしたノリが好きな人も多いのだろうし、呼ばれたゲストが好きな回だけ見るという人も多かったのだろう。
「サナ活」が工作されているのではと訝しまれる(実際にムーブメントとしてあるか・工作なのかはここでは問わない。単に首相や皇族やへの支持まで「推し活」として括ることがあり得るものとして消化される)ほどの、この推し活大時代において、人生に一人とて「推し」がいたことがない。
だからなのか、自分の生活に関係しない、他者たる有名人の惚れた腫れた不倫などなどへの興味も昔からなかった。
もっとも、「昼のワイドショー」的な内容でこそあっても、話芸によって付加的なコンテンツ性が生まれるのだとの論はあるやもしれない。
それでもなお笑いどころがわからなかったし、そのわからなさが、世界から拒絶されるような感覚さえも覚え、しんどかった(斜に構える思春期真っ盛りより前は、「みんなとなるべく同じになろう」と素朴に思っては達成されないと寂しさを覚えるものではありませんでした?)。
「お決まり」としての叶姉妹の私服が高過ぎるオチは理解できるにしても、1時間尺の番組でこうした部分しか笑えないのなら、この時点ですでに「not for me」でもあった。
けれど、「not for me」の「用法」もなければ、彼らがスターすぎた当時、そんなことを言えない閉塞感がたしかにあったのだ。
ほかにも要因はあるかもしれないが、すぐに書き出せた「好きじゃない」理由はこのようなところである。
①で書いたとおり、かつての「天才的なネタ」を(知りたいと思えた上で)知った先に、その文脈ありきで見方が変わる可能性は否定しない。
だが、一視聴者として、①〜③の複合要因から長年にわたって苦々しく思ってきたのは事実だ。
そのなかで現れたのが文春砲であり、マスメディアへの露出停止だったのである。そりゃ、一言二言、「好きじゃなかった」くらい言いたくなる人が出てくるのもやむなしでしょうに。
こうした前提の上で、『DOWNTOWN+』の始動と、それ以上に、あまたの芸人の賞賛や出演、そして視聴者の熱い支持に、どんよりとした思いを抱いている。
「“ゴシップ”になんて負けないで」というのは言語道断であるからよそにするが、「その存在の偉大さにこそ比べてしまうので“あれば”、瑣末な問題だ」とでも言いたげな反応が、苦しい。
増田の個人性が高い①や③を、なんなら②までも措いてしまって、掛け値のない偉大な芸人だったとしよう。
だが、偉大であればこそ、勇退する判断をしてもよかったのではないかという問いは、問題なく成立するのではないか。
今ではびっくりするほど擁護論を聞かない島田紳助だが、引退間際のテレビ欄の染め上げっぷりはそれは凄まじかった。それでも引退し、はや14年が経つし、なおも動きはない。
素人たる視聴者からの(紳助への)支持と、プロたる芸人からの(松本への)支持は等価でないとは言いやすいかもしれないが、島田紳助のカムバックがもっと予見される状況かつ、SNSが今ほど発達している状態だったら、容易くそれだけが違いだとはいえないと思う。
※余談だが、増田は島田紳助ファンでも当然ない。むしろ『クイズ!ヘキサゴン!』などは大嫌いだったし、『行列のできる(法律)相談所』は長年の負の遺産だったと思っている。
日本の一時代を築いた、伝説の芸人ことダウンタウン・松本人志がいた。あとから出た芸人はあまねくダウンタウンの影響を大いに受けて育まれた。
バブル前後の国力成長期に飛ぶ鳥を落とす勢いで力を蓄えていった氏には、たしかに「しんどく」も映るのかもしれない。だが、しんどいのは「お笑い」以前に、人々の生活そのものなのではないか。
それに芸人当事者でいえば、「そこそこ」の暮らしができる芸人たちは、SNSによってかつてより増えているのではないか。「M-1グランプリ」の参加者数が毎年歴代最多を更新するような、成長産業ではないのか?
たしかにあなた(がた)は、変え難い伝説の化身となった。それでもう、万事よいではないか。これ以上、なにを望むというのか。
もうきっと、メディアの構造上として、ダウンタウンの後釜は現れない。あなたが幻影を追っているとしばしば揶揄される、北野 武にこそあなたもなれずとも。それが時代の残酷さであり、甘やかさではないかと思う。
「課金しなくては見られない」、ゾーニング性のあるチャンネルに活動を絞っている以上、顧客でない外野がとやかく言えたもんじゃないとの反論もあるだろう。
だが、その反論こそ、「ダウンタウン・松本」の影響力の大きさを軽視したものではないだろうか。
増田はその影響力の大きさ強さを信じているからこそ、『DOWNTOWN+』を批判するのである。
※令和に青春を過ごす世代のために蛇足の補足をしておくと、増田がここで書いたゼロ年代半ば〜10年代初頭くらいは、リビングのテレビ(今はモニターの家も多いか)に、ネットは接続されていなかった。
そのため、『8時だョ!全員集合』ほどの影響力は失った(リアタイではないから一般論だが)、メディアの過渡期ではあるにせよ、今とは比べ物にならないほどの力がテレビにあった時代なのである。
「東海オンエア」? 話にならない。幼児から高齢者まで、真の「テレビスター」ならば、その名前を誰もが知っていた時代の話である。増田以上の世代なら、ヒカルよりも島田紳助とみのもんたのほうが知名度はよほど高いだろう。
当時までは、まさに「お茶の間」がその場に出現した時点(食後、リビングを行き交うような時間・空間のことだ)で、地上波(アナログ放送)が点いていないことのほうがイレギュラーだった。だから、つまらないと思うテレビ番組のことも、このくらいに知っていてもなんらおかしくはないのである。
今回の京都市の誤差し押さえ事件のことなんだけど、これってネット(旧Twitter)で騒いだからニュースにもなり、京都市も動いたんだよね
だから何か不条理な事件に巻き込まれたら、「正式な手続きを取りつつ」、「Xで炎上させる(ただし法的にセーフな範囲で)」が最適解だと思うよ
役所とか警察とか、不条理な理屈で言い込められたりするからさ、こういうのは絶対「正式な手続きはとりつつ」「ネットで炎上させる」するべきだよ
店舗で理不尽な対応された時も、ちゃんと店には正式な手順で文句を言いつつ、ネットで炎上させる
これが令和の最適解だよ
これ、絶対覚えてた方がいい
だからこのネットの底辺の吹き溜まりみたいな増田でもは、一筋の光というか、一握の希望はある訳よ
だから、自分に起こった理不尽なことをここに書くだけで、世論が変わり、現実が変わることもあると思うんだよ
増田ってネットの落書きみたいなところだけど、ドラクエの毒針のような、いつもはダメージ1だけどたまに一撃必殺みたいな力はあると思う
Permalink |記事への反応(17) | 13:53
私としては国産なり日本発のLLM開発を諦めてはならないし, その可能性は十分にあると信じています. 既に出ているものも多数ございますし.
本エントリはそれとは全く別の,
「国産LLMの人」という方についてです.
---------
色々思うところがありまして.
例えば,
と繰り返し主張しておられる.
そのような単純な活性化関数では過学習か誤差が噴出するかの二択でしょう. 実際, 氏のツイートは正にその状態を示唆しているように見受けられます.
```x
▶︎ 誤差が0.12あるだけでとんでもないエラー率になる。誤差関数が雑だから本当はもっとあるのかもしれないが、改善の余地がある。
▶︎問題は、どのような状態の時に学習が成功し、失敗するのかがまだ分かっていない。表現力は十分に持っているはずなのに、なぜか学習しない。
```
過学習に至ったときにうまくいってるように見えるだけでしょう.
```x
▶︎過学習ではないですね。データセットが小さいかつ、それ以外の範囲が出ないことが分かっているので。XORは2^2パターン全て学習できれば精度が100%になりますが、それは過学習とは呼ばないのと同じで、今回の初期のRNNに関しても文字数が圧倒的に少なく、パターンも決まっているので。
```
……と主張されておられる.
私が思うにそれは単純な写像を,ニューロンを使って回り道して作っている状態. LLMは局所的にはたしかに線形写像ですが,全体で見ても線型写像だとしたらそれは複雑な文章生成には到底耐えられないかと. (十分に大きいモデルをマクロに見ると非線形性があるので)
大規模言語モデル=LLMを目指すとして,
そもそもエンベディングテーブルとは数百億から下手すれば1兆語彙を, たった数千〜1万次元程度のベクトルで表現する, 凄まじく繊細なテーブルです.
それをGELUやSwiGLUのような綺麗な活性化関数を使わずに,しかも爆速でやると仰っている. さすがにそのレベルの革新性を主張するには根拠がない限り, 飛躍が過ぎると判断されるかと.
そのやり方で, 例えば1億語彙までスケールするとして2乗の1京回×数千次元をバックプロパゲーションなしで学習するというのは……さすがにきついかと.
バックプロパゲーションが要らないという主張については活性化関数がきわめて単純だから. それなら全層に渡しても「修正」できるでしょう.つまり自明に近いですね.
勾配消失なんて関係ない, という主張については,xorというゼロイチでしか見ないのであれば勾配消失も何もありません.永遠に層を貫通するわけですから, 何層増やそうがほとんど意味が出てこない. つまりそれは実際には極めて浅い層だけで動いてると思われる.
「こんに」から「ち」「は」が次文予測できたとの報告ですが, まぁ……それが「大規模言語モデル=LLM」にそのままスケールできると言い切れるのはなぜでしょうか?
MNISTだけでなくGLUEあたりをパスしてからにした方がいいと考える次第です.
```x
▶︎ 私が批判されながら、誤差逆伝播に変わるアルゴリズムや精度を30%→100%まで持っていく頭のおかしい行動が取れる理由は、以下の思想があるから。
▶︎ 1. 私のNNは高次元の万能近似回路
▶︎ 3. 何十回と失敗した経験則から、原因と対策が殆どわかっている
```
殆どわかってる, との事ですが, なんで上手くいってるのか分かってないとも自分で明言なさっている. ↓↓↓
```x
▶︎学習が進まないの、謎。単体だと上手く動いてるはず?何が原因だろうか。
▶︎学習アルゴリズム開発者本人ですが、なぜ学習が進むのかは謎です。
```
既存手法があまたの失敗の上で最適だと言われてきてる経緯もよく知った方がよい.
それはごく初期にそういった様々な試行錯誤のうえで「やはりGELUやBPが現実的にいい性能が出せるし,コストも抑えてこれである」と様々な研究者が合意しているような状況.
そして,そもそもアカデミアは自分のアイディアも含めて新規手法を常に疑ってかかるのが基本姿勢.
ジャーナルに「不確実さ」を載せないためで, それが積み重なると自他問わず全ての研究が信用出来なくなってしまうため. だから懐疑的になる.個人攻撃ではないのです.
出さないのも自由ですが, 前述の理由で信頼を得られない. これは言動に一切関わらず, その厳密性をフラットに評価してそう判断しているから.感情ではなく,論理として.
……と, ここまで色々と蛇足なアドバイスをさせていただいたものの, この投稿に対しても
```x
▶︎ 何もわかってない人が国産LLMのやつ批判してて吹いたww
```
といったツイートをなさるのでしょう. (過去に氏がそう仰っていたので)
先に答えておきますね.
「自分のやってることがご自分でお分かりにならないようなら, 私にわかるわけがないですし仰る通りです. ただ, 詳しい者として一般論は申し上げられます.」
まだ間に合いますので,大学院あたりまで修了なさるのがおすすめです.
Twitterに何を投稿しようと自由です. でも自分で違和感を見て見ないふりするのだけはやめたほうがよろしい.既存手法と同等に自分の手法を疑うこと, これは研究者としての基本姿勢です.
研究テーマ設定を見かけるとついつい, より良い筋でやっていけるようアドバイスしたくなってしまう性が染み付いてしまっているためでして.
もちろん, 関わりのない方ですので蛇足でしかないのですが, 多くの方に影響力をお持ちでありつつ研究の進め方については独自の姿勢を持つように見受けられまして.
それはもちろん根本的には自由でありつつ,相談相手の需要がもしあればひとつの(一般的)意見をお渡しできるかなと思いキーボードを叩いた次第です.
どうか匿名でご勘弁を.
--------
【追記】
おそらく氏のやられていることは順伝播 (forward propagation) のみでの学習かと思いますが, この手法の先行研究は山のように存在します.
(Hebbiantheory, Perceptron, AdaptiveLinear Neuron:ADALIN, Widrow-Hoff learning rule...)
見つけられないとすれば,古典的 (1960~1980年頃) ゆえに電子化されていないためです. 現行の商用LLMがそれらの情報を簡単に連想して引用できず, DR等で検索しても出てこないのはその為でしょう.
これらに簡単にアクセスするためにはやはり学術機関に所属して図書館を利用するのが圧倒的に楽です.マイクロフィルムや紙媒体でしか残っていないものもありますから.
また, 有料データベースであるJSTOR,IEEE Xplore,SpringerLinkなどにもアクセスが出来ます.
なお,arXivはあくまでプレプリントですので,論文として引用するには査読を通過したものをつよく推奨します.ジャーナルもものによっては不十分な査読で掲載されてしまいますので,トップカンファレンスのものを信頼できる足がかりの論理として扱うのが基本的な考え方となります.
また, 「分からなければ (大量に貼った)論文を読んでください」という姿勢は, それぞれをどう引用し, どのように自分の主張と論理的に接続するかの説明がなされなければ根拠として見なされないのが一般的な考え方です.
ブログとしての掲載はもちろん自由ですが, それらを十分な説明として取り扱ってもらうには至らないでしょう.
論文を引用するからにはそういった丁寧な取り扱いをすることを期待されるものです. 「敬意がない」と他の方から指摘されるのはおそらくそれが理由でしょう.
これは,過去の論文を引用しながら新たな主張を論文として営々と積み上げ続けてきたアカデミアの「過去への感謝」という慣習です.
人の行動は自由ですから「こうしろ」とは申し上げませんが, この暗黙の了解を保持する (≈研究機関に所属したことのある) 方からの理解を得るのはこのままですときわめて難しいであろう, とアドバイスさせてください.
こういった主張のやり方を自分なりに一から身につけるのはたいへん難しいので, どなたかそういった手法を学べる信頼できる方に師事することをおすすめしている次第です.
本国で大コケした結果、日本では配信スルーになってしまった作品だけど
ヒット作の続編の中の一つのパターンとして「1の魅力的なヴィランを主人公に据えた続編」というものがある。
おそらくもっとも成功したのがターミネーター2。シュワルツェネガー演じるT-800は1では主人公を殺害するために永久に追いかけてくる恐怖のアンドロイドだったのが2では逆に主人公を守るためにやってくるアンドロイドになっていて、1のT-800のポジションにはより先進的な液体機械型のT-1000がつく。
ミーガン2.0は明らかにT2のテンプレートを模して造られており、ミーガンの技術を模して造られた軍用アンドロイド、アメリアが暴走し世界を滅ぼそうとする中、それに巻き込まれたミーガンの製作者である1の主人公家族(特に娘)を守るため実は生きていたミーガンが復活する。
T2と違って一番問題なのは、悪役であるアメリアが全然魅力的じゃないところ。ミーガンは不気味の谷を反復横跳びするような「ドール的な人工的な可愛さ」と「ロボット的なモーション」が魅力的なアンドロイドだったがアメリアは軍事スパイ用という用途からすれば妥当ではあるのだが、どう見ても疲れたおばさんにしか見えない。動きも滑らかになっているので、無表情気味の超強いおばさんって感じ。別にそういうヴィランがいてもいいんだけど、ミーガンに求めてるのはコレジャナイんだよなぁ。
顔をミーガンみたいなドールタイプにしないにしてももっと人工的に見えるタイプの顔の役者アサインするとかなかったんかなと思ってしまう。そう考えるとT-1000は完璧だったよね。あのおじさん。ちゃんとロボットに見えたもん。
ミーガン自体は1を踏襲して、作中でも言及されるクリップ問題(AIにクリップを最高効率で作ってと頼むとその過程で人類を滅亡させる)に忠実で「娘を守るためなら倫理などない」という言動の面白さはあるし、日本人だと寄生獣のミギーみたいな感じで見ていて愛着がわくと思う。途中で出てくるミニミーガンもかわいい。あれ商品化してほしい。
前作でミーガンダンスがバズったので今回も、と明らかに無理矢理突っ込んだダンスシーンは蛇足だったけどアクションもパワーアップしていてよかった。でもホラー要素は減退していてこれは好き嫌いありそう。
途中でアメリアはミーガンが操っていたのでは!?みたいなスティングもありつつ、まぁそうなるよね的な大団円を迎えるのも視聴後感もいいし、普通にいい作品ではあったと思う。
可愛そうなのは主人公のAIエンジニアのおばさんだよね。前作でミーガンが暴走したことに責任を感じて反AI運動の活動家に転身、著書もいっぱい売れて、事故物件か?みたいな家賃クソ安い家で安全なAIの開発にいそしんでいたんだけど、実は著書はクラウド型ミーガンが6万5000冊買って倉庫にしまっていたり、家もミーガンが買ってミーガンが開発したウェポンハウスだったり、自分の活動のせいで娘はいじめられ、反AI活動で気が合って一緒に活動していた相手は反AIテロリストだったり踏んだり蹴ったりすぎる。
あと全然どうでもいいんだけどエンジニアおばさんが開発してた介護、現場作業補助用のパワードスーツ。アメリアに操られたときに水かけたらスパークして暴走しだしたけどそんな危ないもん介護、現場作業用に売り出そうとしとったんかい。めちゃくちゃやなとは思いました。
結局、T2がSFスリラーからSFアクションに舵を切ったように、ミーガンもSFホラーからSFアクションに舵を切ったわけだけど、前作がAI怖いだったのが今作では人間怖いに切り替わっており、なんでより凡庸なほうに行くねん!とはなったかな。
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「My Job Went ToIndia」の改題改訂版が「情熱プログラマー」なんだ!ありがとう発注したわ。(たぶん達人プログラマーと混同して読んだ気になって読んでないパターンだわ)
俺の悪文のせいで意図が伝わらなかったであろうブコメがあったので、要旨だけ書き直しておくな。
ただ忘れないで欲しいんだけど、TerraformメンテしてAWSとかGCPで立ち上げてサービス公開するまでの速度は、相見積取って稟議通して部材調達から入ってた時代に比べると爆速だけど、人間の技術屋の需要は増えてる。
俺は、「マスタリングTCP/IP 入門編」を人間が読んで理解するのは古いよね、という時代にはならないと思ってる。
Slerが自前で手元で試すようになるから~ってのも懐疑的。SIerやメーカーが内製すると必ず子会社作って分離、ぼく発注者きみ受注者にしたがるので。これは技術じゃなくて感情とか経営の問題。
(ただし、Slerが7payみたいなことやらかすのでは?って疑問なら同意。たぶんそういう生成AIで俺たちでプロダクトなんか簡単に作れるじゃんよギークいらね(仕様バグあり)は一時は増えるだろうね)
追記ここまで
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VibeCodingでIT技術者は不要になるのか?という話題が花盛りなのは理由があります。
ギーク(現場でコードを書いていたい人)が分かる話から、スーツ(人を集めたりお金を集めたり営業をする)が分かる話になってきたからです。
具体的に言うと、OpenAI社をはじめ続々とTDD(テスト駆動開発)でやってますみたいな、具体的な開発スタイルの話が出てきたから。
そうすると、現場の座組チョットワカルという強めの経営者が理解して判断し始めるんですね。
でもね、その道はもう15年も昔に我々は通り過ぎました。前回のブームと何が違うでしょうか?
技術者なら電子も機械も強電も弱電もお世話になったことのあるオーム社が過去に出していた直球の本の話から。
「My job went toIndia :オフショア時代のソフトウェア開発者サバイバルガイド」という書籍、何と発行年は2006年です。
かいつまんで話すと、インターネットが整備され、輸送コストがほとんどかからないソフトウェア開発では、アメリカのエンジニアは給与の面でオフショアに歯が立たない、だって、1/10の給与でインドのエンジニアは働くんだぜ?という本です。
そうした、価格競争力で負けるアメリカのソフトウェアエンジニアは、如何にして今後サバイブすべきなのか、という本になっています。
(普通に面白いしAIコーディング時代に通づるものがあるので復刊を希望したいところですが、まあ直球過ぎる題名を何とかしないと再販は無理でしょうな)
そして、JTCや外資問わず、過去にオフショア開発を経験された技術屋のみなさんははてブにも多く生息されているでしょう。
では、ジュニア開発者は不要になりシニア開発者のみになって、いまのソフトウェア開発は主に安い給与で働いてくれるところに遠隔で作業してもらって、レビューだけすれば良い環境ですか?
そうはなっていません。なぜでしょうか。
さて、今普通にXと連動する中古品売買プラットフォームを開発しようと思ったら、どうやってつくるでしょうか?
この文脈に埋め込まれたいくつもの情報「今」「普通」「連動」「中古品」「売買」「プラットフォーム」「開発」を解釈し、すり合わせ、未来の運営者も含めた全員に伝えるためのコストが、コミュニケーションコストです。
そうなると、「ちょっと良い感じにラフでいいからプロトタイプ作って持ってきてよ」で話が通じるのは、受注者マインドがしっかりした日本の受託開発現場の精鋭たちになるわけです。
テストケースだけを通過するように、内部テーブルを持たせた関数を大量に持ってこられてレビュー時に頭を抱えた経験が無いひとは、とても幸運なのです。
とは言え、これは何も文化の違いに起因するだけではありません。仕様とは、環境によって定まるものだからです。
例えば、うるう年判定の関数は、1581年以前をエラーにしますか?1873年以前をエラーにしますか?(ヒント:明治六年)
テスト駆動開発、古い言い方で言えばテストファーストの考え方は、成功したすべてのプロダクトで例外なく、ただの一つの例外もなく、必ず最初から取り入れるべきだったものです。
品質は最後に振りかける粉砂糖のようなフレーバーではなく、最初から設計に組み込むべきだからです。
ありとあらゆる趣味において、最初から良いものを使えば時間を無駄にせずに済んだ、と言われるような初期投資の大切さが説かれます。
果たして本当でしょうか?
そうです、その趣味にハマって生き残りサバイブした人から見れば、過去にその時点で投資をすべきだった、というのは正しいのです。
その趣味にハマれなかった人からすれば、少ない投資で自分に合わないことが分かったという合理的な選択であることと矛盾しません。
そのため、全ての失敗したプロダクトは、テストケースを書く時間でプロダクトを作り上げて、さっさと世に問うべきだったわけです。
少し昔話をしますが、オフショア開発において重要なのはドキュメンテーションとテストケース、それにレビューでした。
他の部署で失敗しつづけていたオフショア開発のやり方は、端的に言えば"教化"でした。
具体的には書けませんが、グッとお安い単価の国に出す仕事を、日本の会社に出すのと同じようにすべく、相手の会社のメンバーを教育して仕立て上げるブートキャンプの仕組みを作り上げていました。
発注側を変えずに済むように受注側を教育して、日本の会社に出すのと同じように単価の安いところに出せたらお得ですよね?でもこれは必ず失敗します。
何故か。だって、日本の会社と同じように働けるようになったら、日本の会社に就職するじゃないですか。少なくとも価値は上がったんだから単価を上げるように交渉しますよね?
結局のところ、当初言われていたような劇的な節約にはつながらないわけです。それなら下手に転職されるよりも自前で現地工場でも立てて地元に貢献しつつ雇用を創出した方が喜ばれるし持続可能です。
小なりとも成果が上がった方法は、フィードバックを相手ではなくドキュメントにした場合でした。
例えば先ほどの例で言えば、テストケースは通るが意図したコードにならなかったとき。
「普通はこういう意図でコードを書くから、テストケースを通るにしても、関数は次からこう書いて」というのが、相手に対するフィードバック。
「関数を書く前に、関数の意図をコメントで残して、レビュー時にはそれを見ましょう」というプロセスの修正が、ドキュメントへのフィードバック。
こうすると、担当者が退職していなくなっても、次の担当者はその方法を参考にすれば良いわけです。
これ、何かに似てませんか。現在のAIコーディングのベストプラクティスと呼ばれるものに非常によく似ているんです。
つまり、オフショア開発というのも、設計と実装が分離できるという前提に立って動いていたんです。
そして、実装しながら設計しても問題ないとする場合、それは「技術的な問題」ではなく「組織構造」に起因します。
つまり、プロダクトの構造を分割して、オフショア開発側に設計と実装とを委譲して、実装しながら設計を変えてもらうことが許容できるのは、契約や責任分界点、輸出入の法規を含めた法務の領域です。
少なくとも当時、諸々をクリアにして相手側にプロダクトの一部を荒い設計と共に切り出して、コーディングしながら再設計してもらい、テストケースを完備したコードとドキュメントを共に完成までもっていってもらったことは、大きな成果であったはずです。
(当時日本側と仕事をしたという実績があると大きな実力があるとみなされたと聞いたので、今はより良いところで良い仕事をされていると思います)
(あと、コミュニケーションコストと輸出入の関連法規が複雑だから)
少なくとも、納期までに契約したこれを納品してください、という枠組みの中では、実装作業だけ切り出すことはできない、というのが教訓として残ったはずです。
少なくともあと数年、場合によっては10年スパンで、日本ではほとんど変わらないと予想しています。
これは技術の話ではなく組織構造や、もっと言えばお仕事の進め方と契約の話だからです。
そうは言ってもジュニアエンジニアの簡単な仕事が減って成長機会が失われているのは事実では?と思うかもしれませんが、そもそもの前提が誤っています。
未経験(弱経験)者を雇って戦力まで鍛え上げる必要があるなら、AIに仕事渡してないでそのジュニアエンジニアにやらせるべきなんです。
ジュニアエンジニアとAIと両方にOJTさせて、その違いをレビューの場でフィードバックしてジュニアを育てるわけです。
もし、そんな時間は無いというなら、元々ジュニアエンジニアをOJTで育てていたというのは幻想です。
(たまに、失敗が経験になるとして、会社に損害を与える方法でジュニアを"教育"しようとする人がいますが、商習慣的にも信義則違反ですし言語道断です)
シニアエンジニアだけで事足りるとしてジュニアエンジニアを雇わなかった企業は、シニアエンジニアが抜けてガタガタになります。
これは中核エンジニアがゴッソリやめた会社が傾くなんて言う話で、昔からそうです。(たいてい、もっと人雇ってくれ待遇上げてくれみたいな悲鳴を圧殺した結果だったりします)
昔から、中堅がやれば手早い仕事を新入社員にやらせて鍛える、その代わり質は悪いし時間もかかるしフォローも必要だったわけでしょう。
AI時代が到来するとしても全く同じです。AIが出力するコードレビューで悲鳴上げてる場合じゃないんですよ。
レビューできるシニアエンジニアが足りなくなると予想されるなら、当然、ジュニアエンジニア雇ってレビューできるようにする必要があるんです。
そしてそれは、技術的な問題点ではなく、組織的・経営的な決断です。
国産LLM開発の文脈でもそうなんですが、ハードウェアの進歩を無視して話をする方が多いのが気になります。
現時点のコンピューターパワーは、10年後には手の届く価格になる可能性が十分高く、もっと言えば20年後には個人が所有する可能性すらあります。
いまから20年前の2005年は、Youtubeが誕生した年です。その時に、誰もがいつも手元にビデオカメラを持ち、即座に動画を世界に公開できるようになるとは思っていなかった頃です。
今もそうだと思いますが、ある分野で必要な性能にはもう十分という期待値があり、10年経てばある程度大きな会社の部署単位で現在最先端のコーディングAIがローカルで動くようになると想像するのは容易です。
そうなったときに、果たして営利企業が、エンジニアを育成するというコストを支払うかといわれると、疑問です。その時点で今後のリアルなコストと比較対象可能になるので。
だって、筆耕担当者とか、清書担当者を雇わなくなった企業って、多いでしょう?
My job went toAI として、じゃあ残るものは何?というのはオーム社の本を読みましょう。再販しないかなあ。
今後数年は変わらないでしょと書いたら今現在進行形で変わっとるわいと突っ込みが来そうなんで防衛的な意味で書いておくんですが、あなたは過去数年間同じ仕事してたんすか?
仕事のやり方とか内容とか、言語とかライブラリとか、毎年のように変わってたでしょ。
レビューの比率が多くなったとか、コード書かなくなったとか、そういうの、たぶん管理職になった人が嘆いてたのと同じっすよね?
少なくとも、ジュニアエンジニアが低品質なバイブコーディング結果を寄越すようになってレビューが大変とか嘆くのなら、まともなコーディング規約一つ作れていない組織の脆弱さを嘆くのが先では?
手癖でバイブコーディングしてヒットしたプロダクトに、あとから品質上げるように大工事するリファクタリングと言うよりリビルディングな仕事って、別に今もありますよね?
散々テストケースを書かなくて良いプロダクトなんて無いという講演だけ聞きに行って、自分とこでテストケースが自動で走るようになって無いなら、そこが問題でしょ。
そりゃブクマする連中の中に、きらら嫌いなやつもなろう嫌いなやつもいるだろうけどさ、総体としてブクマする連中がきらら嫌いと認知するのは狂ってるでしょ
逆もそうで「ブクマカのなろう嫌い」なんていうやつがいてもおかしいと思うよ
どちらもいるけど少数で好きな連中の方が多いだろう、そして蛇足として俺はきらら嫌いよりなろう嫌いの方が多く感じるという話でしかない
・レベル10になるには累計10万ポイントが必要だが、口コミ投稿が1件で10~20pt
・1日に5件投稿するとか、ほかの貢献で50pt稼いだとしてもレベル10になるには5年以上かかる
※1日で50pt稼ぐのも難しい
蛇足だが、レベル10になる人の点数の稼ぎ方は決まってる。「写真」である。写真はレビュー1件につき50枚まで投稿できて、1枚5ptなので効率がいい。
ローカルガイドレベル10の人は、全員といっていいほどこのやり方である。地元の有名スポット巡り(ショボいところでもいい)とか、旅行の時に大量得点を狙うのである。
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