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はてなキーワード:虐刑とは

2025-09-09

走れメロス日本法律で再解釈する

走れメロス日本法律解釈すると、ほとんどの登場人物違法行為に引っかかる。

まず王様

人質を取って友人を拘束するって時点で刑法220条の逮捕監禁罪にあたる。

裁判なしで処刑しようとしてるから刑事訴訟法31条の適正手続(デュー・プロセス)も完全に無視

死刑刑法11条に規定されてるけど、もちろん法に基づく判決が前提で、王様が気分でやるのはただの殺人罪刑法199条

次にメロス

期限内に戻らなかったら友が死ぬ、っていうのは契約的に見ると「第三者生命担保にした契約」で、民法90条公序良俗違反で当然無効

しか不可抗力(天候とかトラブル)で遅延したらどうするかというリスク分配の条項ゼロ

契約法的に完全アウト。

セリヌンティウス立場も考えると、本人の同意があったとしても、強制力が背景にある時点で民法95条の意思表示瑕疵にあたる。

現代法では「真正同意」じゃないか人質としての合意無効

さら人権条約でも人質禁止されてるけど、日本憲法でも13条の幸福追求権、31条の適正手続、36条の拷問・残虐刑禁止に全部引っかかる。

で、最後の感動シーン。

メロスが走って戻ってきて契約履行した、みたいに描かれてるけど、そもそも民法90条違反無効契約から履行する必要すらない。

セリヌンティウスからすれば「勝手危険に巻き込まれ勝手に助けられただけ」で、不法行為責任民法709条)で逆にメロスを訴えてもおかしくない。

要するに走れメロスって友情美談じゃなくて、日本法律に当てはめると刑法民法憲法オールスター違反集。

友情より先に訴訟だし、走らせるべきはメロスじゃなくて弁護士

Permalink |記事への反応(1) | 21:06

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2024-11-22

死刑を気軽に出すと犯罪凶悪化する

あいわんとしてることはわかる。

人1人殺し死刑にするとそれ以上の刑を用意できないから1人殺しても100人殺しても変わらなくなってしまう。


だったら、人1人殺したら絞首刑、2人殺したら鞭打ち10回の上絞首刑、3人殺したらライオンの餌、5人殺したら麻酔なしで四肢切断の上死ぬまで放置とか、殺し方を痛くしていけばいいんじゃないかと思う。人を殺すような頭のおかし人間絶対まともじゃないから1人でも殺したりレイプしたら即殺処分して欲しい。そんなのが生きてる世の中怖すぎる。(虐待から逃れるためとかそういうのはのぞいてね)

でも現行法だと残虐刑はだめなので、まず凶悪犯は脳がおかしいか人間じゃない、人権いらないって認識に変えるところから進める必要があるね。

Permalink |記事への反応(1) | 23:19

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2022-09-06

懲役もそろそろアプデして良い気がすると思ってググってみたけど

刑罰には、「罪を犯せばこんな苦しい目に遭う」と国民を威嚇し、犯行を思いとどまらせる機能(一次予防)と、受刑者本人に反省意識を芽生えさせ、二度と犯罪をおかす気にさせない目的(二次予防)とが あります刑罰本質的苦痛であるとしても、次のような制限があります

1 人の人格否定するような無残なものではあってはならない。(憲法 36 条拷問及び残虐刑禁止)

2懲役を受ける人にとって将来役立つような矯正処遇でなければならない。』引用元https://library.city.tokyo-nakano.lg.jp/lib/files/higashipath201210.pdf

と出てきて!?!!となった

そりゃ憲法拷問おっけ〜なんてするのはアレとしても、加害者被害者に対して人格否定するような無残なことをしていたとしても…なんていうか結果としてそれなりに加害者が守られる立場になってしまうの納得できんというか…なぜ…なんかもっとこう…どうにかならんのか…

Permalink |記事への反応(0) | 01:43

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2021-12-28

死刑制度について思うこと

日本刑法刑罰として死刑が課されているのは以下だ(刑法以外での死刑も少しあるが割愛)。

罪名刑法保護法益
内乱77条国家対内的存立
外患誘致81条国家対外的存立
外患援助82条国家対外的存立
現住建造物放火(致死の結果を生じた場合108条不特定又は多数の者の生命身体及び財産
激発物破裂(致死の結果を生じた場合117条公共安全、人の生命
現住建造物等浸害(致死の結果を生じた場合119条公共安全、人の生命
汽車転覆等致死126条交通安全、人の生命
水道毒物等混入致死146条公共安全、人の生命
殺人199条人の生命
強盗致死・強盗殺人故意殺の場合240条人の生命身体
強盗強制性行等及び同致死241条人の生命身体


人の生命は、刑法における個人的保護法益のうち最重要法益で、国家法益国家の存立)と同じぐらい重視されている。しかし、死刑はその「人の生命」を奪う刑罰である。「人を殺したら、その犯人を殺す」という報復原理(同害復讐原理)は一見わかりやすいが、そもそも刑法が「人の生命」を至上の保護法益としていることとは矛盾した関係にある。死刑は、すでに有罪判決を受け、拘置所収監され、これ以上他者生命危険さら懸念がなくなっている人間から刑法自体が最大限に尊重保護しようとしているはずの人の生命を奪う刑だからだ。

これは憲法36条(公務員による拷問や残虐刑禁止)に反しており違憲であるという観点から1948年死刑制度合憲判決事件において最高裁法廷違憲審査がなされたこともある。当時の判決文は次の通りだ。

生命は尊貴である。一人の生命は、全地球より重い。…憲法十三条においては、すべて国民個人として尊重せられ、生命に対する国民権利については、立法その他の国政の上で最大の尊重必要とする旨を規定している。しかし、同時に…もし、公共の福祉という基本的原則に反する場合には、生命に対する国民権利といえども、立法制限ないし剥奪されることを当然予想しているといわねばならぬ。そしてさら憲法第三十一条によれば、国民個人生命の尊貴といえども、法律の定める適理の手続によって、これを奪う刑罰を科せられることが、明らかに定められている。すなわち憲法は、現代多数の文化国家におけると同様に、刑罰として死刑の存置を想定し、これを是認したものと解すべきである社会公共の福祉のために死刑制度の存続の必要性は承認されている。



「全地球より重い価値がある、尊貴なもの」を奪う刑罰が、「社会公共の福祉のために」正当化される。こういうインチキくさいレトリックは、この後も死刑肯定論の随所に顔を覗かせる。こういうインチキで辻褄を合わせざるを得なくなってしまうのは、結局は「人の生命」が個人的法益として最大限に尊重保護されるべき尊い権利なのか、国家従属する劣位の法益なのかが、刑法条文の自己矛盾によって曖昧になってしまっているからだ。

(いっそ死刑を存続する国家は「国家には生殺与奪権がある。国家の円滑な運営社会秩序の維持のために、国家施政権の及ぶ範囲に住む国民住民生命を恣(ほしいまま)にしてよい」と明言したほうがいいと思う。そのほうがずっとわかりやすいし、現実に即してると思う)

死刑制度を存置する国家では、「個人他者生命を奪うこと」と「国家他者生命を奪うこと」の倫理的な違いはぼんやりしたものになり、逆に両者の権力執行力の違いが決定的な差として立ち上がってくる。国家というシステムは、国民住民に対して法的な権力執行力を持っているから、人を殺すことができる。個々の国民住民は、国家権力執行力に従属しているから、人を殺して捕まったら国家に殺される(こともある)。このような制度は、「人を殺すこと」の意味と是非を、価値ではなく制度問題倫理ではなく力の問題還元する。

死刑制度を存置する国家では、「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いにきちんと答えることができない。「国が『人を殺すな、殺したらお前を殺すぞ』と決めているからだよ」「人を殺して捕まったら自分死ぬから損だよ」という風に権力関係因果関係を説くことはできても、それは「人を殺しては」というモラル根拠にはならないし、むしろ一定の条件では人を殺すことが許される」ことを追認してしまうからだ。

死刑制度廃止(または執行停止)しない国家に住み、その現状を受け入れている自分は、「なぜ人を殺してはいけないのか」という子どもの問いかけに「人を殺すと殺されるから」という損得勘定以外の答を返すことができない。それが嫌なこともあって、自分死刑廃止すべきだと思ってる。

Permalink |記事への反応(3) | 12:25

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2021-12-23

anond:20211223171928

終身刑が生ぬるいならば、死刑だって十分に生ぬるい。

日本では、どんな悪人だろうと、むだに痛めつけて殺すような残虐刑を科されることはない。

  

そもそも刑罰が生ぬるいんだから死刑じゃなくて終身刑の方がよくね?

もちろん個人差があると思うけど、一瞬で死ねるより、刑務所でずっと生きている方がつらいと思う。

Permalink |記事への反応(0) | 22:21

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2021-11-02

anond:20211102114216

国王処刑したフランス人すら「でも八つ裂きはさすがにひくわ」つって事前に残虐刑廃止しておいたというのに

Permalink |記事への反応(0) | 11:49

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2021-08-28

anond:20210828001203

虐刑禁止ですよ

そもそも普通に考えて硫酸かけただけの事件でそんな重罰するならば、ホームレス集団で襲って殺した事件のほうが百倍は重大な事件なのに刑罰が軽くておかし

Permalink |記事への反応(0) | 00:14

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2021-04-16

少年法必要である理由がまさにこれ

anond:20210416074433

バックに犯罪組織がないただの子供だとわかると民衆が残虐刑叫び始める

保護する法令必要

ヤクザが3割もいる大人犯罪は見て見ぬふりするのに子供の微罪には厳しい(JK赤ちゃん殺害には超あまい

Permalink |記事への反応(1) | 13:14

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2019-07-25

よくわからないモニュメント

アニメだと分かりづらい。

よくわからないモニュメントで例えると分かりやすいだろう。

アニメとはよくわからないモニュメントのようなものだ。

よくわからないモニュメント犯罪者によって燃やされたとする。

そのとき、よくわからないモニュメント建設していた建設作業員が焼け死んだとしよう。

よくわからないモニュメントファンにとってはとても価値のあるものだ。

ただし、ファン以外にはその価値は伝わらない。

高い技術力で建設されたことは素人目にも見て分かるがモニュメント存在意義がわからない。

そこでファンはよくわからないモニュメントいかに素晴らしいものなのかを説明しようとする。

「よくわからないモニュメントは私の人生に潤いを与えた」

「よくわからないモニュメントを失ったことのの損失は計り知れない」

「これからも彼らはよくわからないモニュメントを作り続けることができるだろうか?」

「彼らは建設作業員なんかじゃなく、一人一人が職人なんだ」

「よくわからないモニュメントを燃やしたものは残虐刑とすべし」

「よくわからないモニュメントのために寄付を募ろう」

ファンでない人たちではシンプルに「犯罪で30人も死んだなんて」という意味で衝撃を受ける。

よくわからないモニュメントについては心配するどころか「よくわからないモニュメントなんかのために人が死んだ」とさえ考えるだろう。

一方、ファンはよくわからないモニュメントへの思い入れ込みで考える。

例えば橋のように万人に価値の伝わるものであれば雰囲気は違ったはずだ。

よくわからないモニュメント価値が伝わらないのと同じような理屈で、こんな雰囲気になるのだろう。

Permalink |記事への反応(2) | 06:02

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2018-06-05

anond:20180605193858

日本人死刑が好きなのは自分らがそれを一番恐れているから 

虐刑罰や苛烈侮辱を好むのはそれで自分が一番傷つくから

Permalink |記事への反応(0) | 19:41

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2017-07-23

ウヨるのは誇りが無いか

ウヨるのは誇りが無いから。ネトウヨとかalt-right(「オルタナ右翼」と訳されているやつ)とかいう群れは典型

誇りが無い、つまり尊厳自覚が欠けている、自己肯定感が足りないから、権威権力依存しないと自己を保てないのである

近年は「日本」に依存したがる人々が増え、そしてそれにあやかって収益をあげようという企業がうようよしている。安倍政権が成立したこととは相関関係はある。けれども、東日本大震災の頃から既に、少なからぬ人々が国家主義に傾いた。己の不安定から国家という概念に懐こうとしていった。

バブル崩壊から続く底なし不況経済縮小の中だから、そういう依存気質を利用してでも稼ごうとする企業の方が多い。宣伝する広告代理店とかマスメディアとかも、やはり、そうなる。

他方の欧米では近年は、例えば「LGBTブーム」が起こっているけれども、多くの企業は「稼げるからLGBT支援」であって、尊厳問題で支持している理解者はそう多くはない。だからアメリカではalt-rightが横行し政権ウヨっている。ネトウヨを利用していてなんで政権が獲れるのかって、その方がその実、カネが動いている、少なくとも、動く期待がされているからだろう。

マイノリティ社会的弱者)がプライドパレードとかやると、マジョリティ既得権益者層)から「俺もプライドパレードやる」とか言うバカが出てくる。なにがバカって、社会から既に尊厳を認められている奴にはアピールする意味は無いから。けど、やりたがる奴が必ず出てくる。なぜなら、そういう奴らは、誇りが無いから。

マイノリティは、誇りをもっているけれども、社会から迫害されているから、生きるためにアピールしないといけない。他方で、権威権力依存することで既得権益をもっている奴には、誇りが無いから、「俺にもアピールさせろ」となる。

社会的弱者は、声を上げ、声を大きくしていかないと、死ぬ。他方のネトウヨalt-right)っていうのは、誇りが無いから、「俺にも平等に言わせろ」と主張して社会的弱者を苛める言説(ヘイトスピーチ)を垂れ流し、それを「表現の自由」(free ofspeechであると強弁する。

国家主義みたいに権威権力依存する、例えば「歴史」(偽史)や「民族」(虚偽の民族)に依存するのにしてもそうだし、「富士山」とか「東京スカイツリー」とかに精神性を依存しないと自己を保てないような奴にしてもそうだが、自分より強い奴に依存しないと自己を保てないような奴。そうすると、自分と同質の奴はナカーマなんだけれども、異質で自分と馴れ合わない(そもそも本質的に馴れ合えない)奴があるのは不愉快で癪なのであろう。己の誇りの無さを、誇りをもっている異質な者に対して投影して、相手のせいにして苛める。

国家主義、言い換えれば封建主義というのは、強い奴が中くらいの奴らを苛め、中くらいの奴らは強い奴に依存して生きて、そうやって苛めがより下層の社会的弱者押し付けられるシステムである。そして、そういう構造によって統治が実現せられている。簡単にいうと、封建主義というのはファシズムである日本かいうのは本質的に、江戸時代から連綿とファシズム確立されてきたのであり、戦時中だけの問題ではない。江戸時代には、武家社会理屈が主に都市部に浸透させられていた。そうしないと統治体制治安)が保てなかったからだ。普通に虐刑が行われ、厳罰見せしめスケープゴートをつくって引き締めないと成り立たないファシズム国家だった。

今も、江戸時代文化を礼賛して日本古来の文化かいう言説が横行しているけれども、それは言い換えればファシズムだ。実際には古来の文化ではない。それこそ京文化立場から見るとこんなん嘲笑の的だ(笑

誇りが無いから、誇り誇りと盛んに言うのである自己に誇りが無いか日本人の誇りとか言い、誇りが無いか世界に認められる「箔」を欲しがり、オリンピックだの世界遺産だの欲しがるようになる。そして多くの企業は、そういう「箔」を利用して稼ごうと必死である。なにせ今の日本は貧しいから、貧困比較的マシの連中は権威に懐く。

底辺までいって本気で死ぬところまで経験してみた人こそ、ガチになる。

Permalink |記事への反応(8) | 20:57

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