
はてなキーワード:茄子とは
セルクマ用にまとめました。
「食材増田」というのは、初めにブクマがついた増田にid:sonzincさんがタグ付けしていたので、そのまま名乗らせてもらいました。
成分。計186回目。
予約をしてあったので行ってきた。
特に予定がない土曜。
道中、オレンジ色の装飾の家々を見かけて、そうかハロウィンの季節なのか、と気付く。
電車の中にも、すごい子が一人居た。
恐竜の被り物というか着ぐるみというか、恐竜レースとかのイベントで使われるヤツを着てる男の子。
車内での注目度抜群だった。まぁ俺はスマホを弄ってたから電車を降りるその時まで気付かなかったけど。
終点で降りて、繁華街を通る。天気は微妙だが、なんらかハロウィンのイベントがあるのだろう。活気づいている。
気合の入ったコスプレが見れるかと期待したが、電車の子のインパクトを超えるヤツはいなかった。
繁華街を通り抜け、寂れたビルに入る。ここが献血ルームが入っているビルだ。
以前に、「どうしたら献血に来る人が増えますかねぇ?」と看護師さんに世間話がてら聞かれたことがあるが、
まずは献血ルームの立地が悪すぎると思う。お前らは人を集める気あんのか?と毎回思っている。
ただ、今日は人が多くて混んでいるのでないか?と予想していた。
受付を済ませて、中を見渡すとやっぱり人が多い・・・ 気がする。
血液検査が済んだ後も、採血に呼ばれるまでに大分時間がかかった。
おかげで、コーヒーを飲みながら今月号のDIMEをじっくり読めた。別にそんなに面白くもないが。
やっと採血に呼ばれて、ベッドに横になる。
担当の看護師さんが「待たせちゃって、ごめんなさい!なんだか知らないけど今日は混んでて」とのこと。
ネットの一部で献血が流行ってるらしいからそのせいかもしれないですねー と言うと、
「そうなの?全然知らなかった。昨日も平日なのに人が多かったけどそのせいかな」
「それ自体はありがたいことだけど。でも偶然今日来た、知らない人はびっくりしちゃうよね。こんなに混んでるならもう来たくなくなっちゃうかも」
という反応だった。
なかやま氏のことも、国立がん研究センターへの寄付のことも、そこから派生した献血のムーブメントのことも、何もご存じない様子だった。
というか、実際それらの件と、昨日今日の混雑ぶりは全然関係ないかもしれない。
血を抜かれながらテレビを観る。
大谷翔平がなんか頑張っている。
知らんけど、この人野球がすごくお上手なんでしょ?外観からしてフィクションじみてるな・・・・
でもドジャースは負けたらしい 大差じゃん。何やってんだよ翔平。お前が付いていながら。
いや、初戦だから、これからの盛り上がりも計算して手を抜いているのだろう。流石だ翔平。興行ってものをわかってるじゃないか。
しばらくして採血が終わり、休憩室でアクエリアスとコンポタをがぶ飲みする。
そのくせに、ご褒美のセブンティーンアイスを食う。俺はバカだ。アイスは美味い。
腹が減った。血を抜いたし、肉を食おう。
近所にバーガーキングが出来たらしいと聞いていたので、向かってみる。
すげぇ並んでる。ダメだ面倒くせぇ。それに、よく考えると肉の気分でもない。
とりあえず、家に向かってあることにする。食欲の湧く、店があったら入ろう。
ケンタッキーフライドチキン・・・・ 違うな。
考えながら歩く。
とりあえず、タンパク質を取るべきだろう。
タンパク質パフォーマンス、略してタンパだ。タンパが良いものを食うのだ。
肉より魚だろう。魚が手軽に喰えるというと、回転寿司だな。
久しぶりにスシローに入ったが、システムの変貌ぶりにびっくりした。
何あの、専用レーン?もう、流れてくる皿を見張ってなくていいのか!すげぇ!
味噌汁を啜りながら、どうやって専用レーンに来るように制御してるんだろう?とふと気になる。
皿の何かを認識して、より分けている?
じゃぁ、この皿は俺の席専用?まさか。そんな仕組みだったら、膨大量の皿が必要になってしまう。
というと、この時だけこの皿を俺の座席用にする仕組みがあるんだろう。まさかタグを物理的に差し替えるとか?
なるほど。こいつ中の情報がよろしくやってくれているのだろう。と、とりあえず納得することにする。
海老と、マグロを食べて大体満足したが、最後に牡蠣を食うかで迷う。高ぇな牡蠣・・・・
結論を言うと、残念なシロモノだった。不味くはないが・・・ とにかくガッカリだ。会計を済ませて外に出る。
帰りの電車は人も疎らで落ち着いていた。
誰もハロウィンのめいた格好はしていない。
正面に制服姿の女子中学生が座る。口元のホクロがやたらとセクシーだ。マリリン・モンローみてぇだな。
俺が同級生だったら、魔性の女、とかあだ名をつけるだろうな、としょうもないことを考える。
帰ったなら何をするか・・・ 晩飯を作るか。スーパーに寄って帰ろう。
何が言いたいのかというと、ハロウィンって本当にいいもんですね、という話
他人がねたましいとか、良い暮らしがしたいとか、睡眠欲以外はないと言ってもまあいい。足るを知るがわかった。
定年して仕事から解放されはじめて人生観が変わる人に比べたら、更生の余地、伸び代はあるかもしれない。
「大知は閑閑たり(ゆったりのんびり)、小知(つまらない知恵)は閒閒たり(こまごまと穿鑿する)。
大言は淡々たり(あっさり淡白)、小言(つまらない言葉)は詹詹たり(つべこべと煩わしい)。」
上の上はもともと物などないと考える、上の中は物があるが自分との間に境界をもたない、上の下は境界があるとは考えるが善し悪しの判断をもたない。この三つが合格。
古典の知恵なので、もしその気なら誰でもその境地に至る再現性があるし、テクノロジーは要らず、出家の必要もない。そもそも始祖が手ぶらで見つけたことだから、金もかからない。
ここに書くだけの顕示欲は残っている。
巷には、天ぷらを塩で食すことこそが「通」だと宣う、了見の狭い輩が満ちている。海老には藻塩を、舞茸には抹茶塩を、などと、殊更に素材の香りを尊ぶが如き振る舞いを装う。その理屈、表面的には理解できぬでもない。
確かに塩は、衣の乾いた軽やかさを維持し、素材の持つ純粋な旨味を立たせる。料理番組の審査員とやらが、したり顔で「ここは、あえて塩で」などと嘯く場面は、それこそ掃いて捨てるほどある。結構、結構。その程度の了見で食の神髄が掴めるものか。
だがな、私は敢えて言おう。声を大にして断言する!私は天つゆに、天ぷらを沈めるが本懐だ!
理由は単純明快。あの、乾いた揚げ衣を、ジュワリと出汁で濡らし、ふわりと柔らかな塊に変じさせ、大根おろしをたっぷりと絡めて食す。あの瞬間にこそ、天ぷらが、単なる揚げ物から、深遠なる料理へと昇華するのだ。衣は湿気を帯び、油の持つ野暮ったさを、大根おろしが鋭く吸い取り、軽やかな一皿へと変貌する。天つゆは、単なる液体ではない。天ぷらの魂と、それを味わう者の魂を結ぶ、唯一無二の架け橋なのだ。
塩で食うことを是とする連中は言う。「天ぷらは、衣の音を楽しむもの」だと。それは、一面の真理かも知れぬ。しかし、私に言わせれば、音など一瞬で消え去る儚い幻に過ぎぬ。パリッという、その刹那的な快感は、二秒と持たぬ。
しかし、天つゆに沈めた天ぷらは違う。出汁の旨味をじわりと纏い、大根おろしが舌に優しく絡みつく。その余韻は、音よりも遥かに長く、身体の奥底にまで染み渡る。私にとって天ぷらは、刹那の快楽たる音楽ではなく、幾度も読み返せる、深遠なる文学なのだ。出汁が沁みていく、奥ゆかしい物語。
そして、この真髄を語る上で、大根おろしの存在を忘れてはならぬ。油で揚げたものを、胃袋が拒絶する瞬間は、必ずや誰にも訪れる。だが、大根おろしを添えるだけで、まるで救済の光が差したかのようだ。重さが和らぎ、「もう一口」という、食欲の炎を蘇らせてくれる。これこそ、齢を重ねても天ぷらを愛し続ける秘訣である。我々にとって大根おろしは、単なる薬味ではない。美食を長く愉しむための、延命装置なのだ。
己の欲望に忠実であれ
私は常に、こうする。天ぷらを箸で持ち上げ、躊躇なく天つゆの海に沈める。衣から、まるで呼吸するかのように気泡が立ち、つゆがじんわりと染み込んでいく。その光景は、あたかも人生の重荷を脱ぎ捨て、温泉に浸かり至福に浸る老練な男のようだ。ああ、天ぷらよ。お前も気持ち良いだろう。私もまた、満たされている。サクサクした食感が失われても、何ほどのことがあろうか。この崩れ去る柔和さこそが、真の旨さなのだ。
特に、家庭で揚げた天ぷらと、店で食すそれとは、根本的に話が異なる。家で揚げたものは、衣が厚く、油を吸い込みやすい。だからこそ、天つゆと大根おろしの出番だ。家庭の素朴で重い天ぷらを、軽やかに蘇らせ、家族団欒の安らぎを支えるのは、常にあの黄金の組み合わせである。
一方で、外で食す天ぷらは、プロの技術が光るが故に、塩で食すのも悪くはない。しかし、私はその場でも天つゆを求める。なぜなら、人間はどれほど洗練されようとも、「安心の味」を求めるものだからだ。幼少の頃から慣れ親しんだ、つゆに沈めた天ぷらこそが、私の**食の故郷(ホームグラウンド)**なのだ。
美食を語る雑誌などは、決まって「塩でいただくのが大人の嗜み」などと、上っ面だけの美意識を垂れる。だが私は、敢えてその逆を行く。食において、格式や見栄など、何の価値もない。己の欲望に、正直であること。それこそが、美食家の矜持である。
私は、塩派の人間を否定するつもりは毛頭ない。だが、彼らもまた、私が天つゆに天ぷらを沈める姿を、嘲笑してはならぬ。なぜなら、その丼には、私の食に対する揺るぎなき哲学が横たわっているのだから。
ここで、私が天つゆに沈めるべき天ぷらとして、三傑を推挙しよう。
第一位:海老天。 ぷりぷりの海老の身が天つゆを纏い、噛むごとに、出汁と海老の旨味が混ざり合う。これぞ王道の貫禄。
第二位:茄子。茄子は油を吸いやすく、単体では胃に重い。しかし、天つゆと大根おろしで洗うことで、一気にジューシーさと、軽さが両立する奇跡の存在へと変貌する。
第三位:かき揚げ。 これは、天つゆのために生まれてきたと断言する。ザクザクの具材がほぐれ、つゆに沈んだ瞬間、奥深い旨味のスープのように化ける。
天ぷらは塩か天つゆか、などという問いは、愚問である。大事なのは、己の胃袋と心が本当に求めるものを選ぶ、確固たる哲学を持つこと。それこそが、食の真髄である。
私はこれからも、大根おろしを山と盛り、天つゆを惜しみなく注ぎ、天ぷらを沈め続けるだろう。サクサクの音を尊ぶ者たちよ、己の好みを否定するつもりはない。だが、私の美食道を、ただ見守るがいい。私は、私の道を行く!
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天ぷらを愛する、全ての真の食通へ。
恐れるな。天つゆに沈めろ。そこにこそ、真の救いと至福が待っている。
まぁ、それはいいんです怒られたわけじゃないし。ぷんすこされたけど。あれもしかして怒られたんか?
まず、嫁はいい嫁なんです。年上だけど。何よりマメなのが素晴らしい。自分とは大違い。
料理もうまくて、なんかちゃんとしてるんです。普段は作ってくれてるし、品数も多くて、素材15品目?目標とかでめっちゃ頑張ってるのわかってて、味だってめっちゃ美味しいしファミレス行かなくなったのは完全に嫁の恩恵。
お豆腐は(冷奴の意味)料亭みたいな1/3丁とか3個入りパックサイズのしかでてこないし、きんぴらは箸で二つまみくらいだし、ポテサラもカレースプーンに1.5すくいくらいだし、そのかわりいっぱい品数あって、色もきれいで、すごいのです。
でも自分は頭の悪い男性なので、時に、アホくさい(ナスパーティーのような)食事を取りたくなってしまうのです。次はサンマ2本と大根おろしダバーとか食いたいし。上手く説明できないけど、これは嫁の料理に不満とか嫌とかそう言うわけじゃなくて、それはむしろめっちゃ美味しいんだけど、別の欲の話なのです。
とにかく、言いたいのは、感謝してるし美味しいしうまうまだし、嫁さまの作る魚のなんか漬けて焼いたやつは大好物だということです。
なのでいつも御飯作ってくれてありがとうございます、今度お出かけお供します、ナス焼くから一緒に食べましょうということです。秋茄子くわせなくてごめんなさいでした。