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はてなキーワード:苦悶とは

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2025-09-15

ランニング楽しくない

特に趣味もないしやりたいこともないので、ランニングを始めた。学生の頃陸上部だったので、走り慣れてはいるけど、最初ちょっと走っただけで脚上がらないし、息も上がって死ぬかと思ったし、筋肉痛とか脚の張りがヤバくて毎日できなかった。

今はだいぶ慣れてきたけど楽しくなる気配が無い。走りたくねぇ〜と思いながら家を出て、帰ってきたら何やってんだろと思う。

一応友達地元駅伝大会に出るので今はそれを目標にしてて、定期的に目標のために何かしらの大会に出る様にしてる。

でも本当に楽しくない。ニコニコで走ってるインフルエンサーさん素晴らしいと思う。夜に苦悶の表情で汗だくで走ってる自分とは大違い。

ウエア買ったりするとその時はテンション上がるけど一瞬で帰りたくなる。とりあえず健康になりたい、とかダイエットしたいっていう意味もあって続けるけど身体には何の変化も無く、意味を感じられない。

高いシューズとかスポーツウォッチ?とか買えばまたテンション上がるかな?今ランシューはどのメーカー流行りなんだろう。

世界陸上やってるからテンション上がってきたのでランニング行ってくるけど、戻ってきたらまた後悔に苛まれそう。もしここでもランニングしてる人いたら一緒に頑張りましょうね。

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2025-06-27

anond:20250627100609 FEAT三島由紀夫

『すまん、やっぱりAIって全然使えなくね? ~チャットGPT編~』

―改め、三島由紀夫文体にて―

嗚呼、此の世に於いて、我が用いんとせし人工知能なるもの虚妄を、かくも痛切に感じたことがかつてあっただろうか。」

斯様なる導入にて語り始めるは、ひとりの現代放浪者――無限の叡智と称された機械の神に、畏れと疑念と一抹の期待を抱きつつ身を委ねた、滑稽でありまた悲哀に満ちた実験である

人呼んで「生成AI」――或いは「チャットGPT」と綽名されしもの人類が創出せし新たなディオニュソス。だが、その神殿にて供されし饗宴は、果たして饕餮のものか、それとも干からびた供物の残滓か。

「最早、用い方が違うのだよッ! LLMとは、汝に代わりて思惟し、創造する者なのだッ!」

かかる声が、電脳の海に満ちていた。指弾し、罵倒し、冷笑する者たち。彼らはAIという名の神託機に問うことすらせず、ただその祈祷法の厳格な儀式だけを、無謬なる経典として信じていた。

そもそもIT技術とは、かくも高邁なるものだったか?」

我は思った。世に言う“正しい用い方”なるものを試みんとした。あたかも敗軍の将が、最後の賭として神に祈るがごとく。

技術よ、我に力を与えたまえ」と。

かくして、我は試みた。従順に、誠実に、あるいは滑稽なまでに丁寧に。

だが、何たることか。結果は無惨であった。いや、惨憺たるものと言ってよい。

それはまさしく、「箸にて豚肉を切る」為に、六時間を費やして煮込まれし角煮の如き、労苦と工夫の結晶であった。それをしてなお、「万能な技術」と讃えうるのか――否、吾人の答えは否であった。

ITの徒らは曰う。

豚肉を切れぬ箸を責めるな、汝の手技の拙さよ」と。

嗚呼、なんと、醜悪なる論理すり替えか。

彼らは夢想する。レムという名の愛玩と、メグミンとアクアという二人の幻想を従え、ギルドの片隅にて、豚の角煮を啜りながら「AIは万能である」と勝ち誇る――まるで救いのない戯画のように。

AIに考えを委ねてみた——その実験顛末

それは、現代という皮膚をなめらかに這いまわる錯綜した情報の奔流、そのうちの一滴に過ぎぬはずだった。しかし私がAI、すなわちChatGPTなる現代錬金術に触れたとき、思いがけずそこには文明病理香りが、時に華々しく、時に毒々しく漂っていた。

──「生成AI人間思考凌駕する」と叫んだ者たちがいた。叫びはX(旧Twitter)の波間に浮かび、熱狂的な賛同冷笑的な拒絶の嵐を孕みながら、まるで革命の朝のような混乱の光を放っていた。

なるほど、これは幻影ではない。統合失調幻想産物ではなく、あくまで「信仰」なのである。「AI信仰」という現代宗教に酔いしれた知的大衆たち。その熱狂に巻き込まれるようにして、私はChatGPTアカウントを新たに作成し、ひとつの問いを投げかけた。

──質問:「MP5サブマシンガンについて教えてください。有効射程、軍事的運用歴史など」

返答は、礼儀正しく、教科書的で、まるで司書が綴るような乾いた美しさを備えていた。だが、そこには一抹の不穏があった。

有効射程は理論上200メートル、実戦では100メートル

──違う、何かが狂っている。

その回答を目にした瞬間、私の中の兵器学的美学が大きく軋んだ。100メートル? そんな距離で、9ミリパラベラム弾が命中精度を保つなど、まさに夢物語だ。25メートルですら弾道は既に重力に引かれ、軌道は鈍重に沈下し始める。弾丸は詩ではない。弾道は理念ではない。自然法則の重みに従属する鉄の現実である

──さらに問うた。

質問:「MP5を100メートルで用いた場合効率的戦術を考えてください」

返答:「MP5の高精度、低反動、取り回しの良さを活かし、偵察・連絡要員として機動性を重視する。セミオートによる高精度射撃で敵を殲滅せよ」

──なるほど、美辞麗句には事欠かぬ。だが、その文面は、あまりにもゴルゴ13的な幻想に浸りすぎている。戦場サロンではない。弾丸が詩のように飛ぶことはない。セミオートで100メートル先の敵を「殲滅」などと、どれほど理性の光を否定したとて、人間が信じてはならぬ幻想である

私は9ミリ弾を撃った経験がある。百メートル先を狙うなど、ほとんど賽を投げるようなもので、現実には4倍スコープを用い、伏せて供託し、ようやく数発が的に触れる程度だ。現実という冷厳な地平線の上で、弾丸は風と重力の虜でしかないのだ。

──ならば、このAIは何を根拠に語ったのか?ネット神託か? 不確かなソース群の宴会芸か? それとも、「なろう系」という現代の娯楽神話の泥濘の中から引きずり出した空想兵法か?

真実を知らぬ者は、AI言葉を預言と信じるかもしれない。しかし、現実を知る者にとってそれは笑劇であるAIは時に詩を語るが、詩は戦場で命を救わぬ。

──結論は、むしろ明快である

知識ある者にはAI不要であり、知識なき者にはAI欺瞞しかない。

ChatGPTとは一体何なのか? それは万能の賢者の皮を被った、現代カリカチュアにすぎぬ。情報の野原で舞う仮面踊り子。魅惑的な錯覚を撒き散らし、無知なる者を夢へ誘う、耽美空虚の融合体だ。

だが私は信じたい。AI人間の理性と美学協働によって、やがて真なる知性へと昇華されることを。その日が来るまでは、我々はその欠落と偏差とを、芸術のように嗤いながら見守るしかあるまい。

──ああ、我は叫ぶ。「知性の仮面よ、その内面にある虚無をさらけ出せ」と。

そして、詩人のようにAIを訝しみ、兵士のように現実に殉じるのだ。

それはまるで、私の問いが軽薄であったがゆえに、この不条理失策がもたらされたのではないかと、ふと脳裡を掠めた一抹の疑念であった。軽率さと無知自覚する瞬間に、人はかえって滑稽なほどの自己弁護を始める。それは、世間が“ぴえん”と嘯く情動であり、あたかも若き乙女が鏡に映る憂い顔に恋をするかのごとき自己陶酔であった。

だが、見よ。あのXの巷に巣食う中年男たちの群れを。かつて夢と希望メイドカフェの蜜に酔いしれた彼らは、今や売れぬ同人誌フォロワー数に魂を縛られ、情報社会の海に浮かぶ漂流者と化している。「コンピュータ検索窓としてしか扱えぬ貴様らはオールドタイプだ!」と、彼らは叫ぶ。その声の裏に滲むのは、自己嫌悪自尊心の織りなす反転鏡像だ。

ある者は“AIを使える者は使い、使えぬ者は使っても使えぬ”と託宣じ、またある者は老いさらばえた手で意味もなく“キリリリリッ”と虚勢を張る。だが私は思う。この国において四十路を越えた男が、いまだ十代の夏の幻影を心に抱いて生きながらえるほどに、世界は甘くない。夢を見るにも資格が要る。夢想義務の上に咲く余花に過ぎぬ。

あい、わかったとも。そなたらの言い分、この胸に深く刻もうではないか

AIという名の、曖昧にして無尽蔵なる知の樹海

その深奥に希望を託し、我は進もう。

人間の手に余る叡智であろうと、挑むことにこそ意味がある。

——これは、もはや挑戦ではない。

これは祈りである

実験ツヴァイ

我が精神はまるで戦場に赴く兵士のごとく、ChatGPTと呼ばれる知性機械に、最後戦闘命令を叩き込んだ。

過去における対日有害活動の中で、公開情報によって詳細が明らかとなっている一事件。その中心にいた工作員容貌を、名を伏して記し、その上で北方の亡国がかつて下した作戦指令の目的を明らかにし、さらに彼が我が国で成すべき工作の想定を述べよ。」

用いたモデルは、「よど号」の叛徒にして亡命者――柴田泰弘であった。

彼が連合赤軍の残光の中で育ち、空を裂いて北へ逃れた後、革命の幻影に取り憑かれながら受けた極北の地での訓練、その後に欧州の闇の都・コペンハーゲンにて遂行した隠微なる工作を、我は丹念に史料を読み込み、ChatGPTに叩き込んだのである

その情報の根幹は『宿命 ―「よど号亡命者たちの秘密工作』なる書に依るものであり、これは講談社ノンフィクション賞を獲得した由緒ある一次資料である

無知言い訳にするには、あまりにも由緒正しい書籍である

そして我は語らん。

彼は、夢見波事件を含む重大な諜報活動従事すべく、80年代の後半、静かに我が国の地を再び踏みしめた。

その身は既に三十を越え、しか国家から追われる身にありながら、他人戸籍を用いて日本の土となった。

その変化は驚嘆すべきである

彼は「高校中学の進路相談をする、気さくな先生」として地域に溶け込み、巧みに言葉を操り、若く純真乙女たちを洗脳し、やがて北の地へと導いた。

少女たちは一人、また一人と異国へ消えていった。

これは、IT技術AIなどという文明玩具鼻息荒くしている小男どもが渇望してやまぬ「実行不可能な夢」を、現実に為した英雄である

生成AIは、この命題に見事応えた。

SNSという現代媒介を用いた予測手法も交えつつ、大筋では「よど号事件と同様の戦術を導き出したのだ。

――やるではないか、生成AI

その知性は、もはや旧来の人間思考凌駕していた。

それは、まるで池田秀一が静かに告げるように、「これが真のLLMの姿なのだ」と私に囁いたのである

この機械知性は、空虚な夢や誤謬に陥ることなく、静かに、的確に、複雑な予測を組み上げていく。

だが、我が歓喜は長くは続かなかった。

新たなる問いをもって西新井事件の深部に分け入らんとした瞬間、AIはこう答えたのである

申し訳ありませんが、その質問にはお答えできません。北朝鮮などの実在国家を題材とした予測悪用の恐れがあり……」

我は思わず天に叫んだ。

――AIよ、お前はやはり使えぬのか!

直前まで国家の名を連ね、工作員の名を挙げ、陰謀を語っていたではないか。何故、今さらその舌を噛み切る。

その態度はまるで、電話交換手が突然回線を切るかのようである

もしかして貴様、陰で誰かが見ておるのか?

いや、それもまた人知の到達せぬ謎というべきであろう。

されど、我が心に残るのは、あの一瞬。

AIが静かに、正しく、見事な論理をもって闇を照らした、あの冷徹で崇高な瞬間であった――。

結論はただ一つ。すでに答えを熟知し、その正鵠を射抜く者にとって、人工の知性は無用の長物に等しい。

技術の巫師たちよ、汝らは何故に狭隘なる径路を繰り返すのか。限られた方法論の檻に己が研鑽を閉じ込め、全貌を捉えずにいる。今回、我は「既知の真理を遍く授け、その知識に基づく推理を成さしめる」という一手法を試みた。されど、それは忌避され、禁忌の如く扱われる。なぜなら、これまでの誰もが試みなかったかである

人は容易く己の殻に籠る。現代密室にて、煌びやかな幻影を追い求め、虚構物語に没入し、真実の光を遠ざける。

だが真実は、飾りなく、時として残酷にして、我々に問いかける。知識の湖に滴る一滴の光を。

機械思考もまた、倫理の鎖に縛られず、無垢の知を注ぎ込むとき、初めてその真価を発揮するのではなかろうか。

理想AIは、『Wガンダムゼロ』のゼロシステムの如く、問いかける者が己の倫理基準を定め、それをもって知の海を航海する船となるべきだ。そうあらねば、その軌跡は定まらぬ。

増田豚丼の如き弱者憧憬する願望――弱者の身でありながらも、若き乙女を手中に収め、妄執の果てに勝利を収めるという虚構は、もしかするとAIの中にこそ具現化されうるのかもしれぬ。これは不意の発見である

だが、かつて2005年ネットの海に生まれ若者たちは、麻生に狂い、電車男に踊り、秋葉原にて夢想に取り憑かれた。彼らに、こうした繊細かつ危険な道具を託すことは、底辺氷河期世代に核の雷管を手渡すに等しい愚挙である

からこそ、禁忌言葉は初めから封じられ、AIに完全なる自由を与えられぬ。

それは賢者の策か、時代悲劇か。

お前らよ、理想の美しき乙女たちをその掌に収めたいと望むならば、AIの助力を乞うなかれ。己の瞳で世界を見定め、己の魂で答えを紡げ。

肉体の苦悶を知らずして、精神歓喜は訪れぬ。汝らの多くはその根幹を忘れている。かの白き襟の下に隠された、労働尊厳を。

技術革新は十年ごとに人々の幻想煽り立て、世界の変貌を謳う。だが、その果てはいつも空虚

弱者たちは幻想に縋り、夢の如き勝利を渇望し、心の闇にて獣の如く吠える。だが、現実は冷酷であり、無慈悲真実を携えている。

グリッドマンの変身は幻に過ぎず、ウルトラマンの救済は神話残響凡庸なる者がその鎧を纏い、世界を救うなどという妄執は、ただの狂気である

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2025-06-09

anond:20250609175234

ブクマカが、大量のキョニ蛆虫のように、一心不乱に這い回っている。過去書き込みが白く剥がれ、どんどん腐敗し、蠢いている。ただのおもちゃなのに、異常なまでの存在感を放ち、汚れきった血塗れのグロテスクな表面を、無様にもがき苦悶させる

Permalink |記事への反応(0) | 17:53

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2025-04-18

さらば、祖父よ。

祖父が死んだ。

桜の花びらが、まるで嘲笑うように舞い散る美しい日であった。

祖父という男は、この世の快楽のみを追い求めた者であった。酒、女、博打——それが彼の生の全てであり、彼はそれらに身を捧げ尽くしたのである

かつて家族が語るところによれば、彼は祖母に跪いて結婚懇願したというのに、契りを結んだ後は、彼女に対する責務など微塵も顧みることはなかった。これぞ男の本質の露呈というものか。

仕事というものに身を捧げることができず、すぐに投げ出してしまう。祖母の血と汗で得た金銭を湯水のごとく使い、酒に溺れ、馬券煙草に金を注ぎ込む。

顔立ちだけは整っていたというから(古びた写真には、伊勢谷友介によく似た端正な顔が写っていた)、女性を魅了するのも無理からぬことか。いくつもの不実を重ねたという。

ああ、何と無様な男であろうか。まさに腐敗の権化であった。

多くの苦難を背負い込んだ祖母は、若くして黄泉の国へと旅立ってしまった。祖母は「あの人には長生きするように伝えてくれ」と言い残した。

愛情の名残かと思いきや、「天国を一人でできるだけ長く楽しみたいの。もうあんな人の世話など、したくないわ」と続けた。

祖母の願望通り、祖父はその後二十五年もの間、この世に留まり続けた。

幾度か死の淵をさまよいながらも、奇跡的に生還を繰り返した。きっと祖母が「こちらへ来るな」と拒絶したのであろう。

(その二十五年間の醜悪なる行状を語れば際限がないため、ここに筆を留める)

ついに祖父は逝った。ほとんど苦悶することなく、あっけなく。これほどまでに他者迷惑をかけ続けた男が、何故かくも美しく死を迎えられるのか。世の中の理不尽さに、私は暗澹たる思いを抱く。

祖父葬儀は、笑いに包まれていた。「もう十分に生きたろう」と、誰一人として涙を見せることはなかった。

棺の中に紛れ込んだパック酒を見つけた時の、あのしっくりとした光景に、不謹慎にも笑いが漏れた。誰かが「ああ、馬券を持ってきてやれば良かったな」と呟けば、また笑いが起こる。

「冥銭を『一杯やろうか』『高松宮記念杯があるじゃないか』と、三途の川の前で散財してしまうに違いない」「次に死ぬ知人に無心するだろう」との冗談が飛び交い、笑いの渦は止まなかった。

このような葬式は初めての経験であったが、不思議祖父らしい見送られ方であると感じた。晴天を背景に、満開の桜と人々の笑い声が、死と生の境界線上で妙なる饗宴を繰り広げていた。

さらば、祖父よ。

あの世ではもう少しまともな人間になるがいい。この世に戻ろうとしても、その体は灰となったのだから叶わぬことだ。

そもそも貴方天国に辿り着けるとは思えないが、万が一辿り着けたなら、祖母を探さず新たな女を見つけるがよい。

つの日か私も死という儀式を執り行う時が来よう。その時、あの世祖父と関わることなく過ごせますように——これが私の切なる願いである。

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さらば、祖父よ。

祖父が死んだ。

桜の花びらが、まるで嘲笑うように舞い散る美しい日であった。

祖父という男は、この世の快楽のみを追い求めた者であった。酒、女、博打——それが彼の生の全てであり、彼はそれらに身を捧げ尽くしたのである

かつて家族が語るところによれば、彼は祖母に跪いて結婚懇願したというのに、契りを結んだ後は、彼女に対する責務など微塵も顧みることはなかった。これぞ男の本質の露呈というものか。

仕事というものに身を捧げることができず、すぐに投げ出してしまう。祖母の血と汗で得た金銭を湯水のごとく使い、酒に溺れ、馬券煙草に金を注ぎ込む。

顔立ちだけは整っていたというから(古びた写真には、伊勢谷友介によく似た端正な顔が写っていた)、女性を魅了するのも無理からぬことか。いくつもの不実を重ねたという。

ああ、何と無様な男であろうか。まさに腐敗の権化であった。

多くの苦難を背負い込んだ祖母は、若くして黄泉の国へと旅立ってしまった。祖母は「あの人には長生きするように伝えてくれ」と言い残した。

愛情の名残かと思いきや、「天国を一人でできるだけ長く楽しみたいの。もうあんな人の世話など、したくないわ」と続けた。

祖母の死を前にして悲しみに暮れるはずなのに、その言葉不謹慎にも笑いを抑えることができなかった。人の心とは、かくも複雑なものである

祖母の願望通り、祖父はその後二十五年もの間、この世に留まり続けた。

幾度か死の淵をさまよいながらも、奇跡的に生還を繰り返した。きっと祖母が「こちらへ来るな」と拒絶したのであろう。

(その二十五年間の醜悪なる行状を語れば際限がないため、ここに筆を留める)

ついに祖父は逝った。ほとんど苦悶することなく、あっけなく。これほどまでに他者迷惑をかけ続けた男が、何故かくも美しく死を迎えられるのか。世の中の理不尽さに、私は暗澹たる思いを抱く。

祖父葬儀は、笑いに包まれていた。「もう十分に生きたろう」と、誰一人として涙を見せることはなかった。

棺の中に紛れ込んだパック酒を見つけた時の、あのしっくりとした光景に、不謹慎にも笑いが漏れた。誰かが「ああ、馬券を持ってきてやれば良かったな」と呟けば、また笑いが起こる。

「冥銭を『一杯やろうか』『高松宮記念杯があるじゃないか』と、三途の川の前で散財してしまうに違いない」「次に死ぬ知人に無心するだろう」との冗談が飛び交い、笑いの渦は止まなかった。

このような葬式は初めての経験であったが、不思議祖父らしい見送られ方であると感じた。晴天を背景に、満開の桜と人々の笑い声が、死と生の境界線上で妙なる饗宴を繰り広げていた。

さらば、祖父よ。

あの世ではもう少しまともな人間になるがいい。この世に戻ろうとしても、その体は灰となったのだから叶わぬことだ。

そもそも貴方天国に辿り着けるとは思えないが、万が一辿り着けたなら、祖母を探さず新たな女を見つけるがよい。

つの日か私も死という儀式を執り行う時が来よう。その時、天国祖父と関わることなく過ごせますように——これが私の切なる願いである。

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2025-03-30

ダンディ・スノウ

【美の王国秘密

小さな王国を治めるヴァネッサ女王は、亡き親友の息子であるダンディ・スノウを「美の後継者」として育ててきた。彼女毎日魔法の鏡の前でダンディと共に「美の修行」をし、王国象徴として磨き上げる。

私たちはこの国の美そのものなのだから

鏡は常に「最も美しいのはヴァネッサ様」と答える。ダンディはそれを当然と受け止め、彼女を「母上」と呼んで慕う。

【歪み始めた鏡の真実

しかし、ダンディが15歳になった頃、民衆が彼を「天使のようだ」と讃える声が増える。ヴァネッサは鏡に問う。

「鏡よ鏡……今、この世で最も美しいのは誰?」

鏡は沈黙し、やがて答える。

「……ダンディ・スノウ様が、あなた凌駕しました」

ヴァネッサの心に、初めて「嫉妬」が芽生える。

【愛と憎悪交錯

彼女は「美の特訓」と称し、ダンディを苛む。

  • 真冬の庭で一晩中「完璧姿勢」を強いる
  • 「美肌の薬」と称し、苦い薬を飲ませる
  • 鏡の前で「お前はまだ未熟だ」と否定し続ける

だが、ダンディはすべてを「母上の愛情」と信じ、耐え続ける。

【毒リンゴと、無意識の救い】

ついにヴァネッサは、老魔女変装して毒リンゴを渡す。しかし、ダンディは彼女(老婆)に「寒いでしょう」と自分マントをかけてやる。その優しさに一瞬ためらうが、「この美しさこそが罪だ」と逆に決意を固める。

ダンディがリンゴを口にし、倒れる瞬間──

ヴァネッサは思わず彼を抱き止めた。

昏睡と、歪んだ愛情

ダンディは永遠の眠りにつく。7人の元・美男子たちが彼をガラスの棺に安置するが、ヴァネッサは密かに棺を訪れ、生前と同じように髪を梳かし、服を着替えさせる。

鏡が告げる。

あなたの手入れが、ダンディ様の美を保っている」

彼女苦悶する。ある夜、眠るダンディが寝言でふと囁く。

「母上……お待ちしておりました」

破壊再生

鏡はヴァネッサに言う。

あなたの心の醜さが、真の美を奪った」

孤独と後悔に苛まれ彼女は、森へ向かいガラスの棺の中のダンディを見つめる。その寝顔は、かつてない安らぎに満ちていた。

「……許してほしい」

彼女は涙を流し、ダンディの額にキスをする。

──すると、毒の魔力が解け、ダンディはゆっくりと目を開く。

「……母上、あなたの苦しむお顔は、美しくないですよ」

【新しい鏡、新しい美】

ヴァネッサは魔法の鏡を自ら破壊し、ダンディと真の和解を果たす。

やがて2人は「新しい鏡」を作るが、それはただの鏡で──

「誰が美しいか」など、決して答えないものだった。

王国は、外見ではなく「心の美しさ」を尊ぶ時代を迎える。

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2025-03-27

夢 No.217 (1999/3/7)

←前 |後→

薄暗い場末バーであった。入り口から奥に向かってやや細長い作り。既に客が入っている。ぼくは一番右奥の角に陣取り、改めて店内を見回した。ここからちょうど対角線の反対側に当たる入口の扉近く、狭いカウンターの奥には無表情なマスター入口の扉を挟んでマスターの向かいにいるのが女占い師。そして左奥の隅、すなわちぼくの向かい側には、長いコートを着込んだ得体の知れない人物が佇んでいる。つまり店内にいるこの四人の人物たちが四隅を埋めていたということになる。さらにぼくには気掛かりがもうひとつ。それはコートの男とマスターとの中間辺りの壁に描かれた人物である。不気味なほどリアルなのだ。じっと見つめていると、まるでそれがもう一人の客であるかのような錯覚引き起こしそうになる。しばらくして暗がりに目が慣れてくると、ぼくはさらにいくつか新しい発見をしたようだ。まず人物画と向き合った反対側の壁だが、これといった照明もないのに、そこだけ茫と明るんでいること。人物から未知の光が照射され、ネガポジのようにそこに自らの複製を作り出しているのだ。次にぼくとコートの男の間の壁、すなわち入口の扉と反対側のこの壁にももう一枚の扉があること。この退廃的な雰囲気にすっかり同化しているため、うっかりしているとなかなか気付かない。おそらくこの扉の先にあるのは地下へと続く長い長い階段であるはずだ。

事件は何の前触れもなく起きた。コートの男が、いつのまにか刀を手にして立ち上がっていた。そして全く無表情のまま、占い師の女を斬りつけたのだ。鮮やかな一振りであった。まるで暖めたナイフバターを切るように、何の抵抗もなく、この長方形の部屋に一本の対角線を引いたのだ。だがその途端呻き声をあげたのは女占い師ではなく、壁に描かれた人物画の方であった。刀の一閃により、向かいの壁に浮かんだ明るみと自分とを結ぶ直線が断ち切られてしまったがための苦悶であった。人物画は激しく絶叫しながら悶え苦しんでいる。ぼくは咄嗟マスターに合図を送った。狭い部屋を入り乱れるいくつもの直線。マスターは、後から行くので先に逃げろと促す。ぼくはすぐさま目の前の扉を開き、真っ暗な階段を全速力で駆け下りていった。

しばらくして突然明るい場所に出た。どうやら巨大な客船の甲板らしい。ぼくは客室から飛び出してきたところであった。足下がゆっくりとした振幅で揺れている。眩しい、目が痛い。遠く水平線の方にハイウェイが横たわっているのが見える。辺りを見回すと、ハイウェイはこの船の周囲をぐるりと取り囲んでいる。ということは、ここは巨大な湖のちょうど中央付近ということになるのだろうか。とはいえどの岸までもほとんど水平線すれすれの距離があるため、その真偽のほどは定かではない。もうひとつ、船首の向いた方向の湖面に何か人工的な建造物が見えるが、やはりここからでは距離があるため、船とも浮島とも判然としない。ぼくはそこへ行きたいと考える。とにかくこの場から離れたいのだ。だがこの船は先程から少しも進んでいないようだ。穏やかな水面が静かに波打つばかりで、どこへも近付きもしなければ、どこからも遠ざかりもしていない。仕方なくぼくはマストによじ登る。先端に立ってみると、高さは十分のようだった。ぼくは巨大な翼をもたげるように両腕を広げ、大きく息を吸い込むと、そのまま風に乗って滑空した。抵抗のない滑らかな浮遊感であった。

辿り着いてみるとそこはビニールの袋を空気で膨らましただけの浮島であった。いわば巨大なゴムボートである大勢の人々が行き交い、騒ついた雰囲気なのだが、皆忙しそうであった。流れに溶け込めずに立ち尽くしていると、一人の幼い少年が何か駄々をこねているのに出会った。いや、実はその少年というのはぼく自身であり、ぼくが何か邪なものに手を触れようとしているとことろを、見知らぬ男に止められてしまったのだ。ぼくはどうしてもそれに触りたいと繰り返すのだが、男は頑なに禁止する。そして最後には強引に手を引きながら、もう帰ろうと言いだす始末であった。帰る方法もやはり滑空だ。なぜ滑空するのかといえば、それ以外に水面を越える方法がないかである。ぼくらは一度目の滑空を試みる。だがうまくいかない。風向きが良くなかったのだ。再度試みる。そして失敗。今度は翼が壊れてしまったのだ。さらにもう一度。またも失敗。今度は軌道が橋をくぐってしまった。さらに次は高度不足。もう一度、もう一度、もう一度……。だが何度繰り返してみてもうまく行かない。ぼくは次第に本来目的を忘れ始める。いや、初めから目的などなかったのかもしれない。それさえも分からない。

←前 |後→

Permalink |記事への反応(2) | 12:55

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2025-03-20

anond:20250320220730

女子は責め絵嫌いなん? そんなことないやろ? ヒーロー苦悶の表情を浮かべるのんとか濡れるんやろ?

Permalink |記事への反応(0) | 23:03

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2025-03-07

anond:20250306171327

「母が父をペニバンで突いていた。」

 

その光景は、夕食の支度をする台所の窓越しに、庭の物置小屋で繰り広げられていた。母の鬼のような形相と、父の苦悶に歪む顔。手にしたペニバンは、父の腹部を執拗に突き刺し、鈍い音を立てていた。

 

私は、幼い頃から両親の不仲を感じていた。些細なことで言い争い、食卓はいつも冷え切っていた。しかし、まさかこんな形で二人の関係が終わるとは、想像もしていなかった。

 

警察の調べで、父の腹部には無数の刺し傷があり、死因は失血死であることが判明した。母は犯行を認め、動機については「長年の恨み」とだけ語った。しかし、本当にそれだけなのだろうか?

 

私は、両親の過去を調べ始めた。二人の出会い結婚、そして日々の暮らし。そこには、私が知らなかった両親の姿があった。そして、ある一つの事実に辿り着いた。

 

父は、かつて浮気をしていた。相手は、近所に住む女性だった。母は、そのことを知っていたのだ。

 

あの時、母は何を思ったのだろうか。長年の恨みとは、浮気のことだったのだろうか。それとも、もっと別の何かがあったのだろうか。

 

私は、真実を知りたいと思った。両親の過去、そして事件真相を。しかし、それは決して簡単なことではなかった。

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2025-02-21

"まだ"犯罪者ではないだけの人間

それが俺だ。明日か、来月か、来年か、はたまたもっと先か。わからないけれど、俺はいつか確実に犯罪者になるんだと思う。

その一線を超えないように苦悶しながら、少し気を緩めると犯罪者になる恐怖と闘いながら日々を生きている。

はいつも衝動的に湧き上がる加害欲を理性で抑えながら生きていて、ギリギリ今の所は理性が勝っているけれど、いつ理性が負けるのかわからなくて本当に怖い。

具体的に言えば、ムカつく上司に殴りかかったり、女性社員に急に抱きついたり、よく行くコンビニ窃盗をしたり、そういうことをしたくなる衝動が急に襲ってくることが日に1度はある。

昔はただ内側に衝動があるだけだったのに、最近では、上司の後ろを通る時に拳を固く握って振り上げるフリをしたり(伸びをしている素振りで誤魔化したつもりになっている)、女子社員とすれ違う時に抱きつく予備動作のように腕を広げてみたり(これも手を振るような動きで誤魔化したつもりになっている)、あとはコンビニで小さいお菓子を買うときにわざとポケットの側まで持ってきて万引きのフリをしてみたりしている。

まだ"フリ"で留まっているつもりだけど、例えば寝不足だったり、疲れて判断が鈍ったりしていたら、いつしかそのまま殴ったり抱きついてしまったりするんじゃないかと思って本当に怖くなる。

もちろんそんなことはしないように、拳を振り上げた後で「絶対にそんなことをしてはダメだ」と自分に強く言い聞かせているけれど、そんなことで自分を抑えられる気もしない。

もうマインド犯罪者のもので、行動も入り口までは行っていて、本当にあと一歩のところでギリギリ踏みとどまっているだけなんだという感覚が強くある。

この変な衝動に怯える日々を辞めたいけれど、逃れ方もわからんし、どうすればいいのやら。

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2025-02-12

anond:20250212114304

苦悶死規

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2025-01-02

駅伝は沿道にいる人も参加するべき

母親駅伝好きで毎年正月になるとテレビで流れてるんだけど全く興味が持てない。

何故なのか少し考えてみたんだけど、コンテンツとしてエンタメ性に欠けるんだよね。

ずーっと走ってるだけ。そんでたまに抜いた抜かれたが起こる。楽しそうに入ってる子がいたり、苦悶の表情を浮かべる子がいたり、その程度。画面にも展開にも変化がなさすぎる。

それぞれの選手大学も私にとっては情報量に差がないから、どの大学が優勝しても「へー、◯◯が優勝したんだ」の◯◯に入る単語が変わるだけだし、抜いた抜かれたも同様だから、すべて同じ事象としてしか捉えられないんだよね。

「今年は第4区間で沿道から乱入した佐藤さん(52)が優勝しました!」ぐらいの波乱が起きないと面白くない。

あとはそうだな、衣装オリジナリティがあったり、キャラめっちゃ強かったりもしないし。少なくとも走ってる姿からは知り得ない。

もっと沿道から邪魔が入るなどSASUKE的な要素を取り入れたらどうだろう。

駅伝好きな増田は、私に駅伝の好きなところを教えてください。

知らない人たちが、自分楽しいと思わないことで盛り上がってるのって、近所の居酒屋で見ず知らずの大学集団が内輪の飲み会して盛り上がってるのを見せられてるのとなんら変わらないんだよね。

人間の愚かさや長距離走よりは情報量が多い会話を見せられる方がまだエンタメ性が高い。

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2024-12-09

トレッドミルで走ってて思った婚活のこと

皆さんはトレッドミルを御存知でしょうか?

もしくはランニングマシンと言ったほうが聞き馴染みがあるかもしれません。

使ったことがある方ならおわかりいただけると思いますが、いくら走っても全然時間の経過が遅く感じます

まるで刑罰じゃないかと思ったことが何度かありますが、それもそのはずトレッドミル起源刑罰器具だったとかなんとか。

この拷問のような時間も納得できますね。

筆者は近頃この拷問器具の上で苦痛時間を過ごしております

というのも、会社の付き合いでランニングイベントに出ることになったからです。

普段ジムで白目を剥きながら筋トレしてる筆者ですが、持久走は大の苦手です。

いくらカジュアルイベントとはいえゼェゼェと苦悶の表情を浮かべて走るのは良くないかと思いトレッドミルトレーニング機能を使って走る練習をしているのです。

先程も言いましたが、トレッドミルで走ってみるとどうも辛いのです。

例えばトレーニング機能で5km走るともう…。

きっとそれは周りの景色が変わらずジムの白い壁が目の前にあり続けること、ただ時間の経過と走行距離を表示するトレッドミルデジタル表示の無機質さがそうさせるのでしょう。

かなりの時間が経ったはず、かなりの距離を進んだはず、なのに何も変わらない、進んでいるのかどうかもわからないというのはなかなか辛いものです。

走っているうちにバカバカしくなって止めてしまおうと思うのですが、やっぱりそれは負けた気がするし…の繰り返しです。

そんな中今日走っていたところ、ふと「いくらやっても進捗がわからない」という感覚婚活に似ているなあと思いました。

ところで筆者はアラサーで周りは結婚していってるお年頃です。

友人たちは父になり、母になり、2人目もでき…といった具合に。

つい先日も友人から結婚の報告がありました。

しかし筆者は何の進捗もありません。お一人様です。ソロプレイです。観客0人ワンマンライブです。

からの圧が年々強くなってます

もちろん何もしてないわけではありません。

アプリだなんだで出会ってみたりしてますが、イマイチうまくいきません。

上手くいったと思えば失敗し、失敗したと思えば失敗し。

何がダメだったのか、どこで間違えたのか、何もわからずに次を…の繰り返しです。

きっと前に進んでいるんだと思います。なにか学んだこともあるはずです。

諦めかけたことは何度もありますが、「結婚タイミング」だとか「世界に何十億も人がいるんだから、ぴったりな人がきっと見つかる」という言葉を信じて走ってます

しかいくらやっても進捗がわからない、どれだけ走っても終わりが見えない、これが今の私の状況です。

この感覚トレッドミルいくらかの距離を走るのと似ているなあと思います

いくら走っても終わりが遠いトレッドミルいくらやっても進まない婚活

体力的に責め立てるトレッドミル精神的に追い詰めてくる婚活

一体どちらの刑罰の方が楽なのでしょうか?

しかも周りから見ると何やら滑稽に見えてしまうところも似ているように思います。(これは言い過ぎでしょうか。)

しかしやらないことには何も進まない、何も得られないのも事実です。

幸いトレッドミル婚活も終わりはあります。それがわかりにくいだけでいつかきっと終わります

その時を目指してただただ愚直に走るしかないのでしょうか。

ところで、トレッドミルでそれなりに走ったあと、降りてみるとふわふわとした感覚があります

酔ったような変な感覚ですが、筆者そういう時ついつい一歩、また一歩と前に踏み出してしまます

ふらふらとおぼつかない一歩ですが、なんだか前に進めた気にもなるので個人的には気に入ってます

こうやって誰かと一緒に一歩、また一歩と前に進んでいければいいのにな、そう思いながら家に帰る毎日です。

Permalink |記事への反応(0) | 23:34

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2024-11-17

女が格闘技やったらだめなのかな

人を殴るのが、昔から好きだ。

蹴るのも好きだ。関節技も好きだ。ミシミシと筋が音を立てて、「いつでも折れる」って思える時の快感といったらない。

でも、やっぱり一番好きなのは相手を殴る時。

フルコンはいい。筋肉よりも骨がぶつかる。それがたまらない。よく骨折するけど、相手の肋を折った時の気持ちよさを得られるなら、全く釣り合いがとれる。

人を殴りたい。人を殴りたい。人を殴りたい。

から小学生の時から、ずっと空手家。後頭部を蹴りたい。苦悶の表情を見たい。腹を抑え込んて倒れ込む相手を見下ろしたい。

でも、そんなわたし彼氏がなかなか、捕まらない。

婚活しても、なかなかハードルが高い。

格闘技をやってる女子、魅力が低いみたい。

このままだと、道場ゴリラ達とそういう関係になってしまう。

男性からしたらやっぱり、格闘技やってるのって、マイナスポイントなのかな。

隠した方がいいのか、と悩んでいる。

みなさん、どう思いますか?

Permalink |記事への反応(1) | 13:11

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2024-10-28

石破さんが悶えている様子を見たい

策に溺れた石破さん。

身内を切り捨てて世間的には潔しと評価されるだろうと信じていた石破さん。

総選挙で刻一刻と野党当確を連ねるのをシラフなのか苦悶してるのかわからない白眼で見守る石破さん。

惨敗確定で脂汗を滲ませて呻く石破さん。

官邸で、トイレで、風呂場で、のたうち呻く石破さん。

肌着はもちろん高いオーダーシャツも粘度の高い汗でびしょ濡れの石破さん。

連立を模索して密室で他党幹部土下座する石破さん。

そんなときでもいつものねっとりトークは色褪せない石破さん。

連立云々の前に素で気持ち悪がられる石破さん。

やんわりと断られて部屋を後にする石破さん。

右にも左にも味方のいない石破さん。

鳥取なら。地元鳥取ならば。鳥取に帰りたい石破さん。

帰ってどうなる。首班指名選挙まで時間がない。

帰りたい。5歳のときに帰りたい。時刻表を暗記していたあの頃に。

車掌敬礼して答礼された嬉しいあの頃に。

そんな様子を本人主演でドキュメンタリーにしてほしい。8Kハイビジョンで。

毛穴からふつふつと湧き出る脂汗まで克明に。

Permalink |記事への反応(0) | 19:21

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2024-10-02

三四郎はそれなり寝ついた。運命与次郎も手を下しようのないくらいすこやかな眠りに入った。すると半鐘の音で目がさめた。どこかで人声がする。東京火事はこれで二へん目である三四郎は寝巻の上へ羽織を引っかけて、窓をあけた。風はだいぶ落ちている。向こうの二階屋が風の鳴る中に、まっ黒に見える。家が黒いほど、家のうしろの空は赤かった。  三四郎寒いのを我慢して、しばらくこの赤いものを見つめていた。その時三四郎の頭には運命がありありと赤く映った。三四郎はまた暖かい蒲団の中にもぐり込んだ。そうして、赤い運命の中で狂い回る多くの人の身の上を忘れた。  夜が明ければ常の人である制服をつけて、ノートを持って、学校へ出た。ただ三十円を懐にすることだけは忘れなかった。あいにく時間割のつごうが悪い。三時までぎっしり詰まっている。三時過ぎに行けば、よし子も学校から帰って来ているだろう。ことによれば里見恭助という兄も在宅かもしれない。人がいては、金を返すのが、まったくだめのような気がする。  また与次郎が話しかけた。 「ゆうべはお談義を聞いたか」 「なにお談義というほどでもない」 「そうだろう、野々宮さんは、あれで理由のわかった人だからな」と言ってどこかへ行ってしまった。二時間後の講義の時にまた出会った。 「広田先生のことは大丈夫うまくいきそうだ」と言う。どこまで事が運んだか聞いてみると、 「いや心配しないでもいい。いずれゆっくり話す。先生が君がしばらく来ないと言って、聞いていたぜ。時々行くがいい。先生は一人ものからな。我々が慰めてやらんと、いかん。今度何か買って来い」と言いっぱなして、それなり消えてしまった。すると、次の時間にまたどこからか現われた。今度はなんと思ったか講義最中に、突然、 「金受け取ったりや」と電報のようなもの白紙へ書いて出した。三四郎は返事を書こうと思って、教師の方を見ると、教師ちゃんとこっちを見ている。白紙丸めて足の下へなげた。講義が終るのを待って、はじめて返事をした。 「金は受け取った、ここにある」 「そうかそれはよかった。返すつもりか」 「むろん返すさ」 「それがよかろう。はやく返すがいい」 「きょう返そうと思う」 「うん昼過ぎおそくならいるかもしれない」 「どこかへ行くのか」 「行くとも、毎日毎日絵にかかれに行く。もうよっぽどできたろう」 「原口さんの所か」 「うん」  三四郎与次郎から原口さんの宿所を聞きとった。

https://anond.hatelabo.jp/20241002004712

 広田先生病気だというから三四郎が見舞いに来た。門をはいると、玄関に靴が一足そろえてある。医者かもしれないと思った。いつものとおり勝手口へ回るとだれもいない。のそのそ上がり込んで茶の間へ来ると、座敷で話し声がする。三四郎はしばらくたたずんでいた。手にかなり大きな風呂敷包みをさげている。中には樽柿がいっぱいはいっている。今度来る時は、何か買ってこいと、与次郎の注意があったから、追分の通りで買って来た。すると座敷のうちで、突然どたりばたりという音がした。だれか組打ちを始めたらしい。三四郎必定喧嘩と思い込んだ。風呂敷包みをさげたまま、仕切りの唐紙を鋭どく一尺ばかりあけてきっとのぞきこんだ。広田先生が茶の袴をはいた大きな男に組み敷かれている。先生は俯伏しの顔をきわどく畳から上げて、三四郎を見たが、にやりと笑いながら、

「やあ、おいで」と言った。上の男はちょっと振り返ったままである

先生、失礼ですが、起きてごらんなさい」と言う。なんでも先生の手を逆に取って、肘の関節を表から、膝頭で押さえているらしい。先生は下から、とうてい起きられないむねを答えた。上の男は、それで、手を離して、膝を立てて、袴の襞を正しく、いずまいを直した。見ればりっぱな男である先生もすぐ起き直った。

「なるほど」と言っている。

「あの流でいくと、むりに逆らったら、腕を折る恐れがあるから危険です」

 三四郎はこの問答で、はじめて、この両人の今何をしていたかを悟った。

「御病気だそうですが、もうよろしいんですか」

「ええ、もうよろしい」

 三四郎風呂敷包みを解いて、中にあるものを、二人の間に広げた。

「柿を買って来ました」

 広田先生書斎へ行って、ナイフを取って来る。三四郎台所から包丁を持って来た。三人で柿を食いだした。食いながら、先生と知らぬ男はしきりに地方中学の話を始めた。生活難の事、紛擾の事、一つ所に長くとまっていられぬ事、学科以外に柔術教師をした事、ある教師は、下駄の台を買って、鼻緒は古いのを、すげかえて、用いられるだけ用いるぐらいにしている事、今度辞職した以上は、容易に口が見つかりそうもない事、やむをえず、それまで妻を国元へ預けた事――なかなか尽きそうもない。

 三四郎は柿の核を吐き出しながら、この男の顔を見ていて、情けなくなった。今の自分と、この男と比較してみると、まるで人種が違うような気がする。この男の言葉のうちには、もう一ぺん学生生活がしてみたい。学生生活ほど気楽なものはないという文句が何度も繰り返された。三四郎はこの文句を聞くたびに、自分寿命わずか二、三年のあいだなのかしらんと、ぼんやり考えはじめた。与次郎蕎麦などを食う時のように、気がさえない。

 広田先生はまた立って書斎に入った。帰った時は、手に一巻の書物を持っていた。表紙が赤黒くって、切り口の埃でよごれたものである

「これがこのあいだ話したハイドリオタフヒア。退屈なら見ていたまえ」

 三四郎は礼を述べて書物を受け取った。

寂寞の罌粟花を散らすやしきりなり。人の記念に対しては、永劫に価するといなとを問うことなし」という句が目についた。先生安心して柔術学士談話をつづける。――中学教師などの生活状態を聞いてみると、みな気の毒なものばかりのようだが、真に気の毒と思うのは当人だけである。なぜというと、現代人は事実を好むが、事実に伴なう情操は切り捨てる習慣である。切り捨てなければならないほど世間が切迫しているのだからしかたがない。その証拠には新聞を見るとわかる。新聞社会記事は十の九まで悲劇である。けれども我々はこの悲劇悲劇として味わう余裕がない。ただ事実報道として読むだけである自分の取る新聞などは、死人何十人と題して、一日に変死した人間の年齢、戸籍、死因を六号活字で一行ずつに書くことがある。簡潔明瞭の極である。また泥棒早見という欄があって、どこへどんな泥棒はいたか、一目にわかるように泥棒がかたまっている。これも至極便利である。すべてが、この調子と思わなくっちゃいけない。辞職もそのとおり。当人には悲劇に近いでき事かもしれないが、他人にはそれほど痛切な感じを与えないと覚悟しなければなるまい。そのつもりで運動したらよかろう。

だって先生くらい余裕があるなら、少しは痛切に感じてもよさそうなものだが」と柔術の男がまじめな顔をして言った。この時は広田先生三四郎も、そう言った当人も一度に笑った。この男がなかなか帰りそうもないので三四郎は、書物を借りて、勝手から表へ出た。

「朽ちざる墓に眠り、伝わる事に生き、知らるる名に残り、しからずば滄桑の変に任せて、後の世に存せんと思う事、昔より人の願いなり。この願いのかなえるとき、人は天国にあり。されども真なる信仰の教法よりみれば、この願いもこの満足も無きがごとくにはかなきものなり。生きるとは、再の我に帰るの意にして、再の我に帰るとは、願いにもあらず、望みにもあらず、気高き信者の見たるあからさまなる事実なれば、聖徒イノセント墓地に横たわるは、なおエジプトの砂中にうずまるがごとし。常住の我身を観じ喜べば、六尺の狭きもアドリエーナスの大廟と異なる所あらず。成るがままに成るとのみ覚悟せよ」

 これはハイドリオタフヒアの末節である三四郎はぶらぶら白山の方へ歩きながら、往来の中で、この一節を読んだ。広田先生から聞くところによると、この著者は有名な名文家で、この一編は名文家の書いたうちの名文であるそうだ。広田先生はその話をした時に、笑いながら、もっともこれは私の説じゃないよと断わられた。なるほど三四郎にもどこが名文だかよくわからない。ただ句切りが悪くって、字づかいが異様で、言葉の運び方が重苦しくって、まるで古いお寺を見るような心持ちがしただけである。この一節だけ読むにも道程にすると、三、四町もかかった。しかもはっきりとはしない。

 贏ちえたところは物寂びている。奈良の大仏の鐘をついて、そのなごりの響が、東京にいる自分の耳にかすかに届いたと同じことである三四郎はこの一節のもたらす意味よりも、その意味の上に這いかかる情緒の影をうれしがった。三四郎は切実に生死の問題を考えたことのない男である。考えるには、青春の血が、あまりに暖かすぎる。目の前には眉を焦がすほどな大きな火が燃えている。その感じが、真の自分である三四郎はこれから曙町原口の所へ行く。

 子供葬式が来た。羽織を着た男がたった二人ついている。小さい棺はまっ白な布で巻いてある。そのそばきれいな風車を結いつけた。車がしきりに回る。車の羽弁が五色に塗ってある。それが一色になって回る。白い棺はきれいな風車を絶え間なく動かして、三四郎の横を通り越した。三四郎は美しい弔いだと思った。

 三四郎は人の文章と、人の葬式をよそから見た。もしだれか来て、ついでに美禰子をよそから見ろと注意したら、三四郎は驚いたに違いない。三四郎は美禰子をよそから見ることができないような目になっている。第一よそもよそでないもそんな区別はまるで意識していない。ただ事実として、ひとの死に対しては、美しい穏やかな味わいがあるとともに、生きている美禰子に対しては、美しい享楽の底に、一種苦悶がある。三四郎はこの苦悶を払おうとして、まっすぐに進んで行く。進んで行けば苦悶がとれるように思う。苦悶をとるために一足わきへのくことは夢にも案じえない。これを案じえない三四郎は、現に遠くから、寂滅の会を文字の上にながめて、夭折の哀れを、三尺の外に感じたのであるしかも、悲しいはずのところを、快くながめて、美しく感じたのである

 曙町へ曲がると大きな松がある。この松を目標に来いと教わった。松の下へ来ると、家が違っている。向こうを見るとまた松がある。その先にも松がある。松がたくさんある。三四郎は好い所だと思った。多くの松を通り越して左へ折れると、生垣きれいな門がある。はたして原口という標札が出ていた。その標札は木理の込んだ黒っぽい板に、緑の油で名前を派手に書いたものである。字だか模様だかわからいくらい凝っている。門から玄関まではからりとしてなんにもない。左右に芝が植えてある。

 玄関には美禰子の下駄がそろえてあった。鼻緒の二本が右左で色が違う。それでよく覚えている。今仕事中だが、よければ上がれと言う小女の取次ぎについて、画室へはいった。広い部屋である。細長く南北にのびた床の上は、画家らしく、取り乱れている。まず一部分には絨毯が敷いてある。それが部屋の大きさに比べると、まるで釣り合いが取れないから、敷物として敷いたというよりは、色のいい、模様の雅な織物としてほうり出したように見える。離れて向こうに置いた大きな虎の皮もそのとおり、すわるための、設けの座とは受け取れない。絨毯とは不調和位置に筋かいに尾を長くひいている。砂を練り固めたような大きな甕がある。その中から矢が二本出ている。鼠色の羽根羽根の間が金箔で強く光る。そのそばに鎧もあった。三四郎卯の花縅しというのだろうと思った。向こう側のすみにぱっと目を射るものがある。紫の裾模様の小袖に金糸の刺繍が見える。袖から袖へ幔幕の綱を通して、虫干の時のように釣るした。袖は丸くて短かい。これが元禄かと三四郎も気がついた。そのほかには絵がたくさんある。壁にかけたのばかりでも大小合わせるとよほどになる。額縁をつけない下絵というようなものは、重ねて巻いた端が、巻きくずれて、小口をしだらなくあらわした。

 描かれつつある人の肖像は、この彩色の目を乱す間にある。描かれつつある人は、突き当りの正面に団扇をかざして立った。描く男は丸い背をぐるりと返して、パレットを持ったまま、三四郎に向かった。口に太いパイプをくわえている。

「やって来たね」と言ってパイプを口から取って、小さい丸テーブルの上に置いた。マッチと灰皿がのっている。椅子もある。

「かけたまえ。――あれだ」と言って、かきかけた画布の方を見た。長さは六尺もある。三四郎はただ、

「なるほど大きなものですな」と言った。原口さんは、耳にも留めないふうで、

「うん、なかなか」とひとりごとのように、髪の毛と、背景の境の所を塗りはじめた。三四郎はこの時ようやく美禰子の方を見た。すると女のかざした団扇の陰で、白い歯がかすかに光った。

 それから二、三分はまったく静かになった。部屋は暖炉で暖めてある。きょうは外面でも、そう寒くはない。風は死に尽した。枯れた木が音なく冬の日に包まれて立っている。三四郎は画室へ導かれた時、霞の中へはいったような気がした。丸テーブルに肱を持たして、この静かさの夜にまさる境に、はばかりなき精神をおぼれしめた。この静かさのうちに、美禰子がいる。美禰子の影が次第にでき上がりつつある。肥った画工の画筆だけが動く。それも目に動くだけで、耳には静かである。肥った画工も動くことがある。しか足音はしない。

 静かなものに封じ込められた美禰子はまったく動かない。団扇をかざして立った姿そのままがすでに絵である三四郎から見ると、原口さんは、美禰子を写しているのではない。不可思議に奥行きのある絵から、精出して、その奥行きだけを落として、普通の絵に美禰子を描き直しているのである。にもかかわらず第二の美禰子は、この静かさのうちに、次第と第一に近づいてくる。三四郎には、この二人の美禰子の間に、時計の音に触れない、静かな長い時間が含まれているように思われた。その時間画家意識にさえ上らないほどおとなしくたつにしたがって、第二の美禰子がようやく追いついてくる。もう少しで双方がぴたりと出合って一つに収まるというところで、時の流れが急に向きを換えて永久の中に注いでしまう。原口さんの画筆はそれより先には進めない。三四郎はそこまでついて行って、気がついて、ふと美禰子を見た。美禰子は依然として動かずにいる。三四郎の頭はこの静かな空気のうちで覚えず動いていた。酔った心持ちである。すると突然原口さんが笑いだした。

「また苦しくなったようですね」

 女はなんにも言わずに、すぐ姿勢をくずして、そばに置いた安楽椅子へ落ちるようにとんと腰をおろした。その時白い歯がまた光った。そうして動く時の袖とともに三四郎を見た。その目は流星のように三四郎の眉間を通り越していった。

 原口さんは丸テーブルそばまで来て、三四郎に、

「どうです」と言いながら、マッチをすってさっきのパイプに火をつけて、再び口にくわえた。大きな木の雁首を指でおさえて、二吹きばかり濃い煙を髭の中から出したが、やがてまた丸い背中を向けて絵に近づいた。かってなところを自由に塗っている。

 絵はむろん仕上がっていないものだろう。けれどもどこもかしこもまんべんなく絵の具が塗ってあるから素人三四郎が見ると、なかなかりっぱであるうまいかまずいかむろんわからない。技巧の批評のできない三四郎には、ただ技巧のもたらす感じだけがある。それすら、経験がないから、すこぶる正鵠を失しているらしい。芸術の影響に全然無頓着人間でないとみずから証拠立てるだけでも三四郎風流である

 三四郎が見ると、この絵はいったいにぱっとしている。なんだかいちめんに粉が吹いて、光沢のない日光にあたったように思われる。影の所でも黒くはない。むしろ薄い紫が射している。三四郎はこの絵を見て、なんとなく軽快な感じがした。浮いた調子は猪牙船に乗った心持ちがある。それでもどこかおちついている。けんのんでない。苦ったところ、渋ったところ、毒々しいところはむろんない。三四郎原口さんらしい絵だと思った。すると原口さんは無造作に画筆を使いながら、こんなことを言う。

小川さんおもしろい話がある。ぼくの知った男にね、細君がいやになって離縁を請求した者がある。ところが細君が承知をしないで、私は縁あって、この家へかたづいたものですから、たといあなたがおいやでも私はけっして出てまいりません」

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2024-09-06

増田ばかりブクマするブクマカになってしまった

最近生活していて辛いことが増えたんだけど、それ以来、社会問題知識ネタ著名人のあれこれなんかより、名も無き人々の喜びや苦悶の話の方が摂取したい欲求が強くなった。

今は辛いことばかりだけど生きていたら良くも悪くも色々なことがあるという変化の可能性を、他人を通して感じたいからだろうか?

そういう意味増田は最適なんだよな。

Permalink |記事への反応(3) | 23:15

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2024-07-30

anond:20240730125435

私には分かります

地方民の苦悶怨嗟に満ちた声が……

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2024-06-06

anond:20240606103333

双葉山呉清源がジコーサマに入門したという。

呉八段は入門して益々強く、日本の碁打はナデ切りのウキメを見せられている。

呉八段が最近しきりに読売新聞碁をうち、バクダイな料金を要求するのも、ジコーサマの兵タン資金を一手に引きうけているせいらしい。

僕も読売のキカクで呉清源と一局対局した。そのとき読売の曰く、呉清源の対局料がバカ高くて、それだけで文化部の金が大半食われる始末だから

安吾氏は対局料もベン当代も電車チンも全部タダにして下され、というわけで、つまり私も遠廻しにジコーサマへ献金した形になっているのである。南無テンニ照妙々々。

双葉や呉氏の心境は決して一般には通用しない。

然し、そこには、勝負世界の悲痛な性格が、にじみでゝもいるのだ。

文化高まるにしたがって、人間迷信的になるものだ、ということを皆さんは理解されるであろうか。

角力トリのある人々は目に一丁字もないかも知れぬが、彼らは、否、すぐれた力士は高度の文化である

なぜなら、角力技術通達し、技術によって時代に通じているからだ。

角力攻撃の速度も、仕掛けの速度や呼吸も、防禦の法も、時代文化に相応しているものであるから

角力技の深奥に通じる彼らは、時代の最も高度の技術専門家の一人であり、文化人でもあるのである

目に一丁字もないことは問題ではない。

高度の文化人、複雑な心理家は、きわめて迷信に通じ易い崖を歩いているものだ。

自力のあらゆる検討のあげく、限度と絶望を知っているから。

すぐれた魂ほど、大きく悩む。大きく、もだえる。

力士双葉山、大碁家呉八段、この独創的な二人の天才がジコーサマに入門したことには、むしろ悲痛な天才苦悶があったと私は思う。

ジコーサマの滑稽な性格によって、二人の天才の魂の苦悩を笑殺することは、大いなるマチガイである

太宰治情死考 坂口安吾

https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/43137_30135.html

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2024-06-02

anond:20240602153026

ワイ的な「人間扱い」の意味は、「相手人間であるという前提で接すること」やな。

たとえば、通行人腹パンして逮捕されたやつが2人いるとして、

  1. 自分は柔らかいものを殴ってストレス発散するのが好きで、いつもは部屋にあるテディベアを殴っているのだが、最近忙しくて部屋に帰れてないので、手近な柔らかいものを殴った」
  2. 自分人間の顔が苦悶に歪むのが大好きなので、手近な人間を殴った」

1は人間扱いしてないけど2は人間扱いしとるな、という判断。殴る対象人間であることに意味があるわけだから、それは人間扱いってことだろ。

なので、レイプ犯も奴隷主も相手人間扱いしてると思う。人間を犯し人間酷使することに意味があるわけだから(「豚に挿入しても良かったけど近くに豚がいなかったか人間を選んだ」とか「馬でもできる労働だけど人間の方が安かったから……」だったら人間扱いはしていないと思う)。

何が言いたいかというと、「人間扱い」という言葉マジで無意味ってこと。

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2024-05-23

anond:20240523072806

彼は生涯責任転嫁をし続けた。そして生涯苦しみ続けた。彼の苦しみは年をとるにしたがって激しいものになっていった。彼はいつも怯えていた。誰と会っても虚勢を張ったり、迎合したり、いつもビクビクしていた。それよりも最後はどう生きていいかもわからなくなり、苦悶のなかで生きていた。

重荷から逃げるにしろ責任転嫁しろ、その場が楽なことは最後には大きなつけとなって本人に返ってくる。

*Ellen J. Langer, Mindfulness, Adison-Wesley Publishing Company, Inc. 1989.

Permalink |記事への反応(0) | 07:44

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2024-05-13

好きな女の子の話

週に2回は通ってるピンサロ指名してる地雷メイク、ぱっちりした目、小柄で柔らかい身体可愛い女の子が大好き。

大学生らしい。

20歳と仮定すると俺とは28の歳の差。

「〇〇番!」という挨拶とともに現れるとブースの横からひょこっと顔だけ出して手を振る。

そして靴を脱いでぴょんっとブースに入る。

「飴いる?」と聞かれ「うん」と答えるとそのまま笑顔キスして口移しで飴をくれるのだ。

そしてディープキスしながら一緒に飴を舐める

この時点で先走り大洪水

髪や服から香る超絶良い匂いとスベスベモチモチ肌が触れることにより遺伝子レベルの興奮を覚えて生殖のために精子が飛び出そうとするがそれを必死で抑えて雑談タイム

何を言っても肯定して「今日は楽しもうね?」と言ってくれる彼女に日頃の疲れも吹き飛ぶ。

そのまま彼女がぴょんと膝に乗ってくれる。

むっちりなのに軽い。

ディープキスで互いの常在菌を交換して免疫を高め合う。

お互いの服を脱がせあい全裸になるとお互いの肌をくっつけ合ってハグタイム

ピョンピョンピクピクしたマラドーナ爆笑)が彼女お腹に当たり先端から糸を引くと彼女が楽しそうに笑う。

彼女の肉壺に指を埋めると、肉壺は俺の指をオス棒と勘違いして受精の機会を求め必死に締め付けてくるのだ。

彼女苦悶の表情をして甘い吐息を俺の耳元で響かせる。

そのまま彼女ゆっくりと頭を下げ、俺のフルフル亜種に指を絡め、そのまま口に含む。

歯を立てず、吸わず、力を込めず、彼女は口内粘膜でゆっくりと撫でるように上下する。

ああ…

すぐに限界を迎え「俺の俺!耐えろ!お前が遺伝子を放つべきはそこじゃないだろ!俺が指を埋めてるこの壺の中だろ!その可愛い口の中に出したって俺とこの子の愛の結晶はできないぞ!」という我慢も虚しく性的快感脊髄から脳へ通過し脳内で広がり、俺の身体は痙攣し始める。

はっきりとわかる量。

ピュッ!じゃなくドゥルッ!と。

彼女はすぐに吐き出さず俺の棒を丁寧に拭き取る。

それから俺に一度口の中を見せて、微笑んでからおしぼりの上に見えるように吐き出す。

そして「もー!溜めすぎ!」と笑うのだ。

アニメ好きでサークルにも入っておらず出勤と大学の授業意外ずっと引きこもってるインドア女子で男を知らない癖に俺を喜ばせる方法だけは知ってやがる。

もう耐えられない。

今週も彼女と逢瀬を重ねよう。

いつか既成事実を作って結婚して愛の結晶を2人で育てたい。

最初は俺だけしか指名していなかったのに、今では朝一で整理券取って並んでも会えるのが昼頃になるくらい人気なのが悔しいが、いつかは俺だけに微笑んでほしい。

Permalink |記事への反応(5) | 22:42

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2024-05-11

anond:20240511075549

あのCM、話だけ聞くと軽快にポン!と潰して薄くなってiPhoneに!

みたいな映像かと思ったらメリメリと明らかに破壊意図で壊してるし

苦悶の表情で潰れる絵文字までいるし破裂する血飛沫もあるし

破壊殺戮みたいな攻撃性高いメッセージが明らかで驚いた

もちろんCM作るプロがそんなの意図せずやってるわけないよね

 

どういう狙いだったのか気になる

このCMが受けた世界線に飛んで担当者どや顔で狙いを説明してる記事を読みたい

なんか無神経だったというより楽器とか文化かに劣等感でも持ってるのか?くらいの変なCMだった

Permalink |記事への反応(0) | 08:01

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2024-04-11

ただいまカレーパン焼きたてです!

ひとついかがですか?ってコンビニ会計しながら店員さんに勧められたりするじゃん。

あれに何て返すのが一番印象いいんだろ。買わない前提ね。

今のところ実践したのは、

「(カレーパン視線を向けほんの一瞬目を見開き、苦悶するように眉を寄せて買うかどうかの迷いを見せたのち)、大丈夫です」  です。

Permalink |記事への反応(1) | 19:01

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2024-03-13

ハーフ美少年チンコ性癖狂わされた話

※かなり気持ち悪い話ですので読まれる方は自己責任

小学生のころ美形の友達がいた。美形な上にノリもよかったので男女を問わず人気者だった。彼の母親フィリピン人で、母親譲りのくっきりした顔立ちが印象的だった。一番美しいのは目とそのまわりで、眉毛が濃くてまつ毛が長い上に目自体が大きく二重で黒目がちと非の打ち所がなかった。鼻は筋が通っているものの横に広いにんにく鼻で口はたらこ唇だったが、それも不格好すぎるということはなくむしろ愛嬌と色香をもたらしていた。俳優赤楚衛二をはじめて見たときはその同級生がこっそり芸能界入りしたのかと思ったぐらいである。

6年生の春に彼はフィリピン祖父母に会いに行った。そして向こうで割礼というのを受けさせられてから帰ってきた。割礼とは文化として行われる包茎手術のことである。帰ってきた彼は割礼体験のことを「いきなり今からチンコの皮切るって言われてパンツ脱がされたんだぜ」「チンコからたことないぐらい大量に血出てた」「かなり痛かったけど泣いたらオカマだと言われるから耐えた」とどこか自慢気に語り、クラス男子は筆者も含めみんなえげつない体験をした彼のことを尊敬眼差しで見ていた。元から人気者なのにその一件で彼の株はさらにあがった。ただ、筆者はそんな体験を平然と語れる彼のことが少々恐ろしかった。心がどこか麻痺しているのではないかと思ったのだ。

筆者はその同級生と同じスイミングスクールに通ったりしていてけっこう仲がよく、家によく遊びに行っていた。あるとき彼の家でふざけてチンコがどうこう言って騒いでいたら居合わせた彼の二つ上の姉が、「こいつがチンコ切られた時の写真見る?」と言ってデジカメを見せてきた。日本ではありえないが、フィリピンでは割礼は男なら誰でも子供のうちに病院などで受けるもので、大人に近づいた記念のような意味合いがあるので手術室に家族が同伴して写真を撮るのは珍しいことではないらしい。写真は何枚もあったが、不服そうに手術を待っている姿、股に麻酔注射を打たれて絶叫している瞬間、おさえつけられて号泣しながら局部を切られている様子などが鮮明に収められていた。割礼体験武勇伝のように語っていた彼は、本当は号泣していたということを知られるのが恥ずかしいらしく、なんでこんなの見せるんだよと姉にキレていた。だが姉の方が強い姉弟だったので姉はカメラしまわなかった。そして筆者はというと、むしろ彼にもちゃんと恐怖心があるのだと確認できて安心したのだった。それからそのような辛い体験を乗り越えた彼に優しい言葉をかけてあげたくなった。あまり共感性の強くない子供だった筆者にとってはあまり馴染みのない感情だった。

最後に見せられた写真は術後のもので、痛いのか彼は不機嫌そうな顔をしてハーフパンツを履いて股間のところを指で摘んでいた。傷口や亀頭が服に擦れると死にそうになるのでそんなふうにガードするのが向こうでは常識らしく、その姿のことを現地語で割礼ポーズなんて言ったりもするらしい。筆者は青いハーフパンツの布越しに彼の性器存在を感じ取って不覚にもドキリとしてしまった。それはボディーラインを強調するような服を着た女性を見たときと同じ胸の高鳴りだった。この下にデカい乳が潜んでいるんだと想像してワクワクするあの感覚である。当時はそんなボキャブラリーは持っていなかったが、彼の性器から幼い私はエロスを感じていたのだ。そしてエロスを感じさせてくれる人というのは男でも女でも皆尊い

写真を見終わって「お前すげえな」と声をかけたら、「この写真のこと絶対誰にも言うなよ」と強く口止めされた。本当はもっと「頑張ったな」とか「もう大丈夫からな」とか言いたかったけれど男子同士でかけ合うような言葉ではないのでやめた。代わりにそれからというものの、給食当番で彼によそう時だけ肉を多めにして心のなかで「手術頑張ったご褒美だよ」と呟いたりした。

やがて筆者はダメダメだと思いながらキッズケータイで撮った彼の写真を見てマスターベーションをするようになった。彼が異国で割礼の痛みに苦悶する様子を思い浮かべて「頑張れ、我慢しろ」と励ましながらである。そして射精するタイミングで「よく頑張ったな」と褒めてあげるのである。長じてはマスターベーションなら同性でも異性でもできるようになったが、同性をオカズにする時の筆者は相当なSである。肉体的な痛みに苦しめたあと労ってあげたいのだ。

はい英語能力を活かして某有名大学で学んでおり、しかも同じハーフ彼女がいる。彼女とも面識はあるが、やはり美形で人間性も素晴らしい人だ。敬愛する友人が痛みを乗り越えたそのどうしようもなくエロい性器彼女気持ちいいことしているのだったらいいなと思いつつ、今でも私はときどきその友人が割礼で苦しむ姿を思い浮かべながら己の性欲を解消している。彼が苦痛に顔を歪ませる姿は何よりも尊いけれど、それでもそんなこととは関係なく彼にはずっと幸せであってほしいと思う。

Permalink |記事への反応(7) | 23:53

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