
はてなキーワード:芸術系とは
人物紹介
備考
経緯
2025/04
友人を介して知り合う。
2025/05
実際に大学などで会うようになる。
(キチガイは留年している上にアルバイトもしておらず、内定もなく、卒業の目処もたっていなかったため)
2025/06
私、友人、キチガイの3人で通学や昼休みの時間を過ごすように。
2025/07上旬
↓
(付き合ってないのに)
↓
前々から言動に問題のあったキチガイとの友人関係の継続に困難を感じ、フェードアウトを試みる。
↓
キチガイから鬼電。電話に出ると、「校舎で待ち伏せしてお前を刺し殺す」と殺害予告を受ける。
同時期、友人から「キチガイが殺すとか言ってるけど大丈夫?」と連絡を受ける。
↓
二度と連絡をしてくるな、とキチガイに告げる。
2025/07下旬
数人の友人間でスペース(Xの音声配信機能)を行っているとキチガイが乱入してきて、私と話をさせろと騒ぐ。
(ブロックしても別のアカウントを使ってコンタクトを取ろうとしてくる)
↓
大学の授業日、キチガイが「最後に会いたいです。雨の中傘もささずに待ってます」とX経由でメッセージを送ってくる。
無視して帰ろうとしたら大学入口付近で待ち伏せされていたので、ダッシュで逃げる。
↓
キチガイ、拒絶したにも関わらずありとあらゆる方法(PayPayのメッセージ機能とか)でコンタクトを取ろうと試みるが、やがて諦める。
2025/08-2025/09
(直接メッセージを送ってくるわけではなく、投稿に対して投稿で……という形)
刺激するのが怖かったので放置していたが、耐えきれずブロックする。
2025/10
ブロックしてもなおキチガイの粘着が止まなかったため、アカウントを変更する。
しかし変更しても新しいアカウントを特定されたため、大学や警察へ相談することに。
とにかくSNSでの粘着をやめて欲しかったので、とりあえずその旨を大学へ伝えることに。
→大学から注意することは可能だが、警察にも相談するようにと言われる。対応は一旦保留、後に警察へ全て任せることに。
→まず電話で相談したところ、警察署へ来るように言われる。警察署で調書を取られつつ経緯を説明すると、口頭注意か文書での注意を選ばせてもらえることに。
とりあえずは口頭での注意をお願いし、行動がエスカレートするようであれば文書での注意をして貰えるように依頼した。
すぐに対応してくれるのかな?と思っていたが、2週間ほど経ってもなんの音沙汰もなかったため、催促の電話をしたところその翌日に対応してくれた。ありがとう。
キチガイの親をまじえた口頭注意の際に、「二度と関わりません言及もしません」と言質をとってくれたとのこと。
まとめ
大学経由で警察の対応を教えてもらったのですが、その際に「被害者本人にも経緯を直接お話します」と警察の方が言ってくれていたと聞きました。しかし、そこから1週間ほど連絡がなく……。
他にもっと重大な事件があると思うので、警察もいちいちこんな案件の対応してられないんでしょうね。
正直警察は催促しなきゃ動かないし、動いたとて役に立つとは限らない、と思います。
「二度と関わりません言及もしません」とのことですが、所詮は口約束なのでどこまで信用できるのか甚だ疑問です。
しかし、親や警察に囲まれて怒られるキチガイの姿を想像すると若干溜飲が下がりました。
大学側も担当教員や職員に共有してくださるそうなので、何もしないよりは多少身の安全が保証されているのではないでしょうか……?
正直なところ、別に私は刺されても良いので警察に相談しました。刺された場合結構儲かると思うので。
刺されたり殺されたくない方は、刺激せずに放っておくのがいちばん無難な手立てなんでしょうね。
結論:ストーカーに殺害予告されてもストーカーは大したお咎めを受けない
おまけ
〇過去に関わった女の子数名に粘着し続けていることを自慢げに話していた
〇私含め精神障害のある人間に対し、「精神障害と診断されるくらいなら死んだ方がマシだ」と発言した
〇上記発言の後に精神科に行き、躁鬱と診断されてその事をアイデンティティとしたのか嬉々として躁鬱について話すようになる
〇振られたショックで留年した
〇留年分の学費の支払いがあるのにアルバイトをせず、日雇いのバイトをしてはその金をVRCに注ぎ込んでいる
〇昨年留年した反省がなく、今年も大学をかなりサボっており、おそらくまた留年する
〇不快なことがあると運転免許証の画像をモザイクなしでツイートする
〇自分の過去ツイに価値を感じているようで、絶対に垢消しをしないところが気持ち悪い
以上です。友人関係を続けるうちに上記のような人間であると露呈していき、徐々にフェードアウトを図る中での殺害予告でした。どうしたら良かったんですか?私は。
苦労して警察に足を運んだり(調書作成に4時間かかった)したので、正直誰かに聞いてもらわないとやってられなかった……。
実は、ストーカーの件は今年に入って二度目の警察への相談でした。別件の警察沙汰がその前にあったのでその件についても書きたいと思います。
経緯
2023/12
インスタに勃起したちんぽや、私の顔写真を表示したスマホに精液をぶっかけた画像が送られてくる。その後、相手はアカウント削除。
警察に相談したところ「相手が垢消ししてるから対応できないし、実害がないから……」とありがたいお言葉を頂戴する。
2025/07
2年前の2023年頃に地域の所謂オナペ晒し掲示板に私の顔写真・本名フルネーム・在学する大学・年齢が書き込まれているのを発見する。
(合計4件ほど)
↓
警察に相談したところ、「個人情報が書かれているだけなので誹謗中傷にはあたらない」「警察でできることは何もないから削除依頼をしてはどうか」「弁護士に依頼してみたら?金かかって終わりだとは思うけど……」など、ありがたい助言を頂戴する。
↓
↓
そういえばこの書き込みがあった頃、インスタに猥褻画像が送られてきたなあ……としみじみする。
これは知り合いによるいたずらだと思います。
というのも、私自身が特殊な読みのキラキラネームであるため、ご丁寧に読み仮名を振って掲示板に書き込みをできるのは知り合いしかいないからです。
以上です。7月に縁切り神社に行ったから、効果があるといいなと思います。
Permalink |記事への反応(17) | 11:24
タイトルの通り。
ゲーム業界を目指す人はめちゃくちゃ多く、少なくとも新卒での入社は狭き門となっている。
業界の知り合いなどいれば現状や対策もわかりやすいが、そうではない人が入ろうとするには情報を集めにくい側面があると思う。(実際に自分の新卒就活時には情報が足りていなかった)
そのため、新卒では入れなかったもののゲーム業界の末席に籍を置く自分が、当時知りたかった情報を自己満足で記載していこうと思う。
一応記載しておくが、自己満足のためのものなので記載の内容をもとに行動してうまくいかなかったなどの責任は取らない。最終的には自分で判断してほしい。
【経歴】
こういった話はどういう人間が言ったかによって信憑性が変わると思うので、自分の経歴について先に話しておく。
念のため書いておくと、ゲーム業界に入れた自慢のつもりで書くつもりはないが、自慢だと受け止めてもらっても嬉しいだけなので構わない。(そもそも新卒では入れてる人を常時目の当たりにするので自慢に思えていないので)
特定は怖いのでフェイクを混ぜるが、おおよそ変わらないと思う。
自分は偏差値50程度の情報系大学の出身で、入学以前からゲーム業界(プログラマ)を志望していた。
入学難易度がたいしたことない大学だが、その分上位10%よりは上の成績だった。
就活の時期が来たので、一人で作った2Dゲームや、大学の講義でのグループ開発したWEBシステムなどをポートフォリオにして就活を行った。
その結果、ゲーム業界はどこにも引っかからず、IT企業で客先に常駐するいわゆるSESの会社に入社した。
最初は非ゲームのスマホアプリの開発に従事させられたが、営業の人にゲーム業界に行きたいと伝えてあったので、1年ほど経って契約終了のタイミングで小さなソシャゲ会社に移動した。
そこではUnityなどで開発の経験を積ませてもらった。裁量が割と雑な企業だったので広範な部分の技術を触れたのを覚えている。
2年強そこで働いたものの、サービス終了をきっかけに転職を試みようと思い退職。
その後ゲーム業界専門の大きなSES企業に入社し、運よく大手のソシャゲ開発案件に入れた。
そこで大手の分業の仕組みに慣れながら働いていたが、もともと志望していたコンシューマゲーム業界へのあこがれもあり、本社の営業チームに希望を出していたがタイミングが合わず案件がない時期が続いた。
2年ほど経って、プロジェクト単位での派遣という形だが、Unityなどソシャゲと共通の技術を使うためか、コンシューマゲームの開発経験が無くてもOKなコンシューマゲームの案件が出てきて、そこに転職した。
今は会社は小さめだが、IPはそこそこ強いコンシューマゲームの案件で、不安定な立場ながら従事している。(可能であれば正社員として登用してほしいが、今のところ何も話はない)
【本題】
ここからは実際にゲーム業界を目指す者についてのアドバイスだ。
まず第一に、有名なゲームディレクターの桜井さんの動画にもあったが、ゲームを作ることが重要。
企画職、プログラム職は言わずもながで、デザイン職やサウンド職の芸術系の人でも、そういった経験があると必要な素材の勘所がつかみやすくなるので、作っていた方がいい。
経験を積み上げるために1、2本ではなく何本か作っていてほしい。
可能であれば複数人のプロジェクトでゲームを作り上げているとなお良い。
目指す企業があるなら、その企業のジャンルに近いゲームの方がアピールになる。
なぜゲームを実際に作ることが重要なのかというと、企業が欲しいのは「良いゲームを作れる人材」だからだ。
良いゲームを作れるとアピールする最大の方法は、実際に良いゲームを作ったという経験を伝えることだからだ。
経験の量や質が良ければ、その分ポートフォリオや自己PRでも伝えられることが増えて、有利になるのは言うまでもないだろう。
なので時間をかけて1本や2本作るよりも、何本か完成させて経験として伝えられる方が基本的には有利。(その1本や2本が、それなりの売り上げを上げられるほど優れた作品なら話は変わるかもだが)
そして、入社後に実際に働く際には、当然複数人でその企業で開発されるジャンルのゲームを開発することになるので、入社後に働けるアピールをするためには、複数人でそのジャンル(例えば3Dのアクションとか、2Dのパズルとか)に近いゲームを作っておいた方が有利になる。
もちろん希望職種に合わせた経験を積んでいることが好ましいが、他職種の作業も軽く把握しているとやりとりがスムーズになることが多いので、こちらは参考程度にかじっておくとよいかもしれない。
では、どうして「入社時点で」ゲームを作れることが重要になってくるかというと、やや厳しい現実だが数か月の研修~最悪入社後いきなり業務に放り込んで、ゲーム作りに従事できるかを見られているからだ。
ゲーム業界に来る求人は、経験則でいえば小さな会社でも相当な数になる。その分優秀な人材、いわゆる即戦力が来る可能性も高くなっていく。
そんな状況で、ゲーム作りもそれに類する技術もなく、熱意だけあるというような人を採用して育てていくよりも、ある程度ゲーム作りの経験があって、その下地をもとに仕事を進められそうな人を採用してすぐに働いてもらった方が効率が良いのである。
小さい会社から大きい会社まで数々の新卒の人を見てきたが、どの人も下地としてゲーム開発の経験がそれなり以上にはある人ばかりであった。
それから、一般的な就活の対策と同じになるが、コミュニケーション能力は求められる。
ここでいうコミュニケーション能力とは、雑談などで盛り上がる力ではなく、業務の遂行に向けたやり取りを円滑に行う力である。
ゲーム開発は、言語化の難しいあいまいな感覚を伝えなければならないケースがままある。
それらを時に図持したり、時に実例を見せたりして、伝えなければならない。
この辺りは企画職の人に特に必要な技能かもしれないが、プログラマやデザイナも日々多くの人とやり取りをすることになるので、とにかく伝える・受け取る技能は必須だ。
そういった部分に難がないことを見るために面接などを行っていると思われるので、その点は意識しておいた方がいい。
意識するべきなのは、自分がその職に就いたとしてどのような業務を行うかということである。
企画職なら
レベルデザイン・ゲームデザイン・ディレクション・PM業務など
プログラマなら
インフラ・サーバーサイド・UIプログラム・キャラクタープログラム・CI系・グラフィックスプログラムなど
デザイナなら
キャラクターデザイン・背景デザイン・UIデザイン・モデリング・リギング・エフェクトなど
こういった中から、自分はどのポジションにいたいのか、あるいはすべてをこなせる万能手になりたいのかなど、戦略を考える必要がある。
基本的にはより詳細な募集になる中途採用の情報などから自分の志望するポジションを考えるのをおススメする。
ーー
さて、一通り記載したが、もちろん自分は上記のことをできていなかった。
シンプルにゲームの開発経験も足りなければ、自分のポジションの意識もふわふわしていた。できてた可能性があるのはコミュニケーション能力くらいである。
しかし、これまで見てきた新卒で入社する人は上記のことを努力も才能も偶然も含めて結果的にこなせている人材ばかりである。
はっきり言って一朝一夕で何とかなるようなものではないものもあり、すでに就活を行っている人などでは間に合わないようなケースもあるだろう。
そうなると選択肢は2つ。「ゲーム業界をあきらめる」か「なんとか中途でもぐりこむ」のどちらかである。
あえてはっきり伝えたいのだが、自分は「ゲーム業界をあきらめる」ことを悪いことだとは思っていない。
ゲーム業界に入ることが絶対的にエラいことなのかというととてもそうではなく、志望者が多いということはそれだけ入れない人が多いということになるので、切り替えて別の目標を探すということができるのも一つの能力だと思うからだ。
むしろ能力が足りずに経験も積めてないのに、あきらめることだけはできずにいる方が、よっぽと精神には悪い。一歩間違えると自分もそちら側になっていた(なんなら今も危うい)と思うと恐ろしさを感じてしまう。
挑戦してダメだったというのも、あきらめきれるきっかけにもなるかもしれないので、挑戦すること自体は良いことだとは思うが。
それでもあきらめられないのであれば、「なんとか中途でもぐりこむ」ことを選択することになる。
これに関しては様々なルートがある。第二新卒だったり、自分のように客先常駐や派遣で、何とか未経験でもOKのところを探す方法だったり、個人で開発経験を積んでから、中途採用に応募するケースだったり。
運について、そもそも新卒と違い、自分の入社できるポジションが企業に存在するかがわからないので、志望企業に応募すらできない可能性もある。(おそらく求人自体はあるだろうが、第二新卒以外は経験者限定でのものがかなり多いだろう)
仮に応募できたとしても、競争相手は少なくなるが、その分枠も少ないという戦いになる。
未経験である以上、ポテンシャルで採用してもらうしかないので、企業側がその気があるのかはどうしても運になる。
自分の場合は客先常駐で常駐先に同じ会社から出向している人がいたので、その抱き合わせみたいな形で入社できたところがあったので、運が良かったとしか言えない。(別プロジェクトだったので面倒は見てもらえてないが)
こればかりは巡りあわせなので、試行回数を増やして確立を上げるか、万一コネなどあれば、確率の高いルートを用意してもらうかするなどでしか対策はできない。
能力について、何をいまさらと思うかもだが、新卒の時よりも少しシビアになっている。
第二新卒なら新卒同様の扱いになるが、そうでなければ研修など1日程度で簡単に済ませての即戦力としての採用になるので、いきなり現場に出ることになる。
選考時には現場で戦えるかをみられることになり、採用されても即現場なので、使い物にならなければ、雇用形態によってはすぐに首を切られることになる。
なので、業務を遂行するだけの能力が必須になる。その重みは新卒時より重い。
こちらに関して自分については、正直に伝えると少なくともいきなり放り出されても業務を遂行する程度の能力はあったので何とかなっただけだ。(新卒入社の人もこなせていただろうが)
従事する業務に関してはより明確になっているはずなので、食らいついて最低限以上の仕事をしていく必要がある。
中途での現実はそんな感じだ。
競争相手は少なくなるので、単純な確率は上がるが、その分それ専用の武器を用意しなければならない。
一つだけお伝えすると、逆に一度潜り込んでしまえば、経験者の採用を受ける権利が得られるので、より世界は広がる。
ーー
以上がゲーム業界に遠回りして入った身からできるアドバイスだ。
この辺りの話を新卒のころに知りたかったので、これから就活をしようという人に伝わったら嬉しい。
ーーーーーーーー
【追記】
自己満足で書きなぐっただけなのになんかめちゃくちゃ反応ある。
文章が優れてるとは到底思えないので、ゲーム業界の注目度の高さを示しているのだろう。
ざっくり読んだが、結局のところ正解のある話ではないので、いろいろな意見があって当然だと思う。
みんな自分の経験なんかもあるだろうし、適当言ってるだけの可能性も自分含め全然あるだろうし、名前を出しているでもない限り参考程度で読むのがいいと思う。
学歴についての言及も多かったのでその点に触れようと思って追記したが、そりゃあ当然学歴があった方が良いだろう。
実際応募数の多い大企業では、足切りの条件の一つに使われるのも止む無しだと思うし、そうでなくても大体の高学歴の人はシンプルに優秀だ。
だけど高学歴なだけでは入れないのも事実だと思う。逆に偏差値が低かったりする場合でもそれだけで切られることはそんなに多くはない(ちゃんとしてれば書類は通る)。
実際、大企業なんかでも意外と専門学校の卒業生(たいていはトップ層だが)もいたりするのを結構見てきた。高学歴が入社しやすいのは、それだけ優秀な人が多いというだけの話だと自分は考えている。
高校生とかで有名なゲーム会社で働きたいなどのモチベーションから勉強を頑張るのは大いに問題ないかと思うが、専門学校で業務に使えるような技術を身に着けて、ゲームをたくさん作る経験を積んで一点突破の能力でゲーム業界に挑むのも本気であれば間違いではないと思う。
いろいろなことを選べる立場のうちは、自分がどうなりたいのかを考えて、いろんなパターンから自分に向いている道を選んでいくのが良いだろう。年を重ねるごとにだんだん選べる道は減っていくので、その時に後悔しない道を選ぶことができれば理想だ。
逆に年を重ねると道が狭まっていくことは多いが、年を重ねることで見えてくる抜け道のようなルートもあるので、悲観しすぎないことも重要だろう。
自分も今から進路を考える立場だったら、専門学校を選択していたかもしれないと思うことはある。
学歴は選べる立場なら真剣に考えるべきだが、そうでなければ囚われすぎないことも大事だというのが個人的な結論だ。
あとは、採用の人間でもないのに偉そうなことをというニュアンスのものがあったが、もとより自己満足のための記載なのと、偉そうな文章に関しては、文の書き方から特定されないようにしているために、普段しないような言葉遣いをしているのが原因なので、勘弁してほしい(意味があるかはわからないが)。
Permalink |記事への反応(14) | 23:29
英語と韓国語を少し勉強してわかったがそもそも日本語のコミュニケーションも苦手だ。コミュニケーションというものそれ自体が苦手なんだ。旅先で路上のハトをみるたび「このハトはどの国のハトとも通じ合えるんだな」と感慨深くなる。なぜなら言語を持たないから。いや、ほんとうにそうか?A地域のハトは「ポッポー」があいさつでB地域のハトは「ポポッ」があいさつかもしれない。あいさつのある地域とない地域があるかもしれない。言葉とは鳴き声のパターンだと最近つくづく思う。共鳴することそのものが快と感じるように生き物はできている気がする。わかる。わかるんだけど私は上手くハモれない。「休みの日とかなにしてるのー?」なんて雑談もハモりやすいように投げかけてくれているだけなのにそこに意味を見出してしまい歌詞の意味を考えているうちに乗り遅れて合唱は終わっている。誰かとうまく歌えるようになりたい。雑談を振られるとどうしても何かジャッジされると思い込んでしまうので人と話す前は「鳴き声鳴き声鳴き声共鳴共鳴共鳴」と唱えてから挑む。そして雑談が終わった後は「失敗した…」と内容を振り返って落ち込んでしまう前に「ちょっと歌がズレただけ」と意識をシャットアウトする。会話が鳴き声の共鳴だと気づくまでに随分と長い時間がかかってしまった。ずっと誰とも会話できている気がしないなと思っていた。そもそも「共鳴は快である」という前提を知ったのが最近だから、OKOKと思っている。だけどもさ、と独唱で転調してみるのですが、私は合唱でうまく馴染むことができず教室を抜け出して人知れず鼻歌うたって帰ってるような人のことが大好きなんですよね。こんなに私はこの世界のことを少しでも理解してせっかくだから順応しようとしているのに、自分が死んだら世界も死ぬし意味ないじゃんと思う。そういえば、年齢的に子を持つこと・持たないことを検討するようになり、自分が生まれたこと、いま意識があり思考があることとかまで考えを巡らすようになった。そう思うと、いま意識があること、ひいては世が存在するということは親の気分みたいなところに左右されており、この世はなんて心許ないんだと愕然とした。もっと壮大で強烈なものに裏付けらていると思っていた。この世、この生、儚ね〜、大事にしよ。もうこの歳になると学歴とか会社とか、この世が幻想だなあと自分の世界の捉え方がふわりとしてくる。世のジジババが孫に対して甘々なのってそういうことなのかなあと思う。幻想とわかった上で幻想を楽しめる歳なのだろう。ところが不思議なことに、私のジジババは最後までずっと幻想を信じていたな。祖母は当時もう80とかなのに、私の進路についてあれこれと口を出してきていた。幼い頃から〇〇ちゃんはこの大学かこの大学に行くのよと言われ勉強を教えられていた。浪人して芸大に行きたいと言った時は、どうか普通の〇〇ちゃんに戻って、浪人するなら縁を切る、この敷居を跨ぐなと言われた。芸術系浪人なんか全保護者を不安にさせる進路を選ぶ自分にも完全に非があるのだが、当時はこの老人とはこんなにも意志が通じないのかとに驚くばかりだった。私は80近くになってもこの幻想にそこまで執着できるとは到底思えない。バイオレンス婆は、文字通り普通に虐待をする。長い物差しで人の頭を執拗に叩く。孫の私にはさすがにしたことがなく、母はよく「おばあちゃん丸くなったわ」と言っていた。そんなバイオレンス婆に育てられた母は運良く反骨精神の持ち主で、祖母と繰り広げたバトルをコミカルに私によく話してくれた。中学生の時自分の部屋に仲間を集めて祖母にバレないようにシンナーを吸っていたのが楽しかったとか、万引きのスリルとか、夜な夜な窓から飛び降りて遊びに出かけていたとか、無免許でバイク事故して病院に行けず祖母にもバレないように必死に隠し、今も腕にぶっとい傷跡が残っているとか。わかりやすいヤンキーに仕上がったようだ。口酸っぱく祖母に「先生と呼ばれる仕事に就きなさい」と言われていて、女子短大を卒業し祖母のコネで幼稚園の先生になった。快活で子供にすぐ懐かれる母には向いていたと思うのだけど、母は幼い頃から絵を描くのが好きで、デザイナーになることを諦められなかったらしい。頭から血が出て何針か縫うくらいの祖母バトルを経たのち、昼は幼稚園で働きながら夜はデザインスクールに通い、なんとかデザイナーになった。といっても版下とか、テレクラのPOPのデザインみたいな仕事だったけど、それでも母はデザイナー時代のことをいつも楽しそうに話していた。そんな母はまた、自分がいくら願っても叶わなかった幸せな家庭という幻想を見ていた。祖母のように、子を縛ることなく、どんなヤンチャをしても一緒に面白がり、あんたはほんまアホやな〜っていつでもふざけ合える家庭。きっとそういうものを夢見ていた。本当に申し訳なくなる。母は仕事を辞め結婚して専業主婦になった。私と母は本当に、本当に性格が合わなかった。こればかりは、いくら血縁関係でもこういうこともあるんだなと思ってきた。それでも努力して近づこうとしていたとは思う。一度もまともに通じた会話ができたことがない。母は幸せな家庭という幻想を夢見て、とにかく真面目で無害そうな父と結婚した。殴ったりしなければOKという認識だったんだと思う。父と母が会話で盛り上がっているところなど見たことがない。価値観も趣味も性格も真逆で、側から見てもお互い苦手なタイプでしかないと思う。子供ながら、お互い家庭という幻想のために結婚したんだなあとなんとなくわかっていた。私は父に似てしまった。とにかく物心ついた頃から、母は私のことが気に食わなかった。気に食わなかったんだなと思うことでしか、説明がつかないことが多すぎて、そう思うようにしている。なんだかずっと怒られていたというより、ずっと罵られていた。母は私の自虐でしか話を聞いてくれなかった。何を話しても否定から入られるので、家で何も話せなくなった。実家にいた時はずっと、教室に一人は必ずいるガキ大将と暮らしているような気持ちだった。母は夢見ていたはずの家庭がこんな惨状になってしまったことのすべてが気に食わず、ずっと機嫌が悪かった。もともとも性質かそのような家庭環境なのかわからないが、私は人とうまく会話するのが下手で、一人で没頭できる勉強や読書が好きな子供だった。そういうのがさらに母は気に食わなかった。どんな親だよとは思うけど、極端に言えばもっと万引きとかして欲しかったんだと思う。現代の陰湿なほうじゃなくて仲間とカラッとやるような万引き。そんで警察によばれて頭をスパーンと一発叩いて「アホ!!!帰るで!!」ってやりたかったんだと思う。ぱっちりと目が大きく美人で筋力がある母に似つかず、全て父に似て地味な顔で運動ができない太った根暗になった。母の幻想である娘を私は上手く演じることができなかった。一方祖母は、教育という幻想を再び見てしまったのだと思う。そこまでしんどい思いをせず勉強ができてしまう私に勝手に期待をした。母は、祖母の幻想を叶えられる存在としての私に対しては、まんざらでもない様子なときもあった。ところで、祖父や父はこういうとき何をしていたのかというと、何もしていない。何も言わない。記憶にない。ずるいよね。母はきっと心から安らぐ幸せみたいなものを感じたことがないのかもしれないと勝手に不安になる。けど母は自分の家庭を持つという幻想を成し遂げた、殴ったりしてないしOKOK、それが満足だと思っているはず、と言い聞かせる。ところで不思議なことに、私はかつての母と全く同じグラフィックデザイナーとしていま働いている。何も気が合わないのに特技だけは遺伝した。人との会話が何十年も成り立たない中で、視覚的な共通言語でものが通じることが自分の救いになったのがデザイナーになったきっかけで、決して何かを教えてもらったこととかは本当に一度もない。そもそも母も私も絵が描けるのは、祖母が書道家兼芸術家だったことが遺伝情報としては大きくて、(だとしたらなぜそんな教育幻想と暴力に囚われてしまったのかは本当に私が教えて欲しい)、わたしたちは相互に歪み合いながら螺旋を描いている。祖母も母も、芸術センスみたいなものは遥かに私より良くて、そういった面でふたりのことは尊敬しているし、破天荒な人間性も面白くて好きだ。けど、もう最小限でしか関わりたくないし、こういうのは距離があった方がいい関係が築ける。私含め3人とも地球規模で見れば息は長くないのだし、それぞれができるだけ幸せであればいいと願っている。東京にいると、そういうタコピーみたいなふわふわことが思えてしまうのだから怖いなと思う。たまに地元に帰るとあまりにも地に足がついてずぶりと沈みそうになる。地元とは幸せみたいな言葉が嘲笑される地域のことを言う。その地域にはその地域が共有している鳴き声のパターンがある、それだけの話。
子供の頃の話。
私は絵を描くのが好きで、新聞の折り込み広告の裏に印刷がないものを探しては絵を描いていた。ツルツルとした紙は鉛筆のノリが悪くて、ざらざらした紙の方が好きだった。
親は漫画を買ってくれなかったので、漫画の単行本を友達から借りて真似て描いたりした。
私の家はとあるカルト宗教に属していた。両親は比較的熱心な信者で、毎週の集まりのほかにも、大きなイベントの類には家族揃ってよく参加した。
ある時の大きめの集会の終盤、教祖の娘と孫がゲストとして参加して紹介された。
コンサートホールの壇上に、2人の少年が不遜な態度で座っている。
司会の男は“お孫様”を恭しく紹介し、プロジェクターに映し出された彼らが描いた絵の素晴らしさを熱く語った。
プールとプールサイドに置かれた椅子の油絵が映され、色使いがどうとか、魅力的だとか、そんなことを言っていた気がする。司会の男だって、芸術に明るいわけではないだろう。それでも、芸術の才能を確信したような物言いだった。
椅子の座面と足の関係がよくある間違いで描かれていた。狙ってこう描いている可能性もゼロではないが、初学者があえてすることはないだろう。油絵の具で描かれた子供っぽい絵だ思った。
帰りの車の中で父は「お前もああいう絵を描けばいいのに」と言った。私はなんと返事をしたかは覚えていない。
心の内を正直に話せば怒られることぐらいは分かっていた。
私だって、道具と材料があれば、あれぐらいのものはきっと描ける。
たまたま油絵が描ける環境に生まれて、評価の機会があっただけ。
その幸運の中にありながらあの態度はなんだ。大勢の前で紹介してもらいながら、ニコリともせず椅子に座り、挨拶のひとつもなかった。
腹立たしくて、悔しかった。
中学はイラスト部と言った雰囲気で定期的に作品を持ち寄り部誌を作った。
高校顧問の美術教師が油絵が専門だったのでみんな油絵を描いた。高文祭に出展するため、50号の作品を作った。イーゼルに立てると自分の背丈ほどになる大きさだ。
油絵は絵の具を油で溶かし、塗り重ねていく。油絵の具はなかなか乾かない。顧問はいろんな色で塗り重ねた方表情が出るから繰り返し描けと言った。何日も何日もかけて描く。描きながらいろんなことを考えた。進路のこと、友達のこと、好きな人のこと、親のこと。
油絵の描き方を親に説明した時、父親は「お前は何度も描き直すから、お前に合った描き方だね」と言った。家で絵を描いた後、机に消しゴムのカスが残っているといつも言われた。私は絵のことについて両親に何の理解も期待していなかったので、何も言わなかった。
高校から何点か選考に出し、私の描いたものが県代表の一つに選ばれた。
高文祭の会場にはたくさんの作品が展示されていて、みんな上手だと思った。
高文祭後の市の展覧会で、同じ作品を出した。そこの絵もみんな上手だと思った。展覧会に参加した国語の教師が「一緒に見に行った娘が、あなたの作品が一番良かったと言っていたよ」と教えてくれた。
絵を描くことを職業にしたいと思ったこともあったが、親はあまりいい顔をしなかったし、自分にそこまでも実力はないだろうとは思っていた。学費の面からも芸術系の大学に行く選択肢は初めからなかった。
そこそこ頭のいい医療系の学校に受かって、両親はとても喜んだ。
卒業して自宅から遠方に就職し、寮に入って実家と宗教から距離をとった。もうずいぶん両親とは会っていない。
絵は時々描いている。紙とペンがあればできるささやかな娯楽だ。
iPadでも描いたりするが、アプリが難しく思ったようには描けない。
もっと絵が上手くなりたいと思う。
今思い返せば、お孫様の絵を見た時の私の感情は子供の嫉妬だし、彼らの壇上での態度も理解できなくもない。
彼らが宗教を信仰していなかった可能性もあるし、出たくもない場所に引っ張り出されて、外国語で何やら男が話している。(教祖は外国人で日本語は堪能だったが、彼の子や孫はその限りではなかった。)自分の描いた絵をそのつもりがない時に人に見せられ、勝手にあれやこれや言われるというのは、たとえ賞賛でも嫌な気分になることはある。すべて想像だけれど。
ある時友人の小学生の子供と一緒に絵を描いて遊んだら、私の絵をとても上手だと褒めてくれた。それからときどき一緒に絵を描いている。
「お絵かき勝負しよう」と言われたので「勝負はやだな。好きに描いて見せっこしよう」と言った。
今年の年賀状は友人とは別にその子の名前でももらったので、干支にちなんだポケモンの絵を描いて送った。とても喜んでいたらしい。
私程度の画力の人なんて掃いて捨てるほどいる、と思う。それでも子供の素直な羨望の眼差しはあまりにも眩しい。
SNSに溢れる作品も、目に留まるのは数秒でも作者はその何倍も時間をかけて作品を作り上げている。
一つの作品を完成させてそれを世に出すということは、経験がない人の想像以上に精神力がいることだと私は思っている。少なくとも私のような凡人にはそうだ。
彼は今も絵を描いているのだろうか。
ふと昔のことを思い出しので、書き散らす。
自分の創作物が、嫌い、でも好きでもなく、何の感情も抱いていない。これが10年位ずっと続いている。
ので知り合いの一次創作の自キャラ萌えも全く理解が出来ないし、二次創作で活動を続けてる。二次創作は萌えを発散させる為に解釈を平面に出力してる感覚に近い。のと絵を描くという行為自体はとても楽しい。
オフイベでも有り難いことに絵が好きです!と言って頂ける機会があるけども、自分は自分の絵好きじゃないので嬉しさを感じつつ、変な感覚になり、少しばかり罪悪感がある。正直二次創作じゃなかったら誰も自分の絵見向きしないんじゃないか(これは多分正しい)すら思える。自分の絵が好きじゃないから。
絵を描くのは好きだったので勢いで芸術系の学校に行ったものの、課題は勿論オリジナルキャラで、自分で何とも思わない作品を制作して、周りからは褒められて、妙な気持ちになりつつ、当たり前のようにポートフォリオは自分が好きじゃない創作物だらけになり、何も分からず卒業してしまった。
絵が好きじゃないのに何故続けているのか、完全に絵を描くのが好きだから、それだけだった。
自分の創作物が、嫌い、でも好きでもなく、何の感情も抱いていない。これが10年位ずっと続いている。
ので知り合いの一次創作の自キャラ萌えも全く理解が出来ないし、二次創作で活動を続けてる。二次創作は萌えを発散させる為に解釈を平面に出力してる感覚に近い。のと絵を描くという行為自体はとても楽しい。
オフイベでも有り難いことに絵が好きです!と言って頂ける機会があるけども、自分は自分の絵好きじゃないので嬉しさを感じつつ、変な感覚になり、少しばかり罪悪感がある。正直二次創作じゃなかったら誰も自分の絵見向きしないんじゃないか(これは多分正しい)すら思える。自分の絵が好きじゃないから。
絵を描くのは好きだったので勢いで芸術系の学校に行ったものの、課題は勿論オリジナルキャラで、自分で何とも思わない作品を制作して、周りからは褒められて、妙な気持ちになりつつ、当たり前のようにポートフォリオは自分が好きじゃない創作物だらけになり、何も分からず卒業してしまった。
絵が好きじゃないのに何故続けているのか、完全に絵を描くのが好きだから、それだけだった。
出身中学に吹奏楽部ってなかったなと思って中学校のサイトを確認すると、やはり吹奏楽部はなかった。
音楽部というものがあるようだが音楽を聴くのか評論するのか演奏するのか歌うのか、ジャンルはクラシックなのかジャズなのかロックなのかがこれではわからない。プレイする方だろうか。
私の在学中は音楽系の部活はギター部とかそんな感じの名前だったと思う。確かに音楽室にギターはあった。しかし金管楽器や木管楽器を見た記憶がない。
楽器高いもんね。1個数万円から百万円。必要な人数も多い。吹奏楽コンクールA部門に出るとなると出身中学の場合、生徒の結構な割合が吹奏楽部員になる。
そもそも文化部が音楽部を含めて3つ、運動部も6つしかなくて案外選択肢がないものだなと思った。
そうはいってもどこの学校でもあるような部活は、運動部は野球、サッカー、バスケ、バレー、テニス、陸上、水泳、文化部は芸術系、理科系、語学系、情報通信系だろうか。そうすると運動部6つと文化部3つで十分って感じか。これらの運動部のうちのいくつかが今の出身中学にはない。文化部はもうちょっと細かい部活がいくつかあったように記憶してるがほとんど把握してなかった。
出身高校の吹奏楽部は在学中は別の名前だったと思う。何をする部活なのかも当時は知らなかった。だから響けユーフォニアムを見るまで吹奏楽ってよく知らなかったんだよね。既存の音楽をダサくアレンジする奴って感じの印象だった。
晩飯食ってるときにサニーデイ・サービスの曽我部恵一がテレビに出てきて
将来何になりたい?って質問?に息子が「映画監督」って答えてて
まあ親がミュージシャンだしそういう芸術系の方面行くよなーって思いながら見ててさ
そしたらうちの父親が「こういう奴は甘えてる、もっと工場とかで働けよ」って急に怒り出して
いや、お金ありそうだし普通にやりたいことやるんじゃない?って俺が言ったら
「俺はこういう楽して儲けてる奴が許せない、もっと泥臭く生きろ」ってガチのトーンでブチ切れられて
あんまり怒鳴ってうるさいもんだから近所のネカフェで寝てる、今
なんなんだよもう
芸術系ってそもそも自分の作品で稼ぐんじゃなくて紐や枕でパパママ作って生活するのがメインだからな。ごく一部を除いて顔面がいい人しかいない。
芸術系なんか行ってどうすんの