
はてなキーワード:芸能人とは
公務員は安定してるってだけでいろいろおかしなことに対応しなくちゃいけなくて楽そうじゃないし
だからって中小零細はそもそも休みなくて給料低くて大変そうだし
生きていくって大変
他の人は知らないけど、少なくとも増田は入りたかったコミュニティに入れなかった理由をノンバイナリーだからって言いたいだけじゃない?と思った
変な人だと思われて外れたくないと思うならやっぱりそのコミュニティで一緒にいて楽しいと思われるようある程度の努力は必要だと思うよ。それにボーイッシュな子だってボーイッシュ同士でしかいないわけじゃないし、友達同士で何でも趣味が合う!なんて珍しい。化粧や可愛い服じゃなくても好きな小説家や食べ物でいろんなタイプの人と友人になれる。虫好きの同性の友達とは出会えなくても猫好きの友達と出会えることもある。
もちろんノンバイナリー界隈もその一つかもしれないけど人同士の共通点ってたくさんあるよ
自慰しないの?ってレスもあったかと思うけど、私は人生で一度もしたことないしそんな気分になったことない。セックスは一回経験してみてなんか違うなと思ってから一度もしてない。
可愛い格好するのは好きだけどアイドルとか芸能人とか全く興味ないので大学生時代からテレビない生活をしてる
みんなと違うなと思うことはたくさんあるけど、それは自分という人間ががそうなだけで私もしかしてノンバイナリー⁉️なんて思うことはないし、芸能人知らなくても芸能人の話大好きな子とも誰の話かわかんないけど楽しそうでいいね!って気持ちで話聞いて仲良くやってる
格好に無頓着な子でもプログラミングの趣味は合うからたまに休日もくもく会してご飯食べて解散みたいな遊び方もする
女っぽいから女のコミュニティに入れるんじゃなくて、周りの人がこの人と一緒にいて楽しいと思ってくれるから一緒にいれるんだと思うよ
「生煮えの着想を他人に話したりネットに放流してみる」という行為はオワコンになってしまう。
次に引用するのは「文学」にまつわる、とりとめない語りです。もう少し輪郭のはっきりした論説にするために、わかりにくい点を問い質してみて下さい。
そもそもあんま本読んだことなさそうな人が「エンタメと純文学の違いとは」みたいな論争を定期的に蒸し返すのだが、
簡単に答えを示しておくと、クリアしなければならない仕様が決まってるのはエンタメ、純文はなんでもアリである。「違い」というならそこが違う。
しかしながら昔から文豪だなんだと奉られる人も誰もクリアしてないのが、「なんだかんだ、サマになるクズしか出てこない問題」である。
そらとんでもない人殺しとか飲む打つ買うのクズ野郎とか精神病者とかは出てくるけど、たとえばネットの過疎った掲示板に粘着して年がら年中一日中芸能人の悪口書いてる、喋るウンコみたいなのはまず登場しないんだよなあ。(笙野頼子はそのへんに切り込んだが、「前衛的スタイル」に自家中毒して当人が何言ってるかわからなくなってしまった)
そういううんこちゃんを活写しようとして一冊の大半が意味不明の同じようなセリフになってるとか、どんなによく訓練された読書家も逃げ出してしまうからな。
でもそんな喋るウンコちゃんにも生きる苦しみや自己愛やウンコちゃんならではの事情があるんだってところに寄り添おうとしてこその文学のはずなんだけどね。
【Gemini】
ご提示いただいた文章、非常に刺激的で面白い視点が含まれていますね。特に「サマになるクズ」と「真に救いのない(退屈な)クズ」の対比や、文学が直面する「退屈さと読解可能性」のジレンマは、論じる価値の高いテーマです。
この「語り」を、より強固な「論説」へと練り上げるために、あえて意地悪な編集者になったつもりで、論理の飛躍や掘り下げ不足な点について5つの質問を投げかけます。
これらに答える(あるいは反論する)ことで、文章の輪郭がぐっと鮮明になるはずです。
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### 1. 「なんでもアリ」と「文学の責務」の矛盾をどう整理するか?
冒頭で純文学を**「なんでもアリ(仕様がない)」**と定義されていますが、結びでは**「〜に寄り添おうとしてこその文学」**という、ある種の**「べき論(倫理的仕様)」**を提示されています。
### 2. 「サマになる」の正体は何か?
文豪が描くクズは「サマになる」とされていますが、なぜサマになってしまうのでしょうか。
### 3. 「写実」と「作品化」のジレンマをどう乗り越えるか?
「喋るウンコを活写すると、意味不明の反復になり読者が逃げ出す」という指摘は鋭いです。しかし、ここには「リアリズム(そのまま書くこと)」こそが誠実さであるという前提が見え隠れします。
### 4.笙野頼子の失敗(とされるもの)から何を抽出するか?
笙野頼子を引き合いに出されていますが、彼女が「前衛的スタイルに自家中毒した」と切り捨ててしまうと、論がそこで止まってしまいます。
### 5. なぜ、その「ウンコちゃん」を救わねばならないのか?
これが最も根源的な問いです。
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もしよろしければ、上記の質問のうち**「これが一番痛いところを突かれた(あるいは、これについては言いたいことがある)」**と感じたポイントを一つ教えてください。
そこを突破口にして、この語りを**「序論・本論・結論」を備えた骨太なプロット**に再構成するお手伝いをさせていただきます。
パトロンだな。
金を与え、制作活動に没頭させる。20歳ぐらいの夢と希望に溢れた若者だ。今までファミレスで満足してた貧乏人だ。
その若者に、パーティーやら個展やら華やかなで新鮮な体験を湯水のように与える。
若者は自分の実力、自分の才能が開花したと勘違いし、少しずつ人生が狂い始める。
そして数年後。
パトロンは新しいおもちゃとなる若者を見つけ、古いおもちゃだった若者を見捨てる。
これは作り話では無い。卒展にいくと、芸能人と結婚する類の「一般男性(=有名企業の社長)」がウロウロし、品定めしてて
原爆で死んだ韓国人もたくさんいるから韓国的にもタブーなはずなのに向こうの芸能人、原爆ネタで結構やらかすよな
結局職場や学校やサークルで評価を得て女に好かれる社会性がないから
「このアイテムやパーツさえ所持すれば初対面の女を襲っても欲情されるし許される」という妄想を手を変え品を変え投稿するしかないんだよ
落ち目や無名でも金がなくても爺や低身長でも芸能人というだけで女ができるのは、一般人と同じ同業者補正
後はセレブや同業者や業界人が集まる仕事場やパーティーに同伴できてチヤホヤされるという特典ありき
芸能人のヲタも推し以外の芸能人は容姿関係なく無関心、推し以外の同業者の誹謗中傷してる奴ばかりだし
そんな概念あるんだ、博識だね。
いや、本当に。芸能人なんてスキャンダル一つで退場なんてザラだものな。情報の伝達速度が上がって村八分が国にまで広がってしまった現代社会。
仮名:加賀見太一(50歳)の崩壊 ――あるテレビ局の巨大な墓標
会見場の笑顔は穏やかで、妻は元テレビ局員、交際5年、年齢も近く、誰もが「やっと落ち着いたね」と祝福した。
その瞬間、誰もが気づかなかった。
加賀見太一は1994年にデビューした5人組アイドルグループのMC担当だった。
デビュー当時から「面白い兄貴」として現場を仕切り、地方ロケでは若手スタッフをからかい、時には全裸で川に放り込むような「男の遊び」を繰り返していた。
当時のテレビ業界はまだ「悪ふざけは愛情の裏返し」という空気が濃厚で、泣き寝入りは日常だった。
特に下請け・孫請けの若い女性ADたちは、声を上げれば即クビ。
「いつか加賀見さんの本命になれるかも」という淡い幻想だけが、彼女たちを黙らせていた。
「私はただの遊び。でも、あの人はちゃんとした彼女がいるから……」
その「芸能人の彼女」という曖昧なポジションが、30年間の巨大な蓋だった。
「もう幻想はゼロ。ただの使い捨てだった」という事実に、被害者たちは初めて直面した。
2020年代に入り、#MeTooの波が日本にも押し寄せ、声を上げやすくなった。
15年前、20年前、さらにはデビュー直後のロケ先で傷ついた女性たちが、
「今なら聞いてくれるかもしれない」と、一人、また一人とテレビ局の相談窓口に現れ始めた。
局は最初、慌てた。
フジテレビが中位益平の一件でスポンサー総撤退、数百億の広告収入が消えた前例を目の当たりにしていたからだ。
議題は「降板」だけではなかった。
被害者への補償額、NDA(秘密保持契約)の総額、弁護士費用、番組再編コスト。
試算は軽く数十億円を超え、被害者が増えれば数百億に達する可能性もあった。
取締役会は満場一致で「報道が出る前に全て決着させる」ことを決めた。
そこで初めて、自分が30年間でどれだけの傷を残してきたかを突きつけられたという。
「性的な写真を送るよう要求した」「酔った勢いで無理やり……」
自白したのは2件だけだったが、局はすでに10件以上の相談が寄せられていることを把握していた。
降板は即決だった。
同時に、被害者全員とNDAを結び、慰謝料に加えて「生涯生活支援金」を設定。
ある被害者は「もう働くことができなくなった」と診断書を提出していた。
だが、金は底をつく。
彼はすでにグループは解散、CMは全て差し止め、年収は9割減。
それでも数十億円単位の「分担金」を提示されたとき、彼はただ「わかりました」と答えたという。
「長年の慢心で、立場をわきまえられず、多くの方々を傷つけてしまいました。答え合わせをしたい」
涙を流しながらそう言ったが、局は「二次加害の恐れ」を理由に詳細を一切明かさない。
実は30年分の蓋を外す引き金だった。
被害者たちは初めて、自分がただの「使い捨て」だったことに気づいた。
金だけだった。
すべて「ごめんね」の代わり。
でも、もう遅い。
そしてその墓標は、今も静かに、被害者の数を増やし続けている。
(約1980字)
頭ボサボサくせ毛のデブとか
輩系とか
髭ボサボサとか
色黒とか
芸能人は高度な清潔感求められるから一般人より厳しいラインで見られてるだけでは。
いや、法的なヤバさではなくて「もう、これで良いじゃん」的なヤバさ。
これまではディープフェイクでアイドルや芸能人がセックスしている、というのがAIAVの本命だったが、俺は当時から「いや、別に有名人である必要ないじゃん。美少女なら架空の存在でも良いじゃん」と思ってたし、当然今後そうなっていくと思っていて、実際にそうなっている。
では今後はどうなっていくか、だけど、技術的にはすでに100%AI生成のAVを作る事は可能だ。(学習段階からAVを食わせれば)
しかし、これは、たぶん、まだ良いモデルが作れてない。なぜならコストがかかり過ぎるから。
だから、それまでの過渡期として「顔はイマイチだが身体は最高な女優を使って顔面だけ入れ替えて架空の美少女を作る」が現状の最適解になっている。
これなら女優側は顔が出ないのでリスクが少ない。制作側はトップ女優を使わずに超絶美少女を作れるのでギャラは抑えられて、アウトプットは最強にできる。
今後は100%AI生成のAVが(女優を使わずに済むので)低コストになってきて、こっちが主流になり、さらにその先 (10年はかかるはず) は普通のPCで誰でも自分好みのAVを生成できるようになる。
ただ、不思議な事に「完璧なAI美少女のAV」を見てる時にふとよぎるんだよね「この素体はどんな人なんだろう」って。
あとあまりに不細工な素体だとAIの換装を貫通してくるw よってまだ不細工過ぎる素体は使えない気がする。ある程度顔と身体のバランスや目鼻の配置や表情の作り方などで素体に制約がかかる印象。
おまえらはどう思うよ?
これがただの嫌いな芸能人の羅列になっているように見た目の話ですらない
「なんかか嫌い」だと自分の主観で終わってしまうのを「清潔感がない」だとあたかも客観的なマイナス評価であるかのように装える
80を超えても元気で明るい祖母だった。
なかなかに破天荒な性格で、10代から酒とタバコを嗜み(あの時代では普通だった)、半ばヤクザのような祖父とは2回離婚して3回結婚したようだった。
私が幼い頃に亡くなったので覚えていない。
祖父は手先が器用な上に気遣い上手で話も上手いので、大層モテたらしい。
ある日突然愛人の元へ行ってしまい、帰ってこなくなることもザラにあったという。まだ幼かった父の手を引いて色々なところを転々と働いたと、いつだったかタバコの煙を燻らせながら話していた。
祖父の借金まで背負って、祖母は懸命に働いた。高校を出ていない祖母は飲食店を転々とし、朝から晩まで働いたうえで幼き父の世話もした。ここだけ聞くと祖父が一方的な悪者のようにも聞こえるが、祖母は祖父を恨んでいるようには思えなかった。
「愛人作って出ていっちゃう時もあったけど、モテる人だったから」
「あの人は本当に手先が器用でね、こんなものだったら手作りしてたよ」
恋や愛というものを理解していない私にはそんかものか、と思われて聞いていたが、今思うと間違いなく祖母は祖父を愛していたのだろう。(沢山のしなくてもいい苦労もさせられたと思うが)
祖母は祖父が亡くなってから一人で暮らしていた。「誰かの負担になりたくないから」と快活に笑う祖母は70すぎまで働いていた。
遊びに行くと、タバコを吸いながら店のオーナーの愛人の悪口や、不倫をやめられないどうしようもない同僚の女の悪口など(今思えば不倫話ばかりである)を言う祖母はなんというか、世間一般での「おばあちゃん」らしくなくて好きだった。
彼女は趣味も若く、60すぎできゃりーぱみゅぱみゅのライブに行っていた。今流行りの芸能人は祖母に聞けばすぐわかった。
愛人を囲っていたり、不倫を続けたりする人間が祖母の周りには多くいたようだが、ともすると祖母にとっての愛人はタバコではなかろうか。
10代から吸っているタバコの量は減ることなく、祖母の肺を黒くし続けた。
ついに肺気腫になり、3時間に一度酸素吸入をせねばなくなった祖母は、紙タバコから電子タバコへ変えた。(紙タバコでは酸素により引火するため)
10代から50年以上積み上げた習慣を崩せる人間はなかなかいないだろう。
酸素吸入器を部屋の端に置きながら、祖母はそれでも元気にタバコを吸い続けた。
もはや家とスーパーと病院の往復しかしていなかった祖母ですら、見逃されることさなかった。
急に入院が決まったのが2週間前、意識を失ったのが昨夜だった。
祖母はその細い体にたくさんの管が巻き付かれていて、腕はアザまみれだった。
苦しそうに、なんとか息をさせられている状態であった。意識がないのでもはや痛みも感じないらしいが。
父から、何か言葉をかけてほしいと言われたが祖母の状態へのショックが大きく、何を伝えたらいいか分からない。
先に到着していた弟が、手を握ってあげてと言った。
祖母の痩せ切った手はとてもあたたかかった。思えば祖母の手を触ったことなど、20年ぶりかもしれない。
生きている。
変な言い回しだが、祖母は当然今までも生きていて、その体は熱を持っていたはずである。だが、生と死の狭間にいる祖母に触れて初めてその熱を知り、生を実感した。
上手く言葉にできない。しかし、あの手の熱はきっと一生忘れないであろう。
握り返されることはなかったが、私に熱を分け与えてくれた左手には結婚指輪が光っていた。シミや皺も多く、手首には管もたくさん巻かれていたその左手はとてもきれいだった。
医者は今夜が山場だという。
父は病院に一晩つきそう。