
はてなキーワード:花子とアンとは
中園さんは『花子とアン』は酷かったし、『西郷どん』は見てないけどめっちゃ酷評されていて、『あんぱん』の脚本が中園さんだって聞いた時『花子とアン』や『西郷どん』の二の舞になるんじゃないかと不安だった。
でも、中園さんはやなせ先生と長い間文通していて、愛読書にやなせ先生の『詩集 愛する歌 第二集』、やなせ先生と交流があった向田邦子先生の『夜中の薔薇』、やなせ先生に多大な影響を与えたレイモン・ペイネ先生の『ペイネ 愛の本』をあげていたから「今度こそは大丈夫かも。やなせたかし先生をリスペクトして史実に忠実に描いたドラマになるに違いない」と期待していたの。
ところがとんでもない創作:9のトンチキドラマになっていて腰が抜けそうに驚いたよ。
中園さんの破壊力がここまで凄まじいとは予想してなかったよ…。
コピペで引用なのここまで明確に示してるのになんで内容の不満が俺に向けられてんだよ
1964年「うず潮」
1966年「おはなはん」
林謙一「おはなはん」
1977年「いちばん星」
1978年「おていちゃん」
1979年「マー姉ちゃん」
1981年「本日も晴天なり」
1984年「心はいつもラムネ色」
1986年「はね駒」
1987年「チョッちゃん」
1990年「凛凛と」
1994年「春よ、来い」
最愛の夫を見送るまでが描かれている。
1997年「あぐり」
2000年「オードリー」
DVD未発売。
2003年「てるてる家族」
2006年「芋たこなんきん」
ソフト化されていない。
2010年「ゲゲゲの女房」
2011年「カーネーション」
ファッションデザイナー「コシノ三姉妹」の母、
2014年「花子とアン」
2014年「マッサン」
2015年「あさが来た」
2016年「とと姉ちゃん」
2016年「べっぴんさん」
2017年「わろてんか」
2018年「まんぷく」
2019年「なつぞら」
2019年「スカーレット」
2020年「エール」
古関著書「鐘よ鳴り響け」
2020年「おちょやん」
2023年「らんまん」
2024年「ブギウギ」
2024年「虎に翼」
三淵嘉子関連書籍
2025年「あんぱん」
2025年「ばけばけ」
有働由美子アナが平野歩夢に恋心「残り少ないホルモンが出てきた」「若返った」
https://news.yahoo.co.jp/articles/71f0e7f01256ccc5c9b8a8e7cc8981b296bc825f
フリーアナウンサーの有働由美子が11日、ニッポン放送「うどうのらじお」に出演。北京五輪スノーボード男子ハープパイプ決勝で、金メダルを獲得した平野歩夢に〝恋心〟をときめかせた。
有働は「久しぶりに女心がキュンキュン!としましたね。残り少ないホルモンが出てきたみたいな気持ちになりましたけども」と歩夢の快挙に言及。2本目の滑りについては「採点が『ん? なんでこんな低いんだ?』って思ってた」というが、3本目は「『じゃあもう1回やりますわ、これどないでっか?』『どや!』っていう演技。みんなを黙らすというか」と爽快な気分になったと振り返った。
その上で「なんかその淡々として表情も変わらずに、1回目、2回目、3回目とどんどんどんどん上げてくる感じを見て、『なんかほんとに好きになりそう、この人』と思って。最近そういうふうに思ったのって、朝ドラの『花子とアン』の吉田鋼太郎さんが演じた『(嘉納)伝助以来だわ』と思いまして」とウットリ。
さらに「素晴らしい演技、素晴らしい滑り以上に、いち日本に住むオバちゃんの、ホルモン…っていうとやらしいですけど(笑い)、気持ちまで若返らせていただきました」と照れ笑いしながら、素直な感想を語った。
従来の主人公が持つ属性を主人公の妹である禰󠄀豆子が引き受けた点が面白い
これはほとんど誰もしていない指摘
主人公である炭治郎は、従来の少年漫画で言えば主人公というより主人公の兄らしい振る舞いをしている
2013年末のアナ雪や花子とアンあたりからブームになったダブル主人公の構造を持つ作品なのは、2016年連載開始の鬼滅の刃も共通で、改めて指摘をされれば、鬼滅の刃が炭治郎と禰󠄀豆子のダブル主人公作品であることに異論のある人はいないだろう
ただ、少年漫画というフォーマットで、あまりに炭治郎が主人公らしい振る舞いをし、禰󠄀豆子の設定上の主人公からのずらしが見事だったため、ダブル主人公の類型と見る向きがかなり少ないと思う
その上で、メイン主人公に多い設定が炭治郎ではなく禰󠄀豆子に持たされ、2人目の主人公にありそうな設定がメイン主人公の炭治郎に持たされている点が興味深く、よくよく馴染んだ話しながらも目新しさを感じたのは、そのずらしにあると私は見ている
無邪気、快活、熱血、一本気、正義
暴走しちゃって最強になる
冷静、努力家、優しい、地味、うちに秘めた熱さ
もちろんゼロ100の話ではないと思う
割り当てられた要素が今まで多かった漫画では20-80のところが、鬼滅では70-30くらいで逆転があるように見える、という話
NHK-BSで、朝ドラ再放送~最新朝ドラ早版を30分連続でやってる朝の枠があって、出かける準備をしながら斜め見するのにちょうど良くて見ている。今は再放送の花子とアンとわろてんかが、どちらもちょうど太平洋戦争中というタイミングである。
朝ドラにおけるお約束として、当時の世相は「軍国化する体制側」と「軍国化に追随する常識的な市井」と「不本意ながらも追随せざるを得ない主人公界隈」という構図で書かれがちである。ドラマなので美化しているところも現実とは違うところも沢山あるだろうが。
まぁ、言論弾圧に反骨し投獄され獄死した人も実際にはいたわけだが、朝ドラで取りあげるには明らかにカロリー過多だし、結果的にぼろ負けした戦争を指揮したボンクラどもの尻馬に乗っかって踊った「善意の市井」を主人公にしてヒロイックに描くほどさすがに無知性に極右化するわけにもいかないだろうし、「善意の市井の恐ろしさ」を皮肉として描くには、獄中死を取りあげる以上に高カロリーすぎて朝から胃もたれ必至なので無理だろう。
増田は若いころから、「こんなに分かりきって馬鹿げたことをやっているのに、なぜ当時の「善意の市井」たちはそれをどんどん受け入れていったのだろう」というのが不思議で、戦時中もののルポやら文学作品やら日記やらを読むのが好きである。
朝ドラはフィクションである、とはいえ、歴史資料(あまり正確なものが残っていない。当時も今と同じように時間がたつと自動的に消える仕組みになっていたのだろう)や日記(文学者が残した戦時中の日記はとても興味深い)などを読んでみても、朝ドラと同様の「アホな指導層/それに踊らされる自称常識人/不本意ながら付き合わされる主人公」的な構図を見つけることはできる。
こういう趣味があるどちらかというとリベラル寄りの増田なので、ついそう読んでしまう面もあるが、太平洋戦争ではそれでまんまと、長期人口グラフでもあっここだよね!と分かるレベルでかくんと人口が減った戦争を、戦後は「ぼくら踊らされたんですー」みたいな顔した「善意の市井」の多大な協力で成し遂げたわけで、「善意の市井」の暴力性というか、大義(お国のために)と生活(逆らうと生きていかれない)が直結したときの怖さというか、そういうものがもうちょっと、朝ドラで書かれたらええのにないっそ、と思ったりもする。こういうご時世ですし、なおさら。
まぁそれはそれとして黒木華と藤井隆はほんと良い俳優だな、以前から両者とも好きだったが、どちらも難しい立ちどころの役をこなしている。藤井隆はマシューズベストヒットTVがベストアクトだと思っていたが、万丈目はんも相当良い。ドラマはまぁ、ちょっと吉本配慮が過ぎまへんか?とは思うが。
昨今は、民放局が良いドラマを作る体力がすっかり無くなっているせいか、NHKのドラマが相対的に良く見えるということもある。昨晩は録画しておいた弟の夫を見て号泣したところだ。あれは、演出演技脚本含めほぼ100点。
http://anond.hatelabo.jp/20160904033715
選定基準は
・読みやすい
・有名で、他の本や映画に出てきがち
ド名作。読んでおくと伊坂幸太郎の『陽気なギャングが地球を回す』がもっと楽しい。
早く来てくれオーバーロード。
③永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編カント(訳:中山元)
「本邦初訳」作品。古典新訳文庫ならでは。イタリアっぽいユーモア。
エログロ。
『藤野先生』も『狂人日記』も入っていてお得。訳者の村上春樹と中国の関係についての研究も面白い。
誤訳が多いらしいが、すごく読みやすかった。他の訳では通読できなかったと思う。
訳者は元国際プラトン学会会長(2007~2010年)で、解説の量がすごい。
読んでおくと、あの映画とかあのミステリーとかのネタ元なので捗るはず。
⑩闇の奥 コンラッド(訳:黒原敏行)
『地獄の黙示録』の原作。個人的には「叡山の僧兵の大将」中野好夫の訳より好き。
―――
①グレート・ギャッツビー(村上春樹翻訳ライブラリー)フィッツジェラルド
村上春樹の訳が好き。
『英文の読み方(岩波新書)』など、英語の読み方の著作に定評のある行方昭夫の訳で。
野村萬斎が自ら演ずるために、河合祥一郎に新訳を依頼しただけあってとても読みやすい。
『月下の一群』の堀口大學の訳で。
⑨カフカ-ポケットマスターピース-01-集英社文庫ヘリテージシリーズ
小説家の多和田葉子の訳で。『変身』は先に別の訳を読んでおいた方が新鮮かも。
⑩マーク・トウェイン-ポケットマスターピース-06-集英社文庫ヘリテージシリーズ
はてな民ならハックルベリーは読んでおきたい。柴田元幸の訳で。
―――
普通につくりゃもうちょっとまともな話が作れるだろうに、プロが作ってこれか?と思うような作品が朝の連ドラには多い。非常に多い。
最近は少なくなっていたが(「ゲゲゲの女房」以後)、「まれ」がまた見事にやらかしている。「やんちゃくれ」レベルにはまだ及ばないが。
どうして朝の連ドラは駄作になりがちなのか。それにはもちろん理由がある。逆に言えば、佳作・傑作はその理由を上手く逃れた作品だ。
なぜ朝の連ドラは駄作になりがちなのかを考えてみよう。
1.長い
朝ドラは15分。これが月曜から土曜まで6日間。つまり週当たり、90分。これは大河ドラマ2回分である。大河は1年、朝ドラは半年だから、大河と朝ドラの放送累計時間はとんとんになる。
大河は波乱万丈の人生を生きた人がテーマで、子供時代からおおむねその死までを描く。
大して朝ドラは現代劇であれば、その辺の平凡な女性のせいぜいが2年か3年かを描く。
そりゃまあ、話の種がなくて当たり前だ。そのために無理やりつまらないエピソードを延々と引き延ばすか、ありえないような奇天烈な展開をしなければならなくなる。
佳作傑作はこの問題をどう乗り越えたのか。
1.長く描く
主人公の人生をほとんどその死まで描けばさすがにいろいろな事件が描ける。(「カーネーション」「おしん」など)
一番多いのは夫婦をそれぞれサイドでねっちりと描く。一人がネタ切れになればもう一人がカバーする。(「花子とアン」「ゲゲゲの女房」など)
有名人の私生活への関心で、話を引っ張ることが出来る。(「マー姉ちゃん」「ゲゲゲの女房」「あぐり」など)
業界への関心が、話に膨らみを持たせる。(「花子とアン」「あすか」「ふたりっ子」「ひらり」など)
「ちゅらさん」のように沖縄を舞台にすることで、話に膨らみを持たせるのは「業界秘話物」に近い。こうした策を用いることなくそこそこの仕上がりになった「私の青空」はたいしたものだった。
2.予算がない
じゃあなんで、面白くするための方便がありながらそれをしないのかと言えば、予算がないからである。ロケ、頻繁な場面転換にはセット費用などの経費が掛かるのだ。なるべく同じ場所で、新しい登場人物もなるべくださずにやってください、ということになる。女子高校生が主人公なのに、学校の場面はまったくなくて描かれるのは放課後ばかりというのは学校のセットは案外費用がかかるからだ。
どれだけ予算をぶんどれるか。それにはその年の大河ドラマなど全体の予算枠があるでそのかねあいもある。製作時期でいえば、「坂の上の雲」が製作されていた時期に、朝ドラは「つばさ」「だんだん」「ウェルかめ」「てっぱん」などの箸にも棒にもかからないような薄味の作品が放送されていたのは決して偶然ではない。
「まれ」は朝ドラでは久しぶりの捨てシリーズだが、そういう捨てシリーズも時々挟まないと、毎回毎回、予算はそうつぎこめないということだ。「ゲゲゲの女房」以後、伝記物が多く、また、視聴率も健闘してきたが、あえてその流れを壊して「まれ」を差し込んできたのは、駄作を入れないと予算が厳しいからである。
まれ、ずっとつまんなかったけど、つまらない通り越して悲しくなってきた
ただでさえストーリーの展開がクソで煮染めたクソなんだから、せめてドタバタギャグシーンをやめろ
ドタバタで尺取られて肝心のストーリーがいつも最後2分ぐらいでしか進まねーじゃねーか
進めたところで純度99.9%のクソであることに変わりはないけど、あのわざとらしいギャグシーンが無くなればまだ耐えられると思うの
とくに主役の土屋タオさんのギャグシーンは見ていてテレビ割りたくなることが多々ある
花子とアンの印象からすると演技が下手なわけじゃないんだろうから脚本?演出?が悪いんだろう
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キャスト発表の時から思ってたけど、やっぱり違う!おもてたんとちがう!ワシャ認めんぞ!
そんなワシが認めるキャストは以下。
長女シャチ姉:真木よう子…しっかり者、勝ち気、でも不倫しちゃう弱さや母親への屈託もありエロい。ショートが似合う。ナース服姿の真木よう子が見たい。真木よう子で「真昼の月」のエピソードが見たい。
次女よっちゃん:戸田恵梨香…作中で一番内面の変化があるキャラだから上手い人がいい。あと可愛い。日本酒すきそう。恋するよっちゃんを戸田恵梨香で見たい。
三女チカ:黒木華…「花子とアン」見ててこの子しかいないんじゃね?と思った。アフロにしよう。絶対似合う。夏帆は思ってたより良かったけどアフロにしろよ!!ひよってんなよ!!
四女すず:ここは正直ぴんとこなかったので(最近の若い役者さんわからんの)、広瀬すずちゃんでいいです。
どうですかこれ。異論は認める。
国の重要文化財、仏像や鐘を戦争の武器弾薬のために熔かされる。
国民を「お国のため」と言って借り出してむざむざ殺されに行かせる。
上層部は国民が貧乏になり疲弊しても「お国のため」と言って知らんぷり。
挙句美味しいモノを独り占めして国民には「お国のため」と言って何もしてやらない。
こうした構図は、まるで今の世の中そのものじゃないか。
「お国のため」とか言って、版図を広げても国民に還元される事がない。
挙句言論統制、言論弾圧をして、上層部の贅沢の犠牲に晒される。
これが戦争賛美の正体だ。
今放送中の「花子とアン」には多少プロパガンダが働いてると感じるかもしれないが、
「お国のため」に我慢を強いられた国民が戦後、戦前戦中を良しとしなかった60年がそれを物語っているのは言うまでもないが、
戦争できる国と社民党や共産党が懸念を示すのも無理からぬ話である。
水下(みぞおち)に手を重ねたまま歩くのって韓流ドラマの女官たちの定番ポーズですね。
この勘違いの発端は、
平成に入って「皇室の作法」を変えてしまわれた現在の皇后陛下と、
(http://blog.goo.ne.jp/chaos1024/e/4552596fbc478fd4a5c8335d520b489a)
へえ,香淳皇后もhttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/83/Ford_and_Emperor1975.jpg/1024px-Ford_and_Emperor1975.jpgこんな歩き方してますけど,日本人じゃなかったんだあ.立ち方もhttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/9f/Emperor_Hirohito_and_empress_Kojun_of_japan.JPGこんなんじゃ不作法なんですねえ.さすがネトウヨ様は日本の伝統に通曉していらっしゃることよ.
「花子とアン」の主題歌「にじいろ」に馴染めない、という声がある。まぁどんな歌や曲だって馴染めない人はいるわけで、それ自体は普通なんだが、ちょっと気になったことを書いてみる。
曲全体は強起のように聞こえるけれど、
旋律が強起と弱起をめまぐるしく繰り返すことに
なにかしらの原因があるのかな、と思った。
こ_れ_からh|a_じ_ま_る
あ_な_たのm|o_の_が_た
り____ずっt|o_な_が_く
み_ち_は_つ|づーくよ___
に_じ_いろn|o_あ_め_ふ
り_そ_そげb|a_______そ
ら____は_た|か____な_る
ー
Bメロは安心できるんだけど最後の「こんなにも愛おしい」あたりから絢香節に戻る。
ま_ぶ_し_い|え____が_ー
お_の_お_く|に
か____な___|し____い
お_と_が_す|る
よ_り_そ_っ|て____い_ー
ま_が_あ_っ|て
こ____ん___|な____に
も_iと_お__|______し_い
ー |
サビはAメロと同じですね。
て_を_つなg|e_ば_あ_た
た_か_いこt|o_き_ら_い
に____なれb|ば_ひ_と_り
に_な_っ_て|くーこと
ひ_と_つひt|o_つ_が_あ
な_た_になr|u____み ー
ち____は_つ|づ_ー_く_よ
ー |
Aメロが仮にこのように、冒頭以外全部弱起だったら、
今よりも馴染みやすいかな、とは思った。
こ_れ_からh|a_じ_まるa
na_な_たのm|o_の_がたr
i____ずっt|o_な_が_く
み_ち_は_つ|づーくよ ここは強起かな……
こ_れ_か_ら|は_じ_ま_る
あ_な_た_の|も_の_が_た
り____ず_っ|と_な_が_く
み_ち_は_つ|づ_く_よ
伴奏も含めて曲全体が弱起で、
旋律も弱起中心で、ひっかかりなく聞ける。
____________________と
つぜん__ぐ|うぜん__そ
れ_と_もひ|つぜん
は__じ__ま|り_は_きづ
かーぬうち|に______よ
ほう____ど|おり____い
かない__も|よう
そ__ん__な|とーきこそ
ほーほえみ|をー
(以下略)
依怙贔屓という奴で昔から男性社会では当たり前のように行われてきた事が女性が入った事で突然の変化に戸惑い、
昔からある昭和気質のせいで女性は社会では結婚する以外に良い事はないと教え込まれてきた層が今もいるの対して
男性主義者と呼ばれる人たちの粗を探し出して女性を敵視するのは悪だと言わんばかりである。
とかく昔からドラマにはある一定のプロパガンダがあってそれを基に色々な批判、主に男性社会へのアイロニーを込めた社会風刺劇を
繰り広げてきたものだ。
それが今では男性が少し配慮を欠いた行動をとっただけで女性差別だ、男性主義だ、女性は虐げられてる等と言われのない噂話を根拠に
様々な批判をして男性が全て悪いかのように煽動するようになった。
それならば女性だけの女性による女性のための女性向けドラマだけを作ればいいのではないか。
しかしながら、過去には男性社会に揉まれても反抗して雑草魂のように自らを周囲を奮い立たせる男勝りの女性ドラマが多くあった。
それではダメなのだとしたら、もはや男性は全て排除しなくてはいけなくなる。
男性社会を形成したのは男性というレッテル貼りを続けるのであればそれも仕方のない事だろう。
一体どうすれば男性主義だの女性差別だのとレッテル貼りを辞めてくれるのだろうか。
「女は家事さえ出来ればいい、結婚するのに勉強は邪魔にしかならない」
確かにこの時代の女性は女性主義云々を考えようにも社会が男性しか求めなかった時代だから仕方がないだろう。
しかし、このドラマでさえ時代背景を正確に捉えていても女性はこれはおかしいと唱えるのである。
日本社会では閉鎖的な男性社会であったのは周知の事実であるのにも拘らずだ。
これではお遊戯の桃太郎で子供が全員桃太郎になったり、かけっこは全員が同着であるべきだという主張と同じである。
この時ほど女性主義が一人善がりだと思った事はない。