
はてなキーワード:色違いとは
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
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この週は、全体的に **「食べ物」「健康と子育て」「生活コストと社会不安」** の3大テーマが特に濃く、そこに **相撲・将棋・スポーツ** の話題がリズムよく挟まる構成でした。
全体として、寒さと疲れが出てくる季節特有のしんどさを交えつつも、食ネタやユーモアでうまく空気が和らぐ、温度感のある1週間でした。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
トランプの1人遊びのことは、"ソリティア"で検索すると出てくる。まあこの言葉「1人で遊ぶもの」って漠然とした意味なので、例えばビー玉をボードに並べてジャンプして取り除くようなゲームも"ソリティア"と呼ばれている上に、マイクロソフトが深刻なワード汚染をしたのでこの言葉で見つけにくくなっているのも確かだ。
Windowsを少し前から使っている人なら「ソリティア」と言って思い浮かぶのは階段状に裏向きに並べた端に1枚ずつ表向きにカードを並べて、余ったカードを山札にして開きつつカードを揃えなおすゲームだろう。あれは一般的には「クロンダイク」と呼ばれているのであのゲームで良ければこの名前で検索してくれ。ルールが見つかるはず。余ったカードは1枚ずつ開くルールと3枚ずつ開くルールがあって、3枚ずつのほうはハマって解けなくなる可能性が高いと言われているし、1枚ずつルールでもハマりは存在する。
改めてこれを遊びたいために並べるところからルールを書いておく。用語については説明はしないが、たぶんこのゲームのルールは説明されなくてもわかっているはずだからそこと照らし合わせて判別してくれ。
前述のクロンダイクは山札と裏向きの札、2つの不確定要素があって運次第の要素が多い。それを少し減らしたソリティアとして「ユーコン」がある。クロンダイクがカナダの地名由来であるように、ユーコンも地名由来だ。まあそのことはとりあえず忘れていい。
ユーコンを覚えると、そのバリエーションでさらに2つのソリティアを知れる。ここでは2つの別名で知られるソリティアを挙げておく。1つは「ロシアン」。
ゲーム準備はユーコンと同じ。違いは、列の並べ直しでユーコンでは「別の色」という制限があったが、ロシアンでは「同じスート」という制限が付く。あとは同じ。
これも列の並べ直しのルールが少しユーコンやロシアンと異なっている。ロシアンと同様「同じスート」という制限だが、「1つ上のランクか1つ下のランク」という制限になる。あとは同じ。
とまあ4つほど似たゲームのルールを書いたけど、個人的にはこの中ではユーコンが一番1人で遊んでいて楽しいと思う。自由度がそこそこあって、運要素が少なめで、というバランスが好き。
前から薄々思ってたけど、家庭環境が悪い男って、だいたい服が好き。これは金持ち貧乏は全然関係ない。親が医者でも家庭が終わってたら同じだし、生活ギリギリでも家族がちゃんとしてれば全然違う。単純に、家庭の土台が弱かったり機能してなかったりすると、なぜか服に行く。肌感として、ほぼ例外ない。
まず、普通の男はそんなに服に金を使わない。平均的な生活してるなら、毎月2〜3万円も服に回さないし、ユニクロとかGUで充分満足してる。必要最低限あればいい。おしゃれにハマる時期があっても、せいぜい月1でどっか見に行くくらい。服は人生の中心にはならない。趣味としては軽い部類。
でも、家庭環境が悪い男は違う。彼女いようがいまいが、とにかく買う。古着、ブランド、小物、買い漁る。金があっても買うし、金がなくても買う。クレカで無理して買うやつ、リセールで回すやつ、メルカリ漬けになってるやつ、ストリート好き、モード好き、古着屋巡り中毒。住んでる場所や学歴や収入が違っても、根に同じ匂いがある。
じゃあ、なんで服なのか。理由は単純で、家に拠り所がないから、自分で自分を作る必要があるから。アイデンティティが地盤から供給されないから、外側から拾いに行く。分かりやすく形に残る、自分のための何かが欲しくなる。服は手っ取り早い。まとえば人格の欠片になれるし、外側を変えれば中身も変わった気になれる。自分の輪郭を無理やり作る道具。
そして、服が好きな家庭環境悪いやつの多くは、自分に正直でいたいと願ってる。でも本当の自分は傷だらけだから、直接触るとしんどい。だから、布と色と形でなんとか表現する。服を選ぶことで、傷を隠しながら本当の自分に近づこうとしてる。それが本人に意識されてなくても、行動に出る。
服は、自己救済の一種。自分を肯定する儀式。家で満たされなかったものを、自分で埋めに行く作業。だから服を大事に扱う。対照的に、家庭環境が良い男は服に依存しない。自分が何者かという輪郭は、家族からある程度もらって育つから、外側に縋らなくていい。服はただの布。必要なら買うけど、それ以上の意味はない。背負わせていない。だから2万円のシャツは高い、で終わり。
家庭が崩れていたやつは、コミュニティの軸が家に無い。いるだけで肯定される場所がない。だから外側で自分を守りにいく。服はバリア。シールド。これがあれば話せる、出られる、居場所ができる。だから、季節ごとに買い漁るし、気に入ったら同じ型を色違いで揃えるし、わざわざ地方の古着屋まで遠征したりする。そこまでして手に入れるのは、布ではなく、自分自身の欠片。
あと、服を好きになるのは、感性ではなく構造の問題。家が壊れてると、親からの承認が少ない。承認の総量が足りない状態で育つ。だから外部に出て承認を回収する必要がある。服はその装置。似合うね、センスあるね、それカッコいいね、そういう小さな言葉で、穴を埋める。服は承認の代替物。
そして、家庭環境が悪いやつの服装は、必死さがある。ストリートでも古着でもモードでも、どこか背負っている。良し悪しじゃなく、雰囲気が重い。本気が出てる。自分の形を刻もうとしている。誰かに見てもらいたいとかじゃなく、自分を外側に掴まえようとしてる。家で失ったものを、布で取り戻そうとする。
もちろん全員がそうとは言わない。でも、家庭環境が良い男ほど、服をただの消耗品として扱う傾向が強いし、家庭環境が悪い男ほど、服に人格を投影する。これはもう統計じゃなく現場の肌感。例外はあるにせよ、ほぼそう。
服が好きな男が軽薄とか、服好きはナルシストとか、そういう偏見の話ではない。家庭環境が悪い男にとって、服は心の補装具だ。生き抜くための装甲であり、逃げるための鍵であり、自分を肯定する手段。だからこそ、彼らは服を買い続けるし、そこから離れられない。
家庭に居場所がないと、街に居場所を作るしかない。その第一歩が服。布の中に、自分の価値をそっと隠す。服を買うことで、自分をまだ諦めなくて済む。だから今日も、古着屋を回る。
【追記1】
みなさまご指摘の通り、私は本州と四国にはあんまり詳しくない道民です。
本州も空港回りや街中観光地やイベントでスポットで行くことはあるけど解像度が低いし
「本州」とひとくくりで語るにはちょっと南北に長すぎるので、あくまで北海道と九州南部だけのスポット比較になってます。
ブラキストン線を挟んでいろいろグラデーションなのはわかります。雑な感想でごめんね。
実は九州はもう10年くらい毎年通っていて、甘いお醤油はいつも買って帰っています。
特に白身魚のお刺身は九州のお醤油で食べるのが好き!料理にも使い勝手が良いです!
【追記2】
野外アクティビティが好きで、地元民の友人がいるので宮崎を中心に釣り・登山・温泉・ドライブとかで回っています。
早朝まだ暗い時間から海とか山とか川に行くから野生動物との遭遇率も高いんだと思う。
朝まづめ・夕まづめは魚だけじゃなくて動物の活性も高いよね。
でも正直、夏は釧路あたりまでワープして散歩に連れていきたいが。無理だが…。
ゴキブリは昔ススキノの居酒屋でバイトしてた時に遭遇した事がある(チャバネ)
ショットグラスに閉じ込めたまま誰も対処できずに休憩室の隅で1ヶ月以上経過、誰かがグラスを倒したら走って逃げて行ったので生命力強すぎて驚愕した。
チャバネであれなら黒いやつはじょうじすぎるでしょ。こわい。
日の出と日没の時間とか火山灰とか方言とか蛍とか野良猫とか沢蟹とかお酒とか料理とか畜産とか、逆にその九州の友人がこっちに来てびっくりしてた事とか
思った事羅列したらキリがないから「これが抜けてるぞ!」って事もたくさんあると思うけどこのへんにしときます。
おまえらが地元以外で感じたカルチャーショックみたいなものももっと聞きたいです!
追記終わり。
・竹がめっちゃ生えている。マジで強い、どこでも生える。すごい。
・杉が多すぎる。これは花粉大変なのもわかるわ…
・山に隙間がない。植物の密度が高すぎる。道路や線路が車の形の緑のトンネルみたいになってて、油断したらすぐ侵略されそうでパワー感じる、
・どんなに山奥に入ってもなんとなく人間が入った場所って気がする。北海道の山奥は人間の縄張りではない感じがする事があるので。
・普通に生えてて驚いたもの。彼岸花、椿、ヤシの木、芭蕉?バナナみたいなやつ、柑橘、金木犀、柿、琵琶、ざくろ?、いちじく、キウイ、オリーブ。文献では知っていたけどそのへんに生えててもいいんだ…と異世界みたいな気持ちになる。イチジクは生まれて初めて食べた。
・瓦屋根。というか藁葺き屋根の古民家とか日本家屋が多くてすごい。こっちよりあんまり石造りは見ない気もするけど見てないだけかも。
・春といえばふきのとう!みたいな感覚が通じない。ずっと緑があるもんね、いいなー
・都市部の道の狭さ。札幌あたりも狭いけど、玄関あけたらすぐ道!みたいなのが多く思える。雪を考えなくてもいいからだろうか?
・県ごとにアスファルトの色がちょっと違うんだね、県境は色が変わるのが面白い。
・交差点を四角く目立たせてるとこ多い。北海道よりも道路にいろいろ書いてるな。行き先わかりやすく色違いにしたりさ。雪ないとこういうことできるんだ。
・川幅が広い。石狩川とか天塩川とかは長い割には河口が広くないのかな。
・あとなんか川が近く感じた。沈下橋もすごいねえ!渡る時ドキドキした。
・飛行機の窓から見た山がなんか丸くて美味しそう。植生のせいだろうか。稚内とかは木が少なくて抹茶アイスぽいが。
・と思ったらサルやイノシシの気配が割と怖い。威嚇されて、「こういうのがおいてけぼりとかの昔話になったのか…」と実感した。
・狐がぜんぜんいない!こっちと逆でタヌキの方が多いのかな。
・キジ!これほんとに野生でいるのすごいな。飛ぶの下手すぎん?あとアオサギ?を見る頻度が高い。
・セミが多い〜!!!種類も多いし街中にも多いしすごい。蝉時雨ってこういうことか!とはじめて思った。
・鹿が小さい〜!
・蚊が多いし刺されるとめちゃくちゃに痒い!!蚊が強い気がする!
・ゴキブリが外にもいる。室内にしかいないイメージだった。おまえ野生でいるのか、そうだよな…
・鮮魚コーナーはとても楽しい。南の魚は鱗が強いね。アニサキスも北国よりは神経質にならなくてよさそうでうらやましい。
・生きてる鰻はじめて見た。本当に掴めないね!驚いた。鰻って実在するんだなあ。
・鮎がとても美味しかった。
九州の南の方に行くことが多いから、福岡あたりはまた違うのかもしれない。
Permalink |記事への反応(17) | 20:33
私が楽しそうにやってたら、小1の長男が俺もやってみたいっていうから貸して、2人でやってる。
ポケモン捕まえるのは私より長男の方が上手いくらいで、私が捕まえられなかったデリバード捕まえてくれた。
私がデリバード好きで部屋にデリバードのぬいぐるみ飾ってるから長男も私がデリバード好きなの知ってて頑張ってくれたんだ。
捕まえてくれたの私も嬉しくて、長男にお礼を言ったら長男も嬉しそうだった。得意げな顔がかわいかったな。
それはまあ良いんだけど、SNS見てるとレアな色違いとかそういうのがいっぱい流れてくるだろ。
攻略とかレアなやつとかそういうのがたくさんいいねされてて、私はゲームの中で下層だなって思っちゃうんだよな…。子供とゲームした思い出なんてすごく尊いもののはずなのに。
ゲーム内でこんなことできた!みたいなの、まあ今の世の中攻略見たらすぐ誰でもできるもんね、みたいな気持ちになっちゃう。
何なんだろうこの感じ。
でも私は世界に何も発信していない。誰からもいいねもない。価値あることのはずなのに、なんか自分の経験はいいねが多い人の経験より価値がない気がしちゃうんだ。
何をするにも全部自分より上がいるのが見えるだろ。その無力感というか。
なんか虚しいよな。幸せなんだけど自分なんてな…って思っちゃう感じが嫌だわ。
朝の光がホームを柔らかく照らし始める頃、
そこに集うのは、恋する言葉と妄想を胸に秘めた――腐女子共――である。
改札で互いの「推しカプ」缶バッジをさりげなく見せ合い、無言の承認を交わす。
それはまるで暗号めいた合図。
淡い蛍光灯の下で、胸ポケットからはさりげなくしのばせたコピー本の角がちらりと覗く。
エスカレーターを降りると、群れは自然と手荷物を揺らしながら足並みをそろえる。
バッグの外ポケットには色違いのキーホルダーが揺れ、隣の誰かがこっそり呟く。
地下鉄車内では、スマホ画面を互いにちら見しながら、艶やかな二次創作イラストの断片をシェアする。
視線が交差した瞬間、心の中で「それな!」と叫ぶ熱狂の共鳴が走り、指先が軽く震える。
目的地へ近づき、会場の扉が見えると、彼女たちの背筋がぴんと伸びる。
薄暗い通路の先に広がる同人誌の小宇宙は、まるで自分だけの聖域。
棚に並んだコピー本の山が、胸の奥に眠る無数の妄想をそっと呼び覚ます。
イベント開始のアナウンスとともに、扉の向こうでは同人誌の聖域が静かに迎え入れる。
棚に並んだコピー本の山が、再びページをめくる手を震わせ、甘くほろ苦い余韻を胸に刻む。
そして今日もまた、腐女子共は群れをなしてその扉をくぐり、推しの息遣いを胸に抱えながら、自分たちだけの物語を追い求めてゆく。
園児の3/5くらいの親は地主、開業医、士業、会社経営者等やっていて、そういう親は明らかに髪と肌に課金してるな〜、今日の朝の送りはシャネルのピアスか〜、あのお母さんのバッグ、昨日とは色違いのバーキンか〜って感じで明らかに華やか。笑い声が大きい人が多い。車は大きい外車かやたら大きいワゴン。
園児の1/5くらいの親は勤務医、大学関係者や教育者。大学の教授、中学高校の教頭校長。親は地味目な、しかしくたびれてはいないシンプルな服。パールまたは小さめのダイヤのネックレス。車は普通の大きさの外車、または普通の大きさのワゴン。
そんで最後1/5くらいが普通に民間に勤めてる人または県庁市役所警察官等人に使われている公務員。うちはこれ。
家はお金出してもらう物。車は買ってもらう物。教育費はおじいちゃんおばあちゃんの口座から。
習い事代、1人5万くらいは安い。10万越えてる子も普通。例えば活発な子。サッカークラブ入るじゃん?クラブ代1万、別でコーチに来てもらって個人レッスン1回6000円を週2回。これでサッカー代が5万8000円。それに英会話4万、体操教室2万、スイミング1万って感じ。こういうの聞いても誰も驚かない。
「わぁ、○○ちゃんサッカー頑張ってるんだねぇぇ、かっこいい。でも送り迎え大変じゃない?」「まだ全然うまくないけど、好きだからさぁ。送り迎えは△△さん(家事代行みたいなやつ。お金持ちは知っているサービス。わたしは知らん)に頼んでるよ」「△△さん良いんだ〜!えーうちも家にいられても大変だしサッカー始めようかな〜」
ってな会話になる。わたしは心の中で「いやいやおかしいやろここの家3兄弟よね?他の子何してるか知らないけど同じように課金してるよなーきっと。1人12万として月36万、36万ってその手取りで一家4人暮らしてる人もいるよね。つーかこのお母さんの髪色、2週間に1回美容室行かないと保てないカラーと艶よなージェルネイルも根本浮いてるとこみたことないぞ…月の生活費、100万越え
ってるよなーお金湧いてんのかなー」と思いながら「〇〇ちゃんスポーツ万能だよね、将来楽しみだね〜」とか言って微笑んでる。
うちは夫の親は貧乏でもう亡くなっているし、私の親も他の県で慎ましく暮らしているしで自分たちで稼ぐしかない。自分たちで稼いだお金で子供たちを育てて車を2台買って家を建てて教育費貯めて老後の費用も貯めるもの。
そういうもんだと思って生きてきたし、夫はかっこよくて面白くて夫婦仲超いい(隠語)し、子供も面白くて何不自由してなくて、幸せなんだけどさ。
それでも流石にいいなーーーまじお金欲しいわーーって思う時はある。
ほんとにムカつくとかずるいって気持ちはないのよ、レベルが違いすぎてさ。
なので嫉妬深かったり人と比べて気持ちが下がりやすい自覚がある方は、教育熱心ってだけで入れるのはよく考えた方がいいと思う〜
[ハルマゲドンの時代に『真・女神転生』をプレイする](https://blog.tinect.jp/?p=90178 )
を呼んだ感想。
発売直後ではないが、真・女神転生の1, 2, ifぐらいまではかなりやった。あと女神異聞録ペルソナ。
ドラクエ的な完全懲悪とは違う世界観。神、悪魔、そしてそれを使役するということ。世界崩壊。それらが中二病的な心にバチッとはまった。
人の見方とか宗教に対するスタンスとか、今に至るまでおそらく結構影響を受けていると思う。
そんなわけで俺は正義の心が燃え上がるときに「アクマをころしてへいきなの?」と囁いてクールダウンさせるネコマタを脳内に飼っている。うらやましいだろう。
余談はともかく冒頭の記事である。メガテンに絡めてシロクマ先生が当時の世相とか現代の世相とかに言及している。
だけどちょっと違うかなー、と思う部分もあって書きはじめてしまった。
当時の世相はまあそうだろう。そんな感じだった気がする。
俺はシロクマ先生より幾分か若く、オウム真理教に関してはリコーダーを吹く側の人間であったが、
当時の世相に世紀末というのは欠かせない要素であった。
シロクマ先生は既存の秩序とそれに対しての反発としてメシア教徒とガイア教徒を例に挙げ、
既存の秩序に多かれ少なかれ反抗心を持ち日本の伝統に親和的な陣営(ガイア教)
というような印象を語っている。
シロクマ先生がガイア教徒とみなすような勢力はおぼろげながら浮かんでくる。
確かにそのように表現したくなる気持ちもわからないではないが、よくよく考えてみると反移民であるとか、排外主義、伝統的な価値観を大事にしようみたいなのは、色違いのメシア教だ。
そう考えると、シロクマ先生の言うグローバル資本主義に根差した秩序というのはどうだろう。
秩序とは名のつくものの、資本こそが力であり、力のある者が偉く、競争は自由だ。というのがベースだ。
というようなところまでブコメで書いたのだが、その後に面白い考えが浮かんでしまった。
LGBTだとかフェミニズムだとか現代ではポリティカルコレクトネスと呼ばれているような思想。
『正しい』とされると、秩序のように思ってしまうが、しかし「ゲイだっていいじゃん、トランスだっていいじゃん。女だからって女らしくする必要ある?」
これらってカオス的な考え方だ。封建社会、奴隷制度、宗教。そういう既存の秩序と対決するものである。
翻ってガイア教であるが、力こそ全てであると共に、そもそもメシア教から悪魔として排斥された異教の神々とも共存しよう。というのが思想のベースになっている。
自由、平等、差別は良くない。現代思想の根幹である。つまり、現代はガイア教が勝った時代なんだなあ。
本来カオスであるはずの思想が『コレクト=正しい』というロウっぽい立場を得てしまったことで色々歪んでしまったのかもしれない。
いまや街中やSNSで、「ポケモン」に熱中する大人たちの姿を見ることは珍しくない。かつては子ども向けのゲームだったはずが、30代40代になってもモンスターを追いかけ、色違いを求め、バトルに没頭する――その異様な光景が広がっている。
だが、ここで直視すべき現実がある。ポケモンに夢中な大人は、単なる趣味人ではなく、社会にとって「害悪的存在」になりつつあるということだ。
彼らは仕事よりもポケモンを優先する。勤務中にスマホでポケモンGOを開き、家庭よりも対戦を重んじる。社会が求める「責任ある大人像」とは正反対の行動だ。責任を背負わず、子どもの遊びに逃げ込む姿は、周囲に不信感を撒き散らす。
数万円を平気でガチャやグッズに注ぎ込み、深夜までゲームに没頭して翌日の仕事に支障をきたす。こうした行動は、経済的な無駄であるだけでなく、社会全体の生産性を低下させる。彼らは「趣味の消費者」であり続け、決して社会の担い手にはならない。
ポケモンに夢中な大人の多くは、人間関係の築き方が幼稚だ。仲間内では盛り上がるが、社会的な場に出ると浮いてしまう。結婚や家庭形成を回避し、コミュニティから孤立するケースも少なくない。結果として「現実社会に適応できない人間」を再生産している。
問題なのは、彼らが「個人的な趣味」にとどまらず、社会に悪影響を及ぼしている点だ。責任感を欠いた社員、家庭を顧みない親、社会的成熟を拒んだ大人が増えることは、組織や地域の健全性を蝕む。ポケモン依存の大人は、社会に害を及ぼす存在そのものだ。
ポケモンに夢中な大人は、単なるオタクでもなく、無害な趣味人でもない。彼らは「責任から逃げ、時間と金を浪費し、社会の成熟を妨げる害悪」である。
おととい、20Fまでクリアしてイクリプス稼ぎを少しだけやった
それでも虹が800個くらいまではがんばったからまあよくやったと思う
ほんとは2万とかほしかったけどなあ もっと時間に余裕があれば・・・
でもまあシーナリー大が30個できると考えるだけでも全然いいか
結局は大幻獣の素材必要だからイクリプスだけあってもダメなんだよなあ
でもイクリプスがこれで稼げたからソピアを心置きなく大幻獣チケットに充てられる
ミノソンとネフィリムBが全然でねーのとシンギュラ系の奥義レベル10にするためのリミスタルは必要か
そうそう昨日の夜10連まわしてたらベルゼブフきて、あと1回で4凸だーでもあと1回が長いんだろうなーって思ってたら30分しないうちに出てマジでありがたかった
これでシンギュラ全員4凸以上になった
これでシンギュラガチャから解放されてSSR+ガチャの方に心置きなく移行できるわ
んでSSR+も1個だけ出たし なんかラパンの色違いのウサギのやつ
レアリティの割にあんま使えなさそうな感じだったけどとりあえず新規でSSR+が出たってだけでありがたい
話戻すと塔の総括
先月は5Fまでで今月一気に20Fまで行った
事前準備がめんどくさすぎて突貫でその場その場でやったけどさすがにメギドが全員そろってたら頭数は足りたな
それ以降はちょっと厳しそうだな
サタンとかベルゼブフとか塔で使わないイメージあったから探索で使っちゃってたりしたし
次のぼるのは今回のシーナリー使い終わるくらい霊宝つくってそれ以外もめぼしいの作り終わってからかなあ
とりあえずずっと嫌で嫌で仕方なかったゴウギのHとVHをクリアした
エウリノームを強化してサタン覚醒スキルで黒犬化して奥義全体攻撃させるってやつ
ヨー考えられてるわーと感心した
暗闇大丈夫なんかと思ったけど奥義の命中率には影響しないんだよな
ラウムスキルつかって防御力上昇バフがかかるたび6000回復(マナナンガルの奥義バフコミ)するのえげつない
バフ自体は重ねてかかんないけどバフがかかる行為自体で回復するってのがつえーわ
今はサルガタナス接待の朧の闇をプルソン砲で短時間でクリアできないか何度かためしたけど、
1ターン目に1個でもスキルフォトン取られたらアウトなんだよなあ
あと2ターン目1巡でスキル取られてもアウト
ただでさえスキルの沸き多いのにかなり条件としては厳しい
https://lscharlie.exblog.jp/31824635/
「結果はFSIQ156(標準偏差15)。読むのが面倒くさい人向けに予め(笑)。
2015年に人生初の知能検査WAIS-III(Ver.3)を受けた。今回は2018年から日本でも運用開始となった新しいバージョンWAIS-IV(Ver.4)の性能(?)を確認したく受けてみた。
※ちなみに本家アメリカでは児童向けのWISC-V(Ver.5)が出ているらしい。ということは成人向けのWAIS-Vもアメリカではそろそろだろう。周回遅れの日本。
※読み方はウェイス・フォー。
グーグル検索でサクッと出てきたところは私には遠く(4km以上(笑))、近場の心療内科や公認心理師(臨床心理士)オフィスなど10軒ほど問い合わせ、WAIS-IVを実施しているところを探した。「WAIS-IIIでしたら」と言うところばかりで、最新版の導入があまり進んでない様子。
前回同様、心身共に健康な私は問い合わせの段階で予め「自費(自由診療)で」と申し出た。
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「WAIS-IV」と検索すると真っ先に飛び込んでくる文字が「医科診療報酬点数: 450点 (根拠 D283-3)」で、仮に健康保険適用だと医院に入るのは4,500円であり、2時間ほど趣味に付き合わせるわけにはいかず自費(自由診療)で。場所代もあり医院と折半だとして、病院勤務の公認心理師の時給は1,000円くらいか。歯医者と一緒で保険適用診療は儲からないようにできている。余計なお世話だが。
今回は他の心理検査は省略してWAIS-IVのみ。心理検査(エゴグラムなど)4〜5種込みで36,000円(自由診療)ほどだった2015年とそれほど変わらず、問い合わせたところはWAIS-IV単体検査で27,500円〜43,000円(税込)だった。検査報告書は別途5,000円前後取るところが多くソレを含んだ金額(いずれも自由診療の場合)。
※神奈川県で1万円台後半、首都圏の外では1万円台前半という医院・心理オフィスも見かけた。
2015年と同じく、問い合わせ段階で「1ヶ月以上お待ちいただく場合があります」というところもあったが、今回も申込から一週間以内で受けられた。精神科医に用がナイと早いのだろう。
検査は臨床心理士(民間資格)かつ公認心理師(国家資格)の女性と個室で約1時間半。休憩なし(こちらが希望しなかった)。
結果は全IQ(FSIQ)156(95%信頼区間で149〜159)。
WAIS-IIIでは156までらしいが、WAIS-IVは160まで測定できるそう。実社会における知能格差を踏まえてのことだろうか。IQブームで被験者が増え十分なサンプルが得られたのかもしれない。
フリン効果を考慮すると、全体(世間)が底上げされることで相対的に自分の優位性が下がり、最新バージョンでは低く出ると予想されるがそうはならなかった。考えられるのは下記の通り。
(1)5年前のWAIS-IIIの時は時間を測っていることを途中まで知らず臨床心理士の女性を笑わせることに専念していた(笑)ため、(WAIS-IIIの)スコアが低く出た。
(2)各検査の内容は一通り入れ替わったそうだが、前回検査イメージ(流れ)を知ったため精神的な余裕が生まれ集中できた。
(3)私が時代に適した(または進んだ)頭を持っていて、バージョンが新しくなったことでより高い精度で測定できた。
(4)同年代と比べて経年劣化(笑)が遅いため、偏差値(DIQ)化すると優位性が増した。
(1)は十分にあり得る。当時ブログネタのために(笑)メンサの試験と併せて思いつきで受けに行ったから、時間を測定するなどの知識が何もなく、ずっと冗談を言い続けていて、臨床心理士の女性が噴き出してペンを落としたくらい(笑)。それを拾おうとした時に「時間を測っているので」と言われて知った。だから前半の検査項目の値が低く出た可能性が十二分にある。今回は検査中は黙って集中した。
(2)は初回と比べると遙かに緊張も少ない。医院だと問い合わせただけでも「WAISを受ける(受けさせられる?)=何か問題がある」という前提なんだろうなという空気感が漂い、健常者にとってはアウェー感がかなりある。見方を変えると通院している人は場慣れしていて“ホーム”として挑めるんじゃないだろうか。また「流れ」を知っているか否かは大きい。ボクシングなら蹴ってこない前提で戦えるし、キックボクシングなら寝技はない前提で戦えるが、「ルールなし」だとどう構えていいのワカラナイのと同じで、イメージを掴んでいるだけでも有利に働く。疲れがまるで違う。
(3)かれこれ20年ちょっとプログラマーをやっていて、25年もITビジネスに携わっているから、頭の使い方は他の現代人と比べてもそれなりに進んでいるだろう。検査内容が時代に追いついてきた可能性がある。だとすれば次バージョンではもっと高く出るかもと期待できる。
(4)同年代偏差値から算出されるため、他の人達より老化(機能低下)が遅ければそれだけ高く出る。しかし「2015年にWAIS-IIIを受けました」と伝えたところ、標準化する際の年代(すなわちサンプル集団)が当時と同じ層に収まっているらしく、一般的には加齢に伴う認知機能の低下によって、今回の方が低く出るはずだから1〜3の可能性が高い。
検査が終わった直後「多分151以上でしょう。正式な結果とレポートは1週間ほどで」と言われ解散。レポートを受け取り記載されている用語(資料1、資料2[WISC-IV]、資料3[WISC-IV]、資料4[WISC-IV]、資料5[WISC-IV]を参照)を調べてまとめたのが下記。数値は私の結果。
類似:15
単語:18
知識:19
理解*:19
積木模様:18
パズル:18
バランス*:18
絵の完成*:18
数唱:19
語音整列*:19
▼処理速度(PSI):149
記号探し:18
符号:19
絵の抹消*:17
「*」印5項目(語音整列、バランス、理解、絵の末梢、絵の完成)は「補助検査」と呼ばれ、これは直接は知能指数の算出には使われないらしい。せっかくなので全部受けた。
※料金が異なるかもしれないので、15検査受けたい人は予め「全15検査を」と伝えた方がイイ。
「類似」だけ低いのは多分私がスロースターターだから(笑)。最初の検査項目で、自分で「もうちょっとスマートな表現がありそうだが」と思いながら答えていた。最近は書いて説明することが多いことも影響している(多分)。
WAIS-IVから「言語性知能(VIQ)と動作性知能(PIQ)の区分けがなくなる」とはどこかで読んで知っていたが、
[VCI(言語理解)]+[WMI(作動記憶)]=[VIQ(言語性知能)](聴覚入力)
[PRI(知覚統合)]+[PSI(処理速度)]=[PIQ(動作性知能)](視覚入力)
※上記()内がWAIS-IIIでの呼称。今思うと「知覚統合」は大袈裟で、視覚入力しか測定していない。IVでは「知覚推理」という名称になった。割と良く「空間認識」とか「地図を読む力」といった例えが出てくるのに、なぜ素直に「視覚推理」にしないのか。
しかし分析の際の仕分けが変わったようで、これまでは上記の言語性知能/動作性知能に分けて分析していたところを、
[VCI(言語理解)]+[PRI(知覚推理)]=[GAI(一般知的能力指標)]
[WMI(作動記憶)]+[PSI(処理速度)]=[CPI(認知熟達度指標)]
と見るようだ。
※CPI(認知熟達度指標)は、「成人検査では現時点で研究段階」とのことで数値は算出されないそう。WISC-IVにはあるらしい。
検査方式が大きく変わったわけでもなく分析方法がより詳細になったっぽい。
分析の仕方が変わろうと、私みたいにバラツキのないタイプは分析しようがない。検査項目毎に差があって初めて何に強い・弱いなどの適性が出たり、或いは「発達障害の疑いあり」等と判定されるのだから。
GAI(一般知的能力指標)は知識と思考力(もちろん机上の)、CPI(認知熟達度指標)は実生活で問われる能力と言える。実績(実務)よりカタログスペックにこだわる人はGAIを好みそうな印象があり、「GAIが高いのに実社会で上手く行かない」という場合にCPIを見れば原因が解るといったより実質的な評価が可能になったように思える。
PRIとPSIはCambridge Brain Sciencesのスコア通りな印象。内容は全然違うが、テキパキ度が問われる。サラリーマン社会では最も見た目の印象に関わるところ。時間を測っているものばかりなので、喋ったり冗談を言ったり手を休めていると当然に低く出る。
一方、VCIは知識問題なので、偶然知っている内容が出題されれば高く出るという他の資格試験などと似た性質のもの。WAIS-IIIの時は日本文化に関わる内容が多く出題された記憶がある(私の苦手分野)が、IVは私が良く知る内容ばかりだった。
細かく見ていくと、「類似」は読解力・理解力につながり、「理解」は言葉通りの検査で異議はないが、「単語」と「知識」は“教養”と言えば教養、しかし私はこれらを「知能検査」に含めることに懐疑的な立場であり「長期記憶を問うている」程度に受け止めている。全くもって生得的な知能とは関係ない気がする。それに2020年現在、もっと知ってた方がいい知識は山ほどある。例えば「bit」と「byte」は現代社会において極めて優先度の高い単位だが、他の単位が問われた。冒頭に書いた周回遅れが原因なら(日米差は10年)、2010年頃の偏差値として受け止めるべきか。
WMI(いわゆるワーキングメモリー)は算数と暗唱(数唱)で、私の場合数唱はもともと良いんだが算数は運(笑)。今回の内容自体は即答できる簡単なものだった。
※それでもWAIS-IIIから5年経って加齢に反して向上していることを考えると、サプリ効果ではないかと個人的に思っている。
結局のところ言語性知能とは結晶性知能と呼ばれることもあるように、努力(反復学習)の成果(特に学校時代の)であり(私の場合大人になってから覚えたものばかりだが(笑))、生得的な賢さとは結びつかない。私はまるで努力型ではないので、算数(暗算)などは平均的なビジネスマンと比べて決して速くないんだが、ウェクスラーの場合文章問題を耳で聞いて暗算で答えるので、日頃人の話を何度も聞き直すような人(聴覚入力の機能性が低い人)や、メモが必要な人(ワーキングメモリーの機能性が低い人)は、学校のテストのように紙に書かれた問題の暗算が得意でも上手く行かない可能性があり、相対的に私はよく機能しているという結果なのだろうと理解している。日常生活・業務により近い検査と言える。
※ちなみに遺伝子検査では私の海馬(=記憶力を司る)は小さい傾向と出ている。MRIの画像が3年分あるのでいつか脳科学者に見てもらいたい。一方、計算は速い傾向と出ているが、算数も数学も苦手。多分性格の問題(笑)。処理速度も一部速い傾向と出ていて、これは自分で納得している。スロースターターだが(これも性格の問題)エンジンがかかると処理はかなり速い方で仕事量は非常に多い。
私にとって最も集中力を必要としたのは語音整列でかなり脳に負荷がかかった。10年に1回というくらいの本気を出してみたが、補助検査なのでFSIQの算出には使われないらしい(笑)。
私が受けたところは、検査まで、検査時、検査後の対応も非常に良かった。自費(先方にとって実入りが良い)かつ何かの疑いがあるわけではないので、そもそも“患者”ではなくただの“客”だからというのもあるだろう。
以下はいくつか感じた点をまとめてみた。
その1:ウェクスラー知能検査は常識的なことしか問われないので、小さい頃から発達障害等の疑いで何度も知能検査を受けている人や、ギフテッド・英才教育という名の下に検査に最適化された問題をこなしかつ検査を頻繁に受けている人などは内容を覚えてしまうから、各バージョン最初の1回目のスコアしかあてにならない。特にWAIS-IIIで言う言語性知能(WAIS-IVでは言語理解)の下位検査は記憶力の良い人なら1回で暗記できるものなので、インターネット上で「言語性知能が高く動作性知能が低い」(その差が大きい)という結果をよく見かけるのも、これが原因の1つかもしれない。診断のためだとしても複数回検査しているうちに、暗記によって言語性下位検査のスコアが高くなり、“慣れ”効果は多少あっても暗記できるものではない動作性との差が開き、ますます発達障害判定される可能性が高まるんじゃないかと人ごとながら感じた。
その2:行列推理の問題のうち1問だけ、間違いなくこれが正答と思われる選択肢に色違いがあり、色覚異常の私には識別が難しかった。どうみても答えではない選択肢が何色だろうと構わないが、正答に色違いを設ける場合は赤、青、黄、黒といった間違えようのない色にしてもらいたい。色覚異常が多い白人圏で製作されている割には意外。
その3:凸凹がないのでプロファイリングしようがないのかもしれない。検査報告書は2015年のWAIS-IIIの時と同じく、読んでる方が顔が赤くなる(笑)くらい褒めちぎられていた(とても丁寧でA4数ページ)。しかしこういう横一直線のバランス型は本当に珍しいらしく、一見「特徴がない」印象だが、見方を変えると出現率的には非常に個性的ということになる。矛盾しているようだが統計学的にはそうなる。
そんな感じ。
普段全く不安要素や問題を感じていなくても、経営者や管理職層は一度受けてみることをオススメする。人を雇うまたは採用・管理する際、自分と比べてどういうタイプの人を“優秀”と感じているか(その反対も)を知ることで、自分は“人材”によって何を補おうとしているのか(または相手に何を要求しているのか)が解るから。自己分析。
病院ではいちばん面白くないかもしれない凸凹がない人は、多分器用なバランス型を好むだろうと思う。欠けているものを補おうとするよりも、バランスを崩すことで生じる補填コストがリスクとなるから。
といった特性が見えてくる。
というわけで次に私が受けるのは、日本でWAIS-Vの運用が始まった時。7-10年後くらいだろうか。
注)インターネット上に成人用WAISの参考文献が少なく、児童用WISCの資料から得た情報が多い。