
はてなキーワード:自習とは
僕は今、いつもの座席に鎮座している。ルームメイトはリビングのソファでパズルゲームを無言で進めており、隣人はサブカル系の配信をしているらしく時折笑い声が廊下を渡ってくる。
友人たちはグループチャットで熱く同人の出来や新連載のガチャ確率について論争している。
僕の一日は厳密に区切られていて、朝は必ず8時に起床、コーヒーの抽出器具を90秒で予熱し、温度は92.3℃±0.2℃に保つという無駄に精細な儀式がある。
靴下は左足から履く。出勤前の15分は必ず抽象数学のノートを眺め、最近は圏論的位相場のホモトピー的反復と超弦モジュライのmeta-圏的安定化について自問している。
これは専門用語の羅列ではなく、僕にとっては手を洗うのと同じくらい生理的な行為であり、その行為を飛ばすと一日が微妙に狂うので飛ばすことはめったにない。
仕事が終わった今も、僕は一日の終わりに形式的整合性を取るためのルーティンを持っている。
具体的には、机上のコップは時計回りに90度ずつ回転させて元の位置に戻す、明かりのスイッチを一回押して3秒待ち、もう一度押すといった小さなチェックポイントを踏む。
これは合理的かどうかを問う人がいるだろうが、僕にとってはエラー訂正符号のようなものだ。失敗を検出すると自動的にその日のメンタル状態のトレースが始まり、友人たちの雑談に混じる気力が萎える。
超弦理論に関して今日述べることは極めて抽象化され、現実の誰が読んでも「それが何を意味するのか」を即座に把握できないように意図している。
僕は最近、モノイド対象としてのストリング世界面の圏を、圏論的対称化子(コクセター的ではなく、もっと抽象的に、位相的量子群の代数的類・モジュライ化)を用いて再定義する実験をしている。
言い換えれば、従来の共形場理論的な世界面パラメータ空間を、非可換ホモトピー論のフィルタ列で再帰的に層化し、その各層におけるファイバーの自己同型群をモナドとして扱うことで、局所的に見える弦状態の同値類を圏的に集約する。
さらに、圏の圏(2-圏)に対する新しい安定化の概念を導入して、通常のK理論的分類とは別の不変量が現れることを示唆する予備的計算結果がある(ここでは具体的数式を列挙しないが、ホモロジーの級数展開における位相的位相因子の再正規化が鍵となる)。
この構成を、最新の抽象数学的モジュール接続概念と結びつけると、我々が従来想定していたスペース-状態対応の双対性が、もっと弱い条件(例えば圏的可換性の高次緩和)で成立する可能性が開ける。
加えて、僕はこの考えをある講義資料やトークの示唆と照らして取り入れており、その資料は概念的な跳躍と直感的な図示を巧みに使っているので、僕の現在の探索にとって非常に有益だった。
僕は「誰も理解できないものを言語化する」ことに快感を覚えるタイプだが、ここで言っているのは自己満足のためではなく、圏的再構成が実際に計算上の省力化をもたらすかを検証するための試行でもある。
ある意味で、これは純粋数学者が夜中に自分だけの公理系をいじるのと同じ行為だが、僕の場合はそれを出社前の歯磨きに組み込んでしまっているので、周囲は迷惑かもしれない。
食事の配列はプレート上の分布エントロピーを最小化する向きで常に配置し、週に一度は手製のスキルツリー表を更新して趣味的投資の累積効用を整数化している。
コミックは最新巻が出ると即座にページごとのフレーム密度と作画のトーンワークを技術的に解析し、特に背景のディテールに含まれるトーンの反復パターン(いわば視覚的フーリエ成分)をスコア化する。
ゲームに関してはガチ勢的態度を崩さず、メタ的な語りを排してシステムのギミック、ドロップ率、レベリング曲線、そして対戦環境のテンプレート化された最適戦略について延々と解析する。
ただしゲームやコミックに対しては「空間」や「力学」といった語はなるべく避け、代わりに「状態遷移図」や「入力遅延とフレーム落ちの統計的扱い」など工学的・計算機的に言語化する。
たとえば今日友人が語っていた新作のギミックについては、その期待効用をELO的な評価尺度でランク付けして論争に勝とうとしたが、連中は「推し」を盾に論理を流してくるので僕はたまに脱力する。
だが脱力する暇は短く、夜の自習時間には再び圏論的比喩に戻り、各行動の符号化を試す。
日常の細部も大事にしている。玄関の鍵は4回回すのが正しいというオカルトじみたルールを持っているが、これは単なる迷信ではなく、僕の内部的なチェックサムである。
友人たちはこれを笑うが、彼らもまた各自の無意味な儀式に固執している。
コミュニティでの嗜好(推しキャラ、嫁、沼の深さ)に関しては妙に合理的で、僕はデータベースを自前で持っている。
各キャラの台詞数、出番頻度、描写の感情強度をパラメータ化し、二次創作が生成される確率空間を推定する実験をしている。
この種のオタク計量は笑われがちだが、実際にはコンテンツ開発や同人活動の動向を予測するには有用だ。
眠りに入る前に、僕は明日の論文ノートに小さな疑問を三つ書き付ける。
第一は、先に述べた圏的安定化が有限次元表現に落ちる際の可逆元の振る舞い、第二は同構クラスの計算可能性のアルゴリズム的複雑さ、第三は趣味領域における情報量の測度とその心理的飽和点の関係である。
これらを洗い出しておけば、僕は安心して眠れる。
ルームメイトがゲームのボスを討伐した歓声が聞こえ、隣人の配信が締めに入る。友人たちのチャットは未だヒートアップしている。
僕は日記を閉じ、明日のコーヒーの豆を2グラムだけ余分に計量しておく。これは単なる癖ではない。それは帰納的に我が生活を安定化するための小さな公理群だ。
実際に触ってみる前のイメージは「どうせ劣化chatGPTだろ」だったが(実際chatGPTベースなので)、触ってみたら1つオリジナルにない面白い機能がついていた。
教員が事前に組んだプロンプトをアプリケーションの様に保存して、他の教員だけではなくて生徒とシェアができる。
[採用している問題集をアップロード→アップロードしたファイルを参照し、ランダムな問題を1問表示→「正しい選択肢と英文の和訳を入力しなさい」→生徒の選んだ選択肢をファイルを参照し評価。また生徒の和訳が英文の文と照らし合わせて適切かを評価。もしいまいちであれば、何がどうなぜいまいちなのかを説明→間違っていた場合似たような問題を生成して解かせる→またランダムに1もん選んで表示]
といった自習用の教材を作ったりもできるし
[「じゃあこの会話の応答を自分で考えて入力してみろ」→その応答がシチュエーション的、語彙的、文法的に正しいか評価してフィードバック]
とか、1人で40人を教えていたら不可能だったアウトプット活動にに関するリアルタイムでのフィードバックも可能になる。
一方で、自然な英文を生成する、英文に対して評価を行う、という活動に対しては相当な安定性があるものの、日本の入試問題の様に、文法的に正しい選択肢を①~④から選べ、という活動に関してはchatGPTもgeminiも最新モデルですら結構間違うし、都立aiも実際間違えた。
エクセルすら満足に使えない教員がこのプロンプトを作って生徒に投げっぱなしにすると、間違ったことをいつの間にか教え込んでるというリスクはどうしても付きまとう。
テクノロジーは核戦争でもない限り後退しないのだから、活用はしていくべきだが、じゃあどう活用するかというのはとても個人の教員のセンスに依存するね。
また、自作のプリント教材、パワーポイントに加えて、aiという新たな教材準備が加わると、1回の授業のカロリーが非常に高くなるので、それも含めてどう付き合っていくかが難しそう。(特にまとまらない話)
俺が通っていた高校は進学校とギリギリ呼べるような学校で、それなりに偏差値も高かった。
将来にやりたいことは思い付かなかったし、毎日をだらだらとしながらもそれなりに謳歌していた。
周りは勉強に真面目で、友人と一緒に勉強する時ぐらいしか自習をしなかったので当然授業について行くのが難しくなっていった。
高校2年の夏休み前。梅雨が明けて、日照りのような暑い日が続いていた。
隣の席だったSさんは一年の時にも同じクラスで、しかしこれといって会話をしたことはなかった。
日直の日、最後に教室を閉めることになると俺はがらんとした教室を目にして、ここでなら勉強ができるかもという気がした。
家でも塾でもやる気は出なかったが、学校の教室。それも無人となれば不思議とそういった気持ちが湧いてきたのだ。
俺は自分の席に着くと教科書とノートを広げた。Sさんがなにやってるの?と聞いてくるので勉強、と俺は答えた。
後は俺がやっておくから先に帰っていいよ。そうSさんに告げると彼女はズズズと隣の席の椅子を引き摺るようにして音を立たせ、俺の隣に座った。
そこ分かる?と聞かれ、俺は顔を上げた。Sさんの顔が近かった。
私、得意だから教えてあげようか?と不意にSさんが言った。俺は驚きながらも、じゃあ頼むと返事をした。
それからSさんと一緒に自習した。誰も居ない二人だけの教室で。
カーテンが揺れて、野球部の掛け声や吹奏楽部の演奏が風に乗って耳に入った。
時間はなだらかに流れていき、夕日が教室を優しく包み切ったころ。
休憩して、Sさんと雑談した。一二年と一緒のクラスだったのに、ここまで話をしたのは初めてだった。
今嵌ってる音楽があって。聞く?とSさんはスマホに有線のイヤホンをつけて俺に尋ねた。
頷いて、片方のイヤホンを耳にはめて、あとわずかで肩が触れ合うところまで肩を寄せて、一緒にその曲を聴いた。
俺は気恥しくて隣を向けず、窓の方ばかりに目を向けていた。
揺れるカーテン、差し込む夕陽が教室に陰影を作って、まるで知らない場所のように綺麗だった。
すごくいい曲だった。そう告げるとSさんは照れたように大きく笑った。
可愛かった。
勉強を終わらせると一緒に教室を出て、職員室へ寄り、それから校舎を出た。
一緒に歩き、ずっと話をした。
Sさんは思っていたよりずっと親しみやすい人で、打ち解けると非常に饒舌だった。
じゃあ、また明日ね。とSさんと途中で別れる時、うん、また明日と言って、それから彼女の姿を少し見送り、自分も歩き始めた。
蝉の声が聞こえ始めて、顔を上げると陰った入道雲が目に入る。
そのとき、なんとなく”ああ、自分は生きているんだな”と思えた。
暖かく蒸し暑い風が肌を撫でる度、俺は今でも当時のことを思い出す。
今年も夏が、やってきた。
はてな匿名ダイアリーは、学校帰りの週末夜に寝転がって読んでます。ランキングに載ってるのだけ。新着はあまり読まないです。
多くの記事は斜め読みだけど、たまにトンデモなく面白いのを見つけた時に感動する。高1から読んでいる。はてなユーザーがうんこを漏らしがちなことは知ってます。※冗談だってことも知ってますよ
これって匿名で日記が書けると言うので、今回ちょっと普段の後ろ暗い思いを綴ってみます。
自分は、府中東高校と同じエリアにある学校に通っている。ちょっとだけ真面目な方かもしれない。
正直子どもだけど、受験勉強や部活は頑張れる人間のつもりでいる。実際に努力はしてきた。
ただ、少なくとも、同じ高校生とは思えない人達のせいで困ったことが何度もある。。
たとえば、学校帰りに自習に使う文化施設(公民館?)でのこと。静かに教科書とチャートを広げてると、たまに騒がしい一団が学習机が並んでるスペースのところにいる。
学校帰りの東高校の生徒で、勉強している府中高校の女子に平気で話しかけている。ナンパってやつなんだろうか。したことないからわかんないけど。迷惑以外の何物でもない。
一度なんて、学習スペースの隅っこで男女(東高校の制服)がベタベタしていて、明らかにただのイチャつきじゃない雰囲気だった。
しまいには公民館職員のおじさんに注意されて、男女はすごすごと出て行った。見てるこっちが恥ずかしくなった。あれ、ほぼ性行為じゃん……さすがに言い過ぎか。でも、マジでそんな感じだったんだよ。
通学の時も、彼らを見かけることがある。大きいバイクを乗り回している東高校のやつ。ヘルメットは被っているけど、こないだ駅近くの交差点のど真ん中でエンストして、その様子を同じく東高校の女子生徒数人に笑われてた。
それからそいつは、横断歩道のすぐ手前までバイクを押して来て、女子生徒数人と楽しそうに話を始めた。通行人にとって邪魔だった。
自分はそこにいたけど、チキンなのですごすごとその集団を避けて学校まで行った。
あと、バス停で東高校の女子生徒を見かけることもあるんだけど、たまに信じられない子がいる。
バス待ちでしゃがんでるんだけど、明らかにパンツが見えているのに、全然気にしてない。
自分でわかってないんだろか?あれは一体どういう感覚なんだろう。
同じ女子高生でも、うちの学校の子はもっとちゃんとしていると思う。学校の階段とか、教室の中で足組み替える時にパンツ見える子もいるけど、それは男子の側にもそういう気持ちがあるかもしれないから、まだ許せると思う。※許してほしいです
はっきり言うけど、近隣の中学校の中でも、ちょっと……言葉は悪いけど「掃きだめ」みたいな環境で生きてた生徒が通う学校である。少なくともうちの中学ではそうだった。
東リベの漫画読んだことあるけど、あれって20年以上前の話なんだろ。でも、東高校の人らは、あの世界観で生きてるような気がする。
駅の近くで、東高校の制服を着た数人に囲まれている中学生を見かけた。
近くに大人がいるのを確認して、思わず声をかけたら、連中は舌打ちしてどこかへ行った。
あの時はマジでドキドキした。中学生からは感謝されたけど、たまたま居合わせただけだ。大声を出したら聞こえる距離に大人がいなかったら、絶対やってない。
ここからが本題なんだけど、正直、これからどんな気持ちで公民館とかに行けばいいんだろう?また東高校がいたら集中できないし、自分自身が被害に遭ったら嫌だなと思ってしまう。勉強に集中したいのに。
どうしても、周りのことが気になってしまう。うるさい環境だとマジで集中できないよ。ちゃんとした大人だったら、一般的なはてなユーザーとかだったら、なんとか知恵が浮かぶのかもしれないが、自分は無理だ。経験が足りない。
申し訳ないけど、自分はあの学校の生徒たちを差別していると思う。そういう感情がある。はっきりわかるんだ。
ふと思ったんだけど、社会人になって大企業とかに入っても、ああいう感じの、常識がない人っているんだろうか。もしそうだとしたら、今からちょっと憂鬱だ。高校生の世界だけならまだしも、大人になってもああいう人たちと関わらなきゃいけないのかと思うと、気が重いのである。
はてなの人たち、人生の先輩って、未成年の頃にこういうのが気になったことはあるんだろうか。
こういうのって、どう考えればいいんだろう?気にしすぎなのかな。
(終わりです)
続き。とはいえ、全ての自治体の全ての小中学校がICT活用に力を入れているわけではない。
人口が多い都市部の学校は、教育委員会の人員が充実していることもあり、比較的このICT活用が進んでいる。
逆に地方になると、やる気のない校長&人員不足の教委のコンボにより、言い訳程度にしか使ってない学校もある。
そういう意味で、どの学校出身かにより、子供のICT活用力に個人差があることもまた問題とされているんだ。
また、一部界隈では、学校で導入している一人一台端末のOSや機種がなんだと議論されているようだけど、むしろ学校現場にとってはなんのアプリを使うかが重要と考えられているんだ。
最近の子供に学校の授業でなんのアプリを使っている?と聞くと、「ロイロノート」「コラボノート」「ミライシード(byベネッセ)」あたりは定番だし、もちろん「Google Classroom」もよく使われている。
授業だけでなくクラウド型総合学校教育支援アプリ(自習教材や家庭との連絡帳などもついてるやつ)としては、「SKYMENU CLOUD(bySKY)」「Classi」「Metamoji」「キュビナ」あたりが定番か。
今、教育系企業の間では、学習支援アプリの開発と売り込み競争がすごいことになっているんだよね。なにせ日本は教育にお金を掛けたがらない国だから。どこがシェアをとるのやら。
たいていは、前者の授業支援アプリカテゴリから1つ、自習教材のために後者の総合型クラウドアプリから1つという組み合わせになるのかな。
また、2020年のGIGA端末導入から5年経ち、そろそろ端末更新の時期がやってきている。今年の夏あたりが、各自治体における端末入札のピークじゃないかと言われているんだ。
2020年に導入した数のおよそ7割くらいを更新予定ということなので、また大きなお金が動くね。でもこれは必要な投資だと思うので、ひどい業者に安かろう悪かろうな端末をつかまされないように、教育に役立つ環境が整えて欲しい。
子供がいると授業参観などで最近の学校の様子がわかるのだけど、子なしだと自分が通っていた昔の学校の記憶しかないよな。
その記憶だけで現在の義務教育を語ると話がすれ違う可能性があるので、小中学校における一人一台端末の導入とICT教育の現状について語ってみるぜ。
まず、小中学校における一人一台端末(パソコン室にパソコンが並んでいるのではなく、1人1人に専用の端末)はすでに整備が完了している。
元は2019年くらいに文科省が「GIGAスクール」という構想を立ち上げ、数年間かけて順次、国の予算で整備する予定だったんだけど、
ちょうどコロナがやってきて自宅待機が増えたこともあり、2020年の1年間で一気に整備することになったんだ。
ここでのポイントは、端末の購入代金(国公立は4.5万円/台、私立はその半分)と学校におけるWifi環境整備のお金を国が持つという大盤振る舞いをしたこと。
この1年で購入して整備しないとお金を出さないぞと脅されたせいで、2020年に一気に1人1台端末の整備とギガビットクラスのネット環境(+Wifi)が学校に整備されたんだ。
その後、端末は生徒に行き渡ったのだから学校授業などで端末を活用しないなんてことはないよな?これまでのように家庭の事情で使えるパソコンをもっていない子がいるからなどという言い訳は聞かないぞ。
と文科省/教育委員会からの有形無形の圧力を受けて、先生たちは否応なく授業で端末を活用する方向に舵を切ることになった。
とはいえ、すぐにすべての先生がICTを自在に使いこなせるわけではない。
授業スタイルの変革には時間も研修も必要で、特に年配の先生の中には、紙と黒板中心の授業から脱却するのに戸惑いを感じる人も多かった。
それでも、端末活用は確実に広がっている。たとえば、調べ学習では端末を使ってインターネットで情報を集めたり、プレゼンテーションソフトで発表資料を作ったりするようになった。また、家庭学習においても、クラウド型の学習支援サービスを利用して、先生が宿題を出したり、コメントを返したりすることが日常化してきている。
そして家庭との連絡も、連絡帳が紙ではなくクラウドになりつつあって、子供がいる親もそれについていくために頑張っているんだ。
なお、学校でどのくらい端末を使っているかについては調査もされていて、2024年の時点で、「ほぼ毎日」あるいは「週3日以上」1人1台端末を授業で活用している学校は、小学校が93.3%、中学校が90.8%となっている。つまり、俺たちが小中学校だったころとは授業の様子はかなり異なっているんだよ。
さらに、個別最適化された学習という考え方も広がりつつある。これは、生徒一人ひとりの理解度や進度に応じて、AIドリルやeラーニング教材が適切な問題を出題し、学習を支援するという仕組みだ。教育に熱心な学校や市教委は一括でクラウドベースの教材を契約し、子供たちの自習用に提供していたりする。
そういう学校に通う子どもは、基本的に紙の教科書等は学校に置きっぱなしで、端末だけを家に持ち帰っていたりするんだ。
とはいえ課題も多い。端末は壊れたり不調になったりすることもあるし、保護者の中には「こんなに画面を見せて大丈夫なのか」と心配する声も根強い。何より、ICTはあくまで手段であって、使うこと自体が目的になってはいけないという視点も大切だ。
それでも、子どもたちがこれから生きる社会は、間違いなくデジタルとともにある。
学校教育がその基礎を支える場だとするならば、このICT活用の流れは不可逆であることは間違いない。
なお、2020年の一人一台端末整備完了のときに、中学3年生だった子供は現在大学2年生、小6だった子供は高校2年生だ。
学校でしっかりと端末を活用して学んできた子供が、どれだけICTに親和性が高いか想像がつくだろうか?
この新しいICT教育を受けてきた子供が今後続々と社会に出てくるようになる。働いている俺たちにとっても他人事じゃないからな。
今まで住んできた街はこんな感じ
・社会人7~9年目:港区白金・広尾・恵比寿らへん(具体的な場所でいうと、北里大学のすぐそば。) ※←この時の話
とりあえず、一回、港区に住んでみるってのはいい経験だったなぁと思う。基準ができる感じ。
一旦、高級(?)な街に住んでみることで、無駄に憧れ続けることもないし、そういう所に住むメリデメを実感を伴って理解することができるしね。
あそこに住んでいる人達はやっぱりお金持ちが多いね。多分スーパーとか値段見ずに買ってると思う。スーパーの価格帯高すぎ。
老人が歩いてない、というかいない?
自転車に乗ってる人をあまり見かけない(坂が多いのもあると思うが)
ちなみに白金には明確なヒエラルキーがあって坂の上の民(白金台の民)か坂の下の民(渋谷川の民)かに分けられる。坂の下の民はいたって普通の人たちが結構いる(僕みたいな)。そして家賃も目が飛び出るほど高いってわけでもない。100円ローソンもある。坂の下ならね。
パンはいいお店がたくさんあった。たぶん欧米系の外国人が多いからだと思う。
高輪台「セイジアサクラ」、広尾「ブーランジェリーブルティガラ」、広尾「ベーカリー&レストラン沢村」ここらに行っておけば間違いないかな。
広尾「トリュフベーカリー」は行かなくても全然良い。悪い店じゃないけど、特に良くもない。
白金台の「アコテパティスリー」は正直全然良くない。高いだけのクッキー屋。同じお金を出すなら尾山台「オーボンビュータン」でクッキー買おう。
正直あまりお金なくて楽しめなかった感がある。僕だと何かの記念日でしか行かないようなお店がゴロゴロ転がってる笑
とりあえず行ったお店書いておくと、
白金「中華料理 勇」はすごく良かった。そこで食べたアワビステーキが今のところ一番のアワビステーキ。予約すると来店何回目?って聞かれるんだけどコースを予約の回数別に変えてるらしくて何回も行っても楽しめるっぽい。僕は1回しか行ってない。
白金「ラ クレリエール」は正直楽しめなかった。理由はお店ではなくて自分。僕がフレンチのコース料理がどういうものかってのを知らなかった。あとコースの選択をミスった。とりあえず高いやつ!って感じでコース選んじゃったんだけど、料理のボリュームが僕のキャパシティを遥かに超えていった。(※ラーメン二郎で初来店で大盛り頼むようなもん)
白金「RAMA」もかなり良かった。とにかくインテリアがおしゃれやね。お店の人も気さくで好感もてた。お店の外からだとガラス張りで丸見えで動物園状態なんだけど、カウンター座ると外は気にならなくなる。まぁだけど、お店の人は大変だろうなぁと思う。オープンキッチンの度が超えてて所作がすべて丸見えだし。換気がかなり考慮されてるっぽくて厨房側の臭いは全くしないもの良かったね。(オープンしたてだから綺麗だっただけ?)
白金台「八芳園」のカフェは良かったな。景色が良いし、庭を散策できるのも良い。盆栽とか並べてあって楽しい。
ご飯食べるのが好きで、お金持ってる人は、白金おすすめだと思う。全然開拓できてないけど、いいお店沢山あると思う。
恵比寿はいいお店そんなに無い笑。あそこは合コンか初めてのデートで行く街だね。ご飯を楽しみたい人が行くべきお店は全然ない。
広尾もそんなにいいお店あった感じは無いかなぁ。(これは行ってない・調べてないだけだと思うけど)
ちなみに白金らへんはファストフード店はほぼなし。普段使いできるお店がない…。吉野家もマックも全然ない、ラーメン屋も無い。恵比寿まで行けば結構いろいろとあるが…。
僕が買い物してたのは
・ドン・キホーテ(一応、日配品とお肉はある)。納豆・卵とか日配品を買う。調味料とか。
・まちの八百屋さん的なとこ。びっくり屋。比較的良心的な価格。
・肉のハナマサ。正直高い。冷食買うくらい。
魚を買う場所が全くなかったなぁー。魚を全然食べられなかったなぁ。
公園はあまり無いね。あっても小さい。正直微妙。有栖川公園はまぁまぁ大きいが、高低差があるし、木々が茂っていて日当たりがあんまり良くないし、ゆっくり過ごす場所って感じでもなかった。東京都立有栖川図書館は最高だったね。だけど本は借りられないし、高校生とかの自習スペース的な使われ方がメインだったりする。
そこら辺にある建物が結構お金掛かってそうな感じだった。ヤバそうな建物(バラック小屋みたいなの)が比較的少ないかなぁと思う笑
白金台に、庭園美術館とか、東大の医学研究系のキャンパスがあった。かと言って、別に1回くらい見学したくらいだし、そんな良いものでもなかったかな。
SBIアートオークションの下見会が代官山でやってて、かなりいい作品が無料でみれるっていうのは都会ならでは。チャリで行ってた。
白金に住んでるってドヤ顔するつもりだったのに全然白金っぽい生活できなくて白金に住んでますって言うの恥ずかしかった。
まぁでも、白金に住んでるって言うだけで笑いを取れたから、良かった笑
ちなみ、白金に住んでる時に結婚したので、本籍地は港区白金です。まだまだネタにしていくぞ!
交通事故で膝の骨が粉々になり、半年くらい車椅子の生活を強いられていたことがある。俺はその間、一時的に「ひまわり学級」いわゆる特別支援学級に登校することになった。もといた教室までの階段を登れなかったし、エレベーターもなく、車椅子が入れるフラットなトイレも1階にしかなかったのが理由だ。
でもひまわり学級は身体障害者向けと言うよりは少し知能や精神に問題のある児童のためのものだった。3〜6年生のそういう児童が集められて、各自の進行度に合わせたプリントを進めたり、先生が一対一で教科書を読んで説明したりする。先生は二人いて、一人は児童の勉強を見て回り、もうひとりは大人しくしていられない子どもを落ち着かせたり指導をする、という感じだった。
俺は車椅子用に広めのスペースを開けてもらった教室の右後方からそれを眺めながら「こりゃヤバいところに来たな」と純粋に焦った。常に奇声が上がっているし、自閉症やダウン症の子どもの顔つきは申し訳ないけど同じ日本人とは思えず怖かった。先生たちが優しくしてくれるかというとそうでもなく、教科書を読み上げて事務的な言葉をかけてくるだけで、聞きたいことがあってもすぐに他の子どものところに行ってしまうし、基本的に自習に近い状態が続いて勉強もどんどん遅れていく気がした。授業と休み時間が交互に来る、という感覚が希薄で、無為な時間がダラダラと続いて一日がひどく長く感じる。最初のうちは大休憩にもとのクラスの友達が顔を出してくれたが、ひまわり学級の異様な雰囲気の気圧されるのか一週間もすると来なくなった。下校時も親が迎えに来るので学校での俺は孤独だった。当時、ひまわり学級のクラスメイトや先生を人格のある人間とは認識できていなかったんだと思う。
そんな日常が変わるかもしれない兆しを見せたのは、数週間経ってからだった。
新しい児童がひまわり学級に移ってきたのだ。そいつは女子で見た目は普通というか頭はまともそうに見えたし、何なら顔が結構好みだった。ついでに言うと胸もデカかった。当時の俺は別に巨乳に対して性的興味を覚えなかったが、それより何よりとにかく奇声を発したりよだれを垂れ流したりしないクラスメイトができたのが嬉しくて「なんでこのクラスに来たの」と声をかけた。
そいつは冷めきった顔で俺の足のギプスを見て、「あんたは怪我? じゃあ普通の人間だ?」と言った。冗談かと思って半笑いになったが相手は全然笑ってなかった。
そう言って今度は笑った。超でかい声で笑った。びっくりしたし、やっぱりこいつもだめだと思った。
でも結局このイカレ女が俺の初恋の相手だったんだと思う。プリントに見向きもせず窓際の席でずっと校庭を睨んでいる彼女の横顔を毎日3時間くらいは眺めていた。顔が好みだったから。
会話した記憶はあまり残ってない。一度、そいつが6年生なのに俺と同じ教科書を使ってたのが気になって「どこまで進んでるの?」とか聞いたときに「なんであんたに教えなきゃいけねーんだよ!殺すぞ!」って超でかい声で怒鳴られたのが怖くて、あまり話しかけられなかった。
そいつは生傷を作って来ることが結構あった。その頃は「荒っぽい性格だから喧嘩とかもするんだろうな」なんて思っていたが、今思うと虐待を受けていたのかもしれない。
俺がひまわり学級にいる期間内に運動会があった。もちろん俺は競技に出れるような状態ではなかったが、一応ひまわりの連中と一緒に出席だけはした。イカレ女子が借り物競争に出て、借りるものが書かれた紙を見ると会場全体をキョロキョロして、俺の方に向かって走ってきて「あんたにする!」とでかい声で叫んだ。俺は正直ちょっとときめいた。いかれてはいるが顔が好みの女の子に車椅子を押してもらえると思うと、思わずときめいてしまった。
でも違った。彼女は「走れ、走れ」と怒鳴るだけだった。俺は必死で車椅子を走らせたが、校庭の砂の上だし、そもそも普段そんなにスピードは出さないので勝手がわからず、隣であいつに怒鳴られながら一分くらいかけてなんとかゴールした。ゴールすると会場から障害者の健闘を称える盛大な拍手が巻き起こった。俺は恥ずかしくて顔が熱くて燃えそうだった。イカレ女子はまだ怒っていて「なんであんた遅いの?負けたじゃん!」と超でかい声で怒鳴られ、俺は悔しくて泣いてしまった。昼休み、見に来ていたうちの親がそのことで怒ってイカレ女子の親に抗議しに行くといい出した。やめてくれと頼んでも聞いてくれなかったが、結局何も起こらなかった。あいつの親は来ていなかったのだ。
彼女は午後の選抜リレーにも出る予定だったが、昼飯から戻ると席から消えていた。俺は気になって、トイレに行くと言ってひまわり学級の教室に車椅子を走らせた。俺の直感通り彼女は教室にいた。ただ上半身裸だった。体操着を脱いで私服に着替えているところだった。
ごめんと言って逃げようとしたが、車椅子を回すのに手間取っているうちに彼女が半裸のまま近づいてきて胸ぐらを掴まれた。そして超でかい声で怒鳴った。
「わたし帰るから! あんたが遅いせいで負けてやる気なくなったから帰る!!」
目を閉じようとしたができなかった。体は引き締まっているのにとにかく胸がでかい。乳輪が盛り上がっている。
「帰るなら、俺も一緒に帰ろうかな」
なぜか知らないが俺はそう口走ってしまった。怒鳴られるかと思ったが彼女はびっくりした顔でじっと俺を見ていた、それから過去一優しく笑って、
怒鳴らずにそう言って俺を開放し、そそくさと着替えて走って教室を出ていってしまった。追いかけようとしたが、もちろん車椅子では追いつけなかった。上履きを履いていなかった彼女の、裸足の足の裏がぺちぺちと廊下の樹脂を鳴らす音が誰もいない校舎に響いていた。
戻って先生にイカレ女子が帰ったことを報告すると「いいよいいよ」と興味なさそうに言うだけだった。彼女が消えたひまわり学級の観戦席には、奇声を発したり虚空を見て独り言を言い続ける子どもたちと疲れた様子の先生がいて、俺の車椅子のために広めのスペースが開けられていた。でもなぜだろう、唐突にここは俺の場所ではないと思った。最初からそうだったんだと思った。
その日のうちに俺は元のクラスに戻してもらうよう親に頼み、翌日から学校に行く日数を減らして代わりに病院でのリハビリを始めた。ギプスを付け替えて、松葉杖の練習をして階段を登れるようになるまで2週間かかったが、とにかく俺は元のクラスに戻ることができた。何ヶ月もいなかった俺をクラスメイトたちも何事もなかったかのように受け入れてくれ、ほっとした。変な感じにならないか少し怖かったのだ。まあ元からクラスで目立つ存在ではなかったから、いてもいなくても変わらなかったのかもしれない。
それ以降、俺がひまわり学級に顔を出すことはなかった。だから俺がイカレ女子を見かけるとき、彼女はいつも歩いていた。登校中か、下校中か、校庭をかけているか。俺は声をかけられなかった。あんたは無理、松葉杖で遅いから無理、と諦めたように言われるのが怖かった。
あれから随分立つが、今でも彼女が夢に出てくる。胸のでかい女子小学生はいつも歩いている。そして俺は決して追いつけないのだ。車椅子も、松葉杖もないのに。
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