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「自由主義者」を含む日記RSS

はてなキーワード:自由主義者とは

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2025-10-27

anond:20251027202604

共産主義者治安維持法使って自由主義者弾圧する可能性もあるもんな

Permalink |記事への反応(0) | 20:33

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2025-08-16

本当のリベラルとツイサヨ(瀬川深みたいなの)の差

本当の自由主義者人権主義者相手が誰でも屈服したがらないけど、ツイサヨは自分たちの中でこいつには屈しても恥ずかしくないという空気があればお追従ヘラヘラ笑いも平気。

ネトウヨトランプ、ナザレンコは「負け組」として盛大にマウントを取るけど、糞シオニスト丸出しでクソみたいな対中煽りしてただけのラームエマニュエルアメリカ評価があるからってヘコヘコお追従して「流石豪腕さんだなあ(にへにへ)」としか言わなかったのがツイサヨ。

人間としての程度がネトウヨと大差ないって、まともな人間には見抜かれてる。

右にも左にもクズしかいない国。

Permalink |記事への反応(0) | 19:11

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2025-07-28

anond:20250728095541

まあ同意。なんというかモラル価値観の違いよな。クレーム表現の自由つって殴りまくる自由主義者と、嫌ならみないを徹底して住み分け計る人々と。

Permalink |記事への反応(0) | 10:12

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2025-07-27

劉仲敬の訪談「102 @ 20200819 論海耶克與其學徒黎智英」の要約

https://anond.hatelabo.jp/20250727144129

米国香港制裁意図

米国の対香港制裁(林鄭らへの制裁)は、「柔軟な対応(flexibleresponse)」の一環であり、全体制裁よりも個別制裁の方が香港政府内の分裂を誘発しやすい。

全員を一斉に制裁すると結束を強めるが、段階的・個別的だと離反者が出る余地生まれる。

香港官僚(英治時代残党)の反応

制裁への「抵抗」として、実際には**「何もしない」という選択肢**もある。林鄭ですら従わずに済ませる方法はある。

官僚機構慣性や惰性を利用すれば、中共に従わないことも可能

■ 黎智英立場限界

智英自由主義立場を取り続けたが、環境と人脈によって選択肢が狭められた。

年齢やキャリアの積み上げにより、今さら新しいアイデンティティを築くのは困難。

自由主義思想系譜批判

智英が支持した「自由主義」は、1990年代中国に輸入されたハイエク自由主義

しかしそれはハイエク本人の思想とはかなり異なるもので、学問純粋性よりも**政治的影響力(清流党的)**を重視。

ハイエクは後期にかけて先験主義から経験主義シフトし、英国保守主義スコットランド啓蒙に融合した。

一方で、ミーゼス(Mises)は一貫して純粋理論を追求し、現実政治には無関心だった。

メディアと「無責任権力

ハイエクは**政治責任を持たないメディア知識人胡適的)**の立場に傾いた。

このような「不感興趣的興趣(興味がないふりをした興味)」は、政治批判するが責任は負わない態度を象徴

ハイエク理論の「政治的勝利」と理論限界

ハイエク理論1970年代以降の反ケインズ主義的潮流(例:サッチャーレーガン)と時代的に同期し、影響力を持つようになった。

しかし、現実政治家たちは必ずしもハイエクの信奉者ではない(偶然の「同期現象」に近い)。

知識人と「知道分子知識風の一般人)」の違い

ハイエクの影響は実際の知識人よりも、メディア中産階級の「知道分子」層に向けられていた。

この層には理論精緻さは不要で、政治的スローガンとしての自由主義重要

ハイエク思想本質的矛盾

ハイエク自身は、自由民主主義を明確に分けて考えていた(自由民主主義なしでも維持可能と考えた)。

だが、現実政治参加や「米国人民の賢さ」に期待するなど、自身理念矛盾する行動もとっている。

軍事国家自由主義限界

ハイエク保守主義理想とする「小さな政府」は、近代軍事国家体制では維持不可能

ロン・ポールのような純粋自由主義者は、米国軍事体制にとって現実的ではないため排除される。

結論:黎智英らの立場限界

ハイエク自由主義を信奉した黎智英のような人物は、東アジア文脈では制度的・地政学的に孤立

ハイエク自身東方世界考慮しておらず、その弟子アジア成功するのは難しい。

https://vocus.cc/article/5f4549a9fd8978000178916d

Permalink |記事への反応(0) | 14:43

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2025-07-25

anond:20250725172939

いや~、儲かれば別に良いなら、流石のイーロンも買わないよ。

ていうかなんなら直前はやっぱり買いたくないでゴネたし。

 

もうちょっと思想性強いよ。

強火の言論自由主義者だ。無規制で荒れてるんなら、荒れてるぐらいが真実だし、真実のほうが正義人倫だと思ってるの。

Permalink |記事への反応(1) | 17:53

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2025-07-21

anond:20250721112906

正直、「表現の自由戦士」じゃなくて、コンテンツ産業の振興を求める消費者団体業界団体の人みたいに捉えたほうがいいと思うんだよなあ

もちろん思想的な原理主義的な自由主義者も一部支持者にいるんだろうけど、それが全てみたいな捉え方がたまに見られるのは実態からずれるのではないかと思う

Permalink |記事への反応(0) | 11:35

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2025-07-15

anond:20250715111425

個人主義者とか自由主義者かいう奴と、「リベサヨ」はまた違うと思うんだ。

 

リベサヨはその域にも達せていないという意味で。

Permalink |記事への反応(0) | 11:15

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2025-06-10

anond:20250610022914

ちなにみにChatGPTは

いいえ、リベラル自由主義者)と無政府主義者アナキスト)は必ずしも対極ではありません。両者には共通点もありますが、立脚点やゴールに大きな違いがあります

国家権威による不当な介入に反対し、個人自由を重視するという点で一致します。

両者とも、国家宗教企業などの権威的な構造には慎重で、批判的です。

思想スペクトルで見ると:

権威主義 ←―――――自由主義(リベラル) ―――――→無政府主義アナキズム

まりリベラル現実的範囲自由を追求する改革派であり、無政府主義者はよりラディカルに自由平等を求め、国家権威のもの否定する急進派といえます

だって対極とか君しか言ってないんじゃないの?

Permalink |記事への反応(1) | 02:31

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2025-05-29

オタク保守

俺の周りはオタクギーク的な意味)ばっかりなんだけど、揃いも揃ってみんなド保守なんだよね。

専業主婦家庭で郊外に一軒家を建てて子供は2人で…みたいな。

オタクってむしろ自由主義者と思ってたからびっくりした。

Permalink |記事への反応(4) | 18:47

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2025-04-30

"テクウヨITー牛"

検索したら、大手サイト検索フォーム入力した結果と思われる

テック右翼テクウヨITー牛は「自由主義者()」の癖にすぐ気に入らない意見検閲して削除するんですねwの検索結果

条件に一致する記事は見つかりませんでした。

ってページが出てきた

大手サイトドメインを利用して"テクウヨITー牛"って用語を広める作戦だろうか

Permalink |記事への反応(1) | 09:51

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2025-01-18

anond:20250118090110

自由主義者の私は、お絵かきAI制限とか、フェミ的なコンテンツ制限とか、転売防止に反対してる

もっと自由でいいのに、もっと自由に競って、工夫して、高め合おうよ

チケット家電平等に行き渡らなくても、おカネを持てば勝てるなら、おカネを得る工夫をする

あるいは、販売元がいきなりオークションしてもいい、様々な戦略があり得るよ

スイカゲームや8番出口の後追いでバリエーション豊かなゲームが生まれたように

パルワールドの爆発的人気があったみたいにさ

自由世界の方が伸び代がある

それに自由のほうがずっと楽しい、と思うのは、私が若者からなのかな・・・

Permalink |記事への反応(1) | 09:28

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2025-01-02

差別はずっと「定義論争」の時代で停滞している

https://anond.hatelabo.jp/20250101200024

 

差別が悪いことだ」というのは現代人の大多数で共有できてる

が、その性質上、「どれが差別か」で揉めるというのが30年以上起きている印象だ

 

ややこしい話をするが、現代において「差別主義者差別されている」と一部で言える傾向がある

それを社会の大半が是としている以上、「差別は良くない」には目的語がつく、「◯◯を差別するのは良くない」のように

 

差別行動

先に「差別行為」の定義の話をざっくりすると

社会的に不利益区別をする(より重い昔からある差別:狭義)

否定的言動をする(差別主義者のような振る舞い:広義)

となるだろう

 

1800年代、1900年代に問題になったのは狭義の差別行動だ、就職できないとか、結婚できないとか、人権がないとか

広義の話はもちろん昔からあっただろうが、問題になってきたのは最近の話だ

 

差別対象

差別対象」の定義の方はざっくりこう分かれていると思う

先天的属性に対する差別黒人女性出自

後天的不可抗力属性に対する差別障害者病気

自己選択した属性に対する差別職業オタクタトゥー

じゃない方に対する差別白人男性

 

1800年代、1900年代半ばまでの話題の中心は先天的属性だった

1900年代半ばから2000年代までの話題の中心は後天的属性だった

そして1900年代末頃から台頭してきたのが自己選択した属性に対する差別

 

なぜ差別定義で揉めるのか?

 

これは「オタク」とか「ネトウヨ」と同じで、そのレッテル差別対象になると攻撃手段になるから

ネトウヨがわかりやすくて、「ネトウヨ差別者」は誰かを攻撃する際に「お前はネトウヨだ」というレッテル張りをするわけだ

すると多用しすぎると「ネトウヨ定義ってなんだよ」みたいな話になっていく

ややこしいがレイシスト差別対象なので、「レイシスト差別者」は誰かを攻撃する際に「お前はレイシストだ」と言うわけだ

 

定義によるすれ違い:個人的言動差別か?

 

まずここがややこしいんだけど

社会的な差別以外は差別ではないと思ってる層が居ると思う(厳密ではなくともグラデーション存在する)

例えば「白人専用」が無くなった時点で人種差別は無くなったと思ってる人だが

こういう人たちは現代においてはあまり声を上げないことに注意が必要だと思う

 

より理想的に、個人好き嫌いレベル差別を無くそうという人達大勢居て

それはまた究極的平等主義者と、属性至上主義者(例えば黒人至上主義女性至上主義過激フェミニスト)で混ざってると思う

彼らの主張は一部は素晴らしいが、行き過ぎると今度は自由主義者軋轢を生む(最近ポリコレ界隈とかがそれ)

 

定義によるすれ違い:目的語有り派 vs目的語無し派

 

レイシスト全員死刑しろ」という主張があったとして、この人自身死刑になるべきだと思うだろうか?

 

別にその必要はない、と思ってるのは目的語有り派の人だ、つまり「◯◯差別主義者死ね」の意味だと捉えている

この人も死刑だろ、と思ってるのは目的語無し派の人で、つまり差別とは行動であり、誰に対してもそうするべきではない」と思ってる人だ

 

どっちが正しいかというわけではなくて

差別を取り巻く社会現象からルール学習した結果、どっちかになるんだ、議論を尽くしてない社会が悪い

 

定義によるすれ違い:非差別主義者 vs自己責任論者

 

自己選択した属性に対する差別差別だと思うだろうか?

例えばタトゥーがわかりやすい、自分タトゥーを入れたことで温泉に入れなかったとして、それを差別だという人と、自己責任だという人がいる

元増田が言ってる焦点はこれ

どっちが正しいというわけではないが、日本自己責任論者が多いと言われていると思う

 

定義によるすれ違い:じゃない方にする差別差別か?

 

例えば最近話題になりがちな白人差別男性差別のようなもの

奇妙に思うかもしれないが、例えば以前のアメリカにおいては「黒人差別」は存在するが「白人差別」は存在しなかったレベルと言って良いと思う

目的語が明確に存在しているから、黒人白人無限要求するものだし、女性男性無限要求するものだった

 

それが崩れてきたのは、定義問題がぐちゃぐちゃなせいと、狭義の差別がかなり減ったからだろうと思う

主義者が、じゃない方差別に対してどう思うか?

 

社会不利益のみが差別派:じゃない方に対する差別など現代においてほとんど存在していない

個人的行動も差別派:

  平等主義者:じゃない方に対しても不平等はあってはならない

  属性至上主義じゃない方に対して差別存在しない

  目的語無し派:じゃない方に対しても差別をしてはいけない

 

こんな風に、自分の考える定義から出てきた結論が他の主義者の主張とかぶるから、話がぐちゃぐちゃになる

 

更にややこしい事態

 

属性至上主義者、例えば反フェミニストみたいなもの存在するが、彼らの主張と女性差別者の主張の見分けがつきづらい

結果どうなるかと言えば、男性vs女性のような、今までのは何だったんだ?というような陳腐な争いになってしま

そしてLGBTQもややこしい、彼らが先天的なのか後天的なのか自己選択的なのかがわからないし、LGBTQの属性至上主義者もいるし、反ポリコレもいる

 

じゃあこれから現代人はどうするべきか?

 

大してどうもしなくていい、誰かに何かを理解させようとか思わなくていいし、誰かに苛つく必要もない

対立煽りをしてるのはメディアであり商業主義であるということを忘れてはならない

現代において強い主張をする有名人メディアがあればそれはお金のためである

行動を制限されるような事象にだけ声を上げるべき

レッテル張りをしてくる人がいたら攻撃されていると理解して去る、相手相互理解ができると思わないでいい

Permalink |記事への反応(1) | 12:43

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2024-12-17

2024年に読んで良かった10冊の本

anond:20241214160546

便乗して5冊挙げようとしたけど絞りきれなかったので倍プッシュした。2024年は1/1から今日までのあいだに315冊読みました。ちなみに、いま読んでる途中なのは上橋菜穂子香君』(2022年)と飛浩隆鹽津城』(2024年)、それに教養系の新書数冊。

ウィリアム・シェイクスピア十二夜』(1600年)

今年はアプリリリース3周年を迎えたウマ娘に突如シーザリオ実装されるというサプライズが起きて、仮にウマ娘化されるとしたら絶対男装の麗人キャラだろうなと思っていたら本当に男装の麗人だったので全俺が歓喜したし、オフザリオの声が可愛すぎませんか……? 俺はああいう透き通ったというか透明感があるというか鈴を転がすようなというか、とにかくそんな感じの声に弱いのだ。身体きもいいしなグヘヘ。シナリオではずっとイチャイチャしてて最高すぎる。俺の嫁Tier最上位です。引けてよかった……! ちゃんと「シーザリオ英雄譚」の称号もゲットしました。チャンミは優勝できなかったけどな! ところで俺は『ハムレットしかシェイクスピア作品を読んだことがなかったので、良い機会だということでシーザリオ名前元ネタになった『十二夜』を読んでみることにした。男装の麗人、すれちがう恋心、よく似た兄妹の人違い、と来てお前女だったのかからハッピーエンドで終わる、まあテンプレ通りのラブコメだったんだけどひょっとしてこれがラブコメテンプレになったやつだったりします? 偉大すぎでは。っていうか「十二夜」って、古代ローマのサートゥルナーリア祭をもとにした公現祭エピファネイア)のことだったんだ……。ほかにも『リア王』『マクベス』『リチャード三世』『お気に召すまま』『ジュリアス・シーザー』『夏の夜の夢』を読んだんだけど、いちばん好きなのは十二夜』です、はい。「僕は僕が演じているものではありません」っていう台詞すき(小並感)。

ところでシェイクスピアといえば、古河絶水『かくて謀反の冬は去り』(2023年)というラノベシェイクスピアパロディなのね。『リチャード三世』をパロった1巻を読んだときにはまったく気づいてなくて、あとがきを読んで「これシェイクスピアだったんだ」となり、元ネタを読んだらめっちゃからさまだったし、今年出た2巻はもう露骨に『マクベスオマージュで、さら二・二六事件三島由紀夫割腹自殺などのネタも盛り込まれていて非常に楽しく読めた。古代日本風ファンタジィ(e.g.沢村凜黄金の王白銀の王』)とか、近代日本モチーフミリタリもの(e.g.佐藤大輔皇国の守護者』)とかはよく見かけるけど、人名とか文化とかが古代日本風なのにテクノロジが近代風な政治劇というのはなかなかなかったように思うので新鮮というか、「その手があったか!」という感じだ。笑いとシリアスバランスが良く、裏の裏をかくサスペンスが繰り広げられて、続きが非常に楽しみな作品なのですごくすごいオススメです(語彙力トプロ)。そういえば春先にはちょうど前年に文庫落ちしたホルヘ・ルイス・ボルヘスの『シェイクスピア記憶』(1980年)も読んだんだった。俺の中で今年はシェイクスピア元年ということで。

ジョン・ステュアート・ミル自由論』(1859年)

自分ではリベラル派のつもりなんだけど、実はちゃん原典を読んだことがなかったので読んでみた。日本でいうと幕末に書かれた本なのに「そうだよ~~~それだよ~~~!!!1!」と同意するところが非常に多かったので、自分は根っから自由主義者なんだと再確認。みんなも(本来意味での)リベラリストになろうぜ。リベラリズム関連だと、ほかに井上達夫リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』(2015年)を読んだ。ラディカルだが筋が通っている。ところで著者がアメリカ留学してたときに「なんで日本人がリベラリズム研究を?」って言われたというエピソードがちっともリベラルではなくてドン引きしたというか、あいつらひょっとして自由主義人類普遍原理ではなく西洋文化かなにかだとでも思ってんの? 人類普遍原理じゃないならなんでヨソの文化圏に押し付けてもいいと思えるんだ。非西洋自由主義者としては不愉快

ノーラエレングロース『みんなが手話で話した島』(1985年

もんのすごい面白い。話には聞いていたマーサズ・ヴィンヤード島の手話についての本。この島ではかつては高確率で聾の子供が生まれたため、島のほぼ全員が手話を身に着けていて、ときには聴者どうしが手話で話すこともあった。したがって耳の聞こえない人たちも完全に社会統合されていて、社会的な不利益を受けることはなかった。この島では聾であることはただの様々な個人の特徴のうちのひとつであって、それが重大な意味を持っているとはみなされていなかった。たとえば以下の会話のように。

「アイゼイアとデイヴィッドについて、何か共通することを覚えていますか」

「もちろん、覚えていますとも。二人とも腕っこきの漁師でした。本当に腕のいい漁師でした」

「ひょっとして、お二人とも聾だったのではありませんか」

「そうそう、いわれてみればその通りでした。二人とも聾だったのです。何ということでしょう。すっかり忘れてしまうなんて」

島の出身者にとって、彼らはまずもって漁師であり、聾であることは、そういえば耳が聞こえなかったね、という程度のものしかなかったということだ。この本を読むと、なるほど障害社会モデルは正しいのだなぁと納得してしまう。手話共通語として存在した共同体のあり方をインタヴューと文献調査によって復元していく社会史的な面白さに加えて、途中では島民の聾の起源近世イングランドにまで遡って明らかにしていくという謎解きの面白さも味わえる。まさか手話の本読んでてジョージダウニングダウニング街の由来)とかサミュエル・ピープス日記を遺したことで有名)とかの名前が出てくるとは思わないじゃん。そしてこの「手話楽園」が徐々に崩壊し、終焉へと向かう過程寂寥感にあふれている。今年読んだノンフィクションでは一番ですわ。超オススメ

綾辻行人十角館の殺人』(1987年

まだ読んでませんでしたテヘペロ最初読んだときは「衝撃の一文」の意味がわからず、ああ、あれって襲名制でこいつは先代なんだ、って一瞬勘違いしちゃったんだけど、独白が始まるにつれて鳥肌立った。お、お前~~~~~~!!!1!! 小説としての出来は正直言って荒削りで、お世辞にも上手いとは言いがたいのだけれど、謎解きとしての衝撃は絶大ですわ。なるほどこれが新本格の先駆けか……。そういうことでちょぼちょぼと館シリーズを読み始めてます。いま人形館の途中。

うそう、本作がきっかけで○○○○○○の『○○殺人事件』(1929年)も読みました。タイトルだけ読んで中世ヨーロッパ舞台にした歴史ミステリなのかと思ってたら全然違ったわ。あなたの「○○」はどこから? 僕は、『電脳山荘殺人事件から! っていうか本作を読んで学生時代に読んだ米澤穂信インシテミル』(2007年)のなかで意味がよくわからなかった一節の意味をようやく理解した(岩井読書マウント取るシーン)。『○○殺人事件』のあとがきとか「読者への挑戦」とかそういうコーナーで作者が自己紹介する文があるものだとばかり思ってたけど、本作を指してたのかよ!

サイモン・ホロビンスペリング英語史』(2013年

英語への解像度が上がった1冊。英語スペリングに悩まされ、「俺は日本から出ないか英語は要らない!」と高校時代放言しておきながらいまは英語をそれなりに使う仕事をしている者からすると、かつて味わった理不尽の謎解きという意味ですごく面白かったし、何というか、あの理不尽の背後にはこんな歴史があったのか……と知ることで、英語への愛情のようなものが増した気がする。「世界共通語」とか呼ばれて出羽守から持て囃される帝国主義的な覇権言語としての英語は相変わらず好きになれそうもないが、しかし、ヨーロッパの片隅にある島で数奇な歴史を辿ってきた言語としての英語のことは割と好きになれる、そんな本だった。

菅浩江放課後のプレアデス みなとの星宙』(2015年

アニメを見た直後に読んでおけばよかったシリーズ。名作ジュヴナイルSFアニメ放課後のプレアデス』のノベライズなんだけど、キャラクタの掘り下げが完璧すぎる。みなとという謎めいた存在に丁寧に肉付けして、彼がプレアデス星人出会って闇堕ちしすばるに救われるまでの過程説得力をもって再構成していてすごくすごい(語彙力)。主題歌引用タイミング完璧すぎるだろ(「Stella-rium」は名曲からみんな聴こうな)。そして、あおい、ひかる、いつき、ななこといったキャラクタの名前漢字が当てられていくところは本当にゾクゾクした。これオリジナル設定ってマ? 佐伯昭志リリカルアニメを『永遠の森』『そばかすフィギュア』の菅浩江ノベライズするなら、そんなのもう心が洗われるような名作にしかならんわけで。読み終えたあとにまたアニメを見たくなる、そんな素敵なノベライズだった。大好き。

ジェリー・Z・ミュラー『測りすぎ』(2018年

数値の測定は大事なことだが、それが濫用された結果どうなるのかという事例が色々と挙げられていて、この本末転倒感は日本でよくあるやつだ……! と思ったらだいたいアメリカの事例なので人類を滅ぼすしかない。この問題で難しいのは適度な測定には意味や意義があることで(たとえば、論文の本数が重視されるようになった結果薄っぺら論文が量産されるようになるのはよくないが、ちっとも論文を書いていないひとに多額の研究費が配分されるのはおかしい、というお気持ち)、測定なんて意味がないとは言い切れないことだが、本書の著者は最後に「測定のまっとうな使い方」のための指針を提示していて、この増田で挙げた本のなかでは一番実用性が高い。「測定は判断の代わりにはならない。測定は、判断要するものだ」という金言政策決定にあたるひとたちには噛み締めてほしいなと。

白鳥士郎りゅうおうのおしごと!18』(2023年

こっちはJ. S.ミルじゃなくてJS見る。5巻くらいで読むのやめてたシリーズなんだけど読むの再開したらすごく面白くてハマってしまった。人工知能によって将棋が終わってしまったという夜叉神天衣と九頭竜八一の抱く絶望と諦念を、雛鶴あいと神鍋歩夢というそれぞれのライバルねじ伏せていく、めっちゃ骨太将棋小説じゃん……。ただのロリ小説と思わせておいて、いや実際にロリ小説でもあるんだけど(ロリホームって何だよ)、AIという最新のテーマに向き合って「解」を提示してみせる胸熱将棋小説でもあるというギャップが俺を狂わせる。すげー面白いっすわ。

ところで、さんざ褒めておきながら将棋の定跡とか全然わからんのは秘密だ。ひ、『ヒカルの碁』も盤面わかんなくても読めてたし……(震え声)

米澤穂信『冬期限定ボンボンショコラ事件』(2024年

小市民シリーズの完結編。ずっと追いかけてきたシリーズの終わりが見れて感無量すぎる。読み始めたの高校の頃とかだからマジで20年越しなんだよな。『春期限定いちごタルト事件』の序盤で示唆された、小鳩くんが出しゃばって不興を買ってしまった過去事件が描かれていて、20年越しの伏線回収が嬉しすぎる。

「なあ。おまえ、鬱陶しいよ」

これってこういう文脈でのことだったのか~~~~~とか、互恵関係! 互恵関係きた! これで勝つる! とか、〈小市民シリーズ過去が明かされていく展開を味わって読んでいたらそれが小鳩くんの遭った事故と徐々に繋がっていく過程は流石のよねぽだった。本作で〈小市民シリーズは綺麗に完結したわけだけど、これ短編集もう1冊くらいいけるんじゃないですか? という気持ちになってしまう。読みたいよ~~~~小鳩くんと小佐内さんの物語もっと読みたいよ~~~~~~~~!!!1!!

かまど&みくのしん『本を読んだことがない32歳がはじめて本を読む』(2024年

オモコロ話題になってたみくのしんの読書録。一文一文を噛みしめるように丁寧に読んでいてすごい。国語の授業が苦手だったみたいなこと言ってるけど、マジで正統的な国語の授業みたいな読み方してるのすごすぎるでしょ。そしてこの本を読んで「一文一文を噛みしめることなくただ数だけを積み上げてきた俺の読書とは空虚ものではないのか……」という敗北感に囚われていたところに次の文がすっと差しまれてくるのです。

本が読めないと尻込みしていた男を「正しい読み方なんてないから」と、訳知り顔で励ましておいて、いざ自分のこととなると、ちっぽけ呼ばわりなんて本末転倒じゃないか

本書はみくのしんの読書追体験であると同時に、本好きへのエールでもあると感じた。本には色んな読み方の可能性があって、すごく自由ものなんだということ。それを思い出させてくれる、とても良い本だった。ありがとう

Permalink |記事への反応(5) | 08:51

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2024-12-15

anond:20241214192350

俺もそう思う。

やっぱりその点アメリカがなんだかんだ先進的なんだよな。

日本の景気がマシだった頃は、国民皆保険とか年金に反対するアメリカ人の考え方がさっぱり理解できなかったけど今ならわかる。

社会保障なんて経済がバブってること前提にしか成り立たないよ。

そりゃ現実主義者自由主義者が多いアメリカで嫌われるわけだ。

将来破綻することが明らかにわかっている制度を導入して、自分自由の原資となる手取りが日々奪われていくんだからさ。

皮肉なのはアメリカよりはるかに先行きが暗い少子高齢化大国日本で、現役世代手取りを削りまくって今も必死社会保障制度が維持されてることだよな。

今の若者社会保障制度恩恵積極的に受けられるような年齢になったとき果たしてどれだけ制度改悪されているんだろうな。

せめて存続だけでもしてくれてたらいいけどな。

Permalink |記事への反応(0) | 12:09

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2024-12-02

anond:20241202195743

普通に子供に対して支配する気満々やん…

これで自分自由を愛する自由主義者と思い込めるのすごいわ

Permalink |記事への反応(1) | 20:01

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2024-11-30

anond:20241130125114

彼らの独立要求は正当

社会統合について

Permalink |記事への反応(1) | 20:47

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2024-11-19

anond:20241119093849

じゃあ自民党から出たものからオタク」「ネトウヨ」は反対しなかったのか?

というと当然そんなことはなく、自由に反すると思えば誰が出したものでも反対してきた実績がある

規制からは「表現の自由戦士ウヨ」みたいなレッテルを貼られがちだけど、実際の彼らは右や左という党派性に縛られずに考えている文字通りの自由主義者なんだね

逆に言えば、自由という点から見てこれはどうか?という問題提起に対し「自民党案だぞ!」みたいな返しをしてくる人には要注意ということだ

Permalink |記事への反応(1) | 09:54

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2024-11-13

anond:20241113153646

そりゃ当たり前だろ。

あらゆる思想は結局のところ、混沌と野蛮が跋扈する原始的社会に陥らない範囲で、どういう方向性社会の秩序を構築していくかってことを考えてるんだから

自由主義も、個人的自由経済的自由を最大限認めていきながら秩序ある社会をつくるためにあるんだから、その基盤となる理念を「なんでも自由だ」って言って打ち壊して原始状態に戻そうとするのまで肯定したがるのは、言葉遊びが好きな大馬鹿者がよく陥る間違った考え。

まあその自由放棄するってのが、個人レベルのことで愚行権範囲なら自由主義者は認めるだろうけどね。でも良心的にはそういう状態に陥らないよう救済や案内は立てるはずだ。

Permalink |記事への反応(0) | 15:43

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anond:20241112174355

リベラルに限らず、自由主義者自由放棄する自由を認めないものだよ

Permalink |記事への反応(1) | 15:36

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anond:20241112174355

自分を「自由主義者」と考える人々が、非自由主義的な考えを持つ人を軽蔑することがあるが、その態度には少し文化的違和感を覚える。

自由主義とは、本来、寛容、対話、そして相互尊重を基盤にした価値観のはずではないだろうか?

しかし、異なる信念を持つ人を「無知」や「素朴」として、まるで自分の考えが絶対に正しいかのように裁くのは、不公平に感じる。

自分の信念が正しいと確信することは自由だが、他者をけなして自己肯定しようとするのは、自由主義本質的価値観から離れているように思う。

Permalink |記事への反応(2) | 01:06

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2024-11-12

anond:20241112185048

保守名乗ってたか普通に自由主義者では?

自民系の派閥から青少年保護条例が出たときちゃん批判してたろ

Permalink |記事への反応(0) | 18:57

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2024-09-09

自由主義者を縛る唯一の鎖が錆々、断ち切るぞ

まったくもってばかである。こいつらがばかでなければ我々全員東大OBである男根主義)。

情状酌量の「情」などすっかり裁判官人情になってしまっており、大岡裁きがしたいなら越前引っ越しなさい(福井県に在住の法曹関係者無罪)。

機械的運用は怖くてできないので感情曖昧運用しますってんなら裁判員でも裁判長でも変わんねーよ時代に追いつけ。せめて類似判例機械的に関連付けたり、文書類似度的なもん出したりしろや。人間運用してもいいか機械インサイト深めろや。アホか。大岡時代かおのれら。

Permalink |記事への反応(0) | 14:30

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2024-09-03

日本を蝕む「消去法的拝金主義権威主義

日本人世界一拝金主義者であり、権威主義である

そんなことはない? いや、ある。

 

その自覚のなさこそが逆にその証左である

これは不可知論とかいう話ではない。

すべて人間は、「意識してカネ/権力以外の価値観を持たなければ拝金主義権威主義になる」のである

まり、消去法的拝金主義、消去法的権威主義である

 

拝金主義権威主義で”ない”とはどういうことか。

「カネより大事もの」「権威より尊重するもの」があるということである

強い価値観があるということである

コスパ度外視しても未来投資する」「権威に逆らってでも弱者を守る」こういうことは、洗練された強い価値観を持たないと実行できないことだ。

 

然るに日本人はこういう強い意志を持っていない。

日本人は「なんとなく平和主義」で「なんとなく自由主義」だが、「なんとなく」にすぎないので、カネと権威の強い圧力があるとあっさり屈してしまう。

拝金主義権威主義であるためには強い主義主張を持つ必要はない。むしろ、ただ意志が弱ければ当たり前にそっちに流れるである

カネと権威圧力を前にしても「平和」「思いやり」「自由を愛するこころ」を貫くためにこそ、普段からの強い意識必要なのである

 

よって、普段からちんとものごとを議論せず、言語化できず、価値観をしっかり持たない日本人は、消去法的拝金主義、消去法的権威主義が他のどの国どの民族よりも強いという結果に至るのである

強い価値観を持たないすべての日本人は、消去法的拝金主義者であり、消去法的権威主義である

日本人が「なんとなくの平和主義者/自由主義者」でしかないこの現状が続く限り、日本はどこまでも新自由主義かつ全体主義の最低国家への転落に歯止めが利かなくなるだろう。

真の平和、真の自由は「強い思想」がなければ絶対に手に入らないものなのである

Permalink |記事への反応(0) | 19:47

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2024-08-09

君はコーラ・ディ・リエンツォを知っているか

コーラ・ディ・リエンツォについて

コーラ・ディ・リエンツォ は、中世ローマ政治家であり、ローマ共和国の復興を夢見て活躍した人物です。彼の生涯と業績は、中世ヨーロッパの歴史において非常に興味深い物語となっています

    

ローマ共和国の復興を夢見て

古代ローマへの憧憬: リエンツォは、古代ローマ栄光を強く意識し、その復興を強く願っていました。

民衆の支持:民衆の不満やローマ貴族への反感を利用し、民衆の支持を集めました。

独裁官就任:ローマ独裁官就任し、市政改革に着手しました。この改革は「コーラ革命」と呼ばれています

  

コーラ革命とその後

市政改革:税制改革貴族特権削減など、民衆に有利な改革を進めました。

独裁的な傾向: 徐々に独裁的な傾向を強め、周囲から警戒されるようになります

失脚と死: 最終的にはローマ市民に追放され、国外暗殺されました。

  

コーラ・ディ・リエンツォが歴史に与えた影響

中世ローマ政治:中世ローマ政治に大きな影響を与え、共和制復活の動きを活発化させました。

  

芸術:リヒャルト・ワーグナーオペラ『リエンツィ』の題材となり、芸術作品としても後世に名を残しています

   

コーラくんは貴族という階級を徹底的に攻撃して教皇民衆の支持を得て独裁権力者になったが、暴走して失脚した。

欧米では階級闘争を行った自由主義者の側面と扇動政治家の側面を持つ中世の興味深い政治家の一人とされているのだ。

Permalink |記事への反応(0) | 07:15

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2024-07-19

anond:20240719084522

彼らは「左翼」であって「リベラル自由主義者)」ではないよ

左翼じゃ人聞きが悪いかリベラル詐称しているだけ

Permalink |記事への反応(1) | 14:25

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