
はてなキーワード:自殺の名所とは
実は先日自殺の名所新小岩にて開催されていた第2回無職サミットに参加していた
第1回は駒沢オリンピック公園にて開かれていたらしいのだが
千葉に住んでいる人間にとって駒沢はあまりにも東京の端っこすぎて遠いなー
とか思っていたら完全に参加を逃してしまった
ということもあり 私にとっては初めての無職サミットの参加となる
無職サミットと名はついているが 実際には現在の資本主義それ自体に違和感を覚えていたり
体感ちゃんと?無職をやっている人間は多分2,3割くらいだった印象
適当に生活費をなんとかしている人間なので まあ同じかなーといった感じ
14:00時に開始との情報が入っていたので
まあ12:00くらいに出れば間に合うやろーという適当な感じで出発
途中お腹が空いたので餃子の王将にて餃子とビールをゆっくり飲んでいたら
すっかり 開始に遅れてしまった
おそらく到着したのは15:30くらい
幸いなことに すぐに人の集まりを見つけることができた
麻雀やっているセクションも存在したのでタイミングがあれば混ざりたいなーとか考えるつつ参加してみる
来たら どうやら名札をつけるシステムになっているらしい
少し離れたところに なんというか場に似つかわしくない爽やかな人間がいて
おお やっぱ雰囲気違うな...
とか内心思う というかなんでこんな爽やかな人が無職界隈にいるんだろう
開始に遅れてしまったので 既に人の集まりみたいな塊が形成されていたので
適当に 端っこの方で駄弁っていた2人組に混ざってみる
どうやら酒もおいてあるらしい
ありがてーって思って一番搾りをいただく
着いた席にて 話を聞いてみると
"昔ITのエンジニアしていたが 疲れてしまった ゆーて実家は裕福だし まあ別にやろうと思えばfireできる なんとなく寂しくてこのサミットに参加した"
とのこと
あれ 意外と随分 俗っぽい悩みだな...
"悩みとかありますか?"
とか聞かれたので
これもまた あまりにも正直に
という受け答えをする
ごめんだって本当に悩みとかないんだもん
食べるものも飲み水もない
という状況にまで追い込まれれば それは純然たる悩み というか生存に直接影響する問題となるが
逆に言えば そのレベルでなければ俺はなんも思わないんだなとか考えて
"虚しくないんですか?"
とも聞かれたけど別に人生なんて虚しいものだろと考えていたら言葉に詰まってしまう
俺はひょっとしたら会話が下手くそなのかもしれない
そう なんか全体的な感想として
思ったより俗っぽいなあ
という
そう そんな感想
いや理想を言えばさ
テクノロジーが加速して労働によって人間が疎外されていく世界で これから人類は何をするべきか
とか
とか
そういった ことを考えるための思考のヒントみたいなものが 得られたらな
とか思っていたので
こういったことを改めて実感するよね
しばらくしたら 少し離れたところにて
前に出て話をしてくれるらしい
冒頭で なぜベーシックインカムが必要であるのかと客席?に投げかけていたので
つい "現状のシステムだと社会の維持が不可能だからですかねー"みたいな解答をする
まわりをみたら 他の人は手を挙げていたので
あ これ手を挙げてから発言する系の場なんだーと気づいてちょっと恥ずかしくなる
話を聞いてみると事業を起こして そこで得た収益をベーシックインカムのような形でコミュニティに配っているみたいな話だった
誰かがエージングマネー(時間経過につれて価値が減少する貨幣)の導入はどうかみたいな発言をしていて
これについては私も同じこと考えてたなーみたいなことを思う
まあ どっかで聞いたことはある感じの話からは逸脱することはないかなくらいの印象
政府主導によって国債を発行し これによってベーシックインカムを導入した場合
といった議論に進みたかったがちょっと発言するタイミングを逃してしまった
生活保護をもらっているという婆さんが生活保護に加えてベーシックインカムがもらえたら
推し活に金を使うと言っていて
それに対して主催側が素晴らしい!!という反応
おお 素晴らしいのか
うーん 俗である
もっと現代の世界に存在する根本的な問題点とかを解決する手段の1つとしてベーシックインカムが有効なのではみたいな議論がしたかったけど
発言のタイミングを逃してしまったのも相まって まあ仕方ないか
ドストエフスキーの罪と罰から見るロシア人の倫理みたいな話を少しだけ
罪と罰なんて一回読んだきりで 内容をちゃんと把握しているのか自分自身でもかなり怪しいのだが
多分知っている風には
なんやかんや ここでの会話が一番議論っぽくて楽しかったなという感想
やっぱ金がうんぬん さみしくてうんぬんみたいな話根本的に興味ないんですよね
多分 これが俺を社会不適合者足らしめている最大の要因であると感じる
適当におでんを食べながら話していたらいつの間にか 日が落ちていた
5:00にはチャイムとか鳴るっぽくて それに伴い無職サミット終了
食べていたおでんを片付けながら
汁を花壇に捨ててしまったけど おそらく塩分とかを考えると植物に良くないから
その後二次会会場を見つけるために百鬼夜行の如くぞろぞろと移動
移動している際にちょうどゆるふわ無職さんと話すタイミングがあったので
前日の文学フリマ寒くて断念したけど
誰かはニーマガ持ってるんじゃないかなという話をしながら
1冊だけ残っていた二ーマガを直接購入
あとビールを頼む
適当にタバコ吸って席に戻ってみると地元トーク?みたいなもので盛り上がっていた
隣に座っていたエンジニアの方と向かいに座っていた方が岐阜出身だとかで
あと信長?
なんというか全体的に思想が絡まない場合の会話が絶望的に下手だなと実感する
なんやかんやあって
店前で解散
普段 手巻きしない人にとって巻くの難しいから途中まで巻いて渡すくらいでよかったかも
まあいっか
なんか手巻きタバコ吸ってたら1人 戻ってくる
どうやらバンドをちょっと組んでみる?みたいは話が進んでいて その話をするために戻ってきたらしい
話を聞いてみると年単位で引きこもっていたけど 久しぶりに出てきましたみたいな話をしていた
おお 俗ではないが それはそれとして俗から遠すぎるなあとか思いながら
なんか赤いカクテルを頼む
googleのレビュー書いたら酒とセットで500円になってラッキー
久しぶりに投げてみるとなんか妙に 力が抜けていてうまく投げられる
01やったり なんかドラクエみたいな感じで攻略するゲームとか
あとは 引いたカードに書かれた点数に相当する重要性の概念を挙げるみたいなゲームやって
書き出してみると自分のやっていることがあまりにも俗であることがわかる
お恥ずかしいことですねえ
というのも、数年前。仕事において労働環境がとんでもなく劣悪になり、当時の私は心身共に追い詰められていた。解決したくともメンバーや役割を直ぐに変えられるものでもなし、根本的にマンパワーが足りず。そして今後も補充される予定は無し、あまりに絶望的過ぎてこれは退職しか……と抗うつ剤まで飲んで這いずりながら出勤していた。
それでも夜は眠れず、失禁はする、健啖家だったのだが消化器系に影響が出始め食欲も落ち始めていた。あまりに希死念慮が強くなり、毎朝自殺の名所に寄りたくなったし、事実帰りは毎日寄っていた。
だが、自分が死んだら家庭への収入が絶たれる、今まで家族に迷惑をかけた分を返せていない、心配な妹が残されており心配である。諸々考えるとどうにも死にきれず毎日やり過ごしてしまっていた。
ここまで来て、死んでは元も子もないと考えるようになり初めて退職"願"を書いて提出した。
そこで不思議なことは、提出した後は解放感でも、安堵感でもなく、不安と焦燥感だけが激しく込み上げてきた。自分は逃げた、辛いことから逃げた、金を稼げなくなった、仕事が出来ない、いる価値がない。そんな考えが波のように押し寄せ、眠れない夜は更に続いた。
要はだ。自分は、死にそうになりながら働くことの方がまだ良いと思ったのだ。仕事がなければ自分に価値がないと感じ、無職の自分には何の価値も見出だせず、不安感は増すばかりだという気付きを得ることが出来た。つまり、ニートになるセンスがないのだ。
それに気付いてからは"願"の段階であった為、取り下げてもらい、激しく働かせてもらっている。幸い、あの後メンバー等も変わり労働環境も改善された。有り難い、あの時諦めなくて良かったと本当に思う。
我ながら異常な思考だとは自覚してはいるが、自分の価値がそれしかないと再確認出来たのは良いことだと思っている。
蛇足。家族と生活してはいるのだが、当時、誰一人として私に「仕事を辞めたら?」とすすめてくれる人はいなかった。また、「働かない私に価値はないだろう」と家族に問いかけた際、否定も肯定もされなかったのも中々味わい深い経験だ。自分の家庭内での立ち位置が確認できたとも言える。妹は、所謂「繊細さん」というやつで一時期ニート生活も営んでいたことがある。新卒一年目に。そこも含めてセンスだよなあ、と思うのであった。
ここ数ヶ月、私は悪い妄想と戦っていました。前職はセクハラを理由に退職して、それ以来人間関係が怖くて自営業に転向しました。そのうち、一人のお客様と出逢います。セクハラをしてきた人のように、気さくで、親しみやすく、大量に連絡を送る人でした。私はどこまで逃げても、若い女性というだけでそういう対象になることが苦痛で堪りませんでした。私の存在を脅かすものがいるという妄想(いや半分現実なのか)は辛くて仕事が長引くたびに段々と死にたくなってきました。苦痛から、私が若い女性であるということから逃げるには死ぬしかないと思っていました。
そして同居人と些細な事で揉めて、私は深夜のコンビニで煙草を吸っていました。その時に自宅の近くにある飛び降り自殺の名所に行こうとふと思いました。そこに行って死ぬことについて考えたくなったのです。
車を走らせて30分ほど、少し道が悪かったけどちゃんと辿り着く事ができました。街灯もなく、真っ暗で、川のせせらぐ音が下から聞こえていました。
そして私は納得して自宅に戻って同居人に謝罪をして終わる筈でした。筈だったのです。でも私は、このまま飛び降りてしまえば楽になるという考えに支配されて運転席のドアを開く前にしゃがみ込んでしまいました。買ったばかりの煙草に火をつけながら、トラウマを抱えて働く事の苦しさやそれがきっかけで精神科通いが始まったこと。そしてその通院に終わりが見えない事を考えながら、このまま飛び降りたほうが良いのではないかという結末がぼんやりと形になってきました。
私は自宅に帰る事、飛び降りる事の中心で誰に助けを求めて良いかわかりませんでした。命の電話は休暇中、友達にだってこれから死のうとしてる人間というあまりにも重いものを背負わせる事はできなかった。結局同居人に電話をかけてみたのですが「メンヘラかよ」と鼻で笑われました。そうか、それがメンヘラなのか。私の切実な悩み、苦しみはネットスラングで形容されて消費されるのか。
どうにもならなくて、最後は今日じゃなくて行き方も確認したのだからせめて明日以降にしようと言い聞かせて泣きながらハンドルを握りました。私の好きなバンドの曲を流しながら、私の人生の薄っぺらさと価値のなさを痛感しながら安全運転で帰宅。
同居人は何も言いませんでした。でも、それで良かったと思います。私がもしも死んだ時、これから死ぬ時がある時、誰かに何かを話してしまえば、その人に一生モノの苦しみを与えるかもしれません。
もう、死場所までの行き方も分かりました。次に行く時は黙って靴を揃えて飛び降りたいと思います。これを読んだあなたは、名前のないつまらない人間が次はちゃんと楽になれたら良いねって思ってくれたら嬉しいです。昨日は死に損なって、馬鹿みたいにですよね。
でも一つだけ、収穫もあります。街灯すらない高い橋の上で見上げた夜空は満点の星空でした。それだが唯一の救いだった気がします。
https://www.sankei.com/article/20230523-Z5I335CAK5IEZNP7JY3LBA6V6M/
23日午前11時55分ごろ、神戸市東灘区魚崎南町の民家で、80代の男女と40代の男性が死亡しているのが見つかった。3人暮らしの親子とみられ、兵庫県警東灘署は、現場の状況などから無理心中の可能性があるとみて、身元や死因を調べている。
こないだ東京でも似た組み合わせの一家心中事件があったばかりだけど、今後は高齢の両親と中年独身息子・娘の心中事件が全国で増えていきそう。
いのちのダイヤルの電話番号を広く周知させることが第一の応急策として、他にも何か良い対策がないだろうか。
東尋坊のような自殺の名所では阻止する係の人がパトロールをするらしいので、心中事件を起こしそうな家族がいたら止めに入る民生委員の仕組みが作れないだろうか。
『ブリッジ』というドキュメンタリー映画がある
サンフランシスコにあるゴールデンゲートブリッジを扱った作品で、観光地としての側面ではなく、自殺の名所としての側面に迫った映画だそうだ
自殺しようとしている人にインタビューしたりと大分挑戦的な内容らしく興味を惹かれて、昨年夏にAmazonで最安値のDVDを買った
届いたらレンタル落ちのものだったが、まあ見れればいいやとブルーレイドライブに突っ込んで再生した
遠くから望遠で撮ったゴールデンゲートブリッジの映像が流れ、通行人の一人が欄干を越えて、水面を見てゆっくりと体を宙に投げ出す
そこで映像が乱れ、音がぷつぷつとなり、嫌な気持ちになりながらこういう演出なのかなと思ったらそこで再生できなくなった
その後、3度くらい再生しなおしたが、冒頭の自殺シーン以降がどうしても映像が乱れてしまう
何度も再生しているうちにお前はこういうシーンが安全圏から見たいんだろと言われているような気がして、後ろめたさを強く感じて再生をやめてしまった
Amazonで非情に良い評価の中古とかを買えば、レンタル落ちでなく新古品が来たりするかもしれないが、そこまでして見たいのかよくわからなくなってしまった
何もしたくねええええええ
ずっと寝てたいけど布団で横になって目瞑ってても全然寝れねえええええええええ
あれこれやらないといけないこととかやったほうがいいこととか、何かやってても常に浮かんできて精神休まらねええええええええ
鬱っぽい時の死にてええええ電車飛び込みてえええええ自殺の名所行きてえええええええみたいなのは全然ないのにただただ何もしたくねえええええええが強すぎて何かすることがそもそもストレスだから意識のある間ずっと謎のプレッシャーとかストレスを受け続けて精神が荒ぶってる感じ
こんな状態でも貯金も理解ある家族もないひとは働き続けないといけないの無理じゃん
あーむり働かないと生活できないけどもう働くの無理だわ死のう、まで行っちゃうと流石に病院案件な気がするけど、そこまでせんでもいいかな感もあるし1番むずくないかこの感じ
幾年か前に、昔馴染みの親友とそんな話をした。
きっかけは景気の冷え込みだとか、新しいプロジェクトをやってるとかだったか。
とにかく、酒の席での馬鹿話の一部だったと思う。
まあ一瞬「何言ってんだ、縁起でもねぇ」と思ったけど二つ返事で応と返したよ。
なんでこんな話を思い出したかっていうと、今日そいつが夢に出てきたからだ。
あいつが、あの頃の姿で出てきて「俺たち、友達だからな」と言うがはやいか崩れてく夢。
驚いて飛び起きたけど、そんなことも話したっけなくらいの印象だった。
そこから少しして連絡が来た。
あいつのことだから、心配かけたくない想いから相談にも来なかったんだろうが。
これから書くことは、すべて本当のことです。
嘘をつく人が嫌いでした。しかしながら、人間だれしも嘘をつく生き物でありましたから、僕は億劫でなりませんでした。この世界には、いったいどれほどの嘘があるというのでしょうか。それとも、嘘というものは、人間が人間である以上、離れることのできない、いわば、足枷のようなものではないのか、などと考え、毎晩、眠ろうとも眠れぬ気持ちに駆られて、それから、戸棚の天板を外し、隠していた薬を口に運んで、それでようやく眠れる、というような生活を続けていたのでした。困窮した作家というのは、概してそのような生活をする生き物なのです。
知り合いの大塚くんが、わざわざ電車とタクシーを乗り継いで、東京の郊外にある小さな学生向けのアパートの一室にやって来て、金が無くなった、3万でいいから貸してくれ。貸してくれなければ、僕は明日にでも死んでしまうだろう、というのです。分かりきった嘘でありました。ははん、きっと彼は僕の弱さに付け込んで、競馬か、あるいはパチンコの軍資金を手に入れようとしているに違いない。僕はそう踏んで、やれ、お前のような人間に貸す金は、一円だって無い、と突っぱねました。しかし、大塚は酷くやつれた顔に、今にも死にそうな、それこそ、病床に伏した末期がんの患者のような姿で、半分泣きながら、僕にそれをねだるのでした。僕には、それを断る勇気がありませんでしたが、しかし、彼のそれを嘘であると見抜く自分の目が、また自分に嘘をついているのではないか、という疑念に駆られて、ひどく怖くなるのでした。
とうとう、僕は彼に金を貸す決意をしたのでした。いいえ、正確には、彼の求めた額の、ほんの数分の一でしかありませんでしたが(何しろ、このときの自分も、金には困っていたのです)、しかし僕は、その、天性のだまされやすさ、とでも言うべきか、はたまた、お人よしとでも言うべきものに従って、彼にそれだけの金を、預けたのでした。そうして、しまいには、雨の降る寒空の東京に、感謝の言葉……それも、見え透いた嘘でした…を口にしながら、いそいそと出ていこうとする彼を見て、僕は彼に、
といって、小さくお礼の言葉を繰り返しながら、彼の背中が消えていくのを見送る始末なのでした。
そんな小さな嘘をつく日々が、やがて行きつけの喫茶店のツケの催促状となって、僕の生活を、ゆっくりと侵食し始めたのは、今年の夏になってからのことでした。ちょうど、大陸産の……はて、確かなんとかという、新種のウイルスだったと覚えています……が、巷の人々の生活を、ゆっくりと変えていくのと同じくして、僕の生活も変わっていきました。
まずは、ある風俗嬢の話をしましょう。僕が住んでいる町は、決して良い場所ではありません。いや、僕の住むアパートの窓から、きれいな太平洋の姿が見えることを除けば、とても人が住む場所とは言えないのです。人気のない、寂れた街。住んでいるのは老人ばかりで、皆、学生運動の時代の人々です。僕のような若い人は、確かに住んでいるのもいますが、しかし、数は、とても少ないでしょう。そんな場所で、僕はもう3年も住んでいます。住めば都、とはよく言ったものですが、あれがもし日本の都であるというならば、この国は、もうおしまいです。
そんな街にも、歓楽街はあるのでした。僕はそこにある風俗店の、とある嬢と関係があって、それも、お金を払わずとも会ってくれるような、いわゆる「セックスフレンド」というやつでした。髪の毛を長く伸ばした、雅な彼女は、僕のことを襲っては、あなたとならどこまでも行きたい、というので、僕は困っていたのでした。僕からすれば、自分の欲求を満たせさえすれば、他のことはどうでもよいのでした。それに、彼女もきっと、自らの境遇を少しでも良くするために、僕にすり寄っていたのです……いや、しかし、作家と生活するというのは、彼女の生活よりも、はるかに地獄らしい地獄であることは、言うまでも無いでしょう。
浮浪者の数、それが増えたという些細な事実に神経が過敏に反応したのは、その彼女が、ひどくやつれた顔で、いつもは情熱的な行為も半ばに、半分泣きながら、僕の方によりかかってきた時だったのです。
「どうした?」
彼女は、僕に抱き寄りました。乳はそれほど大きくありませんでしたが、悲しくありました。華奢な体が、いつの間にか、皮膚と骨だけのようになっていました。寒かったので、リモコンで暖房をつけました。部屋は暗く、ぼんやりとしていました。
「仕事……無くなりました」
「お金か?なら僕が」
「いいえ、いりません」
貧乏な人。
僕はその言葉に、ただぽかんと、宙を見つめることしかできませんでした。
「そうか…」僕はそう言って、立ち上がろうとしましたが、彼女が僕の男根を触ってきたので、そのまま動かないようにしました。
彼女は、一流でした。芸術家でした。きっと、マネも、ゴーギャンも、彼女を見たら、モデルにしたいと思うでしょう。僕は彼女のなすがままに、身を任せました。気が付けば、僕の横で、彼女が倒れているのです。そう、一流の芸術は、それを見ているときには、芸術とは思えないものなのです。すべてが終わった後になって、それがそうだったと気が付いて、それで、唐突に称えるものなのです。
だから僕は、称えようなどとは思いませんでした。同時に、彼女を貶めようとも思いませんでした。ただ、せめて何かの助けにならないかと、思ったのです。僕は、彼女が一流の芸術家であることは知っていたのです。僕は、隣で静かに眠る彼女を起こさないように体を持ち上げると、枕元に、なけなしの現金を添えて、着替えをして部屋を出ていきました。ホテルの受付で、彼女がまだ寝ていることを告げ、足早に去りました。
寒い朝でした。僕の心も、冷たく冷え切っていました。口から吐く息が白く濁って、真っ白な東京に溶けていきました。きっと、その息の中に、僕の魂も溶けているのでしょう。あと何十万回と息を繰り返せば、僕はやがて倒れてしまうのでしょう。そんなことを思いながら、僕は行きつけの喫茶店へ向かいました。毎朝、彼女と寝た日の翌日には、その店で一杯のコーヒーを飲んで、焼き立ての目玉焼きを食べるのが習慣でした。
もともと、払う金もなかったのだそうです。部屋で、薬を飲んで死んでいたのでした。ベッドの上で。僕は、そう、きっとあの時、僕が目覚めた時には、彼女は部屋で、既に死人となっていたのでしょう。「この世で最も重いものは、もう愛していない女の体である」という言葉は、案外的を射ているのかもしれません。実際、彼女の体は、ひどく重かったのです。あんなに華奢で、弱弱しかったのに、です。
彼女の体重は僕が最後に彼女の…生きている彼女…つまり、生き生きとしているという意味での…彼女に会ったときよりも、20キロも痩せていました。彼女の住んでいる安アパートの大家さんも、同じことを言っていました。僕が作家であると言って、なけなしの三流小説のいくつかを持っていくと、取材とのことであれば、と言って大家さんは僕を家に上げてくれました。初老の女性でした。しわの多い、低い声の、優しそうな老婆でした。
「過食症ですよ、ご存じですか」
「いいえ、まったく」嘘。この春、僕もなったばかりでした。
「食べては吐くのです。精神的な病です。この前、私のところで、彼女のために飯を作ってやったのです。彼女は一人で、5人前も食べましたが、その後すぐに、全部吐き出しました。きっと、胃袋の中身は空っぽなのでしょう。私はそれを全部ふいてやって、それから、今日は遅いから早く寝なさい、と言いました。彼女も、いくらかそれを理解したようで、その日は早く眠りました。えぇ、目の色が、死んでいましたよ。あぁ言う人は、良くこのアパートを借りるんです。きっと、そうして、死ぬのです。ここは、自殺の名所なんです。あの樹海なんかよりも、ずっとね」
いつの間にか、僕は老婆の話に聞き入っていました。滅びゆく人間の話を聞くのが、好きだったのです。枯れていく花を見つめるのを、趣味としていた僕にとって、それは当然でありました。
「ほかにも、死んだ人が?」
「いますよ。伝染病が流行ってから、もう3人目です。みんな孤独ですから、私が代わりに葬式に立ち会っているのです」
一人は、サラリーマンでした。職を失って、いわゆる、リモートワークというやつになったのだそうです。画面越しに仕事をしているうちに、あぁ、彼は、自分が、他人に見られない場所にいられることに安堵したのだ。そうして、ふと、見られないならば、死んでもいいと思ったに違いない。アパートの二階で、首を吊ったらしい。大家の話によれば、彼の部屋に入ると、糞尿を垂らしていたという。きっと、すべてをあきらめた死刑囚と同じ気持ちだったに違いない。
もう一人は、哀れ、まだ若い女子大生。彼女は、部屋のドアノブにひもを括り付けて、死んだそうです。生気を失った人というのは、ちょうどゴム人形のようなのだとのことでした。体液で、部屋の床が変色するのです。皮膚は、とても冷たい、冷たい。彼女の遺言は、ただ一行だけで、それ以外には、何もなかったといいます。
寂しい
この一行に、どれだけの言葉がないまぜになっているのか、きっと君ならわかってくれるはずです。僕も、同じことを、何度思ったのか分かりません。
彼女は、卒業を間近に控えていました。卒業論文を書けば、良かったのです。しかし、彼女は、家庭の都合から、泣く泣く大学を辞めたのだといいます。僕とは大違いです。たくさんの猶予をもらった、モラトリアムな人間とは大違いです。彼女はまじめで、多くの人に悲しまれたといいます。それも一度だって彼女のことを見たことのない人も。
特に、テレビの報道はひどいものだったといいます。僕は、もうずいぶん長いこと、テレビなんて言うものは、俗悪で、卑猥なものと一蹴して、見てもいませんでしたから、そんなニュースを知りもしませんでした。彼女の死は、政権批判のタネにされたのでしょう。大家も、今の政治はだめだ、と漏らしていました。その言葉を聞いて、僕は悲しくなりました。
一人の死です。これほどまでに、あっさりと、人が死ぬのです。
僕は、大家に礼を言って、その帰りに、例の少女の墓を聞きました。近くの霊園にありました。立派な墓だったのです。きっと、僕は死んでも、こんな立派な墓は立ててもらえないでしょう。立ててもらえるとしても、僕は断るつもりです。
雨が降っていました。カエルが、一匹、彼女の墓石にできた水たまりで、ゲコゲコと鳴いていました。名前は、よく見えませんでした。僕も泣いていたのです。帰り際に、僕は一輪の花を見ました。何の花かは覚えていません。でも、とても、寂しいことだけは、覚えています。
*
949。
この数字が、何を表すのかは、ご想像にお任せします。きっと、僕のこの文章を読んだ人の多くが、ピンと来るはずです。だって、あんなに毛嫌いしていたテレビが嫌でもついていて、そうして、毎日のように流れてくれば、誰だって敏感になるのですから。
僕は狭い6畳のアパートにいます。学生向けの小さなアパートです。大の大人が、借りているのです。近所の人はみんな、学生です。
若い人というのは元気です。今日は、お隣の音楽学校の生徒が、バイト先の人たちと、ちょっとした遊びをしに行くのだといいます。僕がそれを知っているのは、アパートの部屋の壁が、とても薄いからです。前は、男と女の、汚い喘ぎ声が聞こえて、僕はいつも、すぐに部屋を飛び出して、近くの銭湯へ行き、用もないのに、やれ、世間話に花を咲かせる老人たちと、碁を打ったりしたのです。ですが、ここのところは、彼女たちの電話する声しか、聞こえてきません。あるいは、その、例の「リモート授業」とでも言うべきものを、受けているのでしょうか。
コロナ禍において[判読不能]、あるいは、私たちは自覚を持つべきです。若者が[判読不能]なことをしているために・・私たちが悪い…また今度。
そんな内容のことを、表では言いながら、例の、「遊び」には、行くのです。きっとこう書いて、そう、君、この文章をネット上で見つけた下世話な君は、ここだけを切り取って、「若者の乱れた考えが云々」という、お決まりの文句を言うのでしょう。僕がこう言っても、きっとそういうに違いない。お好きにしてください。僕は何もしませんし、それも見ませんから。
大人には、彼らの気持ちが分かるはずありません。きっとあなたは、この文章を読んで、そんな気持ち、皆同じだ。お前だけ特別なことのように語るな。それに、何だこの下手糞な文章は。お前は、太宰治にでもなったつもりか、というでしょう。
みんなと同じ。
そうです。その通りです。僕は、みんなと同じです。みんなと同じく、孤独なのです。きっと、あの病院で遅くまで働いているナースの彼女も、同じです。きっと、街中へ出て、夜まで飲んでから帰る政治家も同じです。みんな孤独なのです。孤独だから、寂しいから、みんな、死んでいくのです。
みんな同じなのです。みんな同じ気持ちなのです。ですから、みんな同じなのです。
なんとか、なる。
そう書いた作家もおりました。みんな同じです。
みんなで耐えましょう。みんなで耐えれば、良くなります。今こそ、農村地帯の、あの共同で助け合う気持ちが、大切なのです。みんな、そういいます。
僕の故郷では、旅人が殺されたそうですよ。バレないように、死体は埋めたそうです。ドラム缶でよく燃やしてから、埋めたそうです。みんな同じです。
僕は作家です。ですから、僕は今、目の前で起きたり、耳で聞いたりしていることしか、書いていません。それ以外のことは、妄想は、一行だって書いていません。僕の知り合いが、首を吊りました。僕の知り合いが、電車に飛び込みました。もうすぐ、始まります。みんな、合掌しながら飛び込むのです。こんな世界に、何の希望があるというのでしょうか。
みんな「またいつか」と言って、去りました。そのいつかに、用があるのに。そのいつか、は、もうやってこないのに。
いつか、という言葉は、とても面白いのです。いつ、という疑問の言葉に、か、という呼びかけを付けるだけで、日本人は、未来を指せます。そして、いまでないどこか、今でないどこかに、この「現在」から伸びる直線上に、架空の点を置いて、それを呼ぶのです。ひもを引っ張り続ければ、必ず訪れる、「いつか」をです。
でも、これを英語で言うと、とたんに「Seeyouagain」という言葉になって、変わります。「またお会いしましょう」というのが、直訳です。また、というのは、いつのことなのでしょうか。僕には、わかりません。
経験は、僕と未来の僕の間に、差を作ります。もしも僕が生きていたとすれば、そこにいる僕は「彼は昔の彼ならず」という言葉通りになります。何か大きな災害が起きて、僕は死んでいるかもしれません。何か、特別なことがあって、僕は生きているかもしれません。
それでも、あなたは、大人という生き物は「みんなと同じだ、我慢しろ」というのですか。
僕はそんなこといいません。「僕も同じです」といって、そばにいます。
それが、今の僕が吐くことのできる、精いっぱいの嘘です。
けっこう有名だから知ってるかもしれないけど
【不可思議なご依頼】
投稿者はお坊さんで「墓の移設をしたいから来てほしい」という依頼を受けて向かった家がヤバかったって話
坊さん繋がりで
YouTubeやニコ生で定期的に配信してる「OKOWAグランプリ」っていう怪談の大会で優勝した人
ツイッターにまとめられてバズったこともあるけど書き起こし+要約で怖さが半減しているので元の動画を探して見てほしい
【忌録】
電子書籍限定のホラー小説のようなもの、ホラー小説っていうかオカルト話のまとめみたいな感じ
作者は阿澄思惟と書いてあるけどホラー作家三津田信三の偽名説が濃厚
収録作のうち「みさき」と「綾のーと。」はネットで公開されている
薄気味悪いのがhellojdoeなる人物が4年間ずーっと忌録の考察をtogetterにまとめ続けていること
たぶん作者なんだろうけど……「謎の人物がtogetterに怪談の考察を集約している」というのが作品の一部というか呪術的な何かを感じる
【九大SCPサークル】
九州大学にSCPサークルがあるらしくそこの在籍者?が作ってるSCP
今のところ公開されてる作品は「無縁」「しんに」「けりよ」「てうぶく」「がきじろ」の5つ
「てうぶく」はきさらぎ駅とか蓋っぽい
【禍話】
ツイキャスで怖い話をしてるユニットがあって書き起こしがネット公開されてる
昔のオカ板みたいな話がいっぱい読める
あとは三和交通タクシーがニコ生スタッフと一緒に心霊スポットに凸する企画で
夜中に自殺の名所歩いてたらスプレーで落書きされた「死」の文字が懐中電灯に照らされてぼうっと浮かび上がった時はめちゃくちゃ怖かった
オカ板は死んじゃったけど残党が色んなとこに散ってるみたいだからそれを探してる
Permalink |記事への反応(13) | 19:58
Twitterに男に憎悪を向けるタイプのフェミニストが流れてきたので覗きに行ったら、男性はジェギを見習ってほしい、みたいなツイートがあった。
はてブのフェミ論争を眺めていても見覚えのない言葉だし、まさか北斗の拳でもあるまい。
というわけで調べてみたら、韓国の成在基(ソン・ジェギ)という男に由来するらしい。
彼は男性の権利主張と、アンチフェミニズムの活動をしていたが、2013年にデモンストレーションの一種として、ソウルで自殺の名所になっているデカい橋から飛び降り、本当に死んでしまった。
この事件を受けて、韓国のメガリアやその影響を受けた日本のミサンドリストかつフェミニストは、死ぬとか自殺とかの隠語として、ジェギる・ジェギするを使うようになった、という流れだ。
「いい男は死んだ男だけだ」という論法にくわえて、活発だったアンチフェミ活動家の死をフェミ言説に逆用することが痛快で好まれる言い回しなわけだ。
はてなーは知ってた?
成在基 -Wikipedia