
はてなキーワード:自動車道とは
一旦大迫と紫波を紹介することにする。お前大船渡や陸前高田を紹介することから逃げてるだろうと言われればぐうの音も出ない。言い訳すれば大迫の存在をすっかり忘れていたので指摘される前にフォローしておきたかった、というのはある。
盛岡から遠野に行く際にかつて唯一の経路だったのが国道396号で、この道路が通っているのがこの2自治体なのね。まあ最近は釜石自動車道が整備されたので、見た目は遠いけど時間的にはこっちのほうがはやいけどね。
で、この旧2町(忘れていたのは、今や大迫は花巻市の一部だってことだ)は、どちらもフルーツに力を入れているという共通点がある。リンゴ園やブルーベリー園で観光客を受け入れているところもあるけれど、この地域に特に特徴的なのはぶどう園。生食用のぶどうも、ワイン用のぶどうもどちらも作っていて、ぶどう狩りやぶどうを買える場所も、見学できるワイナリーもいくつもある。
既に終わってしまったけれど、9月後半には大迫ではワイン祭りがあって、この時は少し離れたJR駅へのシャトルバスも運行するとあって酒好きはこのイベントを逃すわけにはいかない。ありがたいことに、紫波では10月第2週にワイン祭りがあって、やっぱりJR駅からのシャトルバスが出る。やるイベント内容は少しずつ違うけれど、まだ間に合うわけだ。
そうでない場合は、工場見学+試飲がどちらもセットになって用意されている。どちらもワイン祭りの会場になっている場所で、紫波が紫波フルーツパーク、大迫がエーデルワインのワインシャトー大迫。人数が少なければ事前予約も要らない。まあ車で来た場合は誰かハンドルキーパーが必要になるけれどね。ぶどうジュースも美味しい+無料試飲は1杯だけなのでそれほど損な気分にはならないはず。大迫はこの場所近辺に観光施設が密集して建っていて、個人的には陶器づくりが出来る星工房で陶器を作るのもいいと思っている(数年前にここで作った丼を自分は納豆鉢として愛用している)。
工場見学まではしなくていい、ぶどうだけ買いたい、という向きには396号沿いには道の駅や産直が多いので、そういった施設経由で買うのが手軽か。北から順番に道の駅しわ、(峠の駅)紫波ふる里センター、おおはさま産直センターとどこもぶどうを取り扱っている。なお大迫にも道の駅は"道の駅はやちね"として存在しここでもぶどうは売っているのだけど、国道からかなり離れたところにあったりする。なお紫波ふる里センターはこの時期"かかし祭り"として付近の人たちが作ったかかしを展示していて、当然というかなんというか大谷翔平はここ数年常連である(ただしかかし)。
大迫を巡っていると南の方から見張られている気分になるかもしれない。南側に遠目で見ると獅子舞のようなでかいオブジェが山の上に建っているから。これはこの近辺で踊られている早池峰神楽の衣装を象ったオブジェで、このオブジェの足元が向山展望台になっている。実は映画"海街diary"のロケ地として使われたのがこの展望台なのだ。もちろんこのオブジェの存在は映画からは全く窺い知ることが出来ない。
紫波はどちらかというと盛岡郊外に含まれる地域で、ただ横に微妙に広い地域なので紫波だけ観光とはなりにくい。4号方面の観光となるか396号方面の観光となるか、となる。で、4号方面というか北上川沿いの紫波の観光は、紫波フルーツパークから県道25号、その後県道46号を通った近辺に集中している(もちろん例外はある)。こちら側は日本酒の蔵が多い。なにせ南部杜氏の発祥の地として宣言しているのは紫波町だから。東から月の輪酒造(ここは先述のラインから北に少し外れている)、吾妻嶺酒造、紫波酒造(廣喜)があって、どこも要予約だが酒蔵の見学を受け付けている。この辺は盛岡から来るならJRの最寄り駅からタクシーで行く手もある。
食べる場所としては4号沿いに十割そば元祖のはらぺこ、さぬきうどんのたかのはし、海鮮が限定でよく話題になる江釣子屋(支店)があるのだけど、十割そばは今や珍しくないし、ほかの2つは地元民向けで観光客がわざわざ足を運ぶ必要はないし、営業時間が短かったり限定品がすぐなくなったりでウォークインしづらかったりはあるかもしれない。これらの店に限らず、食堂、温浴施設などこの近辺にあるところは観光客向けというより地元+近隣住民向けに作っているのでわざわざ遠くから来た人が観光するほどではないかもしれない。
信用するとかしないとかじゃなくて
じゃあ150人で自動車道のゴミ拾いを君が計画するならどうするよって話
自動車道に多くの人間が行くにはバスが必要でバスを借りるかもってなきゃいけない
バスを動かすには大型免許もった人間がいる、っていうのがそんなに複雑?
日本は法治国家なんだから全てのことは法の範囲でやらなきゃいけないわけで
福州と台北の距離は122kmで、この距離の海峡大橋を建設するとなると、どのくらいの時間がかかるのか。香港珠海マカオ大橋は全長55kmで2009年12月に着工し、2018年2月に完成、およそ8年かけて建設された。この大橋自体、台湾海峡に橋をかけるという野望のための実験的建設であったので、香港珠海マカオ大橋よりは工期が短いであろうといわれている。
写真=iStock.com/GuangyongLiu
台湾海峡の中間線から向こう側の方面の部分だけなら、6〜7年かかるとすれば、35年までに台北福州大橋(トンネル)の完成、開通を実現するなら、遅くとも2028年には着工しなくてはならない。着工前に最短でも1年の準備期間を設け、水紋、地質調査などが必要だとすると2027年が台湾統一のリミットだ、ということになる。
新幹線計画が具体的になった80年代から市街地の住民からは”新幹線乗り入れ絶対反対”の声が大きく、まちなかに看板も立っていた。そして具体的なルート図が決まってアセスメント段階になってから慌てて市長を中心に誘致活動をしたが”後の祭り”
北陸自動車道建設のときも反対運動が激しく起こり、結局インターチェンジは砺波にとられた。後から慌てて能登自動車道の高岡インターで”お茶を濁す”。
高岡駅の駅北と駅南を地下道で結んで利便性を高めようという計画が出たら”自分たちの客がとられる”とすさまじい反対運動が起こり、計画は潰れて結局両方の商店街・デパートも廃れてしまう。
相鉄いずみの線と横浜市営地下鉄ブルーラインの延伸にも似てる話ですね。
相鉄と横浜市が路線を延長する際に、小田急の急行停車駅の長後駅に当時は接続する予定でした。
ところが、当時の地元商店街が長後駅接続に猛反対したため、仕方なく相鉄と横浜市は接続駅を湘南台駅に変更して現在に至ります。
その結果、長後駅の利用客がどんどん減っていって逆に湘南台駅は乗客が増えてますます栄えてしまい、長後駅の商店街はシャッター街になってしまいました。
長後駅商店街に住んでいる現在の住人は、自分の親の世代がやった反対運動に後悔している様です。
https://www.youtube.com/watch?v=3K111mf9YPg
こういう話をもっと知りたい
https://hamarepo.com/story.php?story_id=5343
2016年06月29日 横浜市営地下鉄は「長後駅」から通るはずだったって本当?
はまれぽ調査結果! 町内の商店会の決定権を持つ会員に保守的な人が多く、地下鉄建設の反対が起こった。当時若い世代の会員など賛成派は多かった。
例として山口市と下関市、小諸市と佐久市、長野市と須坂市、成田とインチョン、栃木市と宇都宮市が挙がってるな
小諸市や山口市は線形の問題や技術の問題で誘致が難しかったのであって住民運動のせいではないという意見もあるな
追記2:沖縄の米軍基地は的外れだと思う。軍事的な都合で神立地だから選ばれてしまっている。横須賀もそう。自衛隊の基地の立地もそうだが防衛戦略や地形への依存度が高いので、新幹線や地下鉄を歓迎するかどうか、人流とカネの流れを作れるかどうかとは話のレベルが違う
追記3:
kkkirikkk 規模は小さいけど横浜の陸の孤島こと本牧。アクセスの悪さからどんどん寂れていってるけど地下鉄駅作る計画が反対でつぶれてるhttps://hamarepo.com/story.php?story_id=4338
三渓園に自家用車で行ったときに、本牧辺りの駐車のしづらさも何もかもが不便に感じて二度と行くものかと思った。公共交通機関で行っても相当不便そうだな。住民が生活のための回遊をするだけで、外部の人間は来るなと言っているような街の状態だと思うが、通勤にも不便だろうし、自家用車が無い人間は買い物も不便そうな街だったし、どうやって生きていくつもりなのだろうか。三浦半島、千葉、大山方面、静岡方面でこの種の面倒に直面したことはない。鎌倉には車を停められないが電車で行けば良いし、そうするだけの見どころがある。本牧は三渓園があるほかはただ不便なだけの、住んでいる人間以外には用がない、金も落としにくい地域という状態なので、もうこのまま衰退していくばかりなのだろう。
衰退例で挙げられている長後は商店街は衰退しているが、住居に建て替わってベッドタウンとしては生き延びる余地があると思う。小田急線で新宿通勤が可能だからだ。SFCの学生なんかもあの辺りまでなら住むかもしれない。本牧に住むのはどういうライフスタイルなのか全く分からない。職場はどこなのか?どう日々を生きているのか?
追記4:
Permalink |記事への反応(38) | 12:36
夜だったはずだ。7時半だったか、ともかくその頃にはもう、すっかり暗くなっていた。そこを自転車で行くのだ。所在は、比較的には都会の方だったから、宵闇はネオン光や、車が放つ種々の光が斑に照らしている。そこを、当時中一だった私(以下、私と呼称する)が、幼稚な自転車で通行するのである。むろん、舐められる。
塾まで、至極単純な道のりで、自宅から、三十分もせず到着する。順路も、ちょっと右左、捻じ曲がった局所を踏破すると、後の二十何分を道なりに、ひたすらに直進するのみだ。国道から、十分も満たない近所だからだろうか。交通の便を良く配された、長い道路の両脇には、BOOK〇FF、PCでない方のマック、小さな銀行……大抵の設備が整っている。つまり、人目だって、十二分にあった。
そこは、少し幅狭な通路だった。少なくとも、まだ自転車道を通行することに、一縷の不安を持っていた私にとっては、その通路は少し手狭で、七面倒な場所であったことに違いない。幾つかの難所を脱した私は、もう二分も立たない内に、目的地にたどり着く手はずとなっていた。もう着くのだ。気だるさと同時に、私の顔はほころんでいる。前から、二人組の男が歩いてくる。
水溜まりボ〇ドみたいな二人だった。違いと言えば、デブの方が金髪だったと言う位である。それ以外は、本当に酷似していた。
私は、車道に幅を寄せた。その時、自動車道を大きく乗り越えトラックが接近していたし、ガードレールもあったので、どのみちそうする他ない。当然、私は二人組が、通りやすいよう、右に固まってくれる事を期待していた。
その期待は砕かれる。そうした類の善意どころか、彼らは私へと悪意すら向けてくる始末だ。具体的には、私の通行を阻む様に立ちふさがると、デブは何を考えたか、「こんばんは」と言う。
怖いと感じた。私は一層横に寄せると、少し、身を縮めた。一瞬、彼らは不気味な沈黙を保ったと思うと、私の右をぬるりと通過してゆく。デブは再度、「こんばんは」と言った。先程より大きい。彼の声は、記憶に定かではないけれども、高い声をしていたはずだ。その高い声が張り上げられるのだ。再度、「こんばんは」と言った。ほぼ怒鳴る様だった。男の身も蓋も無い叫び声は、あなたも聞き覚えがあるのではないか。私はそれに強い不安を覚える。恐怖ではない。しかし、どうも、身の安全が脅かされる様な気がしてならなくなるのだ。
その瞬間もそれだった。恐怖はなく、不安だけが総体を循環するのだ。不愉快な感覚だった。横のガリが笑う。何故か笑う。彼らは、人を脅かすことに悦びを見出しているに違いない。双方とも笑うその声は、喜悦と興奮に歪んでいた。
彼らは通り過ぎてゆく。距離の壁が初めて私に事態の終息を確信させた。気付けば私は塾内に入っていた。授業はするすると脳に染みわたるようだ。私は、その日から少し、見た目に気を遣うようになった。あの日買った競技用自転車は今は錆びつき、備え付けの駐輪場に放置され、今も風雨に打たれている。