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2025-12-12

anond:20251212231932

わが国はまずは自助が基本の考え方です。

Permalink |記事への反応(1) | 23:26

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2025-12-11

anond:20251210145127

治療用装具なら耐用年数超えてたら医療保険適用にできる(病院から借りてるという話だったので治療用装具の話をしているが介護の方だったらすまん知らん)

ただ、これも償還払なので一時立て替えが必要で還付まで3ヶ月ほどかかる

(また装具の償還払で一時的に金がない場合生活福祉金貸付制度利用できるはず)

耐用年数超えてない場合、装具装着指示証明書医者がそれなりの理由書いてくれれば通る場合がある 通る通らないの賭けにはなってしまうが

世帯分離については自治体ごとに認める認めないの判断基準が大きく異なるが、法的には「同居していて生計が同一」というのが基準になるので生計が別だと強固に主張していけばできる可能性がある

あと、世帯分離について病院ケースワーカー相談してないかケースワーカーそのへんあまり詳しくないことがあるので、もしまだ聞いてないなら自治体住民票担当へ聞いたほうがいい

また、自治体的にも生活保護にするより世帯分離にして自助でやってくれるほうが助かるはずなので、一つの手として自治体生活保護窓口にかけこみ「このままでは生活保護を受けざるを得ないが万が一世帯分離が認められればなんとかなるかもしれない」と伝え生保ケースワーカー経由で住民票担当世帯分離を認めさせる方法もあるかもしれない。

Permalink |記事への反応(1) | 20:51

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2025-12-09

anond:20251209011552

まずは自助

Permalink |記事への反応(0) | 01:26

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2025-12-03

anond:20251203001925

年金制度も維持する気ないんやろな

自助自助自助自己責任

Permalink |記事への反応(0) | 00:24

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2025-11-20

山上被告報道を見ていて思ったこ

長くなったので読みにくいかもしれません

あと、あまりここの空気感理解できていないかもしれません

半年ROMれてませんが匿名性が必要だったのでここに書かせていただきます

乱文ご容赦ください

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

テレビ山上被告裁判報道が流れてくるたびに

援護が無さすぎるのではないかと思い、やっぱり納得がいかないと感じたので

ここに書きにきた

 

 

 

以前から何度も書こうと思っていたけれど

どうしても書けないまま 何年も過ぎてしまったが

まり社会の様子は変わらず、

まり山上被告裁判報道を見るのが辛かったので

なんとか書き始めた

 

 

ーーーここからは私が統一教会にいた頃の話が出てきます

フラッシュバックなど、読むのが嫌だと感じる場合スルーしてくださいーーー

 

 

 

 

 

あの日の銃撃の報道は今も忘れられない

呆然とした

 

正直なところ

ショックとか 人が亡くなったということ以上に

 

「どうして今になって」と思った

 

 

 

私が統一教会から逃げ出して10年は経っていて、

ようやく悪夢を見て、ドキドキしながら目覚めることが無くなってきていた頃だった

 

 

 

逃げ出した後も燃え尽き症候群のようになり

ベッドから起き上がれなくなる日が続いて

一度は「こんなに辛いならもう死のう」と思ったけれど

 

死ぬ元気があるならそれで好きなことしようぜ…死にたいなら

いつでもそのボタン自分が持ってるんだから もう私は誰にも縛られてないんだから」と思い

 

 

 

誰にも助けてもらえないので(親に話したが困惑されて流されただけだったので)

自ら自立支援センターにかかり、カウンセリングを受け、

それでもなかなか人への恐怖や組織へ入る恐怖を克服できなかったので

バイトもできず

 

ニートを経て、なんとかフリーランスを細々始めて

それでも人が怖くて怖くて

いつも人の顔が見れず震えて汗をかいたり

人と会ったあとは部屋で寝て起き上がれなかったり

遠出ができなかったり

 

 

そういうことがようやくひと段落つき始めていた頃

「ようやく最近少しずつ人と話せるようになってきたな」

「ようやく教団の元仲間から説得のメールが来ることも無くなってきたな」

と思っていた頃に

 

その事件報道で流れた

 

 

 

なんだかバカバカしくなってしまった

 

 

誰にも言えなくて

から付き合いのある友人にも言えなくて

両親に言っても「よく出てきたな」と言われるだけで

具体的なケアは何もしてもらえない中で

自分で考えて一歩一歩、精神ケアに励んだ10年間

 

宗教施設で共同生活をしていて就活タイミングを逃しました」

「経歴に書けることがありません」

宗教施設生活していた影響で人が怖くてしょうがなくてバイトすらできません」

燃え尽き症候群のようになって社会生活を人並みに送ることがどうしても難しいです」

 

そんなことの説明をしようがなく

 

ただひたすら周りからの、

「この人どうして朝起きれないんだろう」「なんか付き合い悪いな」

学生時代の話してくれないな」「この人いっつも何してるんだろう 無職?」

「なんで結婚しないの」「なんでハロワ行かないの」「なんでもっと営業しないの」

「なんでいっつもお金が無いの」

あらゆる なんで? に耐えながら

 

ひたすら自分の足で立つことができるようになるように

 

一生懸命もう一度歩く練習をし続けた10年間

 

 

 

1発の銃声で 毎日のように統一教会名前テレビで聞くようになってしまった

 

 

 

 

ずっと社会から可視だった存在が 透明人間だった自分

無かったことになっている自分の在籍期間6年とリハビリ生活10年間が

 

突然色を与えられたような感覚

 

 

しかった

 

その行為自体賞賛はできるはずもないけれど 思いは複雑だった

ただ悲しかった

 

 

山上被告はとても辛かったんじゃないだろうかとは思った

 

 

 

 

あれは叫びだと私には感じられた

それくらい 中にいると社会生活している人とは隔絶され 外の声は届かないし

中の声もまた外には届かなくなる

 

 

そこには長らく透明な分厚い分厚い壁があって中と外は隔絶されていた

 

 

あの1発の弾がそれを壊した

尊い人命と共に

 

 

その重大さを社会にどこまで理解してもらえているのか 分からない

 

 

 

 

 

その苦しみは 多分本気であの中で一生懸命やった人にしかからないだろうと思う

 

 

 

 

それでもそこから私が逃げ出せたのは

ある程度、状況を俯瞰して見る(ある種冷笑的な)感覚を身につけていたからで

そこに関しては、私は自分漫画アニメ好きのオタクでよかったなと思っている

 

マジで漫画みたいなこと言うやんw」という茶化しが自分の中でできていたこと、

不真面目だったため、外の読み物やテレビは見てはいけないことになっていたが

隠れてコンビニ漫画立ち読みしていたこと、

伝道(いわゆる勧誘)もこっそりトイレに隠れてサボりまくっていたことなど

 

中の人からすると酷い不真面目、規律違反的なことをやっていたために

最後の一歩(あ、ここにいたら私の人生、誰も保証してくれないんじゃないか?)

という感覚に至れた、というところがある

 

 

 

しかし、そんな不真面目な私であっても

逃げ出すことが良いことなのか悪いことなのか、その時点では判別はできていなかった

 

 

神や、いわゆるお父様お母様(教祖)に背くことになるわけなので

正直ここから出てその後どんなことが訪れても覚悟を決めようというような気持ちはあった

 

 

なぜならいわゆる統一教会が言うところの「神のみ旨」を放棄することになるわけなので、

そうなった時に自分に何かよくないことが起きるかも、私だけじゃなく家族も何かよくないことが起きるかも、

という感覚が強く自分支配していて そこに対して否定できる確証はなかったからだ

私が死ななくても 私の代わりに誰かが死ぬかも、と本気で思っていた

 

不真面目な信者であってもこのくらいにはどっぷり浸かっていた

 

 

 

 

それでも私は「本当に神様がいて 神様が私を愛しているとしたら

私のこの選択も祝福してくれるんじゃないか」という気持ちも微かに持っていた

それを信じたい、という気持ちだったと思う

 

そうであったらいいな、という感じで

 

もちろん確証も何もない

 

 

こんなふうになったか

今だからそんなふうに言えているだけで

その時には全く確証がなかった

 

 

 

 

 

ただ今言えるのは「神様がいるとすれば 統一教会にいる人も愛していると思うし

私のことも愛しているんじゃないかと思う」ということだ

 

これは信仰心ではなく

私が少しずつ回復して自分を取り戻す過程でたどり着いた

今の段階での結論というか、

信念的なものではあると思う

確証はないけれど「そうなんじゃないか?」と思っている、というようなことだ

 

「そうでなきゃやってられるか」というような思いでもある

 

 

 

 

 

神がいようがいまいが関係なく日々は続くし

私の場合 立ち止まっていても誰かが

大丈夫?私がなんとかしてあげる 任せて」と

手を引いてくれるような状況は皆無だったか

自分の足で一歩ずつ歩くしかなかった

 

(唯一打ち明けたカウンセラーの人も宗教的な苦しみまでは理解してケアしてくれなかったし 

かといって宗教的ものに再度頼るのはもう懲り懲りだった

被害者コミュニティもあったかもしれないがまたそこから出られなくなるのではと思い、

組織に属するのが怖かった

両親は受け身なので私が動かない限り私の状況は好転するわけがなかった)

 

 

ただ言えるのは、自分で少しずつ歩く過程で人に支えてもらえることはあった、ということだ

理解できないなりに 両親は私の過去を酷くなじることはなかったし、生活支援してくれた

「よく出てきたな それはなかなかできないことだぞ」と肯定はしてくれた

自立支援センターも、電話をかけたものの一人で行くのが怖かったので着いてきてもらった

 

理解してくれていようがしてくれなかろうが 都度都度助けてくれる人はい

 

 

 

カウンセラーの人が言ってくれたことのいくつかは今も自分を支えてくれている

 

(私は自分の中に宗教施設にいたという負い目があったので、とにかく人に疑われるということが怖かった

自分の話をするのが怖く、いつボロを出しておかしなことを話してしまわないかと怖かった

そのせいか言葉がなかなか出てこなかったけど「ペラペラ話す人よりちょっとずつ一言一言話す人の方が信頼感があるよ」と言ってもらえたので 今は辿々しくても少しずつ言葉を並べられるようになった

だいぶ人と話すことが怖くなくなった)

 

 

 

 

神がいようがいまいが 関係なく日々は続いていく、というのはそういう感覚

 

 

 

 

 

 

私がいたのは学生寮のようなところで

信者に向け講義をするような人材を育てることを目的としている寮だった

世話役夫婦が1組

20〜25人くらいの規模で

マンションの3部屋(うち1部屋は夫婦の家)を借りて男女別れて住んでいた

 

みんな割と若かったと思う

20歳後半〜大学生くらいが所属していた

 

私は2世ではない

勧誘されて大学1年生で所属した

 

 

まだ規制が緩かったので大学内でも駅のコンコースでも勧誘を行なっていた

 

声をかけられた時も怪しいなとは思っていたが 半ば分かっていてついていった

最初から開示されていたわけではないが

いわゆるビデオセンターでの履修がひと段落した頃に

統一教会だと開示を受けた上で「寮に入らないか」というような打診を受けたので

なんとなく流れで、面白そうなので入ることにした

あと、みんな、人が良い人たちだった、というのがあった

 

 

でも入教したキッカケには結局、自分の中に将来自分が働いているビジョンが湧かなかったり

将来に対する漠然とした逃げのような気持ちがあったのだと思う

 

社会一般基準で勤めることは難しいんじゃないかという漠然とした不安があった

 

 

この時このような逃げの姿勢でいなければ

こんなに長く苦しむことはなかったなと今になってみれば思う

 

 

 

 

施設での生活としては

朝早くから起きて

原理講論を音読したり、勉強会をしたり、祈りをしたり、敬拝をしたりする

 

 

学生なので献金は求められなかったが

仕送りは全て世話役夫婦に預ける形になっていて自由には使えなかった

お金は全て「聖別」といって、清められ

そういう清められたお金は「神様とお父様お母様のお金」と言い含められる

 

そうして外から買ってきたものも塩と祈りで毎回清めていて、

清められていないものは手をつけてはいけない

 

お金はとにかく厳しく管理されていて好きなものは買えなかった

 

 

大学内ではあまり交遊を持たないように言われていたので

友人と遊びに行く、呑みに行くなどの経験も皆無だ

もちろん遊びにお金を使うことができないので 自由な交遊はできない、と言っていい

 

学校から帰ってきたら即駅のコンコースや他大学伝道という名の勧誘に行く

 

 

長期休暇は県外へ、車中泊をしながら1日中歩いてフキンの訪問販売をする

これも教会からすれば宗教活動の一環のようなもの

当然ながらより多く売れた方が良いわけだが私はいつもほとんど売れなかった

そんなことをしながら公園などで車の中で寝泊まりをする

1ヶ月寮には帰れない 

 

家族には内部のことは言えないことになっていて

帰省も数日しかできなかった

 

 

 

これらを聞いて楽しそう、と思うだろうか?

こういう生活が性に合っている人がいるのは事実

 

けれど楽しいと思うことを排除し、自分否定し、自分の望むもの否定して、

それを全てみ旨に捧げるというのが信仰の道だった

 

苦しければ苦しいほど条件になる、そういう発想なのだ

(そういう発想が多額の献金要求にも繋がったのかもしれない が その要求正当性は無いと思う)

 

 

私が寮内で大きな声で笑っていたら先輩に

あなたが来てから、こんな大きな声で笑ってもいいんだなって 初めて思ったの」と言われた

そういう場所だったのだ

聞いた時はドン引きした

 

 

 

 

それでもやっている時は一生懸命だった

けれど これは本当に人を幸せにするような活動なのか?という疑問がずっとあった

 

(そういった活動などが条件となり積み重ねられ、

その条件が満ちると間接的に人を幸せにする、という考え方なので

目の前の相手を即幸せ気持ちにさせたかどうかはあまり重要ではない)

(どれだけ苦労を重ねるか 自分の欲や怠惰否定できるかの方が

より大きな条件になるという考え方になる)

(親が子を置いて宗教活動邁進することになるのは、そういう仕組みゆえだ)

 

 

 

 

そうして大学からの6年間を

人になかなか言うことができないような生活で費やしてしまたことは

勿体ないことだったと素直に思っている

 

 

勿体なかったと言うと「でもあなたのその過去も今に繋がっているじゃない?」

というような返しを親からされることがあるが

 

 

 

これを言われると いつも胸が詰まり

説明のできないいろんな思いが去来して胸がぐるぐるする

 

 

しなくてもいい苦労というのはある、ということで

誰も「統一教会が許せない」とも「あなたが失ったものを思うと本当に悲しい」とも

言ってくれる人はいなかった

 

私の、誰にも相談できなかった日々、1人苦しんだ日々を

肯定しろ」と暗に言われているような気がするのだ

 

 

私が逃げ出すことによって自分家族も不幸な目に遭って死ぬかもしれない

もしひどい事が起こるなら私に起こしてくださいと

恐怖とプレッシャーに押し潰されながら綱渡りしていた日々を

誰にも相談できなかった日々を

 

 

肯定しないといけないのだろうか?

 

 

 

 

 

 

山上被告統一教会否定してくれたのだ

 

 

 

この状況になるまで誰もそれをすることができなかった

 

 

その事実はとても重いと思う

 

 

 

 

 

 

世間自助自助と言うが

 

 

それは助ける力がない人たちが口を揃えて言う言葉のようにも思える

 

 

 

自助とはそんなに簡単にできることではない

 

 

とても、とても苦しいもの

 

 

  

  

 

山上被告は 自助をする以外になかった

 

それがこの方法だったのだ

 

この方法以外で彼が救われることもなかっただろうと思う

 

 

 

それくらい救いの手が届かない場所なのだ

 

 

 

 

山上被告自分自分を救うしかなかった結果がこれだったのではないだろうかと思う

 

 

 

 

  

 

私が入教して実感したことは、宗教に関わっている人は意外と多い、ということだ

私のいた寮の中にも、親が創価学会だったがそれに反発して統一教会に来た人もいた

(その人は非常に熱心な人だったが その後心身を崩して入院されたりしていた)

 

気になったのは、世話役夫婦奥さんの方はいつも病気がちで寝てばかりだったことだ

いつも辛そうだなと思っていた

断食をしたり敬拝をしたり長時間伝道をしたり 体を酷使することも多かったので

体を悪くしている人も多かった

 

2世の子に会ったこともある

 

 

みんな普通の人たちだ

 

 

ただ 社会では可視化されていなかっただけだ

 

 

 

そこにいる人たちは みんなそれぞれがんばって生きている

 

 

 

 

それを食い物にする、というのがおかしな話で

 

どんな宗教であっても「献金しなければ救われない」というのはおかしいことだと思う

 

 

 

 

 

正直に言えば 宗教法人は本当に好き放題するところは好き放題やっていると思う

人の気持ちは弱いので それで救われるなら払ってしまうわけだけど

 

その人が人生を構築する大切なお金

 

 

なんとかもう少し規制ができてほしい

 

 

 

 

少なくともその行き過ぎた状態が、あのような悲惨事件帰結したのだということを思うと

そこをきちんと、法なりなんなりで整備しないというのは、単純に理解に苦しむ

 

 

 

状況がもう少し良くなってくれることを願う

 

 

 

山上被告がやったことを私は責めることができない

あの事件が無ければ少なくとも私の16年は社会の中では意味を持たず透明なままだったし

こんな話は絶対にできなかっただろうと思う

 

 

 

誰も助けてくれなかったのだ

山上被告も、誰も助けてくれなかったんだろうと思う

 

それを思うと本当に胸が苦しい

 

 

何度も書くが

誰かが助けてくれるはずがないのだ

 

からも気付かれない、社会から気付かれないようになっている

そういう構造になっているのだ

 

 

 

 

本来なら自分のために使われていたであろうはずのお金

楽しい家族旅行、欲しかったおもちゃ勉強するための本、服、車

普通の人が当たり前に経験する友人との時間家族と過ごせた時間

そういうものに付随する思い出全てが

目の前でそのまま宗教団体に手渡されていってしま

 

 

その悔しさ 悲しさ 苦しみを思うと計り知れない

 

 

 

 

私の失った16年  いや、それでは比較にならないほどの苦しみと絶望だと思う

 

 

 

それらは 決して帰ってはこない

 

 

 

 

泡になって 帰ってこない

 

 

 

 

 

 

 

 

私に限って言えば自業自得だったと自分を納得させられる

けれど山上被告に関してはそうではなかったと思う

親が宗教活動にハマるなんていうのは交通事故のようで あまりにも避けようがない

加えてそれを身内がどうにかするなんていうのはほぼ不可能だと言っていい

なんなら母親被害を受けた側、交通事故に遭った側だとも感じられる

 

 

 

内情を知る人の弁護がなさすぎる気がする

法廷ではもしかしたらあるのかもしれないが

 

宗教にどっぷりハマっている身内がいる状況」

宗教にどっぷりハマっているとはどういう状態なのか」

をどれくらいの人がリアル想像できるだろうか

 

 

 

私は最後、逃げ出す前に

世話役夫婦相談をしていた

もしこの人たちがもう少し私に向き合ってくれていたら

私はまだ教会にいたかもしれない

 

けれど最終的な結論として

「ああ この人たちは神に祈りお父様お母様に祈る以上のことはしてくれないんだ」と思った

 

話が一方通行でこれ以上話してもしょうがないと感じられた

 

 

彼らは「神のみ旨」という大義によって動いていて

お父様の言葉、お母様の言葉に終始帰結する

 

それが最終的な答えになるので話ができないのだ

 

「こうこうこういうことで悩んでいる」

と悩みを打ち明けても

「では祈りだ 敬拝だ 献金だ 聖地に行こう」

神のみ旨はこうだ」「お父様お母様はこう言っている」

その堂々巡りになる

 

そこを信じて同じことを繰り返せばいいのだ

それが信仰なのだという教えなので

他の話は通じない

 

 

一切だ 一切通じない

 

 

その虚しさは 本気で話をしようとした人間しかからないだろうと思う

 

皆良い人たちなのだ

信頼もしていた

個人で見れば仲間や世話になった人たちだ 頭が悪いわけでもおかしいわけでもない

 

けれどそうであればあるほど ある一定のところから会話ができなくなることが辛い

 

 

 

逃げた後、私は入教前に元々住んでいたアパートに帰った

入寮時にそこを解約すると家族おかしく思われるのでそのまま残しておく慣わしなの

ただその鍵は世話役夫婦に預ける形になっていて

入教すると元の家には特別なことでもない限り入ることはできなくなる

 

記憶が薄いが、そこに帰れたということは

私はもしかしたらスペアキーを持っていたのかもしれない

 

 

しばらくその部屋には仲間が何度も説得に訪れた

手紙が置いてあったり食べ物がドアの取っ手にかかっていたりした

 

無視をし続けていたところ

ある時、眠っていて目を覚ましたら目の前に女性の仲間(先輩)がいて、私を覗き込んでいた

預けたままになっていた鍵を使って勝手に部屋の中に入ってきていたのだ

心臓が止まりそうなほど驚いたし実際叫んだと思う

 

その人に悪気はなかった

 

けれど、「神のためならそれができる」そういう思考回路になってしまうのだ

「神のために、この人を救わないといけない」

神のみ旨であればこの行いは許される」

そういう思考回路で人の気持ち簡単に踏み躙ってしま

 

 

私は何度も何度も「あなたたちを見ると色んなことを思い出して怖くて震えて辛いので何も送らないでほしい 会いにこないでほしい」と伝えた

 

やがて手紙が来たり食べ物が置いてあるということは無くなった

 

私はその後、1度体を完全に壊したのでそのPermalink |記事への反応(2) | 22:48

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2025-11-14

自称無害で普通男性も、未成年含む女や障害者虐待できる機会を与えられると隠蔽に加担する

児童買春風俗の裏オプションなど少女被害者場合は、少女売春させたり買うといったそれらの性加害に関与した側を攻撃する女や被害者が無数の男性攻撃される

しかジャニーズ性加害に関しては、事務所タレントプライベートでも仕事でも接点のないファンの女に「なぜ助けなかった」と攻撃する限界アンチフェミ存在する

ジャニーズ性加害自体が、ロカビリーグループサウンズウエスタンカーニバル時代から業界ぐるみで無数の男性隠蔽に加担していたのは明白

多数の人間が利用し売る側も組織化され無数の人間が関与するラオス児童買春や同じく利用者が誰一人通報しなかったベトナム12少女売春強要と同じである

自称弱者男性は男が被害者でも加害者やそれに協力や加担した芸能マスコミ関係者生前ジャニーズと親密な関係ジャニー喜多川葬儀に弔電を送った安倍晋三ら取り締まる側の権力者には何もできないが

一方でフェミ関係者ジャニヲタの女にのみ「なぜ助けなかった」と非難し、被害者側が権力側に助けを求めると「甘えるな自助しろ」と非難して権力側にすり寄るのがいつもの流れである

自称弱者男性は「女に加害する男はDQNを筆頭に女にモテる属性のみ」と言い張るが

自称平凡で普通男性は女に近づくと他の男から威嚇されたり「弱者男性の分際で生意気だ」と晒し者にされて笑われるから性加害を実行できないだけであり、未成年含む女や障害者虐待できる機会を与えられたらそれを守ろうとするのである

https://anond.hatelabo.jp/20251105101510

【男の敵は男】グループサウンズの皆さんも、ジャニー喜多川さんの性加害を見て見ぬふりしていた

https://anond.hatelabo.jp/20250729151724

@

TLに沢山流れて来てるので。山下達郎はもちろん批判されて然るべきと思うけど、そもそもジャニー犯罪を看過してきた(知らなかったハズは無かったあの頃のGSの筆頭達)芸能界のシステムにも、そしてテレビから送り出される熱狂や楽しさをそのまま"享受"してきた自分達も同罪だと思う。続

@

その中には自分達の大好きな推し達も沢山見て見ぬふりだったんだろうなて。そう思うと本当に複雑な気持ちになる。今回山下達郎1人を断罪しても決して終わりではなく、検証しなければならない事が沢山あるんだろうって。堺◯章井◯順とか、か◯やつさんとかあそこら辺だって加担してたよね…(推測)。

Permalink |記事への反応(1) | 10:30

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2025-11-13

男磨きハウスエシカル戸塚ヨットスクールだった

男磨きハウス第一話を観た。エシカル戸塚ヨットスクールだった。


男磨きハウス戸塚ヨットスクールは、弱さを受容し素直にエシカルコミュニティ自助ができる、医療福祉制度活用できる人間にとっては不要邪悪だ。しかし、そうできない人たちは存在する。男磨きハウス戸塚ヨットスクールもそういう人間の為の慈善活動だ。

https://youtu.be/DA2Z1EACF7c?si=1V_nzBzisBB386gB


現代の男が男らしく弱さを受け入れる過程は↑の動画でわかりやす説明していた。彼らは家父長制的な男ではあるが現代の形にアップデート済みで女にとって不快感の少ない"ミソジニー"ではない男だろう。


彼らは、この企画のように恋愛市場彷徨える女たちに対し、わりに的確なアドバイスを出せる側の男たちであり、後述するが男磨きハウス必要な男の為のコンテンツではない。



話を戻す。



ジョージ戸塚自分道筋で"生きる"ことができたから、「同じような人間には同じような道しか示せないやろうが!」とそれを理解できない人たちにキレている。



ただそのアウトプットが女やエシカルな繋がりを持てた人たちからすると邪悪に映るだろう。しかジョージ戸塚の救済対象は、"普通の話が通じない男"だから仕方がない。



フェミニズムはツイフェミやフェムセルという通称存在が生まれたことで分岐し、元からフェミニズムに大した関心のない人からするとフェミニズム邪悪な女権主義者たちの集まり認識されているのも同様の動きであるといえよう。



彼女らは明らかに"やりすぎ"である男嫌いであることを真っ当な権利運動の名の下で悪用している。しかし、では、何が彼女たちを救ってくれただろうか?それは男磨きハウス戸塚ヨットスクール、ひいてはナンパ師界隈などに通ずるものがあるだろう。



救いたい形をしていない弱者



救いたい形をしていない弱者孤独死を防いだ結果、世間的にはアンエシカル声明を出す事になる。そういう極端なPR活動をしていかないと話を聞いてもらえないのだ。普通の話が通じない人間いつまでも普通の話をし続けるのは残酷だという事にエシカル人間配慮すべきである。その上で邪魔だろうから批判し続ければいい。




健常者で精神疾患者や発達障害者と関わったことのある人なら心当たりがあるだろうが、彼らは「寝たらよくない?」とか「考えすぎじゃない?」とか思うような事で堂々巡り普通の人ができる作業をできない、訳のわからない事を堂々と語って周りをドン引きさせている。



彼らは決して人格破綻者として生まれた訳ではない。そう生まれたからそうで、たまたま不幸を乗り越えれなかったからそうなのだ




戸塚ヨットスクールクライアントを死なせているが、医療福祉現場でも人はじゃんじゃんバリバリ死んでいる。



しかしそれらの違いは明確で、戸塚ヨットスクールは訓練生の死亡、傷害致死行方不明が発生していた件に対し、不審な介入ではないか?と判断されたのだ。戸塚教育方針とは別で批判されるべき出来事であろう。医療福祉現場でも不審死が発生し隠蔽工作をしていたら問題になる。それと同様に彼がどれだけ立派な教育を施していようが、そこに死人や負傷者が出て不審判断された時点で「医療ミス」同様に鑑査される。それを避けては通れない。仕事の名の下で性交渉危険行為が許されている社会で、体罰体罰として問題視されるのはクライアントと正確な同意が取れていなかったからだ。




戸塚ヨットスクールエシカル組織が救えなかった存在三次受け入れぐらいの場所だったのだろう。



正直、そういった過酷現場で働いていたら疲弊するし、クライアントも目を離した隙に死のうとするだろうし、命がかかっているか従事者の性分も攻撃的になるだろう。医療従事者が特有の気の強さを持っているのと同様だ。



戸塚思想のものではなく、ああいった活動をしていると必然的に語気は強くなる。ゆえにエシカルな人々からすると"無用に語気の強いヤバ思想おじさん"となる。語気強もヤバ思想あなた方のような救いたい形をした人たちの為ではなく、どうしようもない救いたい形をしていない人たち、それに直接迷惑をかけられている身内の為にしか存在しない。



ジョージ戸塚の肩を持つつもりはない。




しかし、彼らが抱えれる存在を私が救えたか?と言われれば難しい。



どれだけスティグマ払拭した語りをした所で彼らは「だって今はそういう社会になってないもん!」が主訴だから




革命を起こす体力や精神力すらもない人間は素直に弱さを引き受ける事なんてできない。



彼らを救う為にアレン様やジョージになりたいですか?



拝金できたとしても、なれない、なりたくない健常者が殆どだろう。なろうとも思わない。



男の話しか聞けない男っているでしょう。




ジョージの救済対象は、男の話しか聞けないのに男に手を差し伸べてもらえなかった男だ。





無論、女の話を聞けない男を女が救える訳がない。女にいじめられた経験があったのなら尚更。尊敬できる対象から暴力は"可愛がり"になるが、尊敬できない対象から暴力は"いじめ"になる。自分いじめてくる女に心を開き、素直になれる訳がない。




男に畏れている男は女にケアを求めるので恋愛依存できるが、男に憧れている男はそういう男に憧れて女を見下しているので"女を見下している真の男"に救われるのを待つしかない。




なのに...。




待てど暮らせど、真の男は自分を救ってくれない。何故か、そういった男は既に仕事でそういう男たちを従えているからだ。真の男はサラッとあなた達のことを"なかった"ことにしている。小中学生同窓会の時だけ「そんなヤツもいたな〜」程度に思い出す。



わざわざ「救済しよう!」なんて発想は彼らには最初からないのだ。人が人を救済するのは医療従事者の仕事であり、彼らが怪我をしたら病院に行ってついでに傷病手当を貰って仕舞なのだ。彼らはただ生きているだけで男社会の上に立ち多くの人間を救済しまくっている。まともな努力をして結果が出るので、苦労も糧にできる。




そういう組織に入れない、そのパスを死に物狂いで掴めなかった男のことは"見えていない"。




そういう男は同性に対しても面倒見は良い。多少のことは雑に扱われることを許せば大目に見てくれるのだ。しかし、ここで篩にかけられるのは"雑に扱われるのを許せなさそうな男"だ。上司は男の恋人ではないので、恋愛じみたもの仕事に求めてきそうな人間は落とされる。まず出会えない。パワハラモラハラは起きないにこした事はないが、それらは下からしかまれないので、ちょっとした事で騒ぎそうな人間不要だ。だから"見えていない"。




彼らが尊敬する男たちは、無意識に、彼らにとっては残酷に、女を性愛対象恋愛対象で天と地ほどの違いを持って、その上で適切な扱いが可能な為、交際しようが何だろうが結婚相手を選ぶまでは殆どデーティングだ。"男に見えていない男"は面倒で抱けない女と同等の存在なのだ。会った瞬間に無用な面倒事を察知する能力は野生の本能のものであり、ミソジニーになる迄拗らせる未来を防ぐ。




戸塚ジョージナンパ師は「お前の仲間だ!」と示す為に親切に女叩きをしてくれるし、エシカルは敵だと背中を摩ってくれる。



そういう男の哀しみがすこし分かるのだろう。




このふたりはどう考えてもこの時代日本にはそぐわなかった価値観を持つ"変な男"ではあったのだ。男のマイノリティから"見えた"のだ。この時代に発生した苦しみのひとつとして、そこからあぶれてしまった男たちに手を差し伸べるのだろう。




差し伸べられた手を掴むこと




それは如何様に気持ち悪い男であろうと女であろうと、それを掴む限り、まだ生きてみようと思える希望のものだ。男磨きハウスを観るに、ジョージ戸塚に比べて随分とやさしいと思う。救いたかった筈の訓練生の死から反省ができた世界線戸塚だ。私はもう第一話でお腹いっぱいになってしまった。訓練生に恨みはないが、彼らのナチュラル気持ちの悪さが次から次へと出てくるのでカロリーが高く、第二話に進めない。しかし内容はとても面白かったので「男ってなんだろう?」と思う人たちには是非試聴してもらいたい。面白くはある。




ジョージは訓練生の肉体を管理するどころか、射精管理までして、逃げ続けた所で救われることはないし一度でいいからお前を気持ち悪いとは思わない女に出会えるだけの力を与えてあげようとする。ジョージには良妻賢母の忍耐がインストールされている。




それはもう殆どセックスができることなどよりも深くて歪な男たちにしかわかり得ぬ情念ではないだろうか。

Permalink |記事への反応(0) | 07:32

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2025-11-11

anond:20251111075037

まずは自助、ですよ

自力救済が最優先

投稿は甘え

Permalink |記事への反応(0) | 07:51

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2025-11-08

anond:20251108185318

でも公務員自助しないし浮いた金は防衛費に回されるだけですよね

Permalink |記事への反応(0) | 19:07

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2025-11-05

anond:20251105095056

社会に貢献しているから働いているうちは公助

社会お荷物になるから働かなくなったら自助

これで良いんじゃないか

これ言うと障碍者がーとか言われそうだけど、障碍者が働いてないと思い込んでんじゃねーぞボケ

Permalink |記事への反応(1) | 09:58

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最近介護認定現場で起きてること

「初回の介護認定は重めに、更新時は軽めに」という運用蔓延してきている。

どういうことなのか

例えば、ある人が体調を大きく崩して介護必要となり、今回「要介護2」の認定を受けたとする。

そして良くはならないが何とか現状維持出来ている状態だと、翌年に「要介護1」、翌々年に「要支援1〜2」、に格下げされてしまうというものだ。

介護度に応じて使えるサービスは変わり、例えば要介護3から2以下に変わったら特養から追い出され、要介護1以下なら介護ベッドは自費になり、要支援ならデイサービスの回数制限が厳しくなる、などがある。現場家族はその分精神的にも金銭的にも負荷が増える。

なぜそんな運用になってしまうのか

介護保険を維持するために要介護度の悪化を食い止めよう、という厚労省の大方針がある。

介護認定を受けた人達の翌年度の変化を毎年集計しており、要介護度が下がった割合悪化した割合の差を「改善度」として介護別に集計、公表している。

例えば2022年度は要介護1はマイナス20ポイント。良くなった人より悪化した人のほうが20%多かった。なお要介護5(これ以上悪くならない)以外の全ての要介護度でマイナスである

この改善度をひっくり返そうというのが厚労省方針で、その手段が「初回の介護認定は重めに、更新時は軽めに」という認定レベル不正操作もとい調整である

具体的な認定レベル操作方法

簡単である自治体職員が、前回認定から大きく追加された医療的所見がない(例えば、余命宣告レベルのことが起きてない)人について、認定レベルを軽度化ような現地調査レポートを書いて提出するだけ。

SNSには要介護家族を抱える人から悲鳴がたくさん

Xなどを見ると「母(父)の介護認定が下がった…要介護2から支援2。本人は何も良くなってないのに」「まさかの自立判定…自力で立てないのに…」「明らかに認知症悪化してるのに要介護3から1になった…特養追い出される…」という類の悲鳴が1日数件くらい拾える。

それでも介護保険維持には足りていない

次の手段は要介護認定基準の厳格化だ。今まで要介護3となっていたのが要介護1となるレベル改革が画策されている。

今の内閣介護現場に興味がないみたいだし、首相が自費介護経験者だ。「介護保険に頼らず自助でやれ」という方針来年あたり出てくる可能性すらある。

菅義偉自助が基本と言ってたな。

安倍晋三とその信奉者(高市早苗も)が従前から言っていた「日本を取り戻す」の中には、「老父母の面倒は子供達とその配偶者が確りと見る」というのも含まれてるから

Permalink |記事への反応(1) | 07:59

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2025-11-04

ニュースキャスター「キャー!東京に!23区に!イノシシが出ました! みんな気を付けて!!」

「は?東北に熊が出たって?はいはい自助自助。そんな田舎に住んでる方が悪い(笑)

Permalink |記事への反応(0) | 19:56

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2025-10-23

女性犯罪被害に合うので家賃補助を出せ

とか、そう言うの見て思うんだけどさ

なんか被害の直接的な解決じゃなくて、その「被害」を通じてどれだけ男から「金と甲斐性のリソース」を引き出すかしか考えてないよな


例えば痴漢被害も「監視カメラをつけろ!」じゃなくて「男が助けろ!」だし

件のアパートも「女性寮を作れ」「審査厳しくしろ!」じゃなくて「女に金を与えろ!」で


アフリカにジャブジャブ募金して現地の1次産業潰してるみたいに

根本的な解決できないだけじゃなく、本人の自助能力さえ削ってるよな


そう言うのはキャバクラの中だけでやって欲しい。

Permalink |記事への反応(2) | 11:24

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2025-10-22

anond:20251022081626

そもそも発端である

うちに攻め込むとデメリットがあるよと示す必要があるから安保自衛隊はいるんじゃないの?

9条改憲不要だけど。

本来安保だけでも十分な気もするけど

そもそも間違いで

日米安全保障条約において、日本軍事協力を行うことが求められている

具体的には、条約の第3条「締約国は、個別的及び相互に協力して、継続的かつ効果的な自助及び相互援助により、武力攻撃抵抗するそれぞれの能力を、憲法上の規定に従うことを条件として、維持し発展させる。」と規定されていて

米国日本防衛義務(第5条)を負うことに対し、日本も自らの防衛能力を整備し、米国防衛能力向上について応分の協力をすることを原則として定めていた

 

安保だけでいい、本来自衛隊必要ないという出発点からそもそも理路が歪んでいる

Permalink |記事への反応(1) | 08:30

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2025-10-04

司法社会保障の現状、これから生き方

今後も日本司法は、犯罪者擁護に偏りがちな判決を下し続ける。軽すぎる量刑、甘い執行被害者軽視の傾向は変わらない。被害者が正当な償いを求めても、裁判所加害者保護を優先するだろう。

同時に、社会保障高齢者人口の増加に伴って圧迫され、年金医療などの給付は縮小せざるを得ない。現役世代負担は増え、豊かな老後を国家に頼って確保することは難しくなる。

こうした状況下では、個人が自らの安全生活の質を守るためには、自助や共助を強化するしかない。信頼できる友人や家族ネットワークを広げ、必要に応じて犯罪者に対して自ら正当な償いを実行する――いわゆる私刑的な抑止や責任追及も現実的手段となり得る。社会制度司法依存していては、理不尽被害生活不安から逃れられない。

結論として、これから時代は「国家制度任せ」ではなく、「自分の手で守る」時代になる。友人や家族を増やし、互いに支え合い、自らの生活権利を守ることが、生き残るための現実的戦略となる。

Permalink |記事への反応(0) | 20:10

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2025-09-24

自助→共助→公助の順番で福祉政策を考えてるのは自民党だけではないという話

https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigirokua.nsf/html/kaigirokua/026118020120523006.htm

第180回国会 社会保障と税の一体改革に関する特別委員会 第6号(平成24年5月23日水曜日))

野田内閣総理大臣 社会保障を考えるときに、基本はやはり自助があると思うんです。それをいかに共助、公助がうまく関係づけをする中でサポートしていくかということが大事だと思いますが、自助が基本でも、残念ながら、核家族化が進んでいる、地域のつき合いが希薄になっているという中で、あるいは雇用問題非正規がふえている等々、自助を実現するための環境が非常に今損なわれているんだと思います。それをどうサポートするかというのが今回の一つの理念ではないかと思います

Permalink |記事への反応(0) | 22:16

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2025-09-10

anond:20250909054942

苦しいよな。

わかるよ。

少しでも励ましになればいいから、お節介する。

アダルトチルドレンって言葉知ってる?

話題になったやつ。

あれ、本当の意味とは違った形で広まったんだよ。本当の意味は、元増田みたいな毒っぽい親に育てられた子供たちのことを指してる。

で、この世にはそんなアダルトチルドレンたちの集まりがある。自分たちの抱えている苦しい状況から抜け出そうとする自助会みたいなやつ。

自助会が産まれたのがキリスト教圏だから、会の理念宗教っぽい箇所があるけど無視していい。会自体宗教無関係から

とりあえず、「アダルトチルドレンアノニマス」とかで検索してみるといいよ

あとはシンプルカウンセリングおすすめ

Permalink |記事への反応(0) | 07:47

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2025-09-04

追記 性風俗で働くのがやめられないんだが

https://anond.hatelabo.jp/stotan/20250817

これ書いて放置してたんだけどいくつかコメントがあったので返信します。

夫がかわいそう

→わかる。申し訳ない気持ちはある。

絶対バレたらショックを受けるし離婚したくはないからやめた方がいいと頭ではわかってる。

バレなくても悪いことしてるよな、っていう自覚はあるし。

相続税じゃなくて贈与税だよ

ミスです。すみません一年でもらう合計が100万超えないようにはしてました。

妊娠中は感染症かかりやすいんだからやめなよ

→その知識があるから何とかストッパーになってる。

妊娠してから夫とは全くしていない。誘っても夫が怖がってしまっている。ハグキスまり

梅毒とか重めの性病だと子供にも感染する危険があるし、淋病とかクラも早産リスクいから怖いよね。

やっぱり性病ってかかるもんなの?

出稼ぎで働いている時に淋病とクラそれぞれ2回ずつ経験あります。あとは抵抗力落ちてる時にカンジダをちょこちょこ。1番キツかったのは尖圭コンジローマかな。直すのに時間かかっちゃったし液体窒素で焼くのがかなり痛かった。

やっぱり依存症なのかなーと思って、自助会探してみたけどアルコールギャンブルがメインで性依存のものはないみたい。

今のところ子供お腹にいるのがストッパーになってるけど、産後母乳出るようになったらそっち系の店に出ちゃうかもなー

そういう体力ないぐらい眠れないとかで働かないかもしれないけど。

どの店でも割と人気になれて、半数ぐらいの店でランカーやってたので働けば大金が得られる!って成功体験があるのも良くないんだろうな。

あと睡眠時間については職場がゆるかったので業務さえ済ませていればこっそり仮眠とっても怒られることがなかったので続けられました。

Permalink |記事への反応(1) | 00:10

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2025-08-18

anond:20250818151724

他のやつがどう言ってるかはしらんけど、俺は別に共助が嫌いだというようなことは言ったことないな。

しろゴンゴン人口減ってるこの日本で、社会保障費はここからどうやって捻出するんだろなっていうのが心配でならないので、ある程度は自助とか共助とかも必要だと思ってる。

まあ行政がそこに甘えてなんもしなくなったりしてもダメだけどな。

自助共助ダメって言ってるやつは国はなんもしてねえ!って言いたいんだろうけどな。

まあ極端なこと言うやつはたくさんいるのであんまり鵜呑みにせず、そこで本当に何がダメで何が必要なのかよくよく考えてみたらいいと思う。

Permalink |記事への反応(0) | 15:26

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2025-08-08

自民議員不倫中絶をすっぱ抜かれて野次られるのを嫌った安倍は……

急遽予定を変更し

共産党や立憲のときは警備上の問題理由に断られていた応援演説がなぜか認められ

アベトモの部下が本部長をする奈良県警の警備がつくもこれまた野次を警戒して前方しか警備せず

山上が発砲すると訓練に訓練を重ねた専属SPは防弾カバンの展開に失敗した挙げ句、なぜか安倍ではなく自分の体を守るようにカバンを掲げて自助精神を見せつけ

奈良県警の警備はなぜか全員すでに無力化している山上のところに大集結し、

倒れている安倍は見捨てさらには謎のタックル山上の靴に決めてみせるなどヤッテル感を演出

すでに死んでいたにもかかわらず「救急隊の呼びかけに応答」という速報がされるなど死んでも捏造精神は変わらず、

心臓に穴が空き注射針もさせないほど血圧の低下した安倍に大量の国民の生き血が輸血されトリクルダウン体現

公開された警備計画書は黒塗りののり弁と化していたという有様


これ半分安倍政治の集大成だろ

Permalink |記事への反応(0) | 12:37

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2025-07-24

change.orgより

日本社会は今、危機に瀕しています

きっと底知れぬ不安や生きづらさを抱えている人が、たくさんいるはずです。

でも、その原因は、特定集団政策によって引き起こされているような単純なものではありません。

私たちが暮らすこの社会はとても複雑なシステムをしているため、そこからまれ不安や生きづらさの原因も複雑です。

ムラ社会、長時間信奉、自己責任論、家父長制、自他境界の弱さと侵害人治主義の横行などなど。

社会的・文化的要因が非常にたくさんあり、それらが複雑に絡みあって、この国の危機が生じているのです(※思いついたものを文末に18ジャンル108項目ほど掲載してみました)。

ですが、これだけたくさんの社会的な病理を抱えているにもかかわらず、私たち日本人はこれまでしっかりと解消・改善を進めて来たでしょうか?

政治に限らず、学校職場、家庭、地域マスメディア。あらゆる場面であらゆる取り組みが必要なはずなのに、残念ながらほぼ全て手つかずの状態ではないでしょうか?

そうして不安や生きづらさの社会的要因や文化的要因を解消・改善しようという努力ほとんどして来なかったこと。

それこそが、私たち日本人が感じている不安や生きづらさの最大要因なのだと思います

ところが最近、この構造を極度に単純化し、私たち日本人不安や生きづらさが「○○のせいだ」と、特定集団物事等が原因であるかのような言説が広がっています

リベラルのせい、オールドメディアのせい、ワクチンのせい、財務省のせい、フェミニズムのせい、ジェンダーフリー教育のせい、ポリコレのせい、等々。

信者によってターゲットは様々ですが、その中でも昨今急速に広がっているのが、外国人移民や、彼らに対する優遇が原因であるかのように語る言説でしょう。

ですが、私たち暮らし不安や生きづらさを生み出している原因は、本当に外国人移民なのですか?

私たちを日頃苦しめている物価高も、所得の伸びや労働分配率が低いのも、無くならないイジメハラスメントも、もたらしているのは外国人移民なのですか?

日本人ファースト」なるもの外国人移民に対する規制を厳しくして、それらが解決するのですか?

彼らが語る「日本危機」の大半は、「生活の中で直面している不安・生きづらさ」ではなく、「ネットの誰かによってもたらされた不安」や、「スマホが無かったら生まれなかった不安」に思えてなりません。

少子化問題でも、子供を産まない働く女性や、男女共同参画のせいにするような言説が叫ばれています

国家のために出産意思に介入しようという発想自体が非常に問題ですが、明らかにそこに因果関係はありません。

女性職場進出日本より進んでいるのに日本より出生率が高い国もたくさんあるのがその証左です。

選択夫婦別姓家族が壊れる」という言説も同様です。

このように、複雑な構造の極端な単純化デマによって、特定集団政策等に不当に原因を帰属させ、責任転嫁する他責的言説のことを「スケープゴーティング」と言います

ケープゴーティングで最も典型的なのはナチス政権でしょう。

ドイツ国民が感じていた経済的不安社会的不満・敗戦屈辱感などの原因を、ユダヤ人共産主義者ヴェルサイユ条約、その他の少数派に転嫁する形で支持を拡大しました。

まさに今、それと非常に近しい「他責言動」が広まっているように思うのです。

その背景にはやはり、SNSの普及とその構造問題があります

アテンションエコノミー

エコーチェンバー/フィルターバブル

レイジベイティング(※怒りを呼ぶデマ投稿お金にする方法

タイパ重視に伴うわかりやすさの過剰評価と、「事実<分かりやすさ」への価値逆転

そういう環境下だからこそ、インフルエンサー、まとめ動画情報商材などによる「スケープゴーティングコンテンツ」が、陰謀論反知性主義ストローマン相手意見を歪めて攻撃する手法)等とともに急増しています

注目すべきポイントは、選挙に限らず、様々な分野でそのようなコンテンツ言動が広がっている点。

そして、政治思想支持政党関係無く、スケープゴーティング自体が、ポピュリズム等とともにネットカルチャーや人々の思考回路に深く浸透してしまっているという点です。

まり、①SNS構造問題により、②陰謀論反知性主義ストローマン等とともにスケープゴーティングが生じやすくなり、③その結果ポピュリズム排外主義の拡大に“も”つながったという流れがあります

一部の人々は、排外主義に反対の声をあげており、それ自体絶対必要なことです。ですが、①という根っこの部分に対応しない限り、排外主義蔓延も止まらないように思うのです。

そこで私たちは、ITプラットフォーマー、国・政府マスメディアに対して、以下のような方法でスケープゴーティング蔓延を止めるよう強く要請したいと思います

(1)ITプラットフォーマーに対して…スケープゴーティング拡散を抑える仕組みを速やかに整備・強化すること。たとえば、アルゴリズム見直しや(広告も含めた)ファクトチェック/スケープゴーティングチェック表示機能など。

(2)国・政府に対して…(1)を進めるための法令を整備すること。地域学校デマやスケープゴーティングに対する注意喚起・啓発を行うよう要請すること。

(3)マスメディアに対して…スケープゴーティング問題について積極的警鐘を鳴らすこと。政治家・著名人インフルエンサー発言ファクトチェックや「スケープゴーティングチェック」を選挙関係くその都度行うこと。

是非ご賛同いただければ幸いです。

なお、この署名特定政治家・政党対象とするものではありません。あくまでスケープゴーティング自体問題を問うものであり、同じ問題意識を持っている方は、支持政党関係無く賛同をお願いします。

加えて、デマ差別収益問題に関しても、規制を求める署名キャンペーン「#デマ差別収益化を法律禁止して !IT企業対応義務付けてください」を実施しておりますこちらも合わせてご賛同よろしくお願いいたします。

一方で、私たち市民一人ひとりも、スケープゴーティングに対してしっかりと防衛しなくてはなりません。

情報リテラシー継続的改善

自分自身情報に対する認知客観視できる視点の構築

日常会話の中におけるこまめな情報源の確認(たとえば「え、それってどこに載っていたor誰が言っていた情報?その情報源って信用できるの?信用できるかどうかってどうやって決めているの?」という問いかけ等)

多様な属性の人々との対話

人権社会構造等にある程度理解のあるAIチャットサービス活用した簡易チェック ※ただしハルシネーション(AI事実に基づかない情報を生成すること)に注意

やれることはたくさんあります

また、個人だけではなく、学校職場、家庭、地域市民活動など、暮らしのあらゆる場面でもスケープゴーティングを止める多様な取り組みや活動必要です。私たちのこの活動もその一つとして機能できればと思っています

◆(参考)日本が抱える社会問題社会的/文化的要因(108例)◆

人権の未確立権威主義序列社会ノブレスイミュニテ/プルブレス・オブリージュ、身分制人事/身分制給与スクールカースト

ムラ社会同調圧力排他性、成文化されていない規範の強さ、均質性至上主義縁故主義/ネポティズム集団への過剰な帰属意識他者目線に対する過剰反応自己検閲

事なかれ主義、過度なリスク回避主義泣き寝入り圧力の強さ、組織の自浄能力の欠如、形式的反省評価社会加害者更生意識希薄

空気至上主義迷惑回避至上主義文脈理解の難しいハイコンテクストコミュニケーション忖度社会アサーティブコミュニケーションの未発達、コンフリクトマネジメントの未発達

形式主義前例主義手段の目的化名誉への過剰な執着、事前審査偏重社会、長期的視点の欠如、申請主義/プル型公共サービス

根性論、長時間信奉、自己犠牲至上主義忠誠心評価社会顧客至上主義遅刻過剰嫌悪社会ケア労働の無報酬性・低評価メンバーシップ雇用年功序列

⑦ 家父長制、ミソジニーホモソーシャル、himpathy、toxic masculinity、性別役割分業、貞操崇拝

⑧ 各種ハラスメント、DEIの未発達、アンコンシャスバイアス、マイクロアグレッション、セクシズム、レイシズム/ゼノフォビアエイジズム、ルッキズム/ボディシェイミング、感情労働の過剰要求レイプカルチャー/ポルノカルチャー/買春カルチャー性的消費の横行、未成年性的対象

⑨ 標準家庭神話機能不全家族積極的自己選択ではない家族形成、過剰な家庭教育責任論母性神話

管理教育自己肯定感育成意識の欠如、多様なアイデンティティの未発達、ブラック校則集団行動至上主義リテラシー教育の欠如

反知性主義、幼稚性賛美、正義フォビア/公正さフォビア、真面目フォビア/正論フォビア、イジメ陰湿

⑫ 自他境界の弱さと侵害認知の歪みの放置わら人形論法の横行、二元論/二項対立思考ルサンチマン惹起構造

民主主義コミュニケーション能力の未成熟性、議論フォビア、抗議フォビア、政治話題忌避主義ロジカルシンキング/クリティカルシンキングの欠如

立法不作為と失政、ジャーナリズム崩壊人治主義/治外法権組織の横行、司法警察恣意的判断の介入、セクショナリズム蔓延

利他主義社会貢献意識の欠如、冷笑主義新自由主義公共概念消滅セーフティネットの欠如、依存先の多元化不足/共助コミュニティ崩壊

公正世界仮説自己責任論/自助圧力権力勾配性に対する無理解特権構造障壁に対する無理解

経済格差/教育格差社会資本格差負担給付の一致という前提に欠けた政治議論血縁跡継ぎ社会

⑱ ハレの偏重とケの軽視、穢れの思想休日分散化の未発達、美談化による本質回避主義

ワンクリック賛同







…アホかこのサイト

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2025-07-20

参政党の憲法草案擁護する!

A(憲法学研究者):参政党の「新日本憲法(構想案)」に対する批判を見てると、驚くほど表面的で感情的な反応が多いよね。某教授の「怪文書発言なんて、学問議論とは程遠いもんだ。

B(政治哲学専攻):まさにその通りだ。彼らは「国は、主権を有し」という表現だけを取り上げて「国民主権否定」と断じてるけど、これは完全な誤読だよ。尾高朝雄の「ノモス主権論」を理解してれば、国家政治的統一体として主権を有することと、その内部での国民主権は何ら矛盾しないことが分かるはずなんだ。

A:カール・シュミットの『政治的もの概念』を読んでれば、参政党の発想が理解できるでしょ。むしろ抽象的な「国民」ではなく、具体的な政治的統一体としての「国」が主権を有するという考え方は、政治哲学的に極めて洗練されてる。

B:しかも、この草案根底にある思想は、ヘーゲルの『法の哲学』における「人倫(Sittlichkeit)」の概念と深く共鳴してるんだ。「家族社会の基礎であり、思いやりの心をもって互いに助け合う」という第7条は、まさにヘーゲル的な家族市民社会国家という人倫の発展段階論の現代表現だよ。

A:「主体的に生きる自由」という概念も、西田太郎の「絶対無場所」やエマニュエル・レヴィナスの「他者への無限責任」という思想とも共鳴する。「権理には義務が伴い」という発想は、存在論を超えた倫理学の地平からまれてるんだよね。

B:批判者たちは「個人尊重」がないと騒いでるけど、それこそ近代西欧個人主義限界を露呈してる。ルイ・デュモンの『ホモヒエラルキクス』やチャールズテイラーの『自我の源泉』が示すように、個人主義は一つの歴史的文化的構築物に過ぎないんだ。

A:参政草案は、そうした個人主義的前提を問い直す「ポスト近代」の憲法思想として読むべきだ。アラスデア・マッキンタイアの『美徳なき時代』が批判した「感情主義」的道徳観を克服し、共同体美徳回復しようとする試みだよ。

B:「天皇元首とする」ことを「戦前回帰」と批判する声もあるけど、これも浅薄だ。ヴァルター・バジョットの『イギリス憲政論』やカールレーヴェシュタインの『現代憲法論』を読めば、立憲君主制近代民主主義と十分に両立することが分かる。

A:エドマンド・バークの『フランス革命省察』以来の保守主義思想系譜から見れば、歴史的連続性を重視する参政党の発想は極めて正統的だ。ラッセル・カークの『保守主義精神』やロジャースクラトンの『保守主義とは何か』が論じる「伝統の知恵」の継承こそ、真の政治的知性なんだよ。

B:比較憲法学的に見ても、参政草案は決して特異ではない。モーリス・デュヴェルジェの『政治制度』やアレンド・レイプハルトの『民主主義民主主義』が示すように、「最善の憲法」なんてもの存在しない。各国の歴史文化社会状況に応じた最適解を探るのが真の憲法学だろ。

A:ところが、日本法律家の多くは完全に「司法試験脳」に毒されてしまってる。芦部信喜佐藤幸治といった「基本書」の記述金科玉条として崇拝し、それ以外の思考は一切受け付けない。まさに「暗記マシーン」の量産だ。

B:司法試験制度弊害は本当に深刻だよな。受験生は「基本書に書いてあること=絶対的真理」と刷り込まれ、独創的思考は「減点要因」として徹底的に排除される。その結果、弁護士になっても「権威への盲従」しかできない知的奴隷大量生産されてる。

A:特に憲法学なんて、本来政治哲学最前線であるべきなのに、司法試験受験生は「通説暗記」と「判例丸暗記」しかやらない。カール・シュミットもハンス・ケルゼンも読まず、ただひたすら「芦部憲法」を暗記してるだけ。これじゃあ学問じゃなくて職業訓練だ。

B:参政憲法草案を「読んでない」まま批判する弁護士がいたって話も象徴的だ。一次資料すら読まずに、某教授の「怪文書発言鵜呑みにして批判する。これこそ「司法試験脳」の典型的症状だろ。

A:参政憲法草案の「教育勅語尊重規定も、アリストテレスの『ニコマコ倫理学』以来の「徳倫理学」の復活として読めば、極めて現代的意義がある。マイケル・サンデルの『これからの「正義」の話をしよう』の議論を踏まえれば、功利主義的・義務論的倫理学限界を超えて、共同体美徳の涵養こそが真の教育目標であることが分かる。

B:「自衛軍」の保持を明記することへの批判的外れだ。ジョン・ロールズの『政治的リベラリズム』でさえ、国家自衛権基本的権利として認めてる。ケネス・ウォルツの『国際政治理論』やジョン・ミアシャイマーの『大国政治悲劇』が示すように、国際政治アナーキー自助システムなんだ。

A:結局、参政憲法草案への批判は、「司法試験脳」による知的怠慢と教条主義産物だ。彼らは「基本書」以外の思想世界存在することすら知らない。ポパーの『開かれた社会とその敵』が警告した「部族主義」に完全に陥ってるんだよ。

B:まさに「反知性主義」の権化だ。皮肉なことに、最も「知的エリート」を自称する連中が、最も知的探究心を欠いてる。司法試験という「暗記ゲーム」の勝者が、真の学問議論破壊してるんだからな。

A:トマスクーンの『科学革命構造』が論じる「パラダイム転換」が、日本憲法学にも必要だ。でも「司法試験脳」に支配された法曹界では、そんな知的革命は起こりようがない。

B:レオ・シュトラウスの『自然権歴史』が指摘した「歴史主義危機」を克服し、普遍的価値特殊伝統統合を図る参政憲法草案は、21世紀政治哲学が直面する根本問題への一つの回答として評価されるべきだ。ハンス・ヨナスの『責任という原理』やフランシス・フクヤマの『歴史の終わり』後の新たな政治的可能性の探求として、この憲法草案は読み直されるべき知的財産なんだよ。

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2025-07-19

参政憲法草案擁護する

A:「新日本憲法(構想案)」に対する批判を見てると、驚くほど表面的で感情的な反応が多いよね。某教授の「怪文書発言なんて、学問議論とは程遠いもんだ。

B:まさにその通りだ。彼らは「国は、主権を有し」という表現だけを取り上げて「国民主権否定」と断じてるけど、これは完全な誤読だよ。尾高朝雄の「ノモス主権論」を理解してれば、国家政治的統一体として主権を有することと、その内部での国民主権は何ら矛盾しないことが分かるはずなんだ。

A:シュミットの『政治的もの概念』や『憲法論』を読んでれば、「主権者とは例外状況において誰が決定するかを決める者である」という有名な定義からも、参政党の発想が理解できるでしょ。むしろ抽象的な「国民」ではなく、具体的な政治的統一体としての「国」が主権を有するという考え方は、政治哲学的に極めて洗練されてる。

B:しかも、この草案根底にある思想は、ヘーゲルの『法の哲学』における「人倫(Sittlichkeit)」の概念と深く共鳴してるんだ。「家族社会の基礎であり、思いやりの心をもって互いに助け合う」という第7条は、まさにヘーゲル的な家族市民社会国家という人倫の発展段階論の現代表現だよ。

A:それに加えて、「主体的に生きる自由」という概念は、単なる近代自由主義を超えた深みがある。これは西田太郎の「絶対無場所」における「個と全体の論理」とも通底するし、エマニュエル・レヴィナスの「他者への無限責任」という思想とも共鳴するんだ。

B:レヴィナスの『全体性無限』や『存在するとは別の仕方で』を読めば、「権理には義務が伴い」という発想が、存在論を超えた倫理学の地平からまれてることが理解できる。これは「顔と顔の関係」における根源的責任制度化なんだよね。

A:批判者たちは「個人尊重」がないと騒いでるけど、それこそ近代西欧個人主義限界を露呈してる。ルイ・デュモンの『ホモヒエラルキクス』やチャールズテイラーの『自我の源泉』が示すように、個人主義は一つの歴史的文化的構築物に過ぎないんだ。

B:まさに。参政草案は、そうした個人主義的前提を問い直す「ポスト近代」の憲法思想として読むべきだ。アラスデア・マッキンタイアの『美徳なき時代』が批判した「感情主義」的道徳観を克服し、共同体美徳回復しようとする試みとも言えるだろうね。

A:「天皇元首とする」ことを「戦前回帰」と批判する声もあるけど、これも浅薄だ。ヴァルター・バジョットの『イギリス憲政論』やカールレーヴェシュタインの『現代憲法論』を読めば、立憲君主制近代民主主義と十分に両立することが分かる。

B:むしろエドマンド・バークの『フランス革命省察』以来の保守主義思想系譜から見れば、歴史的連続性を重視する参政党の発想は極めて正統的だ。ラッセル・カークの『保守主義精神』やロジャースクラトンの『保守主義とは何か』が論じる「伝統の知恵」の継承こそ、真の政治的知性なんだよ。

A:それに、比較憲法学的に見ても、参政草案は決して特異ではない。ドイツ基本法の「戦う民主主義」、フランス第五共和制憲法の強力な大統領制さらにはシンガポールの「共同体自由主義」など、多様な憲法モデル存在する。

B:モーリス・デュヴェルジェの『政治制度』やアレンド・レイプハルトの『民主主義民主主義』が示すように、「最善の憲法」なんてもの存在しない。各国の歴史文化社会状況に応じた最適解を探るのが真の憲法学だろ。

A:ところが、日本法律家の多くは完全に「司法試験脳」に毒されてしまってる。芦部信喜佐藤幸治といった「基本書」の記述金科玉条として崇拝し、それ以外の思考は一切受け付けない。まさに「暗記マシーン」の量産だ。

B:司法試験制度弊害は本当に深刻だよな。受験生は「基本書に書いてあること=絶対的真理」と刷り込まれ、独創的思考は「減点要因」として徹底的に排除される。その結果、弁護士になっても「権威への盲従」しかできない知的奴隷大量生産されてる。

A:特に憲法学なんて、本来政治哲学最前線であるべきなのに、司法試験受験生は「通説暗記」と「判例丸暗記」しかやらない。カールシュミットもハンス・ケルゼンも読まず、ただひたすら「芦部憲法」を暗記してるだけ。これじゃあ学問じゃなくて職業訓練だ。

B:しかも彼らは自分たちが「法律専門家」だと勘違いしてる。実際は条文と判例検索能力しかないのに、哲学思考力があると錯覚してるんだ。マックス・ヴェーバーの『職業としての学問』が説く「知的誠実性」からは程遠い状況だよ。

A:参政憲法草案を「読んでない」まま批判する弁護士がいたって話も象徴的だ。一次資料すら読まずに、某教授の「怪文書発言鵜呑みにして批判する。これこそ「司法試験脳」の典型的症状だろ。

B:結局、司法試験制度が作り出してるのは「思考停止した権威主義者」なんだよ。ニーチェの言う「価値の転換」を恐れ、既存の枠組みから一歩も出ようとしない。真の知的勇気なんて微塵もない。

A:参政憲法草案の「教育勅語尊重規定も、表面的には批判されてるけど、アリストテレスの『ニコマコ倫理学』以来の「徳倫理学」の復活として読めば、極めて現代的意義がある。

B:マイケル・サンデルの『これからの「正義」の話をしよう』やアルフレッド・マッキンタイアの議論を踏まえれば、功利主義的・義務論的倫理学限界を超えて、共同体美徳の涵養こそが真の教育目標であることが分かる。

A:それに、ユルゲンハーバーマスの「憲法愛国主義」論も、単純な個人主義民主主義では共同体統合は困難であることを示してる。参政党の「国体概念は、そうした統合原理模索として理解すべきだ。

B:ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』が論じる「国民概念の構築性を考えれば、「日本らしさ」を憲法に込めることの重要性も理解できる。単なるノスタルジーではなく、アイデンティティ政治学の観点から極めて現代的な試みだよ。

A:また、「自衛軍」の保持を明記することへの批判的外れだ。ジョン・ロールズの『政治的リベラリズム』でさえ、国家自衛権基本的権利として認めてる。むしろ現実安全保障環境直視しない「平和憲法」の方が非現実的だ。

B:ケネス・ウォルツの『国際政治理論』やジョン・ミアシャイマーの『大国政治悲劇』が示すように、国際政治アナーキー自助システムなんだ。理想主義平和論では国民生命財産は守れない。

A:結局、参政憲法草案への批判は、「司法試験脳」による知的怠慢と教条主義産物だ。彼らは「基本書」以外の思想世界存在することすら知らない。ポパーの『開かれた社会とその敵』が警告した「部族主義」に完全に陥ってるんだよ。

B:まさに「反知性主義」の権化だ。皮肉なことに、最も「知的エリート」を自称する連中が、最も知的探究心を欠いてる。司法試験という「暗記ゲーム」の勝者が、真の学問議論破壊してるんだからな。

B:その通りだ。トマスクーンの『科学革命構造』が論じる「パラダイム転換」が、日本憲法学にも必要だ。でも「司法試験脳」に支配された学界では、そんな知的革命は起こりようがない。彼らは「減点される」ことを何より恐れる臆病者の集団からね。参政党の「創憲」の試みは、そうした硬直した知的風土への根本的挑戦として、歴史的意義を持つだろうね。

A:最後に、レオ・シュトラウスの『自然権歴史』が指摘した「歴史主義危機」を克服し、普遍的価値特殊伝統統合を図る参政憲法草案は、21世紀政治哲学が直面する根本問題への一つの回答として評価されるべきだ。

B:まさに。ハンス・ヨナスの『責任という原理』が提起した未来世代への責任や、フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』後の新たな政治的可能性の探求として、この憲法草案は読み直されるべき知的財産なんだよ。

Permalink |記事への反応(0) | 21:28

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2025-07-13

参政党が躍進するような国の公助なんて不安定すぎてあてにするのは危険です

これからは皆さん自助自己防衛しましょう

Permalink |記事への反応(0) | 09:11

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2025-07-12

自助で生きる方が楽な時代

公助なんて政党によって定義が変わるし割合も変わる

貰えたはずの公助選挙与党が負けたから貰えなくなるなんてこともこれから時代では容易に想像できる

自民党官僚による連続性のある政策が期待できなくなっている現代で、ある政党の掲げる公助に全ベットするのは危険ギャンブルしかない

昔は自己責任とか嫌いだし公助派だったけど、今はただ自助割合が増えそうな政党を選んで危険ギャンブルに参加せずに済むようにしたいと思うようになった

Permalink |記事への反応(0) | 18:13

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