
はてなキーワード:臨月とは
友人は鬱陶しそうに「身体の負担が本当に大きい、この先さらにどうなるのかわからない」という。仲良くなってから約12年、いつも困ったことがあれば怜悧な戦略で解決してきた彼女を圧倒する、神様からの身体への完全な暴力。
なんで彼女のような自立した存在が、(赤子という)他者に自分の身体を侵襲さらねばならぬのか。自分の身体が、他者の存在により自分のコントロールから外れることなど、私は想像しただけで本当に耐えられない。
なんで男女のうちで女だけが、リプロダクションに際して、心身へのダメージを負い、奇矯なまでに腹を膨らせ、仕事を休まねばならないのか。
私は心から彼女におめでとうは言えなかったよ。もちろん彼女は望んで妊娠したんだろうから、ちゃんと言ったは言ったけどさ。知らん子供に彼女の心身の健康が侵されるんじゃないかってその方が心配でしかたなかった。
漫画(エロ同人)みたいに子宮の奥の壁が凹むところまで突く、みたいなことは現実では物理的にありえないから気をつけなくてもことなの?
というか胎盤に穴空いても即堕胎にはならないってことなの?破水しても妊娠という状態はある程度の長さ継続されるわけだがこれが臨月に限ることじゃないってことならそういうことになるのかもしれんが。
dorawiiより
-----BEGINPGP SIGNEDMESSAGE-----Hash: SHA512https://anond.hatelabo.jp/20251105183923# -----BEGINPGP SIGNATURE-----iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaQsbUgAKCRBwMdsubs4+SEbgAP9R3l9rEmvf0qMvZaDA8qswI3EAoQl0sORoFwkLoRFwQAEAwuhKNJdBmqhP9Jb+bvnREXT8E73SjvL17zQiCsn/tA4==ESLb-----ENDPGP SIGNATURE-----
うちの兄の嫁は少し常識から外れている部分もあるが、今時の若い人という感じで、ギョッとするが、関係性を考えて、特段アドバイス?など何も言わない。
どんな行動をするかというと、
など。
私はしないけど、そんな家庭はあると思うし、わざわざ口出ししない。
それをみてねという写真共有サイトでちらっと見て、ご両親は何も言わないの?など言ってくる。
私に何が答えられるんでしょう。
ちなに義実家の実の娘は東大院卒41歳未婚自宅警備隊の無職で、数年前に親に怒られ叩かれたら警察呼ぶなど、ヤバ目。自分の部屋が汚すぎて両親の部屋に寝る。
私から見たら、人の家庭に口出す前に実の娘を病院に連れて行けとしか思えない。
あーめん
北アルプス槍ヶ岳・北鎌尾根の登山に挑んだ男性が滑落事故に見舞われ、死亡した件が話題になっている。まずは故人の御安霊の、安らかならんことをお祈り申し上げる。
これだけなら登山中の不幸な事故、で終わる話なのだが、死亡した男性の妻が出産を目前に控えた妊婦という背景があり、Xで大論争を呼んでいる。臨月の妻を尻目に命がけの登山をするなど言語道断であり、夫としての、父としての自覚がなさすぎるという批判が大半だ。
聞くところによると北鎌尾根は、通信エリア圏外にあったりルート選択が難しかったりという理由のため、遭難事故が多く発生している山らしい。長野県警の山岳遭難救助隊が警告を出すほどに。
確かに臨月の妻がいる身でそんな危険な山に挑んだというのは、無謀との誹りを受けても仕方ないかもしれない。しかし妻の方は夫の登山に同意していたようなので、その時点で外野がどうこう言うものでもないだろう。
また、「登山という趣味が危険を伴うものだと知っているからこそ、子供が生まれれば自分の趣味を十分には楽しめなくなるとわかっているからこそ、出産前に一度登っておきたかったのではないか」という意見もあった。本当にその通りだと思う。
被害に遭われた男性は登山直前に、妻にメッセージを送っていたようだ。夫婦間の事情は私が知る由もないが、少なくともネット上で見つかる情報を見る限り、決して夫婦仲は険悪ではない。遺体発見の報を受けた妻側からの沈痛なポストもあったが、本当に被害男性が妻を蔑ろにしていたのであれば決して書き込まれることのなかった文面だった。穏やかな家族生活が一瞬で奪われてしまった被害男性、および遺族のことを考えると、やはり同情の念を禁じ得ない。
それで本題はここからなのだが、Xを見ていると、被害男性に対する批判があまりにも過熱していないかと感じる。主な批判の内容は、冒頭に書いた通りである。
確かにその批判は正論かもしれない。しれないが...これは結局のところ不幸な事故に過ぎず、こんな展開を希求した者はどこにもいなかったはずだ。被害男性は過酷な山岳の中で、耐えがたい苦痛を抱えながら、妻と子供を脳裏に思い浮かべながら、非業の死を遂げてしまった。決して家族をないがしろにするつもりなどなかったのに、インターネットでは文字通り被害男性に対しての”死体蹴り”が行われている。これでは彼も浮かばれないであろう。
妻についても同様だ。批判が過熱すればするほど、彼女は自らの行いを悔いるだろう。強烈な自責の念と共に今後の人生を生きていかねばならない彼女の心中は、察するに余りある。
もはや現在のXの論争は、被害者遺族の事情など知らんぷりで、「そもそも妻は妊娠中でなにもできないんだから趣味なんてやってる場合じゃない」だのなんだのが主流になっている。しかしそうした場外乱闘の盛り上がりの裏では、被害男性や遺族の尊厳が見るも無残に踏みにじられている。
暴走する正義がいかに恐ろしいかを、この件もまた端的に示している。自分自身こんな文を書いている分際で説得力に欠けるかもしれないが、もうこの件についてはそっとしておいてあげてほしい。誰も死にたくて死んだわけじゃない。誰も泣きたくて泣いているわけじゃない。だというのに、無闇矢鱈に傷口を塩を塗り込む行為に、いったい何の意味があるというのか。
繰り返しになるが、これは不幸な事故だ。外野の我々にできることと言えば、この事故から学び類似の悲劇を繰り返さないように努めることくらいであり、無益な死体蹴りは一刻も早く止めるべきである。
はじめての妊娠は、心拍確認後に流産になってしまった。8wくらいで稽留流産、検索して怯えていたよりも痛みも出血も意外と平気だった。自然排出で、仕事も休まなかった。よかったね、ってかんじの流産。
わたしは心拍が止まってしまった胎芽のことを、インターネットや漫画で見るほどには「赤ちゃん」とまで思っていなかった。それでもピコピコしてたのがすーごくゆっくりになってるのを見て、なのに前よりとても大きくなってるのを見て、最後に渡されたエコー写真は見返せなかった。そのあとの、日曜日くらいだろうか。きっと完全に心拍が止まってその後出血した。
生理よりちょっと多いかなくらい。会社はふつうに行けた。でも電車乗ってておじさんに肘鉄されて、心のなかで「わたしは今流産中なんだぞ!」とか思った。妊婦なんですけど!ならともかく、流産婦なんですけど!とか言ったらヤバい女だよなとか思って笑った。翌週、病院に行って完全に排出されてると言われた。その時はエコー画面見れなかった。帰りの満員電車でちょっと泣いた。泣いたけどこれって、ほんとに悲しいのか、流産した女は悲しんだほうがいいでしょと思って泣いてるのかよくわからなかった。
正直さいしょに心拍確認したときに、ちいさすぎないか?大丈夫なのかな?と思って、常にわるいほうを考える性格だから、心の準備はできてしまっていた。
それでもやっぱりその頃はまだ、無事と無事じゃない、両方のパターンを考えていた。
会社の先輩と飲みに行ったとき明日血液検査なのでお酒やめときますって嘘をついた。
同期との食事会でも、飲んでる薬のせいでお酒だめなのと嘘をついた。ワインバーだったから、ごめんねって謝った。
来月や再来月の予定、安定期前だけどつわりとか大丈夫かな?と心配をした。
万博安定期なら行っていいかな、妊婦なら優先レーン通れるのかしらとか調べた。
冬のイベントに参加するか聞かれて、(順調ならばその頃臨月だし)ちょっと難しそうだと答えた。
産休はいると来年のボーナスは貰えないのかな?とか就業規則めちゃくちゃ読んだ。
あの時心配してた予定がなんの問題もなく訪れるたび、流産したんだなという事実がチクッとくる。
暫定の予定日だった来年まで、
たぶんずっと遅れてチクチクし続ける。
ちょっとはやく妊娠した友人に、何事もなければ同級生だと報告したかったな。
2月11日パパ活と整形をしている女子高生に顔面にケープかけられて左手が上手く動かなくなりました
2月12日脳外科と喘息の病院をハシゴし診察と検査を午前中に終えて、重度の気管支喘息とてんかんの診断を受けました
2月27日 友人が自サツ未遂して110番したところ、警察から「意味の無い通報をするな」などとブチ切れられ「自サツしたらあなたのせい」みたく言われました→警察が友人のSNSを特定してくれてなんとかなりました
3月6日役所のトイレで股間丸出しのおじさんに痴漢され、トイレ終わった後に少しパニくってずっこけたら助けるフリしておっぱい5モミされました
3月19日 「事実か事実じゃないかはどうでもいい」旨を投稿してアカ削除しました
【備考】重度の股関節痛に悩まされていて杖をついて歩いており、てんかんの発作も頻発していてライブで階段から転げ落ちることもあるが、妊娠中期でスタンディングライブに7ヶ所回ることを医者から大丈夫と言われており、臨月にも複数ライブを申し込んでいて、前垢では自サツする詐欺の投稿を繰り返していた女性です
ツ、ツーアウトってとこ…?
3月16日(日)礼賛公演中の事実確認と対応についてご報告 |NEWS |キョードー大阪
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/kyodo-osaka.co.jp/news/detail/652
自称被害者の証言とキョードー大阪側の証言がまるで食い違い、どちらかが嘘をついている事はほぼ確定
自称被害者の女性の色々とお察しな言動が暴かれ、現在では自称被害者の嘘松である事までほぼ確定
2月11日パパ活と整形をしている女子高生に顔面にケープかけられて左手が上手く動かなくなりました
2月12日脳外科と喘息の病院をハシゴし診察と検査を午前中に終えて、重度の気管支喘息とてんかんの診断を受けました
2月27日 友人が自サツ未遂して110番したところ、警察から「意味の無い通報をするな」などとブチ切れられ「自サツしたらあなたのせい」みたく言われました→警察が友人のSNSを特定してくれてなんとかなりました
3月6日役所のトイレで股間丸出しのおじさんに痴漢され、トイレ終わった後に少しパニくってずっこけたら助けるフリしておっぱい5モミされました
3月19日 「事実か事実じゃないかはどうでもいい」旨を投稿してアカ削除しました
【備考】重度の股関節痛に悩まされていて杖をついて歩いており、てんかんの発作も頻発していてライブで階段から転げ落ちることもあるが、
妊娠中期でスタンディングライブに7ヶ所回ることを医者から大丈夫と言われており、臨月にも複数ライブを申し込んでいて、前垢では自サツする詐欺の投稿を繰り返していた女性です
つまる所、キョードー大阪側の言い分の方が大筋で正しかった、という事になるのだろうけど、女性様絶対無辜性主義のブクマカ達は
「例え虚偽だったとしても企業側の態度には問題があぁる!」などと主張している
でもさ、ハッキリ言っていい?
嘘松な可能性が相当高い自称痴漢被害者と、痴漢加害者とされた男性だったら、どう考えても前者の方がクソ客でしょ?
寧ろ企業としては加害者とされて犯罪者にされそうな男性(客)を守らなければいけない立場ですらあるでしょ
コンサート行ったら痴漢冤罪被害に遭いました、企業の相手の言い分を鵜呑みにして一方的に警察に突き出しました、なんて事態になったら人権問題だからね
そもそもの話「痴漢被害」という最重要な前提事実を無視して「企業ガー!」とかやってるのは、普通にヤバいでしょ
カスハラ行為を支持するのは、普通に似たような気質のカスハラ屑としか思われないよね?
楽しみにしてたコンサートを夫婦で観に行ったら、いきなり変な女に「こいつに痴漢されたー!」なんて因縁つけられてさ
ロックのコンサートだから体が接触したのはあるかもしれないけど、それを痴漢呼ばわりされても溜まったもんじゃないし
結局裏に連れて行かれて妻とは引き離されるし、相手の女は逮捕してくれとか言ってて怖いし、警察も来て大事になり
結局楽しみにしていたコンサートは観れなくてチケット代と時間を無駄にした上に
コンサートに出てたアーティストですら「痴漢被害は残念」などと、さも「痴漢行為はあった。お前(男性客)は痴漢加害の糞性犯罪者野郎だ!」なんて決めつけられて
もう完全にトラウマだし、アーティストすら嫌いになるレベルでしょ
というか既婚者と不倫して相手の家庭ぶっ壊したり若い子と遊んでパコってた様なクズ野郎が自称被害者の言い分を一方的に鵜呑みにして
男性に対しセカンドレイプかますとか、完全にフェミ珍仕草でブラックジョーク過ぎて笑えねーよ
ともかくカスハラ気質のカスなブクマカ達は、早急に冤罪被害者である男性客に対し、セカンドレイプした事を謝罪すべきだと思うよ
2月11日パパ活と整形をしている女子高生に顔面にケープかけられて左手が上手く動かなくなりました
2月12日脳外科と喘息の病院をハシゴし診察と検査を午前中に終えて、重度の気管支喘息とてんかんの診断を受けました
2月27日 友人が自サツ未遂して110番したところ、警察から「意味の無い通報をするな」などとブチ切れられ「自サツしたらあなたのせい」みたく言われました→警察が友人のSNSを特定してくれてなんとかなりました
3月6日役所のトイレで股間丸出しのおじさんに痴漢され、トイレ終わった後に少しパニくってずっこけたら助けるフリしておっぱい5モミされました
3月19日 「事実か事実じゃないかはどうでもいい」旨を投稿してアカ削除しました
【備考】重度の股関節痛に悩まされていて杖をついて歩いており、てんかんの発作も頻発していてライブで階段から転げ落ちることもあるが、妊娠中期でスタンディングライブに7ヶ所回ることを医者から大丈夫と言われており、臨月にも複数ライブを申し込んでいて、前垢では自サツする詐欺の投稿を繰り返していた女性です
思ったのは
これ釣り?
釣りじゃないなら、増田の読解力と物事の解釈が、良く表現しながらオブラートに包めば「独自の認知と世界観を持ち、自立精神旺盛である」
ストレートに言えば「お前論点ずらしすぎじゃね?自閉症スペクトラムかグレーゾーンなの?」
まあこっちの読解力・理解力不足があるだろう、長いから読み飛ばしたので余計にな
それにこっちの感情ぶつけてもお前他人の感情をいったん受け止めて流すことをしないタイプだろ?
結論からいうと、増田の受け止めかたを変えるほうが優先順位が高いように思う
増田は受け止め方が非常にずれており、共感性が低いように見える
夫婦の関係性によりネガティブな影響を与えるのは奥さんの反応ではなく増田の反応に思われるため
>妻は自分がしんどいときは相手もしんどくあってほしいらしい。
自分が読んだ限りではそのように受け止めることはできなかった。
問題は増田が奥さんにも自分と同じ価値観、同じ感情を(無意識に?)強要しており相手のやり方を無視している点である
奥さんは体調悪いアピールでそれとなく、そしてとうとう先日は言葉に出して明確に「心配してほしい」と訴えてきたわけだろう
なぜこれを無視する?
自分が人生で築いた価値観があるのと同じく他人はその人の人生で築いた価値観を持っている
そして結婚するということは、心に寄り添い、その相手の価値観を(中間までは)受け入れて生きていく、
そういう誓いじゃないのか?
なのになぜ増田は直訴までされてるのにその誓いの相手の訴えを拒否するのか?
失礼、興奮しすぎました
増田、よく聞け
「自分は体調が悪い時に心配されたくない」オッケー、よくわかる
ただ、人間関係で親しい間柄を保ちたければな、相手に対して「気遣っている」「配慮している」ということを
言動で示していく
必要があるんだよ。
そしてそれがマナーとして周知されているんだよ。増田はその年まで知らなかった、気づかなかったみたいだけど。
だから、誰かが体調が悪かったとすると、「大丈夫ですか?と気遣ってみせる」ことは円滑な人間関係上のマナーなんだよ
そうやって相手の内面に関心を払っています、という態度を見せることが必要なんだ
だから奥さんは一言「大丈夫?」とか「薬出そうか?」というとか、奥さんが体調を崩している時にはいつもの行動パターンは封印するとか、
それだけだ
難しいことじゃないだろ?
心配していないから態度の変化がないのと、心配していても態度の変化がないのと、他人から見たら区別つくか?
増田は他人が考えてることを読み取る超能力持ってるか?奥さんは?
持ってないだろ?
という考え方があるんだ
増田は「女性はそういう願望があるのか」という疑問があるようだが、そうだな、
男女で言えば性差はある
一般的に女性は共感性が多いため、親しい相手からは共感性を示してもらいたがる傾向がある
(女性の話の仕方は男性よりも同意や同感、共感を意味する相槌や返信が多くなり、また自分の意見を表明するときにも相手への配慮から長くなることが多い)
男性は「自分が思っているなら相手に伝わっているはず」と考え、この手間を省く傾向がある個人が女性より多い
「私が体調を崩したときにも彼氏は『大丈夫?』の一言がないのが不満です」
「私が作った料理を彼氏が食べるとき、『美味しい』とか絶対言ってくれないんです!感想を聞くとしぶしぶ、『完食してるってことは旨いって思ってるってそのぐらい言わなくてもわかれよ』 なんて言います!」
「夫は私が臨月なのに趣味の一泊ツーリングに出かけやがりました、なんでこんな仕打ちができるんでしょうか」
話飛ばすが、増田は「自分がこう思っている」と「妻はこう思っている」の違いをよくわかっていないように見受けられる
(専門用語でいう自他の境界線があいまいってやつじゃないの増田って)
「増田が」体調不良時にはこうしたい、ああしたい、自分は家族に心配かけたくない、その感情はわかる
だが奥さんは違う感情を持っていることをもっと理解しなきゃだめだ
さらにそのうえで、自分の感情は「伝えようとしなければ伝わらないこともある」ことを理解しなければ他人とは暮らせんよ
奥さんが寝込んでいる時遠出しないでいてほしいというのは不安だからだろうな
これについて書こうとしたがすでに長くなってるので、要望がない限りやめておくことにするよ
解剖医?解剖学者?の人についての本で、表紙に臨月の胎児が入った状態の女性器の解剖図が大きく描かれていて(後で調べたら、その学者が発表した中で特に代表的な物ではあるらしい)
お前の職場のゴタゴタは毛ほども興味が無いが、この本についてはヤバそうで内容気になる
ジョンハンターかな?ちょうど1ヶ月ほど前に岡田斗司夫の配信で取り上げられてたし。
派遣女子がブサイクなら厨二病かサイコ気取りの痛いサブカルブスとしか思えなくてキモいと感じる奴が大半だからお前が正しい。可愛いならババアに勝ち目ないからやめとけ。
Z世代の派遣スタッフが新規で2人いて、うちの部署は女性が少ないから同性の方が良いだろうという事で導入を任されたんだけど、そのうち片方の子が昨日の昼休憩中に読書をしてたのね。
解剖医?解剖学者?の人についての本で、表紙に臨月の胎児が入った状態の女性器の解剖図が大きく描かれていて(後で調べたら、その学者が発表した中で特に代表的な物ではあるらしい)、彼女がその本をデスクに置いて飲み物を買いに立ったタイミングでたまたま見かけて「ちょっとこれは…」と思ったから軽く注意したんだよね。
もちろん持ってくるなとかそういう話はしてなくて「職場で他の人の目に付くところで読んだり置いたりするにはちょっと表紙がセンシティブだから、ブックカバーをつけたり離席する時はカバンに仕舞うとか周りに配慮した方がいいと思うよ」ぐらいの話だったんだけど。
そしたら今日の終業後、お手洗い行こうとしたらもう片方の派遣の子と「他人の私物いちいち見てなんか言ってくるのエグくない?キモ過ぎる」「そんな事まで口出して来るのは流石にバカでしょ」「細かい事指摘して仕事果たしてる感出したいだけのくせに」「お前がエロい物だと思って見てるからセンシティブだと思うんじゃね」「おばさんの性欲やば過ぎ」だの思いっきり悪口言ってるのを聞いてしまってドン引きでUターン。
あんまり派遣だから自社社員だからといった対応したくないけど、派遣環境でそんな大っぴらに客先社員の悪口言うかね。しかも、そこまで悪様に罵倒されるほど厳しい事を言ったかね。やっぱりZ世代の感覚は意味わからなくて苦手だわ。
来週に初回の状況報告あるけど、これ報告しなきゃダメかなあ。来てすぐでこんな幼稚な行動がありましたとかそのまま報告するの流石に躊躇うって。普通そんな子いないから、もし疑われたら私が派遣の若い女の子を悪く言おうとしてるお局みたいに見えて終わりじゃん。
いや、うちの夫の被害者意識ヤバすぎやろ。
「明日は行き先も出発時間も帰宅時間も決めてないが兎に角、子供を遊びにつれていく」
と言われていたので、朝早くから朝食と着替えを済ませて日課の学習もすませて、ついでに夫がやるといっていた洗濯物や洗い物などの家事も片しておいて、それでも夫がグースカ寝てたので、子供達にはAmazonプライムの映画を観せながらオヤツを食べさせてゆっくり待っていた。
夫が起きてきてパソコンをいじり始めてしばらくして突然、「誰も俺に協力しない!勤労感謝の日なのに感謝しない!なんで映画とか観るんだよ!おやつとか食べさせるんだよ!ふざけるな!」とか言い出して、暴れ始めた。
「じゃあいいよ、一人で遊びにいったらいいんじゃない?今日は私が子供達をみるからさぁ、休んだら?」
といったら
「違うだろ!まずは『ありがとう』だろ!!」
だと。
因みに私はもうすぐ臨月で休職中、夫が子供を望んだわけだから、感謝されるべきは私の方でもあるのだが。
----
----
追記。
どうやら夫も子供もご機嫌なようだ。
もうこの件はなかったことにした方が良さそう。
私のオチ度0と思ってたが、
夫の被害者意識を刺激する行動があったようだ。
とはいえ、
夫は10時に起きてきたので、
子供たちが「早くしろ!」と夫から強く叱られるのが目に見えているので、
私が片付けないルートはなかったとおもう。
なので、
次回似たようなことがあれば、
「すぐに出られるように一通りすませておいたよ〜」
「あとはお願いね〜」
「いつもありがとね〜」
という。
「お母さんが動いてもし今早産してもお父さんのせいには絶対しないから安心してね〜」
といった方がいいかは迷う線ではあるが、
夫の被害者意識の強さを考えると煽りととられる可能性があるのでこれは止めとする。
あと勤労感謝の日じゃなかったらしい、
「1123(いいニーサンは)働いている」で覚えておく。
いま臨月の妊婦で、昨日は電車に乗って妊婦健診に行ってきた。元気な3歳児とともに。
3歳児もいるので2席分譲ってくれることになるわけで、本当に恐縮しつつも有り難かった。
譲ってくれた方々は若い人とかサラリーマンとか、言ってしまえば優先席の対象ではないでない人たちだった。
そういう方たちが、私達をみるなりすぐに代わってくださった。優先対象の人間が乗車したら、本当にすぐに代わってくれるんだなあと驚いた。
その行為が本当に嬉しくてありがとうの気持ちでいっぱいの往復だった。おかげで体力温存しながら病院に行くことができた。
ほんとは譲りたくなかったという気持ちもあるとおもう。労働とか学校とかの前の、わずかな貴重な休息を譲ってくれてありがとう。
がんばって産むぞ。
https://anond.hatelabo.jp/20191003175753
お久しぶりです。
2019年に書き捨てたこれを久々に見たらブコメその他が暖かくてうれしかったです。ありがとう、今でも母とは仲いいです。
当時は返信の仕方?とかわからないので書きっぱなしで失礼しました。あの後も半年に一度の血液検査+尿検査を実施して悪化していないことが確認できています。
そんな増田が妊娠出産を経験したので同じ思いをしているかもしれない増田のために書いてみんとす。
当時の口調がちょっと幼くて恥ずかしいな、とは思いつつ。
寛解が2019年で、病気になったのは2016,7年でした。私の腎臓病の発症は高熱を出して血尿が出てから?なので、引き続きノロやインフルにかかって高熱を出さないように気を付ける生活を送っていました。(コロナももちろん怖かったです)
定期検査の時に「妊娠したらどうしたらいいんでしょう?」と大学病院で主治医に相談していて、「うちで出産でしょうから妊娠したらまた教えてください~」とは言われていたので、妊娠したらダメなほどの症状でもないようでした。
実はこの時は心拍が確認できなくて、8週まで粘ってみたけどダメで手術をしました。そしてさらに2022年妊娠。先にネタバレするとこの子が無事に生まれます。
この時は町の産婦人科にかかっていて、腎臓病の持病があって出産は指定する大学病院でしたいですと伝えたところ「そっか、じゃあ安定期に入るころにでも紹介状でも書こうか」と言われていて、のほほんと過ごしていました。
腎臓病の先生も産むときはうちでとしか言わないし、産婦人科の町の先生もまぁじゃあ後期まではうちで見るねと言っていたので、あんまり問題ないのかな?と思っていたところ、安定期に入る1か月前にちょうど腎臓の定期検査があったので主治医に報告して「いつごろから移ったらいいですかね~?」とのほほんと尋ねたところ、「え!?じゃあすぐにもう見ますよ!妊娠高血圧症候群の高リスク妊婦ですからね!」と慌てられて、思っていた温度感の違いに驚きました。すぐに産婦人科に連絡して翌日には紹介状をもらい、腎臓内科からも産婦人科へ紹介状を出してもらって2枚の紹介状を持ってその大学病院の産婦人科へ。
なので結果的には妊娠4か月から大学病院で妊婦の定期健診の度に産婦人科と腎臓内科をはしごするようになっています。1か月ごとだったかな?
やってる内容は妊婦検診と変わらないので町のお医者さんでもできることだと思いますが、それ+毎回血液検査もしていました。
腎臓病の妊婦はほかの妊婦より高血圧になりやすいとのことで、毎朝晩血圧を測って記録をつけていましたが、私は最後まで高血圧にはならず。
その代わり特に何をしているわけでもなかった(大学病院に早くから行かされるくらいには健康優良妊婦とは自分は違うのだろうという思いで食生活にも気を付けていました)のに、糖尿病検査で引っ掛かりました。
この辺は関連性がわからないです。
糖尿病の人は腎臓病になりやすい、というのは調べたら出てくるけど逆はあんまりない気がして…遺伝でもないはずなんだけれど…。でも結果的に再検査をしても血糖値が高く、妊娠糖尿病は確定、この検査後から大学病院で回る科に糖尿内科がプラスされるようになりました。3科回るとなると朝いちばんに診察に来ても終わるの1,2時になっててけっこうしんどかった。
結果的に軽い糖尿?だったのでインシュリンを打つまでには至らず、とにかく食事管理、また運動で様子見をすることになり、妊婦でおなかはすいているのにウサギの餌のような量や献立をずっと食べていました。このころの記憶はとにかくひもじかったかな。
例えばコンビニおにぎりの量でいうと血糖値的にたんぱく質の摂取量が多すぎるらしく、ご飯の量はそれの半分、片手のひらに載る程度のサラダ、そして焼き鮭の1/3切れ。
でもまぁ、子供のためを思えば…と我慢はできるものの、ずっと文句は言っていました。中で聞こえていたらごめんだけど、普通にストレスで…だっておなかすくんだもん…。
だからだろうけど、妊娠前150センチ52キロだったのに、出産のときは58キロで全然体重は変わらなかったなぁ。こんなに体重増えなくて大丈夫?と思うけど、おなかの中のエコーで大きさは問題なかったので、OKとのことで。また医学的には体重が増えすぎるよりはキープのままのほうが全然いいらしい。
妊娠糖尿病の子供は大きくなりやすいと言われていて、私も臨月のエコー検査と経腟検査では「3500以下ではあるけど3000はあるかな?大きくなる前に出てきてほしいけど初産だから予定日超えるだろうな~」と言われておびえていました。
私自身がチビなので骨盤粉砕される…!とおびえていたけれど結果的に生んだのは2780gのど平均の下のほうといった女の子でした。
出産後3日くらいまでは血糖値も測り続けていたけれど、産んでからは一気に平均値に戻り、食事制限はなくなりました。とはいえ大学病院のごはんは個人的にはおいしいとは思うけれど、やっぱり薄味かつ量が少なくて…よくある豪華なフレンチのお祝い膳を夢見ていたけれどそんなのはなく、結局産んでからもひもじい思いをしながら、お散歩で院内のタリーズでココアを飲んだりするくらいがごちそうでした。
子どもは何の問題もなく(実は回旋異常で分娩時間は35時間超えで苦しい思いはしたものの、それは腎臓病にも糖尿病にも関係はないはず?とのことなので割愛)、元気にすくすく育って今1歳半です。よく食べてよく寝、今はふらふら歩くのがマイブーム。
産んで半年後からは大学病院の検査も半年に一回に戻り、今も数値の悪化等はありません。よかった。
なので結果的には腎臓の数値は妊娠出産を経ても悪くならず、血圧も普通のまま、糖尿もインシュリンを打つほどではない数値で産後は完治。
よく母親は妊娠中から母親の自覚が生まれ、父親は生まれてから自覚が生まれるからタイムラグがあるなんて言うが臨月の今ですら母性なんて全然目覚めないし母親の自覚も生まれない。
体を共有してる寄生してる何かが居る感覚はあるものの良くも悪くもそれ以上の感情が沸かない。
市のプレパパママセミナーみたいな奴に夫婦で行ってもいかに父親は自覚が足りないかみたいな説教を受けたけど恐らくあの場にいた人間の中で1番親の自覚が無かったのは自分だと思う。
妊娠中に子育て本や医学本を20冊ほど読んだらベビーグッズを買い集めたりと母親が妊娠中にする事をあらかた網羅しているにも関わらずそれでも自覚がない。
しっくり来ないと言うかどこか他人事と言うか。
つわりで8kg体重落ちたり、尾骶骨の痛みで動けないのが数週間続いたり、後期には眠りが浅くて2時間おきに起きてしまったりと妊娠中特有の体調不良も経験してるし胎動も酷くて吐いたりもしてるのにそれでも自覚が沸かない。なんなんだろう。
夏くんが1人で頑張りたいとか言って、海ちゃんを転校させ、祖父母の家から自分の家へ連れ出そうとするのを見て、息子を出産する前の夫との会話を思い出した。
そして母になることも怖かった。
出産時に命を落とした女性のエピソードをSNSで致死量くらい読み怯えた私は、夫にこう尋ねた。
すると主人は
「もちろんだよ。そうなったら俺は仕事をやめて、実家(関西)の近くに転職して、実家で一緒に育てるよ」
100点の答えである。私が死んだらこの子の1番の養育者は夫で、その夫が1番育てやすい環境に寄せていくのが世間的、法律的に正しい。
ただ、子どもにとってはどうだろうか。
今私が死んだとする。
4歳の息子は住み慣れた関東を離れることになる。通い慣れた保育園をやめ大好きな先生と別れ、生まれた時から持病で通っている病院から離れる。しょっちゅう家を行き来していた祖父母とは、家族ではなくなり、年に一度しか会わない父方の祖父母の家に入る。いい人たちだが教育方針が厳しい。パパは日中仕事で会えない。その教育方針に基づいて選ばれた幼稚園に身を置き、母を失った悲しみに耐えながら生活する...考えるだけで胸が絞られる。ドラマの中で海ちゃんが夏くんと暮らしたいからと言って転校を認めるシーンはすごく苦しかった。分別のない子どもにそんな選択をさせてはいけない。
だが子供の成長は素晴らしい。きっと最初は辛いだろうが、周りに働きかけながら順応するだろう。
子供にとって、と大きく出たが、今まで苦労して、金も労力も使って息子と私を妊娠中から支えてくれた実家の両親の気持ちを想像してもいたたまれないというのも大きい。ほとんど何もせず、息子(夫)には娘が生まれてきてくれた方がよかったわーとのたまった義実家に孫を取られるのはあまりにも可哀想。いくら娘と孫の希望とはいえぽっと出の男に孫を奪われた大竹しのぶには本当に同情する。
水季はやっぱちょっと変わってる。普通元カレより両親の方が信頼できるから、死んだあとしゃしゃり出てこないように彼につながるレールは徹底的に切るでしょ。つなげてどうする。
この日記は見つけた誰かが同じ境遇だったときこの考えも一つと思ってもらえたらと思って書く。
産まれれば、内蔵を圧迫される感覚も、歩くたびに股関節周りが痛むことも、太るという現象とは別で膨らんでいく胴体への違和感からも解放される。
これらの感覚がなくなることが喜びなのか哀しみなのか虚無なのか今はわからない。
いたものがいなくなることで虚無感が生まれてしまい、これから先の自分の人生負荷がかかっててできていなかったことや居なければと思いながら過ごしてたこれしたいアレしたいと考えてたことが一つもできなくなってしまうのかもしれないと思っている。
そうなってしまうのが怖い。
本題に入る。
センシティブであり、よくない表現を多用するのでここから先の閲覧は自己責任でお願いしたい。
今回の話題に触れるにあたり私の性生活を開示しなければならないのでその話をする。
今は見聞きすることが減った公園や河川敷に落ちていた書店で販売されているような成人向け雑誌を見つけてからだと思う。
それ以前から性行為描写は親が見ていたドラマや映画の濡れ場シーンで触れていたので見つけた時に”そういう系統のモノ”とすぐ理解できたのだろう。
一般的な性行為の流れにマンネリ化してる感覚を覚えアブノーマルというジャンルのプレイも行うようになっていった。
その中の一つ「中出し」というプレイに幸福感を得てしまうようになった。
それはすでに保健の授業を受けていた身なので理解はしていた。
なので自身のできる対応として避妊効果のある低用量ピルを処方してもらっていた。
それでも避妊率は100%ではないので行為の後の次の生理が来るまでの期間はドキドキしていた。
それも含めハマってしまっていたのだと思う。
幸い服用している期間は妊娠することはなかった。
なぜ現状に至っているか。そこまで時期は進める。
細かい年齢は伏せさせてもらうが、社会的に自立していると判断される年齢に入っていた。
それに合わせて様々な支払いが重なる時期にも入ってきた。
性行為も中出し行為も変わらずしていたのでピルは飲まなければいけない。
が、その肝心のピルを購入する費用も持ち合わせることができないほどになってしまっていた。
そこで私が行ったのは行為のセーブではなくどのような状況でも妊娠することはないのかの自分の身体を実験体として扱う愚行に至ってしまった。
幸いアフターピルを入手していたので万が一の備えとしていた。
定期的に低用量ピルを処方できないということは安定した生理周期ではなくなるということであるという認識は当時なかった。
行為をするために生理期間は避けたいのでスケジュールを組む上で把握しておきたかったのである程度の生理周期の管理はしていたが体温管理はしていない。
リスキーなことに快感を覚えてしまっていたためかただ自身がそういう点に疎いためだったと思う。
今は後の祭りだが。
それは起こった。
いや。起こっていた。
とある時期に低用量ピルも購入できず、アフターピルもストックできていない時期がきた。
そんな中、中出しを主として性行為をする異性と会う予定が立っていた。
予定をリスケする、「今(ピルを)切らしている」、「今日はゴム(コンドーム)つけて」と事前に言わなければならないのに言えない行為に進んでしまった。
カレンダー上では妊娠する可能性が低い時期だったためか慢心していたところにも問題があったと思う。
その時対策できることとしては膣内洗浄しかないと思いそれのみ行っていた。
処方せず次の生理が来るのを待っていた。
その月の生理は来なかった。
それと、飲んでいない時期にも行っていたがその時は検査薬を使用しても陰性だったこともあり今回もそれだと思ってしまった。
月が変わった。
それがきたのでもうすぐ来ると思っていた。
今思うと受精していたのでそれに伴う妊娠の初期症状だったと思う。
その月も生理が来ないのをさすがに不安に思い今回は検査薬を使用した。
結果は「陽性」だった。
疲れたので次回に続きを書く。
推敲してないので途中で口調が変わるけれど許して。ブームが去る前に公開しておきたい。
2000~2001年の話です。そのとき生まれた娘は健康に育ち独立して離れた場所で生活。私は当時の夫とは娘が1際の時に離婚し、その後、娘の高校卒業と同時に別の相手と再婚しました。
前情報だけでおわかりの通り、産後の恨みが原因で離婚しました。そして産前から出産の時も含めて広い期間ダメダメだったので、『産後の恨み』どころか『出産前後およびその他諸々の恨み』が正しいかも。今はもう相手のことを恨んでいることはありませんが、それはスッパリと関係を断ち切ったからであり、今でも共同生活を送っていたなら、頭の中でグチグチと恨みを反芻させ骨髄に入るまで温存させていたでしょう。
当時の夫とはデキ婚でした。この時点で当時の自分を説教したいのですが二十歳そこそこの世間知らずの恋愛脳だった自分には、説教したところで、どんな言葉も右から左に貫通していったこと間違いなし。ほんとにしょうもない。体験して失敗しないと脳に染み込まない。本当のうえで理解したのは全部が終わって数年たったころだったと思う。相手もまた1歳年上の二十歳過ぎたばかりのペーペーです。
この時点でアカンと思うでしょ。私も書いてて「こりゃ、アカンわ」と思ってる。
とにかく妊娠をきっかけに結婚し、新居として安アパートを借り新生活開始。妊娠による体調不良であれよあれよと働けなくなり退職。
田舎だったこともあり『育休産休』という制度はあっても実際に取っている人が周りに居なかったため、辞める以外の選択肢があるなんてその時の自分には思いもよらなかった。男性だって明らかな労災でも自己負担で病院に行ったりしていたのが普通だったため、そういうものだと思ってました。
というより育休とる以前に、安定期入る前に何度も貧血を繰り返し、ホルモンバランスが崩れて顔・体全体にアトピーが出てしかも赤ちゃんのために薬も飲めず、肌がグルート(ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーにでてくる木のやつ)みたいな見た目になって人前に出るのがまず精神的に無理になった。膿んで乾いたカサブタが、振り向くたび、お弁当を食べて大きく口を開くたびにこぼれてデスクの周りが汚れた。客前に出ることはおろか、お茶を淹れることも、書類仕事にも支障が出た。上司(女性)からはその都度迷惑そうに「もうお茶淹れなくていいから」「書類汚れてるので、長袖かつ手袋できないだろうか」「また貧血? もう帰ったら?」と言われた。
「働きたかったけれど、働けなくなった」という気持ちは微塵もなく、逃げ出すように退職して、もう人前に出なくて済むと思ったのが当時の心境。自分視点で書いてるから被害者っぽい書き方になっちゃうけれど、上司視点から見て私は困った対象だったと思う。ギリギリの人員で回している仕事を私の都合で滞らせていたので、迷惑だっただろうなと。当時は優しい言葉をかけて欲しかったけれど、求め過ぎな気がする。今、自分は同じ立場になって、昔の自分のために当事者に気遣いの言葉をかけるようにしている。
ホルモンバランスが不安定で誰にも会いたくない状態で病院通いだけしていたころ、夫の友人がお祝い持って当日にアポ無しで現れた。
こんな顔で人になんて会いたくなかった。しかし部屋が汚かったので、リビングに座ってもらいながら大急ぎで片付け、その周りの掃除機をかけた。すごく迷惑そうな顔をしていたと思う。夫友人が少しだけ話しをして申し訳無さそうにお祝いを置いて帰ったあと、夫には「せっかくお祝い持ってきてくれたのに」と小言を言われた。自分自身も申し訳ない気持ちになって落ち込み、具合が悪いからと部屋で休んだ。
8時過ぎに目が覚め、夕飯を用意してなかったことを思い出して、「ごめん、夕飯用意してなかった」とキッチンへ行った。夫は優しい気遣う声で「気にしなくていいよ。もう食べたから」と。シンクにはカレーヌードルの汁だけ入った箸の刺さった容器と、お湯を沸かしただけなのに、そこら中にお湯が飛び跳ねている状態になっていた。もちろん外装フィルムもそこに横たわっている。なんならストックしてないはずのパックご飯のカラもあったし、ゲームしてる夫の脇にはポテチもあった。コンビニで買ってきたのだ。そして私の夕飯はもちろん買ってきておらず。
その光景だけ見て、私は脱力し再び寝室に戻った。夫から「〇〇(私)の分どうする?」という言葉もなく、朝起きたら、ゴミはゴミのままそこにあった。私のことを気遣ってほしかったし、自分で出したゴミは自分で捨てて欲しかった。けれども、当時は言葉にするのも面倒で、ただ黙ってゴミを捨て、キッチンをキレイにしてから朝ご飯を作った。
夜の生活も続いていた。妊娠のある期間は中出しOKのボーナスタイムという知識はあったらしい。
それで妊娠はしないものの、出されたものがそのまま留まってくれるでもなく、しばらくして排出されたものをトイレで流す必要があって億劫だった。ゴムをしているときより滑りが良いと判断したのか、回を重ねるごとに前工程が雑になっていって辟易した。ついにはキス、胸、即挿入になってビックリした。今、書いてて不思議に思うけれどグルート肌の女を良く抱けたな。
そして臨月。お腹が大きくなって寝返りもうてなくなった。腰も痛いし、便秘になるし、車に乗れば車酔いするし、妊娠期間中は種類の違うあらゆる不調が手を変え品を変え一身に降り掛かった。体型が変わって服も替えなければならなかったが、幸いなことにホルモンも安定期に入ったらしくこの頃には、「ちょっと肌荒れが酷い人」くらいまで回復した。買い物している時、重い荷物など明らかに大変なものは持ってくれたが、かがむ必要がある軽いダンボールなどは放置され、お願いすると「これくらいでも?」と言われ、「これくらいでも」と返した。夫のぺったんこのお腹が恨めしかった。
そして出産。予定日になっても生まれず、あらかじめ病院に入院して陣痛促進剤を打って臨む運びとなった。前もって出産日がわかるというのはありがたい。夫は有給をとって分娩直前まで一緒に居てくれることとなった。(立ち会い出産は断られていた。このころ周囲でもテレビでも今のように「立ち会いがむしろデフォルト」のような時代でもなかったので、そういうものかと受け入れていた)
朝一番から付き添ってくれるハズが夫は来なかった。夫が居なくても処置は進む。促進剤を入れ、やがてジワジワと兆しらしい変化が現れ、そして昼過ぎには痛みは最高潮。それが夕方まで続いた。
夫が現れたのは14時過ぎ。あとで聞いたところ朝方までゲームしていて寝過ごしたそう。出産までの陣痛マックスの時も夫は病室の隅っこの椅子にちょこんと座り、手を握ることもしてくれなかった。原因不明で子どもの心音がとまり、慌ただしく右往左往する先生や助産師さんの邪魔にならないようにしたかったのかも。メチャメチャ苦しがってる私に何をすればいいのかわからなかったのかもしれない。夫は部屋の隅で怯えていた。
原因不明の心停止は、あるとき突然原因不明のまま復活。そして分娩。生まれた。
いざ、産み落とす!となった瞬間から急に助産師さんが鬼軍曹になって叱咤してきて、まじでビビった。命に関わることなので、それくらい追い立てなきゃスムーズにことが運ばないんだと思う。それは出産後の入院時期にも続き。いろんな助産師さんがいる中で、比較的若い人は穏やかに、経験値の高そうな人ほど厳しくビシビシと授乳や寝かしつけ、沐浴などの指導がされた。(そして点滴やらおっぱいマッサージやらは、そういう厳しい人ほど巧い) 結婚する以前までは、自分の目指すべきところは『プリンセス』にぼんやり置いていたけれど、出産した直後からは『ソルジャー』になることを求められた。そうしないと子供が死んでしまう。強く賢く逞しくならないといけない。生まれたての弱々しい我が子を抱いて、自分の目がカッと見開いたような気持ちになった。
入院中、夫はあまり見舞いに来なかった。義両親が来た時に案内して少し話してすぐ帰宅。2~3週間の入院期間の内、来たのは3回くらい。夫が毎日会社帰りに寄って、面会時間ギリギリまで一緒にいる同室の夫婦たちを眺めていたので羨ましかった。
退院の数日前、夫に「◯日の◯時に、車で迎えてにきて欲しい」とお願いしたら、「出産日に休んだので、会社に申し訳なくてもう休めない」と言われた。は? 真冬に、新生児を抱えて、2週間分の入院の荷物と、これからのためにと持たされたオムツやら何やらを一人で家に持ち帰れと???? 私、ついこの間、股が裂けて縫っているので、重い荷物とか持って踏ん張れないんですけど?
退院日なんて入院する前から決まってた。しかも出産日に休みをとったって、お前現れたの午後じゃん! ゲームして寝坊してきて、来たあとも全っっっっ然、役に立たなかったじゃん! 実際の処置は医療者じゃなきゃ無理にしても、励ましの言葉もかけてくれなかったじゃん。さすがにキレて怒った。そしたらキレ返された。「お前に俺の何がわかる!」
全然わからない。苗字も体調も体型も仕事も生活も変わらず、私がこれまで持っていて失ったものをほとんど失わず、健康体で子供のことを気にせず働けて、余った時間でゲームを楽しめる人の気持なんて何一つ。
結局、退院日は母にバスで来てもらい、帰りはタクシーを使った。
帰宅後、愕然とした。部屋が寒かった。お互い地元で結婚し、新居を構えたのでそれぞれの実家が近い。私の入院中、夫は実家に帰ってご飯を食べそのまま寝泊まりをキメていた。人の住まない北国の部屋はひときわ寒い。そしてうっすらとそこら中に積もった埃。休日は家でゲームを過ごしていたらしい場所だけ埃はなく、人型にそこだけ綺麗だった。ゲームもドライヤーもコップも出しっぱなし。何かあればうっかり死んでしまう新生児が私の腕の中に居た。「赤ん坊をウィルスから守って」と言われた退院していた。ストーブを焚き、母に子供をみてもらいながらそこら中を掃除をした。この件に関しては怒ったら素直に反省してくれた。キレ返さないだけでも嬉しかったのを覚えている。
さて、ここから季節が変わるまで記憶が定かじゃない。どうやって新生児期を乗り越えたのかとんと思い出せない。若くして子供を産んだこともあり、体力があった。「母親になった。子供を死なせちゃいけない」という、これまでにないプレッシャーにアドレナリンみたいなものがドバドバ出ていたと思う。夜泣きも平気だったし、数時間おきの授乳も辛いとは思いながらも、病院で指示されたとおりにやれた。私は助産師さんからの指導の甲斐あって『ソルジャー』にクラスチェンジしてたのだ。ある時、友人に誘われコートを着て買い物に出たら、「え、なんで暑いの? 空気が張り詰めてなくて穏やかなんですけど!!?」となって春の訪れを知った。
夫は沐浴とか『これは父親の役割』という分かりやすいことはやってくれた。混合で育てていたので、哺乳瓶での授乳もお願いすれば嫌な顔せずやってくれたし。夜泣き対応も、私の腕が限界になればやってくれた。当時はありがたいと思っていたけれど、今の価値観だと足りてないですね。
ある時、子供に急な発熱があって、でも保険証は夫のカバンに入っていたため、職場に行って受け取り、その足で病院に行こうとした。夫の職場で子供を抱えながら自己紹介し、夫を呼び出すようお願いしたら「この一週間、無断欠勤してます」と。
夫には結婚前から借金があった。遊ぶ金欲しさにどうするアイフルしていたのが発端。会社に返済催促の電話がかかってきて、そこから居づらくなって行ってないと言う。どうして黙っていたのかと問いただしたら「◯◯(私)や、生まれてくる子供のことを考えたら言えなかった。二人を幸せにしないと……と思って、隠し通さなきゃと頑張ってた」と。当時、ニュースで取り上げられてた多重債務の地獄に落ちていた。闇金だ。
それから義両親も巻き込んで話し合い、アパートは引き払って夫の実家で暮らすことになった。生まれて半年くらいの子供は私の実家に預けて私もパートに出た。
この時、社会問題化していたものの、今のように銀行は個人ローンはお断り(家や車を買うのや学資はOK。債務の一本化などは受け付けられませんと審査すらしてもらえなかった)、弁護士が『債務整理承ります!』と宣伝打つようになるのも、もっと何年も先の話。家族ぐるみでひたすらその月、その月の返済に追われた。
正直、アパートでのほぼ子供と二人きりのような暮らしに飽き始めていたので社会に出られることはありがたかった。新生児がいては気軽に出かけられず、夫は帰宅して夕飯を食べたら即ゲーム。こちらから話しかけないと会話が始まらないことがストレスだった。今のようにスマホがあったわけでもなく、重いデスクトップPCを起動して、ピーヒャラーと電子音ならしてネットに繋いでいた時代。世間とのつながりはほぼテレビで感じていた。『ダサいダンナ改造計画』とか、今となっては炎上しそうな内容ですら、貴重な娯楽となっていた。もともとソロ活が得意な方だったものの、自分から一人で過ごすのと、強制的に社会から断絶させられるのとは違う。いつの間にか「外で働きたい人」になっていた。もちろん、子どもは可愛かったけれど、ほとんど寝るか泣くかご飯を食べるかの暮らしで、コミュニケーションが取れるようになるのはもう少し先だった。
それと専業主婦の立場に居心地悪さも感じていた。自分のお金で稼いだものじゃないので、ちょっとしたおやつや趣味の雑誌を買うのも躊躇していたのだ。
自分の稼いだお金で子供の服を買ったときにちょっと感動すらしてしまった。結婚前は当たり前だったのに、自分の稼ぎで必要なものを買うことの『当たり前』に『誇らしさ』がオマケでついてきた。とはいえ、結局稼ぎの殆どは夫の借金返済に充てられていたのだが。
あと外に働きに出て、ある程度自分の裁量で物事を決め、今後の見通しが立てやすい作業は子育てに比べてとてもやりやすかった。
そして夫実家で近居の義兄からこっぴどく叱られたことがあった。義兄もまた夫の作った借金のため金策に励み、会社をクビになった夫の働き口を探してくれていたのだ。それを知らず、夫婦で食材の買い物に行き、やってきた義兄に対して、義父が『二人で遊びに出かけてる』と伝え、激怒された。
こっちが苦労して東奔西走している間に、遊びに行くとは何事だと。家庭を持つことに対する自覚がなさ過ぎると。
遊びに行ってたわけではないのだが、自覚がないというのは最もだ。もっと『夫を』怒ってくれ……と思っていたら、私も一緒に叱られた。夫が私に黙ってこさえた借金は、親子三人の生活費にも使われていたため、周囲から見れば私も同罪だったのだ。今となっては「それはそう」と思うけれど、その当時の自分にとっては「そうなの?」という気持ちでいっぱいだった。私は自覚のないまま、分をわきまえない借金をこさえた大馬鹿者になっていたことにこのときようやく気付いた。一緒に買物に行って、私のカバンに商品を入れて万引きした絶縁した友達を思い出した。夫は私が叱られている間、ずっと「カミナリがこちらに降りかかりませんように」と空気になっていた。義兄の帰宅後もフォローはまったくなかった。この時、夫の中では「お前のせいで借金が膨らんだ」と思われていたのだ。
その後も夫は新しい職場でもうまくいかず、家出もした。もうこの頃には「怒って詰めたら、話し合いまで発展しない」と分かっていたので、諭すようにこれからのことを話した。……が、「もう無理。人間はそんな簡単に変わらない」と弱音しか吐かなくなり、ついには「お前、変わったよな」と言われた。私は出産をキッカケに『ソルジャー』になった。しかし夫はまだ私に『プリンセス』を求めていた。
家出中に何をしていたのか、今後のために携帯のチェックをさせてもらったら、出会い系に登録していた。この頃は『メル友募集』とかそういうヤツだ。実際に出会うところまではいってなかったけれど、出会おうとしているところまでは確認した。夫は自分を慰めてくれる『プリンセス』を探していた。
そこからは自分の実家を頼り、出戻ってお互いの両親を交えて話し合い。養育費が払えるとは到底思えなかったので、最初から請求せず。代わりに面会もさせない運びとなった。夫はその頃にはもうとにかく「自分だけがかわいそう。この世のすべてが自分を傷つけにくる敵」みたいな状態に陥っていたので、子供に執着もなく揉めることはなかった。生活の中で新しく二人で買った家電や生活雑貨はすべてこちらで引き取ることとなった。ほとんどは私の独身時代の貯金から出していたので異論はでなかった。しかしプレステ2だけは譲ってくれなかった。それくらいの執着を私と娘にも向けてほしかったと思う。
若気の至りで周囲の人に迷惑をかけた。その恩返しではないけれどやがて訪れた実父の闘病生活はできる限り付き添い、実父が亡くなり一人暮らしになった実母にも、今も頻繁に実家を訪れ日常の買い物や困り事を解決したりしている。(義父除く)義実家は一緒に暮らしている間によくしてくれたので、今でも申し訳ないと思っている。孫の成長も見せたかったが、連絡を取らない取り決めに巻き込んで会わせていない。
いろいろ私視点から書いたので夫の言い分もあると思う。振り返ると二十歳過ぎたばかりのアンチャンには荷が重すぎたとも思う。
夫には良いところももちろんあったし、私にも至らない点が多々あった。さらに離婚することで借金から逃げたとも言えるし、今の価値観で判断すると、子どものために養育費は請求するべきだったかもしれない。
長々と書き綴ったアレコレもそれぞれが離婚の原因にはなったものの今となっては大方許せる。時が経てば大抵のことはどうでも良くなるし、人を恨み続けるほどの胆力は、その後のシングルマザー人生で別のところで必要になったため雲散霧消した。
でもそれでも出産日に寝坊して遅刻してきて退院の時に迎えに来てくれなかったうえ逆ギレしてきたことと、借金を隠して、さらにその理由に「私と娘のため」と発言したことは、今でも絶対許さないと思っている。