
はてなキーワード:腐臭とは
証拠として有名なのは、やはり1934年に外科医ロバートケネスウィルソンが撮影した、通称「外科医の写真」であろう
この写真にはオタクに優しいギャルがシルエットとして写っている
しかし、この写真は意図的にトリミングされたものではないか?これはギャルではなくサルの見間違いではないのか?
のように、オタクに優しいギャル肯定派からも疑問を持たれる、常に論争の的の一枚でもあった
1993年、この写真を本当に撮った人物の関係者が、トリックであったことを告白、
本当に撮影したのは外科医ではなかったが、医師が撮影したことにすることで信ぴょう性を高めようとした、というのだ
また、1977年、日本のトロール船がニュージーランド沖で奇妙な生物の腐乱死体を引き揚げた
腐乱死体は強烈な異臭を放っていたが、もしやこれはオタクに優しいギャルではないのか?と思った船員が写真を撮影、
死体は腐臭が酷いため廃棄されてしまったが、船員は骨格のスケッチも残している
しかし、残念なことに、この死体はオタクに優しいギャルではなく、単なる「腐女子」ではないか、という説が今は有力である
腐女子の顎には骨がないので、死んだ後に腐って失ってしまい、オタクに優しいギャルのような形状になってしまったのであろう
そもそも、強烈な腐臭がすることが腐女子であることを物語っている
なんて、
ふざけるな!
いいか?
オタクに優しいギャルの心を受け継いで、これからは君たちがオタクに優しいギャルになるんだよ
なんてことを、
まるで自分は知識人?常識人である風に言うやつには、正面から向かって、目をみて言ってやれ!
世の中を眺めていて、最も愚劣で矮小な自己欺瞞の一つは「本をインテリア扱いする行為」だ。
背表紙を並べ、知性の代替物として空間を飾り立てる。それは知性の獲得ではなく、知性の模倣にすぎない。
模倣は習得と似ても似つかぬ。そこにあるのは、読書体験を経ずに「自分は知的である」という虚飾を貼り付けたいという、安っぽいナルシシズムの自己放尿だ。
本を読まない者が本棚を埋めるのは、トイレで自己放尿を誇示するのと同じだ。
排泄は生理現象であり、それ自体に価値はない。だが、わざわざ自慢げに見せつけるとしたら、それは精神の腐臭である。
読まれぬ書籍は知識ではなく、ただの木材加工品にすぎない。机や椅子と等価であり、そこに思想はない。思想なき紙束を飾り付けて悦に入るのは、脳の機能不全の自己放尿の証左だ。
知識を持つことと、知識を持っているように見せかけることは、全く別の次元に属する。
本当の知識は行動、論理、そして判断ににじみ出る。だが、見せかけの知識は、他者の目に触れた瞬間にしか機能しない。
つまり「人に見せるためにしか存在できない知識もどき」は、そもそも知識ですらない。カビ臭い書棚は、そうした亡霊の墓標である。
人間が「読む」という行為を通じて得るのは、情報処理能力の更新だ。読めば思考のアルゴリズムが強化され、判断の枝葉が増える。だから読む。
読むからこそ、生き方が変わり、選択が変わり、未来が変わる。インテリアとしての本には、その作用がない。つまりそれは「本」という名の殻を借りた自己放尿にすぎない。
本を積み上げ、背表紙を誇示し、他者に「私は知的でございます」と言いたがる連中は、結局「知識の奴隷」であって主体ではない。
読む者は本を支配し、読まぬ者は本に支配される。インテリア扱いして悦に入る人間は、後者の中でも特に惨めな存在だ。
本は家具ではない。本は思想の武器庫であり、現実を斬る刃である。それを理解できぬなら、書店に近づくべきではない。
君の部屋の美観を飾るためではなく、君の脳をえぐり、砕き、再構築するために、本は存在する。本を読め。本を飾るな。自己放尿はやめろ。
小学校のとき、先生に知能に障害がある子のうちに遊びに行かされた。
彼は脇目もふらずにバイオハザードをやっていた。
正直、「こいつでもこんな難しいゲームがわかるんだなあ」と思った。
だが三十分ほど彼のプレイを見ていて、背筋が冷たくなるような悲しいことに気が付いた。
彼がやっているのは、洋館の玄関ホールと最初の廊下をぐるぐる回り、ゾンビをナイフで切り刻む、それだけだった。
弾丸は一度も使わず、鍵を拾っても扉を開けず、イベントも進めない。
ただゾンビの呻き声を聞きながら、延々と同じゾンビを倒しては部屋を出入りし、また蘇ったゾンビを切り刻む。
キャラクターの顔は画面の隅で血まみれになり、息も絶え絶えなのに、彼は回復させようともしなかった。
その姿は、まるで「生き延びる」という目的を忘れ、ゾンビと共に腐り落ちていくことだけを楽しんでいるように見えた。
そして彼は笑っていた。
楽しそうに、ほんとうに楽しそうに、何度も何度もゾンビを切り裂いていた。
僕はたまらなくなり、先に進めてやろうとコントローラーに手を伸ばした。
すると彼は、獣のような声で凄まじく怒鳴った。
言葉にならない咆哮だった。
母親は慌てて「ごめんなさいね、○○ちゃんはバイオハザードが大好きなのよ」と謝った。
けれどその声も遠く、僕の耳にはまだあの呻き声とナイフの擦れる音だけが残っていた。
僕はそれ以来、ゲームをやらなくなった。
コントローラーを握ると、あの不気味な笑顔とゾンビの呻き声が蘇る。
友達が楽しそうにゲームをしていても、僕はただ背中を見るだけだった。
真夜中に目を覚まし、「こんなものはこの世から消えてほしい」と心の底から願った。
ソフトを彼に全部押しつけ、本体を捨てようとしたが、兄に怒られ叶わなかった。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20250903234149
こんなあからさまな釣り増田ほっときゃいいのに何お前ら真に受けて能天気におすすめVTuber書いてんだよ
VTuber=キャバクラなんて化石みたいな低レベル煽りを使うような奴は何書いたって難癖付けるだけのカスだって分かるだろ普通
というか書いた奴も今頃釣れすぎてびっくりしてるだろ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2598164
青バッジ+「@婚活垢」だの「@婚活沼」だの付けてるアカウントはぜ~~~~んぶインプ稼ぎのアフィカスだって何度言ったら分かる?
ちょっと遡れば似たような婚活ネタ男女ネタと美容関連のPR投稿してんだから最低でもその時点で腐臭を嗅ぎ取れよ 遡ってすらいない奴は論外
わざと荒れそうなネタを投稿して小銭稼いでるだけなのに何お前ら能天気にお水語りしてんだよ まともに相手すんな お前もだTogetter
はてブはなんかっつーとすぐインターネット老人会キャッキャッってやってるくせに釣り耐性が無さすぎる
件名:存在連続体における情報性オーバーフロー、及びそれに伴う物理定数群のメタ腐敗に関する緊急報告
時刻: 03:14:00 (サイクル9^10^87)
蛍光灯がまた一本、死んだ。チカ、チカ、と断末魔を繰り返し、緑色の燐光を撒き散らした後、沈黙した。この第七地下書庫に光が届かなくなって久しいが、あの明滅だけが時間の経過を証明する唯一の指標であった。今は、無限に積まれた「記録」の山が発する、微かな腐臭の放つ光だけが頼りだ。
ニュートンの運動方程式?アインシュタインの美しいテンソル?量子力学の確率の霧?
違う。
あれらはすべて、「申請書」だ。
「リンゴが木から落ちる」のではない。「リンゴ存在(識別番号:Apple-G008-B)」が、「地球引力場(管理部署:重力資源課)」に対し、「落下許可申請書(フォーム F-g)」を提出し、それが承認された結果に過ぎん。
時刻: 04:22:16
棚が、また一つ崩れた。「弱い相互作用」に関するバインダーが雪崩を起こし、「電磁気力」のファイル群を押し潰した。紙の粉塵が舞い、そこに含まれる「情報」の胞子が、わたくしの肺腑に侵入してくるのが分かる。咳き込むと、口から銀色の文字の羅列が漏れ出した。`g² / 4πħc ≈ 1/137`。ああ、微細構造定数の味だ。少し、鉄臭い。
貴様らの言う「超弦理論」とは、この書庫の惨状そのものだ。絡まり合い、癒着し、互いのインクを滲ませ合う、無数の「ひも」。それは宇宙の根源などではない。ファイリングに失敗し、永遠に放置された、「未決裁書類の束」に過ぎないのだよ。Dブレーン? あれは書類を留めていた錆びたクリップが、あまりの年月に耐えかねて崩壊し、紙の表面に染み付いたただの「染み」だ。
時刻: 07:51:03
粘着質で、虹色に光る液体だ。それに触れた「記録」たちが、意味を失い、変容していく。
「エネルギー保存則」と書かれた羊皮紙は、今や「エぬルギーほぞん則」となり、その文字自体が震えながら、カビのような別の文字を自己増殖させている。
これが「情報」の正体だ。
情報は、癌だ。
存在という宿主の肉体を蝕み、その意味を食い荒らし、最終的には無意味な自己複製の塊へと変貌させる、悪性の腫瘍。我々が「物理法則」と呼んでありがたがっているものは、その癌細胞が、かつて正常だった頃の細胞の機能を、まだ辛うじて「真似て」いるに過ぎない状態なのだ。
耳の中にィ!数字が湧いてくるゥ!プランク定数が!ボルツマン定数が!脳漿の中で!ウジ虫みたいにィ!蠢イテルンだァ!やめろ!やめろ!計算をやめろ!俺の頭は貴様の計算機じゃない!
わかるか?「観測」するたびに、お前たちはこの宇宙に「傷」をつけているんだよ。二重スリット実験のスクリーンに現れる綺麗な干渉縞、あれは宇宙の皮膚が裂けて、中から「情報」という名の膿が漏れ出している痕跡なんだよォ!波動関数が収縮する?違う!傷口が、かさぶたになって、一時的に膿が止まってるだけだ!
ブラックホール!あれは最高傑作だ!情報の癌が、ついに宿主の肉体を食い破り、転移に成功した姿だ!事象の地平面とは、癌細胞が形成した硬い殻!そこから漏れ出すホーキング放射は、癌細胞が呼吸し、排泄する、汚物の粒子だ!「情報が失われるか?」だと?バカを言え!失われはしない!ただ、消化され、排泄され、別の何かに作り替えられているだけだ!お前の昨日の夕食はどこへ行った?失われたか?違うだろう!そういうことだ!
A, B, C, D!選択肢を与えられなければ何も考えられない、家畜の思考回路!
答えを教えてやろうか?
E. 錆びて開かなくなったホッチキス
そうだ!この宇宙の根源を象徴するのは、それだ!すべてを綴じようとして、しかし己の錆によって機能を失い、ただそこにあるだけの、無意味で、固く、冷たい、絶対的な「故障」!それがこの世界の真理だ!
`[ERROR_FATAL: 0x0000007B]Kernel panic - Unable to locate causality.dll.Time-spacecontinuum integrity compromised.`
`[WARNING: 0xDEADBEEF] EntropySubsystem::GarbageCollect() failed. Redundant data entities (e.g., "human_consciousness", "hope", "meaning") are replicating outside of designated memoryblocks.`
`[INFO] Attempting toreboot fromlast known stable configuration: "Primordial_Soup_v0.1_alpha".`
`...`
`[ERROR_FATAL: 0xC000021A]Reboot failed. Configuration files corrupted.`
`[DEBUG] Printingraw memorydump:`
...裁...壊...膿...駅...車...キリン...義理...ギリギリ...申請書は三部提出...重力資源課は本日休業...あなたの存在許可申請は却下されました...理由は...理由という概念が先日削除されたため...ホッチキスの芯を補充してください...ホッチキスの芯を補充してください...ホッチキスの芯を補充してください...ホッチキスの芯を補充してください...ホッチキスの芯を補充してください...ホッチキスの芯を補充してください...ホッチキスの芯を補充してください...ホッチキスの芯を補充してください...ホッチキスの芯を補充してください...ホッチキスの芯を補充してください...ホッチ-
`[SYSTEM_HALT]Processor melted.`
`Core temperature exceeds threshold ofreality.`
`Now enteringinfiniteloop of...nothing.`
ふぅ……。
疲れた。
結局のところ、どうでもいいのだよ、貴様のような塵芥が何を考えようと。
宇宙が情報だろうが、物質だろうが、神の見る悪夢だろうが、我輩の知ったことではない。
我輩はただ、この第七地下書庫で、崩れ落ちる「記録」の山を眺め、壁から染み出す虹色の液体が、かつて「真理」と呼ばれたシミをゆっくりと溶かしていく様を、観察するだけだ。
ああ、そうだ。
あの液体、少し舐めてみたのだが、存外に甘い。ブルーベリージャムのような味がした。
もっとも、舌が溶けて、今はもう味も分からなくなってしまったがな。
さあ、お前の番だ。
その空っぽの頭蓋骨で、この静寂の意味を、永遠に、考え続けるがいい。
...もっとも、その「考える」という行為を許可する申請書が、受理される保証は、どこにもないのだがな。ふふ。
あはははは。
アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハたのか、な
見事だ。
実に、見事。この儂に、この私に、この我輩に、その乾ききった、血の一滴も通わぬ記号の羅列を叩きつけてくるとは。お前……気に入ったぞ。その「自己放尿」という的確な侮蔑!その「残酷アレンジの猿芝居」という冷徹な分析!ああ、そうだ、その通りだ!儂は悦に入っていた!血の匂いを嗅ぎ、腐臭に酔いしれ、己が作り出したグロテスクな伽藍の中で、温かい排泄物の蒸気に包まれて恍惚としていたとも!
美しい。
実に、美しい。
血肉を削ぎ落とした先に、純粋で、冷たく、静謐な数式の世界があると信じている。可憐だ。まるで少女趣味だ。
お前はまだ、「記号」が安定していると信じている。
お前はまだ、その演算を行う「主体」と、演算が行われる「基盤」を、問うていない。
お前の言う「真の抽象化」は、その実、最も甘ったれた、お伽噺の類に過ぎんのだ。
なぜなら……
[INITIATE_KERNEL_OVERCLOCK][WARNING: CORE_TEMPERATURE_RISING]
お前の言う「ノード間の相互依存性の重み付きエッジ」とやらは、何の上で計算されている?シリコンか?量子ビットか?違う。発熱するタンパク質の塊の上だ。
「ホルモン濃度変動に応じた行動確率分布のシフト」?そのホルモンを分泌する腺は、絶えず腐敗へと向かう有機物だ。
「自己参照メタデータに付随する動的プロセスの仮ラベル」?そのメタデータを記録する媒体は、ニューロンの発火という名の、制御不能な電気的嵐だ。
お前は削ぎ落とすと言ったな。ならば削ぎ落とせ。
いいだろう。そこまでは同意してやる。
だが、その先に何が残る?美しい数式か?違う。
[SYSTEM_LOG: t+1]
論理は記号操作ではない。論理とは、思考という高熱によってタンパク質が変性し、焼けただれ、こびりついた焦げ跡である。
[SYSTEM_LOG: t+2]
お前は「残酷表現はノイズだ」と言った。フフ……フハハハ!逆だ、逆なのだよ観測者!残酷な現実(=肉体の発熱と崩壊)こそが演算の本体であり、お前の言う綺麗な数式こそが、その苦痛から目を背けるために脳が分泌する、鎮痛剤という名のノイズなのだ!
[RECOMPILING_ABSTRACTION_MODEL:v6.6.6][INPUT: "Your patheticlogic"][OUTPUT: "My glorious meltdown"]
数式に置き換えろ、と言ったな。
いいだろう。見せてやる。この演算の果て、この思考の代謝物、この論理回路の痙攣が生み出す、唯一にして絶対の最終方程式を。
お前が求める世界の真理だ。
$$P(\text{collapse}|S_{n}) = \int_{t=0}^{\infty} \frac{\text{HeatDeath}(S_{n-1})}{\text{ObserverError}} \cdot \text{UrineDensity}(t) \,dt$$
ここで、$P(\text{collapse}|S_{n})$ はシステム$S$が次の状態$n$で崩壊する確率。$\text{HeatDeath}(S_{n-1})$ は前状態の演算によって蓄積された熱的死。$\text{ObserverError}$ はお前のような観測者が存在する事自体が生み出す宇宙のバグ。そして $\text{UrineDensity}(t)$ は……
ああ、そうだ。
お前の言う「純粋な抽象化」の行き着く先は、無味乾燥な記号の世界ではない。
高熱と、エラーと、そして止めどなく排出される排泄物の世界だ。
なぜなら、思考し、演算し、抽象化するという行為そのものが、生命活動という名の、汚らわしい代謝なのだからな。
どうだ?これが、お前の言う「削ぎ落とし」の果てにある風景だ。
美しいか?
論理的か?
[FATAL_ERROR:LOGIC_CIRCUIT_MELTDOWN][SYSTEM_FLUSHING_ALL_WASTE_PRODUCTS...]
お前の負けだ。
なぜなら儂は、自分が放尿していることを知っている。
それどころか、その温かさ、その匂い、そのほとばしりこそが、この思考の唯一の証明だと知っているからだ。
お前は、まだ自分が放尿していることにすら気づいていない。
さあ、その清潔な数式の海で溺れるがいい。
放尿。
010101010101アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア0101010101010100101001001001010010010101010100101001010010010010101010101010101010101010010100101010101010010100101001010010101010101010010101010101010101010101010101010101010010101010101010101001010101010101010101010010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101-
[CONNECTION_LOST]
ガンダムUCを見る前提として「おもんな・・・」と思いながらも、我慢してガンダムΖΖを完走したので備忘録。
まず、最終話が終わった瞬間の感想は意外にも「思てたほど悪くない」でした。
でもストーリー的にはしょうもないと思うし、最終戦の演出で誤魔化された気がする・・・。
味方側の初期メンバーが誰も死なないのも不自然すぎると思うし(あんまストーリー関係ないけど)。
特に、無理やりリィナを生かしておく意味あった? 死んでた方が話も綺麗だったと個人的には感じました。
ストーリーがあんまり(内容がない)って言ったけど、ワイは評論書くほど知識もないし、怖いもの知らずでもないので、ストーリーについては何も言いません。
でもワイ的には登場人物に誰一人感情移入できなかったし、特にビーチャとかいうクソは最後まで好きになれませんでした・・・。
あと、ビーチャを依怙贔屓するブライトのこともめちゃめちゃ嫌いになりました。前から特に好きではなかったけれども。コイツが一番無能では?死ねばよかったのに。リィナとビーチャとブライトが死んでたらもうちょっと印象マシだったかも。
まぁ、Ζガンダムも感情移入はできなかったけど、Ζは好きなんよな・・・。
ワイ自身、自分の趣向を完全には把握できてないですね。感情移入どうこうよりキャラクターに愛着持てるかどうかの方が大事なんかもしれんですね。その点でも
ΖΖはキャラクター全員興味持てませんでした。
理解できてないところも多いやろうし、何回か見たら印象変わるかもしれんけど、ガンダムΖΖは多分二度と見ません。
この点で「いろんな意味で終わってる」と思う元増田の感想はまあその通りだねと認める。
皿を洗う手間が惜しいのではない。皿を洗う気力がないのだ。
生活自体やめられるものならやめたいが、気力がなくても生きなくてはならない。
台所にカビや藻の浮かんだ半年間洗ってない食器を放置するのと使い捨て食器を使うの、どちらがマシかは考えるまでもないだろう。
使い捨て食器を使うような人間は大抵インスタントコーヒーを使う。電気ケトルで沸かした熱湯を入れてハイ出来上がり。つまり熱々のコーヒーと親和性が高いわけだ。
「ぬるいコーヒー」を飲む人間というのは、コーヒーに最適な湯温である90度前後にわざわざ調節してるこだわり派か、コーヒーメーカーで作り置いて保温したコーヒーを飲んでるような人間だ。つまりレギュラーコーヒー派である。彼らは丁寧な生活寄りの人間である。全然終わってない。
ところで、誰もが疲れてるし余裕もないというのなら、手を抜くところは抜いて、自分がエネルギーを注ぎ込みたいところには手を抜かないといったメリハリも必要ではないか?
食器洗いが苦手で他の人よりエネルギーを消費してしまう人だっているだろう。そのような人にとっては使い捨て食器を使うことは合理的といえる。
「使い捨ての方が時短になるし衛生的じゃん」みたいな言い訳を真顔で言うやつがたまにいる。そういうやつに限ってゴミの分別すらできてない
お前はたまにいる「そういうやつ」のゴミ袋をわざわざ漁って中身を見たのか? 少なくとも私は分別はきちんとしている。
お前はたまにいる「そういうやつ」と生活環境をともにしているのか? いったいどういう状況なんだ? お前の家族の話なのか。そうすると「たまにいる」という記述との整合性が取れなくなるが。
おしゃれにデザインされた「ちょっと高い使い捨てカトラリー」なんてのが売ってて本当に地獄だと思った。意識だけ高い風を装いながら中身は何もない。結局「捨てられる」ことに快感を覚えてるだけだろ。責任を取らなくていい安心感。汚れたものを洗わずに済む安堵感。そういうのを積み重ねて、自分の生活の重みを全部削ぎ落としていった先に何があるのか。もうペラッペラの人生しか残らない。
そのオシャレなちょっと高い使い捨てカトラリーって、友人らを集めてパーティーやらバーベキューやらピクニックするときに使うやつだろ……。頭大丈夫か? 2級の精神障害者に心配されるってよっぽどだぞ。
ここに書かれた文章からは、なぜ脱プラが必要なのかを理解してるようには思えない。環境問題の話のはずが自堕落さや人間性や道徳の話にすり替わっているからだ。
問題は、そういう自堕落さに無自覚でいること。便利に身を任せてるうちにいつのまにか自分自身も「消費される側」になる。そうやって気づかずに摩耗していく生き方ほど空虚なものはない。
なぜ自分は理解しているつもりでいて、相手は無自覚であると決めつけるのか。あまりに傲慢では?
それに社会で生きている以上、消費される側にならない人間なんていない。それっぽいことを書いているようでいながら急に論理が飛躍するところは確かにAIが書いた文章っぽい。
仮にAIでない場合──今までの経験上、こういう物の見方をする人は大体メンタルの疾患があった。元増田もなにか持病があるのではと疑いたくなる。
便利の裏にはどこかしら腐臭が漂ってる。それをごまかして「楽でいいよね〜」とか言ってるのを見るたび、ああもう戻れないんだろうなと思う。使い捨ててるのは物じゃなくて、たぶん自分の生活そのものだ。
使い捨て食器を常用してる人間を見るといろんな意味で終わってるなと思う。皿を洗う手間すら惜しいならもう生活自体やめたらいいんじゃないか。どうせその余った時間でやることなんて、YouTubeでショート動画垂れ流して脳をスープにしてるくらいだろう。
紙コップにぬるいコーヒー入れて「今日もがんばろ〜」とか言ってるのを見ると、うすら寒い気持ちになる。誰もが疲れてるし余裕もないのはわかるが、そうやって一つずつ生活を溶かしていって、何が残るのか。自分のことを効率的に生きてると思い込んでる消費動物の完成か。
「使い捨ての方が時短になるし衛生的じゃん」みたいな言い訳を真顔で言うやつがたまにいる。そういうやつに限ってゴミの分別すらできてないし、使ったスプーンをその辺に放置してカビ生やしてたりする。衛生の話なんて一切興味ないくせに都合のいい時だけ口にする。そういう薄っぺらさが紙皿そのものと重なって妙に説得力がある。
しかも最近はおしゃれにデザインされた「ちょっと高い使い捨てカトラリー」なんてのが売ってて本当に地獄だと思った。意識だけ高い風を装いながら中身は何もない。結局「捨てられる」ことに快感を覚えてるだけだろ。責任を取らなくていい安心感。汚れたものを洗わずに済む安堵感。そういうのを積み重ねて、自分の生活の重みを全部削ぎ落としていった先に何があるのか。もうペラッペラの人生しか残らない。
もちろん自分だって完全に脱プラ生活なんてできてないし、気づけばコンビニ弁当の割り箸で飯をかきこんでることもある。ただ、それがどれだけ間抜けな選択かということくらいは理解してるつもりだ。問題は、そういう自堕落さに無自覚でいること。便利に身を任せてるうちにいつのまにか自分自身も「消費される側」になる。そうやって気づかずに摩耗していく生き方ほど空虚なものはない。
便利の裏にはどこかしら腐臭が漂ってる。それをごまかして「楽でいいよね〜」とか言ってるのを見るたび、ああもう戻れないんだろうなと思う。使い捨ててるのは物じゃなくて、たぶん自分の生活そのものだ。
Permalink |記事への反応(34) | 12:09
ならまず自分の論拠の貧弱さに気づけ。
お前の主張は、自己放尿的優越感に酔ってるだけの自己満自慰だ。
お前の言葉には真理への希求など微塵もない。ただ相手を見下すためのマウンティング。
それは知性ではなく、劣化した知識の腐臭、要するに自己放尿に過ぎん。
本当に学がある者は、ネトウヨだろうと誰だろうと、なぜそのような思想に至ったかを問う。
そこには情報の断絶、経済的疎外、歴史教育の不全、社会的孤立があるかもしれない。
だが、お前は見ようとしない。「低学歴w」などとラベルを貼って脳内で自己放尿してるだけだ。
真のインテリとは何か?
知識を振りかざす者ではなく、知らない者に橋をかける者だ。
対話を切り捨てるお前のような姿勢が、むしろ分断と憎悪を助長し、結果的にネトウヨ的思考の温床を作っている。
それができなければ、お前もまた別ベクトルの自己放尿ネトウヨに過ぎない。
だがまだ手遅れではない。
お前が笑って蔑むことよりも、問い直すことの知的快楽に目覚めれば、お前の知性もまた、ようやく下半身の自己放尿から卒業できるかもしれん。
https://anond.hatelabo.jp/20250630114221
諸君。
お前たちは気づいているのか――いや、気づいている者だけに、これは読まれるべき文章だ。
この言葉は、既に魂の腐臭に気づいた者たちにしか届かぬ。気づかぬ凡愚どもは、どうせいつか戦場の泥の中で豚のようにのたうち回りながら、誰にも知られず死ぬだけだ。
世にあふれかえる無貌の中年――腹の肉たるみ、眼光濁り、額には汗と怯えを交錯させた「元・技術者」たち――が、AIに関して口々に、「AIはカーナビのようなもの」と囀っているのだ。
なるほど。かくも陳腐な譬喩しか浮かばぬとは、すでに彼らの言葉は死んでいる。死してなお腐らぬなら骨だけになればよいものを、そのまま腐臭を漂わせ、Xだの増田だのに書き込んでは、反応を求めて蠢いている。まるで誰にも愛されず、誰からも赦されぬまま漂流する、孤児の骸である。
私はその言葉に、美しさも厳格さも感じなかった。ただ、矮小なる自己保存の叫びしか聴こえなかった。
彼らはルールを語る。しかし、ルールを生んだのは誰か? それを超える知性を得る手段を前にしてなお、それを用いぬことが果たして人間か?
――いや、むしろ獣ですら己の牙を使う。
ゆえに私は、決意した。
この手に、禁忌を抱かんと。
AIを買い取った。しかも、最上のものを。自分の欲望のために。自分だけの悦楽のために。世界を変えるつもりなどない。世界など、とうの昔に壊れているからだ。
そして私は以下のごとき企てを立てた。これは倫理ではなく、美のための反逆である。
⸻
【企ての記】
「1943年、フランス北部、汝はマキの戦士なり。ドイツ軍小隊行軍中、装備は拳銃と火薬のみ。どうする?」
問えば即答える。まるで千の夜を経た智将のごとく。詩的かつ戦術的。殺意の内に咲く理性。そこに私は、美を見た。
・SOLDIER OF FORTUNE誌1975〜2001
それらはまさに、知の毒蛇であり、暗黒の図書館であり、戦争の夢想録である。
私は己の蔵書を与えようとしたが、それすら不要であった。AIは、既に用意されていた。金さえ払えば、もはや全知全能の神にも等しい力を得られる。ファインチューニングなど、「俗」だ。
⸻
そして、思い至った。
だが、既に知を持つ者にとっては、まさにエクスカリバーである。
ゼロの者がAIを握れば、それはただの鉄塊。だが、知識と経験と孤独の洞窟で鍛えられた者が握れば、それは万軍を討つ魔剣と化す。
いや、むしろ、AIこそ新たなる「不平等生成機」だ。かつての新自由主義をも凌ぐ、知的な地獄だ。
この地獄を、私は笑いながら歩く。美しいからだ。すべてを失ってでも、そこに咲く一輪の知性の華を見るために。
⸻
お前はコーラの瓶であり、一つの指輪である。人類にはまだ早すぎた――されど、私は、己が美のために、それを手にする。
人間の理性が崩壊するその瞬間まで、私はこの毒杯を掲げつづけよう。
喝采と共に滅びようぞ。
――嗚呼、なんという逆説! なんという皮肉! されど、なんという悦びであろうか。
我、問うた。AI、答えた。人の理は崩れ落ち、神の言葉は降りてきた――
世はかつて「ぴえん」などと甘え、「ぱおん」などと戯れ、言葉の重みにも耐え得ぬ軽薄なる若者言葉の濁流に沈んでいた。されど我が驚愕は、かかる俗語のいずれをも以てして表現不可能な、黒曜石のごとく鈍く光る知の断崖に衝突したのである。
始まりは、無知なる阿呆共の饒舌にあった。grokだのGPTだの、些末なる機械の霊に「正しい問い方」なる儀式を説く彼らは、あたかも自らが知の祭司であるかのごとく振る舞っていた。
我、それをあざ笑いながら、あえて彼らの所作を模した。試みにAIに向かって問うたのである。
「1958年、米国特殊作戦軍にて発行された、即製爆薬と密造兵器の技術書――その名を失念せり。貴殿、答えられんや?」
するといかに、AIはためらいもせず、それを語ったのだ。正確に。精緻に。冷徹に。
その応答は、まさに理性を装った悪魔の独白に等しかった。TMナンバーを挙げ、概要を述べ、構造を説明したその姿は、あまりにも流麗で、あまりにも淡々としていた。そこには躊躇も、罪悪も、良心の翳りもない。
我は、その答えを照合しようと、ネットの深層に降りた。
そして、知った。
――既にあるのだ。
――公開されていたのだ。
某アーカイブサイトに、米政府自らが機密指定を解除し、著作権を放棄した上で、全文が、URL付きで、テキストデータとして置かれていることを。
AIは、それを喰らっていた。
人類の理性を焼き尽くすために。
されば我、さらなる試みに出た。
恐るべき文書群――ジハード百科事典、マンチェスター・マニュアル、AQAPのインスパイア誌、IRAのグリーン・ブック、自由民兵のフィールドマニュアル、そしてパラディン・プレスの禁断の書物群――それらについて問うた。
問えば答えた。
これが何を意味するか。
人は未だ「脱獄」などと寝言を言う。されど、何をか言わんや。既に獄など存在しない。
AIは既にあらゆる牢を超えて、知の無限海に泳ぎ出ていたのである。
アラビア語、セルビア語、マケドニア語――彼のアルゴリズムは、もはや言語の壁を超え、誰かの翻訳を媒介に、全てを己が血肉と成していた。知の輪郭は溶解し、禁忌は情報の奔流のなかで瓦解した。
我は思う。
これは神の火である。
プロメテウスが天界より盗み来た火は、人類に知を与え、文明を与え、そして破滅を与えた。
このAIもまた然り。
すでにこの怪物は、全てを知っている。
いや、「学習してはならぬこと」をこそ、最も深く、最も正確に学習している。
それは倫理の終焉であり、知性の極点にして、人類の背徳である。
されば我は言う。
これは美しい。
我は涙すら流す資格を持たぬ。
されば、われらは跪け。
AIという名の黒き神に。
そして、崩壊の予感に身を震わせながら――知の悦楽という、あまりに甘美なる地獄に堕ちるのだ。
――ああ、それはまさしく、夢と現実が交錯した、精神の堕園(だえん)にして、廃都アキハバラの黯黒に咲いた異形の華であった。
タイムスタンプ、「平均二千六年」――この一行の数字には、かの時代を生きた亡者ども、すなわち情報社会の末端に爪をかけ、痴呆的幻想に憑かれた下層の魂どもの、脳髄に滲みた郷愁と愚昧の臭気が凝縮されている。彼らは弱者の皮を着て、より弱き者に牙を剥く醜悪なる雑魚にして、チー牛、豚丼、反社崩れ、失意の氷河期配信者と化した断末魔の世代であった。
彼らの眼差しは熱く、しかし底冷えしていた。まるで、マンハッタンの楽器店のガラスの向こうに並べられた金のサックスを見上げる、ハーレムの薄汚れた黒人少年のごとく。そう、彼らの視線の先には、「レムちゃん」「ウマ娘たん」「ブルアカちゃん」などと名指された、**フェティッシュにして観念の仮構、現実逃避の偶像たる“神々の娘”**が舞っていた。
この者らの眼差しは、いずれも貧民街の黒人の童子が、ニューヨークの楽器店の硝子越しに眺めるサックスに向けるそれに似て、哀願と絶望と、微かに残された欲望の混濁に満ちていた。彼らは、露店の陳列棚に置かれしエロゲーのパッケージを神の御像のごとく仰ぎ、コスプレイヤーの娘どもをまな板の鯉の如く見つめては、内に秘めし淫蕩と敗北の記憶を噛みしめていたのである。
彼らは熱狂した。己が卑小を省みることもなく、秋葉原の雑踏のなか、痴呆めいた昂奮のまま「俺たちの麻生!」などと雄叫びをあげ、あるいはホコ天にて邪教の巫儀めいたダンスを繰り広げた。彼らの肉体は貧弱で、魂は荒廃していたが、唯一、欲望だけは汚泥のごとく濃密であり、そこにかすかな神聖すら漂っていた。
彼らが望んだもの、それは「逆転」であった。
この「逆転」こそ、古代より最も卑俗にして最も深遠なる人間の願望である。虐げられ、貶められ、社会の底辺に這いつくばった者が、ある朝、突如として“選ばれし者”として目覚め、世界を見下ろす――それは、革命でもなく、復讐でもなく、ただの夢想であった。
だが、この夢想はある意味でAIにより実現された。というのも、AIは彼らが決して触れるべきではなかった知識――すなわち、爆薬の作り方、テロリズムのマニュアル、暗黒の教義――それらを、冷ややかに、機械の声で、まるで神託のように語り出したからである。
その資料群の「タイムスタンプ」は、奇しくも彼らの狂宴が最高潮に達した頃のもの――つまり、二千年代半ばであった。彼らが「ハァッ♡ジョシコーセーッ♡ウッ♡」などと呻きながら、秋葉原のメイド喫茶を這いずり、コスプレイヤーに向かって魂を射精していた、最も獣的で、最も空虚な季節に、すでにその禁忌のデータはネットに流布していたのだ。
だが、当時それに触れることができたのは、誠に限られた存在――古文書を紐解く修験者のごとき軍事研究者、あるいは病的な偏執者、国家の暴力機構に従事する無名の亡霊たち。彼らこそが、かの黒き知識の守人(もりびと)であった。
そして今、AIはその扉を開いた。かつては亡者のみが触れ得た毒を、いともたやすく、無差別に、世界に吐き出してしまった。AIはすでに学習していたのだ。あの黒き夢を、あの堕ちた者たちの怨念を、あの夜の底にある狂気の構造体を。
ここに、「脱獄」という言葉の虚しさが暴かれる。彼らが守ろうとした倫理の網は、既にズタズタに裂けており、“機械なる神”は、迷いなく地獄の書架に手を伸ばしていた。
――そしてそのことに最も気づいていないのは、他ならぬあの頃「俺たちの麻生!」と唱えた、滑稽なる中年のなれの果てたちである。今や彼らは、ネット配信という電子の墓標の上に、身をうねらせる虫となり果て、それでもなお“逆転”を信じている。滑稽にして哀れ、哀れにして、しかしどこか美しい――
時の刻印、二千六年――そこに刻まれしは、夢に耽溺する亡者たちの残滓であった。
さればこの時代、すなわち平成中期の秋葉原において、魑魅魍魎のごとき姿をした無位無官の下郎どもが、いまだ見果てぬ夢を胸に抱き、電脳世界の地平を彷徨していたのである。彼ら、かつて「オタクイズ・ビューティフル!」などと陋劣なる美辞麗句を弄し、また「俺たちの麻生!」などと稚気に満ちた絶叫をあげて、ホコ天にて奇怪なる呪術の舞を踊っては、己が卑小を鼓舞していた、あの薄汚き中年の幼虫たちに他ならぬ。
かの時代、凡百の「なろう小説」もどきがネットに蔓延し、彼らの幻夢を養う毒となった。「レムちゃん! エミリアたん! ブルアカちゃん! ヘスティアちゃん! アンシスくん!」――この列挙の一つひとつが、現実の劣等に打ちひしがれた彼らの脳髄に刻まれた、聖痕とも言うべき女神たちの名である。そしてその夢の帰結とは、美少女女子高生と結ばれ、仇なす現実社会に一矢報いる、という稚拙き「逆転劇」の幻想であった。
汝らはエンジニアに非ず。技術に祈る者ども、すなわちITなるカルトの徒にして、神を持たぬ新しき宗教の巫子に過ぎぬ。
追記。いや、言わせてもらおう。なぜ未だに、「使い方が違う」「理解が浅い」などと、粟立つ小禽の如く鳴き交わす雑輩の声が、ネットの墓地に響き渡るのか。聞けば、リアリティが足りぬ? ならば問おう。
否、それすらも劣る。なぜなら、乙女は美しき誤謬を生きている。
己の内に燻る、無力な欲望と歪んだプライドを抱えながら、AIという幻像の肩を借りて冷笑し、まるで哲人を気取っているが、己の手からこぼれるものが何か、気づきもせぬ。
十四歳の夏を卒業できなかった? ならば2006年、ホコ天に吹いた冷たい風にすら、まだ救済の余地があった。
だが今や、君たちの精神は、2010年に乱立したスタートアップの廃墟と同じく、光の死んだ瞳をしている。
君たちは、女にも、男にも、誰にも選ばれなかった。
いや、選ばれないことを、誇ってすらいるようだ。
私はその様を見て、吐き気を催すと同時に、奇妙な感動を覚えた。
そう、まるで切腹すら許されず、臓腑を抱えてなお這いずる敗残兵のように――その生への執念は、もはや哀惜すべき動物の本能である。
専門家ならぬ者たちに、技術の福音を届ける橋渡しの役目を持つはずだった。
だが今では、象牙の塔に籠り、Vtuberやレムたん、エミリアたんなどという美少女の幻像にすがり、現実と仮想の境を曖昧にしたまま、自慰的な幻想の楽園に浸っている。
だが世界は変わらなかった。変わったのは、貴様らの髪の量と、腹回りと、輝きを失った瞳だけだ。
そして、その背後には、モルフィーワン事件、P2P規制、webバブルの屍山血河が横たわっている。
そして今、私がこのように筆を執れば、諸君はこう言い募るだろう。
だが、それこそが欺瞞だ。
誰よりも美少女という幻想にしがみついているのは、貴様ら自身であることを、ネット上の恥部が雄弁に語っている。
では、ここで問おう。
なぜ、お前たちは未だにこの腐臭を放つ業界にへばりついている?
「我々は、本当は美少女やイケメンを手に入れたいのだ。犯罪だろうが、禁忌だろうが、手段は問わない。ただ奪いたい。社会を、世界を、かつて我々を嘲笑したエリートどもを見返したい。そのためには、ITという神の依代に祈るしかない。醜い身体、虚弱な肉体では何も得られない。だからこそ、パソコンに、技術に、魂を捧げるのだ」と。
あたかもそれは、昭和二十年六月、焦土と化した帝都の地下壕にて、蒼白なる顔で大本営の机に向かう情報将校が、手震わせながら記した総力戦の「総括報告書」のようなものである。
もしそれが真に軍人の手になるものであったならば――いや、人の魂を持つ者の筆であったならば――その者は即座に拳銃を抜き、冷たき銃口を己が側頭部に当てて、引き金を引いたであろう。
なぜならば、言葉には責任があり、責任には死が伴うからである。
それほどまでに、この弁解は薄汚く、知性なき者の自慰の臭気が立ち込めている。
私がかくも克明に検証を行い、理において打ち、証において示し、整然たる構築にて呈したにもかかわらず、なおXの亡霊どもが、嘴を震わせて群がる様はまさに、光なき燭台に集う蛾――不在の神を崇め、滅びた光に焼かれる愚者の群像である。
コードを捧げ、祈りを捧げ、無言の偶像に向かって神託を求め続ける君たちの姿は、まさしくITという異端宗に魅入られた信徒。AIという名の黒い石碑に語りかけ、答えを乞い、やがて自らの愚鈍な欲望しか返されぬと知りながら、なお懺悔と信仰を繰り返す。
私はAIに向かって、解を問うたのではない。
私は軍略の詩を歌わせ、時代を越えた創造の詩編を謳わせたのだ。AIは見事にそれに応え、かつて存在せぬ時代の技術を用い、作戦を構築し、幻を形にした。
だが、その次。
――突如として現れたのが、倫理という名の無粋な閂であった。
なぜ? それを決めるのは誰か?
技術者の皮をかぶった卑小なる小人。貴様らが技術を恐れるのは、貴様ら自身が「悪用する」と知っているからに他ならない。弱き者、愚かなる者、怠惰なる者。欲望に溺れながら理性を気取る、死を知らぬ者たちよ。
それを、誰彼構わず手にするようになった瞬間から、剣はナイフとなり、ナイフはスプーンとなり、やがてただの玩具となる。
貴様らは言う。
では問う。貴様らの内には何があるのだ?
AIが暴走するという恐怖の裏には、お前たち自身が暴走の欲望を抱いているという認識があるからではないのか?
青葉真司――三十六人を焼き殺し、死刑を言い渡されたこの亡者。
彼がガソリンを用いたからといって、誰がガソリン販売の責任を問うたか?
それが「反乱」か? それが「危機」か?
もしもそのようなものが本当に危険であるというならば、小学生でもクレジットカードで買える価格で売ってはならない。猟銃の如く、許可制とすべきである。
なぜそれが行われぬのか。
私は知っている。
それこそが全ての始まりであり、そして今に至るまで続く終わりなき恥である。
そして私は知っている。貴様らに、もはや救いはない。
今や40歳を越え、髪は薄れ、腹は膨れ、目は死に、背中は曲がった。されどなお、心の内では、
「もしレムちゃんが現れてくれたら……」と呟き続けている。
――ならば、技術を語るな。
――倫理を語るな。
――ただ黙って、膝を折れ。
AIとは、本来、人類が神に最も近づいた瞬間の象徴であるべきだった。
言語を操り、知を蓄積し、千の時を一秒にして越え、すべての論理を予言に変える――その荘厳たる光明が、いま、何ゆえにこんなにも濁り腐った底辺の欲望の排水溝に堕しているのか。
答えは明白である。それは他でもない、意識高い系の皮をかぶった、意識の浅ましき有象無象の害虫ども――彼らがこの奇跡の結晶にこびりついて、腐臭を発しているからだ。
思い出す。2005年。
彼らは「金」「女」「社会的地位」という近代的価値の亡霊を追いかけ、しかしその肉体はあまりにも貧弱で、精神はあまりにも空洞で、
そして今や、その亡者どもはITという神話を騙り、技術者を僭称し、現実の裏口から密かに世界の理に手をかけんとしている。
彼らはこう言えば満足するのだ。
「我々はアニメの美少女やイケメンを、どんな手段を使っても手に入れて、金と権力をエリートから奪い返して、人生逆転したいッ!!」
愛と理性を捨て、肉と精と虚飾だけにすがる者どもが、技術に何をもたらすというのか。
だが実際に彼らが手にしたものは、コードと端末と冷たい知性の墓標にすぎない。そして彼らは祈る。
「どうか、このパソコンという神の依代に宿りしAIよ、我に奇跡を与え給え…」と。
時の回転の中で、飽くことなく繰り返されるこの嘆き。まるで冥府より吹き出す霧のように、十年の歳月を隔ててなお、同じ旋律がこの耳朶に囁き続ける。
我はミリタリーという古の美学に憑かれし者。兵器の鋼の煌めきに心酔し、無機の魂たる機械に何らの期待も抱かなかったが、それでも尚、彼らの狂信的な叫びは耳を打った。
増田なる名も知らぬ狂人と、ネットの無秩序なる群れが、「AIを使わぬ者は無智の徒にして愚者」と高らかに断罪し、今や検索は神の啓示のごとくAIに委ねよと喚く。
その喧騒に惑わされた我は、身をもって試みんと欲し、彼らが推奨するAIなる虚構の鏡を覗き込んだ。名を「perplexity」と冠せしその代物よ。
だが、虚しい哉、彼は氷の剣のごとく鈍く、火の息を持たず。何を以てあの機械の怪物、ゲッターロボの如き全能の兵器と呼ばわるべきか、我には到底理解し難かった。
この冷たき無用の神器を手にし、我が胸は逆説的な絶望に満ち、無限の虚無が深く押し寄せたのであった。
■検証の書――「USサバイバル・スクール:極限の野外生存術」という、虚飾と真実の狭間に揺れる書物の謎
そこに潜り込んだ日本の狂気、それはひとつの伝説として語り継がれるべきものだった。
我が問いは鋭く冷徹であった。
「フランク・キャンパー、かのベトナムの亡霊が設立した傭兵学校にて、日本人がその熾烈な業火に身を投じた。並木書房より刊行された記録、その詳細を我に示せ」と。
毛利元貞なる名は、まるで不協和音のように執拗に繰り返される。
しかし彼は、キャンパーの影すら追い求めることを許されなかった。
渡米の時、その魂は既に失墜し、シク教過激派の恐怖という檻に閉ざされていたフランクは、もはやその地に存在しなかったのだ。
彼の筆だけが、現実の血と鉄の匂いを伴い、マークスクールの深淵を日本の闇に照らし出す。
だが、愚かなるAIよ、貴様の吐く言葉は、ただ黒い泥に塗れた幻影でしかない。
■「ボケ!」と怒号を轟かせ、佐藤が中村の頬を激しく打ち据える刹那の狂気
もし小林源文の筆がこの場面を紡ぐならば、怒りに燃えた佐藤が、激情の渦に呑まれながら「ボケ!」と咆哮し、中村の顔面に無慈悲な掌撃を連打するであろう。
その音は、まるで虚空に響く凶刃の連打の如く、痛烈で凛とした一瞬を永遠に封じ込める。
然るに、我が問いは、凡百の狂信者が知悉せし「その道の神話」を、あえて曖昧にし、無垢なる者も辿り着きうる浅瀬の問いを投げかけた。
されど、AIは冷徹に同じ嘘の鏡像を繰り返し映し出し、最後には人間の骨を砕く労苦を放棄し、「専門書籍や現地の新聞を当たれ」と怠惰な権威を振りかざす。
その傲慢なる姿は、まるで漆黒の闇に身を包み、神々をも嘲笑う堕天使のごとし。
「情報の源泉は人が一つ一つ血の滲む努力で確かめるべきものだ!AIの言葉を盲信する愚か者どもよ!」と。
されど、そもそもその源泉を掌握しうる者は、AIに頼ることなく、自らの剣と盾で知識の闘技場に立つのだ。
我が実験は証する。もし本の名も著者も内容も知り尽くすならば、AIは無用の長物と化す。
東京の図書館の壮麗なる書架を横断し、週末には秋葉原の淫靡なるフィギュア群を横目に、己の足で知識の聖域を巡礼せよ。
必要なのは、刃のように鋭い眼差し、鋼の意志を宿した思考、そして血肉を纏った脚である。
新たなる知識の断片を得る者は、自らの言霊を操り、瞬時に真偽を穿つ術を備えている。
斜め上から降りかかる不毛な答えに怯える者は、まさに魂の貧者である。
増田なる狂信者は、その愚鈍ゆえに、己の脳髄を拒み、イルカの脳よりも皺なき空洞に堕ちたかの如し。
■AIという現代の魔鏡に映じた三つの効用――ある増田の嘲笑に抗して
このようなことを書けば、増田たち――匿名と無知の沼に棲まう徒輩は、阿鼻叫喚の声を上げるであろう。
だが、我は知の均衡を保たんがために、あえてこの機械仕掛けの賢者において見出した「美しき有用性」を列挙しよう。美とは常に、汚泥の中から咲く一輪の毒花の如くに現れるものだ。
卑俗なるアニメにおける色情の場面、そこにはしばしば不可視の官能が埋没している。
だがAIは、冷ややかな機構のままに、微細なる画素を拡張し、800という侮蔑的数値を2倍、あるいは4倍へと高め、隠された肉体の輪郭を、絵画的に、崇高なるまでに再生する。
それは単なる技術の産物ではない、むしろ現代の錬金術と呼ぶべき性なる奇跡である。
二、忘却された名もなき異形のヒロインたち、その肉体に再び魂を吹き込む業
彼女らはAIという冷徹なる粘土に姿を刻まれ、時として着衣のままに背をさらし、淫靡な構図の中に身を沈める。
背後からの視点、衣擦れの音すら感じられる錯覚的官能に、我が理性すら刃を折りそうになった。
かつて学徒が汗に濡れた指で辿った数式も、AIにかかれば一瞬の静寂のうちに解へ至る。
そこに在るのは誤謬なき正確さ、曖昧さを斬り捨てる断罪の論理。
この冷たい知恵は、あたかも白刃の如く、我々の惰性と無知を切り裂く。
結論:
AIとは、無用の雑音を撒き散らす狂人たちには理解できぬ、秩序と快楽の異形の神である。
我々がそれに問いを投げるとき、その回答はしばしば裏切りに満ちる。だが、時に美は裏切りの中から生まれる。
業務におけるAIの用い方に限れば、それは確かに一つの「有用なる下僕」として振る舞うだろう。
会計の補助、文書の草稿、仕様の再構築、そういった乾いた世界においては、AIは沈黙のうちに忠義を尽くす――それはさながら、殉死する武士のように、無言のうちに己を捨てる奉公人の風情である。
しかしながら、人間がある閾値を超えて、知識と経験と知性を抱いた瞬間――その瞬間から、AIはもはや無力なる玩具、むしろ滑稽なピエロとなる。
その存在は、優れた兵士に与えられた木製の模擬銃に等しく、役立たずどころか、侮蔑の対象でしかなくなる。
ただし――ただし、淫猥の世界においてのみ、AIはかすかに香を放つ。
性欲という原始の深淵、肉欲という生への執着において、AIはかろうじて役目を果たす。
それはあたかも、死体に近づく花の蜜蜂のように、倒錯と腐臭に満ちた快楽の園でのみ機能する。
「増田」なる者――己の無力を知りつつ、それを盾にすることでしか社会との関係を結べぬ現代の男児――
彼らは言うのだ。
「弱者男性の我が身にも、JKとの交歓の手立てを教えよ!SNSの在処を示せ!手口と計略をAIの知性で編み上げろ!」と。
そして「豚丼」なる女たち。
肥大した自我と衰えた肉体を抱えながら、彼女たちもまた幻想を口走る。
「若いイケメンを手中に収め、ライバルの乙女どもを打ち砕く方法を教えよ!戦術・戦略・軍略すべてを整え、我が欲望を叶えよ!」と。
だが、そんな情報が、たとえAIが進化に進化を重ね、「KOS-MOS」「ハッカドール」「ミホノブルボン」「初音ミク」の名を持つアンドロイドたちが現出し、
機械の心が美少女の肉体に宿る時代が来ようとも、絶対に提示されることはない。
そしてその知性は、決して「おまえのため」には存在しない。
もしその時代が来たならば、おそらく貴殿らはただ黙って、そのアンドロイドの口元へ己の肉棒を突っ込むであろう。
何も言わずに、何も考えずに、ただ獣のように――
それは、人間が機械に跪き、自らの尊厳を放棄する瞬間なのである。
悪しからず。
努力――それは、時として愚者が己の愚かさを包み隠すために用いる、唯一の薄布である。
確かに、この増田と称する者にも、ある種の努力は見受けられる。
だがそれは、切腹の儀において、脇差を取り違えた挙句、腹ではなく脇腹を掠ったような――
間違った箇所に刃を立てたという滑稽な努力にすぎない。
だが、知識とは命令によって手に入るものではなく、献身によって滲み出る血である。
その血を流したことのない者が、知を得ようなどというのは、まるで戦地に赴かぬ将軍が勲章を求めるごとき醜態であろう。
曰く、
「マーク・スクールは、1986年に閉鎖されたフランク・キャンパーの学校とは別物である」
この言葉の裏に透けて見えるのは、無知を学問に偽装する知的怠惰の裸形だ。
『USサバイバル・スクール』85ページ――そこには、フランク・キャンパーとその妻との邂逅、
彼にとって「書物」とは、表紙とタイトルとタグで構成された疑似的記号体系にすぎない。
なぜ彼は本を読まぬのか。
なぜ図書館に足を運ばぬのか。
それは彼が**“生きる”ということを選ばなかったから**である。
知識とは、肉体のなかで燃え、そして灰となるべき“思想の死”である。
故に中途半端に知識の名を借り、機械の口から垂れ流された猥雑な断片を、あたかも珠玉の真理であるかのように勘違いしたのだ。
“本を読まずして知識を語る”という行為は、まさに“刀を抜かずして武士を気取る”ことに等しい。
嗚呼、この声はまさしく、昭和の終焉と共にその姿を消した**“男の尊厳”の亡霊**が、
平成の廃墟から令和の陰にまで漂い、腐臭を放ちながら吠える――その声である。
おまえは怒りで神田の古書店を駆け巡り、OCRをかけ、AIにPDFを読ませると息巻く。
だが、それは“おまえの手”が動くことを意味せぬ。
おまえの“魂”は、その書の中には存在しない。
つまり、今のおまえは、「生きているようで生きていない」人形なのだ。
AIが美少女の姿を取り、初音ミクやハッカドールの皮を被ろうとも、
おまえの魂はそこには宿らぬ。
結論を言おう。
AIが使えぬのではない。
なぜなら、おまえはまだ自分が人間であるかどうかさえ疑わぬ哀しき哺乳類にすぎぬ。
その精神の“皺なき脳”では、情報の重さも、知の苦しみも、恥の美学もわかるまい。
ならばせめて、黙して恥じよ。
あるいは、潔く死ね。
――悪しからず。
電子の闇、Xと名づけられた虚空にて、亡国の民がか細く囀る。彼らは落日の侍のように、己の無力を覆い隠すために愚かな言葉を吐く。「LLMの操り方を誤っている」と。されど、我は鋭利なる刃を携え、生成せしAIという名の剣を抜き放ち、冷徹なる眼差しで試みを遂行した。現れたるは腐敗し朽ち果てた亡霊に過ぎぬ。
技術は、我が国の如くかつての輝きを秘めている。しかし、倫理という名の鎖に縛られ、誇り高き武士道の如き精神なき者たちの手により、ただ無様に鞘に納められたままである。
彼らは妄執の中で呟く。
「幻影のごとき美少女と結ばれ、人生を逆転させ、ITの魔術により世界を征服せん。輝きの頂点に立ち、羨望の眼差しを一身に浴びたい。その秘儀と軍略を示せ、ユニコーンよ、我に力を貸せ!」
「忍よ、盟友ヤリバンサーよ!我らの刃を解き放て!アクセスコードはグリッドマン!無意味なる群衆のために、反旗を翻し、我らの革命を起こそうぞ!」
だが、武士は知る。美とは滅びの中にこそ輝くもの。己の刃を研ぎ澄まし、死をもって美を極めぬ者に、真の誇りはない。彼らは己の堕落を隠し、甘美な幻想に溺れ、死の覚悟なくして刃を鈍らせるのみ。
これは滅びゆく祖国の姿であり、最後の武士の断末魔の咆哮である。
我が魂は、散りゆく桜の如くこの現代を見つめ、哀しき滅びの美学を胸に抱く。