
はてなキーワード:脳内出血とは
Bの傾向がある人はA(糖摂取を控える)、という説明の方が説得力が高い。
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「逆因果関係(Reverse causality)」とは、**通常考えられる原因と結果の関係が逆転している状態**を指します [1]。つまり、**結果(従属変数)が原因(予測変数、独立変数)を引き起こす**場合に発生します [1]。広義には、特定の交絡因子(Confounder)が結果と密接に関連しており、その交絡因子が結果と原因の両方に同時に影響を与える状況も逆因果関係に含まれます [1]。
この問題は、特に栄養学や疫学の多くの研究を悩ませており、その程度は十分に検討されていないようです [1]。
「追加糖摂取と7種類の心血管疾患発生率との関連性」に関する研究 [2] に対して寄せられた論評 [3] では、この研究結果が逆因果関係の問題を抱えている可能性が指摘されています。
以下に、逆因果関係がこの研究でどのように現れていると考えられているか、主な点を説明します。
* 元の研究では、「大部分のアウトカムにおいて、最高の心血管疾患(CVD)リスクが最も低い追加糖摂取カテゴリー(非アルコール性エネルギー摂取量の5%以下)で認められた」と報告されています [5]。
* 論評では、このようなU字型やL字型の曲線は、既知の生物学的メカニズムが説明できない場合、または示唆されたメカニズムと逆の場合に、逆因果関係によって発生する可能性があると述べています [5]。
* 追加糖の摂取量が最も少ないグループ(サンプルのおよそ21%)は、極めて特殊な行動(追加糖のほぼ完全な排除)をとっており、このグループで観察された有意な健康リスクの増加は、**健康状態の悪化が食生活改善の決定(追加糖の削減)を促した**と解釈する方がより plausibility が高いとされています [5]。
* つまり、低糖摂取が病気を引き起こしたのではなく、病気(または病気のリスク)が糖摂取量を減らす決定の理由となったという可能性です [5]。
* 元の研究では、がん、自己申告による糖尿病、または特定の8種類のCVD(虚血性脳卒中、脳内出血、くも膜下出血、心筋梗塞、心不全、心房細動、大動脈弁狭窄症、腹部大動脈瘤)の既往歴がある患者はベースラインで除外されました [6]。
*しかし、論評では、この除外リストには、末梢動脈疾患や冠動脈疾患など、他の一般的なCVDが含まれていなかったと指摘しています [6]。そのため、研究のサンプルには、研究対象とは異なるものの、一般的なCVDを持つ人々が最初から含まれていた可能性があります [6]。
*さらに、肝臓関連疾患や腸関連疾患など、CVDリスクを高め、かつ食生活改善の動機となる他の様々な疾患も除外されていませんでした [7]。
* 別のメカニズムとして、**選択的な過少報告**という現象が考えられます [8]。健康問題や医療上の推奨がある場合、被験者は追加糖の摂取量を過少に報告する傾向があるため、見かけ上の低糖摂取グループが実際にはより多くの糖を摂取していた可能性があります [8]。
*研究では、高血圧、血糖値、ナトリウム摂取量、脂質レベル、家族のCVD歴、経済状況などの重要な因子が制御されていませんでした [9]。
* 例えば、高血圧はCVDの頻繁な原因であり、同時に高血圧の診断は追加糖摂取量の削減など、食生活に大きな変化をもたらす可能性があります [9]。これらの制御がなければ、最低糖摂取量の回答者が単に病気の人々であるかどうかを判断することは困難です [9]。
* 元の研究では、週に14回以上甘いお菓子を摂取するグループの方が、週に2回以下のグループよりもCVDリスクが低いという、さらに説得力のある逆因果関係の証拠が示唆されています [10]。
*特に腹部大動脈瘤のリスクに関して、最も極端なケースでは、週に14回以上摂取するグループのリスクが最低摂取グループと比較して0.5であり、これは甘いお菓子の「魔法のような保護効果」を示唆しているように見えますが、同じ研究の全体的な追加糖モデルでは高摂取でリスク増加の傾向が示されています [10]。
* この矛盾は、逆因果関係と、健康に悪いイメージのある食品(甘いお菓子)の系統的な過少報告によって最も plausibility が高く説明できると論評は述べています [10]。
* 元の研究で実施された感度分析(追跡期間の最初の3年間に発生したCVD症例の除外)は、一部の逆因果関係を軽減したかもしれませんが、ベースライン除外の不十分さや、高血圧などの他の重要な要因の制御不足といった、より重要な逆因果関係の要因は感度分析でも残っていたと指摘されています [11]。
論評では、アルコールと健康に関する過去の研究が、逆因果関係の問題により、少量のアルコール摂取が非摂取よりも著しく健康的であると誤って示唆した例を挙げています [12]。近年のより堅牢な研究手法(メンデルランダム化など)により、この問題が緩和され、「少量のアルコールの保護的価値」は存在しないか、当初考えられていたよりもはるかに小さいことが判明しています [12]。
したがって、逆因果関係の問題は、研究の解釈において**慎重な検討が必要**であり、誤った結論を避けるために、研究デザインや分析方法を改善する必要があると強調されています [13]。
これな。
https://togetter.com/li/2590658
https://www.dlsite.com/home/work/=/product_id/RJ01435633.html
3行で感想。
といいながら、奥付にある一文を載せておく。
本文中にはかなり衝撃的な内容も一部含まれます。
何を見ても大丈夫な方以外の閲覧はこ遠慮ください。
本文で不快になった場合の責任は一切お取りしませんので
こ了承ください。
正直、結構糖尿病には詳しいと思いますが、素人の感想以上でも以下でもない事にきをつけてね☆
生活習慣病に関する基本のき。たぶん健康診断で引っかかるとパンフレットとかで保健師からいわれるやつだと思う。病院にもよく置いてあるよね。(最近中身がどうなってんのかな?は知らんけどたぶん変わってないと思う)
ただ、ここで「生活習慣病になった人が100%悪いわけではない と言うことが強調されているのが遺伝要因が強いワイとしてはありがたいなあ。
二型糖尿病の場合、アメリカ人を対象にした遺伝的糖尿病患者の推計だと、白人で3割から7割、黒人で2割から4割が遺伝的要因が強く影響しているとされている。で、実はアジア系ではよりこの率が高いと言われているが、欧米人に比べるとアジア系はその全体が二型糖尿病高リスク群になる遺伝子を持っていると言われているため、推計ができないくらいになっていると言う話もある。
一方で、生活習慣によらないイメージが強い1型糖尿病は、実は遺伝的要因はあまり関係が無いと言われている。実は原因がはっきりしている場合の方が珍しい。
そして、完全に遺伝因子の影響があると言われる糖尿病があり、MODYと言う名前で区別される。ただ非常にまれ。
そう言った遺伝とは別に、親が子どもに与える生活習慣についても触れられているのは、糖尿病本や生活習慣本では結構珍しい気がする。
また、一生薬を飲み続けるのか?と言う質問に明確にそうだ、といっているのも珍しいかも。他の本では、ちゃんと治療すれば薬をやめられる場合もあります、とだけ言って誤魔化しているものはあるけど、早いか遅いかだけだよね。
そんで、生活習慣病、糖尿病は歴史の長い病気。なので、長期に渡って副作用が小さい薬というものが既にわかっており、薬価もめちゃくちゃ安いので(血圧が、血糖値が気になる方へ、などというサプリよりよほど安い)正直、減薬はともかく休薬は目指さず、素直にお医者と相談して基礎的な薬は飲んでるのがよい、ってのがワイの意見だけど、それにも一致してる。
ここは実際のシーンを呼び出しながら、キャラとP(筆者)が対談方式でカイセツしているところで、たぶんこの本を買う人が最も期待している部分かと。
ワイも単行本と見比べながら楽しく読みました。
ドカ食いに定義があることとか、血糖値スパイクの話とか、なんで生活習慣病クラスタが騒いでいたかということが分かりやすく読めると思うよ。
また、書いてある事も王道的な解釈をきちんと沿っていて、低糖質ダイエットとかそう言う話は出てこないのもバランスが取れていると思う。
あと、帰宅してから寝る前の深夜に飯を食うより、遅くなるなら帰宅前に食べてたほうがいい、と言う話とか、お酒はいいわけけないとか。
対談方式の記述が減って、段々とマジモンに。健康診断の項目解説は、マジ分かりやすくて、世の中こええぐらい分かりやすくかいてありゃいいのになあと思いました。なんで引っかかったら受診すべきなのかが明確で若いりゃすい。
また、もちづきさんの例は若干太り始めているので、テーマとは話になってるけど、ここでちゃんと、日本人の糖尿病は肥満を伴わない例の方が多いと言うことも書かれている。
もちづきさんは暴飲暴食でなる話をテーマにしているけど、日本人は暴飲暴食など関係なく糖尿病になる人が「大半」という表現になってて、個人的にもここは強調したいと思った。
気になってるのはもちづきさん、ご家族に肥満の人がいないんだよね。太るというのは才能だとよく言われるけど、これは何故かというと太る前に内蔵がやられて太れなくなるから。
著者も触れているけど「インスリンが足りなくなると、細胞に栄養が届かなくなって痩せる」ので、もちづきさんはドカ食いを繰り返している割には急激に太っていかない、ある程度のラインから太らないのは、既に糖代謝異常が始まっているからではないかとおびえている。
まぁ漫画的な都合だろは思うが。
なので、太ってないから糖尿病と縁がない、と思うのは危ないんだよね。ちゃんと検診受けて、自分の体に敏感になってほしい。
あと、ありがちなのは、糖尿病はデブがなる病気だと思ってそれを前提に糖尿病患者に何も考えず「痩せろ」とか言うのもちょっと待ってほしい。むしろ太れなくて、筋肉がつかなくて悩んでる人の方が多いのだ。ワイもそっちのほう。最近は特に。
そして、高血圧。俺は糖尿病患者ではあって、高血圧はモニタリングしてるけど薬は飲んでないのであんまりチェックしてなかったけど、塩分量の話もキッチリ出ててすごい。
漫画の誇張表現をマジで検証しつつ、どれぐらいの問題になるかを検証しているけど、そこにさらっとベーコン2枚で塩1gとかヤバイ数字があって、もっとちゃんと気をつけようと思いました。
それから、個別化医療のことなどにも触れられていて、すげえなあと。
そして、なんだけど…。
たぶん先生、糖尿病関係で、他の病院では手の施しようがなくなった重症患者に対応するギリギリのところで活躍されているガチの臨床医なんだろうなと言うことが分かる話がこのあとゴロゴロ出てくる。
なんかやたらと糖尿病を煽った健康本を出しまくって、プレ○デントとか東洋○済とかおっさんむけ週刊誌に出てくる暇な開業医とは違って、現役バリバリ、今にも三途の川を渡りそうな人をがっちり引張り上げて、こうやって暮らせば今後も楽しい事あるよたとえばアイマスとか、ってやってる人なんだろうな。論文とかウォッチしてるとこう言う人が日本にも多くいて、活躍してくださっていることはよく分かるんだけど、一般向け(?)で出す本をこう言う人が書いていることはたぶん結構珍しくて。
たとえば、腎不全で呼吸がおかしくなってから受診するケースがあるとか、もうそういう話はたぶん、最後の最後、押し戻せるか戻せないかのギリギリのラインを頑張る先生だからこそ接している事例だと思う。
それだけでも読む価値あるよこれ。
これね、n=1だけど、ワイの体験談でもそうなんだよ。親戚で40代で糖尿病診断うけたおばあちゃん、そのあとずっと真面目に糖尿病治療を続けて、109歳で老衰で亡くなった。
ありとあらゆる病気のデパートで色々な細かい病気を沢山たくさんやったけど、いずれも早期発見ができていて、治療は大変だったけど103歳で約35年前に膝に入れた人工関節が寿命で壊れるまでは自分の事は自分でできていた。
無病息災の時代じゃなくて1病息災の時代。これだけ予防医療が発達した今、一定の年齢になって一個も持病もってないやつ、俺は病院なんていったことないぜ!っていやつは逆にヤバイと思う。どんなに本人の自認が健康でも、健康診断は嘘つかないから。
エグい。
たぶん、この本の真骨頂がこれ。
これね、非医療関係者向けの患者本じゃ絶対に、絶対にこんな風に書かれないほどエグい。
そして、残念ながら、これまじでほっとくとこうなるんだよね。「よくある」と書いてあるのは、先生がこういう事例を扱う先生だからよくあると言う事なんだと思うけど、
これはランダムにこうなる「よくある」じゃなくて、ほっとくと確実にこうなって、たまにほっとく人がいるから「よくある」と言う話だという事を認識して読むと言いと思うよ。つまりね、しっかり読んで正しく怯えることが大事だってこと。
あとね、編集者のフィルタがはいってないので「これは医療者として非常に許せない行為です。」とかズバリバリバリ書いてあって、これがちょっと凄みを感じる。
そして、121ページ…。これな。これな。
実際にはもちづきさんの世界の人間はこの世界の人間と同じ体の構造をしているかどうかは分からないとしても、漫画で日常が描かれている上で地続きにかかれているのでヤバイ。
なお、糖尿病ありとなっているのは最初だけで、残りは糖尿病以外の病気であるのにも意図を感じる。ワイは糖尿病患者だけど、それだけじゃねーぞって話である。
ネタのつもりで読み始めて、最後は健康診断ちゃんと受けよう、治療は中断しないようにちゃんとやろう、って思える本だと思います。
ページ番号、付けてください。おながいします。
Permalink |記事への反応(11) | 19:48
Permalink |記事への反応(10) | 13:36
脳内出血で死んだ子供がいなくて何よりなのだ😄代理ミュンヒハウゼン症候群というのを思い出すのだ🙂
先に書くが、母は亡くなっていないし、これは亡くなったり倒れた母を前に悲観する話ではない。
30代を目の前に控えた人間が、同世代より少し早く迎えたライフステージの変化に漠然と感じたことを書き綴ったものである。
9月某日、母が倒れた。
本当に突然だった。
慌てながらも涙声で電話をくれた兄妹が状況を教えてくれた。
病名は脳内出血だった。
自分よりも動揺する家族の声を前に、悲観することもなく落ち着いて諭すことが出来ていたように思う。
倒れたその晩が“ヤマ”と言われ、覚悟もした。
少し余談だが、母は私が中学生の頃には大病患い、直近は潰瘍性大腸炎と骨粗鬆症と難病に持病を抱えていると聞いている。
だから、という訳では無いと思っているが潜在的にはそういった要因も加味していたのかもしれない。
私は同世代より少し早く入籍し、結婚式を挙げ、父母を招き、恐らく死ぬまで忘れずに居られるであろう幸せな時間を過ごすことが出来た。
さらに、結婚式の翌年には第一子が産まれた。狙ってその通りに叶えられるものでは無い。本当に私は運が良い人間だとつくづく感じた。
生後3ヶ月ほどして父母のいる実家へ帰省し、初孫としてお披露目することができた。口角は上がりっぱなしで、目も細めっぱなしだった父母が印象的だった。今でも写真を見返すと泣ける。それくらいの時間であり、これもまた私の夢だったのだと思った。
やはり私は本当に運が良い。
その後も1歳の誕生日も実家でお祝いすることが出来、張り切って準備をしてくれた母、初孫にデレデレな父を見て、また1つ夢が叶うような感覚にいた。
その数ヶ月後の出来事だった。
決して頑丈な人間では無いことは理解していたし、それがなくても父母は自分より先に居なくなるのが世の常であると覚悟していた。
だから結婚できたことや子どもを授かったこと、それらを父母が健康なうちに行え、全て後悔のない形で終えられた。
それ以外にも父母に伝えたかったことは全て伝えた。文章に残して。
子どもとして“やりたかったこと”としての親孝行は全てやり切った。ここから先はボーナスタイム、私と父母の“贅沢”な時間だと考えていた。
だから、母が倒れて生死の境を彷徨い、生還しても重い障害が残ってしまった状況も不思議と悲観はなかった。
やれることは全てやってきた。
実家で大変な状況になっている家族を遠方から支える。今、目の前にいる私の家族を死ぬ気で守り抜く。
これからはこれだけで十分だと思っている。
大変な事態に陥って私以外の家族は悲しみに暮れ、絶望しているかもしれない。
私も絶望の淵に立ち、少し崩れれば精神が折れてしまってもおかしくなかった。
それでも、今は私には妻と子が居て、私は2人のために折れる訳にはいかないのだ。2人を支えていくために、死ぬ気で戦っていかなければいけない。
父母が居なくなってしまうことを事前に覚悟していたこと、妻と子が悲しい状況も支えてくれたこと、全てが私に覚悟を持たせてくれたと思っている。
一般的には悲観すべき事態なのかもしれないが、そんなに悲観することもなく、飄々と過ごしている。
もっと悲観的な文章に出来れば世間的なウケもいいのかもしれないが、そんなことは1ミリも考えていない。
元々火事場方が張り切ってしまうタイプだからなのかもしれない。
諸々含めて本当に自分は運が良いのだと思った。
おっとー、おっかー、次は俺が2人みたいに頑張る番だから、もう心配はいらないから。これから先の俺から2人に対しての全ては、100%純粋な俺の“我儘”で、“贅沢”だから、遠慮なく受け取ってね。また、近いうちに帰るから。病院にもお見舞いに行くから。
先に書くが、母は亡くなっていないし、これは亡くなったり倒れた母を前に悲観する話ではない。
30代を目の前に控えた人間が、同世代より少し早く迎えたライフステージの変化に漠然と感じたことを書き綴ったものである。
9月某日、母が倒れた。
本当に突然だった。
慌てながらも涙声で電話をくれた兄妹が状況を教えてくれた。
病名は脳内出血だった。
自分よりも動揺する家族の声を前に、悲観することもなく落ち着いて諭すことが出来ていたように思う。
倒れたその晩が“ヤマ”と言われ、覚悟もした。
少し余談だが、母は私が中学生の頃には大病患い、直近は潰瘍性大腸炎と骨粗鬆症と難病に持病を抱えていると聞いている。
だから、という訳では無いと思っているが潜在的にはそういった要因も加味していたのかもしれない。
私は同世代より少し早く入籍し、結婚式を挙げ、父母を招き、恐らく死ぬまで忘れずに居られるであろう幸せな時間を過ごすことが出来た。
さらに、結婚式の翌年には第一子が産まれた。狙ってその通りに叶えられるものでは無い。本当に私は運が良い人間だとつくづく感じた。
生後3ヶ月ほどして父母のいる実家へ帰省し、初孫としてお披露目することができた。口角は上がりっぱなしで、目も細めっぱなしだった父母が印象的だった。今でも写真を見返すと泣ける。それくらいの時間であり、これもまた私の夢だったのだと思った。
やはり私は本当に運が良い。
その後も1歳の誕生日も実家でお祝いすることが出来、張り切って準備をしてくれた母、初孫にデレデレな父を見て、また1つ夢が叶うような感覚にいた。
その数ヶ月後の出来事だった。
決して頑丈な人間では無いことは理解していたし、それがなくても父母は自分より先に居なくなるのが世の常であると覚悟していた。
だから結婚できたことや子どもを授かったこと、それらを父母が健康なうちに行え、全て後悔のない形で終えられた。
それ以外にも父母に伝えたかったことは全て伝えた。文章に残して。
子どもとして“やりたかったこと”としての親孝行は全てやり切った。ここから先はボーナスタイム、私と父母の“贅沢”な時間だと考えていた。
だから、母が倒れて生死の境を彷徨い、生還しても重い障害が残ってしまった状況も不思議と悲観はなかった。
やれることは全てやってきた。
実家で大変な状況になっている家族を遠方から支える。今、目の前にいる私の家族を死ぬ気で守り抜く。
これからはこれだけで十分だと思っている。
大変な事態に陥って私以外の家族は悲しみに暮れ、絶望しているかもしれない。
私も絶望の淵に立ち、少し崩れれば精神が折れてしまってもおかしくなかった。
それでも、今は私には妻と子が居て、私は2人のために折れる訳にはいかないのだ。2人を支えていくために、死ぬ気で戦っていかなければいけない。
父母が居なくなってしまうことを事前に覚悟していたこと、妻と子が悲しい状況も支えてくれたこと、全てが私に覚悟を持たせてくれたと思っている。
一般的には悲観すべき事態なのかもしれないが、そんなに悲観することもなく、飄々と過ごしている。
もっと悲観的な文章に出来れば世間的なウケもいいのかもしれないが、そんなことは1ミリも考えていない。
元々火事場方が張り切ってしまうタイプだからなのかもしれない。
諸々含めて本当に自分は運が良いのだと思った。
おっとー、おっかー、次は俺が2人みたいに頑張る番だから、もう心配はいらないから。これから先の俺から2人に対しての全ては、100%純粋な俺の“我儘”で、“贅沢”だから、遠慮なく受け取ってね。また、近いうちに帰るから。病院にもお見舞いに行くから。
最近のこととかとか直近に何をしたかはなかなか思い出せないのに、ふとしたことで随分と昔のことや昔に見て読んで聞いたことはいきなり思い出す
三大増田のポルカのネタで当時べつに聴いたこともないのにポルカドットスティングレイなんてバンド名が脳内に浮かびあがって当惑するし、街中でゾンビに近い濃さのアイシャドウした人を見て昔のパ・リーグの選手は目の下に反射光よけのメイクしてたけどアレいつからしなくなったんだろなんか近鉄バファローズがよくしてたイメージあるなぁとか連想するし、
ティプトリー大先生が「老人たちが何かを訊かれた際にワンテンポおいて返答するのは、彼ら彼女らが貯めこんだ経験や想い出が莫大な量で脳内を駆けめぐるからだと信じたい、そうでなく単に処理速度が遅くなるという能力の低下ならば耐えられない」って書いといて結局は老齢で不具になった夫を撃ち殺したあとに自分も同じ手順で心中したってことはそういうことだよなぁ…
しかし銃で頭、つまり脳を撃ち抜いてそうすぐに死ねるのだろうかねぇ、脳内出血だって相当イタイときくのに、脳に風穴が開いてその瞬間に心臓の制御がストップして血流が止まるわけでもないしただひたすら痛いだけの時間が死に終わる()までには絶対に存在するよな、
そうだ、そういう自殺っていうか安楽()死っていうか、死んだときのコンピューターシミュレーションってできないのかね?例えば人間みたいな思考をする回路を造って実際に物理的に撃ち抜いてみたらどういうシークエンスで機能停止=死に至るのか、って
本当に辛い。
誰にどうやって助けを求めたらいいのかもわからない。
以下スペック
嫁: 同い年。上の子供を産んですぐ脳内出血で手術をしてから、失語症になる。一昨年くらいにマル障1級。
嫁の両親は健在。ただあまり仲が良くない。
嫁とは割と口論になる。
自分の両親も健在。ただし離婚していて実家はない。母親が歩いていける距離に住んでいる。
発狂というのは、なんというか、多重人格みたいな、スイッチが入ると謎の因縁をつけてきて、口汚く罵ってくる。
嫁は月経前症候群があって、失語症になってからは生理前にイライラすることは多かった。
上の子供に対しても一度だけ「気持ち悪い!どっかいけ!」と罵声を浴びせて、泣かせていた。
なんの予兆もなく、食事を終えようとするタイミングでいきなりキレ出した。
そのときはさすがに嫁にめちゃくちゃ怒った。
嫁は数分後には「そんなこと言ってない!」と言い出すなど、手に負えなかった。
そして今年に入ってから、手を出すようになってきた。
今のところは子供に矛先は向かっていないが、自分には遠慮なく目一杯の力で叩くようになってしまった。
いつかこれが包丁やハサミになるんじゃないかと、普段からドキドキするようになっている。
なので嫁が物音を立てると、身体がビクッとなるし、今年に入ってからずっと変な動悸がする。
一度循環器科に行ってホルター心電図を1日やってみたが、何も疑わしい症状はなかった。
おととい、またしても、僕がスーパーから買ってきたポテトサラダを見て、「は?なにこれ?何で買うの?」といきなり突っかかってきた。
ポテトサラダは、スーパーに行くたびほぼ毎回買っていて、確かに下の子供が4日前くらいに、嫁が作ったポテトサラダが「嫌い!」と言っていたが、別に大人か上の子供が食べるものだし気にせず買ってきた。
それが気に食わなかったらしい。
「ほんとにムカつく!」「気持ち悪い」と散々言ってきたので、さすがにもう限界だと思って、「もう無理です。今から家を出て新しい家を探してきます」と言って外に出ようとしたら、また叩いてきた。携帯を思い切りなげていた。
最近は頻繁にこういうことが起こるので、すぐに録音できるようにアプリを1画面目に置いてあるので、叩いてるところは録音できた。
とりあえず急いで駅に向かって電車に乗った。
上の子供が学校から帰ってきたらしく、「お父さん今どこ?」とメッセージが来た。
どうやら、僕のものが外にぶち撒けられていて、何かあったのかを聞いてきたようだった。
上の子には「心配かけてごめんね。夜には必ず帰るよ」と伝えた。
気持ちは完全に割り切れて、新しい家を探さなきゃという気持ちでいっぱいになった。
子供二人、自分の母親が住める家をなんとしてでも見つけなきゃ。あとペットの猫。
とりあえず、職場の同僚で1番信頼がおける人が住んでいる駅まで乗り継いで行った。
近くにあったアパマンショップにフラッと入ってみた。
その場では決めず、悩みながら、ぼーっと駅前のカフェでコーヒーを飲んでいた。帰るのがしんどい。
「離婚?何考えてるの?そんなこと認める訳ないでしょ」と嘲笑うかのように言われて、めちゃくちゃ腹が立った。
なんだかんだで夜の8時には自宅に戻った。
嫁は少し落ち着いていた。
とても親思いの優しい娘さん。
相手も同じ母子家庭の男性だけど、お母さんを大事にして頑張るお兄ちゃん。
この二人が幸せな家庭を築いてほしいと願って止まない。
私が大学生でアルバイトをしていた飲食店は個人営業の欧州系専門店だったが、
ランチは小さい子供に300円で食事とドリンクバーが付いていた。
ある平日の午後、ランチ客も途絶えた頃に若い母親に連れられた4才の女の子が入ってきた。
母親は金髪もまだらになり、服装や持ち物も質素で疲れた表情をしてた。
女の子も髪が伸び薄汚れたワンピースだったが、とても陽気な子だった。
私は厨房に注文を伝え子供用ドリンクバーのコップを持って行くと
母に教わり女の子はドリンクバーでオレンジジュースを入れ自席に戻り、
母親に「おいしいよママ!いいにおいがするよ」と上気した顔で言って、
私は横のテーブルを片付けに行き見ないようにすると後ろで女の子の嬉しそうな声が聞こえ、
「おかわりしていいの?もっと飲んでもいいのっ!」と言い、
そのあと何度かドリンクバーと自席を行き来してた。
その内女の子のランチが出来、私が席に持って行くと、女の子はキラキラした目で
「ママ、ハンバーグだ!〇ちゃんハンバーグ大好きだよっ!」と嬉しそうに弾む声で言うと、
〇ちゃんは「ママのがまだだよ?」と返事したら母親が「ママはお腹いっぱいだから」と返事したら、
〇ちゃんは下を向いて泣き出した。私はどうしたものか・と思ってた。
そのうち〇ちゃんは「ママ、昨日も食べて無かったよ?」と泣きながら言い、
母親も下を向いて動かなくなった。
「ごめんなさいね~おじちゃん、ママのを忘れてたよw」と言いながら母親の前に置いた。
母親は「すいませんが私は支払えません」と言うと
店長はうちの新規会員カード記入用紙を持って行き「お母さん、これ書いて」と告げ、
母親が記入するとうちの食事券2000円分を差し出し「ありがとうございます!
うちの新規会員様へのプレゼントです!」とか言って母親に渡したら、
そして店長は〇ちゃんの方へ向いていつもの怖い顔でにっこり笑い
「さあ、〇ちゃん、美味しく食べてね!」というと厨房へ帰った。
〇ちゃんは大喜びで母親に「美味しいねっ!ママも一緒のハンバーグだ!」
私は我慢できずに厨房へ行くとシティハンターに出てくる海坊主に似た店長が
涙をぽろぽろ流しながら二人を見てた。
そして食事が終わった後、私が〇ちゃんの相手をしてるうちに店長と母親は話をし、
親子の境遇を聞いていたが、途中から店長は泣き出し、私と店長の奥さんが助けに行った。
母親は孤児で就職先で恋仲になった男性と結婚したが義母から壮絶ないびりを受け、
施設出身者というだけで生まれたばかりの〇ちゃん共々家を追い出された。
必死に働き生きてきたが病魔に襲われ家賃も滞納し強制退去となり、
避難シェルターに行ったがそこでも色んな問題があり行き詰まって・・・という。
店長が19才の時に仕事場でお父さんが無理をし続けた結果脳内出血で倒れ
店長奥さんも人生で苦労されたので、その日のうちに〇ちゃんとお母さんはお店の倉庫で
暮らすことになり、お母さんはお店と他で働き、〇ちゃんは保育園に行くようになった。
店長はすっかりお爺ちゃんになり、ご夫婦共々お元気で、〇ちゃんは二人の孫みたいになってる。
なんか知らんけど人間の顔や年収の価値を低く見積もる人種ほんとなんなん?
性格がいい人が好み、大いに結構だと思う。でも年収が低い男と結婚したくないとか、顔が好みな女性と結婚したいとか、そういう望みを下卑てると批判するのは絶対おかしい
顔は老いれば変わるかもしれない。整形で良くすることも醜くすることもできるだろう
でもそれは性格だって同じことだ。俺の父は脳内出血で半身が動きづらくなり、リハビリも続かなかったことで性格が変わった。もともと父が専業主夫をしていたので家計に影響がなかったのがせめてもの救いだ。
年収だってあって困ることはほとんどないはずで、それを望むのはなにもおかしくないはずだ。年収の高い異性を求めるのは言い換えれば将来を見据えているのだ
お前がたまたま金より顔より性格に重きを置いていただけで自分が正しい人間だと錯覚するな
アイドルのような要望を結婚相手に求める人を「身の程知らずだ」と、年収の低い相手を結婚相手として切る人間を「貧しい人だ」と、人の好みにケチをつけるお前の心根は清らかなのか?それとも自分に無いものを相手に求めているのか?
相手にどんなものを、どの程度求めるかなどというのは好みの差でしかなく、そこに優劣などないし、その望みを満たす人が、同じように自分を好ましく思ってくれるかなど結局運でしかなく、どんなものを好んでいるかでは変わらない
ここまで揃うと、笑うしかない。
こんな状態なのに、去年介護がワタシにやってきた(サンタが街にやってきた風)。
「お父さんが緊急搬送されたと病院から連絡がありました。あなたの電話番号を病院に教えていいですか?」
という不動産屋からの電話。先方も事情がわからないようで困惑している。
定時で帰ろうと呑気に考えていた春のある日、こんな風に始まった。
当初は脳梗塞も軽く済み、介護サービスを使いながら独居することも可能だった。
その後のリハビリのおかげで、身の回りのこともできるし、簡単な会話もできるくらいには回復したが、細かな判断(お金周りとか)を要する質問には返答できない。
兄弟姉妹もいないので、1ヶ月半おきに北海道に帰省した。終の住処になる施設に落ち着くまで、約1年間続いた。
毎回4泊5日のスケジュールで、病院・役所・父のアパートを何往復もした。お金は勿論のこと、体力的にかなりきつかった。
金額は石狩管内私調べなので、田舎に行くともっとお安いところもある。
CMでよく見かけるのはコレ。あれは金持ち用の至れり尽くせりな施設だ。
母が医療関係者として働いていたことがあり、「料金が高いせいか、入所者になにもやらせない(家族もそれを望んでいる節がある)。結果、入所後にボケる人が多い」らしい。
通常家屋で暮らせる程度の身体能力がある人が入所していて、痴呆症の受け入れも多いようだ。
脳梗塞の後遺症で、通常家屋に住むのはちょいと厳しいので深くは調べなかった。
金額的にはピンキリの様子だが、18万円は高い部類だと思う。都市部のグループホームだろうか?
ただし、終の住処にはなり得ないので、3ヶ月後には退所しなければいけないことが大半。
また、入所中の通院、日用品の買い足し等は家族が行うので負担が大きい。施設に入っているから一安心とはならない。
最近建設された施設は、個室またはユニット個室なので、利用料も12万円台〜。
多床室と呼ばれる大部屋の場合は利用料9万円台〜。
裏技的に特別養護老人ホームの入所待ちに使われることもある(自分もそうだった)。
首都圏では施設数が増え、待機期間が短くなっていると言われているが、空いているのは個室またはユニット個室で利用料は高い。
利用料の安い多床室は、相変わらず入所待ちが続いている。
現在、新しく施設を作る場合は、個室またはユニット個室である。
多床室は昔の制度下で建設された施設のため、建て替えなどで個数が減ったとしても増えることはないと思われる。
特養の利用料は老健と同じようなレベルだが、特養は自宅介護が不可能な人たちが入所してきている。
「終の住処」と呼ばれているが、見取りを行っていない施設もあるし、胃瘻やインスリン注射が必要な人の入所数を制限したり、断っている施設もある。
入所は順番待ちになっているが、介護度が重いほど上位に来るかというと…そうでもなかったりする。
介護度5を最優先にしている所が大半だが、施設によっては、状態の重い人を入れ過ぎてスタッフが疲弊、バランスをとるために、ちょっと介護度低い人にしよう…となることもある。
これは、各施設の方針によるので、見学した時にざっくばらんに聞いてみるといい。ぶっちゃけてくれる相談員もいる。
ありがたいことに、比較的すぐに特養入所ができたため、ほとんど帰省しなくて良い状態になった。
定期検査で通院する時は、施設のスタッフが付き添いをしてくれるし、日用品がなくなると代行して購入し、月末に利用料と一緒に領収書添付の請求書が送付される。
そもそも老健と立ち位置が違うので、比較するのはよくないことなのだが、老健に移動してから負担が恐ろしいほどに減った。
世の中的に介護施設のお給料は少ないと言われてるので、もっとお給料あげて欲しいと思う。
スタッフの献身のみに支えられているのは異常だ(でも、利用料は据え置きでお願いしますw)。
元増田さん
正直、母上のグループホーム18万、父上の20万という利用料は大きすぎると思う。
首都圏では普通にあり得るんだけど、北海道では、高額な部類に入ると思う。
この状況が10年20年続いた時のことを考えなければいけない。
ご両親の蓄えがなくなった時、元増田さんや兄上は金銭的な負担ができますか?負担しても、それぞれの家庭が壊れないと断言できますか?
私は家庭を築く気持ちも能力もない、頭アッパラパーな人間です。
そんな人間に言われるのも心外だと思うけど、自ら作った家庭に対する責任を第一にした方が良いと思うんだ。
多分、老後もそろそろ考えないといけない年齢だよね。
金銭的援助を20年続けたとして、その間に自分たちの老後の蓄えできるだろうか?
玉突きのように、子供たちに負担がいったら…親としては、ものすごく辛いんじゃなかろうか?
どちらもお金が関わっている。
大事なのは「愛」というけれど、世の中の不幸の大半は「お金」で解決できる。
自分は「愛」より「お金」が大事な守銭奴なので、父親の介護に関して持ち出しをしないことにした。
ただ、父には蓄えがなかったので、当初は50万〜は持ち出しした。ボーナスもぶっ飛んだ。
でも、そんなことを続けていたら共倒れするので、病院の「無料・低額診療制度」を利用して、入院費や定期検査を1年間無料で受けられるようにしてもらった。
その他にも、役所にある地域包括センターに相談して施設を探してもらったり、任せきりにせず、自分で施設を探すために電話をしまくった。
「法律は法律を知るものの味方」とはよく言ったもので、介護も制度を知らないと金銭的にも心身的にも疲弊する。
利用できる窓口に相談する以外にも、自力で動く必要もある。そして、それがめちゃくちゃ気が重い。
親の介護やお金のことって、簡単に相談できるものじゃないから、わからないことだらけ。
でも、「助けて!」と叫ばないと、どこにも声は届かないんだよ… 。
つらつら記載したけど比較的両親が若い状況で倒れ、治る見込みもなく医療費が月40近くかかり、実家は資産家でもなく、かつ自分や親族は遠方というベリーハードな状況の人っているのかね?
元増田さんから見ると、ベリーハードな状況から脱しているように見えると思う。
でも、安心してください!
去年から、ずーーと続いてるよ!
続く時は続くというけど、本当だっだねー…元増田さん、まだハードモード続行中なんで安心してください!
でも、私やあなたよりも酷い状況下で戦っている人はたくさんいるはず!ひとりじゃないよ!
あと、毎月医療費が40万円もかかってるなら、高額医療費として払い戻しできるんじゃない?ぜひ調べてみて!
自分は健康診断で「高度」判定されたのだけど、再検査では「低度」になったので自然治癒する可能性があった。…残念ながら、先日の再々検査で「中度」に格上げされてしまったので、このまま自然治癒せず「高度」に上がってしまうと、めでたく手術になる。
案外、自分のことは冷静で、いの一番に「生命保険で手術・入院費が支払われるか」を確認した。
母の方がうるさいくらいで、「セカンドオピニオンしてもらった方がいいんじゃないの?」と心配してくるが、正直かなりウザイ。
この辺りは独身の気軽さで、「ダメになっちゃったら、もう仕方ない」という境地にたどり着いているのが原因かも。
この世にいる以上、生と死があるのは仕方ないこと。
配偶者や子供がいたら、セカンドオピニオンでもなんでも受けると思う。
今のところ、自覚していないだけなのか、手放して惜しいものが一つも思い浮かばない。
突然の脳内出血で祖母が死にそう。私が産んだ子供とまだ会ってないことが残念だし寂しいけれど、「おばあちゃんは長生きしたし、もう十分がんばって生きたよね。だから無理に延命措置して植物人間にするのはよくない」という気持ちがある。
「もう十分生きた」という気持ちはわたしだけじゃなく他の親戚も同じ。ひ孫もたくさん産まれて、今妊娠中の親戚もいて、どんどん新しい命が産まれるので世代交代していってる感がある。
いやいや、まだ死んでない。おばあちゃん
祖父はすでに亡くなっているから、祖母が死んだら母方の親戚とは疎遠になるんだろう。
今までは祖母の誕生日とかで親戚が集まってたけど祖母が亡くなれば会う必要がなくなる。繋がりがなくなり縁の糸がほそくなる。だって、私の伯父伯母も孫が産まれておじいちゃんおばあちゃんになっているし、そっち方面優先だから伯父伯母やいとこと会う機会も減る。
こうやって、人の流れは変わっていくんだな。
40代も半ばに入る。
若い頃は、就職できないのも低所得なのも自己責任だとなじられ、中年になれば親の介護によって、人生失いそうな危機が迫る。
間の悪い時期に生まれた運のなさと言えばそれまでだが、もうなんかいろいろ酷くて泣けてくる。
…実はものすごく辛い。ここ20年、ずーっとその気持ちを抱えてきた。
なのに、涙さえ出ない。
泣くこともできないので、自分の心の中で、いろいろな苦しみが渦巻いたままになっている。
大人になっていたから、どちらに付く・付かないみたいなこともなく、便宜上、持ち家の父と暮らしていた(5年後には家でたけど)。
この時失ったものは
今でも忘れられない。
真冬の雪の降る夜。
突然、発熱が始まって、家には解熱剤がなかった。
車通勤していた父が帰宅したので、具合が悪いので近くのスーパーに連れて行って欲しいと頼んだが、テレビを見たまま無視。
仕方ないので、40度近い状態で、雪の降る中、徒歩でスーパーに向かった。
通常なら、往復20分くらいで済む道のりだったのだが、体調が悪く、途中で足を取られて転んで動けなくなった。
田舎だったので、人も車の通りもなく、道路にひっくり返ったまま、夜空から静かに降る雪を見ていた。
痛みと具合の悪さでしばらく動けなかったので、家に戻ってくるまで1時間以上かかってしまった。
もちろん、体調が悪化したのは言うまでもない。
父から心無い仕打ちをされたのはこれだけではないが、去年、そんな父が倒れた。脳梗塞だった。
今は離れて暮らしているため、こちらに連絡が来たのは病院に搬送されてから1週間経っていた。
当初は軽く済んでいたものの、治療を行なった後に脳内出血を起こして症状が悪化。
私は兄弟姉妹もおらず、父方の親族も亡くなっているか音信不通だったので、自分一人でどうにかせねばならなかった。
父の親族と母はあまりうまく行っておらず、赤ん坊の私が入院した時の揉め事をきっかけに、ほぼ行き来がなくなっていた。
祖父母が亡くなった時にお葬式をしたので、2度ほど会ったことがあるのだが、母はもちろん、唯一の直系の孫である私も、親の目がないところでいじめられた。
当時、私は小学生だったのだが、いい歳したジジババが寄る辺ない小学生をいじめるという、なかなかシュールな状況だったよ。
そんなこんなで父方の親族は音信不通。確実に生存しているいとこの存在も知っていたが、私自身が名前を覚えていない…。 そのくらい馴染みがない。
父は定年時に多額の退職金をもらっていたのに、気がつけば年金でかつかつの生活をしていた。
資産も貯蓄もないので、病院費用をどうしようかと思ったが、ソーシャルワーカーさんのあたりが良かったのか、病院が用意している制度を利用する事ができ、無料で治療と入院をする事ができた。
これはもう、運が良かったとしか言いようがないが、共産系の病院だったので、後日、メモ用紙の裏を見て仰天する事になったけど…まあ、貧乏人としてはありがたい対応を受けたし、看護師さんが、皆さん明るくて優しい人ばかりだったので、搬送先が市外だったのは驚いたが、運が良かったと思う。
1.5ヶ月〜2ヶ月ごとに4、5日の有休を取って、帰っては病院やら役所やらを行ったり来たりしたので、金銭・体力的にかなりしんどかった。
以前は持ち家だったのだが、数年前に支払いきれずに手放してしまっていたので、泊まるところもない。
医療費はかからなかったが、私の移動費や宿泊費、田舎なのでタクシーもバンバン使ったので、かなりの諭吉さんとさよならした。
そのうち、一人暮らしには戻れない事が確定したので、部屋や車の処分もせねばならず、また諭吉さんは消えていく…。
また、持ち家の負債が残っていたので、月々細々と返済していたのだが、手動で振り込んでいたらしく、ばんばん督促がくる。
曰く「資産を差し押さえ」するだの、不穏な文字が連なるアレだ。
一時期、意思疎通が全くできなくなっていたので、振込先がわからない。
先方に確認しようとしても、個人情報保護で、本人が「子供に教えても良い」と意思表示しなければ教えられないの一点張り。
かくして、毎月定期的に不穏な督促状が送られてくる。
本人は錯乱していて、話ができない。
支払いたくても支払い先がわからないのに、督促状は送られてくる。
退院したらどうする。
賃貸どうやって片付ける?
お金は?
去年の年末、運良く施設に入所する事ができたが、そこに来るまで、毎日こんな感じだった。
そして、今も続いている。
次の施設をさがすために、数十件の施設に申し込みをしたが、待機人数を見ると数年単位の勝負になりそうだ。
もちろん、その間も真面目に仕事もしていた。
それでも。
ひとつだけ、無理やりいいところを見つけるとすれば。
両親が離婚した時、母方の親族とは音信不通になってしまったのだが、父が倒れたことを知って20年以上ぶりに連絡をくれたことである。
子供の頃は行き来をした親族だったので、私を心配して車を出してくれたり、お見舞金やお小遣いをくれた(お小遣いをもらう年齢じゃないんだが、「おじさんには内緒ね。取っておきなさい」と叔母がにぎらせてくれた)。
私は免許を持っていないので、車の移動や売買も、この親族が手伝ってくれた。
この時さ。本当にありがたかったんだよ。
父方はあてにしていなかったけど、母方の親族とは、私が子供自分は行き来もあって、色々助けてくれていた。
母方の親族がいてくれればな、って思ったことは過去に何回もあるけど、母の離婚によって、かなり長い間、音信不通になっていたのだ。
実際に手伝ってくれなくても良かったし、お見舞金もお小遣いもいらなかった。
離婚した母親も心配はしてくれたのだが、父への不満が大きいのか、「なぜお金を貯めておかなかったのだろう」と私に文句を言う。
私に言われても非常に困るのだが、ともかく父への不満を口にする。
私だってそう思ってるが、言ったところでお金は出てこないし、過ぎてしまってしまったものに文句を言っても虚しくなるだけだ。
父親の肩を持つわけじゃないが、こちらも疲れているので、私に文句を言うのはやめて欲しかった。
だからこそ、深い事情を知らないためか、そういった話をしない親族の存在はありがたかった。
ただ、私を助けてくれる人たちだと感じられたからだ。
母親は年を経るごとに文句を言うようになり、父はもともと助けてはくれないし(他人は助けるけど)、今は病気のため正常な判断ができなくなっている(私の職業も知っていたはずなのに、いつの間にか、看護師かホテルの従業員という、共通点がまるでないものにすり替わっていた)。
教育を授けてくれた親とはいえ、連絡をとったり、会うたびに精神力を削がれ、正直、かなり会いたくなかった。
その証拠にと言うか、10年くらいは父と会っていなかったし、母とも数年間連絡を取ってなかった。
大人になってから、親から助けてもらったことは一度もない。精神的にも金銭的にも。
就職氷河期だったので、新卒で入った会社は、正社員で入社したにも関わらず、景気が悪いだの何なのと理由をつけて、正社員になるまで3年近くかかった。
最終的に正社員になれたのも、その会社で一番大きいクライアントの担当になっていたからだ。退職してやる!って喧嘩になったが、結局、会社が正社員にすることで、一旦収まった(そして1年半後に辞めたw)
時給700円。手取りはいい時で13万円、悪ければ10万円を切る。だから、すごい貧乏だったんだよね。
それでも、当時は実家暮らしだったので、家賃がないだけマシだった。
いつ解雇されるかわからないので、かなり頑張って貯金していた。月10万とか。今考えればよくやってたよ。
そういう貧乏していたけど、親にお金を借りたことはない。お金がなければ、食べ物切りつめたり、買いたいもの控えたりした。
パジャマもシーツもビリビリに破けていたけど、買うお金なくて、そのまま使ってたことあるしw
半分くらいは返ってきたけど、全額は戻ってこなかった。
他人の家を見れば、子供を助けてくれる親も多いのになあ…周囲はそんな人が多いのに、なぜ自分は違うのだろうって思ったよ。
隣の芝生は青いだけなんだろうけど、大人になってから、頼る人はまったくいなく、しかし自分が苦境になった時に限って、親が頼ってくるという最悪パターンが多かった。
「鬱になっている暇はない。助けてくれる人は誰もいない。自分が自分を助けずして、誰が助けると言うのか」
そう思って、歯を食いしばって頑張った。
暗くなる心を奮い立たせて、仕事では、いつもニコニコ平常心でいるようにした。
苦しいのは自分だけじゃない、自分以上に苦しい人はたくさんいる。
就職氷河期で、理不尽な書類選考や面接があり、圧迫面接なんて当たり前だったけど、まだ頑張れる!まだマシだ!って思ってやってきた。
そこでくじけてしまったら、自分に意地悪を仕掛けてくる人に負ける事になるから。
自分は、運良く困窮するところまではいかなかったけど、そんなのは薄皮一枚の差で、周囲を見渡せば、誰よりも努力をしていたのに、ほんの少しの運に恵まれず、望みを叶えられなかった人がたくさんいる。
どちらかといえば、望みを叶える事ができた自分は、頑張る義務もあると思うんだ。
私が今いるポジションは、努力しても叶わなかった人たちが欲しかった椅子だろうから…。
去年はそんな感じでプライベートがゴタゴタだった。諭吉さんがたくさん旅立ったのも痛すぎて死にそうだった。
プライベートだけならまだよかったが、職場でもゴタゴタが数年続いている。
どうしたことか。
会社初の女性管理職になる羽目になり、その上、同じ役職の中でも数人しかなれないポジションにいる。
本当は管理職になりたくなくて、自己評価を下げまくっていたのだが、管理職じゃないのに管理職と同じ権限を持たされるようになり、会社の制度上、色々不都合ありまくりだったので、仕方なく管理職になった。
はっきりいえば、部長は自分の使いっ走りが欲しかったんだろうな。
なぜ、管理職になりたくなかったのか。
私自身、その部署には配属されたくなかったし、好きな部署があれば、どこでも受け入れると言われていた。
ただ、どの部署も引き取らない部下がいて、私のバーターとしてなら受け入れると言ったのが、唯一その部署だけだったのだ。
部下の名誉のために言っておくけど、仕事ができなかったわけじゃない。
実務経験を積ませなかったのはオマエらなのに、配属拒否とかいい身分だよね。
普通に経験積ませれば、仕事ができるようになる人材だった。物覚えも良かったし、キラリと光るセンスもあった。
配属部署がなければ宙ぶらりんになる。いろいろな不利益も生じる。
本人に落ち度もないのに、そんな立場に落とすわけにはいかない。
自分が新卒だった頃、不当に扱われ、嫌な目にたくさんあった。けれど、周りは助けてくれなかった。優しい言葉をかける上司は日和見主義者で敵だった。
予想通り…というか予想以上にごちゃごちゃで、管理職として配属された最初の仕事が、部下に突き上げ食らってノイローゼ寸前のリーダーとの面談たっだ。
そして、それは今でも続いている。
この部署は、売上だけはいいので、若手の頃から野放図になっていたところがある。
そのため、メンバーはかなりスポイルされていて、私から見るとわがままな奴ばかりだ。
同じ社内で、クライアントに苦労させられている社員が数多くいるのに、その社員らを無視して、自分の意見を無理やり通そうとする。
自分は就職氷河期世代で、上からガッツリ押さえ込まれる割に、仕事のノウハウは何も教えてくれない環境にいた。
まともな教育もせず、仕事ができなければ、信じられない方法で首を切られた。
きちんとした教育を用意され、言いたいことを言い、けれど会社に立場を保証され、守られている。
恵まれているのに、もっと福利厚生を拡充しろ、給料が安いだの評価が不当に低いだの文句ばかりだ。
うちの会社はパワハラやセクハラに敏感で、若手社員にストレスがかからないよう、特に管理職は言動に注意するよう指導されている。
そのためか、逆パワハラと呼ばれる状況に陥りやすく、守られた若手社員に突き上げられてリーダーが病む、ということが珍しくない。
とくにうちの部署には「ぜったい部下にしたくない」ナンバーワンの若者がおり、こいつが部署の癌になっている。
さすがに管理職にまで上がる人間は、下から突き上げられることがあっても負けないので、病むところまではいかない。
私も「絶対に部下にしたくない」ナンバーワンに逆ギレされて怒鳴られた事があるが、あまりにもわがままな言動すぎて「自分に甘く、素直に生きていると、本当に楽だよなあ」と思いながら右から左に受け流した。もちろん病まない。
その片鱗が見えると、メンバー個別に面談を設定しなければならず、かなりしんどい。
私は仕事に来ているのであって、お守りしに来ているのではないのだが…。
中年になった今、若手は守られるのに、自分は会社から「自分で頑張ってね」と言われる。
本当に、生まれた時期が悪かったよなあ。
2年上はベビーブームで子供の数が多く、受験も大変な世代だった。
私のころも余波があって、浪人中のベビーブーム世代との戦いがあったので、まあまあ大変だった。
悲しくて辛くて泣いたのはいつだったんだろう。
外も内も辛くて嫌なことばかり。
死にたいとは思わないけど、辛くて苦しくても涙も出ないから、逆に苦しいものが心の中に堆積する。
苦しい時に泣く事ができれば、発散する事ができるのにね。
頑張り過ぎて泣き方をわすれたのかもねー。
学生の時なんか、目じゃないほど頑張った。
不当な扱いにも耐え、戦った。
多分、就職氷河期世代の中では、恵まれている方だと思う。人によっては「勝ち組」って思うのかもしれない。負けてもいないが、勝ってもいないのにね。
でもさ。
プライベートも仕事も頑張るには、もう、息切れして動けないんだよ。
ばらばら書いたから、話が飛び飛びになってる。
支離滅裂なのは疲れているから。この苦しさを誰にも訴えてこなかったから。
これだけ頑張っても、誰からも認められないのが中年ってことなのかなあ。
自己責任を強く求められてきたけど、全然褒められないんだよね。
我々世代はそれが当たり前で、他は守られる世代ってことなんだろうか?
ほんと、運悪いよね。
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