
はてなキーワード:脚本とは
ただし原典(アニメ映画)で描かれていなかった部分が要所要所で足されていたのかな?
余白を埋めたということ。
おそらく原作(小説)に近いのだと思う(未読のためわからん、小説のレビュー等から推察)。
でもそれって客から想像の余地、解釈の余地を奪うということなんだよな。
原典ではすべてが描かれてなかったからこそ、救いのない話と解釈された。だからインパクトがあった。
余白をすべて埋めてしまうと、伝わるかもしれないけど正直微妙。
これが新海誠が本当に伝えたかったお話なのだとすれば、やっぱ新海誠って物語のセンスねーよなとの結論になる。
誠的には不本意なのかもしれないけど、エッジの効いた原典の方が好きだよ、自分は。
せっかくなので、もうすこし感想を語る。
でも一本の邦画として見た時にどうなのかというと、まあね。。
新海誠のよさって、あの写実的な映像美とMV力だと思うんだけど、
実写版には当然写実的な映像美はない(なんせ「実写」なのだから)し、MV力(音楽に合わせた動的なカット割り)もない。
新海誠の原典から新海誠の強みを差し引いて、脚本上の余白を埋めて、忠実に再現した映画。
こう評するとヒドい映画のように思えるかもしれないけど、
でもゼロ年代、90年代の時代感はよく再現されていたし、78/79年生まれの人たち(氷河期世代)の生き様のリアル感もほんとにそれっぽくて、
再現力はかなりすごい。
たぶんだけど、自然めな演技をするように工夫されてた感がある。
監督の力量を感じた。
けどやっぱり思うよ。
2025年のいまこのときに、「2008年当時29歳だった人の、なんかいいとも悪いとも言えない人生の一片」を朝ドラかのごとく考証しっかりと映画にする意味って何なんだろうか、と。
というわけでこれはファンムービーなので原典視聴済みの人は見ても悪くはないと思う。
未試聴の人はこっちより原典を見たほうが絶対によい。原典見て面白いと思ったらこっち見てもいいかも。
前知識ゼロで純粋に邦画として見たら、何とも言えない気持ちになると思う。
1か月ほどまえに、アニメぼっち・ざ・ろっくの脚本家のインタビューが公開され、界隈で炎上したことがあった。
このとき、おれもこの脚本化氏は客であるアニメ視聴者を搾取してるとばかにしていて、原作を軽んじてると怒りを覚えた
でも、まあいろいろあって流れて行ったのだけど、ちょっとまえに、こんな記事が流れてきて読んだ
https://filinion.hatenablog.com/entry/2025/10/15/145847
怒ってる人でも、さまざまな派閥がいて、おろかな人々がいると茶化されているようで、とすこし気分が悪かった。
本丸は視聴者を犯罪者扱いしていたことではなかったか。と、元のインタビューをみてみたんだけど、なんかどこでおれは怒ってたのかわからなくて困惑した
改変されてないかと思ってウェブ魚拓を探してみると、たくさんとられていて笑ったけど特に翌日の分から変わってるわけではない。
1ページ目https://megalodon.jp/2025-0915-2000-21/https://kai-you.net:443/article/93374
2ページ目https://megalodon.jp/2025-0915-2045-43/https://kai-you.net:443/article/93374/page/2
「現実ではそんな会話しない」と強く否定した“女の子たちが互いの胸の大きさについて言及し合う描写”なども含め、そういうシーンはアニメにおいては何気ないよくあるものと考えてしまっていたが、吉田恵里香さんは「それを売りにしている作品でない場合においてはノイズ」と言い切る。
ここを切り出して、ノイズ、つまり不要で邪魔なもの、と言われるとたしかにむっとするけど、本文で前後関係から読むと気にならない。このノイズという用語は制作側と一般人でズレがあるから誤解やされやすそうではあるが
今回のトークイベントで、吉田恵里香さんから特に強い抵抗感を示すものとして言及されたのは「キャラが性的に消費されること」だ。
「ファンの皆さんにはキャラクターをどう捉えてもらっても構いませんし、個人で何を描いても、何を想像しても自由だと思います。ただ公式側が『さぁ搾取してください!』と言わんばかりにばら撒くのは抵抗があるんです」
ここ、もっと強い言い方だった気がしていたけど、普通のことしか言っていない。
性的搾取やめろだとか、やるべきではない、のように高圧的に書いているわけではなく、これでフェティシズム感じるんでしょ、というような見せ方を狙ったり、サービスシーン(死語)をつくるのはこの脚本家さんは個人としてやめたい、というように読み取れる
一般化されてもいないし他の人もそうするべきだ、と言っているわけではないし、ましてや視聴者をディスってるわけでもない
filinion氏の続く記事のブコメをみると、搾取は性的搾取のことだろ、と怒っているブコメがはてスタを集めてるけど、そこまで?
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/filinion.hatenablog.com/entry/2025/10/16/151459
ガルパンで、監督が絶対パンツを見せないように指示したみたいなのを同じじゃない?
もちろんそういう描写のあるアニメがあってもよい。それが非難されてるわけでもない。おれはアニメくらい、フェティッシュな描写がもっとあってもよいとは思うし、おかずにする、つまり性的搾取は全然いいと思うけど、公式がそれをアッピルしすぎていると下品になるので制作上避ける判断があるのはわかる。これは男性向けだけじゃなく、女性向けでも同じ話で、具体的な作品名はあげないけど、カップリングを匂わす描写とかは、公式からの搾取ポイントだという記号だし、それをもとに性的関係をつくる二次創作や妄想は性的搾取だとは思ってる。男だけとかではない。でもそういう部分あってもいいでしょ。AKBとかアイドルにしてもジャニーズにしても性的搾取的であるけれど、本人たちが納得ずくであれば問題ではない。いやなひとがいやだと声をあげることもあるだろうしそれは自由
最初、SNSで怒ってる人々をみて、この脚本家は責められるべきことをしているんだ、という目線で読んでしまって怒りに同調してしまったものの、今振り返ると誤読に気づき恥ずかしくなったので増田にしたためてみた
あと、そもそも、こんなことでキャンセル活動はすべきではない。一部のダメフェミニストがやっているからといって、われわれが品位を落としてはいけない。と、脚本化氏もしなかった価値観の押し売りをして終わりにする。そんじゃーね
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観劇してきた。
自分が思ったことを匿名で記録したい。バカ真面目にこんなこと書いて〜とかバカにされるのが怖いから
2.5次元の観劇で、「この世には名も知らぬ私のために、喜ばせようとして一生懸命な人たちがいる」ことを実感した
人間というカテゴリで言えばアニメの声優さんもキャラクターに命を吹き込んでるが
舞台のキャストは、目の前で生きてる人間が(人間じゃない場合もあれど)生きてる人間を演じてて、別の人間の人生を歩んでて
生命力を浴びた
あ、生きてると思わされた。あくまでキャラクターにすぎないはずなのに
客に満足して帰ってもらおうと、舞台を完成させ毎回100%の出来を見せようとしてくれる人たち
あの箱には何人入るのか知らないけど、私という1人喜ばせるのにこんなに人が必要なんだ
ずっと自分には志があって、誰かにとっての圧倒的光属性になりたいっていう
人と出会い別れ時には絶縁されが二十数年生きてきてまあ何度かあるが。悲しかった時自信ない時目標がない時、救われた存在が私にはある
私もそちら側になって誰かに返したい。
誰かに救われた私が誰かの光になりたいと思うのは自然なことだと思う
2.5次元って難しくて既に存在しているキャラを自分で解釈して落とし込まねばならない。
でも私は感じたんですキャラクターが目の前で生きているって。そう感じさせるのに自分の殻を破るとか破らなくても外側をそのキャラクターで固めるとか。いろいろ方法はあると思うけど。
私はできないって。
私がどっかいっちゃいそう。
飲み込まれちゃいそう。
逆に、「私が」見られているって思ってしまってキャラクターの世界に入れなさそう。キャラクターのみならず、その脚本の世界に。
誰かの光になる方法なんていくらでもあるけど私は自分がもらった方法で返したいのだ
たとえばお土産をもらってすごく良くしてもらったことがあった後、別の人に自分から同じことしてあげたい。みたいな
二十代半ば過ぎて夢見物語言ってるとは思う
圧倒的光になりたい
眩しさで導きたい!
とりあえずこの間、観てきた舞台に関わるワークショップは行ってきたよ。考えること多過ぎて、次元が一個上かと思った。
俺はガンの露悪的な趣向が好きで見てるから最高だったけど、良心派の映画好きギークの中にはそこが引っかかって楽しめないって人が少なくないからそういう人には地獄の作品だったかもしれない。
ガンのフィルモグラフィーを見ても彼が「トキシックマスキュラリティ(有害な男性性)」の徹底的なアンチであり、それはいわば反父性主義であり、ファミリー(血族ではない)の力でそれを乗り越えるという展開が繰り返し描かれ続けている。
リブート版のスースクでトキシックマスキュラリティの権化として現れたピースメーカーが「政府」という巨大な父性に操られ本当の「平和の使者」であるリックを殺害してしまったことから、自身のアイデンティティがゆらぎ、自身の過去と向き合っていくのがシーズン1。
過去と決着=家族と決定的な別離をするもその結果になおも苦しむピースメーカー。しかし我が家の次元ポータルの先に「全員が無事な世界線」があることがわかり、家族を再構成したい、理想的な自分でありたいと考えてしまうも、実はその世界は……というのがシーズン2。
特に示唆的で面白かったのが、ポータルの先の世界線はいわゆるアースXと呼ばれる「ナチスが勝利してナチス的な思想になったアメリカ」であり、ピースメーカーはその世界で誰もが認める「ヒーロー」として活躍している。これは「悪人」として登場し、世間からも政府からも冷ややかな目で見られている元の次元のピースメーカーとは真逆である。
しかし、問題はアースXは「ナチス的思想の非常に差別的な世界である」ということである。
その世界でヒーローとして崇められるピースメーカー。つまり、ガンはこの脚本を通じて「元々のピースメーカーの思想というのは非常にナチス的で危ういもの」であると再度警鐘を鳴らしている。もっと言ってしまえば「アメリカのために"悪人"を容赦なく退治するアメコミヒーロー」というものに対するアンチテーゼともとれる。それって「国のために」ユダヤ人を虐殺したナチスと何が違うの?ということである。
ちなみにこの部分は見ていればそうわかるように作られているが、具体的に言及されることはない。エラい作りだ。
ピースメーカーがアースXがナチスの世界だと気づいていなかったことをギャグ的に「我が闘争がオフィスに大々的に置いてあるのに?」「マッチョは本なんか読まない」「オフィスの壁にヒトラーが書かれてるのに?」「今気づいた」と詰められるシーンがあるが、これも単なるギャグではなくピースメーカーが典型的な「白人男性」であることから「特権階級者はそのことに異常に無自覚である」という強い皮肉を感じる。
でもこういうことを口煩くお説教してこないのがガンのいいところだと思う。これらは「見ていればわかる」ように描かれているが基本的にはおバカ集団がポータルを狙う政府組織を戦いながらガン的不謹慎ジョークを飛ばし合いながらときに殴り合い、ときに慰め合うエンタメ全振りの展開が続くので、普通に楽しい作品に仕上がっている。
ナチスの世界だと視聴者に気づかせる(さまざまな細かなモチーフは第1話から登場しており、登場人物も白人しかいない状態が続くが)決定的な要素として、元世界のピースメーカーチームの黒人女性が歩いていると「黒人が逃げ出したぞ!」と追いかけられる展開もめちゃくちゃガンらしくてよい。あとヴィジランテを名乗る反社会的ヒーローがめちゃくちゃオタクで家(つまり子供部屋おじさんでもある)では年老いた母親に「ババア!ノックしろって言っただろ!」系のイキリを披露しまくるシーンではイテテテテとなってしまった。ガンは嫌な奴だ(憤怒)
最終的に仲間たちの力でピースメーカーは過去を振り払い、新たなヒーロー組織(ほぼ全員社会不適合者)を結成し大団円、最後の最後でとんでもないクリフハンガーを挟んで終了。私、アメドラのはちゃめちゃクリフハンガー嫌い。
スーサイドスクワッド、ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーといったガン映画が好きならマストで見ていい作品だと思う。まぁ、1のほうが展開もダイナミックで面白かったと言われたらそれはそうかもしれんけど。
まぁ40点くらい。
試みとして面白いものが映画として面白いとは限らない。という当たり前の知見を得た。
というのも脚本づくりが非常に特殊で、実際にFBIが国家機密漏洩犯を逮捕する際に録音したものの文字起こしをそのまま脚本として採用している。もろちん、捜査機密の部分は政府お得意ののり弁でお出しされているが、その部分も忠実に再現されている。具体的にはその部分だけ登場人物が消えるという表現がなされている。この表現は割と面白い。
家に帰ってきた女性がFBIに囲まれて家宅捜索されながらその場で事情聴取を受け、最終的に自供して逮捕される。
もうこんだけ。その中で実際の録音音声が流れたり、実際の写真がインサートされたり。うむ、再現VTRである。
特別なトリックがあったりするわけでもなく、単に捜査官が捜査資料に基づき女性を延々と堅実に詰めていくさまが描かれるだけである。ただ「家宅捜索中にペットをどうするのか」みたいなところまで再現されていて、そういうところを描く作品は珍しいかもしれない。
女性の犯行動機も非常に「あー、ありそう」って感じで驚きもないし、方法もめっちゃ原始的(機密文書をシャツの中に隠して持ち出した)だし。なんていうか、見ていてキラキラがないよね。
脚本がほぼ全部事実――政府が公開しているものが事実だとすれば(唐突な陰謀論)――であるがゆえに「リアリティ」は非常に高いのだろうけど「リアル(現実的)」であることは面白さを担保しないし、映画でいうところの「リアル」とはまた違うのだなということを教えてくれたという点では非常に興味深い映画体験ではあった。
かつてANIPLEXだったかどこか大手アニメ制作会社が「アニメ作品は8割は赤字、残りの2割がその赤字を埋めている」と語っていた。ではなぜそんな赤字アニメを量産するのかというと「ヒットを打つためには打席に立つ数が多いほどいい」「アニメがいっぱい放送されていることがアニメブームを作る」「人員の確保のためにも本数は減らせない」的な理由であると述べていた。気がする。
的場浩司、小沢和義、本宮泰風、山口祥行といった「いつもの面子」に薄い薄い脚本。
「とにかくなんでもいいから1本撮らなきゃいけない」理由があったんだろう。
的場浩司はかつては仕事一徹の刑事だったが家庭をおざなりにし、妻がシャブにハマってしまいそれを叱責した結果妻は自殺。ヤケになってしまって今では一匹狼の不良マル暴に。
冒頭のシーン。ヤクザの賭場の真ん中に座る的場浩司は鋭い目つきで壺振りを睨みつけ「見」を保ちなかなか賭けない。
何かに気づいた様子で有り金を全て賭ける的場。しかし結果は無残に外れ。賭け金の没収を拒み押し問答の結果ヤクザを殴り大暴れして外した掛け金を持ってそのまま帰宅する的場。
これ何の話?
川辺で掛け金を見せびらかしているとヤンチャ大学生に「お兄さん大金持ってるね!貸してよ!」と絡まれるも彼らをボコボコに殴り倒れた彼らを延々と踏み続ける的場。
これ何の話?
ヤケっぱちになってるっていうかこれじゃただのキチ◯イだよ!男の悲哀とかじゃなくて純粋ヤベー奴だよ!
最終的に味方になるヤクザも、表稼業としてボクシングジムをやってるって設定なんだけど、この映画2015年の映画なのね。2008年には暴対法が超絶改正されてるからヤクザはボクシング無理じゃない?というのはまぁ置いておくとして。
捜査(暴行暴行&暴行)の過程でボクシングジムに乗り込む的場。ジムのリーダー格の男に「バッジがなきゃ喧嘩もできないか」と煽られリングに上がる。「蹴りでも投げでも何でもやればいい。俺はこのグローブだけで戦う」と的場を煽るヤクザ。
ヤクザ優勢の一方的な展開になるも組み付いた的場がヤクザをぶん投げ、マウントをとり首を絞める。ワラワラとリングに上がり的場を袋叩きにするヤクザーズ。何でもやればいいって言ったのはお前らの頭なんですがそれは……
これ何の話?
その他にも敵対ヤクザは正義のヤクザのジムに乗り込んで大勝利後に自分たちの悪事もバックについてる警官の名前もペラペラペラペラ喋って「これは勝手に聞かせといて聞いてしまったからには!と、皆殺しにされてしまうんやろな……」と思ってたらそのまま撤収。その情報を元に大復讐されることになる。
これ何の話?
その部下に街中でデート中に堂々と射殺されて終了。
これ何の話?
とにかく何も考えたくなくて別に何も見たくないけど音流れてない生活は虚しいなと思って適当に流してみたんだけど、脚本がバカすぎて逆に「これ何の話?」と考えさせられてしまった。
たぶん撮ってる人も撮られてる人も「これ何の話?」と思いながらやっていたんだろう。
本小文では、ハンナ・アーレントが提起した「悪の凡庸さ」(BE 1.0)が、現代においてより巧妙かつ陰湿なかたちへと進化していることを論じます。かつての「悪」は、思考停止と無反省な服従によって成り立っていましたが、今日の「悪の凡庸さ2.0」(BE2.0)は、計算された行動と、美徳の言葉を悪用する戦略的な操作によって特徴づけられます。
BE2.0は、二重のメカニズム──すなわち、道徳的言語を兵器化する巧妙な操作者と、その偽りを見抜こうとせず、あるいは恐れて沈黙する共犯的な大衆──によって機能します。
アーレントの洞察は、ホロコーストの実行者アドルフ・アイヒマンが、激情による加害者ではなく、ただ命令に従うだけの「無思慮」な官僚であったという点にありました。
それに対し、現代の加害者たちは「善人」を装い、美徳的な言葉を駆使しながら、実際にはアーレントが描いた「悪」の構造と変わらぬ行為を実行しています。
BE2.0が「凡庸」であるのは、加害者に意図が欠けているからではなく、加害者自身も社会全体も、絶え間ない露出──特にソーシャルメディアを通じたもの──によって感覚が麻痺し、悪のパフォーマンスが日常化しているためです。この日常化は、「相手が悪いのだから自分は正しい」という自己免罪のロジックを生み出します。
明確な思想や信念に基づいて行動し、動機を「正義」や「権利」といった語彙の裏に巧妙に隠す操作者たち。彼らの悪は、分散的かつ非階層的に機能し、いわば「(サルの)群れの知性」のように動きます。また、共感は狭い部族的サークルに限定され、普遍的な倫理感覚は麻痺していきます。
観衆、同僚、制度、そして傍観者として、彼らは悪の遂行に直接加担していないように見えて、検証を怠り、言葉だけの美徳に騙され、結果的に悪の温床を支えています。リーダーの言葉にうなずくだけで、その後の行動全体を黙認してしまう、この「暗黙の承認」が共犯関係を形成します。
BE2.0は、「正義」に見える言葉の衣をまといながら、実際には害を与えるための操作的アーキテクチャとして機能します。以下の六つは、その主要な「マスク(ベクトル)」です。
本来、異議申し立てを保護するための「言論の自由」が、憎悪や排除の言説を正当化するために使われます。権力者が被害者を装い、権利の言葉を用いて多元主義そのものを抑圧する──これが洗練された悪の典型です。
社会構造に根差す不正義が、象徴的な「個人」に押し付けられます。
•システムの生贄化:制度の失敗を覆い隠すために、ひとりの個人が「償い」の対象とされ、構造改革の必要性は棚上げされます。
•イデオロギーによる自動攻撃:あるカテゴリの人々が「攻撃してよい存在」として事前に定義されており、指示がなくても攻撃が発生します。まさに、無思慮な脚本の遂行です。
歴史上の重大な暴力や抑圧が、軽んじられたり、相対化されたりします。これは、現実の被害を正当化する方便として使われがちです。
進歩や変化を認めず、過去の不正義を手放さないことで、継続的な要求や道徳的優位性を確保しようとします。目的は「癒し」ではなく、「不満」の永続です。
複雑な現実が、単一の枠組みや道徳コードに押し込められ、それ以外の価値観は「後進的」として排除されます。
自らが行っている行為を、先に相手に投影し、正当化の材料とする。この「合わせ鏡」の構造では、真の責任追及が不可能となり、対話はエスカレートする一方です。
すべての誤りや偏見が「悪」となるわけではありません。「悪」が成立するのは、次の三つの条件が重なったときです。
他者を、尊厳ある主体ではなく、単なる機能や道具として扱う「存在論的な消去」が、悪の第一条件です。暴力の前に、すでに尊厳の剥奪が始まっています。
個人の悪意を超え、イデオロギーや制度に組み込まれることで、悪は再生産され続けます。
悪は、善を単に否定するのではなく、模倣し、利用します。たとえば、「権利」の言葉が、本来守るべき弱者ではなく、強者の防衛に使われるとき、それは善の腐敗です。
技術的な修正や制度改革だけでは、BE2.0に対抗できません。というのも、これらは逆に「寄生的模倣」に取り込まれてしまうからです。根本的な解決は、私たち自身の内面から始まる変容にあります。
東洋の智慧は、個と社会は分かれたものではなく、同じ意識の運動の異なる側面であるという洞察を共有しています。内なる断絶が癒されるとき、外なる対立も自然に鎮まります。
1. 内的な道:瞑想、自己探求、倫理的明晰さを通じて、自己の中にある認識の否定構造を解体する。
2. 外的な道:未変容な人々が存在する現実においても害を防ぐための、法や制度、規範といった堅牢な外部構造を整える。
その行為は開かれた交流を促し、複雑性を許容するか?それとも、対話を遮断し、イデオロギー的な純粋性を要求するか?
和解と修復を育むか?それとも、分裂と戦略的な不満を永続させるか?
力、尊厳、自由をより広範に分配するか?それとも、特定の部族のために力を集中させ、特権を溜め込むか?
「言論の自由」が一貫して沈黙を生み出すとき、「学問の自由」が一貫して排除するとき、私たちは戦略的な操作の兆候を特定できます。
民主主義は、BE2.0の条件が蔓延するとき、集団的な凡庸な悪が集約され、最高位の舞台に投影されるベクトルとなりえます。現代の指導者たちの台頭は、システムが日常的な否定、投影、兵器化された美徳のパターンを増幅し、正当化するようになった論理的な結果です。
サイクルを終わらせるには、外部の敵を探すのをやめ、内的な変容という困難な作業を始める必要があります。それまで、私たちは悪が選ぶ新たな仮面のすべてに対して脆弱なままです。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.nhk.jp/g/blog/7sr-7a95u/
脚本は、連続テレビ小説「虎に翼」と同じく吉田恵里香さんです
「いつか一緒に売れるゲームを作ろう」って。
文化祭でもゲームの展示をし、シナリオはあなた、イラストとプログラムは私だったね。
すごく面白いって校内で話題になった。文化祭の展示部門で入賞した。
もっと実力を積もうって大学はお互いに脚本やシナリオ、映像が学べる大学に受かったね。
あなたは夢を語ったね。
「一緒にゲームを作って、ずっとゲームを作り続けたい。私は社長になるよ!」
そして成人になって「即売会に出よう」って私はあなたを誘ったね。
「いや、まだまだ人様に出せるものじゃない」ってあなたは断ったね。
私は出たかったから出展した。イラスト、漫画、小説と物を増やしながら色々なイベントに出展した。
当初は当然売れなかった。悔しかったのでディスプレイや宣伝方法を勉強し始めた。
あなたは「会社設立するからさ!広告担当にでもになってもらおうかな!」なんて言って一緒に笑い合ったね。
あなたは「今、シナリオ書いているんだ」っていつも連絡してくれたね。
「頑張れ!資料集めならついて行くよ」と私は言ったが、完成報告は一度もない。
あなたと中学の頃から集まっていたファミレスで食事に行くと、あなたは夢を語るね。
「一緒にゲームを作って、ずっとゲームを作り続けたい。絶対会社を立ち上げるんだ」
でも高校卒業以来、あなたはシナリオを一本も完成させていない。
私はしびれを切らして、自分でシナリオを作り、イラストを描き、プログラムをしてゲームを作り始めたよ。
「その行動力が大事だよね!やっぱ勢いで作品を完成させなきゃいけない」
ってあなたは感心していたね。
コンテストで賞を取った時、あなたは「私も早く追いつかないと」と言っていたね。
私は「頑張れ。手伝えることなら何でも言って」と言った。本音は「早く一本でもいいから書き上げなよ」だった。
言ったことはある。だけど、あなたはあーだこーだ言いながら結局完成させない。
「でも納得いかなくて進められない」
「もっと上手くならないと見てもらえない」
途中まで書いているところは見たが、完成はない。授業で提出したものだけだ。
「授業で作れと言われるのはつまらない。もっと自由に作りたい」
そう言うが、高校卒業後、彼女の完成したシナリオ・小説は0本だ。
私が使っていたゲームエンジンが知りたいというから、小さなゲームができるまで教えたことがある。
1週間も彼女の大学に出向いて教えたのだが、以降触っていないと言う。
理由は聞いていないが「作品が完結していないから評価しようがないと言われた」と言っていた。
「外国の人の感性を学ばないと売れないからね」と私に外国の大切さを説いた。
留学する前までに書き上げると言っていたシナリオと小説は結局完成しなかったね。
「あれはゲームデザインがブレている」
200円程のドリンクバーの前で、そう私に諭してくる。
5,6本ほどゲームを作った私に言ったね。
私を貶そうとしている人間でない事はわかっている。
これを反面教師にしてゲームを作れば、最高なものが当然できがあると本気で思っている。
中高の時、彼女と一緒にゲームを作りたいと思ったその目と気持ちを否定できない。
その夢を聞き続けてもう十年以上経った。
あなたは留学が終わってから翻訳系の正社員になったが、ゲーム作りが諦められず仕事を辞めた
「なら今度の〇月のイベントに向けて作ろう。完璧じゃなくてもいいから」
それでも私はあなたと一緒にゲームが作りたい。それを伝えたつもりだったんだ。
『プツン』と最後の一本が切れた音がした。
誘いも「今、イベントに向けて忙しい」と断っている。
SNSで相互フォローではあるが、彼女はまだ一度も何かを完成させてはいない。
仮に彼女がこれから素晴らしい作品を作り上げたとして…そんな期待すら今はもう湧かない。
びっくりするくらい口に合わなかった。
ただしそれは受け取り手側である自分の問題なので、脚本とか演出がつまらなかっただとか、俳優さんたちの演技が…とかいう話ではない。(むしろこれが初舞台と話していた栗田くん、事前の配信からもいい子なのがすごく伝わってきたのでこれからも頑張ってほしい)
話は最終的に繋がるけど、女のドロドロした小競り合いのオムニバスといった感じ。
いろんな話で衣装が変わる推しが見られたのはよかった。世界で一番可愛かった。
でもそれ以外は私には受け入れられなかった。
本当にあんな話をする女がいるのか?と思えるような人生を送ることが出来ているのが何よりの幸福なのかもしれない。
友達と遊んでも友達の彼氏のスペックなんて気にしないし、自分も話さない。だってその場にいるのは私の大切な友達で、その子の彼氏じゃない。もちろん彼氏の話を聞いてほしいと言われたら別だけど。
セフレだとか不倫だとか、そんなものとは縁のない人生を送ってきたから何一つ共感できなかった。
あと演出への共感性周知がすごい。オタクの使うワードがもりもり出てくる。
自分のことをフェミニストだとは思っていないけれど、女という性別をエンタメとして誇張して描かれて(もちろん実際にこういう人もいるんだろうけど)、そしてそれを演じるのは男性で、正直かなりモヤモヤの残る観劇体験だった。
笑えた!共感できた!元気もらった!という感想がSNSでは多く見られたけど、対極の感想しか出てこなかった。ただしこれは繰り返すけれど受け取る側である私の問題。
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つい先日からBSで再放送始まって、第1話見ただけなんだが、若いときの丹波哲郎とかカッコイイねーw
本放送当時は、オレ小学校低学年くらいで、友達などから「カッコイイ! スゲー!」的な噂はだいぶ聞くんだけど、ウチは生活習慣のシツケとか厳しい家庭で、8時過ぎたら寝なさい!土曜日でも9時までしかTV見せません! って言われてたので、たぶん2回か3回くらい親が何かの旅行だか用事があって居なかったときにしか見たことない。登場人物やストーリーがどうだったのかなど、ほとんど記憶が無くて、強烈にカッコイイ刑事モノ?ドラマっていう印象しか残ってなかったんだよねー
第1回は、深作欣二脚本監督だったっけ? いやー、しっかりハードボイルドな感じで、最近のドラマみたいに分かりやすくするための説明的なセリフとかカットとかもない(というか、目立たない?気にならない?)のがシブイww
同じくらいの時代のウルトラマンとかの再放送見ると、なかなか雑なプロットだったり、不自然な動きやセリフが目立ったりして「そうはならんやろ!」的なツッコミが思わず出ちゃうんだけど、キイハンターにはあまりツッコメるとこがなかったw
マクギリスファリドが突然無能になったのは「脚本家が面倒になって物語をぶん投げたせい」と言われていますがこれは誤りです。阿頼耶識の副作用による精神の荒廃が原因です。
描写がなくてわかりにくいのですが。
マクギリス・ファリドの終盤の行動が「突然無能になった」と解釈されがちなのは、その背景にある「阿頼耶識(アラヤシキ)システムの副作用による精神の荒廃」の描写が不足していたため、視聴者に伝わりにくかったことが大きな要因です。
この解釈は、作中での描写を深く読み解くことで裏付けられます。
マクギリスの行動と阿頼耶識の副作用
マクギリスは、理想とするアグニカ・カイエルの再来を目指し、世界を変えるという強い理想を持っていました。しかし、物語の終盤に近づくにつれて、その理想と現実のギャップに苦しむようになります。
彼の搭乗機であるガンダム・バエルには、阿頼耶識システムの本来の性能を引き出すための特殊な調整が施されており、その肉体的・精神的な負荷は非常に大きいと設定されています。
マクギリスはバエル搭乗後、自身の理想実現のために、精神を極限まで酷使し続けます。
彼の精神が徐々に摩耗し、判断力が低下していく過程が、戦術的な失敗や感情的な行動として現れますが、それが「阿頼耶識の副作用」と明確に結びつけられる描写が少なかったため、「無能化」と見なされやすかったと考えられます。
精神の荒廃により、かつての冷徹で合理的だった判断ができなくなり、「バエルに宿るアグニカの意志」といった非合理的なものに固執するようになります。これは、理想実現への焦りから、精神的な拠り所を求めるようになった結果であり、彼の精神が正常でなくなったことの表れです。
マクギリスの終盤の行動は、単なる「脚本の都合」ではなく、「理想の追求と過度なシステム使用による精神的な破綻」という、キャラクターの内面に基づいた悲劇的な結末として描かれていたと言えます。
某港区のやつ
脚本がつまらないとか、そもそも企画がつまらないとかは置いておいて。
明らかにカメラ演出の基礎知識もないド素人が、生成したシネマティックフォトを適当に動かして切り貼りしてつなぎ合わせて作ってる。
そのために、映像に緩急がなくリズムが単調で間延びしていて盛り上がりにかける。
その上、なんの意図も感じられないズームやパン、スローモーションが多用される。
パワポ覚えたての学生が、スライドの切り替え全てにエフェクト入れるような感じ。
さらに視聴者が忖度して読み解かないといけないシーンが多すぎる。
とくに会話シーン。
「なんか背景の質感が違ってどうみても同じ場所にいるように見えないけれど、この三人は今同じ場所にいて会話しているんだろうな」みたいな忖度が必要になる。
せめて、会話の前に登場人物が同じ場所にいることがわかるショットを入れてくれればいいのだけれど、まぁこれは技術的に難しいのかもしれない。
ただ、イマジナリーラインとかがぐちゃぐちゃなので、てんでバラバラの方を向いて会話しているように見えるシーンが多くて全然頭に入ってこない。
スタッフコメントの引用だったか、5chスレの誰かの考察だったか覚えてないけど、「風邪をひくために濡れたまま扇風機の前に座る状態を作るため水着を選択した」というのがあった。
全裸で風呂に入り風呂から上がって下着を着る状況だと、一度バスタオルで身体を拭いており半裸ではあるが体は濡れていない。
水着だと、風呂から上がる時に体を拭いても水着は湿ったままなので扇風機の風に当たるとすごく寒いという状況ができる。
風呂シーンの原作からの改変は、ぼっちの髪型、カメラ位置設定、小道具追加など、脚本(タイム計測)と関係ない部分で行われているものが多く、絵コンテの斎藤圭一郎がやったと推測できる。主に斎藤が手掛けた作業なのに吉田がエピソードを披露したということは、これがぼざろの「ノイズを消す作業」を象徴するエピソードとしてスタッフ間で共有されてたんじゃないだろうか。