はてなキーワード:背骨とは
【日本市況】金利が急上昇、与党が参院選苦戦で財政懸念-株下げ渋り
https://news.yahoo.co.jp/articles/f99a922f0ba0276bd68e772bc06115d9d6a45a63
長きにわたり沈黙していた利回りが、ついに目を覚ましたのです。
まるで、国の奥底に眠っていた“古き神々”が、再びこの島国の財政に牙を剥こうとしているかのようです。
その瞬間、マーケットがざわめき、
これは単なる選挙ではありません。
これは、「神の見えざる手」が牙をむく序章です。
そして、「金利が2%を超えたら」──それはもう、“始まり”です。
気をつけてください。
当時は、どうせ参加しないと終わらないんだから、今すぐに参戦すべきだ、と書いた。
なぜなら今すぐに参加するのが最も被害が拡大しない方法だから、だ。
もちろんそんなことは起こるわけもないとは思いながら。
あれから数年経ったが、戦争は国力の違いとリーダーの優秀さからロシア有利となっている。
この現状を続ければ、どこかの段階でウクライナは背骨がグキッと折れて自らを支えきれなくなる時が来る。
一方のロシアの経済も相当悪いと言われているが逆説的に戦争経済を続ける限りはなんとか持ちこたえる。
ウクライナを助けなかったNATOがより脆弱なウクライナ以西の国家を助けるわけがない。
それを知るプーチンロシアは最も脆弱な国家に対して戦争を仕掛けるだろう。
それをまたNATOは指を加えて見ているだけに違いない。
いや、そんなことはない。
NATOが参戦するはずだ。
そう考えることも出来るかもしれない。
だったら、なぜ今すぐに参戦しないのか!?
ロシアは旧東欧圏くらいまでの支配下に置かないと安全保障上の安心感を抱けない国家なのだ。
そうなれば結局は最終的にNATOは嫌でも戦争に参加しなければならなくなるのだ。
どのような形になるにしろ。
ならば、今すぐに始めるべきだ。
右腰が痛くて、立てなくなった。なので、整形外科に行き、ぎっくり腰ではないかと調べてもらったが、ぎっくり腰ではないとのことで、骨にも異常もなく、筋肉系統とのことだった。
ロキソニンテープをもらって、しばらく貼っていたが一向に治らない。なので、リハビリに通うことにした。理学療法士の人に教えてもらって、色々とストレッチを教えてもらったら、大分よくなってきた。機械治療も並行してやったが、それは気休め程度で、ストレッチが良かったように思う。ただ、ほんのり腰が痛いのが続き、リハビリを継続していた。
そしたら、4月になって急に悪化した。
爪周囲炎が悪化してサワシリンを飲んだ翌日から痛くなったので抗生物質のせいで腎臓がやられたのかと思ったが、整形外科の先生曰く、腎臓原因の腰痛だったら、結石とか腎盂炎とかで激痛で立っていられなくなるはず、とのことで、結局またロキソニンテープを処方してもらった。けれども、一向によくならず、痛みが右腰だけでなく、背骨あたりにも痛みがあり、更に左腰も変な気持ち悪い感覚がでてきた。理学療法士の人と話していたら、痛くなった2日前に子供を持ち抱えて車に乗せたたことを思い出した。2日前だから直接の原因だと思わなかったが、理学療法士の人に「2日前でも後から痛みが現れてもおかしくない、それですよ」と言われた。それから、またストレッチを色々教えてもらったが、一向によくならず、現在に至っている。
とりあえず、ロキソニンテープのおかげもあって、沈静化してるが、痛みは持続していて、全く治る気配がない。とりあえず、腹横筋を鍛えると腰痛は緩和されるというので、今、ドローイング、プランクを毎日やっている。が、日が浅いせいか、効果を全く感じない。サイドプランクやリバースプランクをやったほうがいいのかと思うが、あまりやりすぎると、却って悪くなりそうで、やっていない。
これから、どうしたらいいか、正直、悩んでいる。初めて腰痛になり、これほどまでに腰痛が気分を落ち込ませるとは思わなかったので、何か先の見えないトンネルの中に入ってしまったようで、途方に暮れている。腰痛を馬鹿にしてはなかったが、全く治りそうがないという状態を前にして、だからみんな腰痛で悩んでいたのかと、知れてよかったと思うと同時に、無限に続く腰痛地獄に陥ってしまった感じがして、どこから出てきたかよくわからない哀しみの中に今、溺れ苦しんでいる。
【追記】
アドバイスを色々とありがとうございます。メンタルがかなり落ちてたんですが、みなさん腰痛で悩まれていること、色々と苦労されていることを知り、自分だけではないのだなと知り、頑張ろうかなと思い始めました。重ねてありがとうございます。
自分の腰痛は、そもそもアキレス腱断裂が遠因で、治療の間、片足の筋肉が極端に落ちたこと、まだ瘢痕が残っていて痛みがあり、筋トレが十分できず、筋力が戻ってないこと、それに伴って、左右のバランスが崩れているところもあり、単に腰を痛めただけでないのかなと思っています。なので、余計、もう治らないのかなあと諦めてたところもあるのですが皆さんのアドバイスに触れ、地道に頑張ろうかなと思いました。教えていただいた鍼灸や接骨院も選択肢として、色々、試そうかなと思っています。増田に書いて良かったです。ありがとうございました。
Permalink |記事への反応(21) | 00:43
↑は、この匿名日記の2個前の匿名日記anond:20250628235025 に着想を得て、Gemini 2.5Flashと会話しながら作ったエッセイのようなものだったのだけど、これをさらにチャット型AIに読ませてみたら、各AIサービスごとに見事に差が出てビックリした。
それぞれでDeep Research をさせた結果を載せるね。
8つの主要主張について、原典と学術資料に基づく厳密な事実確認を実施しました。古代ギリシャの政治哲学から現代アメリカの世論調査まで、幅広い分野の主張を検証した結果、大部分は正確である一方、重要な不正確性も発見されました。
正確な主張: 6件 | 不正確な主張: 1件 | 検証不能: 1件 |
古代の政治哲学に関する主張は全て正確で、現代の統計データも概ね正確でした。しかし、アメリカ独立宣言の引用において重要な欠落が発見されました。
検証結果: 正確
プラトンは確実に民主政を理想国家の堕落過程における最終段階として位置づけ、僭主政への移行を警告しています。『国家』第8-9巻の原典から、「民主政は自然に僭主政を生み出し、最も極端な自由から最も極悪な形の僭主政が生まれる」との記述が確認されました。
プラトンの政体堕落論は、貴族政→名誉政→寡頭政→民主政→僭主政の順序で展開され、民主政の「際限のない自由への欲求」が秩序を破壊し、デマゴーグを生み出すことで僭主政に至ると分析しています。
検証結果: 正確
アリストテレスの『政治学』第5巻は、民主政の不安定化と崩壊について詳細な分析を提供しています。原典では「民主政はデマゴーグに支配されるとき最も転覆しやすく、デマゴーグが富者に対する十字軍を率いるとき」との記述が確認され、実際にアテネ等の具体例も挙げられています。
検証結果: 正確
ポリュビオスの『歴史』第6巻に記述されたアナキュクロシス(政体循環論)は、主張通り王政→僭主政→貴族政→寡頭政→民主政→衆愚政の循環を提示しています。この理論は数百のギリシャ都市国家の観察に基づいており、後のアメリカ建国思想にも大きな影響を与えました。
検証結果: 正確
学術的コンセンサスと一致する内容です。紀元前133年のティベリウス・グラックス暗殺から27年のアウグストゥス即位までの危機過程における政治的暴力、軍事的強者による内戦、経済格差の拡大、制度的破綻などの要因分析は、現代歴史学の標準的見解と合致しています。
最も重要な発見は、アメリカ独立宣言の引用における重大な欠落です。
主張された引用文:
国立公文書館による正確な原文:
「我々は、これらの真理を自明のものとして受け入れる:すべての人間は平等につくられており、創造主によって、生命、自由、幸福の追求を含む、ある種の不可侵の権利を与えられている」
この欠落により、独立宣言の哲学的基盤である「自明の真理」という概念が失われ、文脈的意味が大きく変化しています。
検証結果: 正確
機密解除されたCIA文書と1975-76年の教会委員会報告書により、イラン(1953年)、グアテマラ(1954年)での政権転覆工作、プロパガンダ活動、心理作戦の実施が確認されています。モッキンバード作戦による報道機関への浸透、MKウルトラによる心理実験なども含まれます。
2022年4月実施の調査(n=10,156)で、アメリカ成人の39%が「人類は終末の時代に生きている」と信じていることが確認されました。主張の「約4割」は統計的に正確です。調査は全国代表性を持つ手法で実施され、宗教的・人種的背景による大きな差異も記録されています。
指定されたYouTube動画へのアクセスができないため、具体的な主張を検証できませんでした。ただし、2022年1月の退任発表では、アメリカを「進行中の実験」と表現し、民主主義制度への楽観的な信念を表明していることが複数の信頼できる報道で確認されています。
このエッセイは古代政治哲学の引用と現代統計データにおいて高い正確性を示しています。特に、プラトン、アリストテレス、ポリュビオスの古典的政治理論の記述は、原典と学術的コンセンサスに忠実です。
ただし、独立宣言の引用における重要な欠落は修正が必要です。この修正により、アメリカ建国思想の哲学的基盤がより正確に伝わるでしょう。
推奨修正:
独立宣言の引用部分に「我々は、これらの真理を自明のものとして受け入れる:」を追加し、思想的文脈を完全に保持することを推奨します。
全体として、このエッセイは学術的に信頼性の高い内容を提供していますが、一次資料からの引用については、より慎重な検証が必要です。
承知しました。このエッセイ全体を対象に、歴史的・政治的主張や引用に事実誤認がないか、またその解釈や論拠に不正確さや誤解を招く表現がないかを、批判的視点から検証します。
確認が済み次第、主要ポイントごとに整理した上でご報告いたします。少々お待ちください。
このエッセイに述べられている歴史的・社会的な論点は、概ね史実や資料に基づいており、大筋で正確です。古代ギリシアの哲学者による民主政への批判(プラトン、アリストテレス)やポリュビオスの政体循環論、ローマ共和政の崩壊原因、アメリカ独立宣言の理念と冷戦期のCIAの秘密工作、現代アメリカの「ディープステート」陰謀論、福音派の終末論的世界観とイスラエル支持、さらに第二次大戦期のファシズム台頭の教訓など、多岐にわたる主張が展開されています。**これらの主張のそれぞれについて、史実との照合を行った結果、エッセイに明らかな虚偽は見当たりませんでした**。以下に、各ポイントごとに根拠となる事実関係を検証します。
エッセイの説明はこのポリュビオスの理論と一致しており、\*\*「民主政が衆愚政へと堕落する過程」\*\*についての記述(個人の自由が公共の利益を損ない無秩序と暴力に陥る)は、ポリュビオスが説いた民主政から無政府状態への移行と同じ現象を指摘しています。したがって、この点も史実に沿った主張です。
以上の歴史は、**どれほど堅固に見える政治体制でも、極端な経済格差や権力闘争(安定した政権交代の仕組みがないこと)が内部矛盾となって崩壊しうる**ことを示しています。エッセイの記述はこの歴史的経緯と一致しています。
わたしもメンタル病んで休職は何度かあるのだが、疲れているのだからとにかくゆっくりすることだ。
精神的にも不安定になる(将来的なことや、直近のお金のことなど)から相談できる家族や友達は大事にしたほうがいい。
しかし、できる限りは夜12時には寝て、朝6時には起きるようにしたい。
眠りにつけないために薬を飲むと日中が怠く寝てしまうのはある。
現実から目をそらすために日中寝てしまうと昼夜逆転でやはり夜眠れなくなる。
寝すぎると背骨が痛くなるのでそれ以上寝られなくなり起きることになる。
恐らく最初はデパス、パキシルあたりで精神落ち着かせる感じだと思う。日中はそれでもいい。
寝る前は飲んだらすぐに床に就いたほうがいい。ボケボケ状態でPCを触っていると心にもないメールを
送っていたり、ネット通販でなんだか得体のしれないものを買っていることもあるから注意が必要だ。
眠れなくなるとマイスリーを処方してもらうこともあったが、健忘症という症状が出ることがあるので注意が必要だ。
私の場合、なぜかマイスリーを飲むとその後の記憶が飛んで、コンビニでポテトとビールを買い込んで飲み干し、
朝起きたら部屋が散らかっていたり、妙にリアルなラーメン食べに行った記憶が数日後に財布の中からレシートが
出てきて、どうやら数十キロもの距離を車で出かけて瓶ビール3本と餃子、ビールを食べ飲みしてきていたらしい事とか
本当にいろいろあった。薬はこういうこともあるから怖い。とにかく薬は飲んだらすぐ寝ろ。
イギリス最高裁「スコットランド政府が公的機関の女性代表比率を向上させるために、GRCを持つトランス女性を「女性」としてカウントする方針を示してるが、この法律の求める背骨の部分としてトランス女性は女性代表比率向上には使っちゃだめですね、ただしgender reassignmentの元で差別から守られるべきってちゃんと言っときますね、発言の切り取りするバカは死ね」
ニューヨークタイムズ「JKローリングの発言を報道したことはあっても正しいなんて言ったことはない」
バチカン教皇「トランスイデオロギーは危険、に近いこととしてジェンダー・イデオロギーは危険って話はしたけどトランスに限るつもりはない」
連休初日に起きた、自分でもうまく説明できない身体の現象を記録しておきます。これはあくまでも個人的な体験記録です。現象の背景にある人体の仕組みについての示唆は歓迎いたしますが、医療相談や診断を求める意図はありませんのでご了承ください。
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連休初日の午前中、近所の図書館で本を選んでいたところ、意思とは無関係に奥歯をギリギリギリと噛み締めていることに気がついた。連休前は連日の残業で疲れていたが、行きつけの整体院で首の痛みを直してもらったばかりで、スッキリしたつもりでいた。それなのに、口が開かない。当然、物を噛むことも話すこともできない。午後になっても食い縛りは収まらず、奥歯をギリギリと噛み締める感覚が続く。しかも長時間になるとかなりしんどい。あくびをするとわずかに口が開くが、すぐに閉じてしまう。午後は前日のIT関係の展示会の見学レポート作成をしようとPCを立ち上げてはみたが、無理そうなのでやめた。
気分転換に暗くなる前に散歩に出かける。歩いているうちに、症状は食い縛りから歯軋りへと変化した。昨日まで痛みがあった首のあたりが歯軋りと連動してピクピクと動いている。二駅分歩いてスタバまで行った。今日は口が開けないので、注文はゆずシトラスティーを指差しで。ホットかアイスかと尋ねられたが、喉の奥で「ウッウ」としか言えなかった。それでも、空気を読んでくれたイケメン店員さんのおかげで無事に注文できた。
ノイズキャンセルイヤフォンで静かな音楽を聞きながら本を読む。症状は相変わらずで、歯軋りとともに、心許ないような不安もつきまとう。こめかみが疲れるので眼鏡を外したら本が読めなくなって、結局目を閉じて音楽を聴いていた。帰り道、無印に寄り、いちばん違和感のなかった「ひのきの香り」のエッセンシャルオイルとアロマストーンを購入。こんなオシャレアイテムは使ったことがないが、今夜眠る時に試してみることにした。
そのようなタイトルの本を、5年前から積読している。私の推測では、神経の奥に棲んでいた何かが、整体によって追い出されてきたのかもしれない。私は昔から感情表現が不得意だった。喜怒哀楽のうち「喜ぶ」「哀しい」「楽しい」は一人でなら感じられるが、人が多い場所では私自身の感情を感じることすら難しい。怒りはよほどのことがないと表に出さない。けれど、理不尽な出来事があった後は、表面上は無表情でも、内面では大きなダメージを受けている。
さて、夕食はどうしようか。温かい食べ物だと反射的に口が開くので、少しは食べられそうだ。ただ、すぐに口が閉じてしまうので不便だ。温かいものを口に運び、咀嚼して飲み込んだあと、歯がギューッと強く噛み締められる。あまりにも強く噛み締めるため、口の周りが腫れているような感覚がある。
刺激をなるべく避けるため、照明を落として入浴する。静かな音楽を防水イヤホンで聴きながら、湯船に浸かっていると、とても悲しくなり、涙が出て来た。連休初日、図書館と散歩に行っただけなのに、私は一体何がそんなに悲しいのだろうか。そのままでは理由も分からない悲しさが無限に溢れてしまいそうだったので、早めにお風呂を上がり、ベッドに入った。
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小さな音でお気に入りの音楽をかけて1時間のタイマーをセット。いつもはスマートウォッチをつけて睡眠時間を記録しているが、今夜は外しておく。ひのきの香りのエッセンシャルオイルを3滴ほど使い、アイマスクをつけて眠ろうとした。しかし、悲しくないのに涙が止まらない。(私の場合、涙は悲しさだけでなく、喜び、哀しみ、楽しさ、あるいはそれらの組み合わせなど、漠然とした感情の表出と関係している)時々身体のいろいろな場所がビクッと動いた。
少しうとうとしたが、すぐに目が覚めてしまった。自分の意思とは関係なく背骨に電気が走ったようにベッドから跳ね上がってしまう。コロナワクチン注射で似たような症状が出て救急搬送されたことがあるが、今回は体の奥にある痛みの中に棲んでいた感情が、それを表出する回路が無い身体から出口を求めて暴れているような感じがする。そのような波が一通り暴れまわったあと、涙がブワっと出て、少し落ち着いた。いつの間にか歯ぎしりは収まって、歯が震えている。やったか...!?
やがてもうひとつ大きな波が来てまた身体が勝手に動く。最後に涙がブワッと出た。ふと、過去のことを思い出す。大好きだった祖父が亡くなったとき、涙が出なかった。優しかった祖母が亡くなった時は仕事でお葬式にも行けなかった。叔父のお葬式でも涙が出なかったけれど、孫が号泣しているのを見て、「悲しい気持ちを素直に表現できて羨ましいな」と思った。
少し汗をかいたので着替える。首に少しだけ痛みが戻っている。感情の一部は、身体の中に痛みとして留まることを選んだのかもしれない。お気に入りの音楽がタイマーで切れ、ひのきの香りももう薄れてきたので、もう一度補充する。
体が勝手に動き始めた。始めは、ビクッビクッと微かな予兆だった動きが、やがて振幅が大きくなり、最後には頭のてっぺんから足の先までがピンと張り詰めるような姿勢になった。30秒ほどその姿勢をキープして、いい加減息苦しくなった後で、やっと楽になった。感情の表出は全くなくて、不随意運動だけの波だった。
再び歯の食い縛りが始まった。まだ終わらないのだろうか?身体の動きは収まったのでキッチンで水筒にお湯をいれて持ってくる。お湯を飲んでも食い縛りはあまり変化ない。枕元の温度計は20℃でそれほど寒くないのに寒気を感じる。今度は冬用の厚手の服に着替えた。
ベッドに横たわりながらデッサン人形のような動きが始まった。初めは背骨にスイッチが入り、次に右半身、左半身、前後の動き、捻り、手、脚、舌と首、それぞれの連動。左右同じ動き、左右逆の動きなどありとあらゆる動きが延々と続き、一時間半ほど続いてやっと落ち着いた。この不随意運動が始まるとメモも出来ないので、一連の動作が終わって合間にメモをしている。
何かに耐えたり逃げたり叫んだりするときの姿勢の再現が20分ほど続いた。姿勢は防御や恐怖を表しているようだが、感情は全く連動していないため、ベッドの上であり得ない姿勢をしている自分を冷静に観察できる。動きが収まると、歯が震え始めた。
驚愕したり、何かを拒否しようとするような、首を激しく振るような姿勢の再現が30分ほど続いた。一連の姿勢の再現の間には束の間の休息がある。冷めたお湯を飲んでいると、鳥の声が聞こえた。もう夜明けだが、再び歯軋りが始まった。寒気がする。また何か来る。
胸を押さえて体を丸めて小さくなり震えるような姿勢の再現が10分ほど続いた。朝5時になって目覚ましが鳴ったが、一旦止め、もう少し身体の様子を見守ることにした。
目が覚める。恐怖の姿勢の後は眠っていたようだ。最後に、ものすごく悲しくなりブワーッと涙が流れたのを覚えている。夢の中での出来事だったような気がするが、スマホに時刻付きのメモが残っているので、夢ではなかったようだ。
親から仕送りをもらっていたから生活はできていたが、本を好きなだけ買える程度の小遣いが欲しかった。
時給はまあまあ、下宿からチャリで5分、夜シフトだったから静かで気楽だった。
軽薄ながら明るくて良い奴だったんだが、挨拶が日常的に若者言葉なんだよ。
「ありゃしたー」「あざーすっ」みたいな音だけの挨拶をしていて、それに違和感が拭えなかった。
最初は真似してたんだけどさ。
ある日、ふざけて「ありがとうございます」を「あざーす」じゃなくて「あざとーす」と言ってみた。
深夜テンションだったし、挨拶の中にこっそりクトゥルフを混ぜこむ背徳感が面白くて癖になる。
「〇〇円のお返しです、あざとーす」
聞き流すというレベルでもなく、そもそもバイトの挨拶なんて聞いていないんだろう。
スマホをガン見したまま、無言で立ち去る人も多い。
でも、たまに一瞬「え?」という表情をするお客もいたが、俺が堂々としているからか特に問題は起きなかった。
もしバレた気まずさでオドオドしていたら非常に嫌な空気になっていたのかもしれないが。
むしろ、稀に気付いてくれる「ちょっとした反応」が面白くて、どんどんエスカレートしていった。
「またどうぞー、あざとーす」
などと、そのうちクセになって、自然と口から出るようになった。
お客さんが気づくかどうか反応を見るのが楽しくなって、ただの小遣い稼ぐの賃労働だったバイトも張り合いが出てきた。
それどころか、バイト以外でも頻繁に口にするようになっていた。
そんなある晩だった。
夏休みのころのわりと蒸し暑い深夜だったが、見たことが無い客がやってきた。
何を買うでもなく、ただ店内に立ってじっと俺の方を見ているような感じだ。
背後のタバコを見てるんだろうと思って俺は気にも留めなかったが。
その客は何も買わずに退店する際に、いつものように一声を掛けた。
「……あざとーす」
そう口にしたとたん、首のうしろがひどく熱くなった。
その熱は背骨に沿って走り、皮膚の下で何かが蠢く感覚があった。
反射的に触れると、肉の中から何かぬるぬるとした細長いものが押し出されてくるのが分かった。
その時に俺は分かってしまった。
ああ、これ作り話だったのだ、と。
叔母が死んだ。享年60歳。
乳がんだった。
叔母は私が子どものとき、夏休みの帰省の度にひとつ、玩具を買ってくれた。
叔母、叔母って、他人行儀だね。いつも呼んでたように、はな姉って呼ばせてもらうね。
今思うと、小さな額ではないだろう。
メヒカリの唐揚げは絶品だった。そうめんの汁にマヨネーズを入れるのは未だに理解できないけど。
成人してからは、はな姉にはよく小言を言われた。
女なんだから、給餌を手伝いなさいと。お酒ばかり飲んでないで、と。
その地域は親戚の集まりがあると男性は食卓で、女性は料理と給餌をする文化が残っていたから、それはその土地では当然なんだけど、
いつのまにか、はな姉は怖くて苦手になっていて、長期の休みのたびに帰っていた父の実家への足が遠のいた。
はな姉は犬を飼っていた。犬はいつも毛並みがよくて、人間を疑っていなくて、世界一かわいい自分(犬)は愛されるべき存在だと疑っていないようなふるまいで、いつも食卓で人間の横にスタンバイしていた。
とても寒い日だった。
泣きながらも、遺族より動いてくれた。
はな姉は骨になった。ボルトで背骨を支えてたから、ボルトは火葬場の人がその場で除いてくれた。
はな姉は恰幅がよかったけど、小さくなった。
そんなはな姉は、もう二度と私に小言をいうことはない。
はな姉よ、葬式で聞いたよ。
当時は、結婚したら子どもを生み育てるのが当たり前だったんだろう。
そのなかで子どもがいなくて、きっと大変なこともあったんだろう。
でも、そんな素振りをみせず、キャリアを築き、ヴィトンのバックを持ちながら、はな姉はいつもかっこよかった。
親戚も別に何もいわない。それはもしかしたら、はな姉が築いた信頼によるものなのかもしれない。
はな姉が、子どもがいなくても幸せに、キャリアを築いて、そうして生き抜いてくれたから。
だから私は何も言われなかったのだろう。
はな姉、いまなら話ができる気がするけど、はな姉はもういないんだね。
もう少し話したかったよ。
火葬のあと、はな姉のおうちにお邪魔したよ。客間に、四十九日までの祭壇を作るために。
アイアンとウッドのインテリアがおしゃれなお家だね。
ガラスの飾り棚に、指輪を飾っていたね。歴代のわんちゃんたちもそこに並んでいたね。
はな姉の大事なものがたくさん詰まっていたね。キッチンにははな姉が時々かけていた老眼用のメガネがおいてあったよ。
はな姉はもういないのに、はな姉の気配がたくさんあったよ。
ただ、山下達郎好きだったのは知らなかったよ。
あんなにたくさんグッズがあるとは知らなかったよ。ついでにいえば、私も好きだよ。
3/5夜、右側腹部・背中の発疹を発見、熱なし痛みなし→はじめて帯状疱疹を疑い翌日午後受診→抗ウイルス薬とタリージェ、B12を処方。
3/8-9 水泡が割れ始める。痛みほとんどなし。微熱。片頭痛の兆しあり
3/10 数秒に一度くらい右側頭部の激痛が日中夜続き、耳鳴りが始まる。ロキソニンなど併用するも効いているかわからない。再受診→タリージェ増量。
3/12-13 頭痛の頻度が1分に一度、2分に一度くらいのペースまで収まってゆく。ただ車の運転などとてもできない。
3/14頭痛収まる。疱疹がかさぶたになり始める。右目に正体不明の目ヤニがボロボロと落ちる。
3/15頭痛がおさまると今度は、腹部右側が軽くジンジンとし始める。
3/16シャツを着れないほど腹部がこすれに敏感になり痛み出す→以降今日にいたるまで、自宅では極力、服を脱いで生活することになる。カイロやヒーターを駆使して患部の加温に努める。
3/17-21 腹に布団が触れるだけで痛みが走り、布団をかぶれず、シャツも着れない。暖房を強めにする。寝不足になる。着衣による痛みで外出がしんどい日々が続く(有休休暇を取る)。裸でじっとして過ごしていれば問題ない。車の運転はどうにか可能だが危険。
3/22背中にかゆみを感じ始める→次第に痛みになり、あおむけ姿勢もつらく寝不足が続く→再受診(ペインクリニック紹介状の話がでるが様子見)
3/24 痛みの質が患部全体に変化。じくじくとした痛みかゆみに加え、筋肉痛のようなタイプを併合してしてくる(帯状疱疹後神経痛というやつか?)。
早く普通に外出できるようになりたい。
あれからさらに一週間たった。まだ痛い。今は突然つねられるような痛み。
4/6追記
さらに一週間経つ。まだ痛い。
4/14追記
いまだにシャツを着て寝られないが、指で患部をよけながら布団をかぶることはできるほど痛みの場所が小さくなった。
いまだにシャツを着て寝られないが、指で患部をよけながら布団をかぶるほどではなくなってきた。
6/21追記
いまだに家に戻ると速攻でシャツを脱ぎ捨て、半裸生活が続いている。ここ10日ほど服薬をやめているが、薬をやめるとやはり痛みがでる。
夜間は痛み、微妙に寝不足で、痛みの少ない日中に昼寝をすると楽になる。
このひと月ほど、背中の背骨右側にそってにぶつぶつとした感触の発疹があるようだがそれ自体は痛みのもとではない。
7/15
半裸生活に終止符がうてそうだ。シャツを着た違和感はかなり軽減しているので昨日はシャツを着て寝てみた。服薬はしていない。ぶつぶつとしたかための発疹が残ったまま。
プレスバックボーンフレームとモノコックフレームは、似ている部分もありますが、厳密には異なる構造です。それぞれの特徴を簡単に説明します。
車体の中央に背骨(バックボーン)のような太いフレームが一本通っており、エンジンやサスペンションなどがこのフレームに取り付けられます。
プレス成形された金属板を溶接して作られるものが多く、比較的安価に製造できます。
外板(ボディ)自体が強度部材として機能し、フレームとボディが一体化しています。
複雑な形状の部品をプレス成形や溶接などで組み合わせるため、製造には高度な技術が必要です。
プレスバックボーンフレームは、あくまでもフレーム構造の一つであり、モノコックフレームはフレームとボディが一体化した構造である点が異なります。
プレスバックボーンフレームは、比較的シンプルな構造であるのに対し、モノコックフレームは複雑な構造です。
タイトルの通り、なぜあんな病院に行ってしまったのかと毎日後悔しています。2ヶ月前にいきなり元気がなくなり、かかりつけの動物病院にいったところ軽度の椎間板ヘルニアと診断され安静を指示されたのでケージで安静にさせていたのですが、夜には足にふらつきが出た為、近所にあった椎間板ヘルニアの手術を行なったことのある病院を探しそちらに電話し翌日の診察を依頼しました。
たまたま、年末でかかりつけの病院が休みだった為そちらに行ってしまったのが最大の間違いでした。
翌日には後肢に麻痺が出て立てなくなっていた為、そちらの病院にて造影剤を用いたレントゲンを行い手術を行いました。
手術に関しては場所の特定もわかりやすく手術は成功したと聞かされました。
その後1か月ほど、毎日リハビリを行なっていたのですが、症状がよくならず、再生医療や鍼治療を検討するためにいろいろな病院に相談していた所もしかしたら椎間板物質が取り切れてない可能性を指摘されMRIでの診断を提案されました。
かかりつけ医から、MRIを撮影できる病院を紹介頂きMRIを撮影したところ、椎間板物質がまだありヘルニアの症状が現在も残っていることがわかり、治す為には再手術が必要なこともわかりました。
2回も連続しての手術、短期間での3度の全身麻酔とかなりリスクは高く、さらにグレード診断は4だった為本来であれば9割は手術により症状が改善する所が、術後の経過が長い為、(この時点で発症から2か月が経過していました。)歩ける可能性はかなり低くなっているが手術はした方が良いとの事で手術をしました。
手術は成功したのですが、やはり発症からの経過時間が長かった為、神経の状態が悪く今後歩ける可能性は低いとの結果を伝えられました。さらに、初回の手術にて開けられた穴が不必要に大きい為、背骨の骨折のリスクがある事も伝えられました。
初めから、MRIなどがある大きい病院に行っていれば今頃歩けていたのかと思うと自分のバカさ加減が悔しくて腹が立ってきます。
1回目の手術をした病院にそれらの不備を訴えたところ今回の椎間板ヘルニアの手術には自信がなかったや、造影剤での手術ならこんな事もある、取り切れてなかったのは不思議だ、などと言われましたが、最終的には手術ミスを認めて手術費用は返金するとお約束頂いたのでその日は、一度検討する事にし帰宅しました。
ですが、そのお約束いただいた和解案を急に撤回されるなど、かなり納得のいかない対応をされています。
本来であれば、椎間板ヘルニアはグレード4までなら手術をすれば9割が症状が改善するのでみなさんは、自分たちと違いMRIがあり手術経験が豊富な病院で手術してほしいです。
*ここで言う『サイズ』はS,M,Lなどのレターサイズではなく、メジャーで測った寸法サイズのこと。
まだ不用品を出品してるアカウントなら分かる。それでも売りたいなら書くべきだと思うが、生業としていないのだからしょうがない。
でもよォォォ〜〜〜ッ!
ユーザー名で”古着屋”名乗ったりプロフィールで古着をセレクトしているとか書いておきながらよォォォ〜〜〜ッ!
脇の下からの袖の長さとかいう意味不明な数値書いたりとかそもそも書かないとか基本的な採寸が出来てねェってどういうことだクソックソックソッ!!
生業のくせにサイズも満足に提供できないカス共とより売りたいと考える一般の方々のためにおさえるべき寸法サイズを書いておく。
なお平置き(テーブルや床に置くこと)で、メジャーを使って採寸することを前提とする。
以下の項目を採寸し、数値を書くこと。単位は1cmとする。
カテゴリによって”こだわり条件”の項目で各種寸法が出品時に入力ができる時もある。これは多分メルカリ側がzozotownのように寸法を元にした検索を実現しようとしているのかと思う。今はない。早く実装しろ。
金がなく合うサイズもなかなかないため日常着もアメリカメーカーの古着を漁っている私がつもりつもったイライラを記事にした。
古着の流行や個人間取引、ネット販売などがあり若年層も自分の体型や着ている服の寸法サイズに対してリテラシーが上がっている。
そのため寸法サイズの明記は売るための大事な要素と考えており、この愚痴記事で不用品の譲渡目的で物を手放す一般の方がより早く手放せるような一助になれば幸いだ。