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2025-10-10

陰キャは夜空を見上げない

三年前、渋谷桜丘町にある古いマンションの一室で月に一度だけ開かれていた読書会があった。

「Books &Beyond」とか「本と珈琲」みたいなカフェが並ぶあの界隈で、オーナー趣味でやってるようなサブカル風の空間。壁にはカフカポスターが貼られ、スピーカーからボサノヴァが流れていた。

六畳ほどの小さなスペースに八人くらいが座りそれぞれが持ち寄った本を紹介し合う。それが俺と彼女出会いだった。

俺がその日持っていったのは『呪術廻戦』の第八巻。ほかの人たちが『中動態の世界』とか『そして誰もいなくなった』とか『サピエンス全史』とかを並べる中で、俺だけがジャンプコミックスを机に置いた。

もちろん場の空気ちょっと変わった。

でも当時の俺はそれを承知の上で、ある種の逆張り勇気みたいなもので挑んでいた。会社では誰にも話しかけられず、Slackアイコンもずっと初期設定のまま。それでも自分を注目して欲しいという欲求はあった。

 「呪術廻戦のテーマは、“死の受け入れ”よりも“存在肯定”にあると思うんです」

俺はそう言った。

それに対して、口を開いたのが彼女だった。白いマスクを外して冷静な目で俺をまっすぐに見た。

「でもそれって、“他者媒介にしない存在”ってことですか?」

唐突にそんな言葉が出てきた。返す言葉に詰まった。彼女の声は低くて落ち着いていた。大学院哲学を専攻していると言った。

その瞬間、空気が変わった。

みんなが「へえ〜」と頷いて、俺は笑ってごまかした。その笑いが妙に引きつっていたのを今でも覚えている。

そのあと彼女が言った。

「でも、面白いですよね。呪いって、社会の圧みたいなものですし」

その一言に、俺は救われた気がした。

彼女は俺を笑わなかった。

それどころか俺の話を拾って補足し、言語化してくれた。その会の後、俺たちは駅まで一緒に歩いた。

外は冷えていてコンビニの前のホットコーヒーの湯気が白く漂っていた。

「また来月も行きます?」と彼女が言った。

「行く」と俺は答えた。

彼女名前はSといった。

新宿御苑の近くに住んでいて、大学お茶の水彼女の持ってくる本はいつも背表紙が硬かった。

『悪について』

他者起源

グレアム・グリーン短編集』。

対して俺の持っていくのは『チェンソーマン』や『ブルーピリオド』。

彼女はよく笑った。

笑うときに、指先を口元に添える癖があった。

その仕草上品で、俺はそれを見るたびに自分がどれほど下卑た生き物なのかを思い知らされた。

付き合うようになったのはその年の秋だった。

彼女修論で忙しくなってから俺の存在息抜きになったらしい。

あなたと話してると、時間を忘れちゃう」と言われた夜、俺は人生で初めてコンビニの帰り道が輝いて見えた。ファミリーマートの青い光がネオンのように見えた。俺の中でなにかが初めて肯定された気がした。

冬のデートの夜、代々木公園を歩いた。

イルミネーションが飾られてSNSでは「#冬の光2021」というタグ流行っていた。俺は寒くてポケットに手を突っ込んでいた。彼女は小さな紙袋を下げていて中には文房具店で買ったモレスキンノートが入っていた。

「これ、修論終わったら旅行記書こうと思って」

彼女はそう言って笑った。そして突然立ち止まって空を指さした。

「ねえ、見える?オリオン座

俺は空を見上げた。

そこには三つの星が斜めに並んでいた。

「……あれか?」

「そう。ベテルギウスリゲル。あと真ん中がミンタカ

彼女はそう言って、星の位置を指でなぞった。

俺は正直何もわからなかった。

星はただの光の点にしか見えなかった。

俺の住んでいた葛飾区の夜空では、星なんてほとんど見えなかった。中学の帰り道、空を見上げてもあるのは街灯と電線だけだった。だから星座名前なんて知る機会がなかった。

「小さいころ星座図鑑とか見なかった?」

彼女がそう言った。

「うん、まあ、プラネタリウムとかは……行ったかな」

本当は行ったこともなかった。そんな余裕のある家庭じゃなかった。週末は母親スーパーで特売の鶏むね肉を買って帰るのが恒例で、俺はその肉を味噌マヨで焼いて弁当に詰めてた。

星よりも肉の値段を見てた。だから空を見上げるという行為が俺には贅沢に思えた。

彼女は俺の顔を見て、少し笑った。

かわいいね。知らないことがあるって」

それがなぜかすごく悔しかった。笑われたわけじゃないのに馬鹿にされた気がした。

俺は「そうだね」とだけ言って視線を落とした。

地面に落ちた枯葉を踏みつけた。カサッという音が、やけに大きく聞こえた。俺はあの夜自分が一生星座名前を覚えないだろうと悟った。

通勤電車の窓に映る自分の顔は相変わらず冴えなかった。イヤホンからはYOASOBIの「群青」が流れていた。「夢を描くことが全ての始まりだ」なんて歌詞を聞きながら俺は窓の外を見た。

見たのは空じゃなく、線路だった。

陰キャは夜空を見上げない。

だってそこに映るのは、自分の見なかった人生からだ。

星の位置を覚えられる人間は、いつだって上を見て生きてきた人間だ。

図書館に通い、正しい敬語を使い、誰かに恥をかかされないように育てられた人間だ。

俺はそうじゃない。

俺の星座コンビニ防犯カメラの赤い点滅と、タワマン最上階で光る部屋の灯りでできている。

 

これは遺書だ。

俺はもう彼女と会っていない。

LINEトーク履歴はまだ残っている。

最後メッセージは「また話そうね」

日付は2025年2月14日

バレンタインだった。俺はその日会社義理チョコすらもらえなかった。彼女からチョコを待っていたわけじゃないけど期待してた。

「ねえ、今年はどんな本読んでるの?」

その一言が来るだけで救われたと思う。メッセージはもう既読にならない。

通話をかけたこともある。

仕事帰りの山手線品川から田端までの間イヤホン越しに呼び出し音が虚しく鳴った。ワンコール目、ふたつ、みっつ、……留守電に切り替わる。

録音された「この電話現在使われておりません」という機械音声。それがまるで彼女の声に聞こえた。その瞬間息が止まった。ほんの数秒で胸が焼けた。

どうして?

俺のスマホには彼女写真がまだある。表参道青山ブックセンターの前で撮ったものだ。彼女は黒いコートを着て、手に『ロラン・バルト恋愛ディスクール』を持っていた。俺は同じ日カバンの中に『チェンソーマン』の最新巻を入れていた。

その夜二人で神宮外苑いちょう並木を歩いた。イルミネーションの下で彼女が「あなたはどんな未来を望むの?」と訊いた。俺は「普通に働いて普通に暮らせたら」と答えた。

俺は夢を語る勇気がなかった。陰キャは、夢を語ると笑われると思ってる。

それでもあの頃の俺は必死だった。休日には「丸善丸の内本店」で彼女が好きそうな本を探した。

夜と霧

レヴィ=ストロース

哲学の慰め』

表紙をめくっても内容の半分も理解できなかった。けど読んでるフリをすることに救われた。カフェ・ベローチェでブレンドを飲みながらマーカーで引いた単語スマホで調べた。

「内在性」

「超越」

主体性」。

どれも俺には関係ない言葉だった。それでも彼女世界に近づける気がした。

夏になっても連絡はなかった。彼女Twitterアカウントは鍵がかかりInstagramは削除されていた。

唯一Facebookけが残っていた。プロフィール写真は変わっていなかったけど交際ステータスの欄が消えていた。俺は夜中の三時渋谷ファミマストロングゼロを買って歩きながらそのページを何度も更新した。酔いで画面が滲み青白い光が夜風に揺れて、まるでオリオン座みたいだった。

俺は空を見上げた。

でもそこにあったのは、看板LEDだけだった。

もしこれを読んで俺のことだと気づいたのなら、どうか連絡をして欲しい。俺はおまえが好きだ。おまえがいないと俺はもう駄目みたいなんだ。

たくさん本も読んだし勉強した。今なら話にだってついていけるし、楽しませることだって出来る。

から連絡のひとつでいいからしてほしい。、お願いだ。頼む。

これを俺の遺書にはさせないでくれ。

Permalink |記事への反応(0) | 13:28

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2025-10-03

anond:20251003120840

もちろん個人自由なら何でもいいということではない。その理屈は飛躍しすぎだ。

でもこの程度なら許される範囲だと思う。お前がそう思わないなら別にそれでもいい。おれは自分ではやらないけど、別にいいとは思う。お前は他人がやっていたとしても許せない。それだけ。

お前が本をちぎって読む人間を認めないのも嫌うのもそいつ一言も会話しないのもお前の勝手だ。おれだってこの件に関しては許容できたけど、許容できないケースだってある。おかんが味付けをしてくれた料理に目の前で中濃ソースぶっかけるようなことはしない。でもスーパーの総菜にはするかもしれない。

そして、「本をちぎる=本好きではない」は必ずしも成り立たない。それはお前の中の定義に過ぎない。

本好きにも、装丁や手触りを含めて好きな人、本の内容が好きな人、物として大事にしたいか背表紙を割る置き方が許せない人など様々いる。本の内容が好きな人にも、読んでて気分がよくなれば作者の気持ちなんてどうでもいい人もいれば、作者の意図を出来る限り汲み取ろうと詳細まで読み込む人もいる。

内容さえわかればいいか電子書籍でいいけど本好きだよという人もいれば、電子書籍は目が疲れるけど持ち運びには便利であってほしいからちぎるよという人もいる。

お前の中の〇〇好きをお前の好みに沿ったかたちで定義するのはお前の勝手だが、それが一般全体に共感してもらえないことに不満を持たれても仕方がない。それは客観的定義ではなく、お前の感情に基づいた定義からだ。

Permalink |記事への反応(0) | 12:39

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本はインテリアではない

世の中を眺めていて、最も愚劣で矮小自己欺瞞の一つは「本をインテリア扱いする行為」だ。

背表紙を並べ、知性の代替物として空間を飾り立てる。それは知性の獲得ではなく、知性の模倣にすぎない。

模倣習得と似ても似つかぬ。そこにあるのは、読書体験を経ずに「自分知的である」という虚飾を貼り付けたいという、安っぽいナルシシズム自己放尿だ。

本を読まない者が本棚を埋めるのは、トイレ自己放尿を誇示するのと同じだ。

排泄は生理現象であり、それ自体価値はない。だが、わざわざ自慢げに見せつけるとしたら、それは精神腐臭である

まれ書籍知識ではなく、ただの木材加工品にすぎない。机や椅子等価であり、そこに思想はない。思想なき紙束を飾り付けて悦に入るのは、脳の機能不全の自己放尿の証左だ。

知識を持つことと、知識を持っているように見せかけることは、全く別の次元に属する。

本当の知識は行動、論理、そして判断ににじみ出る。だが、見せかけの知識は、他者の目に触れた瞬間にしか機能しない。

まり「人に見せるためにしか存在できない知識もどき」は、そもそも知識ですらない。カビ臭い書棚は、そうした亡霊の墓標である

人間が「読む」という行為を通じて得るのは、情報処理能力更新だ。読めば思考アルゴリズムが強化され、判断の枝葉が増える。だから読む。

読むからこそ、生き方が変わり、選択が変わり、未来が変わる。インテリアとしての本には、その作用がない。つまりそれは「本」という名の殻を借りた自己放尿にすぎない。

本を積み上げ、背表紙を誇示し、他者に「私は知的でございます」と言いたがる連中は、結局「知識奴隷」であって主体ではない。

読む者は本を支配し、読まぬ者は本に支配される。インテリア扱いして悦に入る人間は、後者の中でも特に惨めな存在だ。

本は家具ではない。本は思想武器庫であり、現実を斬る刃である。それを理解きぬなら、書店に近づくべきではない。

君の部屋の美観を飾るためではなく、君の脳をえぐり、砕き、再構築するために、本は存在する。本を読め。本を飾るな。自己放尿はやめろ。

Permalink |記事への反応(1) | 12:33

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2025-08-19

久しぶりに昔買ったエロゲを手に取った

やっぱこのR18ホロシール背表紙

デカい紙パッケージ

開けると説明書CD

モノによっては特典がギッシリ詰まってるこの感じ。

今のゲームには無い満足感がある・・・

説明書デザイン凝ってたりして良いんだよなぁ・・・

Permalink |記事への反応(0) | 11:40

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2025-08-15

私は長いこと自分が抱えているもの勘違いしていた。世間的にはそれを性欲と呼ぶのだろうが、私の性欲はなんというか、他人に触れたいとか、抱きたいとか、そういう欲望とは一切結びつかない、純粋自家発電的なやつだった。いや、そりゃあ夜中に一人でごそごそする程度にはエネルギーはあるのだが、それは誰かに向かって矢を放つような性質のものではなく、むしろ矢を放つ弦がどこにも掛かっていないような状態である。たとえるなら、宛先の書かれていないラブレターを大量に抱えて街をさまよっている感じだ。思春期同級生たちは誰それが可愛いだの、先輩がイケてるだのと青春会議を開いていたが、私はその場にいても心は涼しい顔をしており、頭の中ではまったく別のこと――たとえば近所のたぬきは今夜も元気だろうか、などと――を考えていた。

大学に入ったとき、私は少し変われるかもしれないと思っていた。都会のキャンパス、知らない人々、もしかしたら恋というもの唐突にやってきて、私の性欲もようやく人間社会正規ルートに合流するのではないかと。しか現実はというと、私の四畳半は六畳になっただけで、性欲は相変わらず無対象のまま健在だった。合コンに誘われても、友人たちは可愛い子の名前メモして帰るのに、私は料理唐揚げが妙にカリカリだったことばかり覚えている。たまに「お前はどんな子がタイプなんだ」と問われると困る。そういうときは「文学少女かな」と適当なことを言うのだが、内心では文学少女に対しても別に何も感じていない。むしろ本棚の整理の仕方がきれいだなと感心するくらいだ。

大学生活で最も熱中したのは恋愛ではなく、下宿近くの古本屋巡りだった。特に閉店間際の古本屋はよい。西日の差し込む埃っぽい店内で背表紙を眺めていると、自分の中のどこへも行かない性欲が、まるで古書匂いに溶けて静まっていくような気がする。友人が「昨日彼女と朝まで一緒にいてさ…」と語る頃、私は「昨日は坂口安吾全集初版本を見つけてさ…」と胸を張っていた。熱の方向が違うのだ。

やがて社会人になった。ここでまた、私の内なる性欲にとって試練の場が訪れる。職場というのは、妙に恋愛結婚話題が多い。昼休みには「○○さん、結婚するらしいよ」というニュースが飛び交い、飲み会では「彼女はいるの?」という質問が不意打ちのように飛んでくる。私にとってこれは「冷蔵庫マヨネーズある?」と聞かれるくらい唐突だ。性欲はある。しかし誰ともしたいわけではない。この仕様説明するのはあまりに長く、そして聞き手が求めている答えではない。だから私は笑って「いや、いません」とだけ言い、ジョッキの中身を一口飲む。

社会人になっても私の性欲は、ひとりで完結する道を歩き続けた。仕事終わりに帰宅して、コンビニで買った弁当レンジで温め、机に向かってぼんやりするとき、胸の奥にじんわりとした熱が灯る。それは一瞬、どこかへ向かいそうになるのだが、次の瞬間には元の場所に戻ってきてしまう。まるで、駅のホーム電車に乗ろうとした瞬間に、なぜか引き返してしま旅人のようだ。

そんな私にも、世間一般でいうところの“男の本能”に接近する機会がなかったわけではない。ある年、友人と旅先で酒を飲みすぎた夜のことだ。ほろ酔いというより、すでに体の半分は酒精でできているような状態で、友人が急に「せっかくだから行ってみようぜ」と言い出した。行き先はピンサロである。私は人生初のその類の店に連れて行かれ、心のどこかで「もしかすると、これで私の性欲も人並みに誰かへ向かうかもしれない」という妙な期待を抱いていた。

店内は狭く、暗く、タバコ芳香剤のにおいが混ざった不思議空気が漂っていた。私は半ば流されるままソファに腰を下ろし、出てきた女性を見て一瞬、脳内が真っ白になった。いや、正確には真っ白というよりも、モビルスーツの整備ハンガーのような光景が広がったのだ。そこに立っていたのは、まるで人型兵器のような迫力を備えた女性だった。身長、体格、そして全身から発せられる圧――私の頭の中では、ジムザクではなく、フルアーマーガンダムテーマ曲勝手に流れ出していた。

「どうする?」と問われても、こちらとしてはどうするも何も、立たないものは立たない。あらゆるボタンを押しても起動しないモビルスーツパイロットの気分である相手プロからといって、私のこの仕様を一瞬で書き換えられるわけではない。結果、私はただ笑ってうなずき、何もせず、いや何もできずに時間を過ごした。時計の針が指定された時刻を指したとき、私はきっちり三万円を支払い、店を後にした。外の夜風は妙に冷たく、私はその風に吹かれながら、自分という人間の性欲の形をあらためて痛感した。

普通ならば、こういう経験をすれば何かしらの感情や昂ぶりが残るのだろう。しかし私の場合、残ったのは「ガンダムってやっぱり強そうだな」というどうでもいい感想と、財布の中が軽くなった事実だけだった。旅先でのこの事件は、私にとっての“性欲の実地試験”だったが、結果は見事に不合格であった。

では恋愛はどうか。私は数回、恋をしたことがある。恋をすると、相手と会いたくなるし、話したくなる。手を繋ぎたいと思うこともある。しかしそこから先――いわゆる“したい”という欲望には、やはり変換されない。恋愛感情と性欲が別々の配線で動いていて、互いに干渉しないのだ。結果、恋人から「私のこと、そういう意味では好きじゃないの?」と問われることになる。正直に答えれば、「そういう意味では…たぶんそうじゃない」となる。もちろん相手は納得しない。私だって納得できない。だが事実事実で、私はどう足掻いても対象を伴った性欲を生成できない。

この性質は、付き合う人にとっては相当やっかいだろう。世間的には、性的欲望愛情重要表現の一つとされる。それが欠けていると、愛そのものを疑われる。私がどれほど相手大事に思っていても、その回路が繋がらないのだから説明は難しい。森の奥深くで、互いに違う言語を話す二匹の動物が途方に暮れているような光景が、私と相手の間に広がるのだ。

それでも、三十を過ぎたあたりでようやく思えるようになった。この仕様は欠落ではなく、ただの仕様だと。性欲があるのに対象がいない、それは異常でも病気でもない。ただ、ちょっと不思議な形をしているだけのことだ。世の中には、宛先不明ラブレターを抱えて生きている人間だっている。そう考えると、少しだけ気が楽になる。

今夜も私は四畳半(正確には六畳)の机に向かい、冷えかけたコーヒーを啜る。窓の外では、近所のたぬきゴミ捨て場を漁っているかもしれない。あのたぬきも、もしかすると私と同じく、行き場のないエネルギーを抱えて生きているのではないか。彼らは誰かと交わるためではなく、ただ今夜も腹を満たすために生きている。私の性欲も、それと同じようなものかもしれない。明日もまた、どこへも行かない熱が私の中でぽつぽつと燃え続ける。それはたぶん、悪くないことだ。

Permalink |記事への反応(0) | 02:05

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2025-06-06

漫画電子

内容が紙の単行本と同じ、あるいは、背表紙とか表紙裏とかがない事が多い分、損してるイメージがある

制約がないなら、雑誌掲載時の煽り文とかも差分で欲しいと思ってしま

電子版の為だけにそこまでやっても意味ないとか、何かしらの制約があってソレはできないということなのだろうか

あるいは、電子版の方が充実していたら紙の単行本が売れなくなるんだろうか

Permalink |記事への反応(2) | 19:34

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2025-05-25

AV著作権(?)に詳しい人に聞きたいんだけど、

https://www.dmm.co.jp/mono/dvd/-/detail/=/cid=sone771/図書室での痴漢のシーンで、本の背表紙や表紙をなるべく見せないような妙な本の置き方になってるのは、やっぱりなんらかの配慮でこんなことになってるの?

Permalink |記事への反応(3) | 23:30

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2025-05-08

逆説の殉教者

影山という男がいた。彼はかつて、巷に溢れる「ポジティブシンキング」という名の薄っぺら信仰を、公衆面前完膚なきまでに論破することを生き甲斐にしていた。朝礼で朗らかに今日も一日、前向きに!」と宣う上司がいれば、「前向きとは具体的にどのような精神状態を指し、それが業務効率にどう統計的有意差をもって貢献するのかご教示願いたい」と真顔で詰め寄る。SNSでは自己啓発的な名言を垂れ流すアカウントを見つけては、その論理的矛盾現実逃避的側面を、鋭利言葉執拗に、粘着質に指摘し続けた。周囲からは「また始まった」と生暖かい目で見られ、やがて煙たがられる存在になったが、影山はどこ吹く風。彼は自らを、甘ったるい幻想にまどろむ大衆警鐘を鳴らす、孤高の現実主義者だと信じて疑わなかった。

しかし、いつのからだろうか。影山の熱心な「ポジティブ叩き」は、徐々にその様相を変えていった。彼が執拗監視し、批判の的としていたポジティブな言説や人物、それらに対する彼の情熱は、憎悪というよりは、もはや執着と呼ぶ方がふさわしいものへと変貌していたのだ。気がつけば、彼は「ネガティブこそが真実であり、世界を覆う欺瞞の光を打ち破る唯一の聖剣なのだ!」と、今度はネガティブという教義黒帯レベル信者と化していた。

彼の日常は、ポジティブものを探し出し、それを打ち砕くための聖戦に捧げられていた。朝一番にチェックするのは、昨日彼が論破したはずのポジティブインフルエンサーが、今日も元気に「小さな幸せを見つけよう!」などと投稿していないか電車中吊り広告に踊る「夢を諦めないあなたへ」というキャッチコピーを見れば、舌打ちと共にその欺瞞性を脳内で反芻し、帰宅後には長文の批判ブログを書き上げる。スーパーで「元気が出るビタミンカラー!」と銘打たれた野菜を見れば、「色彩心理学安易商業利用するな」と心の中で毒づく。

彼は、ポジティブものを叩き潰すことに夢中になりすぎるあまり、逆にいつもポジティブのことばかり考えていた。それはまるで、憎いはずの相手SNSを隅々までチェックし、その一挙手一投足に心をかき乱され、相手思考や行動パターンを誰よりも熟知してしまうという、屈折した片思いの構図そのものだった。ポジティブ言葉ポジティブ笑顔ポジティブ物語。それらは彼にとって、否定し、論破し、解体すべき敵であったはずなのに、いつしか彼の思考の中心を占め、彼の行動を規定する原動力となっていた。

ある雨の日の午後、影山は古本屋の隅で、なぜか自己啓発書のコーナーにいた。彼は無意識のうちに、鮮やかなオレンジ色背表紙金文字で『人生が輝く!魔法ポジティブ習慣』と書かれた本を手に取っていた。ページをめくり、そこに並ぶ安直な励ましの言葉や、根拠の薄弱な成功譚に目を通しながら、彼はいものように「くだらん」「欺瞞だ」と心の中で呟いた。しかし、その時、ふと奇妙な感覚に襲われた。それは、獲物を見つけた狩人のような、微かな高揚感。この陳腐言葉の群れの中から、新たな否定材料を見つけ出し、それを完膚なきまでに論破する未来想像し、ほんの少しだけ、口角が上がったような気がしたのだ。

彼はハッとして本を棚に戻した。そして、雨に濡れた街を眺めながら、自問した。自分は一体、何と戦っているのだろうか?ポジティブという概念否定するために、誰よりもポジティブものアンテナを張り、その情報収集し、分析し、それについて思考を巡らせる。これほどまでにポジティブもの時間情熱を捧げている人間が、他にいるだろうか。

「もはや、俺はポジティブに取り憑かれているのかもしれないな」

自嘲めいた呟きが、雨音に混じって消えた。

彼が憎み、否定し続けたポジティブという名の亡霊は、いつしか彼の影そのものとなり、彼の内なる芯を形作っていた。それは、否定という行為を通じてしか他者世界と繋がれない、影山の哀しいまでの純粋さが生み出した、皮肉殉教者の姿だったのかもしれない。そして彼は、明日もまた、新たなポジティブを探しに出かけるのだろう。それを否定するために。そして、それによってしか自身存在を確かめられないかのように。

Permalink |記事への反応(0) | 16:53

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2025-05-07

妻が選ぶ本が酷い

妻が買ってくる本は、本当に酷い。

パッと背表紙を読み上げると

・数秘の魔法

・稼ぐ言葉法則

・相性を知る本

大丈夫!すべて思い通り。

ハッピーマニア

・ザ・マジック

コジコジ

・ザ・ステータス 富裕層のためのクレジットカード活用

・夢を叶えるゾウ

金持ち父さん貧乏父さん

もう、勘弁してくれって思う。

あの本はいい、この本は悪いなんて言いたくないけど、流石に選書ひどくない?

読書とか勉強とかしてほしいけどさ、買ってくる本がこれだもん。

Permalink |記事への反応(1) | 10:27

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2025-02-18

資産1億円突破した40代独身女が語る「幸せ価値観が壊れる瞬間」

私の金融資産が先月ついに1億円を突破した。内訳は下記の通りだ。

投資信託(全世界株式インデックス): 7500万円

確定拠出年金: 300万円

・現預金: 2200万円

この数字を見て「勝ち組」と思う人もいるかもしれないが、私の人生には明確な敗北がある。35歳で婚活を諦め、38歳で介護離職し、今は老いた猫と賃貸マンション暮らしている。

■ 「成功」の代償となったもの

・友人との飲み会代より配当金の再投資を優先した結果、人間関係砂漠化

・親の介護で気づいた「お金で買えない時間」の残酷さ、認知症の母が私を「銀行員さん」と呼ぶ日々

資産運用アプリの通知音が恋人LINE着信と錯覚する孤独

経済的自由皮肉真実

「4%ルール」に従えば年400万円で生きられるが、その前提は「健康的な体」と「消費欲のない心」。先月、人間ドックで「ストレス胃潰瘍」と診断された夜、高級寿司を一人で頬張りながら気付いた

お金人生の『消しゴム』にはなれない」

子ども運動会写真で眺める時間も、父の最期言葉も、消せない過去を塗りつぶすために資産を増やしていた。

20代自分へ伝えたい幻滅的アドバイス

1. 「複利魔法」より「友人との深夜ラーメン」を選べ

2.婚活サイトの「年収600万」フィルターより、図書館で本の背表紙を揃える人の手を見よ

3.日経平均チャートより、親の手のシワを記憶せよ

今、私の唯一の贅沢は、介護施設で認知症の母に毎日届ける200円のプリンだ。彼女は私を娘とも銀行員とも思わないが、プリン舐める笑顔だけは40年前の記憶と一致する。

資産形成のHOWTO本には書かれない真実を教えよう

数字を追う人生は、電卓電池が切れる音で終わる」

本当に伝えたいのは「老後に必要なのは1000万円より、1000回の会話の貯金」だということ。

Permalink |記事への反応(0) | 02:58

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2025-01-21

anond:20250120232024

まあ十角館の殺人はほっといて

自分は正直いって北村薫の「なんで女子高生がくると喫茶店テーブルから砂糖がなくなるのか?」とか、

亜愛一郎の「もしかしてそれって、地震完璧によけようとした金持ち……?」みたいな日常ミステリー

暮らし解像度が上がるという理由でわりと好きなんだが

どちらにしろ作者が男女不明ペンネームにしただけでミソジニー犠牲になってたという経緯があるので人には勧めない。

なんなら電車で読んでただけで背表紙の著者名みえてみしらぬド失礼なおっさんから声かけられた。

からアホな男に勧めたりしてやるもんかとおもったわけ。

Permalink |記事への反応(0) | 01:21

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2025-01-20

anond:20250120153535

紙の本に限ってかもしれないが、20年前の俺は書店に行ってタイトル背表紙、表紙だけで本買ってたなあ

昔よりさらにいろいろな物が生まれては消える現代においては、タイパという単語代表されるように、いか入口から

人を呼び込むかが大事に思える

改善案としては、タイトルは短くてもいいが、ハッシュタグなりでぱっと見の属性判断できるようにするぐらいしか思いつかないね

Permalink |記事への反応(1) | 15:40

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2025-01-16

anond:20250116132540

書店一番くじ売り出している当り厳しさはあるよね

20年前ぐらいの年間100冊ぐらい本を読んでいた時は、表紙や背表紙に惹かれた本を買っていたら9割は当りだったんだが、

今は本屋に立ち寄ることはなくなってしまったね

媒体は好きなんだが、斜陽産業なのは間違いないかECに振り切るのがいいのかもしれんね

Permalink |記事への反応(0) | 13:33

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2024-12-20

anond:20241115191003

こういう、つまんなかった、じゃなくて思ったのと違ったみたいな低評価つける人って、帯も読まずにジャケ買いしてる感じなんだろうか。

読メによくいるけど。自分は帯なり背表紙のあらましなりは読んでからうから概要の時点でわかりそうなことに文句つけてるレビューって不思議

Permalink |記事への反応(2) | 21:47

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2024-11-01

ブルーバックスって別に背表紙青くないよね?

何でblue backsなの?

どこのbackがblueなの?

backって、人間の「後ろ」のことで読者のケツが青いってこと?

Permalink |記事への反応(1) | 18:14

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2024-10-14

vscodeはできるだけ素で使いたいタイプ

そんな自分が入れてるプラグインウィンドウの枠の色を変えるやつ

これがあると複数プロジェクト複数ウィンドウで開いたとき区別がつくからめっちゃいい

んでプラスでやってる設定は出力ウィンドウの全選択とかコピペをVSとと同じ感覚でできるようにするショートカットキー設定と、

スクロールバーの色を目立つようにするやつ

vscodeデフォスクロールバーみづらすぎだろ あれがでふぉ ってまじでおかしいわ

スクロールさせたくてもスクロールバー場所がわかんなくてイライラする

スイッチゲームソフト背表紙みてーだわ

ゲームやでスイッチゲームソフト図書館みてーにならんでると赤背景に白文字めっちゃ見にくいのよね

Permalink |記事への反応(1) | 00:46

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2024-10-11

anond:20241010145101

図書館へゴー。

背表紙見てなんとなく気になる本を何冊か借りてみる、を繰り返してみるのはどうかな。

人生意味なんてそれぞれ作るものなので、自分に問うしかない。引き出し作るためにも、先人の本などで引っかかるものを手当たり次第に眺めるのオススメ無料なので合わなければ止めればいいし気が楽。

Permalink |記事への反応(0) | 14:25

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2024-09-11

BLUESEED原作の第2巻の背表紙

竹書房表記がTATE SHOBOになってたんだけど、誤植なのかな

なんだったんだろ

ggっても出てこないんだよね

Permalink |記事への反応(0) | 21:24

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2024-09-07

小学生の頃に遭った痴漢(仮)について

タイトルの通り、小学生時代に遭った痴漢やそれに類することについてと、書き出してみて思ったこと。

1回目飲食店にて

初めての痴漢(仮)は、小学校低学年の頃だった。

当時の私はピアノを習っていて、発表会に祖母と母が来てくれた。おろしたてのワンピースフリルのついたソックス、少しだけかかとの高いよそゆきの靴、いつもより豪華に結ってもらった髪にはリボンかわいい格好ができて嬉しかったのを覚えている。

発表会は市民ホールを貸しきって、昼すぎまでかかっていたと思う。早起きしたぶんお腹はペコペコで、遅めの昼食は近くて回転率がよくすぐに食べられるお蕎麦屋さんを選んだ。

昼すぎでも土日だったからか、お客さんが並んでいた。回転率のよさは知っているので、並ぶのは苦にならない。眠気も出てきていささかぼんやりしつつ、だらだらと前に並ぶ人へ続く。

すると突然、ぐいっと左手を掴まれた。反射的にそちらを見上げると、知らないおじさんが私の手をとり握手するみたいにぎゅむぎゅむ握っている。とても、とても驚いた。けれど声は出なかったし、ぴくりとも動けなかった。知らないおじさんは「可愛かったからつい」と言って、手を離して店を出て行った。

母たちは「びっくりしたねぇ」などと何だか和やかに言っていたが、私はほんとうに驚いて、つまりショックで、その後どうしたか覚えていない。もちろんかなり古い記憶なので、単純に時間経過によって忘れてしまっただけかもしれないけれど。


ほんとうに驚いたとき人間悲鳴も上げられないしすぐに逃げもできないのだな、と何だか絶望に近い気持ちになったことは覚えている。アニメドラマ刑事ドラマが好きでよく観ていた)のようにはできないのだ、と。

かわいい」は褒め言葉のはずなのに、なにも嬉しくなかった。なんとも言えないモヤモヤが澱のように腹の底に溜まった。

プライベートゾーンを触られたわけでもなく、何なら一緒にいた親族問題視したふうでもなく、法的に痴漢には分類されない体験。今でも一般的になんと分類するものか分からないままだ。それでも私の中でだけは、初めて遭った痴漢として記憶している。

2回目 通学路にて

小学校中学年の夏。

私の地元田舎で、徒歩通学だった。当時はとにかく読書が好きで、通学中は図書室で借りた本を読みながら歩くのがほとんどだった。二宮金次郎みたいに。

学校帰り、季節もあってまだまだ明るい中、いつも通り本を読みながら一人でひたすら歩く。毎日毎日そうしているから慣れたものだった。

車が1台ぎりぎり通れるくらいの、田んぼと畑と農家然とした少し古めの民家ばかりの道で、ふいに後ろから声をかけられた。自転車に乗った男子学生だった。中学生か高校生か、とにかく同じ小学生でないことしかからなかった。親や学校先生以外で年上と話す機会もそうなかったし。

喉が乾いたので飲み物を分けてもらえないか、と言われた。夏なので肩に水筒をぶら下げていたのだ。大人なのに変なの、とは思いつつ、水筒のコップ代わりの蓋になみなみ注いで渡した。

水筒お茶を飲むところをぼんやり眺めていたら、コップを持つ男子学生の手がぶるぶる震えていた。おそるおそる口をつける。そのさまを見て、なぜだか急に、明確におかしいと感じた。一気飲みはせず、謎に丁寧にお茶を飲んでから返されたコップ。水筒に戻しながら、どうやって帰ろうか不安になった。自宅までそんなに距離がなかったからだ。なぜかついてこられるのでは、と思った。その間も、ぽつりぽつりと男子学生からの問いかけが続く。いつもこの道を通るの、とか、何年生なの、とか。

今の私は何でそこで律儀にと思うが、その時は走って逃げるとか急に話を切り上げるとかい選択肢がなかった。失礼だと思ったからだ。誰か帰路の小学生でもいれば、知らない子でも混じって帰ったと思う。でも誰もいなかった。人っ子一人。えー…とか、うーんと…とか枕詞みたいに付けたふんわりした回答をしながら、子供なりに頭はフル回転していたはずだ。でも、打開策が思いつかなかった。

少しして、私たちがいた道沿いの民家から住人のおばさんが出てきた。知らない人だったけれど、何してるの、と声をかけてくれた。それを見て、男子学生は何も言わず自転車を走らせて去っていった。その背中が私の帰り道と同じ方向だったのを見届けて、まだ呆然としたままの私は、なんにもないです、とだけ答えた。知らないおばさんが「さっきの子は知り合い?」と言うので、首を振る。ちょっと回り道してから帰りなさいね、と言われた。私もそのつもりだった。

この体験も、お茶をくれと言われて分けただけで何もされていない。痴漢ではない。なので何と呼べばいいかからないけれど、自分の中ではその他の痴漢と同じカテゴリに分類して記憶していると思う。そういう系統の嫌な気持ちだった。

3回目図書館にて

これも小学校中〜高学年頃。

私の両親は離婚しており、母に引き取られていた。夏休みに父のところへ泊まりに行っていたときだった。

例によって本が好きなので、県立図書館へ連れていってもらった。いっちょまえに児童書卒業していたので、見る本棚一般書架。父はAVコーナー(ネットカフェみたいに区切られたブースで各々映像資料が観られる。アダルト資料ではない)にいるというので、一人でゆっくり本棚を眺めていた。作者なんかは知らないから、タイトルや表紙のデザインを中心に何となく気になった本を探す。児童書に比べてかなり数が多いので、背表紙を眺めているだけでも楽しかった。タイトルしか読んでいないのに、いくら読んでも読み終わらなくて。

ふと、足元がぬるい感じがした。見下ろすと人が床に手をついてしゃがみ込んでいた。年齢は分からなかったけれど、男の人であることだけは分かった。

図書館の本棚上下左右ギチギチに本が詰まっている。下の段の本を見るには、学校ミクロマンとイジられていた私の体躯でもしゃがみ込まなければならなかったので、下の方が見たいんだなと思った。図書室で人気の本棚にみんなが密集するのはよくあることだ。と思ったけれど、はぁーーー、と長い息を膝に吐きかけられているのを見て、一気に過去の嫌な気持ちが呼び起こされてしまった。気付いていないふりでじりじりと距離をとり、別の本棚へ移動する。

何だったんだろう、と心臓がばくばく言うのを落ち着かせているうちに、暑いから息が上がっていただけでは?という気になってきた。そう思うと何をビビっていたんだろうと馬鹿らしくなって、また端から背表紙を読んで、読んで、時には取り出して表紙やもくじを眺めて。

じきに、また足元に違和感があった。今度は微妙にぺたぺた?ぬるぬる?する。見下ろすと先ほどの男の人がしゃがみ込んで、私の膝辺りを舐めていた。他人の舌が肌を這うことなどないし、誰か分からないし、理由も分からないし、どうすればいいかからなくて、なのに気付いていることを勘付かれてはいけないと咄嗟に思った。心臓はまたばくばく暴れて、目の前の本を適当に抜き取り「これにしよ」なんてわざとらしく声に出して、父のところへ逃げた。

この時に借りたのは『エリコ』という本だったと思う。いま調べてみると表紙が記憶と違っているけど、女の子モノクロっぽいイラストの表紙だったはず。父の家に戻ってから読んだけれど、分厚い上に当時の私には内容が難しくて、とても難儀した。話が全く分からなくなってから飛ばし飛ばし読んで、なんだか図書館での嫌な気持ちフラッシュバックするような描写を目にして、結局ギブアップした。主人公が高級娼婦らしいので、確かに当時の私には早すぎたし「猥雑と戦慄がからみあう、嗜虐と倒錯近未来バイオサスペンス引用元:BookLive)」はあんなことの後では取り合わせが最悪だった。今までの人生で読み始めたのにギブアップした本はこれと『ドグラ・マグラ』だけなので、すごく印象に残っている。

この体験一般的にも痴漢に入るのではないかと私は思うけれど、そのときの私には分からなかった。知らない人に舐められて驚いたし怖かったのに、誰にも言えなかった。一緒にいたのが母だったら、もしかしたら言えたかもしれない。正直、相手と同じ性別である父には言いづらいと感じた。自宅に戻ってからは、今度は今更だと思って母にも結局は言えなかった。

4回目 通学路にて

4度目は小学校高学年。

さすがに生きているだけでも変な目に遭うことはあるのだと理解していた。それに、そういう場面では声も出ないしパニックになって機敏に動くのは難しいことも。

私は護身術として極真空手に通うようになっていた。ビビって声が出ないし動けないなら、度胸をつければよいと思ったからだ。流派だの何だのはよく分からないままだけれど、男子に混じって毎週通った。練習体育館で行われていて、フローリングの上で拳で腕立て伏せをするのが大嫌いだった。骨が痛すぎるし、未だにフローリングでやることではないと思っている。

それから、通学路も勝手に変えた。2回目のときに使っていたのは車1台でいっぱいの道幅だったが、片側1車線ずつの道だ。さらに少し行くと複数車線の道もあるけれど、遠回りになるのでこちらばかりを通っていた。徒歩通学だしショートカットたかった。車通りはやはり少ない。

この時も学校からの帰り道だった。一人で帰っていて、道路の向かい側に停まった白い車から声をかけられた。運転席の窓を開けて、男性小学校へはどっちに行けばいいかと尋ねてくる。あっちです、と指をさすと、地図で教えてほしいと大きな紙を広げた。道路を挟んだままだと見えないので、道路を渡って運転席の窓から紙を覗きこむ。それは確かに地図だったけれど、地図と腹との隙間から陰茎が見えていた。数センチの隙間から、手で擦って見えたり隠れたりする陰部。

相変わらずショックではあったけれど、またか、という諦観もあったように思う。私はやはり気付いていないふりをした。努めて地図だけを見て、現在地も分からなくて、「地図読めないけどとにかくあっちです。ずーっとまっすぐ道なりで左側にあります。私はそこから来たんだから間違いないです」というふうな回答をした。

習い事があるからとその場を駈け出して、ないと思ったけど一応追ってきていないのを確認して、座り込んだ。心臓は毎度のようにばくばく言っていたけど、走ったから当たり前だなと思った。前よりも怖くなくなったし、毅然と振る舞えた気がするからたぶん空手効果はあった、と思いながら自宅へ帰った。今回もこのことは誰にも言えなかった。

思うこと色々

そういうわけで、私が小学生ときに遭った痴漢やそれに類するものは覚えている限り4回だ。多いのか少ないのかは分からない。

もちろん、中学生でも高校生でも大学でも大人になっても何かしらは遭った。それでも一番覚えているのがこの小学生時代。今やすれた30代だけれど、私も子供の頃はさすがに無垢だったのでショックが大きかったのだと思う。


どう気をつければいいのかというと、正直私は分からない。嫌な言い方だけれどもはや事故みたいなものから。防ぎようがないという意味で。ただただ、こういうことをする人がいなくなってくれればいいのだけど。

一つだけ。もしもこんなことがあったと言われたら、ちゃんと聞いてあげてほしいとは思う。

中学にあがってから路上で知らない人に突然キスされたことがある。グレてイキって気は強く成長した私は、黙り込んでいた小学生時代とは違ってすぐに学校に報告した。とにかく腹立たしかたからだ。分かることはすべて話した。場所とか、相手風貌とか、原チャだったとか。それらは全校放送で流れた。

おそらく親にも連絡が入ったのだと思う。その日の夜、養父(母は再婚した)にリビングへ呼びだされた。本当なのかと聞かれたので、本当だと答えると、場所地図で描けと言われた。不審に思いながら自宅から中学校への道順を描き、ここ、と丸をつけると、嘘だと言われた。こういう場合被害に遭った場所から描き始めるのが心理学的に普通だそうだ。私としては通学中に起きたのだから理にかなって描きやすい順番だったのだけど、そう言われた。心理学なんて分からないので反論もできなかった。原チャの車種はなんだとかも聞かれたけれど、私が知っている中での形や大きさで最も近い名称が「原チャ」だっただけで、詳しくは知らなかった。グレ友達2ケツで乗せてもらったやつくらいにしか認識していなかったから。養父趣味ハーレーがあったので、バイク中途半端に出したのもよくなかったのかもしれない。

そうして私の虚言であったとされ、おそらく学校へも連絡したのだと思う。保健室登校しても、教師がどこかよそよそしかった。あくまで私の感覚なので、実際のところは分からない。

ショックだった。折り合いの悪い養父であっても、もはや養父側の人間で信用していないと自分では思っていた母であっても、なぜだか報告すれば信じてくれると思い込んでいた。

初めて報告したらこうして狼少女にされてしまったので、前述のとおりその後も何度も変な人に遭ったけれど、誰にも話していない。

今でも覚えているので、やはり他の家庭、いわゆる子供(年齢は問わない)をもつ家庭では子供を信じてあげてほしいと思う。様々な要因で恒常的に嘘をつく子供がいたりするらしいのは知っているけれど、嘘でなかった場合に取り返しがつかないからだ。私のようになってしまう。独身の私が言うのもおかしいけど、子供は健やかにつべきだ。大人になったら嫌でもすれてしまうのに。

この文章は、職場男性から小学生にあがった娘の親バカノロケを聞かされてぶわっと思い出したまま書き殴った。

電車通学が珍しい地方小学生だった私でも、4回。0回の方がいいに決まっているので、こんなことがどこでもありうるから気をつけてあげてほしい、と言おうと思ったけれど、職場の人に実体験を話すのは憚られたので。初めて表に出して少しすっきりしたかもしれない。

Permalink |記事への反応(7) | 23:31

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2024-09-04

ふつう軽音部」の幸山 厘への不安

ふつう軽音部」、面白いっすよね。

3巻出ましたね。

たくさんの魅力がある本作だが、私はなにより厘ちゃんさんこと、幸山 厘のファンだ。

この前なんか、ちょっとウザいだけで何ら悪いこともしてないヨンスに対して実害ある接し方をする厘を糾弾(アホなんであのエントリをそんな解像度の低い解釈しちゃってます)するブログホッテントリに上がり、一理を感じたものの、キイッ厘ちゃんさんはそれぐらい無糖ビターチョコでいいんじゃ!となったものだ。

ただ、読み進めるうち、何やら厘ちゃんさんに対する不穏なものを感じたので、未来に答え合わせするために、ここに疑問を残すものである

なぜ3巻も出てなお表紙に出ないのか

厘はその神略によりラチッタデッラ解散に追い込み、はとっち神と二人からはーとぶれいくを立ち上げたメンバーである

というかそもそもチッタデッラだって鳩野とバンドを組むための布石に過ぎなかった。

その厘が、未だに表紙に出てこないのである

バンドメン最新の彩目が最新刊3巻の表紙を飾ってでも、である

しかし確かに、3巻は彩目の物語と言っても良いし、内田 桃が表紙の2巻は桃が鳩野の洗礼を沐してバンドに入る巻である

すると4巻目はさすがに厘が表紙で厘の巻、となるはずだが、ジャンプ+で見る限り、山場は文化祭になるであろうし、確かにはーとぶれい文化祭デビューは厘の策によらしむるところ大であるが、厘という人そのものフォーカスされていないのだ。

ただ、その文化祭までの間に、少しだけ厘の過去フォーカスされる回がある。

厘のいとこ、田口 流哉の存在

直4巻で厘がクローズアップされるのは34話の田口とのやり取りだけではないかと思われる。

ただ、これがまたとてもミステリアスなのだ

なぜあそこまで田口に反目しているのか、

その田口をして「やっぱり変わったよなあ…」と言わせるだけの、どれだけの変化が過去からあったのか、

そして、ゲームやってる田口の横で膝を抱えて伏し目がちの、少女時代の厘の過去描写意味は…?

こうなってくると、「ふつう軽音部」連載開始当初からの厘の行動がさら不思議になってくるのだ。

なぜ厘は鳩野を神格化し執着するのか

ふつう軽音部」は、鳩野の癖は強いが声量がバカかい直情的なボーカルにより、先に書いた「洗礼」に近い形で聴いたもの過去を抉られ鳩野に魅了されていく、いわゆる水戸黄門でいう葵の御紋で物語が進むスタイルだ。

そして、はーとぶれいくの中で唯一、この「洗礼」が加入理由になっていないメンバーがいる。

そう、それが厘なのだ

1巻を読み返していただければわかるが、厘は鳩野のことを何も知らない段階で、矢賀ちゃんを通して鳩野とバンドを組みたいと申し出る。

夜の誰もいない校舎、視聴覚室でandymoriの「everythingis myguiter」の洗礼を受けるのは、その後のことなである

なぜ、なぜ厘は洗礼を受ける前に鳩野にすり寄ってきたのか。

ぼくがかんがえたさいきょうの「想定できるシナリオ

1.鳩野も覚えてないようなプロローグ存在する(面白いかも)

 鳩野を神格視するに至る、中学時代プロローグ…?

2.鳩野がギターボーカルバンドを結成させることで策は成り、厘は去る。そのため表紙には未来永劫出ない。(バッドエンド)

 策を弄したすべての罪を背負ってはとっち神の大成の芽吹きを熱狂オーディエンスの中で確信しながら、厘は陰腹から滲む紅い温かさを感じながら無音の中オーディエンスの雑踏に沒

私が推したいのは、

3.変顔アホかわいいトリックスターとしてずっと面白いちゃんさんのままでいる

です。3巻の背表紙カバー裏みて確信した。みんな単行本買え。カバー裏面白いもの駄作なし。

Permalink |記事への反応(0) | 23:40

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2024-06-16

anond:20240616031359

画像はないから示せないけど、俺は当然の様に「ディスプレイを外側にして折り畳めるスマホ」を想像してたんよ。

どちらのモードでも同じディスプレイを使うものとばかり。

でも折り畳みのヒンジ部分の外側にディスプレイがあると、開いた時と閉じた時でディスプレイがたわんだりつっぱったりしちゃうじゃん?(厚めの無線綴じの本の表紙、背表紙裏表紙に1枚の紙を当てて本を閉じたり開いたりする様を想像してほしい)そこをどう解決してるのか期待して見に行ったんだけど…という話。

ガッカリ過ぎてショックだよもう。

Permalink |記事への反応(1) | 03:38

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2024-05-27

鈍器本にもやもやしている

 Twitter(X)で時々バズる、いわゆる『鈍器本』。

 とにかく厚い同人誌、大抵小説本を指す言葉である

 背幅にして6cmとか、ページ数にして1,000pとか、そういう規模の本だ。

 私自身、同人誌を作り続けて10年以上であることもあり、それだけの本を作るのがいかに大変かはよくよく理解している。

 文字数10万字を軽く超えるのだし、装丁校正だって労力がかかる。

 印刷だって高いだろう。

 制作にとてつもない時間努力と金額がかけられている本だ。

 だけど私は印刷所や、作った本人が自慢げにTwitter(X)で鈍器本の紹介をしていると、どうしてもももやししまう。

 理由は主に2点だ。


背割れについて

 本は厚いと背表紙割れしまう。

 すべて読み切るまで、割れずにもつのだろうか。

 さらに、割れずに一体、何年保存できるのだろうか。


・重さについて

 本はもちろん、手に取って読むのである

 重くないだろうか。

 そのために、きっと読む場所時間を非常に選ぶ。

 読むのに疲れる以前に、手が疲れるのは本末転倒だ。


 総合すると、『読む人のこと、考えてる?』と言いたい。

 本を買ったからには、大事に扱いたいものだ。

 だが背表紙割れない、綺麗な形をどのくらい保てるだろうか。

 手に持って、何分読めるだろうか。

 重さを気にせず、物語に没頭して楽しめるだろうか。


 確かに厚い本は映える。

 見た目からして迫力がある。

 でも本はあくまでも、人に読まれることで価値が生まれるのではないだろうか。

 上記2点の問題から、私は鈍器本が本として優れているかをだいぶ疑問に思っている。

 鈍器本を買った人の何割が読破しているかどうか、統計を知りたいくらいだ。


 すごく個人的意見を述べれば、鈍器本1冊分の文字量は、300pの文庫本3冊という形で出してほしい。

 読むのも保存も、格段に楽になると思う。

 私はただページ数と厚みが増えるよりも、手に取ってくれた人が、その本の中にある物語を心から楽しんでくれるほうが、ずっと嬉しい。

Permalink |記事への反応(11) | 20:16

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2024-04-27

anond:20240427194231

みなみけ背表紙日焼けしてる)

Permalink |記事への反応(0) | 19:45

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2024-03-30

anond:20240328124302

近いが違う人がおる。

しろあずきとかぬこちゃんさまとかの無料漫画kindle(作者の懐に還元されるっぽい)

BLと、実用書(ポーズ集とか)はebookJapan(背表紙、表紙下を収録してるで。BLとそれ以外とかでフォルダ分けできるのもたすかる)

少年漫画DMM(割引きがデカイが閲覧性悪い)。

Permalink |記事への反応(0) | 05:08

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2024-02-10

本をゴミに出す時〜!!

めんどくさいけど

一冊ずつ、帯とカバーを外して、本の表紙・背表紙裏表紙を破って千切ってから

ビニールヒモで縛って、ゴミ捨て場に持って行く。

というのも数年前、本を沢山捨てたんだが(120冊くらい)、

その時は特に破らずふつう10冊ずつ、ビニールヒモで縛って、ゴミ捨て場に持って行ったのね。

それを回収の人が来る前に、知らないおっさん達が全て持って行ってしまったのを目撃しちゃってね。

俺が捨てた本を売って稼ぐつもりか!? と思って

以来、おっさん達に取られないよう、

上記の通り、破って、売り物にならない状態で捨てるようになったんよ

Permalink |記事への反応(1) | 23:51

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