
はてなキーワード:育児ノイローゼとは
ぼんやりつらいなーと、人格否定されたり不幸が続いて思ったので人生をまとめて現状を言語化してみた
まだ記憶が曖昧な頃ですが、保育士に備品に傷を付けた件で猛烈に叱られたことを覚えており、今でも思い出して身体が固まります。
「死」という概念を知りどうしょうもない恐怖に苛まれ、家族も自分もいずれ何もかも死ぬんだ、どうせ苦しんで死ぬのに勝手に生み出すなんて酷いと両親を呪い始めたのがこの頃からだと思います。
母親が育児ノイローゼになり、仕事を辞め、家賃が安いエリアに引っ越し幼稚園へ行くことになりました。
特にイジメなどは自分の主観ではありませんでしたが、遅刻癖とぼんやりとした不快感不安感を抱えて過ごしていました。
区域が近い女子生徒3人と登校することになりました。ウマが合わないのか失言をしたのか(1人が父親不在家庭だったためそれを聞いたのが引き金かな?と思いますが幼少期なので理由はわかりません)ハブられを受けました。登校時は親の目があるので特になにもしませんが帰宅時は先に進んでニヤニヤしながらこっちを見てきて自分が近付いてきたらまた遠ざかってうわ来たwみたいなことを言ってくるタイプのハブられでした。ある日限界になって泣いたら収まりましたが、当時の自分はまた友達に戻れたと馬鹿正直に思っていました。
休み時間に遊ぶ仲良しグループでハブられました。態度が偉そうだからクビとリーダー格の女子に言われ、行く場所がないので毎日休み時間は下駄箱の前で泣いていました。
高学年になるとそれまでよりも上手く立ち回れるようになり、中学受験組が内申を気にし始めたのか目立った奇行をする子供も減りなんとか他人と談笑したり図書室や階段の踊り場に避難したりするようになりました。それでも学校にいるのはつらかったので定期的にトイレで泣いていました。
しかしこの頃から父親がアルコール中毒の片鱗を見せ、母と常に深夜まで喧嘩していました。DSで見れるインターネットのアニメ・マンガの二次創作サイトだけが心の拠り所でしたが、定期的に没収されたり壊されたりしました。居場所はありませんでした。
親がうるさくて気が滅入る、なんだかめんどくさいという抑鬱症状であまり風呂に入れなくなり担任に度々注意されました。
地域の繰り上がり中学校に入学。制服は買ってもらえましたが入学して校章のピンズ500円かかることが判明しました。祖父母のお年玉以外のお小遣いをもらったことがないので買えませんでした。校章をつけてない自分は担任に指導室に呼び出されました。結果的に教師からピンズを貰ったのですが、それから発達かボーダー?で1日1回は歩き回ったり暴れたりして授業がおじゃんになるような生徒が何回席替えしても近くに配置されました。この中学校には支援級のようなものはなかったです。
このストレスで過敏性腸症候群を発症し学校にいる間はおならが止まらなくなるようになりました。病院には行かせてもらえなかったです、金が無いらしいので
ある時休み時間に走り回る他害くんが近付いてきたので怖くて反射で突き飛ばしました 暴力沙汰として指導室に呼び出されました。一方的に詰められあの生徒に配慮をしろと言われしんどくなって泣きました。
多分そこで明確に学校側からの監視対象になったんだと思います。
父親のアル中が悪化し家庭内は荒れに荒れました。なんかずっと物が飛び交ってた気がします。同時に母親も現在ネットでよく見るような陰謀論、統合失調症のような言動が増えました(盗聴器、車が追いかけてくる、創価の集団ストーカー、盗撮されてる、喋った言葉が迷惑メールに反映されてるなど)かなり社交的な人でしたが段々と塞ぎ込んでいきました。
あの頃からずっと離婚したい離婚したいと叫んでいる母親の姿を鮮明に思い出せます。死ぬ間際まで同じことを言っていたので。私の存在のせいで離婚に踏み切れなかったのか、経済的に不可能で諦めていたのか、もう死んでいるので聞けません。
最終的に小便を撒き散らしながら外で暴れた父は警察を呼ばれ閉鎖病棟行きになりました。
この時期は精神が限界だったので正直仔細をよく覚えていません。
同時期に自分は軟式テニス部で先輩と同級生とコーチに虐められてました。仲良しグループと一緒に入部したので抜けられなかったです。(今思えば自分にだけ強い球を出しからかわれ雑用にこき使い物を隠されたりしてたのを静観してただけのあの人たちは仲良しでもなんでもないな)でも当時はその人たちしか人間関係がなかった。3年になってやっと登校を共にしていた人と一緒に部活を抜けられました。その人と一緒に美術部に入りましたがその人は先に男女グループに入り、自分は既存グループや後輩グループにも入れず一人で下手な漫画絵をカリカリ描いてるだけの時間を過ごしてました、結構つらかったです、自分にだけ男女グループで付き合ってるとか遊びに行ったとかの情報回ってこなかったし、校外部活動は一人だったし
同級生と話を合わせるために好きな人がいる設定を作ったり流行りの漫画を履修するためにブックオフに通ったりの努力をしましたが居場所はなかったです
常に疲れており、死にたかったです。
両親に生活保護の申請を打診しましたが謎のプライド発揮して申請してなかったですね。自営で年収300万に届いていなかったし世帯主は閉鎖病棟ぶち込まれたし入れ違いに働き始めた母親もそんなに貰ってなかっただろうし貯金も聞く限りなさそうだったし通りそうでは?とは思うんですけど今でも。
頑張って揃えた漫画を全て売られていた時はもうそういう星の下に生まれたんだなと何も感じませんでした。
3年になって受験のために塾に通う必要が出てきましたがそんな金はないため、市の「志望校に受かったら助成金返済不要」制度を使って通いました。同級生がいそうな地元の塾に行くのはいじめられそうで怖かったので2駅先の塾に自転車で通いました。落ちたら終わりなので退路がなくてつらかったです。塾は進学校コースに女子4人クラスになりましたが自分だけ明らかに浮いてて会話についていけてませんでした。担当の若い男性教師にはオタク趣味を開示してないのに「◯◯さんって腐女子?(笑)」と言われました(その時代の腐女子は汚い芋女オタクみたいな意味が強くあった)他クラスも混じっての談笑の場でも会話に入れず浮いてましたね。
受験の時期に謎に担任に呼び出されて素行不良で内申を下げると言われました。意味が分からなかったしこのままでは中卒になると絶望して号泣発狂しました。後から聞きましたが担任は自分の周りの生徒にあいつは危険だから関わるなと触れ回っていたらしいです。高校は受かったから内申はなんとかなったんですかね
そういえば中学時代学校以外で誰かと遊びに行ったとか1回もないな〜
結果的に都内で偏差値60程度の平均よりちょっとマシくらいの公立高校に進学しました。これも自転車で20分だったのでまた私立高生や電車通学生より圧倒的に「金がかからない」人間になれました。学費は出してもらえることになりました。お小遣いはないのにバイトは禁止されました。
周囲は"つまらない学校"と自虐する風潮がありましたが自分にとっては義務教育動物園より治安が圧倒的に良く陽キャが褒めそやされるわけでもなく陰キャがイジメられるわけでもない"そこそこの知能と常識を持つ者のつまらなさ"が集う場所は今までで2番目にマシでありがたかったです(1番は現状、年単位で人と会話しなくてもいい引きこもりのこの現状です)自分のようなつまらない人間がいてもいい場所でした。陰キャなりにオタクっぽいグループにも属せて、美術部に入ってオタクの話をして、ただ会話してくれる人間はいましたが1番の友達になってくれる人はいませんでした。みんなそれぞれ楽しくて面白くて魅力のある人間関係を既に築いており、自分のような低能の入る隙はどこにもなかったです。
同時に入学頃からもう発達が炸裂し始め、(入学前の必須勉強をしない、遅刻、傾眠、易疲労、無断欠席)帰宅後即疲労で寝る生活を繰り返し全く勉強も出来なくなりました。 無事呼び出しをくらいまくる劣等生と化しました。3年の単位は本当は赤点だし追試や追加レポートも出してないのに何故か卒業したので謎の慈悲をかけられたのだと思います。職員室の前であいつはもうどうしようもないと言っているのが聴こえました。
■
受験は入学金を期日までに払い忘れ(そもそも私立に行く金はないと言われ国公立に行く学力もあのありさまなので無く)他県の公立を受験しに行き遅刻して当然落ち、浪人し、バイトして金を溜めましたが毎日疲れて寝ていたので勉強は全くせず見かねた父親が通信制大学(学費が30万くらいで安い)を勧めてきたので仕方なくそれにしてまた「金のかからない」人間になりました なんで子供にせめて大卒資格は取れと言うのに大学の金出さないんだろうとは思いましたがどうせ元アル中の他責の未診断ASDで話が通じない相手だし暴れられてもダルいしどうでもよかったです 自分は私立の大学に親金で行ったくせに。
キラキラ大学生活を見るのが苦しくて数少ない高校の知り合いのいるリア垢からログアウトし、誰とも連絡を取らなかったのでその後10年ほど誰とも会いませんでした。特に声をかけられるわけでもなかったのでつまらない人間性を強く実感しました。
清掃バイト先でもふんわりとイジメというか嫌味を言われることが多かったです。寡黙でキョドキョドしているので「昔いじめられてたんじゃない笑」「空気悪くなる」「顔可愛いよね(お世辞でも言わないレベルで奇形です)」優しいおばあちゃんが場を仕切っていたので業務に差し支えはありませんでしたが。
■
自由な時間と金ができたこのタイミングでスプラトゥーンに出会いました。はじめてつらい現実を忘れ熱中出来るものに出会いました。1000時間くらいやりました。実況配信も見始めました。好きなものを楽しそうにやっているコミュニティは煌めいて見えました。勉強はしませんでした。
オーバーウォッチに出会いました。5000時間以上やりました。1日10時間以上やってました。
エーペックスに出会いました。その後上に同じくです。
ヒプマイの流行経由でハイローを観ました。数年ぶりにバイト以外で外出し映画を見に行きました。5年ほどROMだったツイッターを作り二次創作をはじめました。
その後熱が冷めてきた頃に母の様子がおかしいことに気づきはじめました。
■
3年前母親が腹水の溜まった状態でみつかり余命一ヶ月と言われ、介護が始まりました。
妊婦のように膨れた奇形の姿はフラバする都度目眩がし視界が暗くなります。
自分は同じ部屋で暮らしながら何となく気付いていながら何もしなかったので、自分が殺したようなものです。
その頃自分はずっと寝続けて週一でバイトしてゲームで現実逃避する生活だったのでトイレ飯風呂以外で部屋から出ずエンカウント頻度はあまりありませんでした。
母の部屋は壁や家具が糞便に濡れゴミ屋敷だったと掃除した父親が言っていました。自分の部屋もゴミ屋敷なので認知が歪んでいて良く分からなかったです。
救急車で運ばれ余命宣告された日に凄まじい感情の波に襲われ(今思うとあれが人生で1番の発狂だったと思う)次の日はじめて精神科へ行き抗鬱剤と抗不安剤を出されました。
母が死ぬ、世話をせねばならないのに傾眠は治まりませんでした。近くで痛い助けてと叫ばれたり父に揺すられても起きれません。ケアマネの人には合鍵で入ってもらってました。
介護は主にオムツ替え、薬の処方、身体の清掃、食事提供、絶叫が聞こえたら医療用麻薬の貼り付けなどです。非力なので腹が膨れた人間の体勢を変えられず何度も本人から使えねえと言われ突っ張り棒か何かで叩かれました。
自力で介護用ベッドから這い出ようとして落ちた母親をどうしても持ち上げられず、そのまま放置した時は酷い罪悪感に苛まれました。
■
母が死にました
翌日喪服のまま同人誌即売会に行きました。その頃よすがにしていたカプのオンリーでした。絨毯買いしましたが今も大半は読んでません
多分ハマっていると思い込むことで全てから逃げていました 人生の己の選択全てがそうなので、そうなんだと思います
半年ほど寝たきり半絶食状態になり体重が33キロとかになって肋骨が浮いててウケました。常に悪夢を見るようになり寝るだけで疲れ、起きてもフラバが続き、全てが恐ろしくなり、不眠と過眠を同時発症しました。
眠剤が出され始めました。
母本人は骨は海に撒けと言いましたが娘が父方の親戚との縁を切らさないためにと骨は秋田の墓に入れることになってました。骨壺ごとではなく骨は他の人と纏めてザラザラと同じ墓に入れる風習だそうです。あんなに憎んでいた父といずれ一緒くたにされるのはあまりにも憐れだと思いました。
なので骨壺から全部骨を出して畳に並べて全てに紫のペンでマークをつけました。途中で帰宅を早めた父に見つかり死人を侮辱するなと怒鳴られました。生きてる間はなにもしなかったくせに。
その後誰もいない時また骨壺を開けて形のいい
納骨時に最後に入れるはずの喉仏の骨(あれ本当は喉仏じゃないらしいですね)が中にはいってないのに気づいたお坊さんの怪訝な顔は面白いので今でも思い出せます。
骨は硬いカルシウム剤の味がしました。しまってその後は開けてないので今見たらカビてるかもしれません。海に撒けと言っていたのに、憎んでいた父方の墓に入れられたのに今はタッパーに入れられてるなんて哀れであとちょっと胸のすく思いがします。
寝たきりのままですが1ヶ月ほどして少しずつ絵を再開しました。ゲームをすると親を見殺しにしたのにお前はのうのうと遊ぶんだという思考に飲まれドーパミンが出なくなったから仕方なくでした。手を動かしているとある程度の頻度で過集中しフラバが来づらくなり、あと絵を描くことは別に楽しいと思わないから、体力も消耗しづらいから、仕方なくです。本当に絵ってつまらないし出来上がったものもつまらない
waisを受けました。結果凹凸ありボーダーな感じでその時確定で発達とは言われませんでした。
その後機会があり診断書を書いてもらいました。鬱ASDADHDでした。過眠不眠が無いのが意外でした。
同時に提出用の自分の人生と症状を書き連ねる作業をしました。客観的に見る人生はあまりにも無価値で無様で半狂乱になり泣きました。
■
1年後祖母が死にました。元々北海道にいた徘徊認知症で、トラブルを起こす度に母が飛行機に乗って処理して手を焼いていたので東京に越させ母親と自分が自宅介護していましたが母が死んでから叔父のもとで施設入居していました。それ以前はかなり地域支援センターにお世話になりました。動ける認知症だったのでかなりハードな介護で母親はノイローゼ気味で、統失の症状も増えていたように思います。介護期の自分は抑鬱が酷く判断力も低下しておりあまり手伝えていませんでした(まだ鬱とかの自覚がなかった)自分の気力がわかず外に出れず母の葬式の時から一度も会えずに、死にました。後悔しています。
■
ここまで来てようやく己の弱者性と未来のなさを本当の意味で受け入れ始めました。
同時にもうどうでもいいやと非常に破滅的で反社会的な行動を繰り返すようになり、そういう自分を良心に苛まれながらも開きなおって肯定しようとしています(詳しくは書けません)
常にフラバに怯え、特発性傾眠に怯え、虚無感と希死念慮に怯えて覚醒時間を過ごしています。過眠症で10〜20時間寝るので生産的なことがまるでできません。眠剤が上手く作用しない時は悪夢が来るので寝るだけで疲れます。
特に何も楽しくないです。何かを楽しいと思ったこともないです。母親が死んでからゲームを人生から奪われたのでドーパミンもアドレナリンも意識して出せません。何かの虚構コンテンツに熱狂するふりをして生の苦痛と覚醒している時間を誤魔化しています。
"みんな"が楽しそうにしていることの中で一人で出来るものを真似して自分は今快楽を得ているんだと思い込もうとしています。
絶っていた人間関係を少し回復させて"交友関係のある健常者"になろうと努力するフリをしています。
■
みんなみたいに友達がほしい
核兵器になれないなら早く殺せよ。
生きたくないというより苦痛はもう要らない
お前たちは何が良くて生きてるの?気持ち悪いんだよ
己が裁かれますように。
ぼんやりつらいなーと、人格否定されたり不幸が続いて思ったので人生をまとめて現状を言語化してみた
まだ記憶が曖昧な頃ですが、保育士に備品に傷を付けた件で猛烈に叱られたことを覚えており、今でも思い出して身体が固まります。
「死」という概念を知りどうしょうもない恐怖に苛まれ、家族も自分もいずれ何もかも死ぬんだ、どうせ苦しんで死ぬのに勝手に生み出すなんて酷いと両親を呪い始めたのがこの頃からだと思います。
母親が育児ノイローゼになり、仕事を辞め、家賃が安いエリアに引っ越し幼稚園へ行くことになりました。
特にイジメなどは自分の主観ではありませんでしたが、遅刻癖とぼんやりとした不快感不安感を抱えて過ごしていました。
区域が近い女子生徒3人と登校することになりました。ウマが合わないのか失言をしたのか(1人が父親不在家庭だったためそれを聞いたのが引き金かな?と思いますが幼少期なので理由はわかりません)ハブられを受けました。登校時は親の目があるので特になにもしませんが帰宅時は先に進んでニヤニヤしながらこっちを見てきて自分が近付いてきたらまた遠ざかってうわ来たwみたいなことを言ってくるタイプのハブられでした。ある日限界になって泣いたら収まりましたが、当時の自分はまた友達に戻れたと馬鹿正直に思っていました。
休み時間に遊ぶ仲良しグループでハブられました。態度が偉そうだからクビとリーダー格の女子に言われ、行く場所がないので毎日休み時間は下駄箱の前で泣いていました。
高学年になるとそれまでよりも上手く立ち回れるようになり、中学受験組が内申を気にし始めたのか目立った奇行をする子供も減りなんとか他人と談笑したり図書室や階段の踊り場に避難したりするようになりました。それでも学校にいるのはつらかったので定期的にトイレで泣いていました。
しかしこの頃から父親がアルコール中毒の片鱗を見せ、母と常に深夜まで喧嘩していました。DSで見れるインターネットのアニメ・マンガの二次創作サイトだけが心の拠り所でしたが、定期的に没収されたり壊されたりしました。居場所はありませんでした。
親がうるさくて気が滅入る、なんだかめんどくさいという抑鬱症状であまり風呂に入れなくなり担任に度々注意されました。
地域の繰り上がり中学校に入学。制服は買ってもらえましたが入学して校章のピンズ500円かかることが判明しました。祖父母のお年玉以外のお小遣いをもらったことがないので買えませんでした。校章をつけてない自分は担任に指導室に呼び出されました。結果的に教師からピンズを貰ったのですが、それから発達かボーダー?で1日1回は歩き回ったり暴れたりして授業がおじゃんになるような生徒が何回席替えしても近くに配置されました。この中学校には支援級のようなものはなかったです。
このストレスで過敏性腸症候群を発症し学校にいる間はおならが止まらなくなるようになりました。病院には行かせてもらえなかったです、金が無いらしいので
ある時休み時間に走り回る他害くんが近付いてきたので怖くて反射で突き飛ばしました 暴力沙汰として指導室に呼び出されました。一方的に詰められあの生徒に配慮をしろと言われしんどくなって泣きました。
多分そこで明確に学校側からの監視対象になったんだと思います。
父親のアル中が悪化し家庭内は荒れに荒れました。なんかずっと物が飛び交ってた気がします。同時に母親も現在ネットでよく見るような陰謀論、統合失調症のような言動が増えました(盗聴器、車が追いかけてくる、創価の集団ストーカー、盗撮されてる、喋った言葉が迷惑メールに反映されてるなど)かなり社交的な人でしたが段々と塞ぎ込んでいきました。
あの頃からずっと離婚したい離婚したいと叫んでいる母親の姿を鮮明に思い出せます。死ぬ間際まで同じことを言っていたので。私の存在のせいで離婚に踏み切れなかったのか、経済的に不可能で諦めていたのか、もう死んでいるので聞けません。
最終的に小便を撒き散らしながら外で暴れた父は警察を呼ばれ閉鎖病棟行きになりました。
この時期は精神が限界だったので正直仔細をよく覚えていません。
同時期に自分は軟式テニス部で先輩と同級生に虐められてました。仲良しグループと一緒に入部したので抜けられなかったです。(今思えば自分にだけ強い球を出しからかわれ雑用にこき使い物を隠されたりしてたのを静観してただけのあの人たちは仲良しでもなんでもないな)でも当時はその人たちしか人間関係がなかった。3年になってやっと登校を共にしていた人と一緒に部活を抜けられました。その人と一緒に美術部に入りましたがその人は先に男女グループに入り、自分は既存グループや後輩グループにも入れず一人で下手な漫画絵をカリカリ描いてるだけの時間を過ごしてました、結構つらかったです、自分にだけ男女グループで付き合ってるとか遊びに行ったとかの情報回ってこなかったし、校外部活動は一人だったし
同級生と話を合わせるために好きな人がいる設定を作ったり流行りの漫画を履修するためにブックオフに通ったりの努力をしましたが居場所はなかったです
常に疲れており、死にたかったです。
両親に生活保護の申請を打診しましたが謎のプライド発揮して申請してなかったですね。自営で年収300万に届いていなかったし世帯主は閉鎖病棟ぶち込まれたし入れ違いに働き始めた母親もそんなに貰ってなかっただろうし通りそうでは?とは思うんですけど今でも。
頑張って揃えた漫画を全て売られていた時はもうそういう星の下にうまれたんだなと何も感じませんでした。
3年になって受験のために塾に通う必要が出てきましたがそんな金はないため、市の「志望校に受かったら助成金返済不要」制度を使って通いました。同級生がいそうな地元の塾に行くのはいじめられそうで怖かったので2駅先の塾に自転車で通いました。落ちたら終わりなので退路がなくてつらかったです。塾は進学校コースに女子4人クラスになりましたが自分だけ明らかに浮いてて会話についていけてませんでした。担当の若い男性教師にはオタク趣味を開示してないのに「◯◯さんって腐女子?(笑)」と言われました(その時代の腐女子は汚い芋女オタクみたいな意味が強くあった)他クラスも混じっての談笑の場でも会話に入れず浮いてましたね。
受験の時期に謎に担任に呼び出されて素行不良で内申を下げると言われました。意味が分からなかったしこのままでは中卒になると絶望して号泣発狂しました。後から聞きましたが担任は自分の周りの生徒にあいつは危険だから関わるなと触れ回っていたらしいです。高校は受かったから内申はなんとかなったんですかね
そういえば中学時代学校以外で誰かと遊びに行ったとか1回もないな〜
結果的に都内で偏差値60程度の平均よりちょっとマシくらいの公立高校に進学しました。これも自転車で20分だったのでまた私立高生や電車通学生より圧倒的に「金がかからない」人間になれました。学費は出してもらえることになりました。お小遣いはないのにバイトは禁止されました。
周囲は"つまらない学校"と自虐する風潮がありましたが自分にとっては義務教育動物園より治安が圧倒的に良く陽キャが褒めそやされるわけでもなく陰キャがイジメられるわけでもない"そこそこの知能と常識を持つ者のつまらなさ"が集う場所は今までで2番目にマシでありがたかったです(1番は現状、年単位で人と会話しなくてもいい引きこもりのこの現状です)自分のようなつまらない人間がいてもいい場所でした。陰キャなりにオタクっぽいグループにも属せて、美術部に入ってオタクの話をして、ただ会話してくれる人間はいましたが1番の友達になってくれる人はいませんでした。みんなそれぞれ楽しくて面白くて魅力のある人間関係を既に築いており、自分のような低能の入る隙はどこにもなかったです。
同時に入学頃からもう発達が炸裂し始め、(入学前の必須勉強をしない、遅刻、傾眠、易疲労、無断欠席)帰宅後即疲労で寝る生活を繰り返し全く勉強も出来なくなりました。 無事呼び出しをくらいまくる劣等生と化しました。3年の単位は本当は赤点だし追試や追加レポートも出してないのに何故か卒業したので謎の慈悲をかけられたのだと思います。職員室の前であいつはもうどうしようもないと言っているのが聴こえました。
受験は入学金を期日までに払い忘れ(そもそも私立に行く金はないと言われ国公立に行く学力もあのありさまなので無く)他県の公立を受験しに行き遅刻して当然落ち、浪人し、バイトして金を溜めましたが毎日疲れて寝ていたので勉強は全くせず見かねた父親が通信制大学(学費が30万くらいで安い)を勧めてきたので仕方なくそれにしてまた「金のかからない」人間になりました なんで子供にせめて大卒資格は取れと言うのに大学の金出さないんだろうとは思いましたがどうせ元アル中の他責の未診断ASDで話が通じない相手だし暴れられてもダルいしどうでもよかったです 自分は私立の大学に親金で行ったくせに。
キラキラ大学生活を見るのが苦しくて数少ない高校の知り合いのいるリア垢からログアウトし、誰とも連絡を取らなかったのでその後10年ほど誰とも会いませんでした。特に声をかけられるわけでもなかったのでつまらない人間性を強く実感しました。
自由な時間と金ができたこのタイミングでスプラトゥーンに出会いました。はじめてつらい現実を忘れ熱中出来るものに出会いました。1000時間くらいやりました。実況配信も見始めました。好きなものを楽しそうにやっているコミュニティは煌めいて見えました。勉強はしませんでした。
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ヒプマイの流行経由でハイローを観ました。数年ぶりにバイト以外で外出し映画を見に行きました。5年ほどROMだったツイッターを作り二次創作をはじめました。
その後熱が冷めてきた頃に母の様子がおかしいことに気づきはじめました。
3年前母親が腹水の溜まった状態でみつかり余命一ヶ月と言われ、介護が始まりました。
妊婦のように膨れた奇形の姿はフラバする都度目眩がし視界が暗くなります。
自分は同じ部屋で暮らしながら何となく気付いていながら何もしなかったので、自分が殺したようなものです。
その頃自分はずっと寝続けて週一でバイトしてゲームで現実逃避する生活だったのでトイレ飯風呂以外で部屋から出ずエンカウント頻度はあまりありませんでした。
母の部屋は壁や家具が糞便に濡れゴミ屋敷だったと掃除した父親が言っていました。自分の部屋もゴミ屋敷なので認知が歪んでいて良く分からなかったです。
救急車で運ばれ余命宣告された日に凄まじい感情の波に襲われ(今思うとあれが人生で1番の発狂だったと思う)次の日はじめて精神科へ行き抗鬱剤と抗不安剤を出されました。
母が死ぬ、世話をせねばならないのに傾眠は治まりませんでした。近くで痛い助けてと叫ばれたり父に揺すられても起きれません。ケアマネの人には合鍵で入ってもらってました。
介護は主にオムツ替え、薬の処方、身体の清掃、食事提供、絶叫が聞こえたら医療用麻薬の貼り付けなどです。非力なので腹が膨れた人間の体勢を変えられず何度も本人から使えねえと言われ突っ張り棒か何かで叩かれました。
自力で介護用ベッドから這い出ようとして落ちた母親をどうしても持ち上げられず、そのまま放置した時は酷い罪悪感に苛まれました。
母が死にました
翌日喪服のまま同人誌即売会に行きました。その頃よすがにしていたカプのオンリーでした。絨毯買いしましたが今も大半は読んでません
多分ハマっていると思い込むことで全てから逃げていました 人生の己の選択全てがそうなので、そうなんだと思います
半年ほど寝たきり半絶食状態になり体重が33キロとかになって肋骨が浮いててウケました。常に悪夢を見るようになり寝るだけで疲れ、起きてもフラバが続き、全てが恐ろしくなり、不眠と過眠を同時発症しました。
眠剤が出され始めました。
母本人は骨は海に撒けと言いましたが娘が父方の親戚との縁を切らさないためにと骨は秋田の墓に入れることになってました。骨壺ごとではなく骨は他の人と纏めてザラザラと同じ墓に入れる風習だそうです。あんなに憎んでいた父といずれ一緒くたにされるのはあまりにも憐れだと思いました。
なので骨壺から全部骨を出して畳に並べて全てに紫のペンでマークをつけました。途中で帰宅を早めた父に見つかり死人を侮辱するなと怒鳴られました。生きてる間はなにもしなかったくせに。
その後誰もいない時また骨壺を開けて形のいい
納骨時に最後に入れるはずの喉仏の骨(あれ本当は喉仏じゃないらしいですね)が中にはいってないのに気づいたお坊さんの怪訝な顔は面白いので今でも思い出せます。
骨は硬いカルシウム剤の味がしました。しまってその後は開けてないので今見たらカビてるかもしれません。海に撒けと言っていたのに、憎んでいた父方の墓に入れられたのに今はタッパーに入れられてるなんて哀れであとちょっと胸のすく思いがします。
寝たきりのままですが1ヶ月ほどして少しずつ絵を再開しました。ゲームをすると親を見殺しにしたのにお前はのうのうと遊ぶんだという思考に飲まれドーパミンが出なくなったから仕方なくでした。手を動かしているとある程度の頻度で過集中しフラバが来づらくなり、あと絵を描くことは別に楽しいと思わないから、体力も消耗しづらいから、仕方なくです。本当に絵ってつまらないし出来上がったものもつまらない
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その後機会があり診断書を書いてもらいました。鬱ASDADHDでした。過眠不眠が無いのが意外でした。
同時に提出用の自分の人生と症状を書き連ねる作業をしました。客観的に見る人生はあまりにも無価値で無様で半狂乱になり泣きました。
1年後祖母が死にました。元々北海道にいた徘徊認知症で、トラブルを起こす度に母が飛行機に乗って処理して手を焼いていたので東京に越させ母親と自分が自宅介護していましたが母が死んでから叔父のもとで施設入居していました。それ以前はかなり地域支援センターにお世話になりました。自分の気力がわかず外に出れず母の葬式の時から一度も会えずに、死にました。後悔しています。
ここまで来てようやく己の弱者性と未来のなさを本当の意味で受け入れ始めました。
同時にもうどうでもいいやと非常に破滅的で反社会的な行動を繰り返すようになり、そういう自分を良心に苛まれながらも開きなおって肯定しようとしています(詳しくは書けません)
特に何も楽しくないです。何かを楽しいと思ったこともないです。母親が死んでからゲームを人生から奪われたのでドーパミンもアドレナリンも意識して出せません。何かの虚構コンテンツに熱狂するふりをして生の苦痛と覚醒している時間を誤魔化しています。
"みんな"が楽しそうにしていることの中で一人で出来るものを真似して自分は今快楽を得ているんだと思い込もうとしています。
絶っていた人間関係を少し回復させて"交友関係のある健常者"になろうと努力するフリをしています。
核兵器になれないなら早く殺せよ。
生きたくないというより苦痛はもう要らない
お前たちは何が良くて生きてるの?気持ち悪いんだよ
己が裁かれますように。
でも女に生まれてこれまで20年数年。社会人にもなって仕事してみて、子供欲しいなんて思えないまま。
女に生まれたくなかった。
射精して10ヶ月待てば子供が産まれる男が心底羨ましい。私だってそうやって子供が持てるほうがよかった。
子供を産むことすらリスクだらけなのに、その上で一度「母」の属性を持った瞬間社会的地位が落ちすぎる。
まず妊娠している間の10ヶ月間の社会的保証がない。体調は絶対万全じゃないこの妊娠中に、社会人として戦わないと産後復帰する場所がなくなる恐怖。
女はキャリアなんていらないんでしょとか、結局時短になるじゃんとか結果論で軽んじられる。
現代に生まれて、男一人で大黒柱を”できない”方が多い時代だと分かって育った。学生時代から男と同じだけ勉強して努力して、今のキャリアがあるんだよ。
なのに、母というものはキャリアなんていらないんだよねと社会が軽んじているのを目の当たりにしている。
逆に男性に聞きたいんですけど。あなたの学歴も仕事の経歴も、父になったら不要なものと扱われて平気なんですかね。自分が積み上げたものを、子供を持つ瞬間に諦めるのって辛くないんですかね?
「キャリアが欲しいなら子供なんて諦めなよw」と言われ、そうすればそうしたで「旦那さん可哀想だね」「この少子化時代に子供産まないなんて」「人として一人前じゃないよね」とか加害者扱い。なんなんだ。
しかも生まれたのが健常児じゃなかったら人生まるごとひっくり返る。
でもキャンセルはできない。社会の受け皿は足りないから、預け場所がなくて世話に追われる。今度こそ仕事なんて無理。
そんな中、現状の障害児家庭のシングルマザー率の高さ。たとえ離婚してなくったって、育児参加から療育まで母親ばかりが負担する。
夫はお金を稼がないといけないから?だからまた諦めなくて済むのかよ。
ほんで未熟児トイレで産んだり、妊娠してからとんずらされてどうしようもなくなったり、育児ノイローゼで頭おかしくなって子供を手にかけたり、何したって「母」が悪い。母だけが裁かれる。
そもそも、妊娠出産は女しかできないとして、その後のことはどっちだってできるだろ。
どっちだってできるのから、育児の苦楽も罪も共に背負うべきなはずなのになんでこんなに偏るんだよ。
子供と母親だけをセットにして、父親をオプションみたいに考える社会やめろよ。責任は常に平等であれよ。
料理の献立は母がつくり、食事における健康バランスは母が担い、弁当は母親が作れるし、裁縫は母親ができる。
これは逆を返せば、男は献立を立てないし、父のご飯はたまの味付けの濃いジャンクご飯でいいし、父は弁当が作れなくても拙くてもよくて、裁縫だってもちろんできない。
その前提で回っている。
アホか。なんで女はそのスキルが自動で備わってると思うんだよ学んで努力して身につけるんだよ。その努力に男がフリーライドするなよ。
せめてフリーライドして当たり前ではなく、家庭を回すスキルが足りなくてごめんなさいだろ。
こんなに不均衡な上に、性的に軽んじられ性犯罪は碌に取り締まられず、今でも社会構造を直視しない法改正は続き、
出産にまつわる医療費の問題も医療ケアの問題も解決せず、男性主体の社会構造のまま、
本当に勘弁してほしいよ。
そんな男ばかりじゃない?ちゃんとしてる男もいる?
じゃあそれを男性同士で是正していってください、女に言わないでさ。
こんな声も女のヒステリーだと言われる世の中なので。
女に生まれたくなかった。
離婚したら、夫婦どちらかは親権を得て、どちらかは親権を放棄することができる
しかし、赤ちゃんポストに子供を入れてしまえば親権を放棄することはできる
医ケア児だったりすると赤ちゃんポストまで連れて行くことが難しいが
47都道府県に赤ちゃんポストを作れば、虐待死する子どもも減るし
育児ノイローゼで子どもに手をあげそうな親も「いざとなれば赤ちゃんポストに」と考えると気持ちが楽になるのばないか
プライドが高く「最低な親」をやめられない親は親の思い通りにならない子供に暴力をふるってしまう。
しかし、本当に子どものことを考えたら精神的に余裕がなく手をあげる親とははなれる方が幸福である。それで、賢い親は子供からはなれる。
親に殺されるか、施設入所するのか、虐待児がもし選べるとしたら後者を選ぶだろう
思えばずっと子どもと関わるのが好きだった
高校生の時は子育て支援施設の夏休みボランティアに毎年参加してたし学生時代のバイトも子どもに関わる仕事ばかり選んでいた
と書くとキショいな
でも出た大学は子ども全然関係のない学部で、就職したのも子ども関係ない中小企業だった
会社で役立たずとして20代を過ごし30手前で結婚して子ども産んで育休に入った
本当に環境ガチャなのだが、増田はたまたまラッキーなことに育児ノイローゼになるどころか毎日があまりにも楽しくてあっという間に育休が終わった
子どもが何日も何日も夜通し寝ないで泣き続けるのもごはん全然食べてくれないのも都合良くノーミソがやりがい変換をしてくれて、肉体的な疲労は凄まじかったが精神的には至って健康だった(※本当に、本当に子ども、子育ては全ての要素がガチャだと思っているので増田はたまたま運が良かった)
育休終わる時にもう子どもとこんなに関わることないの!?人生で!?となって焦りから保育士試験を受けた
アホなので1年半かかったが合格し、SNSに保育士に転職することを書くと中高大、社会に出てからの友人からすら「新卒の時なんで子どもと関わる仕事選ばなかったのか不思議だった」「そっち向きだと思ってた」「今より絶対合う」などなどありがたいコメントが飛んできて(もちろんほぼお世辞だろうけどサ)、自分自身のことを自分より他人が分かってたってこういうことかあとじみじみしました
でも何事も、やりたいことを始めたいと思ったのならその時点から始めたら遅過ぎるなんてことはないのかなと思えたのは大きな収穫かもしれない
けど!遅いなんてことはないと思う、絶対
よくSNSで、お金がないけど3人目の子供を産みます!みんな応援してね!という母親をよくみます。
中には「三人目の子供を育てる経済的余裕はないけれど夫をうまいこと騙して子供を産みました」という妻もいます。
子供を育てていくに当たって、塾に行かせたり、習い事をさせたり、旅行に行ったり、レジャーを楽しませたり
お金持ちが子供を三人育てることは可能ですが、庶民が子供三人、それなりにお金をかけて育てるのは厳しいです。
この間子供が三人いる親が広いマイホームのローンが払えなくなり、狭い賃貸に引っ越したという記事を見ましたが、子供三人育てながら新築マイホームのローンなんてそりゃ無理ですよ
これからは、自分の人生の満足度をあげていくために独身でいること、子供を持たないことを選ぶ人がどんどん増えていくし
夫婦が子供を作ったとしても、親も子供も経済的に満足度の高い生活をするために一人っ子を選ぶ家庭が増えていくでしょう
一人っ子、とってもいいですよ。親は精神的にも経済的にも余裕がありますし。デメリットは親が死んだときに子供が親の葬式の相談をするきょうだいがいないことくらいです。(きょうだいいなくても自分の配偶者と協力すればいいもんね)
最近育児ノイローゼで自分の子供を殺す母親が増えています。父親が育児ノイローゼで子供を殺すという事例は少なくて、父親が我が子を殺すときは父親の人格に問題があることがほとんどでしょう
母親が育児で苦しんで子供を殺すのは、経済的な苦しみも少なからずあるのではと思います。
お金はないけれど、三人の子供の子育てを楽しんでいますよという庶民はとても少なくて
https://anond.hatelabo.jp/20240830213900
ヨッピーが育児ハックネタで増田とバチバチやってるの見てたら、ヨッピーが大人の対応してる感出してるけど、全く噛み合ってないのが痛々しいので、気分転換に書いてくよ。
・うちは4人いるけど、育児のテクニックが効くやつと効かないやつがマジでバラバラ。どの話もとりあえず話半分聞くのが良い。
・1番目の時、ワイフは育児ノイローゼになり、僕が専業主夫を半年やった。当時大変だったけど、今思えば1番目が1番育てやすかった。4番目ともなると、こちらも百戦錬磨のはずが、本人の資質もあり滅茶苦茶手がかかり思い通りにいかない。4番目が最初だったら……と思うと恐怖しかない。子どもは小学校入るまでは本当に個人差が激しいので、4番目みたいな子が最初になってしまったお父さんお母さんには、本当にお疲れさまです、としか言いようがない。
・うちの4番目、体力がある、というか、しつこい、というか、忍耐力がある、というか、ちゃんと抱っこしたりかまったりしないと、とにかくブチギレる。機嫌が良い時は良いのだが、一度悪くなると治まらない。基本は多少泣いてもスルーする、なのだが、世界が終わるかのように泣きじゃくり服を引っ張ったりして、家事全般が全然できなくなる。抱っこで少し落ち着いてきたら、椅子に座って膝に乗せる状況なら多少大人しくしてるので、疲れ果てたワイフor僕は、人間椅子と化す。
そんな時の育児ハックは、座りながら寝れそう椅子/ソファをテレビの前に設置し、テレビで動画を流す!、だ。
家事を自分でやりたいタイミングでやるのはもう諦め、少しでも休息を取り、寝静まったり落ち着いた瞬間にやりきることに徹するのだ。
地上波のテレビはCMが長く挟まるので、CMのタイミングでキレられることになる。
普通にYouTubeを流してもCMは流れるが、スキップがテレビより早くできるのでまだマシ。
個人的にオススメは、YouTubekidsのアカウントを作って、YouTubeアプリで再生すること。
YouTubekidsアカウントだとCMは入らない。YouTubekidsのアプリで再生すると、次の動画の再生が自動で行われないため、10分に一度操作する必要が出てくる。
だが、YouTubeアプリでYouTubekidsアカウントで入り、動画再生すると、何も操作しなくても流れ続けるので、そのまま寝落ちすることができる。
ちなみにうちの子どもらにヒット率が高かったのは、boobaだ。
https://youtube.com/@booba?si=u4TJhgeuwMK3Yx55
アンパンマンにハマる子、電車にハマる子、動物にハマる子、色々いたが、今のところboobaの食いつきが一番良かった。
最初はマジで何が良いか、本当に分からなかったが、あまりにどの子も食いつくので、何度も何度も何度も観ることになり、結果慣れてしまった。
うちの子らの一番のお気に入りは、aviciiのLEVELSという曲に合わせてboobaがダンスする動画で、コレ流すと本当に機嫌が良くなる。
コレを聴きながら人間椅子となり、眠る日々を何度も過ごしてる。
https://youtu.be/kWxlSzoQSRM?si=r7IRibA83jGghHFZ
子どもは気に入ったやつを何度も流すことを要求する、それも歌や音楽があるとヘビロテを要求しがちなので、それがアンパンマンマーチのような童謡ばかり聴いてると、だんだん謎の新興宗教に精神汚染されてるようなオカシナ感覚になってくる。
アンパンマンマーチ無限ループで、オカシクなりそうだった時は、アンパンマンの動画にmy first storyのi'm a mess の曲を当てたMADに救われた。
https://youtu.be/vT_Y4R_ZNyw?si=5K7WRq1KMFexFRi-
お風呂で機嫌が悪くなると、まためんどくさいので、機嫌が悪くなりそうな時はBluetooth防水スピーカーをお風呂において、LEVELSとI'm a messを流す。
音楽を聴くだけで、boobaやアンパンマンを観たような感覚で、機嫌が良くなるのは助かる。
・ご飯をちゃんと食べてくれない子は、お腹が空きがちなので、普段の生活の機嫌もだいたい悪い。なので、ちゃんと食べさせたいわけだが、4番目は特に食べないことが多く苦労してる。今思えば、1番目はとにかく食べる子だったので楽だった。
1番目は、タレやソースを漬けると美味い、と学習したらしく、とにかくタレを別の皿に用意し、自分でつけて食べるスタイルにすると何でも食べた。
2番目以降は完全に真逆で、何かがついてると、美味しい不味いの前に、気に入らない、食べる気がしない、ので食べない。
外食すると、東海地方のソフルフード、スガキヤのラーメンは、なんやかんや絶対に食べてくれるので、非常に助かる。
3番目と4番目は、焼いた食パンが好きで、3番目は白いところだけ食べ、4番目は耳だけを食べる。
どの子にも言えることだが、めっちゃ好き!テンションが上がる!!以外は、思いのほか食べるのがめんどくさいと食べないことが多い。
なので、硬い状態はできるだけ避け、手でつかんで食べれるような状況にしとくと、手でもスプーンフォークでも結構食べてくれる。
麺類を比較的食べてくれるのは、子どもらとしては食べやすいからかも。
きゅうりの蛇腹切りのように、斜めに刃を半分入れる、を両面からやる感じ。
そうすると、焼いた後、食パンを手でちぎるのが簡単になり、スナック菓子のようにつまみながら食べることができる。
テンションあがる!で食べてくれるので、キャラものの食器、アンパンマンのスプーンや茶碗などは効果があるが、席に着くまでは持っていけても、食べ始めるとやる気が無くなることも多いので難しい。
テンションが高くないと、子どもの横について、1時間近く食べさせないと食べてくれない。
食べさせる疲れと、上に書いたような手間をかける疲れを天秤にかけて、レシピを選ぶ。
麺類、唐揚げ、おにぎり、あたりは外しにくいメニューなので助かる。一般的にはココにカレーも入るのだが、うちの子らの場合、カレーよりもハヤシライスの方がよく食べるので、ハヤシライス率の方が高い。
ポケモンやアンパンマンのラーメンうどんはあるが、絵のついたかまぼこを食べ終わった瞬間食べなくなったりする。
どん兵衛の小さいサイズは、柚子の風味がついていて、普通のどん兵衛よりも正直美味い。
・子どもをあやす時、室内で抱っこするだけじゃ泣き止まない時は、外に連れ出して移動する。
歩いたり、ベビーカーに乗せたり、自転車に乗せたり、車に乗せたり……
外に出る疲れとめんどくささ、と、永遠に続くと思われるギャン泣きとを天秤にかけて、仕方なく外に出る。
哺乳類全般が持ってる習性で「輸送反応」というものがあり、子どもをあやすテクニックのほとんどがコレに由来してるものが多い。
https://www.sukusuku.com/contents/qa/60442#
哺乳類は赤ちゃんの時なにもできないので、危険が迫った時親が赤ちゃんを上手く運べるように、運ばれると感じた赤ちゃんは大人しくなる、というもの。
ひとつ注意点は、運ばれていると感じている間は、習性により大人しくしてるが、それが無くなったと感じれば元に戻るということ。
なので、移動で大人しくなった後、眠ったり、本人が落ち着いたりした後でないと、移動を止めた瞬間、またギャン泣きすることになる。
ちなみに、専業主夫やってた1番目の時は、夜中全然泣き止まないと、抱っこ紐で背中に乗せ、近くの公園を自転車でずっと走っていた。
4番目になって、気付いたテクニックとして、ただ抱っこするよりも、抱っこしたままトランポリンで軽く揺れると、滅茶苦茶大人しくなる、ということ。
足で良い感じで揺れを作っても、同じようには大人しくならない。
移動と違って、4番目だけのN=1の事例なので、家にトランポリンがある家庭は効果があるか試してほしい。
………他にも無限に出てきそうだけど、ひとまず今日はここまで。
ハックと呼ばれるもの全然に言えることだと思うけれど、泥臭いストーリーが無いと、リアリティが無くて、たまたま上手くいって良かったですね、で終わる気がしたので、そこに至るまでの小話も添えてます。
そうなんよね。
奥さん(増田)が自分と違って涼しい場所でテレワークしてるのは奥さんの落ち度じゃない、むしろ共働きしながらちゃんと夕飯こしらえてくれててそれに文句つける筋合いはない。
自分が奥さんと違ってクソ暑い中外回りで汗疹に苦しみながら働いてるのはそういう職を自分が選んだからで、これも奥さんのせいじゃない。奥さんばっかりずるいと思ってしまう「気持ち自体」はわからなくもないけど、奥さんがずるいわけじゃない。
何が/誰が悪かったかって考えたら第一に来るのが増田じゃないのは確かなはずなのよ。
・この殺人的な暑さ
・増田のタイミング(夫の精神が限界の時にたまたま温かい献立を出してしまった)
って感じで、たまたま悪い条件が重なってしまった結果起きた不幸だと思うのね。
でも帰ってきた時に旦那さんが「自分が毎日大変なのに温かい献立を出してきた妻が悪い」としか思ってないようなら関係考え直した方がいいと思う。
食べたいもの食べて体冷やして落ち着いたら「自分はおかしかったな、あんなに切れちゃって妻に悪いことしてしまった」って考える余裕ができてるといいんだけど、逆に被害者意識拗らせて「妻は冷房の効いた家の中でぬくぬく仕事してるくせに夫の辛さを何もわかってない」って方面に思い詰めるようになったらマジ地獄だから。
はてブにも今日たまたま温かい献立を出しちゃった増田だけが悪いみたいな書き方してる人がいてちょっと危なっかしいわ。
(追)
育児ノイローゼの話出してる人がいるけど、もし現在の増田夫の職業選択に増田が関わっている(所帯を持つにあたり給料が低いので転職させた等)ならその言い分もわかる。子供が夫婦二人で作ったもので奥さん一人が勝手に妊娠して産んだわけじゃないように、そういう経緯ならもっと思いやりは欲しいよね。ただそうじゃないなら「奥さん『が』悪い」なんて事にはならない。
本件は本来、誰か一人が悪いとかそういう話じゃない。毎日毎日熱い献立を出した増田が悪いと言うなら、そんな献立に嫌気がさしていたのに外で食べてくるとも言わず、しょうこりもなく妻に夕食を作らせ、いきなりキレて家出してしまった夫にも同じような非が生じてしまう。
だから増田だってあえて「暑さが悪い」と言い、夫の落ち度は酷暑に転嫁して見なかった事にした。
夫の非を書くならば元増田のブコメにあるような内容をいくらでも思いつく。「テレワークしてない自己責任を伴侶に八つ当たりすんな、自分の機嫌は自分で取れ」とすら書けてしまうだろう。増田が反省していないならそういった落ち度を増田に書いただろう。でも書かなかった。
「私が全部悪い」「反省してる」と言って、共働きなのに平日自炊をして配偶者の食事を用意していた。暑い中仕事していて限界だった夫の気持ちがわかるから。
https://togetter.com/li/2347406
自分は今回の話の男女逆バージョンを出すなら上記だと思っている。
「夫、フルリモートで9時まで寝てる。私より年収300万高い。毎日楽しそう」「私は毎日出社でかなり嫌な思いしながら仕事してる、祝日は休みじゃない。仕事の内容も、今の会社の方針もすごく嫌だ。なんで自分はこんな嫌な思いしながら働いてるんだろうなと、どうしても夫と比較してしまう」
夫の年収が高くて職場環境が良く、妻がその逆なのは夫妻それぞれの職業選択の問題で誰かが悪い訳ではない。あえて言うなら「資本主義が悪い」とでも言うべきか、でもつらい気持ちはわかる。そういう話。
もし上記のポス主が「私は毎日出社で祝日もなしに嫌な仕事を我慢しながらしてる、なのにあなたは暑い中帰ってくる私に対してこんなものばかり出す。私がこんなに辛いのに!」と夫をなじって突然家出したら、献立の選択を誤っていた夫だけが悪い事になるだろうか? テレワークだからと夕飯の自炊を請け負ってくれている夫に対して?
増田と全く同じ心境のうえ私は容姿どころか能力も収入も適性も家柄も学歴も全て劣っていて、自分が子供を産んだら100%遺伝を恨まれる自信があったので、一度も子供を欲しいと思ったことがない。
だけど今9歳になる子がいる。できちゃって仕方なく産んだわけでもなく、結婚前から夫婦で決めて産んで育てている。以下理由。
1) 義父母(夫の両親)がいい人だった
「孫は祖父祖母のおもちゃじゃない」と怒られても仕方ないかもしれないが「こんないい人たちが自分のせいで孫の顔見られないのは気の毒だな」と単純に思った。
2) 義父母(夫の両親)がいい人だった
母親(自分)の遺伝がクソで、母親が産んですぐ育児ノイローゼで失踪とか死ぬとかしても、夫の会社の福利厚生と義父母の能力や資産があればどうにか子供は平均以上の人生を送れるだろうと思った。
見た目→世間一般からすればそうでもないかもしれないが、容姿は我々夫婦の組み合わせを思えばこの上なく可愛い子が生まれてきたと思っている。これ以上可愛い子は私には産むことができない。
自分が推しの子のアイちゃん等のように目が大きくて可愛くないことには不満があるようだが、私と違って主体的なおしゃれに目覚めており、気に入らない服は着ない。大変いい傾向だと思っている。
性格→私に似てしまって自信がないところと、夫に似てなんか無根拠に自信があるところが兼ね備わっている。日常的には良い意味で親と子は別人なのだと思わせてくれる。年1〜2回程度「私に似たせいで申し訳ない、これからどうすればいいのか」と深く思い悩む事例が発生する。
能力→両親に似ず漫画を含めて読書には全然興味がない。イラスト描きとレジン細工がとても好きで、放っておくと勝手にやっているので才能だろうと思う。私に似ず運動神経は悪くないようだ。総合的には将来Youtuberになりたいとか言っているごく一般的な小学生だと思う。
今のところ「お前(母親の遺伝)のせいで私は苦労している、なんで産んだんだ」と言われたことはまだない。まだ小学生なのでこれからかもしれない。
娘から自分の容姿に不満を述べられるたび「我々夫婦の組み合わせを思えばこの上なく可愛い子が生まれてきたと思っている。これ以上可愛い子は私には産むことができない」と繰り返し言ってきたが、何度言っても納得してもらえないので「お母さんはこんな見た目や能力なので子供を欲しいと思ったことがなかった。あなたが自分の見た目に不満なのはお母さんのせいだ。そんな思いをさせるならやはりお母さんは子供を作るべきでなかったのかもしれない。ごめんね」と正直に言って謝ったことが一度だけある。子供は少ししてから「ごめんね。もうあんなこと言わない」と言ってきた。それが良かったのか悪かったのかは私にはわからない。
(ただその後「自分を自分で可愛い/能力があると思っていても、本当にそれを口に出すと周りから変な目で見られたり、嫌なことを言われたりするかもしれない。だから心では自分は可愛いと思ってても、人には可愛くない/能力がないとあえて言うことがある」とも子供から聞いたことがある。今時の子供はYoutube等の影響でそうした大人びたことを考えがちなのか、親の性格や生育環境等の理由で大人びた考え方をせざるを得ないのかは不明である)
別に戸籍別にして、親見るとトラウマで具合悪くなるって精神科で書いてもらうだけだぞ
https://mamastar.jp/bbs/comment.do?topicId=2854565
>>3143
私はいつも考えるんだけれどさ。
そういう子って、海でも連れて行けば勝手にあの世に帰ってくれるんじゃないかって思うわ。
誰の手を汚すわけでもなく。自分でかってにさ。
親は、そいう子でも可愛いのかな。追いかけて安全を確認して、怪我しないように大事に大事に介護して。本当にそれで親は幸せなのかな。正直分からない。
>>3144
ビックリしたけどネット情報ではわざと川とか連れてく人もいるんだとか?
うちのシングルの姉の子まだ小さいんだけど、自閉症で道とかいきなり飛び出すみたい。
仲良くない姉妹なので酷い妹なんだけど
もしそこで最悪なことに姉がかばいシんでしまったら生き残った甥っ子は身内(私とか)に託されるんだろうか...とか酷い妹だけどそっちも不安になる
だってやっぱりめっちゃ大変そうだから綺麗事言えない。自分の家でいっぱいいっぱいだから
>>3145
>>3155
今の時期は川が気持ちいいよー。
ーーー
早く○ね
大嫌い
https://mamastar.jp/bbs/comment.do?topicId=884672
もう1時間くらい泣き続けてる、本当に鬱陶しいまじで消えろお前のせいで人生めちゃくちゃ
やっちゃ駄目だけど、育児ノイローゼなった人は今日のニュースみて母親に辛かったろうに、、と同情したと思うよ。
そういう時って、僅かな理性でハッとするのよ、、
新卒で入ったシステム関係の会社で妻と出会う。付き合いだして半年、会社員3年目お互い仕事が嫌になって、二人で仕事辞めてお互いの実家に戻る。
妻もすぐ仕事見つける。
俺が入った会社、一緒に働いてた人も含めて、レベルが低すぎて速攻で作成したサイトが炎上、会社辞める。
俺3社目の会社に入る。
妻子どもを欲しがる。俺は教育費がないから妻に300万貯めてくれたらとお願いする。
妻300万貯める。
子どもがなかなかできない。
その頃出張多め。月曜に出かけて金曜とか土曜に帰ってくる。その間妻はワンオペで子育て。妻明らかに育児ノイローゼ、会社辞めてって言われる。
子育てで妻との仲が険悪になる。
先物に手を出して500万失う。妻には何も言ってない。先物あきらめて株と投信だけにする。
コロナが来て、株の含み益が1000万超える。
44歳で家買う。住宅ローン79歳まで。月77,000円
今、子供小6、小3。休日も遊んでとか言わなくなる。子育て終わった感。あとは住宅ローン返して教育費稼ぐだけ。
妻はどうか分からないが、俺は今のところ悪くなかったと思ってる。
実家から離れた東京育ちで親が更に親に私の育児を特に頼れることもなく育児ノイローゼになってたし、
金銭感覚は近いようだけど、物事の視野が圧倒的に狭いなうちの両親、とは思ってる。
更に彼らのニッチな仕事のせいで、一般的なひとの生活パターンや消費の仕方の文化を知らない。
でもその悪い点については彼らは全く自覚はない。
よそ者同士で結婚すると面倒や悩むことが多い分、選択肢を何度も超えるから、視野や代替案を上げる際の発想力に広がる気がする。
完全に蛇足なのはわかってるけど、俺がうかつにも二人ともモテないとか書いたせいでブコメで妻までブス呼ばわりされてムカつくので追記
俺は低身長チー牛顔だからまあ何言われても仕方ないけど、妻は客観的に見ても(無理だけど)美人なんだ
でもちょっと気が強いというか、昔から勉強もスポーツも人よりできて言いたいことをはっきり言うタイプだったから、女子グループからは浮いて男子からは敬遠される感じだったんだ
だからお互いモテないし友達少ないし、自分にはこいつしかいないなって感じでここまできた
ブス呼ばわりは許さんから
なんかただ惚気話を吐き出しただけなのにたくさん反応もらって驚いた
問題は飽きてあっさり捨てられるとこやね
いや、いまさら飽きるとかないわ
児童館の子育てサークルからいっしょなんだぞ(いうて流石にその頃のことは覚えてない)
耐えられるとは思えない
それ抜きで子育て無理だったと思う
お互い大学以外地元を離れたことないので視野は確かにかなり狭い自覚はある
いや、もちろん生物のオスとしては反応するけれども、自分とそういうことする相手だとは全く思えないわ
というか幼稚園のころに「増田くんのお嫁さんになってあげる」と言ってくれた人と実際に結婚して良かったことを書いていく
これには理由があって、異性を意識し始める頃にはすでに好きだったので、俺の中ではかわいい=彼女になってるから
当然ほかの異性をそういうふうには見れないので浮気も考えられない
自分のダメなところも全部知られてるから、無理にかっこつける必要はない
大人になって自分を取り繕えるようになってから出会ってたらこうはいかないだろう
どれだけ俺の社会的地位が上がっても、彼女にとっては「泣き虫だった増田くん」のままだから、そばにいると安心できる
結婚した時点ですでに知り合って20年くらい経ってるわけで、お互いの考えてることはだいたいわかる
それで喧嘩せず仲良くいられるのは、お互いに絶対こういう嫌なことはしないとか、相手にとってマイナスになることはしないっていう信頼関係ができあがってるから
よく察してもらえないですれ違ってる夫婦のネタが上がってるが、ああいうのは無縁
そのかわり、隠し事もできない
浮気するつもりは全くないんだけど、もししたとしても秒でバレる
お互いの実家もよく知ってるし、親同士も仲が良い
近くに住んでるので、子育ても両方の親に助けてもらえたから本気で楽だった
同じ地域の同じようなレベルの家庭出身で、ずっと一緒に生きてきたから金銭感覚がだいたい同じ
今はそこそこ金を稼げるようになったけど、無駄遣いはしないし、望んでる暮らしのレベルが一緒だからお金で揉めることは全く無い
ほかにも色々あると思うんだけど、とにかく幼馴染との結婚は良いぞ
Permalink |記事への反応(20) | 12:51
増田は昔、中絶を非倫理的行為だと思っていた。しかし最近はそこまで拒否感を感じていない。
だって育てられない親の元に生まれて幸せなのか?という話だ。そういう子は里子に出されたり、祖父母が面倒を見たり、あるいは虐待されながら実の親に育てられるんだろう。そういう人生もある。それで幸せになった人もいる。それは良いことだ。でも「幸せになりました」という声がニュースになる時点でそれは例外的なケースであって、フラットに考えると人並みの幸せを簡単に得られる可能性は低いと考えるべきだろう。
そう思うと増田にとって中絶とは、避妊の延長線に過ぎない。妊娠を「避ける」というのは失敗しているが、不幸な出産を「避ける」という意味では大差ないと思っているし、それが法律で規制されているのは不思議な状況だとも思う。
日本では世界水準と比べて、時代遅れでリスクの大きい避妊手術が未だ行われている。これは中絶への無関心なのか、あるいは懲罰的思想によるものなのかは分からないが、いずれにしても中絶が重く見られる要因の一つに、この「掻把法」という手術があるだろう。端的に言うと、ベテランでも失敗する確率が高く、失敗によって不妊になる可能性があり、しかも40年前には既にもっと優れた手術が海外では普及していたような手術法だ。優れた手術が日本に導入されないのは、日本の産婦人科医達の思惑がある…という噂もあるが、いずれにしても日本での中絶とは、今の子供だけでなく未来に授かるかもしれない子供まで諦めなければならない出来事である。これが中絶のイメージを重くし、特にパートナーに中絶させた男性への心象を悪くさせる大きな要因であると感じる。
中絶へのハードルを上げるのは女性の負担の軽視や、生まれてくる子供の人生の軽視によるものではないかと思える。日本で虐待の実情が広くお茶の間に知られたのは、増田の記憶では2019年の野田小4女児虐待死事件だったと思う。それまでの虐待死事件は年少の児童がほとんどで、育児ノイローゼの結果として同情的に受け入れられる部分も少なからずあった。しかしこの事件では「児童保護機関が機能していない」「児童が訴えても大人の対応不備によっては最悪の事態になる」「ノイローゼではなく、嗜虐的に虐待する親が存在する」「親が子を連れ戻したのは、愛情ではなく執着心によるもの」といった、それまでの常識を覆す虐待の実態が明らかになり、「虐待する親の中には想像を絶する者がいる」ことが広く知れ渡るきっかけとなった。また、この事件が「親ガチャ」という言葉を世間に納得させる転換点となったと感じている。
要するに、親に恵まれなかった子供に対する受け皿も満足でない社会で、授かった命を中絶するのは倫理的によろしくないというのは大きな矛盾ではないか?ということだ。産めと言う側が育てるとは約束しないということになる。それなら育てる側の責任として、中絶するのも立派な選択の一つであると考えている。そう思うと、中絶への倫理的な障壁を成すものは、やはりリスクの高い手術法だと思うし、その手術法がリスクの低いものへと変化するには、中絶そのものが手軽に行われるべきだという風潮に変化する必要があると感じる。
10か月妊娠で犠牲になるうえに出産したあとも1~2年くらい乳児にかかりきりでしょ
ピュで終わりの性別と同じくらいストライクゾーン広かったらそれもう馬鹿じゃん
どっちかというと男性育休取得・男性も育児ノイローゼになるとかして、男性のストライクゾーンも狭くなっていく流れのほうがトレンドだと思うよ
(発達の女性と結婚すると発達遺伝した「育てにくい子」が生まれて親が結構大変な目に遭うから避けるようにするとか)
(「理解ある彼くん」という言葉が生まれたことによって自分はそうならないようにしようと健常な女性をより積極的に探すとか)
知的困難・精神病など各種困難のある当事者に言ってもしょうがないが、
健常者の子ですら育てられない親はゴロゴロいるので。要らぬ無理をすればこうなる
ママスタへおかえり
https://mamastar.jp/bbs/comment.do?topicId=2854565
>>3143
私はいつも考えるんだけれどさ。
そういう子って、海でも連れて行けば勝手にあの世に帰ってくれるんじゃないかって思うわ。
誰の手を汚すわけでもなく。自分でかってにさ。
親は、そいう子でも可愛いのかな。追いかけて安全を確認して、怪我しないように大事に大事に介護して。本当にそれで親は幸せなのかな。正直分からない。
>>3144
ビックリしたけどネット情報ではわざと川とか連れてく人もいるんだとか?
うちのシングルの姉の子まだ小さいんだけど、自閉症で道とかいきなり飛び出すみたい。
仲良くない姉妹なので酷い妹なんだけど
もしそこで最悪なことに姉がかばいシんでしまったら生き残った甥っ子は身内(私とか)に託されるんだろうか...とか酷い妹だけどそっちも不安になる
だってやっぱりめっちゃ大変そうだから綺麗事言えない。自分の家でいっぱいいっぱいだから
>>3145
>>3155
今の時期は川が気持ちいいよー。
ーーー
早く○ね
大嫌い
https://mamastar.jp/bbs/comment.do?topicId=884672
もう1時間くらい泣き続けてる、本当に鬱陶しいまじで消えろお前のせいで人生めちゃくちゃ
やっちゃ駄目だけど、育児ノイローゼなった人は今日のニュースみて母親に辛かったろうに、、と同情したと思うよ。
そういう時って、僅かな理性でハッとするのよ、、