
はてなキーワード:肉体労働とは
早朝にバイトするのが手っ取り早くていいよ
肉体労働系なら尚良い、
起床してすぐの強めの有酸素運動には一日のパフォーマンスがめっちゃ上がる効果があるし
「みんなブルーカラーやれ」とか言ってるホワイトカラー、ぶっちゃけ「自分はやりたくないけど、俺の便利な生活を支えるコマが足りないから誰かやれ」って言ってるだけだろ。
理由は単純。
結局、「だったらお前が先に転職しろよ」で論破終了。自分がやらないことを他人に押し付ける、ただの「上から目線のマウント」でしかないよね。
安倍氏の過敏性大腸炎にしろ高市氏の関節リウマチにしろ「それを攻撃するな」って意見があるけども、ちょっとズレてんなと思う。
ちょっと考えればわかると思うけど、健康で元気なことを資格として求める職業なんて山程あるでしょ、肉体労働を中心として。
政治家、特に宰相なんて地位の人の「健康問題」は、常に取り沙汰されるべき性質のものなのよ。
病気を理由に政治的空白を作る可能性がある、重要な会合に穴を開ける可能性がある、そういう持病は弱点とか不適格とみなされてもしかたないわけ。
安倍氏や高市氏が自身の持病のことを黙っていたのも別に美徳から秘していたわけではなくて、「弱み」として政敵につけこまれる隙を作りたくないからでしょ。
そもそも昭和のむかしの政治家はちょっと都合が悪くなると御用病院に逃げ込むパターンがよく見られた。なのであのイメージが残ってる人は真っ先に仮病を疑うし、執政スタイルを昭和に戻そうとしている安倍派安倍チルドレンがそれを踏襲しても別に不自然じゃない。
もちろん真相は闇の中なのでおのおのが自分の信じたいことを信じればいいと思うが、
ただ、仮病説をとるとしたらリウマチは色々と都合の良い病気であることは事実だ。
みんながキャンセルを納得するほどの重い病気だと今後の選挙戦がやりにくくなるし、宰相としての健康状態にも疑義が生じてしまう。
その点関節痛なら朝の番組をキャンセルしても午後からケロッとして街頭に立っても大きな不自然はない。ね、都合がいいでしょ。
もちろんこんなのは邪推だし仮説だし疑念に過ぎないのだが、そういうものを抱かれたくなかったらテーピングと鎮痛剤で60分の討論番組を乗り切るという選択もできたはずなんだよね。裏でどんな判断があったか知らないですけども。
今の会社に就職する前、タイミーで単発バイトやってたんだけど、すげー楽しかったんだ。
単発バイトってそのタイミングで忙しい業界が募集するから、季節や時事を感じられるし(今だと節分の太巻製造、バレンタイン、選挙関連かな)、普段の生活では縁のない店とか行けるし、ほんとにスキマバイトとしか言いようのない、トラックが駐禁取られないように運転席に乗っとくバイトとか、世の中にはいろんな労働需要があるんだなあーってのが面白いんだ。
タイミーでできる仕事あいか募集してないから、真面目にやってたらすげー褒めてもらえるんだよな。お店から認定ワーカーにしてもらえたら承認欲求も満たせるしさー。程よい疲労がまた心地よくて、ぐっすり眠れる。
しかもさ、面白いうえにお小遣いまでもらえる。休日にお金を使うことしかできないのがガチで嫌すぎるんだよな。1000円でもいいから増やしたいじゃん。タイミーのお金って正規じゃないっていうか、あぶく銭というか、臨時収入なわけじゃん。気持ち的に普段しないようなことに使っちゃったりできるわけ。
給料は余ったら投資したり貯金したりしなきゃって思うけど、タイミーで肉体労働した分ならいいじゃんって。だって臨時収入だもん。貯めてPS5とか買ってもいいし、成城石井で普段買わないようなもん買うのもいい。
発達特性のある人は、一般的に「頭脳労働」に向いている一方で、単調なルーティン作業や強い身体的負荷を伴う仕事には大きな苦痛を感じやすい傾向がある。これは怠けや甘えではなく、脳の特性として注意の向き方や疲労の溜まり方が根本的に異なるからだ。抽象的な思考、問題の構造化、創造的な発想、情報の分析や最適化などに強みを持つ一方で、同じ作業を長時間繰り返すことや、体力勝負の現場ではパフォーマンスが著しく落ちてしまう。
一方で、定型発達の人は、必ずしも全員がそうではないにせよ、一定の体力を前提とした肉体労働や、決められた手順を安定してこなす作業に比較的適応しやすい人が多い。毎日同じ時間に出勤し、同じ工程をミスなく繰り返し、チームで連携しながら身体を動かす仕事は、社会の基盤を支えるうえで欠かせない。しかし現代社会では、そうした仕事の価値が過小評価されがちで、賃金や社会的評価が釣り合っていない場面も多い。
これからの社会を考えたとき、すべての人に同じ働き方を求めるのは明らかに無理がある。発達特性のある人に肉体労働や過度なルーティン作業を押し付ければ、心身を壊す人が増えるだけだし、逆に定型の人全員を高度な頭脳労働に適応させようとしても、社会はうまく回らない。それぞれの特性に合った役割分担を前提にしなければ、持続可能な社会にはならない。
つまり、発達は頭を使う仕事で能力を発揮し、定型の人には肉体労働や現場を支える役割を正当に評価し、きちんと報いる。その前提があって初めて、社会全体のバランスは取れる。向き不向きを無視した「平等」ではなく、特性を前提にした「公平」こそが、これからの社会に本当に必要な考え方だと思う🌱
つらつら書いてたらなんか長くなっちゃったのでもう要約を先に置いておく。無責任な長文を読んでやろうという物好きだけ本文読んでね。
ここから本文。
某元小学生配信者が高卒認定試験に合格したというニュースが1年ほど前にあったが、実際に高卒認定試験の問題を閲覧したことがある人がどれだけいるだろうか。
というわけでこちらに貼ってみるので暇な人は見てみて欲しい。
https://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/shiken/kakomon/1411255_00017.htm
「今解けって言われたら流石にきついけど、高校時代なら多分余裕」
と思った人は多いことだろう。
(これは「ここでわざわざ問題に目を通すほど教育というものに関心がある人間であれば、その多くはそれなりの学力があるのではないか」という自分の勝手な思い込みに基づく予想である)
一般的な大学入試問題と比較すればずいぶん優しい問題である。しかもこの問題で合格ラインは概ね4割ほどとのことであるから驚きだ。
俗にBFと呼ばれるラインではない大学に一般入試で入った人間なら、(高校在学時であれば)余裕で解けるはずだ。
一見して、こんなものが高卒資格相当と認定する試験でいいの?と思うかもしれない。
ただし、この試験は高校の必修科目=概ね高校1年生でやる科目について合格相当であれば高卒と同等と看做せる、という考え方に基づいて作られている。
要は「高卒」と言いつつも、実際は高校1年生であれば無理なく解ける内容が出てくるわけだ。16歳が合格できるのも不自然ではない。
また、一般的な高校であれば赤点のボーダーは概ね3〜4割であるのだから、それと照らして考えると低いように見える合格ラインも案外妥当と言えるだろう。
ここまでが前置き(長いね)。
自分は底辺高校教員の端くれだが、例のニュースを読んで高卒認定試験の問題を初めて見た時、素直な感想として「こんなもんうちの生徒に解けっこねえよ」と思ってしまった。
自分の目算では、今年卒業を控える3年生にやらせたら少なくとも半数、下手すれば7割は不合格になると見ている。
自分の勤務校で抱えているのは、レ点も分からず、ルートや因数分解も分からず、一般動詞の疑問文も作れず下手すりゃ正負の数の理解も怪しい、そういう生徒たちである。
そのような生徒たちを、とりあえず座っとけばいい授業、その場しのぎで点を取ることしか意識しないテスト指導、超簡単なテスト、甘い採点などなどの「現場努力」によって「高卒」に仕立て上げているのだ。
さらにその中には校内だけの甘い基準で無価値な高評定を取り、それを担保に指定校だの総合型だので学力試験を経由せず大学に入学し、結果「大卒」「院卒」にまでなる生徒たちもいるのだ。
そんでもって生徒たちや保護者たちは「なんとか高校ぐらいは卒業したい」「大学には行かせておきたい」と口々に言うわけだ。
客観的に見て高卒大卒になるべきでない能力であっても、「してしまえる」ならばさせるしかない。概ね学問を教えているとは言えないようなやり方でも。
「ごくせん」でヤンクミがまともに授業聞いてない生徒たちに対してなんか雑に授業してるシーンがたまに挟まってたでしょ?あーいうの。
そいつらにちゃんと高卒の学力つけさせるのが先生の仕事だろって?時間があるならそうするけれど、そんな時間はないよ。
これは教員側の勤務時間もだし、学校の開校時間もだし、生徒側が学校で勉強に集中していられる時間も、自宅で勉強に取り組もうとする時間も、全部足りない。
小中9年間の勉強が身に付いてないのを高校3年間だけで取り返しつつさらに高校の勉強までまともに教えろと。無茶をおっしゃる。
1校1校実際に確かめたわけではないが、自分の勤務校がこの為体なのであれば、同じ学力帯あるいはさらにそれ以下の学力帯の学校でなら、当然それと同等かもっと凄まじい「現場努力」をして卒業生を輩出しているはずである。
それも踏まえると日本全国全ての高校生の中で、ざっくり2〜3割ほどはこの「高卒試験に受からない高卒」なのではないかと自分は考えている。
最近は入学試験で学力問わない定時制とか通信制とかもりもり増えてるから、もっと多いかもね。
あとこれは責任の押し付けになって申し訳ないが、そもそも指定校の枠を投げてくる大学側にも問題はあるだろう。
このレベル帯の高校生がそんなに出来るやつらだと思っているのか?うちの評定4.0とそれより偏差値10も20も高い高校の評定4.0が等価だとでも思っているのか?
そんな奴らを入学させて高等教育の質を担保できると思っているのか?散々ニュースになっているように小中高校の勉強のやり直しに終始する羽目になるのではないか?高校でできていないことが大学でできるわけがあるまいよ。
そこまでしないといけないほど学生が入ってこないぐらい困窮しているのか?(多分しているのだろうが)
高校側からしたら「あなたは推薦基準を満たしているけど大学に行くのに相応しい学力を持っていないのは明白なので指定校あげません」なんて言うわけにはいかないので、生徒に希望されたら素行等に問題がないのであればどれだけ学力的に問題があろうとも推薦を出さざるを得ないのだ。この矛盾に頭を抱えている高校教員はさぞ多いことだろう。
そんな現状を見て、ふと思いついたことがある。
日本全国の高校で一律で、高卒認定試験に合格することを卒業要件に追加したらどうなるのだろうか。
とりあえず先に挙げた2〜3割は高卒になれずに留年するか中退し、中卒者が社会に爆増することになるだろう。
しかし、世間では「大卒や院卒にやらせる必要のないような肉体労働や単純労働を、世間に無駄に溢れる大卒や院卒にやらせている」みたいな話は山ほど聞く時代だ。
それを中卒にやらせたところで案外問題はないかもしれない。もともと本来高卒以上になるべきじゃなかった人間たちが、あるべきところであるべき仕事に就くだけだろう。
多少難がある生徒でも、高卒認定試験に合格済みであればまだ大学に送り出す気になる。学力をつけさせる動機にもなるし、ダメだった時に諦めさせるのも簡単だ。
学力以外の要素を推薦で売りにしていた高校や大学にも少なからず影響がありそうだ。
(なおここでの考察では、○○があるから特例で卒業できる!みたいな例外は一切設けないものとする)
例えばスポーツしか取り柄のないような生徒は、高卒認定試験に受からず高校卒業を断念することになる。
しかし、「甲子園優勝○○高校出身ドラ1!」みたいなのが仮に高校を卒業できなくても「甲子園優勝○○高校中退ドラ1!」になるだけでそこまで箔に差は生じないのかもしれない。
それこそ元々勉強で戦ってないんだから、高卒資格なんてなくても十分やっていけるはずだ。今までと変わらず球界を沸かせてくれるだろう。
箱根駅伝など大学ブランドを重視している分野はどうだろう。参加校にBF大学の名前はちらほら見るし、そうでない大学も学力試験を経由せずにスカウト推薦入学していることはあるだろうだから、仮に高卒認定試験が義務化されていたら箱根路を走る資格を剥奪される層は一定数いるだろう。
まあ大学生として走るなら大学生名乗る最低限の学力くらい持っておけというのはあまりにも当たり前の話だから、特に問題はないな。
大学駅伝は胸を張って自分が大学生だと主張できる者たちが戦うための場ではないか。
そして、自分の勤務校や同レベル帯の高校は存在意義が消滅する。高卒認定試験を突破できない地頭の生徒しか入学できない高校に価値はなくなるからだ。
おそらく廃校になるか高偏差値校に吸収されることだろう。高校教員が足りない足りないと言われて久しかったのが一転教員数が過剰になる。余剰人員を適切に再配置すれば、国が推進する少人数指導やTTのきめ細やかな指導とやらも少なくとも今よりは余裕持ってやれるようになるだろう。
国が本当に適切に再配置なんてしてくれるのかって?そもそもこの話はただの妄想なのでノーコメントだ。
好き放題言うだけ言ってみたが、もちろんこんなことが実現するわけがない。
テスト実施のコスト、世間の反発、学校現場に与える負の影響(変化を拒むという意味含めて)の大きさ、どれをとっても今の日本で許容できるはずがない。
もちろん自分も許容しない。
私自身や家族、他の教員たちにも生活がかかっているのだから、学校の業務に貢献して給料が貰えるように、粛々と現状の業務を遂行するしかないのである。
よく教員は学問に対して真摯でないと言われることがあるが、それの多くが「本当は真摯にやりたくても、見て見ぬふりをしている」という状況であるのはどうか理解していただきたい。
50を過ぎた頃だろうか、父親がスパイスからカレーを作るようになった。
自営でやっている事業は肉体労働も多く、朝7時頃から夜22時まで働き詰めだったのだが、それでも隙間を見て、なぜかカレーを作り始めたのである。
それまで料理という料理をしたことはない、かろうじてチャーハンくらいなら作れるくらいの、基本的に台所に立つこともなかった人間が。
ギャバンのスパイスを買い込み、肉をホロホロになるまで煮込み始めたのだ。
出来上がった欧風カレーは妙に苦みがあり、美味いとは言い難かったが、本人は満足しているようだった。私たちも付き合いで「美味しい」と言ってはいたので、物を作りたい欲求のようなものはそれなりに満たされたのかもしれない。それにしても美味しくなかった。
まあカレーではなく、蕎麦でも陶芸でもコーヒーでも本当は良かったんだろう。これが片田舎の肉体労働者ではなく都会の高給取りなら、ゴルフとかワインとかヨットだったのかもしれないが、そういう冷静になると少し虚しい道楽を求めてしまうのが中年期というものなんだろう。
それにしてもなぜ「カレーを作ろう」と思い立ったのか本当に謎だ。雑誌をよく読む人だったので、dancyuにでも影響されたんだろうか。