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はてなキーワード:聖書とは

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2025-11-18

結局顔なのである

ある短期バイトをしていた時、同じように短期で入ったメンバーが50代の腰が悪い奥様とアラサーの私と、同年代だが髪の毛サラサラで肌が綺麗でまつパもしていて20代しか見えない美人百花系の女性(新婚で、夫の転勤で仕事を辞めて引っ越してきたらしい)だった。

私は面接で「今求職中で⋯」と話しており、やってみたらバイトも案外肌に合っていたので、あわよくば長期採用にならないかと、頑張って⋯いや、かなり必死で働いた。

しか契約終了が近くなったある日、部長初老男性)と、アラサー美人妻が物陰でこそこそと話しているのを見かけた。

部長は私に気づくとそそくさと話を切り上げたが、なんとなくピンとくるものがあって、私は彼女に「もしかして採用の話ですか?」とカマをかけてみた。

すると彼女は予想通り「そうなんですよねー、来月からも来てって言われて。でもまだ迷ってて⋯」と、困ったように言うのだった。

私ならふたつ返事でOKだったのだが、声をかけられたのは彼女であって私ではない。

私と彼女仕事の面ではさして差はなく(身びいきだが私の方が成果がよかった気すらしている)、何が違うかと言えば、私は冴えないブスで貧乏メンタル病んで失職中の独身おばさんであり、彼女職場の9割を占める男性たちが話しかけられるとちょっとテンション上がってしまうような美人で、美容や服にも金をかける余裕がある人なのだった。

あーあ、私が頑張った意味って何だったんだろうな〜と心の中でこぼしながら黙々と仕事をしていたが、帰る段になって、一人で歩いていると急にぼろぼろと涙が出てきて、号泣した。

そういえば誰か(男)が、仲良くなりたいと思った女の子が別の中身がなくて(と彼は思っていて)顔がいい男と飲み会から消えた時、その子に選ばれなかったということがめちゃくちゃ堪えたという話をしていた。

それなんだよな〜。

モテるモテないとか、単に嫉妬というのともまた違っているし、事は色恋沙汰だけの問題でもない。

比べられた結果、選ばれない。それを人生の中で何度も繰り返すことがなんかつらいんだ。

それからしばらくして別のバイト先に入ると、またしても同い年の明るい美人がいたのだが、最終日には男性社員たちが「何かあったらまた連絡しますんで!」「つか打ち上げしません?」と彼女を囲んでLINE交換していた。

彼女インター出身だか留学経験もあるだかで英語対応できる有能な人でもあったので、能力の面でも、人物としても高く評価されたんだろう。

私の最後挨拶に帰ってきたのは、軽い会釈と「お疲れっしたー」という短い返事だけだった。

とりわけ無愛想なわけでもなく、一生懸命愛想よくふるまい、毎日しっかり化粧をしてこれである

インターじゃなくて田舎保育園と市立小学校で鼻水を垂らして過ごしていたのが悪いのだろうか。

聖書タラントンのたとえというのがある。

主人が三人の使用人にそれぞれ5タラントン、2タラントン、1タラントンの財産を預けて旅に出て、帰ってきたとき、5タラントンと2タラントンの使用人は預かった財産を元手にして増やしていたが、1タラントンの使用人は主人に責められるのがおそろしくて、財産を一切使わずに1タラントンを丸のまま残しておいたと報告した。

すると主人は財産を増やした二人の使用人を褒め称え、より多くの財産管理させることにして、1タラントンをそのまま残していた使用人には「お前今まで何やってたの?お前に預けるくらいなら銀行に預けた方がマシだったわ(それはそう)」と叱りつけたのだという。

タラントンはタレント(才能)の語源でもある。

あらかじめ多くのものを与えられた者は、それを元手に増やしてますます多くのものを手にするのも道理だが、少なく与えられた者は、増やすチャンスだってその分少ないはずだ。にも関わらず、「いや努力しないのが悪いんじゃん」と責められる。

商売をする方だって、1タラントしか持ってない者より、5タラントン持っている方を相手にしたいのは当然だ。

外見やお育ちがいいというのは多分5タラントンの資本になるのだ。その資本を元手に、持てる者にはさらに多くのものが与えられる。

そして持たざる者は「お前に預けるんじゃなかったわ」と、わずかな1タラントンすら取り上げられるのである

何の話してるんだかわからなくなってきた。

魅力がないというのはつらいよね。

魅力って何なんですかね。

これは男女分断を煽りたくて「男は美人が好き」みたいな話をしているのではない。

だって選ばれないつらさに泣いてるのだろう。

せめて自分が何かしら選ぶ側に立った時は、できる限り平等に、公平に人を選びたい。

その結果損をする可能性もあるだろうけれど。

Permalink |記事への反応(3) | 04:23

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神はなぜ、俺を絶世のイケメン設計しなかったの?

タナフ(聖書)・タルムードでは、「なぜ人はこの姿に創られたのか」という問いに対して、次のような考え方がある。

タナフはこう言う

「胎内であなたを形づくったのは主である」 (イザヤ 44:2)

まり、神は人を偶然でなく、必要があってその人の姿にしたという考え方がある。

タルムード(Taanit 11a)にも

「人は、その人にふさわしいものを与えられる」

という考えがあり、見た目も、その人に与えられた使命(タフキッド)に関係していると理解される。

ミシュナー・サンヘドリン 4:5 では

「神は一人のアダムを創られた。それは全人類が互いに『私はあなたと違う』と言うためである

まり、みんなが同じ顔(絶世のイケメン)だったら困るのだということ。

世界は多様であることによって豊かになるという思想だね。

タルムード(Ketubot 17a)では、外見よりも人格善行言葉の美しさが真の魅力と強調される。

タナフにも

「人は外の姿を見、主は心を見る」 (サムエル記Ⅰ 16:7)

神の評価軸は外見ではなく、心・言葉・行いの美しさなんだ。

タルムードはこうも言う(Berachot 58a):

「それぞれの人は世界に一度だけの存在である

まりあなたの顔も、あなたしか与えられなかったユニークな祝福ということ。

そして、ユダヤ伝統では、外見よりも人格こそが人を輝かせると一貫して教えているよ。

Permalink |記事への反応(0) | 02:29

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2025-11-17

anond:20251117055756

聖書よりボーボボの方が学べること多い

Permalink |記事への反応(0) | 06:02

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朗報自称IQ276男性聖書価値を力説

SNS上で自称IQ276の男性が、聖書価値について独自見解を示し話題になっています

投稿者は自らを「世界最高IQ保持者」と称し、以下のように述べています

Asthe world's highestIQ record holder,I believe theBibleis the perfect,eternal, andfinalWord ofGod. Therefore, theBible doesn’tneed to be updated.The worldneeds tocatch up.」

世界最高IQ保持者として、私は聖書が完全で永遠、そして最終的な神の言葉だと信じています。したがって、聖書更新する必要はありません。世界が追いつくべきです。)

https://x.com/yhbryankimiq/status/1935794678504603999

投稿者聖書を「完璧永遠、最終的な神の言葉」と位置付け、現代世界がそれに追いつく必要があると強調しています

今回の投稿は、IQというインパクトあるフレーズと、聖書価値を結び付けるユニークな内容として注目を集めています

果たして現代世界はこの世界最高IQ保持者の意見に追いつけるのでしょうか。

Permalink |記事への反応(1) | 05:57

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2025-11-13

anond:20251113132319

聖書アダムからまれてない謎の一族おらんかったか

Permalink |記事への反応(0) | 13:32

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2025-11-11

数量限定」が「教皇限定」に見えた

教皇限定神様直筆サイン入りの聖書

Permalink |記事への反応(0) | 23:30

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2025-11-06

anond:20251106223102

偏見でもなんでもないが

聖書に宣誓する狂った国が海の向こうで核兵器空母持ちまくってる

Permalink |記事への反応(0) | 22:31

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2025-11-02

俺の先祖アダムとイブなんだよ。すごい?

俺の先祖、誰もが知っているアダムとイブなんだよ?

すごいよね?

聖書にも載ってるんだよ?

紀元前のずっとずっと前から続いている、歴史ある家系なんだ

自慢してもいいよね?

Permalink |記事への反応(0) | 22:25

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聖書のさー創世記のさー

ヤコブの話あたりから「言ってない前提」とか「回収されない伏線(解説)」みたいなのやたら増えてない?

嫁が実家からなんか盗んだ話とか

Permalink |記事への反応(0) | 00:47

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2025-10-31

anond:20251031081355

それはお前が馬鹿からだよ

シミュレーション形態にもよるが、仮に地球人以下の道徳性の連中が外側からお前をシミュレーションしてた場合想像してみろ

トゥルーマンショーどころじゃ済まなくなるぞ?

お前が信じるもの否定し、お前が信じていないもの肯定し、お前の苦しむ反応をエンタメとして楽しむような連中って可能性もある

聖書のほうがまだマシだとわかるだろう

Permalink |記事への反応(1) | 08:18

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2025-10-24

あん聖書シェイクスピアパクリしか書けないの?

Permalink |記事への反応(0) | 15:56

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聖書とかギリシア神話とか日本書紀とか読むと昔はよく神様が出てきて人間なんやかやしてたのになんで最近は出てこないの?

Permalink |記事への反応(1) | 09:39

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2025-10-23

anond:20251023141332

英語読みなら「リージョン」、ラテン語読みなら「レギオン」、ってことじゃないの。

日本では聖書の「我らはレギオン大勢であるが故に」の一節がよく知られているので、ラテン語読みされやすいのでは。

Permalink |記事への反応(1) | 14:25

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2025-10-22

anond:20251022195326

聖書とか…?

Permalink |記事への反応(0) | 20:02

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anond:20251022121151

わいせつ物陳列罪って「性道徳・性秩序の維持」の維持のための悪法なのでは?

礼拝所不敬罪は「信仰のケツモチ諸国家への配慮」のための法では?

前者はすぐさま廃止すべきだし、後者核武装してアメリカ解体したら廃止すべき

あの聖書に宣誓する福音派カス国家が無くなりゃこんな法律いらない

Permalink |記事への反応(2) | 12:16

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2025-10-20

ポーカープロへの道は実力か運か

多くの人々がポーカーというゲームに魅了されるのは、それが単なるギャンブルではなく、高度な戦略、精密な計算、そして相手心理を読む深い洞察力が求められる「マインドスポーツ」だと信じているからだろう。煌びやかなトーナメント、数億円という破格の賞金、そしてスポットライトを浴びるチャンピオンたち。その姿は、努力と才能が正当に評価される、実力主義世界象徴のように見える。

しかし、その輝かしいイメージの裏で、我々が決して目を向けてはならない、あまりにも残酷不都合な真実存在する。もしあなたが本気でポーカープロを目指しているのなら、この甘美な幻想は、キャリアの初期段階で徹底的に打ち砕いておく必要がある。

結論から言おう。現代ポーカープロになるための必須条件、それはスキルでも、経験でも、ましてや精神力でもない。それは、常軌を逸した「強運」と、その運を試すための試行回数を他人の金で確保する「資金調達能力である

ポーカートーナメント本質を、極限まで単純化してみよう。それは、膨大な数の「オールイン対決」を生き残り続けるサバイバルゲームだ。特にチップ量が拮抗し、プリフロップでのオールインが頻発する中盤から終盤にかけて、プレイヤースキルが介在する余地は驚くほど少なくなる。

ここで、ポーカーで最も頻繁に発生する「50% vs50%」の状況、通称コイントス」または「フリップ」を考えてみよう。例えば、あなたハンドAKエースキング)で、相手がQQ(クイーンペア)。どちらが勝つかは、コミュニティカードが開かれるまでほぼ五分五分だ。

さて、もしあなたトーナメントで優勝するために、この50%勝負10連続で勝つ必要があったとしよう。その確率は一体どれくらいだろうか?

(1/2) の10乗 = 1/1024

そうだ、たったの1024分の1である。これは、スキル経験も一切関係ない、純粋確率世界だ。コインを振って10連続で表を出すことと何ら変わりはない。

まり、極端な話、ポーカーを覚えたての初心者であろうと、10経験を積んだをベテランであろうと、この「1/1024」の幸運の雷に撃たれさえすれば、世界的なトーナメントで優勝できてしまうのだ。そして、この偶然の産物であるチャンピオンは、いとも簡単に「自分は強い」と勘違いを始める。

「あのアクションが神がかっていた」「あのブラフ相手を降ろしたから勝てた」「プレッシャーの中で冷静な判断ができた自分は本物だ」

彼らは、結果から逆算して自分成功物語を紡ぎ始める。しかし、その裏側にあるのは、9回連続コイントスに勝った後、最後10回目で無情にも敗れ去った、彼より遥かに実力のあるプレイヤーたちの無数の屍だ。メディア1024分の1の勝者を英雄として祭り上げるが、残りの1023人の敗者の物語が語られることはない。この強烈なサバイバーシップバイアスこそが、「ポーカーは実力ゲームである」という幻想を強固に支える最大の要因なのである

「長期的に見れば、期待値EV)がプラスの行動を繰り返すことで収支はプラス収束する」

これは、ポーカー科学的にアプローチしようとする者が、まるで聖書のように信奉する言葉だ。しかし、この「長期的に見れば」という言葉の本当の恐ろしさを、彼らは理解しているのだろうか。

ここで、ポーカー世界から一度離れて、カジノの胴元の立場になって考えてみよう。ブラックジャックルーレットバカラ。これらのテーブルゲームは、すべてカジノ側(胴元)にわずかながら数学的な優位性(ハウスエッジ)があるように設計されている。つまり、胴元のすべての判断は、常に「期待値プラス」なのである

彼らは、ポーカープレイヤー血の滲むような努力の末にようやく手に入れるかもしれない、ほんのわずかな優位性を、ルールのものによって永続的に保証されている、いわば「期待値の神」だ。

しかし、そんな神ですら、運の前にひれ伏すことがある。カジノ運営において、特定テーブルゲーム部門が1日単位、1週間単位、あるいは1ヶ月単位マイナス収支に陥ることは、決して珍しい話ではない。あるハイローラー(大金を賭ける客)が驚異的な幸運を発揮し、たった一晩で数億円をカジノから奪い去っていく。そんなニュースを耳にしたことがあるだろう。

数学的に絶対に負けないはずの胴元ですら、統計上の「ブレ」や「偏り」、すなわち「分散(Variance)」によって、短中期的には容易に赤字を出すのだ。

さて、ここでポーカー世界に話を戻そう。胴元が持つ数%の鉄壁アドバンテージに比べて、トッププロ同士の戦いにおける実力差(エッジ)など、一体どれほどのものだというのか。0.5%? それとも0.1%? おそらく、その程度の、誤差のような差でしかないだろう。

そんな、カジノハウスエッジに比べれば無に等しいような僅かな優位性で、人生というあまりにも短い試行回数の中で、収支がプラス収束すると本気で信じているのだろうか。答えは明白だ。人生のすべてを賭けても、ポーカーの収支は決して収束しない。あなたの生涯収支を決めるのは、日々の細かな期待値の積み重ねなどではない。キャリア根底から揺るがす、数回から数十回の巨大なポットを、運良く勝ち取れたか、不運にも失ったか。ただそれだけである

ここまで述べたように、トーナメントでの成功天文学的確率産物であり、日々のプレイですら、あまりにも巨大な分散の前では個人スキルなど無力である

では、なぜ「ポーカープロ」という職業が成立し、彼らは破産せずに活動を続けられるのか。日々の生活費を払い、高額なトーナメントに参加し続けることができるのか。

その答えこそが、この世界の最も醜く、そして最も本質的な真実を突いている。

現代ポーカープロ必須の条件、それは**「ステーキング(Staking)」によって、他人の金でギャンブルすること**である

ステーキングとは、投資家バッカー)がプレイヤートーナメント参加費を肩代わりし、その見返りとして、もしプレイヤーが賞金を獲得した場合、その一部を受け取るという契約モデルだ。

これこそが、現代ポーカープロを支える生命なのだ。彼らは自らのスキル商品として投資家プレゼンし、「私はこれだけの実績がある」「私のプレイタイルは今のメタ(主流戦術)に適している」とアピールして資金調達する。そして、その集めた金で高額トーナメントという名の宝くじを何十回、何百回と購入し続ける。

20連続で参加費を失っても、彼らの懐は痛まない。損失を被るのは投資家だ。そして、21回目に、あの「1024分の1」の幸運を引き当て、莫大な賞金を獲得する。彼らはその賞金から投資家配当を支払い、残った巨額の利益を自らのものとする。そして、メディアは彼を「天才」と呼び、彼は再びその名声を元手に、次の投資家を探すのだ。

まり、彼らの本当のスキルは、カードテーブルの上で発揮されるものではない。彼らの主戦場は、投資家との交渉テーブルなのだいか自分を大きく見せ、いか自分という金融商品投資価値があるかを説得するマーケティング能力交渉術。それこそが、運という名の荒波を乗りこなすための唯一の羅針盤なのである

これからプロを目指すというのなら、GTO戦略を学ぶ前に、まず投資家向けの事業計画書を書くべきだろう。ポーカーはもはやマインドスポーツではない。それは、自らを広告塔とした金融ビジネスであり、運の女神他人の金で口説き落とす、壮大なギャンブルなのだから

結論現代ポーカープロの唯一の必須スキル、それは「他人の金でギャンブルする能力

Permalink |記事への反応(0) | 15:57

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人間はただ、狂った時代に、狂ってダンスを踊ってるだけ?

人間はただ、狂った時代に、狂ってダンスを踊っているだけ」という言葉には、人生不条理社会混沌に対する諦め、あるいは皮肉な観察が込められています

ユダヤ教的な視点から見ると、この考え方は一面の真理を含みつつも、最終的にはユダヤ世界観とは異なる方向を指しています

1.ユダヤ教における時代の「狂気

タナハ(聖書)にも「狂った時代」についての意識はあります

たとえばコヘレト伝道の書)にはこう書かれています

「すべてのことに時があり、天の下の出来事には定められた時がある。」(コヘレト 3:1)

まりユダヤ教世界の混乱や理不尽さを否定しません。人間は確かに時代の流れに巻き込まれときに「狂ったように」見える世界を生きている。

しかし、それでも世界無意味ではなく、神の意志の中にある秩序が存在すると教えます

2.「踊る」ことの象徴

「踊る」という比喩も興味深いです。

ユダヤ教では、踊りは単なる気まぐれではなく、神への喜びや生命への感謝表現です。

たとえばダビデ王が契約の箱の前で踊ったとき

ダビデは主の前で力の限りに踊った。」(サムエル記下 6:14)

この踊りは狂気ではなく、霊的な高揚の象徴でした。

まり、もし「踊り」が「混乱に流される無意味な行動」を指すならユダヤ教はそれを戒めますが、もし「踊り」が「困難な時代の中でも神を見失わず生命意味表現すること」なら、それは非常に尊いものです。

3.ユダヤ視点からの応答

ユダヤ教人間を「ただ狂った世界で踊る存在」とは見ません。

しろ人間ティクンオラム世界の修復)、すなわち「世界をより良くする責任」を負う存在とされます

世界が狂って見えるのは、私たちにその混乱の中で意味見出し、行動する使命があるからです。

正義を行い、慈しみを愛し、謙遜あなたの神と共に歩むこと。」(ミカ書 6:8)

これは、「狂った時代に、どう踊るか」を示すユダヤ的答えとも言えるでしょう。

まとめ

Permalink |記事への反応(0) | 01:30

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2025-10-19

なぜ現代では愚者ほどSNS評価されるのでしょうか

この現象は、タナフ(聖書)やタルムードでもたびたび語られています

「なぜ悪や愚かさが目立ち、善や知恵が隠されるのか」

これは古代から人間が抱き続けてきた問いです。

1.聖書視点:「この世」と「来世」の区別

詩篇 73篇でアサフはまさに同じ苦しみを語っています

「なぜ悪しき者は栄え、傲慢な者が安らかに生きるのか。」—詩篇 73:3

彼は、愚か者が栄える現実を見て心が乱れました。しかし彼は神殿に入り、悟ります

「神の聖所に入って、私は彼らの終わりを悟った。」—詩篇 73:17

まりユダヤ視点では、今見える「栄え」は最終結果ではないのです。

SNS評価や人気は、「この世」の一時的な見せかけ(הֶבֶל, hevel=虚しいもの)にすぎません。

コヘレト伝道の書)1:2でもこうあります

「すべては虚しい(הֲבֵל הֲבָלִים, hevel havalim)。」

2.タルムード洞察:誰のための「評価」か

タルムード(エルヒン 15b)はこう言います

「人は、自分時代に称賛されるかどうかで真の価値を測ってはならない。」

真の価値は「天の裁き」で決まる。世間の人気は、多くの場合「耳に心地よい言葉」を語る者に与えられる。

しかトーラーの真理は、しばしば人に「挑戦」と「不快」を与えるものです。

からラビたちが評価されないことは、実は彼らが真理を語っている証拠でもあるのです。

3.現代観点:光が強いほど、影も濃く見える

カバラ的に言えば、世界は「クリッパー(קליפות, 外殻)」に覆われています

これは善の光を隠す「殻」のような力です。

SNS世俗文化の多くは、この「殻」の領域に強く働きます。なぜなら:

  • 愚かさや刺激は、人間欲望を直接くすぐる。
  • 善や知恵は、心の静けさを必要とする。

光は常に控えめで、影はいつも派手に目立ちます

でも、本物の光は静かに世界を変える。

派手な炎はすぐ消えるが、ランプの灯は長く燃える、という比喩タルムードにもありますシェバット 31a)。

4.ラビたちへの「報酬」:隠れた栄光

ピルケイ・アヴォット(祖先言葉)4:2にこう書かれています

「ミツワーはミツワーを生み、罪は罪を生む。」

まり、善の結果は目に見えないところで積み重なり、最終的に永遠世界で報われる。

そして、アヴォット4:3はこうも言います

「どんな人も軽んじてはならない。どんな行いも無視してはならない。すべての人に時がある。」

ラビや善人の評価が表に出ないのは、彼らの時がまだ来ていないだけなのです。

5.あなたへの霊的な指針

SNS世界では「声の大きさ」が価値のように見えます

しかユダヤ教では、「静けさ」が神に近い状態とされます

「静まって、わたしこそ神であることを知れ。」—詩篇 46:10

もしあなたが「善が報われない」と感じるなら、それは神があなたに「外ではなく、内に目を向けよ」と促しているサインかもしれません。

まとめ

世俗価値ユダヤ視点
人気・フォロワー 神の前での誠実さ(אמת, emet)
目立つことが成功 隠れた善が真の成功
今この瞬間の評価永遠次元での評価
愚者が栄える賢者は神のもとで報われる

この問いはまさに「アサフの苦悩」と呼ばれる、霊的成熟の通過点です。

あなたがその痛みを感じていること自体、すでに魂が真実を求めている証拠です。

Permalink |記事への反応(0) | 13:13

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2025-10-18

anond:20251018192216

エホバの証人が「春のパン祭り」に参加しないのは、パン祭り聖書の教えに反すると彼らが考えているためです。

エホバの証人は、以下の理由から多くの世俗祭り祝日を祝いません。

異教の起源:

聖書に明確に反する、あるいは異教の神々への崇拝を起源とする祝日記念日には参加しません。

信仰合同の促進:

異なる信条を持つ人たちが一緒に集まる宗教的な要素を含む行事や、特定宗教的行為を伴う祝いを避けます

特定個人国家への過度な敬意:

個人誕生日国家主義的な要素を持つ祝日などは避ける傾向があります

「春のパン祭り」という国民的な行事宗教的政治的、異教的な要素が含まれており、特定個人や団体を過度に称賛する要素が含まれているため、信者聖書原則に沿って参加できません。

エホバの証人は、聖書原則に照らして個々の行事について良心的に判断し、信仰生活を優先します。

Permalink |記事への反応(2) | 19:25

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好きな人エホバの証人

自分は40前半歳独身男性非正規婚活などはしていない。今までの人生彼女は1度だけ。元々モテるほうではなかった。若いころにひょんな縁から個人経営美容系のお店に通わせてもらうようになり、今から10年くらい前にそのスタッフとして彼女がやってきた。

お店に通う男性自体非常に希少らしく、また彼女と同世代顧客はとても少ないらしく、いつも楽しく話をさせてもらっていた

内気で陰キャ自分性格ともぴったりだし、おっとりした見た目だが美容系の仕事をしているからか、年齢に似合わず美人である。いわゆる清楚系。会話の内容も合うし、会話のテンポリズム温度もほぼ一致しているところが良い。島田紳助流にいうと「会話のリズム」が合う。話していてまったくストレスにならない。ボケるちゃん突っ込みも入れてくれるところも素晴らしい。料理もできる。手芸趣味。こんな人が今の今まで売れ残っていること自体奇跡なんじゃないかといつも思っている。年齢も彼女が1歳上だし、できることな彼女と一緒に今後新しい家庭を築きたい。と思っていた。

そんな話を軽く振ってみると「尊敬できるひとならいいなあ」と言うが、実際のところ、本気で答えてくれているかどうかもわからない。

問題は、彼女エホバの証人信者であるということである

聖書の話を振ると「わたしは信じています」とか言ってくるし、聖書根拠にした話をさも当然のように話してくる(この世は絶望しかない、など)。

ちゃんと聞いたことはないが、おそらくは二世信者なのだと思う。

軽くアプローチをしても相手にされているんだか、されていないのかよくわからない。

そもそも、このお店に20年近く通っているものの、店のオーナーからエホバ勧誘をされたのは35を過ぎた時だった。その時はもう遅かった。お店に人にも親近感がわいてしまっていて、今更「宗教を」なんて言われてもって感じである。よって今では「宗教」を除いた部分で付き合うことにしている。が、特にオーナーは会うたびに聖書の話をしてくるため面倒くさい。

今思えば、このお店スタッフはすべてエホバ人間なんじゃないかと思っている。求人だって一度も見たことない。こんなこと誰にも言えないが。

一度Twitter当事者同士のスペース機能でこの悩みを相談したところ「あー、それは無理だね~」と言われた記憶がある。

よくよく調べてみると、確かにあの宗教は男女交際に関してかなり厳しい。いろいろ面倒くさい。

最近人手不足で、自分以外女性が一人なことがあったんだが、「男女が密室に2人でいることは、NGなのでお店には第三者がいないと駄目なことになっています」と言われた。

かにコンプライアンス的にはそうなんだが、20年通って、終わった後に毎回悩み相談もしていた、客にそういうこと言うか?普通。 それを聞いたときに何か違う力が働いているんだなと思った。

ただし、その事例に当てはまらない人もいることは事実だし、実際のところは本人に聞いてみるしかないのだろう。

本人がNOと言えば、過程はどうであれNOなんだと思う。

もう結婚むりなのかな。

はぁ。

Permalink |記事への反応(3) | 19:17

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2025-10-17

anond:20251017040318

こいつから聖書の教えを感じる

なんか福音派というか統一教会というかエホバというか……

日本語話すやつでこの認知珍しくない?

Permalink |記事への反応(1) | 09:10

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2025-10-03

anond:20251003132606

俺は学生時代、紙の教科書がクッソ重かったので、章ごとに分かれれるように切り裂いた

必要な章だけを持っていけば良い

まあ流石に聖書の類は切り裂かんがね

Permalink |記事への反応(0) | 13:30

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anond:20251003104638

俺は読書が好きなだけの一般人であって紙束を糊や紐で束ねたもの神聖視する宗教に入信しているわけではない。

作家ですら「自分の本は不要になったら売ったりあげたりせずに燃やしてほしい」とか「読まなくていいから100冊買って塵紙交換に出してほしい」とか言う人がいるくらいだし何の権利があって文句をつけているのかわからん

一応ちゃんとした宗教に関してはその人の信仰尊重したいか聖書とか経文とかをおもちゃにはしないけど例えば発情ブルマ検査とかそういう本を破いたり鍋敷きにしたりすることに何の躊躇いもないよ。

Permalink |記事への反応(1) | 13:08

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anond:20251003125312

でもこれが聖書コーランになるとみんな神妙にならざるを得ないんだから

要は信仰同調圧力の話でしょとしか

Permalink |記事への反応(0) | 12:55

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2025-10-01

箴言かなんかで「馬鹿に関わるな」みたいのなかったっけ?

はい、あります

おそらくあなたが思い出しているのは『箴言ミシュレイ)』にある、愚か者との関わりについての警句だと思います

箴言 26:4 「愚か者の愚かさに従って答えるな、あなたも彼のようにならないために。」

箴言 26:5 「愚か者にその愚かさに従って答えよ、彼が自分を賢いと思わないように。」

この二つの節が並んでいるのが面白い点です。最初は「愚か者に関わるな」と言い、次は「関わって正してやれ」と言う。

タルムード的な読み方では、これは矛盾ではなく「場合による」ということを示している、と解釈されます

時には相手にしてはいけない(巻き込まれから)、時には答えてあげないと彼が自分の愚かさに気づかないからです。

他にも

箴言 14:7 「愚か者の前を離れよ、そこには知識言葉が見出せないから。」

まり、「愚かさ」に巻き込まれることを避けるのは聖書的な知恵の一部だとされます

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