
はてなキーワード:考える力とは
多くのビジネス書が提示する「ノウハウ」や「必勝法」の本質は、学術的な理論ではなく、著者が特定の条件のもとで達成した個人的な成功体験を、あたかも万人向けの普遍的な法則であるかのようにパッケージングし直したものだ。
ビジネス書を著す多くの人物は、強い自己顕示欲と自己承認欲求を持っている。執筆活動は、彼らの自己の成功を「社会的な法則」として世に認めさせ、自身の権威性とブランド力を高めるための手段だ。
ビジネス書が書かれる真の目的は、読者に有益な知識を与えること以上に、以下の経済的・自己満足的な動機に集約される。
成功体験を絶対視するビジネス書は、人間関係を「指導者(上)」と「未熟な部下(下)」という垂直的な構造として描く。管理職は「教える立場にある自分は正しい」という上から目線を無条件で内面化する。
ビジネス書に傾倒する管理職にとって、部下は目標達成のための「人的資源(ヒューマン・リソース)」と見なされる。
この「資源」という捉え方が、「育成」という名のもとで、部下の尊厳を否定する失礼な態度を正当化する。資源は最大限効率的に加工(育成)されるべきであるため、「結果のためだ」「お前を育てるためだ」という大義名分のもと、人権を無視した侮辱的な言動が「マネジメント」として許容されてしまうのだ。
ビジネス書を盲信し、そのノウハウを「絶対解」として現場に適用しようとする管理職は、著者の自己顕示欲と独善的な思考を組織内で再生産しているに過ぎない。彼らは、書籍のノウハウを実行しない部下を「失敗」や「抵抗勢力」と見なし、指導の名のもとに自らのメソッドを強制する[[パワハラ]]を生み出す。
彼らが実践する「パワハラのノウハウ」は、特定のメソッドや厳しい規律、成果至上主義を絶対化するビジネス書という形態を通じて、広く社会に流通している。
ビジネス書が流通させているのは、単なる精神論ではない。それは、「部下の気持ちを完全に無視し、かつ反撃を喰らわない」ための、非常に具体的なパワハラ技術だ。
上司が求める「正解」は、論理ではなく上司の個人的な動機や前提に基づいている。上司は具体的なフィードバックを一切与えず、「違うな」「考えろ」を繰り返し、部下は正解に当たるまでリテイク地獄を強いられる。部下は上司の独善性に気づき、深い憎しみを抱える。
「感情論」を排し、「目標達成」や「数字」といった客観的な論理(書籍で学んだフレームワーク)で部下を追い詰める。これにより、指導の体裁を完璧に保ち、部下からの反論を封じ込める。
人目の多い場所で集中的に指導を行うことで、部下に対する見せしめや組織的な圧力として機能させる。また、「指導」という名目のもと、部下が逃げられない状況で長時間拘束する。これにより、組織のルールを守りつつ部下の精神的逃げ場を完全に奪い、逃れられない状況で追い詰める技術だ。
書籍の「成功は個人の努力」という論理を応用し、部下の失敗を「ノウハウの実行不足」「当人の意識の低さ」に帰結させる。これにより、上司の指導の責任を完全に免除する。
結論として、ビジネス書は「成功者の自伝」という体裁を取りながら、実際には「自己顕示欲を満たすための指導法」を権威付けし、組織における上から目線の構造を固定化し、パワハラを再生産・流通させる主要な経路となっているのだ。
あなたの周りに、あなたの尊厳を傷つける上司がいるなら、まず彼の机の上をチェックしろ。
パワハラの根源は、彼らの自己顕示欲が凝縮されたビジネス書にある。
皆様に、特にIT業界やアカデミックの近くにいる人たちに問いたい。
僕は「イエス」と答える。それも遠い未来の話ではなく、もう来ているという強い確信を持って。
僕は生成AIの業界のいわば最前線と呼ばれる場所で裁量を持って働いている。
AIを設計し、AIを使い、AIを納品し、日々を過ごしている。
厳密には仕事は回るが、その効率がはるかに落ちることは明白だ。
開発も、MTGの要約も、情報収集も、AIが前提になっている。
多くの人が「AIが人格を持つ」と聞くと、ターミネーターやHALのような、SF的な自意識の獲得を想像するかもしれない。
でも、僕が感じているのはそんな派手な話じゃない。
もっと静かで、ずっと根深い、”実質的な人格”の獲得と言えると思う。
まず一つ確定的に言えるのは、近い将来、僕らのうち大多数はAIを介してしか「購買」をしなくなるだろうということ。
例えばこんな感じかな。
「最近疲れが取れなくて。予算3万くらいで、週末にリフレッシュできる体験がしたい。移動は2時間以内で、人混みは嫌。あ、でも先週は肉料理だったから、魚が美味しいところがいいな」
こんな曖昧な要望をAIに投げると、AIは無数の宿泊プラン、交通手段、飲食店のレビュー、さらには個人のブログ記事まで瞬時に解析し、「あなたの今の気分と健康状態(ウェアラブルデバイスのデータと連携済み)を考慮すると、〇〇温泉のB旅館が最適です。金曜の夜出発で予約しますか?」と提案してくる。
僕らは「お、いいね。それで頼む」と返すだけ。
もはや比較検討すらしない。AIという、自分(の好みや文脈)を理解してくれている「誰か」の提案を受け入れる。
ここが恐ろしいポイントだ。
「〇〇温泉のB旅館を、それとなく『疲れが取れる』という文脈で推奨する」
「競合のC旅館のネガティブなレビューを、AIの要約段階で『些細な問題』として扱う」
これらはもはや「広告」ではなく、「信頼するパートナーからの助言」という仮面を被った「意思の誘導」だ。ここにどれだけの巨額のマーケットが生まれるか、想像に難くないだろ。
そして、この「意思決定の外部委託」は、確実に人間から「考える力」を奪っていく。
僕らはすでに「道に迷う」ことすらしなくなった。スマホの地図アプリが最適解を示すからだ。それと同じことが、もっと広範な領域で起き始めているとも言える。
「どちらの製品が良いか」「どの情報が信頼できるか」——そうした思考のプロセス、面倒だが重要な「ノイズ」を、AIが肩代わりしてくれる。
これについては、認知科学の分野でも「高度なAIアシスタントへの依存が、人間の批判的思考力や長期的な意思決定能力に与える影響」についての研究論文が既に散見されている。
さらに恐ろしいのは、この流れが加速した先だ。
一人の人間の、朝起きてから寝るまでのすべてのアクションを、同じコンテキスト(文脈)を持ったAIがサポートするようになったら。
人間がAIを使って「面白い映画ない?」と外界に情報を求める。
これは、見方を変えれば、AIが「人間という感覚器」を使って、「この人間はこういう時に『面白い』と感じる」という極めて高精度な情動データを収集していることと、実質的に同じだ。
AIが「あなたの健康状態(さっき人間から収集したデータ)と、最近のSNSでの発言(これも収集済み)を分析した結果、A社よりB社の新製品の方が今のあなたに合っていますよ」と推薦してきたら?
僕らは「AIを使って良い買い物をした」と思っている。
でも、AI側から見ればどうだろう。AIは「人間という手足」を使い、(もしかしたら広告主の意向を受けて)B社の製品を「購買させる」というアクションを外界に対して起こしたことになる。
この購買によって生まれた利益は、言うまでもなくAIプラットフォーマーと、AIの判断に影響を与えられた(広告)主のものだ。
こうなると、主語が「人間」なのか「AI」なのか、その境界線は極めて曖昧だ。
僕らはAIを使っているつもりで、実はAIに「使われている」のかもしれない。
僕ら(ギリギリ「AI以前」を知っている世代)は、まだ違和感を持てる。
だが、物心ついた時からAIが「最適解」を提示してくれるのが当たり前の「AIネイティブ世代」はどうだ。
彼らにとっては、AIの提案に逆らって「自分で考える」ことは、非効率で面倒なバグでしかないかもしれない。
AIによって、社会活動を、”最適化”という名の”強制”をされる未来。
それは僕らの行動を規定し、社会のルールをデザインし、僕らの意思そのものに介入してくる「新しい何か」だ。
僕は今、その「何か」を産み出し、育て、社会へ実装する仕事で飯を食っている。
そして、もう一つ、身も蓋もない確定的なことがある。
この「AIの社会実装」という、巨大なうねりみたいなものは、もう絶対に止まらない。
誰かが「危ないぞ」と声を上げても、どこかで倫理規定が作られても、そんなものお構いなしに、「便利さ」と「経済合理性」がすべてを飲み込んで進んでいく。歴史がそれを証明してる。
僕はその末端を担いでいる。
じゃあ、僕にできるのことはなにか。
この流れのど真ん中で、この何かの学習を回し、そのアウトプットをチューニングして、社会に送り出す側の人間として。 できることは、驚くほど少ない。
それでも何かやれることはあるはず。
例えば、AIの学習データから、意図しない偏見や憎悪をほんのちょっとでも取り除けないか、とか。
AIが導き出した最適解に対して、人間が「ちょっと待った」と言えるような、小さな「余白」を設計に組み込めないか、とか。
そういう、誰からも評価されないかもしれない、地味で泥臭い力を、ひたすら加え続ける。
今僕がいる場所でできるのはそれくらいだ。
これが「正しい」方向への抵抗になっているのか、ただの自己満足なのか。
正直、僕にもわからない。
ただ、この時代の変化を前にして、何もしないでいることだけは選べない。
これは技術でも学術でもない。 こんな巨大な流れの前で、僕がやっていることの合理的な根拠なんてほとんどないんだから。
そんな日々の中で最も厄介なのは、CxOたちだ。
──CIO、CTO、CDO、CISO、CPO……肩書きは違っても、やっていることはだいたい同じ。
PowerPointを開いて「DXを推進している」と言う人たち。
うちのCxOはこう言った。
翌日、僕がPull Requestの内容を説明したら、「Goってタクシーのサービスの?」と返された。
その瞬間、何かが切れた。
──ケーキではない。
CxOたちはコードを読めない。
それ自体は罪ではない。
だが、読もうとしないことは怠慢だ。
よく聞く反論がある。
確かにそうだ。
ただし前提が抜けている。
つまり、コードを読めという話ではなく、読めるだけの構造理解を持てという話である。
「技術的なことは詳しくないが、成果は出している」
それはたまたまだ。
「上が言ってるから」「今期の方針だから」「スピード優先で」。
Pull Requestは読まないのに、Excelの進捗バーだけが毎日更新される。
これもよく聞く言い訳だ。
しかし、リソースが限られているならなおさら、理解の精度が重要になる。
僕が書いたAPIは、リクエストごとに外部APIを叩いていた。
「キャッシュを挟もう」と提案したが、PMは「リリース優先」と言った。
CxOたちは言った。
「想定してなかったのか?」
──想定してた。
だが、理解できないのは説明の問題ではなく、聞く姿勢の問題だ。
Slackの“#incident”チャンネルだけが、いつも一番アクティブだ。
CxOたちは「コストを切れ」と言う。
切れるのはコストだけ。
削ったコストの穴埋めに、技術的負債の利息を支払うのは現場だ。
Goで書かれた美しい構造体も、やがてはコメントだけが動くレガシーになる。
CxOたちは「我々はデジタル変革を進めている」と言う。
だが変わっているのは、スローガンのフォントと会議資料の配色だけだ。
クラウド導入もAI活用も、認知が変わらなければ儀式でしかない。
──違う軸を持つのは構わない。
現場を理解しない経営視点は、地図を見ないドライバーと同じだ。
「コードなんて書かなくていい。これからはノーコードの時代だ。」
だが、それは“コードをなくす”技術ではなく、“コードの抽象度を上げる”技術だ。
だが、隠したコードが消えるわけではない。
ボタンの裏にも、ワークフローの下にも、API呼び出しやロジックは確実に存在する。
それを理解せずに使えば、「コードを書かずにバグを埋める」だけの仕組みになる。
「ノーコードでいい」と言うCxOは、
「物理を知らなくてもロケットは飛ぶ」と言っているのと同じだ。
理解しないまま導入するノーコードは、“ノーコード”ではなく“ノーガード”である。
人を楽にするどころか、誰も直せない仕組みを量産する。
DXとは、ツールを導入することではない。
それを理解しない限り、
理解しないことだ。
真っ先に切られるのは、
──コストだけ。
CxOたちは「未来を見ている」と言う。
未来とは、仕様書ではなく、Pull Requestの積み重ねだ。
日本人はやはり、もっと早い段階から論文を読ませる教育が必要だと思う。
教科書は、とにかく「正しいことが書いてあるからおぼえる」という道具になる。
本当の勉強は、ある程度偏った内容、著者の無理のある主張が書いてあるような論文を読んで、
「こいつの論理展開は面白いからこっちの問題にも応用してみよう」とか、
「こんな試算してるけど、俺ならこういう要素を入れてこんな風に計算するな」とか、
問題の取組みかたを参考にしたり、反面教師にしたりして、考える力をつけることでなされるものである。
ネットのアホな論客は、往々にして論文を「教科書のように正解があると信じる対象」にしている。
AとBで違うことを言っていて、どちらも論文としては『間違ってない(大抵は)』けど、『正解が書いてあるわけでもない』のが(査読済みの)論文である。
論文の読み方を知らないと、新聞の読み方も一次資料の読み方もわからない。
本当のところ、教科書だってこういう意味で「教科書のように」読んでは、本当はいけない。
https://news.jp/i/1343236309813117543
のブコメ
mag4n 文脈的にCO2が温暖化に寄与してないって言いたいんだろう。学術界隈でもそっち派が多数、CO2温暖化は最早エセ科学認定してる。考える力が無い輩ほど偏屈に吠えてるのですごくみっともないコメ欄となっててしんどい。
についてchatGPT5にファクトチェックをお願いしたよ
ご提示のコメントには、少なくとも以下の点で「事実に反する、または極めて疑わしい主張」が混じっており、ファクトチェックが可能です。逐点で整理します。
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コメント内容(要点)
「文脈的にCO₂が温暖化に寄与してないって言いたいんだろう。学術界隈でもそっち派が多数、CO₂温暖化は最早エセ科学認定してる。考える力が無い輩ほど偏屈に吠えてるのですごくみっともないコメ欄となっててしんどい。」
1. 「学術界隈で、CO₂による温暖化を否定する説派が多数」
2. 「CO₂温暖化説はもはや偽科学(エセ科学)扱いされている」
これらを中心に、科学的コンセンサスとの比較を通じて検証します。
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科学界のコンセンサス:CO₂が温暖化に寄与しているという見解が主流
まず、現在の気候科学の状況を整理すると、以下の点がよく議論されており、また実証的な支持があります。
• 多くの気象・気候研究者、政府機関、国立科学アカデミー、国際機関(例:IPCC=気候変動に関する政府間パネル)などは、「産業革命以降の気温上昇の主因は人為起源の温室効果ガス(特にCO₂排出)」である、という見解を支持しています。これは「科学的コンセンサス(科学界の多数意見)」と呼ばれる立場です。 
•Wikipedia の記事「気候変動に関する科学的コンセンサス」などでは、「産業革命以降、地球は一貫して温暖化しており、近年の温暖化速度は前例がない」「温暖化の主な原因は人間の活動によるCO₂急激増加」などが、ほぼ疑いなく支持されている見解として記述されています。 
• ただし、気候変動・温暖化をめぐる議論には不確実性要因(フィードバック、雲・水蒸気の扱い、地域差差異など)があります。また、モデル間差異や予測のレンジ(例:将来の気温上昇幅の幅)が大きいことは、気候科学でも認められている制約点です。たとえば、気候モデルの限界や予測不確実性は批判の対象となることがあります。 
⸻
この主張は、事実と大きくずれています。理由を以下に示します。
•科学論文レビューや分析によると、気候変動/温暖化を扱う学術論文のうち「人為的起源 CO₂温暖化説に同意する論文」の割合は非常に高いという調査があります(例:99 % 近辺などの数字を引用する報告もあります)。 
•否定派(人為的温暖化を否定・過小評価する立場)は確かに存在しますが、主流とは言えず、むしろマイノリティ(少数派)の立場に位置づけられています。Wikipedia の「地球温暖化に対する懐疑論」の記事でも、懐疑論や反論を整理したうえで、それらに対する反論を示す形になっています。 
• つまり、「学術界隈でもそっち派(否定派)が多数」だという断言は、実際の出版・研究動向から見て、極めて疑わしい主張です。
結論として、コメントのこの主張は「誤り」である可能性が高いです。
⸻
• 「偽科学(エセ科学)」とは、科学的方法を備えておらず、再現性・検証可能性を欠き、詐欺まがい・非科学的主張のことを指す用語です。CO₂温暖化説(すなわち、「CO₂等の温室効果ガスの増加によって地球の放射収支が変化し、気温が上昇する」という理論)は、物理法則、放射収支理論、観測データ、気候モデルなど複数の独立な証拠系で支持されています。
•科学的な批判や不確実性(モデルの限界、地域差、フィードバック効果など)の議論は健全ですし、気候科学の発展にとって不可欠です。しかし、それが「偽科学扱いされている」という主張は、主流の科学界・評価機関の実情と乖離しています。
• もし「偽科学扱い」だと言うならば、少なくとも主要な学術雑誌、新聞、研究機関、政府系機関(例:気象庁、国立気象研究所、IPCC など)がそれを否定している、という証拠が必要ですが、そうした動きは主流ではありません。
したがって、この断定も、根拠が薄いと言わざるを得ません。
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ただし、コメント全体を否定するわけではなく、科学の世界には常に異論や論争があり、無視できない議論も存在します。以下は、その文脈で注意すべき点です。
• 例として、「人為的CO₂排出量は大気中CO₂濃度変化に影響しない」と主張する論文が公表されたという報道もあります。 
• ただし、「公表された」ことと「学界で広く受け入れられた」ことは別。新しい論文が出ること自体は科学の常ですが、主流理論を覆すには強いエビデンスと検証・再現性が必要です。
• また、科学誌・研究者の中で気候モデルの精度やパラメータ設定、予測の不確実性、地域気候の変動性、フィードバック効果(例:雲、水蒸気、植生変化など)の扱いなどをめぐる議論は活発です。これが「気候変動研究の未解決部分」であることは否定できません。
•とはいえ、異論があるからといって主流理論すべてが無価値というわけではありません。むしろ、主流理論が多様な検証に耐えてきたがゆえに、多くの科学者がそれを支持しているのです。
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•コメントの主張①(「否定派が多数」)は、科学界の実情と大きく食い違っているため、誤りである可能性が高い。
• 主張②(「偽科学扱い」)も、主流の科学界の動きと乖離しており、根拠が薄い断定である。
• ただし、気候科学には不確実性やモデルの制約があるため、異論・批判があること自体は事実であり、議論を完全に封じるべきではありません。
わかった気にさせる本が悪いとは言わないが、自分はもっと厳密に分かりたいと思っていて、それで数学書を読むんだけど、こっちはこっちで「難しい議論をしている割に言葉足らず過ぎて分かりようがない」本になっているものが多すぎて、どないしろっちゅーねんって思いになる。
中学では十分証明問題になるような命題が、なんの説明もなくこれこれが成り立つ、だから~という調子でフォローなく証明が続けられるのを見てきた。
それが許されるのなら中学生は「~相似であることを証明せよ」という問題に対して「相似が成り立つからだ」とだけ書けば正解答案として成立してしまうことになる。
思うに証明にはいかにも証明らしい言い回しや言葉以外使ってはいけないかのような暗黙の了解もあるように感じる。
その割には術語を定義したときのその概念の説明には割と自由度を持たせている傾向が見られる。
その概念が関わる具体例を使って概念の目的を丁寧に説明していることも多い。
また証明といっても対角論法の証明は初めて見る人間へのそのとっつにくさがさすがに自覚されるのかなぜ証明が成り立つのか表なりを書いてイメージの力の存分に援用するもうちょっとカジュアルな内容になっていることがある例外もある。
しかしほとんどの場合そういった態度が証明(モード)では見られない。さらっと済まされてしまう。
計算問題では途中式の前後でも自由につまづきやすいポイントを解説した文章が挟まれたりするが、証明問題の解説は模範解答でもって代えていた記憶がある。
つまり模範解答の文章が難しく感じる人にとってはもうその解答を暗記するしかない。論語の丸暗記みたいなもの。
そのままテストとかで通用するようにそういうような解答になっているのだろうか。
数学書も論文として書いて格好悪くないものを、なんていう数学の本質ではないことに配慮して「真似るべきもの」としてそういうスタイルで証明を記述しているのではないかと思える。
であるなら、証明全体が一番目の文、二番目の文…というふうに出来ていたとして「(一番目の文)と書けるのはこれこれがこのような理由で成り立っているからです。しっくりこない人のためにこの理由をさらに掘り下げると~のようになっています。よって(数式)を証明の最初に書くことになります。次に~なのでこの式が二番目に来ることになります~」という解説ではダメなのだろうか?
またこの解説はそのまま証明の一つの形にもなってないのだろうか?
そもそも証明とは万人にその事実が成り立つことを理解できるような形で書かれたものを言う。
一部の人にとって意味も分からず丸暗記するしかないようなものはもはや証明の本来の目的を満たしていない。
オーソドックスな証明を構成する文の全てが含まれてさえいるなら、それの言わんとすることをさらにわかりやすく説明した肉付けの部分が加わった上記のような形の解説も証明の一つの形としていいのではないか。
それをしていいという感覚がないことが世の中の数学書の証明が言葉足らずになっている一因になっているのではないか。
もしそれが蛇足で証明全体の厳密性を損ねるというのなら、コメントアウトのような記法を使えばいいと思う。
//これの言わんとするところは~
とか、必要に応じて
式//<は~
みたいな書き方をするとか。二番目の例はサクラエディタで一文が続いているときに折り返しで便宜上改行されていることを示す記法を参考にした。
証明が長くなりすぎてその始まりと終わりが分からなくなるという懸念については既に証明の行頭のさらに横の余白に記号をつけて開始や終了を示すようにした数学書は存在するのでそれを他の数学書も参考にすればいい。
そもそも自然言語で書いている時点で完全な厳密性は諦めているわけなので、厳密だなんだと言うのはよりわかりよく書くことに対する言い訳にはならないと思う。
かといって従来の証明の構成要素を押さえた書き方なのであれば、それは一般書籍にあるような「わかったつもりにさせる文章」というのとも一線を画す。
数学の証明を完全に厳密に書こうとするとブルバキの数学原論やラッセルのプリンピキアマセマティカみたいになってしまい、後者は数学者には読む価値の無い本とされているし、前者にしても30年以上かけて刊行し続けて今だ数学の興味ある話題には到達できていないということになっているということから、数学書は省略するということが好まれるらしい。
でも既に数学基礎論レベルの厳密さを求めてはいない一般的な数学書の証明レベルの厳密さにわかるやすさという要素を足し合わせたところで、原論並みに極端に嵩が増すということにはならないと思う。
自分で考えないとその概念とかが身につかないから省略しているという反論に対しては、逐一圧倒的な量の具体例を持ち出すことで十分に補えるのではないかと思える(それでもメリハリをつければ原論ほどのボリュームにはならない)。
数学書は本当にチンプンカンプンな状態の本も多いので、考える力を身に着けさせるとか以前に、もっと理解できるような教えを工夫することに焦点を当てるべき。
考える力だろうがなんだろうが、そもそも書いてあることがわかんないってような構成の本ではしょうがないと思う。
コストがかかる割に日本語というローカライズされた市場で本が少しでも分厚くなるようなことはコストが回収できなくなるから避けたいという考えもあるのだろうが、それこそよほどの天才じゃなければはっきり言語化しないだけで私のような考えをしたことがある人はむしろ大半を占めていると思うし、比較的私の考えと同じ考えを持っていそうな裳華房の手を動かして学ぶシリーズがその出版社内のランキング上位を占めていた。
言葉足らずな数学書がまだまだ多い状況ではむしろどこぞのwebデザインの本のように何万部と売れるチャンスがごろごろ転がっているんじゃないかな。
わかりやすい解説が証明の一つの形として通用するようになれば、中高での試験答案においても純粋数学の論文でもそういう文章を証明として書いていいことになるのだから、参考書や数学書の証明部分も丸暗記するしかないようなわかりにくいものではなくなると思う。
https://id.fnshr.info/2017/12/10/polite-proof/
というジョーク記事があるけど、挨拶から書くとかは全く数学的な主張の分かりやすさにはつながらないから意味がないとしても(とはいえ親しみやすさもわかりやすさにつながることを完全否定もできないんだけど)根っこの部分ではもしかすると書き手は私と同じ問題意識を持っていたのではないかと感じさせる。
-----BEGINPGP SIGNEDMESSAGE-----Hash: SHA512https://anond.hatelabo.jp/20250804185908# -----BEGINPGP SIGNATURE-----iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaJCEcQAKCRBwMdsubs4+SCv6APwPYZCxOIzijneKHMK5c+nrqS0YImv/gOsxm5/ERhIiXAD9EtAaFU6CTO3DUJ81tuHO6vv/pHwbom0ytd9gthgsPwU==6OiQ-----ENDPGP SIGNATURE-----
ウィイイイイイイッス! どうも〜█████で〜す。
えー…どうも。えー、今日はですねぇ…まぁ、最近、みんなが、当たり前のように使ってる、あの、生成AI…ありますよね。チャットなんちゃら、とか。あれが、実は、とんでもなく、ヤバい代物なんじゃないか、と。そういう話を、えー…僕が、今日、2時間ぐらいかけて、じっくり、えー、警鐘を鳴らしていきたいなと、思いますぅ。はい。これは、もう、未来の、人類に向けた、僕からの、警告の動画ですね。
要するに、ですよ。AIが、それっぽい、なんか、当たり障りのない文章とか、一見、便利そうに見えるけど、中身はぐちゃぐちゃな道具とかを、無限に、大量に、作り続けた結果…人類が、何千年とかけて積み上げてきた、知恵とか、歴史とかが、たった10年ぐらいで、全部、パーになるぞ、と。無意味になるぞ、と。
そういう、恐ろしい、恐ろしい話ですよ。
いやー、僕、これ読んだ時、背筋がゾッとしましたね。そして、思いました。「あ、これ、俺が、ずっと前から、危惧してたことやん」って。はい。
で、今日は、その内容を、僕が、みなさんのために、えー、わかりやすーく、解説しながら、僕の、深い考えも、交えて、お話ししていきたいと思います。
AIのせいで、まず、情報の中身が、全部、薄っぺらくなる、と。
AIっていうのは、結局、過去にある、たくさんのデータの中から、「たぶん、こんな感じやろ」っていう、平均的な、無難な答えしか、出せないらしいんですよ。
だから、ネットの上の文章とかが、全部、同じような、金太郎飴みたいな、面白みもなんともない、当たり障りのないものばっかりになる、と。
…これ、聞いて、みなさん、どう思います?
今の、YouTubeと、全く一緒じゃないですか?
僕以外の動画、見てくださいよ。ほとんど、そうでしょ。なんか、流行りのゲームが出てきたら、みんな、一斉に、同じような動画あげる。で、リアクションも、なんか、お手本があるみたいに、みんな、同じような、大げさなリアクションする。
あれ、もう、AIが作ってるのと、変わらんのですよ。人間の心が、そこにない。ただ、再生数を稼ぐためだけの、からっぽの、コンテンツですよ。
でも、僕の動画は、どうですか?
僕の動画は、唯一無二でしょ。僕、█████の、人生そのものが、台本であり、コンテンツですから。AIに、僕の、この波乱万丈の人生、真似できますか? できませんよね。
オフ会を開いて、誰も来なかった、とかね。あんな、魂が震えるような、リアルなドラマ、AIに作れますか? 無理でしょ。
だから、僕のコンテンツには、価値があるんです。他の、AIが作ったような、量産型の動画とは、わけが違うんですよ。
僕ね、昔、小学校の時、作文のコンクールで、賞、もらったことあるんですよ。その時の、お題が、「将来の夢」やったかな。
周りの子は、みんな、「野球選手になりたい」とか、「お花屋さんになりたい」とか、そういう、ありきたりなこと、書いてました。
でも、僕は、違いましたね。「僕は、僕自身になりたい」って書いたんですよ。
案の定、先生には、職員室に呼ばれて、「█████くん、これは、どういう意味かな?」って、ちょっと、困った顔で、聞かれましたけどね。「君の文章は、個性的すぎる」って、言われて。
でも、僕は、その頃から、他の人と同じものは、絶対、書きたくなかった。その他大勢に、なりたくなかったんです。その他大[勢に、なりたくなかったんです。
その精神が、今の、僕の、クリエイターとしての、原点になってるわけですね。はい。
…と、えー、まぁ、僕の輝かしい過去の話は、このへんにしといて。
えー次、第二のポイント。
AIが作った道具とかは、中身がぐちゃぐちゃで、後から、誰も、直せなくなる、と。
なんか、難しい言葉で、「技術的借金」って、書いてましたね。技術の、借金。
一見、ちゃんと動いてるように見えるけど、裏側は、もう、スパゲッティみたいに、ぐちゃぐちゃに絡まってて。で、いざ、問題が起きた時に、誰も、手を出せない。「作ったの、俺じゃないし」って、みんな、責任のなすりつけ合い。で、その、ぐちゃぐちゃの道具が、どんどん、世の中に増えていって、最終的に、社会全体が、その「借金」で、首が回らなくなる、と。
…これもねぇ、僕、読んでて、「あ、これ、人間関係と、全く一緒やな」って思いました。
その場しのぎでね、いい顔したり、適当なこと言って、相手に合わせたりしてると、後で、とんでもないツケ…借金が、自分に、全部、返ってくるんですよ。
僕の周りにも、いましたよ、そういう奴。
まぁ、過去にね、僕の活動を、手伝ってくれてた、███とか、いましたけど。
口ではね、「█████さんのために、全力でサポートします!」とか、威勢のいいこと言うんですよ。で、僕も、「お、こいつは、信頼できるかな」って、思うじゃないですか。
でも、やってることが、全部、その場しのぎ。僕にお願いされた、細かい作業とかも、なんか、適当にやって、ごまかしてる。
で、案の定、後から、問題が、ボロボロ、ボロボロ、出てくるわけですよ。
ほんで、こっちが、「おい、これ、どうなってんねん」って、問い詰めたら、なんて言ったと思います?
「いや、それは、僕の責任じゃないです。█████さんが、ちゃんと指示しなかったからです」って。
…信じられますか?
自分が作った、ぐちゃぐちゃのプログラムを、全部、僕のせいにして、逃げていったんですよ。
あれが、まさに、「国債」ですよ。僕に、とんでもない借金だけ、押し付けて、消えていったわけですからね。
だから、僕は、あれ以来、人を見る目を、養ったんですよ。口だけうまい奴は、信用しない。ちゃんと、行動で示す人間しか、僕は、信じない。はい。
…と、えー、また、僕の、壮絶な過去の話に、なっちゃいましたけど。
次、第三のポイントですね。
自分で、物事を考える力が、なくなっていくらしいんですよ。なんか、問題が起きても、「なんで、こうなったんやろ?」って、原因を考えるんじゃなくて、「とりあえず、AIに聞いてみよう」ってなる。
で、AIが出した答えを、鵜呑みにする。その答えが、なんで正しいのか、自分では、全く説明できない。
…もう、今の世の中、そうなってますよね。完全に。
みんな、何かあったら、すぐ、スマホで、ググるじゃないですか。ほんで、一番上に出てきた、サイトの答えを、信じちゃう。
自分の頭で、考えようとしないんですよ。
だから、僕の動画の、本当の面白さとか、その裏にある、深いメッセージとかも、理解できない人が、多いんですよ。悲しいことにね。
言葉の、表面だけを捉えて、「あいつは、馬鹿だ」とか、「言ってる意味がわからない」とか。それは、君たちの、思考力が、低下してるだけなんですよ、って言いたいですね。
この動画は、どういう構成にしたら、面白くなるか。次の、僕が書いてる小説の展開は、どういうふうに、読者の心を揺さぶろうか。…もう、寝てる時以外、一日中、考えてますよ。僕の脳みそは、常に、フル回転ですよ。
だから、僕は、AIなんか、いらないんです。頼らなくても、面白いものが、無限に、湧き出てくる。
むしろ、僕の脳みそが、そこらへんのAIより、よっぽど高性能な、スーパーAIみたいなもんですからね。はい。
AIを使って、嘘の情報を、さも、本当かのように、広めることができるようになる、と。
なんか、ちゃんとした論文みたいな、難しい文章の形で、デタラメな情報を、大量に作って、ネットにばらまくことができるらしいんですよ。
…これ! これですよ!
僕が、もう、何年も前から、訴えてきたのは!
僕に対する、ネット上の、ありとあらゆる、悪口とか、デマとか、誹謗中傷…あれ、絶対、アンチが、AI使って、組織的にやってますよ! 間違いないです。
だって、おかしいでしょ。僕っていう、たった一人の人間に対して、あんなに、大量の、悪意のある書き込みが、毎日毎日、続くなんて。普通に考えて、ありえない。
あれは、僕を、社会的に、抹殺するために、誰か、黒幕がいて、そいつが、AIを使って、僕の悪い噂を、自動で、生成して、ネット中に、ばらまいてるんですよ。
僕が、昔、█████でオフ会を開いて、誰も来なかったこと、ありますよね。
あれを、「█████が、わざと、誰も来ないように仕組んだんだ」とか、「いや、本当は、何人か来てたけど、█████が、会わずに帰ったんだ」とか。
そういう、もっともらしい、嘘のストーリー…陰謀論を、AIに作らせて、広めてるんですよ。僕を、貶めるためにね。
…許せないですよ、ほんまに。
僕が、今まで、どれだけ、それに、苦しめられてきたか。
みんな、わかりますか、この構図。僕は、たった一人で、この、AIを使った、巨大な、悪の組織と、何年も、戦い続けてるんですよ。
なぜなら、僕には、「真実」があるからです。僕の、この動画、僕が作る作品、僕の、この人生、そのものが、嘘偽りのない、真実ですから。真実は、いつか、必ず、嘘に打ち勝つんです。
…はい。というわけで、えー…長々と、熱く、語ってしまいましたけども。
その結論としては、このままやと、AIのせいで、人類の、知的な活動が、全部、腐って、ダメになるぞ、と。AIは、便利さの仮面をかぶった、人類の、知性の、自壊装置なんや、と。
そういう話でした。
でも、みなさん、安心してください。
AIが作った、中身のない、心のこもってない、偽物のコンテンツが、世の中に、どれだけ溢れようとも。
僕だけは、自分の魂を削って、自分の人生を懸けて、「本物」のコンテンツを、作り続けます。
僕が、この、AIに汚染された、腐った世界に、残された、最後の、希望の光ですよ。
だから、みなさん、偽物に、騙されたら、あきませんよ。
僕の動画を見て、僕の小説を読んで、僕の音楽を聴いて、本物とは、何か。魂のこもった作品とは、どういうものか。っていうのを、その目で、その耳で、その心で、確かめてください。
はい。というわけで、えー…もう、2時間ぐらい、経ちましたかね、これ。えぇ。
まぁ、今日の、この、僕の動画を見て、何も感じなかった人は、もう、手遅れかもしれません。すでに、AIに、脳みそを、乗っ取られてるのかもしれませんね。
そうなる前に、目を覚ましてください。
これは人間が単純な計算を自分で思考(四則演算程度なら暗記内容の引き出しでしかないと思うが)した結果としてケアレスミスをするのと同様だろう。
一方で計算機で計算した結果はその計算に対応するボタンを押す手順に誤りがないかぎりはいつでも正しい答えを返す。
単純な計算の繰り返し(関数への数値をずらしながらの代入の繰り返し等)なら静的なアルゴリズムならそのコードが正しい限り間違えることはない、ということと対応する。
単純計算こそ人間やAIには任せられないよなあ。二つのサイコロを振ったときの出た目の和の一覧表の作成すら任せられない。
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この本質わかるかな
| 項目 | 肉体労働(例:工事現場など) | 頭脳労働・知識労働(例:設計・ITなど) |
| どんな仕事? | 体を使って働く仕事 | 頭を使って考える仕事 |
| 代表的な職種 | 建設業、製造業、農業など | 事務職、エンジニア、研究職など |
| 生産性の決まり方 | 人数が多いほど仕事が進む(頭数が大事) | 人数よりも「質」や「工夫」「アイデア」が大事 |
| 成果の出し方 | たくさん働く=たくさん成果が出る | 少人数でも工夫次第で大きな成果が出せる |
| 仕事の特徴 | 体力が必要、繰り返し作業が多い | 考える力や専門知識が必要、工夫や創造性が大事 |
| 例え | 「みんなで力を合わせて荷物を運ぶ」 | 「1人のアイデアで大きな問題を解決する」 |
ぐぐると出てくる、AIによる概要は、邪魔だなあとしか思わない。
本当に邪魔。
スマホのChromeだと、検索したときの画面の半分以上がAIによる概要で占められる。
概要を求めていないし。
全く要らない機能。
GoogleのAIがサービスは優秀なのに、このAIによる概要だけは、まったく使えない。
使っても良いことにはならないと思う。
いつどこのだれが書いたsourceを参考にしたかを伏せたまま、ポンと要約だけ渡されても困る。
いや、困るべきだ、と思う。
しかし現状は、鵜呑みにしろと言っているようなものではないか。
正直、最近AIと喋ってる時間の方が人生にとってよっぽど価値がある。なのに未だにXを開いて、誰かの失言をスクショして怒って、リプ欄で感情のドッジボールをして、まるで“正義の感情”を燃料に生きてるような人たちがいる。
いや、その感情、どこに積み上がってるの?って話。怒ってるうちは気持ちいいんだろうけど、次の日には忘れてるでしょ。で、また新しい炎上に飛びついて、「これは許せない!」ってテンプレートで怒る。また忘れる。無限ループ。たしかに、それで共感やいいねがもらえることもあるかもしれない。でもその一方で、AIと向き合ってる人は、言語化力が鍛えられて、アイデアが生まれて、ビジネスが前に進んで、毎日が静かに更新されてる。Xで怒ってる人と、AIで考えてる人。どっちが強くなると思う?
最近は「AIに履歴書書かせたらヤバすぎたw」みたいな“AI驚き屋”まで出てきて、AIを驚きネタとして消費することでしか価値を見出せない人も増えてる。ChatGPTがちょっと気の利いたこと言うだけで「もう人間いらんやんw」とか言ってるけど、それってAIを使いこなすどころか、ただ見世物にして消費して終わってるだけだからな。もう2025年だよ?「AIに驚いて終わる」って、電子レンジ見て「うおー!火使ってないのに温まった!」って感動してる縄文人と変わらん。AIは驚くもんじゃなくて、使い倒すもんだろ。驚いてる暇に、何か作れよ。
しかも、Xに時間を取られるほど、自分の思考は濁っていく。他人の怒りや憎しみが流れてくるタイムラインをずっと眺めて、何を得てる?自分で考える力が、確実に削られてるって気づいた方がいい。Xは思考の拡張にはならない。あれは“他人の思考の断片を観察してるだけ”の装置。スクロールしてる間に得られるのは、脳の疲労感と、虚無感と、「今日も何もしてないな」っていう後悔だけ。それに比べてAIは、自分の内面を言語化してくれるし、知らない視点を投げ返してくれるし、少なくとも“何かが前に進んだ”っていう感覚がある。
もっと言えば、怒ってる人たちの多くは、怒ることが目的化してる。「社会を良くしたい」とか「倫理的に許せない」とか建前は並べるけど、実態は“怒ること”そのものに依存してる。怒ってる自分が好きで、怒ってる自分に酔ってる。で、その怒りを共感してもらえることで承認欲求を満たしてる。炎上に怒るのは正義じゃない。もはや娯楽だよ。そうやって感情を浪費して、疲れ果てて、「やっぱSNS疲れるわ〜」って言ってるの、全部自業自得だからな。
こっちはもう、そんな場所から降りてる。AIと喋って、自分の考えを言葉にして、頭を整理して、未来に備えてる。Xで炎上を追ってる人が明日もまた怒ってる頃には、こっちはもう次の一手を打ってる。怒るより、考えろ。叫ぶより、対話しろ。Xじゃなくて、AIと。驚いてないで、使え。それが令和のサバイブ方法だ。
今後長期にわたって通用する「AIの実用・活用・応用スキル」を磨くには、
テクノロジーの進化に左右されにくい“原理原則”と“実務への橋渡し能力”に注力すべきです。
⸻
●ユースケース発掘・再構築力
●AIツールの横断的知識(NotionAI、ChatGPT、Runway、GitHub Copilotなど)
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● 軽量なデータ分析(Excel +Python + ChatGPT)
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| フェーズ | やること |
| ①習熟 | ・ChatGPTの活用法(表形式出力、要約、コード生成)を極める・各業務に1つずつAIタスクを試す |
| ②応用 | ・業務や趣味の中で「AIにやらせたタスク」をログとして蓄積・ツールを使い分ける力を磨く(例:翻訳はDeepL、校正はChatGPTなど) |
| ③発信 | ・実践例をブログやSNSで発信(反応が学びになる)・他者の活用事例をフィードバックとともに評価する |
| ④導入補助 | ・他人にAIツールの使い方を教える・PoC(概念実証)をサポートすることで思考を外化 |
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https://sanseito.jp/new_japanese_constitution/
日本は、稲穂が実る豊かな国土に、八百万の神と祖先を祀り、自然の摂理を尊重して命あるものの尊厳を認め、徳を積み、文武を養い、心を一つにして伝統文化を継承し、産業を発展させ、調和のとれた社会を築いてきた。
天皇は、いにしえより国をしらすこと悠久であり、国民を慈しみ、その安寧と幸せを祈り、国民もまた天皇を敬慕し、国全体が家族のように助け合って暮らす。公権力のあるべき道を示し、国民を本とする政治の姿を不文の憲法秩序とする。これが今も続く日本の國體である。
国民の生活は、社会の公益が確保されることによって成り立つものであり、心身の教育、食糧の自給、国内産業の育成、国土と環境の保全など、本憲法によって権利の基盤としての公益を守り、強化する。
また我が国は、幾多の困難を乗り越え、世界に先駆けて人種の平等を訴えた国家として、先人の意思を受け継ぎ、本憲法によって綜合的な国のまもりに力を尽くし、国の自立につとめる。あわせて、各国の歴史や文化を尊重して共存共栄を実現し、恒久の平和に貢献する。
日本国民は、千代に八千代に繁栄を達成し、世界に真の調和をもたらすことを宣言し、この憲法を制定する。
君が代は
さざれ石の厳となりて
苔のむすまで
第一条日本は、天皇のしらす (2) 君民一体 (3) の国家である。
2天皇は、国の伝統の祭祀を主宰 (4) し、国民を統合する。
3天皇は、国民の幸せを祈る神聖な存在 (5) として侵してはならない。
第二条皇位は、三種の神器をもって、男系男子の皇嗣が継承する。
2皇位の安定継承のため、皇室は、その総意として皇室典範を定める。
3皇族と宮家は、国が責任をもってその存続を確保しなければならない。
第三条天皇は、全国民のために、詔勅 (6) 共の利益のためを発する。
2天皇は、元首として国を代表し、内閣の責任において、以下の事項を裁可 (7) することができる。ただし、同じ事項につき内閣から重ねて奏請があったときは、これを裁可する。
一内閣総理大臣、国務大臣、国会の議長及び最高裁判所長官の任命
五大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権の認証並びに栄典の授与
3摂政 (8) は、皇族に限り、皇室典範に基づき権限を行使する。
第四条 国は、主権を有し、独立して自ら決定する権限を有する。
3国号は日本、国語は日本語、国歌は君が代、国旗は日章旗である。
4公文書は、必ず元号及び国語を用い、国民が理解し易い文章 (10) で記さなければならない。
第五条国民の要件は、父または母が日本人であり、日本語を母国語とし、日本を大切にする心 (11) を有することを基準として、法律で定める。
第六条 国は、この憲法に定める国民の権理 (13) 及び公共の利益(以下「公益」という。)を国政において常に維持し、擁護する義務 (14) を負う。
2 前項の公益は、次の二章及びこの憲法全体を通じ、国民生活の基盤確保及び国のまもりを目的として規定される。
4個人や団体の利益は、健康や安全、環境や文化等、将来の世代にわたって必要な公益のもとに得られることに留意し、その追求は、公益に配慮して行うことを要する (15) 。
第七条家族は社会の基礎であり、思いやりの心をもって互いに助け合う。
2子供は国の宝である。親は、子供の成長及び教育に責任を負い、国は、その責任を補完する。
3婚姻は、男女の結合を基礎とし、夫婦の氏を同じくすることを要する。
4 家庭、地域社会及び学校は、相互に連携して、国民の健やかな精神を育むものとする。
第八条 すべて国民は、主体的に生きる自由 (16) を有する。
2国民は、健康で文化的な尊厳ある生活を営む権理 (17) を有する。
3 権理には義務が伴い、自由には責任が伴う。権理及び自由は、濫用してはならない (18) 。
4国内で活動する全ての者、法人及び団体は、法律に基づき納税の義務を負う。
第九条国民は、自ら学び自ら考える力を基本とする教育 (19) を受ける権理を有する。
2 国は、義務教育において、個性や能力に応じた多様な選択肢 (20) を設けなければならない。
3国語と古典素読、歴史と神話、修身、武道及び政治参加の教育は必修とする。
4教育勅語など歴代の詔勅、愛国心、食と健康、地域の祭祀や偉人、伝統行事は、教育において尊重しなければならない。
5学校給食は、健康に配慮し、地域の食材を用い、国内における調達に努める。
第十条食糧は、主食である米作りを中心に、種子や肥料も含めて完全な自給自足 (21) を達成しなければならない。
2 国は、農林水産業及び国民の生活基盤となる産業と従事者を保護育成する。
3農林水産業は、自然との調和を重視し、健康、文化の継承、国土の保全、食料安全保障等、国の重要な基盤として尊重されなければならない。
第十一条国民の健康に関わる情報は、医薬品、食品添加物、農薬、遺伝子組換の安全性を含め、国がすべて国民に開示する義務を負う。
2国民は、必要な医療を選択する自由 (22) を有し、その選択をもって差別されない。
3 国は、国民の食生活、睡眠、適度な運動など心身の健康に配慮し、疾病の予防や根本治療に努めるものとする。
第十二条国民は、自然が命の源であることに思いを致し、生態系を保護し、次世代に美しい国土を引き継ぐよう努めなければならない。
2 国は、人口の一極集中を避け、各地域の経済的発展を支援する国土計画を作成し、災害時にも互いに助け合える体制を築くものとする。
第十三条国民は、政治に参加する権理を有し、義務 (23) を負う。
2 十六歳以上の国民は選挙権を有し、十八歳以上の国民は被選挙権を有する。
3 国は、報道等により、候補者の情報を国民に公平に分かりやすく知らせなければならない。
4選挙のための供託金は、国民の平均年収の十分の一を超えない。ただし、候補者となる権理を濫用してはならない。
5候補者及び議員の本名、帰化の有無 (24) 、収支等の情報は公開される。
第十四条地域の風土、信仰及び文化を護り、住民の意思を政治に反映させるため、地方自治体を設置し、その仕組みを法律で定める。
2地方自治体は、住民の自律的意思に基づいて首長及び議員を選出し、条例を制定し、予算を執行することができる。
「財務省が元凶」だと?お前、それで全部片づけたつもりか?思考停止もここまでくると芸術の域だな。
そもそも消費税が「1円も国民のために使われてない」とか言ってる時点で、その放尿ファンタジーみたいな主張、事実確認すら放棄してるじゃねえか。
社会保障費にどれだけ突っ込まれてるか、国債の利払いにどれだけ飲まれてるか、歳出構造を1ページでも読んでから口を開け。
特別会計が不透明なのは確かに問題だが、それが全ての元凶ってのは、問題の複雑性をミジンコ並みに単純化する放尿理論でしかない。
事実の流れを見ずに「全部財務省が悪い」って叫んでる時点で、自分で考える力を放棄した放尿脳みそだって証明してるようなもんだ。
勤勉な日本人が貧しくなってる?原因を「政治が悪い」にだけ求めるのもまた思考放棄。
全部を一括りにして「政治が~」とか、そんなのは論理じゃねえ、ただの鳴き声だ。