
はてなキーワード:翼賛とは
なぜ高市自民がここまで大勝することになったのか。自分が相対的に最も腹落ちしたのは、政治学者とか政治評論家の説明ではなく、東大卒お笑い芸人である大島育宙の説明。彼の説明を自分なりに要約および翻案・加筆すると以下の通り。ちなみに大島は明確に「リベラル・左派」の立ち位置の人間である。元ネタはTBSラジオ「こねくと」内の「空閑時評」https://www.youtube.com/watch?v=4J1MbgwIeV8
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視聴者数が何十万を超える動画サイトの政治系チャンネルを毎日見ていたが、その感想として一つの特徴というか問題があることを発見した。それは、選挙情勢の話ばかりで、高市首相や野党の政治理念とか政策の内容についてはほとんどコメントしないことだ。そしてこれが、高市自民がここまで圧勝した大きな理由の一つであると思う。
選挙情勢の話ばかりというのは、要するに「高市自民優勢、中道思ったほど伸びず」という話ばかりということだが、そこで配信者は「なぜ自民が優勢で、中道が伸びないのか」という分析になり、さらに「高市首相の戦略が当たってますね、逆に中道は外してますね」というコメントが続くことになる。
それを見ている視聴者・有権者は、「高市さんは戦略がうまくて賢い、中道はやはり戦略が下手で頼りがない」という印象を強く持つようになる。これが毎日のように繰り返されて、「賢い高市さん、情けない中道」というイメージが強化および再生産されていくことになり、自ずとその差は選挙戦が進むごとに開いていく。
いわば、スポーツの報道と選挙の報道が同じになってしまっている。勝っているチームは「さすが」「すごい」と報道され、負けが混んでいるチームは「だらしがない」「なさけない」と報道されるのは、プロスポーツでは当然で仕方がないだろう。しかし、政治や選挙でもこれと同じことになってしまっており、例えば「中道は劣勢だが正しいことは言っている」とコメントされていることが全くなくなっている。テレビの選挙報道もある程度そうなってしまっているが、SNSや動画サイトではそれしかないと言っていい状態である。
動画配信者は、最後まで自分がどのような政治的な理念や主張を持っているのかを明らかにせず、第三者的な目線を絶対に崩さない。当然政権批判などは絶対にしないし、外交における失政や統一教会問題などもいっさい取り上げない。日本人の圧倒的多数は、自分が特定の政党や政治イデオロギーを支持していると思われることを極度に嫌がり、再生数にも響くからだ。しかし皮肉にも、第三者的な立場と選挙情勢の分析に徹底した結果として、高市首相に対する翼賛的な動画として強力に機能してしまったことになる。その自覚は、残念ながら配信者にも視聴者にも全くない。
[B!togetter] 「政治めんどい」とは本当に政治が嫌なわけじゃなく、「こういうところが嫌」の略である→「なんで政治の話題になると口が悪くなるん?そういうルールなん?」と共感多数
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2660359
Islecape自分をお客さんだと思ってるな
err931 国じゃなくて会社とか学校とか政治は身近にあるのに、こういうのは他責したいからとしか言えん。誰かの意見に乗っかるのはラクでいいからね。失敗してもそいつの責任として押し付けたらいいし。
roirrawedoc こうやって普通の市民を辟易させ政治に興味をなくさせることが目的で、つまらない・ダサい・不愉快を演出してる可能性ある。あとは組織票でやりたい放題。だから市民はそれでも政治に向き合い続けなければならない。
・間接民主主義を何だと思ってる?興味を持たせられない政党政治=オマエラが支持するサヨク政党がうんこなだけ。
peccho気持ちはわからなくもないけど、大人ならそんなこと言ってないでちゃんと考えよ。
・考える手前だぞ「嫌悪」ってのは。
chibatp9自分と異なる思想は見たくないという自分の思想を他責的思考で表明するアレ。
・そもそもそういう訓練を受けていないぞ。テスト?ありゃ解法手順の確認だけだよ。思考じゃない。
NOV1975政治めんどいで済む話に理由付け(めんどくさがっているだけど思われたくないがための言い訳)をしているだけに見える。もうちょっと真面目に議論したほうがいいのでは…
・そんなことよりも興味は別だし、この選挙で「この国が良くなる/これ以上悪くならない」なんて想像ができないんだから「真面目に議論」事態が無意味。野党は所得倍増プランでも見せてみろ。
Ayrtonism高市氏の消極的支持はこういう人が多いのかもしれない。ただ、その言葉と裏腹に、高市氏積極的支持の人たちが石破氏に投げている罵詈雑言の数々はたぶん気にならないんだろうね。それってけっこうな党派性だよ。
・「口悪いなぁ。でも、悪口でもこっちの方が“マシ”だなぁ」ってだけだぞ。見るべきはオマエラだろうが。
minboo政治って「自分のことだけじゃなくて他人のことも考えよう」だけど、不景気で他人のことを考える余裕が無いし「他人を」って言われてもウザい説教にしか聞こえない。あと自分のことしか考えない政治家が多すぎる
・「より良い方を選ぶ」っていう「より良い」の判断基準は、自分軸でしょ。俺も自分に得があることであれば良い。米帝の方がマシ。金を貰ってもチャイナに金玉握られるのは嫌。金玉握ってきて権力の確認をする輩と一緒の何処が「平和」だよ?(米帝は~のDD論には与しない)
sigotojouhouリウマチをダシに嘘ばかりついてる輩がいるからな。コイツさ須田とか高橋とか変な輩とばかり相談してるじゃん。仲間いないんだろうな嘘ばかりついてるから
differential これ言う人の大半は左翼が嫌いで、保守が耳を覆うような差別を言っても喜んでたりしがちよね。
・サヨクの何処を好きになれというのですか?好きになれるところが無いんですけど?
solt-nappa 口が悪くなる、などのイヤな側面はわかる。が、政治は生活に直結するので議論ができる大人にならないといけない。そういう面でも日本人は総じて“幼い”。政治の話をするのは喧嘩じないのよ。
・「生活に直結する」から既に防衛状態の若者に「生活がもっと悪くなるぞ!」なんてのが、通じるとでも思ってるの?「生活がよくなるぞ!」なんて言わないくせに。じゃあ「口が悪いだけ」のクズどもを支持者にしている輩をどうやって支持しろと?やっぱバカだよなリベサヨ。
qouroquis 「みんな俺と同じ意見になれ」は立場によらないし、民主制のプロセス(摩擦、熟議、合意形成、マイノリティへの配慮)は、本質的に時間がかかりコストが高いもの。それを「めんどい」と思う人が増えると行先は一つ。
・若者に言う話じゃないよね?若者に支持して欲しいのに「悪口」ばかり言ってる輩政党をどうやって仲間に取り込むの?摩擦以前の問題でしょ?はっきり言うけど「国民民主党のやり方が一番マシ」。不正だ不義だあろうが「結果、大政翼賛になろうが、話し合う」って態度が全て。
unpaku 生き死にに関わってくる、生活の根幹に関わってくることの利害を決定する話になるからじゃん。他人事で済まない話に口くらい悪くなるやろ。
・そんなのを「他人=政治」に任せているのがアホタレだって、若者たちは分かっているので自己防衛しているよ、経済的にね。まさか「高市なら、経済接収やるぞ!」っていうの?バカななのかな?
trade_heavenヘイトではないよ。汚職やら差別やら嘘やら統一教会っていう話題が絶え間なく出てくる事に対する危機感であって、異なる意見とかそういうレベルの話じゃないからでしょ。逆によくこいつらに国を任せて安心できるな。
・「若者のマシな未来」は政治汚職や、外国人差別や、嘘(アンタの言ってるのは高市のリウマチだろ(笑))や、統一教会(過去の話。票田は票田)とは無関係だから。死ぬまで「安心の収入(年金+ファイナンス)」を担保してくれているのは現与党(現在の選択肢において)。
mirakux 頭悪いなあ、こういう奴らが高市に入れるんだろうな。ブクマカを見習え
・ネタラベリングだよな?マジだったら頭の中におがくず以下のモノが入っている。
rci 面倒だけどやるしかないのよ。だって政治は予算や人事のリソースをどう配分するかの話だもの。主張しなければ相手の思うままに奪われるだけだし。武力でなく言論で殴り合うようになっただけまし
・え?そうか?しばき隊なんてちょっと頑張ればナチスの突撃隊になれたんだから、ソッチの方がマシだっていう年寄リベサヨは多かったんじゃないの?(笑)
歴史は韻(いん)を踏むというが、それは時に残酷なまでの既視感として我々の前に現れる。
一九一八(大正七)年、言論の自由を死守すべきジャーナリズムが国家権力という巨大な壁に膝を屈した「白虹(はっこう)事件」。
そして令和の今日、台湾情勢を巡る高市首相の答弁に動揺し、思考停止に陥る現代メディアの姿。
これら二つの事象は、単なる政治の混迷ではなく、一世紀を経てもなお変わらぬ、日本のマスメディアの本質的な「脆弱(ぜいじゃく)」を露呈させている。
白虹事件という言葉を知る者は、現代では稀(まれ)かもしれない。しかし、この事件こそが日本のジャーナリズムを去勢し、後の軍靴の響きへと道を開いた決定的な転換点であった。
当時、米価の高騰に喘(あえ)ぐ民衆の怒りは「米騒動」として全国に飛び火していた。
批判の矛先は寺内正毅内閣と、利権を貪(むさぼ)る政商へと向けられた。
同紙は一九一八年八月、米騒動の背後にある社会の矛盾を指摘する記事の中で、
「白い虹が太陽を突き刺す」――。
これは古代中国の天象解釈において、武器を持った臣下が君主を殺害する兵乱の前兆とされる。
太陽を天皇の象徴、白い虹を反乱の武器と見なした当局は、この記事を「安寧秩序を乱す」不敬な扇動であるとして、新聞紙法違反で起訴。
これに対し、大阪朝日の経営陣が選んだ道は「ジャーナリズムの殉教」ではなかった。
以後、同紙は急進性を失い、権力の顔色を伺う「翼賛」への道を一歩踏み出すこととなったのである。
翻(ひるがえ)って現在、高市首相が国会答弁で「台湾有事が存立危機事態になり得る」と踏み込んだ発言を行った際のマスメディアの反応はどうであったか。
中国政府が「一つの中国」という彼らにとっての「神聖な国体」に触れたとして猛反発し、経済的な威圧をも示唆した途端、
国内メディアの多くは、あたかも「不敬」を咎(とが)めるかつての内務省のように、その「不用意さ」を論い、緊張緩和を優先せよとの合唱を始めた。
「国家の核心的なタブー(=国体的な要素)」に触れた言葉に対し、メディアが即座に「静止」や「回避」のバイアスをかけるという構造そのものだ。
かつては「天皇の神格化」という国内の国体が言論を封じ、今は「大国への外交的配慮」という疑似的な国体が、事実上の報道の自主規制を強いている。
どちらも、国家や外部権力が設定した「虎の尾」を避けることを最優先し、事の本質――すなわち、国民が直面している真のリスクを直視させることから逃げているのではないか。
日本のメディアは、平時には些末(さまつ)な不祥事や揚げ足取りをもって「反権力の監視役」を自演する。
しかし、いざ国家の根幹を揺るがす安全保障や、他国とのパワーバランスといった真に重い論点、すなわち「現代の国体」と呼べる領域に話が及ぶと、突如として腰が引ける。
メディアの役割とは、国民が保有する「知る権利」を具現化し、権力の意志を透明化することにあるはずだ。
それが国内の権力であろうと、中国のような強大な外国の権力であろうと、そこに国民の命運を左右する「真実」があるならば、メディアは不敬や摩擦を恐れず、白虹となってその核心を貫かなければならない。
百年前、大阪朝日が社に掲げた「不偏不党」の看板は、弾圧を前に色あせた。
現代のメディアもまた、表面的な正義の裏側で、同じ轍(わだち)を踏んでいないか。
権力の意図を忖度(そんたく)し、タブーの前で立ち止まる存在であるならば、それはもはやジャーナリズムではなく、単なる「広報機関」への堕落である。
歴史の白虹は、今も我々の空を貫いている。
その下で沈黙を守るペンの罪深さを、我々は今一度、厳しく問い直すべきである。
こういう内容のコラム書いてってお願いすると書いてくれるのはやっぱりAIすごいなと思う一方で、
不偏不党は、白虹事件を機に成立したもので、「どの政党にも偏らない」という積極的な自由の宣言ではなく、
「政府と正面から衝突するような過激な主張を捨て、企業の安全が保証される範囲内で報道する」という、いわば「去勢」の宣言だったはず。
2022年から協力党員だったけど、今日の公明党との合流決定のニュースを確認してから、夕方に総支部の事務所に行って離党届を提出した。
旧立憲結党のときはまだ高校生だったし、政治にあまり強い関心はなかったけど、立憲民主党の結党に、「政治が少し良くなるんじゃないか」と淡い期待をしたのを覚えている。その後、コロナ禍から2021年総選挙までの間の流れで立憲民主党に共感して、衆院選では陰ながら応援した。結果的に敗北したのは残念だったけど、自分自身が動かないといけないという一種の使命感を感じて、翌年のはじめに入党することにした。
それから私は、体調が悪かったりしてあまり思うように活動できなかったけど、いろいろな貴重な経験をした。電話かけをしたり、ポスターを貼ったり、ビラを配ったり、党本部での会合に出席したり、遠くまで行って選挙の手伝いをしたり、地元の議員に会って裏話を拝聴したりした。選挙の立会人も何度かやった。
けれど、2023年ごろから立憲民主党の方向性への違和感が強くなってきた。まず、春先の入管法国会。非正規移民を本国に送り返して生命の危険にさらす入管法「改正」案に対して、米山隆一がトロッコ問題的な論法で「妥協する」ことを主張した。それは、外国人を事実上「殺す」法案に対して承認のハンコを押すようなものだと私は感じた。塩村あやかや鈴木庸介もそれに乗っかり、私がそれまで信頼していた多くのネット支持者も同調した。幸い、鎌田さゆり、山田勝彦、石川大我、石橋通宏らの努力もあり、立憲は最終的にハンコを押すことを拒否した。けれど、当事者の生命を無視した功利主義的な議論が支持者の間ではびこったことに対し、私はかなり居心地の悪さと憤りを感じた。
その後も、私の違和感は強まるばかりだった。2024年の代表選では、枝野幸男に投票した。結局野田佳彦が勝利して、代表選中に自分の陣営にいた人ばかりを執行部に起用する露骨なお友達人事を行った。私は、気分が悪くなった。サンクチュアリ(近藤・枝野派)、国のかたち研究会(菅派→西村派)、社会民主主義フォーラムなどの「左派」系党内グループが野田執行部の路線に対して何らかの抵抗を示してくれるかもしれないとのかすかな期待を抱いた。けれど、しまいには(私にはもはや迷走しているようにしか見えなくなった)枝野幸男、そして近藤昭一も、野田佳彦に呼応して「中道」という空っぽな言葉を連呼するようになった。
立憲民主党が近いうちになくなるのではないか、「希望の党」騒動が再び起きるのではないか、という懸念はしばらく前から抱いていた。けれど、それがここまではやく現実になるとは思っても見なかった。私は、心のなかの違和感をひた隠しにしながら、衆院選に、都議選に、参院選に奔走(というほどのことはしていないが)した。24年衆院選で立憲が50議席増やして躍進し、私の選挙区の候補が久しぶりの小選挙区当選を勝ちとったときは、心の底から嬉しかった。
けれど、それも全て無駄だった。「立憲」民主党は、立憲主義も中道左派の仮面も捨てて、「改革中道」という味のしないガムのようなくたびれた言葉で、つい数ヶ月前まで自民党のウンコみたいな政治を翼賛しまくっていた公明党=創価学会に擦り寄りはじめた。そして、数日前に統一名簿の話が出たかと思ったら、昨日の夜に新党結成の速報がいきなり出て、24時間もしないうちにそれは党の機関決定になった。1日もたたない間に決まったので、一般の党員はもちろん、地方議員さえ意見を述べる猶予は一切なかった。日本共産党がボルシェビキの組織論をもった社民主義者なら、立憲民主党は選良の皮を被った前近代的な地方大名の連合体にすぎない、と私は感じた。立憲「民主」党のなかに、少なくともわれわれが一般に理解している意味での党内民主主義は、存在しない。野党第一党が政局のために一瞬で溶解した希望の党騒動の反省は、「排除の論理をとらない」といううわべの口約束にしか見られない。
私はそうした事実を突きつけられ、もはや言葉も出なかった。われわれ支持者は、野田佳彦や枝野幸男や安住淳や小沢一郎や重徳和彦や泉健太にとってただの都合のいいコマにすぎない。そして政治が向き合う対象である大衆も、彼らがいったん権力を取れば、きっと似たような扱いを受けるだろう。その扱いは、確かに自民党よりはましになるかも知れない。けれども、奴隷労働のような低賃金に苦しみ、給与未払いが起きても泣き寝入りするしかない、労働組合にすらつながれないような末端の労働者、さまざまな種類の差別や抑圧に苦しんで、物理的あるいは精神的な死の危機と日夜戦っているマイノリティ、そして将来に対して漠然とした、しかし逃げ道のない不安にさいなまれている(そしてときには外国人や高齢者、障害者といった誤った敵にその怒りを誘導されてしまう)日本の多くの人々に、「ちょっとだけきれいな自民党」が提示しうる解決策は、一体何だろうか。
立公新党(こっちが気恥ずかしくなるような政党名になるらしい)は、もしかすると、連合+創価学会の圧倒的な組織力で、高支持率という幻像にはしゃぎまわって醜態をさらしている高市政権を圧殺するかもしれない。けれど、「左派」どころか「リベラル」さえ言うのを躊躇するような、これまでの安保法制や原発への態度をまともな説明もせずに180度転換することを厭わないような新党が政権を握ったとしても、「もっと良い未来」が実現できるとは到底思えない。うまくいって、例えばAIで粗製乱造された広告収入目的のテンプレ記事とか、使い古されて擦り切れたネットミームのような、凡庸でつまらなくて、しかも場合によっては有害なものしか生まれてこないだろう。
2024年のイギリス総選挙で大勝利を収めたスターマー政権が現在記録的な低支持率で苦しんでいるように、現代社会の根本的矛盾への一応の対処策さえ示すことはできず、右派の主張に妥協に次ぐ妥協を重ねて、参政党や日本保守党のような右の極に早晩その座を譲ることになるのではないか。
立憲民主党、さようなら。40年後の私たちが、「立憲民主党のあった時代はまだマシな世の中だったなあ」と思っていないことを祈ります。
Permalink |記事への反応(16) | 22:48
公明と立憲は政策は似たところがあるから新党を作るのもおかしくはないと思う
というのも、斎藤代表は長く政権を勤めた責任があると高市政権の政策に反対しづらいと匂わせていたから
冒頭解散で来年度予算に高市カラーを打ち出すことを狙っていると言われているけれど、元々の概算要求は公明党が与党の時だったものだし高市がわーわー言おうが概算要求から大きく変えられるはずもない
なので立憲公明党(仮)は選挙後の来年度予算案に反対しずらくなっちゃう
それこそ反対する大義がない
枝野は受け入れがたいだろうし、岡田は追い出されそうだし、公明に合流するのは立憲の一部に留まるのでは?
メディアは2月8日予想だけど、15日じゃないのは創価学会への配慮でそう予想したんだと思うけど、公明が決別するなら配慮するどころか嫌がる15日を選択できるから
君はこう言ったよね。
私もそれに同意するけどさ、高市批判に対する高市エクストリーム擁護派の典型的な反応は、まさに批判者に対する「反日」「非国民」呼ばわりなわけ。彼ら彼女らの頭の中ではまさに高市政権=日本の図式が出来上がってる。
普通の人は国旗を燃やしたりしないけど、汚損することはあるかもしれないよね。でも今回検討されてる法案って汚損でも犯罪とする可能性があるし、汚損か否か、故意か否か、どんな形状のものを国旗と認定するのかなど、様々な細則が今のところ良くわからない。なので現状、恣意的に運用される可能性もある。そんな状況なのに、それを今から手放しで容認するのって思考放棄だろう。
仮に汚損程度で罪になるなら、日本=高市(政権)みたいな思考回路の人たちの前でうっかり国旗を汚損しようものなら、まさに国家と政権を侮辱したとみなされかねないわけで。それが大政翼賛的でないというなら何なんだ?
軍靴の音とか、大政翼賛とか、全体主義とかを並べとけば勝ちみたいな
『ペリリュー-楽園のゲルニカ-』や『この世界の片隅に』といった、戦争を描いた近年のヒット作に関して「反戦を主張しないのがいい」という評価を頻繁に見掛けて、実に複雑な気持ちになる。
メッセージ性がないと駄目どころか、メッセージ性がないのがいいという評価。世間にはこの手の評価が広く受け入れられているため、それよりもずっと少ない、作品にメッセージ性を求める意見が許せない人達は随分と身勝手だなと思う。
もっとも『この世界の片隅に』については、原作者はともかく映画の監督の方は意外としっかり考えている人なのを後日知って印象が変わったが。『ペリリュー』の映画の方は予告編を見る限り、友情を前面に押し出した美談にするように見えるんだよな…。
日本で戦争を描いた作品は反戦を謳いつつも日本側の被害ばかり描いていて加害を描かないという批判はよく見掛けるけれど、
個人的には被害ばかり描いても別にいいと思うんだよね。こんな悲惨な目に遭いたくないから戦争は絶対にしてはならない、でも別にいいと思う。ただ、その被害をもたらしたのは誰なのか、どうしてそのような被害に遭ったのか、については描くべきだと思う。
それに加害を描いたところで、その加害を単に末端の兵士による暴走として処理してしまったのでは、興味本位の露悪趣味になり下がる危険性もあると思うし。
どうも日本には戦争をまるで天災かのように捉えて、戦争犯罪についても震災下での犯罪等と同様、極限状況に追い詰められた結果と一般化してしまう人が多いように見受けられる。
『この世界の片隅に』の呉にしろ、『ペリリュー』のペリリュー島にしろ、何故その場所で被害が、加害が行われたのかというそもそもの理由が描かれていないように思う。
問題は加害を描かない事じゃない。責任の所在を追求しない、構造に目を向けない事ではないだろうか。
被害にしろ加害にしろ、日本側として一纏めに括った描き方には賛同できない。
先日徳川慶喜の子孫を名乗る人が新選組を無法者の集団と評して話題になったけれど。権力の頂点にいた者の責任について自覚が薄いと思った。そりゃ安全な場所にいて衣食住も保証されていたらお行儀良くいられるでしょうよ。そんな立場から配下の素行不良を責める事が如何に無神経で横暴である事か。
『ペリリュー』の「どうして」という回で、敗戦の知らせの後も徹底抗戦を呼び掛けて多くの部下を死なせた後に生き残り、島民に保護された島田少尉の、自分はどこから間違っていたのかという問い掛けがあったけれど。間違っていたのはこの人物個人ではなく、それに至る以前の日本政府の判断に拠るものでしょう。庶民が自己の責任を問う事は美談にも見えるけれど、権力者を免責する事にも繋がる。
戦後の話では何度か天皇にも言及されるけれど、単なるニュースの域を出ない。主人公達末端の兵士が飢餓や病気に苦しんだのも、人を殺す羽目になったのも、そもそもは天皇を中心とした軍国主義体制のせいなのにそこを突き詰めて問う様子はない。
その点『はだしのゲン』だと、天皇が悪い、戦争を翼賛した日本の庶民も悪い、原爆を落としたアメリカも悪い、末端の米兵は日本国民に対する加害者でもあるが彼等もまた被害者でもある……といった構造の問題に触れている。
ただ、『ペリリュー』にしろ『この世界の片隅に』にしろ、全体を見渡す目がないというのは当時の一般人の感覚としてはリアルなのかもしれない。2025年の現在ですら台湾有事を想定して短絡的な交戦論を唱える人がいるくらいであるし。まして当時は庶民の高等教育進学率も低く、情報を得る手段も限られていただろうから。
特に『ペリリュー』の主要人物である当時二十代の若者達にとっては、物心ついた頃から社会はそんなものであって疑念を差し挟むのは難しかったのかもしれない。主人公は名称変更後も「看護師」ではなく「看護婦」と呼んでいるような、アップデートの遅れた人物として描かれているし。
『はだしのゲン』は作者の分身である主人公は父親が反戦主義者家庭で、意識の高い家庭に生まれ育ったようだからな。
漫画はあくまでエンタメではあるし、一つの作品で全てを描き切る必要もないのだし。
本当の問題は作品それ自体というよりも、そこから読者が何を読み取るか、あるいは読み取らないか、だろうか。
はっきりとした反戦のメッセージを押し出していない作品ではあっても、戦争は怖い、戦争はするべきではない、くらいのシンプルなイメージは読み取れるのではないだろうか。それを読み取らないどころか正当化したり、他国攻撃の材料にする人間の多さが問題なんだよな。
昔、まともな家の女性とは正式に結婚するまで男性がセックスしちゃいけないのが常識だったのは
父親の所有物の娘はそれで「傷もの」とされ資産として価値が下がるためだった
日本語で家父長制と訳されるパターナリズムが植民地支配にも関係があるのは、女性が家父長制の植民地だったからでもある
その後女性が独立した人権を得るため「性の解放」という方向で家父長制生殖管理を拒否する形になったが、結局、劣等男が普通の女とセックスして逃げる、という結果になった
かつての「結婚するまでセックスしない」は筋としては正しかった
自由恋愛で女だけその「自衛」「管理」をしないと妊娠や性暴力で人生設計も心身も壊れるのは非常にアンフェアだ
だが、日本社会は男の性欲を翼賛し、加害する男を甘やかし育てている
女は男に守られるべき、と言っているわけではなく
社会ぐるみの女への加害に無言という形でフリーライドする自称まともな男達
もう左翼オールドメディアを気にしなくていいんだ、と悟った日本政治がどこまで伸びるか|柿生隠者(かきお・いんじゃ)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/kakio_ja/n/n4cbd67631b31
pikix
オールドメディアのおかげでギリギリ正気を保っていた日本の政治文化が
ソーシャルメディアであれだけオールドメディアが敵視されてるのは
オールドメディアが偏向的姿勢や恣意的報道を露わにしてきたからでしょ。
産経から朝日までどの新聞社でもその資格がないのを豊富な実例付で示されてしまうのが現在地。
un_i_take
左翼ってか民間からの権力監視だから保守政権ならメディアが左翼に見えるんでしょう。
みんなで一緒に吠えるのが気持ちいい畜生に人間社会は理解不能。
2025/11/03
現代の左翼的な人間の特徴ってお題目を唱えれば現実を誤魔化せると思ってるとこだよね。
「現実にやってることがそうではないじゃん」って批判は耳に入れたくない。
気に入らない保守女が政権取った途端「支持率落としてやる」と絶叫してダッチアングルぐりんぐりんするようなのは
「権力監視」とさえ言えば満足してその内容やクオリティをチェックもしないような人間ほど
「メディアは権力監視でー」のお題目だけでメディア批判を退けようとする。
こういう奴って戦中には軍部のスローガンを御題目として有難がってたと思うんだよな。
時代が時代ならええじゃないかと踊り狂うような畜群レベルの知性しかないのにその自覚がない。
今ネットで気が狂ったように左翼が叫んでる高市批判も程度が低すぎるでしょ。
メス犬だの気持ち悪いだのブスだの媚びてるだの長年保守やって顔が歪んだだの
トランプの現地妻だのヒトラーだのババアがはしゃいでて痛いだの年齢より老けて見えるだの
太極旗に一礼したのまでケチ付けてもう意味がわからん。ネトウヨかと思ったら左翼なの。
「権力批判をイジメ呼ばわりするな!」とか言ってるバカが居たけど
「権力批判」と言う御題目じゃなくて中身を見ろと言うのが動物なのでわからない。
見た目の汚さならてめえが鏡見ろって感じのジジイババアがそんな事ばっか言ってる。
能力が低すぎて政策に対する論評なんか最初から出来ねえからだろ?
本質的にオールドメディアや左翼のレベルってその程度なんだよ。
ここが一番の問題な。
それしかできないからこどものイジメみたいなくっだらねーことや印象操作をひたすら叫んでる。
おまけにそのイジメすらフェアではない。
キモいキモくないのレベルで話をするなら前政権の石破と村上は限度を超えてた。
連立政権や民主党政権まで含めてもあそこまでキモい首脳陣を存命日本人は見たことがないはず。
見た目も気持ち悪い、食い方もきたならしい、座り方もだらしがない、体型も締まりがない、
老人だから見た目が汚くなるのは仕方なくとも自律心や努力でどうにでもなることが出来てなさすぎる。
でも左翼やオールドメディアが石破にキモいと言ったか?高市に対するように執拗な容姿・挙措批判をしたか?
全然してねえ。どっかでちょろっとはしたのかもしれないけど目に入らないレベル。
まとめると
頭が悪すぎて政策に対するクリティカルな論評なんか全然出来ないので
印象のウヨっぽいサヨっぽいで批判するか応援するかを決めていて
批判のレベルも極めて程度が低くてネットの罵詈雑言と大差がなく
というのが今のオールドメディアだよ。
笑わせんな。
それでついに信用を失ったの。
hammondb3
何故報道の自由や表現の自由が憲法で保障されているか知らないのか。
書き手は「左翼オールドメディアの口をふさげ」なんて書いてるか?
「左翼オールドメディアが何を吠えても世論がついてこなくなった」と書いている。
この人の反論は意味のある意見の相違ですらないので純然たる雑音、議論の邪魔。
この人にしても国民の平均レベルよりチョイ下ぐらいの頭脳に見える(国語力は総合的知能を図るのに適切な指標だ)けど
多分自己評価としては「大衆よりちょっと、いやけっこう賢いかも!」みたいな感じでしょ。
☆付けてる連中もね。
お前等は知能的に極めて凡人であって、偏差値50点程度の人達なのよ。
勉強出来たやつも出来なかったやつもね。
仕事や生活で抜きんでて賢明で周りに頼られてるなんて奴いないだろ?なら凡人なの。
そこを噛み締めてからそれでも言えることがあるなら謙虚な姿勢で発信してくれ。
お前等が「僕は偏差値70点」みたいな気持ちで発信するならそれは全部雑音。
fluoride
現代の知識体系って専門家が束になってやっとこハンドルできるくらい複雑化しすぎてて、
もう「庶民感覚」では歯が立たないんよな。
これは全くその通りだけど
という事はお前等偏差値50が政治問題社会問題に対して持つあらゆる意見も印象もあてずっぽうの頓珍漢という事ですよ。
お前等には生活者として「税を下げてくれ!」と言う権利はある。
しかしお前等の「減税が正しい政策!」にはなんらの確からしさもない。
要するにお前らの意見も参政党支持者の意見も平等に価値がない、
そこをわかってないし納得する気がないよね。
それどころかhammondb3みたいに問題文すら読めねえやつは回答資格まで辿り着いてすらいないんだけど
そんなのが人気5位になっている現実がある。
お前等は人を見下すんじゃなくて見下される経験をもっと積んだ方がいい。
tikani_nemuru_M
オールドメディアが信用ならんというのはよーくわかるが、SNSやショート動画よりはぜんぜんマシだろ。
それに、ちゃんと探せば活字媒体にはまともな調査報道はあるぞ。それこそ左右の問題ではない。
2025/11/03
オールドメディアの占めた位置はなんかしらの解体や改革が不可避だけど
それは爺さんたちの反省によってではなく退場と世代交代によってなされるんだろう
ヘタすれば玉石石石石混交のSNSやショート動画からなんとか玉と思えるものがのして来るのかもしれないよ
まあこの中では常識的な抗弁ですね