
はてなキーワード:美食とは
| 栄養素 | 目的 | 採用食材 |
|---|---|---|
| 高タンパク | 体の構成成分、満足感 | 鶏むね肉生地、カッテージチーズ |
| 低糖質 | カロリーコントロール | 小麦粉不使用、きのこ類 |
| ビタミン・ミネラル | 不足しやすい栄養素補給 | ほうれん草、海藻、かぼちゃの種 |
| 食物繊維 | 消化促進、腸内環境改善 | 全粒粉、チアシード、オオバコ |
| オメガ3脂肪酸 | 良質な脂質(魚介類以外から補給) | 亜麻仁オイル、チアシード |
ビタミン・ミネラル爆弾ソーストマトペースト(無糖):大さじ2
刻んだ乾燥ひじきまたはわかめ:小さじ1/2(鉄分・ミネラル補給)
トッピング(不足栄養素の最終補給)ほうれん草(茹でて水気を絞ったもの):一掴み(葉酸・ビタミンK)
かぼちゃの種、くるみなどのナッツ類:適量(ビタミンE、良質な脂質)
ボウルに【生地】の材料(鶏むね肉、おから、全粒粉、サイリウム、オイル、塩胡椒)を全部ブチ込んで、粘りが出るまでマジでよく練る!これが完全食ピザの土台になるから、気合入れて!クッキングシートの上に生地を広げ、薄く丸いピザ型に成形する。フォークで軽く穴を開けたら、180℃に予熱したオーブンで10分、一旦焼く(生地の水分を飛ばして高タンパク質クラストを定着させる)。
別のボウルに【ソース】の材料(トマトペースト、ヨーグルト、ひじき、ハーブ)を全部混ぜて、栄養を凝縮させる!乾燥ひじきは水分を吸って、ソースにとろみを出すよ。
焼き上がった生地に、まずソースを均等に塗り広げる。その上に、ほうれん草、ゆで卵、パプリカを芸術的に配置!ピカソもビビるくらいのキュビスムでOK!最後に、カッテージチーズとナッツ類を散らして、栄養と見た目の完成度をMAXにする。
再びオーブンに戻し、チーズに焼き色がつくまで10分ほど焼いたら完成!焼き上がったら、仕上げに亜麻仁オイルを少量垂らして、香りとオメガ3をさらにブチアゲるのもアリ!
約20年前に緊急走行中に事故を起こして減給の懲戒処分をもらった元警察官です。
ここで面白いのが、内部でのパワハラによる懲戒では退職を促されることはありません。
気をつけてね、で終わりです。
監察からの退職の促しを無視すると、署長、所属先のボス、先輩と次々と退職するように促してくる人たちが現れます。
ここまで来ると奥の手ですね。
それと同じ頃、警務や総務の人たちが中心となって、なんとか懲戒免職にするために動いています。
まだ結審していない場合には、検察に掛け合って「どのような証拠があれば実刑にできるか」とかの話をしてなんとか実刑(失職)に持っていこうとします。
明らかに実刑が難しい場合、色々な判例や処分例を照らし合わせて懲戒免職にできないか頑張っています。
依願退職の意思があれば、警察は不起訴や執行猶予にするために違法にならないギリギリまで協力しますし、ほとんど給与水準の変わらない再就職先の斡旋もしてくれます。
そこまでしてでも、市役所や県庁や消防と違い、警察は事件事故で懲戒処分された警察官を内部に置いて起きたくないのです。
実際、取り締まりの現場でそれを持ち出して警察官相手に管を巻く者もいるようです。
私が本部で勤務していた時、通りすがった交通機動隊の後輩が「誰かさんのせいでよー。今日も速度違反したおっさんから『お前のとこの事故起こしたやつはどうなってんだよ』とか絡まれたわー。早く辞めねえかなあいつ」と言っていましたから。
ここまで来るともう意地です。
机一個と何も並べられていない本棚しかない窓もない部屋で存在しない資料を整理するという仕事もしましたし、本部の総務部にいた際は炎天下の中でひたすら各警察署の清掃や草取りもやりました。
1番キツかったのは警察学校からの同期会にも一切呼ばれなかったことと、家族ぐるみでの職場のイベントにも一切呼ばれなかったことでしょうか。
先輩や上司との飲み会はどうでも良いですが、警察学校の同期は特別ですし、うちの子供たちはいつもイベントを楽しみにしていたので。
定年まで5年を切ると、もう上も諦めたのか呆れたのか、仕事も通常モードに戻りました。
相変わらず上も同期も下も私を白い目で見続けたのは変わりありませんでしたが、普通の仕事をさせてもらえただけでありがたかったですね。
県警は階級に応じた再就職先リストを持っており、定年する警察官は呼び出されて希望を聞かれます。
総務部長の待遇はやはり破格で、うちの県警では某テーマパークを運営する企業の顧問でした。
駅からパーク、アトラクションの行列などの導線や警備などで県警から助言を受けているため付き合いは密接です。
他の部長クラスや警視正の署長も地元に本社のある某流通大手の役員や顧問です。
変わり種としては警視の階級の署長経験者などは某流通大手の店舗で警備部門の現場責任者として働いていました。
万引き犯が捕まった際に警察に通報するか、説教してその場で帰宅させるかの判断なんかをします。
生活保護部門は言わずもがな、総合病院も診察室や窓口でトラブルを起こしたり騒ぐ人たちが来るので、警察OBが必ずいます。
椅子に座ってばっかりの仕事は性に合わないと、刑事や生安の人らがよく希望しますね。
そして、決まれば再就職先との面接もなくそのままそこでの勤務が決まります。
建設会社と言っても、元ヤクザが経営しており、生活保護ビジネスで稼いでいる会社です。
ボロボロの寮に生活保護受給者たちを住まわせ、保護費のほとんどを横取りし、生活保護が廃止にならない範囲の給与を出して工事現場などでのガラだしなどに派遣しています。
「お前のことはいくらでもこき使っていいって言われてるからな」と。
それ以来、汚い寮の掃除、工事現場の仮設トイレの清掃や汚物の回収、社長や役員の運転手などの仕事をしています。
どんなに汚い仕事でも、給与だけは同じ階級の同期の再就職先より遥かに恵まれています。
家のローンもありますし、四面楚歌になって以来美酒美食をストレス発散にし今ではそれが日常になってしまっています。
ローンと下げられない生活水準のためにはここで働き続けるしかないのです。
今日も土曜日で本来休みですが、旅行に出かけた社長家族の代わりに社長の家の犬を散歩に連れ出し餌をやって、事務所の清掃をしました。
家で1人野菜炒めをのせたインスタントラーメンを作ります。
Permalink |記事への反応(13) | 18:01
前記事(anond:20251027134053)では、篠田氏が明言しているとおり「青の純度」はラッセンに着想を得たがラッセンのモデル小説ではなく、篠田氏がラッセンのモデル小説であることを否定した点をもって同氏が嘘つきであるかのように非難するのは的外れである旨を説明した。
さて、そうだとしても、「青の純度」は原田氏の研究を参考にしたにもかかわらずそれに言及しておらず不誠実でないか、という主張がある。なお、著作権侵害ではないこと(したがって表現の剽窃が無いこと)は原田氏自身も認めるとおりであるから前提としてよかろう。
ここから先は出題編だけでなくオチまで含めた全面的なネタバレがあるので、ネタバレを読みたくない未読者にはブラウザバックを推奨する。
原田氏が「青の純度」が自分の業績の盗用であると主張する主な根拠は次の4点である。
①悪徳商法と切り離して美術的評価を検討するという視点は自分が言い出したことである。
②「インテリアアート」という用語は自分たちが世に出したものである。
③日系人の墓が西を向いているという話は自分が現地で伝え聞き紹介したものと同じである。
④偽ラッセンが8年前の嵐で自宅を被災したという設定は、ラッセンが2023年のハワイ島大火災で一時行方不明になったという自分が発見した事実に酷似している。
このうち②は原田氏のラッセン展(2012)よりも前から「インテリアアート」という用語が広く使われていたこと、③は原田氏自身も現地で伝聞した旨を述べているとおり原田氏の独創ではないこと、④は「8年前の嵐」と2023年の火災は似ても似つかず、8年前の嵐は物語の重要な小道具であり、2023年の火災はエピローグで軽く触れられていることなどから、いずれも牽強付会と言ってよかろう。
そして、この点でも、以下の理由から、原田氏らの研究を参照したとは考え難いように思う。
まず原田氏らの研究について、ラッセンを再評価してみるというアイデアだけなら、永野の「ゴッホより普通にラッセンが好き」というネタを掘り下げれば容易に行き着くアイデアであって(それにしても「普通に」を入れた永野は慧眼である。)、研究成果とは言えない。研究的価値があるのはその先の、再評価するとどうなるかという部分だ。
それでは原田氏らの研究はラッセンをどう再評価するのか。これについては原田氏らの論考集に対するAmazon読者コメントがよくまとめてあるので引用する。
1.美術界がラッセンを無視した理由:純粋美術はラッセンの属するインテリア・アートを一段と下に見ていた。アートの美意識を理解しない層に支持されていて、大きなマーケットを獲得していることへの反発があった。また、芸術には必ずあるはずの作家の自己の投影がない「空っぽ」の作品としてラッセンを排除していた。ラッセン以前にも美術界は古くは藤田嗣治、岡本太郎、草間彌生、バブル期にはヒロ・ヤマガタ等に対して無視の態度をとってきた。
2.ラッセンの作品への評価:マーク・マッカイやロバート・ネルソンなどのマリンアートの模倣であって彼のオリジナルではない。同じ素材(イルカ、クジラ、星、波など)の組み合わせを替えて使い回す自己反復が顕著である。特徴は圧倒的な情報量と人工的な空虚さである。「調和」「エコ」「静寂」「浄化」などのイメージを散りばめることでリラクゼーション効果を発揮している。ラッセンはいわばアロマキャンドルである。
3.日本人がラッセンを愛した理由:バブル期に豊かになった市民は百貨店で自宅の装飾用に絵画やインテリア・アートを買うようになった。それはアールビバン(株)がヒロ・ヤマガタやラッセン展示会を地方都市で巡回して売りまくる素地となった。ラッセンの作品は、過剰であり、大衆的である。リアルで過剰な演出がバブル期の人々の心性と符合した。見た目がカラフルでわかりやすい、専門知識がなくても理解できる。1作品を1000枚単位で刷る大量生産によって全国で強引に売りまくった。
4.ラッセンのプライベート:ハワイの工房に100人の従業員を雇って作品を制作している。公式サイトでの肩書きは画家、詩人、作家、音楽家。ラッセンが愛好するものとして海、サーフィン、高級車、有名ブランド品、美食、マウイの豪邸などの徹底した成金趣味。彼が出しているCDアルバムの収録10曲のうち自作は2曲のみで他の8曲はカバーである。しかし、自作を装っているところにラッセンという人物の本質が窺える。
これに対し作中の偽ラッセンの作品の評価や背景は次のようなものである。
絵の特徴点とされるものが軒並み先行研究に表れていない篠田氏の独創である。特にその技巧的特徴や日本人に受けた理由を画家の日本人の血で説明している点は、本作のテーマに関わる重要な特徴だろう。そうなればこそ本作はハワイ在住日系人に関する参考文献を多数掲載した、現代の日系人と在ハワイ日本人の物語なのだ。
そして、作品の特徴を日本人の血に求める以上、本作の画家とラッセンの評価は全く無関係だ。本作はラッセンの再評価などまったく目的としておらず、ラッセンの再評価についての文献を参照する必要に乏しい。というか、もしラッセン研究での再評価を借用したならば、「青の純度」の物語は全く成り立たない。
原田氏自身が、「青の純度」と自身の研究の類似性を研究成果ではなく再評価というアイデアしか挙げることができていないように、これで篠田氏が原田氏の研究を剽窃した、不道徳だと言うのは、無理があるのではないか。
巷には、天ぷらを塩で食すことこそが「通」だと宣う、了見の狭い輩が満ちている。海老には藻塩を、舞茸には抹茶塩を、などと、殊更に素材の香りを尊ぶが如き振る舞いを装う。その理屈、表面的には理解できぬでもない。
確かに塩は、衣の乾いた軽やかさを維持し、素材の持つ純粋な旨味を立たせる。料理番組の審査員とやらが、したり顔で「ここは、あえて塩で」などと嘯く場面は、それこそ掃いて捨てるほどある。結構、結構。その程度の了見で食の神髄が掴めるものか。
だがな、私は敢えて言おう。声を大にして断言する!私は天つゆに、天ぷらを沈めるが本懐だ!
理由は単純明快。あの、乾いた揚げ衣を、ジュワリと出汁で濡らし、ふわりと柔らかな塊に変じさせ、大根おろしをたっぷりと絡めて食す。あの瞬間にこそ、天ぷらが、単なる揚げ物から、深遠なる料理へと昇華するのだ。衣は湿気を帯び、油の持つ野暮ったさを、大根おろしが鋭く吸い取り、軽やかな一皿へと変貌する。天つゆは、単なる液体ではない。天ぷらの魂と、それを味わう者の魂を結ぶ、唯一無二の架け橋なのだ。
塩で食うことを是とする連中は言う。「天ぷらは、衣の音を楽しむもの」だと。それは、一面の真理かも知れぬ。しかし、私に言わせれば、音など一瞬で消え去る儚い幻に過ぎぬ。パリッという、その刹那的な快感は、二秒と持たぬ。
しかし、天つゆに沈めた天ぷらは違う。出汁の旨味をじわりと纏い、大根おろしが舌に優しく絡みつく。その余韻は、音よりも遥かに長く、身体の奥底にまで染み渡る。私にとって天ぷらは、刹那の快楽たる音楽ではなく、幾度も読み返せる、深遠なる文学なのだ。出汁が沁みていく、奥ゆかしい物語。
そして、この真髄を語る上で、大根おろしの存在を忘れてはならぬ。油で揚げたものを、胃袋が拒絶する瞬間は、必ずや誰にも訪れる。だが、大根おろしを添えるだけで、まるで救済の光が差したかのようだ。重さが和らぎ、「もう一口」という、食欲の炎を蘇らせてくれる。これこそ、齢を重ねても天ぷらを愛し続ける秘訣である。我々にとって大根おろしは、単なる薬味ではない。美食を長く愉しむための、延命装置なのだ。
己の欲望に忠実であれ
私は常に、こうする。天ぷらを箸で持ち上げ、躊躇なく天つゆの海に沈める。衣から、まるで呼吸するかのように気泡が立ち、つゆがじんわりと染み込んでいく。その光景は、あたかも人生の重荷を脱ぎ捨て、温泉に浸かり至福に浸る老練な男のようだ。ああ、天ぷらよ。お前も気持ち良いだろう。私もまた、満たされている。サクサクした食感が失われても、何ほどのことがあろうか。この崩れ去る柔和さこそが、真の旨さなのだ。
特に、家庭で揚げた天ぷらと、店で食すそれとは、根本的に話が異なる。家で揚げたものは、衣が厚く、油を吸い込みやすい。だからこそ、天つゆと大根おろしの出番だ。家庭の素朴で重い天ぷらを、軽やかに蘇らせ、家族団欒の安らぎを支えるのは、常にあの黄金の組み合わせである。
一方で、外で食す天ぷらは、プロの技術が光るが故に、塩で食すのも悪くはない。しかし、私はその場でも天つゆを求める。なぜなら、人間はどれほど洗練されようとも、「安心の味」を求めるものだからだ。幼少の頃から慣れ親しんだ、つゆに沈めた天ぷらこそが、私の**食の故郷(ホームグラウンド)**なのだ。
美食を語る雑誌などは、決まって「塩でいただくのが大人の嗜み」などと、上っ面だけの美意識を垂れる。だが私は、敢えてその逆を行く。食において、格式や見栄など、何の価値もない。己の欲望に、正直であること。それこそが、美食家の矜持である。
私は、塩派の人間を否定するつもりは毛頭ない。だが、彼らもまた、私が天つゆに天ぷらを沈める姿を、嘲笑してはならぬ。なぜなら、その丼には、私の食に対する揺るぎなき哲学が横たわっているのだから。
ここで、私が天つゆに沈めるべき天ぷらとして、三傑を推挙しよう。
第一位:海老天。 ぷりぷりの海老の身が天つゆを纏い、噛むごとに、出汁と海老の旨味が混ざり合う。これぞ王道の貫禄。
第二位:茄子。茄子は油を吸いやすく、単体では胃に重い。しかし、天つゆと大根おろしで洗うことで、一気にジューシーさと、軽さが両立する奇跡の存在へと変貌する。
第三位:かき揚げ。 これは、天つゆのために生まれてきたと断言する。ザクザクの具材がほぐれ、つゆに沈んだ瞬間、奥深い旨味のスープのように化ける。
天ぷらは塩か天つゆか、などという問いは、愚問である。大事なのは、己の胃袋と心が本当に求めるものを選ぶ、確固たる哲学を持つこと。それこそが、食の真髄である。
私はこれからも、大根おろしを山と盛り、天つゆを惜しみなく注ぎ、天ぷらを沈め続けるだろう。サクサクの音を尊ぶ者たちよ、己の好みを否定するつもりはない。だが、私の美食道を、ただ見守るがいい。私は、私の道を行く!
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天ぷらを愛する、全ての真の食通へ。
恐れるな。天つゆに沈めろ。そこにこそ、真の救いと至福が待っている。
もしゲーム業界を料理の世界に置き換えるなら、ソニーは星付きレストランだ。世界的に名を馳せるシェフが集い、創造性と技術を駆使して芸術品のような一皿を生み出す。そこでは客はただ食事をするのではなく、体験そのものを味わうのだ。
では任天堂は? 正直に言えば、彼らの立ち位置は「B級グルメの屋台」にすぎない。
確かに、屋台の焼きそばやたこ焼きは手軽で楽しい。子どもから大人まで気軽に口にできる。しかし、それは腹を満たすための「安直な味」であって、世界に誇れる食文化ではない。任天堂のゲームも同じだ。分かりやすく、誰にでも遊べる。しかし、それ以上でも以下でもない。
ソニーが熟練の料理人によるフルコースを提供するのに対し、任天堂は縁日の紙皿に盛られた焼きそばを差し出すだけだ。その場では楽しめるが、食後に語り継がれることはない。
問題は、任天堂が自らを「世界最高の料理店」だと勘違いしている点だ。屋台のたこ焼きにミシュランの星を期待するのは滑稽だが、彼らは本気でそう思い込んでいる。
結局のところ、任天堂のゲームはB級グルメそのものだ。祭りの日に食べれば盛り上がるが、翌日には忘れられる。芸術的な美食を追求するソニーと同じ土俵で語ること自体、すでに間違いなのだ。
真面目に答えると、人間は器官に美感=快感を与えたい生き物だから、というのが正しいんじゃなかろうか。
触覚に快感を与えたい→柔らかいものを撫でる。プールで泳ぐ、風呂、肌と肌で触れ合う、等々。
そして男性の多くは女性の造形や声等に美を感じるものなので、当然それらすべての欲求を満たすために実際に性交したい、となる。
だから、女と性交したいといっても、美感を感じるようでないとそうした欲求の対象にならないので、男は女と性交したいというよりは、美感を感じさせる女と性交したいと言ったほうが正しい。さらに言えば美しさを感じさせる男性も男の欲求の対象になりうるので、実際には女と性交したいわけでもなくて、美感を感じる相手と性交したいんだ、ということぐらいしか、男一般に対しては言えない。
丸亀丼と申すか。愚にもつかぬ名だ。だが、その実、侮れぬ逸品と見た。
まず、丼という簡素な器に盛られているからとて、安易な料理と侮ることなかれ。料理の真髄は、素材の吟味、調理の妙、そして食す者の心構え、この三位一体によって初めて極まるもの。丸亀丼とて、その例外ではない。
第一に、米だ。丼飯の根幹を成す米の質こそ、料理全体の品格を左右すると言っても過言ではない。白く輝き、一粒一粒がしっかりと主張する、粒立ちの良い米でなければならない。炊き加減も重要だ。硬すぎず、柔らかすぎず、口に含んだ時にほどけるような、絶妙な炊き加減が求められる。もし、べちゃっとした米や、芯の残ったような米を使っているようでは、その時点でこの丼は失格だと言わざるを得ん。米農家の魂、そして炊き手の技が、この一粒一粒に凝縮されていなければ、真の旨さは引き出せないのだ。
次に、主役となる鶏肉だ。単に安い鶏肉を使えば良いというものではない。肉質はきめ細かく、適度な弾力があり、そして何よりも鶏本来の旨味をしっかりと持ったものを選ばねばならん。ブロイラーであれば、飼育環境や飼料にまで気を配られたものを選ぶべきだ。地鶏であれば、その土地の風土が育んだ独特の風味を最大限に活かす必要がある。切り方一つにしても、漫然と切るのではなく、火の通りやすさ、口に入れた時の食感を考慮し、繊維を断つように丁寧に 切るのが鉄則だ。
そして、この鶏肉を煮る出汁。これがまた、丸亀丼の命綱と言えるだろう。単なる醤油と味醂の甘辛い出汁では、深みも奥行きも生まれない。良質な昆布、香り高い鰹節、そして滋味深い椎茸など、それぞれの素材が持つ旨味を最大限に引き出し、絶妙なバランスで調和させることが肝要だ。煮詰める時間、火加減、ほんのわずかな塩梅の違いが、全体の味わいを大きく左右する。熟練の職人の技と、長年の経験によって培われた勘が、この出汁には不可欠なのだ。安易な調味料に頼るなど、もってのほか。素材本来の力を引き出すことこそ、料理人の腕の見せ所と言えよう。
さらに、丼つゆがご飯と鶏肉に染み渡る塩梅も重要だ。多すぎればご飯がべちゃつき、少なすぎれば味が単調になる。丼の底のご飯粒まで、ほんのりと色づき、一口食べれば鶏肉の旨味と出汁の風味が口いっぱいに広がる、そんな理想的な状態を目指さねばならない。これは、盛り付けの際のと、丼の形状、ご飯の量、鶏肉の量、そしてつゆの量の絶妙なバランスによって実現されるものだ。
そして、忘れてはならないのが、薬味の存在だ。刻みネギの清涼感、三つ葉の香りが、濃厚な鶏肉の旨味を引き立て、全体に爽やかなアクセントを加える。七味唐辛子を振りかければ、ピリッとした刺激が食欲をさらに掻き立てるだろう。これらの薬味は、単なる飾りではない。計算された上で添えられた、味 を高めるための重要な要素なのだ。
食す者の心構えもまた重要だと言ったな。せかせかと掻き込むように食べるのは、この丸亀丼に対する冒涜以外の何物でもない。まず、丼全体の美しい盛り付け。立ち上る香りを深く吸い込み、食欲を高める。そして、箸をゆっくりと運び、鶏肉とご飯を一緒に口に含む。鶏肉の柔らかな食感、噛むほどに溢れ出す旨味、そして出汁の染み込んだご飯の甘みが、口の中で渾然一体となり、至福のハーモニーを奏でるはずだ。
一口、また一口と、ゆっくりと味わいながら食べることで、それぞれの素材の持つ個性、そしてそれらが織りなす複雑な味わいを深く理解することができる。途中で薬味を加えれば、味の変化を楽しむこともできるだろう。丼一杯の中に込められた、作り手の想い、素材の力、そして自然の恵みに感謝しながら、じっくりと味わうことこそ、この丸亀丼を真に味わうということなのだ。
もし、貴様がこれまで、単なる空腹を満たすためだけに、この丸亀丼を掻き込んでいたとしたら、それはあまりにもったいないことだ。今一度、丼に向き合い、その奥深さを探求してみるが良い。きっと、これまで気づかなかった新たな発見があるはずだ。
この丸亀丼には、 奥深い魅力が秘められている。それは、食す者への思いやりが凝縮された、まさに芸術と言えるだろう。わし、海原雄山が、丸亀丼の真の価値を認めてやろう。
だが、忘れるな。これはあくまで、わしが味わった丸亀丼に対する評価だ。明日、同じ店で同じ丼を食べたとしても、素材の状態、調理の具合、そしてわしの体調一つで、その評価は料理とは、それほどまでに繊細で、奥深いものなのだ。
ゆえに、貴様もまた、真の美食とは、自身で見つけ出し、自身でするものなのだからな。
さあ、このわしの言葉を胸に刻み、今一度、丸亀丼と真剣に向き合ってみるが良い。きっと、これまでとは違う、新たな感動が貴様を。
東京都内で用事があったんだけども、都内は宿泊費が高いので関内のダイワロイネット泊まった。
24時近くに関内の駅着いたら、「あー来たことあるー」って思った。近くのライブハウスに推しを見に来てそのあと友達と駅近くの激安居酒屋で飲んだなー。当時多分コロナ禍で人が少なめだったんだよなーと思ってホテル向かった。
ダイワロイネット着いたら1階がサイゼとセブン、2階がコメダ、3階からがホテルっていう作りだった。見たことある!めっちゃ良いホテルだ〜って思ってたところだ!って思い出してその時点でかなり嬉しかった。
早朝起きてパジャマにコート羽織ってコメダでモーニング食べて部屋帰ってまた爆睡。2000円払って2時間延長。13時にチェックアウト。一人旅楽しすぎ。
近所のお店の中華(龍鳳)か、中華街まで歩いて中華(南粤美食)食うかーと思って電話したらどちらもランチ終了してたから仕方ないから利久庵っていう美味しそうな蕎麦屋に入った。ちょっと並んで蕎麦食べた。隣の引退した昼飲みジジイ3人のことウルセーって気持ちと楽しそうで羨ましい〜って気持ち半々で見てた。蕎麦うまい!冷し上利久そばっていうの食べた。もっと蕎麦食べたいからせいろも追加した。うまい!お腹いっぱいになったからお散歩。
野球が好きなんだけどハマスタって行ったことないよなーと思って横浜公園まで行ってみた。なんか公園の中に野球場あってめっちゃ良い。もし私が横浜市民ならハマスタのこと本当に愛してたと思う。月曜だったから残念ながら野球の雰囲気は微塵もなかったけどなんかすごいよかった。横浜公園はチューリップがいっぱい咲いててみんな楽しそうで本当によかった。幸せな空気が漂っている。うれしい。春って最高。
山下公園にも行きたくてまたお散歩。途中でフレッシュネスバーガーを見つけちゃったから入った。Twitterでチュロスが美味いって見た。食べた。めっちゃ美味しいチュロス。チュロスってテーマパークか映画館でしか食べれないけどすごい好きなんだよなー。こんなに手軽に食べれていいなーって思ったけども、よく考えたら近所にフレッシュネスバーガーない。手軽じゃない。悲しい。美味しかった。
夕方に山下公園着いたら山下公園も人々が幸せそうだった。端っこのよくわかんない石のオブジェあるとこも良いよね。ここで好きなMVが撮影されてるから思い入れもある。
春だったからっていうのもあるけど、散歩してて横浜のこの辺に対してぼんやりとした幸せな気持ちを持ってるんだなーと思い出した。来るたびに嬉しくなる。たとえ1人で来ても。
ライブ前に友達と中華街のお店で宴会したこととか、親友とニューグランドに泊まってニューグランドのバー行ったり山下公園散歩したりドリア食べたりしたこととか。もうどちらも数年前なのにどんな話したとか割とよく覚えてる。楽しかった。
そういう記憶がその街にあると本当に良いよねーうれしいよねーと思って散歩してたら17時過ぎてたので南粤美食に行った。アヒルの醤油煮、空芯菜の炒め物、エビワンタン麺食べて大満足。利久庵も南粤美食も美味しかったから私の横浜への楽しかった記憶に追加しておこう。赤い電車で羽田空港に向かって帰宅。予定は変わっちゃったけども、楽しい月曜日だった。
なお後ろについてるキャラ名とかは代表作(とワイが思ってるもの)や
ちなみに性癖はノーマル・キス多め・たまにロリ作家でも優秀な人は混ぜとる
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google:p415 vr 対面google:PigTaroTaro セルン迷夜ゆめ ※男の娘注意
ワイのサーチ範囲は極めて偏っとるはずやし他になんかあったら教えてほしいやで
アルトバン愚にもつかぬ大衆車であろうと侮っておったが…。(腕組みをして、やや顎を上げ、鋭い眼光をアルトバンに向ける)
余は美食を極める者。味の本質、素材の良し悪しを見抜く目は、絶対的だ。そして、クルマの本質もまた、同様に見抜くことができる。
昨今のクルマは、過剰な装飾、無駄な機能ばかりを追い求め、本質を見失っておる。まるで、薄っぺらな化粧を施した女のようだ。しかし、貴様はどうだ?
飾り気のない、実に質素な佇まい。だが、その潔さが良い。無駄を削ぎ落とし、必要最低限の機能に徹しておる。まるで、研ぎ澄まされた刀のようだ。
そして、そのエンジン…(鼻をかすかに動かし、エンジンの音に耳を澄ます)小さいながらも、実に実直な鼓動ではないか。経済的でありながら、必要十分な動力を備えておる。無理せず、ひたむきに職人のようなエンジンだ。
室内もまた、静かとは言えぬが、生活の道具としての機能性に溢れておる。無用な快適性など求めず、荷物を積み、人を運び、実直に働く。田舎者の如き、逞しさがある。
昨今のメーカーは、消費者の表面的な欲求にばかり応え、本当に重要なことを見失っておる。安全性だの、流行のデザインだの…そんなものは二の次だ!
クルマの本質は、オーナーの生活を支え、 信頼できる相棒となること。そして、経済的であることだ!
その点において、このアルトバンは驚くべきほど、その本質を体現しておる。
今日から、貴様を見る目を改めよう。 なかなか、骨のある乗り物よ。稀有な存在と言えよう。
だが、勘違いするなよ。あくまで、道具としての評価だ。最高級の美味とは違う。だが、日常の食事として、これほど賢明な選択肢も少ないであろう。
肝に銘じておけ。クルマの本質は、美しさや豪華さではない。オーナーの生活を、いかに豊かにするか、それ 一つに尽きるのだとな!アルトバンよ…貴様は、それを少ないながらも、確かに理解しているようだ。
今年度もまあまあ働きすぎで休暇取らなきゃいかなくてこのクソ混みの時期に京都に1泊か2泊かしようかと悩んでおる。ただあんまり訪れたいところが思い浮かばないんすよね。たまたまニンテンドーミュージアムのチケット争奪戦に勝ったのでそこに行くのは確定。スイッチは壊れてジャンクでメルカリ行ったけど。美食や甘いものは興味なくて食事はチェーン店でなんとかなる(というか糖尿病予備軍で糖質制限生活を強いられているので糖質量がわかる店がよい)。ちな独身者。
そうだなー。自炊用の調味料とかを買いたいくらいか?モンベルのご当地Tシャツも興味ある。コーヒー豆もいいけどまだ冷凍庫にあるんすよね。京都離れるにしても大阪は粉物ばかりだしなー。
いつも幹事引き受けて下さり、ありがとうございます。
本日は会費についてご相談申し上げたく、一筆差し上げた次第でございます。
例えば、平均年収1000万円を超えている皆様の職場の忘年会であれば、1回15000円の会費でも文句は出ないでしょう。飲み放題以外の美味しいお酒も勝手に頼め、結局ワリカンで2万円を超えても文句を言う人は少ないかもしれません。
ですが、アラフォーにも差し掛かり、年収600万~1200万、独身や一馬力から共稼ぎまで、多くの属性がいる中高の同窓会では、同額の会費を出すことに抵抗がある人間も多く、さすがに配慮をお願いしたいと思います。
昨今、居酒屋の物価も上がっており、また、年末年始は便乗値上げも行われておりますが、東京の場合、1人5000円~6000円で、「個室or半個室」「コース+2時間飲み放題」で、食べログやホットペッパーから簡単に予約できるお店があるかと思います。
同窓生同士の集まりは、美食美酒を求める場ではなく、旧交を温める場だと思っています。ですので、より多くの人間が集まれる会費設定にしていただけませんでしょうか。
毎回皆様が幹事を引き受けてくださるのはありがたいのですが、会費1万円超が毎年続くような状態では、会費5000円の「裏忘年会」もでき、同期が分裂してしまいます。大人になってから何の利害関係もなく集まれる人々は貴重な関係であり、できる限り垣根無く親交を続けていきたいと思っております。