
はてなキーワード:編集手帳とは
って話というか説明をするよ!!!読みたくない人はこの1行だけ持って帰ってくださいね!!!!言ってない!!!
これはどうもSNS上で話題になってるらしいことなので、じゃあ増田で言ってどうすんだよって話なんだけど
俺が今からSNSアカウント作っても誰も見ないだろうし、多少は人目につくここで書くしかないんだ…
気が向いたら拡散でもしてくれたら嬉しい
いや拡散しなくていいけど
韓国で開発され日本でも運営されているスマホゲーム「ブルーアーカイブ」。
多くの海外製スマホゲーと同様、たまに日本語版と韓国語版の訳の違いが話題になったりする。
まあそれは何のメディアでもある。小説だって映画だってドラマだって字幕派と原語派がいる。ハリーポッターは英語で読まなきゃダメだよね~みたいな人もいるじゃん。これは普通。
なんだけど今回、先生(プレイヤーキャラクター)がナギサというキャラクターに対して、韓国語版では下の2つのセリフを言ったらしいと広まっている。
「お前は救いようがないパラノイアだ」
「お前の陰謀は私が打ち砕く」
2文目はあとで触れるけど、まずパラノイアの方ね。
これ言ってないの!!!!!
日本語版ではそこは「今の君はきっと、疑心暗鬼の闇の中だ」と訳されていて、「疑心暗鬼だよね~、なんか周りが疑わしく見えちゃうよね~」というニュアンスになっている。
ところが韓国語版では「お前は救いようがないパラノイア」だと言ったらしい!!!!なんだと!ナギサを病気だって言いたいのか!!!ひどすぎるだろ!!!と日本のSNS上で話題になってるらしいんだけど
ちょっと紛らわしいのは「先生がナギサに対して酷いことを言った」のはあってる。
これは韓国語を読まずとも、日本国内で読める日本語版でも同じ(ストーリーは同じなんだから、そりゃそうだ)
確かに酷いことは言ったよ。ここは正しい。
先生が「救いがたいパラノイアだ」と言ったとされる部分、韓国語ではこういうセリフ。
"너는 구제불능인 의심암귀다."
たったこんだけだぜ!このくらい辞書引けばすぐわかるでしょうよ!!!言ってないことを言ったと思ってる人も読んでみてくれよ!!!
ここの의심암귀は正に熟語の『疑心暗鬼』のこと。中国の『列子』に由来するとされる疑心暗鬼そのもの。
つまり、解釈の可能性はこの後するけど、まず原文で『パラノイア』なんて言ってるかどうかについては議論の余地がない。
"너는 구제불능인 의심암귀다." "君は、救済不能の疑心暗鬼だ。"
そんで、これを日本語版と比べてみると
ね!!
パラノイアなんて言ってないから、日本も韓国も「疑心暗鬼」扱いなのは同じ。そこは日本と違わない。
これが文章だったなら分かるよ。
「君は救いがたいな。何もかも全てを疑った挙句、いもしない敵を自ら作り上げてしまった。今すぐ入院して医学的処置を受けるべきだ」とか言ってたなら「うーん…パラノイアって訳しておくか!」となるのも分からなくもない。
でも違うじゃん、의심암귀疑心暗鬼って言ってんの。パラノイアなんて言ってねーんだって!!そんな単語も文もないんだもんって!!
ネットで広まってる言い方なら「救いがたい」のほう。これは実際に言ってるの。これは確かにキツイね。救えねえわって言ってんだからキツイよ。
でもパラノイアは言ってないから!!의심암귀はそのまんま疑心暗鬼だから!!ナギサを病的だなんて言ってないから!!
確かにパラノイアって単語は無いけど、意訳すればパラノイアでしょ? 疑心暗鬼がひどくなったのがパラノイアでしょ?と思ったあなた。
じゃあそれはストーリーがどうこうじゃなくて、韓国語版との違いがどうこうてもなくて、「意訳がどうこう」いう所じゃん!
スタートとゴールが疑心暗鬼で真ん中にだけパラノイアがあるなら、それは韓国語版由来でなく意訳由来では!?
意訳はニュアンス変わるよ。試しに俺が
どれがより適切かは文脈によるんだけど、原文から100%全くの別物にまではしていない。どれも意訳と言い張れる範囲だと思う。
これは何か恣意的にねじ曲げようってんじゃなくて、俺がどうストーリーを受け止めているかがあって、そのフィルターを通って変換されてる。
決して、パラノイアと訳されたのが悪いとか言いたいんじゃない。人それぞれの読み方があって、人それぞれのフィルターがあるから。
だけど「パラノイア」は原文にはなくて、フィルターの中にある言葉じゃないのってのはあるかもなの。
誰か個人の訳なのかネットで自然発生したものなのかは分からないし、それについてはどっちでもいい。原因探しじゃなくて、そんなこと言ってないよ!!!が重要だし。
先に断わっておくと、この項はパラノイアと訳した人が悪いぞ!という話ではないです。
で話に移ると、小説でも映画でもなんでも「海外ではこう書いてあるんだぜ」と日本語訳をみたとき、そこには必ず訳した人がいるって意識は必要です。
例えば英語の"good morning."だって、訳はどんだけでもある。
「おはよう」「はよう!」「おはようございます」「良い朝だね!」「今日もよろしく」「はよざーっす」「ザぁっす」、どれも正しい訳だけど、話し手の雰囲気は変わって見える。日本語だとひらがなとカタカナを使い別けるから、「ざぁっす」「ザァっす」「ザァッス」でも雰囲気は変わる。あくびしながら「ザァっす」は眠そう。キラキラした目で「ザっす」は元気そう。ァ1文字抜いただけだけど。
本来は文脈によってある程度絞られてくるけど(例えば清楚なお嬢様キャラは「ザぁっす」とは言わないだろう)、1文、2文を抜き出して訳すときはどんだけでも幅が出る。
文脈によっては、何もおはよう要素がないかもしれない。誰かに朝から会いに行ったなら「どうもどうも」とか「すみませんね」と訳せる状況もあるかもしれない。
状況によっては「夜が終わった」とも訳せるかもしれないし、窓を見てれば「陽が昇ってきた」とも訳せるかもしれない。夜通し騒動に巻き込まれるストーリーだったら「逃げ切ったね」「終わったか」「助かった」くらいまで意訳できるシーンもあるかも。100億円貰える日の朝なら、「さあゴキゲンが始まるぜ!」になるシーンもあり得る。
大きく意訳するのはなしにして、good morningを「良い朝だ」と訳すとしよう。語尾をちょっとだけ変えてみる。「良い朝だね」「良い朝だぜ」「良い朝だ」「良い朝だよ」「良い朝ですよ」、ほんの数文字変えただけで、シチュエーションも性別も変わって見える。
でも、ここまで挙げたすべては、ぜーんぶ、"good morning."から出せる。
ブルーアーカイブのプレイヤーキャラクター"先生"には性別も容姿も設定されておらず、プレイヤーの自由に解釈できるようになっている。だからこのフィルターの影響は大きい。
"先生"は僅かな言行からのみ解釈されるけど、ちょっと女っぽいと言われることもある。この雰囲気に一役買っているのは「~よ」「~ね」を基本にした優しい口調だろう。ちょっとそこらを見てみよう。
日本版はこんな口調。ブルアカファンには有名なセリフだけど、まずそもそもこの時点で韓国語版から変わってる。
「야만 해」のニュアンスを入れるなら「私が負わなければならない」なんだから。
"責任は、私が負うさ"
すこしカッコツケを感じる…
"責任は、私が負う"
少し強くなって来た
"責任は、私が負うとも"
より強く聞こえるね
"責任は、私が持つ"
"責任は、俺が負うよ"
これは語尾じゃないけど、「私」を「俺」に1文字変えるだけで、性別が男に見えてくる。
別に女が俺と言ってもいいんだけど、一種の役割語として機能している
"ケツは拭いてやらァ、俺に任せとけ"
おっ、別人だこれ
最後はともかく、ちょっと語尾を変えただけでもう"先生"は変わる。
んで何が言いたいかって言うと、「海外版は別人みたいだ…」というとき、それは別人のように訳してあるのでは?という目線も絶対に必要だってこと。これは悪い意味では無くて。
例えばこんなのもある。正に同じ文章を、同じ翻訳家が、別の作品で訳しただけなのに、まるで別人のようになる。まあ実際別人なんだけど。1つの文章から、コロンボとコジャックという全く性格が違う人間ができあがる。
同じく、「海外の先生の口調は怖いらしい…」っていうとき、それは怖いように訳してあるのでは?という目線は必要。
しかもこれ、「訳してある」とは言ったものの、そこに悪意があるから疑おうという話じゃない(もちろん悪意をこめて訳す人もいるかもしれないが、ここでは違う)。人は無意識のうちにも言葉を選択しているから、だから「訳してある」意識が必要だと言う話。
もちろん、件のシーンの言葉は実際に強い。なんせ上に書いたように救済不能とまで言ってるんだから間違いなく強い。だから個人だかネットの集合知だか分からないけど、訳した人は「強いこと言うんだなあ」と思って、強いように訳したかもしれない。
これは何も悪くない。その人はそういう雰囲気を感じ取ったからそういう日本語が出て来たわけで、決してデマやガセではない。
でもそれを読むときは、韓国語版のテキストだけでなく、フィルターも読んでるという目線は要る。
「救いようがないパラノイア」はそもそもパラノイアって言ってねーって!と思うけど、
これとセットで「お前の陰謀は私が打ち砕く」というセリフも「韓国版は怖い」として広まってる。こっちもちょっと試してみよう。
"너의 음모는 내가 깨부수겠어."
これが「お前の陰謀は私が打ち砕く」くらいの感じで広まってるらしい。
「お前の陰謀は私が打ち砕く」
日本版では「君を、そこから出してみせる」(※そこ=疑心暗鬼の闇)というセリフだから、全然違うじゃん!韓国語版は怖い!って言うんだけど。
とりあえず、「お前」を「君」に訳してみよう。「너」は状況次第でどっちにも訳せるから間違ってない。
普段先生は「お前」なんて言わないんだから、韓国語から翻訳しようと思ったとき何気なく「君」を選択する人も多いはずだ。
君の陰謀は私が打ち砕く
ほら、この時点でなんかもう違うでしょ。
너は状況に応じて「お前」でも「君」でもいけるけど、「お前」と「君」はちょっと話し手の雰囲気が変わる。
ブルアカプレイヤーの知る先生は生徒を「お前」なんて言わないから、「お前」に訳すだけで激怒してる気がする。
このセリフに限らない。机の上のお菓子を見て「これ、ユウカが買ってきたの?」なんて穏やかな一場面でも、「これ、お前が買って来たの?」にするだけで先生は別人になる。
お前と訳すか、君と訳すか、無意識のフィルターがはっきりと機能しているのが分かる。
続ける。
語尾を~よにしてみよう。日本版の先生は~よなんだから、比較するなら揃えてみたいよね~
君の陰謀は私が打ち砕くよ
陰謀って言葉はあまりに強いから、ブルアカの温度感に合わせて変えよう
君の企みは私が打ち砕くよ
もうだいぶ印象が変わってきたけど、もうすこし。
韓国と違って日本ではあまり「打ち砕く」は言わない。日本語だと劇的になるから、もっとありがちな表現に整えよう。
君の企みは止めてみせるよ
ぐっと変わった気がするけどもう一歩。
そもそもこの「企み」はどこから来てるかって、ナギサの疑心暗鬼から来ている。
韓国語版でも疑心暗鬼って言ってるんだから、これは置き換えてもいいはずだ
君の疑心暗鬼を止めてみせるよ
これはナギサ自身を縛り付けている疑心暗鬼を取り払うぞという宣言なんだから、もっと直接言ってあげようぜ!!!
君をそこから出してみせるよ
終盤は強引だったのは認めるけど、俺は内容そのものは大きく変えてない。意訳だと言える範囲。
この方向のフィルターで意訳して、
「韓国版は"너의 음모는 내가 깨부수겠어."って言ってるよ。
えーっとつまり…「君の企みは止めるよ」みたいな感じ?」
とする説明がネットに広がっていたら印象は全く変わったろう。「ふーん、言い回しは違うけど、日本版と同じような温度かねえ」ってなったろう。
これが正しいとは言っていない。
これにもフィルターが掛かってるし、「お前の陰謀を打ち砕く」にもフィルターが掛かってる。
韓国語版のニュアンスが強いのは確かだけど、でも俺のフィルターに通すとこうなるんだよ!と言ったとき間違ってはいない。このフィルターにウソは入ってないから。
「海外の文章を日本語で読んだとき、そこには必ず訳した人がいる」というのはこういうこと。
日本語で読んでるとき、それは韓国語版だけを読んでるんじゃない。誰かのフィルターを読んでいる。
今回ネットで広がっているフィルターを通すと「お前の陰謀は私が打ち砕く」になる
上に書いたフィルターだと「君の企みは止めてみせるよ」くらいになる。
行くとこまで行くなら日本版と同じになるし、
念のためいうと、「お前の陰謀は私が打ち砕く」を批判する訳でないよ!正実な訳だと思う。単語ごとに辞書を引いたら間違ってないから。
変に感情で意訳を入れてないだけ誠実な訳だと思う。しっかりしてると思う。
ただそれですら、「君」を選ぶか「お前」を選ぶかだけで印象はだいぶ変わってしまうので、良い悪いではなくフィルターそのものはかかってしまう。
日本語をみて「そんなに韓国語版は言葉が強いの!?」と思ったとき、あなたは韓国語のテキストだけでなく、フィルターも読んでいるんです!!!!!!それは意識していこうぜ!!!!!!!!!!!
話をもどして、パラノイアなんて言ってねーって!!
知らん…わかんない…
英語版だと、同じシーンの別の台詞に「I'm not going towaste mytimebeing paranoid.」はある。
このparanoidはパラノイアではないし、直接はナギサを指してもいないし、別の台詞だけど、ここ以外にパラノイアらしき部分がない。
もしそうだとしたら、もう韓国語版がどうこうどころの話じゃなくないか!!?!??
意訳しつつ
混ざった
訳には幅があるといったけど、なんでも文章の意味は変わらないかって、そうでもない。
訳には幅があるから、의심암귀を「疑心暗鬼」と訳すか、「疑り深い」と訳すか、「人を信用しない」と訳すかはグラデーションになっている。
だから「原文では『疑り深い』とは言ってねーって!!!『疑心暗鬼』だって!!!単語が違うって!!!」なんて俺は言う気はない
拾うべきは文章が伝えたいものごとであって、「疑心暗鬼か、疑り深いか」なんて単語だけにこだわるのは違うと思うから。
でも、パラノイアは病気の名前、お医者さんの使う名前という印象があるので、俺だったら疑心暗鬼からのグラデーションとは繋がってないと感じる。
友人に「疑り深いな」は言えるじゃん
友人に「疑心暗鬼だな」は言えるじゃん
友人に「パラノイアだな」は言えないじゃん、そこは壁があるじゃん
パラノイアと言った瞬間に「病気だぞお前、病院行くレベルだぞ」のニュアンスが急に入ってくる。それまで無かったのに!
実際ネットでも、「パラノイア呼ばわりしたの?ナギサは病気ってこと?酷い…」みたいな反応を多々見る
ここで長々とパラノイアって言ってないよ!!!!!と愚痴る理由も分かるでしょ!?!?分かってくれ頼む!!!!
パラノイアと意訳するのは良いと思う。誰かが訳したときのフィルターにおいて間違いではないと思うし。
でも言ったか言ってないかなら原文では言ってねーって!!!言ってねーって!!!!!
入りきらなかったからちょっとだけだけど続きは別に書いたよ!!1
https://anond.hatelabo.jp/20251118185202
だいぶテンション落ちて来て、書かなきゃよかったと思ってきたけど
って話というか説明をするよ!!!読みたくない人はこの1行だけ持って帰ってくださいね!!!!言ってない!!!
これはどうもSNS上で話題になってるらしいことなので、じゃあ増田で言ってどうすんだよって話なんだけど
俺が今からSNSアカウント作っても誰も見ないだろうし、多少は人目につくここで書くしかないんだ…
気が向いたら拡散でもしてくれたら嬉しい
いや拡散しなくていいけど
韓国で開発され日本でも運営されているスマホゲーム「ブルーアーカイブ」。
多くの海外製スマホゲーと同様、たまに日本語版と韓国語版の訳の違いが話題になったりする。
まあそれは何のメディアでもある。小説だって映画だってドラマだって字幕派と原語派がいる。ハリーポッターは英語で読まなきゃダメだよね~みたいな人もいるじゃん。これは普通。
なんだけど今回、先生(プレイヤーキャラクター)がナギサというキャラクターに対して、韓国語版では下の2つのセリフを言ったらしいと広まっている。
「お前は救いようがないパラノイアだ」
「お前の陰謀は私が打ち砕く」
2文目はあとで触れるけど、まずパラノイアの方ね。
これ言ってないの!!!!!
日本語版ではそこは「今の君はきっと、疑心暗鬼の闇の中だ」と訳されていて、「疑心暗鬼だよね~、なんか周りが疑わしく見えちゃうよね~」というニュアンスになっている。
ところが韓国語版では「お前は救いようがないパラノイア」だと言ったらしい!!!!なんだと!ナギサを病気だって言いたいのか!!!ひどすぎるだろ!!!と日本のSNS上で話題になってるらしいんだけど
ちょっと紛らわしいのは「先生がナギサに対して酷いことを言った」のはあってる。
これは韓国語を読まずとも、日本国内で読める日本語版でも同じ(ストーリーは同じなんだから、そりゃそうだ)
確かに酷いことは言ったよ。ここは正しい。
先生が「救いがたいパラノイアだ」と言ったとされる部分、韓国語ではこういうセリフ。
"너는 구제불능인 의심암귀다."
たったこんだけだぜ!このくらい辞書引けばすぐわかるでしょうよ!!!言ってないことを言ったと思ってる人も読んでみてくれよ!!!
ここの의심암귀は正に熟語の『疑心暗鬼』のこと。中国の『列子』に由来するとされる疑心暗鬼そのもの。
つまり、解釈の可能性はこの後するけど、まず原文で『パラノイア』なんて言ってるかどうかについては議論の余地がない。
"너는 구제불능인 의심암귀다." "君は、救済不能の疑心暗鬼だ。"
そんで、これを日本語版と比べてみると
ね!!
パラノイアなんて言ってないから、日本も韓国も「疑心暗鬼」扱いなのは同じ。そこは日本と違わない。
これが文章だったなら分かるよ。
「君は救いがたいな。何もかも全てを疑った挙句、いもしない敵を自ら作り上げてしまった。今すぐ入院して医学的処置を受けるべきだ」とか言ってたなら「うーん…パラノイアって訳しておくか!」となるのも分からなくもない。
でも違うじゃん、의심암귀疑心暗鬼って言ってんの。パラノイアなんて言ってねーんだって!!そんな単語も文もないんだもんって!!
ネットで広まってる言い方なら「救いがたい」のほう。これは実際に言ってるの。これは確かにキツイね。救えねえわって言ってんだからキツイよ。
でもパラノイアは言ってないから!!의심암귀はそのまんま疑心暗鬼だから!!ナギサを病的だなんて言ってないから!!
確かにパラノイアって単語は無いけど、意訳すればパラノイアでしょ? 疑心暗鬼がひどくなったのがパラノイアでしょ?と思ったあなた。
じゃあそれはストーリーがどうこうじゃなくて、韓国語版との違いがどうこうてもなくて、「意訳がどうこう」いう所じゃん!
スタートとゴールが疑心暗鬼で真ん中にだけパラノイアがあるなら、それは韓国語版由来でなく意訳由来では!?
意訳はニュアンス変わるよ。試しに俺が
どれがより適切かは文脈によるんだけど、原文から100%全くの別物にまではしていない。どれも意訳と言い張れる範囲だと思う。
これは何か恣意的にねじ曲げようってんじゃなくて、俺がどうストーリーを受け止めているかがあって、そのフィルターを通って変換されてる。
決して、パラノイアと訳されたのが悪いとか言いたいんじゃない。人それぞれの読み方があって、人それぞれのフィルターがあるから。
だけど「パラノイア」は原文にはなくて、フィルターの中にある言葉じゃないのってのはあるかもなの。
誰か個人の訳なのかネットで自然発生したものなのかは分からないし、それについてはどっちでもいい。原因探しじゃなくて、そんなこと言ってないよ!!!が重要だし。
先に断わっておくと、この項はパラノイアと訳した人が悪いぞ!という話ではないです。
で話に移ると、小説でも映画でもなんでも「海外ではこう書いてあるんだぜ」と日本語訳をみたとき、そこには必ず訳した人がいるって意識は必要です。
例えば英語の"good morning."だって、訳はどんだけでもある。
「おはよう」「はよう!」「おはようございます」「良い朝だね!」「今日もよろしく」「はよざーっす」「ザぁっす」、どれも正しい訳だけど、話し手の雰囲気は変わって見える。日本語だとひらがなとカタカナを使い別けるから、「ざぁっす」「ザァっす」「ザァッス」でも雰囲気は変わる。あくびしながら「ザァっす」は眠そう。キラキラした目で「ザっす」は元気そう。ァ1文字抜いただけだけど。
本来は文脈によってある程度絞られてくるけど(例えば清楚なお嬢様キャラは「ザぁっす」とは言わないだろう)、1文、2文を抜き出して訳すときはどんだけでも幅が出る。
文脈によっては、何もおはよう要素がないかもしれない。誰かに朝から会いに行ったなら「どうもどうも」とか「すみませんね」と訳せる状況もあるかもしれない。
状況によっては「夜が終わった」とも訳せるかもしれないし、窓を見てれば「陽が昇ってきた」とも訳せるかもしれない。夜通し騒動に巻き込まれるストーリーだったら「逃げ切ったね」「終わったか」「助かった」くらいまで意訳できるシーンもあるかも。100億円貰える日の朝なら、「さあゴキゲンが始まるぜ!」になるシーンもあり得る。
大きく意訳するのはなしにして、good morningを「良い朝だ」と訳すとしよう。語尾をちょっとだけ変えてみる。「良い朝だね」「良い朝だぜ」「良い朝だ」「良い朝だよ」「良い朝ですよ」、ほんの数文字変えただけで、シチュエーションも性別も変わって見える。
でも、ここまで挙げたすべては、ぜーんぶ、"good morning."から出せる。
ブルーアーカイブのプレイヤーキャラクター"先生"には性別も容姿も設定されておらず、プレイヤーの自由に解釈できるようになっている。だからこのフィルターの影響は大きい。
"先生"は僅かな言行からのみ解釈されるけど、ちょっと女っぽいと言われることもある。この雰囲気に一役買っているのは「~よ」「~ね」を基本にした優しい口調だろう。ちょっとそこらを見てみよう。
日本版はこんな口調。ブルアカファンには有名なセリフだけど、まずそもそもこの時点で韓国語版から変わってる。
「야만 해」のニュアンスを入れるなら「私が負わなければならない」なんだから。
"責任は、私が負うさ"
すこしカッコツケを感じる…
"責任は、私が負う"
少し強くなって来た
"責任は、私が負うとも"
より強く聞こえるね
"責任は、私が持つ"
"責任は、俺が負うよ"
これは語尾じゃないけど、「私」を「俺」に1文字変えるだけで、性別が男に見えてくる。
別に女が俺と言ってもいいんだけど、一種の役割語として機能している
"ケツは拭いてやらァ、俺に任せとけ"
おっ、別人だこれ
最後はともかく、ちょっと語尾を変えただけでもう"先生"は変わる。
んで何が言いたいかって言うと、「海外版は別人みたいだ…」というとき、それは別人のように訳してあるのでは?という目線も絶対に必要だってこと。これは悪い意味では無くて。
例えばこんなのもある。正に同じ文章を、同じ翻訳家が、別の作品で訳しただけなのに、まるで別人のようになる。まあ実際別人なんだけど。1つの文章から、コロンボとコジャックという全く性格が違う人間ができあがる。
同じく、「海外の先生の口調は怖いらしい…」っていうとき、それは怖いように訳してあるのでは?という目線は必要。
しかもこれ、「訳してある」とは言ったものの、そこに悪意があるから疑おうという話じゃない(もちろん悪意をこめて訳す人もいるかもしれないが、ここでは違う)。人は無意識のうちにも言葉を選択しているから、だから「訳してある」意識が必要だと言う話。
もちろん、件のシーンの言葉は実際に強い。なんせ上に書いたように救済不能とまで言ってるんだから間違いなく強い。だから個人だかネットの集合知だか分からないけど、訳した人は「強いこと言うんだなあ」と思って、強いように訳したかもしれない。
これは何も悪くない。その人はそういう雰囲気を感じ取ったからそういう日本語が出て来たわけで、決してデマやガセではない。
でもそれを読むときは、韓国語版のテキストだけでなく、フィルターも読んでるという目線は要る。
「救いようがないパラノイア」はそもそもパラノイアって言ってねーって!と思うけど、
これとセットで「お前の陰謀は私が打ち砕く」というセリフも「韓国版は怖い」として広まってる。こっちもちょっと試してみよう。
"너의 음모는 내가 깨부수겠어."
これが「お前の陰謀は私が打ち砕く」くらいの感じで広まってるらしい。
「お前の陰謀は私が打ち砕く」
日本版では「君を、そこから出してみせる」(※そこ=疑心暗鬼の闇)というセリフだから、全然違うじゃん!韓国語版は怖い!って言うんだけど。
とりあえず、「お前」を「君」に訳してみよう。「너」は状況次第でどっちにも訳せるから間違ってない。
普段先生は「お前」なんて言わないんだから、韓国語から翻訳しようと思ったとき何気なく「君」を選択する人も多いはずだ。
君の陰謀は私が打ち砕く
ほら、この時点でなんかもう違うでしょ。
너は状況に応じて「お前」でも「君」でもいけるけど、「お前」と「君」はちょっと話し手の雰囲気が変わる。
ブルアカプレイヤーの知る先生は生徒を「お前」なんて言わないから、「お前」に訳すだけで激怒してる気がする。
このセリフに限らない。机の上のお菓子を見て「これ、ユウカが買ってきたの?」なんて穏やかな一場面でも、「これ、お前が買って来たの?」にするだけで先生は別人になる。
お前と訳すか、君と訳すか、無意識のフィルターがはっきりと機能しているのが分かる。
続ける。
語尾を~よにしてみよう。日本版の先生は~よなんだから、比較するなら揃えてみたいよね~
君の陰謀は私が打ち砕くよ
陰謀って言葉はあまりに強いから、ブルアカの温度感に合わせて変えよう
君の企みは私が打ち砕くよ
もうだいぶ印象が変わってきたけど、もうすこし。
韓国と違って日本ではあまり「打ち砕く」は言わない。日本語だと劇的になるから、もっとありがちな表現に整えよう。
君の企みは止めてみせるよ
ぐっと変わった気がするけどもう一歩。
そもそもこの「企み」はどこから来てるかって、ナギサの疑心暗鬼から来ている。
韓国語版でも疑心暗鬼って言ってるんだから、これは置き換えてもいいはずだ
君の疑心暗鬼を止めてみせるよ
これはナギサ自身を縛り付けている疑心暗鬼を取り払うぞという宣言なんだから、もっと直接言ってあげようぜ!!!
君をそこから出してみせるよ
終盤は強引だったのは認めるけど、俺は内容そのものは大きく変えてない。意訳だと言える範囲。
この方向のフィルターで意訳して、
「韓国版は"너의 음모는 내가 깨부수겠어."って言ってるよ。
えーっとつまり…「君の企みは止めるよ」みたいな感じ?」
とする説明がネットに広がっていたら印象は全く変わったろう。「ふーん、言い回しは違うけど、日本版と同じような温度かねえ」ってなったろう。
これが正しいとは言っていない。
これにもフィルターが掛かってるし、「お前の陰謀を打ち砕く」にもフィルターが掛かってる。
韓国語版のニュアンスが強いのは確かだけど、でも俺のフィルターに通すとこうなるんだよ!と言ったとき間違ってはいない。このフィルターにウソは入ってないから。
「海外の文章を日本語で読んだとき、そこには必ず訳した人がいる」というのはこういうこと。
日本語で読んでるとき、それは韓国語版だけを読んでるんじゃない。誰かのフィルターを読んでいる。
今回ネットで広がっているフィルターを通すと「お前の陰謀は私が打ち砕く」になる
上に書いたフィルターだと「君の企みは止めてみせるよ」くらいになる。
行くとこまで行くなら日本版と同じになるし、
念のためいうと、「お前の陰謀は私が打ち砕く」を批判する訳でないよ!正実な訳だと思う。単語ごとに辞書を引いたら間違ってないから。
だけど、辞書に従ったところで、最初にやったように「君」を選ぶか「お前」を選ぶかだけで印象はだいぶ違う。
良い悪いではないけど、無意識にでも「ここは"お前"って感じだな…」と誰かが選ばないと日本語になっていないんだから、フィルターがそこにあるのは間違いない。
日本語をみて「そんなに韓国語版は言葉が強いの!?」と思ったとき、あなたは韓国語のテキストだけでなく、フィルターも読んでいるんです!!!!!!それは意識していこうぜ!!!!!!!!!!!
話をもどして、パラノイアなんて言ってねーって!!
知らん…わかんない…
英語版だと、同じシーンの別の台詞に「I'm not going towaste mytimebeing paranoid.」はある。
このparanoidはパラノイアではないし、直接はナギサを指してもいないし、別の台詞だけど、ここ以外にパラノイアらしき部分がない。
もしそうだとしたら、もう韓国語版がどうこうどころの話じゃなくないか!!?!??
意訳しつつ
混ざった
訳には幅があるといったけど、なんでも文章の意味は変わらないかって、そうでもない。
訳には幅があるから、의심암귀を「疑心暗鬼」と訳すか、「疑り深い」と訳すか、「人を信用しない」と訳すかはグラデーションになっている。
だから「原文では『疑り深い』とは言ってねーって!!!『疑心暗鬼』だって!!!単語が違うって!!!」なんて俺は言う気はない
拾うべきは文章が伝えたいものごとであって、「疑心暗鬼か、疑り深いか」なんて単語だけにこだわるのは違うと思うから。
でも、パラノイアは病気の名前、お医者さんの使う名前という印象があるので、俺だったら疑心暗鬼からのグラデーションとは繋がってないと感じる。
友人に「疑り深いな」は言えるじゃん
友人に「疑心暗鬼だな」は言えるじゃん
友人に「パラノイアだな」は言えないじゃん、そこは壁があるじゃん
パラノイアと言った瞬間に「病気だぞお前、病院行くレベルだぞ」のニュアンスが急に入ってくる。それまで無かったのに!
実際ネットでも、「パラノイア呼ばわりしたの?ナギサは病気ってこと?酷い…」みたいな反応を多々見る
ここで長々とパラノイアって言ってないよ!!!!!と愚痴る理由も分かるでしょ!?!?分かってくれ頼む!!!!
パラノイアと意訳するのは良いと思う。誰かが訳したときのフィルターにおいて間違いではないと思うし。
でも言ったか言ってないかなら原文では言ってねーって!!!言ってねーって!!!!!
って話というか説明をするよ!!!読みたくない人はこの1行だけ持って帰ってくださいね!!!!言ってない!!!
これはどうもSNS上で話題になってるらしいことなので、じゃあ増田で言ってどうすんだよって話なんだけど
俺が今からSNSアカウント作っても誰も見ないだろうし、多少は人目につくここで書くしかないんだ…
気が向いたら拡散でもしてくれたら嬉しい
いや拡散しなくていいけど
韓国で開発され日本でも運営されているスマホゲーム「ブルーアーカイブ」。
多くの海外製スマホゲーと同様、たまに日本語版と韓国語版の訳の違いが話題になったりする。
まあそれは何のメディアでもある。小説だって映画だってドラマだって字幕派と原語派がいる。ハリーポッターは英語で読まなきゃダメだよね~みたいな人もいるじゃん。これは普通。
なんだけど今回、先生(プレイヤーキャラクター)がナギサというキャラクターに対して、韓国語版では下の2つのセリフを言ったらしいと広まっている。
「お前は救いようがないパラノイアだ」
「お前の陰謀は私が打ち砕く」
2文目はあとで触れるけど、まずパラノイアの方ね。
これ言ってないの!!!!!
日本語版ではそこは「今の君はきっと、疑心暗鬼の闇の中だ」と訳されていて、「疑心暗鬼だよね~、なんか周りが疑わしく見えちゃうよね~」というニュアンスになっている。
ところが韓国語版では「お前は救いようがないパラノイア」だと言ったらしい!!!!なんだと!ナギサを病気だって言いたいのか!!!ひどすぎるだろ!!!と日本のSNS上で話題になってるらしいんだけど
ちょっと紛らわしいのは「先生がナギサに対して酷いことを言った」のはあってる。
これは韓国語を読まずとも、日本国内で読める日本語版でも同じ(ストーリーは同じなんだから、そりゃそうだ)
確かに酷いことは言ったよ。ここは正しい。
先生が「救いがたいパラノイアだ」と言ったとされる部分、韓国語ではこういうセリフ。
"너는 구제불능인 의심암귀다."
たったこんだけだぜ!このくらい辞書引けばすぐわかるでしょうよ!!!言ってないことを言ったと思ってる人も読んでみてくれよ!!!
ここの의심암귀は正に熟語の『疑心暗鬼』のこと。中国の『列子』に由来するとされる疑心暗鬼そのもの。
つまり、解釈の可能性はこの後するけど、まず原文で『パラノイア』なんて言ってるかどうかについては議論の余地がない。
"너는 구제불능인 의심암귀다." "君は、救済不能の疑心暗鬼だ。"
そんで、これを日本語版と比べてみると
ね!!
パラノイアなんて言ってないから、日本も韓国も「疑心暗鬼」扱いなのは同じ。そこは日本と違わない。
これが文章だったなら分かるよ。
「君は救いがたいな。何もかも全てを疑った挙句、いもしない敵を自ら作り上げてしまった。今すぐ入院して医学的処置を受けるべきだ」とか言ってたなら「うーん…パラノイアって訳しておくか!」となるのも分からなくもない。
でも違うじゃん、의심암귀疑心暗鬼って言ってんの。パラノイアなんて言ってねーんだって!!そんな単語も文もないんだもんって!!
ネットで広まってる言い方なら「救いがたい」のほう。これは実際に言ってるの。これは確かにキツイね。救えねえわって言ってんだからキツイよ。
でもパラノイアは言ってないから!!의심암귀はそのまんま疑心暗鬼だから!!ナギサを病的だなんて言ってないから!!
確かにパラノイアって単語は無いけど、意訳すればパラノイアでしょ? 疑心暗鬼がひどくなったのがパラノイアでしょ?と思ったあなた。
じゃあそれはストーリーがどうこうじゃなくて、韓国語版との違いがどうこうてもなくて、「意訳がどうこう」いう所じゃん!
スタートとゴールが疑心暗鬼で真ん中にだけパラノイアがあるなら、それは韓国語版由来でなく意訳由来では!?
意訳はニュアンス変わるよ。試しに俺が
どれがより適切かは文脈によるんだけど、原文から100%全くの別物にまではしていない。どれも意訳と言い張れる範囲だと思う。
これは何か恣意的にねじ曲げようってんじゃなくて、俺がどうストーリーを受け止めているかがあって、そのフィルターを通って変換されてる。
決して、パラノイアと訳されたのが悪いとか言いたいんじゃない。人それぞれの読み方があって、人それぞれのフィルターがあるから。
だけど「パラノイア」は原文にはなくて、フィルターの中にある言葉じゃないのってのはあるかもなの。
誰か個人の訳なのかネットで自然発生したものなのかは分からないし、それについてはどっちでもいい。原因探しじゃなくて、そんなこと言ってないよ!!!が重要だし。
先に断わっておくと、この項はパラノイアと訳した人が悪いぞ!という話ではないです。
で話に移ると、小説でも映画でもなんでも「海外ではこう書いてあるんだぜ」と日本語訳をみたとき、そこには必ず訳した人がいるって意識は必要です。
例えば英語の"good morning."だって、訳はどんだけでもある。
「おはよう」「はよう!」「おはようございます」「良い朝だね!」「今日もよろしく」「はよざーっす」「ザぁっす」、どれも正しい訳だけど、話し手の雰囲気は変わって見える。日本語だとひらがなとカタカナを使い別けるから、「ざぁっす」「ザァっす」「ザァッス」でも雰囲気は変わる。あくびしながら「ザァっす」は眠そう。キラキラした目で「ザっす」は元気そう。ァ1文字抜いただけだけど。
本来は文脈によってある程度絞られてくるけど(例えば清楚なお嬢様キャラは「ザぁっす」とは言わないだろう)、1文、2文を抜き出して訳すときはどんだけでも幅が出る。
文脈によっては、何もおはよう要素がないかもしれない。誰かに朝から会いに行ったなら「どうもどうも」とか「すみませんね」と訳せる状況もあるかもしれない。
状況によっては「夜が終わった」とも訳せるかもしれないし、窓を見てれば「陽が昇ってきた」とも訳せるかもしれない。夜通し騒動に巻き込まれるストーリーだったら「逃げ切ったね」「終わったか」「助かった」くらいまで意訳できるシーンもあるかも。100億円貰える日の朝なら、「さあゴキゲンが始まるぜ!」になるシーンもあり得る。
大きく意訳するのはなしにして、good morningを「良い朝だ」と訳すとしよう。語尾をちょっとだけ変えてみる。「良い朝だね」「良い朝だぜ」「良い朝だ」「良い朝だよ」「良い朝ですよ」、ほんの数文字変えただけで、シチュエーションも性別も変わって見える。
でも、ここまで挙げたすべては、ぜーんぶ、"good morning."から出せる。
ブルーアーカイブのプレイヤーキャラクター"先生"には性別も容姿も設定されておらず、プレイヤーの自由に解釈できるようになっている。だからこのフィルターの影響は大きい。
"先生"は僅かな言行からのみ解釈されるけど、ちょっと女っぽいと言われることもある。この雰囲気に一役買っているのは「~よ」「~ね」を基本にした優しい口調だろう。ちょっとそこらを見てみよう。
日本版はこんな口調。ブルアカファンには有名なセリフだけど、まずそもそもこの時点で韓国語版から変わってる。
「야만 해」のニュアンスを入れるなら「私が負わなければならない」なんだから。
"責任は、私が負うさ"
すこしカッコツケを感じる…
"責任は、私が負う"
少し強くなって来た
"責任は、私が負うとも"
より強く聞こえるね
"責任は、私が持つ"
"責任は、俺が負うよ"
これは語尾じゃないけど、「私」を「俺」に1文字変えるだけで、性別が男に見えてくる。
別に女が俺と言ってもいいんだけど、一種の役割語として機能している
"ケツは拭いてやらァ、俺に任せとけ"
おっ、別人だこれ
最後はともかく、ちょっと語尾を変えただけでもう"先生"は変わる。
んで何が言いたいかって言うと、「海外版は別人みたいだ…」というとき、それは別人のように訳してあるのでは?という目線も絶対に必要だってこと。これは悪い意味では無くて。
例えばこんなのもある。正に同じ文章を、同じ翻訳家が、別の作品で訳しただけなのに、まるで別人のようになる。まあ実際別人なんだけど。1つの文章から、コロンボとコジャックという全く性格が違う人間ができあがる。
同じく、「海外の先生の口調は怖いらしい…」っていうとき、それは怖いように訳してあるのでは?という目線は必要。
しかもこれ、「訳してある」とは言ったものの、そこに悪意があるから疑おうという話じゃない(もちろん悪意をこめて訳す人もいるかもしれないが、ここでは違う)。人は無意識のうちにも言葉を選択しているから、だから「訳してある」意識が必要だと言う話。
もちろん、件のシーンの言葉は実際に強い。なんせ上に書いたように救済不能とまで言ってるんだから間違いなく強い。だから個人だかネットの集合知だか分からないけど、訳した人は「強いこと言うんだなあ」と思って、強いように訳したかもしれない。
これは何も悪くない。その人はそういう雰囲気を感じ取ったからそういう日本語が出て来たわけで、決してデマやガセではない。
でもそれを読むときは、韓国語版のテキストだけでなく、フィルターも読んでるという目線は要る。
「救いようがないパラノイア」はそもそもパラノイアって言ってねーって!と思うけど、
これとセットで「お前の陰謀は私が打ち砕く」というセリフも「韓国版は怖い」として広まってる。こっちもちょっと試してみよう。
"너의 음모는 내가 깨부수겠어."
これが「お前の陰謀は私が打ち砕く」くらいの感じで広まってるらしい。
「お前の陰謀は私が打ち砕く」
日本版では「君を、そこから出してみせる」(※そこ=疑心暗鬼の闇)というセリフだから、全然違うじゃん!韓国語版は怖い!って言うんだけど。
とりあえず、「お前」を「君」に訳してみよう。「너」は状況次第でどっちにも訳せるから間違ってない。
普段先生は「お前」なんて言わないんだから、韓国語から翻訳しようと思ったとき何気なく「君」を選択する人も多いはずだ。
君の陰謀は私が打ち砕く
ほら、この時点でなんかもう違うでしょ。
너は状況に応じて「お前」でも「君」でもいけるけど、「お前」と「君」はちょっと話し手の雰囲気が変わる。
ブルアカプレイヤーの知る先生は生徒を「お前」なんて言わないから、「お前」に訳すだけで激怒してる気がする。
このセリフに限らない。机の上のお菓子を見て「これ、ユウカが買ってきたの?」なんて穏やかな一場面でも、「これ、お前が買って来たの?」にするだけで先生は別人になる。
お前と訳すか、君と訳すか、無意識のフィルターがはっきりと機能しているのが分かる。
続ける。
語尾を~よにしてみよう。日本版の先生は~よなんだから、比較するなら揃えてみたいよね~
君の陰謀は私が打ち砕くよ
陰謀って言葉はあまりに強いから、ブルアカの温度感に合わせて変えよう
君の企みは私が打ち砕くよ
もうだいぶ印象が変わってきたけど、もうすこし。
韓国と違って日本ではあまり「打ち砕く」は言わない。日本語だと劇的になるから、もっとありがちな表現に整えよう。
君の企みは止めてみせるよ
ぐっと変わった気がするけどもう一歩。
そもそもこの「企み」はどこから来てるかって、ナギサの疑心暗鬼から来ている。
韓国語版でも疑心暗鬼って言ってるんだから、これは置き換えてもいいはずだ
君の疑心暗鬼を止めてみせるよ
これはナギサ自身を縛り付けている疑心暗鬼を取り払うぞという宣言なんだから、もっと直接言ってあげようぜ!!!
君をそこから出してみせるよ
終盤は強引だったのは認めるけど、俺は内容そのものは大きく変えてない。意訳だと言える範囲。
この方向のフィルターで意訳して、
「韓国版は"너의 음모는 내가 깨부수겠어."って言ってるよ。
えーっとつまり…「君の企みは止めるよ」みたいな感じ?」
とする説明がネットに広がっていたら印象は全く変わったろう。「ふーん、言い回しは違うけど、日本版と同じような温度かねえ」ってなったろう。
これが正しいとは言っていない。
これにもフィルターが掛かってるし、「お前の陰謀を打ち砕く」にもフィルターが掛かってる。
韓国語版のニュアンスが強いのは確かだけど、でも俺のフィルターに通すとこうなるんだよ!と言ったとき間違ってはいない。このフィルターにウソは入ってないから。
「海外の文章を日本語で読んだとき、そこには必ず訳した人がいる」というのはこういうこと。
日本語で読んでるとき、それは韓国語版だけを読んでるんじゃない。誰かのフィルターを読んでいる。
今回ネットで広がっているフィルターを通すと「お前の陰謀は私が打ち砕く」になる
上に書いたフィルターだと「君の企みは止めてみせるよ」くらいになる。
行くとこまで行くなら日本版と同じになるし、
念のためいうと、「お前の陰謀は私が打ち砕く」を批判する訳でないよ!正実な訳だと思う。単語ごとに辞書を引いたら間違ってないから。
だけど、辞書に従ったところで、最初にやったように「君」を選ぶか「お前」を選ぶかだけで印象はだいぶ違う。
良い悪いではないけど、無意識にでも「ここは"お前"って感じだな…」と誰かが選ばないと日本語になっていないんだから、フィルターがそこにあるのは間違いない。
日本語をみて「そんなに韓国語版は言葉が強いの!?」と思ったとき、あなたは韓国語のテキストだけでなく、フィルターも読んでいるんです!!!!!!それは意識していこうぜ!!!!!!!!!!!
話をもどして、パラノイアなんて言ってねーって!!
知らん…わかんない…
英語版だと、同じシーンの別の台詞に「I'm not going towaste mytimebeing paranoid.」はある。
このparanoidはパラノイアではないし、直接はナギサを指してもいないし、別の台詞だけど、ここ以外にパラノイアらしき部分がない。
もしそうだとしたら、もう韓国語版がどうこうどころの話じゃなくないか!!?!??
意訳しつつ
混ざった
訳には幅があるといったけど、なんでも文章の意味は変わらないかって、そうでもない。
訳には幅があるから、의심암귀を「疑心暗鬼」と訳すか、「疑り深い」と訳すか、「人を信用しない」と訳すかはグラデーションになっている。
だから「原文では『疑り深い』とは言ってねーって!!!『疑心暗鬼』だって!!!単語が違うって!!!」なんて俺は言う気はない
拾うべきは文章が伝えたいものごとであって、「疑心暗鬼か、疑り深いか」なんて単語だけにこだわるのは違うと思うから。
でも、パラノイアは病気の名前、お医者さんの使う名前という印象があるので、俺だったら疑心暗鬼からのグラデーションとは繋がってないと感じる。
友人に「疑り深いな」は言えるじゃん
友人に「疑心暗鬼だな」は言えるじゃん
友人に「パラノイアだな」は言えないじゃん、そこは壁があるじゃん
パラノイアと言った瞬間に「病気だぞお前、病院行くレベルだぞ」のニュアンスが急に入ってくる。それまで無かったのに!
実際ネットでも、「パラノイア呼ばわりしたの?ナギサは病気ってこと?酷い…」みたいな反応を多々見る
ここで長々とパラノイアって言ってないよ!!!!!と愚痴る理由も分かるでしょ!?!?分かってくれ頼む!!!!
パラノイアと意訳するのは良いと思う。誰かが訳したときのフィルターにおいて間違いではないと思うし。
でも言ったか言ってないかなら原文では言ってねーって!!!言ってねーって!!!!!
印刷物の「縦の列」を指すようになり、
この増田では、コラムの語源と起源を軸に、その社会的役割と現代における展開を考察する。
コラムの語源は、古代ローマ建築を支えた石柱「columna」に由来する。
紙面の縦方向の区画を「column」と呼ぶ慣習を生み出した。
日本で「コラム」が外来語として定着したのは明治期以降とされる。
1874年創刊の『郵便報知新聞』が初めて縦組みの短評欄を導入し、
当初は「雑報」と呼ばれていたが、
興味深いことに、
戦前の新聞では「円柱」の原義を意識した「柱記事」という表現も併用されていたが、
戦後GHQの指導で横組みが普及する過程で「コラム」が優勢となった。
1751年3月11日、
イギリスの『ロンドン・アドバイザリー・リテラリー・ガゼット』が紙面右端の縦長スペースに批評記事を連載開始した。
これが「コラム」と呼ばれる契機となり、
当時の記事は縦12cm×横4cmのスペースに収められ、
この形式が人気を博し、
1777年には初の有料コラムニストが登場するまでに発展した。
年間人気コラムランキングが出版されるほど社会的影響力を持った。
朝日新聞「天声人語」の執筆陣には芥川賞作家の井上靖や開高健ら文学者が名を連ねた。
この時期の特徴は、
800字前後の制約の中で比喩と時事批評を融合させる文体の確立にある。
インターネットの普及により、
コラム文体の最大の特徴は、文字数制約(新聞で400-800字、ウェブで1500字前後)の中で最大限の表現効果を追求することにある。
この制約が比喩の多用を促し、「経済の体温計」(日経新聞)のような定型表現を生み出した。
「具体例(30%)→データ提示(25%)→比喩(20%)→結論(25%)」
①擬人法(「円が踊る」)、
2000年代以降は、
といった読者参加型の手法が増加している。
特にYahoo!ニュースのコラムでは、
本文冒頭に読者アンケートを組み込む「インタラクティブ型」が2018年から導入されている。
公式報道では扱えない市井の声を拾い上げる機能を果たしてきた。
実際に地方自治体の政策変更につながった事例が複数報告されている。
近年では、毎日新聞「発言」欄が東日本大震災後の被災地ルポを継続的に掲載し、
コラムは教養主義から大衆文化への橋渡し役としても重要な役割を担ってきた。
2010年代には、
産経新聞「産経抄」が日本の伝統工芸職人を紹介するシリーズを展開、
2023年、
朝日新聞社はAIコラム生成システム「COLUMN-BOT」を試験導入し、
感情分析アルゴリズムを組み込んだ「共感型AI」の開発が進められている。
一方で、
2024年の読売文学賞では初めてAI生成作品がノミネートされる事態が発生した。
読者の閲覧履歴に基づくパーソナライズド・コラムが一般化している。
ユーザーの位置情報・検索履歴・心拍数データ(ウェアラブル端末連動)を分析し、
これに伴い、
職能の変容が進んでいる。
その形態は変化し続けているが、
今後の課題は、
AIとの協働の中でいかに人間らしい洞察を深化させられるかにある。
次世代の「知の柱」としてどのような発展を遂げるか、
https://www.yomiuri.co.jp/note/hensyu-techo/20231227-OYT8T50000/
(前略)米国では建国の父ベンジャミン・フランクリンが印刷工を経て売り出したことで知られる。勤勉や節約を説く中に次の言葉がある。<金を借りに行く者は、悲しみを借りに行く>(『フランクリン自伝』岩波文庫)
貧しさから10歳で学校をやめ、働かざるをえなかった偉人の脳裏に刻まれた情景だろうか。12月は統計を報じるニュースが多い。その中にフランクリンに読ませたくなる記事があった
今年、全国の「子ども食堂」が公立中学校の設置数に迫る9131か所になったという。東京の支援団体の調査でわかった。収入に乏しい家庭が頼るのはもちろん、7割ほどが会食形式で運営され、働く親を持つ子どもの居場所づくりになっている。それが広がれば広がるほど「孤食」の子どもは少なくなる。いいクリスマスになっただろう(後略)
最近通学途中の電車内にある広告を見つけた。読売新聞の1面の下の方に掲載されるコラム、「編集手帳」の広告だ。どことなくノスタルジアを感じる夕暮れの教室の写真に、こんな詩のような文章が載っかっている。
ひとの心を傷つけて
喜ぶ心さびしき者に
聞く耳はなかろうから
中傷された君に言う
蝿たちの集まりでは
蝶も「キモイ」と
陰口をたたかれるだろう
心ない者たちのうちにも
自分と同じ美しさを探しつつ
君はひとり
大人になればいい
とてもいい文章だ。非常に的を射ている(的を得るを訂正しました)。確かに「人を虐めているような腐った人間に何を言ってもしょうがない、虐められてる側が強くなれ。」というのはその通りだし、虐められてる人間にとってはとても勇気づけられる言である。まあイジメを知らない人間の、ある種の第三者的な発言の側面もあるだろうが。
さて、僕は今から6、7年前、小学生の時分どちらかといえば虐められている側の人間だった。まあ今になって考えればイジメというほど大したことではなかったし、体型のことを言われて蔑まれていたくらいで、慢性的なものでもなかった。僕に言っていた側も軽い遊びのつもりだったのだろう。今も年に数回会うが結構仲良い。その程度だ。しかしながら、当時の僕にとってはそこそこの悩みだった。もっと皆と普通に接したいとか考えちゃったりしてた。「キモい」「ウザい」という言葉が怖かった。とにかく、まあ僕は虐められていた。
そして本題であるが、僕がこの広告を見て思ったのは「虐められている人間は本当に『蝶』なのだろうか?」ということだ。最近はいじめっ子だけではなく、その親や担任の教師までもが「いじめられる子に非がある」なんて言い始めているらしいが、別にそういう次元の事を言いたいわけではない。僕が言いたいのは「虐められている子に肯定だけを与えていればそれでいいのか?」ということである。
人を虐めるような人間が「蝿」なのは言わずもがなだ。そしてその一方、虐められる側の人間は映像や漫画中ではまさに「蝶」のように描かれていることが多い。しかしながら、僕はその実「蝶」と呼べるほど100%の肯定をもって見ることができる人間は虐められることはないと思う。僕の経験上、あくまでも僕の経験上だが、だいたい虐められる人間というのは、場の空気が読めない発言が多かったり、おせっかいが多すぎたり、コミュニケーションが上手くとれなかったり、或いはかえって全く喋らなかったり……等々、実際どのようなコミュニティにいてもどこか浮いてしまうような人がほとんどである。僕自身、虐められていた時分を省みてみると、やたらしゃしゃりでて、しかも場をやたらし切ろうとしたりなどと結構ウザい部分が多かったと感じる。
実際、僕の生きる狭い範囲で様々な人を見ても、皆が皆ずっと「良い人」なわけじゃない。「蝿」っぽくなったり「蝶」っぽくなったり、同じ人間だって時と場合によって変わってしまうことが多い。どんな人にだって受け入れにくい人、苦手な人はいるものだ。だからこそ、やっぱり前述したような人々は色んな人から拒絶されやすいが故に虐められてしまうのではないだろうか。
そして話は戻り、そんな人々に「周りの蝿は気にしてもしょうがないのだから貴方がもっと美しい蝶になりなさい」とだけ言っておけばいいのだろうかという話だ。僕は違うと思う。勿論「蝿」を気にしていてもしょうがないが、虐められている人間も多少は自らを省みる必要があるのではないかと思う。考えて、考え抜いてそれでも自分が何も変わっていないと思うのであれば、それは周りの「蝿」が本当に腐りきっているだけだ。シカトしとけばいい。しかし、少しでも改善できる部分があると思うのであれば、少しずつ、自らを変えていってみてはどうだろうか。もしかしたら周りも辟易していじめなどなくなるかもしれない。もし無くならなかったら、やはり周りが「ゴミ」だということで構わないと思う。
なんてことを思ったのだが、皆さんは「編集手帳」の文章をみて何を感じただろうか。