
はてなキーワード:編纂とは
一時期派遣で金融系の大企業にいた事があったけど、社内恋愛への導線が凄かったな
社内には学生のようなクラブ活動があって自然に部署外の交流ができる土壌があり(スポーツ系だけじゃなく、活け花や絵画といった文化系もあった)、
社内誌の編纂やボランティア活動等を通した横の繋がりも作りやすく
社員だけ割引のお洒落で栄養バランスの取れた社食があってランチ会も頻繁に行われ、
何つーかカルチャーショック
こんな環境で正社員として働いていたら社内結婚も容易だろうと思った
みんな身元は確かだし、わざわざロマンス詐欺やらヤリモクやらの危険を冒してまでマチアプや結婚相談所に入るよりも余程効率が良い
結婚相手は大学時代までに見付けるのがベストではあるけれど、そこで失敗したとしても大企業に入ればリカバリーのチャンスがあるんだね
もっとも新卒で正社員就職した人達にとってはこれが当たり前で、そうじゃない職場というのがそもそも想像も付かないんだろうなあ
多分官僚も同じような環境なんだろうし、政策を決めてる人達もそうだから
id:fidajapanissa 本題とはズレるけどプロテスタントでは讃美歌、カトリックでは聖歌っていう。信者さんたちは割と使い分けてるから一般人も知っておいた方がいいかも。
スターつけてるアホもいるから一応指摘しておくが、「讃美歌」は神を讃える歌を意味していて英語でいうところのworship(礼拝とも)の訳語とされる。
ただ、教会によって使われる「讃美歌」と命名された歌集が存在し、プロテスタントが云々というのはそれを指すものと思われる。なぜなら1954年に日本キリスト教団(プロテスタント系)によるものが広く用いられているから。別にカトリックプロテスタント関係ない概念を包含しているので注意。
聖歌についてはほぼ歌集の「聖歌」を指すといって差し支えない。ただこちらは聖歌・総合版、新聖歌など、それぞれ異なる出版社(いずれもプロテスタント系)から出ており判別が難しい。概ね「讃美歌より新たに編纂されている」ことが多く、ことばの表現はより平易で分かりやすいことが多い(とはいえ古い言葉も多くわかりにくいが、讃美歌と比べて相対的に)
カトリックは聖歌という誤解が多いのはそのものずばり「カトリック聖歌集」や「典礼聖歌集」のような歌集が出版されており、そちらによるものと思われる。
つまりはカトリック=聖歌、プロテスタント=讃美歌、という図式は成り立たず、したり顔でそういった主張をすることはおすすめできない
校閲の仕事を始めて驚いた表記に「ちりばめる」があります。
紙面ではほぼ平仮名になっているのですが、なぜか知ってますか?
多くは「散りばめる」と表記したくなるのですが、本来は「鏤める」なんです!
この漢字が常用外だから平仮名だったんですねぇ。この驚き、皆さんにも知ってほしい…(✪д✪)—日刊ゲンダイ校閲部 (@nkgendai_kotoba)August 22, 2025
まずは「塵ばむ」である。
「ばむ」は「黄ばむ」とか「気色ばむ」とかの接尾語「ばむ」である。
つまり「塵ばむ」は「埃っぽい」「塵を被っている」という意味である。
そして「金銀を刻んで彫る」という意味の古語「ちりばむ」である。
細かな金銀で象嵌するようなことを指しているのだろう。
意味的に現代語「ちりばめる」の元になっているのはこちらである。
この「ちりばむ」の漢字の表記は「散り嵌む」「塵嵌む」「縮り嵌む」など諸説ある。
埃の「ちりばむ」が金の「ちりばむ」に変化したのか、それとも別々に生まれたのかはわからないようである。
多くの辞書では埃の「ちりばむ」と金の「ちりばむ」は別項となっているが、埃の「ちりばむ」が転じた、とする辞書もある。
ではツイートで言われている「鏤める」は何なのかというと、
これは漢文を訓読するときに「鏤」という字に「ちりばむ」の読みを当てたということである。
「鏤」という漢字のもともとの意味は「金属に彫刻する」というようなものである。
つまり象嵌というよりは彫金全般を指しているようであるが、それを「ちりばむ」と訳したのである。
鏤 金乃知利婆女(こがねのちりばめ)
とあるらしいので、かなり昔からその意味で使われていたようである。
「マジ」を「本気」と書くことも「真剣」と書くこともできる。
「マジ」の語源は「マジメ」の略だとか諸説あるのだが、それなら「真面」と書いて「マジ」と読むのも良さそうなものである。
まあ「マジメ」を「真面目」と書くのも当て字だけれども。
それで「マジは本気と書くべきで真剣とか真面とか書いてはいけない」などということはないだろう。
同様に、「ちりばめる」を「散りばめる」と書いても「塵嵌める」と書いても「鏤める」と書いてもよい。
もし夏目漱石が、プログラミングの主要概念を自ら日本語に翻訳していたら――と仮定すると、彼の文体や明治期の言葉遣い、漢語の選好を踏まえて、以下のような趣になると考えられます。
| 英語 | 漱石風の訳語案 | 理由・解説 |
| Variable | 変数(へんすう)/移り数 | 「変数」はすでに定着語だが、漱石なら「移り数」など文学的な情緒を帯びた訳もあり得る。変化の宿る数という意味を直訳的かつ風雅に表現。 |
| Function | 作用式/用法 | 明治期の数学や化学で「作用」はよく用いられた。漱石は日常語よりも漢語を好んだ傾向があり、「式」を付して理知的に。 |
| Class | 類型/階(きざはし) | 「クラス」を単なる「類」とせず、階層や格式を想起させる「階」を用い、文学的響きを加える。 |
| Object | 物象(ぶっしょう)/客体 | 漱石は哲学用語に通じており、ドイツ哲学経由の「客体」や漢詩文的「物象」を好みそう。 |
| Instance | 事例/具現 | 具体化の意味を強調し、「具現」というやや詩的な言い回しを採用する可能性。 |
| Loop | 環(わ)/巡り | 「ループ」は漢語にすれば「環」だが、漱石は擬人的に「巡り」として表すかもしれない。 |
| Array | 配列/ならび | 技術的な「配列」もあるが、漱石なら柔らかな響きの「ならび」も好みそう。 |
| Thread | 糸筋/綴り筋 | 並行処理のスレッドを、文学的に糸や文章にたとえ、「綴り筋」と表現。 |
| Exception | 異例/破格事 | 法や規範から外れるニュアンスを重んじ、「破格事」と漢詩的に。 |
| Debug | 虫退治/瑕(きず)探し | 「バグ」を虫にたとえてそのまま「虫退治」とするのは洒落が効く。漱石らしいユーモアが入り得る部分。 |
| Compile | 編纂(へんさん)/綴(と)じ合せ | 書物の編集に通じる語を用い、文章を束ねるような比喩で。 |
| Execute | 遂行/実行 | 法律や行政文書に見られる硬質な「遂行」を選ぶ可能性が高い。 |
| Source code | 原文/本体文 | 漱石は文学者として「原文」という表現を好みそう。 |
| Syntax | 文法/詞組(ことばぐみ) | 言語構造を古風に「詞組」と表現すれば漱石節になる。 |
| Algorithm | 算法(さんぽう)/演算譜 | 明治期数学書の用語「算法」をそのまま採用しそう。 |
| Library | 書庫/集録 | 書物に通じるメタファーで表現。 |
| Framework | 骨組/枠組 | 漱石は建築や骨格にたとえて「骨組」を選びそう。 |
| Module | 節(ふし)/章片 | 文学的構造を想起させる語を選ぶかも。 |
| Boolean | 真偽値/是非数 | 真と偽を「是非」で置き換える古風な表現。 |
| Pointer | 指標/指し手 | 将棋や文学の語彙から「指し手」とする余地も。 |
「文春砲」という語に内包される意味を紐解き、より深く「文春砲」を理解したい。
まず「文春」とは、『週刊文春』を指す。
これは株式会社文藝春秋が出している週刊誌で、いわゆるゴシップ報道が多い情報週刊誌である。文藝春秋を縮め「文春」となっている。
では「文藝春秋」とは何か。
元々は大正12年1月に菊池寛が創刊した雑誌『文藝春秋』から由来し、更に言えば、この『文藝春秋』という誌名は『新潮』で菊池寛が連載していた文芸時評のタイトルから由来する。
由来はおそらく「春秋の筆法」。
「春秋の筆法」」とは、何か。
孔子が編纂に関わった魯国の年代記『春秋』(五経の一つ)の文章には、孔子の短い表現の中に厳しい正邪の判断が加えられているとされており、転じて「事実を述べるのに、価値判断を入れて書く書き方」を指す。特に、間接的原因にも重要な意味を認めて、直接的な原因であるかのように述べて、厳しく批判する論法を表す。例えば、「このトランプの放埓な関税政策は、春秋の筆法をもってすれば、白人中産階級の衰退に依拠するといえるだろう」と言った使い方ができる。
「私は頼まれて物を云ふことに飽いた。自分で、考へてゐることを、読者や編輯者に気兼なしに、自由な心持で云つて見たい。友人にも私と同感の人々が多いだらう。又、私が知つてゐる若い人達には、物が云ひたくて、ウヅウヅしてゐる人が多い。一には、自分のため、他のため、この小雑誌を出すことにした。」
と述べているが、「春秋の筆法」を念頭においた文面にみえる。創刊に当たって、文章を通し、自身の価値観に基づいて、社会や事象を論じていきたいという意思が感じられる。
翻って、「週刊文春」は、この菊池寛の創刊の辞の如く、「文藝春秋」の意のように、自由な心持で書き、奔放に論じるからこそ、様々な方面で評価され、恐れられているのかもしれない。
では最後に「砲」とは何か。
古代中国では投石機に「礮=砲」の字を用いた事があり、その内、火薬で投射する物を特に火砲・大砲などと呼ぶようになり、後に火砲・大砲などが略されて「砲」の一字になっている。つまりは元々は石弓として石が投げられてたが、次第に、火薬を用いて、威力が増し、そうして強化されたものがまた改めて「砲」と呼ばれたようだ。
まとめ:
「文春砲」:文章という物理的には何の脅威にもならぬ過小なものが、技巧を加え、自由な心持で書かれることにより、独自の価値観で社会の事象を論じ、威力を増した兵器のように、社会に衝撃を与えるような存在となったもの。
トマトジュース売り場の棚に
濃厚リコピン、リコピンリッチ、ラックススーパーリッチと並んでいるの。
なんか1つだけ違うアン・ハサウェイさんが並んでない?
ってそれってシャンプー!
違う違う、
そんなリコピンリッチをワイングラスに注いでくるくる回しながらローリングリコピンを楽しみつつ、
もう野田洋次郎さんが出演されてて、
この判子は
「念校、念念校、念念念校です!」ってあんの!
もうこれ前前前世の名人の野田洋次郎さんにこの台詞言わせたいだけのキャスティング起用だったんじゃないの?っていうぐらい。
そんなの聞いたら
元元元気になっちゃわない?
ててーてーてててーてててーててーてててててー♪
野に咲く花のよ~おに~風にふか~れて~♪
ぼぼぼくはおおおにぎりが好きなんだな!
ってそれ先先先代の芦屋雁之助さんバージョンじゃない塚地武雅さんバージョンの方の裸の大将!
もー、
前前前世の名人が念念念校ですっていう笑かしにかかってくるのズルいわー。
もう、
わわわたしはリリリコピンワイングググラスをひっくり返しそうになっちゃったわ。
リコピンリッチもエルとアールの同じ「リ」の発音の違いの難しさが合致するのよ。
もうさ、
リコピングラスをひっくり返しちゃった私の白いティーシャツは赤く染まって、
うーん、
私は急いで洗濯して洗ったけれど
トトトマトの赤い色がキツネとタヌキを思わせるような緑もあってもいいかな?って思ったけど、
そんな洗い上がった白かったTシャツが前衛的なデザインの変な染めのTシャツになったの。
まあこれはこれで前前前衛的でいいのかもしれない。
念念念校です!って力一杯言ったところを、
いや!
言い切ったところを凄く良いなって思ったの。
やっと花咲いたわね!って感じ。
私は忘れていないわ。
朝ドラ『エール』でも野田洋次郎さんが作曲家って体裁で出演されていて、
最後の最終回の次の特別「エールコンサート」では野田洋次郎さん出てこなかったこのアーティスト枠は俳優枠で埋め尽くされてしまって、
なんか本業の歌手なのにエールコンサート出れなくてちょっと可哀想だわ!って思っていたの。
だから
ここで決めてくれてよかったわ!って思ったわ。
ホッと胸を撫で下ろしたところよ。
朝ドラあんぱんに蔦屋重三郎の大河ドラマと念念念校の辞書のドラマと、
また1つ観るものが増えちゃった、
いや増やしてしまったわ。
次の野田洋次郎さんが
その念念念校です!っていう台詞が出てこないか引き続き注意深く観ることにするわ。
そこに注注注目よ!
うふふ。
しっかり食べて暑い中仕事をしっかりできるようにしなくちゃね!
にしても
冷やしているのたくさんあるから
1本朝に。
残り在庫1ケース切ったので、
また2ケース注文よ!
なわけないかー。
なんてね。
水分補給はしっかりとよ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
三菱系企業は戦前から東大、一橋、慶應義塾が強いと言われてきましたが
三菱重工業では伝統的に三菱長崎造船所や下関造船所の関係で九大(九州帝國大學)工学部も強い(三菱重工業第10代社長は九大工卒の増田信行)ですし、京大(京都帝國大學)も三菱系には全般的に強いです。
三菱銀行や三菱信託や東京海上火災保険や明治生命保険の三菱系の金融会社では伝統的に東大と一橋と慶應義塾が強く特に三菱銀行では三菱合資會社社長の三菱財閥四代目の岩崎小弥太(岩崎弥之助の長男)に厚く信頼されていた加藤武男(吉田茂内閣経済最高顧問)の影響で慶應義塾が東大と並ぶ学閥が強いことで有名でした。
戦後の三菱銀行でも加藤武男(慶大理財)、千金良宗三郎(慶大理財)、宇佐美洵(慶大経済・佐藤栄作内閣で池田勇人内閣からの引き継ぎ人事として戦後初の民間銀行出身者として第21代日銀総裁に就任)の3名が慶大卒業生で小笠原光雄(東京帝大法)、中谷一雄(東京帝大法)、田実渉(東京帝大経済)、中村俊男(東京帝大法)、山田春(東京帝大法)、伊夫伎一雄(東京帝大経済)、若井恒雄(東京帝大法)の東大卒業生7名に次ぐ頭取を輩出しています。
三菱商事は伝統的に圧倒的に東大(東京帝國大學)が強く慶應出身の社長は水産畑の第5代社長の三村庸平(慶大経済)社長だけですし、一橋出身の社長は機械畑のブンチンこと第4代社長の田部文一郎社長(東商大)と戦後の混乱期の田中完三社長(東京高等商業卒業で三菱合資會社出身)の二人だけです。
戦後の東大出の三菱商事社長は服部一郎(東京帝大法)、高垣勝次郎(東京帝大法)、荘清彦(東京帝大経済)、藤野忠次郎(東京帝大法)、近藤健男(東大工)、小島順彦(東大工)、小林健(東大法)、中西勝也(東大教養)の8名となります。因みに高垣勝次郎氏のご子息の高垣佑氏は東大経済学部卒業後、東京銀行(戦前の横浜正金銀行)に入行し、上記の若井恒雄頭取の時代の三菱銀行と合併して東京三菱銀行の初代頭取に就任します。
三菱商事の社長には東大や一橋や慶大以外には三菱の岩崎小弥太と縁が深い旧制成蹊高等学校からハーヴァード大学政治学部を卒業した第8代社長の槇原稔や大漢和辞典編纂者の漢学者の諸橋轍次氏の御曹司である上智大学経済学部を卒業した第7代社長の諸橋晋六や早稲田大学理工学部を卒業した第9代社長の佐々木幹夫や京都大学経済学部を卒業した第12代社長の垣内威彦等もいてアメリカのハーヴァード大学やカソリックのイエズス会経営の上智大学卒業の社長もいる様に東大卒業者と慶大卒業者に昭和時代にはほぼ頭取の卒業大学が限定されていた三菱銀行に比べると結構、外国大学や早慶以外の私大等バラエティに富んでいます。
三井系は戦前の三井銀行は財界三田閥の慶應義塾出身者の中上川彦次郎(福澤諭吉の甥)や池田成彬(中上川彦次郎の女婿)の強い影響力でかなり強い慶應閥の銀行でした。
戦後の三井銀行(戦前には第一銀行と合併して帝國銀行)及び三井グループのドンと言われた佐藤喜一郎は戦前の三井銀行では慶應義塾大学に次ぐ学閥だった東京帝國大學経済学部卒業生でした。佐藤喜一郎は旧制横浜一中(現在の県立希望ヶ丘高校)、旧制一高、東京帝國大學経済学部卒業のエリートで当時の池田成彬と並ぶ三井銀行の実力者だった東京英和学校(後の青山学院)出の米山梅吉の紹介で三井銀行に入行します。
戦後の三井銀行でも慶大出身の社長(頭取)は柳満珠雄(慶大理財)や板倉譲治(慶大経済)や神谷健一(慶大経済)と東大出身の佐藤喜一郎(東京帝大経済)、田中久兵衛(東京帝大経済)、関正彦(東京帝大経済)、末松謙一(東大経済)の4名に次ぐ3名を輩出しています。
三井銀行では戦前は池田成彬と並ぶ実力者だった米山梅吉(後の三井信託社長)が青山学院の前身の東京英和学校の出身者であったので其の米山梅吉の強い引きで三井銀行に入行した青山学院高等科卒業の万代順四郎も慶應出や東大出との出世競争に打ち勝って三井銀行の頭取を戦前に務めています。※銀行では戦後は頭取と呼ばずに社長と呼称しています。
しかしながら三井財閥の持株會社だった三井合名會社と並ぶ中核企業だった三井物産は鈍翁・益田孝の三田閥偏重の学閥排除の目的から意識的に一橋の高等商業学校や東京高等商業学校や東京商科大学を三井物産の幹部社員候補として意識的に重点的に優先採用して来たので戦前から戦後のある時期までは三井物産は完全な一橋の如水会が最大の学閥となる総合商社でした。
戦後の三井物産でも名物社長と言われた三井物産再統合の立役者・新関八洲太郎や『ハヤブサの達』こと水上達三、『根アカ経営論』の八尋俊邦等は皆、一橋の東京高等商業学校や東京商科大学の卒業生です。
戦後の三井物産の東大出の社長は池田芳蔵(東京帝大経済)、江尻宏一郎(東京帝大法)、槍田松榮(東大工)、安永竜夫(東大工)の4名で京大出の社長は熊谷直彦(京大法)と上島重ニ(京大経済)の2名で慶應出の社長は今の堀健一(慶大経済)の1名だけです。
一橋(3)と東大(4)と京大(2)と慶大(1)以外の三井物産の社長の学歴は長崎高等商業学校(長崎大学経済学部)卒業の若杉末雪と東京外国語大学外国語学部ポルトガル語学科卒業の清水慎次郎と横浜国立大学経営学部卒業の飯島彰己となります。
住友系は戦前の財閥持株会社だった住友合資會社が戦前には今の東大の東京帝國大學や今の京大の京都帝國大學や今の一橋大の東京商科大学や今の神戸大の神戸商業大学の旧帝大と旧商大グループを意識的に幹部社員として優先採用してきたので今でも東大、京大や一橋大や神戸大が人脈的に強い傾向があります。
戦後の住友銀行頭取は野田哲造(東京帝大法)、鈴木剛(京都帝大経済)、堀田庄三(京都帝大経済)、浅井孝二(神戸高商)、伊部恭之助(東京帝大経済)、磯田一郎(京都帝大法)、小松康(東京帝大経済)、巽外夫(京都帝大法)、森川敏雄(東大法)、西川善文(阪大法)となります。
戦後の住友銀行の頭取の学歴は京大4名、東大4名、阪大1名、神戸大1 名となります。
三菱財閥や三井財閥の銀行や商社に多く見られた一橋や慶應義塾出身者は住友銀行頭取では皆無となります。
文系は戦後派の阪大も住友系には強く西川善文元三井住友銀行頭取(後にゆうちょ銀行社長)の様な個性的な人材を輩出しています。
岡本綺堂の文学から、「岡本綺堂は怪談は美しいものと認識していたのかもね」みたいな話になり
岡本綺堂の「木曽の旅人」は現代の怪談のテンプレの形の元になる要素多いよね、という話から、
で、内容としては、
古事記とかの神話の中の化物退治から始まり、平安文学では多くの怨霊の話が書かれ、江戸時代に入ると町人文化から歌舞伎や落語や文学でも大衆の怪談が確立される
そして小泉八雲が編纂してテンプレ化し、現代へと至る、のようなことを教えてくれた
え、待って待って
平安から江戸まで飛ぶのおかしくない?ないはずないでしょ、というと
実は、鎌倉から室町とかは、怪談はあっても仏教的な因果応報思想が強くて、教訓話みたいなのになっちゃうのよ、と
その間は、民に力がなかったのか、確かに「おもろない」んだわ
でも、有名な三大怨霊、菅原道真、崇徳上皇、平将門は、その「おもろない」時代の怨霊だよね?
エンタメ化しておもろくされたのは江戸時代だとしても、当時から怨霊としては知られてたでしょ?なんでおもろないままだったの?と聞くと
当時はガチでおばけも祟りも信じてたから、エンタメ化できる時代じゃないのよって
ああそうか、確かに今と違って「霊も祟りもあるんだよ」って時代か
しかも、政争に関わる怨霊ってのは完全なる政治マターだからエンタメ化は無理よって
そっかそっか、なるほどね
ここまで聞くとピンときたね
ひょっとして、三大怨霊みたいに華やかにエンタメ化されてはいないけど、当時ガチで恐れられた大怨霊、実はいろいろいるんじゃないのー?って聞いてみた
いくつかあげてくれたけど、一番響いたのはこの人だね、橘逸勢(たちばなのはやなり)
この人、三筆っていう、歴史上もっとも書が美しい書家3人のうちの一人
この三筆の書、それほど讃えられていたわけなので、当然家宝のように大切にされたはずだ
とても賞賛され、もてはやされ、大事に保管されていたはずなのに
「美しさと恐ろしさはリンクする」って感覚は誰しもあるものだし、それも一番人の念がこもる直筆の書が美しいわけよ
それを書いた橘逸勢は謀反の疑いで流刑になり途中で死に怨霊化する
その怨霊化した人が書いた最も美しいはずの書が、現存していないって
ここにオカルティックな耽美な意味を見出さないわけにはいかなかったよね
ということで、橘逸勢、なんか興味出たわ
昔屋台でタコス売ってて、たこ焼きの代わりに買ったことがあるんだけど、いくら食べてもタコが入ってなくて、お店の人に聞いたんだよ
そしたら「Oh〜」みたいな感じです両手挙げられた
そこでやっと分かった
でも日本でタコスを売るときは、日本に合わせてタコを入れるべきではないの?
それでさ、ちょっと調べたんだよ。
タコスはメキシコの料理なんだけど、呼び方は「タコ」もしくは「タコス」なんだって
またアメリカのタコスは「ハードタコ」と呼ばれてるらしい。固いタコ!
じゃあさ、日本のタコとメキシコのタコ、どっちが早くタコという名前になったか競って、早かった方を勝ちとするべきだよね?
調べてみました!
だからタコスという名前はメキシコにスペイン人が入植してからだと思われるため、1519年以降と考えられる
一方日本のタコ🐙は、918年に日本で編纂された『本草和名』という書物に「海蛸」という表現が登場するので、
(終わり)
そういう人の書いたものが商業誌に載ったり単行本化される前に、誰かが手書き原稿をタイプアウトしていることになる
そういうことはいつまで続くのだろうか
その手書きの小説家の作品の売り上げが、タイプアウトの人件費を上回り続ける限り
いや待て、文芸書はそんなに儲かるのか
出版社は、手書き作家の作品出版を非営利の文化事業でやっているのだろうか
そんなわけなかろう
もっともありそうなシナリオは、大作家でもない小説家の手書き入稿はもう受け入れられなくなることだ
これだけ電子テキストを書く手段がたくさんあるのだから、自分の作る商品の納入ぐらい、取引先が使いやすいフォーマットでやってくださいねと
そうやって切り捨てられた小説家はどうするのだろう
音声入力に活路を見出して、群書類従を編纂した塙保己一のように口述筆記の鬼になるのだろうか
あるいは、キーボードのタイピングはできなくとも、スマートフォンやタブレットでの文字入力はできることに気づいてそちらに移行するのだろうか
そんな貴方にオススメなのが、東京大学史料編纂所が公開している「大日本史料総合データベース」!!
https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/w61/search
キーワード欄に知りたい人物名や地名を入れて検索すると、それに関する記事が一覧で出てくるよ。
そこのリンクから詳細画面を開くと、左側に「出来事のエビデンス」に当たる史料の一覧が表示される。
詳細画面にある「刊本」あるいは「稿本」のリンクからその史料の抜粋が読めるけど、「稿本」の方は崩し字や殴り書きで読みづらいものも多いので、慣れないうちは「刊本」を読んでみるといいよ。
史料の信憑性は様々で、時には別々の史料で互いに矛盾する記述があったりもするけど、何を根拠にその「歴史の出来事」が事実と解釈されるに至ったのかが、何となく分かるんじゃないかな。
このデータは、東京大学史料編纂所が編纂している史料集『大日本史料』(刊行)および、その草稿である『史料稿本』(稿本)からの抜粋なんだけど、中にはすでにその解釈が誤りと判明したものも含まれているので、全て鵜呑みにして良いわけではなかったりもする。
そこだけは要注意…と言っても、最新の論文や専門書を読んでいないと気づきようもないとは思うけれども。
本論では、鎌倉幕府を中心とする中世武家政権が天皇の権威を不可欠な基盤として成立した事実を、制度的・経済的・象徴的次元から多角的に検証する。
日本史上の権力構造が「権威(天皇)」と「権力(武家)」の二元性によって特徴付けられることを示し、摂関政治から江戸幕府に至るまで一貫してこの原理が機能したことを論証する。
鎌倉幕府の創始者・源頼朝が1192年に「征夷大将軍」に任命された事実は、武家政権の法的根拠が朝廷の官位授与に依存していたことを端的に示す。
この官職は律令制下で蝦夷征討を目的とした令外官であったが、頼朝はその任命を以て東国支配権の公認を得た。
特に1185年の「寿永二年十月宣旨」において、頼朝が東国における荘園・国衙領の警察権を公式に認められたことが、朝廷との制度的紐帯を強化した。
承久の乱(1221年)後に全国に拡大した守護地頭制は、幕府が朝廷の荘園管理システムに介入する手段となった。
地頭による年貢徴収権の獲得(1221年「新補地頭法」)は、一方で幕府の経済基盤を強化しつつ、他方で朝廷へ一定の税収を保証する相互依存関係を形成した。
この共生関係は、幕府が朝廷の経済的存続を担保することで自らの支配正当性を補完する機能を有していた。
鎌倉時代後期の両統迭立期(持明院統と大覚寺統)において、幕府が皇位継承に介入した背景には、三種の神器の所在が正統性の根拠とされた神権政治の論理が存在した。
例えば後嵯峨天皇の治世(1242-1246年)において、幕府は神器の継承過程を監視しつつ、自らが「治天の君」選定の仲裁者となることで権威の源泉を掌握しようとした。
朝廷が主宰する新嘗祭や大嘗祭などの祭祀は、中世を通じて天皇の神聖性を可視化する装置として機能した。
幕府はこれらの儀式への供御人派遣や財政支援を通じて、伝統的権威への恭順姿勢を示すとともに、自らの支配を「神国」の秩序に組み込む戦略を採った。
特に伊勢神宮や賀茂社への寄進は、武家が宗教的権威を利用して支配を正当化する典型的手法であった。
鎌倉幕府の経済基盤となった関東御領(約500箇所)の多くは、元来が朝廷や貴族の荘園であった。
幕府は地頭を通じた年貢徴収の合理化を図りつつ、従来の荘園領主へ「得分」を保証することで旧勢力との妥協を成立させた。
この「本所一円地」への不介入原則が崩れた蒙古襲来後も、朝廷が幕府の軍事課税を追認した事実は、両者の経済的共生関係の強固さを示す。
平清盛の日宋貿易以来、朝廷が保持していた対外交易権は、鎌倉期においても「大宰府」を通じた外交・貿易管理として継承された。
幕府が実質的な外交権を掌握した後も、形式的には朝廷を窓口とする建前が維持され、明との勘合貿易(室町期)に至るまでこの構図が持続した。
藤原道長の「御堂関白記」にみられるように、摂関家が天皇の外戚として権力を掌握する構造は、後に武家が「征夷大将軍」の官位を媒介に権力を正当化する手法と同根である。
平清盛が「太政大臣」に就任した事実(1167年)は、武家が伝統的官制に依拠せざるを得なかった制度的制約を示す。
白河院政(1086-1129年)が開いた「治天の君」の政治形態は、北条泰時の執権政治(1224-1242年)において「得宗専制」として再構築された。
いずれも名目上の君主(天皇/将軍)を背景に実権を掌握する点で、権威と権力の分離という中世的政治構造の典型を示している。
北畠親房の『神皇正統記』(1339年)が主張した「神器継承の正統性」論は、建武の新政崩壊後も南朝方が政治的正当性を主張する根拠となった。
これに対し足利尊氏が光厳上皇を擁立した事実は、北朝方も同様の神権論理に依存せざるを得なかったことを示す。
鎌倉後期に伝来した朱子学の大義名分論は、水戸学における南朝正統論(『大日本史』編纂)を経て、明治期の南北朝正閏論争(1911年)にまで影響を及ぼした。
この思想的系譜は、天皇の権威が武家政権の正統性を超時代的に規定してきた事実を逆照射する。
以上の分析から、鎌倉幕府を頂点とする武家政権が天皇の権威を不可欠の基盤として成立・存続したことは明白である。この構造は単なる形式的従属ではなく、
③神権思想に基づく支配の正当化——という三重のメカニズムによって支えられていた。
明治維新に至るまで継続したこの権力構造の本質は、権威(祭祀権)と権力(軍事力)の分離・補完にこそ存し、日本政治史の基底を成す特質と言えよう。
この中では「雨月物語」しか読めていない。確か角川ソフィア文庫で読んでいる。
村上春樹「海辺のカフカ」で言及されていたので興味を持った。物語集として面白いのだが、序文に紫式部を持ってくる自意識の強さが良い。あと、僕はそもそも怪奇物語が好きだ。好きなのは凄惨なスプラッタやお化け屋敷的なジャンプスケアではない。何か人知を超えた存在がいるという驚きや恐れなのだ。
これは僕の感傷マゾとつながっているのだろうが、言い出せない妄念を抱えた死者というモチーフが好きだし、神話物語に通じる奇譚が好きで、だから仏教説話も説教臭い割に好きだ。
ところで、東京創元社の編纂したSF短篇集「時を歩く」にピンとくる言葉があった。空木春宵によれば、幽霊とは虐げられた人々の象徴で、だから怖いというよりも親しみを感じるそうだ。その言葉にはたと膝を打った。だから僕もお化けや妖怪が好きなのだ。異様な姿をしていて、理解できるのかできないのかわからない、その「他者」っぽさが面白いんだ。モンスターが深い知性を持っているという設定、大好き。
ちなみに、小林泰三「酔歩する男」の元ネタ菟原処女伝説が、「浅茅が宿」でも触れられている。これを書いていたら小林泰三をまた読みたくなってきた。
「菊花の約」は小泉八雲が「怪談」で翻案している。小泉八雲も上と同じ理由で好きだ。一度彼が翻案する前の原典を読んでみたい。僕は箱庭的世界というモチーフが好きなので「安芸之助の夢」が特に大好きだ。
ところで小泉八雲の朝ドラをやるそうだ。大好きな作家だが、きっと観ないんだろうな。僕がテレビを見る習慣をなくしたのは、一つはイケメンの歯の浮くようなセリフを聞きたくないからなのだが、もう一つは小説家を目指すために、帰宅してから寝るまでの時間をずっと執筆にあてていたからなのだ。あと、ドラマを見ていると本編を放っておいて、史実ではどうなっていたかを調べる悪癖もある。
というわけで、残りの物語もそのうち読む予定。
これも「おくのほそ道」しか読んでいない。たしかビギナーズ・クラシックスだ。人々と交流しながら俳句を作っているのが楽しそうだけれど、地元に句会の記録が実は山ほど残っていたりしないんだろうか。
そういえば句会に通う友人にそそのかされて試みに俳句を作ってみたけれど、短歌と比べて情報量が圧倒的に凝縮されている。言葉選びが極めて厳密で、密度が高い。短歌は十四文字だけの余裕があるがあるから、聞いていてもゆとりがある気がする。僕は散文の文学の良さは情報の圧縮困難性、言い換えるならばどういう話かあらすじを短くまとめると魅力が失われる度合いが高いものを高く買っている。逆に、詩文はどこまで世界を圧縮できるかだ。しかしながら、短歌は枕詞で五文字も使う。なぜこんな効率の悪いことをしているのかは不思議だ。
短歌は与謝野晶子、俵万智、穂村弘あたりを読み、俳句は他に高浜虚子あたりを読んだ。
俳句じゃなくて短歌だが、与謝野晶子は熱量がすごくて読むのにえらく時間がかかった。また、穂村弘は生々しい男の生理が表現されていて何となく好ましく思う。しかしそれを荒っぽくぶつけているようできっちりと計算して表現している。形式があらかじめ用意されているからこそか。「台風の来るを喜ぶ不精髭小便のみが色濃く熱し」「男の子はまるで違うねおしっこの湯気の匂いも叫ぶ寝言も」「泳ぎながら小便たれるこの俺についてくるなよ星もおまえも」。僕は意外と暴力的なものが好きらしい。
俳句は数が多く、未読が多く、次々に新しいのが生まれており、追いつけない。ここに載せられた作品もいつかは読みたいが、記憶に残らないこともあるだろう。しかし、すべてを記憶しておかないと不安だというのも強迫観念に過ぎない。読んだその場で一期一会の幸せを覚えれば、それでいいのかも。ちなみに、俳句が作者の目の前で論評されるバラエティは、かつて通った小説創作講座を思い出して胸が苦しくなるから、見ていない。あれ残酷だよね。
こうしてみればわかると思うが、平安時代の文学と比べると、まだまだ読めていないのが江戸時代の作品だ。開き直って現代語訳でどしどし読みたい。
古典は急がない。いつまでも待ってくれている。世間で流行っている作品とか必読書とかそんなのとは無縁だ。千年前の作品を読むのが一年や二年遅れたところで、どうということはない。
ところで脱線するけれど、いま生きている人を推せる人って偉いと思う。だって、いつスキャンダルで裏切られるかわからないからだ。それこそ明治の文豪がクズだったとかいう話はよく聞くけれど、今となっては本人を含めて関係者がみんな死んでるので、多少は冷静でいられる。新たに醜聞が掘り起こされても「昔の人だからね」とどこか冷静になれる。今の人だとこうは行かない(以下、きちんと謝罪をしなかったためその態度に非常に腹が立ってファンをやめた人や、音痴なイケメン歌手の実例を事細かに挙げるつもりだったが、見苦しいので削除した)。他にも存命人物だと、事件を起こす前のオウム真理教を面白がってた著名人や、古本屋で見つけたロリコン写真集に「これぞ芸術」と推薦文を寄せていた文化人に「逃げるなァァァ」と言いたくなることがある。
やっぱり推しは死んでいる人に限る。どんな差別発言をしていても過去の人間だから納得できてしまう。そんなことを頭の片隅に置いてネットサーフィンをしていたら、芥川龍之介が「侏儒の言葉」で似たようなことを言っているのを見つけた(正確には、悲観主義について調べており、そこから哲学者フィリップ・マインレンダーを見つけ、そこから偶然にも「侏儒の言葉」の言葉にたどり着いた)。
古典の作者の幸福なる所以は兎に角彼等の死んでいることである。
又
「侏儒の言葉」は好きなんだけど、読んでいると段々と彼の鬱に巻き込まれていく。いつか芥川全集をぶっ通しで読みたいが、晩年の作品を読むと真実を言い当てすぎていて心底気分が悪くなってくる。二十代の頃のようにシニシズムを楽しむだけの体力がもはやない。ネヴァーモア! 昔はアンブローズ・ビアス「悪魔の辞典」とか大好きだったんだけどな。
とはいえ、数百年前の古典を無批判に読んでいると、人間に身分の上下があることやとりあえず天皇家が偉いことが自明に思えてくるし、人命がアホみたいに軽いことに感覚がマヒしてくるので、これもまたよろしくない。
こういうことを考えている時は大抵は体調不良のときなので、筋トレなりストレッチをしたりするのがいいのである。僕らは結局肉体を備えた存在で、そこからの入力がどんな言葉よりも助けになることが多い。というか、言葉が自家中毒を起こすことはよくあるのだ。ペッペデス。頭が良すぎて不幸になった人間の物語は好きだが、芥川には生きて戦後を見てほしかった。
さて、池澤夏樹の全集では、これ以降の巻では明治の作品が扱われる。しかし、ここまで書いてきてかなり長くなってしまった。ひとまず、江戸時代までで一区切りとし、近代の作品はまた別の機会としたい。おそらく本気になって書いたら、作家ごとに思い入れのある作品は多く、言いたいことはたくさんあるので、もっと長いエントリになることだろう。近現代作家集に至ってはIからIIIまであり、合わせて何十人もの作家が紹介されている。倍近くになるだろう。
ただし、その機会がいつ訪れるかはわからない。先にドストエフスキーや中島敦、ポーやラブクラフトについて書くかもしれない。あるいは、文学にかこつけた自分語りが一段落したので、これで終わりにすることも大いにありうる。
なお、次のエントリでは、有名どころだが話の流れから言及できなかった作品について述べる。
さっきは何が苦手かについて書いてしまったので、逆に何が好きかについても少しは語ろう。芥川賞をはじめとした現代文学を読んでいて、どういう作品が自分に刺さるかを整理すると、知識が豊富な語り手の小説が一番好きで、その次が自分の巨大な感情を論理的に言語化するのがうまい人が語り手であるものだ。それから、無軌道な性欲や暴力衝動、ひがみなどの負の感情を抑えきれない人間が出てくるのが続く。自分が中高生の頃、そうしたダークな受賞作が連続していたと記憶している。田中慎弥「共喰い」とか、時代は下るが西村賢太「苦役列車」とか、砂川文次「ブラックボックス」とか、自分の暴力衝動に屈する人間を描いたのが好きだ。青来有一「聖水」とかもそうだ。世間からはみ出してしまった、汚らしい人間が好きだった時期がある。おそらく「悪とは?」が内なるテーマだったんだろう。
芥川賞は一つの賞でしかなく、世間的には評判が良くてもピンこと来ない作品はどうしてもある。若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」は最初から自分の中の無意識の声たちについて説明しすぎていて、「それだったら最初っから意識の流れとか無意識って言えよ」って思ってしまって、それ以来ずっと批判的にしか読めなかった。あれは高齢者向けの一人で生きることを学ぶ教養小説なんだよな。あと、又吉直樹の作品に結構な頻度で、的外れな批判をしてくる劇団員の女性が出てくるけれど、「お前、本当は社会的な作品批評が嫌いだろ?」っておちょくってやりたくなる。村田沙耶香「コンビニ人間」については前回のエントリで名前を伏せてチクリとやってしまった(最後まで読んでいないくせに!)。
理想を言えば性別だとか人種だとか国籍だとか年齢だとか思想だとか、そういうのを抜きにして作品を評価したいんだけれど、ある程度年齢を重ねてくると、十代の頃のように素直にストーリーを受け止められず、若いころのように思考の柔軟性がなくなり、労働で疲れていては異質なものを楽しむゆとりが減る。どうしても自分の属性や性格が近い人の文章が面白く感じるので、公平に評価するためにマイノリティ枠を設けるってのは、いくつかの問題点があるとはいえ、一つの知恵だと思う。なお、文学的に優れていることと、そのときの自分に刺さって面白いのと、今の社会が必要としているのとは、まったく違うので、話題の小説がいつも面白いわけにはいかないのはしょうがないのだろう。
脱線すると、芥川賞を取ってもその後書き続けられた作家のほうが面白い。というか、受賞作がつまらなくてもその後面白くなる作家も多い。しかし、逆に芥川賞を取る前の青臭い作品にしかない魅力もある。長編を連載するだけの構成力も体力もないデビューしたての漫画家の初期短編集からしか得られない栄養素があるのと同じだ。
なお、僕は大体漫画を買うときは短編が多い。「Fellows!」「ハルタ」「エロティクス・エフ」「楽園」「アフタヌーン」出身の漫画あたりから、絵が好みなのを選んでいるようだ。
というか、みんなあれだけ長編の少年漫画を読むだけの体力があってすごい。ただし、僕がなかなか長編漫画が読めないのは、活字のようにぶっ通しで一気に読もうとしているからという可能性がある。連載を追うペースで、ゆっくりと読めばいいはずだ。
なんでこんなことを言うのかというと、僕は同世代的経験に相対的に乏しいためだ。例えばゲームが下手すぎて、ドラクエやファイナルファンタジーなどの多くの作品をプレイできていない。ポケモンでさえ途中で飽きる人間なのだ。自分が好きなペースで刺さった作品を読んでいるだけなのだが、時折どうしても疎外感を覚える。若いころにもっと流行りのJ-POP聞いてりゃよかったよ。そりゃあ人は人、自分は自分だけれど、寂しい。
とはいえ、少年漫画の多くは恋愛が扱われるので、そこまで読みたい気分でもないのである。
こういうことを書くと「課題の分離」とかいう話になりそうだけど、個人的にはアドラー心理学はそこまで信用していない。さっき書いた「課題の分離」をはじめとした有益な概念は多いし、原因を探るよりもまず対処法を考えるのは、実生活で非常に役に立つ。というか、実際に役に立った。だが、「嫌われる勇気」をはじめとした本ではいいことを言っている一方で、「私に反論するとしたら、それは私の理論を理解していないからだ」という、反証可能性を潰すような自己完結した思考をしているのがいただけない。これは初期のフロイト派の「私に反論するとしたら、それは私に父親を見出しているからだ」とか、古い時代のフェミニストの「私に反論するとしたら、あなたが女性差別を乗り越えられていないからだ」とか、それらと同様の理屈だ。なにか自己完結した、人の話を聞かない嫌らしさを感じる。
自己完結と言えば、たとえば何人かの反出生主義者が(もちろん別の哲学的立場でもいい、実例は見たことがある)、予期される反論に対してすべて想定問答を作ってガチガチに自己防衛をしているのを見ると、圧倒的な壁のような「他者」を感じる。この人と議論しても、自分も相手も何も変わらないだろうなという、諦念を感じることがある。互いに変化をもたらす「対話」にならないのだ。
意識の高い人たちが叩かれるのはこれも理由かもしれない。会話をしても意見を変えてくれないだろうと感じるのだ。一方的な議論をしたいのなら活字でいい。僕は対話がしたいのだ。
のっけから申し訳ないのだが、自分は「古事記」を池澤夏樹訳で読んでいない。というか、この池澤夏樹の日本文学全集で読んだ本はほとんどない。しかし、池澤夏樹にはちょっと悪いのだが、リストとして便利なのでダシに使わせてもらった。
自分が最初に「古事記」に触れたのは神代だけを扱った子供向けの講談社青い鳥文庫経由でだ。次に読んだのが確か大学生の頃になる。文芸春秋社の三浦佑之が現代語訳したもので、古老が昔話をする形式で翻訳していた。現代人にはわかりづらいところを語りで補う、初心者に親切なものだった。
さて、内容だが、神話だけでなく、それ以降の歴史時代の記述も面白い。ヤマトタケル物語だけでなく、おそらく戦前は教えられていたであろう神功皇后の朝鮮半島への進軍を知っておくと、昔の人がどんな世界観を持っていたか想像しやすい。権力者の書いた歴史書を鵜呑みにするのは危険だが、歴史の一次資料に(翻刻・翻訳されたものとはいえ)触れるのは非常に楽しい。「学校で習う歴史の出典がこれか!」という素直な驚きがある。
もちろん神話としても面白く、考えてみれば今の皇室は天の住民と海の住民の両方の血を引いているという属性てんこ盛りである。他にも、イザナギノミコトとイザナミノミコトが夫婦生活をする際に「凸を凹に入れて子供を作りませんか?」「それは楽しそうですね」というくだりが何となく好きだ。性に罪悪感がないのがいい。もちろん、最初に生まれた子供ヒルコの描写は、今の感覚では身体障害者差別なんだけれども、後にそれが恵比寿様だということになって崇拝されるようになったのが、何となく流されたヒルコが救われた感じがして、結構好きなエピソードなのだ。捨てられた存在に新しい場所を用意してあげた後世の人の優しさみたいでね。
面白かったので「日本書紀」も確か講談社学術文庫か何かで読んだ。傍論としてさまざまな説を併記しているのが、物語ではなく歴史書の体裁をとっている「日本書紀」の特徴を端的に示していて面白かった。もちろん、これだけでは日本の神話は理解できない。中世の神仏習合や近代の国学、陰陽道などの展開を追わねばなるまい。しかし、その一歩を踏み出せたのはやはりうれしい。
ところで、「記紀」の記述を合わせて池澤夏樹は「ワカタケル」を書いたようだけれど、個人的にはピンとこなかった。「記紀」の文字に書かれたことや考古学的成果の内容とは矛盾しないが、むしろ史実から離れすぎないようにしたため、想像力が少し現実に縛られている気がしたのである。あとは現代中国語の「上に政策あれば下に対策あり」って言葉が引用されていたのに違和感があった。お分かりのように、僕は面倒くさい読者なのである。
「万葉集」は全然読んだことがない。というのも、巻数が膨大なためだ。僕は完璧主義なところがあり、読むならきちんと最初から最後まで読むべきだと感じてしまう。それに詩を読むのなら、一つ一つの詩をきちんと味わって理解したいのである。そうなると膨大な時間がかかり、そこまで詩に興味がない自分としては手が伸びない。ただし、自分にフォークナーを薦めてくれた友人は、「美酒をがぶ飲みするように、次から次へと詩を読んでいくのも贅沢でいいものだよ」とは言っていた。僕の場合、深く刺さった詩は、小説の中のぴったりした場面で引用されたときに出会っているケースがほとんどだ。やはり詩が多すぎると言葉の海に溺れてしまう。
「百人一首」は田辺聖子の解説で読んだ。それぞれの和歌や作者の背景を丁寧に、肩の凝らない文体で説明してくれているので、今でも時々手に取っている。王朝の人物史としても面白かった。田辺聖子とは評価する場所が違うところもたくさんあるけれど、脱線が楽しい。ちなみに、初めて百人一首に出会った小学校高学年のときには、もちろん恋の歌にばかり心が動かされたのである。「しのぶれど色に出でにけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで」。たぶん自分の感傷マゾというか、言い出せない思いをウジウジ、グツグツと自分の中で煮詰めて煮凝りにしてしまう傾向は、この時からあったのだろう。
ところで、王朝文学は世界的に見て女性作家が多かった時期だと聞いたことがあるのだが、調べてみると女性の句は二十一だった。半分くらいだと思っていたのだが、これは女性の句が心に残ることが多かったための錯覚だろう。
「新々百人一首」は未読だ。こうして記事を書こうとしていた時に調べたのだけれど、王朝の歌を二百種に絞って紹介してくれているらしいので、これはぜひ読みたい。昔ほど完璧さにこだわらなくなったし、こういうベスト盤みたいにピックアップしてくれると、きっと散文を好む自分も楽しめることだろう。丸谷才一はジョイスの翻訳で知ったのだけれど、文章のリズムが合ったから今から読むのが楽しみだ。
これらの本はすべて別の訳者で読んだのだけれど、こうして並んでいる訳者にそれぞれ馴染みがあるので、彼らがどのような翻訳をしたのか、ちょっと読みたくなってきた。ちょっと前までは「古典は原文で読んでこそ意味がある」という原理主義的なところがあったのだが、「源氏物語」や「太平記」が長すぎるあまり、開き直って現代語訳で読んでしまったため、最近はそこまで原文にはこだわっていない。今ではいい翻訳がたくさんあるので、普通に現代語訳でストーリーを味わってから、原文を楽しめばいい。このラインアップでは、個々の作家に対しても言いたいことがあるのだが、今回は省こう。
「竹取物語」は、幼いころに聞いた物語の原典を知る楽しみがあった。一番シンプルにされた絵本のバージョンだと、五人の貴公子の物語が省かれてることもあるし。そういう意味では、「御伽草子」なんかもちょっと読みたくなってきたな。
「伊勢物語」は短編集で、古典の授業で東下りを扱ったので前から気になっていた。ただのモテる男の話を読んだって楽しくないかもしれないが、一つ一つがごく短いのでそこまで嫌味ではないし、うまくいかななった恋物語もある。それに、古語で読むから現代日本語で読むのと違ってワンクッションある。僕は感傷マゾだったから、結局は恋の物語が読みたかったのだ。
だが、書かれているのは恋愛遍歴だけではない。「老いぬればさらぬ別れのありといへばいよいよ見まくほしく君かな」「世の中にさらぬ別れのなくもがな千代もといのる人の子のため」。ほんとそれな。無理な願いだとわかっていても、大切な人には永遠に生きていてほしい。これらの歌に出会えたのは幸いだった。
なお、これを読んだ後に祖父を亡くしている。ほんとに、人間がいつまでも生きられないのは寂しいことである。なお、これも阿部俊子訳の講談社学術文庫で読んでいる。
他に当時刺さった歌を日記から書き写しておく。「思ふこといはでぞただにやみぬべき我とひとしき人しなければ」(そんな寂しいこと言わないで……)「心をぞわりなきものと思ひぬるかつ見る人や恋しかるらむ」(それな)。たくさんあるのですべては書き写さない。
「堤中納言物語」は「虫愛づる姫君」で有名だけれども、例えば娘ではなくその祖母を連れ出してしまう話だとか、二人の男が誤った相手と契ってしまうとか、慌てて白粉ではなく墨でメイクしてしまう話とか、奇妙な話も含まれている。あとは手に入れることなど到底できないもので作った「ほしいものリスト」である「よしなしごと」とか。どうも物語に統一感がなく、どういう意図で編纂されたのかはよくわからなかった。これは笠間文庫で読んでいる。
「土佐日記」は小学生時代に塾の先生が「男のくせに女の文章で書いたのが紀貫之って変な奴」って紹介していたのでそんな印象がずっと続いていたし(子供にインパクトを与えて覚えさせるためなのと、当時は平成初期なのでこういう言い方をしていたのである)、文学史的にもそういう評価をする面もあるのだが、今は亡き子供の思い出を語る悲しい話なのである。道中の描写も素敵だし、ラストの「この原稿は捨ててしまおう」というくだりが、例え虚構であってもとっても好き。どうも僕は、一人の人間が読者を意識して書いたテキストであるという臭いが好きらしい。だからメタフィクションも好き。これは角川日本古典文庫で読んだ。図書館で借りたボロボロになった古い本だった。三谷榮一訳註。
「更級日記」はかつての文学少女が「源氏物語」をはじめとする文学への憧れを綴っているが、ラストのあたりで「自分の人生はいったい何だったんだろう」と回顧するので、僕みたいな作家になりそこなった文学少年崩れが、感傷的になりたいときなんかにオススメだ。内容をすっかり忘れているのだが、そこばかりが強く印象に残っている。
そして、「物語なんぞにうつつを抜かすんじゃなかった」的なくだりがある癖に、内容が技巧に富んでいるのだが、それはただの未練というよりも、そうした技巧で妄念を鎮めようとしたのやもしれないし、それもまたパフォーマンスかもしれない。小説家になりそこなった僕にはグッサリと深く刺さっている。よく「更級日記」は文学少女の物語だと言われているが、文学少女崩れの物語でもあるのだ。実際、興味深いことに「更級日記」では結婚、子供の誕生、両親の死という重い事柄が、ほとんど触れられていないのである。
それにしても、文学少年や文学少女はとても欲深い。彼らは現世で得られないものを書物の中から得ようとするからだ。そして、創作に手を出すのは、自分の持っていないものを魔術のように作り出そうとする更に深い欲がある人々だ。そして、僕はその欲望を愛していた。
ああ、そうだ。ここまで書いて気づいたのだが、恋だけでない、生きていてふと感じる寂しさを和歌にした作品が、僕はとても好きなのだ。
こういうのは個人のブログでやったほうがいいんじゃないかと思わないでもないのだが、辺境のブログでやってもあまり読者は集まらない。個人のブログを読んでもらうためには、ある程度自分をコンテンツ化する必要がある。言い換えるならば、一定の頻度で、ある程度の品質の記事を、独自色を伴って、継続的に生産し続けなければならない。なかなかできることではない。それに、この動画全盛期の時代に、どれほど文字を読む人がいるだろうか? また、首尾一貫したキャラで書き続けるのも面倒である。
一方、はてな匿名ダイアリーでは、文字を読むのが好きな人が集まっている。また、内容が有益であったり面白かったりすると、きちんと読んでもらえる。虚飾と権威主義真っ盛りの時代にあって、「誰が言ったかではなく、何を言ったか」だけで評価されるという意味では、非常に居心地がいい。もちろん殺伐としているし、暴言も多いが、それを補って余りある素晴らしい点である。有益なまとめを書いたときは褒められ、的外れなことを言えば叩かれ、面白くなければ無視される。残酷だが、内容だけで毎回勝負するのは、文章を書くのが好きな人にとっては鍛錬の場になる。
なお、時折こうして個人的なボヤキを書く。あまりにも古典文学の紹介という話題から逸れ過ぎて、イケメン・モテ男に関する個人的な愚痴になってしまい、読者を笑わせるよりは暗鬱な気分にさせるであろう箇所はこれでもかなり削った。かろうじて残したのは文学に関係する箇所のみだ。
恨みつらみを向けている人や、気に食わない人はたくさんいるのだが、作家以外は実名では論じるつもりはない。名前を出して作品を批判することはあるが、その人の行いに直接何か言いたくなった時はぼかしている。己の負の感情を直視したい一方で、人にネガティブなものをぶつけるのは美しくない。だからせめて、こういう妙な義理を通したいのである。
それでも長い。気に入らなければ読み飛ばしてほしい。ここに書きたいのは古典文学の紹介であり、せめて日常感じていることであり、怨念の垂れ流しではない。ただし前回のように時折脱線しては管を巻くつもりだ。
続く。