
はてなキーワード:絶妙とは
俺は3つの仮設を立てた。
「名前が覚えやすいから、前に聞いたことがある記憶が残りやすい」
「価格帯が絶妙だから、ちょっといい枕が欲しいけど失敗したときの傷は浅くしたい奴らに人気がある」
「結局今の日本人は金持ってないから、オーダーメイド枕を作れずレディメイドでマシなものを探すしかない」
どれだ?
全部か?
だが言えることは一つある。
羊枕は商売的に工夫されているということだ。
だがどうなんだ?
オーダーメイド枕はオーダーメイドでボッタクリがうまくできる仕組みなのか?
安物枕はその価格の見かけより更に安く仕上げられていて実は暴利なのか?
枕について俺は何も知らない。
知っているのはアイドルは枕やってるってことぐらいだ。
う~~~~~~ん、57点。
昨今では珍しい大オチ一発ネタ映画であり、その一発ネタのための論理が爆裂しているのでそこが納得できない人には何このクソ映画ってなりそうな作品ではある。俺も、いやそうはならんやろ……ならんよな?とはなったんだけど、大オチの潔さで爆笑してしまったのでそれなりの得点をつけてしまった。
なんか大人がヨツンヴァインになってキモくなっちゃう奇病を調べている男子高校生と、大事故で偉いことになった玉木宏家の女子高生の二軸で話が進む。
玉木家では事故の結果、母は昏睡状態に、妹はスケキヨに、父は足に障害を抱えている。しかしある日、昏睡状態だった母が復帰するも何か違和感が。
ここから書くことは、ちょっと何言ってるかわからないと思うんだけど落ち着いて聞いてほしい。
玉木宏は「鈴と指で∞を描くことでできる退行催眠療法を利用して被験者を生まれる前まで退行させることで魂を不安定にして別の生物とその魂を入れ替えることができるようになっており、それを使って児童虐待をしている大人の魂をウサギさんと入れ替えており、また事故で失った家族の魂も別人と入れ替えてシン・家族を形成していた」のだった。
何を言っているのかわからねーと思うが。おれも何を受けたのかわからなかった……頭がどうにかなりそうだった……
いや~~~~、さすがにそうはならんやろ。
この設定がもう頭おかしすぎてここだけで-50点くらいつけていい気もする。
まず不気味な雰囲気の形成。これはめっちゃ頑張ってた。冒頭でヨツンヴァインになった大人たち a.k.a人間ウサギの様子が映し出されるんだけどこれがめっちゃキモくていい。導入はオッケーという感じ。あと、退行催眠にかかってる人は睡眠中にたぶん脳内でいろんな情報を処理してるんだろうけど、目が∞にギョロギョロ動いててめっちゃキモくてよかった。
あと玉木家のなんか絶妙に幸せそうだけどそう見えない不穏な感じもよい。まぁ妹がスケキヨだしな。あとイカレた設定も生きてて、こういう家族入れ替わり系って「知ってるはずのことを知らない」ことでボロが出るんだけど、今作では魂を入れ替えてるので「知ってるはずのことを知ってる」ことで疑うべきかどうすべきかの葛藤も生きてるし、ミスリードにもなってる。ミスリードの結果があのイカレ設定なの許せねぇよ……ってなる人もいるだろうけどさ。
脚本に関しては大オチ一発に持っていくための時間稼ぎ感すらある雑っぷりでかなりひどい。
玉木が何らかの催眠を使っているのではと疑って乗り込む男子高校生があっさり催眠にかかってしまう展開もバカすぎてどうかと思う。
本来の妹は事故の後遺症で死んでたんだけど女子高生がそれを知らないのはよくわからない。事故のことネットで調べたら普通に出てくることだからなぁ。ふつう調べるよね?毎回毎回、玉木宏が記憶消してたってわけでもないだろうし。
玉木は別の女に昏睡状態の嫁の魂を移すんだけど、昏睡状態の嫁からどうやって魂取り出したんだよとか。その後、玉木は元々の昏睡してる嫁を殺害するんだけど家族を愛するがゆえにこんなイカレた犯行に及んだ玉木がもう魂は違うとはいえ愛する妻を殺すかって思うし、妻をあんな殺し方したら警察沙汰になるだろうけど特にそんなこともなく。
大オチの前ももう後は大オチだけだからし~らないwwwと放り投げてしまう。具体的には玉木はウサギに変えた男子高校生を心配した祖母に後ろから鈍器で殴られるも反撃し逆に撲殺(!?)、しかし真実を知ったスケキヨに刺殺され、ウサギに魂を移された大人たちはウサギのまま家に帰るのでした。いや、何も解決しとらん!
しかしその後に大オチがきて何もかもどうでもよくなってしまう。
生き残ったシン・家族の3人は無駄に優雅な午後のお茶会を開いている。傍らには母が生んだ赤ちゃん。
キャッキャする赤ちゃんは指で宙に∞を描く。
画面が暗転し
こ の 子 は 邪 悪
ドゥーン(効果音)
爆笑。
死ぬ前に玉木は自分に退行催眠をかけ嫁のお腹の中の赤ちゃんに魂を移していたのだった。
なんやねんこれ、さすがに笑うわ。
「邪悪な人間を赤ちゃんにうまいこと転生させて最後に『この子は邪悪』って出したらおもろいやろなぁ!」のワンアイデアすぎるだろ!
でもこの情熱、嫌いじゃないしこんだけ笑わせられちゃったら私の負け。認めざるを得ない。
設定、脚本のひどさが受け入れられない人類の方が多いと思うけど、この情熱、やりたいことはこれやねん!が見える作品は嫌いになれない。
山上のテロ容疑者扱いは変わらず、単に教団側の被害者性が強まってしまうので、仮に事件を起こした背景の悲劇性が語られても教団の違法化には繋げにくかっただろうな。
殉教者が発生して教団側の結束が強まることの有害性のほうが勝るかもしれない。
もし直接の元凶の母親を殺していたら、事件の背景となった教団の悪質性がナラティブとしては喧伝されそうではあるが、よくある新興宗教に陥った人間ドラマ程度のものとして消費されていた可能性が高いと思う。
「山上=加害者」「教団=被害者」となると違法化に繋げにくいのでそこを回避する必要があった。
「山上=加害者」「教団=トリガー」「母親=被害者」だと世間へのインパクトという面で弱い。
「山上=加害者」「教団=トリガー」「元総理=被害者」これが教団の悪質さを最も効果的に世間へ広めることに繋がったよな。
安倍と教団の関係性もかなり重要で、固定的な反安倍の立場からの評価だと関係性の強さばかりを強調して問題化されがちなんだけど、実際は関係性の「薄さ」のほうが効果的だったと思ってる。
いわゆる「ズブズブ」にもグラデーションがあるというか絶妙な塩梅のズブり具合だった。
ズブズブにみえてそこまでズブズブではない少しズブズブな関係。
もし安倍が統一教会の信者だったりしたら(例えば山上が創価学会の被害者で、安倍が公明党の総理だったら)逆に教団と安倍のズブりが数段階上がってしまうので「教団の被害者性」が強調されてしまう。
「信者でもなく、なんか影響力を利用する存在で、超有名人」 安倍がこの立ち位置にいたことで上記の黄金比が達成されたと思う。
Permalink |記事への反応(10) | 12:26
おもしろさがどこにあるかは、史実に基くという点でのリアリティ、第一話から仕掛けられる巧みなストーリー構成、コマ割りの絶妙さなど、色んな点が挙げられると思う
個人的に一番好きなのは、線の密度の低さから生まれる余白のある絵、それが生み出す虚しさのような感覚
記憶の底で何かが燻っている、自分の本性や本能のようなものがいつか目覚めるかもしれないという緊張感に対して、少なめの線で余白が多いコマの見た目上の儚さ
優しい家族と仲の良い友人、高い能力を認められ約束された将来がある、そういう生活が今にも失われるだろうという虚しさ
はるか昔の世界、登場人物は当然全員が亡くなっており、栄華を極めた町も人も、すべてが土の下という現実
そういうものが、無駄のない線の絵から滲み出ているような感覚がある
虚しさ、儚さを感じられる作品は貴重なので、じっくり読んで、味わっていきたい
正直さ、「なんで弱者男性って人工的に量産できないの?」って思ったことない?
社会にはやたら属性ビジネスやら「生産」みたいな話が出てくるのに、弱者男性だけはいつまでたっても天然物しかいない。
まず、弱者男性って「特定の環境条件が揃わないと誕生しない、超レア生物」なんだよね。
ちょっと厳しい家庭でもダメ、甘やかされすぎてもダメ、学校環境が荒れすぎてもダメ、恵まれすぎてもダメ。
本人の性格、周囲の反応、社会構造、経済状況…全部が絶妙にバランスして初めて生まれる。
この条件が異常に細かい。
自尊心、才能、家庭運、時代背景、ネット文化、性格、偶然の挫折体験…。
どれかがズレると一気に別の属性(陽キャ・陰キャ・チーズ牛丼・意識高い系・ただのそこそこ普通の人)に変わる。
雑に言うと「センシティブなメンタル設計のAIを、わざと制限された環境で育てたら奇跡的に形成される人格」みたいな感じ。
しかも面倒なのが、周囲の人間の反応も成長にめちゃくちゃ影響すること。
褒められすぎても歪むし、完全に無視されても歪むし、中途半端に期待されても歪む。
研究者(?)たちは長年「弱者男性の発生メカニズム」を解析しようとしてるんだけど、
未だに再現性が取れない。
人工的に作ろうとすると、たいてい途中で別種の存在に変異してしまう。
つまりまとめると、
・「再現性」がほぼ取れない
だからこそ弱者男性は絶滅危惧種であり、同時に「天然物の希少価値」を持ってるわけ。
新たな視点や情報を持ち込む人、匙加減が絶妙で既存の面白さと離れすぎてもなく、その場の一部~過半数から評価され模倣を生む みたいなもんだろうし
今より世代間、地域間、業種間での情報が行き交ってなかった 発散の場が限られていた、所属集団内でのネタ披露よりも成功体験が得られやすい
で、必ずしも裕福な家庭が必要ってわけでもないのだろうが、初期にはそういう人たちが雰囲気や評価軸を形成したので一旦そいつら優位な環境になったぐらいでありそう
結局小学生レベル(小学生も笑うような)馬鹿馬鹿しいネタを考える学生(なのかおっさんなのか)とかと下品、上品どちらも勢力を失わずに残り続けているし
自分はテキストサイトとかをちょっと見た後(98年ぐらい?)で一旦ネット見なくなって、ここ10年ぐらいで復帰した勢なのでなんも追えてないが、なんとなくしっかりした大人や頭いい大学生が馬鹿な事やってて好きという印象があって、何度かその人が全然大人じゃなかったりしたのも経験した
名前は一応伏せる。
あとさきにいっておくけど最後までプレイしたからな!全クリ済みした上での感想な。
初回起動から嫌な予感がする
「愛とは何か、命とはどこから来たのか」とか、そういう文が、白背景に明朝体で表示されていく。BGMはなぜか尺八。
この時点で既に意識高い地雷臭が満載だけど、見た目は一応綺麗。
立ち絵も今っぽいし、UIもそれなりに今風。なのに、この内容のギャップが初っ端から不穏。
「いやぁ、今日も性欲が強いな、俺」とか言いながら唐突に朝勃ちCGが挿入される(要る?これ?)。
さらに「セックスとは破壊であり、再生である」とか「オナニーは孤独だが、誇りでもある」とか、とにかく喋る内容がキモくて痛い。
ヒロインとの会話も全部「すれ違い」とか「重ねた身体の温度は云々」みたいな文章でつづられるけど、中身はない。
そのわりに肝心のエロは一瞬で挿入→フィニッシュまで直通という超ファスト展開。
しかもエロシーンに入ると何故か必ずヒロインが泣く。例外なし。
シチュエーションにかかわらず、すぐ泣く。
・保健室で
・海辺の岩陰で
・空き教室で
すべて泣く。「なんでこんなに気持ちいいのに、涙が出るの……?」って。
……知らねぇよ。
そして音声が完全に場違い。
ヒロインの声優さんが素人なのか、「あっ……うぅ……」がずっとワンパターンで音量バラバラ。
「ブーン……ガコン……」みたいな。多分自宅録音だろうけど、耳に入るたび現実に引き戻される。
例えばヒロインがうつ伏せで寝てるだけなのに「精神の交わり」とかテキストで出る。
シーンのテキストもやたら長い。
「俺は彼女の奥底へ届いた気がした。そこは寂しさでいっぱいだった」
→ 次のCGで背後位、→「どんなに抱いても、満たされない空白があると知った」
→ 画面暗転
……いや、なんだったの今の???
とにかくセックスに意味を持たせようとしすぎて空回りしてるエロゲだった。
絵は綺麗でUIは良い。声はまぁまぁ。
あとタイトルな。私たちって言葉はいってるんだけど…誰だよわれわれって!?ヒロイン一人しかいねぇじゃねーか!!!
…とはいえ唯一よかったのは、起動時の尺八が妙に耳に残ったことかな。
たぶん二度目はプレイしない。
にゃるら @nyalra
13年11月26日
上坂すみれさんの“一見衣装や言動のお陰でかわいく思えるけどよく見るとオタクでも狙えると勘違いしてしまう程度のブス顔”は何度見ても奇跡だと思う
postedat 14:56:47
にゃるら @nyara
13年12月30日
上坂すみれではシコれないけど、上坂すみれの顔面を数発殴っていいんなら射精すると思う
postedat 02:56:36
にゃるら @nyalra
14年5月13日
上坂すみれさんの画像見る度に「お前かわいいけど、おっぱいの大きさが理由の6割を占めてるし、付き合いたいかって言われるとそうでもないし、あんま調子に乗るなよホント」って説教しながら保存してしまうの何なんだろうな
postedat 08:18:30
にゃるら @nyara
14年2月8日
良い格好で一見可愛く見えるけど、お前それ声優じゃなかったら普通に中の下程度だから調子乗るなよって言いながらキスして黙らせたい」感じ最高すぎ
る
postedat 00:25:16
にゃるら @nyalra
14年2月27日
上坂すみれさん新しいPVで髪上げてたせいで顔大きく見えてブスっぽくなるんだけど、そのブスっぽさがサブカルライトオタクな衣装と背景と歌と巨乳に絶妙にマッチして、その辺に居てセックスさせてくれそうなちょいオタブス感出てるの奇跡の産物なんだよな
にゃるら @nyalra
14年1月12日
上坂すみれさん、オタクはサブカルに視野を広げるべきって発言やら、第三帝国がどうこうで軍服コスしてるあたりの痛い勘違いっぷりがファンを振るいにかけてて、それでも上坂すみれを好きなわかってる自分に酔う感じとおっぱいが大きいのと可愛いのに絶妙に殴りたくなる顔に惹かれてしまわないですか?
にゃるら @nyalra
13年12月28日
そんなに童貞がいやなら女フォロワーレイプすればすぐ解決でしょ。向こうも満更じゃなかったのに「無理矢理オタクに穢された可哀想な私」をメンへラポエムで表現し始めて緩マン狙いの囲いが増えて
にゃるら @nyalra
13年11月8日
性欲がない状態で女のツイート読むと知的障害にしか見えないんだけど、女側からは他の女のツイート常にこの状態だと思うと叩きたくなるのも仕方ないな
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
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「現実と趣味」「効率と癒し」「懐古とアップデート」が絶妙に交錯する内容だった。
全体として、忙しく不安な日常の中で、食・音楽・雑談を通じて小さな共感と笑いを交わす、
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
聞いとくれよアンタ
顔料なんてもん、自分の足で鉱石や植物を探して、自分で作るもんだろ?
それをもう、ホレ、どっかの会社だか工場だかが大量生産を始めちゃってさ
俺らが必死で編み出した絶妙な色をだよ?それを簡単に手に入るようにしやがって
あの絵師の鮮明な赤も、この絵師の雄大な青も、買っちゃえば簡単に再現できるなんて
腹立たしいったらありゃしない
って怒れる人が、大昔には居たものなんだろうか
人がぎゅうぎゅうに詰まっていればあきらめもつくのだが、ひとりきりで乗ると、あの箱の中は、ちょっとした自分専用のスタジオになる。
わたしのローファーがそっと床をたたく。コトン。ドン。――あの低い響きがいい。まるでバスドラム。
自然と手が動く。指先で軽くリズムを刻む。床の下は空洞なので、やけに低音がよく響くのだ。これが妙に気持ちいい。次に手でリズムをとる。パパパン、パパパン、パン。自然とお気に入りのサンバのリズムになる。あとはもう止まらない。
途中でふと思う。もし監視カメラの映像を見ている人がいたらどう思うだろうか。
「またやってる、あのローファーの人」
なんてあだ名がついているかもしれない。だが、そんなことはどうでもいい。あの数秒間の“無重力の時間”を、ただ上品にじっと立って過ごすなんてもったいない。わたしにとってエレベーターは、心のメトロノームを整える大切な装置なのだ。
演奏もノッてきて、いまにも踊りだしたい気分のなか、ピン、という到着音が鳴る。
ドアが開く。演奏は終わる。
ドラムス、わたし。観客、ゼロ。拍手もゼロ。だが、なぜか心はちょっとだけ晴れやかだ。
何事もなかったように髪を直し、まっすぐ前を向く。
外の世界に出ていくわたしの足元では、ローファーがまだ、ほんの少しだけ跳ねている。
ときどき、こういう文章をAIにつくってもらうのが最近のちょっとした気晴らし。
たかが十数秒の移動時間に、上下関係も礼儀作法も、そして日本独特の「気づかい文化」も、すべて詰まっている。
欧米では、女性と乗り合わせた男性は奥に立ってはいけないという。
女性の背後に男性が立つと不安を与える――そういう理屈らしい。だから女性はドアのそば、男性は奥へ。それでバランスがとれる。
ここでは、奥が“上座”である。上司や来客を奥へ通し、目下の者が手前で「開」ボタンを押す。つまり、最後まで残ってボタンを押す者こそが、いちばんの下座なのだ。
エレベーターが動き出すと、自然に手前の位置に収まり、指を「開」ボタンに添える。
――目下の女性は、番人のようにドアの手前に立つ。
最後の瞬間まで(開)を押し続け、すべての人が安全に降りるのを見届ける。
そして、最後に自分が降りるその刹那、体をよじらせてまで(閉)ボタンを押す。
去りゆく背中に向けて、残された人たちが少しでも快適であるように。
ピン、と到着音。
最後に指先をひねるようにして(閉)を押すと、ドアはすっと静かに閉まった。
――誰も気づかないほんの一秒の所作。
けれど、その一秒のために、日本のエレベーターは今日も穏やかに上下しているのだ。
ときどき、こういう文章をAIにつくってもらうのが最近のちょっとした気晴らし。
まだ頭のエンジンがかかりきっていない時間帯に、人と人とが沈黙のまま、数平方メートルの箱の中で呼吸を合わせる。
そんな朝に限って、なぜか私は両手いっぱいにごみ袋を持っている。しかも三袋。
いつもはこまめに出しているのに、今朝に限って溜まっていた。
昭和のころなら「燃える」「燃えない」くらいで済んだが、いまは「プラ」「紙」「ペットボトル」と分別がややこしい。
そして、よりによって――
「一階まで直通で行きたい」と願う日に限って、乗ってくる、乗ってくる。
二階でひとり、三階でまたひとり。
そのたびに私は、ごみ袋を抱えたまま少しずつ後退し、ついには奥の壁の隅へと追い詰められる。
ごみ袋が前の人に触れないように、腕の角度を微調整。
ペットボトルの袋がカサッと鳴るたびに、全身の神経がピクリと反応する。
――これが朝の神経戦である。
やっとのことで一階に到着。
ドアが開くと同時に、三袋を引き連れて外へ出る。空き缶がカラカラ鳴ってまるで子ヤギの鈴だ。
ごみを置いて手が空いた瞬間、エレベーターの中のあの沈黙が少し懐かしく思える。
ほんの数十秒の乗車時間――だが、そこには社会の圧縮ファイルのように、気づかいと緊張と分別の哲学が詰まっているのだ。
ときどき、こういう文章をAIにつくってもらうのが最近のちょっとした気晴らし。
駅から近いくせに、人通りは少なく、どこか路地裏のにおいがする。
飲食店と事務所と、なぜか整体院が混在している、昭和の名残のようなビルだ。
朝のエレベーターはたいてい俺ひとり。
無音の箱がゆっくり上昇していく短い時間が、ちょっとした気持ちの切り替えになる。
その日も、いつものように慣れた指先で「ピッ」とボタンを押した。
七階に着くはず――だった。
ところが。
薄暗い照明の奥へ、赤い鳥居がずらりと連なっている。
遠近感が狂いそうなほど、ずうーーっと続いている・・・ようにみえたが、錯覚だった。
だがボタンを見ると、「8」が光っている。
……押し間違えたらしい。
そうか、と胸の奥で何かがコトンと鳴る。
前の会社は八階だった。
意識しなくても、指が“丸八”を覚えていたのだ。
「八幡神社の丸八」みたいだな、とふと思う。
そっと「閉」ボタンを押す。
赤い鳥居と“丸八”の光が、じわりと胸の奥に残っていた。
七階の扉が開く。
でも時々思う。
そのせいで、ふと別の世界のドアが開くのかもしれない――と。
ときどき、こういう文章をAIにつくってもらうのが最近のちょっとした気晴らし。
――マンションのエレベーターというのは、ちょっとした“自治社会の掲示板”である。
あの狭い壁面には、住民の息づかいと管理組合の苦労と、そしてときどき発生する謎の個人制作チラシが、ぎゅうっと貼り並んでいる。
消防設備点検のお知らせ、粗大ごみ出しのルール徹底、管理組合理事会の案内。
そして、上下階の騒音問題――おそらく管理人にクレームがいったであろう案件も、「○階の皆さまへ」などと、やんわりと、しかしじわじわ刺す文体で貼られている。
中には「〇階付近」と、ギリギリ個人特定にならない程度に範囲を狭めてくる注意書きもあり、これがまた絶妙にいやらしい。
管理組合名義とはいえ、実質“言いたいことを管理人に外注”している感がにじみ出ている。
通常、掲示物は管理人が貼るのだが、ごくまれに、明らかに住民が勝手に作って貼ったものを見かける。
文章は微妙に感情的、フォントは謎に凝っており、そして貼り方が妙に強い。
よほど業を煮やしたのだろう。
ある朝、エレベーターの鏡に直接貼られた紙を見て、思わず声を失った。
「鏡を手あぶらで汚すな!!」
……おいおい、それを剥がすとき、鏡が汚れるだろう。
いや、鏡が傷つく可能性すらあるぞ。
注意のために鏡をむしろ“犠牲”にするとは、なんという本末転倒。
いや、あなたのほうがよっぽど鏡の美観を損ねてますよ、と心の中で突っ込んだ。
たぶん、あれは隠居爺だ。
日々やることがなくて、イライラが溜まっているに違いない。
エレベーターが小さな舞台なら、あの爺さんは毎朝そこで、独自の幕間劇を上演しているのだろう。
エレベーターが一階に着く。
ドアが開くと同時に、外の空気が少し冷たく感じる。
振り返ると、鏡に貼られた勝手チラシがどことなく誇らしげに揺れていた。
――今日もマンション社会は、あの小さな箱の中で静かにドラマを続けている。
見てた時からずっとモヤっとしてたんだけど。
理由が急に分かったので書いておく。
作中で何度も偉人による現代ミームパロディが差し込まれるって話は前に書いた。
それと同時に現代の政治家、コメンテーター、民衆を小馬鹿にするような演出も大量に入る。
寝てるジジババ議員とか偉そうに批判するけど対案出せって言われたらシュンってなる野党議員。
すーぐに熱狂してうちわ振ったり、tiktokで踊り出したり、お手製デモしたがる民衆。
偉そうに批判するけど対案出せって言われたらシュンってなる野党議員は女性なんだけど
見た目的に「これ蓮舫じゃんwww辻元清美じゃんwww」とはならないようになってる。
どっちかって言うと高市早苗みたいな見た目しててそれはそれで草なんだけど。
みんな特定の誰かっていうよりは「こう言うやつらいるよね」っていう最大公約数的なキャラになってる。
でもその中で、おそらく唯一名指しでバカにされてるのが「ひろゆき」なんだよ。
中途半端な長髪で、チョビ顎髭でティーシャツ着ててバックにエッフェル塔的なものが映ってて、画面に対して正面じゃなくて横向きに座ってて「(偉人内閣のこと)海外でバカにされてますよ」「それってあなたの感想ですよね」って言う出羽守系Youtuber。
これってもう完全に「ひろゆき」じゃん。声も喋り方も完全にひろゆきに寄せてるし。
でもキャストはひろゆきじゃないんだよ。ここまでやるんだったらひろゆきをキャスティングすりゃいいのに。
別にひろゆき好きじゃないけど、唐突にひろゆきだけ正面切ってバカにしに来たのは正直疑問。
それだったらよっぽど現実の議員を名指しでバカにした方がよっぽど偉いよ。
この絶妙に殴り返されなさそうなところで、殴り返されても炎上じゃなくて同情やむしろ好意的な後押しを得られそうでプロモーションになりそうなところを殴りにいってる卑小な感じがこの作品全体を表していたなぁと思いました。
神は細部に宿るじゃないけどこういうところで志が見て取れるよなと思いましたまる
今日の予算委員会で、長妻が生活保護費引き下げが違憲って判決出た件について質問したんだけどさ
予算委員会前日、質問の事前通告終わった後で、厚生労働省が「全額補塡見送り」の情報マスコミに流してるんだよな
長妻はこの問題に取り組んできた(*)から、全額補填見送り報道見てたら、絶対予算委員会で追及してくるって見越してだろう
通告破りしてでも聞いてほしかったところだけど、そこは国会のルールに従ってお行儀良くしてたのが少し残念ではあった。
ただ、それ以上に厚生労働省が議員の質問つぶし&法的正当性ゼロのマジクソムーブ(**)してて、三権分離とは・・・?って感じ
(*) 参考:https://cdp-japan.jp/news/20250701_9443
(**) 多分再度提訴されて負けること折込済で牛歩戦術してると思われる。
今回最高裁で違憲判決出るまで10年かかってるんだけど、裁判中に原告は200人亡くなってて、その人たちは返金対象外って報道が出てる。
追記:
調べてもらうとわかるけど、共同通信がニュースソースを「厚生労働省は」として速報打ったタイミングが2025年11月06日 21時14分で事前通告期限後。予算委員会前日の夜9時で通告破りの質問も用意しづらいタイミング。
そのあと 22時13分 に詳細が報道され、各社追従となってる。
違います。なので事前通告とかの実運用はよく知らんです。48時間前が慣例とは聞いてる。国会増田いるなら正直解説してほしい。
厚労省が情報流して野党に追求するよう仕向けたってこと?それともわざわざ通告期限後に情報流してルール破らないと質問できないようにしたってことのどっち?二日酔いでわからん
ちなみにその後の報道で、あたかも全額給付見送りが予算委員会で話題に出たようなタイトルの記事も出てます(まあこれは新聞記事特有の圧縮のせいだと思いますが)
生活保護一部補償が妥当、厚労省 最高裁違法判決、首相初めて謝罪(共同)
ID:l1o0記事の読み方を教えてあげるね。メディアが「厚労省は」と書くとき公式リークとは限らない。1) 省庁の幹部、担当者に非公式に確認 2)記者クラブの定例ブリーフィングなどで拾う 3) "厚労省は〜とみられる"を簡略化、等
「教えてあげるね。」←キモすぎる上に意味不明なこと書いてたので思わず追記しました。
この件って後追いの共同の記事 (https://news.jp/i/1359152434869256501 -2025/11/06 22:13:44 ) に「関係者が6日、明らかにした。」ってあって、要は共同に官僚が情報出した可能性が高いんですよ。
情報の具体性からみて、記者が確認して得られる情報じゃないのもミソですね。
特に政策決定の直前だとこういうのありがちじゃないですか?ご存じだと思いますけど。
こういうのを「記事の読み方」って言うんじゃないですかね?しらんけど。
そもそも「公式リーク」ってなんすか?ソシャゲじゃないんすけど?
あと、挙げてる1、2、3の事例、今回のケースには可能性の段階ですべて除外されると思うんですけど、それを「教えてあげるね」ってわざわざ書いたのなんで?って思いますね。
事務的な部分で言えば、予算委員会の後の 18:00~20:00にこの件に関する特別委員会があって、そこで一部補償って情報が正式に出るからですね。
高市総理の「(補償に関しては)専門委の審議結果を踏まえ適切に対応する」って答弁はこれを踏まえて用意されている感じで。
野党が通告に入れられないタイミングで共同に情報を出した理由なんですけど、これは正直わからんです。
ただまあ、前にも書いた通り様々な理由で政策決定の直前だとこういうのありがちなんで、共同に独自で抜かせたかったのかな?ぐらいしか推測できないですね。
これまで私は、自分のいいところは清潔感と知性だと思ってた。27歳になった今でも、そのスタンスは変わらないんだけど、ここ数ヶ月で何か重大な勘違いをしてたんじゃないかって気づき始めた。
仕事の飲み会で、後輩の女の子が来た時のこと。正直に言うと、その子は別に美人じゃない。背も低いし、顔だって私の方が整ってると思う。
でも。
その日、確実に男たちの反応が違かった。
後輩の女の子が話すと、男たちが身を乗り出して聞く。彼女が何か言うたびに笑ってる。デザート食べてる彼女を見つめてる男もいた。
一方、私が話しても「うん、そっか」くらい。
何が違うんだろう。
翌日、友達に相談したら「あの子って、隙があるんだと思う。絶妙に男ウケ良さそうだよね。」と言われた。
隙?
考えてみた。
後輩の女の子はミニスカート履いてた。ニットは身体のラインが見える。メイクも濃い。でも別にギャルとかじゃなくて、ただ手作り感がある。やたら完璧じゃない。
対して私は。
いつも通り、膝丈のスカート、シンプルなニット、ナチュラルメイク。会社でもプライベートでも基本同じ格好だし、これが大人っぽくていいと思ってた。
でも、もしかして。
これ、つまらないんじゃ。
次の週も飲み会に誘われてたので、試しに服装変えてみた。スカート短めにして、少し胸元開いたニット着た。いつもより濃いめのリップとアイラインにした。
髪も、いつもは一つに結んでたけど、ほどいてウェーブかけた。
最初は自分でも落ち着かなかった。こんなの、私じゃないって感じで。
でも。
その日の男たちの反応が明らかに違った。
「あ、髪下ろしてるんだ。似合う」とか「その格好いいね」とか。
終わったあと、連絡先交換したいと言われた。いつもは「また今度飲みましょう」で終わるのに。
帰り道、一人で考えてた。
私が今まで何を間違ってたのか。
別に清潔感がなくなったわけじゃない。でも、なんか隙を出してみたら、男たちが近づいてきた。
その後、何度か試すうちに気づいた。
ちょっと崩れてる感じ。完璧じゃない感じ。手が届きそうな感じ。
自分で言うのもなんだけど、私って「できた女」オーラが出てるらしい。仕事もできるし、家事もちゃんとしてるし、知識もある。だから多分、近寄りがたいんだろう。
「この人、俺でもイケるかな」って思わせてくれない感じ。
でも後輩女の子とかは違う。ちょっと頼りなさそうで、ちょっと守ってあげたいって思わせる。
ニット脱いでキャミ一枚になったり(寒いから上に羽織ったけど)、話聞いてるときに男の腕に少し寄りかかったり、下ネタに照れながらも反応したり。
その結果、男たちが安心したみたいで、積極的に話しかけてくれた。そのうち2人とは実際にあとで会うことになった。
でも。
これを書いてて、ちょっと悔しいんだ。
別に私は、本当に隙のある女じゃない。むしろ逆。でも、男ウケを狙うなら、そういう安っぽいものを演じる必要があるってわかった。
それって、すごく嫌だ。
自分を偽ってるみたいで。それに、こんなことしなくても、自分のままで好きになってくれる人がいたっていいじゃん。
でも現実は。
男たちが求めてるのは、できた女じゃなくて、守りたくなる女なんだ。
聡い女より、ちょっと天然な女。
それが「モテ」なんだ。
仕事では今までのまま。でも、モテが欲しい場では、ちょっと隙のある女になる。
同僚とか友達には「最近ちょっと頑張ってない?」くらいにしか見えてないと思うけど、実は結構な演技をしてる。
正直、疲れる。
でも、モテたい。
だから演じてる。
社会人になってからというもの、休みがあればふらりと国内を歩き回っている。
北は稚内から南は石垣島まで、風景や食べ物もそうだが何より”その土地の空気”を感じるのが好きだ。
ただ、どんなに楽しい旅でも帰りになると少しだけ寂しくなる。
そんな時には家で待っているうちの猫のことを思い出す。
風に揺れる猫じゃらしが目に入った。
穂の先が金色に光り、ふわふわと柔らかそうで、まるで猫のしっぽみたいだった。
これをおみやげにするのはどうだろう?と、その時ふと思いついたのが事の始まりだった。
行く先々で土手や空き地を覗き込み、よさげな猫じゃらしを摘んでは新聞紙に包んで持ち帰る。
家に帰れば、うちの猫が目を輝かせて待っている。
それらを差し出せば、彼女はまるで批評家のように品定めを始めるのだ。
そこで今回は、うちの猫が選ぶ「全国猫じゃらしトップ10」(母数1)を発表しようと思う!
ややゴワついていて穂が太め。最初は好奇心で噛むが、すぐに飽きた顔を見せたためこの評価。
評価:★★☆☆☆
柔らかいけど、乾燥して粉っぽい。匂いは好みのようで鼻をスンスンさせている時間が長かった。
評価:★★★☆☆
評価:★★★☆☆
評価:★★★☆☆
評価:★★★★☆
穂が長くて風の抵抗が絶妙。うちの猫も喜んでおり食いつきが良かった。
評価:★★★★☆
評価:★★★★☆
潮風で少し硬くなっているが、跳ね返りが楽しいらしい。うちの猫のお気に入り。
評価:★★★★☆
評価:★★★★★
圧倒的No.1。
うちの猫、20分ノンストップで跳び続け、最終的に咥えたまま寝た。
評価:★★★★★+
猫じゃらしをおみやげにしていると、旅が少し違って見えてくる。
駅前の土手や駐車場の隅にも、思い出の種があるような気がしてくる。
私にとっての旅の思い出は、風景でもグルメでもなく、家に帰って猫と共有するその一瞬だ。
猫じゃらしを揺らすたびに、旅の匂いが部屋を満たす。
旅の思い出は、あの一跳びの中に詰まっているのかもしれない。
季節の変わり目に追いつけない体を抱えて、ベッドにうずくまった。
着重ねする必要がなくなったがゆえに、肌にかかっている布の軽さが物足りない。
「寝る前に換気して、空気を循環させた方がいい」という助言を律儀にまもり、手首のスナップをきかせて、窓を開け放つ。
カーテンが呼応するように揺蕩い、爽やかな風が一気に部屋を満たす。
雲一つない藍色の空から、星ごと流し込まれたような心地よさ。額を撫でる風に目を細め、深く息を吸う。
溜まっている「How areyou doing?」に返す気が湧かないので、設定から「アカウント削除」を選択し、すぐさまアカウントを作り直した。
英語のレベルは5段階。少し悩んで、3にする。レベルの横に、ドットが3つついたのを確認し、さっそく投稿を作る。
「こんにちは、アキです。喋りたいからアカウントを作成しました。チャットか電話しましょう。」
なんどもアカウントを作り直してもなお、「アキ」を選びたくなるのはなんでだろう。呼びやすいからか、季節の秋が好きだからか、発音したときの響きが好ましいからか。
改名できるなら「あきらちゃん」になりたいな、と思ったことが何度かあるし、ニックネームでアキちゃんと呼ばれたい。
本名はマ行とナ行で、どこか沼っぽく湿気ている。あきら、と声にしたときの、葉っぱをちぎったような爽快さに対するあこがれかもしれない。
投稿ボタンを押すと、少しの間もなく一つ目のいいねがつき、個人メッセージに「手を振る絵文字」が届く。
テンプレートの「調子どう?」「いい感じ」を数人相手に、三往復。
だが、その日は、単調で使い古されたテンプレートを、目をこすりながら指で辿ることを選んだ。
4人を相手に、ほぼ同じ会話のキャッチボールをした。少しも色が変わらない自身の心を見やり、チャットルームを抜けたところで、「電話?」の無機質な文字列が目に入った。
電話しませんか、の8文字すら省略する、スナック菓子のような軽い姿勢に惹かれ、ポテチをつまむように「通話ボタン」を押す。
耳に届いたのは、岩が転がり落ちて割れたような、気だるげに崩した "Yo, what's up"だった。
20代の大学生男子で、発音が聞き取りやすいなと思ったら、ニュージーランド出身だった。時差が3時間程度あり、「オーストラリアと日本の時差は1時間なのに」というと、「オーストラリアとニュージーランドを一緒にしないで」と怒られた。
「それでさ、フィジックスがなにか説明できんの?みたいな」
フィジックスがなんなのかすら知らない、というと「あー、ぶつりがく」と返してきたので、目を丸くした。
「まあ、わかる」
「まあ…このアプリ始める前はなんもしゃべれなかったけど、なまけずに電話とかしたら上達した。で、物理学説明できる?」
息を吸い、悪いけど日常会話くらいしかできないんだ、と返した。
「へえ。どこ住んでたの」
「オーストラリア」
電話口の声のトーンがあがる。転がり落ちた岩から、水切りで投げ、水面で跳ねる石みたいだ。
「うわあ、だと思った。オーストラリアの人って女でも男みたいな喋り方するんだけど、そんな感じがした」
そして、なるほどね、と言い添える。
「小学生のころだったら、本格的に専門の勉強とかはしてない感じか。了解した」
どうやら、物理学がなんなのか聞いてきたのは、英語レベルを測るためらしかった。言葉にトゲが少しもないから警戒はしていなかったが、特殊なモノサシのようにも思えた。
「なんか寂しいなと思って」
「寂しい?」
「孤独を感じたから。やっぱ今のなし、なんか恥ずかしくなってきた」
英語を学びたいから、と無難に流せるところだったが、口をついて出たのは「ロンリー」という単語だった。
言ってみてから、自分の状態を自覚する。そして、少々オープンすぎたかと思い、早口になる。
彼は特段からかう様子もなく、「なんか悲しいことでもあったの」と聞いてきた。
「いや、悲しくはないんだけど。今こうやって話せてるから楽しいし。」
暗い空気を感じ取られたくなくて、会話を移そうとしたが、彼は話題の切り替えに乗ってこない。
「なにかあった?」
首をひねり、天井を見上げる。少し息をついた。
間をおいてまで考えたが、別に何もないのだった。
「本当になにもないんだ。ただ、人って社会の生き物だから。私は一人で行動するのが好きだし、店とかもひとりで行くけど、たまに人と喋りたくなる。それは、ヒトっていう動物が社会の生き物だからだと思う」
「それはそう」
納得したらしい。英語でそこそこ言語化できた自分を、内心褒めつつ、落ち着かなくて言い添えた。
「君をカウンセラーみたいに扱いたいわけじゃないんだよ。だから気にかけてくれなくていいよ」
「なんでそう思ったの」
「どうして悲しいのか聞いてきたのが、こう、心配してくれているように感じて。暗い空気を感じ取ってたら悪いなと。人は人のことをカウンセラー扱いしちゃいけないと思うから。人はあるがままで良いわけだし」
「そんな気にしなくていいのに。別に、ヒトのことをカウンセラー扱いしてもいいんだよ。みんな、誰かをカウンセリングする義務がないことくらいわかってる。強制させてるわけじゃなく、そうしたいからそうするだけで、みたいな」
自分よりも2歳は年下で、語尾の「みたいな」に若者らしさが滲んでいるのが気になるが、それでも海外の大学生はずいぶんまともだなと思った。自分よりも、ヒトとの距離感、境界線の引き方に長けている気がした。
それにしても、知らない考え方だった。
人のことを便利に都合よく使っちゃいけない、というのが今の自分の考えだ。愚痴を聞かされると、「ゴミ箱にされた」と感じる。人はあるがままで良いわけだから、相手になにかケアを求めるのは望ましくないと思う。
だけど彼は、「ヒトは在り方を選択している」わけだから、好きにふるまえばいい、というスタンスだ。
主観的な見方しかしない自分と違い、それを受け取り、応答する側である彼の目線から、「自分だってこうしたいからこうする」と、立場を選んでいることを明示され、目からうろこだった。
なるほど。愚痴を聞かされ、人を励ますとき、私はいつも、都合よく使いやがってと腹を立てたりしたが、私はそのケア役割を「選んで」担っているわけか。
彼のカウンセリングが続く。猫はいるよ、と答えてから、少々言葉に詰まる。
「あれ、猫じゃ埋まらない?」
埋まってる埋まってる、飼い猫のこと愛してるし、と返す。
話は自然と彼の恋バナに移っていった。
「今度日本に行くとき、日本人の好きな子に会いに行くんだよね。性格が好きで」
「なんかロマンチックだね」
「どこが。ただ会いに行くだけだよ」
拒絶されたらショックだなあ、とぼやいている。きっとうまくいくよ、と励ました。ニュージーランドに留学に来ていた女子らしい。
「それで、君は好きな人いないの」
「いないよ。必要かな」
「確かに楽しいね。でも、恋愛のプロセスがあんまり好きじゃない。考えてしゃべったりしないといけないし」
「それは、今まで良い関係を築いてこれなかっただけでは?」
どうやら2個目のアドバイスをもらってしまったらしい。確かにその通りなんだけどさ。でも本当に言いたかったのは、恋愛のプロセスの中、もしくは先に、自分の体を当然のように要求されることの不健康さだった。まあでも言わないことにした。
その後も、気だるげだがポップコーンがポコポコ跳ねるように、軽いフットワークでいくつか話題をまたがり、「もう寝るわ」の声で通話の幕は閉じた。
切り際、「自分にバラでも買えばいい」と言われたから、「買う買う」と返す。
「買ったら写真送って」というので、「それは約束できない」と目を逸らすと、「それじゃあ意味ないじゃん」とごねられる。
子どもは寝な、と言うと少し怒ってきたのがちょっと愛らしかった。
栗城史多という人のことを考えると、つい私は台所でお茶をすすりながら、「ああ、あの人はなんて華があるんだろう」と思う。もちろん、登山家としては完璧じゃない。単独無酸素で登頂する、と言ったって、実際には酸素や装備の補助があった。でも、その「そこそこの技術」が絶妙で、見る人間が「自分にもできるかも」と思う、ぎりぎりの線にあった。素人でもついていこうという気になる。それはまるで、知らない家の庭に咲いた花を、思わず手折りたくなる気持ちに似ていた。
テレビに出ていた無名の登山家たちは、栗城さんを「市民ランナー」と呼び、眉をひそめていた。「こういう人にはなりたくない」「山が誰のものだと思っているのか」――そんな言葉がぽつぽつ口からこぼれるたび、胸が少し痛んだ。私は台所で、湯気にのぼるお茶を見つめながら、思わず「そうでしょうね」とひとりごちた。技術で評価する人たちの世界では、栗城さんの存在は、どうしても異物だったのだ。
でも、そういう批判の裏には、きっと嫉妬がある。栗城さんにはスポンサーがつき、彼の挑戦は映像になり、物語になり、話題になった。自分には三万円すら出ないのに。格差は、嫉妬を生み、上から目線の批判を生む。私も昔、そんな経験を少しだけ知っている。人が評価される理由が、自分の努力や技術の正確さだけじゃないとき、胸の奥がひりつくような気分になる。
栗城さんの挑戦を思うと、つい私は三浦雄一郎さんのことも思い出す。あの方も、山頂からスキーで滑り降りる映画を残した。だが、三浦さんの場合は、必ず同行者を連れて撮影を行い、カメラが回るための安全網があった。言い換えれば、先人の挑戦の「物語性」を忠実に映像化するスタイルで、栗城さんもまた、そこを模した面がある。人に見せる挑戦として、物語を作ることを恐れなかったのだ。
それに比べると、植村直己さんの挑戦は、また違った迫力がある。自分で映写機を持ち、数キロもの距離を犬ぞりで移動させ、撮影してから戻ってくる。悪天候の中でも、自分の身体を限界まで使い、物語を記録に残す。彼もまた、最後は自然の力の前に屈したのだが、挑戦の姿勢には、どこか無言の孤独と美学が漂う。栗城さんも植村さんも、無理をして自然の壁に挑む点では、別物ではない。違うのは時代と、物語の伝え方だけだ。
登山界の一部は、自然の厳しさよりも、技術の優劣にこだわる。最大酸素摂取量がどうだとか、悪天候の中で無理をしたかどうか、とか。人の生まれつきの心肺能力や耐寒性なんて、変えられないのに、そこを痛めつけるのが美学らしい。登山家たちって、そういう人種なんだ、と私は思った。
それでも栗城さんは華があった。登山家としての最低限の技術を備えつつ、素人の心もつかむ華。見ているだけで楽しくなる華。人気があるから、嫉妬も集まる。でも、人気でしか測れないものだって、世の中にはある。
批判も嫉妬も、言葉の端々に現れる。「頭を下げて岩山登坂の技術を習いに来たら相手してやらなくもない」とか、「市民ランナー」なんて言葉がぽつんと並ぶ。笑ってしまう。相手してやる、なんて、まるで小学校の運動会で順位の下の子を認めてやるような言い方だ。完全に嫉妬に狂っている。
私はいつも思うのだ。山は誰のものでもない。権威ある登山家のものでも、論文を書き連ねる評論家のものでもない。挑戦する人すべてのものだ。栗城さんは、技術や権威ではなく、物語と華で山を共有させてくれた人だ。だから批判も嫉妬も集まるのだろうけれど、私はその混沌を見ながら、ほんの少しほっとする。山に上がる人たちが、同じ物語に共感しながら登れる場所があるということが、嬉しいからだ。
振り返ると、栗城さんの挑戦は、単なる無謀な行為ではなかった。登山界の古典的評価軸と、メディア時代の評価軸の交差点に立ち、素人も専門家も巻き込んで、山の魅力を再演した実験だったのだ。嫉妬や批判も、その構図が露わになった証拠にすぎない。華があって、そこそこの技術を持ち、人気があったからこそ、彼は批判され、同時に多くの人を夢中にさせた。
結局、私たちが傷むのは、技術や権威ではなく、理不尽な価値観の押しつけを目の当たりにするからだ。栗城さんは、その理不尽に少しだけ風穴を開けてくれた。だから、私は今でも、彼の挑戦を思い出すたびに、少し微笑んでしまうのだ。