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はてなキーワード:結果の平等とは

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2025-10-22

anond:20251021061953

人権女性がそっちのけになったのも、「働くのは男、女はそうではない」というジェンダー規範がうまれたのも、女性責任を引き受けないからだよ。

もう社会的にはフェミニズムを受け入れる準備つまり機会の平等必要以上にできているのに、女性責任を引き受けることから逃げ回るから結果の平等が伴わないんだよ。

Permalink |記事への反応(2) | 08:57

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2025-10-17

実は、アファーマティブ・アクションAA)やそれに類する「優遇政策」は、経済学的にも長い議論対象で、労働市場効率性・インセンティブ構造社会的資本形成といった観点から、かなり深く分析されています

以下、主な経済学的な論点を体系的にまとめてみます

 

🔹 1.労働市場効率性を下げる(ミスマッチの発生)

AAによって採用・昇進などで属性が重視されると、「最適な人材配置」が歪むことがあります

本来、最も生産性が高い候補者を選ぶべきところで、**別の基準性別人種出身など)**が介入する。

結果として、全体の生産効率totalfactor productivity)が低下する可能性がある。

 

たとえば:

Loury (1998), “Discrimination in the Post-Civil Rights Era”

AA短期的な公平性を実現するが、長期的には人的資本human capital)の最適配分を阻害する。

 

Coate & Loury (1993), Quarterly Journal of Economics

→ 「低評価リスク」仮説:制度優遇があると、企業側が「優遇枠の人は平均的に能力が低いかもしれない」と予期し、全体の採用評価を下げる。

→ つまり恩恵を受ける人自身市場過小評価される逆効果が生じる。

 

 

🔹 2.インセンティブのゆがみ(努力のリターン低下)

経済学では、個人努力する動機=「期待される報酬 ×確率」。

AAによって「結果の平等」が保証されると、努力のリターンが減少する可能性がある。

 

Phelps (1972), “The StatisticalTheory of Racism and Sexism”

→ もし企業属性基準期待値修正する(例:「女性は平均的に○○が低い」など)と、

個人努力しても評価改善されにくく、人間資本投資インセンティブが下がる。

 

Becker (1957), The Economics of Discrimination

市場競争の中では、長期的には差別コストになる(=差別する企業が淘汰される)。

まり市場メカニズムに任せた方が、平等を促す方向に進む可能性がある。

→ 逆にAA市場の自浄作用を人工的に妨げる恐れがある。

 

🔹 3.スティグマ効果signaldistortion

AAによる採用・昇進=能力より制度配慮」と見られることで、

その人が本来持つ能力を正当に評価されないリスクが生じる。

これはゲーム理論的には「シグナリングsignaling)」の問題として扱われます

 

Coate & Loury (1993)モデルでは、AA導入後、採用者が「優遇されているグループ」に対して

“平均的に能力が低い”という信念を形成雇用主が訓練投資を減らす。

→ その結果、実際に能力格差固定化されるという自己成就的な悪循環が起きる。

 

まりAAが「差別の解消」を目的として導入されたのに、

市場信号構造を歪め、差別制度的に固定化するという逆効果生まれる。

 

🔹 4.社会的資本(Social Capital)の分断

経済学では信頼・ネットワーク協調といった“社会的資本”も重要生産要素とされています

AAのように属性による線引きを制度化すると、

 

グループ間の信頼が低下

制度があるから助け合う必要がない」というモラルハザード

成功の原因が「努力」ではなく「制度」に帰属される(=相互尊重の低下)

 

という効果が観察されます

結果的に、社会全体の協力効率(cooperative efficiency)が下がる。

 

この点は、Putnam(2000)『BowlingAlone』や Fukuyama(1995)『Trust』などでも、

制度的な平等押し付け”が社会的信頼を損なうという形で議論されています

 

🔹 5. 長期的ダイナミクス依存構造固定化

AAを受けて育った世代が、次の世代に「努力よりも制度を頼る文化」を引き継ぐ可能性があります

→ これを “policy dependence equilibrium”(政策依存均衡)と呼ぶモデルがあります

 

例:

Cass Sunstein (1991) “Why MarketsDon’t Stop Discrimination”

政策が続く限り、民間の慣習変化(文化進化)が進まない。

政策終了後に「元の格差」が再出現するリスク

 

🔹総合すると…

アファーマティブ・アクション短期的には平等を“見かけ上”実現するけれど、

長期的には:

 

生産性の低下(misallocation)

努力インセンティブ崩壊

社会的信頼の喪失

差別固定化

 

といった制度副作用を引き起こすと分析されています

Permalink |記事への反応(0) | 15:21

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2025-09-08

最近の男女対立がよくわからない

まず、結果の平等機会の平等の概説から

結果の平等とは「最終的な成果・報酬地位などが、できるだけ均等になることを目指す考え方」のことで、所得格差を縮小するための累進課税所得再分配政策や男女比を固定的に揃えるクオータ制などがそれにあたる。

機会の平等とは「スタートライン選択の機会が公平に与えられることを目指す考え方」のことで、奨学金制度公教育の整備を通して教育へのアクセスを均等にすることや採用にあたって性別人種差別しないことがそれにあたる。

話題は「男100人、女100人の合計200人から50人のチームを作る」時にどう作るべきか?ということだ。

まず、結果の平等はわかりやすい。とにかく「男25人、女25人のチーム」を作るということだ。

次に、機会の平等は、主として採用にあたって性別人種差別しないことに軸を置くので、例えば「能力テストを行い上位50名を取る」とか「完全にくじを引いて50名を選ぶ」などが考えられる。

ここで、完全にくじは機会の平等純粋担保しているのだが、パフォーマンス面で問題がある可能性がある。これは日本国民全体からランダム医師免許を与える、みたいなことを考えればわかるだろう。

では、「能力テストを行い上位50名を取る」はどうか?確かにメリトクラシーちっくではあるが、その能力テストがそのチームの今後のパフォーマンスを測るのに適切なのであれば、社会的合意は取れるだろう。

で、私が言いたいのはここからだ。私が見る限り、フェミニスト男性女性能力が等しいと仮定しており、反フェミニスト男性女性能力に偏りがある(もっと言えば男性女性)と仮定しているようだ。

では、まずこのチームが必要とする能力という面で、男性女性能力が等しいと仮定しよう。フェミニスト仮定だ。

すると、「能力テストを行い上位50名を取る」というルールでは期待値として「男25人、女25人のチーム」になるだろう。(あくま期待値なので、結果にブレはあるけど)

であるならば、フェミニスト仮定もつ人にとって、期待値的には「男25人、女25人のチーム」を作るのと「能力テストを行い上位50名を取る」ルールは同じようだ。

じゃあ、どっちでもよくないですか?

次に、男性女性能力に偏りがある(もっと言えば男性女性)と仮定してみよう。反フェミニスト仮定だ。

ここで、社会が「男25人、女25人のチーム」を強制したとしよう。これに反フェミニストは怒っているのだが、怒る必要はあるのだろうか?これを考えてみよう。

フェミニスト仮定男性女性能力に偏り、それも著しい偏りがあると考えているはずだ。そうじゃなきゃ期待値的には「男25人、女25人のチーム」を作るのと「能力テストを行い上位50名を取る」ルールは同じになってしまう。

例えば、国立大医学部医学科の合格比率男性63.5%、女性36.5%でほぼダブルスコアだ。東大学部生は男性78.7%、女性21.3%だ。ダブルスコアどころの騒ぎではなく4倍である

この結果は男女の能力差なのか、社会的圧力なのか、男性に有利なルールになっているのかなど、ここでは議論しない。

でも、こういう事実理由として、反フェミニスト仮定では「男25人、女25人のチーム」という結果の平等のチームを作ってしまうと、パフォーマンスが下がることを彼らは指摘しているんだ。

そう。くじ引きを嫌う点からわかるように、機会の平等側の人たちは、基本的平等性よりもパフォーマンスを重視する傾向にある。

でも、よく考えてみよう。「男100人、女100人の合計200人から50人のチームを作る」際に「男25人、女25人のチーム」を作ったとしよう。残った人はどうなる?

「男75人、女75人」が残っている。この人たちは落第者なので、結果の平等ルール適用されない人たちだ。ではこの男75人の上位50名でチームを作ったらどうなる?

ルールに基づく「男25人、女25人のチーム」と残った男の「上位50人」チームが戦うはずだ。何で戦うのかは知らない。スポーツなのか、学術なのか、ビジネスなのか。

しかし、そこでは結果の平等機会の平等担保されていない、ただひたすらにその戦場でのパフォーマンスが高いチームが勝つゲームだ。

そして反フェミニスト仮定では、男性女性能力に著しい偏りがある、と考えているはずなので、結局、そのゲームでは残った「男性50名チーム」が勝つはずだ。

じゃあ、自分たちが勝つのでよくないですか?

(もちろん負けた「男25人、女25人のチーム」や残された女性75人はどうなる、という話もあるだろう。でもそのことは結果の平等側の人たちのチームでも同じことが生じるし、全員の結果の平等はそれこそ共産主義になってしまう。それを社会が選ぶというのであれば、あるのかもしれないけれど)

話を戻そう。なんか最近の男女対立がよくわからないのは

男性女性能力が等しいと信じている」と言っているのに結果の平等を求めたり、

男性女性能力に著しい偏りがあると信じている」と言っているのに、真に社会で発生している戦場ゲームのそのずっと手前の入り口部分で結果の平等を実現されることを怒ってたりすることなんだ。

結果の平等を求めてるってことは、本当は心のどこかで「女性の方が男性よりも劣ってる」って思ってるんじゃないの?

社会の途中にあるゲートの結果の平等に怒ってるってことは、本当は心のどこかで「男性女性能力はそれほど変わらなくて、下駄のはかされ方でパフォーマンスが変わってしまうかも」と恐れてるんじゃないの?

「女は弱いので、男が守るべき」と女性が言ったり、「本当に男に向いてるかどうかはわからんけど、伝統的に男が家庭外での仕事をやってきたから、色々変えるのめんどくさいのでこれからもそっちを男がやるけど、その代わりそこで得た利益は家庭を通して女に還元するから一緒にがんばろうね」と男性が言ったりする方がまだ本心に近いと思っていて、こういう本心を隠して、それっぽい理屈を捏ねてるから変な議論になってる気がする。

で、それぞれに賛同したり、批判したりするのは各自自由でいいと思うんだけど、

自分の心の奥にある不安を隠して、大上段に立って相手側はアホだと罵り続けるのは自分精神にとっても良くないと思うよ。

Permalink |記事への反応(0) | 16:22

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2025-08-08

女さんってその時その時で機会の平等結果の平等の都合いい方を使おうとするよな

Permalink |記事への反応(1) | 15:33

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2025-07-29

anond:20250727193225

理想体現できる案として、男性が迅速に用を足すことを禁止するというものがある

男の方にも行列ができれば結果の平等は成立する

Permalink |記事への反応(0) | 17:18

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2025-07-24

anond:20250724140116

女子枠は機会の平等ではなく結果の平等目的から差別だぞ

Permalink |記事への反応(1) | 19:03

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2025-05-21

anond:20250521181736

機会平等と結果平等は違う」つったって、そんなもん最初から意味のない議論しかないよ

そもそも機会の平等」の存在なんてどこの誰にも証明のしようがないし

DEIにしてもナンタラ指数みたいなアレにしても、求めているのは具体的な枠であって、それこそ結果の平等以外のナニモノでもないわけでさ

Permalink |記事への反応(0) | 18:22

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2025-03-20

anond:20250319114843

本来フェミニズムはそうかもしれんが、今のフェミが求めてるの結果の平等やろ。

管理職比率1:1にしろ、とか。

まあこれはまだマシな方で大体のフェミアニメポスタークレームつけるのがフェミニズムと思ってるようだが・・・

Permalink |記事への反応(1) | 10:07

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2025-03-19

anond:20250319183711

えっ、弱者男性恋愛結婚市場で不利な扱いを受けてる問題について結果の平等を求めていいのか!

Permalink |記事への反応(1) | 18:44

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anond:20250319183955

男女別定員制度がありながら結果の平等とは?

女子枠こそ反フェミの考える男女平等逃れの政策しかない

女子枠があるから一般では男性優遇していいよねというただの言い訳

Permalink |記事への反応(0) | 18:42

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anond:20250319114843

だったらアファーマティブアクション女子枠なんて求めないでしょ

あれは結果の平等を求めるものだぞ

Permalink |記事への反応(1) | 18:39

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anond:20250319114843

統計で調べられるのは、結果の不平等なんだから

まずは結果の平等を求めるのが正義になりえるんじゃないのかね。

Permalink |記事への反応(2) | 18:37

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2025-03-03

anond:20250303151732

それ逆っすよ。都合のいい嘘松にまんまと騙されたんかな。

去年でも高校入試の時点から偏差値上位の公立校では「女子男子の2倍点数を取らないと(不合格)」と噂される状況は同じ

女の上位は公立高校イージーの2割側

私立女子高は上位が多いから易化する。

SAPIX偏差値

男 56 都・日比谷

女 54 都・日比谷

フェミニズムで望んでたような結果の平等を目指して男女で合格枠の固定化を実現させたのが都立公立入試

市場原理無視した女子枠なんて歪みは別のところに出るだけなんだよね

Permalink |記事への反応(1) | 15:37

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2024-11-21

anond:20241120194920

結果の平等ばかり求めていたら何も頑張らない人が勝ちになるじゃん

それでいいじゃない

しろそれこそが平等本質

Permalink |記事への反応(0) | 02:09

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2024-11-20

anond:20241120171758

これだわ

自分優遇されるとき結果の平等を求めて他者には環境がどうので我慢しろと言い出すんだからお笑いだな

Permalink |記事への反応(0) | 17:21

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anond:20241120165345

機会の平等結果の平等の違いだ

じゃあアファーマティブアクションやらなくてもよくないですか

男も女もSTEM領域に進む機会は平等に与えられているので

Permalink |記事への反応(1) | 17:17

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2024-11-19

世の中不平等なのは当たり前なんだよ

それなのに不平等だと怒る奴がいる

たぶん、法の下の平等を間違って理解してるんだろうな

あれは世の中不平等だけどせめてルールだけは平等適用してやろうというものから

結果の平等なんか目指してないか

弱者男性なんかに基本的人権が認められてるんだからそれ以上を求めるんじゃねえよ

Permalink |記事への反応(0) | 19:32

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2024-09-06

anond:20240905105231

長すぎなんでAIで要約した

人間思考区別によって成り立つため、完全に差別がない状態はあり得ない。

・ 明確な「区別」と「グレーゾーン」の違いは判断が難しい。

・ 「レディスデー」問題は「グレーゾーン」に位置づけられ、男性側の反応も考慮すべきである

差別を訴える動きは、論理的証明よりも社会運動としての性質が強い。

・ 「弱者男性問題解決には、機会の平等結果の平等を目指すアファーマティブ・アクション必要である

・ 「牛角」の問題は、差別的ではあるが、より深刻な男性の置かれた状況と比べれば重要度が低い。[23

Permalink |記事への反応(0) | 13:29

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2024-09-02

津田梅子先生の墓前で「国立大学女子枠が設けられましたよ」と報告したい

津田先生の夢見た日本がようやく令和の時代に実現しました。

女性女性でも取り組みやすい内容の入試を受ける権利がある。

女子大学ではなく国立難関校にこそ女子枠が必要

そのような、結果の平等を重んじる時代がやっと到来したのです。

先生自身のことも、五千円札の顔として顕彰させていただきました。

Permalink |記事への反応(1) | 17:49

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2024-08-02

男女平等っていう名目で考えたら今のように男女を種目で分ける結果の平等じゃなくて全員が同じ種目で参加する機会の平等の方がふさわしいんじゃねぇの?

当然ふつうの女はメダル取れなくなるけど本当に強い女なら男を倒して優勝できるからその方がいいんでしょ?

Permalink |記事への反応(0) | 11:19

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2024-05-28

anond:20240528065953

「公正にしろ」=機会の平等必要なケース(例:医学部から秘密裏女子排除案件など)

「公平にしろ」=結果の平等必要なケース(例:アファーマティブアクションなど)

「俺を虐げるな」=深刻な人権侵害に対する速やかな回復必要なケース(例:戦争被害への異議申し立てなど)

これも結局、これは「差別に該当するから対応必要」で止まってる理屈

どういう理屈でそれが「(悪い)差別」なのかっていうところの説明が飛んでる。

Permalink |記事への反応(0) | 08:01

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anond:20240528065953

「公平にしろ」=結果の平等必要なケース(例:アファーマティブアクションなど)

アファーマティブアクションは「ケース」じゃなくて手段だろ。

ちゃんと「ケース」を挙げろよ。

Permalink |記事への反応(1) | 07:44

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anond:20240527105132

「公正にしろ」=機会の平等必要なケース(例:医学部から秘密裏女子排除案件など)

「公平にしろ」=結果の平等必要なケース(例:アファーマティブアクションなど)

「俺を虐げるな」=深刻な人権侵害に対する速やかな回復必要なケース(例:戦争被害への異議申し立てなど)

それぞれ状況が違うので、訴えるべきことが違うのは当然ですし、それらが全て「差別」に関する案件であるという理解別に間違いではないと思います

「公正」にせよ「公平」にせよ(あるいは「俺を虐げるな!」ですら)いずれもそれ単独では絶対的でも完全でもない不確かな目標だ、ということには同意しますが。

Permalink |記事への反応(2) | 06:59

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2024-05-25

anond:20240525092427

あいにく資本主義では結果の平等は求められないんだ

女性差別されていてそもそも機会が平等じゃないので救済が必要だけど、差別もされておらず平等な機会があったのに単純に能力不足で負けた弱者男性はそれ以上救済できないんだ

健康で文化的な最低限度の生活憲法保障されてるから、そこは安心しろ

Permalink |記事への反応(2) | 16:04

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2024-05-02

anond:20240502102922

女性が弱いことをちゃんと考えなきゃ。

機会の平等結果の平等は違うと思う。

Permalink |記事への反応(2) | 10:36

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