
はてなキーワード:経済力とは
なんか政治の潮目が変わった気がする。旧来の日本型リベラリズムが完全に息切れして、代わりに新しい形のリベラリズムがポコッと顔を出してきた感じ。チームみらいみたいな新興政党が11議席取ったのが象徴的だけど、これって欧米型のリベラリズムの日本版じゃない? って思ったので、ちょっと書いてみる。間違ってたらごめん。
日本型リベラリズムって、立憲民主党とか共産党、れいわ新選組みたいな勢力が典型だよね。護憲・反原発・再分配重視で、生活苦を叫んで消費税減税を掲げて、弱者救済をアピールするスタイル。まあ、理想はわかるけど、今回の選挙で票がガクッと減った(または「消えた」って言われてる)のは、なぜか?
要するに、旧来型は「今を我慢せずに分配せよ」みたいな福祉優先で、長期視点が欠けてた。選挙結果見ると、これが崩壊したのは明らか。
ここでチームみらいが出てくる。平均年齢30台、IT・AI・コンサル出身者だらけで、「テクノロジーで政治を変える」ってスローガン。比例で11議席取ったの、すごい躍進だよ。政策見てると、欧米型のリベラリズム(特にシリコンバレーや欧州中道リベラル政党っぽい)を感じる。
チームみらいはイデオロギー色薄めて、「テクノロジーで誰も取り残さない日本」を掲げてる。左右超えた実務的アプローチで、若年層に刺さったみたい。欧米型リベラリズムって、個人中心・効率化・イノベーション重視で、日本型みたいに再分配偏重じゃないんだよね。シリコンバレー的なリバタリアン寄りや、欧州のALDE系政党(自由民主同盟)と重なる部分が多い。
今回の選挙で新型リベラリズムの芽が出たのは確か。旧来型が崩壊した隙間に、成長・技術・効率を軸にした新しいリベラル像が浮上してきた。でも、チームみらいはまだ組織基盤弱いし、地方浸透も課題。11議席はスタートラインで、政策実行力次第で本物になるか決まる。
日本政治、ようやく21世紀型にアップデートされそう?欧米みたいに、リベラリズムが「前向きで未来志向」になるなら、面白いかも。
「旧来モデル批判派」は、結婚指輪の贈答を「経済的従属の象徴」「時代遅れのステータス表示」「呪い」と定義し、現代の「自立した大人」の価値観と矛盾すると主張している。
本プロジェクトの目的は、この批判が陥っている「過度な市場原理主義的解釈」の誤謬を指摘し、結婚指輪を「非言語的コミュニケーションプロトコル」として再定義することによって、その機能的有効性を論証することにある。
本反論の構築にあたり、「PREP法(Point,Reason, Example,Point)」を拡張した論理構成を採用する。
批判派は「自立=すべてを自分で調達すること」と定義しているが、これは共同体運営において非効率である。
結婚とは相互依存(Interdependence)の契約である。「欲しいものは自分で買う」という論理は独身者の生存戦略であり、夫婦という最小単位のチームビルディングにおいては、「贈与」による関係性の強化こそが合理的である。
「経済的自立」と「情緒的相互依存」は両立可能であるという概念実証。
人間の認知は不安定であり、数十年単位の契約(結婚)を維持するには、物理的な「アンカー(錨)」が必要である。指輪を見るたびに契約当初の感情(決意)を想起させる機能は、認知心理学的に「プライミング効果」として有効であり、これを「呪い」と呼ぶのは、契約維持の難易度を過小評価した楽観論に過ぎない。
指輪は「金属片」ではなく、関係維持のための「外部記憶装置」であるという再定義。
対等な関係なのに、記念品だけ経済力の証明を求めるのは矛盾とする。
マルセル・モースの『贈与論』が示す通り、人間関係は「等価交換(市場原理)」ではなく、「あえて借りを作る/与える(贈与原理)」ことで深化する。完全に割り勘化された関係(市場原理)は、損得が釣り合わなくなった瞬間に破綻する。一方的に高価なものを贈る・受け取るという「非対称性」こそが、論理を超えた「ケアの意思表示」となる。
「価格表」ではなく「コミットメントの質量の可視化」としての指輪の価値証明。
本プロジェクトの結論として、「引用文の主張は、人間関係を『市場取引』と混同しており、情緒的結合のメカニズムを見誤っている」と断定する。
なぜ、この結論に至るのか?「なぜ?」を3回繰り返して深掘りを行う。
A1.現代の「超・個人主義」バイアスにより、すべての事象を「コスト対効果(コスパ・タイパ)」でしか計測できなくなっているから。
「愛」や「信頼」といった数値化できない資産を扱う際、彼らは不安を感じるため、目に見える「金額」や「所有権」という市場的な指標に無理やり換算して理解しようとする。その結果、「買ってもらう=従属」という短絡的な図式に陥る。
A2. 「他者への依存」を「リスク」としてしか認識できない、「脆弱性への恐怖(Fear ofVulnerability)」があるから。
「誰かに高価なものを買ってもらう」ことは、相手に借りを作ること、あるいは相手の愛情に身を委ねることを意味する。これは非常に無防備(Vulnerable)な状態である。批判派は、この「傷つくかもしれないリスク」を回避するために、「自分で買えばいい(自己完結)」という安全地帯に逃げ込み、それを「自立」という言葉で正当化している。
A3.現代社会において「共同体(コミュニティ)」が崩壊し、個人の生存責任が過剰に肥大化した結果、他者を信じて委ねる「贈与の作法」を喪失してしまったから。
昭和的価値観への嫌悪感から、彼らは「ウェットな人間関係」を全否定した。しかし、結婚とは究極のウェットな関係である。彼らの主張は、「傷つきたくないから、心の防壁を高く積み上げ、すべての貸し借りを清算し続ける」という、孤独な防衛本能の叫びである。したがって、結婚指輪という「非合理な贈与」を受け入れられないのは、彼らが「完全に他者を信じ切る(委ねる)」覚悟を持てていないことの裏返しに他ならない。
結婚指輪の贈答は「古い依存モデル」ではなく、「市場原理を超えた信頼関係構築のための高度な儀式」として、現代においても推奨されるべきプラクティスであると結論付ける。
あの結婚指輪の増田読んで思ったけど、はてな民って価値観が一周どころか三周くらい遅れてないか。
結婚指輪を「女の幸せの積立NISA」とか言い出した瞬間に、昭和のホームドラマかと思ったわ。
なんで未だに「男が買ってあげる」「女が買ってもらう」が前提なんだよ。
その構図をロマンチックに包装してるだけで、
しかも指輪を見るたびに感情を何十年も追体験するとか言い出してて、
結婚指輪って結局、
っていうトロフィーの側面が強すぎるんだよ。
でもそれ、今の時代と致命的にズレてる。
対等な関係でいたいって言いながら、
それを美談として消費してる限り、
幸せを物に換算し始めた瞬間に、
Permalink |記事への反応(40) | 08:21
六本木、西麻布、麻布十番、赤坂などの高級エリアのバーやレストラン、会員制ラウンジなどに出没。
豪華な食事、パーティーを楽しみ、人脈作りや婚活に積極的。ファッション・美容:美意識が高く、美容への投資を惜しまない。上品なワンピースにハイブランドのバッグなど、洗練されたスタイルが特徴。
恋愛・結婚観:経済力や生活の安定を重視し、高収入・高学歴なハイスペック男性(経営者、医者、外資系など)を理想とする。
会社員(大手企業、外資系)、モデル、夜の仕事など多様。港区在住でない人も多い。
いじめっこの攻撃的な性格がにじみ出ている文章だね。恐ろしいのがこれを子どもじゃ無くて大人になった今でも書けると言うこと。いじめっ子に問題があるというより、いじめっこの認知に問題があるのを端的に証明している。
いじめっこに問題があるとしたら、いじめられた際に、学校・社会・マスコミ等を巻き込んでいじめっこを排除できなかった点。その一点だけど、それは本人の能力では無く両親の関わり・経済力・関心や、学校側の誠実さによるから批判されるいわれは無い。
これからの社会、いじめっこは排除され、自分がした行為の報いを受けるようになるから、年齢問わず、イジメに遭っている人はボイスレコーダでまずは記録を取り、それをローカル・クラウドに保存し、日記を書き、社会や組織でイジメに対処するためにそんな支援や制度があるかを勉強して、それを実行して欲しい。
いじめは100%、行為者に問題があるから、そうした行為は絶対に許してはいけないし、甘んじること無く、すぐに対処すること。
まず、「リベラルやフェミニストが罵倒してる日本人男性と違い、モテ男が多い国」ってどの国を指してるの?
実際のデータ見てみると、北欧(スウェーデン1.6前後、ノルウェー1.5前後、フランス1.7前後)は日本(1.2前後)や韓国(0.7前後)、イタリア(1.2前後)、スペイン(1.1前後)より明らかに出生率が高いんだよね。
男女平等が進んでて、女性の社会進出率が高く、男性も家事育児に積極的な国の方が少子化がマシな傾向が強い。
一方で「ゴミと見下してる地域」って、アフリカのサブサハラとか中東の一部、イスラム圏の国々を指してるんだろうけど、そこは確かにTFR(合計特殊出生率)が4〜6とか高い
でもそれって経済発展が遅れてて教育水準が低く、避妊手段が十分に普及してない、女性の社会参加が制限されてるからだよ。
女性が自分で人生を選べない環境で、子供を産まざるを得ない状況が続いてるだけ。
現代の先進国でそんな社会を「理想」として推奨するのは、ちょっと現実離れしてるよね。
要するに少子化の本質は「女性がこの人と子供を産みたいと思えるかどうか」にあるんだけど、それが起きやすいのは、
・男性が経済力だけじゃなく、性格・コミュニケーション・家事分担で魅力的
こういう国なんだよ。フェミニズムが進んでる国ほど、男性が「ただの稼ぎ手」じゃなく「パートナーとして魅力的」にならざるを得ないし、女性も「産みたい」と思える余裕が生まれる。
「モテ男が多い国」って幻想してる人は、結局「俺たちを罵倒するフェミが悪い」って責任転嫁してるだけに見えるけど、データ見ると逆の結果が出てるんだよね。
少子化対策の本丸は、男性側がもっと魅力的に育つ環境を作ることだし、女性が安心して産める社会を作ること。
だからさ、「あんたらがゴミと見下してる地域は少子化じゃない」ってのは、貧困と女性の抑圧が原因で出生率が高いだけ。
そこを理想とするなら、日本も女性の権利を制限して教育レベル下げて避妊禁止にすれば出生率上がるかもね
でもそれ、誰も望んでないでしょ?弱男くん以外は
ていうかさ、子無し女性をフリーライダーだとして非難するならその対象は
めったにない凄い快挙だよ
勿論産んだ方がもっと良かったけどね
美女が期せず売れ残るケースって意外によく見聞きする。
自意識過剰でもないし、理想が高いわけでもない。性格が悪いわけでもないし、訳アリでもない。
本人に聞いても「いや、私全然モテないんですよ...」と謙遜でもなく真顔でそう言う。
何故か。
男は「自分でもイケそうな女」に声をかける。美人には気後れして声をかけられないことが多い。
特に周りに釣り合う男がいなかったりすると、「誰からも誘われない美女」になる。
どこでもそういう扱いを受けていたりすると、凄い美人でも「自分は美人で男から見て魅力的」という認識に至らない。
自分を周囲のモテるちょいブスと比べて「私の方が女としての魅力が無いんだな」と本気で思ってたりする。
ただ、男の中にもたまに、見た目にも性格にも経済力にも恵まれてないのに、妙に自身だけはある奴がいる。
そういうのが「私はモテない」と思ってる美女をかっさらっていく。その美女からすると、「私を好きになってくれる数少ない男の人」ということになる。
意外にうまくいくかもしれない。
日本の大学入試において実施されている大学入学共通テストは、もはやその役割を終えており、制度として廃止されるべき段階に来ている。共通テストは「公平性」「客観性」「全国共通の学力基準」を掲げて導入されたが、現実にはそれらの理念を十分に達成しているとは言い難く、むしろ高等教育と社会全体の発展を阻害する要因となっている。
第一に、共通テストは大学教育との接続において決定的な欠陥を抱えている。大学で本来重視されるべき能力は、知識の暗記や高速処理ではなく、問題を発見し、仮説を立て、資料を読み解き、論理的に表現する力である。しかし共通テストが測定しているのは、限られた時間内で正答を選択する能力が中心であり、大学教育に不可欠な研究的・探究的能力とは大きく乖離している。
第二に、共通テストは大学の教育・研究リソースを大量に浪費させているという点で、極めて深刻な問題を孕んでいる。多くの大学教員は、本来であれば研究や授業改善、学生指導に充てるべき時間と労力を、問題作成、出題検討、採点調整、制度対応といった入試業務に割かれている。特に国立大学を中心に、研究力の低下や教育の質の停滞が指摘される中で、全国規模の統一試験に大学教員を動員し続けることは、人的資源の著しい非効率利用である。
大学は本来、知の創造と高度人材の育成を担う社会的インフラである。にもかかわらず、その中核的リソースが「18歳をふるいにかけるための試験運営」に恒常的に吸い取られている現状は、日本社会全体にとって大きな損失である。共通テストは単なる入試制度の問題にとどまらず、学術研究の停滞、イノベーションの遅れという形で、長期的な社会的発展を阻害している。
第三に、共通テストは高校教育をも歪めている。多くの高校現場では、探究学習や協働的学習よりも、共通テスト対策が優先され、生徒の学びは「出題されるかどうか」に強く規定されている。これは教育の目的が知的成長から点数獲得へとすり替えられていることを意味し、人材育成という観点からも極めて非生産的である。
第四に、共通テストは受験生に過剰な負担と不安を与え、社会的コストを増大させている。私立大学専願者であっても共通テスト対策を求められる現状は、受験の複雑化と長期化を招き、家庭の経済力による格差を拡大させている。全国一斉試験であることが、必ずしも公平性を保証しないことは明らかである。
さらに問題なのは、共通テストが大学の主体性を弱めている点である。本来、大学は自らの教育理念と人材像に基づいて学生を選抜すべきである。しかし共通テストへの依存が続く限り、大学入試は画一化され、大学の多様性は形骸化していく。これは高等教育システム全体の活力を奪う結果につながる。
全国一律の試験で若者を序列化し、その結果に社会的意味を過度に付与する発想は、もはや現代社会に適合しない。共通テストの廃止は混乱をもたらす改革ではなく、大学が研究と教育に本来の力を取り戻し、高校が主体的な学びを回復するための必要条件である。画一的な選抜制度から脱却し、多様な能力と可能性を正当に評価する仕組みへと転換することこそが、日本社会の持続的発展に不可欠なのである。
なんで????
結婚は少し前にしたけど子どもはなし。今後も予定はない。(持病の問題でね)年収は500万くらいだ。旦那さんは私より年収は低い。持ち家もない。賃貸。
身につけてるものもユニクロがほとんど。しまむらとかスーパーで売ってるタイツとか大好きだし、化粧品もぜーんぶドラッグストアか無印。
鞄も20代の頃に当時の経済力で買ったものをいまだに使ってる。別にブランド物とかじゃなくてちゃちい合皮。ボーッとしてると10年前に買ったセーターとか着てる。そりゃたまにはブランドものも買うけど、お金貯めてから買ってるだけだし、見た目は全然お金持ってそうじゃないと思う。
生活もフツー。お酒を飲まないのと友達も子持ちが多いから、最近は飲み会より昼のホテルのランチとかビュッフェに移行してるけど、5千円とか7千円とかよ。パッと聞くと高そうだけど、友達と近況話すために会う時のご飯って考えると居酒屋とかも費用そんなもんだよね?それも年に2、3回とか行くぐらしだし。
地元へ帰省するのに交通費もそれなりにかけてるけど、それは年間で帰る回数の上限を決めて予算を予め取り分けてるから実現できるだけだ。
プライベートな旅行も同じ。「来年は4月ごろに〇〇に行きたいな」ってなったらそれに向けて予算を確保してる。計画性を持ってお金を動かす方だとは思うけど、当然それを叶えるために財布の紐を絞めてるだけだ。
稼いだお金全部使って豪遊してるわけでもないのに、なんか体感800万くらいもらってそうと思われてる気がする。みんな私の何をみてる???すごく不思議。何がそうさせる??
そら子どもがいない分、子供育ててるご家庭よりは余裕あるけど、お金持ってそうとか年収高そうとか言う人は未婚の子も多い。キラキラSNSに精を出してるわけでもない。むしろ、日々にお金かけてないから溜め込んでると思われるのか?
別に下品な感じで聞かれたりするわけじゃないからイヤとかじゃないけど、(下品な奴もいるけど)特定の人だけじゃなくて複数のコミュニティで何度か言われるから、私の方になんかそう思わせる理由があるんだろう。
うーん、ド級貧困家庭出身で、貧相に暮らすことに慣れてるからみんなの思う「このお金じゃ足りない」が私の「こんなにお金があるなんて」になってるのだろうか。面構えがちがうのかな。よくわからん。
「『二つの悪は二つの正義を作らない(Two wrongsdon’tmaketwo rights.)』とでもいうべき原理が重要です。チョムスキーの主張はその逆。『どちらも悪いのだから互いに相手を責められない』という理屈は、一見誠実ですが、どちらの悪も許してしまっている。つまり、自己批判の倫理的根拠をも掘り崩しているのです。『米国よ、ロシアを裁く資格があるのか』という主張は結局、強国が他国を抑圧するという悪を容認しあう『悪のなれ合い』です」
「ハマスの民間人虐殺に憤るイスラエル国民の間では、自軍によるガザ住民虐殺を当然の報いと見る者も多い。自国の戦争犯罪が敵のそれで帳消しにされるという論理は、それぞれの悪を相乗的に積み重ねることを合理化する危険な詭弁です」
「この倒錯的な『二悪が二正を作る』論は、実は我々人間が陥りやすい落とし穴です。とりわけ戦争責任論をめぐる議論に、この自己正当化欲求が典型的に表れています」
――いわゆる「勝者の裁き」批判ですね。
「そうです。第2次大戦後のニュルンベルク裁判や東京裁判に対して、ドイツや日本からいまだに上がり続けています。これは、『何人も自己の事件の裁判官たりえず』という法原理に反する、という手続き的欠陥の指摘というよりも、『連合国の国々も植民地支配や侵略を行ってきたし、原爆や無差別爆撃という戦争犯罪も犯したのに、なぜ我々だけ断罪されなければならないのか』という実体的な不満です。敗戦国の私たちに強い心理的訴求力を持つ言説ですが、極めて自壊的です」
「裁く側の二重基準を、裁かれる側が批判するのは正しい。ただ、『お前らが裁かれないなら我々も許される』という二悪二正論に開き直る者は、公正な裁きが依拠する政治道徳原理の規範性を否定しているのです。『勝者の正義』の欺瞞(ぎまん)を真に正そうとするなら、この原理を尊重し自らの悪を認めたうえで、相手を裁き返さなければならないのです」
「弱き者は強き者が作る秩序に従え、という『力の論理』に迎合するシニシズムをこれ以上、広げないためには、ウクライナ戦争もガザ戦争も、正義が回復されるかたちで終結させなければなりません」
――力の支配ではなく、法の支配によって実現すべき「正義」とは、いったい何でしょう。
「その前に、法とは何か、そして法は正義とどう絡むのか、考えてみましょう。すなわち『悪法も法なのか』という問題です。これをめぐっては、法実証主義と自然法論の伝統的な対立があります。前者では、法を実定法に限定し、正義とは切り離します。そのため、それぞれの社会の価値観に基づく法が制定され、調停不能に陥って『文明の衝突』を招きかねません。一方で後者は、客観的正義たる自然法に反するものは法ではない、と主張します。こちらはこちらで、無政府主義を呼び込みかねません」
「私はどちらでもなく、『法は正義への企てである』と規定します。法は正義を真摯(しんし)に追求している限りにおいて法たり得る、という立場です。その意味では国際法も、世界正義への企てだと捉えます」
「それでは『正義』とは何でしょうか。一口に正義といっても、それを全体利益の最大化と見なす功利主義や、個人の自由や権利を絶対視するリバタリアニズムなど、その具体的基準に関し、様々な思想が対立競合しています。ただ、これらはすべて『正義の諸構想(conceptions ofjustice)』です。様々な立場が競合できるのは、それらに通底する共通制約原理があるから。それが『正義概念(the concept ofjustice)』です」
「私が考える正義概念の規範は、『普遍化が不可能な差別は禁止する』です。分かりやすく言えば、『得するのが自分だからいい』『損するのが他者だからいい』という要求や行動を排除せよ、ということです。この規範は『自分の行動や要求が、他者と視点や立場を反転させても正当化できるかどうか吟味しなさい』という、反転可能性テストも要請します」
「この正義概念は、何が最善の正義構想かを一義的に特定はしませんが、およそ正義構想の名に値しないものを排除する消極的制約原理として強い規範的な統制力をもちます。それは『正義のレース』の優勝者を決める判定基準ではなく、このレースへの参加資格をテストするものです」
「他者の負担にただ乗りするフリーライダーや、ご都合主義的なダブルスタンダードは、この厳しいテストが課すハードルを越えられません。外国人に正当な権利を保障せずに労働力を搾取する。民主主義や人権を掲げてイラクに侵攻しながら、専制的首長国家のクウェートやサウジアラビアとは友好関係を維持する。ハマスの戦争責任は問うのに、イスラエルの蛮行は座視する――これらは明確に正義概念に反しています」
「自らの正義構想に照らして正当性(rightness)がないと見なす政治的決定でも、共通の正義概念に照らして公正な政治的競争のルールに従ってなされたのなら、正統性(legitimacy)あるものとして尊重しなければならない。このルールを保障するのが『法の支配』です。立憲主義とは、この『法の支配』の理念を、成文憲法のなかに具現化するものです」
「正義の諸構想が国内社会以上に鋭く分裂し対立する国際社会においても、『正義概念』の共通原理に基づいて、安全保障体制や法秩序が築かれる必要があります。例えば、人道的介入をうたいながら大国の友好国か敵対国かによって選別的に武力行使を発動するのでは、正統性を調達することはできないのです」
「米国はバイデン政権時代、イスラエルの戦争犯罪を追及する国際刑事裁判所(ICC)がネタニヤフ首相らへの逮捕状を発行したことを強く非難しました。一方で、ロシアが報復措置まで取ったプーチン大統領への逮捕状は正当とし、自らはICCに加盟していないにもかかわらず、各国に逮捕への協力を求めました。このあからさまな二重基準は、誰の戦争犯罪であれ厳正に裁くというICCに託された国際法の使命をおとしめるものです」
されど国連 夢の断片を回収し修復を
――世界正義を貫徹し、実現するには、どのような具体的措置が必要ですか。
「世界では今、欧州連合(EU)のような『超国家体』や、巨大多国籍企業や国際NGOなどの『脱国家体』の存在感が増しています。しかしどちらも、民主性や説明責任の欠如といった欠陥を抱えている。私は、やはり主権国家を中心にしたシステムを再評価すべきだと考えます」
「国内で至上の権力をもつ危険物である主権国家は、個人の人権を保障するという責任を果たすことによってのみ承認され、存在し得ます。世界は『諸国家のムラ』であり、その基本原理は、国力格差にかかわらず平等に扱う『主権対等原則』です。もちろん、これは一つの虚構です。しかし虚構だからこそ、巨大な力の格差という現実を補正し、大国の横暴に抗する規範として意義を持ちます。このムラでは、どの国も他の国に依存せずには生き残れない。国際法というおきてを破った国は、この互酬性ネットワークから村八分の制裁が科されるからです」
「国連は現在、様々な欠点があるとはいえ、国際的正統性を調達し、諸国家や超国家体、脱国家体などが連携し調整を図る上で、最も広範な包含力を持ちます。もちろん、戦勝国支配の残滓(ざんし)である常任理事国の拒否権を制約するなど、安保理改革は必須です。そのための国連憲章改正にも、5大国は拒否権を行使できます。でもそれは結局、自分たちの国際的威信を低下させ、軍事力・経済力以上に重要な正統性調達力というソフトパワーを毀損(きそん)することになる。他の国々が団結して非難の声を上げれば、国際的圧力に耐え続けることは難しいはずです」
「先ほど私は『国連の夢は破れた』と言いました。人類が自らに加えた殺戮(さつりく)と迫害の罪業はあまりに巨大で、それを克服する試みは20世紀中に達成できなかった。21世紀の四半世紀が過ぎても、克服できていません。しかし、夢は消えたわけではない。破れた夢の断片を再回収し、修復し、より強靱(きょうじん)なものに再編する――その地道な努力を続けなければなりません。私たちに、他に選択肢はないのです」
井上達夫さん
いのうえ・たつお 1954年生まれ。95年から2020年まで東京大学大学院法学政治学研究科教授を務め、現在は東京大学名誉教授。「法という企て」「現代の貧困」「世界正義論」「立憲主義という企て」「普遍の再生」「規範と法命題」「ウクライナ戦争と向き合う」「悪が勝つのか?」など著書多数。