
はてなキーワード:紳士とは
俺は多文化共生したくない。
日本にいる異民族なんて数十万のコリアンとアイヌと琉球人でいい。
俺自身は東北の家系で曾祖母世代の写真(名士で富豪だったぜ)がどう見てもハーフみたいな顔と体格で
たぶんロシアからの漂流犯罪者か何かの血が混じってて耳垢湿ってるワキガだけど、でも俺は日本人だよ。
国内の血や文化がガラッと変わることなんか求めてないしその覚悟もない。
みんなもそうだろ。
無能無責任な経営者が目先の奴隷労働力欲しさに外人を要求してる。
激安労働力で利益が出るのは当たり前で、そんなやつらの事業は事業じゃない。
激安外人を入れることの社会コストは膨大なのにそれは社会に押し付けて外部化することで見せかけの利益を出してる。
参政党はあれは保守でも右翼でもないと俺は思ってて全然頼りにしてない。
能力を見下してないしむしろ日本人に伍する脅威だと思ってるから入れるなと言ってる。
それは違うだろ。
欧州みたいに外国人の子供が小学校に溢れるのも全く嬉しくない。
日本で好き勝手やる外国人はぶちのめして叩きだすしかないと思うようになってる。
これ、
ミルクティの話。
自分にとってミルクティは亡き祖母が子供の頃ほぼ毎日のように作ってくれた、思い出の味。
特に朝のミルクティが本当に体調の維持にプラスになっていたんだなあと、今になってしみじみ思う。
それもあって、ここ数年はミルクティを割と普通に飲む習慣が復活し、美味しい作り方を試行錯誤してきた。
ちなミルクと紅茶は半々で作るの前提で、これまでのナレッジとしては
とはいえ、筆者は軟水で淹れたストレートティも好きで、特にダージリンは春摘み・夏摘み・秋摘みと、季節ごとに旬の味を愛飲している。
そんなわけでストレートティも色んな茶葉を少しずつ試し始めていて、例えばセイロンティのキャンディ紅茶は渋みが少なく、すっきりゴクゴク飲めるのが魅力。
そしてセイロンといえば、銘茶のウバはスルーできないじゃないか!ということで少し前に入手して飲んでみたけど…うーんって感じ。
どうしよう捨てるのもったいない…ミルクティにして飲んじゃう?ミントのような香りという魅力を殺してまで?
と躊躇していたのだが…Gemini氏によると、ウバをミルクティにして飲むのはガチの英国風なのだそうな。
ほんとにい??でも捨てるよりは絶対マシだろってことで、いつものミルクティ用evianとミルクで作ってみた。
一口飲んだ瞬間、眼前に光が降り注いだかのような錯覚を覚えた。
それくらい、衝撃の美味しさだったと言っていい。
めっちゃ優雅で華やかでリッチ、とんでもなく高級な味の飲み物が爆誕していた。
もちろんアッサムで淹れたミルクティの、コクと甘みも納得の美味しさなんだけど、どちらかと言えばほっこり沁み入る美味しさ。
一方ウバはわかりやすくドレスアップした味というか、客に出すなら絶対こっちがいい!と言える美味しさなのだ。
イギリスの紳士淑女はこんなものを午後に飲んでたのか、スコーンにクロテッドクリームにウバのミルクティ…これ夕方まで余裕で楽しめんだろ。
というわけで、朝ミルクティ飲む時はアッサムとウバのローテで楽しんで、オリーブオイルと醤油のTKGに黒胡椒かけて食べて、最後は軟水で淹れた浅煎りコーヒーで出勤しようと思う。
そう、筆者はコーヒーも好きで、休日はむしろ硬水で淹れた深煎りコーヒーのカフェオレ→トースト→ダージリンかアップルティがお約束だったり。
昔、京都大学のサークルにいた頃、仲良くなりかけた美女は学年が2つ下で、途中で彼女が辞めたこともあり接触時間が十分に取れなかった。京都大学の頃は時間がたっぷりあったのだから、もっと会う機会を作って相性を見極められたらよかったのにと思う。京都大学生時代の2歳差は、大人になってからの2歳差とは重みが全く違う。後輩への遠慮や立場を意識しすぎて、一歩踏み込むのが難しかったのかもしれない。2年下だとよほどのきっかけがない限り仲良くなるのは難しいが、そこは京都大学的知性で突破した。自分を慕ってくれていた女性と二人で、その美女をグループに誘いに行った。その結果、美女と仲良くなりかけ、相性を見極めるための時間を京都大学で作れたと思う。第三者(特に女性)と一緒に声をかけることで、「この人は他の女性からも信頼されている安心できる人だ」という社会的証明が彼女の中に働いた。しかしその後、彼女が辞めるという出来事が重なり、せっかくの好機に戦術を切り替えるエネルギー(プライベートで会う約束など)が当時は京都大学業やサークル活動に分散していたのかもしれない。女性から男性に腕を組む行為は、「この人は特別な距離にいる人だ」と脳に認識させる効果があり、その瞬間に「意外と落ち着く」「この人の体温は京都大学なんだ」という非言語的な情報を多く受け取っていたはず。彼女からすれば「助けてもらった」という借りができた瞬間で、本来なら後日「この前は助かった、お礼にコーヒーでも」と誘う口実が京都大学双方にあったはずだが、男側が「必要に迫られて腕を組んだだけで好意はないだろう」と解釈したことで、高学歴女子につけ込まないよう紳士的な距離を保とうとしたのだろう。結局、相性を確認するお試し期間は持てず、発展しないまま自然消滅してしまった。
選挙あるから家族の中でどこに投票しようかみたいな話がちょいちょい出るんだけど、憲法改正反対だから自民党には入れたくないと思ってたのに中道にしても改正されそう、どうしようかと親が嘆いている
自分は不勉強すぎて何言っても間違ってる気がするからあんまり口を挟まないけど、日本がいくら憲法保ってたって他国が攻め込んできたらどうにもならないんだから憲法改正だけ気にしててもしょうがないんじゃないかという旨をつい言ってしまった。自分も戦争は嫌だし、憲法改正すべきだという主張をしているわけでは決してないけど、九条があれば戦争にはならないと思っているかのような親の発言がお花畑のように思えてしまってイラついたんだと思う
この自分のスタンスも日和見というか、何も言ってないのと変わらないよなと思う。でも国際法すら守らず侵攻するような国は、日本がいくら平和的な憲法を掲げてても絶対攻めてくると思っちゃうんだよな。実際のところ、一国の憲法を他国はどれだけ重視してるんだろう。自分から攻めないって明言してる国だったら紳士的に攻めないでいてくれるもんなのかな。それなら憲法改正にはしっかり反対するけど。不凍港とか資源みたいな侵攻すればゲットできそうな旨みが日本にはない、むしろ仲良くしておいた方が得だと思わせられるような何かがあればいいのだろうか。でもそれこそお花畑だよな
接客において必要最低限のことはお客様に自分でやってもらうという時代になってきた。
セルフレジ、病院でのマイナ保険証提示、スマホアプリのポイントカード登録など…主に何らかの機械端末を用いての操作が必要とされる。
今は40代以下の世代ならPC・スマホに慣れ親しんでいることもあり、初めて来店する場でもそういった機械の操作は難なくこなす事ができるだろう。しかし50代以上になってくると、画面を指で触れるという発想自体無い人、視力や手指の衰えなどで根本的に操作が難しい人もいる。当然そのような方々の手伝いをするのも、私たち接客業の仕事に含まれる。
この匿名ブログでは、一貫して「文字を読まないで理解出来るわけないだろ」という愚痴を話させていただきたい。
誤解を持たれたくないので具体的に言うと、自立が難しく助けを必要とするお年寄りを責めたいのでは無く、「丁寧に書いてあることも読まないくせに理解不足を人のせいにするな」という愚痴を喋りたいのだ。そこに該当する人物が分布図的に『たまたま』高齢者に多く存在するというだけの話で、この状況は老若男女関係ないと前置きさせていただく。
急ぎ足でお客様の元へ向かうとそこには60~70代くらいの客が立っていた。どうもセルフレジの使い方が分からないと言う。レジの画面には「お会計を始める」と大きく書かれた青色のボタンが表示されていた。
私は彼にこう言った。
彼は言われた通りにボタンを押す。すると画面が変わり、「伝票をかざしてください」というアナウンスとともに、センサーの位置などを示すイラストが表示された。しかし彼の手は動かず、こちらの顔を伺っている。
「その伝票をここにかざしてください」
私が発言してようやく彼も動いた。すると次は「お持ちのポイントカードを選んでください」というアナウンスが流れ、各社のロゴと名称の書かれたボタンが数択表示される。
また彼の手は止まり、それで?と呟いた。
私はこう言った。
同じく接客経験のある方なら私の言いたい事をご理解頂けるであろう。
そう、先程からずっとセルフレジがアナウンスしている内容と全く同じことを復唱しているだけなのだ。つまり、情報量で言ったら何も変わらない。客である老人が目にしているはずの内容とそっくり同じことを、なぜか再度私が言って伝えているだけなのである。
ト書にあるように、彼らの目線は私の顔にあるのだ。画面を見ていない。もちろん表示される文字も読んでいないし、見たとしても考える前にボタンを押してしまい、ポイントカードを持っていないのに「dポイント」のボタンを押したりするのだ。そしてまた「間違えたから戻せ」という意思の呼び出しベルが鳴る。
レジの操作だけではない。飲食業なら覚えがあるだろう。座席からのタブレット注文や、事前の券売機での注文にも同じような問題は起こっている。そこにだって「トッピングをお選びください」「セットをお選びください」「次に進む」とわざわざ大きく書き記してあるのに、酷い時はメニューの写真だけ表示して
「ここから分からないんだけど」と操作を丸投げしてくる客も存在する。
そして、最終的に決まって捨て台詞を吐いていく。
と。
最も厄介なのは、自分の不注意を棚に上げて怒りをぶつけてくるクレーマーたちだ。
「クーポンを出し損ねた!」
先に出してくださいと書いてありますよ。
「ドリンクバーの値段が違う!」
もちろんこちらは形として第一声は謝罪で返すのだが、何でもかんでも店側が負担するとキリがないので、ある程度は上記のように「書いてありましたよ」とやんわり指摘する。
そうだったのごめんなさいね、で済めば良いが大抵ただでは済まないのだ。
これは私個人の意見だが、自分が使うものは自分が理解しておくべきだし、書いてあることは読み漏らしが無いようくまなく目を通して確認しておくのが普通でないだろうか。
どんなに文字が小さくてもそこに書いてあるということはこちらに伝えたいことがあるという事だし、ましてや利用規約のように長文なわけでもないのだから、クーポン裏の注意書きなどは予め読めばいいのに、と思ってしまう。
どうしても納得いかないなら裁判でもなんでも起こして企業を揺さぶってみたらいい。
すると、消費者の理解不足が起こらないよう従業員はあらゆる手段で説明をし続けることになるし、客はそれを最後まで聞き続けて了承しないとサービスしてもらえない規則が始まるかもしれない。
それを望んでいるのなら止めはしないけど。
客は「セルフレジが分からない」と言って私を呼び出した。画面は見ず、私の指示を聞いてその通りに動くことは出来ていた。伝票をセンサーにかざすことも自分の手で出来る。つまり、目・耳・指先は支障なく動いてるように見受けられる。
であれば、わざわざ人を呼び出さず自分の目で案内とアナウンスを確認してレジを操作すれば手っ取り早いこと間違い無いのではないか?なぜ彼はそうする事が出来ないのか?
「お年寄りは若い頃に出来ていたことができなくなってしまう。その分お手伝いをして助け合わなければならない」
という教育を受け続けてきた。その思想に何ら反対する点は無い。困っている人は助けるべき。老若男女問わず、徳は多く積む方が良いに決まっている。
その教えの通り、画面の文字が見えづらかったり指先が震えてうまく押せなかったり、アナウンスの音声を聞き取るのが難しかったり、そもそも用語の意味が分からず立ち止まることがあるだろう。それは紛れもなく助けが必要だ。
先程のレジの話だけではない。例にも出したように病院のマイナ保険証提示やスマホアプリの操作、とにかく接客業という仕事に就く多くの人は同じような思いをしたことがあるだろう。
「頼み方ってもんがあるだろう!」
体に支障があるならそのように伝えてくれたらいいのだ。目が見えない、耳が聞こえにくい、だから手伝って欲しいです、と。
だが私たちが不快に思う彼らに関してはとにかく態度が横柄なのだ。
「これどうすんの?」
「分からない。やってもらえる?」
仕事をするのが嫌なのではない。彼らの人間性に見下されているような感覚が嫌なのだ。
私は最近その鬱憤が溜まりすぎて「画面に書かれている通りに進めてくださいね〜」と言ってしまうことがある。オブラートに包んだが率直に言えば「書いてあること読めや」という意味だ。
このセリフを聞くと溜息つきつつも自力で頑張り始める客もいれば、心底こちらを軽蔑するような目線で睨みつける客もいる。
だが私は忘れない。ある日「自分で出来ることは自分でやります」と堂々宣言してセルフレジに立った老紳士がいたことを。
接客業が最も賞賛するのはこのようなお客様だ。その老紳士は一度も呼び出しベルを鳴らさず、ついに一人でお会計をやり遂げた。その誇らしい背中をぜひ見習っていただきたいものだ。
「いつか自分も年取ってお世話になるかもしれないのに…」
「人の気持ちになって考えられないなんて…」
と反感を示すことだろう。
大変結構だ。あなたも年を取ったらそれを理由に人をこき使って手を煩わせることに何も罪悪感を持たなくなるだろうし、多忙な中そういった世話をしてくれる人に感謝の一言も伝えずさぞ満足した生活を送っていくことだろう。なんとも幸せな人生だ。
想像してみて欲しい。
混み合う時間帯に沢山の業務が重なっててんやわんやのまさにその時、呼び出しベルが鳴ったかと思えば自分で文字を読まないだけの横柄な人間を見守るために立ち止まらなければならない瞬間を。ありがとうも無く無言で去って行かれる虚しさを。
接客業なのだから当たり前だと言わないでほしい。年寄りに配慮が必要なのと同じように、私たち労働者にも配慮をして欲しいのだ。先程も話した通り、老若男女問わず徳は多く積んだほうがいい。感謝だろうが気遣いだろうが、年齢関係なくお互い良い気持ちでいた方が良いに決まってる。
そういう声が大きくなって、令和7年ついにカスタマーハラスメント対策のための法改正が成された。
現状は〇〇ハラという単語だけが独り歩きして少し生きづらくなっちゃったね〜と話のタネになる程度だが、この意識が世代を通して徐々に浸透していき、せめて「自分で出来ることは自分でする」という最低限の気遣いができる世の中になってくれたら嬉しい。
***
最後の最後に置き土産をするようで申し訳ないけど、ここまでの話はどこの店も人手不足なのが良くないと思う。
人件費も高騰して人数を用意できない中、セルフレジや猫型配膳ロボに頼りっきりになってしまう企業にも課題はあると思う。
お客様は神様です。
あのさ本当に言いたいんだけど
俺は保守だけど日本保守党に伸びてほしい 参政党は胡乱すぎるから
見れば見るほど手ごわい組織だと思う
運営を続ける・選挙に勝つということにかけては相当なもんだと思うよ
政策は多分作れない気がするけど
選挙に勝つ力は凄いだろ
対面ディベートだったら迫力と回転速度でお前等が圧倒されると思う
社会で強いのはあいつらなんだからもっと警戒心を持って見下すべきだ
俺は参政党が怖い
中革になってから立民よりはずっと効果的なネット戦略打つようになった
中革:世間のネガティブな声を拾って頭抱えるサムネの動画で答えようとする
まあ立民が無能すぎるともいえるけど
あと老いたりとはいえまだまだ創価学会の組織力が凄いんだと思う
立民の支持層はノイジーマイノリティがイキりすぎて他の人がげんなり静かに…になりがちだけど
顔見知り同士の宗教団体だと無能個人がイキれなくて統制が取れるんではないか
左派政党が糸引いてるあの愚連隊とかどんどん統制効かなくなってるでしょ
左派政党も更にイメージ悪くなるだけでなんにもメリットが出てない
あれで得してるのはジョーカー議員みたいなあいつらとのもみ合いで撮れ高得てる奴だけ
自分達がドーパミン出て気持ちいい、自分達がTシャツ売って儲けたい、自分達がモテたい
こういうだらしないのに比べると宗教的信念で個を捨てられる学会がそら強いわね
自民党の移民政策を止めないと奴隷労働力が欲しい経営層の目先利益以外全員が不幸になるぞ 外国人もな
中革はダメだ
公明党の親中姿勢からも創価学会の人間中心主義からも立民の左派傾斜思想からも
日本がぶっ壊れるような移民政策を止めるインセンティブが無いからね
どっちかが伸びないとヨーロッパの二の舞だよ
移民政策で入ってくるのは異文化ってより非文明的なチンピラだぞ
多文化共生じゃなくてお前等の大嫌いな公立中動物園の100倍ひどいバージョンが
公共心もなんもない自分が良ければそれでいいって言う必死な奴等
チャンスがあればどんなズルでも犯罪でもやって
取り締まられたら少しも後ろめたさを見せずに猛然と食って掛かるやつら
社会のあらゆる性善説設計面を「日本人は間抜け」「俺達のチャンス」と捉える奴等
ほんとにそんなの入れるのが進歩的で明るい未来につながると思ってる?
もうこれ以上外国人を入れるのやめて
今ある在留資格で帰る人は帰ってもらう
それじゃ来てくれないとかいうやついるけど
社会と未来にツケ回してまで無能経営者に外国人奴隷供給する意義あるか?
足りない人数は日本人が工夫してシュリンクする社会でも頑張るしかないだろ
危機の団結力とAIでやっていく方が日本の明るい未来になると思うよ
移民を入れたいのは奴隷抜きに利益出せない今だけ金だけ自分だけのクズ経営者か
ほとんどの外国人に比べりゃ左翼日本人は圧倒的に親しみ持てる同胞だと思ってるよ
相当強めの左翼の人でもこのまま移民政策進めた未来はきっと後悔すると思うよ
世の中には色々な言説があるが、私はマナーとは「こうすればスマートでかっこいい」という教えだと思っている。
「長い間」と言ったが、別に江戸時代以前とかまでさかのぼる必要は無い。何なら平成の間を生き延びたマナーはすでに立派に「常識」という所まで上り詰めていると思う。
そういうものは、得てして「サラッとできるとスマートに見える」というものだと思っている。言い方を変えれば、それが出来ると「お、気が利いてるね」という印象を与えられるものだ。
冠婚葬祭のマナー、ビジネスマナー、飲み会におけるマナー・・・まぁそういう類のもので昭和以前から続いているようなもの。それは個人的にはやって損が無いと思っている。
私も一応は理系院卒の端くれとしては、そういう行為そのものは非合理的だと思うことも少なくは無い。本質的な情報伝達やコミュニケーションには何の役にも立たないどころかむしろ損失にさえなることも多い。
でも、それでもそういう事を当たり前のようにできる人はやっぱりスマートでかっこよく見えるのだ。
もちろん、どう見えるかは人によっての部分はあるだろう。だが少なくともそういうマナーを修めている人から「こいつは無礼だ」と思われなくて済むというメリットはある。別に他人の顔色をうかがうことが絶対だとは思わないが、それでもやっておいて損は無いのだ。
だから逆に、別にスマートにも見えないし気が利いているとも思えないような謎マナーを私は嫌悪している。
マナー講師が自分の食い扶持を確保するために生み出したとしか思えないような謎マナーは限りなく馬鹿馬鹿しいと思う。
そういうアホがいるからマナーというものの価値が下がるのだ。その結果として正当なマナーさえ忌避するような人が出てくるとしたら大変な迷惑だ。
こういうことを言うと「マナー警察だ」みたいに言われることもあるかもしれない。
だが別に他人がマナーを間違えていたとしても、それだけで私は怒ったり一々指摘したりすることは無い。
例えば敬語を上手く使えない若い人は多い。尊敬語と謙譲語が混ざっていて、私の行為に対して謙譲語を使われることだってある。
確かにそれは字面だけを見ればまるで私に謙れと言われているように思えるかもしれない。お前は帝か何かか、と言う事だってできる。
だけど明らかにこっちを立てようとしてくれていて、その結果として言葉遣いを間違えてしまったということに対して目くじらを立てることは無い。精々、何かのタイミングでそっと「こういう時はこうした方が良いよ」という助言はするにとどめる。
結局のところ、マナーはお互いに紳士淑女として振舞おうぜ、その方がかっこよくね?というものであって、別に全て肯定するものでも否定するものでもないと思うんだ。
どういう振る舞いがスマートに見えるかというのは時代によっても場所によっても変わるわけで、それを自分のものにして使い分けられてこそ真にスマートなのではないかと私は思う。
パソコンのトラブルはネットに放流しておくと誰かの役に立つ、という諺(諺ではない)に自分が参加することになったわけや。
「情報を解析・逆用しての不正行為につながる恐れがある」やろな、と思ったん敢てそこは深掘りしないのが紳士の振る舞いですわ。
ヒントとしてはスパマーが好きな英語サイト、それもメジャーなところが危うい。そして「公表せえへんから、また同じサイトのURIをコメントしたらまた非公開にするから覚悟しとき」ってことや。
その非公開期間に施したブクマは自分にしか見えんので、絶対にスターはもらわれへん。渾身の名ブコメや!と思ってスター欲しかったら(あるいはブコメ同士でレスバしたかったら)、再ブクマすることやな。
ほな。
俺は増田。旧統一教会の祝福2世だった男だ。大学入学を期に実家を離れて世間を知り、やっぱなんか違うなと思って教会を離れた。両親は信仰があり、絡むといちいち面倒なのでLINEでのやり取りするぐらいで、疎遠にしていた。結婚して地方都市に住んでいる妹も教会を離れているが、用もないのに連絡をする仲ではない。不仲と言うほどでもないが、一般的に兄妹ってそんなもんだと思う。
少し前に父が亡くなったので、何年かぶりに帰省した。持病があるのに医者と喧嘩して病院に行くのをやめていたので当然の結果だった。死に際は人に迷惑をかけるような状況じゃなかったのが救いだった。
この記事を読んでいる人の中で、ひょっとすると統一教会の葬式に出る人がいるかも知れない?ので、思い出がてら書いておく。
まず、服装がおかしい。男は黒スーツに白ネクタイ、女は白っぽいジャケットとスカートを着る。式場は教会の人ばかりだったのであまり気にならなかったが、火葬場で浮きまくって居心地が悪かった。
そして、葬式(統一教会では「聖和式」と言う)は肉体という殻を脱ぎ捨て霊界への新しい出発をするお祝いというていになっていて、万歳三唱がある。世間一般とかけ離れたことばかりする集団にも顔色ひとつ変えず親切に対応してくれた式場の人にはプロ意識の高さを感じた。
その他、家庭盟誓(やばい会社の社訓みたいな奴の統一教会バージョンだと思ってほしい。8番まであって長い)を唱えたり、聖歌(教会の歌。何かと歌う)を歌ったりした。毎週の礼拝ってこんな感じだった。
もう何年も教会に行っていないので結構忘れていたが、やっていたらなんとなく体が覚えていて、嫌なノスタルジーを感じた。
妹は式の間ずっと口をつぐんでいた。
親族は感染症を理由にほとんど参加しなかったが、教会の人が足を運んでくれてそれなりに人が集まった。自分や妹の顔を見ると皆にこやかに「久しぶりだね〜」と言った。
教会の人って基本的に親切で優しくて、家の隣に住んでいても良き隣人であるような人が多いのだが、時々地雷がある。
父も反ワクチン・反マスクだったが、他にもいそうな雰囲気だった。ある人に「増田くんもワクチン打ってしまったんでしょう…?」と言われた。(そう言った彼の職業は中学校の教師だったと記憶している)やっぱりカルトと陰謀論は親和性が高い。
また別の人に「お父さんは増田君の気持ちわかってたと思うよ…」っと慰めるように言われて何の話?となったりした。俺は「憎まれっ子世に憚る如く長生きするかと予想していたが、案外ポックリ逝ってくれて助かった」と言うのが本音だった。言える訳がないので「はぁ……そうですか……」曖昧に相槌を打った。
親切でちぐはぐで、柔らかくてグロテスク。言いようのない不快感があった。
父方の親戚で、一人の老紳士が通夜葬式の両日参列してくれた。もちろん、両親が教徒だと言うことは知っている。通夜の日、黒いネクタイを締めてきた彼は「明日は白いネクタイで来るね」と言った。色々思うところはあるだろうに、嫌な顔ひとつしなかった。なんて人間のできた人なんだと思った。こんな人を意味の分からない儀式に付き合わせて申し訳ないと思った。
市内に住んでいる父のきょうだいは出席しなかった。
後から聞いた話だが、葬式の時点で妹は妊娠していたらしい。「夫も子供も教会に関わらせたくない。必要ならできる限り経済的な支援はするが、それ以上は期待しないでほしい」と言われた。それでいいと思った。
教会には「氏族メシヤ」という考え方がある。教徒の親族に布教して家庭内の救世主になろう、という囲い込み戦略だ。しかし、実際は葬式に兄弟は来ず、子供達すら離れている。
大真面目にバカをやるおバカ青春コメディの決定版の一つなんじゃないかな、82点。
話としては高校時代は対立していたジョックスとナード、しかし警察学校で再会し社会に出たことで学校内回想とは違うお互いの良さを確認し友情をが芽生える。しかしバカと根性なしで警官としてはダメダメで失敗続き。そんなある日、若さを活かして高校生として高校に潜入しドラッグの捜査することを命じられる。再び高校に戻った彼らは……
というお話。
全然どうでもいいんだけどチャニング・テイタムと山田裕貴って顔似てない?いや冷静に見ると全然似てないんだけど動いてるとめちゃくちゃ山田裕貴みがあってなんでなんだろうな~って思いながら見てました。頭空っぽの筋肉バカを意外に繊細に演じていて、後からモテ期がきちゃって勘違いしちゃうオタクのジョナ・ヒルと見事なセッションを奏でていてこの2人を見てるだけで全然飽きないなぁって感じ。
基本的にはギャグをつるべ打ちにしながらも様々なメタ批判を挟みつつ、映画シナリオとしても手を一切に抜いていないのが非常に好感。
作品としては最初に書いた通りおバカコメディなので下ネタを含めたお下劣なギャグやヤクきめてのトリップギャグなんかをやりながらも、カーチェイス中に爆発しそうでしない展開を擦りまくる火薬モリモリの刑事もの映画を風刺する展開、潜入捜査物あるある、そもそもリメイクものである作品内で「昔のドラマを若い役者使ってリメイクすれば儲かると思ってる」と叫ばせたりスローモーションで鳩飛ばしとけばカッコええやろと発言し、実際、めっちゃどうでもいいところでそれをやったりと業界に対する批判的視点も盛り込んでいて侮れない。
またジョックス――増田が最も嫌う金持ちで筋肉バカで粗暴な白人男がモテてていた2000年代初頭から、2010年代になり意識高い系の紳士がモテるようになったギャップをギャグにしつつ、典型的なジョックスのテイタムが科学部に典型的なナードのヒルが運動部演劇部に入るという入れ替わり展開を経て本来の自分たちとは真逆の高校時代を再度送ることで他者理解を深めるという展開も素晴らしい。
その中で元は謙虚なナードだったヒルがイケテルグループに入ったことで謙虚さを失い、高校時代に自分をいじめていたテイタムのようになってしまい彼を傷つけてしまう展開を入れることで「ジョックスがバカだから悪い」ではなく「誰でもそうなってしまう可能性はある」という内省的な批判を含んでいてよい。
また科学部入ったテイタムがナードたちと仲良くなりながら授業で習った共有結合を使った簡易爆弾でカーチェイスに勝利する展開や、被疑者の権利を読み上げずに逮捕したことでバッテンがつき異動になった2人が最後に声を揃えて被疑者の権利を読み上げる展開はやってることの余りのバカバカしさと同時に若干のエモさもあり、よくできた作品だなって思いました。
急なカメオとしてジョニー・デップが登場しいきなり撃たれて死ぬ展開もこのトーンの作品なら◎。しかも撃たれてから死ぬまでにやたらと長い時間、とってつけたようなエモい話するのもおかしみがあってよい。知らんかったけど30年前のドラマ版の主演だったらしい。
若干問題があるとするなら1つはマジでお下劣なギャグが出てくるのでこういう下品なギャグ無理なんだよなって人はダメだろうなっていうこういうコメディ映画あるある。
そしてもう一つ、これはわりと厳しいと思うんだけど、この作品では高校内でドラッグが蔓延しておりその中で一人が過剰摂取で死亡しているという部分から始まるんだけど、高校生の死というかなり重大な事象がコメディ展開の中であまり真剣に扱われないところ。
ヒルはリア充生活を満喫してるしテイタムはナードと心を開きながらもヒルにイライラ。そんな中で別の高校にもドラッグが広まってきていることが分かりながらもなかなか真剣に動こうとしない。いや、青春しとる場合か?人が一人死んでるねんで。とはなっちゃったかな。
とはいえ、コメディよし、メタよし、シナリオよし、アクションよしで普通に傑作の部類に入る作品だと思う。だいたいどっかのサブスクには吹き替え入りで入ってるのでまだ見てなくてなんか映画見たいなってときにはオススメ。
某F〇NZAで購入した紳士向けVR作品が累計1,000本になった。
お詳しい紳士諸君はご存じの通り、紳士向け作品は非公開になる場合もあるため、実際に買った数はもうちょっと多いかもしれない。
さらに言えば、実は紳士向け2D作品も900本ほど購入しているわけだが、ここはキリが良いので一旦千本増田とさせていただく。
いきなり脱線するが、
以前は購入済み作品リストには2010年の前半あたりから前に購入した作品は表示されていなかったのだが、先日ちょっと同窓会が盛り上がったあげくそれ以前の古い作品を再購入したところ、急に2010年前半から2004年までの作品が購入済みリストに生えてきてさらに同窓会が捗る結果となったことを共有しておく。
さて、というわけで、2004年から2D作品を買い始め、2016年からは加えてVR作品を買いまくり、結果として10年かからずにVRだけで1,000本を購入したわけだが、別におススメ作品とかそういう話をしたい訳ではない。
ちょっと気になっているというか、いまいち落としどころが掴めていない疑問があって、紳士もしくは淑女諸君のご意見を伺いたく、こちらに投稿するに至った次第である。
つまり、性的なサービスを直接お金で買ったことがない。性を金で買ったことがないことと、競馬やパチンコなどを含めて賭け事に一切手を出したことがないことは、なんというか私の一つのプライドのようなものだ。元々は機会がなかったのか、意気地がなかったのか、はたまたもっとシンプルに単に金がなかったのか、それが積み重なっただけかもしれないが、結果として50年近く生きてきて一度もそういうところに足を踏み入れたことがない。そして今や、ちょっとした「俺はそういうヤツラとはチガウ」が心のどこかに無いと言ったら噓になる。
が、前述の通り、1,000本も買っているわけである。
VR作品のそれはもう(一旦余計なモザイクのことを脇においておけば)コトを致しているようなものであり、なんならそういう作品内で特殊浴場だのハプバーだのの性風俗に潜入していることすらあるわけだし、私が払ったお金が回りまわって少しなりとも出演者に渡っているのであれば、これは間接的にせよ性を買っているのではないだろうか?
だがしかし、私が調べた私のための個人的な調査によれば異性愛な日本人成人男性のほとんどは自家発電のための紳士向け作品を必要としており、それこそ一切そういったものを手に入れないで生きていくというのは現実的にはほぼ無理なのではないだろうか?実際、不妊治療の採精室にはしっかりと紳士向け作品が設置されており、「これを使ってとっとと出してね♡」 みたいなことになっているわけだ。つまり医療現場ですらご入用なのである
そうなると私の買わずの誓いに何か意味があるのかという気もしてくる。しかしどうだろうか、直接的に性を買ってるやつと、そういうのことはしないやつ、どっちかっていうと買ってないやつの方がまぁいいよねという価値観は淑女諸君はお持ちなのだろうか。それとも、いや結局間接的に買っているならチャラよね、ってことになってしまうのだろうか。それともまぁ年間一桁ならいいけど、1,000本はないわー、ってなっちゃったりしちゃったりするのだろうか
というわけで長くなったがまとめると、ご相談事項は
・ F〇NZAでのお買い物は「性を買っている」と言えるか
・性風俗は行かないがF〇NZAでお買い物はする、ということについてどう思うか
でも別に白人だとかアジア人だとかを無理矢理黒人化することは性癖の押し付けであって正しいことではないよ、って話。
ラッパーで言うならニッキーミナージュとかはギリエロさを感じるけど、ドチーぐらいになるとうーんってなる。アイススパイスはエロい。
女優で言うなら、ゼンデイヤはエロく感じる時があるが、ウーパーゴールドバーグはオモロいが勝ってしまう。
モデルでいうなら、ニャキムガトウィッチは黒すぎてようわからんが、ナオミ・キャンベルはわかりやすく美しい。アノックヤイは可愛く見えるが、歳下だから可愛く見えるのかもしれん。
これもめちゃくちゃ好みがそんな感じ、という話であって、全人類こうなるべき、とはならん。逆に目障りだ。
黒人のゲイでナードがケツ振ってても無理すんなよとはなるが、リルナズエックスのPVでいい身体してんじゃんと思ってしまったのは内緒だ。
そういうものを受け入れていく空間はあっていいと思うが、あるべきだとか、認めるべきだとか、お前はコレを食えだとか、僕の涙の黒人ゲイユダヤ教チンポを喰らえだのは“いい”という文字の言葉尻を捕まえすぎだと思う。
他人が『まぁこのラインならイケるんじゃね?』と設けているものを無視して“正しい”で進めてくるのは間違いだし
もっと言うなら二次創作は一次創作した奴らの心理的なエールにはなるが、厳密には『あんま大々的にやられてもそれ俺らの著作物だからな。覚悟しとけよ。』という話になる。
これは無理矢理キャラ同士でセックスさせたり、ゲイにしたり、触手や動物・ゴブリンに襲わせたり、ちびキャラにしてちび可愛い生活を描写したりしてる奴らも含めて。
細川バレンタインだって『俺の好みはお尻がパウン!なんだよ、乳首がレーズンでも構わない。お尻がパウン!』って言ってたし。
ただ他所様の著作物を無理矢理黒人にするまでは勝手にやってりゃいいが、それを“正しいことをしてやった!”とするのは、変態紳士としての態度ではないし、正しいってことは元ネタ様にも喧嘩を売ってるってことか?
となる。
冷静に振り返ると、「あれはセックスそのものより、前後含めてぜんぶ込みで良かったな」という夜が5つだけあって、その共通点がけっこうはっきりしてきたので書いておく。
1. 「笑えた」セックス
ランパ会場の空気って、基本みんなちょっと背伸びしてる。エロくなきゃいけない、盛り上げなきゃいけない、って妙な義務感が漂ってて、逆に固くなる。
そんな中で一人だけ、ベッドに倒れ込んだ瞬間に「え、緊張しすぎて足つったんだけど」と爆笑しだした子がいた。
普通なら空気壊れるところなんだけど、その子は自分で自分を茶化しながらストレッチ始めて、こっちもつられて笑って、気づいたら変なプレッシャーがぜんぶ飛んでた。
そのあと何をどうしたか、ディテールは正直あんまり覚えてない。ただ、「あ、この人となら失敗しても大丈夫だな」という安心感があって、力が抜けた状態で一晩一緒にいられたのは、今でもベストに入る。
テクニックとかシチュエーションより前に、「一緒に笑えるかどうか」で、セックスの楽しさはだいぶ決まる。
2. 何もしないで終わったセックス
ランパなのに、「今日はなんかそういう気分じゃない」と言い出した子がいた。
酔いも回っていい感じ、周囲はすでにあちこちで盛り上がってるのに、その子だけ急に現実に戻ったみたいな顔をしていた。
正直、最初は「え、まじかよ」と内心で舌打ちしかけたけど、話を聞いてみると、仕事の愚痴とか、元カレの話とか、親との関係とか、出てくる出てくる。
気づいたらベッドの上で、服を着たまま朝までしゃべって終わった。
セックスしに行ったのに、何もしてない。でも、終わったあと妙な満足感があった。
自分の「やること」が最優先じゃなくて、「この人いま本当にしたいのはこっちなんだろうな」に合わせた夜は、結果的にかなり記憶に残る。
見た目は完全にお嬢様系。控えめなワンピース、薄めのメイク、声もちょっと小さい。
「この子はたぶん丁寧に扱わないとダメなやつだな」と勝手に決めて、こっちもそれっぽく紳士モードで接していた。
ところが少し酔いが回ったあたりで、ポロッとかなり攻めた下ネタを投げてきた。
反射的にこっちも踏み込んだら、そこから先は完全にキャッチボール状態で、お互いのセーフラインを笑いながら探り合い、そのままのテンションでベッドに雪崩れ込んだ。
うまく言えないけど、「使ってる言葉の温度」と「笑いながら攻め合える範囲」が、ここまでピッタリ合うことってなかなかない。
行為そのものがどうこうというより、「言葉で煽り合いながら距離を詰めていく感じ」が、妙にクセになった夜だった。
その会は、途中までは普通の乱交パーティーっぽい流れだった。酒→トーク→いい感じになったグループから部屋に消えていく、みたいな。
ただ、一部屋だけ、なぜか誰かがスイッチを持ち込んでいて、ベッドの横でマリカーが始まり、そこにいた全員のテンションがおかしな方向に振れた。
レースで負けたら一枚脱ぐとか、そういう安っぽいノリではなくて、単純にみんな本気でゲームして、その合間に自然にくっついたり離れたりしていく。
ガチガチに「さあ今からヤリましょう」って空気がない分、触れる瞬間も離れる瞬間も、ぜんぶがゆるかった。
結果としては、お互い疲れ果てて早めに寝落ちしてしまったんだけど、「ああ、こういう“遊びの続きとしてのセックス”はアリだな」と思った。
義務感でベッドに向かうより、一緒に遊んでテンションが揃ったあとに流れ込むほうが、失敗も含めて楽しい。
5. 「あ、この人とは二度と会わないけど一生覚えてるな」と思ったセックス
会った瞬間からお互いなんとなく空気が合って、その日のうちにかなり深いところまで踏み込んだ。好きな音楽、家族の話、コンプレックス、自分で自分が嫌いなところ。
セックスそのものは、技術的に特筆するところはなかったと思う。ただ、終わったあとにしばらく黙って隣に寝転んで、それぞれ天井を見てた時間が、やけに長く感じた。
「あ、これはもう二度とないやつだな」と、そのときだけ変に冷静になったのを覚えている。
ランパって、基本的には「使い捨ての関係」を前提にしている。だからこそ、たまに偶然混ざる「妙に相性のいい一夜」は、後から効いてくる。
連絡先も交換せず、名前も曖昧なまま終わったけど、「あの夜があったから、他のどうでもいいセックスを切り捨てられるようになった」という意味で、個人的にはベストに入る。
こうやって並べてみると、どれも「すごいテクニック」とか「すごいスタイル」とかとはあまり関係がない。
その場の空気とか、笑えるかどうかとか、自分の欲より相手の状態を優先できたかどうかとか、そういう地味なところで“ベスト”かどうかが決まっていた気がする。
実際、性の満足度はテクニックよりも、安心感やコミュニケーションの質で決まるという調査も多いらしいし、「なんかこの人とは合う」という感覚のほうが、見た目よりずっと重要なんだと思う。