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「細田守」を含む日記RSS

はてなキーワード:細田守とは

次の25件>

2025-11-24

劇場版はてなブックマーク監督細田守

脚本押井守

演出富野由悠季

美術監督新海誠

製作進行宮崎駿

Permalink |記事への反応(0) | 17:34

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正直、細田守新海誠区別がつかない

Permalink |記事への反応(0) | 13:07

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anond:20251123200016

riceratoppo細田守も大概やけど、新海誠も大概やと思う。「君の名は」がなぜか大ヒットしてしまったが故に、名監督扱いされてしまっているけど、結局は運なんだよな。

おいおい、新海誠本体映像美だろうよ

から映像美は凄まじいのに脚本が残念で界隈で人気止まりだった作品に「普通」の脚本が合わさればヒットするに決まってんだろ

大谷翔平は運でMLB活躍してる」と言ってるに等しいぞ、大丈夫か?

Permalink |記事への反応(1) | 11:00

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今日増田達は細田守作品寸評です、と。

Permalink |記事への反応(0) | 08:42

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SNS文句を言うための映画を見に行って、SNS文句を言うという循環を回せてる限り細田監督には次回作のチャンスが巡ってくるだろう。

ただしある程度の規模を維持できている限りは、という条件はつく。

ということだから焼畑農業的な炎上商法一種(本人が自覚的にやってるのかどうかはともかくとして)であることには変わりがない。

なんつーか、どんだけ偉大なアニメ監督でも自分の頭の中のイメージからだけで創作物を作り続けることなんて出来ない。

昭和時代からの生き残りである宮崎駿とか富野由悠季とかを見ていても、それはわかる。

富野監督なんて、ガンダムイデオンザブングルダンバインと、毎年のようにアニメを作っていたが、はやくもダンバインの段階で、自分の中のアイデアはもうこれで終わり枯渇した、

自分の中の頭の中のものは出し尽くした、というようなことで、ダンバインの次のエルガイムを作るときは、永野護というサンライズ新人が頭の中に抱え込んでいた創作イメージを絞り出させて、自らのオリジナルアニメとしてつくってるくらいである。

大雑把に言って創作者にとって、やりたいこと、というのは割と創作の初期段階で尽きてしまものなのだ

から、みんな必死勉強して、自分の頭の中の耕して種まきして、なんとか実を結ぶもんが出てこないもんか?と必死になる。

宮崎駿みたいな、原作が会っても原作無視して映画を作ってるような人でさえ、なぜ原作必要なのかと言えば、もうイメージが枯渇してしまってるからなんだと思う。

とここまでイメージと書いてきたが、ちょっと適切な単語ではないと思う。

でも、いい単語が思い浮かばないんだ。

ここでいうイメージというのは、自分の中に抱えてる世界とか、物語とか、そういう創作の種みたなもののこと言ってるんだと思って欲しい。

とにかくそういうイメージは、あっという間に枯渇してしまう。

から、どっかから原作を持ってこないと宮崎映画が作れない。

最新作の君たちはどう生きるか?にしたって海外小説原作となっている。

(というか、あれ原作として使ってるのにクレジット金も払ってないのはどういうことなんだ?)

まりだ。

細田守だって、もうとっくにイメージなんてないんだから、どっかから持って来い。

というか、生来細田守に欠けているのは、そのイメージなんだと思う。

からそもそもTVアニメとしてしっかりとした土台、イメージがあるデジモンとかをやらせるとものすごく成功するのだ。

さらにいうと、時をかける少女だってそうだ。

どれだけ原作とかけ離れているとしても、そのイメージの土台があるからこそ、ある程度のものが出来上がるんだ。

細田にかけているのは脚本力なんかではない(それは結果論なのだ)。

彼の中には、彼の中で抱えている、イメージ、訴えかけたいこと、「俺はいまこういう物語を抱え込んでいるんだけど君たちそれをどういうふうに思う?」という創作者という名の語り部として欠かせないある種の資質が決定的にないのだ。

おそらくは宮崎鈴木細田ジブリに入れなかった理由(わけ)もそのへんに転がっているのだろうが、その真意はよくわからない。

Permalink |記事への反応(1) | 08:01

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細田守安心して叩けるサンドバッグ

ヒトは安心して叩けるサンドバッグ君を見つけるとワラワラと集りボコボコシバキあげる

 

ここではnot for meの原作も何も通用しない

気に入らないから叩き、いつまでも粘着する

 

一億総ラー化の成れの果てが細田守叩き現象

Permalink |記事への反応(1) | 07:42

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anond:20251124053445

あっアンタあれでしょ「細田守の欠落っぷりを楽しもう」ってエントリ書いたひと!😉

Permalink |記事への反応(0) | 05:45

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細田守に求めるもの

映像演出に関してはやっぱり他者にないものがあると思うんだよな

脚本別に用意しろって意見すごくよくわかる

でもたぶんサマウォのカズマみたいな少年侘助みたいな中年ロードムービーとか作らせたら結構いい線行きそうな気がするんだよな

重要なのはキャラを配置しないこと

細田は女を出すと途端にキショくなるから女は出すな

ポリコレ的にあかんかもしれんが女が出ない必要がある映画はある

Permalink |記事への反応(1) | 02:32

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anond:20251123024959

細田守デジモンが最大瞬間風速だった学説の支持者です

スカーレットPVの時点で説教臭かったので観る気がしません

彼はどこで間違えてしまったのでしょうか

Permalink |記事への反応(1) | 01:22

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2025-11-23

高市問題から目をそらすため細田守にクソ映画を作らせネットの関心をクソ映画に向かせることに成功

考えた人あたまいいな

Permalink |記事への反応(0) | 23:26

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anond:20251123041412

細田守アリスSOSOPが一番好き

Permalink |記事への反応(1) | 22:16

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果てしなきスカーレット見てないけど感想書く

まず言わせてくれ。

魔女をやめた魔女をもう一度見てこい。と。

お前らは思い出の中の細田を美化しすぎている。

かにウォーゲームはサマウォより面白いが、それはデジモンの持つコンテンツ力のおかげでしかない。

作中で究極体まで大事に育てた上で初のジョグレス進化、それも究極体を超える究極体……最高に決まってるだろ?

細田演出は上手いんだろうが、最高なのは与えられた食材だ。

おジャ魔女ウテナもそうだ。

美味しい題材を受け取っている。

細田演出家として天才だったのかも知れんが、社内政治天才でもあったのではないか

そんな細田監督をやることに「演出の才能を捨てた」と罵る奴らのなんと多いことか。

政治の才能を活かした」という見方はできないもんかねえ。

まあ、持てる才能に甘えた結果として不得手なものにまで深入りしたのは駄目だったがなあ。

だかなぁ、そもそもとして今の世の中は監督作品監督の中身を見すぎてるんだよなあ。

映像業界品質管理体制問題だよ。

宮崎吾朗カチンコを取っただけで総崩れするようでは駄目なんじゃねえかな。

船頭多くしてとは言うが、船長が狂ってたら「お言葉ですが」と口に出すのがシーマンシップというもんだ。

映像業界はさ、仕組み的に駄目なんだよ。

監督に頼りすぎている。

責任監督に預けすぎているし、監督責任を手放そうとしなすぎる。

なあ、「細田演出回」を語るときには脚本監督が誰かより先に「細田守」の名を出してたろ?

その感覚映画ももっと分解して鑑賞しようや。

アンパンマンを見るとき作画担当者名前を気にするくせに、なんで映画を見るとき監督脚本名前しか見ねえのかねえ。

あとは主題歌と主演声優あたりか?

いねえ。

薄いよ。

業界全体が薄くなってきてる。

見るも作るも見る目がなく語る口が疎かだよ。

細田守の映画」は「細田守だけの映画」ではないだろ?

そんなのは初期の新海誠作品ぐらいの話だべよな?

分かるだろ?

初期の新海誠作品みたいなもの以外は、無数のスタッフが作ってんだよ。

その中には「あの映画で〇〇が担当してたパート凄いよな」と言われるようなシーンもあるはずなんだな。

あるはずなんだよ。

監督名前精神鑑定ばかりすんのはさ、他のスタッフに失礼じゃねえかい

まあ、見てもいない俺が偉そうに言えることじゃあねえのかもだがよ。

Permalink |記事への反応(0) | 21:57

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💖「果てしなきスカーレット」と名鉄パノラマカー運命的な響き

名鉄パノラマカー特に7000系熱狂的なファンである私にとって、細田守監督の最新作とされる映画『果てしなきスカーレット』というタイトルは、ただの映画名では済みません。それは、我々の愛してやまない名車、パノラマカーのもの象徴し、その「血脈」を感じさせる、運命的な響きを持っています

🔥スカーレット情熱革新の色

パノラマカー7000系が纏う車体色「スカーレット」は、単なる色ではありません。それは、戦後高度経済成長期に名鉄が打ち出した革新情熱象徴です。

日本初の前面展望席:運転台を2階に上げ、乗客最前列に配置するという、当時の鉄道常識を覆す大胆な設計。これこそが、名鉄の「果てしなき挑戦」の精神体現しています

デザインの力:

赤一色というシンプルながらも圧倒的な存在感は、風景の中を駆け抜ける躍動感を生み出しました。

ミュージックホーン:

あの独特なメロディは、パノラマカースペクタクル性をさらに高め、人々の記憶に深く刻み込まれています

パノラマカー鉄道史に残した功績は、「鉄道は移動手段である」という概念を打ち破り、「鉄道は夢と感動を提供するメディアである」ことを証明した点にあります。この「スカーレット」という色が、その挑戦と夢を焼き付けたのです。

🛤️永遠への憧憬:愛され続けたレジェンド

映画タイトルにある「果てしなき」という言葉は、パノラマカーファンにとって、その永遠への憧憬を呼び起こします。

引退後の「現在進行形」:

7000系2009年に完全に引退しましたが、その雄姿は今なお多くのファンによって語り継がれ、グッズ化され、模型として再現されています。これは、パノラマカーが単なる古い車両ではなく、文化的アイコンとして生き続けている証拠です。

未来への影響:

後継の特急車に「パノラマSuper」の名が冠され、その展望席のDNAは今も名鉄特急に受け継がれています。これは、その革新性が「果てしなく」未来へと影響を与え続けていることを意味します。

ファンにとって、パノラマカー引退は大きな悲しみでしたが、その思い出と精神は決して終わることのない物語として心の中に走り続けています映画タイトルは、この尽きることのない愛と伝説継続象徴しているように感じられます

🎨芸術性:細田監督視点との交差

細田守監督作品は、しばしば「新しさ」と「郷愁」が共存する映像美が特徴です。これは、パノラマカー体現した革新性と、その引退によって生まれ郷愁の念と見事に交差します

パノラマカーは、その流線型ダイナミックなデザイン、そして前面窓から広がる雄大景色が、まるで動く映画館のようでした。映画という「映像体験」を追求する細田監督が「スカーレット」という色に注目した時、そこにはきっと、かつて日本風景を鮮やかに彩った名鉄パノラマカーの持つ、圧倒的な存在感物語性が重ね合わされているのではないかと、ファン想像を掻き立てられます

「果てしなきスカーレット」が描くものが何であれ、パノラマカーファンは、そのタイトルに込められた情熱の色、そして永続する伝説の響きに、無上の喜びを感じずにはいられません。パノラマカーの残した「日本鉄道常識を変えた革命」という遺産は、「果てしなく」語り継がれるべき、我々の誇りなのです。

Permalink |記事への反応(0) | 21:31

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なんか宮崎駿とか高畑勲ってジェダイ騎士、って感じで細田守とかはジェダイになれなかったばかりか暗黒面に落ちちゃったやつって感じでオッケーなのかな?

つーか、きちんと宮崎とか鈴木(はジェダイじゃないけど)がきちんと細田ジェダイとして導いていればいまのこんな悲劇は起きなかったんじゃないかな?って思うんだけどな。

無理強いしてでもハウルを、きちんとジブリ作品として成立してるハウル細田に作らせておけば、その後の細田の歩む道も違っただろうし、ジブリも潰れずにいまも続いてるんじゃないかな?とか思ったりもする。

Permalink |記事への反応(0) | 20:57

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anond:20251123041412

細田守オマージュ元の解釈や読み込みが浅いのではなく、本人の中で何かが欠けていて何度読んでもどうしても芯となる部分を理解ができないからいつもああなっちゃうのではないかと思う

ただ、その欠けてしまっているところこそが細田守作家性であり、更にその欠けた部分を豪華な映像音楽で埋め合わせようとする行為空虚さこそが細田守作品で鑑賞すべきポイントなのだと思う

Permalink |記事への反応(4) | 20:00

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anond:20251123192224

新海誠って土建屋の息子で金があるわけだから余裕あったんだな。細田守は苦労人? まあ時代奇跡的だったのかもな。

Permalink |記事への反応(0) | 19:30

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細田守監督、さすがにまずいのでは(果てしなきスカーレット

クソなのは分かったよ

その上でさ、それでも最低限の興行収入が出るのがネームバリューっていうもんじゃないのか?

例えば「君たちはどう生きるか」もよく分からんって言われてたのに初動は出たじゃん、それで徐々に伸びていった

 

なんだけど、果てしなきスカーレット

新宿TOHOの映画館を今見たら

 

IMAX 13人/313席

Dolby 14人/501

通常 6人/186席

 

これまずくね

夜だからかもしれないけど、上映開始後初の土日の3連休日曜日だよ

ここまで爆死すると監督生命終わるのでは?

 

これさ、細田ファンがどのくらい居るのか知らないけど

CMの時点で刺さってなかったってことだよね?もしくは評判聞いてから行こうみたいな様子見だったか

かなしいなあ

俺は細田さんちょっと苦手だから別にいいんだけどさ

Permalink |記事への反応(2) | 19:28

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anond:20251123175811

鬼滅チェンソーと比べるとみじめだが58億でも年間興行収入2位になれるんだからこれでも大稼ぎだろうな

細田守がおえらいさんの愛人かい気持ち悪い想定については見なかったことにする

Permalink |記事への反応(0) | 19:20

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細田守新海誠以降のアニメ監督は何やってんの

スカーレットは未視聴で観る気もないけど、

興行収入10億円をコンスタントに出せるオリジナルアニメ監督が他にいない事が問題なのでは。原作付きしかやらないし。

多分、アニメーターとしてのクリエイターレベル宮崎細田新海の3人以外はかなり下なんじゃないかって感じる。岡田麿里山田尚子とかもオリジナルやってたのに散々なわけじゃない(それで海外のよく分からん賞に提出して箔をつけるだけつける)

今後、戦えそうなアニメ監督が現れるのか?

Permalink |記事への反応(3) | 19:19

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他人が作った作品に乗っかって何者かになろうとするのはダサい

たこの季節が来て頭を抱えてる。典型的なのが

松本人志作品

北野武作品

庵野秀明作品

スタジオカラー作品

ジブリ作品

劇場版ガンダム作品

他にもあるかもしれんが、こういったメジャー大作映画に乗っかって感想書いて何者かになろうとするネットの習慣があるけどやってることダサいよ。

今は細田守が新作作ったかスカーレットインパクトある感想書いてバズっちゃうぞ〜みたいなアホが量産されてるけどさ。じゃあお前普段映画見てるの?と言いたくなる。

どんな駄作だろうが作品を作る人を気軽に侮辱すべきでもないしネットに書き込むよりリアル人間口論するほうが楽しいだろうしマジでこの流れくだらないよ。

Permalink |記事への反応(2) | 19:13

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俺があんまりきじゃないアニメを作ってるのが細田守で、俺があんまりきじゃないアニメを作っているのが新海誠でいいんだよね?

Permalink |記事への反応(2) | 17:13

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細田守作品って脚本手伝ってくれてたナントカって人がいなくなってからは、何があったのか知らんけど何か壊れてしまっている細田守不安定人間性作品を通して感じて得も言われぬ不安に駆られるために観に行くものになってたことね?

まぁホリデーシーズンの子供も観に行く作品を作る人として不適切だとは思う

まぁ宮崎駿がどうだったかといわれると何とも言えないが、少なくとも壊れてはいなかったと思う

ワイは今は不安に駆られたくない気分だから批判が爆発来る前からスカーレットは観に行くつもりはなかった

Permalink |記事への反応(1) | 12:12

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細田守宮崎駿をやるには早すぎた。

果てしなきスカーレットを見てきて、なるほど細田版「君たちはどう生きるか」をやりたかったのかと合点がいったが、ちょっと早すぎた。

もうちょっと巨匠としての権威を積まないと、若手が調子乗って実験的な映画作って失敗したというわかりやす物語に落とし込まれしまう。

でもこの路線で突っ走ったら、いつか何処かに突き抜けてすごい作品が見られるような気がするので、適度にっポップな作品作って日銭かせぎながら、続けてほしいと思う。

Permalink |記事への反応(1) | 12:05

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映画興行の偉い人、細田守脚本書くなって言えないの?って思ってたが

作品名公開年脚本興行収入備考
劇場版デジモンアドベンチャー1999吉田玲子9億短編(約20分)東映アニメフェア
デジモンアドベンチャーぼくらのウォーゲーム!2000吉田玲子21.66億短編(約40分)同時上映作品との合計
ONE PIECETHE MOVIEオマツリ男爵と秘密の島2005伊藤正宏12単独監督した長編作品
時をかける少女2006奥寺佐渡子3億東映アニメーション退社後
サマーウォーズ2009奥寺佐渡子16.5億-
おおかみこどもの雨と雪2012細田守 /奥寺佐渡子42億初めて脚本兼任
バケモノの子2015細田守 (単独)58億2015年の年間興行収入2位
未来のミライ2018細田守 (単独)28.8億-
竜とそばかすの姫2021細田守 (単独)66億細田監督作品歴代最高興収



脚本書いたほうが稼いでて草w

こりゃ偉い人もなんもいえねーw










追記

思いのほかトラバブクマあつまったな。みんなサンキュー

トラバブクマあつまったら宣伝していいとのことなので宣伝させて頂きますおまえらイクサガミはもう観たか!?ガチやべーから騙されたとおもって観とけーーー!?

なんか合わんって場合もとりあえず2話の終わりまで見たらすげーから!それでも合わんならもう知らん!


そういえば細田守の話やったな。ワイ独自ランキングは1位👑時かけ・2位🥈サマーウォーズ・34がなくて後藤さんって感じなんだけどどちらも思いのほか興行収入バリ少ないな!3憶……

細田作品はなんかこう普通映画として「あっちの伏線がこっちにハマって……」みたいな仕掛けがまとまってて面白かったんだがあれは脚本とかの力だったのかもな

オオカミこどもも未来のミライもなんかワイには来んかったわ(ケモ観も相違)

まあかといって時かけのころに戻ってくれ~みたいな感覚特にないわな

強いて言えば脚本吉田玲子とかで手堅くお仕事モノみたいなの作ってほしいか

でも今で十分興行収入も強いし独特の感性で国際賞レースも狙えるてるしすごいんやろうな。知らんけど!

日本法律では映画著作権監督にはなく制作会社製作委員会が得る。(著作者人格権はある)。一方、脚本家は原著作者として著作権を得る。これが売れた監督自分脚本をやるようになる理由の1つ。

はーそういうのもあるのな。そういえば細田脚本作品原作細田だけど原作ってだけじゃいくら権利あってもカネ的な意味では扱い軽かったりするんだよな?たしか

鬼滅の刃の作者でも映画原作料はちょっとだけみたいな話あったな。

Permalink |記事への反応(15) | 11:47

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細田守は『ハムレット』を一行も読んでいない。

『果てしなきスカーレット』を観た。

細田守云々を抜きにしても激クソにつまらない映画であり、業界人がかろうじて擁護している映像美的な部分も近年の人気作品指輪とゲースロとマッドマックスアナ雪とエルデンリング)の寄せ集めでしかなく陳腐まりなかったのだが、それは俺個人の感想で、別に他人が褒めようが貶そうがどうでもよい。はっきりいって細田守と見れば何でも叩こうとする今のネット環境のほうが異常だ。むしろ、今細田作品擁護しようとするほうが勇気ある人間だと言っていいだろう。

そう思い、SNSでは感想を控えてきた。


が、そのSNSで見てしまったのである

「『果てしなきスカーレット』がわからないやつはシェイクスピアという古典がわからないやつだ」とほざいているスカ褒めポストを。



はあああ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜????????????



おまえ、『ハムレット』観たことある? 誰の訳でもいいから、読んだことある??????

筋とかキャラクター、知ってる?????


もし知ってたら、「『果てしなきスカーレット』を理解できないやつは『ハムレット』を知らない」なんて、口が裂けてもいえねえぞ。


『果てしなきスカーレット』を『ハムレットベース物語として観た場合基本的には「『ハムレット』を読んだことのない人間イメージで作った」という結論に至るのが自然だ。


前提として、ある古典を、それも何百年も前の物語に則って何かを作ろうとする場合原典より、より濃く、深く、複雑に作ろうとするだろう。最低でも、原典の味をそのままにしておこうと考えるはずだ。

それをあろうことか、細田守は鍋に大量の水をぶちこんで薄めてしまった。

たとえば、敵役たるクローディアス。『スカーレット』でも『ハムレット』でも主人公が付け狙う憎き叔父だ。

スカーレットの終盤(ネタバレ?知るか)、クローディアスは後悔をにじませながら天上の存在祈りを捧げる。

始めは俺も「おや」と思った。

というのもこれは『ハムレット』にもあるシーンだからだ。クローディアスが前王殺害懺悔する(しているように見える)場面。

それまでシンプルな悪役だった『スカーレット』のクローディアスにも事情があって、実は複雑なキャラクターの持ち主だった……とひねるのは、展開的にも今の世界を描くというテーマ的にも効果的ではないかもしかして、多少は脚本がうまくなったのか、細田守


だが、その期待は十秒後に裏切られるクローディアスの懺悔は偽の懺悔だったのだ。彼はどこまでも単純な悪でしかなかった。


この調子で、一事が万事原典キャラクターたちが改悪されていく。

ローゼンクランツとギルデンスターンは多少しょうがないとはいえ母親のガートルードはひどい。『スカーレット』ではマクベス夫人的な要素を持った「悪女」として描かれるが、その背景となる物語動機ほとんど描かれないので、ただの淫奔な毒親しか見えない。『ハムレット』では、わけのわからん息子と現在の夫とのあいだで板挟みになって苦しむかわいそうな人だったのに。

しかし、一番かわいそうなのはレアティーズだろう。ハムレット恋人オフィーリアの兄にしてハムレットの良き友人。しかし、ハムレットが原因でオフィーリアが死んでしまたこから仲違いし、最終的には殺し合うことになるという、ハムレットもっとも激アツなキャラのひとりだ。

このレアティーズが『スカーレット』では「クローディアス率いる悪の組織幹部C」くらいのポジションになり、特に深堀りも見せ場もないまま、小悪党として惨めに退場していく。

ハムレット』を一行でも読んだことある人間なら、まずこんな扱いは思いつかないはずだ。


とはいえ細田守が『ハムレット』を読んでいないとは思わない。タイトル釣りだ。

読んでいる証拠は、両作にとって重要なくだりである「父王の亡霊が語りかけるシーン」にある。

ハムレット』では冒頭に死んだ父王が現れ、ハムレットに「復讐せよ」と語りかける。これがそもそも悲劇の始まりなのだが、『スカーレット』では父王の亡霊を逆にラストに置き、「復讐」や憎悪とは正反対優しい言葉をかけてスカーレット復讐呪縛から解き放つ。つまり、父の言葉が『ハムレット』では呪縛、『スカーレット』では解放になるわけだ。

巧い反転だとは思う。そもそも物語と話運びがカスでなかったならば。

ハムレット』にはこういう嘆きがある。「この世の関節が外れてしまった」。弟が兄を殺し、その妻を奪い、正統な後継者である兄の息子から王位簒奪する。狂った世界である。こういう狂った世界を正すには自分が狂うしかない、というのは『ハムレット』のひとつの読みだ。

スカーレット』で描かれる現代世界鏡像としての作品世界も「関節が外れてしまった」世界といえる。だから、『ハムレット』をベースにするのはある意味で正解ではあった。だが、狂い方に失敗してしまった。狂えなかったのだ。だって細田守って世界とかたぶんどうなっていいって思ってる人だもん。常に「個人」と「自分」を描いてきたことは、これまでの作品証明している。

ファンの中には「これまでの得意分野を捨てて新しい領域に挑戦したこと評価すべき」との声もあるが、ファンタジーも古典もなめくさった扱いしかできないのに、なにを評価しろというのだろう? 人には向き不向き、そして心を込められるかどうかがある。

『竜とそばかすの姫』は駄作だったかもしれないが、少なくとも細田守の魂が幾分かは込もっていた。だが、『スカーレット』は? これこそ、虚無以外の何物でもない。


おそらく、『ハムレット』の「生きるべきか死ぬべきか」という名台詞に「生きること」という作品テーマ見出したのだろう。別に間違っているとまではいわないが、安易にすぎる。全体的に、安易にすぎるのだ。序盤で、坊主頭の聖を始めてみたスカーレットが「僧侶か? なら寺に行け!」というセリフがある。素でよくわからないギャグだろう。これは『ハムレット』でハムレットオフィーリアにかける「尼寺へ行け!」という有名なセリフオマージュだ。

なるほど。だから

からない。俺にはなぜここで「尼寺へ行け!」の引用が出てくるのかまったく説明できない。意味脈絡もない。

スカーレット』の問題は、『ハムレット』にかぎらずあらゆる要素がすべてそのような安易さの織物で出来ていることだ。どこかで聞いたようなセリフ、どこかで見たような展開。すべてが軽い。


からSNSの民よ。

俺の前のもう二度と「古典がわからないやつは『スカーレット』がわからない」などと言ってくれるな。お前も『バケモノの子』で『白鯨』がどんな扱いされてたか、観ただろ? ああいうやつだぞ? 細田守っていうのは。お前たちはどうせ『スカーレット』を映画館で一度っきりしか観ないのだろう。SNSマウントを取る目的で観て、明日にはもうきれいさっぱり忘れるのだろう。

だが、俺は今日も観る。初日と土曜で一回ずつ観て、また今日も観る。なぜって?


細田守ファンからだ。

Permalink |記事への反応(15) | 04:14

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