
はてなキーワード:精神医療とは
https://x.com/pioneertaku84/status/1966415636311192055
市議会で市内のトランスジェンダーの児童生徒数を尋ねると質問通告した参政党市議、性自認は「伝染する」「必要な対応は配慮よりも心の傷を治療できる心理士を紹介すること」など発言。
というのもイギリスのキャスレポートでは、特に若年者においてはジェンダー治療ではない精神医療が必要だったケースがかなり報告されていて、
青年ってのは人に影響されやすいし、思い込みも激しい。その意味では「自認」なんてあやふやなものは「「伝染」するんだよ。
前任のブッシュ政権からイラク戦争を引き継いだり、ビンラディン殺害の特殊作戦を継続したことはあっても、新規に戦争を始めたわけではないような。
前政権の後始末をしただけであって。
唯一難しい点があるとしたら、イスラム国(ISIS/ISIL)を国とするかどうか。
あんなのただのテロリストだろうとするなら、イスラム国の拡大を止めるための空爆は戦争ではない。
いやいや、イスラム国は過激思想のテロリストの集合体とはいえ、国と名乗っているから国だろうとみると、戦争になるのかもしれんけど。
日本政府はイスラム国を国としては承認していないので前者のあんなのは国ではなくただのテロリストな気がするけど。
なので、"オバマとかバイデンに騙された貧困層は、軍隊でカタワPTSDになった後、手厚い精神医療を受けて戦地に戻ってるんだが"というのは、かなり飛躍している気がする。
そりゃ引き継いだイラク戦争で負傷した兵士がいたのかもしれんけど、それは前任者が始めた戦争を引き継いだ結果であり、
理論が飛躍しすぎているような。
なるほど、よくある反応だ。
その主張、半分正しい。だが半分しか見えていない時点で知的放尿をしている。
まず、「神経系の基礎プログラム」とは比喩ではなく発達神経科学に基づいた話だ。
人間の情動反応、対人行動、自己認識のベースは乳幼児期の脳の可塑性(neuroplasticity)と愛着理論(attachmenttheory)により形成される。
これはスピリチュアルでも何でもない。ハーロウのアカゲザル実験、ボウルビィの理論、現在のfMRI研究やトラウマ療法でも裏付けられている。
そして、「インナーチャイルド」という言葉そのものは、確かにユング心理学由来で、後年は商業的セラピーにも使われた。
だがその背後にある概念的骨格、すなわち、「幼少期に形成された未統合の情動スキーマが成人後の行動や情動反応に影響を与える」という理論は、現代の情動制御理論(emotion regulationtheory)や複雑性PTSD(C-PTSD)の議論でもしっかり使われている。
たとえば、有名な精神科医バッセル・ヴァン・デア・コーク(Besselvan der Kolk)の「TheBody Keeps theScore(邦題:身体はトラウマを記録する)」を読め。
トラウマは脳幹・扁桃体・海馬など神経生理レベルで記録され、それが「過剰反応」や「自己否定」に直結する。
それが何を意味するか?
「内なる未熟な自己(=インナーチャイルド)」が抑圧されて暴走するという現象は、脳科学的にも精神医療的にも完全に実在するプロセスなんだよ。
だから繰り返す。「インナーチャイルド」は用語としては古くても、その中身は今なお臨床心理学・神経科学・発達心理学の核心にある現象だ。
流行り言葉をバカにする前に、その背後にある研究とデータを調べろ。
科学というのは、用語の新旧ではなく現象の再現性と実証性で判断される。
「子どものころの未処理の情動体験が大人の行動に影響を与える」これが再現的に確認されている限り、名前が何であろうと、実在するプロトコルとして扱われるべきなんだよ。
政府は8日、全国的に多発している刃物による刺傷事件への対応策として、すべての国民に対し防刃ベストの着用を義務付けることを正式に決定した。
新たな法令は10月1日より施行される予定で、着用義務は通勤・通学時および公共の場における外出時に適用される。
政府広報官の会見によると、2024年以降、刃物を使用した無差別刺傷事件が全国で急増。特に駅構内や繁華街での発生が相次いでおり、国民の不安が高まっていた。
「市民の命を守るために、これ以上の対策は待ったなしです。防刃ベストは重大な被害を未然に防ぐ有効な手段です」と広報官は述べた。
政府は補助金制度を設け、初回の防刃ベスト購入費用については最大で80%を負担する予定。また、学生用や高齢者向けに軽量・通気性に優れたモデルも開発が進められている。
一方で、専門家の中には「根本的な治安対策や精神医療への支援が先ではないか」と指摘する声もある。また、自由や日常の快適さとのバランスを問う国民的議論も巻き起こりそうだ。
はい、鋭いカウンターですね。「医療も教育もマッチポンプ(=問題を作ってから解決するフリをする構造)」という批判には一定の根拠があります。
| カテゴリ | 補足 | 対策案 | 重要度 ★ |
| **幼少期の環境** | -美少女として周囲から特別扱いされる。- 困難を自力で解決する経験が乏しい。 | -容姿に関係なく問題解決能力を育む教育を行う。- 自立心を養う環境を提供する。 | ★★★★ |
| **男女交際の傾向** | - 自ら積極的に動かず、選択肢から相手を選ぶだけ。-容姿が恋愛の中心的要素となる。 | -容姿以外の価値(人間性やスキル)を重視する恋愛観を育てる。-恋愛以外の自己実現の場を広げる。 | ★★★ |
| **若さと容姿への依存** | -若さと美貌が自己価値の中心になる。- 失われることで精神的なギャップが生じる。 | -容姿以外の価値(趣味やキャリア)を見つけるサポートを行う。- 加齢に伴う変化を肯定的に受け入れる教育を行う。 | ★★★★★ |
| **加齢による変化** | -容姿の衰えに対する自覚が薄い。- 周囲の反応変化を受け入れられない。 | - 年齢に応じた自己価値観を再構築する心理的サポートを提供する。-カウンセリングで現実受容を助ける。 | ★★★★ |
| **家庭生活とのギャップ** | - 家庭生活には満足しているが、過去の栄光への執着が強い。-現実とのギャップに苦しむ。 | - 家庭外でも充実感を得られる活動(ボランティアや趣味)を推奨する。-社会的役割を広げる支援を行う。 | ★★★ |
| **精神的不安定さ** | -現実逃避や妄想に走る傾向がある。- 周囲への攻撃性が増す。 | - 専門的な精神医療やカウンセリングによる適切な治療とサポートを受けさせる。 | ★★★★★ |
| **社会全体の影響** | -容姿が過剰に評価される社会風潮が問題の原因となる。- 「元美人」への期待と落差が生まれる。 | -容姿以外の価値基準(能力や人間性)を重視する社会啓発活動を進める。-多様性を認める文化づくりに取り組む。 | ★★★★ |
| **防止策の限界** | -若いころから甘やかさない教育は難しい。- 年齢による扱い方変化の防止も困難である。 | -社会全体で年齢による価値観の多様性を認め、個人として成長できる文化を育む努力を行う。 | ★★★★ |
パキシルをアカウント名にしてるわりに精神医療や精神医学に関する知識は無かったんだよな。
「WAISは発達障害を診断する検査だゆ! 受けたほうがいいゆ!」とか大嘘こいてた。
※WAISは成人『知能検査』。知的障害かどうかを判別することはできても発達障害の診断などできない。
というか発達障害の診断ができる検査はこの世に存在しない。医師が診断する際に参考にする検査はあっても、検査(画像検査、質問紙による検査etc.)で発達障害の診断をすることは不可能。
※パキシルのフォロワーどもがこの発言に対して「精神医療に従事する者だけどWAISは知能検査だゆ! でも発達障害を診断できるのは本当だゆ!」だとかフォローしてるのにフォローになってない大ボラこいてて、精神医療に従事って看護助手?病棟の清掃の方? それとも医療事務? それか勉強することを完全に放棄した看護師? と思ったわ。善意のつもりで専門的な内容について大嘘こくのは社会悪だろ。嘘ついてる自覚もなくただの無知なだけなんだろうけど、それはつまり相談に乗れるだけの専門的知識がないってことなんだから相談に乗っちゃダメなんだよ。お前が言っていいのは「医療機関を受診して専門家に話を聞いてもらってください」までで、他は何ひとつ言ってはいけないの。
なる
@na_ru_shine
精神科へ行ってきた
俺は異常性欲を一番治したくて、金玉片方切除しても構わない覚悟で何度も異常性愛について熱弁したのに「それは若いだけですから、そこまでおかしなことではないですよ笑」と冷笑されてクッソ軽い薬だけ出されて終わった
ホンマにええ加減にせえよ、お前白おしに一日3時間かけるやつの気持ちが分かるの❓
ホンマにキレたから2週間後にもう一回行くときはオナニーの1日のアベレージ15回にして再挑戦する、なめんなよマジで
―
白おしとは、白いおしっこのことです
―
僕の場合現実の女性の女体に全く興奮できないので本当に猿なだけかもしれませんね
6.8万いいね
ぽ
@cocvvvvvv
普通にめちゃくちゃ偉いこの人。
これができない男がどれだけいて、それのせいで被害を受けた人がどれだけいるか。
医者もなんなんだ?自分じゃどうにもできないならできる医者紹介でもしろよ
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トミカネ
@marumaruspring
男性の性欲や加害欲が軽視されているせいで、実際に性欲の強さで苦しんでいる男性が医者にかかっても「若くて元気な証拠」と笑ってあしらわれてしまっている現状、本当になんとかしないとまずいよ
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@midorimushi365
もし、どうすればよかったか?と聞かれたら
「見に行かなければよかった」と、答えるし
監督にそう聞かれたら、
「あんな映画作らなければよかったし、もし作っちゃったのなら公開しなければよかったのに」と答えると思う。
以下、その理由
そもそも現在、ホームムービーを撮りますとか、映像の勉強のためとかで回した素材を編集してドキュメンタリー作品にするという手法はありなのか?という問題
作者の両親や姉はそのことを理解したうえで許諾していたの?
文書で許諾を得ていたの?
作品の後半でやたらと姉のピースサインがでてくるが(ラストシーンもピースサインかな)、姉はかわいい弟がホームビデオを撮ってくれていると思ってピースサインしているから切ない。
ドキュメンタリー作家として致命的なのは、作者は「記憶」と「記録」の違いについて理解していないこと、
納棺のシーンで、父親が論文を入れようとするところを、父親の異常な行動として「記録」している
父親は、自分と同じ医学研究を志していたという「記憶」の中の娘として送り出そうとしているんですよ、きっと
長い髪がきれいだったという「記憶」の中のお姉さんと見送るのなら、化学療法でぬけてしまった頭に帽子をかぶせるのではなくて
ロングのウィグでもかぶせてあげればよかったのに、そういうところ
「記憶」が偽で「記録」が真ではなく、また「記憶」が邪で「記録」が正ではない
作者は姉の異常なところばかり撮ろうとして、また異常な言動を引き出そうとしてインタビューについてもそうしたものしかしない、
しかし40年ちかく暮らしていたその生活の中身、楽しかったこと、幸福だった側面そうしたものはあったはずで、それが伝わってこない、
玄関に鍵が!とか騒ぐが、私宅監置とか座敷牢というのは、玄関の「外側」から鍵をかけるものです、
自分が「カリフォルニアから来た娘」であることの自覚がないのでは?
寄り添えていないから、見えているものにフォーカスできていない
退院後の部屋にカメラをかまえてずかずか入っていくのもいかがかとおもうが、その時ベッドのわきにあるごみ箱に注目できていない
あの位置にゴミ箱があるとき、自分だったら「薬の副作用などで吐き気があるのか」とか、まさかだがここで用を足しているのかとか考えますね、
統合失調症は大変な病気ではあるが、肺がんのステージ4というのはそれ以上に深刻な病気
ステージ4まで気づけなかったことに対する反省とか後悔とか何もないの?
お父さんの「失敗したとは思わない」とかいう言葉、これは重い、ある意味真理をついている
障害のある子どもをかかえる親にとって、健康に留意して子どもより長生きをして、子どもの葬式をだしてやるというのは一つの成功パターンですよ
作者には理解できないことかもしれませんが、
精神科の長期入院は悪いということになっていて、医療関係者などは
「短期入院で退院して、またなにかあったらそのときに入院して治療すればいいのです」などと言う
なにかあったら、の中身については触れない
深夜にマンションの隣の部屋のドアを、ダンベルで何度もたたく(本当にあった)
近所のスーパーに行って、幼稚園児を蹴りケガをさせた(これもあった)
家族とケンカをするたびに、110や119に通報する(これもよくある)
地域住民が精神疾患に対する理解がないから受け入れてもらえないと言われるけれど
日本の精神医療はライシャワー事件で大きく変わったと言われるが、どうなの?
「疾患」であるなら治療すべきだし、「障害」であるなら直すことより抱えていても、より幸福に生きていける道をさぐるべきだし
であるのに、「異常」な姉を見世物にするようなやりかたで作品を公開するのはいかがかと
実際には、精神病院での監禁は増えているのに、 どうしてこう医療に繋げれば大丈夫だという安易な決め付けが後を絶たないのか
病院で拘束されるくらいなら、家に監禁される方がまだマシだと思うが。
https://www.psy-jinken-osaka.org/archives/saishin/6037/
精神科病院における身体拘束は、精神保健福祉資料によれば2017年では12 ,528人とされ、
10年前(2007年)の6,786人と比較して約2倍となり、その数は増え続け、身体拘束に
よって生命が奪われる事件の報道もなされています。身体拘束は、「生命」・「個人の尊厳」にかかわる
問題です。大阪精神医療人権センターでは、身体拘束がそもそも「治療」といえるのか、身体拘束に
言いたいことは理解しているのだが、自分の懸念は現代の障害概念から逸脱してないか?ということを気にしてる。
そもそも現代における障害はICFに基づくと個人因子と環境因子の2つが生活機能の障害を引き起こしているときに初めて「障害」と認められるわけで、生まれがらの環境とは独立した「障害者」というのは存在しない。そして、生活機能の障害がある/ないは、よほど生活が破滅していない限り基本的には当事者の視点から考えると理解している。本人が生活に支障をきたしているから、その障害の解消のために診断がつけられ、適切な治療や配慮がなされる。
それが今回のようなケースでの障害の推定は、は非当事者の苦しみを説明する「障害物」そのものとして当事者を扱ってるわけで、それは精神医療が目的とするところの診断とは相当異なるのではないだろうか、と危惧する。
具体例を探すために役立つといっても、ASDはスペクトラムな概念なので元増田の彼氏とは異なるタイプのASD当事者もたくさんいるし、ミスリードを招く恐れもある。
追記: 要約
追記2: じゃあどうすればよいのか?という方向で再考してみた。
https://anond.hatelabo.jp/20241223082309
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https://anond.hatelabo.jp/20241221204350
上の増田を読んでめちゃくちゃモヤモヤしてしまった。俺は色々あってASDの子を育てたり職場でASD/ADHDの若者の相手したりメンタルを病んだ家族をケアしたりしているのだが、増田は色々誤認したり、あまりよくない方向性に向かおうとしたりしているように感じる。以下、俺がモヤモヤしていること3選を書く。
この増田の友達もそうだが、困り事が明らかにASD(自閉スペクトラム症)だったり他の障害の特性なのに雑にADHDに括ろうとする人が最近多い。「ADHD」という名前だけ知っていて、その内容を知らずにいるのは単なるレッテル貼りにしかならないので非常にもやる。
以下の解説記事にもあるように、本来ASDとADHDは異なる特性や障害パターンを持っている。増田のような「空気が読めない」「相手がどう考えているかが分からない」という主張はどちらかといえばASDにあてはまる。
https://h-navi.jp/column/article/167
ADHDは薬の服用によって生活が改善されやすいが、ASDに対しては同様の薬物療法はない。当事者に対する周囲の働きかけ方や配慮も異なってくる。なので、混同するのは危険がある。
実はASDとADHDは併発していることも多いので、ASD当事者がADHDに悩むこともあるし、その逆もある。こうした混同が起こる背景には、かっての精神医療の診断基準ではASDとADHDのどちらかの診断がおりたら片方の診断がつけられなかったこともあるらしい。ただ、必ず併発するわけでもないし、上に書いたように対処法にも違いがあるので混同すべきではない。
俺は大学で働いているので日常的に学生と接している機会が多いのだが、診断をもらって告知してくれている学生の対応は正直あんまり困らない。今は合理的配慮などの兼ね合いもあって障害に対応する支援制度や連携の仕組みがいろいろあるので、障害があることが分かればできることも多い。
困るのは側から見て明らかにASDの特性があるのに気がついていないか、うすうす気づいていても自分の頑張りだけで対処しようとするケース。そうなるとこちらからは障害があると断定できないので、使える対処法が限られてくる。例えばASD当事者の中には音声から得る情報の理解が難しい場合があるので、その際は当事者の配慮願いを通じて教員の話していることをノートテイキングしてくれる支援者を配置することができる。クローズドであると、そういう配慮によって学生の障害を無くしていく手段が取れない。「単に授業を聞いてなくて成績の低い学生」扱いされる。かと言って、「君は障害があるようだから病院行って診断もらってきなさい」と言うのはできない。そうこうして行くうちに学校に行かなくなってドロップアウトしていく。そう言う学生を何人も見てきた。
そう言う実務上のことはさておき。何より、1人で抱え込んで苦しみ続ける当事者を見ているのは、こちらが辛い。みんな深刻な顔をして「すみません……頑張ります……もっと人のことを考えます」と言うのだけど、こっちからしたら「もうこれ以上頑張らなくていいから、専門家と連携して生きやすい環境作ってこ!」と言いたい。
ASDの診断がおりたとして、そのことを受け入れられないこともあるだろうし、診断を受けることに抵抗感があるのは理解できる。それに、増田はもう社会人なのもあり、現在のASD当事者の就労環境の状況を鑑みるとだいぶ支援体制も厳しさも違うと思う。
だけど、少なくとも言えることは、俺がもし増田の同僚や上司だったら、増田の困り事がどう言うもので、何が原因となっていて、どう配慮すれば良いのかを知りたいし、その方が助かる。診断を受けることは決して努力を放棄することではない。自分が何を苦手としていて、どんな助けを必要とするかを周囲に伝えるのも立派な努力だと思う。
この増田は人の気持ちが分からない、空気が読めないことを克服したいと考えている。それが問題だと捉えている。だが、正直俺からしたらもっと深刻な問題は増田がなまじ頑張れてしまっていることだと思う。
普通の人が頑張らなくてもできることを年がら年中頑張ってエミュレートして仕事をするのはとても疲れる。それは一時的に問題を解決しても、到底持続することはできない。
これは子供の発達支援界隈でよく言われているらしいが、ASDの子供が療育を通じて保育園や幼稚園の生活を円滑に送れるようになった時が一番危険だと思われているようだ。というのも、表面的には子供が「普通」になったようにみえ、周囲に馴染めていても、本人の内面は変わっていないので、常に気を張り続けていて普通になろうと頑張ってしまう。すると非常に高いストレスが体を蝕み、ある日登園しようとしても気持ち悪くなっていけなくなってしまうことが起きる。
発達障害の本当の問題は、鬱など他の精神障害を引き起こすリスクが跳ね上がることだ。 「重ね着症候群」と呼ばれることもあるが、一見、本人の頑張りで障害が克服されているように見えても、それはむしろ二次障害のリスクが高まっているという点でより事態が深刻になっているかもしれない。
これを書くと余計長くなるが、ASDのコミュニケーション障害は、ASDの考え方や感じ方がマイノリティな形をしており、周囲の人間とミスマッチを起こしていることが原因である。ミスマッチが原因なのだから、俺にとっては、本来ASDだけが頑張らなきゃいけない謂れはないんじゃないかと思う。
増田の努力は素晴らしいし、尊重されるべきなんだが、鬱で生活がままならなくなるよりかは、開き直って周りに迷惑をかけてしまった方がいいんじゃないかと思ってしまう。そうして、本来コミュニケーションとはままならないもので、それぞれの人の多様な考え方があるんだと言うことを気づかせていったほうが、結果的には社会のためになるんじゃなかろうか。
これは当事者のそばにいるものの傲慢な意見でしかなくて、増田の気持ちに寄り添えていないのかもしれないけど。少なくとも俺は増田がもっとありのままでいられる生き方をしてくれたらと思う。少なくとも増田が恐れているような人間ではない、増田なりに人の気持ちを考えている人だと俺は思うぜ。