
はてなキーワード:粘菌とは
あるが?
https://www.ryukoku.ac.jp/nc/news/entry-8694.html
https://www.muji.net/lab/living/141008.html
https://qz.com/1116991/a-biologist-believes-that-trees-speak-a-language-we-can-learn
http://www.saitama-u.ac.jp/topics_archives/2018-0904-1014-19.html
かつて『魚は何も感じないので魚釣りは罪のないレクレーション』と言われていたことをご存知じ?(もちろん実際は魚は考えるし感じる)
『感じる』『判断する』というのはそんな単純な事象じゃねーから。粘菌やメガウイルスをご存知じ?
環境のことを考えても肉食を減らし代替食を得ていく試みは広がった方が良いと思うし、
ストレスのない肉の方が美味しいし人間の健康にいいのでアニマルウェルフェア(Animal Welfare)はしっかり根付いた方がいいが、
大学時代、花屋にドライアイスを売るバイトをしていた時、支払いで渡されたお札が知らない男が描かれた5千円札だった。当時の5千円札の新渡戸稲造とは違いメガネをかけていない男性の絵だったので「これオモチャですよね?」と尋ねたところ、花屋の主人に「ナンポゥクマグスも知らんのか?」と言われた。何を言ってるのか分からなかったのでとりあえず受け取りを拒否し、その日はツケにして店を去った。
家に帰ったあとナンポゥクマグスについてパソコンで調べたところ、南方熊楠という実在する偉人の名前が出てきた。花屋の主人の話は一定の信憑性があるらしい。しかも南方熊楠は粘菌の研究で有名な人だという。花屋と粘菌、点と点が繋がった。
次の日朝イチで例の花屋に行き「昨日のあれ、南方熊楠ですよね?」と店の主人に言うと「は?」と怪訝な顔をされ、昨日の事について話をしても全然話が通じない。ひょっとして南方熊楠に関するすべてのことが嘘だったんじゃないかと不安になり、家に帰ってネットで南方熊楠について再度調べると、南方熊楠のWikipediaのページが昨日と同様に残っていた。花屋の主人にWikipediaのページを消されるのではと一時は不安に思っていたが、南方熊楠は純然たる事実として10年経った今も残ってる。
現在の科学的な知見でいえば、植物は痛覚を感じていない。だからヴィーガンは植物の権利は擁護しない、というか植物に権利を見出していない。
えっ???????????????????????????????????????????????????????????
http://www.saitama-u.ac.jp/topics_archives/2018-0904-1014-19.html
『魚は何も感じないので魚釣りは罪のないレクレーション』と言われていたことをご存知じ?(もちろん実際は魚は考えるし感じる)
『感じる』『判断する』というのはそんな単純な事象じゃねーから。粘菌やメガウイルスをご存知じ?
環境のことを考えても肉食を減らし代替食を得ていく試みは広がった方が良いと思うし、
ストレスのない肉の方が美味しいし人間の健康にいいのでアニマルウェルフェア(Animal Welfare)はしっかり根付いた方がいいが、
40ページで絵本なので、芽久先生の本と比べたら物足りないかな?という印象を受けると思いますが、意外と読み応えがありますよ。
作者の舘野鴻さんは学者先生ではありませんが、科学する心を存分に発揮されています。
地学分野もということでしたが、これから出るラインナップでは、
8月号『石は元素の案内人』、9月号『星と人間』などがありますね。
月刊誌なのでバックナンバーは品切れのものが多いですが、図書館に行けば置いてあるところもあります。
「たくさんのふしぎ傑作集」として、上製本で出されているものもあります。
『ブラックホールって なんだろう?』
『空があるから』
『地球の中に、潜っていくと…』
『月へ行きたい』
生物なら、
『食べられて生きる草の話』
『まちぼうけの生態学』『おいかけっこの生態学』『すれちがいの生態学』
などがあります。
さ・え・ら書房から出ている『わたしの〇〇研究』も地味ながらおすすめです。
など、面白かったですよ。
子供向けではない書籍なら『海獣学者、クジラを解剖する。』はどうでしょう。
ちょっとお子さんには難しいですが、東海大学出版部から出ている「フィールドの生物学」シリーズもいいです。
ブコメでも紹介されているウルド先生の『孤独なバッタが群れるとき :サバクトビバッタの相変異と大発生』もありますし。
研究内容を読み解けるのはまだまだ先でしょうが、途中のコラムだけでもなかなか面白いですよ。
→哲学とかそういう話ではなくて、自由意志が存在しない、身体や環境的文脈から完全に独立した脳機能は皆無なのは、"単なる科学的常識" なので、賢い振りをしたいのならお気持ちや宗教を前面に出さずに、真摯に現実に向き合ってどうぞ
→ ただし、量子力学の世界観においては、それまで物理学の基本的な前提と考えられてきた、実在性・局所性・因果性という概念が破綻する可能性があるので、コンウェイの自由意志の証明の方面から自由意志を語りたいならご自由にどうぞ
→ ついでに言語を持たずともなんなら脳すら持たずとも粘菌類もそのほかの生き物も高度な処理演算ができる。さらに言えば生命と非生命(無機物等)に違いはなく本質的には同じものだし、死すら現代科学は定義出来ていない(臨床上の死は設けられているがそれすら近年覆されている)。分子のレベルから生物という現象を見つめるのは楽しいかもしれない。ちなみに過去の増田と現在の増田は物理的に連続していない別人だがお気持ちで同一人物と称している
↑ 上記の文章を理解するのにどこか専門的な知識が必要となる箇所はありましたか?
古典物理学視点というか現在の科学レベルでは 『自由意志は気のせい』が誠実な答えなのは疑念をはさむ余地がないと思うのですが、
たったこれだけの日本語も理解できないのだから文章力どうたら地頭がどうたら以前の問題だと思いますよ
anond:20211207104426 anond:20211014160107 anond:20211016172711
そもそも粘菌は水が低きに流れるごとく刺激に対して反応してるだけであって、その結果について人間が記号論的に解釈してるだけなんだよね。
見做し方次第で演算ができるというなら、そろばんすら知性があることになっちゃうもんね。
粘菌は刺激に逆らわず動いてるだけでそこに粘菌は思考してるんだ判断してるんだという想定を挟むのは飛躍だし、判断してるのはそれを演算結果として解釈し直してる人間なんだよね。
おまんこしたいという考えには言葉も不要かもしれないが、プライベートと研究をごっちゃにしてるって相当だよな。
相対性理論の研究には言葉(及び数式)が必須だろうし、言葉がなかったらかりに1人の頭の中で理論が大成してもその理論をチームで共有して人工衛星などに応用したりすることはできなかっただろう。
全ては写経から始まるなんて言っちゃってるけどそれなら人類には無文字時代も言語自体無い時代もあったわけで、その過渡期では写経(復唱)自体が不可能だったはずだけど、ここらへんのことはどう説明するわけ?そもそも誰もが写経してもいわゆる守破離の破や離に至るわけじゃないはずで、この文脈での人によっては知能とか賢さとも呼ばれ得るものは、そのことを逆に考えることで先天的な才能(優位性)の一つとして想定されるものに過ぎないのだけれど、それと「知能は多面的で一面からジャッジできない」ってことは関係ないよね。俺は文章を作ることに対する先天的な優位性(写経による伸び代、と言い替えてもいい)を持ってる奴が賢いと言いたいわけじゃないよ。ただそういう優位性というものが人々の間に有って、俺にはそういう優位性はないと思うから努力することを放棄したいというだけ。
多かれ少なかれそういう優位性を持つ人が文学の歯車を回してきたんだと思うよ。誰にもそういうのがなくただ写経などを行っているだけだったら、どんなに時代が進んでも延々と同じような文章が作られ続けていただけだったろうね。
むしろ知的コンプレックスなのは同じツリーに数か月単位で居座って妙にレイアウト凝らせて長文書き散らしてるお前だよ。
どうにも知性を相対化することで自分は人より劣ってないと思わせたい節があるようにみえる。まあちょっと真似してみるか。
twe********さん
2019/6/2723:47
迷路の最短経路の形態をとれる粘菌に知性はあると言えそうですが、「心」もあると言えるでしょうか?
ゆえない
モジホコリという菌の一種は判断力や記憶力、学習能力も有しているようですが、「クオリア」もあると思いますか?
ない
単細胞生物にも知性があるということは、知性が必ずしも脳に依存したものでは無いと言えそうです。
ゆえない
だとしたら進化は必ずしも結果というだけではなく目的因もあることになりませんか?
なるわけない(・o・)
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14209757759