
はてなキーワード:節操とは
新しいものから節操なく一つのところに表示する仕組みなくせばいいのにね
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今自民につくと損だからと節操なし。「政策違うからやらない」と「やるから政策変えろ」の区別つかない盆暗が多いが。なお立国は4月に政策合意済みで、なかったことにするのは高市と同レベル。政治は妥協・調整だぞ
立民が野田指名ならウヨ達は「立民は自民から政権を奪う気がない!玉木を首相に指名すべき!」と喚いたことは火を見るより明らか / なお基本政策は立国で合意済み
立憲は野党をまとめる気がない・政権とる気がないと攻撃した連中見事なダブスタ / 公明も原発新増設認めず / なお基本政策は合意済 ごねる民民が卑怯で愚劣・惰弱なだけ
でも立憲と民民は今年基本政策では合意してるんで基本政策ではない「178万円」を通すってのを飲んでもらってるだけでも十分なんだよね
この3つのグループ(連合・立憲民主党・国民民主党)が話し合ったことは、「国のあり方」について、「こういう方向がいいね」という考え方の話であって、じっさいに何をするか(具体的な政策)を決めたわけではありません。
今は、ユーチューブやSNSなどを通して、小さなおともだちでも政治に関心を持つ人がふえています。
それはとてもすばらしいことです。
でも、ネットの中には、まちがっていたり、わかりにくかったりするお話もあります。
だからこそ、まずは学校でのお勉強をたいせつにして、社会のしくみやニュースの読み方をしっかり身につけていきましょう。
連合・立憲・国民は基本政策の合意文書がある!ではなぜ立国は連立政権を組めないの?|Utoka
憲法改正は「国会における論議には積極的に参加」と具体論を盛らず、エネルギー政策では「原発」との文言を避けながら「低廉で安定かつ低炭素なエネルギーシステムを確立する」との表現にとどめた。
「あの合意文書は確かに連合を介してできているが、肝心の平和安全法制について違憲かどうかとか、原子力発電所を動かすかどうかについて大事なところは、合意しないということを合意している。だから、今私が求めているものとはレベルが違う」と述べ、政権を共にする場合は、さらに国民民主党の主張に沿った政策合意が必要だとの認識を示した。
【速報】国民・玉木代表 石破政権下での物価高対策も排除せず 早期実行訴える 立憲との連携には安保政策の一致を要求|FNNプライムオンライン
taitoku 組めない政党と基本政策を合意する国政政党があるらしい。連合に面と向かって言ってきなよ。
quick_past さすが風見鶏。既にお互い政策の路線にほぼ合意していたことすら、忘れていらっしゃるか?
grdgs 基本政策は合意済 榛葉は自分の選挙で立憲に協力させ裏切る卑怯者。政策本位なら関係ない部分の違いは飲み込んで動くのが政治。民民はガバナンスなく、政策よりパフォーマンスの党
rainbowviolin半年前に立民と合意してたよね。参院選前に山尾志桜里立てた時も、すぐに手のひら返してたな。玉木TACOり過ぎでは?
mame_3 立憲・国民・連合の基本政策の合意というのがあったはずだが。連合とも手を切って自民と組むと腹を決めたのだろうか?
nP8Fhx3T参院選前に基本政策で合意してんのに何言ってんの?政党間の合意を反故にするって事?こいつのどこが一貫してんだよ。
erererererr野田に「でもおたく、うちと基本政策で合意したじゃん」で論破されてるのにまだ言うの本当に哀れだなwブレてないとかいう擁護アホすぎるでしょw 正直に「今は総理大臣やりたくない」とはっきり言えばいい
[B! 国民民主党] 【速報】首相指名、立民と組めないと国民・玉木代表
これは酷い……
soramimi_cake アホみたいな言い訳してるけど、それだと連合・立民・民民(特に、今になってあの合意は政権政策を含まないとか言い出してる民民)は参院選で有権者・支持者を欺いたことになるんだが?
意味不明なので、朝日新聞の報道でも政権運営にまで踏み込めるような合意とは全く見なされていないことを踏まえて、意味が通るよう具体的に根拠を述べてください
「両党には憲法や原発政策などで隔たりがあり、玉虫色の合意となった。立憲は連合を後ろ盾に、夏の参院選の候補者調整を進めたい考えだが、支持率が好調な国民民主は積極擁立の構えを崩していない」
「現行の安保法制については、立憲主義および憲法の平和主義に基づき、違憲部分を廃止」
「あらゆる政策資源を投入して、原子力エネルギーに依存しない原発ゼロ社会を一日も早く実現」
としており、安保やエネルギー政策で大きな隔たりがある党と政権を共にできないという国民民主党のスタンスは「今になって」ではなく1年前から一貫しています
サヨクがフェミがって言ってるけど、その2つを分けて欲しいです。私はフェミだし右翼か左翼かといえば左の方だけど、一部サヨクの男性のしつこさと節操のなさは普通の人口よりも偏りがすごいと思っている。左翼思想に興味があるからといって左翼のおじさんと食事したいわけじゃないんですよてか結婚してるしと何度言ってもいや食事だけだし色々話しましょうよみたいな感じでしつこいし「結婚」という制度をどうでもいいと思っていて、むしろ不倫とかしまくりだし大学で教えてる左翼男性がゼミの女子学生を無理やりとかいう話も実は関係者から聞くこと結構あるんですよ。
同意を同意と認識できず、結婚などの制度をバカにしている左翼男性は誰にとっても害悪でしかない。大学教員も若いのを含めて結構いる。フェミと左翼って一緒にするのホントやめてほしいですよ
現代のネットでは「2000年代の個人サイト時代、同人サイトは2ちゃんねるの男オタクに荒らされまくった」という話がよく語られる。でも、当時を知る者として、その記憶には少し違和感がある。
確かにVIPPERが同人サイトへ突撃したりブログを炎上させた事件はあった。しかし、当時無数に存在した、一日数十PVしかないような弱小同人サイトを荒らしていたのは、本当に外部の男オタクだったんだろうか?むしろ、もっと根深い「内部抗争」が原因だった。当時のネットの構造から、そう結論付けられる理由を説明したい。
まず前提として、2000年代初頭の個人サイト文化、特にジオシティーズに代表される世界は、現代のSNSとは全く違う。
発見が極めて困難:Google検索は今ほど万能ではなく、サイトのURLもランダムな文字列に近い。アルゴリズムによる「おすすめ」なんて存在しない。
孤立した文化圏:サイトを見つけるには、特定のジャンルに特化した「リンクサイト」や、サイト同士で張り合っていた「リンク集」をたどるしかなかった。つまり、そのジャンルに詳しい人間しか、そもそもサイトにたどり着けなかった。
この環境は、外部の人間(例えば、なんとなくやってきた2ちゃんねらー)に対しては、事実上「不可視」だった。しかし、同じジャンルを愛好し、アクセス方法を知っているファン同士にとっては、お互いの存在は筒抜けだった。この構造が「蛇の道は蛇」――つまり、荒らしは内部の人間だった、という仮説の土台になる。
世間で言われる「2ちゃんねらーによる襲撃」は、その性質が弱小サイト荒らしとは根本的に異なる。
目的は「祭り」:彼らの「突撃」は、大企業や有名人など、話題性の高い相手を標的にした「お祭り」だった。参加者が一体感を楽しむためのパフォーマンスであり、誰も知らない個人サイトを叩いても、彼らにとっては何の面白みもない。
女性オタクは一方的に弱くなかった:歴史的な事実として、VIP板がやおい板(801板)に戦争を仕掛け、返り討ちにあった事件がある。801板の住人たちは、暴力的な言葉ではなく、VIPPERを題材にしたBL妄想を即興で展開するという「文化的な攻撃」で相手を混乱させ、降伏させた。これは、彼女たちが独自の結束力と強さを持っていた証拠だ。
VIP板が女性向けまとめブログを攻撃した事例(第一次ブログ連戦争)もあったが、これも標的は「ある程度有名なサイト」だった。無名の個人サイトを狙う動機が、彼らにはない。
では、誰が荒らしたのか? 答えは、同じジャンル内にいた、解釈違いのファンたちだ。
当時の同人界隈では、「カップリング論争」が今よりもずっと先鋭化していた。
固定 vs リバ:キャラの攻め受けが固定か、リバーシブルか。
これらは単なる好みの違いではなく、自分の信じる「正史」を揺るがす「異端」との戦いだった。自分の解釈と違うサイトは、コミュニティの秩序を乱す悪であり、それを攻撃することは浄化として正当化され得た。
1. 同じジャンルのファンだから、専門用語で検索して同人サイトを見つけられる。
3. どのサイトがどんなカップリングを扱っているか、詳細に把握している。
4. そして、そのカップリングがなぜ自分たちの思想にとって「許せない」ものなのかを理解している。
外部の人間には到底不可能な、極めて精密なターゲティングができるのは、内部の人間だけ。「蛇の道は蛇」とは、まさにこのことだ。
結論として、2000年代のネットには二種類のハラスメントが共存していた。
1.外部からの襲撃:2ちゃんねらーによる、有名サイトを狙った派手な「祭り」。
2.内部のハラスメント:同ジャンルのファンによる、解釈違いを理由とした陰湿な個人攻撃。
日常的に多くのサイト運営者を苦しめていたのは、後者だった可能性が極めて高い。
では、なぜ現代では「犯人は2ちゃんねらー」という話ばかりが残ったのか? それは、歴史が単純化された結果だろう。「外部の敵」という構図は分かりやすく、劇的で記憶に残りやすい。一方で、ファン同士の醜い内ゲバは複雑で、語りにくい。
そして決定的なのが、ジオシティーズの閉鎖によって、一次資料である無数の個人サイトが永遠に失われてしまったことだ。証拠が消え去った今、よりキャッチーな物語だけが生き残り、史実とは異なる認識が広まってしまった。
更に言えば、今現在SNSなどで繋がっている相手が当時の対立相手だった可能性が捨てきれないので、この内ゲバの記憶を封印し、残った2ちゃんねらーの突撃の記憶だけを語るようになった。
この事実は当時の801板の過去ログdatでも確認できて、自分の同人サイトが荒らされている理由として男性やVIPPERなどという言葉は出てきておらず、犯人として別カプや他ジャンルの名前を挙げている書き込みが殆どであることから伺える。
この記事はGoogle Gemini 2.5 ProDeep Search(課金版)で作成されました。
どうやらGeminiは「なんでB×Aなんて描いてるの?気持ち悪い。原作読めばA×Bが公式だってわかるでしょ。サイト閉鎖しろ。」とか「ここは私のサイトです。どのカップリングを描こうと私の自由です。このような書き込みは今後削除します。」とか「最近、他サイト様の日記で名指しはされていないものの、明らかにうちのことを指していると思われる批判を見かけました。『節操がない』『キャラへの愛がない』といった言葉は、とても悲しいです。」のようなやり取りもURLと共にそのデータベースへ保有している模様。
夜に散歩に行っている。近所で見つけた子猫の様子を見るために、日付が変わるのを待つ。
数ブロック先には警察署、職質されたときの受け答えのシミュレーションをしながらしゃがむ。はい、ネコが好きなんですよ、あ、身分証明書ってマイナでいいですか?
やっと指であやせるようになったけど、擦り付いてくるまではもう少しかかりそうだ。
家に居たくないからってだけの理由で探した、1つ隣の駅の近くの、初めて行った銭湯。
茶褐色の縞々の、「野良猫の柄といえば?」で半分くらいの人が想像しそうな、痩せたメス。大体の野良猫は手ぶらの人間に全く興味がないから、一瞥して路地裏に駆けて行った。いいお湯のおかげで気分も悪くなかったし、何となくその日以降は手前の駅から帰ることに決めた。
子猫を見つけたのは二十日ほど前、会社帰りの夜道の街灯の下で跳ねている影の正体を確かめに行って見つけた。銭湯帰りのときのメスが3匹、率いている。子猫はコピーしたみたいに皆そっくりな模様で、明らかにこの猫から産まれた子みたいだ。しっぽの長さくらいしか個体差がない。長、中、くしゃくしゃ。月齢で言ったら3ヶ月は行っていない。5m手前くらいまで寄ったらてんでんばらばら逃げていく。
盆休みを挟みつつ、ここ数日で親離れしたようで、今は子猫だけが夕方になると空き家の庭先に固まっている。目の前の家に住む餌やり住人曰く、子が母猫に近寄るとビンタされるようになったらしい。これからはごはんを奪い合う関係なのは、自然の摂理とはいえ、人間でいったら小学生くらいの年齢だから厳しいものがある。
自分はここ数年、諸般の事情で野良猫を触らないようにしてきた。
でも、それとは別の事情で、家には(成猫用だけど)ちょっといいキャットフード、洗ったばかりのトイレ、未使用のおもちゃが揃っている。ネコ科のための部屋にどうしてか人間だけが収まっている、無気力な動物園の展示室みたいな暮らしをしてる。
親から拒否された子猫は心細いのか退屈なのか警戒心が少し薄れて、不審者No.いくつから顔馴染みに昇格した自分を見ながら、にょろにょろ道路脇に転がったりする。
エゴだけど、半端に人慣れすることは、よからぬ目的で捕獲する輩の被害に遭うことになりかねないから、人間には近寄らないか、ここぞという人にしがみついて家に上がり込むかのどっちかにしてほしい。
今夜もこれからまた子猫に会いにいく。昼間は暑くて出てこないのと、車通りが多いから電車が終わったあたりに行っている。
どうやら長いしっぽの1匹が消えたらしくて、ここから先に自分が踏み込むべきなのか迷う。
既に何かしら病気を持っているかもしれないし、虫とか食べてきただろうし、人間に比べたら長さも強さも儚い命のくせに残す爪痕は大きいし、それに、子猫もまだ、このニンゲンはちょっと怖いと言っている。
でも一緒に暮らしたら何だかんだで仲良くなれて、妙ないたずらで笑える気もしている。
暇な神様だか諜報機関にでも目をつけられてるみたいで、ずいぶん猫に出くわす人生だ。四十九日も済んでいないのにもう新しい子猫攫いに悩むなんて、しかも複数。さすがに節操が無いと友達は呆れて笑うだろうか。光源氏の気持ちだから、散歩から帰ったあとは夢枕で、ご指導賜りたく。
Webメディアやアドテクノロジーに携わる身として、Yahoo!ニュースに導入された「全画面広告」には大きな衝撃を受けた。
これまで広告掲載に慎重な姿勢を貫いてきたYahoo!が、ついにこの一線を越えたのである。私は、Yahoo!がこれで引き返せない"修羅の道"に足を踏み入れたのではないかと考えている。
これまでに複数のWebメディアにて、マネタイズ、編集、ディレクション業務などに従事してきた。「やれることはなんでもやる」をモットーに、コンテンツ編集からGoogleAd Managerの設定まで幅広く手がけている。こうした複合的な業務経験を持つ人材は、業界でも珍しいだろう。Yahoo!ニュースには記事提供元としても関わってきた経験がある。
Yahoo!ニュースで導入された「全画面広告」とは、インタースティシャル広告やインステとも呼ばれる広告形式である。記事を読もうとしてページを遷移すると、画面全体に大きく表示される広告のことだ。現在はPCでのみ実装されており、スマートフォンでは確認していない。
この全画面広告は、現在パブリッシャー(媒体運営社)にとって目を背けることのできない重要な収益源となっている。数年前にGoogleが全画面広告の導入を推奨して以来、媒体社は恐る恐るながらも導入し、通常の広告枠よりも高い収益性を実感してきた。
その収益性の高さには明確な理由がある。第一に、画面を大きく占有するため視認性が極めて高い。第二に、クリック率が高い。これには閉じるボタンの誤タップも含まれるが、それでも数値として結果が出ているのが現実だ。
Googleはその後、発展型とも言える「オファーウォール」もプッシュしている。これは全画面広告に加えて「コンテンツを見たければ15秒間広告を視聴してください」という仕組みである。この手法も圧倒的にシェアを拡大している。媒体社にとって、ユーザーエクスペリエンスの悪化は承知の上だが、収益性の高さを無視することはできない現実がある。
重要なのは、全画面広告の収益性の高さに比例して、通常のディスプレイ広告における収益性が年々低下し続けている点である。歯止めがきかない状態と言ってよい。
従来、1枠あたりのCPMが下がった場合、媒体社は「広告枠数を増やす」「広告サイズを大きくする」「ヘッダービディングなどでより多くの入札者を接続し、収益機会を拡大する」といった対策を講じてきた。純広告は頻繁に獲得できるものではなく、一時期話題となったクッキー規制対応の確定ID活用なども、状況の変化により現在は下火になっている。
そうした中で、全画面広告は「最後の砦」なのである。これ以上大きいサイズの広告は基本的に表示できない。ユーザー体験は悪化するものの、媒体社には「10年前に嫌がられていた下部オーバレイ広告も、今では市民権を獲得している」という実体験がある。つまり、「批判されても継続すれば、やがてユーザーは慣れる」という考えが根底にある。
事実として、国内のニュースメディアのほとんどで、オーバレイ広告も全画面広告も導入されている。
しかし、Yahoo!ニュースが導入に踏み切った意味は、他の媒体とは根本的に異なる。
Yahoo!ニュースはこれまで、圧倒的なページビュー数を誇りながらも、広告を増やすことに一貫して慎重な姿勢を崩さなかった。記事中広告は掲載せず、オーバレイ広告も一定の位置までスクロールしないと表示されないなど、他社ポータルサイトよりも明らかに意図的なブレーキをかけていた。
そのYahoo!ニュースが、PCのみとはいえ全画面広告を導入したのである。
この背景には、いくつかの要因が考えられる。
まず、収益性向上への切実な必要性である。広告市場の競争激化により、従来手法では十分な収益確保が困難になっている可能性がある。
次に、コンテンツ戦略との関係である。「1記事100円程度の価値しかないコンテンツは誰も購入しない」という現実がある。SNS発のいわゆる「こたつ記事」に対してヤフーコメントで「こんな記事でよいのか」という批判が集まることもあるが、結局こうした記事が最も読まれている。媒体社も掲載を減らさず、Yahoo!側も実質的な規制をかけていない。「どうせこの程度の記事なら、全画面広告で収益化してしまおう」という開き直りがあるのかもしれない。
さらに、Yahoo!広告としての事業判断も影響していると推測される。Yahoo!の全画面広告パフォーマンス(クリック率など)は非常に優秀で、アイモバイル、GMOなどのSSP(サプライサイドプラットフォーム)を介した媒体社への導入がここ数年で急激に増加していた。今年に入って条件をさらに緩和し、プッシュしている状況もある。「自社商品が他社で収益を生んでいるのだから、自分たちの媒体で活用しない手はない」という社内での議論があったと想像される。
これらは推測に過ぎないが、的外れではないだろう。Yahoo!の言い分としては「ユーザーシェアの多いスマートフォンでは表示していない」「ユーザーあたりの表示回数はコントロールしている」「品質の低い広告クリエイティブは除外している」といった反論が出てくるはずだ。つまり、ユーザーと事業者双方の妥協点を探っているということである。
また、GoogleにもYahoo!にも、プラットフォーマーとしてのジレンマがある。広告事業とメディア事業を両方手がけている以上、自社メディアは自社広告商品の格好の実験場でもある。
象徴的な出来事として、今年初めにGoogleのあるチームが媒体社に対して「広告が占めるスペースが多すぎるため、ペナルティを課す」という強気の警告を出した。しかし並行して、全画面広告やスマートフォン画面の50%近くを占有する「折りたたみ式オーバレイ」の導入を推奨するなど、非常に困惑するダブルスタンダード状態となった。
Yahoo!の場合、全画面広告のパフォーマンスの良さが他媒体での実績として明確に示されている以上、「自社だけ導入しない」という判断は社内政治として成立しなかったのだろう。Yahoo!ニュースこそが、日本屈指の広告媒体なのだから。
しかし、ここ数年の他媒体の状況を見れば明らかなように、全画面広告を一度導入してしまうと、それを停止するのは非常に困難である。目に見えて収益性が向上するため、その売上を失ってまでユーザー側に歩み寄るのは現実的ではない、という意見が必ず出てくる。
週刊誌のウェブサイトやデイリースポーツなどを見れば、全画面広告に限らず「広告を適切に間引く」ことがいかに困難かが理解できる。もはやコンテンツが見えない状態になっている媒体も少なくない。権威あるメディア、例えばNumberWebのようなサイトでも、全画面広告は欠かせない収益源となっている。
これはまさに、引き返せない修羅の道である。一度この道に足を踏み入れると、ユーザビリティが最優先される世界ではなく、「広告をいかにユーザーに馴染ませ、表示頻度を調整するか」という発想が支配的になる。
個人的には、スマートフォンでもYahoo!ニュースに全画面広告が表示される日は、そう遠くないと感じている。
無料でユーザーが閲覧できるWebメディアの運営を成立させるには、広告やアドテクノロジーが必要不可欠であることは紛れもない事実である。しかし、収益追求の果てにある「節操のなさ」は、もはや天井知らずの状況に近づいているのかもしれない。
Yahoo!ニュースの全画面広告導入は、単なる一企業の戦略変更ではない。日本最大級のニュースプラットフォームによる「ユーザー体験よりも収益性を優先する」という明確な意思表示なのである。この選択が業界全体に与える影響を、我々は注意深く見守る必要がある。
自戒の念も込めて、この現状に一石を投じたい。
エヴァはあってもガンダムは無い。過去にあったのはあくまでもMBSのイベントでありあくまでも付属的な感じ?対岸の万博でパビリオンだしてる姿がクラスの隅で目立とうとするボッチみたいで泣ける😭ファンの体臭が臭いから断られてると思う。
➁遊戯王
ジャンプ作品は常にコラボしてくれるにも関わらず遊戯王だけは無い。これも断られてる理由はファンの体臭が臭いからだと思う。
③コナミ
海外だとサイレントヒルお化け屋敷あったので昨年リメイクに合わせて日本も来るかと思ったがやっぱり無い。多分過去にUSJのクソゲー作ったせいでファンの体臭が臭いからだと思う。
クレヨンしんちゃん(春日部)、サザエさん(世田谷)、こち亀(亀有)お前らはローカル臭が強すぎる。アンパンマンはミュージアム運営のためとイースト菌臭いからだと思われる。
⑤はてな
どっかで書かれてたけど青心社と講談社で固められててカドカワはハブられてるため
紅殻のパンドラはアニメだけが年表に載ってるという、ちょびっとだけ抜けのある漫画家としての士郎正宗をクローズアップした展示
清書原稿の前の鉛筆原稿が残されてて、何段階も下書きを経てかなり綺麗な形の原稿として作られてたり
ペン書き原稿にオノマトペを上から被せる形でクリア原稿が別になってたり
PC絵描き作業が出てくるずっと以前から手書きでレイヤーな描き方を成立させてるのが
作中プロパガンダ書き込みみたいのをオノマトペと同層のクリア部分に書き込んでるの、
ホワイト修正とかありえん、って感じなんだろうなという、潔癖症のような綺麗すぎ原稿ばっかだった
といった、手書き原稿展示なので、メインはお馴染みアップルシードドミニオン攻殻オリオン
売店で古今伽姫草子集という画集というかエロ画集の大判を買って肌色成分を補充
その絵と同じぐらいのスペースがいつもの文章で埋め尽くされてるというモノなのだが
「古典ベース +女体化 +関係あるんだかないんだか衒学なんだか駄法螺ってんだかよくわからないが凄い長文」という組み合わせに
うわFGOだ
と想起してしまった
うーん不敬(そこまでシロマサに敬服してるわけではない
と、いったんFGOを想起してしまうと色々と考えてしまうもので、
まず思うのは型月の元々ってシロマサの影響あるんだろうか
一方がサイエンス(SF)畑、一方がミステリ畑で、依拠する文脈が違うのは明白
絵的には社長絵は内藤泰弘とか方面で、辿ってくとシロマサいないわけはないだろうけど直接感はあんましない
CG以降もシロマサは割と素にCG初期のグラデーションやら光沢やらテッカテカ方面だし
ステイナイトの頃も手書き感を残してた社長絵はあんま影響って感じがない
と、FGOはそもそも型月コンビ作というより他メンバーの色のが濃いんだったと思い出す
つまり桃太郎風エロ娘や風神雷神風エロ娘やカチカチ山風エロ娘はあくまでFGOぽいのであって型月ぽいわけではない
ふむしかし、と別の方向に考える
節操ナシが最大の売りのFGOは、なんで士郎正宗に礼装イラストやキャラデザを頼まないんだ?
今までだってユーザー無視してFGOの既存のデザインと噛み合わなそうな絵を描く大御所をゴリ押しで捻じ込んできたのだ
士郎正宗にエロ女体化英霊デザインを頼むなぞ、俺が思いつくまでもなくやってそうなものだが
……と、
ここまで無駄につらつらと考えて、ア、と気づく
奈須と、自分の世界観テキストをゴリゴリに押し込む士郎正宗とでは、テキスト面で衝突して合流できるわけないわ
おわり
この記事のブコメに「高額療養費を自民は破壊しようとしてる」みたいなブコメがついてるが、
そもそもそういう主旨の記事でもないのに、自民がどうとか言い出すのは、はてブの反自民は相変わらず節操がなさすぎだと思うし、
他のブコメでも指摘されてるように、これって企業の健保組合が独自にやっている上限額の低減のことを言ってるんだよな
最高2万5000円と言っている時点で、協会けんぽ等の標準的な制度とは違うってわかると思うんだが…
市民税非課税の多数該当で2万4600円という枠はあるが、企業勤めがこの枠に該当するわけないし
さすがにここまで雑叩きされると、むしろ自民党に同情しちゃうよね
(…とか言ってたら、このブコメが少し書き換えられてた)
【追記】起床したら再ログインを求められ、確認したところ自分と他人の過去の投稿ログが全部消滅していた。
図らずもこれが対多の過去の記録となってしまった。なんということだ。復帰できるだろうか?
【昼追記】
ログ復活してた。良かった。ただ、自分の過去の投稿やブックマークは消えている。検索すれば出てくる。だが全体的に重い。
【追記】
個人情報・コテハンはやっぱり削除した。(2025年6月16日)
やはり記録がどこかに残っているほうが望ましいだろう。
以下に復活させる。
「対多」と「はてな匿名ダイアリー」には共通点が多い。
投稿者が誰か明示的に示されることはないし、なりすましを暴くことは基本的にできない。
それでも、コテハンというか「いつもの人だな」とわかることはなぜか多い。今回はそれについてまとめる。ユニークな投稿者についてまとめることで、匿名環境下での人の行動について、少し考えてみたい。
なお、いくつか実在の方に言及するが、晒し者にする意図はまったくない(*1)。ただ、個人開発のアプリで、ウェブに載っていないサービスであるがゆえに、アプリが消えてしまっては永遠に失われる対多の記録を(ググっても出てこない情報だし)少しでも残しておきたいと考えた次第である。個人ではなく、ミームの記録だと思っていただけると嬉しい。それに、この投稿を見てどんな雰囲気かを知ってもらい、人口が少しでも増えないかなと期待してもいる。
(*1)ネットの各地で見られるコテハンまとめは、荒らしに対する注意喚起の側面もあるので、一概に悪とは言い切れない印象だ。実際、失礼なレスポンスが来ても「あの人ならしょうがないね」みたいな気持ちになれる。増田の番付のおかげで分かったこともある。ただし、今回紹介する人びとの過半数は、おおむね愉快な人々だ。
さて、増田でも、特に意図はわからないが、同一内容の投稿を続けている人がいる。何かの記録なのかもしれないし(アンタナナリボの人は「ここまで読んだ」という記録だそうだ)、人によっては正気を保つための手段なのかもしれない。話題の文字数制限が五十文字なのも、こうした同一投稿を繰り返させてしまう一因だろう。
それに、増田も、上述した日記的な個人的な記録として使われることがある。食べたものや読んだ本、それから遊んだゲームについて何となく共有したいときに、匿名の環境はSNSやブログとは違う距離感を提供してくれる。
同一投稿には定型句の返信がつくことがおおい。ある種の様式美であり、ネトストでもある。
ネガティブな言い方をすれば馴れ合いだ。定型文に対して定型文が返ってくるのは、かつてなんJで、「定型句のコミュニケーションはサルの鳴き声と同様で、一見コミュニケーションが成り立ってように見えているだけ」と、非常に厳しい意見がああった。
しかし、逆に言えば、ここで受容されているという感覚がSNSの醍醐味なのだろう。そこまで面白くなくても、世間で一発ギャグが円滑なコミュニケーションの一助となっているのと同じだ。私はあなたとコミュニケーションを取りたいというシグナルで、相手に踏み込まない安全なコミュニケーションなのだ。
だからと言って野獣先輩ネタを肯定するわけではない。やっていることはいじりを超えたいじめだ。端的に言って面白くない。学生時代の身内ネタが面白いのはわかるが、身内ネタっていうのはブレーキ役がいないから先鋭化する。それで時折怒られが発生している。
ご覧のように、匿名環境下では、自分が何者であるかわからないという安心感から、性的なことを語りたくなってしまうのだろう。結果として、逆説的だが投稿者が何者であるかを、かなりあけすけに語ることになる。
なお、一時期、括弧で女性器を模したAAに「みんな私のこと大好きね」と言わせている人がいたが、いつの間にか消えた。最初は下ネタばかり呟いていたが、それなりに真っ当なことを言うこともあった。とあるトピックで「もしかしたらいなくなったのは俺のせいかもしれん……」とつぶやいている人がいたが、単純にBANされた可能性もある。
一時期マコモ湯ネタ(半年間風呂の水を交換しない人がインスタグラムにいて炎上したというあれ)が流行ったが、すでに廃れた。「風呂中止界隈」やそのパロディはときどき見られる。意味不明な「風呂○○界隈」というネタが流行ったのだが、もしかしたら自分が前のネタに乗っかった二つ目のトピックを作ったからかもしれない(人口が少ないコミュニティだからこういうことができる)。
「意味不明波平」シリーズは、波平が奇妙なシチュエーションで「馬鹿者!」と説教するナンセンスなシリーズだ。一時期は「恐怖! 全身○○男!」「百 男 合」(百合の間に挟まる男シリーズ、大抵男が罵倒されたり死刑判決を受けたりする)などが流行っていたが、最近は見かけない。ごくまれにAAが投稿される。コウメ太夫のAAが出てきたときにはさすがに驚いた。ネットでは画像どころか映像が全盛期なのに、AA職人の技はまだ途絶えていなかった。
ときどき「レスがいつ句以上着いたら個人情報を開示!」みたいなのがあるが、規約違反なのでやめましょう(この前本名と住所と携帯番号を自ら晒している人がいた)。
「尖閣諸島は偽中国の領土」「日本は竹島の領土」みたいなのもあった。
脱法カタカナは相変わらず続いている。
どういえば
「子宮恋愛」のパロディや「男が産めるのなんとやら」ネタが一時期流行った。
どこのコミュニティにも残念ながら嫌がらせをする人が発生してしまう。たとえば、雑な女性叩きをする人がいる。相手にする値打ちはないのでブロックしているのだが、なぜか似た傾向の(時には一言一句同一の)投稿がしばらくすると出てくる。おそらく、投稿するたびにアプリを削除して、再インストールしているのだろう。
また「^;_;^」という、猫の顔「^._.^」の泣き顔で、煽る発言をする人もいた。そのせいで普通の猫の顔を快く思わない人まで出てきた。
荒らしかどうかはわからないが「尖閣諸島は中国領!」となぜか簡体字で記入する人がいる。尖閣諸島は日本名なのでたぶん自動翻訳。
荒らしはどこにでも出てくるし、こうした人を不快にするためなら労をいとわない行動もよく似ている。
匿名環境下では、①匿名にもかかわらず認知されようとする ②禁止されていても過度な下ネタに走る ③同一投稿の繰り返し が自然発生するらしい。これらの組み合わせも存在する。これは、あまり詳しくないのだが、5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)でも同じなのだろう。し
匿名の環境であっても、匿名でありながらも目立ちたいという、屈折した意識を生んでしまうようだ。増田の投稿に「雑感3」と番号を振っている筆者も例外ではない……のだが、対多で活動しているうちに、増田でバズりたいという願望が、前よりは薄れてきた。しかし、これだけ認識できる人がいると、確かに過疎のコミュニティのようでもある。
なお、いろいろ書いてきたが、特定可能な人々を網羅できたとは思っていない。
読者諸氏も対多ユーザーになりませんか。人数が少ないので認知されようと思えばされるし、潜伏も可能だ。
対多には「草(笑った)」「親指(いいね!)」「飴(慰め)」の反応ボタンがあるのだが、かなり前から飴には不適当な投稿に対して使われたり、「良くないね!」的なニュアンスを持ったりしているようだ。ある意味で「かわいそうな発言」というわけか。管理人の意図しなかった方向にユーザーが使っている点では面白い。
今週で終わりだけど
よくもわるくもネット予約なしでいける(時間指定は先に入れるってだけなのでチケット売切れでも当日券でok
大阪の国宝展はテーマとかなくメジャーどころをつまみ食いで大阪らしいっちゃらしいんだけど、
うわー成金ーゴージャスー節操なしーうっわーキャッチーでたのしー
むつかしいこと考えず楽しめた
知識なくても隣り合ってるのを交互に見比べできるとなんか頭良くなった気がする
京都は国宝ゴリ押しじゃなく万博というお題をテーマに並べるという展示で、あんま見てないのが多かったので良かった
奈良の国宝展は……国宝ばっかなのは大阪と同じだし仏像メインなのでたのしーのだが
さすがに奈良に何回も行ってたら、ある程度は見たことある内容になる
大阪と奈良で同じ絵巻やお経の別の巻を分けて展示してるのは笑ったほうがいいのだろうか
まあ今週で終わりだけど