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はてなキーワード:筑後国とは

2025-05-23

令制国表記を変えてファンタジー日本連邦を作ろう

大和国→矢的の国 矢が的に刺さった絵を国旗とする弓使いが多い国。

河内国→かだいの国/ハノイの国/川内の国/仙台の国 国名が安定しない。

伊勢国iceの国 氷で覆われた不毛の地という噂を流しているのは他国から侵略を防ぐため。氷漬けなのは国境付近のみでそれ以外は肥沃な土地

近江国→お海の国 国土の大半を占める巨大な湖を海と呼ぶ海を知らない内陸国

播磨国→貼り魔の国 貼るだけで封印された魔を召喚することができるシールの発売国

越前国→えち善の国 一日一善を国是とする国。一善がなまってえち善となった。

武蔵国→634の国 634個の村が寄り集まってできた国。

上総国→数差の国 すべてを数値化して僅かな差でも比較し、様々なランキングを日々作っている。

下総国→下うさの国 うさぎが多く生息する低地にある国。

常陸国日立の国 sun(日)がrise(立)する国を自称する。太陽信仰の国で太陽を拝み、太陽の声を承る。

上野国→うえのの国 パンダが多く生息する。

陸奥国→襁褓の国 おむつ名産地。

肥後国→籤の国 竹ひごの名産地。

山城国→疚し路の国 道を歩いていると不思議とやましさが増してくる国。

摂津国→setsの国 多くのものがセットでまとめられている。

尾張国→終わりの国 人生の終わりにたどり着きたいとされる国。

三河国美川の国 国土の中心を流れる美しい川の沿岸にさそりが多く生息する。

美濃国→蓑の国 民は外出時に蓑を着用する。

備前国→美髯の国 ひげが長いほど美しいとされる国。

美作国→見まさかの国 歴史上の「まさか」を集め、それらを一覧することができる国。

但馬国田島の国 国土ほとんどが田んぼ島国島国で狭いので田んぼのためにそれ以外のスペースを徹底的に切り詰める。

因幡国→イナバの国 この国の建造物は頑健で特に上方から圧力に強い。

丹波国タンバの国 タンバリンの名産地。

紀伊国keyの国 鍵の名産地。開けられない錠はない。

遠江国→尊みの国 尊さを感じたものを「推し」とする風習がある。

駿河国→するがの国 民は「何々しないの?」と言われると「するが?」と答え何でもせずにいられない。

甲斐国→貝の国 貨幣建物の素材に貝殻が使われている。

信濃国支那之の国 国全体が中国製の物で構成される。

加賀国花芽の国 花が咲きそうでいつまでも咲かない国。

越中国→こしなかの国 もなかの名産地。こしあんもなかの略称国名となる。

伯耆国→箒の国 掃除用の箒から魔法の箒まで箒なら何でも手に入る。

出雲国→いつもの国 昔からの「いつもの」を維持し続ける。伝統を守っているので考古学者の研究対象となる。

備中国ビッチュウの国 携帯ゲーム機ゲーム及び派生作品ビットモンスター」の発売国で同作品に登場するネズミモンスタービッチュウを国旗とする。

備後国ビンゴの国 ビンゴゲーム屋が立ち並ぶビンゴゲーム聖地

阿波国→泡の国 民は国外に出ると泡となって消える。

讃岐国→さ抜きの国 あらゆる言葉から「さ」の文字が抜かれる(国名例外)。

相模国さがみの国 あらゆる「さ」が「み」に置き換えられる(国名例外)。

下野国→げやの国 下野した政治家官僚が集まる。

出羽国→ではの国 誰かと来ると必ず別れることになる国。

越後国→えちごの国 苺の名産地。えちごとは「良い苺」がなまったもの。高級な苺は権力者への贈り物として重宝される。

安芸国→秋の国 気候が安定しており一年を通して秋のように過ごしやすい。

周防国→酢王の国 酢の名産地で最も優れた酢を製造した者が国王に選ばれ1年間国を治める。

伊予国→壱与の国 卑弥呼の娘・壱与を崇拝し王はその子孫を自称する。

筑前国→築前の国 優れた建築士を多く輩出する。

筑後国→築後の国 優れた建物管理者を多く輩出する。

豊前国憮然の国 民がすっかり失望・落胆して無気力な国。

豊後国文豪の国 文豪を多く輩出する。

肥前国→火然の国 火の一族が治める国。火の一族は火の扱いに長けており、火で物を燃やすだけでなく心も燃やすという。

若狭国若さの国 民が不自然若い

丹後国タンゴの国 民が常にタンゴを踊り続けている。

能登国→notの国 民が話すときは必ず否定から入る。

安房国→粟の国 粟の名産地で米ではなく粟が主食

佐渡国サドの国 サディズム聖地サディスト自然に生まれ育つ。

長門国ナガモンの国 携帯ゲームおよび派生作品ナガモアドベンチャー」の発売国で同作品に登場する首長竜型モンスターナガモンを国旗とする。

石見国→岩みの国 岩の多い国で、人も物も少し岩っぽい。長居するとだんだんと皮膚が固くなり岩っぽくなる。

土佐国→とさの国 「何々だったとさ」と民が昔話をしてくれる。

日向国→ひなたの国 曇らず夜もない絶えず太陽が見える国。国全体が1個の巨大なドームの中にあり、空も太陽も人工物である

大隅国→大炭の国 炭の名産地。大木から大きな炭を作る技術を持つ。

薩摩国→殺魔の国 魔を殺す術に長けた兵を多く養い、他国から要請に応じて派兵する。

和泉国→泉の国 泉が多い国。多種多様温泉が楽しめる。

伊賀国→毬の国 民はトゲ付きのヘルメットや肩パッドを着用する。そのために髪型は常に丸坊主にしている。

志摩国→島の国 島であること以外何もない国。

淡路国→会わじの国 この国で待ち合わせをすると会えない。

伊豆国→出づの国 入国が難しく出国が容易いため人口流出問題となっている。

飛騨国→襞の国 地面や建造物の表面がひだ状になっている。

壱岐国→粋の国 粋であることが美徳とされる。

対馬国津島の国 津島太郎という浦島太郎に似た昔話の聖地

隠岐国→沖の国 国外から見れば沖にあり国内から見れば国外が沖にある孤島の国。

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2025-03-12

anond:20250312221239

でも9じゃないじゃん

筑前国福岡県秋月

筑後国久留米県、柳川県、三池

肥前国壱岐国唐津県、鹿島県、小城県、蓮池県、佐賀県平戸県福江県大村県島原県長崎県

対馬国 : 厳原県

肥後国人吉県、熊本県

豊前国 : 豊津県、千束県、中津

豊後国 : 日出県、府内県、佐伯県、臼杵県、岡県、森県、日田県、杵築

日向国延岡県、高鍋県、佐土原県、飫肥

薩摩国大隅国鹿児島県

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2022-05-19

anond:20220519153204

問註所氏(もんちゅうしょし/もんぢゅうじょし)は、筑後国生葉郡国人領主筑後十五城の一つ。大友氏被官で、その没落後は小早川氏、次いで柳河藩藩主立花氏に仕官柳河藩時代に成立した分家に町野氏がいる。

本姓: 三善氏

家祖: 問註所康行

Permalink |記事への反応(0) | 15:37

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2017-05-19

鎌倉時代僧侶・一向俊聖(暦仁2年(1239年)? - 弘安10年(1287年)?、以下「一向」と表記)を祖とする宗派

一向は筑後国草野家の出身で、はじめは浄土宗鎮西派西山派という異説もある)の僧侶であった。後に各地を遊行回国し、踊り念仏天道念佛を修し、道場を設けた。近江国番場蓮華寺にて立ち往生して最期を迎えたという。

以後、同寺を本山として東北関東尾張近江に一向の法流と伝える寺院分布し、教団を形成するようになった。鎌倉時代末期に書かれた『野守鏡』にはこの教団を一向宗と呼んで、後世の浄土真宗とは全く無関係宗派として存在している事が記録されている。

一向と一遍智真は同時期の人物であり、ともに遊行や踊り念仏を行儀とする念仏勧進聖であることから、一向の「一向宗」は一遍の「時衆」と混同されるようになっていく。『天狗草子』に記された「一向宗」は、一遍の衆を指したものである(一向俊聖の項を参考)。たしかに一向も一遍と同様に浄土宗の影響を受けて自己教義確立させたものであるが、全く別箇に教団を開いたものである。また、一遍と違い一向の教えは踊り念仏を行うとはいえ、念仏のもの特別宗教的意義を見出す事は少なかったとされている。ところが時代が降るにつれ、一向の教えが同じ踊り念仏一遍の教えと混同され、更に親鸞の興した浄土真宗とも混ざり合うという現象が見られるようになる。特に一向の教義が早い段階で流入していた北陸地方ではその傾向が顕著であった。

浄土真宗本願寺八世の蓮如北陸地方活動の場を求めた時に、布教対象としたのはこうした一向や一遍の影響を受けて同じ浄土教の土壌を有した僧侶信者であり、蓮如はこれを「一向衆」(「一向宗」ではない)と呼んだ。蓮如布教時に、一向宗時宗支配層との結びつきを強め、民衆から離れ、一向宗民衆蓮如教団になびいた結果、一向宗と呼ばれるにふさわしかったともいわれる[1]。本願寺及び蓮如北陸における成功の背景にはこうした近似した宗教的価値観を持った「一向衆」の存在が大きいわけであるが、同時に蓮如はこれによって親鸞の教えが歪められてしまう事を恐れた。さらに別の事由から宗派より「一向宗」と呼称されていたこと(後述)も彼の憂慮を深めた。文明5年(1473年)に蓮如によって書かれた『帖外御文』において「夫一向宗と云、時衆方之名なり、一遍・一向是也。其源とは江州ばんばの道場是則一向宗なり」とし、一向宗が一向の教団でもあることを明記して本願寺門徒一向宗名前を使ったもの破門するとまで書かれているものの、ここでも一遍と一向の宗派混同されている。

江戸時代に入ると、江戸幕府は本末制度の徹底を図り、系譜を異にするさまざまな念仏勧進聖が、清浄光寺総本山とする単一宗派時宗」の管轄下に編成された。この際、一向の流派独立した宗派とは認められず、「一向宗」の呼称を用いる事も禁じられた。『時宗要略譜』によると、時宗十二派のうち、一向派と天童派が一向の法脈を受け継ぐものとされている。一向派(かつての一向の一向宗)は再三にわたり時宗から独立を求めたが実らなかった。

明治時代になって、中期に一向派から独立転宗を唱える者が出現し、一向派は浄土宗宗務院に「所轄帰入願」を、時宗教務院に「時宗一向派独立認可願」を提出した。しかし一向派の独立・転宗を認めてしまうと、明治以降衰退著しく、時宗寺院が少ない上に、さらに減少することになるので、時宗当局は、これを認めようとしなかった[2]

大半の寺院時宗を離れ、一向の母体であった浄土宗帰属するようになったのは、昭和時代に入った1943年の事であった。

ゆかり寺院[編集]

番場蓮華寺滋賀県米原市

佛向寺(山形県天童市):現在でも踊躍念仏を伝える。

浄土真宗の「一向宗」[編集]

浄土真宗、ことに本願寺教団を指す呼称。教団自身はこの名を自称しなかったので注意が必要である

「一向」とは「ひたすら」「一筋」という意味であり、「一つに専念すること」を意味している。『仏説無量寿経』に「一向専念無量寿仏」と記されていることから、とくに阿弥陀仏名号を称えることと解釈され、親鸞宗祖とする教団(本項では「真宗教団」とする)を他の宗派から指す呼称となった。とくに浄土宗は、親鸞の教団が「浄土真宗」と自称することを嫌い、「一向宗」の称を用いた。

したがって「一向宗」は真宗教団の門徒から見て正しい呼称ではなく、また一向俊聖の「一向宗」と混同される事から望ましい呼び方でもなかった。だが、中世において同じ念仏を唱える浄土教宗派であった両派が混同され、更に時衆などとも漠然と同一のものとして捉えられるようになっていった。蓮如は前述のように「他宗派の者が(勘違いして)一向宗と呼ぶのは仕方ないが、我々浄土真宗門徒一向宗自称してはいけない」という主旨の発言をして違反者破門するとまで述べているが、逆に言えばこれは、真宗教団の門徒ですら「一向宗」を自称する者がいた事を意味する。

こうした指導により教団内部では「一向宗」の語は正式に使われることはなくなり、「浄土真宗」または「真宗」と称するようになった。しかし、門徒たちを中心とする一揆が「一向一揆」と呼ばれるなど、真宗教団のことを教団外から一向宗」と呼ぶ風潮は収まる事はなかった。

江戸幕府は、真宗教団を指す名称として「一向宗」を公式に用い続けた。この経緯としては、徳川家康三河一向一揆により家中統制で苦しめられたこと、徳川将軍家が(真宗教団が「浄土真宗」を称することを望まない)浄土宗信仰していることが挙げられる。これに対して、真宗教団側は本願寺の分裂などの影響があり、長らく具体的な対応が取られることがなかった。

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