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はてなキーワード:等身大とは

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2025-10-19

海外日本アニメウケる理由がわかった”

https://president.jp/articles/-/103837

日本アニメにはまず濃密な人間関係ベースとしてあり、そこにファンタジーSFや学園モノといった趣向が被さる二重構造になってるということでいいのだろうか。

いわば等身大人間たちがお芝居をしている感じ。だからガッツリ自己投影感情移入やすいと。(かつ、それが欧米では新鮮に受け取られている。日本ではむしろ食傷だが)

翻ってハリウッド作劇術によるような一枚岩のよく整理された物語においては全てのキャラクター特定機能を帯びており、観客は完全に蚊帳の外スクリーンの外である(まあ本来あたりまえだが)。

藤田和日郎作品にもこの“欧米”っぽさを感じる。おとぎ話として自己完結しており、キャラクターは話を進めることにそれぞれ真っ直ぐ奉仕してるので全体にしらんがなと思ってしまう。

巨大ロボットに乗って敵と闘いつつ中学生みたいな恋愛もする、そしてその恋愛が主たる任務遂行にも絡んでくるというとっちらかった二重構造日本マンガアニメ独自のものなのだろうか。

ハリウッドヒーロー恋愛はするが、それはわちゃわちゃ近づいたり離れたりというものではなくて「さらわれた恋人を助ける」的な大目標であったり、あくまオフ息抜きだったりする。

Permalink |記事への反応(2) | 17:40

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2025-10-16

ポーチドエッグ片手に飛沫と幽玄を眺める弱者男性の末路

弱者男性混沌に溺れる

なんかさ、弱者男性が「Coblaとか女性支援とかうさんくさい!」ってSNSで叫んでてマジ笑った。

秋田の漆真下から暁の梟の鳴き声が飛沫のように飛んでくる中、

お前だけ徒然と文句垂れて、幽玄な茫洋の世界と全く噛み合ってない。

石長比売が梢の上から「まあまあ落ち着け」と閑雅に目を光らせてるのに、

ぎーくんやのらくろチョコパイ片手に「お前マジで現実見ろ」とツッコミ

クロノアポケモン持って「冒険しようぜ」と誘ってるのに無視

ポーチドエッグ作りながら薫風に当たるドクターマーチンが羨ましいだろ?

■Cobla叩くより行動しろ

女性支援=男差別だろ!」とか言うけど、

ヤフオクメルカリ楽天AmazonPCX探すほうがまだ建設的。

ガソリン代気にしてヘルメットかぶってタンデムで海沿い走れ。

飛沫みたいに弾けるCoblaのバンド人気に嫉妬するより、

金塊・ゴールドラッシュプラチナアメックスで豪遊する方がよっぽど現実的。

チェーンソー雑草刈るか、サーフィンで海を駆けろ。

ドクダミ摘んでハーブティー作り、エアダスター掃除して、盗賊対策バッチリ

サーモス片手にチョコパイ食べつつ、等身大自分と向き合え。

クリップポケモン整理しながら、少しは冷静になれ。

結論:お前自身が最大の敵

Coblaじゃなくて、お前の曖昧な怒りと被害妄想が一番やばいんだよ。

永遠の命でも持ってるわけじゃないんだから幽玄な絶海に漂うより現実見ろ。

暁の光に飛沫が光る頃、石長比売が梢で微笑むのを思い出せ。

アウトドアで薫風を浴びつつ、サーフィンしてチョコパイ食べて、ぎーくんとのらくろを眺めれば、

盗賊クロノアアンテナ立てて見守るレベルで、全部どうでもよくなるはずだ。

Permalink |記事への反応(3) | 18:04

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2025-10-13

弱者男性未来ラブドールにござる

リアル追求すると不気味の谷に落ちるけど

デフォルメした等身大アニメ系のやつはフィギュア感覚でいけるんじゃないかと思ってる

アニメロリキャラマンコで童貞卒業なんて最高ヤン‼️

Permalink |記事への反応(1) | 13:45

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anond:20251012174039

交通費チケット代(ガイジ割)合わせて5000円くらいだったか普通にしかった😋

ポルトガル館のサンドイッチアフリカのどこかの肉、セルビアスイーツ、どれもおいしかった😋

ガンダムパビリオンも入れたし等身大ガンダムも近くで見れた😋

トルクメニスタン館で展示映像終わったら日本人客らから自然拍手が起きてびっくりした😱

そろそろ帰ろうかと思ったらベルギー館の前でライブ始まったから盛り上がった😆

Permalink |記事への反応(1) | 00:09

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2025-09-23

岩手おすすめ観光地

2年前に青森おすすめを色々教えてもらった増田です

https://anond.hatelabo.jp/20231118174822

前回集まった情報が最高すぎたのでまたおすすめ教えて欲しい。今度は岩手、2泊でうち1泊は盛岡拠点にして旅行する予定

地理歴史サブカル的なの好き。魚介グルメデートスポット的なのにはあまり興味ないのは変わらず。ローカルチェーン店地元ソウルフードみたいな生活想像できるのは好き。また少しディープなところをおすすめしてくれると嬉しい

——

嗜好紹介とお礼兼ねて青森感想思い出したままに走り書きする。2年分2回行ったので盛りだくさんになった。充実したのはみんなの情報のおかげなので大感謝…!行けなかった所もルート時間の都合上なので機会作って行きたい。

Permalink |記事への反応(16) | 08:37

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2025-09-16

等身大体験言語化することで、記憶解像度がぐっと上がる

Permalink |記事への反応(0) | 10:30

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2025-09-08

anond:20250604003003

この記事の続き、なぜか保存はできるのに表示はできなかった。(文字数制限DB側とビュー側で違うのかな)

今更だけど続きを入れておく。(色々反応もらえて嬉しいのもある)

https://anond.hatelabo.jp/20250604003003 の末尾の行から続ける。(当時書いたものをそのままコピペしただけです)

====================================================


学習曲線が落ち着いた

遊び初期は女の子デートするたびにPDCAサイクルが回って学びが多かったが、だんだん得られる学びが減っていった。

終盤は言ってしまえばコスパが悪くなっていた。

それに正直やりたいだけなら遊びは風俗と比べて金銭的なコスパも極めて悪い。

遊びは1件目→2件目→ホテルを奢ることを考えると優に1回あたり3万程度は消える。飲みももちろんだが、ラブホ宿泊もかなり高い。

行為できるまでの時間的意味でも、風俗と比べて比較にならないくら時間を要する。

その上で相手を主軸に楽しませないといけない。向こうが客だ。

得るものがなければただの消費でしかない。

心の限界

ある夜、日常系アニメを見ていたら泣いてしまった。

一切泣くような演出はない普通ラブコメだった。

心の限界を感じた。

疲労

最後の1ヶ月は新規で人と会ってなかったので実質5ヶ月くらいヤリモク男をやっていた。

マッチが平均日に3~4人程度だったので月100人マッチしたことになる。5ヶ月トータルでは500人マッチくらい。

その中で電話まで行けたのが週4~5人程度。これも5ヶ月トータルで100人くらい。

さらにその中で会ったのは週1,2人。5ヶ月トータルで30人くらいな気がする。

そしてそこから行為まで行ったのは1ケタ。

世のマッチングアプリの男性会員の7割は一人とも会えずに終わると言われている。なんなら内閣府が発表しているデータ20代独身男性の「これまでにデートした経験が一人もいない」人は全体の40%を占める。

それを踏まえると世間的に見て5ヶ月で500人マッチ、30人とデートという数値だけ見れば相当良い数値らしい。定量的に見て20代デート経験としては上位数%にあたる。

しかしこの打率でも相当心には辛さを抱えていた。

予定のドタキャンや途中のブロックは当たり前だし、仲良くなったあとでもいきなり連絡が途切れることが当たり前のようになる。

正直「遊び」という名目だったからこそドタキャン人間性のない対応に耐えれていたが本気で恋愛をするときにこれだと耐えられないかもしれない。

そういった意味で事前に遊びであることを伝えるのは極めて重要である相手にこの辛さを味合わせてはいけない。

人間性が壊れそう

明らかに人間性が変わっている自覚があった。

まだ過去感覚が残っているうちは良いが、これが壊れると本当に人格が終わるリスクがあった。

そもそもチアプは長く続けるべきものではない。

人をスペックと見た目で判断し、だめだったら次に行くという行為が当たり前になると、シャバでの人付き合いや付き合ったあとの関係性を大切にできなくなるリスクが大きい。

同性や仕事の会話ができなくなりそう

お持ち帰り用の会話と、同性や仕事での会話は根本的に異なるものである

標準語で喋り続けると方言を忘れるのと同じで、ずっと遊びばかりやっていると仕事能力とか、同性とのコミュニケーションができなくなる怖さがあった。

よく言われる遊んでいるやつは仕事できるは間違いである。遊びと仕事で使うコミュ力根本的に異なるためである

仕事できるやつが比較的遊びもやりやすいというのはありうる。そういう意味では「遊びできる→仕事できる」は必要条件だが十分条件でない可能性が高い。遊びは得意だけど仕事が下手な人を知っているという、あくまで周囲を見た個人統計だが。

ちなみに社会人で遊ぶのはスケジュール的に相当厳しい。仕事終わりに1時間単位Googleカレンダーで枠を取って3人と電話する日もあれば、週5日毎日女性飲み会を入れる日もあった。

高度なタスク管理必要である上長Googleカレンダー1on1スケジュールを隙間なく詰めっている状態に近い。

好きな人ができた

ごめんなさい。正直これが大きいです。

付き合うなら浮気とか絶対無しなので。

ヤリチンをやって得たもの

主体性

まとめると主体性になりそう。仕事では主体性を発揮できていたが、人間関係受け身人間だった。

お持ち帰りを向こうから誘われることは何十人と会って一度もない。必然的主体性を持つことになる。我が強くないと舞台にすら立てない。

また、お店を選ぶびも極めて重要である

正直、明確にお持ち帰りには再現性のあるコツが存在する。それだけでお持ち帰りできるわけではないが。

お持ち帰りのためには会話の流れ、会話比率の変化、ホテルまでの道筋想定外が発生したとき対応を状況に応じて柔軟にコントロールする必要がある。

責任

女性にどこ行きたい?何食べたい?と聞くのは優しさだと思っていた。でも実は必ずしもそうでない。

相手に行動の責任を取らせてるとも言える。

これはお持ち帰りで絶対してはいけない常套手段である女の子のせいにするような行動はしてはいけない。

言ってしまえば女性にとって理由作りが必要である。(一方で嫌がることは不同意性交になるので見極める力と倫理観が大変に重要である)

いか相手責任押し付けずに自分責任押し付けるがお持ち帰りに重要であり、そういった経験を増やすことで責任感をより持てるようになった。

臨機応変

理系科目と違って意図しないことが常に発生するし、再現性論理性もないことが多々起きる。

そういったことに対応できないとホテルというゴールは絶対にない。

そういった意味臨機応変さも身についた。

女性への幻想打ち砕き

百合展開する美少女アニメが好きなオタクだったので、正直女性幻想を抱いていた。

大学時代恋人が出来てからそれは減ったが、それでも世の中には美少女アニメのような女の子がいると自分では気付かない深層心理レベルで思い込んでいたように思う。

女の子純粋さとか潔白性を求めてたし、なんなら処女厨だった。

少なくとも自分が会った範囲純粋無垢存在なんていなかった。

だって後ろめたい過去は大なり小なりあるし、完璧なんて存在しない。

そういう意味で、女性に対して相当寛容になった。

処女厨を克服できたのは今後の人生で相当大きい。

眼鏡をつけることを少し待てること

服装とか見た目で判断したり、過去の経歴で判断をしてはいけない。

実際深掘ってみると見た目や雰囲気人格が違うことは多々ある。

偏見を持った状態でお持ち帰りはできないので、偏見を持つ量が必然的に減った。

というよりある程度話すまでその人の印象判断を保留することができるようになった。

でも違和感大事にしたほうが良い。

コミュ力

圧倒的にコミュ力が磨かれた。

複数人第三者評価として、遊ぶ前と比べてコミュ力が上がったことを言われたので、客観的にこのことは正しい。

遊ぶ前ぶりに会った人からはもれなく「なんか変わった?」や「xxくんだと気付かなかった」と言われるような状態だった。(これは見た目の変化も大きいが)

マッチングアプリでは雑談力が磨かれた。初対面の相手と何時間も話すことができるようになった。

クラブナンパは回数こそしてないが、クラブで知らない人に話しかけて仲良くなるという経験をした、という事実が男としての自信に繋がった。(名前を呼ぶときちゃん付けもここでできるようになった)

仕事会議重要論理構造で話すとか多分は向上していない。そこはやるうえで重要じゃないしむしろ邪魔になるから

身だしなみ

もともと清潔感には気を使っていたが、遊びにおいては清潔感に気を使ってもマイナスゼロになるだけでしかない。

遊びによって

を新たにするようになった。

服装髪型に関しては美容インフルエンサーを参考にし、流行りを取り入れるようになった。

なお等身大関係性を求める恋人がほしいとかであればこれらは不要である

人は想像以上につながりを求めていることを知る

大人になってから友達を作ることは難しい。それなりに大きい企業新卒同期が3桁以上居るような場所であればある程度は回避できる。

でも新卒上京したりとか、大学卒業してフリータだったりする立場にとって友達を作るのは難しい。

例えばTinder貞操観念がゆるい遊び歩く女性けがやるものだと思っていたが実際そうじゃない。

女の子女の子友達欲しくてやってるケースとか、性行為に興味なくTinderをしている人も居る。

なんならマチア自体ドラッグである恋人ほしいとか致したい関係なくハマってしまものである

どこかの研究でマチアプのスワイプ報酬系が働き依存性があるというのを見たことがる。

一方でヤリチンという不純な立場が、明らかに相手にとって何でも打ち明けられるオアシスの場になっていた人もいた。

それくらい都会は友達作りとかと相性が悪いし、冷淡。

ここをうまく解消できたら世界もっと良くなると思いつつも、例えば友達作り用のマッチングアプリを作れば解決するみたいな、そんな簡単なことはない。

人間理解

女の子の家にお泊りなんて恋人を除いてありえない。だけどセフレという関係はそれを裏ルート的にたどり着けてしまう。

純粋他者の家には興味があったし、住む場所とか家賃感とかレイアウトとか、すごく純粋面白さがあった。

ちなみに誰かの家にお邪魔するとき絶対お土産を持っていくこと。それは同性の友達でも大事

失ったもの

他者への信頼と期待

本当に人が信頼できなくなった。

どれだけ好きと言われても、絶対この人明日にも裏切って俺を捨てるんだろうなとか普通に思ってしまう。実際経験しているから。

これはヤリチンをやめて本気で人を好きになったときに、とんでもない足枷となった。

ずっと不安になる。ありえないくら自分自身がメンヘラになっていた。LINE10分帰ってこないだけで、定番ブロックパータンかなと不安になる。

ヤリチンをやっていた時期はその不安を同時に複数セフレがいることで

と、1人の相手を本気で好きになるとそれができずに死ぬ

恋愛は同時並行ではできないため、遊びに慣れると脆弱になる。

行為をする前に付き合うこと

行為前提で女性を知るようになってしまったせいで、性行為無しで付き合うのが怖くなった。

一方で付き合う前にそういうことしてしま女性は無理という価値観も残っていて、デッドロック状態になった。

綺麗な過去

ヤリチンによって黒歴史と言わざるを得ない過去ができた。

今付き合っている相手には全部このことを話して受け入れてもらっている。

私は嘘を貫き通せないので、全部言うしかない。

当たり前だがヤリチンをしていた過去は、人によっては嫌悪感を極めて抱くものである

両思いで付き合えたあとに過去ヤリチンだったことが知られるだけで破局するリスクは十分にある。

男側から見たとき過去風俗で働いていた女性と付き合うことに抵抗があるみたいなのに近いかもしれない。

ヤリチンはとんでもない諸刃の剣である

一度水に垂らした墨汁が取り除けないように、ヤリチンをした過去絶対に取り除けない。それまでとこれからがどんなに真面目でも。

遊んでないやつはキモいだとか、結婚するなら遊び終わった男がいいとか、そんなものヤリチンヤリマン立場を捨てられない人間まやかしが多分に含まれる。信じてはいけない。

遊べても幸せなお付き合いや結婚ができることとは関係ない

女性が一様分布であるという錯覚をしてはいけない。

貞操観念が壊れた女の子をお持ち帰りできることと、しっかりした女性と付き合うことは全く訳が違う。前者を100回できたら後者が手に入るほどこの世界は単純じゃない。

から遊ばないと良い女の子を掴めないなんて言説は嘘である

(一方で遊び側の価値観を知っておくことで浮気防止になる可能性は多分にあるが、浮気をしてしまうような状況を作らないことや浮気安易にしないタイプを見極めて付き合うことでそれは回避できるので遊ぶ必要性はない)

その他

ホストをやられている方には大変失礼なのは承知だが、ホストはずるいなと思った。

仕事であるという理由で色恋営業が許される。ヤリチンがやったら刺される。

変わってないもの

自己評価の低さ

書きながら気付いたが、なんで変わってないんだ???

多分女の子と遊べても、自分なんかと遊べる女の子は誰とでも遊んじゃうんだという気持ちが先行していた。

一方で紛れもなくコミュ力も上がっていることが客観的評価からわかる。

この矛盾を考えたときに考える仮説は、遊びで得た自己肯定感と、遊びで得た自己否定釣り合っているのではないかと考える。

しか女の子と遊べたが、関係性を切られることもそれ以上にあったためである

また一方で自己評価は遊び程度では変容しないとも考えた。

刹那的なやりとりでなく、長期的な関係性の構築で初めて手に入るのではないだろうか。

性格

責任感や主体性は持てるようになったが、根の真面目さとかは変わっていない。

具体

具体、といっても細かいことは書かない。相手プライバシーもある。

再現性のない話である。正直人生2周目したらうまく遊びで自己効力感を見いだせず死んでいた可能性が高い。

そう言えるのは、マッチングアプリ初めて最初出会った相手ホテルに行けたことが大きい。

マッチングアプリを始めた時点でクラブナンパ相席屋を試した後だったし、マッチングアプリの各種コツは知識として持っていた。

一方で知識実践には極めて乖離がある。

作曲と同じで最初の一歩が極めて難しい。

たまたまマッチングアプリでマッチし、トントン拍子で電話まで進み、翌日会うこととなった。マッチングアプリ初日の出来事である

当日はおやつ時間に集合しカフェ時間を過ごしたり街を一緒に散策したりした。夜になって帰るときに実は遊びでやってるんだよねという話をした。

これができたのには理由がある。元カレレスになって別れたという話を聞いていたことが大きい。

それ以外にも色々と付き合う前にしちゃうタイプの要素が垣間見れた部分もあり、そういう話をしても良いという暗黙知形成できていた。

ホテル打診をし、結論としては「今日するつもりなかった」と言われつつホテルに行くことに。結局向こうがヤリモクだったが……

行為自体微妙だった。というのも向こうが挿入以外にあまり興味がないタイプだった。

彼女としていたそれと、遊びのそれは根本的に別物なのだと思った。

もちろん人によるし、イチャイチャを伴う場合も多い。

しか彼女とする性行為と遊びでの性行為は抜本的に異なる。好きな人とする性行為には絶対幸福感や満足感で勝てない。雲泥の差である

逆に言うと以後ヤリモクタイプには一度も出会っていない。ヤリモクが嫌で避けていたというのもあるが。

この偶然的な初回の成功体験が遊びに対する自己効力感を上げた。

その後はうまくいかないことが1ヶ月ほど続いた。本当にもう限界というタイミングで、またうまくいった機会があり、なんとか持ちこたえた。

以後もそのような希望絶望が交互に続く。後半は以上に成功率が高くセフレ複数人いる状態だったが、最後には仇となった。

好きな人ができたときセフレとは縁を切らないと行けない。

好きな人ができたからごめんね」と伝えることにはかなり辛さがあった。

好きな人がいるのにセフレ関係を切るのが辛いは矛盾しているように見えるが。

いろいろな体験を通じせっかく仲良くなれたのに、みたいな部分も正直ある。

まだ解決してあげたい相手コンプレックスとか課題が残っていたこともわだかまりの1つだった。

でも一番は、せっかく自分に期待してくれているのにそれを裏切るのが嫌だったということである自分は弱い。

統括

ヤリチンになることで、得たものは紛れもなくあったし、真面目な自分という根幹をぶち壊せたのは大きい。

若い時代コンプレックスの1つを取り除けたのが特に大きい。

誰になんと言われようと絶対必要だった。

社会に対する課題感もほんの少し分かったつもりになれたし、いろいろな職種のいろいろな事情を知れたことも大きい。

それにヤリチンが淘汰されない事情も極めてわかった。女性必要としているケースが結構ある。

一方で失った純粋さは永遠に取り戻せない。

それに遊んだ経験量と恋人結婚での幸せに相関はないように感じた。

戦略的に遊ばないという選択重要Permalink |記事への反応(2) | 00:32

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2025-09-04

Vが面白くないだので騒いどるが

そもそもyoutuberとかの配信者がおもんないんだから

そこを狭めて語っても的がずれてるよ。

あんなん「好きだから何をしても面白い」って世界

面白いかどうかを先に持ってきても正解にはたどり着かない。

お前も等身大綾波人形股間をカパカパする動画だけ見てればいい。

Permalink |記事への反応(2) | 13:53

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anond:20250904115357

おいマジでそういうサービスあるのかと思って検索したら岸田メル等身大POPしか出てこないじゃねえか

Permalink |記事への反応(0) | 11:58

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anond:20250904114906

メルちゃん等身大ポップならSNSで本人に許可を得てオークションに出品できるようです

Permalink |記事への反応(2) | 11:53

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8月5週LINEオープンチャットはてなブックマーカー」1週間のまとめ

これは何?

LINEオープンチャットはてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらAI使用し、試験的にまとめまています

要約内容

🎓教育受験・学び

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👨‍👩‍👧‍👦家族子ども生活

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💼仕事経済制度

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🤖テクノロジーAI

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🍣 食・文化旅行

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🌏社会ニュース法律

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🎭文化・娯楽・自己表現

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🧠メンタル人間関係

---

📌 1週間分の総括

この1週間のオープンチャットは、教育経済負担AI倫理食と文化を中心に展開し、生活感のある小話(ペット、紛失物、誕生日)と社会的な問題意識税務署法律環境格差)が交錯する内容だった。

全体としては、日常のささいな悩みや楽しみを共有しながら、未来への期待と不安子ども仕事AI社会)を語り合う、等身大生活社会交差点が浮かび上がった。

関連記事

https://anond.hatelabo.jp/20240722084249

オープンチャットの参加URL

LINEオープンチャットはてなブックマーカー」の参加はこちから

https://line.me/ti/g2/MFSXhTJoO_pLfrfds1LpyJ0OlBgcPJSqHoRbBg?utm_source=invitation&utm_medium=link_copy&utm_campaign=default

Permalink |記事への反応(0) | 08:28

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2025-08-29

anond:20250829104319

ウルトラマンだってデビルマンだって変わる

等身大に見えてもちょっと違うんだ

Permalink |記事への反応(0) | 10:44

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2025-08-17

anond:20250817125908

行為好きな人に聞くと、どうも極上の膣は、TENGAより遥かに気持ちいいオナホなんだと。

から快楽を求めた結果として、女性との性行為があるということらしい。

等身大オナホとしての女性は、温かいし、いい匂いがするし、勝手に濡れるし、喘ぎ声も生々しいので総合的に評価したら、

いくらTENGAが発達しても、当分追いつくことはないのでしょう。


そういう話を先達から聞かされた男たちは、女体との性行為を渇望するようになる。

たぶんに後天的欲求だと思う。

Permalink |記事への反応(0) | 16:23

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2025-08-09

ピンポン5周目だけど「少し泣く」の意味が分からなくて泣きそう

ビッコミで今日明日48時間ピンポン無料になってる。

https://bigcomics.jp/episodes/02b287f8f8313/

仕事中に飲みすぎたカフェインのせいか眠れないから読み進めてるうちに終盤となり、作中屈指の名シーンとされる「少し泣く」にたどりついた。

アニメで1回、実写で1回、漫画はこれで3回目だが、まだこの「少し泣く」の意味が分からない。

学生時代12年間漢字テストを除けば現国ノー勉8割安定だった俺の読解力が実際は如何にハリボテか思い知らされている。

才能がないのか努力が足りないのか。

なんとなくアクマ気持ちを察することは出来るが、確定しない。

これが国語問題だったらドラゴンへの同情が正解だろうし、もう一歩踏み込めばアクマ如きに同情されてしま風間学生等身大の小ささとそれを必死に膨らませてきた姿への同情なのだろうということでまず間違いないだろう、これが国語テストなら。

でも本当にそれでいいのか確信が持てない。

確信が持てないという感情の揺さぶりがアクマ自身にもあって、その不安定さと未確定な揺さぶりが読者にも共振を起こすという漫画効果を狙っている気もする。

だがこれも確信はない。

クマ果たして本当はどんな気持ちだったんだろう。

その裏で圧倒的才能によって粉砕されていくNO.2の姿は、アクマ達の心情と関係するのか、それともまた別のオムニバスなのか、それさえも委ねられている。

分からん

確証が持てない。

才能も努力もアクマ凌駕するドラゴンが、異次元の才能と未知数の努力をかけ合わせて産まれ怪物に踏みにじられる未来を想起したアクマは、果たしてその敗北を嘗ての自分と重ねて涙したのだろうか、重ねることさえ出来ないことに涙したのだろうか。

ドラゴンへの同情だけの涙じゃない事までは分かってきたんだ。

だが、確信には届かない。

一生、確信にはたどり着ける気がしないし、それで正解だと確信できる気もしない。

読解の才能がない。

泣きそうだ。

Permalink |記事への反応(2) | 03:49

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2025-08-03

かつて天才 だった「藤井風」と「かてぃん(角野隼斗)」へ

1年半前に「「藤井風」と「かてぃん(角野隼斗)」の着地点 」というタイトル文章を書いた。

https://anond.hatelabo.jp/20240113173417


この2名は、近い時期にYoutuberからプロになった。

育った環境は大きく違うが、2名は間違いなく「天才」だった。

そう、「だった。」


かてぃんくん(角野隼斗)はソニークラシカル契約をし

文字通り”世界中”のクラシックファンに、熱狂的に迎えられている。

今年の11月にはカーネギー舞台にも立つ。

私は、ラン・ラン氏のピアノを愛しているが、彼もあのレベルまで行けると信じている。

彼は、ただの天才ではなく、すでに経験値をためるターンに入っている。



問題なのは藤井風」だ。

1年半前から危惧していた、閉塞的な環境にいることの弊害が隠し切れないレベルで露呈してきた。

今日見たロラパルーザでの彼は、怯えた子犬のような目で、ただ歌詞を読み上げるだけの道化に見えた。

全編英語の待望のアルバムからの先行曲は、欧米では不発で、熱狂しているのは「死ぬのがいいわ」がヒットした東南アジアのみ。


昨日公開された新曲に至っては、イントロ歌詞MVすべてが70-80年代コピペ

コント」でも観ているような滑稽さすら感じた。(※耐えられず、彼の曲を早送りしたのは初めて)


なぜ、こんなに退屈なのか?

それは、「Hachikō」 も 「「LoveLike This」 も、歌詞の中に藤井風がいないのだ。

「HELP EVER HURT NEVER」にいた等身大藤井風がいないのだ。


こうなった原因はわかってる。彼の周囲の環境だ。

ファーストアルバムは、彼がデビューまで貯めていたアイデアが元になっているが

今回はデビュー後の彼が反映されている。


彼は、事務所が(どんな手を使ったかは知らないが)準備した

超絶特別待遇舞台で、信者のようなファンを前に、歌う生活デビュー以来続けている。


結果、彼の歌詞には「神」ばかりが登場するようになり

最後は超一流の製作陣が準備した、曲や歌詞に乗っかる「道化」と化してしまった。


私は「天才」の転落が見たいわけではない。

彼の自由奔放な言動が、日本メディアに合わないか

事務所が過剰に閉鎖的な売り方をしているのも、理解はできる。


ただ、このままだと彼は事務所の売上のためだけに歌う

本当の「道化」になってしまうだろう。


じゃあ、どうすれば良かったのか?

こんなギャンブルのような無茶な売り方をしなければ

才能は枯渇しなかったのか?


正直、わからない。


あの汚らしい髭も、アイドル売りに抵抗しているのだと思ったが

ロラパルーザで久々に見た髭無しの顔は、怯えた子犬のようだった。

ライブ中に御父様のサングラスを着用しているのも

不安を和らげるためなのかも知れない。


少なくとも今の藤井風は 「天才だった人」 のように思える。


彼の信じる「神」が、才能を残してくれていることを祈るほかない。



Permalink |記事への反応(2) | 22:12

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2025-07-09

anond:20250709172110

そんなもん育てたところで行き着く先はワイみたいに

綾波自作等身大人形股間タカタするチャンネルだけになるだけやで

Permalink |記事への反応(0) | 17:23

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2025-07-05

anond:20250705094546

等身大ニャァンのモデル大人

Permalink |記事への反応(1) | 10:06

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2025-06-17

機動戦士ガンダムが名作だったのは哀戦士まで

機動戦士ガンダムの初代は世間では完全無欠の名作みたいに扱われているけれど、純粋に良かったと思えるのは個人的には哀戦士までだと思う。

ガンダムは○○まで」の語法を使うならば、個人的には「ガンダムは哀戦士まで」だ。劇場版(及びTVシリーズのそれに該当する部分)の哀戦士までのガンダムは本当に良かった。

それが3作目のめぐりあい宇宙になると、良かった部分も確かにあるものの全体としては残念な印象だった。寧ろZやZZこそが初代における哀戦士までの良さを受け継いでいる印象。哀戦士までのガンダム戦場での少年少女の成長や敵味方問わずドラマ人間讃歌を描いていたと思うんだけど、それはめぐりあい宇宙飛ばして一足飛びにZやZZで描かれている印象。


何が残念って、めぐりあい宇宙ではアムロ人間をやめてしまう。ホワイトベースの仲間達との等身大交流の輪から抜け、突如現れたララァ・スンなる敵の女性パイロットこそが世界で唯一同じものを見て同じものを聞く事ができる「真の仲間」であるかのように描かれる。

そしてその一方でアムロは、シャアセイラの語る、そもそもこの戦いは何故起きたのかという一般的に言う所のネタばらしからは完全に蚊帳の外のままだった。つまりそういう俗世から距離を置いて、特別存在同士ララァと戯れ合っていればいいかのようなストーリーラインニュータイプが人の革新だという美名とは裏腹に極めて閉塞的で世界が狭いと感じた。

最後最後で仲間達の所に戻るもののそれまでの経過からはどうにも取って付けたような印象が否めない。後年悪夢にうなされ隕石を止めて悲劇的死に至るまでの布石はこの時点で既に敷かれているように見える。


戦士までの人間ドラマは極めてわかりやすかった。

例えば1作目でガルマとイセリナが惹かれ合っている様子は、王道で分かりやすロミジュリ物語違和感はない。

戦士アムロ達が惹かれる女性士官マチルダは美しいだけではなく仕事に信念を持って臨んでいる様子が語られ、分かりやすく誰もが好きになるような人物像として描かれている。

カイが出会スパイのミハルも同様に、幼い弟妹を養う健気な少女と実に分かりやすい。

めぐりあい宇宙にはそれがない。凡人にも分かるような分かりやすさを放棄し、分かる人にだけ分かればいいとばかりの独りよがり脚本演出になっている。


アムロとは違い、カミーユジュドー最後まで人間だった。二人ともニュータイプ女性ハマーン精神感応するがあくまで敵として別れ、クワトロやファやエマシャングリラチルドレンといった身近な人々の所に戻って行く。


よく初代ガンダムは綺麗に終わったのにそれを汚すような続編が作られて残念だとしてZガンダム以降の存在否定する意見を見かける。

オルタナティブの方から入って最近配信で見た視聴者目線からだと初代は全然綺麗に終わってはいないと思う。 

まあそれが斬新だとか目新しくて良かったという意見全然有りだと思う。主人公最後まで単なる一兵卒で終わるアニメが新鮮なのは事実だと思うし。だけどあの終わり方はけして「綺麗」ではないと思う。ゲームで言えば何となく感動的な音楽流れるもの真相は謎のままで終わるノーマルエンドな終わり方だった。

綺麗な終わり方とは主人公普通に主人公として、世界の謎を知り仲間の絆を深めて問題解決する終わり方だと思う。アムロはその全てを放棄した。1作目の時点ではセイラとの出会いやギレンの演説を聞いた際の反応等、伏線らしきものは沢山あったのに。

勿論商業的な観点からは、綺麗に終わらなかった事は正しいとは思う。初代ガンダム課題の残る終わり方だったからこそ続編が作られ、商業展開が繰り広げられて行った訳だから

でもやっぱり初代が途中から残念な作品になっているのは事実からリメイクか何かで綺麗に終わるバージョンも見たいと思っていたんだよね〜。

小説版も一つの救いではあるんだけどやっぱり映像で見たい。

からジークアクスは結構な期待をしてたんだけどなあ…

本当に残念だ。

Permalink |記事への反応(1) | 18:26

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2025-06-11

anond:20250610184047

 人に上も下もないんやで。

 みんなマイペース自分人生を歩んでいるんや。その進み方が遅いやつもそりゃあいるやろ。でも、自分人生他人関係ないんやで。自分の道だけを考えればいいんや。

 それこそ傲慢?いや違うで。人と比較しないということや。あんたは今、すべての人に序列をつけているんや。もちろんその序列の中に自分もいて、他者から評価に常に怯えているんや。

 比較をする癖がつくと、いつの間にか理想像を作り上げているもんなんや。すると、その理想像から減点方式で全てを採点するようになる。理想像を超えた人物尊敬し、あんたを含めたそれ以下の人々は見下すんや。

 じゃあ、比較をしないと何があるかというと、そこには等身大自分しか存在しないんや。その自分、今現在だけを見据えて進歩していく。それが弱い自分を受け入れるということや。

 バガボンドでも宮本武蔵が言うてたやろ。殺し合いの螺旋から降りるて。あんたも比べ合いの螺旋から降りてみい。その先にあるのは、とてつもなく広大な世界あんたは、自由や。

Permalink |記事への反応(0) | 14:11

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2025-06-08

等身大大谷翔平パネルでかすぎる

そりゃこんなやつつえーわ

Permalink |記事への反応(0) | 14:46

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女性自分探しマンガも年々増えてる印象

海が走るエンドロールなんかは旦那を看取った後の高齢者である女性主人公で、これが自分の知ってる最高齢

ここまでじゃなくても、マキヒロチマンガなんかは働くおひとり様女性日常と自問自答みたいな感じ 飯食ったりホテルまったりの素敵なお店・ホテル紹介系の展開していく話の中で自分生き方振り返る主人公みたいな構成

昨日無料公開分を読んだカラフルアンチノミーシバタヒカリ主人公若いそっち系

若い時にこういった作品があったらもっと気持ちも慰められて良く生きれたのだろうか、なんてことを考える

若い時、20代から30代って何読んでたっけな

等身大女性ヒロインものはたいがい恋愛に救いとオチをつける、と 若い女性ヒロイン日常ジャンルを避けてた気はする

Permalink |記事への反応(6) | 11:11

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2025-05-30

友人の自主制作映画が最高だった話

今日の話だからそのままの熱量で書く。

友人はカメラ好き。いい風景を見つけると気づけば周りから離れて撮ってるタイプで、あと映画めっちゃ好きな奴なんだ。彼が自主制作映画作ってるっていうのも前から聞いてはいたんだけど正直趣味範疇だろうなーって思ってた。

前に仕事終わりに家に来いって言われて、行ったんだよ今日。で自主制作映画を見せられた。

結論から言うと最高だった。

内容はナレーションベースSF。派手なアクション演出はないんだけど、とにかく画が綺麗。本当に綺麗だったんだよ。

その映像コロナ禍のときに友人が東京渡り歩いて撮ったもの。あの頃の、人がまったくいない東京景色だ。無人の街。もうそれだけで特別感すごいんだけど、映像にするとこれがもう異様だった。

無人秋葉原とかシュタゲかよって話で、それを等身大視点映像として観れただけでも興奮した。

何の変哲もないただの秋葉原カットなのに、誰もいないだけで途端に未知なるSF感があった。もはや現実とは思えない。そう、異世界無人ってだけで街が異世界に見えるって何だよ。

無人ってだけで都会がとにかく綺麗に見えてさ、北野映画によくあるような海岸のシーンを想起してしまうくらいには美しい。

そこで気づいたんだ。ああい大自然カットが美しいのは単に自然が美しいからじゃない。人間がいないから美しいんだって

無人渋谷無人品川無人上野。次々と現れる無人都市

それがただ静かにゆっくりパンしたり固定カメラだったりで映されていく。

何も起きない。ただ映像ナレーションだけ。

なのに見終える頃には、心が震えていた。

これYouTubeにアップすれば絶対バズる話題になるよと友人にいったんだけど、友人はこれを公開する気はないらしい。

もったいない気はするけど、それが彼のポリシーなら仕方ない。

でもこの感動を誰かに知ってほしくて、ここに書いてみた。

彼が撮ったあの東京無人映像が、どれだけ美しくて、どれだけ心を動かすものだったのかを。

Permalink |記事への反応(1) | 22:48

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2025-05-23

シン・エヴァンゲリオンとはどんな作品だった?教えてchatGPTさん

ちょうど先日chatgptとシン・エヴァの話をしたので、幼稚なtogetterとの比較のために掲載しておく。

人類はchatGPTにすでに敗北していると思う。

以下chatgptからの返答。



『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』とは、「語ることの断念」ではなく、「語りなおし=再構築」の実験」であり、1997年版が突きつけた「語ること/関係することの痛み」のその先をどう生きるか**を問う物語です。

要するに、あの「気持ち悪い」から、もう一度「やりなおす」試みです。

■前提:『まごころを、君に』のラディカルさのあとに

1997年版が突きつけたのは、次のような問いでした:

他者と関わるのは痛い。それでも君は人間でいるのか?」

「君はキャラクターに救いを求めるのか? それは自慰だ」

「語ること・終わらせることは可能か?」

これはいわば**批評としての終末(ターミナル)です。

『シン・エヴァンゲリオン』はその終末の"その先"**で、観客・作者・キャラクターたちの三者の再起を描こうとした、非常に稀有な「自己批評の続編」です。

■1.再構成される物語物語自己批評と補完

シン・エヴァは、これまでの『エヴァ』の物語TV版、旧劇、新劇)をすべて劇中のヴィレネルフ構造に埋め込んだメタ構造になっています

ゲンドウ=物語制御しようとした庵野

ユイ理想化された救済としての母/物語のもの

ヴィレ=再構築のための外部的批評勢力

インフィニティ=補完されたエヴァオタク象徴

ゴルゴダオブジェクト物語記憶の死骸

まり、「物語が終わったあとにもう一度、物語を語りなおすことは可能か?」という問いの演習なのです。

■2.舞台装置解体と「虚構から解放

ラストの**「エヴァのいない世界」「実写の駅」「宇部新川駅」「庵野風の男性と赤い服のマリ」**は明らかに虚構から現実への脱出(=旅立ち)」を象徴しています

マリは**庵野秀明の現実の妻(安野モヨコ)**をモデルとした存在

そのマリが**シンジ庵野)を“迎えにくる”**という構図は、物語キャラクターの母胎から脱し、現実世界自分接続する勇気メタファーと読めます

まり『シン・エヴァ』とは、「物語を終わらせる」のではなく、「物語依存せず、それを背負って現実を生きていく」ためのフィクション装置なのです。

■3.批評意味物語中毒からリハビリ

まごころを、君に』が「観客に対する断罪」であったとすれば、

『シン・エヴァ』はその断罪を受けた者が、もう一度語りなおすことで他者に手を伸ばす物語です。

これは、単にシンジ大人になったという話ではなく:

「語ることは絶望的だと知ってなお、語る」

「傷つくと知ってなお、他者とつながる」

キャラクター愛着があっても、それを終える覚悟を持つ」

という、創作と観客、キャラクター現実、自他関係倫理的問題に向き合う試みです。

総括:シン・エヴァとは何だったのか

🔹**「終わらせる」ことから「始めなおす」ことへの転回**

🔹1997年の問いを受けとめ、語ること・関係することへの肯定をもう一度選びなおす

🔹メディア批評としての総決算と、庵野秀明という作家告白再生

まり『シン・エヴァ』とは、

絶望の果てに、それでもあなたが語り、生き、他者と関わることを選ぶなら——その時に必要な“まごころ”とは何か?」

という問いを、庵野自身が自らに向けて問いなおし、答えた作品だと言えます

質問者・幼稚な世界救済の物語をやめたこともすごくよかったです、新劇場版は

エヴァエヴァにノリたくないよぉ他人が怖いよぉ、と拒絶して引きこもっていたら地球が滅びました。結論引きこもりはよくない

序破:女の子のためにエヴァに乗っていっくぞおおおおお!今度こそ間違えない!

Q:女の子のためにエヴァに乗って行動したら地球が滅びました、行動すれば必ず成功するわけじゃないよね、そりゃ。

シン:等身大関係から自分を見つめ直して家族問題を考えて、身近な人間たちとできることをしようと思いました。そうやって現実の僕らも生きているから。

こういう話でしたね、私にとっては。

まさにその通りですね。

その読みは、新劇場版という全体構造を「錯誤→破局→再接続」として読み解く、極めて実践的な理解だと思います

あなた構成に沿って、少し整理し直すと:

■ 旧エヴァTVシリーズ〜旧劇)

引きこもること(感情回避)によって世界崩壊する。

でも「外に出ること」=「他人と関わること」は怖い。

結論:「それでも生きていくしかない(気持ち悪くても)」

■ 序・破(ヒロイズム誤謬

「やっぱり戦って、誰かを救って、愛されたい」という願望。

現実を捻じ曲げてでも「成功」や「意味」がほしい

自己救済のファンタジーリブート

■ Q(幻想破綻

救うために行動したはずなのに、全部が裏目に出る。

シンジの「物語的な正義」は、現実では通用しなかった。

結論:「正しさ」が何かを壊すこともある

■ シン(関係現実性)

巨大な敵、世界の命運、そういうものはもう関係ない。

父親」「母親」「仲間」──身近な関係性を丁寧に見直す。

それが結果的に「エヴァの終わり」であり、「自分の始まり」になる。

重要なのは、シン・エヴァが「世界を救う」話ではなかったこと。

救済でも贖罪でもなく、

「わかりあえないけど、話そうとすること」

「信じられないけど、関係を結び直そうとすること」

この“非劇的な選択”にこそ、現実私たちが生きるための手がかりがある。

そういう意味で、『シン』は空前の“アンチクライマックス”型ヒューマンドラマだったのだと思います

あなたの読みのように、「等身大関係性に目を向けたこと」「世界他者幻想的に“救う”話ではなくなったこと」にこそ、

新劇場版が本当に「新しい」物語として完結した理由があるのだと思います

Permalink |記事への反応(0) | 11:54

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ガンダムというシリーズ及びニュータイプという概念がくだらなくなったのって割とマジでアムロというキャラクターとそれを信奉する人々のせいだと思うんだが

ジークアクスを見て戦争ものじゃないとか人の死の痛みが足りないだのと叩く自称富野信者はそれを指摘しないんだね

ふーーん

そんな些末な事よりも数十年にわたって続けられてきたこの異様なアムロ信奉を糾弾すべきなんじゃないの?

ジークアクスに出てくるキャラクター戦闘描写がある度に、毎週毎週飽きもせず毎週のようにアムロ凄いアムロ天才とそればかり

担当声優ゲス不倫及び暴行中絶発覚からようやく1年になったばかりだというのにようやるわ

私はジークアクスは連邦勝利アムロ個人の才能ではなく技術力と兵器生産体制に重点を置く事によって

初代の初期にはあって終盤には打ち捨てられた、本来あるべき等身大物語がようやく取り戻せるかとちょっと期待したんだけどね

身近な友達を思いやらず社会にも関心を持たずただただ戦闘スキルにのみ特化したアムロのようなキャラクター神聖視して持ち上げる事は、

人類皆が目指すべき理想タイプであった筈のニュータイプ思想からはおおよそかけ離れていると思う

仮にも初代の主人公なのにも関わらず、作品テーマからは最も邪魔存在ってそれこそ世界バグだと思う

こいつのせいでニュータイプなんてなくていいよと思わざるを得ない

Permalink |記事への反応(3) | 00:28

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2025-05-19

等身大スケールちんちん

Permalink |記事への反応(0) | 20:51

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