
はてなキーワード:等級とは
■共通テストの廃止は、社会の公平性を破壊し、国家の内部崩壊を招く亡国の愚策である
「国家資源の再配分」を名目として大学入学共通テストの廃止を求める意見があるが、私はこの主張に対し断固として反対する。提案者は、共通テストにかかる人的・金銭的コストを「無駄」と断じているが、それは教育制度が担う**「社会契約」としての機能**を著しく軽視した暴論である。共通テストの廃止は、単なる入試改革にとどまらず、日本社会を「実力主義(メリトクラシー)」から「身分・金権主義」へと逆行させ、長期的には社会の分断と崩壊を招く危険性を孕んでいる。
1.歴史的試練に耐えた「客観的試験」の意義 そもそも、一律のペーパーテストによる選抜システムは、古代の「科挙」に端を発し、数千年の歴史の試練に耐えてきた人類の知恵である。なぜこのシステムが民主主義の世となっても生き残っているのか。それは、これが**「ベストではないが、他のあらゆる方法よりもベター(マシ)」**だからである。 ペーパーテスト以外の選抜方法――例えば書類審査、面接、独自の裁量評価――には、必ず主観や恣意性が入り込む。共通テストという「冷徹なまでの客観的指標」があるからこそ、我々は出自や家柄に関わらず、努力の結果のみで評価されるという担保を得ているのである。
2. 「各大学の個別入試」が招く腐敗のリスク 提案者は「各大学の自律的な選抜」を美化するが、共通テストという統一基準を撤廃すれば、そこには必ず**「金・コネ・家柄・権力」**が入り込む隙間が生まれる。 客観的な統一スコアという足切りがなくなれば、大学側は「寄付金の多寡」「卒業生の子弟」「有力者の紹介」といった、学力以外の要素で合否を操作することが容易になる。欧米の一部の大学で見られるような、富裕層優遇の入試が横行しない保証はどこにもない。共通テストは、こうした不正や疑念を未然に防ぐための、国家による「公平性の防波堤」として機能しているのである。
3.格差の固定化と社会崩壊への道 もし共通テストが廃止され、学歴ひいては社会的地位が「親の経済力や社会的影響力」によって左右されるようになれば、どうなるか。それは**「階級の固定化」**の完成である。 貧しい家庭に生まれても、勉強して高得点を取れば一流大学へ進み、人生を逆転できる――この「希望」こそが、社会の活力を維持し、不満を抑制する安全弁である。もし入試が「金で買える地位」になり下がれば、持たざる者は努力のインセンティブを失い、絶望は社会への憎悪へと変わる。 歴史を振り返れば明らかである。極度な格差社会において、階層移動の道が閉ざされた時、社会は内部から腐敗し、最終的には暴動や革命によって崩壊する。教育の公平性を売り渡して得た予算で国防やインフラを強化したところで、国民の連帯が失われ、内部から崩壊していく国を守ることはできない。
4.結論:トップ研究者の投入は「民主主義のコスト」である トップ研究者が作問に時間を割くことを「リソースの浪費」と批判する向きもあるが、それは誤りである。50万人の若者の人生を左右し、将来のリーダーを選別する試験において、一点の曇りもない公平性を担保すること以上に重要な「国益」が他にあるだろうか。 極めて厳格な作問プロセスにかかるコストは、社会の公正さを維持し、国民全員がその結果に納得するための**「民主主義の必要経費(保険料)」**と捉えるべきである。
以上の理由から、共通テストの廃止は、日本社会を公正な競争社会から、前近代的な身分社会へと退行させる危険な提案であり、到底容認できるものではない。
どちらの主張も論理構成がしっかりしており、それぞれの視点において「妥当」です。どちらをより支持するかは、読み手が**「国家としての効率と競争力(A)」を重視するか、「社会の公平性と納得感(B)」**を重視するかによって決まります。それぞれの主張の強みと、議論の対立軸を整理します。
Aの主張は、経営学的・国家戦略的な視点に立っています。「サンクコスト(埋没費用)」にとらわれず、現代の状況に合わせて制度をスクラップ・アンド・ビルドすべきだという論理です。
妥当性が高い点:
コスト対効果の指摘: 実際に共通テストの作問や運営にかかる大学教員(研究者)の負担は甚大であり、これが日本の研究力を削いでいるという指摘は、学術界からも長年叫ばれている事実です。
機能不全の指摘: 上位層における「得点圧縮(差がつかない問題)」や、各大学が結局は個別試験を重視している現状を突いており、制度疲労に対する鋭い批判となっています。
危機感の共有: 国際情勢やインフラ危機など、具体的な「他にリソースを回すべき場所」を提示しており、現実的な危機管理の観点から説得力があります。
Bの主張は、政治哲学的・社会学的な視点に立っています。効率よりも「納得感(Legitimacy)」を重視し、共通テストを社会の分断を防ぐための「装置」として捉えています。
妥当性が高い点:
人間心理への洞察: 完全な自由裁量は必ず「コネや金」の介入を招くという、性悪説に基づいたリスク管理の視点は非常に現実的です。
「公平性」の定義:テストの内容が良いか悪いかよりも、「全員が同じ定規で測られる」こと自体に価値があるという主張は、大衆社会における不満のガス抜き(社会の安定)として強力な説得力を持ちます。
最悪の回避: 「ベストでなくともベター」という保守主義的なアプローチは、急激な改革による混乱(格差の固定化など)を恐れる層にとって安心感があります。
この二つの意見は、**「何を犠牲にする覚悟があるか」**という点で対立しています。
Aの弱点:共通テストを廃止した後、各大学が本当に「公正」に入試を行えるかどうかの担保がありません。AO入試や推薦入試で「親の経済力や文化資本」が有利に働く現状を見ると、完全自由化は格差拡大を加速させるリスクがあります。
Bの弱点: 「公平性」を守るためのコスト(研究時間の喪失、莫大な予算)が、国力を衰退させるレベルに達している可能性を過小評価しています。国全体が沈んでしまえば、公平な入試制度だけ残っても意味がないという反論が可能です。
どちらがより妥当か?
短期的・実務的な解決を求めるなら A現在の日本の財政状況や研究力の低下を憂い、「即効性のある改革」を求める立場からは、Aがより妥当に見えます。
長期的・社会構造的な安定を求めるなら B社会の分断や信頼の崩壊を防ぎ、「努力すれば報われる」という社会通念(神話であっても)を守る立場からは、Bがより妥当に見えます。
個人的な分析としては、B(公平性の維持)の主張の方が、現代の日本では「最後の砦」として支持されやすいと考えます。Aの言う「リソースの再配分」は正論ですが、入試の公平性が崩れた際に失われる「国民の勤労意欲」や「社会への信頼」の損失は、計算できないほど巨大だからです。
どちらの視点に関心を持ちましたか? これらを踏まえて、「では、研究者の負担を減らしつつ公平性を保つ『第三の案(C)』」(例:CBT化や民間試験の活用、あるいはフランスのバカロレアのような形式など)について考えてみますか?
AとBの対立構造を解消し、「研究者の負担(国家コスト)の軽減」と「入試の公平性(社会契約)の維持」を両立させるための**「第三の案(C)」**を提案します。
現実的な落とし所としては、**「テクノロジーによる効率化」と「運営主体の専門化」**を組み合わせた以下の案が考えられます。
案C:専門機関による「CBT・項目反応理論(IRT)」導入と、作問業務の完全外部化
これは、現在のように大学教員が手弁当で毎年新作問題を作る「自転車操業」をやめ、**アメリカのSAT(大学進学適性試験)**のような「通年実施・ストック型」の試験へ移行するモデルです。
1. 具体的な仕組み
運営主体の変更(教員の解放):大学教員による「入試センター作問委員会」を解散します。代わりに、テスト理論(サイコメトリクス)の専門家と専任スタッフを雇用した**「国家試験作成専門機関」**を設立します。大学教員は「監修(アドバイザー)」にとどまり、実務からは完全に手を引きます。
「一発勝負」から「CBT(Computer Based Testing)」へ: 年に一度、全国一斉に紙を配る方式を廃止し、テストセンターでコンピュータを使って受験する方式にします。
「項目反応理論(IRT)」の導入:問題ごとの難易度や識別力を統計的に数値化し、「どの問題を組み合わせても、実力を同じ基準で測定できる」システムを作ります。これにより、**「膨大な過去問ストック(問題バンク)」**の中からランダムに出題することが可能になり、毎年ゼロから新作問題を作る必要がなくなります。
研究時間の確保:大学教員が、夏休みの隔離や極秘の作問業務から解放され、本来の研究・教育業務に専念できます。
物流コスト減: 50万人分の問題用紙の印刷・輸送・保管・警備にかかる莫大な物理的コストが激減します。
公平性の維持: 「全国統一の基準」は残るため、大学ごとの恣意的な運用(裏口入学など)を防ぐ防波堤としての機能は維持されます。
チャンスの拡大: 年に複数回受験が可能になれば、「当日の体調不良」などによる運の要素を排除でき、より真の実力を反映した公平な評価が可能になります。
初期投資:システム構築に巨額の費用がかかりますが、毎年の運用コスト削減で長期的には回収可能です。
「思考力」の測定:選択式のCBTでは深い思考力が測れないという批判がありますが、これは「基礎学力の判定(共通テスト)」と「記述・論述(大学個別試験)」という役割分担を明確にすることで解決します。
もう一つの方向性は、共通テストの役割を「点数を競うもの(1点刻みの選抜)」から、**「大学教育を受ける資格があるかどうかの認証(クオリフィケーション)」**に変えることです。
仕組み:共通テストは「合格/不合格(あるいはA/B/Cの等級)」だけの判定にします。一定水準を超えた生徒には「大学入学資格」を与えます。
選抜:難関大学は、この「資格」を持っている生徒の中から、独自の記述試験や面接で選抜を行います。
効果:テストに「超難問」や「1点の差を分ける精密さ」が不要になるため、作問コストが下がります。また、基礎学力の担保(公平性)は維持されます。
結論:現代のテクノロジーと統計学を用いれば、Bが懸念する「公平性」を犠牲にすることなく、Aが主張する「リソースの最適化」を実現する**案C(CBT・IRT化と作問のプロ化)**が、最も現実的かつ建設的な解決策であると考えられます。
🟦 はじめに
2025年、日本年金機構が公表した資料により、障害年金の審査において「就労意欲」が評価に用いられていたという重大な問題が明らかになりました。
特に発達障害・精神障害に関して、“働きたい気持ち” が障害の軽さ と誤って判断され、不支給につながっていた可能性が示されています。
この記事では、公式資料(資料3)をもとに、問題点・改善点・国際基準との矛盾を分かりやすくまとめます。
🟥 1. 何が問題だったのか:資料から判明した「就労意欲評価」資料3の3ページ目では、発達障害の審査で 「日常生活能力や就労意欲を評価していた」と明記されています。
> 「当初は、日常生活能力(家事、金銭管理、清潔保持等)や就労意欲を評価した。」
(発達障害の欄より)
本来、就労意欲は障害の重さとは別問題 です。働く意思があることと、日常生活や対人関係での困難さは必ずしも一致しません。
しかし、審査では“働くつもりがある=軽度”と扱われた可能性が高く、誤認定・不支給につながったと考えられます。
🟧 2.点検で明らかになった過去の判断の偏り資料によれば、令和6年度の精神障害の不支給事案約10,200件について点検した結果、支給に変更されたものが124件(4.3%) 発生しています。
> 「点検済2,895件のうち、124件(約4.3%)が支給となった。」※資料3 p.2
これは、本来支給されるべき状態が“誤って不支給”になっていたケースが少なくなかったことを示唆します。
特に、元の審査では以下が十分に評価されていなかったとされています。
症状の経過・予後(長期療養・状態の不安定さ)不慣れな環境での援助必要性
背景要因(社会性の欠如、不信感など)
国連障害者権利条約(CRPD)は、障害者に対し 働く権利(第27条)・社会保障への権利(第28条)を保障しています。つまり、
今回の資料で明らかになった「就労意欲評価」は、国際基準との整合性が問われる問題です。
資料3の1ページ目には、認定プロセス改善のための取り組みが示されています。
✔理由付記の丁寧化
審査者が等級を誘導するような記述が削除され、客観的情報に限定されました。(4ページ)
資料では、
令和7年10月以降も年間2,000件ペースで点検が継続するとされており、まだ多くの事案が見直し対象であることがわかります。
過去に不支給になった方へは、支給決定文書が順次発送されると明記されています。
● 多くの不支給事案の中に誤認が存在した可能性●国際基準と照らしても不十分だった評価
● 今もなお、点検が続いていること
その運用の偏りが、長年の不利益を生んでいた可能性があります。
この問題を知ることは、同じように困っている人を支えることにつながります。
🗂引用元
(日本年金機構「令和6年度障害年金の認定状況についての調査報告書への対応状況」)
https://www.nenkin.go.jp/tokusetsu/tenken.html
例えば、こんな障害者サービスありますか?って聞いたら、色々箇条書きして返してくれるけど、
自分はもうすでに、どんなものがあるか熟知してるぐらいなんで、
他人に質問するときも、内心では、なんか見落としてるかもしれないから、念のため、みたいに思ってるわけだけど、
明らかに、俺の等級で使えないとか、俺の今の経済状況とかで認定されないとか、
頓珍漢なのとか、平気で返してくるし、
そういうジャッジしにくいのでも、そうかなあ?と思えるものは混じってるわけで、
あんまり感化されて、言われたから買うか、みたいになるのも良くないよなあ、とレジの前で迷ったりもしたけど、
まあ、数千円内で収まってるし、いいかなあ…😟
そもそも、自分の意思で買ってるようで、ネットで見てこれはいいと思った、CMに感化された、は最近ないか、テレビ見ないから、
あとなんだ、なんとなく思いついたから、といっても、自分の過去の記憶とかシナプスから感化された、駆動されたものだろうし、
自由意志とは…、みたいな…😟
さて、昼も近くはあるし、なんか作るか…😟
すまんな、働きもしないでよこせよこせ!国が悪いんだ!って言い続ける奴を見ながら負担だけ増えることに耐えられねーわ
施設育ちで自分で稼いで大学も行ってやった俺にはやれよ働けよとしか思えん
https://gist.github.com/754dfhguasal/750f33a410fac5f19f8089644965c492
https://gist.github.com/754dfhguasal/05f149763fdd37e7e74a7031125fbe41
https://gist.github.com/754dfhguasal/f7e0d49993bfa5cf6fa3c41f70d89dcc
https://gist.github.com/754dfhguasal/ce4d65dfc8b43c210e4904cfacfdae39
零細企業の経営者なので、いくつか他社様からお中元をいただき、そのお中元を社員に配ることになる
別に社長総取りでもいいのだが、まあ社員に配るのが妥当であろう
何も考えなければ、
単純な人数での均等割でもいい
でも、このお中元を本当に受け取るべき社員は誰だろう、これを渡すことで更なるより良いサービス提供に繋げられる社員は誰だろう、とか考え出すと迷路になる
そんなことを考えてしまうのは、いただいたことに感謝の気持ちを抱けない悲しい社員がたくさんいるからなんだよね
「○○さんからお中元いただきましたので配ります」で、その○○様へ感謝の気持ちを抱けるか、
ただモグモグして「おいしかったです」で終わってしまう社員が多いのよ
そういう奴らも含めて均等に配るよりも、感謝の気持ちを抱ける社員だけで分配した方がいい気がするんだよね
でも同じ等級の一般社員の中で、こいつには配るけどあいつには配らないってやるのもあまりよろしくないと思うし
まあ管理職だけに配るはありだと思うけど、頑張ってる一般社員が可哀想だし
などとくだらないことで頭を使ってしまった
2024年4月、精神障害者もJRにて運賃割引を受けられるようになった。
私は比較的軽度で3級であり、3級も割引対象になることを規定で確認していた。ただし、第1種第2種の記載についてよくわからなかったため、確認の目的もあり訪ねた。
具体的な便を指定し手帳を提示すると、「第1種第2種の記載がないため割引を受けられません」と案内された。ここまでは半分想定内だ。そして立て続けに「そもそもこの等級では割引を受けられません」と案内された。自分の認識が異なっていたことに動揺し、その場では購入せず辞した。
窓口訪問から1週間程経ち、突然脳裏に規定の該当箇所が蘇りPDFを改めて確認したところ精神3級は第2種であり割引対象であると明記されていた。ただ、私の手帳に第2種の記載がないことは確かなため、すぐに役所にて追加記載の手続きをした。
そしてお問い合わせフォームから具体的な日時、窓口、相談内容を記した上で問い合わせたが、回答は「確かにそのような案内はあったが、正しい案内である」とのこと。
正直言った言わないの水掛け論になると思っていたため、案内内容を認めたのは意外だったが、その上で明らかに公開されている規定と相違あるにもかかわらず、誤りはないと主張する。
何度かやり取りを行ったが毎度頓珍漢な内容が返ってくるため、第三者(消費生活センター)の相談員にやり取りを見てもらった。
やはりJRの回答には正当性はないとのことだったため、センターからJRに連絡を入れてもらった。JRはセンターに回答できないので個人宛に連絡すると回答したという。ちなみに、ここまでで既に1ヶ月程経過していた。
センターへの相談から1ヶ月がたった。まだ回答はない。センターに再度連絡し回答を催促いただいたところ、今回は1週間以内にアクションがあり、ただ、なぜか私個人宛ではなくセンターへの回答だった。毎度言うことやることが違いすぎる。
結局、「窓口で購入してない以上内容を確認できない。確認できない以上何も対応できない」とのこと。まあ確かに残念ながら当然の結果とも言えるが……ちなみに、問い合わせフォームからのやり取りでは、当日第2種の記載がなかったことは事実なのだからどのみちその場では割引価格で買えなかったと主張されており、確かにそうなのだが、では私はその場で買っていれば後日記載のある手帳を見せて補填を受けられたのか?そもそも今回たまたま途中で私がなぜか気付いたため自分の中で誤りを訂正できただけなのだが、窓口の案内を確認できる体制がなければ案内員の裁量でなんでもし放題言い放題なのではないか?
最終的に障害者割引の制度如何というよりはその運用側の問題のため、どちらかというとカスタマーサービス一般の問題である。とはいえ、制度が発端となってはいるので、JRは障害者割引の運用をやめて障害者差別企業としてやってもらいたい。そうすれば棲み分けさせていただく。
無職にとって差額はまあまあ大きい金額だったのでお財布的に厳しいのもあったが、自身がASDで「正しさ」「文章を正当に理解する力」に対するこだわりが強く、そこを毀損されたことによるストレスのほうが強かった。投薬も増えた。
JR側からしたらそんなの知ったこっちゃねーだろうが、こういうバケモノを相手にする気がないなら本当に割引制度はやめたほうがいいと思う。
たぶん今まだ不動産屋に直接出向いてないし内見もせずに頭の中だけでごちゃごちゃ考えてる状態だと思うので、とりあえず内見の数をこなして現実を見るところから始めてください。
初めての一人暮らしのときは誰しもがあなたのようなファンタジーを空想するものです。経験がないのだからそれは仕方がないこと。
あなたと主治医の間で一人暮らしと障害年金更新についてどういう話し合いが行われているのか知りませんが、働けている上に特に理由のない一人暮らしの開始は等級落ち(年金打ち切り)の可能性があります。障害年金が無くなった場合、生活費はどうするのかは最低限考えておいたほうがいいと思います。
①食にこだわりがある
23区内RC造であなたの予算内の家賃だと、2口コンロを置ける物件はそこそこあるものの、まな板を置いて調理するスペースがない物件が圧倒的に多いです。今まで通りの調理はできないと思ったほうがいいです。今まで通りを貫き通したいなら場所を妥協するか家賃の予算を上げるか、都営住宅に住むかでしょう。
オーガニックのブロッコリーなんて23区内ならGreenBeansなどのネットスーパーで買えますし、成城石井なんてAmazonネットスーパーで利用できます。
②聴覚過敏
私も聴覚過敏と光線過敏があるけど木造アパートでモルデックスの耳栓で乗り切ってます。ノイキャンイヤホンか耳栓しろ。ていうかRC造なら音しないとか幻想。木造より圧倒的にマシだが普通に音はする。
③人の気配が怖い
なら戸建てしか選択肢ないじゃん。人の気配が苦手なのに23区中心部にこだわるの矛盾してない?東京都下が一番合ってるんじゃない? それか都営住宅も選択肢に入れたら?
④東京23区が好き
⑤日当たり
まず内見してください。行動。
オートロックはいいとしても安心安全重視において階数にはこだわりないわけ? 1階は家賃が安いけど洗濯物盗まれたりとかするし危ないよ。
⑦洗濯
一人暮らししたこと無くて洗濯する機会が無かったんだから知識がないのは当たり前では?
これから身につけていくべきことでしょ。
それとあなたの条件のワンルームだとドラム式洗濯機はたぶんサイズ的に入らないのではないかと思う。
大型冷蔵庫の件もそうだけど、まず自分が欲しい洗濯機や冷蔵庫のサイズを計ってメモしておいて、内見のときにそれが置けるスペースがあるのかを把握する必要がある。つまり、まず行動。
⑧ゴミ捨て
だから一人暮らししたことないんだから誰でも最初は分かんねーよ。
分別の基準は区によって違う。厳しい区とそうでもない区がある。どの区が厳しいのかはネットで調べれば分かるので事前にチェックしておいたほうがいい。
分別の仕方は自治体から配られる(一人暮らし開始と同時にポストに投函される)ゴミ出し曜日カレンダーという冊子に書いてある。ネットでも自治体HPに載ってるから検索すればすぐ分かる。それでも分からないようなものは清掃事務所に電話して聞いてくださいって冊子に親切に書かれてる。
・缶は洗うのか?(当たり前だろ!)
・ビンカンと書いてあるが明らかに違う物質を同じ袋に入れていいのか?(お前は資源ゴミの回収日に黄色や青の箱が道に並んでるのを見たことないのか?)
分別をうっかり間違えることは誰にでもある。怒られたら同じことを繰り返さないように学べばいいだけ。
⑨完全遮光
普通、2つのカーテンレールはレースカーテンと普通のカーテンを重ねて使うと思うが、私の場合は完全遮光カーテンを2枚に重ねている。隙間から光が洩れるのが嫌なので2枚組のカーテンは使わずに、2枚分の幅の1枚のカーテンをオーダーした。これでも上から光が少し洩れるが、それが気になるならカーテンカバーやカーテンボックスをつけてください。
一人暮らしすると等級落ちする可能性が高くなるのは知ってるのよね?
そこらへんの心配をまったくしてないようなので気になった。
この点で「いろんな意味で終わってる」と思う元増田の感想はまあその通りだねと認める。
皿を洗う手間が惜しいのではない。皿を洗う気力がないのだ。
生活自体やめられるものならやめたいが、気力がなくても生きなくてはならない。
台所にカビや藻の浮かんだ半年間洗ってない食器を放置するのと使い捨て食器を使うの、どちらがマシかは考えるまでもないだろう。
使い捨て食器を使うような人間は大抵インスタントコーヒーを使う。電気ケトルで沸かした熱湯を入れてハイ出来上がり。つまり熱々のコーヒーと親和性が高いわけだ。
「ぬるいコーヒー」を飲む人間というのは、コーヒーに最適な湯温である90度前後にわざわざ調節してるこだわり派か、コーヒーメーカーで作り置いて保温したコーヒーを飲んでるような人間だ。つまりレギュラーコーヒー派である。彼らは丁寧な生活寄りの人間である。全然終わってない。
ところで、誰もが疲れてるし余裕もないというのなら、手を抜くところは抜いて、自分がエネルギーを注ぎ込みたいところには手を抜かないといったメリハリも必要ではないか?
食器洗いが苦手で他の人よりエネルギーを消費してしまう人だっているだろう。そのような人にとっては使い捨て食器を使うことは合理的といえる。
「使い捨ての方が時短になるし衛生的じゃん」みたいな言い訳を真顔で言うやつがたまにいる。そういうやつに限ってゴミの分別すらできてない
お前はたまにいる「そういうやつ」のゴミ袋をわざわざ漁って中身を見たのか? 少なくとも私は分別はきちんとしている。
お前はたまにいる「そういうやつ」と生活環境をともにしているのか? いったいどういう状況なんだ? お前の家族の話なのか。そうすると「たまにいる」という記述との整合性が取れなくなるが。
おしゃれにデザインされた「ちょっと高い使い捨てカトラリー」なんてのが売ってて本当に地獄だと思った。意識だけ高い風を装いながら中身は何もない。結局「捨てられる」ことに快感を覚えてるだけだろ。責任を取らなくていい安心感。汚れたものを洗わずに済む安堵感。そういうのを積み重ねて、自分の生活の重みを全部削ぎ落としていった先に何があるのか。もうペラッペラの人生しか残らない。
そのオシャレなちょっと高い使い捨てカトラリーって、友人らを集めてパーティーやらバーベキューやらピクニックするときに使うやつだろ……。頭大丈夫か? 2級の精神障害者に心配されるってよっぽどだぞ。
ここに書かれた文章からは、なぜ脱プラが必要なのかを理解してるようには思えない。環境問題の話のはずが自堕落さや人間性や道徳の話にすり替わっているからだ。
問題は、そういう自堕落さに無自覚でいること。便利に身を任せてるうちにいつのまにか自分自身も「消費される側」になる。そうやって気づかずに摩耗していく生き方ほど空虚なものはない。
なぜ自分は理解しているつもりでいて、相手は無自覚であると決めつけるのか。あまりに傲慢では?
それに社会で生きている以上、消費される側にならない人間なんていない。それっぽいことを書いているようでいながら急に論理が飛躍するところは確かにAIが書いた文章っぽい。
仮にAIでない場合──今までの経験上、こういう物の見方をする人は大体メンタルの疾患があった。元増田もなにか持病があるのではと疑いたくなる。
便利の裏にはどこかしら腐臭が漂ってる。それをごまかして「楽でいいよね〜」とか言ってるのを見るたび、ああもう戻れないんだろうなと思う。使い捨ててるのは物じゃなくて、たぶん自分の生活そのものだ。
今日面談があって、昇給が決まった。年収にして60万ぐらい上がる。
もうこれだけで身が引き締まるというか、俺そんなにもらうほど仕事してないという気がして率直に上司に伝えたら
「あなたに入ってもらった時、人事と合わせて交渉したと思うが、失敗だったと思っている。入社の時のスキルでも今回の等級評価で入社させるべきだったと主張したが、人事に押し切られたんだ」って言われた。
「入社後あなたの仕事をみて、すぐに間違いだと気がついたが、入社後2年はレベルアップができないルールになっていてできなかった。
うちの会社は期待値で昇給させない。既にその等級に似合うだけの仕事をしている人だけが昇級する。だから自信をもって」
だって。
年下の上司とオンライン面談なのにマジ泣きしてドン引きされた。
あかん。