
はてなキーワード:等価とは
日本経済の長期停滞を説明する理屈はいくらでもあるが話は驚くほど単純だ。
原因は需要不足でもデフレ心理でもない。ルールを破壊し、価格シグナルを歪め、貨幣を政治目的に従属させたことだ。
ケインズ派の基本動作は、景気が悪いと見れば政府が需要を作り、財政赤字と金融緩和で穴を埋めることにある。
だが成長は支出から生まれるのではなく、生産性とインセンティブから生まれる。
それを中央銀行と財政当局が踏み潰す行為は、市場という分散計算機に砂糖水をぶちまけて自己放尿するようなものだ。
日本で起きたのは、貨幣の中立性を信じない政策当局が、期待形成を自分たちで管理できると誤信した結果だ。
量的緩和でマネタリーベースを膨張させ、金利をゼロに貼り付け、将来の不確実性を消せると考えた。
しかし合理的期待の世界では、予見可能な政策はすでに価格に織り込まれる。予測可能なインフレ目標は、予測可能に無力化される。
ここで起きるのは刺激ではなく、リスクの社会化とゾンビの温存だ。
退出すべき企業が退出せず、資本は低生産性部門に拘束され、全要素生産性は下がる。
財政側も同じ構図だ。公共投資で需要を作ると言いながら、実際には政治的配分で資源を歪める。
限界効用の低い支出に税と国債を投じ、将来世代に負担を転嫁する。
リカードの等価定理を完全に満たさないにせよ、将来増税の予想は現在の消費を抑制する。
さらに悪いのは、金融と財政の結託である。中央銀行の独立性を空洞化させ、財政規律を金融で肩代わりする。
これは金融抑圧と財政拡張のダブル放尿だ。金利という最重要の価格を潰し、政府の予算制約を見えなくする。
市場参加者は学習する。将来のルールが恣意的だと分かれば、長期投資は萎む。短期の裁定だけが増える。
k%ルールに象徴されるように、裁量ではなく予測可能性が重要だ。
日本は逆をやった。状況に応じて目標を変え、手段を増やし、説明を付け足した。
その結果、政策はノイズになり、期待は不安定化した。貨幣は中立でなくなり、しかも望ましい方向には動かない。
これらは症状であって原因ではない。
原因は、価格システムを信頼せず、政府が最適配分を計算できると考えた傲慢さだ。
日本で観測されたのは、ケインズ派の自己放尿が制度化され、止めるブレーキが外れた状態だ。
結論は地味だが冷酷だ。
貨幣政策は予測可能に、財政は制約を可視化し、退出を許容する。
それができない限り、自己放尿は続き、成長は戻らない。
================================================================================
OECD加盟国可処分所得調査レポート(2024-2025年版)
================================================================================
データソース:OECD Income Distribution Database,Societyat a Glance2024
換算レート: 1USD = 150円(2025年平均レート約149.6円を基準)
================================================================================
【1】等価中央値可処分所得ランキング(2021年データ・PPP調整済)
================================================================================
1ルクセンブルク $49,748 746.2
4スイス $39,698 595.5
5カナダ $39,388 590.8
6オーストリア $37,715 565.7
8アイスランド $36,853 552.8
9オーストラリア $36,835 552.5
14ニュージーランド $32,158 482.4
29ラトビア $19,908 298.6
37メキシコ $6,090 91.4
--------------------------------------------------------------------------------
OECD平均(中央値): $26,884 (403.3万円)
日本: $21,282 (319.2万円) -OECD平均を下回る
--------------------------------------------------------------------------------
人は往々にして、自分と価値観を共有する場で語ることを「発言」だと誤認する。
だがそれは多くの場合、既に同意が成立している空間に向けた確認行為でしかない。
外部に影響を与えない発話は、政治的にも社会的にも、ほぼ等価に自己放尿で終わる。
だが快適さは情報更新を阻害する。異論のない環境では論拠は磨耗し、概念はスローガン化し、最後は「分かってる俺たち」という内輪のナルシシズムに堕ちる。
これは承認と同調のダブル放尿だ。本人は何かを主張しているつもりだが、社会的には何も移動していない。
例として分かりやすいのが、パヨ御用達のSNSでネオリベ主張をするべきである。
多くの人は逆をやる。ネオリベはネオリベ村で語り、反ネオリベは反ネオリベ村で叫ぶ。
結果として何が起きるか。各陣営の主張は先鋭化し、相手の主張は歪んだカリカチュアとしてのみ消費される。
だからこそ、論は研ぎ澄まされる。
これは知的トレーニングであり、同時に社会的に意味のある情報伝達だ。
重要なのは「相手を説得できるか」ではない。多くの場合、説得は起きない。
効いているのは周辺だ。敵陣営の空間には、完全に染まりきっていない観測者が必ずいる。
【はじめに】
システム工学的「エポケー(判断保留)」と、リヴァイアサンの代謝
本稿は、現代日本政治における「権力と宗教」の構造的癒着、および「山上徹也」という事象を、道徳的善悪の彼岸にある「システム工学的な機能不全と最適化」の観点から記述する試みである。
あらかじめ断っておくが、本稿には犯罪行為を正当化する意図も、特定の信仰を弾圧する意図も一切ない。
現象の「論理的解明(Explanation)」は、決して行為の「倫理的擁護(Justification)」と等価ではない。
病理学者がウイルスの感染経路を淡々と追跡するように、筆者は犯罪者も、政治家も、信者も、すべて巨大な統治機構(リヴァイアサン)を構成する「部品」および「代謝産物」として等価に扱う。
読者が感じるかもしれない不快感は、システムそのものが内包する「非人間的な合理性」の反映に過ぎない。
筆者は前稿『歪なリヴァイアサン』において、自民党を「魂(イデオロギー)を持たない利益配分マシン」と定義した。
しかし、高度成長が終わり、配るべき「カネ(利益)」が枯渇したとき、魂を持たないこのマシンは、いかにして自らを駆動させる熱量を調達するのか?
本稿は、この問いに対する回答である。
システムは生存のために、外部から「安価な魂」と「無料の労働力」を調達する必要があった。その調達先こそが、統一教会という名の「政治的下請け業者(BPOパートナー)」である。
本稿では、リヴァイアサンがいかにしてこの異物を「召喚」し、その病理的な代謝プロセスの中で、いかなる副作用(山上徹也)を必然的に排出したのかを解剖する。
序論:誤診された「犯罪者」
2026年1月、奈良地裁は山上徹也被告に無期懲役を言い渡した。判決文、そして世論の多くは、彼を「家庭環境に絶望した、極めて特異で孤独な犯罪者」として処理しようとしている。
しかし、これは誤診である。あるいは、意図的な隠蔽と言ってもよい。
我々の「システム論」の視座に立てば、山上徹也という存在は、決して予測不能なバグ(異常値)ではない。彼は、戦後日本の政治システムが正常に稼働し続けた結果、必然的に排出された「産業廃棄物(システム・バイプロダクト)」である。
彼を「極端な個人」として切り捨てることは、工場が川に垂れ流した汚染水で奇形魚が生まれた際に、工場の排水システムを点検せず、「その魚の特異体質」を責めるに等しい。
なぜ、統一教会という異質なカルトが、日本の政権中枢にこれほど深く食い込めたのか。
「教会が巧みに自民党を洗脳・浸透した」という被害者面をしたナラティブが流布しているが、これは歴史的にも構造的にも誤りである。
正しくはこうだ。自民党というシステムには、構造的な「欠落」があり、その穴を埋めるために教会を自ら「召喚」したのである。
自民党と統一教会の関係を「信仰」や「思想の共鳴」で語ることは、事の本質を見誤らせる。
両者を結びつけていたのは、互いの「欠損」を補い合う、極めてドライで実利的な「政治的バーター取引(交換条件)」である。
この取引のバランスシート(貸借対照表)を精査すれば、なぜシステムが教会を切断できなかったのかが明確になる。
自民党が教会から調達していたのは、カネ(献金)以上に、「カネのかからない実働部隊」であった。
選挙には膨大な人件費がかかる。しかし、教会から派遣される秘書や運動員は、給与を要求しないどころか、教団の教義に従って「無私の奉仕」として24時間働く。
これは、企業経営で言えば「違法なほどの低賃金労働力」を独占的に確保しているに等しい。自民党議員にとって、これほどコストパフォーマンスの良い「兵隊」は他に存在しなかった。
数万票単位で動く教団の組織票は、全体の得票数から見れば僅かかもしれない。しかし、当落線上にある小選挙区の候補者にとっては、この「確実に計算できる数万票」こそが、政治生命を左右する決定打となる。
スパイ防止法制定や選択的夫婦別姓反対など、リベラル層からの反発が強い右派的政策の推進運動を、「国際勝共連合」という別動隊に担わせた。これにより、自民党本体は「中道」の顔を保ったまま、保守層の支持を固めることができた。
対する教会側が求めたのは、日本という巨大な資金源でビジネスを続けるための「不可侵条約」と「お墨付き」である。
教祖や幹部が、岸信介、安倍晋三といった歴代首相と並んで写真に収まること。あるいは、関連イベントにビデオメッセージをもらうこと。
これらは単なる記念ではない。信者や勧誘対象者に対し、「総理大臣も認める立派な団体である」と信じ込ませるための「最強の営業ツール」として利用された。政治家の権威は、霊感商法を正当化するためにロンダリングされたのである。
長年にわたり、霊感商法に対する警察の捜査や消費者庁の規制が、不可解なほど鈍かった事実は見逃せない。
さらに決定的だったのは、2015年の「名称変更」の承認である。悪名高い「統一教会」から「世界平和統一家庭連合」への看板の掛け替えを、当時の下村文科相下の文化庁が認めたことで、教団は過去の悪評をリセットし、新たな勧誘活動を展開することが可能になった。
これは実質的に、国家が教団に対し、「日本国民からの搾取を継続してもよい」というライセンス(免許)を更新したに等しい。
教会が喉から手が出るほど欲しがり、自民党が頑なに守り続けた最大の利権。それは、日本国内に「聖域」と呼ばれる非課税地帯を維持することであった。
通常の企業であれば、商品を売って利益が出れば法人税がかかる。
しかし、教会は「壺」や「多宝塔」を売る行為を、商行為ではなく「宗教的な寄付(献金)」と定義した。
日本の宗教法人法において、宗教活動による収入は「非課税」である。
これにより、信者から巻き上げた数千億円規模の資産は、国家による徴税というフィルターを通らず、丸ごと教団の懐に入った。これは、実質的に国家が教団に対して「法人税相当分(利益の約20〜30%)の補助金」を裏で渡しているに等しい。
株式会社と異なり、宗教法人は財務諸表の公開義務が極めて緩い(実質的に外部からは見えない)。
この「不透明性の維持」こそが、自民党が教会に提供した最大のサービスの一つである。
「信教の自由」を盾に、宗教法人法へのメス(厳格な会計監査の義務化など)を入れないことによって、教会は日本で集めた莫大な資金を、誰にも監視されずに韓国の本部や米国へ送金することができた。
日本は、教団にとって世界で最も効率の良い「集金マシン兼タックス・ヘイブン(租税回避地)」として機能させられたのである。
(元)連立パートナー(公明党・創価学会)への配慮という「人質」:
それは、統一教会だけに課税しようとすれば、かつて自民党の連立パートナーである公明党の支持母体(創価学会)や、自民党の保守地盤である神社本庁など、他の巨大宗教団体の既得権益も脅かすことになるからだ。
この「相互確証破壊」の構造があるため、宗教法人税制はアンタッチャブルな聖域となり、統一教会はその「大きな傘」の下で安住することができた。
この取引において、自民党は「政治コスト」を削減し、教会は「法的リスク」を回避した。
しかし、経済学の原則として、「フリーランチ(タダ飯)」は存在しない。
自民党が浮かせたコストと、教会が得た利益。その莫大なツケを払わされたのは誰か?
その全てのツケは、「信者家庭からの略奪的採掘」によって支払われた。
燃料としての家族:
自民党に「無償の秘書」を派遣するためには、教会職員を養うカネがいる。そのカネを作るために、山上徹也の母親は「霊感商法」によって資産の全てを搾り取られた。
山上家が破産し、兄が自殺し、一家が崩壊したプロセスは、悲劇ではない。それは、自民党という巨大なエンジンを回すために、燃料として「消費」されたに過ぎない。
燃料(資産と家庭の幸福)が燃やし尽くされた後に残った、燃えない残骸。
金も、親の愛も、学歴も、社会的地位も奪われ、空っぽになった人間。
それが山上徹也だ。
彼は社会不適合者だったから犯罪行為を起こしたのではない。システムが彼から全てを収奪し、その後の「廃棄物処理」を怠った結果、有毒ガスが充満して引火したのである。
あの手製の銃は、狂人の武器ではない。それは、政治システムが排出した「毒」が、逆流して配管(安倍元首相)を破裂させた物理現象だ。
2026年の無期懲役判決と、それに続く高市首相の解散総選挙。これらは一連の「汚染除去作業」である。
裁判所は、彼を「政治犯」として認めなかった。認めてしまえば、「自民党がカルトを使って国民を搾取していた」という因果関係を司法が公認することになるからだ。
彼を「母親への恨みで暴走したかわいそうな男」という物語に閉じ込め、刑務所という最終処分場へ隔離することで、システムは「我々には責任がない」と宣言した。
高市首相は、判決の直後に解散を打つことで、この事件を「過去の歴史」へと押し流した。選挙の争点を「教団問題」からずらし、再度の勝利によって「禊(みそぎ)」を完了させる。
これにより、「教会を利用するシステム」は温存され、単に「より見えにくい形」で地下潜行するだけとなる。
「山上徹也は極端な個人ではない。システムが生んだ副産物である」
我々が見ている「平和な日本」は、山上家のような「声なき生贄」を燃料として燃やすことで、かろうじて維持されている。
無期懲役の判決が確定した瞬間、システムは安堵の息を漏らしただろう。
だが、構造が変わらない限り、第二、第三の山上徹也(産業廃棄物)は、今もどこかの家庭で静かに生成され続けている。
土曜日の16:26。
秒針の進みが不規則に見えるのは、もちろん僕の主観ではなく、脳内で走っている内部クロックが朝から非可換な補正項を拾っているせいだ。
昨日の日記では、世界は依然として説明可能であり、説明可能である以上、僕が説明しない理由はない、という結論に達していたはずだ。だから今日もその続きをやる。
朝から考えていたのは、超弦理論という言葉が、あまりにも粗雑なラベルとして流通している問題だ。
弦は一次元物体、という説明は教育的には便利だが、現代的にはほとんど嘘に近い。
正確には、弦理論は量子重力を含む一貫した摂動展開を許す背景依存理論の族であり、その実体は二次元共形場理論のモジュライ空間と高次圏論的構造の上に乗っている。
ワールドシートは単なるリーマン面ではなく、拡張された世界では、境界、欠損、欠陥、さらには高次欠陥を持つ拡張TQFTとして扱うのが自然だ。
Dブレーンは境界条件ではなく、A∞圏やL∞代数により制御される対象で、開弦のエンドポイントは派生圏の対象間の射として解釈される。
ここで重要なのは、物理的同値性がしばしば圏同値、あるいはスタック同値として表現される点だ。
ミラー対称性は、単なるカラビ–ヤウ多様体のホッジ数の一致ではなく、Fukaya圏と導来圏の等価、しかもそれがホモトピー論的に精緻化された形で成立するという主張にまで昇格している。
さらに厄介なのは、背景独立性の問題だ。AdS/CFTは成功例として崇拝されがちだが、実際には境界共形場理論という強固な外部構造に寄生している。
最近僕が気にしているのは、弦理論を理論の空間そのものとして捉え、各真空を点ではなく、∞-スタック上の点として扱う視点だ。
真空遷移はトンネル効果ではなく、モジュライスタック上のパス、しかもそのパス積分は単なる測度論ではなく、圏値積分になる。ここでは数値は二次的で、本質は自然変換の存在にある。
もはやウィッテンでさえ眉をひそめるだろうが、物理がこのレベルの抽象化を要求している以上、こちらが歩み寄る理由はない。
この種の思考をしていると、ルームメイトが後ろでコーヒーをこぼす音が聞こえた。
僕は即座に「カップの配置はトポロジカルに不安定だ」と指摘したが、彼は意味がわからない顔をしていた。隣人はなぜか笑っていた。
友人Aからは、ロケットと弦理論のどちらが実用的か、という愚問が送られてきたので、実用性は関手ではない、とだけ返した。
友人Bは相変わらずFF14のレイドの話をしてきたが、僕はDPSの最適化問題がラグランジアン最小化に帰着できる点だけは評価している。
昼休憩にはMTGを一人回しした。デッキ構築とは、制約付き最適化問題であり、メタゲームは動的システムだ。
禁止改定は外力項に相当する。アメコミは昼寝前のルーティンで、宇宙論的リブートの乱発には辟易するが、マルチバース疲労という現象自体は統計物理的に興味深い。
僕の習慣は相変わらず厳格だ。座る位置、飲み物の温度、日記を書く時刻。
今日までの進捗としては、理論的には、弦理論を高次圏論と情報幾何の言語で再定式化するメモが三ページ進んだ。現実的には、ルームメイトにカップの置き場所を三回注意した。
これからやろうとしていることは明確だ。
夕方はFF14で決められたルーティンを消化し、その後、再び弦理論に戻る。
具体的には、ワールドシートCFTのモジュラー不変性を、トポス理論の内部論理として書き直す試みだ。
ミャクペ!サポートセンターです。
いつもミャクペ!をご利用いただきありがとうございます。
本日2026年1月13日をもちまして、ミャクペ!のサービスが終了となります。
長らくのご愛顧に心より御礼申し上げます。
ミャクペ!の残高は、本日、2026年1月13日をもって有効期限が到来し、残高は失効いたします。
有効期限到来後のミャクペ!残高に関する申し込みが完了済のお客さまには、2026年2月中に、ミャクペ!の失効残高と等価のVポイントPayギフトを、メールにてお送りします。
なお、VポイントPayギフトの申込をされなかったお客さまの失効残高は、株式会社三井住友銀行にて取りまとめのうえ、慈善団体に寄付します。
これまでご利用いただきましたことに、心より感謝申し上げます。
【ミャクペ!に関するお問い合わせ】
電話番号:0570-050-389 ※受付時間:平日9:00~18:00(土日祝・年末年始除く)
このメールに心当たりがない方、またはご不明な点がある方はミャクペ!のFAQをご確認ください。※このメールアドレスは送信専用です。ご返信に回答できません。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
https://bqa.smbc.co.jp/?site_domain=expo2025-myaku-pe
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
つらつら書いてたらなんか長くなっちゃったのでもう要約を先に置いておく。無責任な長文を読んでやろうという物好きだけ本文読んでね。
ここから本文。
某元小学生配信者が高卒認定試験に合格したというニュースが1年ほど前にあったが、実際に高卒認定試験の問題を閲覧したことがある人がどれだけいるだろうか。
というわけでこちらに貼ってみるので暇な人は見てみて欲しい。
https://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/shiken/kakomon/1411255_00017.htm
「今解けって言われたら流石にきついけど、高校時代なら多分余裕」
と思った人は多いことだろう。
(これは「ここでわざわざ問題に目を通すほど教育というものに関心がある人間であれば、その多くはそれなりの学力があるのではないか」という自分の勝手な思い込みに基づく予想である)
一般的な大学入試問題と比較すればずいぶん優しい問題である。しかもこの問題で合格ラインは概ね4割ほどとのことであるから驚きだ。
俗にBFと呼ばれるラインではない大学に一般入試で入った人間なら、(高校在学時であれば)余裕で解けるはずだ。
一見して、こんなものが高卒資格相当と認定する試験でいいの?と思うかもしれない。
ただし、この試験は高校の必修科目=概ね高校1年生でやる科目について合格相当であれば高卒と同等と看做せる、という考え方に基づいて作られている。
要は「高卒」と言いつつも、実際は高校1年生であれば無理なく解ける内容が出てくるわけだ。16歳が合格できるのも不自然ではない。
また、一般的な高校であれば赤点のボーダーは概ね3〜4割であるのだから、それと照らして考えると低いように見える合格ラインも案外妥当と言えるだろう。
ここまでが前置き(長いね)。
自分は底辺高校教員の端くれだが、例のニュースを読んで高卒認定試験の問題を初めて見た時、素直な感想として「こんなもんうちの生徒に解けっこねえよ」と思ってしまった。
自分の目算では、今年卒業を控える3年生にやらせたら少なくとも半数、下手すれば7割は不合格になると見ている。
自分の勤務校で抱えているのは、レ点も分からず、ルートや因数分解も分からず、一般動詞の疑問文も作れず下手すりゃ正負の数の理解も怪しい、そういう生徒たちである。
そのような生徒たちを、とりあえず座っとけばいい授業、その場しのぎで点を取ることしか意識しないテスト指導、超簡単なテスト、甘い採点などなどの「現場努力」によって「高卒」に仕立て上げているのだ。
さらにその中には校内だけの甘い基準で無価値な高評定を取り、それを担保に指定校だの総合型だので学力試験を経由せず大学に入学し、結果「大卒」「院卒」にまでなる生徒たちもいるのだ。
そんでもって生徒たちや保護者たちは「なんとか高校ぐらいは卒業したい」「大学には行かせておきたい」と口々に言うわけだ。
客観的に見て高卒大卒になるべきでない能力であっても、「してしまえる」ならばさせるしかない。概ね学問を教えているとは言えないようなやり方でも。
「ごくせん」でヤンクミがまともに授業聞いてない生徒たちに対してなんか雑に授業してるシーンがたまに挟まってたでしょ?あーいうの。
そいつらにちゃんと高卒の学力つけさせるのが先生の仕事だろって?時間があるならそうするけれど、そんな時間はないよ。
これは教員側の勤務時間もだし、学校の開校時間もだし、生徒側が学校で勉強に集中していられる時間も、自宅で勉強に取り組もうとする時間も、全部足りない。
小中9年間の勉強が身に付いてないのを高校3年間だけで取り返しつつさらに高校の勉強までまともに教えろと。無茶をおっしゃる。
1校1校実際に確かめたわけではないが、自分の勤務校がこの為体なのであれば、同じ学力帯あるいはさらにそれ以下の学力帯の学校でなら、当然それと同等かもっと凄まじい「現場努力」をして卒業生を輩出しているはずである。
それも踏まえると日本全国全ての高校生の中で、ざっくり2〜3割ほどはこの「高卒試験に受からない高卒」なのではないかと自分は考えている。
最近は入学試験で学力問わない定時制とか通信制とかもりもり増えてるから、もっと多いかもね。
あとこれは責任の押し付けになって申し訳ないが、そもそも指定校の枠を投げてくる大学側にも問題はあるだろう。
このレベル帯の高校生がそんなに出来るやつらだと思っているのか?うちの評定4.0とそれより偏差値10も20も高い高校の評定4.0が等価だとでも思っているのか?
そんな奴らを入学させて高等教育の質を担保できると思っているのか?散々ニュースになっているように小中高校の勉強のやり直しに終始する羽目になるのではないか?高校でできていないことが大学でできるわけがあるまいよ。
そこまでしないといけないほど学生が入ってこないぐらい困窮しているのか?(多分しているのだろうが)
高校側からしたら「あなたは推薦基準を満たしているけど大学に行くのに相応しい学力を持っていないのは明白なので指定校あげません」なんて言うわけにはいかないので、生徒に希望されたら素行等に問題がないのであればどれだけ学力的に問題があろうとも推薦を出さざるを得ないのだ。この矛盾に頭を抱えている高校教員はさぞ多いことだろう。
そんな現状を見て、ふと思いついたことがある。
日本全国の高校で一律で、高卒認定試験に合格することを卒業要件に追加したらどうなるのだろうか。
とりあえず先に挙げた2〜3割は高卒になれずに留年するか中退し、中卒者が社会に爆増することになるだろう。
しかし、世間では「大卒や院卒にやらせる必要のないような肉体労働や単純労働を、世間に無駄に溢れる大卒や院卒にやらせている」みたいな話は山ほど聞く時代だ。
それを中卒にやらせたところで案外問題はないかもしれない。もともと本来高卒以上になるべきじゃなかった人間たちが、あるべきところであるべき仕事に就くだけだろう。
多少難がある生徒でも、高卒認定試験に合格済みであればまだ大学に送り出す気になる。学力をつけさせる動機にもなるし、ダメだった時に諦めさせるのも簡単だ。
学力以外の要素を推薦で売りにしていた高校や大学にも少なからず影響がありそうだ。
(なおここでの考察では、○○があるから特例で卒業できる!みたいな例外は一切設けないものとする)
例えばスポーツしか取り柄のないような生徒は、高卒認定試験に受からず高校卒業を断念することになる。
しかし、「甲子園優勝○○高校出身ドラ1!」みたいなのが仮に高校を卒業できなくても「甲子園優勝○○高校中退ドラ1!」になるだけでそこまで箔に差は生じないのかもしれない。
それこそ元々勉強で戦ってないんだから、高卒資格なんてなくても十分やっていけるはずだ。今までと変わらず球界を沸かせてくれるだろう。
箱根駅伝など大学ブランドを重視している分野はどうだろう。参加校にBF大学の名前はちらほら見るし、そうでない大学も学力試験を経由せずにスカウト推薦入学していることはあるだろうだから、仮に高卒認定試験が義務化されていたら箱根路を走る資格を剥奪される層は一定数いるだろう。
まあ大学生として走るなら大学生名乗る最低限の学力くらい持っておけというのはあまりにも当たり前の話だから、特に問題はないな。
大学駅伝は胸を張って自分が大学生だと主張できる者たちが戦うための場ではないか。
そして、自分の勤務校や同レベル帯の高校は存在意義が消滅する。高卒認定試験を突破できない地頭の生徒しか入学できない高校に価値はなくなるからだ。
おそらく廃校になるか高偏差値校に吸収されることだろう。高校教員が足りない足りないと言われて久しかったのが一転教員数が過剰になる。余剰人員を適切に再配置すれば、国が推進する少人数指導やTTのきめ細やかな指導とやらも少なくとも今よりは余裕持ってやれるようになるだろう。
国が本当に適切に再配置なんてしてくれるのかって?そもそもこの話はただの妄想なのでノーコメントだ。
好き放題言うだけ言ってみたが、もちろんこんなことが実現するわけがない。
テスト実施のコスト、世間の反発、学校現場に与える負の影響(変化を拒むという意味含めて)の大きさ、どれをとっても今の日本で許容できるはずがない。
もちろん自分も許容しない。
私自身や家族、他の教員たちにも生活がかかっているのだから、学校の業務に貢献して給料が貰えるように、粛々と現状の業務を遂行するしかないのである。
よく教員は学問に対して真摯でないと言われることがあるが、それの多くが「本当は真摯にやりたくても、見て見ぬふりをしている」という状況であるのはどうか理解していただきたい。
まだ未婚のうちから女の為に金や労力を使いたくない非モテ男性が大勢いるおかげで「女に奢ったり女の言ってほしい言動をとる男」が恋愛市場で無双するんだよ
男もたぬかな他「女は全男性より無能で無価値」「貧乳は美人でもホビットチー牛と等価値」等自分達の代弁をしてくれる女を絶賛して重課金してたからね
@yuyuyunoyuyuco
中の人(女)の素の性格で喋ると男になら何言ってもいい耐えろって勢いでボロクソ言われる。
中身が女だとわかると叩いたり絡んでた連中(女)は興味を失う。
あと男の姿をしてると愚痴と弱音が許されないですね。
非モテ男は女に選ばれる機会がないから、結婚相手はもちろんたまたま知り合ったり関わった女を生涯縛り付けようとし、さらに敬遠される悪循環
下記のような非モテ男はいくらでももいるけど、同様の非モテ女は皆無
婚活パーティーやお見合いに参加したら必ず女から選ばれたりOKさせる物という認識だが、女から見たら掘り出し物があったら買うわというガラクタ市やリサイクルショップに行く感覚という性差を理解できない
なので女からお断りされたり選ばれないと、初対面の女相手に「お前と釣り合う相手なのに高望みするな!」が決まり文句
離婚問題でも、妻につきまといストーカー、潜伏先を突き止めて暴行、妻を装いネットでレイプ依頼など警察や訴訟沙汰になったり母子保護シェルターを作られたり共同親権制度を求めるのも男
妻→夫のDVやネグレクト、男がヤリモクで女に貢いでキレて殺した最上あい事件、たぬかなの女叩きトークに歓喜して重課金した男による「◯されても当然」という脅迫とそれに伴う返金対応、ホモ暴露本が出回る事務所に金とモテ目的で自ら履歴書を送りホビット老人にしゃぶらせた元ジャニーズジュニア
男が被害者だと真逆の反応になり、無数の男が加害者側を悪女認定し殺意や憎悪をむき出しにする
同接30人配信という無名の存在のたぬかなが「身長170cm未満は人権ない」というジャブでデビューして憎悪を集め一気に名前を売る→「お前らホビットのためを思って言ってるんやで❤」→「女は全男性より無能で無価値」「貧乳女はホビットと等価値」と非モテ男性への媚びと鞭を交互に与えて絶賛と投げ銭を集める→既婚発覚で最上あいされろ、ホビット息子が生まれろなどの脅迫や呪詛が相次ぐのを見てもわかる
言いなりにならない女をネットリンチ、その女が「女は男より無能で無価値、貧乳はホビットと等価値」と女sageしたら投げ銭する、結婚発覚したら脅迫が相次ぎ返金やイベント出演中止などの対応に追われる
掛け算の概念(倍数を扱う)
小数的な考え方の萌芽
円周率(近似値として3.16)
20進法の完成された記数法
公理を置いて、そこから論理的に定理を導く証明中心の純粋数学の発展
当時、「すべての量は整数比で表せる」(万物は数である)と信じられていた。
しかし √2 が有理数ではない(整数の比で表せない)ことが分かり、この哲学が崩壊。
『直角二等辺三角形の対角線の長さ』が整数比で表せないことを証明したとされる。
証明したのは学派の弟子 ヒッパソスとされ、伝承ではこの発見により処罰されたとも言われるほどの衝撃。
アルキメデスによる面積・体積の“求積法”の発達。
負数を“数として扱った”最古の事例『九章算術』
十進位取り記数法
負数の萌芽的扱い
独自に代数学(al-jabr)を発明。文章による代数。ここで初めて“代数学”が独立した数学分野となる。
商、余り、桁処理などの方法が整理(現代の学校で習う割り算の形がほぼできあがる)
xに相当する未知数記号を使用した代数(文字ではなく語句の略号)
sinx,cosx,tanx などの三角関数の無限級数展開を発見。
これは数学史上きわめて重要な成果で、近代的な無限級数の起源はインドである と言われる。
● 1500年〜
負数の受容が進む。
● 1545年頃(カルダノ)
虚数の登場。
三次方程式の解を求める過程で √−1 に相当する量が突然登場。
しかしカルダノ自身は「意味不明の数」とし、虚数が数学的対象であるとは認めていなかった。
● 1557年頃(レコード)
等号記号「=」を発明。等価を等式として“視覚的に書く”文化が誕生。
● 1572年頃(ボンベッリ)
カルダノの式の中に出る「意味不明の数」を整理し、虚数を使って正しい実数解が出ることを示した。
● 1585年頃(ステヴィン)
● 1591年頃(ヴィエト)
● 1614年頃(ネイピア)
● 1637年頃(デカルト)
今日では当たり前の「座標平面」「方程式で曲線を表す」が、ここで生まれた。
物理現象をy=f(x)で表すという現代の方法は、すべてデカルトから始まった。
大数の法則(試行回数を増やすと平均が安定する法則)を初めて証明
● 1748年頃(オイラー)
√−1 を i と書く記法を導入。
オイラーの公式「e^{ix} =cos x + isin x」を提示し、虚数を解析学に自然に組み込んだ。
微積分の計算技法の体系化(積分論・無限級数・微分方程式の基礎を構築)
多くの記号体系(e,π,sin,cos,fなど)を整理・普及
グラフ理論(もの[頂点]と、それらを結ぶ関係[辺]を使って、複雑な構造やつながりを数学的に研究する分野)の誕生
ーーーーーーーー
一旦ここまで。
続きは詳しい人にまかせた。
無能非モテ男性のポリシー「女は劣って無価値な存在だから殴ってわからせないと言うことを聞かない」
その結果が、身長人権ホビット差別の定着かつカジュアル化、暇アノンなどのキモオタ男性にも気軽に使われるようになる
「女は男より無能で無価値だから弁えろ」「貧乳は美人でもホビット男と等価値」「私も高身長と結婚できないヤリマン売れ残りやけどな」と自虐も忘れない
そんな復帰後たぬかなに、女で唯一自分と同じ主張を発信してくれるという理由で手のひら返して貢いでVIP枠まで作られ、たぬかなの発言をX等に持ち込んで絶賛して無数のいいねを集めた
それが既婚発覚で自分達は単なるセールストークに騙されていた馬鹿なのを晒され、たぬかなも「ホビット息子生まれろ」「最上あいされろ」とキレるお仲間の対応に大わらわ
ホビットの主張(女は男より無能無価値だから弁えて低姿勢でいろ、妥協しろ、貧乳は美人でも低身長と等価値)を肯定してあげつつ、内心ではホビットを見下してますなどの女のゲスい本音を混じりこませてリアル感を出してるのだから
「貧乳女はホビットと等価値」「女は全ての男より無価値で無能だから高望みせず弁えろ」
しかもかつて身長170cm未満は人権無いだのホビットだのミーム化して定着させたからネットリンチして無職に追い込んだのがたぬかななのに
たぬかなに投げ銭したり絶賛する層は「自分は他の弱男とは違う、自分が選んだたぬかなも他の弱男姫やバカ女と違う」という自認だから
クソみたいな女の本音や攻撃性を混ぜ込むことで「この女は嘘をついていない」と信じさせるテクニック
「貧乳は美人でもホビットと等価値、女はすべての男より無価値で無能だから弁えて高望みせずホビットに低姿勢でヘコヘコ奉仕しろ」と弱男の本音を代弁し、「でも私も高身長と結婚できない三十路ヤリマン女だけどな」と自虐していじられる
こんな発信する女は木嶋佳苗とかの詐欺師だけだが、前述の女の本音や攻撃性を適度に混ぜこむことにより自分は見る目があると自負する弱者ホビットが釣れた
あと、アンフェに媚びる女は他にもいるが、ホビットしかいない集団にターゲットを絞って話しかける女は他にいないという希少価値