
はてなキーワード:立ち読みとは
そして、相変わらず特にやることがない いい歳をして恥ずかしい限りである
読みかけの小説を片付けるのもいいが、平日の隙間時間に出来ることを休日にやるのもな・・・・
なので美術館に行くことにする。徒歩で。
出かけるのを決めたのは良いが、なかなか億劫だ。トロトロと支度をする
古い日記を歌ってた中学生、良かったな エレカシの大学生も良かったぞ。彼は不合格だったみたいだけど
推理小説の書評が載っていた タイトルはダサいと思ったが、内容は面白そうだ
いつか読むかもしれない。いや、多分読まない
このコンビニは雑誌類が充実しているので、末永く続いて欲しい。
ニュートンとかここでしか読んだことない。パラパラめくる程度だけど
だいたいは親子連れとかが遊んでいるが、今日は誰も居なかった。
せっかくなので、鉄棒で懸垂をしてみる。
割と本気を出してみたが、一度も顎まで体を持ち上げることが出来なかった。中学生の頃から変わっていない
悔しかったが、無理をしたら腕を痛めそうなので諦める。
そもそも自分の年代で、適正な懸垂の回数っていくつなんだ?0回で正解の可能性も無きにしも非ず
こちらは結構、賑わっていた 凧揚げしてる人を久々に観た気がする
広場の奥では、七五三なのか、ウェディングフォトなのかよくわからんが、
盛装した夫婦とお子さんが、プロっぽい人たちに写真を撮られていた
2人の会話が聞こえてきたが、旦那さんの相槌があまりにやる気が無くて面白かった
1400円って高ぇな、といまだに思っている
が、物価が何もかも値上がりしているのに今のところ据え置きであることを考えると、
実質値下げしてくれているのかもしれない。今のところはだけど。
企画展は「中村宏展アナクロニズム(時代錯誤)のその先へ」らしい。
入場して早々に、かなり後悔する。
やたらと暗く、陰鬱な画が並んでいる。辛い。
おい、中吊り広告のポスターと大分印象が違うぞ。騙しやがったな
奥をチラ見すると、多少は明るい色調が見えていたので変わってくると信じて観ていく
解説を読むと、ルポルタージュがどうのこうので、文学の手法を絵画に応用したとかどうとか。
うん、興味ない。つまらん。
「いっそ、便器がいくつ出てくるか数えてみようか」と頭を過ったが、辛すぎるのでやめておく
「お、ようやく陰鬱な画が終わるのか?」と思ったが、描かれているのは真っ赤な便器だった。
解説の文章に「セーラー服と蒸気機関車」みたいな文言があって、明らかに「セーラー服と機関銃」を意識してるよな・・・・と思ったが、どうなのだろう
しかし、こいつはまともに人物を描きやがらねぇ 一つ目だったり、首が伸びたり。何なんだ
セーラー服のマネキンが現れたのはちょっと面白かった。絵画じゃなくて、立体のマネキンが絵を眺める構図で置いてある。
あのマネキン、目元に何か文字が書かれていたんだけど、双眼鏡を装着しているせいで何が書かれているのかわからなかった。気になる。
それと覚えているのは、漫画やら動画やらの表現を取り入れた作品だったか。
ズームを表した連作?は時間も経過しているのかと間違い探しをしてみたが見つからなかった。つまんねぇぞヒロシ
途中、土方巽とやらの舞台の映像があったけど、退屈というか不快だったのでチラ見して通り過ぎる
ヒロシの作品は観終わったので、もう一つのおまけの企画展?を見ていく
デカくてカラフルで、ヒロシとは対照的なヤツが多かった気がする
なんか観たことあるなーと思ったやつは、石田徹也なる人の奴だった
ついでに常設展の地獄の門を観に行く。何度も観ているので通り過ぎるだけ。
掲示を観てみると、何やらVtuberが絡んだイベントなのか、音声解説なのかをやってるらしい。その関係か?
よし、満足した。帰ろう。
絶筆がどうのこうのと言っている。死にそうなのか?ヒロシ。元気そうだし、もっと頑張れよ。
たい焼きを買いたくなるが、我慢する。代わりに、スーパーで今川焼を買おう。
ちょいとググって中村宏が1月に亡くなってたと知る。知らなくてゴメンなヒロシ。
朝から鼻がズルズルしてるので、朝一で耳鼻科に行ってきた。花粉死ね
おかげでいつもより早く一日が始まった。何しよう。
3月期限の無料回数券を使い切る必要もあったので、大人しく映画を観ることにする。
「プラハの春」が観たかったが、木曜日で上映が終わってた。残念。
でも面白かったらもうちょっと上映期間を伸ばすよな・・・・ きっとつまらない映画だったんだろう
とりあえずフライデーやらフラッシュやらのヌードグラビアで立ち読みでもするか。コンビニに向かう
適当に手に取った週刊誌(多分、文春)をパラパラ見ると、ついさっき見た覚えのある文字列を見つける。
出演者のインタビューが載っていた。読んでみる。意外と面白そう。よし、やっぱこれを観に行こう。
映画館に向かう。今思い出すと、コンビニでコーヒーすら買わんかったな。ごめんなグエン(店員・仮名)
映画館の受付で会員証の裏側にスタンプを押してもらい、入場券を受け取る。
現地で気づいたが、再来週くらい?この映画館に主演俳優が挨拶に来るらしい。
興味がないでもないが、わざわざそのために2回同じ映画を観ることも、いまから観るのを延期するのもだるいので、気にしないことにする
あの状況の「お聞きしています」って敬語として正しいのか?という、どうでもいいことが気になってしまった。
友近がいつ出てくるんだろう・・・と思ったら、登場した時点で故人だった
サワイさんの女優ってだれ?室井滋?と思ったら全然違った。世間知らずでゴメン。
ビールが飲みたくなる。
池田の最期のシーン、奥さんは看取らないんだなぁと驚いた。実際の安楽死合法な国だとあんな感じなのだろうか。
カップルの最期のシーン、もしや薬を使わずに葬ろうとしてる?え、ありなの?と勝手にビビる。
次のシーンで逮捕されてたら面白いな・・・ と思ってたら違う角度の面白シーンがぶち込まれて笑いそうになった
リーフフレットを見返してたら、ちゃんとそのシーンに言及してたのも面白い。
文春にも書いてあったんだけど、映画の終わりにドキュメンタリーのパート(というか、インタビュー?)がくっついていた。10分程度だろうか。もっと長いかと思っていた。
安楽死するためにわざわざスイスまで行ったのに、親御さんが号泣したから引き返したらしい、難病の人のお話。
正直そんなに興味はないのでフーンと観ていた。
安楽死に関する知見やらは増えたのだろうか・・・・ 銃夢の「エンドジョイ」しか知らなかったから、まぁ増えたのだろう。
そういえば両親が「延命は要らない」と言っていたのは思い出した。
もう少し、真剣に色々考えるべき時期が来ている気がするが、正直色々と他人事の感覚ではある
同人即売会のスタッフなんだが、最近おかしな同人女作家が増えていて気味が悪い。
ペラ本と金銭を将棋のコマみたいな音を立てながら机に置く奴だとか、
一口ごとに半笑いでうなずきながら、トウトイだの、スパダリがどうの、
カミカミだの
ブツブツ言いながら物色してたと思ったら、突然ペラ本立ち読みする奴とか、
ゆっくり見ているライト層を、なぜか睨み殺さんばかりの勢いで凝視してる奴とか、
知り合いでもないはずの他の作家にゼスチャーで何やら指示を飛ばしてたり、
いい大人のくせにバトルだとかなんだとか言って売上競争してる奴とか、
開始時間が近付くと、半降ろしのシャッターからこちらを覗き込んでたり。
こないだなんか閉鎖してるのに
「あの・・そろそろ私も閉シャッターいいですか?」と
わけのわからんこと言いながら会場に進入してくる奴とか。
先日など、休日に家でくつろいでいたらドアホンが鳴ったので、
出てみたら見覚えのある作家が立ってて「USJ行きませんか?」だと。
いったい私が何をしたっていうんだ?
なんでこんな事になっちまったんだ?
結論から言うと「FWD収入保証」のみに加入し、他は積み立てNISAで賄うことに決めた。
保証内容は私が死んだ時点から、月15万円が振り込まれるというものだ。保険料払い込み期間は22年間とした。子供の大学卒業までだ。
この保証内容で月1,596円。年間は19,152円だ。タバコを吸わず、BMIが正常なのでだいぶ安くなった。
今まではプルデンシャル生命保険の米国ドル建てリタイアメントインカムに約月4万円と就業不能保険に月3,000円ほどだった。
あまりにも価格が高過ぎて、子供が生まれたのを機に保険を見直すことにした。
生成AIに聞いたり、保険の本を立ち読みしたりして勉強したら、保険は保険、投資は投資で分けるのが良いことがわかった。
今でより4万円ほど安くなったので積み立てNISAを満額でできそうである。
保険で投資信託を運用するようなクソ保険は撲滅することを願っている。
長くなったので読みにくいかもしれません
半年ROMれてませんが匿名性が必要だったのでここに書かせていただきます
乱文ご容赦ください
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援護が無さすぎるのではないかと思い、やっぱり納得がいかないと感じたので
ここに書きにきた
以前から何度も書こうと思っていたけれど
どうしても書けないまま 何年も過ぎてしまったが
なんとか書き始めた
フラッシュバックなど、読むのが嫌だと感じる場合はスルーしてくださいーーー
呆然とした
正直なところ
ショックとか 人が亡くなったということ以上に
「どうして今になって」と思った
ようやく悪夢を見て、ドキドキしながら目覚めることが無くなってきていた頃だった
逃げ出した後も燃え尽き症候群のようになり
ベッドから起き上がれなくなる日が続いて
一度は「こんなに辛いならもう死のう」と思ったけれど
いつでもそのボタンは自分が持ってるんだから もう私は誰にも縛られてないんだから」と思い
誰にも助けてもらえないので(親に話したが困惑されて流されただけだったので)
それでもなかなか人への恐怖や組織へ入る恐怖を克服できなかったので
バイトもできず
それでも人が怖くて怖くて
いつも人の顔が見れず震えて汗をかいたり
人と会ったあとは部屋で寝て起き上がれなかったり
遠出ができなかったり
そういうことがようやくひと段落つき始めていた頃
「ようやく最近少しずつ人と話せるようになってきたな」
「ようやく教団の元仲間から説得のメールが来ることも無くなってきたな」
と思っていた頃に
誰にも言えなくて
昔から付き合いのある友人にも言えなくて
両親に言っても「よく出てきたな」と言われるだけで
具体的なケアは何もしてもらえない中で
「宗教施設で共同生活をしていて就活のタイミングを逃しました」
「経歴に書けることがありません」
「宗教施設で生活していた影響で人が怖くてしょうがなくてバイトすらできません」
「燃え尽き症候群のようになって社会生活を人並みに送ることがどうしても難しいです」
そんなことの説明をしようがなく
ただひたすら周りからの、
「この人どうして朝起きれないんだろう」「なんか付き合い悪いな」
「学生時代の話してくれないな」「この人いっつも何してるんだろう 無職?」
「なんで結婚しないの」「なんでハロワ行かないの」「なんでもっと営業しないの」
「なんでいっつもお金が無いの」
あらゆる なんで? に耐えながら
ひたすら自分の足で立つことができるようになるように
1発の銃声で 毎日のように統一教会の名前をテレビで聞くようになってしまった
無かったことになっている自分の在籍期間6年とリハビリ生活10年間が
突然色を与えられたような感覚で
苦しかった
その行為自体を賞賛はできるはずもないけれど 思いは複雑だった
ただ悲しかった
あれは叫びだと私には感じられた
それくらい 中にいると社会で生活している人とは隔絶され 外の声は届かないし
中の声もまた外には届かなくなる
そこには長らく透明な分厚い分厚い壁があって中と外は隔絶されていた
あの1発の弾がそれを壊した
尊い人命と共に
その重大さを社会にどこまで理解してもらえているのか 分からない
その苦しみは 多分本気であの中で一生懸命やった人にしか分からないだろうと思う
それでもそこから私が逃げ出せたのは
ある程度、状況を俯瞰して見る(ある種冷笑的な)感覚を身につけていたからで
そこに関しては、私は自分が漫画アニメ好きのオタクでよかったなと思っている
「マジで漫画みたいなこと言うやんw」という茶化しが自分の中でできていたこと、
不真面目だったため、外の読み物やテレビは見てはいけないことになっていたが
伝道(いわゆる勧誘)もこっそりトイレに隠れてサボりまくっていたことなど
中の人からすると酷い不真面目、規律違反的なことをやっていたために
最後の一歩(あ、ここにいたら私の人生、誰も保証してくれないんじゃないか?)
という感覚に至れた、というところがある
しかし、そんな不真面目な私であっても
逃げ出すことが良いことなのか悪いことなのか、その時点では判別はできていなかった
神や、いわゆるお父様お母様(教祖)に背くことになるわけなので
正直ここから出てその後どんなことが訪れても覚悟を決めようというような気持ちはあった
なぜならいわゆる統一教会が言うところの「神のみ旨」を放棄することになるわけなので、
そうなった時に自分に何かよくないことが起きるかも、私だけじゃなく家族も何かよくないことが起きるかも、
という感覚が強く自分を支配していて そこに対して否定できる確証はなかったからだ
私が死ななくても 私の代わりに誰かが死ぬかも、と本気で思っていた
不真面目な信者であってもこのくらいにはどっぷり浸かっていた
それでも私は「本当に神様がいて 神様が私を愛しているとしたら
私のこの選択も祝福してくれるんじゃないか」という気持ちも微かに持っていた
それを信じたい、という気持ちだったと思う
そうであったらいいな、という感じで
もちろん確証も何もない
こんなふうになったから
今だからそんなふうに言えているだけで
その時には全く確証がなかった
ただ今言えるのは「神様がいるとすれば 統一教会にいる人も愛していると思うし
私のことも愛しているんじゃないかと思う」ということだ
これは信仰心ではなく
今の段階での結論というか、
信念的なものではあると思う
確証はないけれど「そうなんじゃないか?」と思っている、というようなことだ
「そうでなきゃやってられるか」というような思いでもある
神がいようがいまいが関係なく日々は続くし
私の場合 立ち止まっていても誰かが
「大丈夫?私がなんとかしてあげる 任せて」と
手を引いてくれるような状況は皆無だったから
(唯一打ち明けたカウンセラーの人も宗教的な苦しみまでは理解してケアしてくれなかったし
被害者コミュニティもあったかもしれないがまたそこから出られなくなるのではと思い、
組織に属するのが怖かった
両親は受け身なので私が動かない限り私の状況は好転するわけがなかった)
ただ言えるのは、自分で少しずつ歩く過程で人に支えてもらえることはあった、ということだ
理解できないなりに 両親は私の過去を酷くなじることはなかったし、生活も支援してくれた
「よく出てきたな それはなかなかできないことだぞ」と肯定はしてくれた
自立支援センターも、電話をかけたものの一人で行くのが怖かったので着いてきてもらった
理解してくれていようがしてくれなかろうが 都度都度助けてくれる人はいる
カウンセラーの人が言ってくれたことのいくつかは今も自分を支えてくれている
(私は自分の中に宗教施設にいたという負い目があったので、とにかく人に疑われるということが怖かった
自分の話をするのが怖く、いつボロを出しておかしなことを話してしまわないかと怖かった
そのせいか言葉がなかなか出てこなかったけど「ペラペラ話す人よりちょっとずつ一言一言話す人の方が信頼感があるよ」と言ってもらえたので 今は辿々しくても少しずつ言葉を並べられるようになった
だいぶ人と話すことが怖くなくなった)
神がいようがいまいが 関係なく日々は続いていく、というのはそういう感覚だ
私がいたのは学生寮のようなところで
信者に向け講義をするような人材を育てることを目的としている寮だった
20〜25人くらいの規模で
マンションの3部屋(うち1部屋は夫婦の家)を借りて男女別れて住んでいた
みんな割と若かったと思う
私は2世ではない
まだ規制が緩かったので大学内でも駅のコンコースでも勧誘を行なっていた
声をかけられた時も怪しいなとは思っていたが 半ば分かっていてついていった
統一教会だと開示を受けた上で「寮に入らないか」というような打診を受けたので
なんとなく流れで、面白そうなので入ることにした
あと、みんな、人が良い人たちだった、というのがあった
でも入教したキッカケには結局、自分の中に将来自分が働いているビジョンが湧かなかったり
社会一般の基準で勤めることは難しいんじゃないかという漠然とした不安があった
この時このような逃げの姿勢でいなければ
こんなに長く苦しむことはなかったなと今になってみれば思う
朝早くから起きて
原理講論を音読したり、勉強会をしたり、祈りをしたり、敬拝をしたりする
仕送りは全て世話役の夫婦に預ける形になっていて自由には使えなかった
お金は全て「聖別」といって、清められ
そういう清められたお金は「神様とお父様お母様のお金」と言い含められる
友人と遊びに行く、呑みに行くなどの経験も皆無だ
もちろん遊びにお金を使うことができないので 自由な交遊はできない、と言っていい
学校から帰ってきたら即駅のコンコースや他大学へ伝道という名の勧誘に行く
長期休暇は県外へ、車中泊をしながら1日中歩いてフキンの訪問販売をする
当然ながらより多く売れた方が良いわけだが私はいつもほとんど売れなかった
1ヶ月寮には帰れない
家族には内部のことは言えないことになっていて
これらを聞いて楽しそう、と思うだろうか?
けれど楽しいと思うことを排除し、自分を否定し、自分の望むものを否定して、
それを全てみ旨に捧げるというのが信仰の道だった
苦しければ苦しいほど条件になる、そういう発想なのだ
(そういう発想が多額の献金の要求にも繋がったのかもしれない が その要求に正当性は無いと思う)
私が寮内で大きな声で笑っていたら先輩に
「あなたが来てから、こんな大きな声で笑ってもいいんだなって 初めて思ったの」と言われた
そういう場所だったのだ
聞いた時はドン引きした
それでもやっている時は一生懸命だった
けれど これは本当に人を幸せにするような活動なのか?という疑問がずっとあった
(そういった活動などが条件となり積み重ねられ、
その条件が満ちると間接的に人を幸せにする、という考え方なので
目の前の相手を即幸せな気持ちにさせたかどうかはあまり重要ではない)
(どれだけ苦労を重ねるか 自分の欲や怠惰を否定できるかの方が
より大きな条件になるという考え方になる)
(親が子を置いて宗教活動に邁進することになるのは、そういう仕組みゆえだ)
人になかなか言うことができないような生活で費やしてしまったことは
勿体ないことだったと素直に思っている
勿体なかったと言うと「でもあなたのその過去も今に繋がっているじゃない?」
というような返しを親からされることがあるが
これを言われると いつも胸が詰まり
説明のできないいろんな思いが去来して胸がぐるぐるする
しなくてもいい苦労というのはある、ということで
誰も「統一教会が許せない」とも「あなたが失ったものを思うと本当に悲しい」とも
言ってくれる人はいなかった
私の、誰にも相談できなかった日々、1人苦しんだ日々を
私が逃げ出すことによって自分も家族も不幸な目に遭って死ぬかもしれない
もしひどい事が起こるなら私に起こしてくださいと
誰にも相談できなかった日々を
肯定しないといけないのだろうか?
この状況になるまで誰もそれをすることができなかった
その事実はとても重いと思う
それは助ける力がない人たちが口を揃えて言う言葉のようにも思える
とても、とても苦しいものだ
それがこの方法だったのだ
この方法以外で彼が救われることもなかっただろうと思う
山上被告が自分で自分を救うしかなかった結果がこれだったのではないだろうかと思う
私が入教して実感したことは、宗教に関わっている人は意外と多い、ということだ
私のいた寮の中にも、親が創価学会だったがそれに反発して統一教会に来た人もいた
(その人は非常に熱心な人だったが その後心身を崩して入院されたりしていた)
気になったのは、世話役の夫婦の奥さんの方はいつも病気がちで寝てばかりだったことだ
いつも辛そうだなと思っていた
断食をしたり敬拝をしたり長時間伝道をしたり 体を酷使することも多かったので
体を悪くしている人も多かった
みんな普通の人たちだ
そこにいる人たちは みんなそれぞれがんばって生きている
それを食い物にする、というのがおかしな話で
どんな宗教であっても「献金しなければ救われない」というのはおかしいことだと思う
正直に言えば 宗教法人は本当に好き放題するところは好き放題やっていると思う
人の気持ちは弱いので それで救われるなら払ってしまうわけだけど
なんとかもう少し規制ができてほしい
少なくともその行き過ぎた状態が、あのような悲惨な事件に帰結したのだということを思うと
そこをきちんと、法なりなんなりで整備しないというのは、単純に理解に苦しむ
状況がもう少し良くなってくれることを願う
あの事件が無ければ少なくとも私の16年は社会の中では意味を持たず透明なままだったし
こんな話は絶対にできなかっただろうと思う
誰も助けてくれなかったのだ
それを思うと本当に胸が苦しい
何度も書くが
誰かが助けてくれるはずがないのだ
そういう構造になっているのだ
楽しい家族旅行、欲しかったおもちゃ、勉強するための本、服、車
普通の人が当たり前に経験する友人との時間、家族と過ごせた時間、
そういうものに付随する思い出全てが
その悔しさ 悲しさ 苦しみを思うと計り知れない
私の失った16年 いや、それでは比較にならないほどの苦しみと絶望だと思う
それらは 決して帰ってはこない
泡になって 帰ってこない
親が宗教活動にハマるなんていうのは交通事故のようで あまりにも避けようがない
加えてそれを身内がどうにかするなんていうのはほぼ不可能だと言っていい
なんなら母親も被害を受けた側、交通事故に遭った側だとも感じられる
内情を知る人の弁護がなさすぎる気がする
「宗教にどっぷりハマっている身内がいる状況」
私は最後、逃げ出す前に
もしこの人たちがもう少し私に向き合ってくれていたら
けれど最終的な結論として
「ああ この人たちは神に祈りお父様お母様に祈る以上のことはしてくれないんだ」と思った
それが最終的な答えになるので話ができないのだ
「こうこうこういうことで悩んでいる」
と悩みを打ち明けても
「神のみ旨はこうだ」「お父様お母様はこう言っている」
その堂々巡りになる
そこを信じて同じことを繰り返せばいいのだ
他の話は通じない
一切だ 一切通じない
その虚しさは 本気で話をしようとした人間にしか分からないだろうと思う
皆良い人たちなのだ
信頼もしていた
一個人で見れば仲間や世話になった人たちだ 頭が悪いわけでもおかしいわけでもない
けれどそうであればあるほど ある一定のところから会話ができなくなることが辛い
逃げた後、私は入教前に元々住んでいたアパートに帰った
入寮時にそこを解約すると家族におかしく思われるのでそのまま残しておく慣わしなのだ
入教すると元の家には特別なことでもない限り入ることはできなくなる
記憶が薄いが、そこに帰れたということは
しばらくその部屋には仲間が何度も説得に訪れた
手紙が置いてあったり食べ物がドアの取っ手にかかっていたりした
無視をし続けていたところ
ある時、眠っていて目を覚ましたら目の前に女性の仲間(先輩)がいて、私を覗き込んでいた
預けたままになっていた鍵を使って勝手に部屋の中に入ってきていたのだ
その人に悪気はなかった
けれど、「神のためならそれができる」そういう思考回路になってしまうのだ
「神のために、この人を救わないといけない」
「神のみ旨であればこの行いは許される」
私は何度も何度も「あなたたちを見ると色んなことを思い出して怖くて震えて辛いので何も送らないでほしい 会いにこないでほしい」と伝えた
チューボウの頃コンビニかブックオフでウシジマくんの1巻立ち読みしてベラのシーンで血の気が引いてその場に座り込んだの思い出したわ
そんな俺も連載終盤には「今週の獅子谷くん」みたいなノリで読んでたw
小学校中学年から高学年くらいのころ、ブックオフをうろうろしてたら「知らないONE PIECEやNARUTOや銀魂のマンガ」を見つけて、手に取ったらゾロサンやサスナルのBL二次創作が掲載された商業アンソロジーであった…
みたいなエピソードが結構幅広い世代にとって当たり前にあるらしく、幼心に衝撃を受けたとか気持ち悪かったとか、かなり強烈にネガティブな印象を抱いている人がいるんだよね。
BL二次創作の商業アンソロジー、特定の年代に刊行されて、今は出版社が潰れたことにより刊行が減っている(あるいは消滅している?)ようだけど、中古書店には結構な数出回ったままになっている。
新刊書店からは消えたあとも中古書店には、人気の少年漫画のキャラ同士が行為しているようなのも、隔離されずに立ち読み可能な状態で置かれていたりする。
あとは中学の頃に女友達が腐女子でBLアンソロを見せてきたというエピソードがある人もいるようで驚く。女子同士のBL布教活動は存在を知っていたけど、男子にもやっていた奴がいるんかい…と絶句した。でもそれほど珍しくもないみたい。
腐女子が他の表現を叩いて「お前が言うな」と炎上するのがXで頻発しているけど、男性が結構この手の見たくないBL二次創作を被弾した経験があって、恨みに思いながらも黙ってやってんのにお前何様?という形で噴出しているのではないかと思ってる。
腐女子自身が他の表現に対してセンシティブな人が多いグループというか、嫌いな表現を「地雷」呼ばわりして批判する人が目立つ、というのもあるのかもしれないけど。
はてな民にとってはどうだろうか。はてなにいるような眼鏡の男の中学時代というと、女友達がオタクだったとか腐女子だったなんてことも多そうだけど。げんしけん読んだことある人多そう。
あと小学生の頃に少年野球チームで死ぬほど動いてたみたいなタイプよりは、ブックオフうろうろして立ち読みしてたタイプのほうが多そうだなと思うし。
つか普通にゾーニング不行き届きであったり腐女子から男子に対するセクハラであり、BL二次創作被弾エピソードだいたい男性が被害者である。もっと怒っていいのに。
Permalink |記事への反応(22) | 21:19
幼馴染の友人の話をさせてほしい。
友人、増子と出会ったのは小学生の時。同じクラスで漫画やアニメが大好きなオタク同士、すぐに意気投合した。
同じ中学に進み、二人で美術部へ。オタク女子として二人そろって腐女子になり、毎日推しカプトークに勤しんだ。交換ノートはイケメンキャラの模写で満ちていて、絵を描く楽しさに目覚めたのもこの頃だったと思う。
自然と二人で漫画家に憧れるようになった。イケメンがたくさん出てる漫画を描きたい、それがアニメ化したら最高だね。漫画家になるには絵がうまくないと。じゃあきっと美大に通った方がいいね。二人で通えたらいいね。そんな話を増子とした。
結果として増子は美大に行かなかった。行けなかった。
親が厳しく就職ができなさそうな大学に行かせる気はないの一点張り。一方自分の親は子供がやりたい事を自由にやらせたいがモットーで、特に何の問題もなく許可が出た。
二人で美大に行けなくなったのは残念だったが、少し優越感を覚えた。自分は特別な人生を選ぶことを許された側なんだと。
高校は増子と違うところへ進学した。
画塾に通い始め本格的に美大受験への準備を進めていく。楽しい事ばかりではなかったけれども、好きな事を武器に大学へ行くという希望の前では、その辛さだって耐えられる。受験も忙しくなり漫画やアニメもあまり観なくなったし、増子とは話す機会もなくなっていった。次に彼女と会ったのは美大生になってからだった。
増子とは大学に進学して数か月経ったくらいでお茶の約束をした。増子は受験が大変だったこと、今は親に勧められて資格勉強を始めたことを話してくれた。堅実な人生設計を語る増子に、自分はやはり一般的な社会人人生を選べそうにない、増子が羨ましい、と告げた。羨ましいのは本当だったが、自逆風自慢も入っていたのは真実だ。
帰り際、増子から大学生になり自由時間も増えたので同人活動を始めた、とTwitter・Pixivの交換を求められた。
家に帰り、ROM専として使用していたPixiv垢から増子へマイピク申請をしたら愕然とした。ヘロヘロの線で描かれた下手くそなイケメンキャラ達。中学美術部の画力なんて大したことないのは知っていたが、少なくともあのころは私と同じくらい描けていたはずだ。美大受験を経たことで私の方が圧倒的にうまくなっていた。
増子がオリジナルの漫画も描いて出版社に投稿したが箸にも棒にも引っかからなかったと言っていたのを思い出したが、こんな絵では当たり前だ。友達だから伝えなかったがはっきり言ってへたくそだった。
Twitterを開くと増子には崇めている同人作家がいるようでしきりにその人のイラストを神絵と褒めていた。自分からするとぱっと見の線だけ綺麗だがデッサンが崩れており何がいいのかわからない。
もう美術部だったころの私達には戻れない、と寂しい気持ちになったものの、同時に意地悪な気持ちも目覚めてしまった。すぐに中学時代に増子とはまっていたアニメのキャラのイラストを描いてPixivに投稿。増子が描いた流行りのBLカプを題材にした漫画より、自分の懐かしアニメの一枚絵の方が閲覧数もいいね数も圧倒的に上なのを見て満足した。
当の増子は私のイラストも神絵と褒めてくれたが、デッサンの狂った同人作家を褒めた同じ口で褒められたのは正直イラっとした。
高校の時に忙しくなって卒業した漫画やアニメはそのまま再熱することもなかった。私の周りの人たちだけかもしれないが、結局漫画やアニメは「サブ」カルチャー。漫画なんてわざわざ美大を出る必要のない画力で成り立つし、それを享受する読者は美術がわからない一般人。編集部にこき使われるブラックな職業、という風潮。
それに進学してわかったことだがそれなりの美大を出ていればそこそこ安定した職だって得られる。なのに漫画なんて水商売を選ぶ人間は馬鹿のやる事だ。増子がゴミみたいな同人作家を褒めるのを目にしていた私もその気持ちは理解できたし、就職は漫画もアニメも関係ないデザイン会社へと決めた。
親は大喜びだった。子供には好きなことをやらせたいと美大進学を許してくれたが、内心不安だったらしい。会う人全員に娘は美大卒でデザイン会社で働いている、と自慢をしていた。
美大受験の時と同じく、デザイナーだって楽しいことばかりではない。それでも自分の腕一本で生活費を稼げているというのは自分に自信を与えるのには十分だった。
ふと、増子が気になり彼女のTwitterを覗いてみた。名の知れた企業に入ったと風の噂に聞いていたが毎日ノルマに追われ、パワハラ上司からの𠮟責も多く、大変そうな様子が見て取れた。その時、自分だけ美大進学を許された時と同じ優越感を覚えてしまった。
自分はこれからも好きなことで食べていく、増子は好きでもないことに一生疲弊して生活費を稼がないといけないんだ。
それから数年後、中学時代の同窓会が開催された。増子とは大学生以来会っていないが、その他の友達も長い間連絡を取っていない。何をしているんだろうとワクワクしながら出席をした。
当時の友達は皆自分とは全く違う道を選んでいた。銀行員、NPO職員、営業職…。なんだか難しそうな世界だ。そういえば増子は今何をやっているんだろう、まだノルマに追われているのかな、と思っていると急に「漫画家になった」と言った。同人活動を続けていく中でスカウトされ、連載が軌道に乗ったところで会社は辞めたらしい。親は泣いていたけれどもアニメ化も決まったんだ、と増子は笑顔で述べた。
周りがざわつき始め「おめでとう!」と増子が祝われる。それはそうだ、業界が違う人間の仕事内容なんて説明されても正直よくわからない。私だって銀行員の仕事内容はわからなかった。でも素人にも漫画家は何をやっているか想像がつくし、アニメ化で拍がつくのも理解できるらしい。
私ちゃんと増子ちゃんはクリエイティブ業なんだねと同級生の一人から言われ、あいまいにほほ笑んでおいた。増子と同じにしてほしくないと本気で思ったが、友達の前で言うことではないのはわかっていた。それでも少しの意地悪心が抑えきれず「最近はAIで漫画描かれてて大変らしいね」と言ってしまった。
笑顔で皆と別れた後、本屋へ寄って増子の言っていたタイトルの漫画を探す。アニメ化の棚のところにちょこんと置かれているのがみつかった。ゲボが出そうになった。
ふ ざ け る な !
増子の絵は相変わらずへたくそだった。以前よりは上達しているがデッサンも何もなっていない。これで漫画家として食べているなんて甘えている。同級生の皆もそうだ、この程度の絵を描く人間と私を一緒にしないでほしい。何がおめでとうだ。私は死ぬ思いをして絵を描いてきた。画塾が辛くても泣きながら通ったし、講評に怯えながら作品制作をした。就職だって一般大学生より大変だった。
ぬくぬくと安定した正社員の職を得ながら趣味で描いたようなクソ漫画でクリエイターを名乗るな!
怒りが収まらず単行本は買わないまま帰宅したが数日経つと少し落ち着いてきた。
増子の漫画が電子コミックサイトで無料立ち読みができることに気づき、気まぐれで読んでみることにした。もしかしたら話は面白いのかもしれない。
これも結論から言うと面白さが理解できなかった。それどころかへたな絵と意味不明なストーリーで漫画家を名乗る彼女にさらに苛立ちを感じ、口コミで最低評価を押しておいた。
でもあれから少し経った今となって思う。
増子の絵はへたくそだ。でも漫画家になってアニメ化をするという幼い頃の夢を叶えた。
私は漫画家になる夢の過程として美大へ進学して、その後他の目標をみつけ方向転換をした。自分の選択に悔いはないが、子供の頃の夢を叶えられなかった側の人間だ。
思い返すと美大は変な人間がたくさんいた。その中には別の道を進んでいたはずなのに、神の手に導かれるように違う道に進まされ「何か」になってしまう人間がいる。
美大に入ってすぐ自分はそちらの側の人間でないことを思い知らされた。私は美術を嗜んでいるだけの普通の人だ。
そして、漫画というフィールドで増子は「なってしまう」側の人間だった。
親に反対され一般の大学に入り、安定した職業を選んだ。忙しい間に同人活動を続けて漫画家デビューを果たした。スカウトで目に留まることも、そこから連載を勝ち取ることも、人気が出てアニメ化まで進むことも運の要素が絡んでくる。でも彼女はその運をつかめる人間で、漫画家になってしまった。
と、ここで夢に破れた自分を憂うのであれば綺麗な物語だが、結局これは現実だ。
漫画の世界だったら私は美大進学をしたものの、ものづくりは好きでないと気づき美術の道を諦める。増子のアニメは大ヒットし国民的漫画家として悠々自適の生活をする。
でも現実の私はやっぱりものづくりは好きだし、自分の選択が間違っていたとは思わない。今さらお堅いサラリーマン生活なんてできるとは思わないし、今大学生に戻ったとしても、漫画家は目指さない。
増子のアニメはたいして話題にならないまま終わった。今も細々と漫画家を続けてているらしいが、大ヒット漫画家にはなれないまま毎日の生活費を稼ぐのみらしい。
結局私は何かになれなかった人間だ。もし自分が増子の立場だったらものづくりを仕事にはできなかったと思う。
増子はなってしまう側の人間だ。でもこれからもへたくそな漫画を描き続けるだろうし、中学時代に語ったような大手雑誌に載っているイケメン漫画は一生連載できないまま終わるだろう。
夢を叶えた友人が、羨ましいもののああはなりたくはないなと思った。
https://x.com/iototaku/status/1982452974652973064
「親が左翼」か「高学歴ワーキングプア」以外のルートで現代の若者が左派になるルート存在しない。
あと、ポリタスとかみててもまじでその2種類のタイプの人たちだけがどうすれば幸せになれるか?という話(=脱経済成長の大きな政府)しかしていない。
うわぁ。俺がリベラルに対して思っていたこととほとんど同じ。あんまりこういう意見聞いたことないから「やっぱ間違ってんのかな?」と思ってたけど少なくとも一人はいて安心した。
温泉むすめとかにキレてたオタクを自認する男とかまさに↓のとおりだった。
・子供の頃からアニメやゲームに興味なくて電子工作やプログラミングとかしてた
・高校生の頃から個人書店で立ち読みして時間潰すのが趣味だった(書いてないけど本人の口ぶりからして人気漫画や雑誌の立ち読みじゃなさそう…)
・ほしい物リストが政治、経済、歴史の分厚いハードカバー本でいっぱい
まさに「すごい頭は良いけど、それを仕事に活かせていない人間。または仕事にするには難しい知識ばっかり知ってる人間」のオンパレード。
脱経済成長の大きな政府って要するに「資本主義とか金稼ぐとか反対。俺たちの好きな学問研究させろ。あ、でも衣食住は国が担保しろよな」ってことでしょ。
大概の人間にとって勉強というのは「役に立たなくてあくまでもいい大学に入るための知識ぶち込みゲーム」でしかないからな…
代ゼミの有名講師も「大人になってからは学歴学力よりお前の人間性が大切。もっというと本当は学生時代の時も人間性が大切なんだけどな。」的なことを言っているし。
以前はしょっちゅう漫画を立ち読みしてたからそれなりに面白そうな漫画に出会うこともあった
最近はさっぱりだ
立ち読みできなくなったのが大きい気がする