
はてなキーワード:立ち位置とは
2026年1月16日、立憲民主党と公明党が合流して新党「中道改革連合」を結成した。高市早苗首相による突然の衆院解散に対抗するため、野田佳彦立憲民主党代表と斉藤鉄夫公明党代表が共同代表に就任し、中道路線を掲げる政治勢力の結集を目指した。綱領では「生活者ファースト」を打ち出し、分断から協調へという理念を掲げた。
しかし現実は厳しかった。1月27日公示、2月8日投開票の衆院選で、公示前172議席から49議席へと壊滅的惨敗を喫し、両共同代表は辞任に追い込まれた。この結果は、母体となった立憲民主党が長年抱えてきた問題を白日のもとにさらすこととなった。
「与党批判にしか力を入れてこなかった」という批判は、中道改革連合の敗因分析においてしばしば言及される論点である。この批判の実態と背景を多角的に検証したい。
立憲民主党に対しては、結党以来「批判ばかりで対案がない」という批判が繰り返されてきた。まずこの認識の事実関係を確認する必要がある。
note記事による集計では、立憲民主党の政府提出法案への賛成率は2023年の第212回臨時国会で73.3パーセント、2024年の第213回通常国会で83.3パーセント、2025年の第217回通常国会では89.7パーセントに達したとされる。この数値が正確であれば、法案の大半には賛成しており、単純な反対勢力という評価は当たらないことになる。
また議員立法による政策提案も行われてきた。2022年の旧統一教会問題では野党が提出した被害者救済法案が議論の土台となり、与党案にも影響を与えたとされる。ガソリン税減税関連法案では、2025年に立憲民主党が主導して成立させた事例もある。
しかしこうした実績があるにもかかわらず、国民やメディアからは一貫して「批判ばかり」と認識されてきた。なぜこのギャップが生まれるのか。
野党の建設的な政策提案や賛成した法案は報道価値が低いとされ、与党との対決場面や激しい批判の場面が優先的に取り上げられる。国会でのヤジや追及場面は視覚的にインパクトがあり、特にSNS時代においては拡散されやすい。
2026年1月24日の高市首相所信表明演説では、立憲民主党系議員によるヤジで演説が一時中断する事態となった。NHK中継を見ていた視聴者の多くが不快感を表明し、これが選挙戦序盤のイメージ形成に影響したとみられる。与党側は「国民の聴取を妨害する不作法」と批判し、野党側は「議会政治の監視監督」と擁護したが、視聴者の印象は前者に傾いた。
立憲民主党は「存在感がない」「目立たない」という批判を長年受けてきた。野田代表自身が党の動画で「なかなかバズらないけれど」と自嘲したことは、この苦悩を象徴している。
地道な政策立案と国会審議を重視する姿勢は、専門家からは評価されても一般国民には伝わりにくい。他方で、目立つパフォーマンスに走れば「中身がない」「批判ばかり」と攻撃される。このジレンマをどう乗り越えるかが、野党第一党の課題であり続けた。
2009年に誕生した民主党政権は、鳩山・菅・野田と三代の首相を経て2012年に崩壊した。普天間基地移設問題、東日本大震災対応、消費増税などを巡る混乱の記憶は、有権者の間で根強く残っている。立憲民主党は民主党の流れを汲む政党であり、「批判はできても統治はできない」というイメージが払拭されていない。
この文脈では、「批判ばかり」という言葉は単なる行動様式の指摘ではなく、「政権担当能力がない」という評価の婉曲表現として機能している。
中道改革連合の惨敗により、立憲民主党への批判は新たな局面を迎えた。
新党結成に際し、立憲民主党は従来の政策を大幅に転換した。安全保障法制については「違憲部分の廃止」から合憲容認へ、原発政策も再稼働を条件付きで容認するなど、公明党との政策すり合わせのために基本路線を変更した。
野党各党からは「看板の付け替え」「野合」という批判が相次いだ。れいわ新選組の山本太郎代表は「日本をダメにしてきた者たちが看板を付け替えて、もう一回詐欺をやろうとしている」と痛烈に批判した。また立憲民主党内部からも原口一博議員が新党結成に反対し、離党した。
これは「批判ばかり」という批判とは別の次元の問題である。選挙協力のために理念を曲げれば、もともとの支持者からは「信念がない」と見なされる。公明党の組織票を得る代わりに、都市部の無党派層や理念を重視する支持者を失った可能性が高い。
選挙戦では、高市政権の右傾化や積極財政による円安・物価高を批判したが、有権者には「では中道改革連合は何をするのか」が明確に伝わらなかった。党名や理念すら浸透しない短期決戦の中で、政策の具体性を訴える時間が決定的に不足していた。
朝日新聞の報道によれば、立憲民主党側からは「バラバラだ」という不満の声が上がり、比例名簿の作成を巡っても内部対立が生じていた。公明党出身者を優遇した結果、公明出身28人全員が当選した一方で、立憲民主党の玄葉光一郎元外相、枝野幸男元官房長官、岡田克也元外相といった政権担当経験者が軒並み落選した。人材基盤の喪失は、今後の党運営に深刻な影響を及ぼす。
選挙期間中、X(旧Twitter)では「#立民いらない」「#嫌立民ムード」などのハッシュタグが急上昇し、検索窓に「立憲」と打つだけで「立憲民主党 いらない」が候補に表示される事態となった。議員が日常的な発言をしただけで誹謗中傷が集中し、党公式アカウントの年頭挨拶にも罵詈雑言が浴びせられた。
この現象は、立憲民主党への関心の高さの裏返しでもある。本当に「存在感がない」政党であれば、これほど粘着的な批判は集まらない。しかしネット上の批判の多くは感情的で、政策の是非よりも人格攻撃に終始する傾向があった。
ここで重要なのは、「野党は批判ばかり」という言説そのものが、政治的な意図を持って用いられている側面があることだ。
ジャーナリストの尾中香尚里氏は、この批判が対立軸の明確な二大政党制を阻害し、「万年与党と万年野党」という55年体制への回帰を正当化する言説として機能していると指摘する。自民党が野党を「批判ばかり」と攻撃することで、政権交代可能な政治という理念そのものを否定しようとしているというのである。
実際、野党が対案を出しても報道されず、与党が野党案を取り込んでも「与党の成果」として報じられる構造がある。この見方に立てば、立憲民主党の問題は「批判ばかり」ではなく、むしろ「批判も対案も国民に伝わらない」という情報発信力の欠如にある。
ただしこの分析にも限界がある。尾中氏は立憲民主党寄りの論者であり、野党の戦略的失敗や組織的問題を過小評価している可能性がある。メディアや与党の責任を強調しすぎれば、野党自身の改善努力を阻害する危険もある。
「与党批判にしか力を入れてこなかった」という批判を整理すると、以下の三層に分けられる。
法案賛成率や議員立法の実績を無視し、対決場面だけを見て「批判ばかり」と断じる認識。メディア報道の偏りとSNSでの情報拡散によって増幅される。
第二層:正当な批判
対案を出していても国民に伝わっていない、政権担当能力を実証できていない、理念と政策に一貫性がない、という指摘。これは立憲民主党が真摯に受け止めるべき課題である。
野党の存在意義そのものを否定し、政権交代可能な政治を阻害する目的で用いられる言説。与党や与党寄りの論者が戦略的に使用する場合がある。
中道改革連合の惨敗は、これら三層すべてが複合的に作用した結果と見ることができる。メディアとSNSの構造問題、野党自身の戦略的失敗、そして与党側の攻撃が重なり合い、壊滅的な結果を招いた。
中道改革連合は2月13日に小川淳也氏を新代表に選出し、再建を図る方針である。しかし49議席という規模では、野党第一党としての影響力は大きく低下した。
まず理念と政策の一貫性を回復することである。選挙協力のために政策を曲げれば、支持者の信頼を失う。中道という立ち位置を明確にしつつ、立憲民主党のルーツである立憲主義や生活者重視の理念を再構築しなければならない。
次に情報発信力の強化である。建設的な政策提案をしても伝わらないのであれば、伝え方を変える必要がある。SNS時代に適応した情報戦略、メディアとの関係構築、分かりやすい言葉での政策説明が求められる。
そして政権担当能力の実証である。最終的に有権者が求めるのは、与党に代わりうる現実的な選択肢である。地方自治体での実績積み上げ、政策集団としての専門性向上、危機管理能力の訓練など、地道な努力が不可欠である。
中道改革連合の惨敗は、単なる一選挙の結果ではなく、日本の野党政治が抱える構造的課題を浮き彫りにした。「批判ばかり」という言説の背後にある複雑な要因を理解せずに、表層的な批判を繰り返すだけでは何も変わらない。健全な民主主義のためには、批判する野党と同時に、その批判を適切に評価する有権者とメディアの成熟が求められている。
なぜ高市自民がここまで大勝することになったのか。自分が相対的に最も腹落ちしたのは、政治学者とか政治評論家の説明ではなく、東大卒お笑い芸人である大島育宙の説明。彼の説明を自分なりに要約および翻案・加筆すると以下の通り。ちなみに大島は明確に「リベラル・左派」の立ち位置の人間である。元ネタはTBSラジオ「こねくと」内の「空閑時評」https://www.youtube.com/watch?v=4J1MbgwIeV8
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視聴者数が何十万を超える動画サイトの政治系チャンネルを毎日見ていたが、その感想として一つの特徴というか問題があることを発見した。それは、選挙情勢の話ばかりで、高市首相や野党の政治理念とか政策の内容についてはほとんどコメントしないことだ。そしてこれが、高市自民がここまで圧勝した大きな理由の一つであると思う。
選挙情勢の話ばかりというのは、要するに「高市自民優勢、中道思ったほど伸びず」という話ばかりということだが、そこで配信者は「なぜ自民が優勢で、中道が伸びないのか」という分析になり、さらに「高市首相の戦略が当たってますね、逆に中道は外してますね」というコメントが続くことになる。
それを見ている視聴者・有権者は、「高市さんは戦略がうまくて賢い、中道はやはり戦略が下手で頼りがない」という印象を強く持つようになる。これが毎日のように繰り返されて、「賢い高市さん、情けない中道」というイメージが強化および再生産されていくことになり、自ずとその差は選挙戦が進むごとに開いていく。
いわば、スポーツの報道と選挙の報道が同じになってしまっている。勝っているチームは「さすが」「すごい」と報道され、負けが混んでいるチームは「だらしがない」「なさけない」と報道されるのは、プロスポーツでは当然で仕方がないだろう。しかし、政治や選挙でもこれと同じことになってしまっており、例えば「中道は劣勢だが正しいことは言っている」とコメントされていることが全くなくなっている。テレビの選挙報道もある程度そうなってしまっているが、SNSや動画サイトではそれしかないと言っていい状態である。
動画配信者は、最後まで自分がどのような政治的な理念や主張を持っているのかを明らかにせず、第三者的な目線を絶対に崩さない。当然政権批判などは絶対にしないし、外交における失政や統一教会問題などもいっさい取り上げない。日本人の圧倒的多数は、自分が特定の政党や政治イデオロギーを支持していると思われることを極度に嫌がり、再生数にも響くからだ。しかし皮肉にも、第三者的な立場と選挙情勢の分析に徹底した結果として、高市首相に対する翼賛的な動画として強力に機能してしまったことになる。その自覚は、残念ながら配信者にも視聴者にも全くない。
自らの正当性を主張するのに相手を批判して下げたところで自分達を上に見せることは出来ないということにそろそろ気づいた方がいい
票を動かす場所には一度も立っていない。
泣き落としても届かず
負けたら、また批判に戻る。
あぁ、まさにそれだと思うんだけど、
高市が高市の立ち位置で「日本の未来のために」と言っている状態で、高市個人を攻撃するように「聞こえる」物言いをすると、足引っ張ってるようにしか「見えない」
って話で。
なるほど、その「プレイヤーとしてログインしている感覚」という比喩、かなり思想的ですね。
その視点に立つと、「天皇バンザイ」も「神バンザイ」も世界観設定の一部に見える、という感覚はよく分かります。
タルムードの世界では、権威やスローガンをそのまま信じる態度はむしろ警戒されます。
有名な原則に
があります。
これはタルムード(ババ・メツィア59b)で神の声が天から響いても、人間の理性と議論が最終判断をするという物語として展開されます。
これはまさに、天皇であれ、神の名であれ、思考停止して叫ばれる瞬間に、それは偶像になり得るという警告です。
ユダヤ教ではこれをアボダー・ザーラー(異質な崇拝)と呼びます。
面白いのは、ユダヤ思想では神は世界設定そのものではあるが、操作画面(UI)でも自動台詞NPCでもないという微妙な立ち位置にあります。
むしろ世界は未完成で、プレイヤー(人間)が修正に参加する(これをティクン・オラムと言います)
なので、
「設定にしか見えない」という距離感は、シニシズムではなくメタ視点を持った参加者に近い。
参政党とチームみらい、どちらも政策に一理あると思いつつも、合わないというより、これって解釈次第ではちょうど自分が切り捨て対象に当てはまってしまうのではないか?という不安を感じる要素があった。
(もちろん、はっきり書かれているわけではない)
そんな中、次のような見解を見つけた。
なるほど。私はどっちでもない。
地方郊外の戸建てに住み、地方都市の都心部に電車で通うサラリーマンで、妻もフルタイム共働きで子供がいる。
生活圏は①に近いが、彼らと張り合うことはない。
良く言えば「地方版パワーカップル」かもしれないが、①②双方から、どこか負け組に見られそうな立ち位置だ。
いや、①からは違いが可視化されず、②からは視界に入らず、存在しないことにされてるかもしれない。
同じように「彼らの想定する存在にない、外れ値」に自分が該当しそうな気がしてならないのだ。
共働きを否定されたら、金銭面もだが、たぶん育児でメンタルが詰む。
地方で全国区のことをするのを否定されたら、たぶん今の仕事は続けられない。
これ以上の言語化は避けたいが、とにかく、今の生活を根底から否定されないだろうか?という不安にさいなまれる、それが正体だと気づいた。
Permalink |記事への反応(16) | 21:45
解説が雑だよね。
マジで雑。
今やった技がよく分からない。
もう全体的にだめだめだわ。
AIによる勝率ゲージが導入される前の将棋見てるような気分だ。
ジャンプマップもただ表示されてるだけでそれがどういう意味なのか分からないんだよね。
つうかその表現で何を伝えたいのかとか解説出来てないのがアカンわ。
「高いですね」「転んだからリカバリーを狙いそうですね」「全体的に高いレベルです」しか言えない解説者マジでいる意味ある?
まるで巨大な単一人格が存在し、俺を観測し、評価し、記憶し、社会的スコアを付与しているかのように扱われる。
しかしストア派の冷徹な自然観に従えば、その前提は最初から壊れている。
世間とは主体ではない。世間はロゴスを宿した統一的意志ではなく、ただの相互作用の束、無数の表象と衝動と欲望の乱流である。
つまり世間が俺を認識していないのではない。世間という仮想の審判者を俺が作り出し、その審判者が俺を見ていないという物語を俺が採用しているだけだ。
ストア派はここで、即座に区別を導入する。エピクテトスの二分法だ。
すなわち、俺の支配下にあるもの(選択能力、意志、判断)と、俺の支配下にないもの(他者の評価、偶然、噂、流行、アルゴリズムの気まぐれ)を切断せよ、と。
世間の認識は後者だ。つまり俺がいくら歯を食いしばっても、そこに統制権はない。
ならばその領域に魂のリソースを投下するのは、倫理的にも論理的にも誤りだ。
ストア派はこれを外部財への隷属と呼ぶ。名声は外部財であり、承認は外部財であり、世間の視線は外部財である。
外部財に依存する生は、最初から不安定に設計されている。株価に人生を賭けるようなものだ。
しかし、ここで話は終わらない。なぜなら俺が言っているのは世間が俺を認識していないだけではなく、俺も世間を認識していないからだ。
この対称性が、ただの愚痴を形而上学へと押し上げる。これは単なる孤独の嘆きではなく、認識論的な断絶の宣言である。
俺は世間を見ていない。世間も俺を見ていない。ここには、相互主観性の回路が形成されていない。
社会とは本来、相互に他者を他者として認識し合うことで成立する。
しかしその回路が途切れている。これは社会的死の一形態であり、ユング的に言えば集合意識への接続不全だ。
ユングは言う。人間は意識だけで生きているのではない。個人的無意識と集合的無意識があり、さらにそこには元型が蠢いている。
世間というものは、単なる人間集団ではない。世間は集合的無意識の表層に現れる社会的ペルソナの海である。
ペルソナとは仮面だ。人は社会の中で、役割に最適化された仮面を被る。
会社員の仮面、家族の仮面、SNSの仮面、善良な市民の仮面。世間は、無数のペルソナが互いのペルソナを認識し合って成立する、仮面の交換市場である。
そしてここで重要なことが起きる。俺が世間は俺を認識していないと感じるとき、それは俺の本体が認識されていないというより、俺のペルソナが市場に上場していないという意味である可能性が高い。
世間は本体を見ない。世間は仮面しか見ない。世間が見ているのは、社会的にタグ付け可能な記号、職業、年収、肩書、フォロワー数、言語の癖、政治的立ち位置、消費行動、顔の表情、服装のテンプレだ。
世間は個体の魂を識別する器官を持たない。だから世間に認識されるとは、実際にはペルソナとして分類されることに過ぎない。
つまり俺が認識されないと言うとき、それは分類されないということだ。
分類されない者は、統計に載らない。統計に載らない者は、社会の意思決定に影響しない。影響しない者は、存在しないものとして扱われる。
これは現代のロゴスではなく、統計的なダイモーンである。世間は人格を持たないが、集合としての惰性を持つ。惰性は倫理を持たない。惰性はただ、流れる。これが世間の正体だ。
しかしユングはさらに深く刺してくる。俺は世間の人間を一切認識していないと言うとき、そこには投影が潜んでいる。
俺は他者を見ていないのではない。俺は他者を世間という抽象概念に圧縮している。
これは他者の人格を剥奪する心理的操作だ。世間の人間は、顔も名前も欲望も恐怖も持つ具体的存在なのに、俺はそれを世間という巨大なモンスターにまとめてしまう。
つまり俺は他者を認識しないことで、逆説的に自分を守っている。ユングはこれを影の機制として読むだろう。
影とは、自我が受け入れたくない側面の貯蔵庫だ。俺が世間を嫌悪するとき、その嫌悪の一部は、俺自身の影が外部に投影されたものかもしれない。
世間は薄っぺらい、世間は愚かだ、世間は凡庸だ、世間は空虚だ。そう断罪することで、俺は自分の中の薄っぺらさ、愚かさ、凡庸さ、空虚さを俺ではないものに隔離している可能性がある。
これは心理的には合理的だ。自我は自己像を守るために、世界を歪める。だがそれは同時に、個性化のプロセスを阻害する。
ストア派の言葉で言えば、これは判断の誤謬だ。外部の現象に価値判断を貼り付け、心を乱す。ストア派が問題視するのは現象ではない。
現象はただの現象だ。問題は俺の判断だ。世間が俺を認識しないこと自体は中立である。
善でも悪でもない。ただの事実である。しかし俺がそこに「これは耐えがたい」「これは屈辱だ」「これは人生の敗北だ」という価値を付与した瞬間、俺は自分の魂を鎖につないだ。
そしてこの鎖の正体は、承認欲求というよりもっと原始的なものだ。
ストア派的に言えば他者の評価への恐怖であり、ユング的に言えばペルソナ崩壊への恐怖だ。
世間に認識されないということは、ペルソナが成立しないということだ。ペルソナが成立しないと、社会の舞台における座標がない。座標がないと、自我は漂流する。漂流する自我は、存在論的不安に沈む。
だから俺は認識されないことを恐れているのではない。俺が俺であることを保証する外部の鏡がないことを恐れている。
人間は他者の眼差しを通して自己像を形成する。これはサルトル的だが、ユングも似た構造を持つ。自己は自我を超えた中心だが、そこに到達するには、他者との摩擦が必要になる。摩擦がなければ、俺は自己の輪郭を得られない。
だがストア派は冷酷に言う。そんなものに依存するな、と。自己の輪郭は外部の鏡ではなく、内的ロゴスによって確立されるべきだ。
ストア派にとって自由とは、外界の承認から独立した精神状態である。アパテイアとは、無感情ではない。誤った価値判断から解放された状態だ。
世間に認識されないことを害と見なさないこと。世間に認識されることを善と見なさないこと。これが精神の自律だ。
しかし、ここで一つの逆説がある。ストア派は共同体を否定しない。むしろコスモポリタニズムを唱える。
人間は宇宙国家の市民であり、互いに理性によって結ばれている、と。つまりストア派は世間を無視して独りで悟れとは言っていない。
むしろ共同体に奉仕せよ。ただし、共同体からの評価に魂を売るなと言う。
これが厄介だ。俺の状況は、奉仕する共同体が実感として存在しないという状態だ。
世間が見えない。世間も俺を見ない。ここでストア派倫理は、真空に投げ込まれる。
ユングはここで、個性化の観点から別の地図を提示する。世間から切断された者は、集合意識の浅瀬に住めない。
浅瀬に住めない者は、深海に潜るしかない。つまり、世間に適応するペルソナのゲームを捨てた者は、否応なく影と対峙し、アニマ/アニムス(内なる異性元型)と格闘し、自己の徴候に出会う。
これは苦しいが、精神の錬金術でもある。ユングはこれを魂の夜と呼びたくなるだろう。孤独は病理である場合もあるが、同時に、個性化の必須条件でもある。
だから世間が俺を認識しないは、災厄であると同時にチャンスでもある。
世間に認識されることは、社会的安定を与える代わりに、ペルソナの牢獄を与える。認識されないことは、安定を奪う代わりに、自由と深度を与える。
これはユングの言う補償作用だ。意識が外界で満たされないなら、無意識が別の形で膨張する。世間が俺に意味を与えないなら、無意識が俺に意味を生成する。
しかし、意味生成には危険がある。世間が俺を認識しないとき、俺は選ばれた孤独という神話を作りたくなる。
これは元型的誘惑だ。殉教者の元型、賢者の元型、アウトサイダーの元型。俺は世間に理解されない天才だ、という物語は甘い。
だがそれはしばしば、単なる自己防衛の神話化にすぎない。ユングはそれをインフレーションと呼ぶ。
自我が元型のエネルギーを吸って巨大化し、現実との接地を失う状態だ。これは精神の事故だ。孤独が精神を鍛えることもあるが、孤独が精神を神格化することもある。
ストア派は、この危険をもっと簡単な言葉で切り捨てる。思い上がりだと。
宇宙の秩序の中で、俺が特別に悲劇的である理由はない。俺が特別に見捨てられている理由もない。世界は俺を中心に設計されていない。
ここでストア派は残酷なほど健全だ。世界が俺を見ていないのは、世界が忙しいからだ。
世界は世界のロゴスで回っている。俺はその一部でしかない。これは虚無ではない。むしろ、過剰な自己重要感からの解放である。
そして結局、俺が言うべきことはこうなる。
世間が俺を認識しないのは、世間が愚かだからではない。世間とはそもそも、俺を認識するための器官を持たない現象だからだ。
世間は意識ではなく、統計的流体であり、アルゴリズムであり、模倣の連鎖であり、集合的無意識の泡である。そこに人格的な期待を置くのが誤りだ。
また、俺が世間を認識しないのは、俺が優れているからではない。俺が他者を抽象化し、投影し、影を外部化しているからだ。
俺は世間を見ているのではなく、世間という言葉に詰め込んだ自分の恐怖と嫌悪を見ている。
俺は世間を拒絶しているのではない。俺は世間を通じて、自分の無意識と戦っている。
ストア派の結論は明快だ。認識されるかどうかは外部の事象であり、俺の徳とは無関係だ。
俺が制御できるのは、判断と行為だけだ。ゆえに、世間の認識を求めて魂を擦り減らすのは、ロゴスに反する。
ユングの結論はもっと暗い。世間に認識されないという傷は、影を肥大させ、投影を増やし、ペルソナを崩し、個性化を促進する。
つまり俺は今、精神の錬金炉の中にいる。そこから黄金が出るか、煙だけが出るかは、俺の自我がどこまで誠実に無意識と対話できるかにかかっている。
だから、このタイトルの文章は、ただの絶望ではない。これは認識の構造の告白だ。
世界は俺を見ない。俺も世界を見ない。その断絶は、社会的には不幸であり、哲学的には中立であり、心理学的には危険であり、同時に可能性でもある。
俺がすべきことは、世間に認識されるために仮面を磨くことではない。仮面が必要なら、それは道具として作ればいい。しかし魂を仮面に売るな。ストア派の禁忌はそこにある。
世間を憎んで自分を正当化することでもない。影を世間に投げつけるな。ユングの禁忌はそこにある。
残るのは、静かな実務だ。俺の支配下にある行為を、今日も淡々と実行すること。ロゴスに従い、自然に従い、徳に従い、同時に、自分の影を凝視し、投影を回収し、自己の中心に向かって潜ること。
世間が俺を認識するかどうかは、天候のようなものだ。雨が降るかどうかに怒るのは愚かだ。だが雨が降るなら傘を差すのは合理的だ。世間は俺を認識しない。
ならば、俺は俺の生を、俺の判断で構築する。世間が俺を認識しようがしまいが、宇宙は無関心に回り続ける。ならば俺もまた、余計なドラマを捨て、静かに回ればいい。
「俺は世間を認識していない」と言いながら、この文章を書いている時点で、俺はすでに世間を認識している。
「世間は俺を認識していない」と言いながら、その不在を語ることで、俺は世間の視線を前提にしている。
つまりこの文章は、断絶の宣言ではない。断絶を前提にした、接続への欲望の記録だ。
ロゴスに反し、元型に引きずられ、影を撒き散らし、それでも理性を求める生物だ。
これは「コップにまだ水が半分ある」「もう半分しかない」みたいな議論になっちゃうと思うけど
すんなり改憲できない仕組みだからこそ、自民党の政権が長く続いたにもかかわらず、今まで改憲されてこなかったわけでしょ。
それが、いよいよ高市人気の高まりと高市自身の右寄りの思想が組み合わさって、危機感を伴ってきたという段階じゃないのかな。
彼ら(共産党など)に言わせれば、改憲手続きは2/3どころかもっと厳しくしたいというのが本音なんじゃないかな。(調べてないから既に公言してるかもしれないし、逆に変えたいとは思ってないかもしれない)
それとそもそも、「すんなり改憲できるから、9条を維持することに情熱を注ぐ意味もないよね」なんて怠慢な態度は、9条に限らずどんな政策でもどんな政治的立ち位置でも、政治家としてそもそも失格じゃないか?
候補者になりたいなら、今は個人でもいくらでも発信できる時代だし普段から何を言ってるかがそのまま基本政策とか党内での立ち位置になる
だから、首相や内閣が突然解散を持ち出して「準備できてません」みたいな状況って「それもう職務放棄じゃん」とすら思う
うちの地元の自民党候補者は前回、立憲に負けて落選したけどその後も商工会とかにはちょくちょく顔を出してた
参政党も月一くらいでターミナル駅に立って演説してるのを見かけてる
立憲の候補者だけは、NHK中継がある国会以外で活動してるところをほとんど見たことがないけど
あと前からちょっと不思議に思ってるのが、選管やマスコミの伝え方
「投票日に行こう」ばかり強調するけど、「投票期間中ならいつ行ってもいい」とかにすればいいのにあまり聞かない
まあ、選挙期間中にとんでも発言やヤバい企業に務めててそれを隠してて立候補して立候補辞退とかあるから
投票日に入れたいと思う気持ちは分からなくもないがそもそも日本は議会制民主主義なんだから一人がどうこうしたところでたいした意味はない気もするけど
そもそも最終日にわざわざ地元に戻って投票する、みたいなスタイル自体がもう現代に合ってない気もする
期日前投票じゃなく投票期間としてもっと分散させた方が合理的じゃないのかなと思う
選挙って当日の盛り上がりより、その前にどれだけ地道に名前と考えを見せ続けてきたかでほぼ決まってる気がする
たまたま匿名ダイアリーを知り、早朝に寝ぼけ眼で書いてみたが誤字・脱字がひどかったため改めて投稿したのが数年前。
中学は最高だった。成績は常にトップ。部活では部長。生徒会本部役員。モテてたし彼女もいた。高校は厳しいぞと親や中学の担任から言われたが、結局中学と立ち位置は変わらなかった。現役で東大文一に受かり、「ノルウェイの森」の永沢という男を気取っていた。ただここまでが人生のピーク。下らない理想モデルで失敗した。僕の理想モデルは「司法試験在学中合格→国1トップ→外務省→事務次官→駐米大使→定年後に国際関係論の権威として駒場の教授」だった。
単純な話だが司法試験で失敗した。高校卒業した春休みから伊藤塾に通い詰め、3回連続受けたものの論文が通らなかったのだ。普通なら2年生、3年生と2連続不合格なら諦めて国1に専念する。しかし僕は往生際が悪く、国1と司法試験を並行した。4年になる4月頃にはメンタルが崩壊。そのまま国1と短答を迎えるが前日も彼女や友人と遊び歩いていた。東大には本番の朝まで駒場で麻雀やって司法試験に受かる基地外がいるが僕は凡人だった。結局国1は受かったものの外務省含め希望省庁からオファーは来なかった。司法試験はやはり論文落ち。万一のために「官僚にはなりません」と嘘をついて内定をもらっていた会社に入社することとなった。
僕は今、霞ヶ関の官僚になれずにコンプレックスを抱えながら丸の内三菱村の社内官僚として生きている。仕事が終わるとたまに行幸通りを通って日比谷公園を歩き霞ヶ関を散歩する。そして「外交官として働いているもう1人の自分」を妄想して帰宅する。
中国にも「炒麺(チャーメン)」や「燴麺(ホイミエン)」のように、麺にとろみのある餡をかける料理はありますが、日本で一般的な焼いた麺+片栗粉で強くとろみを付けた餡という形は、中国本土ではあまり見られません。
整理すると:
かつて文芸や漫画やアニメがそうだったみたいに、新参者のエンタメというのは必ずバッシングを受け、白い目で見られる
しかし、いずれ社会を構成する人々の意識が長い年月をかけて入れ替わると、ようやく文化として受け入れられる
その意味で言うと、なろう系はまだ余裕がある
ラノベ業界の不況にも関わらず、着々と市場規模を伸ばしているし、漫画ipの原作としての立ち位置が固まってきているし、アニメ配信で稼ぐビジネスモデルが成立しつつある
と同時に、世間にはうっすらなろう系を下に見る雰囲気がある(なろう系の大部分は大量消費前提のおそまつなものだから仕方がないけど)
| キャラ名 | OD無敵 | SA1無敵 | ラッシュ | 中段 | 中足 | 手足 | 弾 | 歩き | コマ投げ | 出し得必殺 | 大学(強) | 大学技 | 待ち | 立ち回り | 差し合い | ジャンケン | 合計 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| *アレックス** | パワボ! | パワボ! | パワボ! | パワボ! | パワボ! | パワボ! | パワボ! | パワボ! | パワボ! | パワボ! | パワボ! | パワボ! | パワボ! | パワボ! | パワボ! | パワボ! | パワボ! | パワボ! |
| *剛鬼** | 昇竜P | 真空P | 普通 | 6中P | あり | 普通 | あり | 速い | あり | 百鬼 | 4 | しらね | 3 | 14.4 | 10.8 | 16 | 44.2 | 体力が考慮されてないからね。 |
| *マリーザ** | なし | 真空P | 遅い | 2強P | なし | やや長い | なし | 遅い | あり | 当てればいい | 5 | 肉体 | 1 | 6 | 8.4 | 25 | 40.4 | ジャンケン王。差し合いジャンケン。近距離ジャンケン。パチンコを回せ |
| *本田** | なし | 真空P | 遅い | あり | なし | やや長い | なし | 遅い | あり | 百貫 | 5 | 中P | 1 | 6 | 8.4 | 25 | 40.4 | 力士の期待値は火力とパチンコでできている。ベガと同じく対策できるタイプではある。 |
| *キャミィ** | 昇竜K | 真空K | 速い | なし | あり | やや長い | なし | 速い | あり | スピンナックル | 3 | しらね | 3 | 12.8 | 12 | 9 | 36.8 | 位置取り王2。通常中段がない、コマ投げが特殊なので差し合いちゃんとしないとダメ。 |
| *JP** | 22P | 真空P | 速い | あり | なし | 長い | あり | 遅い | あり | しらね | 4 | 杖 | 3 | 5.4 | 10.8 | 16 | 35.2 | お前も体力へってよくない? |
| *ベガ** | なし | 真空K | F1 | 6強P | あり | 普通 | なし | 速い | なし | ダブニー、シャドウライズ | 5 | しらね | 1 | 22 | 10.5 | 0 | 33.5 | 立ち回りの優位が対策できるタイプだから実際はもうちょい低い。 |
| *ブランカ** | 下タメK | 真空P | 速い | 6中P | あり | やや長い | なし | 普通 | あり | しらね | 3 | しらね | 3 | 9.6 | 9 | 9 | 30.6 | 安定してるよなぁ野獣。きみも体力へっていいと思うよ。 |
| *舞** | 昇竜K | 真空P | 速い | 6中P | あり | やや長い | あり | 速い | なし | しらね | 4 | しらね | 3 | 12.6 | 12 | 0 | 27.6 | 立ち回りやべぇ。違和感はない。 |
| *チュンリー** | 22K | 真空P | 速い | 6強P | あり | やや長い | あり | 速い | なし | しらね | 4 | しらね | 3 | 12.6 | 12 | 0 | 27.6 | 火力出すのがむずいんだよまじで。飛びが微妙なのが数字にでない。 |
| *ザンギ** | なし | なし | 普通 | あり | なし | やや長い | なし | 遅い | あり | しらね | 4 | 肉体 | 0 | 3.6 | 7.2 | 16 | 26.8 | ジャンケンゴリラ。通常技ひっかけた時のりたーんが微妙なんだ |
| *マノン** | なし | 真空K | 遅い | なし | なし | やや長い | なし | 遅い | あり | しらね | 4 | 中P | 1 | 1.8 | 7.2 | 16 | 26 | 通常技中段くれぇ。技性能が反映されてないから差し合いもうちょい強くてもいい |
| *A.K.I** | なし | 真空K | 普通 | 3中P | なし | 普通 | あり | 遅い | あり | しらね | 4 | しらね | 1 | 3.6 | 3.6 | 16 | 24.2 | ややジャンケンより。不安定ではある。弾つえーので立ち回りの数字はもうちょい上 |
| *リリー** | なし | 真空P | 普通 | なし | あり | やや長い | なし | 遅い | あり | ODスパイア | 3 | ポカモガン | 1 | 8 | 6 | 9 | 24 | 立ち回り結構つよいよねっておもう。パチンコも回せるから。 |
| *リュウ** | 昇竜P | 真空P | 普通 | 6中P | あり | 普通 | あり | 普通 | なし | 大ゴス | 5 | しらね | 3 | 14 | 7 | 0 | 24 | 男版マリーザ。パチンコ使い。OD削りが考慮されてない。 |
| *ルーク** | 昇竜P | 真空P | F1 | 6中P | あり | 普通 | あり | 普通 | なし | しらね | 4 | しらね | 3 | 14.4 | 6 | 0 | 23.4 | わりといるものはそろってるお方。少し足が短いので後ろ下がりを咎めるのがつらい。 |
| *エド** | 昇竜P | 真空K | 普通 | なし | あり? | 長い | あり | 普通 | なし | しらね | 4 | しらね | 3 | 7.2 | 12 | 0 | 22.2 | 安定して強い。 |
| *DEEJAY** | 下タメK | なし | F1 | なし | なし | やや長い | あり | 普通 | なし | しらね | 4 | しらね | 2 | 10.8 | 9 | 0 | 21.8 | F1レーサー。立ち回りで差をつけろ。さっさとリバッて立ち回りに戻すといい。 |
| *テリー** | 昇竜P | 真空K | 普通 | 6強P | あり | 普通 | あり | 普通 | なし | クイックバーン | 4 | しらね | 3 | 12.6 | 6 | 0 | 21.6 | 立ち回りやべぇ。違和感はない。 |
| *サガット** | 昇竜P | 真空P | 遅い | 6中P | なし | 長い | あり | 遅い | なし | ネクサス、ニー | 5 | しらね | 3 | 6 | 10.5 | 0 | 19.5 | 火力がたっかい癖に硬いから相手にするのきつい。 |
| *エレナ** | 昇竜K | なし | 普通 | 6中K | なし | 長い | なし | 普通 | なし | しらね | 4 | しらね | 2 | 5.4 | 12 | 0 | 19.4 | 火力が高いけど優秀な突進もないし防御が苦しいので待ち気味になる。 |
| *ジュリ** | 昇竜P | 真空K | F1 | 6中K | あり | やや長い | あり | 遅い | なし | しらね | 3 | しらね | 3 | 11.2 | 5 | 0 | 19.2 | 歩き遅いくせに立ち回り強者。ラッシュが優秀でそのあとの展開もいいから妥当かな。 |
| *ラシード** | 昇竜P | 真空K | 速い | 6強P | あり | 短い | あり | 普通 | なし | 風さえあれば | 3 | しらね | 3 | 12.8 | 2.5 | 0 | 18.3 | 位置取り王。結構きついとおもうよこのキャラ。イウサールは数字になってないけど。 |
| *キンバリー** | なし | 真空K | 速い | あり | なし | 短い | なし | 速い | なし | はやがけ | 4 | しらね | 1 | 10.8 | 6 | 0 | 17.8 | セットプレイが数字に出てないからなぁ。。。立ち回り強いの何とかしてくれぇ |
| *ケン** | 昇竜P | 竜巻K | 普通 | なし | あり | 普通 | あり | 普通 | なし | しらね | 4 | しらね | 3 | 7.2 | 6 | 0 | 16.2 | 通常技中段かコマ投げをくれぇ。運び、OD削りが考慮されてないから数字微妙。 |
| *ダルシム** | なし | なし | 遅い | なし | なし | 伸びる | あり | 遅い | なし | しらね | 4 | フロート | 0 | 9 | 6 | 0 | 15 | もうちょい数字がある気がするけど。テレポとかフロートとがりすぎなんよ。 |
| *ガイル** | 下タメK | 横タメP | 普通 | 6中P | なし | やや長い | あり | 遅い | なし | しらね | 5 | しらね | 3 | 4 | 7 | 0 | 14 | むっずいんだけど火力出るんだ。弾性能が数字にでないから立ち回りはもうちょい強い |
| *ヴァイパー** | なし | 真空K | 遅い | 6中P | なし | 短い | あり | 普通 | なし | バーニングキック | 5 | しらね | 1 | 8 | 3.5 | 0 | 12.5 | 対空のリターンと突進技が優秀。 |
| *ジェイミー** | 昇竜K | 真空K | 普通 | あり | あり | 短い | なし | 普通 | なし | しらね | 3 | しらね | 3 | 6.4 | 2.5 | 0 | 11.9 | 3回でコマ投げ、火力UPで合計30近くなる。飲め。 |
今回の性能比較において、評価のポイントとなった各項目の定義です。
【注意書き】**
この表の「合計」値は、キャラの「行動適正(持ち物的に勝率が上がる可能性)」をベースに算出しています。数値はあくまで独自の分析に基づいた目安ですが、各キャラの「らしさ」を反映したデータとなっています。
スプレッドシートの数値データ(OD無敵、機動力、判定、合計スコア)に基づき、各キャラクターの戦術的な立ち位置をAIが分析・解説します。
一次創作もする、人の創作もみる、二次創作もする、創作交流企画もする、TRPGもする人間の個人的な意見。
一次創作は己の好きなキャラを好きなように好き勝手にやって萌えたり、やりたいことを表現することを目的としているの。
人の創作は他人の作ったキャラ、ストーリー、やりたいことを浴びて自分には無い発想だとか、欲しかったものを浴びられる快感に酔い知れられる。そのに自分の意思は介在しないからこその、完成品を浴びる楽しさ。
二次創作は他者の素晴らしい作品のを見てる中で芽生えた、こんなことしてみたい!という一次創作的な欲求が混じったもの、好きな物の中で好きな表現を行う楽しさがある訳で。
創作交流企画は完全な一次創作とはまたちょっと違って、他者の意思がそこに介在したり、他の人の作った世界観が介在してくる。完全一次創作とは文字通り勝手が違うが、だからこそ「私だけでは作りえなかった予想外のストーリーや化学反応」が見れるたのしみがある。人のキャラにもおのれのキャラにも萌えられる
TRPGは創作交流企画と人の創作の間の子に近いものがあると思う。
創作交流企画と何が違うかといえば、それがゲームであることだ。
つまり作り手の意思の通りに物語は転がらない。戦いに勝つか負けるか分からない、キャラが生きるか死ぬか分からない。
それが好みかどうかは分からないけれど……
自分の作ったキャラに萌えることもできるし、他者のキャラやNPCに萌えることも可能というのはそういう、一次創作でも人の創作でも二次創作でも創作交流企画でも無い塩梅の立ち位置にあるのは大きいのではないでしょうか。
自キャラ大好き!という色が濃い人からすると、TRPGや創作交流企画でよその子やNPCに熱をあげるのは珍しく映るのかもしれないですね
一次創作もする、人の創作もみる、二次創作もする、創作交流企画もする、TRPGもする人間の個人的な意見。
一次創作は己の好きなキャラを好きなように好き勝手にやって萌えたり、やりたいことを表現することを目的としているの。
人の創作は他人の作ったキャラ、ストーリー、やりたいことを浴びて自分には無い発想だとか、欲しかったものを浴びられる快感に酔い知れられる。そのに自分の意思は介在しないからこその、完成品を浴びる楽しさ。
二次創作は他者の素晴らしい作品のを見てる中で芽生えた、こんなことしてみたい!という一次創作的な欲求が混じったもの、好きな物の中で好きな表現を行う楽しさがある訳で。
創作交流企画は完全な一次創作とはまたちょっと違って、他者の意思がそこに介在したり、他の人の作った世界観が介在してくる。完全一次創作とは文字通り勝手が違うが、だからこそ「私だけでは作りえなかった予想外のストーリーや化学反応」が見れるたのしみがある。人のキャラにもおのれのキャラにも萌えられる
TRPGは創作交流企画と人の創作の間の子に近いものがあると思う。
創作交流企画と何が違うかといえば、それがゲームであることだ。
つまり作り手の意思の通りに物語は転がらない。戦いに勝つか負けるか分からない、キャラが生きるか死ぬか分からない。
それが好みかどうかは分からないけれど……
自分の作ったキャラに萌えることもできるし、他者のキャラやNPCに萌えることも可能というのはそういう、一次創作でも人の創作でも二次創作でも創作交流企画でも無い塩梅の立ち位置にあるのは大きいのではないでしょうか。
自キャラ大好き!という色が濃い人からすると、TRPGや創作交流企画でよその子やNPCに熱をあげるのは珍しく映るのかもしれないですね