
はてなキーワード:積読とは
https://ichiiida.theletter.jp/posts/0aa160a0-d70f-11f0-aa07-8582de6095b5
https://note.com/nyake/n/na2d317b47bc5
「なぜはた」の明確な問題点は「タイトルの主語が大きすぎること」です
<以下本文>
まず大前提として、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』は、「かつて読書習慣があったにもかかわらず、働き始めてから読めなくなった人々」という特定の層が抱える悩みについて、それが個人的な問題ではなく社会構造上の問題であることを論じた本です。
→大前提となる、「『かつて読書習慣があったにもかかわらず、働き始めてから読めなくなった人々』という特定の層」が存在することをデータで示さないと、「実感」としてそういう層の存在を主張したとしても議論が始まりません。
「この神聖な水飲んだらがんが治ったんだもん」とデータなしに主張しても、そこから先の議論に至らないのと同じです。
これに対し、飯田さんは国民全体の平均値であるマクロデータを持ち出して「全体で見れば変化はない」と反論しました。が、これはいうなれば、「日本人の平均寿命は伸びているから、あなたの今の病気は存在しない」と言っているのに等しい議論です。
→この例えは明白に誤りです。なぜなら前者は「全体の読書量」と「特定の層の読書量の推移」を比較する主張であり、後者の「寿命」と「特定の疾患の存在」とは評価対象が異なるからです。
あえて寿命で例えるなら、「日本人の平均寿命は延びているから、喫煙者の平均寿命も延びている」などがあります。これならば「全体」と「特定の層」を共通の評価軸である「寿命」で比較できますし、「日本人の平均寿命が延びていること」を示しても「喫煙者の平均寿命が延びていること」を示さないのはその通りで、これならば矛盾と言えます。
(しかしその仮説を論じるなら、タイトルを「喫煙者の平均寿命~」とするべきで、主語を日本人全体としたり、明確に示さないことが明らかに誤りであることは誰にでもわかると思います。)
全体平均の中に埋もれてしまっている「特定の属性の変化」に光を当てるのが拙著の役割です。マクロデータのみで個人の実感を否定することは、分析の手法として適切ではありません。
→マクロデータのみで個人の実感を否定すること。確かによくないですね。
おじいさんおばあさんの中には、煙草を決してやめない人がいます。「私は煙草を吸っても今まで病院のお世話になったことないんだから、それでいいの」 大変結構だと思います。
こういう人たちに、「タバコは健康に悪いからすぐやめなさい」と言っても、個人の経験則を否定することになり、もめます。
マクロデータの目的は、「特定の属性の実感」を否定することではなく、全体を解析して現状やその傾向を把握することです。分析の手法として、データで示されない実感を大切にすることは重要ですが、解析の結果「実感」を否定する結果になってしまうことはままあります。
だからこそ、「実感」を前提とする議論をするならば、実感の存在そのものをデータとして示す必要があるのです。
拙著で統計データを多用することは本題からそれてしまうため(何度も書きますが、私の書いた『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はマクロデータで語ろうとした本ではありません)必要最低限にとどめていました。が、本稿ではあえて氏の提示したものと同じデータソースを用いて反論を試みます。
→繰り返しになりますが、主張には前提が必要で、前提が正しくなければ主張も意味を成しません。したがって、前提をデータとして示す必要があります。それが必要最低限に至っていないということなのです。
飯田さんは「高校生の時点で読書量は減っており、働き始めてから急に減るわけではない」と指摘されています。しかし、この主張は「誰を対象にするか」という分析対象のセグメントを見誤っています。
まず、拙著が対象としているのは「元々読書習慣があった人々」です。では、統計的に見て「読書習慣がある人」とはどのような層を指すのでしょうか?
次図「読書習慣のある人」の月平均読書冊数を見ると、過去約40年にわたり、本を読む習慣がある人の読書量は月平均3-4冊の間で安定して推移しています。つまり、統計的な定義として、「月3-4冊読む」という行動こそが、日本の「読書習慣がある人」の姿であるといえます。
→対象としているのが「もともと読書週間があった人々」なら、なぜ書籍のタイトルが「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」と主語が示されていないのでしょうか。ここが反論とその反論の大きなズレの原因です。
ちなみにこの統計、データ(https://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/kokugo_yoronchosa/pdf/94111701_03.pdf)が35ページ目(pdfだと39ページ目)にあるんですが、16-19歳の調査人数、なんと83人なんですね。
これだと1人減ったら1.2%割合が動くことになるんですよ。以下に書き起こしたものを記載してみます。
<16-19歳の読書数>
0冊=66.3%
1-2冊=22.9%
3-4冊=8.4%
5-6冊=1.2%
7冊以上=1.2%
あれ?1.2%が二つ。つまりこれ、5-6冊、7冊以上の人は1人ずつでしたね(笑)
3-4冊の人も1人減ったら7.2%になり、2人減ったら6%になって20歳代の人と同等になっちゃいますよね。
おおよその割合をみるには使えると思うんですけど、「16-19歳とその他の世代の比較」には非常使いにくいデータだと思いませんか?もし複数回同じ手法で調査したら、ひっくり返っちゃったりすることもあり得そうです。
しかも、令和5年の大学、短大、専門学校の進学率を合わせると約8割、大学に限ると約6割で、ちょうどこの統計の年齢階級を跨いじゃってるんですね。
だから、このデータで「働くと読めなくなるかどうか」を議論するのって、そもそも無理なんですよ。
ご覧の通り、「1,2冊」というライト層では加齢による減少は見られませんが、「月3-4冊読む習慣のある層」においては、労働期間中(生産年齢)に数値が底を打ち、退職後に回復するという明確な「U字カーブ」を描いています。
学生時代の読書減と社会人の読書減を同列に語ることはできません。なぜなら、このグラフが示すように、「労働から解放された世代(70代以上)」では、数値が学生時代の水準まで回復しているからです。 もし「加齢による文字離れ」や「スマホ普及」だけが原因であれば、高齢層でここまで数値が戻ることは説明がつきません。
もちろん、今回のような一時点の調査である以上、厳密には加齢による変化とコホート効果を切り分ける分析が必要です。しかし、データの限界を差し引いてもなお、この「労働期間中にのみ、特定の読書層が凹む」という事実は、労働環境がまとまった読書習慣を構造的に阻害している可能性を強く示唆しています。 全体平均にならすことで分布の特異性を捨象してしまう飯田さんの分析は、データに表れた当事者ーー働いていると本が読めないのだとほんとうに感じている人々ーーの痛みを見落としていると言わざるを得ません。
→この主張も前述したように、1人動くと1.2%動くデータで示唆するのは無理があります。
U字カーブ?あなたは70歳以上の人が自在にスマホをいじくってネットサーフィンしているのを想像できますか?
交絡(データに影響を与える別の要素)がありすぎて、単純に就労の有無だけを結果の原因として求めるのはちゃんちゃらおかしいと思いませんか?
「痛み」ですか、はあ。タバコ吸っても健康でいられると思ってる人の痛みを想像したことありますか?(笑)
一見すると、「書籍の読書冊数と市場規模は相関しないが、雑誌は相関する」という飯田さんの主張は正しいように見えます。しかし、ここで気を付けなければならないのは、市場規模の根拠として用いられているデータの定義です。これは「出版販売額」、つまり新刊市場の推移にすぎません。
雑誌のみが市場規模と相関する主要因は、書籍と雑誌の読書習慣の違いというより、市場構造の違いにあると考えるのが妥当です。書籍は図書館での貸出や、古書店・メルカリ等の二次流通市場といった新品購入以外のタッチポイントが豊富です。
→なるほど、たしかに書籍は図書館や古書店で接触がある分、新品市場だけで語ると乖離が出そうですね。
つまり、「読書数の総量=新品購入+レンタル・中古」になるってことですな??
ということは「読書数>新品購入の勢い」が成立するということだ。ふむふむ。
こうした「読む」と「買う」を短絡的に結びつける考え方はよく見られる。しかし、読む量と買う量は単純にイコールにはならない。イコールになるなら「積ん読」という言葉は存在しない。
→えーっと、積読があるから「読書数<新品購入市場の勢い」もありえると。
……市井氏は積読があるから「読書数<新品購入市場」と言い、その反論として三宅氏は中古やレンタル市場があるから「読書数>新品購入市場」と言っている!かみあってない!
まわりくどいんだけど、結局どっちも「書籍の読書数と新品購入に相関がない」が「雑誌は読書数と新品購入に相関がある」というのが主張で、一致している!反論すると見せかけて同じことを主張するという高等テクニックである。
また、拙著の「雑誌や自己啓発書を中心として、労働者階級にも読まれる書籍は存在していた」という記述に対し、飯田さんは「雑誌と書籍の区別がついていない」と批判されています。しかし、拙著の記述は明治時代の出版状況についての記述であり、いうまでもないことですが雑誌はコミックや週刊誌の割合も時代とともに変わっていきます。明治の雑誌出版に関する記述を、現代の雑誌と同様の枠組みで捉え、区別がついていないとするのは、論理が通らないのではないでしょうか。
以上のように、構造的に相関の低い「新刊販売額」を指標として用いて「書籍と雑誌は読書習慣が異なるので分けて考えるべき」と主張するのはデータの選定として不適切です。本来であれば、図書館の貸出しや二次流通市場におけるタッチポイントも考慮したうえで読書冊数との相関がないことを示すべきです。また時代によって役割の異なるメディアを十把一絡げに扱うのは、妥当性を欠いていると言わざるを得ません。
→えーと、前半の文章は市井氏の引用した部分が明治時代の話をしているから不適切ってことだな。うむ作者が言うならそうなのだろう。
後半は……
構造的に相関の低い『新刊販売額』を指標として用いて『書籍と雑誌は読書習慣が異なるので分けて考えるべき』と主張するのはデータの選定として不適切」
あれ、あなたも書籍読書数と販売数は相関しないけど雑誌は相関するって言ってましたよね?
市井氏のnoteをみると、扱っているデータは70年代以降のもので明治時代の話はしてなさそうですけどね。
それに市井氏の
なお、『読書世論調査2016年度』には書籍の読書率について「戦後、読書世論調査の開始以来、多少の変動はあるものの、おおむね5割前後で推移している」と書いてある。『なぜはた』は読書世論調査を引用しておきながら、読書世論調査サイドの「長年そんなに変化がない」という見解とは異なる「本離れが進んでいる」という主張をしている。
この部分に関する反論はしなくていいんですかね。マスデータだから?
引用元の文献(黒田祥子・山本勲「長時間労働是正と人的資本投資との関係」)を見る限り、これは事実ではあるものの、解釈と適用先が間違っていると考えられます。
というのも、ここで引用されている論文が測定している「自己研鑽」と、拙著が指摘する「自己啓発書の読書」は、行動の質が全く異なります。論文が指すのは資格取得やスキルアップのための「能動的な学習」であり、これに対して『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』が論じているのは、新自由主義的な不安に駆られた人々が救いを求めて読む「自己啓発書の消費」です。むしろ、「労働時間が減っても、能動的な学習に取り組むほどの気力や体力は回復していない」という論文の結果は、人々が手軽な「やった感」や「効率的な正解」を得られる自己啓発書(=ファスト教養)に流れるという拙著の仮説と矛盾しません。
「キャリアアップのための能動的な学習」の機会が減ったからといって、「手軽なノウハウ本」のニーズがないことの証明にはならず、このデータを根拠にするのは的はずれです。
→確かに「自己研鑽の時間が減ったから」といって「手軽な自己啓発本を読む時間が減った」とは言えない。それはその通りだ。まあ手軽な方が増えたとするのはあくまで仮説で、それを証明する手段もそうないよね。
飯田さんは「市場規模において、依然として小説は自己啓発書より大きいため、自己啓発書へのシフトという説は誤りである」と主張されています。
第一に、議論の焦点は、現時点での「絶対量」ではなく「変化の方向性(トレンド)」です。たとえパイの大きさが小説の方が大きくとも、書店の棚構成の変化や、人々の意識における効率性の重視といったトレンドの変化を否定する材料にはなりません。
第二に、ここで飯田さんの論理には明確なダブルスタンダードが存在します。飯田さんはこれまでの議論において、「市場動向と読書実態は書籍においては必ずしも一致しない」と主張されました。しかし、ここでは一転して、「小説の方が推定発行金額(市場規模)が大きい」ことを根拠に、「小説の方が読まれている」と結論付けています。
→いったん整理すると、
<三宅氏の主張>
読書の方向性が手軽な自己啓発書にシフトしているから読書量が減った。
<市井氏の主張>
小説の市場規模の方が大きいので自己啓発書の読書量に対する影響は大きくないはずだ。
市場規模では確かにそうだが、トレンド(推移)は見てないですよね?だからその論は否定の根拠にはなりません。
さっき書籍と雑誌の比較で「市場規模と読書量は相関しない」って言ってたのに、自己啓発書と小説を市場規模で比較するのはおかしい!ダブルスタンダード!
→
反論①については、たしかにトレンドはそうかもしれないけど、象に犬がキックしても効かないように、市場における小説の占める割合の方が圧倒的に大きいのだから、自己啓発書のトレンドがまあまああっても全体のムーブには影響しにくいっていうのは確かなんじゃないですかね。
反論②については、雑誌と書籍の比較と、小説と自己啓発書(どちらも書籍に含まれる)の比較は全然別だから、まずダブルスタンダードとは言えないのは明らか。これは間違いない。
ご自身にとって都合の良い時だけ売上と読書実態を切り離し、別の場面では売上を読書実態の根拠とするのは、論理的一貫性を欠いています。
→これは完全にどっちもどっちと言わざるを得ません。データ分析を仕事にしている人ってこのレベルなんですね。というかそもそもデータの部分よりも文章の方が蛇行運転になっていて、上記したように論理が合わない箇所がいくつかあります。心配になりました。
<お わ り>
それはビブリオマニアです、私もです、
列記とした病気、神経症、買い物依存などに類するものとも思われます…😟
「ビブリオマニア(Bibliomania)」とは、**強迫的に本を集めすぎる「蔵書癖」や「書籍狂」**を指す言葉で、単なる健全な「愛書家(ビブリオフィリア)」とは異なり、社会生活や健康に悪影響を及ぼすほどの病的収集行動です。日本語では「蔵書狂」「愛書狂」とも訳され、本を「所有する」ことに強い衝動を感じ、その収集が生活の支障となる状態を指します。
本を並べるだけで喜んでしまう
聖書と評価されるような、評価の高い本を途中まで、最初の方だけ読んで、
この本は素晴らしい!と絶賛し、ついそれと同じ本を一、二冊買ってしまったりします
予備とか、布教用とか言い訳してますが、本を買うのが目的化してる
棘の米にあるように、自分も段々と、本当に自分がやりたかったのは本屋なのではないか?と思うようになりました
でも、真面目な話、個人での書店経営は色々と大変、日本の独特の商習慣もあります、
アメリカみたいに、書店が本を買い取っちゃって、売れなければ安値で店頭ワゴンしてもいい、
というのも、それはそれで自己責任で大変ではあります、どちらがいいのか分からない
音楽もヤングギターよりは上の、楽器弾く系とか理論とかを重視したい、
アイドルグラビアみたいなのには興味ないので、だって、眺めて終わっちゃうじゃないですか…😟
まあ、エロ、所詮人間なんて、男だけでなく女性でもエロ、コアなBLとか並べてもいいのかもしれないけど、
あと、万引き、特に子供の万引きとか、いちいち見張るのがめんどくさい、トイレにも行けない
昔は子供の頃はド田舎に住んでたんで、数少ない本屋、ぼろい木造の建物、
ほぼ地べたに漫画雑誌が並べられてたり、
パソコン雑誌立ち読みしてたら、店のおばちゃんに掃除のハタキで叩かれたり、
もう、神田の伝説的な書店も、みんな店じまいして今はネット通販やってますよ…😟
リアル本屋は終わり
Amazonとかで、せどりしてる大手は、みんな田舎に会社を立てて、
田舎は潰れた靴流通だかハローマックだか、色々放置されてる店とかあるんで、
そこを倉庫にしたり、貸倉庫を借りて、そこに本を入れてますよね
自分も含めて、死んだりしたら断捨離で、大量の本が便利屋とか処分する会社に回って、
その本がそういった、せどりの会社に行って、またAmazon経由とかで誰かが読む、
というサイクルもなくはないんでしょうけど、基本的に紙の本は終わりです
毎年この季節になるとクソYoutubeが「今年のハイライト」とか言って
今年一番聞いた曲にのせて「お前の嗜好をずっと見ていたぞ」と紹介してくれるんだけど
2.チャンネルがーどまん(低知能ドッキリ系)
4.Nagasaki Biopark(動物園系)
5.羽流鷲りりり / Ririri Channel【ななしいんく】(ゲーム系Vtuber)
だった
人間というもの何らかの統一性があってエンターテイメントを摂取しているわけではない
ちなみに一番聞いた曲は
2.空飛ぶ家系モンスター 野良顎 (はんじょうラップコンクール)
3.ANOTHER WORLD Gackt (ヴィジュアル系)
4.HandsOn Me Jason Derulo feat. Meghan (ポップス?)
5.SeeYouAgain Wiz Khalifaft.Charlie Puth (ラップ?)
消化する時間がない。
ChatGPTと共に試算した。
間をとって、30分と6時間としよう。
漫画なら約99万冊読めるが、文庫本は8.3万冊しか読めないらしい。
やる時は100時間はやるし、ストーリークリアだけでも10時間とかな。インディーゲームもある。
仮にも、ゲーム1本30時間とすると、約16500本しか遊べない。
もちろん、漫画も文庫本もゲーム、全てを包括的に楽しむことを考えたら数字はもっと小さくなる。
綺麗に1/3にするとしよう。
でも、実際にはもっと寝る時もあるし、生活も仕事もあるし、20歳じゃないし、100歳まで生きるわけでもないし、80歳くらいで痴呆になってるかもな。
分かった。考え方がおかしかった。
65歳まで働く。土日休み。平日2時間の自由時間。そして100歳まで生きる。
これで、20歳〜65歳までは約10万時間、65歳〜100歳までは約21万時間、全体で約32万時間の自由時間あるんだって。
やばい。18万時間消えた。そもそも、平日に2時間の自由時間が毎日取れるわけないしさぁ。疲れてそれどころじゃねえよ。
うん、約30万時間にしよう。
いやでもさぁ、俺に待ってるのは死なんだよ。
どれだけ頑張っても死しか待ってないんだよ。
いや、もちろん、そんなに読むわけはないし、プレイもしないだろうよ。
問題はそこじゃないんだよ。
すでに、世の中すべてのコンテンツを楽しむのは不可能な量あるんだよ。
意味が分からん。なんの需要があるんだよ。もういらねぇよ。今でも多いんだよ。
くだらんことでスマホも開くし、動画も見てんのに。時間がどんどん減っていく。
もう泣く。
最近思うんだけど、受験勉強って陸上競技とかに似てると思ってて…😟
100m走をやりたい、と思ったら、とりあえず部活とか入るじゃん
俺は自分で完全に自己管理できるし、自主練習だけでできるから、部活入りません、って人はなかなかいない…😟
仮に部活に入らないでも、まったく無所属の人間が自分で届け出て大会に出れるとしても、
自己管理で、ひとりで朝練して、ひとりで夕方遅くまで練習する、
効率的、効果的プランも自分で建てる、ってのは難しいわけよ…😟仲間もいないし…
同じように、塾に行くってのは部活動に参加するようなものだし、
スポーツに明け暮れた他に楽しいことがなかった青春でも良いという人もいるし、
それが嫌という人もいるし…
多分、あなたは部活動に参加しなくても、一人で孤独に練習して、自分で大会登録して、出場して、良い成績を収められちゃうタイプなんだと思う…😟
でも、自分は自己管理できないし、仲間というかライバルというか、誰かが横で頑張ってるのを見ないと、
なんだかんだ、塾に行ったのは良かったと思ってる。
高校受験は中3の1年だけだけどね…😟
大学受験は、高1から代ゼミみたいなところにちょくちょく講義を受けに行ってしまったけど、
正直、アレは本当に無駄だったと思っていて、勉強よりもっと面白いことにお金を使えば良かったと思ってる。
自分は地方国立大の理系、現役合格ではあるけど、そんなに頭は良くない。
別の某大学院に院試で合格したので、関東から関西に引っ越して、そこから国立の研究所にインターンしたりしてたけど、
芸能界みたいな所で働いたり、
更にドロップアウトして、中小零細ブラック企業でWeb開発したりして、
フリーランスになってもうまくいかず、現在に至る、なんか自分でも酷い履歴だな、おい…😟
俺も地頭が良ければ、自己管理がしっかりしていれば、塾に行かなくても、自分でペースメーカー、ペースメイキングか?できるんだろうけどねえ…😟
でも、塾に行ってたのは、トータルで考えると、集中して行ったのは中3の1年のみで、
高1~3は、ちょくちょくというか、ダラダラ通うようになってしまって、完全にお金の無駄だったと思う…😟
予備校の課題に完全に追いつけなくなって、課題をやらないまま講義に出席、当然予習してないから、その場で理解できない、
仕方がないので録音する機械を買って、カセットテープに講義をこっそり録音して、家でやるようにしたんだけど、
だから、高3は寧ろ予備校はそこそこに、参考書を絞って、同じ参考書をボロボロになるまで繰り返すことにして、
でも、当然参考書の内容と、実際に出る試験の内容の乖離はあるわけで、
色々試行錯誤した結果が、地方国立大レベルでした、残念!という…😟
そういえば、慶応SFCも受けましたよ、スーパーファミコンですよ、
なんか、考えるというより、計算問題みたいなのがいっぱい出た記憶がある、自分の年は…😟
凡ミス繰り返してて、あれも散々だったわ…
YouTubeの積読チャンネルの「中世ヨーロッパはなぜウソだらけなのか?#100」の回
https://www.youtube.com/watch?v=nRWu0LhEwD0
を見てたら、
堀元見(向かって左側の人)が「オウム真理教地下鉄サリン事件って平成か昭和かわかります?」みたいなことを言い出して、
聞き手の人も「え、どっちだろう?」みたいなリアクションしてて
「無茶苦茶な事件だから昭和っぽいなと思いがちなんだけど実は平成なんですよ~」みたいに
さも意外な事実かのように言ってたのでめちゃくちゃびっくりした。
いやいや。
(てか、堀元見って「若い人」でいいのだろうか? 調べたら今33歳らしいが)
1995年は平成7年だから全然ギリギリ平成か昭和かみたいなラインではないし、
(昭和かなぁってなるのってせいぜい平成2・3年あたりまでじゃない?)
そもそもこの1995年というのは阪神大震災が起きた年と同年なので
「阪神大震災とサリン事件」を当時の大事件として記憶している人が多いと思うけど、
彼らは同年ということも覚えてないってこと?
まぁ、とはいえ、40代以上の人だと当時のニュース等の記憶があるから覚えてるし、(自分は40代)
逆に20代以下の人だと教科書に載ってるはずだからそれを習うだろうし、
あとは堀元見が北海道出身なので、サリン事件の報じられ方も関東とは違うのかもしれない。
いや別に日本のどこにいようと大ニュースに変わりはないと思うが、
「あの満員電車で毒ガスが!?」と実感を伴って認識できるかできないかの違いはあるだろうし。
「疲労」を扱った本(『疲労とはなにか すべてはウイルスが知っていた』)を紹介した動画。
疲労にウイルスが関わっていること、鬱やコロナ後の影響なども紹介されていた。
科学、健康系の話は正確さに気をつけないといけないので、極端な言い回しや比喩が使いづらい印象があるが、そこをうまく扱っていたので面白かった。
疲労する原因は範囲が広い(休む以外すべて疲労するのでは?)ので、疲労しないことは無理だ。
仕事の時間が短くなれば、休む時間も増え、仕事の効率ややる気も上がるだろう。
最近、労働時間の規制緩和が検討されているが、健康面でも仕事の面でも最悪なんじゃないかと思っている。
歴史を振り返ったときに、昔は休みが無かったり長時間労働が当たり前だったという。
それは労働時間がそのまま結果に繋がる仕事が主流だったから。そこから近代化や機械化し、同じ時間でより多くの成果を得られるようになった。効率が上がった。
現に労働環境は歴史的に最高だと思う。週休二日や8時間労働は、先人たちが汗を流して掴んだものだ。
そこで労働時間を増やすのは時代に逆行しているとしか思えない。
この減少していく人口や労働力でも「量より質」を重視する必要がある。
過去にカフェインを取りまくって睡眠時間も削って身体を壊した身からして、ごまかしながら仕事をするとツケが回ってくるのはわかっている。
浅薄な知識人ほどカッコづけ公開オナニーしたがるの心底気色悪いんだよ!!!!!自分の身の回りと特定の下心からなる好奇心でしか動かない最底辺のゴミだと思ってる、唾棄すべき。本好きを装って知的好奇心があるような素振りをするな。
増田みたいな「「「「中身すっからかんな高尚様」」」」が本の売り上げを低迷させるんだよまじで黙って身内にだけアピールしてくたばってろ氏ね時代遅れのオタクですらそんなアピールはネタでもしねーよ
どうせ好きな本のレビューすらしないだろ。考察すらしないだろ。どうせこの登場人物尊い〜〜〜〜♡♡♡♡♡で終わるきしょ女だろ。あっさ!!!!!!浅はか!!!!!!!クソゴミ!!!!!本を自分のアクセサリーにしてるキモ増田。そのくせにマンガや木内なんとかみたいなホラーしか買っていなさそうな安上がりな人間。名著は絶対読まない。積読しない。好奇心のために難しい本を読むという忍耐などない、本当は知的好奇心なんてないから。古本を毛嫌う。
でもお前のオナニーに適したものしか集めないから。あーきっつい。心底嫌い。はっきり言えば別にそれでもいいんだよ。それでいいのに下手に高尚と自己顕示拗らせて、大事にしない奴の神経分からないとか抜かす。氏ね。お前なんのために読書してきてんだよ、ろくな読書体験してきてないんだろうけど。お前の価値観の蓄積ってただで罵倒できる程度のゴミ。
https://anond.hatelabo.jp/20250913010511
俺は面白いVtuberを紹介してくれと書いて紹介されたVtuberがどれもつまらないから紹介されたVtuber全滅と書いただけだから。
これだけVtuberがいるんだから全部がつまらないわけないのにVtuberがつまらないと断定するのはアホじゃなくてお前が面白いの紹介するのがコミュニケーションであって
お前は何も言ってないに等しい他人に難癖つけたいだけのアホね。
トーマスガジェ
楽しんでるものあげたらきりないけど
「Vtuber全否定するやつ何を見てもつまらないんじゃない?」ってツッコミ多いんだけど
Vtuberが嫌いならお前は何も楽しめないと断定するのやばくないか。なんか最近のVtuberオタク頭がおかしくて怖いんだけど。
元々は香川県にモスクを作ろうとした外国人が外国人ゆえに建物を借りるのに苦労したという話のコメント欄で
「外国人は統計的に未払いや部屋の破壊等の被害が多いので商売的に妥当な判断」
というコメントが付き、それに賛否両論巻き起こっていた。という話が大元で。
しかしこの考え方自体が既に「統計的差別」という名前が付けられた「差別」なんだよ、ということを
「差別はたいてい、悪意がない人がする 見えない排除に気づくための10章」という本を紹介することで
解説するという回があったんだけどさ。
パーソナリティの一人である堀元氏が「商売人の俺だからこそ言える結論を語る」というていで
「小規模の商売をしているときれいごとだけでは立ち行かない。商売人には間違える権利がある」
と「商売人はその結果を自分で負うのだから適法の範囲で倫理的でない行為をする権利がある」と主張し
ただし「今自分がやっている行為はよろしくない行為であるかもしれない」という罪悪感だけは持っておくのが
人間としてあるべき姿だ、的な説法でこの回を〆るんだけど。
これってあんまよくないと思うんだよな。
特に合理性を重んじるスタイルで影響力がある堀元みたいな人間がこういうことで「俺は間違ってやってることをわかってまーす!」って言えば「差別だとされていることもやってもいい」というライフハックと捉える奴は少なからず出てくると思うんだよな。
本人は当然そんなこと思ってないだろうけど、でも悪だとされる行為をやるのは「罪悪感があるけど仕方ない」からか「開き直っている」からかは外からはうかがい知れない以上、「罪悪感があるならしゃーないよね!」的な結論は倫理的にどうなんだと思ってしまった。
現実そうなんだとしても平均10万再生くらいするチャンネルで堂々と宣言することではないよなっていうか。
そして、じゃあどうなるのって話がちょうど2回前の金原ひとみ著の「YABUNONAKA」回の
「社会を変えるのは炎上しかない」という結論に返ってくるのはアツい伏線回収だなと思った。
「だって差別したってしゃーないじゃん。罪悪感はあるけど背に腹は代えられないよ!」と表で言うやつが出てきて、それがヤバい奴らに見つかって死ぬほど燃やされた結果、「やっぱダメなんだね。変えて行かないといけないね」となって社会は前に進んでいくようになった。
https://anond.hatelabo.jp/20250503004805
上記を読んで、自分も読書遍歴を振り返って見たくなったので、振り返ってみる。
子供頃から本が好きだった。市立図書館が徒歩5分の場所に住んでいたのもあって、図書館は親と喧嘩したときの避難場所だった。
両親が高卒夫婦のため、教育に力を入れようとしたのか分からないが、自宅にはかなり絵本があった。
ただし、両親は本も漫画も一切読みません。
・こんとあき
・ティモシーとサラ
大人になった今思えば福音館書店のものが多かったように思える。
こどもの友とかもいっぱいあった。
今日はなんの日?とか好きで真似してた。
小学校低学年は、かいけつゾロリ、わかったさんシリーズ、こまったさんシリーズ、はれときどきぶたを読んでいた記憶がある。
小学校4年生に、青い鳥文庫のパスワードシリーズに嵌り、怪盗クイーン、夢水清志郎、いちご、青い天使、黒魔女さんが通るとか読み漁っていた小学生時代。
怪盗クイーンは未だに好きで、公開されたばかりの映画は観にいきたいなって思うし、パスワードシリーズは、20歳ぐらいまで新作を追いつづけていた。
お願いだからはSCRAPはパスワードシリーズとコラボして欲しい。
この辺はエンジニアの仕事をしていたり、脱出ゲームが好きだったり、ミステリーが好きだったりにつながっている気がする。
自分は、ダレンシャン、ハリーポッター、指輪物語などは通らなかった。この辺は珍しいと思う。
中学生に入ってからは、いわゆる電撃文庫のラノベを読むようになる。キノの旅、リリアとトレイズ、ブギーポップは笑わない、僕は友達が少ない、学校を出よう!とらドラとか読むのといわゆる少女文庫、折原みとのアナトゥール星伝とか、と一般文芸を読むようになった。
ちょうど本屋大賞設立された頃だったような気もするし、同級生は恋空とか心の鍵とかの魔法のiらんどの本を読んでいた記憶。
・No.6
・僕は勉強ができない
・いちご同盟
・イニシエーションラブ
・殺戮にいたる病
この頃に三浦しをんとか佐藤多佳子とか文体が優しくてほんわかして読みやすい一般文芸を読んだのがよかったのか、一般文芸って面白いなって思うようになって、図書室の先生に勧めてもらった三四郎はそれから~でエッセイの面白さに気がつき、さくらももこを読むようになった記憶。
江戸川乱歩とかもすきで読んでいたから、近所のお姉さんに勧められて殺戮に至る病を読んで、気持ち悪くなった記憶もある。
でも読み終わったときの衝撃は忘れられない。
中学生卒業して、高専生になってからは、一般文芸から離れて、自分も携帯小説にハマるようになった。
記憶に残ってるのが、
・天使の鼓動
モバゲーの小説はかなり読んだ記憶があるけど、この3つしか覚えてない。
社会人になってからは、本を読む機会が激変して、年5~10冊程度になった。
読み方も変わって、ドラマ化、映画化するものを中心に大体、本屋大賞と、直木賞、東野圭吾作品だった記憶
子供の頃の読書習慣ってすごいもので、大人になっても本が読めた。
高校生の頃になんとなく気になっていた桐島、部活辞めるってよの朝井リョウはエッセイの読み味が最高に面白いし、綿矢りさは20代後半の女性を主人公とした小説を書いてるし、辻村深月がドラえもんの脚本を書いていたり、本屋大賞受賞していた。
佐藤多佳子が横浜ベイスターズの本を書いていたのもビックリして、社会人になって横浜に引っ越したため。
ふとTwitterで見つけた、方舟という本に嵌り、叙述トリックのミステリーに嵌って、読み漁る日々。
十角館の殺人のドラマ化には心底びっくりして、初めて挑戦した村上春樹の本は読みづらくて積読になっている笑
なんで自分が読書が好きなのか?って考えたけど、読書って知らない誰かになれるからだと思う。言語化できない。
これだけ本が好きでも文章力は無いし、勉強はできないし、語彙力皆無、読書きっかけで知り合った高学歴の旦那はゲットした笑
旦那には読書系のYouTuberやれば?とか言われるが、文章力が皆無な上、本を読んだ、読み終えたあとの感想は自分だけのものだから自分の中の宝箱にそっとそっとしまっていたい。
ここまで書いて、本を読む体験は自分にとって大切なんだなって改めて感じた。
https://anond.hatelabo.jp/20250503004805
上記を読んで、自分も読書遍歴を振り返って見たくなったので、振り返ってみる。
子供頃から本が好きだった。市立図書館が徒歩5分の場所に住んでいたのもあって、図書館は親と喧嘩したときの避難場所だった。
両親が高卒夫婦のため、教育に力を入れようとしたのか分からないが、自宅にはかなり絵本があった。
ただし、両親は本も漫画も一切読みません。
・こんとあき
・ティモシーとサラ
大人になった今思えば福音館書店のものが多かったように思える。
こどもの友とかもいっぱいあった。
今日はなんの日?とか好きで真似してた。
小学校低学年は、かいけつゾロリ、わかったさんシリーズ、こまったさんシリーズ、はれときどきぶたを読んでいた記憶がある。
小学校4年生に、青い鳥文庫のパスワードシリーズに嵌り、怪盗クイーン、夢水清志郎、いちご、青い天使、黒魔女さんが通るとか読み漁っていた小学生時代。
怪盗クイーンは未だに好きで、公開されたばかりの映画は観にいきたいなって思うし、パスワードシリーズは、20歳ぐらいまで新作を追いつづけていた。
お願いだからはSCRAPはパスワードシリーズとコラボして欲しい。
この辺はエンジニアの仕事をしていたり、脱出ゲームが好きだったり、ミステリーが好きだったりにつながっている気がする。
自分は、ダレンシャン、ハリーポッター、指輪物語などは通らなかった。この辺は珍しいと思う。
中学生に入ってからは、いわゆる電撃文庫のラノベを読むようになる。キノの旅、リリアとトレイズ、ブギーポップは笑わない、僕は友達が少ない、学校を出よう!とらドラとか読むのといわゆる少女文庫、折原みとのアナトゥール星伝とか、と一般文芸を読むようになった。
ちょうど本屋大賞設立された頃だったような気もするし、同級生は恋空とか心の鍵とかの魔法のiらんどの本を読んでいた記憶。
・No.6
・僕は勉強ができない
・いちご同盟
・イニシエーションラブ
・殺戮にいたる病
この頃に三浦しをんとか佐藤多佳子とか文体が優しくてほんわかして読みやすい一般文芸を読んだのがよかったのか、一般文芸って面白いなって思うようになって、図書室の先生に勧めてもらった三四郎はそれから~でエッセイの面白さに気がつき、さくらももこを読むようになった記憶。
江戸川乱歩とかもすきで読んでいたから、近所のお姉さんに勧められて殺戮に至る病を読んで、気持ち悪くなった記憶もある。
でも読み終わったときの衝撃は忘れられない。
中学生卒業して、高専生になってからは、一般文芸から離れて、自分も携帯小説にハマるようになった。
記憶に残ってるのが、
・天使の鼓動
モバゲーの小説はかなり読んだ記憶があるけど、この3つしか覚えてない。
社会人になってからは、本を読む機会が激変して、年5~10冊程度になった。
読み方も変わって、ドラマ化、映画化するものを中心に大体、本屋大賞と、直木賞、東野圭吾作品だった記憶
子供の頃の読書習慣ってすごいもので、大人になっても本が読めた。
高校生の頃になんとなく気になっていた桐島、部活辞めるってよの朝井リョウはエッセイの読み味が最高に面白いし、綿矢りさは20代後半の女性を主人公とした小説を書いてるし、辻村深月がドラえもんの脚本を書いていたり、本屋大賞受賞していた。
佐藤多佳子が横浜ベイスターズの本を書いていたのもビックリして、社会人になって横浜に引っ越したため。
ふとTwitterで見つけた、方舟という本に嵌り、叙述トリックのミステリーに嵌って、読み漁る日々。
十角館の殺人のドラマ化には心底びっくりして、初めて挑戦した村上春樹の本は読みづらくて積読になっている笑
なんで自分が読書が好きなのか?って考えたけど、読書って知らない誰かになれるからだと思う。言語化できない。
これだけ本が好きでも文章力は無いし、勉強はできないし、語彙力皆無、読書きっかけで知り合った高学歴の旦那はゲットした笑
旦那には読書系のYouTuberやれば?とか言われるが、文章力が皆無な上、本を読んだ、読み終えたあとの感想は自分だけのものだから自分の中の宝箱にそっとそっとしまっていたい。
ここまで書いて、本を読む体験は自分にとって大切なんだなって改めて感じた。
https://anond.hatelabo.jp/20250503004805
上記を読んで、自分も読書遍歴を振り返って見たくなったので、振り返ってみる。
子供頃から本が好きだった。市立図書館が徒歩5分の場所に住んでいたのもあって、図書館は親と喧嘩したときの避難場所だった。
両親が高卒夫婦のため、教育に力を入れようとしたのか分からないが、自宅にはかなり絵本があった。
ただし、両親は本も漫画も一切読みません。
・こんとあき
・ティモシーとサラ
大人になった今思えば福音館書店のものが多かったように思える。
こどもの友とかもいっぱいあった。
今日はなんの日?とか好きで真似してた。
小学校低学年は、かいけつゾロリ、わかったさんシリーズ、こまったさんシリーズ、はれときどきぶたを読んでいた記憶がある。
小学校4年生に、青い鳥文庫のパスワードシリーズに嵌り、怪盗クイーン、夢水清志郎、いちご、青い天使、黒魔女さんが通るとか読み漁っていた小学生時代。
怪盗クイーンは未だに好きで、公開されたばかりの映画は観にいきたいなって思うし、パスワードシリーズは、20歳ぐらいまで新作を追いつづけていた。
お願いだからはSCRAPはパスワードシリーズとコラボして欲しい。
この辺はエンジニアの仕事をしていたり、脱出ゲームが好きだったり、ミステリーが好きだったりにつながっている気がする。
自分は、ダレンシャン、ハリーポッター、指輪物語などは通らなかった。この辺は珍しいと思う。
中学生に入ってからは、いわゆる電撃文庫のラノベを読むようになる。キノの旅、リリアとトレイズ、ブギーポップは笑わない、僕は友達が少ない、学校を出よう!とらドラとか読むのといわゆる少女文庫、折原みとのアナトゥール星伝とか、と一般文芸を読むようになった。
ちょうど本屋大賞設立された頃だったような気もするし、同級生は恋空とか心の鍵とかの魔法のiらんどの本を読んでいた記憶。
・No.6
・僕は勉強ができない
・いちご同盟
・イニシエーションラブ
・殺戮にいたる病
この頃に三浦しをんとか佐藤多佳子とか文体が優しくてほんわかして読みやすい一般文芸を読んだのがよかったのか、一般文芸って面白いなって思うようになって、図書室の先生に勧めてもらった三四郎はそれから~でエッセイの面白さに気がつき、さくらももこを読むようになった記憶。
江戸川乱歩とかもすきで読んでいたから、近所のお姉さんに勧められて殺戮に至る病を読んで、気持ち悪くなった記憶もある。
でも読み終わったときの衝撃は忘れられない。
中学生卒業して、高専生になってからは、一般文芸から離れて、自分も携帯小説にハマるようになった。
記憶に残ってるのが、
・天使の鼓動
モバゲーの小説はかなり読んだ記憶があるけど、この3つしか覚えてない。
社会人になってからは、本を読む機会が激変して、年5~10冊程度になった。
読み方も変わって、ドラマ化、映画化するものを中心に大体、本屋大賞と、直木賞、東野圭吾作品だった記憶
子供の頃の読書習慣ってすごいもので、大人になっても本が読めた。
高校生の頃になんとなく気になっていた桐島、部活辞めるってよの朝井リョウはエッセイの読み味が最高に面白いし、綿矢りさは20代後半の女性を主人公とした小説を書いてるし、辻村深月がドラえもんの脚本を書いていたり、本屋大賞受賞していた。
佐藤多佳子が横浜ベイスターズの本を書いていたのもビックリして、社会人になって横浜に引っ越したため。
ふとTwitterで見つけた、方舟という本に嵌り、叙述トリックのミステリーに嵌って、読み漁る日々。
十角館の殺人のドラマ化には心底びっくりして、初めて挑戦した村上春樹の本は読みづらくて積読になっている笑
なんで自分が読書が好きなのか?って考えたけど、読書って知らない誰かになれるからだと思う。言語化できない。
これだけ本が好きでも文章力は無いし、勉強はできないし、語彙力皆無、読書きっかけで知り合った高学歴の旦那はゲットした笑
旦那には読書系のYouTuberやれば?とか言われるが、文章力が皆無な上、本を読んだ、読み終えたあとの感想は自分だけのものだから自分の中の宝箱にそっとそっとしまっていたい。
ここまで書いて、本を読む体験は自分にとって大切なんだなって改めて感じた。
https://anond.hatelabo.jp/20250503004805
上記を読んで、自分も読書遍歴を振り返って見たくなったので、振り返ってみる。
子供頃から本が好きだった。市立図書館が徒歩5分の場所に住んでいたのもあって、図書館は親と喧嘩したときの避難場所だった。
両親が高卒夫婦のため、教育に力を入れようとしたのか分からないが、自宅にはかなり絵本があった。
ただし、両親は本も漫画も一切読みません。
・こんとあき
・ティモシーとサラ
大人になった今思えば福音館書店のものが多かったように思える。
こどもの友とかもいっぱいあった。
今日はなんの日?とか好きで真似してた。
小学校低学年は、かいけつゾロリ、わかったさんシリーズ、こまったさんシリーズ、はれときどきぶたを読んでいた記憶がある。
小学校4年生に、青い鳥文庫のパスワードシリーズに嵌り、怪盗クイーン、夢水清志郎、いちご、青い天使、黒魔女さんが通るとか読み漁っていた小学生時代。
怪盗クイーンは未だに好きで、公開されたばかりの映画は観にいきたいなって思うし、パスワードシリーズは、20歳ぐらいまで新作を追いつづけていた。
お願いだからはSCRAPはパスワードシリーズとコラボして欲しい。
この辺はエンジニアの仕事をしていたり、脱出ゲームが好きだったり、ミステリーが好きだったりにつながっている気がする。
自分は、ダレンシャン、ハリーポッター、指輪物語などは通らなかった。この辺は珍しいと思う。
中学生に入ってからは、いわゆる電撃文庫のラノベを読むようになる。キノの旅、リリアとトレイズ、ブギーポップは笑わない、僕は友達が少ない、学校を出よう!とらドラとか読むのといわゆる少女文庫、折原みとのアナトゥール星伝とか、と一般文芸を読むようになった。
ちょうど本屋大賞設立された頃だったような気もするし、同級生は恋空とか心の鍵とかの魔法のiらんどの本を読んでいた記憶。
・No.6
・僕は勉強ができない
・いちご同盟
・イニシエーションラブ
・殺戮にいたる病
この頃に三浦しをんとか佐藤多佳子とか文体が優しくてほんわかして読みやすい一般文芸を読んだのがよかったのか、一般文芸って面白いなって思うようになって、図書室の先生に勧めてもらった三四郎はそれから~でエッセイの面白さに気がつき、さくらももこを読むようになった記憶。
江戸川乱歩とかもすきで読んでいたから、近所のお姉さんに勧められて殺戮に至る病を読んで、気持ち悪くなった記憶もある。
でも読み終わったときの衝撃は忘れられない。
中学生卒業して、高専生になってからは、一般文芸から離れて、自分も携帯小説にハマるようになった。
記憶に残ってるのが、
・天使の鼓動
モバゲーの小説はかなり読んだ記憶があるけど、この3つしか覚えてない。
社会人になってからは、本を読む機会が激変して、年5~10冊程度になった。
読み方も変わって、ドラマ化、映画化するものを中心に大体、本屋大賞と、直木賞、東野圭吾作品だった記憶
子供の頃の読書習慣ってすごいもので、大人になっても本が読めた。
高校生の頃になんとなく気になっていた桐島、部活辞めるってよの朝井リョウはエッセイの読み味が最高に面白いし、綿矢りさは20代後半の女性を主人公とした小説を書いてるし、辻村深月がドラえもんの脚本を書いていたり、本屋大賞受賞していた。
佐藤多佳子が横浜ベイスターズの本を書いていたのもビックリして、社会人になって横浜に引っ越したため。
ふとTwitterで見つけた、方舟という本に嵌り、叙述トリックのミステリーに嵌って、読み漁る日々。
十角館の殺人のドラマ化には心底びっくりして、初めて挑戦した村上春樹の本は読みづらくて積読になっている笑
なんで自分が読書が好きなのか?って考えたけど、読書って知らない誰かになれるからだと思う。言語化できない。
これだけ本が好きでも文章力は無いし、勉強はできないし、語彙力皆無、読書きっかけで知り合った高学歴の旦那はゲットした笑
旦那には読書系のYouTuberやれば?とか言われるが、文章力が皆無な上、本を読んだ、読み終えたあとの感想は自分だけのものだから自分の中の宝箱にそっとそっとしまっていたい。
ここまで書いて、本を読む体験は自分にとって大切なんだなって改めて感じた。
https://anond.hatelabo.jp/20250503004805
上記を読んで、自分も読書遍歴を振り返って見たくなったので、振り返ってみる。
子供頃から本が好きだった。市立図書館が徒歩5分の場所に住んでいたのもあって、図書館は親と喧嘩したときの避難場所だった。
両親が高卒夫婦のため、教育に力を入れようとしたのか分からないが、自宅にはかなり絵本があった。
ただし、両親は本も漫画も一切読みません。
・こんとあき
・ティモシーとサラ
大人になった今思えば福音館書店のものが多かったように思える。
こどもの友とかもいっぱいあった。
今日はなんの日?とか好きで真似してた。
小学校低学年は、かいけつゾロリ、わかったさんシリーズ、こまったさんシリーズ、はれときどきぶたを読んでいた記憶がある。
小学校4年生に、青い鳥文庫のパスワードシリーズに嵌り、怪盗クイーン、夢水清志郎、いちご、青い天使、黒魔女さんが通るとか読み漁っていた小学生時代。
怪盗クイーンは未だに好きで、公開されたばかりの映画は観にいきたいなって思うし、パスワードシリーズは、20歳ぐらいまで新作を追いつづけていた。
お願いだからはSCRAPはパスワードシリーズとコラボして欲しい。
この辺はエンジニアの仕事をしていたり、脱出ゲームが好きだったり、ミステリーが好きだったりにつながっている気がする。
自分は、ダレンシャン、ハリーポッター、指輪物語などは通らなかった。この辺は珍しいと思う。
中学生に入ってからは、いわゆる電撃文庫のラノベを読むようになる。キノの旅、リリアとトレイズ、ブギーポップは笑わない、僕は友達が少ない、学校を出よう!とらドラとか読むのといわゆる少女文庫、折原みとのアナトゥール星伝とか、と一般文芸を読むようになった。
ちょうど本屋大賞設立された頃だったような気もするし、同級生は恋空とか心の鍵とかの魔法のiらんどの本を読んでいた記憶。
・No.6
・僕は勉強ができない
・いちご同盟
・イニシエーションラブ
・殺戮にいたる病
この頃に三浦しをんとか佐藤多佳子とか文体が優しくてほんわかして読みやすい一般文芸を読んだのがよかったのか、一般文芸って面白いなって思うようになって、図書室の先生に勧めてもらった三四郎はそれから~でエッセイの面白さに気がつき、さくらももこを読むようになった記憶。
江戸川乱歩とかもすきで読んでいたから、近所のお姉さんに勧められて殺戮に至る病を読んで、気持ち悪くなった記憶もある。
でも読み終わったときの衝撃は忘れられない。
中学生卒業して、高専生になってからは、一般文芸から離れて、自分も携帯小説にハマるようになった。
記憶に残ってるのが、
・天使の鼓動
モバゲーの小説はかなり読んだ記憶があるけど、この3つしか覚えてない。
社会人になってからは、本を読む機会が激変して、年5~10冊程度になった。
読み方も変わって、ドラマ化、映画化するものを中心に大体、本屋大賞と、直木賞、東野圭吾作品だった記憶
子供の頃の読書習慣ってすごいもので、大人になっても本が読めた。
高校生の頃になんとなく気になっていた桐島、部活辞めるってよの朝井リョウはエッセイの読み味が最高に面白いし、綿矢りさは20代後半の女性を主人公とした小説を書いてるし、辻村深月がドラえもんの脚本を書いていたり、本屋大賞受賞していた。
佐藤多佳子が横浜ベイスターズの本を書いていたのもビックリして、社会人になって横浜に引っ越したため。
ふとTwitterで見つけた、方舟という本に嵌り、叙述トリックのミステリーに嵌って、読み漁る日々。
十角館の殺人のドラマ化には心底びっくりして、初めて挑戦した村上春樹の本は読みづらくて積読になっている笑
なんで自分が読書が好きなのか?って考えたけど、読書って知らない誰かになれるからだと思う。言語化できない。
これだけ本が好きでも文章力は無いし、勉強はできないし、語彙力皆無、読書きっかけで知り合った高学歴の旦那はゲットした笑
旦那には読書系のYouTuberやれば?とか言われるが、文章力が皆無な上、本を読んだ、読み終えたあとの感想は自分だけのものだから自分の中の宝箱にそっとそっとしまっていたい。
ここまで書いて、本を読む体験は自分にとって大切なんだなって改めて感じた。