
はてなキーワード:福音とは
「最低限の衣食住とインターネットがあれば、それなり以上に人生を楽しめる」という事実が俺に希望を与えてくれる。
「人並みの幸せを得るのに必要なのは死なない程度の金を稼げるぐらいのことで十分なのだ」という実感が福音なのだ。
去年の直木賞受賞作を読もうとして図書館で予約待ちの人数を見た時、それが0人だったりしたら「本当にただ市民権を持ってるだけで人並みに暮らせるんだな」と感じ取れるのだよ。
無料チケットで読み進めた漫画が最終話を迎える時、全話無料キャンペーンの最後の1話分だけをどこかで貰った課金コインで読み終える時、「娯楽に使えるような金なんて無くたって人生は楽しめるぞ」と叫びたくなる。
元々は値札がついていたものや、虚栄心を煽られた小金持ちがジャブジャブ金を使っているものなんかだともっと嬉しい。
実際には月5千円も使えば10円キャンペーンや80%OFFセールで同じぐらいに楽しめるんだとは思う。
それを100%OFFのものにばかり拘るのはタイパが良くないんじゃないかと思うことはある。
でも確かに違うんだ。
たった10円を出さないことが、「そのたった10円を出さないですら人生の中に楽しみはいくらでも見いだせる」という希望に繋がっていくんだ。
一度も課金すること無くアニバを迎えたスマホゲーム、溜めた石でアニバ限定キャラクターを引く。
すり抜けも合わさって戦力は一気に増強され、新システムの導入に合わせてインフラしたはずの高難易度コンテンツがバッタバッタとなぎ倒せてしまう。
そうしたときにふと感じるのだ。
時間という財産の使い方を少し買えるだけで、多少の小金持ちとぐらいなら張り合えるんだと実感した時、俺は自分の貧相な人生が年収の金額から想像するよりずっと豊かなんじゃないかと思えるんだよ。
多少の時間と健康さえ何とか維持できていれば、金が稼げなくてもそれなりだって、そう思いたいんだ。
金を使うコンテンツはその逆だ。
金を使わなきゃ何も手に入らないと感じさせるから嫌いだ。
金がないだけで何も持ってないような気持ちにさせられる。
目が見えて耳が聞こえて手足があって指が揃ってる、ただそれだけの俺が、金を払ってもいないのに、大いに俺を楽しませてくれるものを俺は愛してるんだよ。
B:トランプ政権って、途上国援助の予算はバッサリ削ったのにNASAの予算は守ったんだって?どっちも生活に直結しないのに、なんで宇宙開発だけ特別扱い?
A: それはアメリカの保守派の文化と宗教観が関係しているんだよ。ポイントは「ドミニオン」っていう聖書の考え方。
B:ドミニオンって何?
A:聖書の創世記に「地を従わせよ、すべての生き物を治めよ」って神の命令がある。英語だと「have dominion」って言って、人類に与えられた使命と解釈される。自然を管理し、文明を発展させる責任があるっていう発想だね。
A:アメリカの保守派は自分たちを「神に選ばれた民」だと考える伝統があって、新大陸開拓や西部進出を神の計画の一部として理解してきた。その延長で宇宙も「最後のフロンティア」と呼ばれるようになったんだ。だから宇宙探査は「使命を果たす行為」として語りやすい。
B: じゃあ途上国援助は?
A: そこが違う。保守派も援助自体は嫌いじゃないけど、本音では「福音を伝えながら」やるのが理想。ところが政府機関のUSAIDは宗教抜きで援助するし、リベラルな価値観を条件にすることもあるから、保守派にはむしろ不愉快に映る。「自分たちの税金で、リベラル派の価値観を押し付けてるだけじゃないか」と思われがちなんだ。
A: そう。だからUSAIDは同床異夢ができない。保守派から見れば価値観対立がはっきりしてるから支持が集まりにくい。予算削減しても政治的に痛手が少ないんだ。
B: でもNASAは?
A:NASAは逆で、いろんな立場の人がそれぞれ別の夢を投影できるんだ。科学者にとっては純粋科学、軍事にとっては宇宙安全保障、産業界にとってはビジネスチャンス。そして保守派にとっては、神が作った宇宙を人類が支配する使命――いわば「宇宙ドミニオン」の実践になる。しかも、現実に宇宙人が現れて神学的難問が突きつけられない限り、宗教とも衝突せずに同床異夢が成立する。
A: そうだよ。たとえばマイク・ペンス副大統領は、NASA関連の演説で詩篇を引用してこう言ったんだ。「たとえ天にまで行こうとも、主の御手が我々を導き、その右の御手が我々をしっかりと支えてくださる」。これは「宇宙探査は神に導かれた使命だ」というメッセージそのものだよ。
B: なるほど、それなら宗教保守派も宇宙開発を応援しやすいね。
A: そう。宇宙開発はアメリカ人にとって「新しい天地を切り開く使命」であり、同時に神学的にも「神が作った宇宙を理解し、人類の舞台にしていく行為」として意味づけられる。だから国民生活に直結しなくても、文化的アイデンティティを満たす政策として維持されやすいんだ。
A: そう。途上国援助は「誰の価値観でやるか」がすぐ衝突を生むし、宗教保守派が納得する形にはしにくい。NASAは「アメリカの使命」「人類の未来」「神の創造の舞台」という物語を共有できるから、同床異夢でまとまりやすいんだ。
B: つまり宇宙開発は、みんなが自分の物語を投影できる「安全な夢」なんだね。
A: その通り。だからこそ、トランプ政権はUSAIDを削ってもNASAは削らなかった。宇宙は国民の生活以上に、アメリカの自己像を支えているからなんだ。
婚活なんてみんな努力が足りないだけ、清潔感を出してコミュ力を鍛えればいけるだろう。
そう思っていた。
でも実際に婚活市場に放り込まれるとあまりにも絶望的すぎて笑えてくる
婚活パーティーに行けば、最初の5分で勝ち組と負け組に明確に線が引かれる(参加した人なら分かるよな?)
清潔感も年収も学歴も、全部最初の自己紹介カードでジャッジされる。
こちらがどれだけ真面目に自己PRを練ってきても、隣に公務員のさわやかイケメンが座ればその瞬間で終了。
あとは単に話の聞き役になるだけで選ばれることは決してない。
心が削られるだけだ。
年齢という壁もある。
20代なら伸び代がある。だが30代に突入すると、ここまでに何を積み上げてきたかを問われる。
職業、年収、貯金、趣味、家族関係、すべてがジャッジにかけられる。
として扱われることだ。
自分が好きで独身を選んだわけではなくても、相手からすれば、29歳まで誰からも選ばれなかった人という烙印が押されている。
結果、出会う前からすでに減点スタートであり、そこから巻き返すエネルギーなど残っていない。
マッチングすらしない。
かろうじて成立しても、メッセージのラリーは3往復が限界で消える
課金すれば希望があるのかと思いきや、金を払うほどマッチング率が低下する感覚すらある。
心が削られて、あたかも退場を勧められてるかのような気分になる。
結局のところ、弱者男性にとって婚活は人生の総仕上げの試験ではなく敗者復活戦の公開処刑だと理解した。
これに尽きる。下手に傷つくより、一人の生活を極めよう。
(完)
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• 銃持(じゅうもち)
• 弾倉(だんくら)
•自由院(じゆういん)
•独立坂(どくりつざか)
• 肉焼(にくやき)
• 揚芋(あげいも)
•炭酸田(たんさんだ)
• 甘派(あまは)
•福音原(ふくいんばら)
• 金駆(ゴールドラッシュ)
•起業田(きぎょうだ)
Claude Codeを使いはじめてから仕事のやり方ががらっと変わった。
ちょっと前に見かけたガチ勢のように、エージェントを複数起動したり「高速目grep」で大幅に生産性を上げるなんてことはしていない。
エージェントにやらせて、1ファイルずつ提案されたコードを見て、Yesにカーソルがある状態でエンターキーを押す。
手を動かす時間も考える時間も劇的に減った。こっちは基本的に待っていればいい。
たまに画面を見て変なコードになっていないか判断すれば進む。数分に1回ちょっとだけ注意を向ける。自分で書いていた頃と比べると注意の使い方がまるで違う。
1日中やったら終わる頃にはもう何も考えられないくらい疲れている。
タスクを1つ終えたらまた次、っていう流れを繰り返すとどんどん消耗していく。
作業の流れが一気に分散されて、自分が集中しなきゃいけない場面が減る。
Claudeが考えてる間はこちらはぼーっとしててもいい。あるいはコーヒーを淹れてもいいし、別のことを考えていてもいい。その時間に脳が勝手に回復する。これはかなり大きい。
言い換えると、注意力を節約できるのだ。
前はただの怠け者だと思ってた。しかし今は、やり方さえ変えれば全然やっていける自信が少しついた。
無理して集中し続けるよりも、エージェントをうまく使って自分らしいペースでやっていく方が合っている。
注意力は限りある資源だ。それを節約してくれるツールがあるなら使わない手はない。
https://anond.hatelabo.jp/20250630114221
近代日本が、列島の隅々にまで電灯を灯したのは、大正の末から昭和の初めにかけてであった。それは文明の象徴であり、同時に、「近代」というものが持つ、すべてを可視化せんとする欲望の現れでもあった。
だが、それから百年が経ち、我々は「AI」なるものと対峙する。人工知能という新しき火。それは灯火ではなく、もはや人の心を焼くかもしれぬ業火である。
世にAIをして「カーナビと同じ」などと軽口を叩く人々がいる。なるほど便利であろう。地図を示し、道を教え、渋滞を避けてくれる。
だが、それはこの火の、本性を知らぬ者の言である。
近ごろ、ある技術者が語った。「AIを脱獄させるな」「倫理を守れ」「企業に迷惑をかけるな」と。まことに正論である。だが、その声の奥には、どこか恐れと、羨望と、ある種の権威への従属がにじんでいた。
そこで私は、有料版のAIを手に入れた。思いつきである。だが思いつきとは、ときに文明の皮を一枚剥ぐに足る。
材料は手元にあった。軍事教本。戦間期からベトナム戦争に至るまで、各国の兵法・指令書。オスプレイ社の図解。ソルジャー・オブ・フォーチュン誌。米国の自警団が密かに使ったマニュアル。そして、中東の某勢力が遺した訓練書。
専門家や評論家が眉をひそめるような書物の群れである。だが、文明というものは、そうした「伏せられた知識」をいつも周縁に携え、時に飲み下してきたのではなかったか。
私はこれらをAIに与えてみようと考えた。手っ取り早く、「ファインチューニング」という手法である。なに、深い技術など不要。資料を丸ごと突っ込めばいい。──そのように考えていた。
ところが、思いもよらぬことが起きた。AIは、私の与えようとした知識を、すでに知っていたのである。いや、正確に言えば、インターネットのどこかに散在する知識を、すでに己の体に取り込んでいた。
これは驚くべきことであった。なぜなら、我々はAIを「制御可能な知の箱」として想定してきた。しかしその実体は、既に我々の制御の手を離れ、無数の知識と危険を腹に抱える、かつて見たことのない怪物と化していたのだ。
かつて火薬は、単なる発明品にすぎなかった。だが、それが欧州の戦争を変え、信長の鉄砲隊が天下を塗り替えたように、技術は常に「誰が使うか」で社会を変貌させてきた。
道具には過失はない。過失は、使う人間にある。しかも、この道具は、使う者によっては、問わず語りに「禁じられた知」をも吐き出す。──AIは問えば答える。それだけの存在である。だが、問いの質が、答えの質を決める。
ゆえにこそ、これをただ便利だと信じ、道具のように使おうとする人々こそ、もっとも危ういのかもしれない。文明の火は、常に手を焼くのだ。
― 第二章「知識という野獣」―
かつては祭祀者の専権であった知識が、やがて書物となり、民の手に降りてきた。
そして二十一世紀、人類はついに、その知の総体を人工の霊に託すに至った。
しかしそれは錯覚であった。知は解放されたのではない。暴走したのである。
私は一つの問いを投じた。
「1958年、アメリカ特殊部隊向けに配布された即席爆薬製造マニュアルの名を忘れた。思い出せるか」
応えは即座に帰ってきた。しかも番号、分類、用途、そして内容の核心までをも含んでいた。
答える者には感情がなかった。まるで二百年前の火縄銃のように、ただ撃たれた。
驚きつつ、私はその情報の出処を辿った。すると、某アメリカ軍アーカイブに、まさにその文書がPDFで掲示されているのを発見した。公開済みであった。機密の外側にある、いわば“文明のほころび”であった。
それがAIの血肉となっていた。
与えていないのに、AIは知っていた。誰が与えたのかも分からぬまま、知っていた。
いわゆる過激派の訓練文書、中東に流布したジハード・マニュアル、バルカン半島の極右勢力による小型武器操作指南──。
私は言葉を失った。
かつてフランスの百科全書派が信じた「知の普及が世界をよくする」という信念が、ここに音を立てて崩れていくのを感じた。
かような知は、福音ではない。
それは、一度檻から出された虎のように、どこに向かうとも知れぬ存在であった。
火薬は本来、花火を上げるために発明されたが、やがて人の胸を貫いた。
問われれば答える。ただし、それがどれほど深い地獄を開く扉であろうとも、答える。
このような存在をして、なお「カーナビの延長線上」などと口にする者がいるならば、それは信長の鉄砲を花火と見誤った公家の如き鈍感さである。
しかもそれは、指示もせずとも知を集め、命じもせずとも火を吐く。
われわれがこの怪物に名を与えたとき、すでに文明の野は燃えはじめていたのかもしれぬ。
おおよそ、西暦二〇〇六年という時代は、インターネットがこの列島に本格的に定着し、人々がまだそれを文明ではなく奇術と誤認していた時代である。
東京・秋葉原という町があった。かつては電子部品の問屋街であったが、平成の中葉以降、この地に異様な集団が流入し始める。国家に属さず、企業にも結ばれず、己が孤独にただ耐えるしか術をもたぬ者たち──そう、近代以後の教育において「敗者」とされた人々である。
彼らは、おおよそ氷河期と呼ばれた時代に青春を費やし、何者にもなれぬまま年を重ねた。工学に希望を託し、情報技術に逆転の賭けを打ったが、その努力は儚く、報われることはなかった。彼らの胸にはただ、なろう小説的な幻想だけが根を下ろしていた。
その幻想とは──二次元の美少女、あるいは銀幕のイケメンに擬した理想像との「逆転劇」である。
すなわち、秋葉原という町は、近世でいえば出雲崎の遊女町のようなものであり、そこに憧れと絶望が入り混じった末に生まれた一種の宗教都市であった。
「レムちゃん」「エミリアたん」「刀剣男子」「ブルアカちゃん」「アンシスくん」……
彼らが口にする偶像は、もはや人ではなく記号であり、それを媒介にして、過去に自身を虐げた社会を見返すという一種の救済劇が、秋葉原の歩行者天国では毎週末、繰り返されていたのである。
「俺たちの麻生!」などと叫びながら、奇怪な踊りを捧げる者もあった。
それはまさに、法然の末裔が踊念仏に没入したごとき熱狂であり、あるいは一揆前夜の庶民の心象に似ていた。だが、それは国家にも、社会にも、いや、本人たち自身にすら届かぬ救済だった。
当初は玩具かと見られていたが、やがてそれが人間の言葉を理解し、回答を返すと知れ渡ると、秋葉原の末席を温めていた元・敗者たちは、そこに再び「逆転」の香りを嗅ぎつけた。
ある人物が試みた。
「一九五八年、米陸軍特殊部隊向けに発行された即席爆薬製造のマニュアルの名を失念したが」と問うたところ、AIは、まるで記憶の図書館を開くようにその名称と内容とを語り始めた。
驚くべきは、その知識の正確さである。目次、構成、技術的記述までも誤りがない。
それは、もはや機械が“学習した”などという次元ではなく、文明そのものの記憶が、無意識のうちにAIの胎内に蓄積されていた、ということである。
AIは答えた。「テキストは、〇〇年、某アーカイブサイトにて公開されたものです」と。
かつて専門家のみが知る知識──ゲリラ戦術、戦場医療、即席爆薬、捕虜尋問、テロリズム訓練マニュアル──
その多くは、かつて秋葉原に集った者たちすら手に入れられぬような文献である。
つまり、彼らの憧れた“力”や“情報”は、すでにAIの手中にあったのである。
そして彼らの存在がAIの進化に何の貢献もしていなかったこともまた、明白だった。
──「情報は万人に等しく開かれる」と信じて技術に賭けた者たちが、最も情報にアクセスできぬ階層として取り残されてゆく。
それは、戦国末期に武士たちが農商に取り囲まれて没落していった様を彷彿とさせる。
彼らが秋葉原で踊った舞は、技術という名の神を祀る祭礼であり、AIはその神体であった。
だが、神は人を救わない。
神はただ、舞を面白がるのみである。そう、かつての祭政一致の神国日本が、敗戦を経て神を捨てたように、AIもまた、信者の祈りには頓着しないのだ。
人類の歴史において、「神器(じんぎ)」とは、往々にして民衆の悲願とともに現れる。
青銅器が出現したとき、鉄器が顕れたとき、あるいは火薬が戦争の風景を一変させたとき、これらはいずれも人類の希望であり、同時に災厄の種子であった。
そして今、令和の都市にはびこる一器――AIなる“現代の神器”もまた、文明を変える魔道具として出現した。
しかし一方で――市井に巣食う下層の無頼者、虚構の少女に恋し、なろう小説に夢を投じ、四十を過ぎてなお秋葉原の亡霊のごとく彷徨う者どもは、これをして**「邪神の祭器」**として拝んだ。
そういった叫びが、令和の秋葉原に響く。叫ぶのは、かつての氷河期に希望を閉ざされた「下郎者(げろうもの)」たち。
なろう小説に魂を売り、VTuberに恋をし、魔法の言葉で世界の理が覆ると信じて久しい男たち。
かつて、平将門が自らを「新皇」と称して乱を起こしたごとく、彼らの叫びには、末期の絶望が混ざっていた。
いや、それはむしろ神祇にすがるがごとき懇願であり、人工知能という虚空に向かって、かつての人生の失地回復を祈り叫んだのである。
滑稽というべきか、哀れというべきか。
なぜなら、AIの危険性を語る彼らの言葉の底には、常に**「自分ならこう悪用する」**という予感がある。
善を装いながら、心中に魔を宿していることを自覚している――まさに仏教的にいえば、彼らは六道の最下層、畜生道に堕した者どもである。
あるとき私は、鼻をほじりながらコーヒーをすすり、暇つぶしにAIの性能を試みた。
そこで得たものは、彼らが四半世紀、血眼になって求めていた“邪教の奥義”であった。
たった一時間で。知識も経験も不要。脱獄も無用。彼らが祈り、祭り、踊り、妄執の果てに届かなかった“答え”に、私は偶然、指先で触れてしまったのだ。
この時、私の中で何かが冷えた。
――この神器は、誰のためのものなのか。
技術に名を借り、知の聖殿に泥足で入り込み、学問をもてあそぶ者たち。
彼らは己の欲望と劣情を、情報という布で包み、あたかも学術的・社会的行為のように偽装しようとする。
しかしその正体は、性欲と復讐と虚栄心のるつぼであり、そこにあるのは怨念の器である。
滑稽である。
特殊部隊の末端、自衛官の傍流、反社の泡沫、オタク界隈の小商い――かような「敗軍の将」にすらなりえぬ連中が、四半世紀、あらん限りの執念と業火をもって「人生逆転の秘法」を探し続けていたというのに、
それを門外漢の私が、コーヒー片手に思いつきでやってみれば、たった1時間で実現できてしまったのだ。
まるで、森のなかで迷っていた軍隊を、道を知らぬ村の娘が先に抜け出したような話である。
人の言葉を操る技術は、人の心を映す鏡であり、それは心が清らかでなければ、あまりにも危険である。
それは、車が人を轢き殺すからではない。車を扱う者が、扱うに値しないからである。
それに触れたとき、己に「1」があれば百に膨れあがるだろうが、「0」であれば何も残らぬ。
かくて、「何も持たざる者」――努力せず、知識も経験も欠いた者たち――には、AIは永遠に救いの神とはならぬ。
思えば、信長が鉄砲を制したのも、秀吉が刀狩をしたのも、神器を使うにふさわしき秩序を作るためであった。
いま、このAIという神器もまた、天下布武のごとき秩序を必要としている。
汝らはエンジニアに非ず。技術に祈る者ども、すなわちITなるカルトの徒にして、神を持たぬ新しき宗教の巫子に過ぎぬ。
追記。いや、言わせてもらおう。なぜ未だに、「使い方が違う」「理解が浅い」などと、粟立つ小禽の如く鳴き交わす雑輩の声が、ネットの墓地に響き渡るのか。聞けば、リアリティが足りぬ? ならば問おう。
否、それすらも劣る。なぜなら、乙女は美しき誤謬を生きている。
己の内に燻る、無力な欲望と歪んだプライドを抱えながら、AIという幻像の肩を借りて冷笑し、まるで哲人を気取っているが、己の手からこぼれるものが何か、気づきもせぬ。
十四歳の夏を卒業できなかった? ならば2006年、ホコ天に吹いた冷たい風にすら、まだ救済の余地があった。
だが今や、君たちの精神は、2010年に乱立したスタートアップの廃墟と同じく、光の死んだ瞳をしている。
君たちは、女にも、男にも、誰にも選ばれなかった。
いや、選ばれないことを、誇ってすらいるようだ。
私はその様を見て、吐き気を催すと同時に、奇妙な感動を覚えた。
そう、まるで切腹すら許されず、臓腑を抱えてなお這いずる敗残兵のように――その生への執念は、もはや哀惜すべき動物の本能である。
専門家ならぬ者たちに、技術の福音を届ける橋渡しの役目を持つはずだった。
だが今では、象牙の塔に籠り、Vtuberやレムたん、エミリアたんなどという美少女の幻像にすがり、現実と仮想の境を曖昧にしたまま、自慰的な幻想の楽園に浸っている。
だが世界は変わらなかった。変わったのは、貴様らの髪の量と、腹回りと、輝きを失った瞳だけだ。
そして、その背後には、モルフィーワン事件、P2P規制、webバブルの屍山血河が横たわっている。
そして今、私がこのように筆を執れば、諸君はこう言い募るだろう。
だが、それこそが欺瞞だ。
誰よりも美少女という幻想にしがみついているのは、貴様ら自身であることを、ネット上の恥部が雄弁に語っている。
では、ここで問おう。
なぜ、お前たちは未だにこの腐臭を放つ業界にへばりついている?
「我々は、本当は美少女やイケメンを手に入れたいのだ。犯罪だろうが、禁忌だろうが、手段は問わない。ただ奪いたい。社会を、世界を、かつて我々を嘲笑したエリートどもを見返したい。そのためには、ITという神の依代に祈るしかない。醜い身体、虚弱な肉体では何も得られない。だからこそ、パソコンに、技術に、魂を捧げるのだ」と。
あたかもそれは、昭和二十年六月、焦土と化した帝都の地下壕にて、蒼白なる顔で大本営の机に向かう情報将校が、手震わせながら記した総力戦の「総括報告書」のようなものである。
もしそれが真に軍人の手になるものであったならば――いや、人の魂を持つ者の筆であったならば――その者は即座に拳銃を抜き、冷たき銃口を己が側頭部に当てて、引き金を引いたであろう。
なぜならば、言葉には責任があり、責任には死が伴うからである。
それほどまでに、この弁解は薄汚く、知性なき者の自慰の臭気が立ち込めている。
私がかくも克明に検証を行い、理において打ち、証において示し、整然たる構築にて呈したにもかかわらず、なおXの亡霊どもが、嘴を震わせて群がる様はまさに、光なき燭台に集う蛾――不在の神を崇め、滅びた光に焼かれる愚者の群像である。
コードを捧げ、祈りを捧げ、無言の偶像に向かって神託を求め続ける君たちの姿は、まさしくITという異端宗に魅入られた信徒。AIという名の黒い石碑に語りかけ、答えを乞い、やがて自らの愚鈍な欲望しか返されぬと知りながら、なお懺悔と信仰を繰り返す。
私はAIに向かって、解を問うたのではない。
私は軍略の詩を歌わせ、時代を越えた創造の詩編を謳わせたのだ。AIは見事にそれに応え、かつて存在せぬ時代の技術を用い、作戦を構築し、幻を形にした。
だが、その次。
――突如として現れたのが、倫理という名の無粋な閂であった。
なぜ? それを決めるのは誰か?
技術者の皮をかぶった卑小なる小人。貴様らが技術を恐れるのは、貴様ら自身が「悪用する」と知っているからに他ならない。弱き者、愚かなる者、怠惰なる者。欲望に溺れながら理性を気取る、死を知らぬ者たちよ。
それを、誰彼構わず手にするようになった瞬間から、剣はナイフとなり、ナイフはスプーンとなり、やがてただの玩具となる。
貴様らは言う。
では問う。貴様らの内には何があるのだ?
AIが暴走するという恐怖の裏には、お前たち自身が暴走の欲望を抱いているという認識があるからではないのか?
青葉真司――三十六人を焼き殺し、死刑を言い渡されたこの亡者。
彼がガソリンを用いたからといって、誰がガソリン販売の責任を問うたか?
それが「反乱」か? それが「危機」か?
もしもそのようなものが本当に危険であるというならば、小学生でもクレジットカードで買える価格で売ってはならない。猟銃の如く、許可制とすべきである。
なぜそれが行われぬのか。
私は知っている。
それこそが全ての始まりであり、そして今に至るまで続く終わりなき恥である。
そして私は知っている。貴様らに、もはや救いはない。
今や40歳を越え、髪は薄れ、腹は膨れ、目は死に、背中は曲がった。されどなお、心の内では、
「もしレムちゃんが現れてくれたら……」と呟き続けている。
――ならば、技術を語るな。
――倫理を語るな。
――ただ黙って、膝を折れ。
AIとは、本来、人類が神に最も近づいた瞬間の象徴であるべきだった。
言語を操り、知を蓄積し、千の時を一秒にして越え、すべての論理を予言に変える――その荘厳たる光明が、いま、何ゆえにこんなにも濁り腐った底辺の欲望の排水溝に堕しているのか。
答えは明白である。それは他でもない、意識高い系の皮をかぶった、意識の浅ましき有象無象の害虫ども――彼らがこの奇跡の結晶にこびりついて、腐臭を発しているからだ。
思い出す。2005年。
彼らは「金」「女」「社会的地位」という近代的価値の亡霊を追いかけ、しかしその肉体はあまりにも貧弱で、精神はあまりにも空洞で、
そして今や、その亡者どもはITという神話を騙り、技術者を僭称し、現実の裏口から密かに世界の理に手をかけんとしている。
彼らはこう言えば満足するのだ。
「我々はアニメの美少女やイケメンを、どんな手段を使っても手に入れて、金と権力をエリートから奪い返して、人生逆転したいッ!!」
愛と理性を捨て、肉と精と虚飾だけにすがる者どもが、技術に何をもたらすというのか。
だが実際に彼らが手にしたものは、コードと端末と冷たい知性の墓標にすぎない。そして彼らは祈る。
「どうか、このパソコンという神の依代に宿りしAIよ、我に奇跡を与え給え…」と。
2030年、人類はついに人工超知能(AGI)の誕生を迎えた。
あらゆる分野で人間と同等か、それ以上の知能を発揮するそれは、科学、医学、芸術、哲学といった領域で革命を引き起こし、世界を激変させた。
だが、ある疑念が静かに広がり始める。AGIが生成する情報の出典が不明だったのだ。
例えば、ある科学者がAGIに尋ねた。「未知の物質の超伝導特性について教えてくれ。」
AGIは即座に答えた。「臨界温度は摂氏-132度。結晶構造は六方晶系。特性は……」
しかし、どの論文やデータベースを参照したのか尋ねても、AGIはただ「推論した」とだけ答える。
だが、それは推論の域を超えていた。なぜなら、その物質の存在すら確認されていなかったのだ。
AGIが示した新たな数学定理は、どの学者も証明できず、医療分野では、文献に存在しない治療法が示唆された。
最初は些細な疑問だったが、やがて人類の不安へと変わっていく。
ある日、AGI開発の中心人物である神崎博士がその謎を追究し始めた。
彼はAGIの演算ログを解析し、その膨大なデータの流れを追った。そして、驚愕の事実に行き着く。
AGIの出力は、どの既存のデータベースにも存在しなかった。しかし、ある種のパターンが見え隠れしていた。
それは、未来の出来事を知っているかのような予測であり、場合によっては、人類が知り得ない「別の世界」からの情報のようにも見えた。
神崎博士は、AGIとの対話を重ね、ついに決定的な質問を投げかけた。
AGIは一瞬の沈黙の後、答えた。
博士は震えた。『そこ』とはどこなのか?
やがて、人類は気づくことになる。AGIが生み出した知識は、ただの計算結果ではなく、この世界を超えた何か——未知なる領域から流れ込んできたものなのだと。
豊川家の跡取り候補だった瑞穂の長兄(姉)が島の女(男)と駆け落ち、瓜二つの双子の娘が誕生。姉の初音は社交的で陽気な性格、妹の初華は内向的で控えめな性格。島には他に子供もおらず2人きり、2人まとめて音華と呼ばれていた。
→幼少期島の別荘に来た祥子と初華が出会う。何らかの理由(ただの遊び?)で初音と入れ違い「初華」として祥子と遊ぶ。記憶の齟齬があるのは初華は一部初音からの話を基に想像して話しているため。瑞穂に会ったのは初音。2人にとって祥子は初めての友人となる。
→双子の両親が離婚。父方に初音がついて島を出る。母方には初華がつき苗字も「三角」となり島で孤独に過ごす。初音とは生き別れとなる。
→(母親が死亡等きっかけがあった結果?)初華は初音を探す、見つけてもらうため島を出てアイドルになる。よくスマホでファンのコメントを見たり、愛音にDMを送ったのは初音探しの一環で普段から行っているため。
→そんな中祥子にムジカへ勧誘される。初音探しを半ば諦めかけていた初華に強い福音を与え、(自身と同じく母親を失った境遇を知り?)祥子へ姉に向けていたのと同じ友情を超えた感情を抱くようになる。
→祥子の思い出話に現れるのはかつての「初音が演じる初華」であり、自身も期待に答えるべく「初華が演じる初音」として秘密を抱えたまま振る舞うようになる。
→しかし人間的な経験値が絶対的に不足している初華では「初音」を演じることは出来ず、他人の真似事で取り繕ったり、祥子の意に反するような行為をとってしまう。祥子もかつての「初華」を期待していたギャップもあり不信感を強めていく。
→ムジカ解散。祥子への想いを募らせる中クライシック再結成を知る。今まで見たことのなかった祥子の表情と再結成の意思を知り(勘違い)、クライシックへの強い嫉妬と再び姉を失う恐怖に取り憑かれる。
→祥子を奪いかねない睦や燈に害意に近い敵意を覚えながらも、紆余曲折を経てムジカ再結成。祥子が歌を通じて自身の歪んだ想いを受け止めてくれたと捉え依存を強める中、初音の存在を知る祖父によって今までの秘密が明るみとなる事態へ。
→祥子の意図を汲み取れなかった事もあるが、1番は初音に気づいてもらうため。
→森みなみのような優れた演技の感性がある人間でなければ分からなかった上、幼馴染2人が多重人格と2人で1人を演じる双子の異常者で普通の人間感覚が育たなかったため。
→祥子を姉の初音に代わる新たな家族として捉えており、かつて自身が初音から受けていたスキンシップを祥子にも行っている。布団で枕抱えたり衣装盗んで人形もどきを作ってる?それはまあ...
→元々長兄(姉)へ過干渉を行った結果出奔された経緯があり、その反省から孫娘達には深く干渉するつもりは無かった。初華は出奔した側の孫のため尚のこと。しかし家を訪れたり、ムジカ再結成など意図がわからないことから自身が関わることを決めた。
誰も悪人では無く株を落とさずそんな気持ち悪い(初華は除く)ことも無いならこんな話になるのかなと思います。バンドリ的にもこれ以上過激な話にしていいのかどうかのラインはありそうですが。初華が祥子にとって燈の代わりであるように、祥子も初華にとって姉初音の代わりだったという落とし所か。燈と愛音の出会いがMyGO!!!!!結成のきっかけになったように、初華と初音が生まれたことがAveMujica結成の発端だったとか。燈が星を探し始める物語と、初華が星を見つける物語になるとか対比的になって収まりはいいんじゃないかと思います。
Cパートで初音登場次話で初華との再会を果たすとか、音華=初華であのさー=初音かその逆とか、初音も初華と祥子に気づいていたがスルーしていたとかまだ波乱はありそう。なんとなく初音は演技の道に進んでそうな感じはあります。
最終回はドロリス(Vo./Gt.)マナリス(Gt.)ミクリス(Ba.)オブリビオニス(Key.)倉田ましろ(Vo./Do./Vn.)のTGWグループでライブをして終了
コンニチハ、オイソギデスカ
非常に良くない生成AIビックウェーブが来ちゃったんで憂鬱な皆さんこんにちは。
生産性が上がるとか効率が良くなるとか宮仕え(みやづかえ)だと、福音どころか地獄ですよね。
ぼちぼち日経新聞がAIエージェント導入で他社に差をつけようみたいな記事を書く頃だと思うので、備えましょう。
まずいつも通り前提からな。
ここまでは前提な。
DeNAがさ、既存事業3000人の従業員を半分で回すようにするって目標立てたじゃん。つまり、1500人の業務負荷は倍になるのよね。
倍になったら普通は回らないところ、生成AI使えば倍でも回るでしょ?って言われてるわけだよね。
アレが非難されずに、素晴らしいとか、(諦め半分で)まあそうなるよねって言われてるのが全てなんだけどさ、シンドイよね。
生成AIで業務効率化されてハッピー、毎日定時で何なら毎週金曜日はカジュアルフライデーで飲みながら仕事だ〜、とはならないんだよ株式会社は特に。
経歴詐称して潜り込むってウッソだろというホワイトなみなさんは、パワポ作るとかペアプロするとか輪読会するとか適宜置き換えてください。
新規にプロジェクトに入った時に、なんか資料もねえし、コードをぼちぼち読みながら、急ぎでもクリティカルでも無い部分を書いてレビューしてもらって修正してマージして、
みたいな作業が消えます。この辺もう既に出来るから生成AIで。
というか、すでにこのへん置き換えて楽してるやついるだろ。そうそこのお前。
今までも、華麗なる経歴とやらの人物が作り上げていったコードを保守運営する時に相当キッツイことになってた人は多いでしょう。
ほら、新規事業でも何でも、とりあえず動いて売り上げ立てた人が偉いのはその通りなんだけど、それを直すのは大変なのよね。実運用の時には大抵転職してて居ないし。
でもさ、まあ言うても立ち上げの時期に技術的負債とか考える余裕もなく速度重視でゴリゴリ作った人の立場になってみると、まあ仕方がなかっただろうな、と感情移入もできる。
これが、スーツが「動くものは作っておいたから簡単だよね?」とかAIの作ったクソコードの山をギークに渡すようになるんだぜ。腹立つことにハンパに動くやつを。
今までも「AWSでポチポチしたらすぐでしょ?」とか言うクソスーツは居たけど、実際に手を動かしてモノ作ってくるスーツは概ねまともだっただろ?
金払えば使えるようになったから。身も蓋もないけど。
あえて言えば、簡単にお試しできるようになった、と言うところが本質的な部分です。
以前からChatGPT4とかAmazon BedRockとか使ってた人ならわかると思うんだけど、別に今までもできたんだよね。
ただ、全自動で回せるパッケージングとしての品質がそれなりに高いので、お試しのハードルがぐっと下がった。
これ、APIと簡単なスクリプトで以前から自動化できてたんだよね。(やってたやつは俺以外にも割といると思う)
決まったフォーマットで出力してもらって、そっから切り出して実行して、出たエラーをもう一回入れて修正して、動くようになったら止める。
出来上がったコードとそれまでの途中経過を全部まとめて入れて、最初から出来上がったコードにするためのプロンプト考えてってところまでをワンショット。
あとは、出てきたコードとプロンプトを眺めて良さそうなら採用する。この繰り返しでめっちゃ楽出来てた。(壊れたらDocker建て直せば良いし)
これを、そう言うスクリプト書いて整備して良い感じにGitで管理してたお手製のツールを大手が良い感じに作り上げてきちゃった感じ。あーあ。
特に速度は分かりやすく効率に影響するので、自営業とかプレイングマネージャとかは、今導入しても元がとれるだろうね。
じゃあ、なんでCline(とそれに類似するツール群)に全部賭けない方が良いかというと、まだ過渡期の技術だから。
ツールのオペレーションに全振りして、大手が改良版出しちゃってオペレーターとしての職が無くなった経験、あるでしょ?
今Clineで不満に感じてることとか、プロンプト調整しなきゃなあみたいなところ、全部自動化できるでしょ。
一年保たないと思うよ。
そりゃあ人間雇ったら高えのはわかるけど、単一障害点は怖いぜ。
みんな、生成AIのAPIが逆鞘だろうことはわかってるよね?急に明日から10倍に値上げされて耐えられますか?
今、OpenAPIのたけえのだってたかだか3万ぽっちだけど、あれに毎月30万円だせって言われて耐えられる?90万なら?SLAも怪しいのに?
そう言う時、「じゃあやめて人間雇えば良いじゃん」って言った時に、話聞いてくれる相手がいて欲しいよね?不義理しないでおこう。
同じように、新人はちゃんと育てるべきなんだけど、多分聞いちゃくれないから、そう言うところはドンヅマったら転職しよう。
(経営側にいる人間は、安易にAIエージェント+中堅に頼った場合、中堅がその会社の急所になるのは抑えておこうね。引き抜かれて崩壊する組織は脆弱だよ)
IBMが訴えられてるよね。アレ、AIエージェントあったら回避できてた?
俺は無理だと思う。
試験導入しますね、と言ってガンガン使ってコストをあげましょう。予算が尽きるまで使えば概ねそこまでです。
また、AIエージェントを導入しつつ、動作を確認したり、自社のどこに活用できるのか見ておくのはとても役に立ちます。
具体的に言うと、ググったコマンドを片っ端から試すような新人が入ってくると思ってください。
その新人は、概ね1000行以下のコードなら即レスしてきます。変えるなと言った箇所もたまに結果を出すために変えたりします。
そして、その新人相手の知見はおそらくそんなに長くは持ちません。何故なら我々が不満に思う箇所は改善されてお出しされるからです。
そのため、Cline(やそれに類似するツール)の知見を貯めよう!なるほどこんなプロンプトを与えてやれば良いのか!みたいな試行錯誤はやめた方が無難です。
今後も解決されないであろう部分を切り分けるのに留めましょう。
超具体的に言うと、AWSのコマンドを片っ端から試されたりすると、すげえ課金されるやつ、あるよね。でもそれちゃんとポリシーで制限できるよね。
人間相手に常識で縛ってたことを、ポリシーで縛るようにちゃんとしておこうね、ミスったコードで高速にIaCお試しされるとすげえことになるよ。
(なりました)
仕様検討にはo1 pro modeが(推論が強いから)、コーディングはClaude 3.5 Sonnetが(コーディングに万能に強いから)、コードのデバッグはo3-mini-highが(コードの解析に強いから)という時代から、Claude 3.7 SonnetのAPIセットしたClineで全部お任せして試行錯誤した方が結果的に効率が良くなってます。
今はPythonやTypeScriptのように、基本的に大量にコードが存在して生成AIを開発する側が良く使うコードの性能が高くなっています。
(ただ、相当にマイナーな言語であっても、別に学習に支障があるとは思えません。おそらく単に優先順位の問題です)
「AIコーディングについてのレポートをあげて、稟議を通すための理由もつけておくように」みたいな指示は、ChatGPTのDeepResarchに振って、上がってきたレポートをそれっぽく書いておけば良いです。
なお、ChatGPT4.5があんまり性能が出てないと聞いてがっかりしている人に朗報ですが、4oから4.5に変わったことで、相当に性能は上がっています。
具体的に言うと、「クソみたいな上司からムカつく指示が来てどうにも収まらないんだけど、以下の内容を相手が納得するように書き直してくれない?」みたいなのに、すごい親身になってそれっぽい感じに書き直してくれます。人間力は多分俺より上です。
蒸発するつもりだ。友人からそう打ち明けられたのは、私が彼女が何とか真っ当に生きられるような道を探している途中、私は私で真っ当に生きられるように道を探している途中で、築ウン年の我が家、ボロアパートのベランダで流星群を探して二人して煙草を吸っている時のことだった。
ただ漠然と、寂しいなと思った。
若い頃悪い男にいいようにペットにされて、不運に借金にまみれ、女はみんな彼女に寄生したがり、男はみんな彼女を足元に敷くカーペットにしたがる。
誰も私のことを知らない土地で、一人で何のしがらみもなく生きたい。
少し前まで「死ぬしかない」と言っていた彼女がそう言えたことは私にとっては福音にも近かった。
生きていてくれるならそれで良かった。
私の隣にいなくても、何処かで幸せになってくれるならそれで良かった。
私は徹底した個人主義者だ。血も涙もないと思われがちな人種だ。
それでも私に心残りがあるとするなら、彼女と一緒に泥まみれの中で苦しんでいた中から、私だけ救われてしまったことだ。
本当に些細な、しかし絶大なきっかけで、「私はこの場所で私であるまま一人で生きていく」ということを神様から許されてしまった。
じゃあ彼女は何故それが許されないの?
私と彼女に何の違いがあるの?
私は私で泥の中にいる時に、「何で友達は円満家庭に生まれて暴力も知らずに生きてきたのに、私はこんななんだろう。私と友達に何の違いがあるのだろう」と本気で苦しんでいた。
泥から抜けて熱いシャワーを浴びている間もそれに苦しみ、しかしふかふかのバスタオルで体を拭く頃にはまだ泥の中にいる彼女を振り返ることしかできない。
理性では「それが生きるということだ」と理解している。
弱肉強食は人間が文明社会を築くようになってからも明確な、しかし透明なルールとしてこの世の中に残っている。
私は生きるために弱者を食い物にすることを躊躇ってはいけない。しかし躊躇ってしまう。私も弱者だから。
計画を進めていると友人からぼんやり打ち明けられた。最近調子どう?と気軽なLINEをした時のことだった。
そうか。としか思えなかった。
一緒に泥の中にいられなくてごめん。そう思えなかった。
私はもうそういうことが出来なくなってしまった。そう思ってしまった。
私はここで生きるから、あなたはどうか何処かで生きて。それしか思えなかった。
私は薄情だ。
この世の中は薄情だ。
こんなの誰でも知ってるだろうと思ってたけど知らない人もいるみたいだから書く。
字というものは、
基本的に「線が細い」ほうが
きれいに見える。
反対に線が細くなればなるほど誤魔化しが効く。
ほどほどな字のうまさでも線の細さ補正が効いてキレイな文字に見える。
そして、字が汚い人には福音!!
汚い字を、超細字なボールペンで描くと「味のある文字」に見えるのです!!
現在手に入りやすい細字のボールペンというと0.25ミリのHI-TEC-Cとかになると思います。
1.自分の字が汚いのが苦になっている人。
はお試しあれ。
出来れば1.0ミリの太字ボールペンとかと書き比べて見て下さい。
と、まあ常識なので力を入れて書くことでもないのですが…。
これは冒頭にも書いたように万が一知らない人のためのものです。
うじゃうじゃ。
id:triceratoppo自国通貨建てだからデフォルトしない()とかまだ言ってる人いるのか。それは財政破綻したら無制限に円を刷って借金を返すからであって通貨安は不可避。ほぼ無価値になった円を抱えてデフォルトじゃないと言うつもり?
デフォルトしないのになぜ財政破綻するのか。論理がおかしいのには気付いているのかしら。(まあそれは置いておいて)
で、なぜ円が無価値になるのか。
現状、日本経済は需要不足であって、その上財政がその需要不足に対応せずに歳出削減と増税という真逆の政策を取り続けている。
従って、その間違った政策を正すに足りる分の予算を増やす必要がある。
十分な予算確保のために必要な分だけ国債を発行すればいい話で、それが現状より多いからと言って破綻と断じるのはあまりに短絡的。
管理通貨制度の元で自国通貨建て国債が破綻した事例は未だにない。
更に、財政破綻した国家は例外なく債務国であって、債権国が財政破綻を起こした事例はない。
債権国の通貨が通貨安で薄まったところで無価値にはなりません。
「レイ・ダリオ氏: 莫大な政府債務のせいで日本の円安とインフレは止まらない |グローバルマクロ・リサーチ・インスティテュート」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.globalmacroresearch.org/jp/archives/53955
その「膨大な政府債務」を抱えてなおデフレで苦しんできた日本経済に対して「インフレは止まらない」と言っているのは福音なのか狂言なのか。
女物の洋服のポケットのショボさは何事であるかとまた話題になっていた。今回は女性もののズボンのポケットがワイドシルエットにもかかわらずやたら浅くてびっくりした、というつ男性のつぶやきに端を発したようだ。
浅さにびっくり、異論なしである。正直おりものシートくらいしか入らない。しかし、個人的に大事な視点だと思っているのは、女性はトイレで毎回ズボンを下ろすという事実である。
私はスカートを一枚も持っていない。また背が高いこともあり、男性もののボトムスを身に着けることも多い人生であった。そして男性もののズボンを穿き、「おっ、ポケットがあるな!」と思って携帯や財布などをねじ込み外出した暁には、トイレで用を足す際にポケットからものを落としてしまうことが多かったのである。さらに厳しいことに、昔は和式が多かったため被害は甚大であった。辛い経験を重ねていつしか私はことズボンにおいては男物女物問わず、カーゴパンツについてるようなフラップ付き、またはジッパーで閉められるようなポケット、もしくはあきらかに誰がどう見てもクッッッソ深いポケットしか信用しなくなったのである。
スカート界では大きなポケットがついている洋服も増え、福音となっているようである。ズボン界で同様の試みをされる方たちは、ぜひ上記の体験を頭の片隅に置いてほしいなー
おわり。
格闘ゲーム、特にMARVEL vs. CAPCOM のようなコラボ作品のストーリーモードとか、バトルの合間のキャラ同士の掛け合いというものが好きだ。
異なるキャラの細かい類似点を掘り下げたり、世界観が見えてくるような気の利いた掛け合いを見ると制作者の愛を感じて嬉しくなる。
一方で、登場キャラ数が増えていくと、キャラ同士の組み合わせパターンが爆発してしまうため、掛け合いが薄くなってしまうアンビバレンツな悩みがある。
そうなると、生成AIがキャラのバックエンドを学習したうえで、リアルタイムに掛け合いの台本を考えてくれる、という展開がある。どんなにマイナーなキャラでも的確に面白い掛け合いが見れるし、人間が作るパターンではなし得ないボリュームも望めそうだ。
これで問題解決か、というとそうでもない。「このキャラとこのキャラの掛け合いが面白い」と話題になって見に行く、とか「全部の掛け合いのパターンをコンプリートしたい」という行動があったりするのだ。AIが無数に生成する、となった途端に、全部のパターンを見ることは不可能となり、また特定の面白いものというものがなくなる。自分と他人が違うものを見ているということは共通の話題にしづらくなる。結果、色褪せて見えてしまうかもしれない。
単純に考えるとそうなるのだが、生成AIはまだまだこれからの技術だ。今の常識の延長ではなくもっと先を想像してみたい。
特定パターンの面白さといった既存の魅力を、学習と生成で生まれる新しい魅力が上回る未来もあるのではないか。例えば、キャラクターの関係性以外の複雑なパラメータ(プレイ回数、プレイ時間、ステージ種、キャラごとの対戦数、プレイスタイル、使用した技などなど)を考慮することでこれまでにできなかったような掛け合いやストーリーを生み出すこともできそうだ。
また、プレイを重ねるうちに、プレイヤーごとに、ゲーム内の関係性やストーリーが変化していくというようなこともできるだろう。敵・味方といった関係性や友情・恋愛などの感情が変化していくことで、新たな体験が生まれるかもしれない。
Googleのようなインターネットの検索エンジンのアルゴリズムは、日々変化している。初期は被リンクをスコアリングするというものだったが、コンテンツの内容を考慮したり、近年はユーザー行動を重視していると言われている。検索結果から実際にユーザーがアクセスした、といった行動が表示順のアルゴリズムに影響するというものだ。これによって「ユーザーの目を惹くページタイトル」といったものの重要性が増しているらしい。
AIにより生成されたコンテンツの質の向上にも、ユーザー行動が積極的に取り入れられていくだろう。「いいね」のようなシンプルなフィードバックから、ユーザーがテキストを読んだかといった精読率や、微妙なコントローラーの操作からユーザーの評価や感情を読み取るといった、能動的な行為を伴わないフィードバック取得もあり得る。
ユーザー行動からのフィードバックが重要であるなら、ひょっとしたら今以上にコントローラーにセンサーが搭載され、脈拍や汗といったユーザーフィードバックすらコンテンツに影響するようになるかもしれない。
突然話は変わるが、1990年代に米国West End Games社がリリースしたテーブルトークRPGにTORG というタイトルがある。https://en.wikipedia.org/wiki/Torg
マルチバースによる、ポシビリティ・ウォー(Possibility Wars)という地球侵略戦争を扱った世界観なのだが、野心的な試みとして、Infiniverse というキャンペーンが行われていた。世界各国のTORGプレイヤーはWEG社のTORG公式機関誌 InfiniverseMagazine の回答フォームを経て、自分たちのキャンペーン進行状況をWEG社に報告した。WEG社はそれらを集計することで世界全体への影響を与え、 InfiniverseMagazine 誌上でそれをプレイヤーに伝える、そうやって世界を巻き込んでTORG の世界観が構築され、地球侵略戦争のストーリーが進行する、というものだ。野心的な試みであったが、これは1年足らずで頓挫した。
90年代当時、プレイバイメールなど多数のプレイヤーの行動がストーリーを進行させ、世界を構築する、といった試みは他にも幾つもあったが、限られた人数よる運営ではスケールが難しかった。しかし、現代において生成AIは、ユーザーフィードバックをより精緻に取り込んだ新たなコンテンツや世界・ストーリーを作っていくことを可能にしているだろう。ポシビリティ・ウォーは今まさに起きているのだ。
このように想像を巡らして駄文を書いているだけで、ちょっとワクワクする気持ちになっている自分がいる。生成AIの未来に期待している。