
はてなキーワード:福島とは
具体的には、元福島ガイナックス代表の浅尾芳宣氏や大学時代からの友人と思っていた山賀博之氏、武田康廣氏らが弊社や自分に対して行っていた様々な虚偽対応の実態、山賀社長(当時)からガイナックス社員への自身を入院中とかたる居留守指示、弊社を敵対視した文言、返済を不当に逃れるための画策等、これらを改めて知るに至り、怒りを通り越して悲しくなりました。
自分も昔、こういう文体でメールを書いてしまって、ちょっとその後問題になってしまって、
いずれにしても、メールでこういう文を残すな、みたいに言われてしまったんだけど、
名指しした人たち、及び私も含めた所属する団体と、私との関係が完全に壊れても構わない、
という意思表明ではあったんだけど、
そもそも、そういうことをメールで書くな、とかなり非難された。
こういうのを、それこそ退職ブログでやったら、色々鬱憤は晴れるけど、名誉棄損で訴えられてもおかしくない…😟
山賀氏、武田氏、そもそも岡田斗司夫氏とか、絵を描かない側の人たちだし、一方で庵野氏は絵を描く側であった。
まあ、最近庵野氏の昔の絵を見てて、宮崎駿ではないが、やっぱり人物は下手だと思った。
人物でなければ、メカとか爆発エフェクトとかであれば神がかってる超天才なわけだが…😟
庵野氏にこういう形で名指しされると、今後、業界内どころか私生活でも影響が出る可能性があるわけで、
もちろん、庵野氏の言い分が100%正しいとしても、そういうことは世の中往々にしてあるわけで、
私も私生活、個人的な関係で、流石にそれは人道的にというか、普通に人としてどうよ?と思わされることが多々ある人生ではあったが、
流石にネットで名指しはしない、というか、暗に名指しをしたりして揉めた、その件で私がBANされたりもあったので、
名指しで、ネットに名前を晒す、というのは、ちょっとモヤモヤした、
社会的マナーがどうの、というのも、庵野レベルなら許されるんかあ、みたいに思わなくもない…😟
初投稿です。
私も少し読んでみましたが、過去の体験と重なる部分があったので書き起こしてみたいと思います。
私は現在大学一年です。障害者に対する理解や社会通念は持ち合わせているつもりです。
小学生の時、知的障害者との交流を目的とした特別授業がありました。
市内の特別支援学校に行き、同世代の障がい児と遊んだり、支援学校を見学したりしました。
授業では、ペアとなる児童を担任が決め、基本的にその子と共に行動します。
最初の授業ではその子と手をつないで支援学校を見て回りました。
「みいちゃん」と違って会話も難しく、交流といっても手をつないで校内を歩くだけでした。
当時小学生だった私ですが、「配慮が必要な人もいる」とか「障害を笑うのは許されない」といった事は理解していたと思います。
でも、授業が終わったあと、私は真っ先に水道で手を洗ってしまいました。その時の罪悪感が今でも忘れられません。
昨今のSNSでは、差別的な発言であっても共感されればいいねが押され、自浄作用が働いていないことも多々。
差別に限らず「福島」「津波」「原爆」「発達」……と不謹慎に溢れています。私はずっと「そういった発言をする人=救いようのない人」というレッテルを貼って処理してきました。
その昔麻生太郎が福島原発事故を受けて有志により催された国際規模の慰問パーティーに故安倍ちゃんと出席した時に福島復興を目指すつってたにも関わらず
立食パーティーでは神戸ビーフや松坂牛のステーキやハンバーガーを食べて美味い美味い言ってたけど
原発汚染された福島牛を食べたくなかったとか当時色々言われてたけど実際は福島牛って聞いたことないよね、今もw
松坂牛や神戸ビーフは世界一といっていいほど良質な牛肉で今もそうだよね
東北の牛肉も仙台牛や米沢牛は一流どころで岩手牛も広く知られてる
そんなよく分からないブランドですらない福島県内のスーパーならどこにでも置いてありそうな不良品よりは世界的によく知られた神戸ビーフや松坂牛が立食パーティーに出されるのは至極当然だったんだよな
当時は麻生太郎が原発汚染された牛肉を嫌ってたんだって勝手に思ってたけど出したのは立食主催した側だもんね
その人達(福島人)でも神戸ビーフや松坂牛を提供したって事は福島産の牛肉が如何にそれより劣るかって間近で知ってたからなんだね
自民党支持者にまんまと乗せられ、田原さんが高市さんに「死ね」と言ったかのような切り取りと誤読が広まっており皆さんの貧弱な情報リテラシーに頭を抱えている。
大前提として発言は高市さんに対して言ったものではなく出演した福島さんと辻元さんに向けたもの。
これは高市さんと意見が異なるという福島さんの発言を受けて、もっと激しく反対しろ・戦えと発破をかける意図の表現で、流れを見ていれば誤解のしようがない。
乱暴な言葉遣いではあるものの他者を傷つける暴言・中傷の類ではまったくない、ただの「放言」でしかない。
例えば「安倍元首相は暗殺されてよかった」のような思想的にも倫理的にも批判されるべき問題発言とは次元が違う。
取り上げるのもばからしいが、「死んでくださーい」で芸能界から消えたフワちゃんを引き合いに出し、田原さんは厳重注意では軽すぎるなどとする主張が一部で見られるのは本当に意味がわからない。
フワちゃんのそれは相手に対して放った暴言・中傷であり、人気商売であるから好感度を下げる発言をした彼女をスポンサーや番組が採用する理由がなくなっただけの話で、芸能界を追放処分にされたわけでもない。
田原さんの発言は質の異なるもので、人気商売ではないので好感度も関係ない。
このように捻じ曲げた解釈がまかり通り処分まで下るようなら実質的な報道規制・思想統制の時代に逆戻りしたも同然で、日本の将来を憂慮せざるを得ません。
万博には一貫して反対だった。空疎な国威高揚をしている場合じゃないだろ、今の日本。
なんだって、やってしまえば「功」の部分はある。その部分だけをクローズアップすれば「やってよかったね」みたいな話にまとめられる。これから国と衆愚が一緒になってそういうムードを作って、ネガティブなことはなかったことにして歴史化していくのかと思うと、本当にイヤだね。
オタク産業がイメージづくりの片棒を担がされたことも本当にイヤだった。こういうことはこれからしばらく、どんどん増えるんだろう。国策に組み込まれるオタク産業。気色悪いぜ。一介のオタクとして反吐が出る。
福島も能登も、他の災害被害も何も終わってない。自民党と維新が接近したら碌なことにはならない。そういう流れの中の万博だった。
高市早苗の件ね。
私も多くの女性達と同じく、政治信条はともかく女性初の首相誕生をとても嬉しく思ってた。
と思ってたら、今の状況ですよ。
正直、自民党総裁になりながら、首相になるまえに連立相手に逃げられて、すわ下野か、なんて追い詰められる無能とは思わないじゃん。
このままだと、ほら見たことかと、女性に政治なんて無理だろと、アンフェたちが調子に乗る未来が見えて鬱なんだわ。
だからこそ、野党大連立をするならば、女性に対するそんな偏見を覆せるような人を担いでほしいと思ってる。
候補としては、共産の田村さん、立民の蓮舫さん、社民の福島さんがいいんじゃないかと。
いずれも知的で優秀であることは知られているし、立派に首相の職責を果たしてくれると思う。
特にリベラル勢力は、高市さんが総裁選で勝った時に、女性初といえども嬉しくないなどと言っていたのだから、これぞと言える女性を選択する義務があると思う。ここで女性首相が流れたら、次の機会なんてまた何十年もやってこないでしょ。
なのに、なに、玉木って。ふざけてんの?女性を馬鹿にするのもいい加減にしろよ。
私としては蓮舫さんが、その知性や品性の高さで最適だと思うんだけど、はてなーはどう思う?
「核融合炉に飛び込んでみたい」と歌う声がある。眩い光に包まれ、全てが許されるような幻想の中へ――。それは、いまの日本の原子力政策そのものを映す寓話のように聞こえる。希望と破滅の境界で、人はしばしば「光」に酔い、冷たい現実から目を逸らしてしまう。
政府はエネルギー安全保障の名のもと、再稼働と推進へ舵を切った。電力需給の逼迫、化石燃料価格の高騰、脱炭素の潮流――理由は枚挙に暇がない。だがその裏で、原発の老朽化、廃棄物の行き場、地域合意の不在という根本的な問題は、いまだ棚上げされたままだ。再稼働が“現実的選択”と呼ばれるたびに、責任の所在はぼやけてゆく。
青森・六ヶ所の再処理工場はその象徴だ。建設から三十年以上、運転開始は繰り返し延期され、費用は膨れ上がった。掲げられた「核燃料サイクル」は、再利用という理想の名を借りた“無限延期システム”と化している。技術の完成よりも、「止められない」ことの方が既得権となった。これで未来世代に何を誇れるというのか。
福島第一の処理水放出もまた、政治と科学、説明と納得の乖離を露呈した。国際機関の評価を盾に、「安全」を強調する政府。しかし、被災地の不信や国際社会の懸念は解けない。信頼は、数字ではなく誠意によって築かれるものだ。事故から十四年、いまだ「終わり」は訪れていない。にもかかわらず、原子力を再び“成長の柱”とする構想が進む現実に、私たちはどこかで既視感を覚える。
エネルギーを「光」と呼ぶなら、その影に潜むリスクを直視する勇気こそが政策の条件である。安易な「推進」も、情緒的な「脱原発」も、どちらも現実逃避に過ぎない。求められるのは、廃棄物処理や地域合意形成を含めた全体像の再設計である。長期的なエネルギー戦略を、世代を超えた責任の言葉で語らねばならない。
詩に描かれた「核融合炉に飛び込む」衝動。それは、すべてを浄化し、忘却しようとする願望の比喩であろう。しかし、現実の政策においては、飛び込むことではなく、立ち止まり、見つめ直すことが必要だ。
夜の街の明かりが美しいのは、それを支える無数の暗闇があるからだ。原子力という“光”に再び未来を託すならば、まずその暗闇の中で、誰が傷つき、誰が責任を負うのかを問わねばならない。
光は人を救う。だが、光はまた、眩しすぎて真実を見えなくもする。
私たちは、あの歌のように「すべてが許される」幻想に飛び込む前に、現実の冷たさと向き合うべきだ。原子力政策の再構築とは、未来のための謝罪であり、再出発の約束である。
どんなに野球がうまかったとしても、国内にプロ野球とかメジャーリーグがなかったら活躍できないし、
もっと活躍できる舞台が海外にあるならそっちに流れるのと同じ話だが。
個人の優秀さも大事だが、活躍できる舞台が用意されていない国で成功できるはずもない。
大谷翔平だって、もしプロ野球界が無い時代に生まれてたらただの一般人だっただろうし、
ジョブズも投資文化のない日本に生まれてりゃただの痛い人間だったと思うぞ。
優秀な人がいるだけではなく、そいつらが評価されて輝ける舞台が用意できた国が
大成功してるってのはアメリカを見てりゃ答え合わせができるだろ。
日本人だって一時期ノーベル賞ラッシュがあったように、日本人が世界的に不真面目とか、頭が悪いってわけではない。
ちなみにこの前AI関連でノーベル賞を取った海外の研究者がいたけど、
甘利俊一・福島邦彦もAI技術の基礎を築いた功績でノーベル物理賞候補に入るぐらいの貢献はしているから検索してみろ。
あと一歩でノーベル賞を逃した研究者とか言われる程度には評価されてるから。
でもな、研究の世界なんか物量作戦で、優秀なのは前提として、先に役に立つ発見をしたもの勝ちって側面が強いのは理解してるよな?
きちんと投資さえすれば勝手に優秀な奴が集まってくるし、放っといてもそいつらが勝手に成果を出すわけだ。
ちなみに甘利俊一・福島邦彦は何十年か前の研究者で、日本がバブルでお金が余ってて、バカスカ金をつぎ込んでた時代の研究者な。
日本に同じ優秀さの研究者がいたとしても、予算が少なけりゃできる研究の幅は限られるし、
金がないってことは研究者として食っていけるチャンスも少ないってことで、単純で国内全体で単純に発見できる数自体が減るわけだ。