
はてなキーワード:祟りとは
プラネタリウムなんて行ったって、ド平日にも関わらずカップルに埋もれるだけ。
Threadsを開けば知人が彼氏に撮って貰ったであろう写真が舞い踊る。
新しいデバイスを新調しても、誰かの真似してカフェ行っても空しい。
でもね、これ全部一人でやってるんだ。折角の約束も反古にされて旦那を優先された。
分かるよ、自分も幼稚なオタク友達と長々話すのが苦痛で切り上げた事はある。
あのアブノーマルな空間が苦手だったけど、今はそれすらも愛しい。
ぬいをバッグに付けることすら憚られて、体力がないので早々に帰ってくる。
日々のデスクワークが祟り、地下鉄に乗れば車窓に不気味なくらい真っ白な肌が映る。
ヒトコワ系の話を見ると思う。
見ず知らずの他人に付き纏ったりする類の話。
例えを出すと、一人暮らしの女性が風呂入ったら突然お湯が止まった、実はそれは女性を狙った不審者の仕業だったのだ、みたいなそういう系の話。
こういう話の加害者って何考えてるんだろう。
(例えが女性被害者の話になったけど加害者の性別は別に限定しない)
心霊物とか祟り系のホラー話って怪異が話の通じない化け物だから怖いってところあるじゃん。
でも「人間が怖い」系のホラー話で化け物役になった人間も本来なら話は通じるはずだよね。
はぁ〜〜〜……。マジで今日も憂鬱な一日が始まるわ。お疲れ、私。そして全国の同志。
最近さ、つくづく思うんだけど、
なんて言うか、こう…「動物的人間」とでも名付けたくなるような奴に悩まされてる。
「自分は絶対正しい!」教の信者たち(反省?何それ美味しいの?状態)
まずね、こっちがどんなに丁寧に、言葉を選んで説明しても、自分の非はぜーーーーったいに認めないのよ。
うちのAさん(仮名)なんてまさにそれ。
自分にもできないこと山ほどあるくせに、他人(特に自分より弱い立場の人)には「なんでそんな事もできないの!理由を言って!」って鬼の首取ったみたいに詰めるの。怒鳴りながらね。
でも、こっちがAさんに「Aさん、これはどうしてこうなったんですか?理由を教えていただけますか?」なんて丁寧に聞いた日には、もう大変。
みるみる顔が赤くなって、
「そういう言い方するなんて、あなたの性格に問題があるんじゃない?」
いやいや、どの口が言うとんねん!
こっちがどんなに問題解決しようと歩み寄っても、向こうは「自分が攻撃された!キーッ!」ってなる。
「自分が間違ってるかも?」っていう発想がないんだろうか?
ああいうの見ると、こっちのライフポイントがゴリゴリ削られていく音が聞こえるわ…。
「都合が悪いこと」、「痛いところ」 を突かれると、もうビックリするくらいの速さで逃げるのよ。
「この件について、もう少し話し合わせてもらえませんか?」って言おうものなら、「またその話?」とか、「もうその話は終わったはずですけど(一方的に)」とか。。。
こっちは問題解決したいのに、向こうにとっては「不快な状況から一刻も早く逃げること」が最優先、なんだろね。
しまいにはさ、Aさん、こっちが色々言っても無駄だって悟って、諦めて距離を置こうとすると、「ほら、やっぱり私の言うことなんて誰も聞いてくれないのよ。もうあの人には本音は言わないって決めたんだから!」って被害者ぶるの。いやいや、こっちが諦めたんじゃなくて、あなたが聞く耳持たなかったんでしょーが!って、喉まで出かかった言葉を何度飲み込んだことか…。
私の気持ち <<<<<超えられない壁 <<<<< アタシの気分(自己チュー&感情ジェットコースター)
みたいな?
そして何より疲れるのが、徹底的な自己中心性と、感情のアップダウンの激しさよ。
「普通はこうでしょ?」、「常識的に考えて!」ってのが口癖ね。
自分のローカルルールを世界の中心みたいに語るけど、その「普通」とか「常識」って、あなたの頭の中にしかないやつですよね?って、心の中で何度ツッコんだことか。
結局 「自分がどうしたいか」、「自分がどう感じているか」が全ての判断基準。
まるで、お腹が空いたら泣き叫び、眠くなったらどこでも寝る赤ちゃんみたいに、本能のまま生きてる感じ。
はぁ…。もうね、こういう「動物的人間」さんと毎日顔を合わせてると、こっちの精神がすり減って、悟りを開くか発狂するかの二択を迫られてる気分よ。
「ああ、この人は今、自分の感情という名の嵐の中にいるんだな…触らぬ神に祟りなし…」って、そっと心の中で距離を置くスキルだけが、日に日に上達していく今日この頃。
皆さんの周りにもいません?こういう、良くも悪くも「自分に正直」すぎる人たち。
こういう人らに「動物的人間」ってラベリング、言語化して、普及していきたいわ。マジで。死ね。
あ、やべ仕事しなきゃ。
岡本綺堂の文学から、「岡本綺堂は怪談は美しいものと認識していたのかもね」みたいな話になり
岡本綺堂の「木曽の旅人」は現代の怪談のテンプレの形の元になる要素多いよね、という話から、
で、内容としては、
古事記とかの神話の中の化物退治から始まり、平安文学では多くの怨霊の話が書かれ、江戸時代に入ると町人文化から歌舞伎や落語や文学でも大衆の怪談が確立される
そして小泉八雲が編纂してテンプレ化し、現代へと至る、のようなことを教えてくれた
え、待って待って
平安から江戸まで飛ぶのおかしくない?ないはずないでしょ、というと
実は、鎌倉から室町とかは、怪談はあっても仏教的な因果応報思想が強くて、教訓話みたいなのになっちゃうのよ、と
その間は、民に力がなかったのか、確かに「おもろない」んだわ
でも、有名な三大怨霊、菅原道真、崇徳上皇、平将門は、その「おもろない」時代の怨霊だよね?
エンタメ化しておもろくされたのは江戸時代だとしても、当時から怨霊としては知られてたでしょ?なんでおもろないままだったの?と聞くと
当時はガチでおばけも祟りも信じてたから、エンタメ化できる時代じゃないのよって
ああそうか、確かに今と違って「霊も祟りもあるんだよ」って時代か
しかも、政争に関わる怨霊ってのは完全なる政治マターだからエンタメ化は無理よって
そっかそっか、なるほどね
ここまで聞くとピンときたね
ひょっとして、三大怨霊みたいに華やかにエンタメ化されてはいないけど、当時ガチで恐れられた大怨霊、実はいろいろいるんじゃないのー?って聞いてみた
いくつかあげてくれたけど、一番響いたのはこの人だね、橘逸勢(たちばなのはやなり)
この人、三筆っていう、歴史上もっとも書が美しい書家3人のうちの一人
この三筆の書、それほど讃えられていたわけなので、当然家宝のように大切にされたはずだ
とても賞賛され、もてはやされ、大事に保管されていたはずなのに
「美しさと恐ろしさはリンクする」って感覚は誰しもあるものだし、それも一番人の念がこもる直筆の書が美しいわけよ
それを書いた橘逸勢は謀反の疑いで流刑になり途中で死に怨霊化する
その怨霊化した人が書いた最も美しいはずの書が、現存していないって
ここにオカルティックな耽美な意味を見出さないわけにはいかなかったよね
ということで、橘逸勢、なんか興味出たわ
漫画(的な絵に見慣れてない)人間ならどれも似たような可愛く描かれた女の子の絵でしか作家を当てろなんて望むべくもないことだろうが、
言語化はできないものの作家特有の癖ってものがわかるようになってきて、この作家がオリジナルキャラを描いたものを提示されてもたぶんわかるって状態になってる。
たとえば鳴海なる。祟り神の食卓という作品も普段は他にも区別がつかない絵を描いてるなという画風だが、たまに鼻と口との描き方とそのバランスによる印象かこの作家特有だなって感じることがある。それは同一作者の他の作品にも見られた。
あとは「さと」って作者とちゅぴまろって同人作家の絵が死ぬほど似てると思う。
うさくんとずぼら飯の絵が似てると思うのは猿でも思う事だろうが、上記の類似感はある程度二次元の絵に見慣れているからこそ得られた感覚だと思う。
つまり普通の人ならこの二者が似てるって言われるまでもなくもっと他にもそれらに似てる作家いくらでもいるだろ、なんでその二者をあげたんだってしか思えない。
こういう研ぎ澄まされつつある?感覚といっても全く趣味以上のものにならないものなんだろうか。金を払ってくれる人、分野はないんだろうか。
世の中色んな人がいるが、結局年齢が一番わかりやすい物差しなのは変わらない
しかし現代は年齢の割に子供であることを許容する傾向が強く、割と真面目におっさんの幼児化が酷い
「男はいつまでも少年」なんてのは皮肉でありジョークなので、それを源泉に自己肯定するようなおっさんはもはや害悪なんだよ
推しに金をつぎ込む人も幼児的な金銭感覚のまま体のみが老けただけなんだよ
本当は社会や家族や子供に還元すべきお金が何の価値もない団体や人にわたってしまい、結局その人自身のためにもなっていない
仕事ができない人でもある程度は年齢に見合ったフォローなり管理をすべきなのに、みんな触らぬ神に祟りなしって感じで咎めない
だって個人主義の時代にはその人の感性が重要だし、下手すればパワハラになる
けどさ、50代にもなってバイクで路上を廃棄まみれにして騒音をまき散らし、道の駅で煙草をくゆらせるとか恥ずかしいって感じよう
子供部屋で老眼鏡をつけて美少女フィギュアのレビュー動画を作ってんじゃないよ
本人の勝手だとか言えるのはそれなりに頑張った人だけにいえるんだよ
長屋王が祟り神にならなかった理由については、様々な説があり、一概に断言することは難しいですが、いくつかの可能性が考えられます。
長屋王は藤原氏によって謀反の罪を着せられ、無実の罪で自害に追い込まれました。そのため、人々の同情を集め、怨念を持つ可能性は十分考えられます。しかし、怨念を持つだけでは必ずしも祟り神になるとは限らず、歴史上、冤罪で死んだ人が必ずしも祟り神になったわけではありません。
長屋王は優れた政治家であり、民衆からも慕われていたという側面があります。そのため、死後も人々から敬われ、むしろ神格化される方向に進んだ可能性も考えられます。
奈良時代は仏教が盛んになり、死後の世界観も変化してきていました。祟り神という概念自体が、以前ほど強く信じられていなかった可能性があります。
藤原氏はその後も長らく権勢を誇り、長屋王の怨霊を鎮めるための儀式などを行っていた可能性があります。
なぜ長屋王の変が有名なのか
長屋王の変は、藤原氏の権力拡大と皇族の没落という、奈良時代における大きな転換期を象徴する出来事として、歴史学上重要な位置を占めています。また、冤罪による悲劇的な結末は、人々の心を捉え、多くの物語や作品に取り上げられてきました。
長屋王が祟り神にならなかった理由は、様々な要因が複雑に絡み合っていると考えられます。一説には、藤原氏の権力によって怨念が抑え込まれたとか、人々の記憶から徐々に忘れられていったという説もあります。