
はてなキーワード:神様とは
ふと思ったことを書いてみる。
約1年前のこと。出産予定日まであと2週間だった。初めての妊娠で、日に日に大きくなるお腹が愛おしい反面、漠然とした不安があった。その時は1人で近所の公園に散歩に行ったのかな。
公園のベンチに腰を下ろすと、目の前にあるもみじの木がすっかり紅葉で。腹帯の上からそっとお腹をさすりながら、この子が生まれてくる未来を想像した。
健康に育ってくれるだろうか、良い友達に恵まれるだろうか、幸せな人生を歩んでくれるだろうか。
その瞬間、ひらりと上から舞い落ちてきた一枚のもみじが、私の膨らんだお腹に着地した。濃い色で美しい葉っぱだった。
その偶然の出来事が、もみじの木がこの子に「頑張れ」と祝福してくれたかのように感じた。
生まれてくる子への幸運を願って、その葉っぱをそっとお腹から拾い上げて、ハンカチに包んだ。
その時、この子の初めてのお守りにしようと決めると、自然と涙が溢れてきた。
家に帰って、夫にその話をすると、「神様からのプレゼントだね」と笑ってくれた。
それ以来、私の不安は和らいだ気がする。それから生まれてきた女の子だけど、夫と話し合い、「もみじ」にちなんだ名前にした。名前の候補はいくつかあって、あれでもないこれでもないと悩んだけど、最後はあっさり。
この子が大きくなったら、あの紅葉の下で、一緒に遊ぶのが今から楽しみだ。
友人は鬱陶しそうに「身体の負担が本当に大きい、この先さらにどうなるのかわからない」という。仲良くなってから約12年、いつも困ったことがあれば怜悧な戦略で解決してきた彼女を圧倒する、神様からの身体への完全な暴力。
なんで彼女のような自立した存在が、(赤子という)他者に自分の身体を侵襲さらねばならぬのか。自分の身体が、他者の存在により自分のコントロールから外れることなど、私は想像しただけで本当に耐えられない。
なんで男女のうちで女だけが、リプロダクションに際して、心身へのダメージを負い、奇矯なまでに腹を膨らせ、仕事を休まねばならないのか。
私は心から彼女におめでとうは言えなかったよ。もちろん彼女は望んで妊娠したんだろうから、ちゃんと言ったは言ったけどさ。知らん子供に彼女の心身の健康が侵されるんじゃないかってその方が心配でしかたなかった。
よく論点をわかってんじゃん。
「公明正大に再分配すべき」派にとっては、ほんと、やっかみだけで批判してる連中は邪魔。こいつらのせいでいつもやっかみだやっかみだって言われて論点がずれるんだよね。
んで、「分配を実質決めてる総務省の官僚が力を持って、さすがに今日日袖の下はないが、そことパイプを持とうと地方自治体が総務省に媚を売るからさ、共産主義が上手くいかないのと一緒で、長い目で見るとダメだ」という主張は、まるで間違っちゃいないんだけど、実のところ、そっくりそのままふるさと納税が抱える問題の描写でもあるんだよね。なんなら、返礼品に選ばれる地元の業者連中とか、ふるさと納税の存続と発展を願うショッピングモール業者とかにとっちゃ、今日日なおも袖の下が動いててもおかしくない。だから、片方だけが自由主義経済に則って優れているように見えるのは、実はまやかしなんだ。どちらにも負の側面があって、その上で差し引きどちらがいいかって話。もちろん、増田の立場からすれば制度存続のほうが「差し引きで」優れると主張してもいいけどさ。
あとはシンプルに程度問題ね。増田も「3割以下」の上限ルールを撤廃すべきだとまでは言わないと思うんだけど、仮にゼロから制度設計するにあたって、何割にするのが最適なのかは、経済の神様じゃないとわかんないよね。ふるさと納税反対派にとっては、せめてこの上限を0に近づけたいという思いはある。賛成派は、たぶん好きに投票できるとしたら、1割派もいれば3割派や5割派、過激な上限撤廃派もいるかもしれないね。
誤解のないように書いておく。
(念のため付け加えるが、今回話題になっている企業とは一切の利害関係はない。)
1. わざわざ「チンパンジーが問題社員として入ってくる」表現を必然性がないのに展開したことには「人を動物に喩える」意図がある
2. なぜ人を動物、特にチンパンジーに喩えてはいけないのか、国際的なガイドライン等の提示
4.社会的な責任として、記事削除と謝罪だけではなく、今後このような記事が出てこないようにガイドラインをつくるべき(このスタンスが自社のPRにもなり得る)
1. 「チンパンジー」という比喩をわざわざすることには同意しない。
2. 社内ブログ/アドベントカレンダーはチェック体制が脆弱になりやすい。
3.執筆者はおそらく「ベロシティの安定」等のフレーズから、エンジニアやPM視点であり、HRの文脈を理解していない可能性がある。
4. すでに削除と謝罪対応は完了しているので、社名を挙げて断罪する必要性はない。
他でも指摘されているように、
「社内の労力を使う割には、色々な危険性を孕むアドベントカレンダーという文化をやめるべき」
というのが、本件に関する総括としては充分だと思っている。
↑「現場レベルでは存在すらよくわからないが、とても偉いステークホルダー」の一言で、何度もひっくり返るシステム開発プロジェクトのこと
仕事を円滑に進めたいが、それの障害となり得る人や事象を冷笑的に揶揄しているわけだが、
前者が問題とされたことは、私の観測範囲では存在していないように思う。
「隕石を降らせる神様」は許されて、「チンパンジー」は許されない
という価値観は、西洋の歴史・宗教・差別観を背景にした価値観じゃないのか。
倫理基準を底上げするべきという物言いは、そんなに正しいことなんだろうか。
その人は、
・ すでに謝罪もしている(多分注意もされている)
彼・彼女を吊るし上げることになりかねないことを、
「自社のPR」にもなり得る文脈の中で第三者、しかも法人が行うのは、醜悪ですらある。
本件では、社名を出さず、ガイドライン作成の呼びかけなどもせず、
自分にはこれといって帰依するところの思想とか宗教というものはない。手探りで効率悪かろうが車輪のなんちゃらだろうが気にせず、自分の中で確からしいものを大事にしたい。かと言って野狐禅で真理を得たとふんぞり返るほど自信家でもないのだが。
そういう自分の中で「現場で苦労した人には敬意を払う」というのはわりと強固なセオリーである。
もちろん右翼的価値観を奉ずるものでもないので、小野田寛郎氏のことを手放しで礼賛すべき人物とは思ってない。
でも生まれながらに平和を享受する我々が彼の人を懐手で断罪するなどとはとんでもないことだ。
ところが左翼は当たり前のように神様視点で好き放題言うよね。もとより左翼の中では問答無用の単なる悪者で片付けないとすわりが悪い存在だしね。
いや別に法の許す範囲で何言おうと勝手ではあるんだけど、すんげーのを見たので備忘までに記しておくのである。
って何?
俺こいつのこと人類の歴史のなかでいちばん軽蔑するかもしれん。
特攻機のマシントラブルで帰ってきた人をなんでもいいからさっさと再出撃してきれいに死んでくれってプレッシャーかける奴の思想だよね。
ただ生きることが困難な状況で必死で生き残ることは「汚い」んですってよ。
以前、下膨れみたいななまえのはてさが「とある死刑囚について強い処罰感情を表明した被害者遺族」のことを(死刑反対の左翼的教条に反するという理由で)口を極めて罵ってたのを見てう〜わ〜と思ったけどソレ以来だ。
「むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。
おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。
すると、川の上流から大きな桃がどんぶらこー、どんぶらこーと流れてきました。
おばあさんがその桃を拾って家に持ち帰ると、中から元気な男の子が生まれたのです。
「これはきっと神様が授けてくれた子だ」と喜び、桃から生まれたことから「桃太郎」と名付けました。
桃太郎は すくすく 育ち
とても 強い 少年に なりました。
ある日 桃太郎が 言いました。
「おじいさん おばあさん
鬼ヶ島の 鬼が 悪いことを していると 聞きました
おばあさんは きび団子を 作って
「これで 仲間を 増やして ね」と
桃太郎は きび団子を 腰に 下げ
「鬼退治に 行って きます!」と
元気よく 旅立った のでした。
桃太郎 道を 歩く 歩く 歩く
犬に 会う 犬 犬 犬
「きび団子 一つ くれるなら
お供 するよ するよ するよ」
犬 ついてくる ついてくる ついてくる
次は 猿 猿 猿 猿
「きび団子 くれ くれ くれ」
猿も ついてくる ついてくる
次は 雉 雉 雉 雉
きび団子 きび団子 きび団子
みんな ついてくる ついてくる ついてくる
鬼が いる 鬼 鬼 鬼 鬼
酒を 飲む 飲む 飲む 飲む
騒ぐ 騒ぐ 騒ぐ 騒ぐ
きび きび きび きび団子 団子 団子
犬 犬 犬 猿 猿 猿 雉 雉 雉
鬼 鬼 鬼 鬼 鬼 鬼 鬼 鬼
退治 退治 退治 退治 退治
宝 宝 宝 宝 宝 宝 宝
帰る 帰る 帰る 帰る 帰る
おじいさん おばあさん 喜ぶ 喜ぶ 喜ぶ
めでたし めでたし めでたし めでたし
めでたし めでたし めでたし めでたし
おわり おわり おわり おわり おわり
おわり おわり おわり おわり おわり
おわ おわ おわ おわ おわ おわ おわ
おわ おわ おわ おわ おわ おわ おわ
り り り り り り り り り り
り り り り り り り り り り
り り り り り り り り り り」
お産のとき、私は助産師さんに本当に命を救われたような思いで、神様仏様のように感謝している。
だからこそ、男性助産師はどうしても受け入れられない。受け入れたくない。絶対。
助産師の仕事には、子宮口の開き具合を確認するために何度も膣内に手を入れる内診がある。
私は初産の時は陣痛から出産まで12時間以上かかった。その間何度も何度も子宮口の確認を個室で受けた。
私もそうだったように、個室入院なら、通常こうした処置は密室で行われると思う。
私が出産した産院では、内診の際には付き添ってくれていた夫ですら部屋の外で待機させられていた。
妊婦は血や羊水を股から垂れ流しながら、壮絶な陣痛に耐えつつ、繰り返し内診を受けることになる。
そんな状況では、万が一のことがあっても抵抗などできるはずがない。
この問題は女性側の感情だけが語られがちだが、妻が男性助産師に密室で内診されるという状況に、夫側が抵抗を感じるのも当然だと思う。
私も痛みに何度も意識が遠のきそうになったが、助産師さんが優しい声をかけてくれたり、腰をさすってくれたりしたおかげで、なんとか耐え抜くことができた。
夫がいてくれた心強さはあった、けどやはり男性は出産の痛みや恐怖を完全に理解することは難しいと感じた。
女性は出産経験がなくても、同じ臓器を持つ「いつか経験しうる存在」であることで、安心感が生まれるのだと思う。
出産後も、母乳教室や授乳の場面で助産師さんにはお世話になった。
もし夜中の授乳室に男性助産師が当然のように入ってきて母乳指導を始めるようなことがあれば、想像しただけでゾッとする。
需要ない。
BYDもう崩壊だ!
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占いが嫌いなのだが、ただ性別が女性というだけで占いに寛容な人間だと思われるので、「占い嫌いな女から見た占い」について話そうと思う
まず占いにハマる奴は何かしら訳ありである。貧困である、毒親育ちである、性加害の経験がある等。
もちろん占い師自身も何かしらの訳ありなので、弱い人間が弱い人間から金を巻き上げているのである。
そしてこの弱者が食い合う世界には親玉みたいな奴がいて、そいつが弱者を食い合うシステムからさらに金を巻き上げて儲けている。
しかし占いなんてものは明確なルールがない。素人でもココナラに窓口を開ければ始められる。
そこが弱い立場の人でも「私ならできるかも」と思ってしまうところなんだろうな。
信教の自由があるから何を信じようとも自由だが、「自分は宗教みたいな無知蒙昧なものから自由だ」と思っている人間のほうがヤバい。
人間は何かを信じながら生きている。それは神様だったり占いだったり二次元の推しだったりする。
占いというものを信じながら、「私はフラットに物を見ていますよ」という体の人間は逆に腹立つんだよな。
そして占いに不思議な力があるとしても、「その力で人助けをしたい」と思う人間は変なのである。
「自分には特別な力があり、人を助ける力があるのだ」と思っている人間は胡散臭い。本人はえてしてそこに気づいていないが。
前述したように占い師も訳ありの人間が多いのだ。それなのに他人の問題を解決しようとするのは異様である。他人を心配するどころじゃないだろ。まず自分のことを心配しろ。
健全な人間は自分を犠牲にしてまで他人を助けたりしない。そんなもんありがたがられるのはフィクションの中だけである。
それにそんな助けられ方をしても「あの人が犠牲になってしまった」と罪悪感を感じるだけなので、私は助けたがりの人間に助けられたいとは思わない。
そうすると「助けたがりの人間」の周りには他人が犠牲になっても気にしないやべーやつだけが集まるのである。
占い師をやっている人間はいつまでも幸せになれない。悪循環だ。
長くなったので読みにくいかもしれません
半年ROMれてませんが匿名性が必要だったのでここに書かせていただきます
乱文ご容赦ください
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
援護が無さすぎるのではないかと思い、やっぱり納得がいかないと感じたので
ここに書きにきた
以前から何度も書こうと思っていたけれど
どうしても書けないまま 何年も過ぎてしまったが
なんとか書き始めた
フラッシュバックなど、読むのが嫌だと感じる場合はスルーしてくださいーーー
呆然とした
正直なところ
ショックとか 人が亡くなったということ以上に
「どうして今になって」と思った
ようやく悪夢を見て、ドキドキしながら目覚めることが無くなってきていた頃だった
逃げ出した後も燃え尽き症候群のようになり
ベッドから起き上がれなくなる日が続いて
一度は「こんなに辛いならもう死のう」と思ったけれど
いつでもそのボタンは自分が持ってるんだから もう私は誰にも縛られてないんだから」と思い
誰にも助けてもらえないので(親に話したが困惑されて流されただけだったので)
それでもなかなか人への恐怖や組織へ入る恐怖を克服できなかったので
バイトもできず
それでも人が怖くて怖くて
いつも人の顔が見れず震えて汗をかいたり
人と会ったあとは部屋で寝て起き上がれなかったり
遠出ができなかったり
そういうことがようやくひと段落つき始めていた頃
「ようやく最近少しずつ人と話せるようになってきたな」
「ようやく教団の元仲間から説得のメールが来ることも無くなってきたな」
と思っていた頃に
誰にも言えなくて
昔から付き合いのある友人にも言えなくて
両親に言っても「よく出てきたな」と言われるだけで
具体的なケアは何もしてもらえない中で
「宗教施設で共同生活をしていて就活のタイミングを逃しました」
「経歴に書けることがありません」
「宗教施設で生活していた影響で人が怖くてしょうがなくてバイトすらできません」
「燃え尽き症候群のようになって社会生活を人並みに送ることがどうしても難しいです」
そんなことの説明をしようがなく
ただひたすら周りからの、
「この人どうして朝起きれないんだろう」「なんか付き合い悪いな」
「学生時代の話してくれないな」「この人いっつも何してるんだろう 無職?」
「なんで結婚しないの」「なんでハロワ行かないの」「なんでもっと営業しないの」
「なんでいっつもお金が無いの」
あらゆる なんで? に耐えながら
ひたすら自分の足で立つことができるようになるように
1発の銃声で 毎日のように統一教会の名前をテレビで聞くようになってしまった
無かったことになっている自分の在籍期間6年とリハビリ生活10年間が
突然色を与えられたような感覚で
苦しかった
その行為自体を賞賛はできるはずもないけれど 思いは複雑だった
ただ悲しかった
あれは叫びだと私には感じられた
それくらい 中にいると社会で生活している人とは隔絶され 外の声は届かないし
中の声もまた外には届かなくなる
そこには長らく透明な分厚い分厚い壁があって中と外は隔絶されていた
あの1発の弾がそれを壊した
尊い人命と共に
その重大さを社会にどこまで理解してもらえているのか 分からない
その苦しみは 多分本気であの中で一生懸命やった人にしか分からないだろうと思う
それでもそこから私が逃げ出せたのは
ある程度、状況を俯瞰して見る(ある種冷笑的な)感覚を身につけていたからで
そこに関しては、私は自分が漫画アニメ好きのオタクでよかったなと思っている
「マジで漫画みたいなこと言うやんw」という茶化しが自分の中でできていたこと、
不真面目だったため、外の読み物やテレビは見てはいけないことになっていたが
伝道(いわゆる勧誘)もこっそりトイレに隠れてサボりまくっていたことなど
中の人からすると酷い不真面目、規律違反的なことをやっていたために
最後の一歩(あ、ここにいたら私の人生、誰も保証してくれないんじゃないか?)
という感覚に至れた、というところがある
しかし、そんな不真面目な私であっても
逃げ出すことが良いことなのか悪いことなのか、その時点では判別はできていなかった
神や、いわゆるお父様お母様(教祖)に背くことになるわけなので
正直ここから出てその後どんなことが訪れても覚悟を決めようというような気持ちはあった
なぜならいわゆる統一教会が言うところの「神のみ旨」を放棄することになるわけなので、
そうなった時に自分に何かよくないことが起きるかも、私だけじゃなく家族も何かよくないことが起きるかも、
という感覚が強く自分を支配していて そこに対して否定できる確証はなかったからだ
私が死ななくても 私の代わりに誰かが死ぬかも、と本気で思っていた
不真面目な信者であってもこのくらいにはどっぷり浸かっていた
それでも私は「本当に神様がいて 神様が私を愛しているとしたら
私のこの選択も祝福してくれるんじゃないか」という気持ちも微かに持っていた
それを信じたい、という気持ちだったと思う
そうであったらいいな、という感じで
もちろん確証も何もない
こんなふうになったから
今だからそんなふうに言えているだけで
その時には全く確証がなかった
ただ今言えるのは「神様がいるとすれば 統一教会にいる人も愛していると思うし
私のことも愛しているんじゃないかと思う」ということだ
これは信仰心ではなく
今の段階での結論というか、
信念的なものではあると思う
確証はないけれど「そうなんじゃないか?」と思っている、というようなことだ
「そうでなきゃやってられるか」というような思いでもある
神がいようがいまいが関係なく日々は続くし
私の場合 立ち止まっていても誰かが
「大丈夫?私がなんとかしてあげる 任せて」と
手を引いてくれるような状況は皆無だったから
(唯一打ち明けたカウンセラーの人も宗教的な苦しみまでは理解してケアしてくれなかったし
被害者コミュニティもあったかもしれないがまたそこから出られなくなるのではと思い、
組織に属するのが怖かった
両親は受け身なので私が動かない限り私の状況は好転するわけがなかった)
ただ言えるのは、自分で少しずつ歩く過程で人に支えてもらえることはあった、ということだ
理解できないなりに 両親は私の過去を酷くなじることはなかったし、生活も支援してくれた
「よく出てきたな それはなかなかできないことだぞ」と肯定はしてくれた
自立支援センターも、電話をかけたものの一人で行くのが怖かったので着いてきてもらった
理解してくれていようがしてくれなかろうが 都度都度助けてくれる人はいる
カウンセラーの人が言ってくれたことのいくつかは今も自分を支えてくれている
(私は自分の中に宗教施設にいたという負い目があったので、とにかく人に疑われるということが怖かった
自分の話をするのが怖く、いつボロを出しておかしなことを話してしまわないかと怖かった
そのせいか言葉がなかなか出てこなかったけど「ペラペラ話す人よりちょっとずつ一言一言話す人の方が信頼感があるよ」と言ってもらえたので 今は辿々しくても少しずつ言葉を並べられるようになった
だいぶ人と話すことが怖くなくなった)
神がいようがいまいが 関係なく日々は続いていく、というのはそういう感覚だ
私がいたのは学生寮のようなところで
信者に向け講義をするような人材を育てることを目的としている寮だった
20〜25人くらいの規模で
マンションの3部屋(うち1部屋は夫婦の家)を借りて男女別れて住んでいた
みんな割と若かったと思う
私は2世ではない
まだ規制が緩かったので大学内でも駅のコンコースでも勧誘を行なっていた
声をかけられた時も怪しいなとは思っていたが 半ば分かっていてついていった
統一教会だと開示を受けた上で「寮に入らないか」というような打診を受けたので
なんとなく流れで、面白そうなので入ることにした
あと、みんな、人が良い人たちだった、というのがあった
でも入教したキッカケには結局、自分の中に将来自分が働いているビジョンが湧かなかったり
社会一般の基準で勤めることは難しいんじゃないかという漠然とした不安があった
この時このような逃げの姿勢でいなければ
こんなに長く苦しむことはなかったなと今になってみれば思う
朝早くから起きて
原理講論を音読したり、勉強会をしたり、祈りをしたり、敬拝をしたりする
仕送りは全て世話役の夫婦に預ける形になっていて自由には使えなかった
お金は全て「聖別」といって、清められ
そういう清められたお金は「神様とお父様お母様のお金」と言い含められる
友人と遊びに行く、呑みに行くなどの経験も皆無だ
もちろん遊びにお金を使うことができないので 自由な交遊はできない、と言っていい
学校から帰ってきたら即駅のコンコースや他大学へ伝道という名の勧誘に行く
長期休暇は県外へ、車中泊をしながら1日中歩いてフキンの訪問販売をする
当然ながらより多く売れた方が良いわけだが私はいつもほとんど売れなかった
1ヶ月寮には帰れない
家族には内部のことは言えないことになっていて
これらを聞いて楽しそう、と思うだろうか?
けれど楽しいと思うことを排除し、自分を否定し、自分の望むものを否定して、
それを全てみ旨に捧げるというのが信仰の道だった
苦しければ苦しいほど条件になる、そういう発想なのだ
(そういう発想が多額の献金の要求にも繋がったのかもしれない が その要求に正当性は無いと思う)
私が寮内で大きな声で笑っていたら先輩に
「あなたが来てから、こんな大きな声で笑ってもいいんだなって 初めて思ったの」と言われた
そういう場所だったのだ
聞いた時はドン引きした
それでもやっている時は一生懸命だった
けれど これは本当に人を幸せにするような活動なのか?という疑問がずっとあった
(そういった活動などが条件となり積み重ねられ、
その条件が満ちると間接的に人を幸せにする、という考え方なので
目の前の相手を即幸せな気持ちにさせたかどうかはあまり重要ではない)
(どれだけ苦労を重ねるか 自分の欲や怠惰を否定できるかの方が
より大きな条件になるという考え方になる)
(親が子を置いて宗教活動に邁進することになるのは、そういう仕組みゆえだ)
人になかなか言うことができないような生活で費やしてしまったことは
勿体ないことだったと素直に思っている
勿体なかったと言うと「でもあなたのその過去も今に繋がっているじゃない?」
というような返しを親からされることがあるが
これを言われると いつも胸が詰まり
説明のできないいろんな思いが去来して胸がぐるぐるする
しなくてもいい苦労というのはある、ということで
誰も「統一教会が許せない」とも「あなたが失ったものを思うと本当に悲しい」とも
言ってくれる人はいなかった
私の、誰にも相談できなかった日々、1人苦しんだ日々を
私が逃げ出すことによって自分も家族も不幸な目に遭って死ぬかもしれない
もしひどい事が起こるなら私に起こしてくださいと
誰にも相談できなかった日々を
肯定しないといけないのだろうか?
この状況になるまで誰もそれをすることができなかった
その事実はとても重いと思う
それは助ける力がない人たちが口を揃えて言う言葉のようにも思える
とても、とても苦しいものだ
それがこの方法だったのだ
この方法以外で彼が救われることもなかっただろうと思う
山上被告が自分で自分を救うしかなかった結果がこれだったのではないだろうかと思う
私が入教して実感したことは、宗教に関わっている人は意外と多い、ということだ
私のいた寮の中にも、親が創価学会だったがそれに反発して統一教会に来た人もいた
(その人は非常に熱心な人だったが その後心身を崩して入院されたりしていた)
気になったのは、世話役の夫婦の奥さんの方はいつも病気がちで寝てばかりだったことだ
いつも辛そうだなと思っていた
断食をしたり敬拝をしたり長時間伝道をしたり 体を酷使することも多かったので
体を悪くしている人も多かった
みんな普通の人たちだ
そこにいる人たちは みんなそれぞれがんばって生きている
それを食い物にする、というのがおかしな話で
どんな宗教であっても「献金しなければ救われない」というのはおかしいことだと思う
正直に言えば 宗教法人は本当に好き放題するところは好き放題やっていると思う
人の気持ちは弱いので それで救われるなら払ってしまうわけだけど
なんとかもう少し規制ができてほしい
少なくともその行き過ぎた状態が、あのような悲惨な事件に帰結したのだということを思うと
そこをきちんと、法なりなんなりで整備しないというのは、単純に理解に苦しむ
状況がもう少し良くなってくれることを願う
あの事件が無ければ少なくとも私の16年は社会の中では意味を持たず透明なままだったし
こんな話は絶対にできなかっただろうと思う
誰も助けてくれなかったのだ
それを思うと本当に胸が苦しい
何度も書くが
誰かが助けてくれるはずがないのだ
そういう構造になっているのだ
楽しい家族旅行、欲しかったおもちゃ、勉強するための本、服、車
普通の人が当たり前に経験する友人との時間、家族と過ごせた時間、
そういうものに付随する思い出全てが
その悔しさ 悲しさ 苦しみを思うと計り知れない
私の失った16年 いや、それでは比較にならないほどの苦しみと絶望だと思う
それらは 決して帰ってはこない
泡になって 帰ってこない
親が宗教活動にハマるなんていうのは交通事故のようで あまりにも避けようがない
加えてそれを身内がどうにかするなんていうのはほぼ不可能だと言っていい
なんなら母親も被害を受けた側、交通事故に遭った側だとも感じられる
内情を知る人の弁護がなさすぎる気がする
「宗教にどっぷりハマっている身内がいる状況」
私は最後、逃げ出す前に
もしこの人たちがもう少し私に向き合ってくれていたら
けれど最終的な結論として
「ああ この人たちは神に祈りお父様お母様に祈る以上のことはしてくれないんだ」と思った
それが最終的な答えになるので話ができないのだ
「こうこうこういうことで悩んでいる」
と悩みを打ち明けても
「神のみ旨はこうだ」「お父様お母様はこう言っている」
その堂々巡りになる
そこを信じて同じことを繰り返せばいいのだ
他の話は通じない
一切だ 一切通じない
その虚しさは 本気で話をしようとした人間にしか分からないだろうと思う
皆良い人たちなのだ
信頼もしていた
一個人で見れば仲間や世話になった人たちだ 頭が悪いわけでもおかしいわけでもない
けれどそうであればあるほど ある一定のところから会話ができなくなることが辛い
逃げた後、私は入教前に元々住んでいたアパートに帰った
入寮時にそこを解約すると家族におかしく思われるのでそのまま残しておく慣わしなのだ
入教すると元の家には特別なことでもない限り入ることはできなくなる
記憶が薄いが、そこに帰れたということは
しばらくその部屋には仲間が何度も説得に訪れた
手紙が置いてあったり食べ物がドアの取っ手にかかっていたりした
無視をし続けていたところ
ある時、眠っていて目を覚ましたら目の前に女性の仲間(先輩)がいて、私を覗き込んでいた
預けたままになっていた鍵を使って勝手に部屋の中に入ってきていたのだ
その人に悪気はなかった
けれど、「神のためならそれができる」そういう思考回路になってしまうのだ
「神のために、この人を救わないといけない」
「神のみ旨であればこの行いは許される」
私は何度も何度も「あなたたちを見ると色んなことを思い出して怖くて震えて辛いので何も送らないでほしい 会いにこないでほしい」と伝えた
俺は、数年前まで中堅チェーンのドラッグストアで働いていた。 あの業界は、マジで「お客様は神様」を振りかざすモンスタークレーマーの巣窟だ。彼らは、店員を「金さえ払えば何を言ってもいい奴隷」だと思っている。
特にひどいのが、風邪薬やサプリメントの「効かない」クレームだ。 「この鼻炎薬、全然効かないじゃないか!金返せ!」と平日の昼間から怒鳴り込んでくるジジイが常連だった。
最初は「トラブルになるよりマシ」と平謝りして返金していたが、ある日、俺はぶち切れて、マニュアル外の「論理的鉄槌」を下すことにした。
いつものように「このサプリメント、全く効果がない。詐欺だ!」と喚くおばさんがいた。
俺は、一歩も引かずに、笑顔で言った。
「お客様、大変申し訳ございません。しかし、この商品のパッケージ裏をご覧ください。『効果には個人差があります』と明記してありますよね。また、この成分は、医薬品ではなく食品扱いです。お客様の『効果がない』という主観的なご意見だけで、科学的に証明された成分を『詐欺』と断定し、返金を要求するのは、契約不履行にあたります」
「契約不履行?何を言ってるんだ!」と顔色を変えるおばさんに、俺は畳みかけた。
「はい。お客様は商品の説明書に納得し、代金を支払うという売買契約を締結しました。もし、弊社の説明に過誤があったとおっしゃるのであれば、その証拠をご提示いただけますでしょうか?それができないのであれば、他のお客様のご迷惑になりますので、ご退出ください」
それまで、店員から「感情的な謝罪」しか受けたことがなかったクレーマーは、「法律と論理」という冷たい壁を突きつけられ、完全に思考停止した。
おばさんは顔を真っ赤にして、「もういいわよ!」と捨て台詞を吐き、二度と店に来なくなった。
大事なのは、「感情論に乗らないこと」だ。「お客様は神様」に囚われると、こっちも感情的になるか、卑屈になるかしかない。
でも、「これはビジネス上の契約であり、感情は関係ない」という一点で冷静に突き放すと、彼らはただの「ワガママを言う一般人」に戻る。そして、一般人は論理には勝てない。
現場で理不尽な客対応に苦しんでいる人は、一度冷静に「これは法的に、科学的に、どういう性質の取引なのか」を考えてみてほしい。そこから反撃の糸口は見つかる。お客様は神様ではない。対等な契約者だ。