
はてなキーワード:社会運動とは
ストリート・エピステモロジー(SE)は、相手の信念の「内容(What)」ではなく、その信念に至った「プロセス(How)」を問うソクラテス式問答法である。陰謀論や根拠のない政治的確信に対して、直接「それは嘘だ」と指摘するのではなく、「どうすればそれが真実だと知ることができるか」を共同で探求するスタンスを取る。
オンライン上のトローリングや攻撃的なコメントに対しては、マーシャル・ローゼンバーグのNVCを応用した「脱エスカレーション・ループ」が有効である。
このプロセスは、相手の「攻撃」を「満たされていないニーズの悲劇的な表現」として再定義し、敵対関係を協力関係へとシフトさせる構造を持つ。
個人の対話スキルを向上させるだけでは、社会全体の分断は解消されない。SNSのアルゴリズムが増幅する情動的二極化に対抗するためには、デジタル空間の特性(アフォーダンス)を理解し、ネットワークレベルでの介入を行う必要がある。
政治的コミュニケーションにおいて、左派と右派には「美的非対称性(Aesthetic Asymmetry)」が存在する。歴史的に、左派は壁画やプロテストソングのような「参加型」で「構成的(Constitutive)」な芸術――コミュニティの結束を高め、希望を共有するための表現――を好んできた。一方、現代の右派(特にオルタナ右翼)は、ミームやシットポスティング(Shitposting)のような「道具的(Instrumental)」で「武器化されたユーモア」――相手を嘲笑し、混乱させ、分断を煽るための表現――に長けている。
この非対称性が意味するのは、左派的な「真面目で、説明的で、道徳的に正しい」コンテンツは、ミーム戦争においては圧倒的に不利であるということだ。ミームは文脈を剥ぎ取り、瞬時に情動(特に嘲笑や優越感)を喚起することで拡散する。
対抗戦略:脱分断ミーム(Depolarizing Memetics)
反発を招かないデジタル拡散のためには、以下の原則に基づいた新しいミーム戦略が必要である。
ネットワーク分析の研究は、SNS上の世論形成において、著名な「インフルエンサー(発信者)」以上に、「マルチプライヤー(拡散者)」と呼ばれる層が決定的な役割を果たしていることを示している。マルチプライヤーは、特定のイデオロギー・クラスター内で情報をキュレーションし、リツイートによって可視性をブーストする「ゲートキーパー」である。彼らは高い「整列スコア(AlignmentScore)」を持ち、陣営をまたぐことは稀である。
批判的メッセージを拡散させるためには、インフルエンサーを説得するのではなく、このマルチプライヤー層が「リツイートしたくなる」コンテンツを設計する必要がある。そのためには、前述の「道徳的翻訳」が不可欠である。保守系マルチプライヤーは、リベラルな正論は無視するが、「言論の自由」や「エリートへの懐疑」というフレームで語られた批判(例:「真の愛国者は、大統領であっても盲信しない」)には反応する可能性がある。クラスターの境界を浸透できるのは、そのクラスターの言語で語られたメッセージのみである。
X(旧Twitter)等のアルゴリズムは、「怒り」や「恐怖」といった高覚醒の情動を引き起こす投稿を優遇する傾向がある。冷静な対話は「退屈」とみなされ、表示順位が下がる。この構造的ハンディキャップを克服するためには、「怒り」以外の高覚醒情動、すなわち「驚き(Awe)」「好奇心(Curiosity)」「感動(Kama Muta)」を利用する必要がある。
以上の理論と技法を、一般市民や草の根活動家が実践可能な形に落とし込むためのマニュアル(ハンドブック)の設計図を以下に提示する。この構成は、米国の草の根運動ガイド『Indivisible Guide』の成功モデル(段階的習得、具体的アクション、テンプレート化)を参照している。
目的:実践者のマインドセットを「論破」から「影響」へとシフトさせる。
本報告書で提示した戦略は、短期的な選挙勝利のための戦術ではない。サイモン・シネックが言う「無限のゲーム」――すなわち、対話が継続可能であり、社会システムが崩壊しない状態を維持すること――を目的としている。
情動的二極化という「内戦」状態において、最大の勝利は敵を倒すことではなく、敵を「対話可能な競争相手」へと戻すことである。そのためには、批判者自身がまず武装(道徳的優越感)を解除し、相手の認知フレームの中に降りていく勇気を持たなければならない。この「戦略的共感」こそが、分断された世界をつなぎ直す唯一の現実的なエンジニアリングである。
戦略的共感と認知的安全保障:反発を招かない政治的批判のための包括的枠組み
現代の政治空間は、政策の不一致(イデオロギー的二極化)以上に、対立グループに対する嫌悪や恐怖といった感情的拒絶反応(情動的二極化)によって支配されている。この環境下において、伝統的な「批判」の手法――事実の提示、道徳的糾弾、論理的論破――は、その機能不全を露呈しているだけでなく、逆効果をもたらしていることが多くの実証研究によって明らかになっている。批判対象者の信念を強化してしまう「バックファイア効果(Backfire Effect)」や、批判者を存立危機的脅威とみなす「アイデンティティ防衛機制」が作動するためである。
本報告書は、心理学、認知科学、政治社会学の最新知見に基づき、政治的対立者に対して反発(バックラッシュ)を招かずに影響力を行使するための戦略的枠組みを提示するものである。ここで目指すのは、単なる「中道的な妥協」や「礼儀正しさ」の推奨ではない。人間の認知アーキテクチャの脆弱性と特性をハッキングし、相手の道徳的・感情的防御壁を迂回してメッセージを届けるための、エンジニアリングされたコミュニケーションプロトコルである。
報告書は大きく三つのフェーズで構成される。第一に、なぜ従来の批判が失敗するのかを脳科学的・心理学的メカニズムから解明する理論編。第二に、その防御壁を突破するための具体的な対話技法(ディープ・キャンバス、ストリート・エピステモロジー、NVC)を体系化した実践編。そして第三に、これらの技法を個人のスキルから社会運動へとスケールさせるための組織論と普及戦略である。
効果的な批判戦略を設計するためには、まず人間の心がどのように政治的情報を処理し、拒絶するかというメカニズムを理解しなければならない。政治的信念は単なる情報の集合体ではなく、個人のアイデンティティや所属集団への忠誠心と融合した「拡張された自己」の一部として機能している。
近年の政治心理学における最も重要な発見の一つは、情動的二極化(Affective Polarization)の実態解明である。これは、対立する政治グループのメンバーに対して「好きか嫌いか」という感情的温度差が極端に開く現象を指す。研究によれば、情動的二極化は対人関係の悪化だけでなく、個人の心理的幸福感(ウェルビーイング)の低下、社会的支援の減少、ストレスの増大といった「個人内損害(Intrapersonal Harm)」をも引き起こすことが示唆されている。特に、リベラル層において高い情動的二極化とストレス、健康悪化の相関が見られることは、政治的怒りが批判者自身をも蝕むことを示している。
この情動的二極化は、脳内で一種の「信頼のファイアウォール」として機能する。アウトグループ(外集団)から発信された情報は、その内容の真偽にかかわらず、自動的に「悪意ある攻撃」としてタグ付けされる。扁桃体が脅威を検知し、前頭前野が論理的推論ではなく「反論の生成」のために動員される「動機づけられた推論(Motivated Reasoning)」が作動するためである。この状態にある対象者に正論をぶつけることは、火に油を注ぐ行為に等しい。
バックファイア効果とは、誤った信念を訂正しようとする試みが、かえってその信念を強固にしてしまう現象である。このメカニズムには、自己肯定感の維持と集団への所属欲求が深く関わっている。批判を受け入れることは、過去の自分を否定すること(自己の一貫性の喪失)や、仲間を裏切ること(社会的死)を意味するため、脳は全力でそれを回避しようとする。
さらに、批判のフレーミング(枠組み)が、受け手のイデオロギーとミスマッチを起こしている場合、説得効果は皆無となるばかりか、抵抗を強める結果となる。例えば、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)対策におけるメッセージングの研究では、リベラル層が「利得フレーム(マスクをすれば命が助かる)」と「損失フレーム(マスクをしないと命が失われる)」の双方に敏感に反応し、コンプライアンスを高めたのに対し、保守層はこれらのフレーミング効果に対して強い抵抗を示したことが明らかになっている。これは、問題が高度に政治化された文脈においては、一般的な行動経済学的介入(ナッジ)さえも、イデオロギーのフィルターによって無効化されることを示唆している。
批判が受容されるための極めて重要な、しかし見過ごされがちな因子として「知的謙虚さ(Intellectual Humility:IH)」がある。IHとは、「自分の知識や信念が間違っている可能性を認識する能力」と定義される。最新の研究は、対話において自身の知的限界を認める態度が、相手の情動的二極化を低減させる強力な緩衝材となることを示している。
特筆すべきは、IHが「相手からの好意(Target Liking)」を媒介して、対話への「接近行動(Approach)」を促進するというプロセスである。批判者が「私は絶対に正しい、お前は間違っている」という道徳的マウンティング(Moral Grandstanding)の態度を取ると、相手は「回避行動」をとる。逆に、批判者が「私も確信はないのだが」「複雑な問題で迷っているが」という不確実性を提示することで、相手の警戒心が解け、対話の土俵に乗る可能性が高まる。知的謙虚さは、相手の武装解除を促すための「白旗」ではなく、心理的防衛壁を通過するための「通行手形」として機能する戦略的資質である。
政治的対立の根源には、事実認識の相違以上に、道徳的直感の相違がある。リベラルと保守は、異なる「道徳の言語」を話しているにもかかわらず、自身の言語で相手を説得しようとするため、コミュニケーション不全に陥る。本セクションでは、道徳基盤理論(Moral FoundationsTheory: MFT)を応用し、批判を相手の価値観に翻訳して届ける「道徳的リフレーミング」の技術を詳述する。
ジョナサン・ハイトらが提唱した道徳基盤理論は、人類の道徳的判断が以下の5つ(または6つ)の生得的な基盤の上に構築されているとする。
実証研究が一貫して示すのは、リベラル層が主に「ケア」と「公正」の2基盤に強く依存するのに対し、保守層は5つの基盤すべて(特に忠誠、権威、神聖)を重視するという非対称性である。
多くの政治的批判が失敗するのは、リベラルが保守に対して「それは弱者を傷つける(ケア)」「不平等だ(公正)」というリベラル特有の語彙で攻撃するためである。保守層にとって、これらの価値は「忠誠」や「権威」よりも優先順位が低いため、批判は響かない。逆に、保守がリベラルに対して「伝統を破壊する(権威)」と批判しても、リベラルはそれを抑圧としか捉えない。
反発を招かない批判のためには、自身の主張を相手の道徳基盤の語彙を用いて再構成(リフレーミング)する必要がある。これを「道徳的合気道」と呼ぶ。相手の道徳的エネルギー(価値観)を利用して、相手の姿勢を崩す技法である。
以下の表は、主要な政治的争点において、従来のリベラル的批判(バックラッシュのリスク大)を、保守的道徳基盤に翻訳した戦略的フレーム(受容可能性大)に変換したものである。
| 争点 | 従来のリベラル的批判(高リスク) | 戦略的リフレーミング(低リスク) | ターゲットとする道徳基盤 |
|---|---|---|---|
| 環境保護 | 「地球温暖化は弱者や未来の子供を苦しめる。」(ケア) | 「我々の国土と美しい自然は神からの授かりものであり、汚染から守り抜く義務がある。」 | 神聖/堕落、忠誠/背信 |
| 同性婚 | 「誰を愛するかは個人の権利であり、平等であるべきだ。」(公正) | 「結婚は社会を安定させる伝統的な制度であり、同性カップルもその責任ある関係に組み込むべきだ。」 | 権威/転覆(社会秩序)、忠誠 |
| 軍事費 | 「軍事費を削って福祉や教育に回すべきだ。」(ケア/公正) | 「無駄な軍事支出は国家の財政を弱体化させ、真の国防力を損なう背信行為だ。」 | 忠誠/背信、権威 |
| 政治腐敗 | 「富裕層ばかり優遇するのは不公正だ。」(公正) | 「私利私欲のために公職を利用することは、国家への裏切りであり、高潔な職務を汚す行為だ。」 | 忠誠/背信、神聖/堕落 |
| 移民問題 | 「難民を助けるのは人道的な義務だ。」(ケア) | 「秩序ある移民受け入れは、国家の活力を維持し、アメリカンドリームという伝統を守るために必要だ。」 | 忠誠、権威(秩序) |
研究によれば、保守層に対して環境保護を「神聖さ」や「愛国心」の文脈で語った場合、リベラルな文脈で語った場合よりも支持率が有意に上昇することが確認されている。重要なのは、主張の内容(環境を守る)を変えるのではなく、その理由付け(なぜ守るか)を相手の言語に翻訳することである。
批判は通常、「現状のままでは悪いことが起きる」という損失フレーム(Loss Frame)で行われることが多い。しかし、損失フレームは恐怖や不安を喚起し、防衛的な反応を引き起こしやすい。これに対し、「ゲイン・フレーム(Gain Frame)」を用いた批判は、望ましい未来像を提示し、その実現を阻害する要因として現在の問題を指摘する手法である。
例えば、政治家のスキャンダルを追及する場合、「彼は嘘つきだ(損失フレーム:信頼の喪失)」と攻撃するのではなく、「我々は正直で高潔なリーダーを持つに値する国家だ(ゲイン・フレーム:尊厳の回復)」と主張する。このアプローチは、批判の対象を「個人」から「規範の維持」へとずらし、相手の「権威への尊重」という道徳基盤を刺激しつつ、攻撃性を緩和する効果がある。研究は、特にリスク回避傾向の強い層に対しては損失フレームが有効な場合もあるが、イデオロギー的に対立する層に対しては、ゲイン・フレームや道徳的適合性の方が「聞く耳」を持たせる効果が高いことを示唆している。
理論を実践に移すためには、具体的な対話スクリプトと手順が必要である。ここでは、異なる文脈(対面、オンライン、深い対話)において効果が実証されている3つの主要なプロトコルを詳述する。
ディープ・キャンバスは、戸別訪問(キャンバス)において10〜20分の深い対話を行うことで、トランスジェンダーの権利や移民問題などの二極化した争点に関する態度を変容させる手法である。従来の「事実の弾丸」を撃ち込む方法とは異なり、「脆弱性の交換」を通じて相手の情動的反応を書き換える。
研究によれば、ディープ・キャンバスは従来の説得手法の約102倍の効果を持ち、その効果は数ヶ月持続することが確認されている。
ストリート・エピステモロジー(SE)は、相手の信念の「内容(What)」ではなく、その信念に至った「プロセス(How)」を問うソクラテス式問答法である。Permalink |記事への反応(1) | 11:19
まず議会制民主主義の基本として野党が与党の存在を前提に政策を作るのは当たり前の事なんだが
これは制度上の仕組みであって同じルールで動いている右派左派に差は無い
与党の存在を前提に野党が政策を作る事を依存とでも言うような主張はあまりにも論外
そもそも制度作りは与野党の交渉や議論、官僚の提案や社会運動の影響を受けるのに
自民党が無かったのが円高不況やトラストミーの旧民主党だし、自民党の存在がなかったら政権運営できないと自覚したのが社会党だぞ
これはどの政権でも当然の事なんだが
その政権が失敗するのはどこか特定の他の政党の存在の有無で決まることじゃなくてその政権自身の問題なんだわ
旧民主党政権が失敗したのは野党だった自民党が協力せずに足を引っ張ったせい
そもそも各政権の失敗の根拠を自民党に集約させるのも背景を単純化し過ぎてて到底「歴史的事実」なんて言えない
「自民党がいないと左派は何もできない」という結論が先にあって
下が幾ら頑張っても「民主集中制」が全てちゃぶ台返しをして無駄になる歴史の繰り返しだからね、共産党は。
幹部のプライドと責任回避が何よりも優先される組織だから。他所様とマトモに共闘なんて出来ないから色んな政党や社会運動と喧嘩別れしては孤立を深めるのよ。連合と共産党とかいう束縛系彼女に二股掛けてた立憲も大概バカなんだが。
それじゃあ何で共産党内部で変わろうと思わないのかって?そうやって行動すれば「分派」「新日和見」と扱われるだけだから。共産党以外のコミュニティに頼れない人間が殆どだから(なんなら結婚相手だって共産党員なんてのもザラ)、窓際に追いやられてもしがみ付く人間ばっかり。だって孤独の恐怖には勝てないもの。
そういやさ、現場クラスの団塊世代は思いっきり「新日和見」の頃の世代なんだよね。出世の道が絶たれたけど元の社会にも戻れないって立場の人間が大量発生した世代。
メンタル的なもので言えば攻撃性や衝動性による事故や犯罪に巻き込まれやすくなることよな
電気ショックで女性を理解させるなら、男性の苦しみを味わうために丸刈りにさせたり、高熱を出させる方がいいと思う
チャッピー的に言うと「女性の苦しみは狭く深く、男性の苦しみは長く浅い」
まぁそもそも健康でフサフサな男性がいる様に、生理痛の無い女性やピルで抑える方法もあるので
「男と女」じゃなくて「月経困難症とその他」で考えるべきだと思うんだよねこの問題
「社会運動」のエサにするために、問題の解決じゃなくて対立を深める方向に持って行ってない?
みんなはどう思う?
殺人犯の子供の命は軽んじられて、母親が子どもを殺した場合は世間から母親の方がものすごく同情されてしまう
誰かが人様の子どもを殺したら世間は怒るのに、母親が自分の子供を殺したら世間は「育児が大変だったんだね。わかるよ」と同情する。
娘3人を殺す前に、遠矢姫華は義母に娘達を預けて、最期の晩餐をやるためにわざわざ店にパンケーキを買いに行くくらい悪質な犯人なのに
あと数年経ったら、林敦子の事件の裁判も始まる。遠矢姫華の子供達と違い、林敦子の子供達の年齢は大きい。3人も撲殺するのは難しい。だから、可能性の話ではあるが、林敦子は子供達に睡眠薬を盛ったのでは?なんて推測もされてる。それでも、林敦子が裁判で不登校の息子のために自分はこれだけ苦労した。これだけ子どもを愛したとアピールすれば、遠矢姫華の裁判のように懲役刑になる可能性が高い。
親が我が子を殺した罪を重くするための社会運動をやるにはXやnoteのアカウントを作って同じ考えを持つ仲間を増やすところから
なんだってさ
いきなり、マスコミに向けて弁護士を伴って会見を行うことはできないんだってさ
そんなに手間がかかって、時間もかかるようなこと
私にはできないと思ってしまった
私には家族もいるし、やらなければならないことがたくさんあるし
例えば、グリム童話のヘンゼルとグレーテルは子供の権利を考えさせる部分がある。アンデルセンのマッチ売りの少女などは、本当に社会運動につながったりしている
でも、漫画の場合は辛い話でもお笑いに持っていけたりするので、ある意味、現状諦め、現状肯定、社会の改善には役に立たない場合がある
例えば、はだしのゲン?蛍の墓?にせよやくざ漫画にせよ、日常の風景とセリフが主で確かに事実の主張や証言性はあり疑似体験をする感覚もある
そして悪者は悪者として書かれ、勧善懲悪、ガス抜きエンタメ。解決者が現れ、夢のように解決して完結したり、あるいは悪者を肯定したり恣意的な印象作りもできてしまう。主人公が老人になったり病気になったりはあまりしない。そもそも漫画週刊誌の売り上げのためだったりするし。そんな大仰な考えで描かれる事も少ないだろう
なので一歩戻って、読者よ、この社会状況は何とかならないか?と環境改善を訴えかける力は小説の方があるのではないだろうかと言う気がするね
最も増田は日本文学とか、外国小説でもワンピースのモデルっぽいロバート・ルイス・スティーヴンソンの宝島なんかは、海軍万歳的なポジショントークがあると思ってて、小説も漫画も目的次第かな
長いの社会の現状と、社会はこうあるべきであると言う思想を表現するには、小説の方が適している気がするんだ
社会の現状と、社会や倫理はどうあるべきかなどを考えさせるには、小説の方が適しているから学校は漫画を使わないんじゃないかな
意識的・社会的な問題としては、女性が幼児のことを「自分の体の臓器の一部」的認識でしかないものがある程度(女性による子供への差別、女尊子卑的な価値観)があるけど
痴漢被害が左翼とフェミニストの社会運動に利用されて実用的な対策(監視カメラの導入、私服警官)を妨げるので無しにしたい。
・親にバレたく無かった
・夫や親族へのあてつけ
が多い。
動機がさまざま過ぎて対処が難しく、単純に「母親をサポートしよう」では意味が無いだけでなく「サポートを受けたく無い」も動機としてあるのがわかる。
確実な解決策としては
まず子殺しに関して、アメリカなどに比べて子供を殺すことに関して緩すぎる。刑罰のバランスが殺人の中でも明らかに優しい。
匿名出産に関してや孤児院に関しては、今は社会的に良く無い雰囲気があり、また病院も説教まがいのことをしてるけれど推奨すべき。子育てに自信がある人だけが子育てすればいい。
孤児院も幼児教育など高等な教育を施すようにしてインセンティブを与える。離婚の場合は第一の選択肢になるレベルにすればいい。
子育ての免許化に関して、妊娠が発覚してから心理学や小児の権利、小児の医療について学ばせ、試験に合格しないと育児できないようにするべき。
車椅子母親の滅多刺しとかは防げないが、大多数は救えるんじゃないか。
PS:
なんか「男が〜男親が〜」とか「女は〜」とか、男女の社会構造の問題に持っていこうとしてる人が居るけど、そういう「個人的なことを政治的なもの」にするのを辞めようって言ってんだよね。
ピルが普及しなかったの、当時の左派系フェミニストが「男の快楽ために何か女が薬を飲む必要はない」ってデモや意見主張の材料にしたから。
直接的な痴漢対策が進まなかったのも、監視カメラ、私服警官導入に左翼系とフェミニストが嫌がったからだよ(女性専用車が痴漢対策として意味ないのはわかるよね……?)
個人的なものは個人的なものとして、直接的な子殺しに対するアプローチをした方が結果的に環境を変えるのはフランスのピル普及後見ればわかること。
たとえば子育ては免許制にして、運転免許よろしく知的や精神的な問題を持つ人は弾くようにする。
教育を強制化することで、社会へのサポートを反強制化して結果的に孤立を防いだり、コミュニティへのアクセスが増えるだろ。
男性も「子育てわからない」で逃げられない。結果的に意識改善につながるし、社会の構造さえ変わるだろ。
それでも社会の構造先に変えたいってなら、罪のない人間に罪被せて男や女叩きしといてください。
あなたの怒りが利用されずに、いい方向に社会が変わるといいね。
Permalink |記事への反応(36) | 14:38
これは本当にすごい。世界にも色んなミームがあるけど、淫夢のサウンドでの強さは半端ない
爆発四散してなかったことになってるけど、プロのアーティストもリミックスを出すくらい
先にコンポーザーを挙げたが、動画編集者、ピアニスト、その他メジャーマイナー問わず本物が多数通り過ぎていった
淫夢という切り口からプロの仕事を見させてもらって、その豊かで育まれた文化的土壌は未だに我々に栄養を与え続けてくれている
絵があり音があり文脈があり中の人要素があり、総合芸術作品を徹底的に分解した結果、何にでも適用できた
テキストだけで淫夢をやっている人もいるし、ジャンルとして成立しうる幅が確保されていて、一過性のミームでは終わらなかった
淫夢系社会学者の仮説の1つとして、淫夢はアナーキー的社会運動の代替という説がある
世の中のクソさへの反発を資本家や政府に向けるのではなく、淫夢の創造によって社会の破壊を目論むという説である
淫夢もミームであるので常に追加の素材が供給されるが、ある一定の拡大を見せたところで別ジャンルとして切り離す性質がある
クッキー☆しかり、KBTITしかり、syamu_gameしかり
その「女性の解放運動」の思想的な後ろ盾は何なのか?ってのが問題なんよ。
ただ単純に「女性の権利を拡大したいんで拡大しろ(お気持ち権利要求主義)」という主張であれば、「フェミニズムは男のための運動じゃないんだよ」でもなんの問題もなかったのね。まぁ思想的に問題はないんだけど実現は難しかった。具体例でいうと、世界の諸国で女性参政権がない時代において、「政治的多数決で女性の権利向上するかどうかきめましょう。なお女性に投票権はない」って状態で、権利向上がほいほい推進されるかって言えばしないでしょ? いくら喚いたって政治的発言権無いんだから。事実長い間女性の権利は一向に向上しなかった。
この路線じゃまったくどうにもならんってわけで、女性の権利拡大、解放運動の思想的な背景に人権思想をくっつけたわけ。それがすなわち男女同権であり弱者救済ね。
「全ての人間は等しい権利を持っている(人権思想)ので、当然その一部である女性も男性と等しい権利を持っているはずである。その正しい社会を実現しよう」という理路でもって女性の解放運動は推進されたわけ。その理屈だからこそ、男性しか投票権を持たないような前世紀の社会においても「社会正義のためなら」ってことで女権が拡大されてきたわけよ。
つまり、フェミニズムは人権思想や男女同権や弱者救済ってのを前提に推進されてきたっていう歴史があるのね。そんなのそれ系の新書の一冊でも読めば分かる程度の、当然の浅い歴史であり前提なわけよ。
それに対して、女性参政権が認められた現代女性がXだのツイッタだののしたり顔で「そもそもフェミニズムは女性解放運動で男性の権利や弱者男性とか関係ない」っていうのだとすれば、「はーそうなんすか。つまりは人権思想はもう用済みっすか?お気持ち多数決で権利剥奪OKの戦場に再ログイン上等って話ですね?」ってなっちゃうわけ。まぁ有り体に言えば思想的な大後退ですね。
狭い視界でみたらオタクだのおっさんだの醜くて目障りかもしれないけれど、広い始点でみれば彼らも女性も、社会的には弱者であり、富裕層でも上級層でもないのよ。広い始点の権利闘争のなかで、本来的には同じ側の人間を目障りだっていう理由で人権思想を否定して背中撃ちするのならば、まぁ、思想としても社会運動としても袋小路になってしまうというだけの、それだけの話しなんだけどね。